日記
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2007年 2月 6日 (火) 10:41

ウブの側近・(5)・ベルク
by ubu

  私の心の中で、ベルクの名前には、常にタローがついて回る。
 11年前の秋、オオカミ犬のタローは5歳の若さで死んだ。私が出張中のできごとだったので、いまだに無念の思いが強い。
 タローの実家のつんちゃんと、号泣しながらタローを埋葬し、しばらくは心の中にすきま風が吹く情況だった。
 
 そんな時に兵庫県から1本の電話がかかってきた。
 
「レオンベルガーの子犬が生まれています。1匹、王国でのびのびとした暮らしを、と思うのですが、いかがですか、、、」
 
 当時の私は出会ったことのない犬種だった。受話器を手に頭の中で犬種図鑑を繰った。おぼろげながら大きな犬のイメージを思い出していた。
 はっきりとした返事をせずに、ご連絡をさせていただきますと話して電話を終えた。
 すぐに図鑑を取り出し、レオンベルガーを探した。
 写真と説明を見てその瞬間に心は決まっていた。
 
 数日後、私は兵庫県にいた。日本で初めてレオンベルガーの出産を無事に行なったTさんご夫妻は、まさに大きな犬に惚れ込まれ、海外からこの犬種を導入された先駆者であり、犬との暮らしのために都会から居を移された愛犬家だった。
 
 私は嬉しそうにとびついてくる大きな子犬の中から1匹のメスを選んだ。
 
 レオン=ライオン  ベルガー=ベルケン=山
 
 山のライオンと呼ばれる犬に、私は「ベルク」と名付けた。

 今年、ベルクは11歳になる。大型犬の寿命はせつないほどに短い。比較的にレオンベルガーは長命なほうだが、それでもベルクの両親はもとより兄弟たちもほとんど星になっている。
 一昨年、ベルクは乳がんの手術をした。
 昨年、転移した部分の大手術を行なった。
 そして昨年の秋から、ソケイリンパ部の腫瘍が大きくなり、手術は負担が大きいとのことで内科的な治療を続けている。左足に浮腫ができ、時々歩行が困難になることもある。
 
 「ベルク、穏やかに暮らそうな〜、美味しいものをいっぱい食べような〜」
 
 もう、我がままな犬の指導をしなくてもいい。もうすべての子犬たちの面倒をみなくてもいい。もう、大姉御として集団に目と心を配らなくてもいい。
 1日でもいっしょにいられる時間がありますように、タローの写真の前で昼寝をするベルクに、私と女房はそう願っている。

 


2007年 1月 6日 (土) 20:53

ウブの側近たち・(4)
by ubu

     <ニャンコロベー(アブラII世)>

 捨て猫である。最初の名前はアブラII世だった。由来の説明は簡単である、5ヶ月前に捨てられていたメス、明らかに姉がアブラだったので、同じ所に捨てられたこの子はアブラII世となった。
 では、なぜアブラなのか。これまた簡単である。中標津の牧場にバーベキューをする大きな建物があった。使った油、脂を石油缶に入れていた。時間が経ち、油分が固まった頃、どこの誰かは知らないが大バカさんが子ネコを捨てていった。生後2ヶ月ほどの子ネコは、食べ物を求めているうちに石油缶に気付いたのだろう、私たちが見つけた時は身体中に油をつけて缶の中で鳴いていた。
 痩せたメスネコにアブラと名前が付き、我が家のネコ社会に仲間入りをしてふっくら体型になったころ、同じ場所に再び子ネコが捨てられた。今度はオスであり、同じキジトラ柄だった。
 タイミング、そして普通は人の来ない所なので、どうみても同一犯としか考えられない。コントロールなしにネコまかせにしていると、ちょうど出産のタイミングも合う。
 と言う事で、私と女房はアブラとアブラII世を姉弟として扱うことにした。

 2匹は仲が良かった。人間も大好きになってくれた。犬たちともすぐに友好条約を結んだ。しかし、先住の10匹ほどのネコとの折り合いはなかなかつかず、アブラたちは外を好んだ。
 
 冬、マイナス25℃。
 室内の床暖房の上、ソファの上、女房の布団の上にネコたちは暖かさと心地良さを求めていた。しかし、アブラ姉弟は面倒なネコ付き合いを避けて、暖房のない車庫を越冬の場所に選んだ。
 そこでは同じ様に家の中に入ろうとしないメキシカンヘアレスドッグのカリンが、犬毛のセーターを着て、私たちが用意したワラたっぷりの箱の中で暮らしていた。相棒はウコッケイだった。箱の中で犬と鶏がくっつき合って寝ていた。
 その仲間入りをしたのがアブラとアブラII世だった。
 どう見ても不思議な光景が、午後、日が傾き、気温がマイナス坂をどんどん転げ落ちるとともに車庫に出現した。
 どのぐらい温かいのだろうと温度を計ったことがある。何と、犬ネコ鶏が団子(何となく鍋物に聞こえる)になると、箱の中は15℃を超えていた。外気温はマイナス20℃以下に下がっていてもである。
 以来、心配はしないことにした。彼らは仲良しグループで見事に厳冬を乗り越えていた、いや、楽しんでいたと思う。

 犬の中で行動しているうちに、2匹のキジトラネコは、まるで恩返しのように子犬の教育係をするようになった。
 今、4歳以上で8歳未満の我が家出身の犬は、子犬の時期に2匹よっていたずらを叱られているはずである。鼻の先にアブラ姉弟のネコパンチを受けて、ネコに対する畏敬の念と怖れを記憶していると思う。
 
 アブラは東京の地を踏む事なく死んでしまった。
 しかし、アブラII世は元気にあきる野に越してきた。
 北海道時代から、女房はアブラを「おねえちゃん」、弟を「ニャンコロベー」と呼ぶようになっていた。戸籍上だけはアブラ、アブラII世、ということである。
 ニャンコロベーは新しい王国でもネコ付き合いは避けた。けしてケンカはしない、相手の存在を認めてはいるが、同じような行動をしないだけである。
 そして寝るときは、やはり最初はカリンの側が多かった。ヘアレス犬ゆえに体温が40℃近くあり、あたたかい湯たんぽのような存在だったろう。
 
 やがてニャンコロベーは、新しい湯たんぽを見つけた。ウィペットのトンである。短毛で脂肪のついていないトンも寒さには弱い。くっついてくれるニャンコロベーを、カイロのように感じたのかも知れない。拒むことなく添い寝を許した。
 今やおじさんネコになったニャンコロベー、その動きからは北海道で1日5匹のネズミを捕まえた記録を持つ鋭さは感じない。
 日々悠々、時々、お客さんに甘え、トンにすり寄り、カリンに挨拶をして穏やかに過ごしている。
 女房や私が宿直で雑居館で寝る時、ニャンコロベーは布団の中に入ることが多くなった。少し老いが始まったかな、そんな気もしている。
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 *写真説明*
 どっしりとした身体(6キロ)つきのニャンコロベーだが、トンに対する甘え挨拶の声は短く細く可愛い。これが犬に警戒や獲物反応を起こさせない秘訣かも知れない。
 
 


2007年 1月 4日 (木) 17:22

ウブの側近たち・(3)
by ubu

    <センタロウ>
 
 イエローのラブラドール・レトリーバーである。
 オス、6歳。
 母親はタブ、父親はレイラ、ともに黒のラブラドールだが、息子はイエローで出現した。
 名前の由来は単純である。兄弟にそっくりなオスがいた。違いは額の上にある少し濃い茶の線だった。それで『線ちゃん』となり、後に『センタロウ』となった。
 ちなみにそっくりな方は、『やっくん』と呼んでいた。こちらの由来はやや悲劇的である。彼らは中標津の我が家の玄関で成長していた。生まれは12月、寒い時期である。外の車庫の中に、間を仕切って作った動物用の台所があり、マイナス10度以下になると水を落としていても水道の蛇口が残り水で凍った。
 朝一番に沸騰させた湯をヤカンに入れて運び、解凍するのが私の仕事だった。
 ある日、玄関のドアを開けようとしてヤカンを持ち替えた時に、少し湯がこぼれた。
 
 「ギャーン!」
 
 足元で子犬の悲鳴が、、、。
 数滴の熱湯がそっくりクンの肩に落ちていた。
 私はあわてて玄関の外の雪の中に子犬を沈め、冷やした。

 しばらくして、湯のあたった部分の毛が抜け、そして新しい毛が伸びてきた。微妙に色合いが濃く、見分けるヒントになった。
 以来、その子は「ヤケドのヤッくん」となった。

 離乳も社会性のトレーニングも終わり、センは我が家に残った。ヤッくんは山口県に旅立った。
 新しい飼い主さんは、すでにヤッくんで理解しているからと、新しい名前も『ヤク丸』として下さった。ありがたいことである。

 さて、話を戻そう。 
 残ったセンは、人間に穏やか、犬たちには明るく元気な遊び相手となった。そのうちオスとして役立つ時があると去勢手術は行なわなかった。成犬になっても、けして他のオスに逆らわず、親分のマロがエリアチェックをしている時は、静かに隅で見守り、無用な争いは避ける知恵があった。まさにラブラドールらしく穏健さを笑顔の中に備えていた。
 
 そして数年。
 私は油断をしていた。当日、発情の来ていたサモエドのラーナと友人の家のレオとの結婚作戦が進行中だった。前日、その前の日と2回の交尾を終えていた。その日はラーナが強くレオを拒絶したので、もう充分と判断し、我が家に帰ると犬の餌の時間だった。餌を食べさせる間ぐらいは隔離柵に入れなくていいだろう、そう思ってラーナをクサリに繋いだ。
 台所に食器をとりにいった瞬間だった。

 「おとうさん、ラーナとセン!」

 女房の悲鳴のような声が聞こえた。
 振り返るとセンは見事にラーナと交尾をしており、近づこうとした瞬間に互いに後ろ向きに体位を変えた。少なくとも15分は離すことのできない姿になってしまった。
 センが繋がれていた小屋の前には、食べかけの食器と主の消えたクサリ付きの首輪が残っていた。

 60数日後、ラーナはレオの子を2匹、そしてセンの子を4匹、無事に出産した。
「同期複妊娠」→「多胎系の動物で父親違いの子供を同時に出産すること』、、、ノラネコでは時々発生する事象である。しかし、ノラの犬ではまずありえない。発情中のメス犬は特定のオス犬にガードされ、他のオスとの交尾などは不可能に近い。
 しかし、人間が管理をしている状態では、メス犬を守るオス犬がいないので、人為的なミスで起こりうる。このケースもまさに私の油断だった。

 4匹は同じ姿で生まれ、同じ姿で成長していった。
 色はイエローラブ、父より少し薄く、サモエドでありながら白くはなく、いつも泥で化粧をし、茶モエドと呼ばれている母に近い。
 毛の長さはサモエドよりは短く、ラブよりは長い。
 耳は垂れているが尾は巻き気味、吻の形はラブで胸はサモエドを示していた。
 
 オスばかりの4匹は、札幌、群馬、兵庫、広島の新しい飼い主さんのところで元気にしている。
 私は彼らに新しい犬種名を付けた。サモエドとラブラドールのハイブリッドなので、
 『サモエドール』
 である。
 姿、動き、性格。どれをとっても新しい家庭犬としては優秀である。

 その後、センは求められて2度の結婚をした。もちろん相手はラブラドール、公認の交配である。
 そして昨年、かつての技を期待されて、今度は望まれて不倫犬作りに参加をした。相手はメキシカンへアレスドッグのムム子である。体格差はあるものの、そこはセンである。見事にセイコウをセイコウさせ、3匹の子犬が誕生した。
 毛のない子は王国に1匹と、以前から予約をされていた方のもとへ。まるでイエローラブと間違えるような姿で生まれた有毛(パフ)の子は長野へと旅立った。

 センは『空飛ぶ精子』の持ち主と言われている。
 その特技を生かし、もう一度、彼の子供を見てみたいと願う私はわがままだろうか。
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 写真説明
 最高に幸せな時のポーズ。
 センちゃん、顔が見えなくて立派な(役立つ)〇玉が見えるんですけど・・・。
 

 


2007年 1月 2日 (火) 22:30

ウブの側近たち・(2)
by ubu

  <クリップ>

 母親がクリス、父親がシロップ。
 そこで生まれた娘が『クリップ』。
 実に判りやすく、実に理にかなっている。
 この名前はお客さんに付けてもらった。石川百友坊で成長中の様子を見てもらい、公募のかたちで1匹だけ生まれた三毛の名前をお願いした。
 
 『クリップ』

 呼びやすく、弾む名前である。
 彼女は今、生後9ヶ月。まさに少女から女になろうとしている。そこに現れたのが玉付きのオス猫たちである。
 より積極的な奴から名前をあげると、
 ウニ、ルーク、ピーマ、ミッキー、ドリル、キンちゃん(叔父である)、シロップ(実の父である)などが、ストカーとなってクリップの尻を追いかけている。
 犬やネコの社会では父親意識が欠如しているので、父は娘を対等な異性としてみてしまう。
 実際に彼女に発情が来たならば、すぐに隔離をするべく準備はできている。それまでしばし、オスを引き連れたクリップの可愛い姿が冬日の百友坊に展開されるだろう。
 そうそう、クリップの同胎のメスに『キンコ』と『ピッケル』がいるのだが、2匹の茶トラはクリップほど多くのオスを惹き付けない。圧倒的に三毛が人気なのは昔からの私の観察にも当てはまる。見た目の容姿など、何か根拠があるのかも知れない。


ウブの側近たち・(1)
by ubu

   <ダーチャ>

 両親ともにフランス生まれのサモエドである。母親は生後7ヶ月で我が家に到着、女房がダーチャと名前を付けた。ロシア語で「別荘」の意である。しばらく日本語、そして日本での暮らしぶりを学び(大袈裟かな、石川家のリズムに慣れる日々、としておこう)、数ヶ月後、開国を控えた那須の動物王国に行った。
 そこでダーチャはレオンと結婚をした。仲人は私である。北海道から出向き、那須王国の若いメンバーたちに、交尾の時の心得を伝えた。もちろん『犬の』である。人間のことは詳しくない(子はふたり居るが、、、、)。
 その時に生まれたメスが1匹、縁あって我が家に戻ってきた。女房は再び同じ名前を付けた。
 
 「ダーチャ」
 
 ダーチャは初代も2代目も、とにかく明るい。そして人間大好きである。
 その遺伝子は母娘2匹のダーチャからそれぞれの子供たちに継がれている。
 今、私は2代目ダーチャの5回目の出産を待っている。
 
 「ダーチャの子をいつまでも、いつまでも待ちます」
 
 そう断言されて子犬を予約されている方がたくさんいらっしゃる。すでに4度、出産育児をしているが、前回、前々回の発情時は空振りだった。オビとの交尾は確認していたが子犬は生まれなかった。
 
 「今度だめだったら、お前を2週間ごとに子犬を待っている人の家にレンタル犬で派遣するぞ!」
 
 そう私はダーチャを脅している。
 しかし、あいつはそれぞれの家で可愛がられると、毎日が「盆に正月」、私の所に帰らないかも知れない。
 やはり、子犬をたくさん産んでくれるのが一番、
 
 「お〜い、ダーチャ、頼んだぞ!」

 私は毎日、ダーチャの腹を触り、確かめている。
 











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