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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2002年02月28日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り時々晴・最高+8℃・最低−3℃

 ここに日常を記すのは久しぶりになる。メンテナンスから復帰までに少し時間がかかり、訪ねてくれた皆さんに、まずお詫びをしなければ、『申し訳ありません』。

 またまた、今日も気温が上がった。せっかく先日の雪が、寒気で乾燥し、パウダー状になっていたのに、これでベタ雪が固まった、堅いザラメの集まりになってしまった。本州のスキー場のような感じである。あと1週間ほどで王国にみえる『ムツゴロウゆかいクラブ』の皆さんに、フワフワの雪の中に犬たちと一緒に飛び込んで貰いたかったが、どうも無理なようだ。しょうがないから、雪玉ができるようになった(パウダーでは固まらない)ので、戦いでもやろうかな〜。

 掲示板でも書かせて頂いたが、26日には博多弁の皆さんがツアーで来られた。厳密に聞き分ければ、久留米の方、博多の方、直方の方、大川の方など、微妙に言葉も違うらしいが、私には同じに聞こえてきた。
 皆さん、楽しそうに我が家の子犬たちなどと遊んで下さった。

 この日、25日の日記で書いた、永田さんが岐阜に帰った。5匹の犬、そして1匹のネコとともに、新しいスタートを始めた事になる。ガンバレ!!.....である。

 昨日は、仲間のももちゃんと一緒に帯広までニューファンのハイジを連れて走った。発情のきているハイジの結婚のためにである。これで4回目の挑戦である。何とか成功してほしいと願っている。
 室内で犬を飼う時も、車に犬を乗せて走る時もそうなのだが、実は大きな犬のほうがおとなしくしている事が多い。その理由は長くなるので後日とするが、小型を中心とした愛玩種は『我がままで賑やかな事こそが仕事』とだけ書いておこう。
 ハイジはニューファンとしては小さめと言っても40キロを超える犬である、もちろん静かに車の中で寝ていた。私や、ももちゃんが、菓子袋などでカサカサと音をたてた時だけ、大きな顔をヌッと突き出してきた。ハイジはいやしいのである。

 さて、本日、2月28日である。
 2月最終日と言っても、特別な事は何もなかった。いつものように、犬、ネコ、キツネ、山羊、ニワトリ、ウコッケイなどと相対し、来られた客と話を楽しみ、今、こうしてPCの前に座っている。
 右腰に付けている万歩計を覗くと、今朝6時にリセットした数字は17867を示している。私は貧乏ゆすりをしないので、これは歩いた実数になる。距離に換算すると12キロメートルほどだろう。それも平坦な所ではなく、暖かさで雪が緩み、でこぼこの大地である。
 決意をして臨まなくても、生き物たちが自然に私の歩みを増やしてくれている......これは、大きな感謝である。
 もし、健康の為に歩きなさい、などと医者に言われても、絶対にするはずがないのが私の性格(単にナマケモノ)なのだから。



2002年02月25日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+5℃・最低−15℃

 夕食は霧多布の焼肉屋だった。仲間の送別会だった。大学を出てすぐに王国にきて丸5年、永田さんが故郷に帰る事になった。
 彼女と初めて会ったのは、確か大学1年の時だったと思う。それから何度かのツアーでの来国、そして熱意のあふれた手紙を受けてのやりとりの後、王国のメンバーとなった。
 一言で彼女を言うならば『命にたいする優しさ』だろう。それに芯の強さを加えよう。彼女の育てる犬は、みんな優しくなり、世話をかって出た老犬は、和やかな顔になった。

 『まだ、明日、王国を離れるとは思えません、実感が湧かない.....』
 たっぷりと肉を食べながら彼女は呟いた。
 積み重ねてきた5年の時間、それが彼女の財産になってくれればと、私は、ただそれを思い、負けずに箸を出した。

 明日、釧路空港から彼女は旅立つ。お供もいる。
「ノエル」「チロル(ボウボク)」「ココ」「リング」そして老犬の「ナツ」さらにネコが1匹である。
 これは、これまでの王国から旅立った人間では、極めて珍しいケースである。おそらく2匹以上の仲間を連れて王国をあとにした人はいないだろう。
 もちろん、この犬やネコは、彼女が心を込めて世話をしてきた連中である。そこには強い絆が出来上がっている。それを、そのまま維持する事を認めてくれた、彼女の御両親にも感謝である。
 
 5年間、ともに笑い、ともに汗をかいてきた仲間が去る事は、とても辛い、寂しい事である。そして彼女とともに原野を駈けていた連中の姿が消える事も......。
 しかし、人間は誰にでも何らかの決断の時がある。私は、笑顔で、そして拍手で永田さんを送りたい。けして2度と会えない、と言うわけでもない、必ずまた互いの道が交差するはずである。その時に『元気??ノエルも?』とさり気なく会話を交わすだろう。

 明日、突然に中京地区にサモエドが2匹増える。私はつい、彼女に聞いてしまった。
 『永田さんの家にはクーラーがあるよね?』
 彼女は笑って応えた.....

 『もちろんです、エアコン完備、犬たちの部屋は!!』

 



2002年02月24日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高+5℃・最低−12℃

 1泊2日のミニ旅行が無事に終わった。と言っても24時間の事だから、わざわざ書く必要はなかったかな.....。
 それでも、先日の大雪のおかげで、道東の冬らしい景色を眺める事ができた。
 昨日の往路、やはり美幌峠は雪だった。こんな時期に工事をしている頂上を抜けて下りに掛かると、雪は風を迎え、まさしく吹雪状態、どの車もライトを点灯し(でも数台は点けていなかった、まったく困った人である)、慎重に進んでいた。このルートは観光客のレンタカーも多い、吹雪に不慣れな人もいる事を考え、いつもよりも車間距離を長めにした。確かに、初めて視界が真っ白になる状態(ホワイトアウト?)になると、思わずブレーキを踏みたくなるだろう......だが、これがもっとも危険な行為と言える、後ろの車がドスンの原因、それが時には数百台の事故に繋がる。
 美幌を過ぎると、ようやく雪の密度が薄くなって来た。車線も片側2車線になり、どの車も80に近いスピードで流れている。けして高速でも高規格道路でもないが、まあ、これが道東の普通の状態である。よく、本州の方には恐いと言われる。

 北見の夜は、静かな雪だった。会う人はみな、もう雪はいらない.....と話していた。

 そして今日、端野町での講演をさせて頂いた。このところ、話をするたびに、何故か、申し訳ないなのだろうか、恥ずかしいなのか、はっきりとはしないが、モヤモヤとした物が心の中に残る。もちろん、お金を頂いての仕事であり、それなりに懸命に話をしているつもりだが、完全に燃焼とはいかない。
 解決策のひとつは、もう少し時間を頂く事かも知れない、例えば6時間......これなら、ある程度の思いを語る事ができるかもしれない。でも、誰がそんなに長く付き合ってくれるだろうか.....非現実的な事である。
 
 いただいた似合わぬ花を胸に抱き、端野町の名産の『味噌』と『チコリ』のお土産を手に下げて会場を後にした。
 今日は、どこも快晴だった。再び美幌峠の上に立つと、正面に広がる屈斜路湖、そして、それをぐるりと取り巻く山々が、青空と雪に映えていた。
 ひと際高いのが斜里岳、その横にウナベツ岳、藻琴山、右には阿寒の山.......。新雪の上に残るユキウサギの足跡が、峠から真直ぐ下に伸び、トドマツの林が遠く津別側に広がっていた。
 そこからは1時間半(普通の運転で)で牧場に辿り着く。道は暖気でほとんど雪が消え、快調なドライブだったが、路肩には2mを超える雪の山が続いていた。まる2日間、通行止めになった痕跡である。

 我が家に生き物たちは、女房を含めて元気だった。15匹の子犬たちは、バクバクと離乳食を食べており、特に、あと10日で生後2ヵ月になるラーナの8匹は、大人の犬たちの所へ積極的に挨拶に行き、遊ぶ事ができるようになってきた。
 メスのラップに巣穴を占拠されていたキツネ柵では、外で仲良くしている花サブとラップの姿が昨夜、女房に目撃された。野生で暮らしているルックも、ラップと同じように、昨夜、若いオスを連れて現れたらしい。キツネ界は恋のシーズン真っ盛りである。

 犬のメロンも1日、会わなかっただけで、ぐんと良くなっていた。ネコが水桶に近づくたびに吠えてうるさいほどである。これは私の水......そう主張をしている。もう少し足腰がしっかりしたら、外での日光浴の時間を増やそうと思う。

 以上、もうオリンピックも終わるのか、なんとなくスッキリとしない大会だったな〜〜と感じているウブの昨日からの24時間でした。



2002年02月23日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

雪のち晴れ・最高+3℃・最低−7℃

 また雪が降った。10cmほどだが、先日の大雪の上に、しっとりと重なっている。
 明日、120キロ離れた町で講演をさせて頂く。10時からなので、本来ならば朝早く出れば間に合うのだが、このところ美幌峠は通行止めになる事が多い。夜間は除雪をしないので、雪が積もると、午前10時頃まで走れない事も....。
 講演に穴をあけるわけには行かないので、これから走り、北見に泊まる事にした。
 と言う事で、明日の夕方まで留守をします。
 よろしくお願いいたします。



2002年02月22日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃

薄曇り後小雪・最高+4℃・最低−6℃

 『おいっ、行くか?』
 私の問いかけに、背の最後の部分の丸い塊がピクリと反応し、3cmほど持ち上がった。
 『じゃあ、入り口まで競走だ、GO〜!!』
 私は先日、新調したばかりの軽い長靴でさっそうと(本人の説である)駆け出した。
 『ニャッ、ニャッ』
 と、7キロを超える身体に似合わない、トーンの高い、可愛い声を2回出して、キジトラカラーの大きなネコ、アブラ2世が追い掛けてきた。

 この子は生後3〜4ヵ月の頃に、牧場の屋内馬場に捨てられていた。その数カ月前にも、やはりメスのキジトラネコが同じ所に捨てられていた。
 食べ物はなかったが、私たちがバーベキューをした後、18リットルの空き缶に、使い終わった油を溜めてあった。その固まった油が半分入っている缶の中で、空腹を満たしていたのだろう、どちらの捨てネコも毛に油を付け、ガリガリの姿で保護された。
 何故か、仲間たちは私の家に、その2匹を置いていった。しかたがない、面倒をみるか、と言う事で、最初の子を『アブラ』次の子を『アブラ2世』とした。

 今となれば、この2匹を捨てた人に、私は心の中で舌を出しながら、ありがとう、と言わせていただく。
 それほど、アブラたちは素晴らしいネコになった。車庫と動物用の台所を棲み家に、彼らは実にネコらしい行動と、人間に対する信頼を見せてくれている。
 ネズミ捕り?もちろんである。小鳥捕り?あまり歓迎はしないがとても上手い!!そして、犬やニワトリ、山羊などと、かつて日本の田舎で普通であった光景を、私の家を中心に作り出してくれている。
 分かっていたようで、結構あやふやなネコの行動学を、この2匹によって正された事が何度もあった。私の偉大なる先生とも言える。

 オスのアブラ2世は、ネズミ捕りのために1キロ四方を行動圏としている。途中には時速100キロで、普通のオジサンが車を飛ばしていく道があるが、実に慎重に路肩に避けて事故から身を守っている。
 私は彼の後をつけて、ネズミ捕りの極意を学んだ。それは長くなるのでここでは書かない、とにかく、慎重に、である。

 その彼の好きな事のひとつが、私や女房との散歩である。名前を呼ぶと、50m先からでも、あの可愛い声で返事をしながら駈けて来て、長靴に頭から背、そして短い尾を擦り付けて挨拶をした後、どこまでも一緒に行動をする。もちろん私の横に、賑やかな犬たちがいても平気である。

 吹雪の為に、ここ4日間ほど。長めの散歩はしていなかった、と言うよりも、天候が崩れる予報が適中しそうな雲行きになると、どんなに名前を呼んで誘っても、車庫から動こうとしない。どうも、某気象協会の予報よりも当てになる気がしてならない。
 
 薄い雲が覆っていたが、気温も高く穏やかな今日、私は、シバレの犬小屋の上に座り、私の動きを見つめていたアブラ2世に声を掛け、そして全速で走った。恐い道に着くと、私は足を止めた。すかさずアブラ2世が身体を擦り付けてきた。

 『じゃあ、今度は家に戻るぞ、さあ、行くぞ〜!!』

 まるで、私の言葉の意味を理解していたかのように、彼は来た道を戻り始めた。身体を斜に構え、足を揃えて跳ねるように進んで行く。これは精神的に絶好調のサインだ。
 私も負けじと、全力で追い掛ける。庭に近づくと、ちょうどゴール審判のように、姉貴ぶんのアブラが長い尾を真直ぐに上に伸ばして待っていた。
 掛け戻ったアブラ2世は、アブラの鼻に顔を寄せ、2匹並んでいつもの寝場所、ヘアレス犬のカリンの所に向った。

 我が家の、いつものネコの姿が雪の上で展開された今日2月22日、いつの間にか都会では『ネコの日』とされていた。

 



2002年02月21日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高+3℃・最低−7℃

 1月5日に生まれた、サモエドのラーナの子犬の1匹の後ろ足に、マーカーで赤い印を付け、毛のほとんどない腹部の写真を撮った。
 ついでに、札幌から日帰りのスケジュールで飛んで来られた、ニコニコ笑顔のUさん御夫妻に抱いて貰っている写真も.......。
 
 8匹の子犬は、まだマイナスの気温の中、朝9時40分、雪の上で、新しく家族に1匹を仲間入りさせてくださる御夫妻を迎え
た。
 子犬たちと遊んで、抱いて、眺めて、そして母のラーナを、父のカザフを見て、挨拶をして頂き、Uさんの家の2匹(現在は1匹)のサモエドのお話を、そして環境の様子を聞いた。
 午後、尽きぬ話をしながらの昼食が終わった後、奥さんが1匹のオスを胸に抱かれた。御主人も頷かれ、私は赤いマーカーとカメラを持ってきて、他の7匹との区別が付くように印を付け、腹部の黒い斑点の模様を写した(これは1匹ごとに違う、まるで指紋である)。

 旅立ちまでには、もう少し時間が掛かる。再度駆虫をし、1回目の混合ワクチンの接種を終え、抗体値が上がるまでの時間を置いた後、ようやく札幌までの飛行機に乗る事になる。
 予定としては3月の10日過ぎだろう、生後60〜70日頃に育つまでは、離乳食の完成度や免疫の問題からも、母犬や兄弟犬、そして他の大人の犬やネコ、ニワトリなどとの付き合いの仕方を学ぶ必要性からも、旅立ちは絶対にさせない。

 『そんな事をしていたら、可愛い時期を逃しちゃうでしょう』

 そう心配をしてくれたペットショップの御主人もいた。日本で子犬が最も高い値段を付けられるのは、生後30〜45日だと。
 いわゆる子犬らしさが最高潮の時期.....それが最高値の時期、以後は時間の経過とともに、売れ残りとなり、最後はセールの赤札、半額市に出されてしまう。
 この手法は、明らかに時代遅れである。今は情報もかなり行き渡り、生後1ヵ月を過ぎたばかりの子犬の危うさも知られるようになってきた。ショップさんは、今こそ逆手の商法をすべき時期だと思う、
 それは、『うちの店では生後2ヵ月以内の子犬は絶対に売りません』と言うやり方である。そして同時に啓蒙的な活動も行う。これこそが心と身体の元気な犬を増やし、商売上の危険度を下げるやり方ではないだろうか。
 実際に海外では100日以内の子犬、子ネコを販売すると罰せられる所さえある。嬉しい事に、ようやく日本でも諮問が出たようだ。近い内に条例に加えられるだろう。

 そんな世の中の流れはともかく、Uさん御夫妻は、次は札幌で会おうねと言いながら赤い印の子に別れを告げ、あわただしく飛行機に乗られた。

 早いものである。ついこの間、ラーナがポロポロと2時間で8匹を出産という、前代未聞の大安産劇を見せてくれた......それが、もう旅立ちのアレコレが始まっている。
 すでに、滋賀、愛知、福島、東京、奈良、埼玉、そして道内が2匹と、8匹の行き先は決まっている。ほぼ1ヵ月遅れて生まれたダーチャの7匹の子犬も、半数以上に待たれている御家族がいる。
 こうして、北の地から全国に巣立って行く白いメッセンジャーを通して、また私や女房の、心の親戚が増えていく。子犬を手放す寂しさよりも、新しい仲間が増える喜びのほうが、はるかに大きく強い。年に1度、大きくなった犬の写真を添えた年賀状が送られてくれば、あとは何もいらない!!

 夕方、再び雪の上で、母のラーナや、お兄ちゃんの役をかって出ているラブのセンちゃんと8匹を遊ばせた。濡れて足の赤印が薄くなったので、女房が尾の付け根に付け直した。名前はまだない。



2002年02月20日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+4℃・最低−9℃

 『フォン、フォン、フォン!!』

 ようやく吹雪の収まった明け方、ダーチャの大小便に付き合って吹きだまりの手前まで行った時に、30mほど離れた隔離柵の方から、この啼き声が聞こえてきた。
 声の主はキツネの花サブロウである。今年の初啼きだ。
 
 昔から、キツネの啼き声はコン、コンと言われてきた。しかし、この啼き方は、ごく限られた時期の、極めて主張の多く込められたものである。簡単に日本語に訳すと、

 『お〜〜い、近くにいい女はいないか〜〜!!おれはハンサムだぞ〜〜、稼ぎもいいし持ち家(巣穴)付き、そして精力絶倫!!』

 .....となる。とても私には言えない言葉である。
 
 キツネは大人になると、よほどの事がないかぎり、声を出さない動物である。影のようにこそこそと行動をしていると思われてきたので、世界中の童話、民話の中で、ずる賢い存在にさせられてきた。弱い生き物として、当然の身の守り方をしていただけなのにと、私はキツネに同情をしてしまう。
 そんなキツネが年に1度、周囲におかまいなく啼く時期、それが今、2月を中心とした恋のシーズンである。
 もともと単独行動型であるがゆえに、パートナーを見つけるのは大変である。メスは尿の成分に変化が表れ、それでなくてもネコと同じように臭い(単独型の尿は臭い)尿を、回数、場所を通常の何倍にも増やし、オスが気づくのを待っている。
 オスは『コン』という啼き声の元になった『フォン、フォン』である。その声を原野に、山林に響かせ、メスを誘う。
 この時期の、この声だけが人間の注意を引いたので、キツネの声と言えば『コン』となったのだろう。

 花サブが啼いたのには理由があった。17日の昼、隔離柵で1匹で暮らしている彼の所に、発情の気配を見せたメスのラップを入れた。このカップルは初めての組み合わせである。それでなくても箱入り娘のラップは、花サブを怖がり、外で走り回る多数の犬を嫌がり、巣穴に駆け込んで隠れてしまった。
 花サブは男である、何とか若い娘に取り入ろうとするのだが、穴に上半身を入れた所で『カッ、カッ、カッ』と、ラップの拒絶にあってしまった。
 そして、昨夜までの猛吹雪である。巣穴をラップに奪われ、避難先を失った花サブは、雪の上で身体を丸めてしのいでいた。

 穴の中のラップは、女房や私が投げ入れた肉やジャーキーを食べていたとは思う。しかし、十分とは言えないし、暗闇に引きこもっているのにも限界がある。昨日の朝には、穴の入り口まで出て来た形跡が残っていた。

 そして、明け方の花サブの声.......。
 これは、2匹の姿を同時に見るのも近い、そう私たちは思った。
 案の定、本日、20日、午後9時45分、女房が、巣穴の入り口にラップを確認した。その前にも出ていたようで、小屋の上の雪が踏み固められていた。ここは、足の悪い花サブでは上がれない所である。ラップの跡に間違いがない。

 10時半、また、花サブの声が聞こえた。ラップの心と身体に変化が起きているのだろう。
 いよいよ、おじさんと若い娘の結婚が近づいた。
 



2002年02月19日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

吹雪・最高+1℃・最低−3℃(22時現在も降下中)

 我が家への進入路から150mの所に、高さ3メートルの吹きだまりができた。実に20年振りの事ではないだろうか。あの時は3日間、除雪が入らず、マージャンで浜中の王国からムツさんの家に来ていて、そのまま閉じ込められた私は、
 「動く事は出来ないんだから、やろうやろう、しょうがないよ、ジタバタしても....」
 と言うムツさんの言葉で、100時間に近い4人会議を続けたのだった。

 今は、町の除雪も頻繁に入る。午前中には3mの所にも車が1台通過できる道が付けられた。しかし、風と雪は収まらず、乗用車は吹雪で何も見えない所を勘と度胸で進むかたちだ。トラックだと、何とか高い運転席からわずかの視界を確保できるが、それでも恐い運転になる。
 除雪が早くなったのは、酪農の規模が拡大し、さらにバルクーラーの普及で、ミルクの出荷がタンクローリーになったためだ。
 もし2日も出荷ができないと、以前に比べて搾られている量が多いだけに、農家は大損をする事になる。よって、ミルクローリーの走る道はすみやかに除雪される事になる。

 除雪が入った町道から我が家までは100mの私道がある。ここにも雪は溜まり、犬ですら進むのに難儀をしていた。午後、仲間のツンちゃんが、トラクターのロータリーで道を付けてくれ
た。
 昨日から病院にかかっている老犬のメロンを連れていこうと、私は車を町道に向けて進めた。あと5m、という所で、車はスタック、女房と二人でスコップを手に頑張るも、投げる雪よりも、風で飛んでくる方が多く、人力による脱出はあきらめ、朝からの除雪で、遅い昼飯をとっていたツンちゃんに救いを求めた。
 さすがに、大型のトラクターは凄い、わずか1分で車は脱出、そのまま、町道への出口に置く事にした。こんな日は動かぬが安全....それが雪国の心得である。

 そんな人間の汗を知らずに、犬たちは吹雪も楽しむ。だいたい、サモエドのマロやカザフ、アラルなどは小屋にも入らず、雪の布団を敷き、上に掛けて寝ている。昨夜は1時間で、すっぽりと雪が覆い、名前ぞ呼ぶと、穴の中から出てきた。自動カマクラ製造法を実践しているようなものである。
 私たちが車を掘り出すのに苦労している時も、まるでお祭りのように、周囲で遊びまわり、時々、寄ってきては邪魔をしていた。
 食欲は変わらないが、ウンコだけは困っているようだった。と言うのも、我が家の連中は、道から外れて、林や原野の中でする
習慣がある。今日はすっぽりと60cmの新雪があるので、出たウンコがいつものように下に落ちず、雪の上、ちょうど肛門の高さで止まっている。困った犬たちは、ウンコを出しながら前進をして、何とかコンモン様からウンコを離そうとしていた。犬も工夫をするものだと、見ていて感心をしてしまった。
 彼らの出し終えた後には、いつものようなトグロを巻いた逸品ではなく、長く1直線の逸物が残されていた。

 昨日から、随分スコップを手にした。近年にない働きぶりである。ようやく月が見える空にはなったが、風はまだ雪を運んでいる。明日も、まずスコップ作業から始まるかと思うと、少々、ウンザリである。しかし、問答無用で明日はやってくる、今夜は燃える水を身体に入れ、燃料満タンで対処しよう。



2002年02月18日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

ひたすら雪・最高+1℃・最低−2℃

 我が家の2階のベランダには、2基のライトが設置されている。かなり強力で30メートル先のキツネの動きも良く判る。もちろん、そのために付けたのだから、見えてくれないと困るのだが。
 その強力ライトは、今夜は実に美しい光景を見せてくれていた。朝からの湿った雪が樹木の枝に付き、まるで蔵王の絵葉書のような姿になった。それをライトアップする形になり、キラキラと舞い落ちて来る新しい雪と相まって、なんともキレイだった。
 ネコのミンツとともに、窓辺でその光景を見ていると、女房の声がした。だいたい、こういう時は、ろくな事ではない.....。

 「あ〜〜折れそう、枝の雪を落とさないと.....」

 ライトに照らし出された幽玄の世界に、女房の心は行っていない。ただただ、『ごめんなさい』とおじぎをしているような、ダケカンバやハンノキ、そしてハルニレや柳の枝に心配をしている。
 この独り言のような呟きは、私への限り無き命令にも近い。しょうがないと腰を上げ、気温が高い為と、そろそろ育児にあきて、自由な時間を欲しがっている、玄関のダーチャを連れて外に出た。
 寒暖計を見ると、−1℃、雨になっていないのを感謝する。雪は大きく重い。
 ニワトリ小屋に立て掛けてあった、2間の長さ(3.6m)の棒を取ろうとした。しかし、過日の雨で雪の中で凍り付いており、無理に引き抜こうとしたら、折れてしまった。まあ、3.33mでも役にはたつ、それを手に、イザ闘いである。別に剣道も長刀も槍の心得もないが、ひたすら、雪を積んで悲鳴を上げている、樹木の枝に向けて振り下ろしていく。
 『バサッ、ド〜〜!!』
 音とともに雪が崩れ落ち、下で嬉しそうに私に向けて尾を振っていたダーチャの身体を直撃した。驚いてはいたが、別に氷の塊ではないので、ケガはない。かえって、1匹だけで私と遊んでいられるので嬉しそうである。

 私の長い竿での『オメ〜〜ン!!』を受けると、垂れ下がって今にも折れそうだった枝は、雪が落ちた瞬間に大きく上に戻り、そして何度か細かく上下に揺れている。それは、まるで私に頭を下げて礼を言っているようで、何となく気持ちがいい。

 ついつい、夢中になって、家の周囲のすべての木に向って竿を振り下ろした。これで、一息はついただろう。
 でも、午後8時45分........まだ、雪は降り続いている。

 <お知らせ>
 明日(19日)と明後日(20日)、サーバーのメンテナンスのために、このHPへのアクセスは不可能となります。さらに快適な環境作りの為の作業です、御容赦よろしく願います。
 また、終了後も、始めのうちは少々、繋がりにくい事もあろうかと思います。すぐに、元気になりますので、よろしくお願いいたします。



2002年02月17日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴のち曇り・最高+5℃・最低−13℃

 朝の9時半に、コンビニの前でよーぴさんと待ち合わせ、浜中に向った。町の有志が音頭をとって始めた『冬祭り』に参加をするためだ。もう17、8回になるだろうか、毎年、犬や馬たちと一緒に楽しんでいる。
 いつもなら女房と、我が家の犬、数匹を連れていくのだが、現在育児中の子犬などがいて、手が離せない、そこで、近くに住んでいる『よーぴさん』に手伝ってもらう事にした。
 
 祭りの会場は、浜中町の中心地、霧多布ではなく、漁業と並んで浜中のもう一つの大きな産業である酪農の中心地、茶内である。到着すると、もうかなりのお客さんがきていた。
 浜中王国の連中、そして中標津のカラマツ荘(王国の独身者の住まい)からの人、犬も到着し、さっそく会場に入った。
 すると、待っていたかのように、たくさんの人がニコニコとして集まってきた。ヘアレス犬のカリンをよーぴさんに任せ、私は少し離れて様子を見ていた。毎年の光景のように思えたが、何かが違う......そんな感じがしてならない。
 何だろう、人が多いせいだろうか?それとも....?

 ようやく、気づいた!!
 皆さんが、腰を落として犬たちに挨拶をしているのである。そして、目につくのが2才から7才ぐらいの子供を連れたお父さん、お母さんである。耳を澄ましてみた...。

 「ほらっ、恐くないだろう。この犬はだいじょうぶだよ、名前は何て言うのかな〜〜」
 「こうやってね、手の匂いを嗅がせてごらん、あっ、舐められたね、〇〇を好きだって言ってるよ....」

 実に多くの父母が、王国の犬に対して、そして子供に対して、何度も話し掛けていた。
 この雰囲気が出来てしまうと、不思議な事に、犬を恐いと思う子がいなくなるのである。幼いながらに、懸命に手を伸ばし、自分よりもはるかに大きなピレニーズのビアンカやウルフハウンドのアイラの口に触ろうとしていた。顔を舐められようものなら、嬉しそうに笑みを浮かべ、犬の身体に頬を寄せる子もいた。
 
 横にいるお父さんに聞いてみた。
 「犬を飼っているのですか?」
 8割が、NOだった。でも、いつかは子供のために飼いたい、今は難しいから、今日、来てみました.....そう返事を下さった方も多かった。

 私は、ただただ嬉しかった。年に1度の事ではあるが、長く続けていると、いつの間にか楽しみにして待っていてくださる、そして、腰を落として話し掛ける手法を実行してくださる、これが文化だと思う。1匹の優しい犬によって何人かの子供たちの心に、ちょっぴりの何かが残れば、冬の1日はその子の思い出の中で輝く!!

 ショーは、いつものように、個々の犬の紹介、フリスビー、1発芸、動いたら負けの『忠犬コンテスト』等で進んでいった。犬たちの出番が終わると、王国の3頭のドサンコがたくさんの子供たちを背に乗せて雪像の前をまわった。
 冷えた弁当に熱い蕎麦、そして泡の出る麦茶を飲み、今年の冬の祭りは終わった。来年も、子供たちの笑顔に出会えるように、また行きたいものだ。



2002年02月16日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高−0℃・最低−7℃

 ラーナの子犬たちは、生後42日目を迎えた。今回は、1月の29日にダーチャの出産があったので、いつもの玄関の育児箱は新しい7匹の子犬に譲り、ラーナっ子8匹は、途中から居間での生活になった。
 誕生した玄関の育児箱との大きな違いは、室温が高い事と、15匹もネコがうようよしている事である。
 その影響はすぐに出た。まず、暖かいのでノビノビと寝るようになった。ほとんどが腹を上に向け、手足を伸ばして無防備姿勢である。ネコたちからは、添い寝と遊びのインストラクトと、細かく鋭い動きに反応する事を教えてもらった。
 
 そして、そして、居間に置いてみて、もっとも良かったのは、改めて子犬の成長を、私がつぶさに見ていられる事である。
 食事の時は、すぐ後ろに育児箱がある。テレビでオリンピックを視ている時は、テレビの斜め後ろで、子犬が背伸びをして覗いている。
 あらゆる時に、子犬を確認できるので、非常に勉強になっている。
 例えば、どのような音に反応が顕著なのか、そして、そのリアクションは.......。
 これも、思っていた通りだった。
 つまり、子犬であっても、彼らの耳は音を選択しているのである。簡単に言うと、女房が鍋を落とした大きな音には、身体を一瞬びくつかせるだけである。ところが、母親のラーナの小さな呼吸音や、足音を聞かせると(テープで)、眠っていた子も起きて、たちまち8匹で大騒ぎになるのである。
 明らかに、子犬(巣穴段階の)としての聴力のありかたは、大人になってからと、違っていた(これを論じると長くなるので、次回にさせて頂こう)。

 ウンコ、オシッコのリズムもはっきりとしてきた。この時期....つまり、母乳と離乳食の両方から栄養を得ている段階では、ウンコは1日5〜7回、オシッコは8〜12回である。もちろん、下痢など、体調を崩しているケースは別である。
 オシッコは、眠りから覚めた時、水を飲んだ後、ミルクを飲んだ後、である。
 ウンコは、離乳食を食べた後、ミルクを飲んだ後が90パーセントである。
 そのシグナルは、寝ていた所や、飲食をした所から移動し、鼻を下げて嗅ぎ始め、グルグルと回る事である。
 その後場所(トイレ)を確認すると、腰を落とし気味にして顔を上げ、空中を見つめるような視線で、お出しになる。
 トイレとする場所を探している時に、鳴き声を出す子もいる。これは、痛みと言うよりも、母犬に連絡をしている意味の方が、大きいと思う。気づいたラーナが口を寄せていくと、間違いなくすぐにウンコを出し、それを母は美味しそうに食べ、居場所はきれいに保たれる。実によくできている。

 ようやく日本でも、生後7週間までは、子犬の譲渡を禁じようという事が検討されるらしい。赤飯で祝いたいぐらいである。心と身体の成長を考えれば、せめて2ヵ月は母犬、兄弟犬といっしょにしておきたい。王国では、以前からそれを実行してきた。
 ラーナの子犬たちが、全国のあちらこちらに旅立つのは、3月の10日過ぎになる。
 それまでは、私の先生として、様々な事を見せて欲しいし、それを見抜く観察力が、今、居間の私に試されている。



2002年02月15日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り時々雪・最高−1℃・最低−17℃

 本日の食料事情
 (犬)
 午後4時 ドライフード適量+レトルトパック1袋+振り掛け適
      量+鶏頭1個(圧力釜で煮たもの)+スープ1袋+牛乳
     
  基本的に成犬はこれ1回。朝はドライフードを雪の上に撒き
 適当にたべさせる。
  育児中のラーナとダーチャは、夕方と同じ内容の餌を午前8
 時半に貰っている。

 (ネコ)・・・室内派
  24時間、いつでも食べられるドライフード。
  午後5時、大皿にドライフード+マグロの白身缶2缶+ぶつ切
 りいわし缶1缶を混ぜ合わせた物。
  これを大人のネコ13匹と子ネコ2匹が自由に食べる。特に  
 子ネコ用としては用意していない。大人に混ざって頑張ってい 
 る。
 (ネコ)・・・戸外派
  24時間ドライ。
  午後4時、室内派と同じ物+別の皿にネコ用ジャーキー少々。
 
 犬には、人間の残り物も与えている(本日は無し)、ネギ類と
 トマト、大豆、きのこ類はあげていない。あまりにネギ類の多
 く使った汁の残りも与えていない。

 おまけとして.....(人類)
  朝・・御飯、味噌汁、海苔、漬け物、納豆
  昼・・和洋合体風パスタ+パン
  夕・・御飯、湯豆腐、漬け物2種、キノコ汁、長芋、箸休め
     保存食2種(トウガラシ朝鮮味噌漬け、海苔佃煮)
 
  飲み物は、朝・牛乳。昼・ウーロン茶。夜・お茶、ビール。

 以上、今日もおいしく頂きました。これから夜食です!!



2002年02月14日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高−2℃・最低−22℃

 残念な事に、私が高校を終える頃までは、2月14日は普通の冬の1日だった。まだ、日本のお菓子のメーカーでは作戦会議を開いていなかったらしい。もし、今のように今日が特別な日になっていれば、私はチョコレート用の倉庫が必要だったろう.....と、ここまで書いていたら、後ろでゴソゴソと探し物をしていたはずの女房が、
 『何をバカな事を書いているの..』
 と言い残し、あきれた様子で出て行った。
 いつの間にか人間ができた私は、女房の言葉に怒ったりはしない。ただ、小さな声で......倉庫は無理でも犬小屋、いやネコの箱、う〜ん、箱は不要かも知れないが、一つか二つは貰えたはず....などと囁いていた。

 義理と人情は日本に伝わる正しき人の道である。
 今日、私はそれを再認識した。な、な、なんと、こんなオジサンの所に、ネコの箱、それも7キロを超えたアブラ2世も入れるような、大きな箱が必要なほど、きれいな包み紙のチョコを頂いたのである。
 その包みは、たとえ義理であろうと見た目には本命と変わらぬきらめきを放っており、私は、もったいないと、ただただ眺めていた。
 ここで、また女房である。
 『あらっ、美味しそう、お腹空いていたんだ....』
 と言うや無造作に包装紙を剥がし、ムシャムシャとお食べになった!!
 これは私の....と主張をする間もない、あわてて私も、負けるものかと胃に収容した。
 食べてみると、別に義理だからと言って味がギリギリまで落としてあるわけではない、とても美味であり、つい泡出麦茶を飲んでしまった。
 贈って下さった、心優しき皆さん、本当にありがとうございます。この場を借りて御礼を言わせていただこう。

 さて、我が家の生き物たちは、本日1日、実に平穏だった。
 その中で、ひとつの結論が出た。それは昨年の7月に孵化した、ニワトリとウコッケイのミックス鶏の『コッケイ』が、お客さんが車から降りて我が家に向うと、嬉しそうに車庫から走って来て、鳴きながら足を突くのである。はっきりと番鶏をしている事が、今日の3人のお客さんの怖がる姿を見ていて確認できた。
 これなら、札幌の、あるスキー場で使ってもらえるかも知れない。
 そのスキー場の名前は『バンケイスキー場』!!
 



2002年02月13日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃


 いよいよ、キツネ舎のラップに発情の兆しが訪れた。大好きな生の牛内臓肉も小屋の隅に隠し、落ち着かない様子で動き回っている。今回は、オジンと言うよりもオジイであるが、花三郎に任せてみようと思う。
 かつて、若い花三郎は、おばあちゃんキツネのミミを妊娠させた。人間の年齢にすると、20才の男と100才の女の結婚だった。
 今度は立場が逆になる。80才の男と30才の女のカップルである。結果はどうあれ、2匹ともに元気になるのは間違いない。生き物、『恋い心』を失うと、じつは終わりなのだと、周囲の連中を見ていて、つくづく、そう思う。
 まあ、人間の場合は、多々、問題はあるが、例えば群れの生き物......馬、犬などでは、子供を妊娠できなくなる、子供を産ませられなくなる、と言う事は、その群れの中で厳しい立場に立たされる事を意味している。
 過去に、どれほど素晴らしいリーダー馬であっても、繁殖能力を失うと、すぐに群れの中でいじめられ、そして追い出される事になる。なんと厳しくて、そしてすっきりとした仕組みだろうか。
 かつて、ポンコというドサンコがいた。20数頭の仲間の馬を引き連れ、リーダーとして20年近くをすごしていた。ポンコに任せておけば、風や雨を巧みにかわし、真冬でも凍結しない水場を確保し、群れの馬たちは、けして痩せなかった。
 ところが、高齢のためにポンコが妊娠を出来なくなった時に、何と、それまで、ポンコの行動に素直に従っていた若い連中(その中には娘、孫たちがいた)が、ポンコに噛みつき、蹴りを入れるようになった。それまで、群れが動く時には、必ず先頭に立っていたポンコが、一番後ろから、それも少し離れて首を下げて行動するようになった。
 『この恩知らずメッ!!』
 と人間的感情で若い馬たちを怒ってもしょうがない、これが弱い生き物である馬の、生き延びる為の文化である、せつないけれど....。
 以後、ポンコは放牧地から下げられ、私たちの側で、シンザンを超える37才まで、のんびりと隠居生活を送った。
 ラップの移動の日は、小便の色を見て決めようと思う。赤みがかったオレンジになれば、いよいよお見合いとなる。うまくいけば、4月、子ギツネに会える。



2002年02月12日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃


 霧多布での講演の帰り、王国に寄った。めったに着ないジャケット姿で車から降りると、何匹かの犬が吠えた.......。
 『コリャ、お前たちはカッコのイイ男を見た事がないのか!!』.....と声を掛けると、
 『何だ、ジャーキーのおじさんか、』
 と言う顔をして尾を振り、10匹ほどが集まって来た。
 また私は大きな声を出した、
 『こらっ、この服は24日にも着なければならないんだ、ヨダレを付けるな!!』
 しあし、効果はない、いつものように、このオジサンの服の左ポケットには必ずジャーキーがある.....そう学習している犬たちは、制止の声もお構いなく、鼻先をポケットに擦り付けて催促をしてくる。
 私も悪い、車から降りる前に、久しぶりの連中に会うのだからと、わざわざ持参したジャーキーをポケットに入れているのである。これでは、制止が効くはずもない。

 この作戦は、テレビの『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』の撮影の中で行うようになった。11年前に浜中から中標津に引っ越し、浜中のほうに出向くと、新入りの犬(私との生活体験のない犬)が、生意気にも私に向かって吠えるようになった。そんな映像が流れてはカッコが悪いと考え、思い付いたのが左ポケットジャーキー作戦である。
 とにかく、車から降りると、すぐに犬たち1匹ごとに名前を呼び、一切れのジャーキーを名刺替わりに与えた。
 効果は抜群だった。どんなに番犬性質の強い新入り犬でも、美味しいものの誘惑には勝てなかった。いつの間にか、私の足に前足を掛け、『おくれ、おくれ』の表情をするようになった。

 この手法で、何回か相談を解決した事もある。ある特定の人に、どうしても吠えてしまう犬はけっこう多い。どうしたら治りますか?と言う相談に、私は美味しい物作戦を伝えた。吠えられる方に事情を話して、飼い主との共同作戦をしてもらったのである。
 やり方は簡単である。犬の見えない所から、飼い主と吠えられる人が、楽し気に会話をしながら登場し、ジャーキーなどを与えてもらう(飼い主は絶対に与えず、ホらっ、良かったね〜係である)だけである。
 今のところ、失敗しました、という連絡は受けていない、成功は数多くある。

 浜中の王国も、先日の吹雪(1説には、当時、雪女さんが宿泊していたらしい....)と今日の朝の降雪で、真っ白な世界だった。何度か、ジャケットに前足を付けられたが、幸い雪のおかげで汚れは残らなかった。この分なら、次の講演でも着られる、なんせ、クリーニング代は都会の倍に近いのだから.....。
 
 



2002年02月11日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃


 あちらこちらで、今朝の最低気温は『マイナス22度』と叫んでいる。どうもこの神経は、子供の頃から大雨や吹雪になると外に出たがる、お祭り屋の性格そのもののようだ(自己分析)。
 気温がもっとも下がっていた6時半過ぎに、そっと犬たちの様子を調べてみた。すると、何と半数が小屋の外、雪が踏み固められアイスバーンとなっている上に寝ていた。彼らの姿は幸せそのものに見えた。
 我が家の犬は、子犬まで入れると30匹になる。そのうち外で小屋の生活をしているのが13匹、メキシカンヘアレス犬、要するに毛のない犬『カリン』も、犬の毛で女房が編んだセーターを着て車庫で頑張っている。一度、居間にいれた事があるのだが、彼女は外での、番犬的な生活を望み、中に入るのを嫌がるようになった。以来、マイナス30度でも、乾草の入った箱の中で寒さに耐えている。
 カリンにとっての湯たんぽもある。それは、同じように車庫を中心に生活をしているネコの『アブラ』と『アグラ2世』で、いよいよ寒くなると、2匹のネコがカリンの箱に入り、互いに身体を寄せあって寝ている。よくしたものである。
 
 今夜も、かなり下がってきている。8時でマイナス12度だった。そっと車庫をのぞくと、腹に頭をうめるようにしてカリンが寝ていた。震えもなく、呼吸も穏やかだった。昨年の秋に編んで貰ったおニューのセーターにほころびがあった。そこにアブラ2世が顔を入れるような形で、添い寝をしていた。
 我が家のリーダー犬、サモエドのマロは、やはり小屋の外だった。夕方、お湯を入れておいた水おけには厚く氷が張り、真ん中にマロが舌で舐め解かした丸い窪みがあった。思いきり長靴のカカトで水おけの表面を蹴ると、氷が割れ、水飛沫が飛んだ、私の長靴についた飛沫は、たちまち凍りつき、手ではらうと、サラサラと音をたてて雪の上に落ちた。
 さあ、今夜は覚悟をして、ダーチャやラーナのウンコ散歩に行こう!!



2002年02月10日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃


夜の10時頃だったろうか、PCに向かっていた私の耳に、居間の方から女房の叫び声が聞こえた。
 
 『おとうさ〜ん、ルック、ルック、ルックが来た〜〜〜!!』

 ルックは10年前に我が家で生まれ、そしてその年の秋に、原野に放したメスのキタキツネだった。すぐにパートナーを見つけ、翌年から続けて出産育児を続けてきている。普通、野で生きているキツネは寿命が短い、せいぜい4〜5年がいいとこだろう。
 しかし、ルックは、我が家から2キロほど離れた沢で、昨年も子ギツネを産み、育て上げた。人間ならば、100歳の女性が出産をしたウルトラまる高である。
 ルックは、出産直後の1週間以外は、自分で生まれ育った我が家の周辺に現れて、餌を探していた。山羊のメエスケの小屋や鶏の小屋の近くにはネズミも多い、さらに、観察を続ける為に、私と女房もチーズなどを与えて、ルックであることを確認していた。

 そのルックが1月28日の猛吹雪の日から姿を消していた。いつもならば、風雪が収まれば、その夜から無事な姿を見せてくれていた。
 2月になった、3日、来ない.....。6日.....まだ姿を現さない。8日......願いを込めて窓から外を眺めている女房を見ながら、私はルックの死を確実なものと考えていた。
 この冬は、何度も大雨が降り、それが凍って氷の層になり、キツネたちがネズミを捕まえる邪魔をしていた。それに大雪である、老いたキツネには、あまりにも困難が多いように思えた。

 そして、今夜である。
 女房の歓喜を含んだ大声に、あわてて窓辺に行くと、いつものように優しい表情のキツネが、屋根から落ちた雪が山になっている、その中腹で座っていた。間違いなくルックだった.....。
 ケガもなく、やせた様子もなく、毛に汚れも付いていなかった。
 女房は、まだ、あきらめてはいなかったのだろう、ルック用の肉やソーセージを入れた食器を、毎日、玄関に用意していた。それに、チーズを加えると、あわててマイナス14度の戸外へ、サンダルで走って行った。ルックは、慎重にそれを口に運んだ。

 吹雪の日から2週間ちかくになる。どこで、何を食べて生き延びていたのかは分らない。しかし、忘れずに生まれ育った実家を頼って来てくれた事を、私は、ただただ、喜んでいる。



2002年02月09日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃


昨日を引きずるように、午前中は気温が高かった。プラスの5度、これはもう3月である。暮の寒さがどこかに飛んで行ったのか、それとも、季節の巡りが早くなったのか、どうもこれまでの常識が通用しない。
 犬たちと散歩をしていると、汗ばんできたので、居間にいるラーナの子犬たちを、勝手口の前に設けた日光浴用の囲いに出した。雪の上に板を置き、そのまた上に布を敷いてある。
 8匹の子犬たちは、布の上から雪の所に移動し、しばらくは兄弟でからみ合って遊んでいた。生後1ヶ月、しっかりと目標に向かって進めるようになってきた。
 やがて、白い雪に黄色の印をつけ、形のしかりとしたウンコを済ますと、布の上で眠り始めた。
 その頃から風が北西に回り、強くなった。気温は相変わらず5度だったが、風は厳しい、子犬たちも8匹が折り重なるように集まり、中には震えが来た子も出てきた。西からは雲も広がってきた、しょうがない、と言う事で子犬たちを居間に戻した。
 子犬は体温調整の力が、まだ未熟である。少し暑ければ、すぐに舌を出し、呼吸が速くなる、かと言って寒ければ震えである。それな子犬を守ってくれるのが巣穴である。土の中、それも奥深くは、殆ど温度の変化がない。一定の気温の中で、子犬は体力と適応力を身につけていく、巣穴とは実に理にかなったシステム
だ。
 玄関の育児箱で育っているダーチャ(これまたサモエド)の7匹の子犬たちは、ようやくすべての子の目が開いた。しかし、サモエドの目はなんと可愛く、そして小さい事か。仲間たちは、私と女房の顔と子犬たちを見比べては、『ウン、イシカワ家の生き物は、みんな似ている』とのたもう.....。そう言えば、犬もキツネも、そしてニワトリやウコッケイも、皆、点のような目をしている。でも、しっかりと周囲は見えているから、良しとしておこう。
 明日は、もう少し冷えるらしい、子犬を外に出す事ができるのか、少し心配だ。



2002年02月08日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃


今日のツアーの方たちは、横浜の周辺から来られた。ある大手のスーパーで買い物をされた方の抽選による招待旅行だった。
 このような形態の時は、少し心配をする。と言うのも、生き物がまったく駄目と自称する方が、招待と言う事で加わっている事があるからだ。
 でも、私は、そのような人にこそ来て頂けたらと思っている。毎年、多くの高校生が修学旅行で王国に来ているが、その時も、選択で王国を望んできたグループよりも、全校行動で全員がやって来た時のほうが面白い。
 何が面白いのか....、それは、変化である。バスから降りたとたん、友人の陰に隠れるように行動をしている、動物苦手の連中を、私はすぐに見つける、いや、私だけではない、群れている犬たちも、普通ではない動きをしている人間には、とても敏感である。真っ先に寄って行って、鼻を付け、匂いを嗅ごうとしている。
 さあ、犬など見たくもない生徒は地獄である、身は凍り付き、心臓はバクバク、目は犬と空中と、横でニコニコとしている私を交互にみている。その瞳は『何とかしてくれ〜〜』と訴えている。
 そんな時に、必ず犬が好きな生徒が登場してくる。そして、好きな奴の犬の触り方は、実に自然な動きであり、触られた犬に、嬉しい.....という表情を作り出す。これは快感フエロモンとでも言う不思議なオーラを伴っており、気づいた他の犬たちが寄ってくる。
 ここで、ようやく私は口を開く.......。
『犬が好きにならなくても、別に構わない、しかし、長い人生を元気に生きて行く為には、その犬が近づいても大丈夫な犬なのか、それとも、危険な犬なのか、それを読み取る事は大切だよ...と』
 さらに、モデル(実験台)として、犬好きな生徒と、何とかその場に留まっている生徒を呼び出し、犬の心の読み方、そして、安全な触り方のデモンストレーションをする。
 これで時間はせいぜい20分である、その短い時間で、驚くべき事に、生まれてから1度も犬に触った事もなく、前から散歩の犬がくれば、たとえリードで繋がれていても、手前で道を変えていた生徒が、最初はオズオズではあるが、王国の笑顔の犬と挨拶を交わし、胸を抱く事ができるようになるのである。
 そんな時、私は胸が熱くなり、そして犬たちに感謝をする。これで、またひとり、世界に通用する若者が増えた......と。
 犬など、どうでもいいのでは....と言う方もいる、これでは問題が残る。なにしろ犬を鎖で繋いで飼え....という国は日本だけなのである。たとえば、アメリカで仕事である家を訪ねたとする、すると、かなりの確率で犬が登場する。その時に犬は嫌い、苦手、見るのもイヤ....では仕事にならないのである。その犬がどのような状況なのかを見抜く力を備えていれば、無事に仕事の話に入る事ができる。これでこそビジネスマンである!!

 ありゃりゃ、長くなってしまった、確か、これは日記だった。どうも講演記録のようになってきた、ここらで軌道修正をしよう。
 さて、今日の団体さんである。午前中に馬に乗り、その後、ソリ滑りやスノーモービルを体験した後、私の家に来られた。皆さん、わたしの説明を熱心に聴かれたあと、それぞれに犬ネコ50のところに行き、楽しんでいる様子だった。何だ、今日の皆さんは動物好きばかりかと、少し拍子抜けをした。
 1時間ほどが過ぎ、いよいよバスに戻りましょう.....と声が掛かった時、若いカップルが私の横にやってきた。互いに目で合図をかわし、そして女性が口を開いた、
 「石川さん、ありがとうございます。楽しかったです、実は私、来るのをやめようと思ってたんです、犬が嫌いだったから...
でも、彼に引っ張って来てもらって、本当に良かった、だって、この私が犬に触り、遊べたんですもの....。これで自信がつきました。もう大丈夫です、ありがとうございます.....!!」
 横では、顎の尖った男が、無言でニコニコとしていた。玄関の子犬を放り出して、外に出ていたお客さん大好き犬のサモエドのダーチャが、1時間前まで犬嫌いだった女性に前足で跳びついた、彼女は身を退かなかった、両手でダーチャの足を抱え、身体を預けていた。
 
 今、私は泡の出る麦茶....巷ではビールと呼ばれている飲み物を手に、片手でキーボードを打っている。彼女のおかげで、今日の味は最高になった!!



2002年02月07日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃


とうとう....なのだろうか、それとも、ようやくだろうか?
 まあ、それは後で考えるとして、今日2月7日の夕方から、このHPにも血が流れ始めた。1週間も前から、少しずつ画像は出ていたが、それは片側通行、見て下さった方の吐息、クシャミ、足跡が残って、初めて機能していると言うべきだろう。そう言う意味ではキノウまではキノウしていなかった事になる。

 ああ、皆さんが、あきれている顔が浮かんで来る、でも、このオヤジギャグは身に染み付いたもの、私の小さな自制心では押さえきれない、お許しを請い、目を閉じて下さいとお願いをするしか道はない。

 今朝は、地上の造型物のすべてが白かった。前の日の気温が高いと、雪が解け、その水蒸気が空中を漂う、それが夜間に冷やされ、そして凍り、小さな結晶の固まりとなって樹木、家、金物、さらには犬のヒゲや睫毛にまで付着する事になる。
 おまけに深い霧が1日中、消えなかった。霧氷の白に霧の白.....数年に1度と言う、貴重な日に、個人的な事ではあるが、こうして仮免ながらも、このHPに多くの方の心という素晴らしい血が流れ始めた事を熱い思いで受け止めている。
 これからは、けして梗塞などを起こさぬよう、心していかなければならない。小さな歩みの積み重ねを、ひとつひとつ繰り返し、ゆかいな命のページにする事ができたら、私は幸せだ!!