日記
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2008年 7月 13日 (日) 00:37

様々な思いを乗せて・・・
by ubu

 もう月が変わってしまったが、2週間前の土曜日、私と女房は札幌にいた。金曜日の19時に中標津を出発、順調な行程とは言え、420キロの距離、円山公園近くのUさん宅に着いたのは土曜日の午前2時過ぎだった。深夜の到着をUさんは起きて待っていて下さった。
 この短い旅には我が家の犬も同行していた。柴犬のミゾレ、シグレの母娘。ウイペットのトン。そしてサモエドのエニセイ、コボの兄弟だ。
 
 28日土曜日、夕方からUさん宅の大広間で犬を語る集いがあった。翌日曜日には北区のドッグランで、たくさんの犬と飼い主さんたちと楽しむオフ会の企画を立てていた。
 私たち夫婦には4年ぶりの北海道、大勢の皆さんが集まって下さり、私も女房も胸が熱くなった。ただただ『ありがとうございます』と、御礼を申し上げるだけである。
 そう、はるばる関東から来て下さった方もいらっしゃった。犬を車に乗せて駆けてきてくれた人。犬は同行していないけれど、元気な顔を見せて下さった東京で知り合った仲間たち、、、。
 全員の気持がひとつになり、2日間ともに快晴ではけしてない『犬日和』に恵まれた。

 今回の旅には、企画の段階から私はコボを連れていくつもりだった。
 2歳半、コボが生まれる時、ラーナの陣痛が弱く、難産になった。その影響で低酸素症による脳性麻痺となってしまったが、女房を中心とした多くの人間のこまめな世話や、母親のラーナや兄弟のエニセイの気づかい、そして多くの犬たちの支え、そして来られた皆さんの応援のおかげで、今を元気に生きている。
 東京時代は頻繁に発作が起きていたが、北の地で暮らし始めて6ヶ月、発作の頻度は2ヶ月の1度になった。それも酷い状態になる前に復活している。
 昨年の12月、車に乗って1500キロの引越しの時、コボは活き活きとしていた。おそらく常に横に女房がいる状態を喜んでいたのだろう。
 そんな記憶もあったので、ぜひ札幌に連れて行き、たくさんの初体験をさせてやりたかった。そしてその結果しだいでは、この秋、涼しくなってからでも、鹿児島から青森まで、全国をコボと巡り、知人、友人に会い、御礼と笑顔の集いを企画したかった

 では、今回の旅の結果をかき出してみよう。
 
 コボは、車の中で不自由な身体を落ち着かせる工夫をしていた。
 コボは、初めての場所、初めての匂い、初めての空間で寝ることを
     嫌がらなかった。
 コボは、いつもと違う時間、内容の餌を、喜んで食べた。
 コボは、大小便を、人間の都合に合わせてしてくれた、我慢ができ
     た。
 コボは、初めて会った犬、それがどんなに大きくても。怖がらず、
     敵視せず、いつものペースだった。
 コボは、どこだろうと、女房や私の声、姿にしっかり反応してい
     た。
 コボは、あらゆる所で笑顔で駈け、跳ねることができた。
 コボは、あらゆるメーカーのアンパンを、すべて嬉しそうに食べ
     た!

 これはもう、日本縦断往復行の企画を本格的に練るしかない。
 南へ向う時は日本海側を辿り、九州でUターンをして、今度は太平洋側、、、、。
 
 私の頭の中では様々なアイデアが渦を巻いている。それを形にしなければ、、、!
 後日、全国の皆さんのアイデア、応援をいただくべく、公表をさせていただこう。
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 *写真説明*
 6月30日、十勝のPAのドッグランでのコボ。身体も魂も跳ねていた!
 
 


2008年 5月 7日 (水) 12:09

何を恐れるか、、、。
by ubu

 いつかはそうなるだろうとは思っていたが、先日、尾岱沼で見つかったオオハクチョウの死骸が、高病原性鳥インフルエンザに感染していたことが発表された。いわゆるH5N1型で、鳥インフルエンザの中でももっとも恐れられているタイプである。
 
 我が家から尾岱沼までは直線で20キロほどになる。ここは渡りの往来で休憩をする水鳥が多いところで、トドワラやナラワラ、1年中姿を見られるゴマフアザラシ、そして見事な色を輝かせる原生植物とともに観光の目玉となっている。
 
 感染が確認されると、すぐに行政機関は半径30キロ以内の養鶏場に指導に入った。なんと言っても怖いのはニワトリなどの家禽への波及である。ハクチョウやカモなどでは、キャリアになってもすぐに死ぬのはまれである。しかし、家禽はまたたくまに弱り、さらに集団で飼われているので、あっと言う間に広がってしまう。
 まあ、現在のところ、人に感染が及ぶのはごくまれで、普通に暮らしているぶんには問題はない。でも、中国等では人から人への感染が疑われるケースも出て来ているので、遺伝子が変化をした場合の将来は判らない。

 さて、オオハクチョウである。
 先日まで、南から戻ってきた連中が、我が家の前の牧草地やデントコーンの栽培跡地に数多く降りていた。朝夕の賑やかな声に、我が家の犬たちがよく吠えていた。
 彼らを閉じ込め、検査をし、ワクチンを接種するのは無理である。同じように宿主になっているガンやカモも加えれば天文学的な数であり、彼らはまさにボーダーレスの生き物、自由に移動を行なっている。
 よく考えてみると、鳥インフルエンザは昔からあった。スペイン風邪も香港風邪も、すべて鳥から始まり、豚などを通して人間にやっかいを引き起こしている。
 でも、鳥も豚も、そして人間も、それを乗り越えてきている。もちろん、多くの死者も出た、しかし、滅びてはいないのである。
 
 20世紀後半から始まった今回の問題も、地球の生き物の長い歴史から見れば、ほんの少しの試練なのだろう。私は、必ずやオオハクチョウも人類も乗り越えると信じてはいる。

 ただ気になることはある。
 それは、ニワトリしかり、私たち人間もしかり、さらにハクチョウやガン、カモにも言える事だが、生き物としてのパワーが小さくなっているのではないだろうか。
 その大きな原因は、本来の在り方以上の『集団化』と『採餌様式の変化』である。
 ニワトリが数十万羽、一箇所に押しこめられているのは、やはり異常であり、そこでのヒナの生産には疑問が残る。どう考えても近親交配が避けられないだろう。大地のバクテリアを口にするのはまれ、人工飼料、夜間照明、さらに様々な薬品の使用が、ニワトリを脆弱化させている。
 
 水鳥で考えなければならないのは、餌付けである。
 30年ほど前、厳しい寒波で尾岱沼のハクチョウが餌を採れず弱ったことがある。私たちは馬の飼料であった燕麦を何袋も運び、レスキューの手伝いをした。
 しかし、普通の状態ならば、なるべく餌を与えず、彼らの自力採餌に任せなければならない。毎日、たっぷり餌を与えていると、通常ならば尾岱沼が凍結し始めると、もっと南に下がらなければいけない連中が、いつまでも居残り、人間に頼りきることになる。

 実際は、現在の全国各地でのハクチョウ越冬地は、レスキューと言うよりも、観光目的が主になった餌付けが多いのではないだろうか。旅をしていると、その地の老人が「ここにハクチョウなんか来てなかったよ、昔は」と言うような、思わぬ所にハクチョウなどが集まる場所ができていて驚くことがある。
 もし、冬期、渡りの水鳥たちの採餌の場所が、開発や汚染のために減少したと言うならば、ぜひとも専門家がリサーチをし、さらに場所の分散による危険回避(感染症等の)を方策にし、給餌をする場所を認定すべきである。もちろん環境省が先頭に立って、彼らが自力採餌できる場所を増やす運動も起こすべきである。

 このようにして自然とともに生きる本来の姿を維持できれば、鳥インフルエンザ、恐れる事なかれ、必ず生きものたちは、このピンチを乗り越え、次の感染症にも立ち向かうだろう。

 とりあえず、家禽たちには私たち人間に暮らしの責任がある、野鳥との接触を防ぐ手だてをし、見守ってあげよう。
 私は、ウコッケイとニワトリのミックスであるバンドリくんたちを小屋に入れた。
 
 


2008年 4月 19日 (土) 19:55

腹時計、日時計、そしてラジオ
by ubu

 昨年の暮れ、何度目かの東京往復の時に、トラックに荷を積もうとして左手首を強打、見事に腕時計のバンドがぶっ飛んだ。
 以来、私は腕時計をしていない。
 生活に不自由があるのではと聞かれたら、おそらく嬉しそうな顔でこう返事をするだろう。

 「いいえ、まったく問題はありません。これまで、あの小さな計器に、いかに心を縛られていたか、よく分りました」

 今の時代、これは贅沢の一種かも知れない。
 通勤の電車に乗るわけでもない。営業時間を気にする必要もない。笑顔で見つめ、尾を振ってくる連中と会話をし、食べ物を与え、ウンコを始末する日々。後ろから追い掛けられるような切迫感とは無縁になった。
 けして仙人になったわけではない。現実を見ると、100に近い生きものたちを空腹にさせないために、ギリギリの暮らしを続けている。大勢の皆さんの応援をいただき、そのおかげでなんとかなっている状況は早く打破しなければならない。
 
 でも、時計は不要なんである。
 飯の時間は、何かというと食べ物を要求する自前の腹が、そろそろ限界ですよと知らせてくれる。時には犬やネコたちが、彼らなりの態度で示すこともある。
 あきる野で犬の相談を受けた時に、たまには餌や散歩の時間を変えるのも良い効果がありますよ、と話してきた。
 まさにそれは真実だと、今、自分の暮らしの中で再確認をしている。いつもより遅れた食事のなんと美味なことか、、、。

 太陽や風も時刻を知らせてくれる。
 まるで原始人のようだが、傾いた陽光や、風の変化でおよその時間を知り、行動の基準となっている。これは犬ネコたちとぴったり合うので面白い。彼らは人間のすぐ横で生きてはいるが、地球そのものと共生する能力をけして失ってはいない。
 鳥インフルエンザが発生した大規模養鶏場では、夜間照明を行なっている所も多いと聞いた。地球のリズムに背くことは、思わぬしっペ返しに繋がるのだろう。

 もうひとつの大きな変化はラジオをよく聞くようになったことである。
 生家にTVが入ったのは、たしか小学5年生の頃だった。それまでは祖父と一緒に、よくラジオで相撲や落語、浪曲を聞いていた。
 鉱石ラジオを作ったり、真空管のラジオを解体、組み立てと、自作のラジオから音が聞こえた時の感激は、今も忘れる事ができない。
 
 犬たちと散歩をしながら、時にはパソコンに向って仕事をしている時、そこに流れているのはNHkの第一放送かNHkFMだ。よほどのことがない限り(プロ野球中継など)、民放にダイアルを合わすことはない。あのかしましさが苦手な年齢になったのかも知れない。
 NHkの放送の良さは、日本各地の情報の汲み上げである。それを他の仕事をしながらチェックできる気軽さが嬉しい。ただ願う、NHkのアナウサーが、民放の真似をしないことを、、、。

 こう書いてみると、何か浮き世離れをしたように思われるかも知れない。
 それは否定させていただこう。
 このような時間の枠から外れた日々の暮らし。そこからは、湧き出るようにアイデアが生まれ、これまでの生きものたちとのドラマが蘇ってきている。
 今、私は、それを形にする作業に没頭している。
 そう、左手に視線を配ることもなく。
_________________________
  <写真説明>
 彼らも枠を飛び出し、思うがままに原野の暮らしを楽しんでいるらしい!
 エニセイ、ワリーナ、私に視線を合わせないと言う事は、、、。

 


2008年 3月 20日 (木) 00:13

康太、駈けよ!
by ubu

 生後70日過ぎから、サモエドのパエルの子犬たちが、それぞれの飼い主さんの所に旅立ちを始めた。このところの暖かさで、外のサークルの雪解けが進み、初めてのシャンプーをしても真っ白にはならず、なんとなく黄ばんでいるが、それも元気な証拠とさせていただこう。
 パエルの子が8匹、そしてほぼ1ヵ月後に生まれたエニセイの子も8匹、合わせて16匹が我が家の狭いリビングで成長してきた。我が家でサモエドが出産をするのは20回を超えていると思うが、こんなことは初めてであり、嬉しい忙しさを続けている。
 
 それぞれの子の行き先は決まっている。私の掲示板などの写真を見て、その成長ぶりに安心するとともに、
 
 「名前を決めました、いつ、我が家に、、、?」

 と、待切れぬ気持があふれたメールが、本州の春便りとともに届いていた。
 
 今回の16匹のうち3匹は、実は以前、我が家で生まれたサモエドを飼われていた方の所へ行く。この数年の間にその犬が死に、どうしても次のサモエドも、、、と予約をされていた。
 1匹はマロの息子、残りの2匹はマロの跡を継いだカザフの子だった。
 天寿にせよ、無念の死にせよ、遠く離れたところで我が家出身の犬を可愛がってくれた皆さんは、辛い気持の中でも、実家の我が家に報告を下さる。私は、ただただ「ありがとうございました」と声をかけるしかない。
 その辛い会話の時に、3人の方は、
 
「ぜひ、次もサモエドを、石川さんのところで生まれ、育った子を家族にしたいんです、お願いします、、、!」
 
 と、言われた。
 私は出身の子が死んだことよりも、その言葉に感激し、涙した。
 世の中の愚か者は、
 
 「前のコが死んだ間もないのに、また犬を、それも同じ種類を飼っている、可哀想だよね、前のコが、、、」
 
 などと、陰口を堂々と公言し、陰口の立場を危うくしている。これがイケナイ事ならば、連れあいと死別した人間は絶対に再婚できないことになる。
 
 話は飛ぶが、同じように涙した事件があった。
 飲酒運転の車の体当たりで冷たい海に突き落とされ、一瞬にして3人の子供たちを失った福岡の御夫婦が、裁判のニュースなどの画面で、誕生した新しい命、赤ちゃんをともなって辛い会見をされていた。過日の地裁の判決にはおおいに疑問、怒りをもつ私だが、あのご夫妻の姿、人生に向われる姿勢には涙をとめることができなかった、、、。

「あのコは本当にいいコでした。近所に小学校があり、毎朝、子供たちが通るんですが、それを楽しみにしていて、みんなに可愛がられたんですよ。死んだと知って泣いてくれた子供もいました」
 
「近所の犬たちと、とても仲良しで、いいおお兄ちゃんでした。みんな寂しいって言ってくれます、、、」

 ・・・だから、すぐに次のコを家族にしたい、そうすれば死んだコがくれた笑顔が、楽しい暮らしが継がれる気がします。何より、犬を失った悲しみを乗り越えられる・・・そう、皆さんが言われた。
 
 私は喜んで予約ノートにお名前を記入し、ラーナ、ダーチャ、アラル、そしてパエル、エニセイ、アリーナたちに期待をし続けてきた。
 
 今回の3匹のうち、すでに『康太(こうた)』と名前が付けられているコの場合は、少し事情が異なる。
 先住犬のマーヤを可愛がって下さっていたKさんは、2年前、いや年が変わったので3年前、2匹目のサモエドの予約をされていた。マーヤが天真爛漫、まだまだ元気なので気長に待ちます、との言葉だった。
 しかし、命の道は先が判らない。2月のはじめ、マーヤは得意の駈け足で、行かなくてもいい空の上に繋がる道を間違って選び、駈けていってしまった。
 パエルの子犬が生後1ヵ月となり、私は予約名簿を前に順番に声をかけ始めているところだった。もっとも長く待たれていたTさんの家にはオスが行くことになった、ルークと名前を付けてもらった。次いでメスがNさんの家に決まった、先住犬のコーギーと楽しいコンビになるだろう。
 
 Kさんの名前は上から3番目にあった。
 私は逡巡した。女房が後ろから私を押した。

 「子犬が涙をなめてくれるわよ!」

 「そうだよね、何を私が悩んでいるんだろ、愚か者は自分だ!」
_______________________________

 マーヤの49日が過ぎた日、Kさんが名前を決めた『康太』は東京に行く。
 
 西多摩の地、早い桜が咲いているだろうか。
 先住犬のアリスと悠太は、康太を可愛がってくれるだろうか。
 3匹のネコたちにも歓迎されるだろうか。

 Kさんの大きな声が、マーヤの暮らした家に、部屋に復活することを、私と女房は心から願い、パエルっコの最後の1匹として、笑顔で飛行機に乗せる。


2008年 2月 13日 (水) 18:26

コボの言語理解力
by ubu


 サモエドのコボは、誕生の時の事故(陣痛微弱、早期破水、逆子)で低酸素症による脳性マヒになった。心肺停止状態から復活し、運動機能障害はあるものの、あるがままに、いや、それ以上に努力して(本人は努力と思っていないが)明るく生きている。
 他の犬に比べれば、確かに私や女房の手間は数十倍になる。でも45分間に及ぶマッサージで助かった命、これも天から授かった可愛い命である、できうる限りの世話はしてきたつもりである。

 私はコボの成長を、少し離れた感じで論理的に観察する習慣をつけるようにしてきた。肉体的なもの、精神的なもの、さらには知能的なもの、そこから派生する行動学的なものに、多いに興味があった。
 その中で、最近の驚きは、コボの人間語理解力である。コボがしっかり理解していると思われるものを、いくつか羅列してみよう。

*「あんぱん」
  これはもう、あきる野の時から皆さん、良く御存知である。この
 魅惑的な単語を私が口にすると、コボの体は跳ね、舌なめずり、そ
 してよだれが流れ落ち、どこにいても私の胸に駆け寄ってくる。

*「コボ、水は?」
  コボは普通の感じで水おけで飲むことができない。バケツを置
 き、その上に水おけを重ねて設置し、水位を高くしてある。時々、
 その場所に自分で行ってなんとか飲むこともあるが、基本的に立っ
 たまま静止するのが難しく、バケツを押倒してしまうことが多い。
  そこで、私や女房はタイミングをみて「水」と声をかける。する
 とコボが飲みたい時は、自らバケツに駆け寄って行く。意地悪く私
 がバケツの位置をずらしたところ、いつもの場所にないことに気付
 き、ヘッドギアのせいであまり回らない首を振り、離れた位置にあ
 るバケツを発見、嬉しそうに跳ねて行き、バケツの手前で私を振り
 返り、飲みやすくなるように体を支えてと瞳で訴えた。コボは飼い
 主づかいが荒い。

*「コボ、さあ入るよ、ちょっと忙しいから、柵に戻って!」
  この長い言葉を聞くと、コボは私から離れようとする。それを無
 理矢理捕まえ、ハ−ネスを曵いて誘導しようとするのだが、コボは
 足を踏ん張って抵抗する。明らかに「入る」という言葉の意味を理
 解し、それを嫌っている。

*「コボ、散歩に行こうか!」
  これは嬉しいことと理解している。聞くとすぐに、普段はめった
 に使わない我が家へのアプローチの方へ体を向け、嬉しそうに先
 に立って駈け足をみせる。

 コボはワンと吠えることができない、そして思いのままに行動することも難しい。だからこそ、私や女房の言葉に対する反応が分りやすい。これからもともに暮らしながら、コボの生き方(あいつなりの処世術)を見つめていきたい。

 犬の人間語理解に関しては、面白く、そして感嘆することがいっぱいある、この続きは次回とさせていただこう。
 


2007年 10月 17日 (水) 10:08

必ずや再会を、、、!
by ubu

  
   「想いを残して・・・・」

 今日、東京の王国を閉じる日が発表された。
 11月25日、あと1ヶ月と少しで、ようやく慣れたあきる野での王国活動は終わる。
 その原因はあえて書かない。ただ言えることは、勇んでやって来た私たち王国メンバーにも大きな責任がある、ということだ。
 これは厳しく心に留め、3年半の期間、あきる野の王国に来られた皆さんに御礼をのべるとともに、お詫びをしなければならない。

 「ありがとうございました」
 
 そして
 
 「申し訳ありません、、、」

 私と女房は北の地に戻る。
 もちろん犬やネコたちとともに。

 今は、この東京の地で心を繋ぎ、笑顔を交わした皆さんと、どのように次の展開を語り合うべきなのか、それだけを考えている。
 そして、北の地で生きものたちと築く新しい暮らしの術を、、、、、。


   胸はずみ  心おどらせ  始めたり
      新しき王国   瞬の1200日

   あの顔が  かの顔がよみがえり  濡れた視界
       コボは変わらず   笑顔で駈ける

   マロが去り  カザフも消えた  北帰行
        胸にあふるは  みなさんの笑顔

   白い騎士  為れぬおのれに  ただ苦笑
        今日、丘を駈る  白い馬に乗り

   ひとときを   ともに過ごした  皆さんに
        嗚呼伝えたい   必ずや戻ると

   コボという  白い犬には  はじめての
        雪と遊ぶか   建国の地で

   酒に酔い  人の心に  酔った夜
       仲間の歌は    今も聞こえる

   寂しさと  言う四文字を   飲み込んで
       今日もあきる野   犬の糞を拾う

   プチという  駈ける広場に  集まりし
     タブっ子ラーナっ子  乳父(ウブ)は幸せ

   ありがとう  他に言葉  見つからず
       25日まで    ただその日まで

___________________________________


     申し訳ありません。
                   
                            石川 利昭
                  



 
   
   

 

 


2007年 3月 7日 (水) 06:20

ユニっ子をよろしく
by ubu

 かなり前から、私や女房の手で育てた子犬を旅立たせる時に、新しい飼主さんに拙い文章の書き物をお渡ししている。その中には乳父、乳母の気持ちと産み、育ててくれた母犬への感謝を込めている。
 今回のユニの子犬には、下記のようなものを書かせていただいた。
________________________________



    乳父と乳母のふたり言

                     ムツゴロウ動物王国
                         石川 利昭
                           ヒロ子

  2006年11月26日、20時25分、ラブラドールのユニ(母タブ、父テディ)は初めてのお産の第一子を出産しました。その後、翌27日の4時32分までに合計7匹の子犬を、無事に生み終えました。
 この拙文は、出産育児を見守り、応援をしていきた二人の親ばか綴りです。今回、縁あって皆様の家に子犬が旅立つにあたり、ささやかな記録としてお渡しいたします。御笑読下さい。


* 出産まで
2006年 9月15日  発情開始
      9月26日  伊勢原のケンと交尾(1回目)
      9月28日  2度目の交尾
2006年 10月下旬  腹部はまだ小さいが、間違いなく妊娠している。
      11月24日 雑居館の中に設置した産箱に入れてみる。ユニ自身が2
             年前に生まれた場所、落ちついている。
* 出産
  第一子 26日20時25分  イエロー オス  470グラム  
  第二子    21時50分   黒   オス  450グラム
  第三子    22時20分  イエロー オス  430グラム 濃い
  第四子    22時51分   黒   メス  430グラム
  第五子 27日 1時15分   黒   オス  480グラム
  第六子     3時51分   黒   オス  430グラム
  第七子     4時32分   黒   オス  460グラム

 後半、時間はかかりましたが、すべての子が安産で生まれ、乳首への吸い付きも優秀でした。
 その後、10日目で体重は900〜1100グラム、20日目で1500〜1800グラム、30日目で2000〜2600グラム、60日目で6200〜8300グラムと順調に成長してきました。





  健康管理

 駆虫
 1回目  12月24日  ピペラックスシロップ
 2回目   1月 9日  ピペラックスシロップ
 3回目   2月 7日  ドロンタールプラス

 ワクチン
 1回目  1月30日  8種混合ワクチン接種(次回は3月2日頃です)

 離乳食
 12月16日、生後20日目から離乳食を食べ始めました。その後、母親のミルクも飲みながら順調に2食を食べています。子犬たちの母親であるユニはとても母心が強く、生後1ヶ月頃から自分が食べた餌を子犬に吐きもどして与えています。従って子犬はプクプク、母はガリガリ状態が続いています。最高の母性を発揮しています。このような理由もあり、今回は人間の作る離乳食を1日2回にしています。


* 餌、その他食べること
現在のところ1日2回(8時、15時半、他におやつと母犬の吐きもどし)離乳食を食べています。
内容は下記のようになります。
 ドライフード・・・・ニュートロ社のナチュラルチョイス<ラージブリー
           ドパピー>1回140グラム。
 犬缶A・・・・・・・市販の普通のもの1回に三分の一。
 犬缶B・・・・・・・市販の鶏頭水煮(1回に頭1個)。
 牛乳・・・・・・・・適当量
 チーズ・・・・・・・10グラムほど。
 残飯・・・・・・・・主に白いご飯少々。
 煮干しを2〜3匹、必ず入れて下さい。
 ドライフードは王国のショップで購入可能です。よく食べますので、来られた際に大袋をどうぞ。

 量は成長とともに増やして下さい。缶詰は適当で構いません、お好きなものを与えて下さい。人間の残り物も、ネギ、ニラ、ニンニク、菓子類(特に気をつけるのはチョコレート)等以外は平気です(同じものを毎日、そして多量でなければ)。
 回数は、1日2回、生後1年ほどで1日1回でも構いません。
 おやつは様々なトレーニングの褒美にも、栄養の補給にも有効です。ジャーキー等を、どんどんお使い下さい。
 また、ラブはくわえる、囓る(幼時の甘咬みも)が特技の犬種です。おもちゃやおやつにボーンなど、固めの物をおすすめします。これは家具や人間を守るためにも必要です。

* ワクチン、駆虫、登録に関して
  混合ワクチンの1回目は別紙接種証明書に記載のように、1月30日に行っております。次回は3月2日頃、そのまた1ヶ月後に3度目の接種をおすすめします。その後は1年1回の処置となります。検便、駆虫薬(特にフィラリアの予防)投与等を含めまして、獣医さんとご相談を願います。
 自治体への登録、狂犬病ワクチンの接種に関しましても、獣医さんに聞いて下さい。
 血統登録書は、現在手続き中です。発行が済み、王国に届きましたら、すぐに送らせていただきます。

* その他
ペットライフ社のwanという雑誌で、私は20年近く連載をしております。その中でラブを中心としたレトリーバーの原稿を依頼されました。3号に渡って書いた文章のうち2号分をまとめて転記しました。
 私と女房の考え方を示しております。参考までに読んでいただけたら
幸いです。

 新しき飼い主の皆さんは、私たちにとって大切な心の親戚さんです。犬を絆に皆さんとの愉快な、時にはらはらどきどきな日々を、心から楽しんでいきたいと考えております。
 重ねまして、ユニっ子第一期生をよろしくお願いいたします。

                   2007暖かい冬 石川 利昭
                              ヒロ子

 
 『ラブラドール・レトリーバー・北の海と荒涼の大地から』
               
 北海道の王国で暮らしている時、冬から春にかけてよく知床に出かけた。厚手の防寒着を重ね、ふくらんだカメラバッグを肩に、切り立った崖の下で、時には流氷漂う中を開氷面をなぞりながら漁をする船の上から、北の海を生活圏とする生きものたちの姿を追った。
 昔のような重い黒のゴムカッパの漁師は消え、カラフルな化学合成生地の防水着に全身を包み、顔にはタオル、頭には毛糸の帽子をかぶった海の男たちは、知床の狭い海峡に産卵に集まって来たタラを獲っていた。使う漁具は刺し網、長く流した網に、群れるマダラやスケトウダラ(タラコの母である)が刺さる仕掛けになっている。
 「いや〜、兄ちゃんのとこに、あれをくわえてくるイヌッ子はいないべか、オジロたちばっかに食われるのがもったいないベさ・・」
 網を巻き上げる時に、どうしても刺さりの悪いタラは外れ手しまう。深い所から一気に上げられた魚なので浮き袋が膨らみ、タラたちは失神状態で水面に漂う。
 それを狙ってオジロワシやオオワシが襲来してくる。その勇壮なドラマをカメラを構えて待ち受け、シャッターを押していると、気の合った船頭さんたちは、半ば本気でそう言ってきた。
 「実は、ぴったりの犬がいるんですよ、泳ぎが得意で、くわえて運ぶのが得意で、そしてスタミナたっぷりのが・・・」
 「貸してくれや、いや、バイトに雇うべっか・・・」
 鼻水が凍る船の上で、私たちは冗談を言い合っていた。かつてのようにわずか数ヶ月の漁で御殿が建つほどの水揚げは幻となり、一匹のタラも惜しいと感じられる時代になり、船頭さんの言葉は、ある意味で本音だったのかも知れない。

 私の頭の中にあった『ぴったりの犬』とは、ラブラドール・レトリーバーのラブであり、その連れあいのクレバーのことだった。
 王国の目の前の海で波に漂うコンブをくわえてきたり、ニワトリ小屋から卵の入ったバケツを運ぶ二匹の姿を思い浮かべ、闘いのようなタラ漁の船上に身を置いていると、私の想いは何度も遠きニューファンドランドの地に飛んでいた。

 よく知られているように、十五世紀末に新大陸(北アメリカ本土)を発見したコロンブスも、その数年後、あと四年で世紀が変わる一四九七年にニューファンドランドに到達したカボットも、ともにイタリア人だった。前者はスペインの、後者はイギリスの許可と援助のもとに新天地を探す航海に出た。
 そして、イギリスに帰ったカボットの報告には、ニューファンドの周辺がタラの宝庫、素晴らしい漁場になると記されていた。
 緯度の高い北半球の人類にとってタラは最高のタンパク源であり、胃を満たす素晴らしい魚だった。何よりも魚自体が大きい。
 冷害などによる飢饉が続き、近海の漁獲も乏しくなり、やがてイギリスの漁師たちは新しき大陸の東海岸にある、タラが周辺に満ちている宝の島々を目指した。

 そこで漁師たちは黒く大きな犬との出会い、そして実業を通しての密度の濃い付き合いをもつことになった。
 これまで、ラブラドール・レトリーバーを述べる時、ニューファンドランド、およびその周辺には、土着の犬はいなかった、とされてきた。
 しかし、近年の研究によると、スペイン人、バスク人の進出、そしてカボットの発見の五百年前、そう十世紀にたどり着いていたバイキングによって、なんらかの犬がもたらされていたのは確かである。
 特に注目すべきはスペインとバスク、そう、スペインからはウォータードッグ、そしてバスクからはピレネー周辺の大型マスチフの影が色濃く浮き出てくる。
 
 犬は家畜である。
 その土地の気候風土に順応し、人の求めに応じて仕事の質的変化を果たし、姿までも大きく変える。
 古き時代にラブラドール半島に住んでいたある人物の著作には、人々はニューファンドランドの海で仕事をする黒く長い毛を持った犬と、やや小柄ながら海だけではなく、狩りを手伝い、すべてが凍り付く冬には、ソリを曳いて活躍する黒い犬が人々に大切にされていたと記録されている。
 当然だと思う。犬たちが専門職になり、ある一定の仕事だけをこなす時代は、もっともっと近代になってからが中心である。暇と財を誇る王様や貴族、ある種の寺院以外で飼育されている犬は、飼い主がぎりぎりの状況のなかで、仕事ができるからこそ餌を与えられていた。
 飼い主は、ひとつをこなすスペシャリストよりも、何でもできる犬を良き犬としただろう。
 その意味で、十六世紀から十九世紀にかけて、ニューファンドランド周辺の犬たちは、遠きイギリスからやってくる漁業者、そして土着の人々、さらに定住を始めたヨーロッパ人とともに、冷たい水をいとわず、泳ぎを得意とし、網から外れたタラを回収し、狭い石ころだらけの浜ゆえに港を持てぬ船のために、もやい綱をくわえて浜に泳ぎ、時に人の心を癒し、連絡用のソリを曳いて駆けるなどの多用途犬としての道を極めていった。

 十数年前、私は願いが叶い、イギリスのプールの地に立った。
 この港から、西の冷たい海を目指し、たくさんのタラ船が出て行ったのかと思うと、霞がかった夕日に照らし出された港も、重く感じられた。
 そのプールで、そして周辺の町で、さらにロンドンでも、私は古本屋、ギャラリー、骨董屋、図書館、KC本部などを訪ね歩いた。
 
 探し求めていた内容を示す数枚の絵、そして絵を写真にしたものを見つけた。
 古ぼけた絵の中で、黒い犬は大きな荷車を人間とともに曳いていた。中には五匹の犬が一台の車を曳いているものもあった。
 犬の大きさは現代のラブラドール・レトリーバーよりも少し大きかった。黒い毛は長めに描かれていた。
 額装されていない絵の裏を見ると、一八○○年代の数字と、セント・ジョーンズ犬と記した小さな紙が貼ってあった。

 荷車に山積みにされた荷は、塩漬けのタラだろう。ロンドンまでの長い道を懸命に曳いた犬たち・・・
 後年、ブルドッグの牡牛いじめと同じように、愛護団体によって禁止をされるまで、大きくて、黒く、そして忠実な実用万能犬は、飼い主の生計とともに自分の暮らしも支えていた。

 この後の歴史は、様々な書籍に書かれている。
 もちろん、ラブラドール・レトリーバーの真の始祖などを探し出すのは困難である。有名な愛犬家、繁殖家、狩猟家(ほとんどが貴族)などの名前とともにラインの構築も語られてはいるが、私はそれよりも、危険多きタラの海に出かけ、そこで人間を助けて活躍してくれる黒い犬の話を持ち帰った漁師の言葉。さらにイギリスにやって来て、重い荷車を懸命に曳いた犬たちを感慨をもって眺め、語り合った普通の人々の中にラブラドール・レトリーバーの原点を感じる。

 犬、それも人々の求めに応じて作り上げられたほとんどの犬種は、あくまでも暮らしの中に存在の基礎を置いている。
 ニューファンドの島々に暮らした、もしくはそこに出稼ぎに行った人々が、その地に番犬を求めず、人間のごく近く、声と視線の届く所で、ひたすら回収と曳くことを犬に求め、犬たちはその期待に応えた。
 これが二十一世紀の今、世界中で愛されるラブラドール・レトリーバーを支えているのだろう。
 セットもポイントもフラッシュもレトリーブもでき、盲導犬、警察犬、軍用犬、麻薬探知犬、災害救助犬、介助犬、水難救助犬、子守り犬、セラピー犬、そして笑顔の家庭犬・・・
 彼らの万能ぶりを見るにつけ、その心の歴史の中にあるニューファンドランドでの先祖の暮らしを思わずにはいられない。
 
 生き物は極限の地、状態において、心を通わせ、互いに力を補いあう。そして、それはいつの日か、相手がいることが、その相手に役立つことこそが喜びとなっていく。
 ラブラドール・レトリーバーは、人間という相手の存在を大いに驚喜している。
 

  
 『すべては待つ心から』
             

 レトリーバー、特にラブラドールに関して、二回に渡って古き時代のニューファンドランド、そしてロンドンへの長き道に思いをはせてきた。
 まだまだ思いは私の胸の中であふれている。語りたい事は山になっている。
 しかし、それはいったん収めておこう。  
 笑顔で活躍をしている、今、私の目の前で生きている連中にペン先を向けてみることにしよう。

 一〇月の初旬から、西多摩の東京ムツゴロウ動物王国でドッグランの運営を始めた。あまり広くはないので「プチ」と名付けているが、常にインストラクターとインストラクト犬が、ゲストの犬、そして飼い主さんとの対応にあたり、どのような犬でもリードから解放され、他の犬、そして人間との付き合いが可能になるようにと、駆け、遊びながら、提案者の私も犬たちと一緒に勉強をしている。
 このドッグランはいくつかの約束事を設けている。鑑札(登録番号)の提示、狂犬病ワクチン、混合ワクチン接種証明書の提示である。単に囲われた場所を提供するだけではなく、飼い主さんにとっては少し面倒が増えるが、すべての犬たちの健康と安全のために重要と考えた結果であり、利用される皆さんの安心にもつながっている。

 ドッグランがオープンして二ヶ月半、 新しい出会いがたくさんあった。初対面の犬たちが耳を軽く倒して私の手の匂いを嗅ぎ、初対面の犬同士で挨拶をする儀式が日々進行中である。
 その中にはラブラドールをはじめ、レトリーブ心を備えた様々な犬種の犬たちがいる。
 生来の元気ものたちの動きを眺めながら、それぞれの飼い主さんたちが私に言う、

 「いや〜、あのわんぱくぶりには困りました。やっとです、少し落ち着いたのは。三年もかかりました」
 「もう、あの子の訓練のためにどんなにお金を使ったことか。代わりに餌は安い物にしたんですよ、あははは」
 「元気なのはいいんですけど、誰にでも跳びつくので困っています。本人はうれしくてなんですけど・・・」
 「盲導犬になっているラブが同じ犬種とは思えないんです。だっていつもバタバタ、ドタバタ、もう凄いんですよ」
 「そうそう、盲導犬のあの仕事っぷりに憧れてラブラドールを飼ったんです、うちも。クィールのような犬がほしくて」

 黒、イエローの被毛を陽光に輝かせ、西多摩のドッグランを楽しむ犬たちを横に、私に向けられた皆さんの言葉は、ともすると後悔語録と誤解をされそうな内容だった。
 もちろん、ほとんどは過去の事、愛犬が成長期だった頃の話であり、切実な悩みの時期からは脱却をした、もしくはあきらめて全てをあるがままに受け入れた余裕が端々に含まれていた。同じ場に、将来はラブラドールを飼いたい、などと言う方がいらっしゃったら、前述の言葉を発した皆さんは、口をそろえてこう言う、

 「かわいいけれど、大変ですよ〜、覚悟をしてから飼って下さいね!」
 「家は彼らの囓るおもちゃと思って下さいね!」
 嗚呼、レトリーバーたちよ・・・

 そう嘆く気持ちは、実は私にも、脅しのようなことを希望者に伝えた現役のオーナーさんたちの心の中にも存在していない、いや、ほんの少しはあるかも知れないが、それは笑顔で発する程度のものである。
 逆に言えば、「だからこそレトリーバーは面白い」となるだろう。

 その面白さの原点となっているのは、やはり人を見つめる密度の濃いことだろう。
 彼らはレトリーブ心をDNAに組み込んでいる。そりゃあそうである、犬種として作り上げる時に、長い時間をかけ、それを基本に選択をしてきたのだから。
 獲物を狙ってハンターが発砲をするまで、レトリーバーは動きを控えていなければいけなかった。ガサゴソと動き回ることも、ジャンプをすることも、そして何より吠えることも禁止されてきた。
 つまり「待つ」ことが起点とされてきた。それができないレトリーバーは役立たずであり、淘汰される運命になっていた。

 この本質は、家庭犬の道が本線になった今の時代にも変わらず残っており、私たちが彼らと付き合う時に利用できる。レトリーバーを家族に加え、ともに暮らしを楽しむ時のルール作りに役立つのである。
 
 犬たちの心拍は人間よりはるかに優れたフレキシビリティを備えている。突然の恐怖、危険、そして狩りにおける瞬間的な動き、さらには群れ社会での上下関係のやりとりなどにおいて、瞬時に対応できるように数秒で平常値(一分間に八十〜百回)から二百を超える心と体の躍動、緊張態勢に変化できる。全身に多量の酸素を送り込み、細胞のすべてが臨戦態勢に入れるのである。
 さらに不思議なことは、上がった心拍が、これまた数秒で平常値に下がることである。犬たちが絶えず生理的に心を揺らして生きていることがよく分かる。

 私は何度も心拍計を犬に装着して実験を行った。それは様々な犬種、様々な条件のもとで繰り返した。
 結論から言うならば、人間が(その犬の家族が)存在しているだけでは犬の心拍数は上昇しない。それに比して、犬と犬の間では、よその犬はもちろんのこと、同居している犬同士の間でも上下の関係による心拍数の変化が起きる。挨拶行為の時に顕著な上下動が発生するのである。
 つまり、人間はどんなにがんばっても犬の群れには加入できないのである。その犬のリーダーにはなることができない。犬はけして愚かではない、同種の犬と人間をしっかり見分けており、別の存在として考えている。
 でも心配は無用である。
 犬たちは飼い主家族を暮らしのパートナーとしてしっかり認めてくれている。この関係について記述すると長くなるのでここでは触れないが、人間家族がその飼い犬の群れの一員と考えるのは大いなる間違いとだけは書いておこう。

 さて、心拍数である。
 人間が関わって飼い犬の心を動かすこと。実は簡単にできる。そして、それこそが犬を変化させる基本になる。
 たとえば、餌の時間が近づき台所で食器の音がした時。フードの袋のかさかさという音が聞こえた時。帰宅する家人の車のエンジン音が耳に到達した時。誰かが玄関に置いてある散歩リードを手にした時。ジャーキーの袋のこすれる音が聞こえた時。大好きなボールやディスクを人間が手にした時(特にレトリーバーはこれに耐えられない)。
 あげていけばきりがない。
 要するに犬との暮らしの中での些細な ことが、犬たちの心に大きな影響を与えており、それは喜びをともなった時により大きく針が振れる。
 そしてそして、心拍数が最大を維持するのは、前述の事柄に加えて、そこに「待て!」という人間の指令があった時である。
 餌の時間、食器を見た時に百六十だった数が、待てと言われると、流れ出るヨダレとともに急上昇、時には二百二十に到達する。
 瞳は「早くよしっと言って」と哀切に訴え、食べられるのなら何でもするよ・・・
の状態に突入する。
 愛犬のトレーニングにおいて、これを利用しない手はない。心が寝ている状況では犬たちの学習能力は低いままである。テンションが上がってこそ、様々なことが体と心にしみこんでいく。
 特にレトリーバーたちにおける人間からの「待て指令」は、その出自と相まって効果は絶大である。
 さらに、様々なトレーニングの効果を期待するための環境を書いてみよう。
 まず幼い時から人と犬を知ることだろう。生来の挨拶上手を生かすために、ワクチンの抗体価が上がったならば、どんどん近所の犬の散歩の時間に合わせて外に出よう。大人の犬からの指導があってこそ、犬としての社交術を身につけていく。もちろん近くにドッグランがあるならば、どんどん利用すべきである。
 次に、散歩コースをたまには知らない道にとることである。認識をしていない所では基礎的な心拍レベルが上がる。それを利用して人間を頼る心を導き出すことである。

 そして何より大切なのは、レトリーバーたちが生き甲斐としている持ち運び能力を生かした遊び(ゲーム)だろう。物は何でも構わない、くわえて運ぶ動きを誘発する道具を見つけ、それを介して人間との会話を成立させよう。
 これは、レトリーバーたちの最高の喜びであり、必ずや相手をする人間を良きパートナーとして認めることだろう。
 その際にも「待て!」の一言が、さらなる期待につながり、犬たちの心に磨きがかかり、いつの間にか落ち着きを運んでくるに違いない。
 笑顔で満ちよ、レトリーバーたち。
 
       
 


2007年 1月 24日 (水) 17:37

ともにいる2ヶ月
by ubu

 昔、私も生まれて1ヶ月頃の子犬が可愛いと思っていた。おぼつかない足取り、みゅーみゅーと鳴く心くすぐる声。そんな時期の子犬を手元に置きたかった。
 しかし、動物王国でたくさんの犬たちと暮らしているうちに、それは人間の勝手な思い込みであり、子犬にとっては迷惑なことだと気づいた。
 今、私は大声で宣言している、

 「どうか、子犬を家族にされる時は、最低でも母犬、兄弟たちと2ヶ月以上いっしょに暮らしていた子から選んで下さい。そうすると、免疫力、犬付き合いの面で飼い主さんの負担は軽くなります、時間をかけて離乳をした子犬は、骨も心も強くなっています、安心度があがります!」

 さらに付け加えることもある。
 
 「できれば生まれ、育っている所で、母犬や兄弟犬を見せてもらい、その上で決めると良いと思います」

 ペットショップを経営している友人は、

 「そりゃーそうなれば言うことはないけれど、まだまだ日本では無理かな。どうしても生後40日前後の子犬を可愛い、売り頃、買い頃と思っているからね。お客さんもショップもそれに備えているからね」

 それでも彼は、ここ数年、ブリーダーさんと話し合い、ショップには情報だけを置き、子犬は生まれ育った家からの直送を試みている。彼の収入は子犬の紹介料である。これはけっこう評判がいいうえに、生後30日で仕入た時の離乳に関わる心配(下痢や体重が増えないなどの)から解放されるので、自らのストレスが少ないと言っている。
 人間の赤ちゃんを育てたお母さんに聞いていただくと分かるが、ある日までミルク、その次の日から離乳食とはしていないだろう。必ずミルクを飲ませながら離乳食を与え、時間をかけて切り替えていくはずである。赤ちゃんの体内で出ている様々な消化液や消化酵素も、そのような穏やかな変化に対応している。
 
 今、ラブラドールのユニが初めての出産育児をしている。明日で生後2ヶ月、ユニはまだミルクを与えると同時に、自分が食べた餌を子犬の前で吐きもどし、離乳食として食べさせている。
 もちろん女房も1日2回離乳食を作っているので、7匹の子犬はまるまるぷくぷく状態である。
 これが健康な子犬の育ち方である。
 重ねて強調するが、生後60日、1回目のワクチン接種を終え、抗体価が上がる2週間後までは、子犬を移動すべきではないと私は考える。
 この結論に至るまでの過去の長い時間(犬たちが教えてくれた)、その機会を大切にしてきたことに誇りを持っている。
 

 


2007年 1月 20日 (土) 09:34

耐えられる子犬を育てよう
by ubu


 犬同士に平和をもたらす挨拶行動。そこでもっとも重要なのは、他の犬の匂いを嗅ぐことではなく、見知らぬ犬に嗅がれることを耐えることである。
 この写真の柴犬は生後2ヶ月、北海道の友人の所で生まれ育ったメスである。
 大小さまざまな犬が60匹ほど集団で暮らしている石川百友坊に連れて来られ、この子は大地に置かれた。
 一気に成犬たちが取り囲み、鼻先を嗅ぎ、陰部を嗅いだ。
 メスっ子は悲鳴を上げなかった。尾を下げなかった。逃げ出さなかった。
 これで名刺交換は終わった。

 数分後、メスっ子は堂々と百友坊の中を駈け、若い犬たちが、新しい仲間を追いかけた。そこには笑顔の遊びがあり、メスっ子の鳴き声は一度も聞こえなかった。
___________________________________
 <写真説明>
 『ワタシ、北海道生まれ、ヨロチクね!』
 


子犬教育係
by ubu


 これは昔からだが、私の家で生まれ育った子犬たちは、必ず、幼い時に大きな不条理にぶつかっている。にゃあにゃあとなくあまり匂いのない生きものに、きついパンチを鼻の頭に受けているのだ。
 これを2〜3回体験すると、ほとんどの子犬はパンチを繰り出す相手に畏怖と敬意を表すようになる。耳を倒し、尾を振りながら近づくのだ。
 そんな子犬教育係、最近は白の部分が多いキジトラネコの銀次郎がよく務めてくれている。ラブラドールのユニの7匹の子犬たちに近づき、やんちゃな子がいると右前足によるジャブが炸裂する。
 「キャンキャンキャン!」
 子犬の悲鳴を聞き、私は満足し、後で銀次郎にご褒美として煮干しを2匹と思っている。
 近年、犬のしつけが叫ばれ、最近は子犬の段階から厳しく、、、などと書いてある本も多い。
 アホか!と私は怒っている。なんでも人間ができると思ったら大間違いである。
 たとえば他の犬との付き合い方(挨拶の仕方)、これは絶対に人間には教えられない。ある時期(生後2〜5ヶ月頃)に、母犬、兄弟犬だけではなく、不特定多数の成犬に出会って犬自身が学ぶものである。人間にできるのは子犬が覚えるチャンス(環境設置・場)を設けることである。
 ネコとの関係も同じである。子犬の時期にネコにパンチをもらって処し方を覚える。
 銀次郎たちネコ界の有志のおかげで、またまたネコと共同生活が簡単にできるラブラドールが、私の手元から巣立っていく。
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 <写真説明>
 百友坊でたくさの写真を撮られているmizuさんの撮影です。
 銀次郎、まさに右ジャブの瞬間です。前の黒い子犬の顔、チンクシャです。
 母親のユニ(手前、少し写っています)、けして銀次郎を怒りません。











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