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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2002年03月31日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+12℃・最低0℃

 暑かった.......それが今日の感想である。テレビのローカルニュースや天気予報でも、盛んに4月下旬から5月の気温と言っていた。
 こんな日は、家の周囲、特に犬小屋のまわりに残っている氷の固まりを割る作業に精を出す。ツルハシや剣先スコップで岩盤のような氷を砕いていくのだ。これで解けるのが早くなる。
 女房の得意は、流れている水のルート造りである。小屋の前にはいかないように、床下にも入らないように、スコップで水の道を造っていく。
 そう言えば、私も女房も雪国育ちである。春になると、雪で小川をせき止めてダムを作ったり、砂利道を流れる水の道を変えたりと、様々な遊びをしていた。その経験が今も活かされている事になる。

 寒暖計が12℃を示しているのを確認した午後、私は本屋の帰りに、先日の日記に書いた当幌川の橋に行ってみた。昨日の雨に今日の雪解け水が加わり、かなり増水をしているのではと、確認をしたかった。

 橋に続く道は砂利で、大型車が1台の幅である。もし対向車が来ると、数百メートルおきに設置されている交差帯ですれ違う事になる。
 もっとも橋に近い交差帯に、自転車が3台、並んで止めてあった。私も車を寄せ、川まで歩いた。
 欄干に腰を下ろし、先日よりもやや増えている水の流れを見ていると、上流から人の声が近づいてきた。岸辺には、自転車の主、声の主のものと思われる足跡が、ざらめ雪の上に残っていた。

 やがて姿が見えた。3人の中学生らしき男の子たちだった。
 『こんにちは!!』
 先頭の子が私を見つけて挨拶をしてきた。
 私は、少し驚いた。見知らぬこの年代の子に、先に挨拶をされたのは、本当に久しぶりの事だった。

 『こんちは!!釣り?街から来たの?』

 『はいっ、天気がいいから、3人で自転車で来ました』

 『何か釣れた?増水しているから食わないでしょう...』

 『アメマス(イワナ)を狙ってきたんですけど、だめでした、チャッコイのが4匹、ヤマベ(ヤマメ)が来ただけです!!』

 橋の上に来た3人は、長靴に入った雪を出し、リュックを下ろすとペットボトルのスポーツドリンクを飲み始めた。ひとりは年齢のわりに渋く、うぶ茶ではないが、別の緑茶だった。

 『好きなの釣り?この川は結構いいでしょう、ニジマスも来るし....』
 私は、これまでの経験を彼らに話した。3人は今度中学3年になるらしい。ともに釣りが大好きで、周辺の川は殆ど行った事があると話していた。海よりも渓流釣りが楽しいと、3人は口を合わせた。

 『おじさん、王国の人?』
 一番、ひょうきんな子が聞いて来た。

 『うん、ここの牧場に住んでいるよ、11年になるかな』

 『じゃあ、さっきの犬は王国のかな、黒い犬.....』
 『ず〜っとついて来た、可愛かったな〜』
 『でも、最初、びっくりしたべさ〜熊かと思った!!』
 『そうそう、斜面から勢い良く出てくんだも〜』

 私はピンと来ていた....。
 『耳が垂れていて、少し太めで、全身が真っ黒だろう、その犬』
 
 『うん、あの、あれっ、え〜と、盲導犬だっけ、あれになる犬みたいな奴....』

 『ラブラドール・レトリバーという種類だよ。あいつの名前はタブ、おじさんの家の犬さ』

 『逃げたの?』

 『いや、あいつは牧場の敷地の中しか行かないから、散歩を自由にさせているんだ。泳ぎが大好きなんで、よく川に行っている。そこに君たちが来たんで、嬉しくて寄っていったんだね、人間が大好きだから....』

 『そう、シッポを振ってたもんね、顔も笑ってるみたいだったし....』

 『あんな犬ならオレも欲しいな〜、釣りに一緒に行けたらいいべさ〜』

 彼らは、おとなしく一緒に行動をしたタブを気にいってくれたようだった。そんな話をしているうちに、かれらの飲み物のボトルは空になった。

 『さあ、帰ろ!!おじさん、もう少しあったかくなったら、また来るね、犬も来てくれるかな〜〜』

 3人は、それぞれ自分のリュックに延べ竿や餌箱を入れた、そして最後に、空のボトルも、当然の事のように押し込んでいた。
 その様子をニコニコとして眺めながら、『いつか大物を釣れよ』と激励をして私は彼らと別れた。
 
 橋の下を見ると、先日、私もタブの息子のセンちゃんも回収できなかった空き缶が、流れの中に沈んでいた。



2002年03月30日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

雨のち晴れ・最高+4℃・最低+2℃

 強い雨音で目が覚めた。2階の寝室の窓から眺めると、隔離柵の中に夜だけ入れている、ベルクとラーナが小屋に入らずに立っていた。視線は我が家に向けられている。
 『しょうがない奴ら.....どれっ』
 寝起きの一服を済ませると、カッパを着て外に出た。降りはけっこう強い、しかし、1月や2月の冬の雨とは違い、あまり冷たくは感じない。
 
 まず、ミゾレ、シバレ、シグレの3匹の柴犬たちのクサリを外す。日本犬、そして番犬らしく、繋がれている所では、よほどの事がない限り大小便をしない連中だから少しでも早く解放させてやりたい。辛抱がよすぎて身体を壊す事もある。
 3匹は、それぞれに別々の方向に走っていった。距離にして50メートル、雪が融けて顔を出したササの生えている沢の斜面で、長い小便とウンコをしている。

 柴犬たちの動きを目で追いながら、次にマロ親分とセンちゃん、タドンにダーチャ、そしてアラルにベコ、さらにヘアレスのカリンと、次々にクサリから放して行く。いつもはバネ仕掛けの人形のように車庫から飛び出すカリンが、シャッターの下で躊躇している。そう、彼女は雪や寒さだけではなく、雨にも弱い。どうするかと見ていると、意を決したように走り出し、私の車の後ろで長い小便をした。終るとすぐに走って戻り、着ている父親のマロの冬毛で編んだセーターのまま身体を震わせていた。

 いつもなら、犬たちを解放する前に、車庫の横にある動物用の台所の戸を開ける事している。しかし、今日は大雨と言う事で、後回しにしていた。
 すると、カリンの世話をしている私に、台所の戸に何かがぶち当たる大きな音がした。どれどれと開けてみると、コッケイが体当たりをしていた。このニワトリとウコッケイの混血である雄鶏は、今、我が家で1番元気がよく、そして1番、危険な動物である。来訪者だけではなく、私や女房にも、そして犬やネコにも鋭い嘴攻撃をしてくる。昨年の7月、孵化した時から一緒に暮らしている、メスのウコッケイ『ウッコイ』が3月の初めから卵を産み始めたのだが、その頃から突きが頻繁になってきた。
 もちろん、恋人を守る行為である。
 今朝も、開いた戸口からウッコイが飛び出し、隣のカリンの後ろに積み上げてある、山羊のメエスケ用の牧草の中に入って行った。そこは丸く囲われた穴のようになっており、ウッコイが自分で作った産卵用のスペースである。
 産室にウッコイが入ると、コッケイは強気になる。人間でも犬でも近づこうものなら、たちまち『コッ。コッ、コッ』と言う鳴き声とともに、嘴が襲ってくる。

 雨の中で、懸命に恋人を守るコッケイの姿に、たいしたものだと感心をしながら、私は犬たちの世話を続けた。
 今か今かと待っている、あの隔離柵の連中を解放に行った。大雨を浴び続けていたと言うのに、ラーナもベルクも震えてはいなかった。シャンプーをしていない我が家の連中は、毛は美しいとは言えないが、自前のヘアーオイルで防御しており、皮膚の近くまでは雨がしみ込んでいなかった。ちょうど蓑を付けている感じだった。

 隔離柵から走り出たベルクたちは、まず、マロ親分を探す。見つけると鼻をくっつけて挨拶をし、その後、私や女房の行動を確認に来る。これから何処に散歩に行くのかを聞いてくるのである。
 『今日は、行かないよ。この雨だからね、ウンコをしたら小屋に繋ぐよ....』
 しっかりと私の目を見て聞いていた連中は、まるで言葉が理解できたかのように、大好きなムツさんの家詣に行く事もなく、ニワトリやメエスケの餌などをやっている私の周囲でウロウロとしていた。

 ダーチャの子犬たちは、カリンと同じように車庫の中のサークルに入っている。女房が朝飯をやっていた。連中が食べている間に、サークルの中のウンコを確認し、十能で片付ける。これはとても大切な作業で、便の形状、匂い、色、個数などを短い間にチェックする。
 今朝は、数が8個、色形は最高級品だった。サークルに入れられたのが夜中の11時半だから8時間で7匹が1回ずつ大便をした事になる。この個数で成長の度合いも判る。ウンコの回数が減った事は、また1歩成長をした証拠でもある(但し、愛玩犬種などは別だが....)。

 なんだかんだで2時間、手抜きの散歩もどきで犬たちに納得をしてもたい、それぞれを小屋に繋いだ。
 さて、ウッコイは卵を産んだろうかと、コッケイの攻撃をかわしながら産箱を覗くと、まだ丸く伏せていた。念のためにと身体の下に手を入れると、固いものに当たった。鳴いて抗議をするウッツコイを抱え上げ、物を確認すると、それは丁度卵サイズの小石だった。
 『お〜い。ここに石を入れた〜?』
 私は女房に聞いた。
 『ウウン、それねっ、自分で入れてるの、その石と自分の卵を一緒に温めているようなの....』

 思いも掛けぬ返事に、こんな石を本当にウッコイがくわえて運ぶのだろうかと、私はつまんで1メートルほど離れた所に置いてみた。
 ウッコイが寄って行った。コッコッコッとうるさい。
 嘴で2度3度、転がすように石を動かした。そして、そして、ウッコイは嘴に挟むと、石を産室に運んで行き、その上に身体を伏せた。
 『ねえ、本当でしょう、私も驚いたんだから.....かなり重いのに』

 私は、昔、実家にいたニワトリを思い出していた。祖母が必ず『偽卵』を産箱の入れていた。産卵誘発用の石の卵である。
 それとともに、1個だけの時には抱かなかったウッコイが、複数の卵になったとたん、抱き始めた事に、何と理にかなった事かと驚いた。子孫を残す為には、同じ手間ならば複数のほうが確率が高いし、子孫繁栄の可能性が大きくなる。いつも、私や女房が卵を回収してしまうために、小石を使って複数状態を作ってしまったのだろう。
 可愛くて、いじらしい行動だが、人間は冷酷なもので、今日の卵も我が家の冷蔵庫に入れられてしまった。

 3月30日、石川家の朝の様子である......。

 
 

 



2002年03月9日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れのち曇り・最高+5℃・最低−6℃

 日に何度も、Gパン2本を交互に履き替えている。1本は犬用、もう1本はお出かけ用、室内用である。犬用はもって3日である。長靴の上に出ている部分から腰まで、見事に泥汚れが付着しており、乾くと糊が剥がれ落ちるように、土をまき散らす事になる。
 
 これが、王国の春である。
 何度かのドカ雪で、今年は4月までたっぷりと雪があるだろう、そう思っていたのは、最近の暖冬を忘れていた浅はかな考えだった。
 
 3月に入ると、日中の気温は連日高く、おまけに珍しい黄砂までが加勢して、あっという間に雪が消え始めた。替わって登場したのが土の大地と水溜まりである。
 マロやタドンなどは、なるべく水のない所を選んで歩いているが、若く元気な連中は、どんなに足場が悪かろうと、お構い無しに突っ走っている。そのままの勢いでジャーキーおじさんである私の身体に飛びついてくるので、上着は泥足でベタベタとスタンプを押された状態になってしまう。
 
 大人の犬が汚してくれるのは、基本的に上着である。
 では、Gパンをターゲットにしているのは誰かと言うと、あのダーチャの子犬、生後2ヶ月になるサモエドの7匹のギャングたちである。

 7匹は、日に3回ほど、それぞれ1時間から2時間、サークルから出され、フリーとなる。
 彼らは、まず母親のダーチャの所に駆け寄って行く。まだ乳首に吸い付こうとする甘ったれもいる。ダーチャの口元に、挨拶をするように自分の口を向けて行く子もいる。これは、一応の挨拶であり、さらに重要なのは、吐き戻しを促す意味が含まれている事である。
 乳首を求める子犬からは逃げるように身体を回しながら、やがてダーチャは小屋の陰、車庫の裏などに行って『ゲ〜!!』である。
 
 その美味しい食料を食べ終えると、子犬たちは我が家を中心に、半径50メートルほどの範囲を遊び場に変える。北向きの斜面に残っている雪の上で転げ、雪が消えた庭ではコッケイやウッコイ(ニワトリ、ウコッケイ)、そしてネコのアブラたちに尾を振って寄って行き、時々、嘴攻撃やネコ手パンチを貰って悲鳴を上げている。
 
 水溜まりも大好きだ。前足で水面に映った自分の影を叩き、しぶきに驚いてジャンプをしたり、水の中の小石をくわえて嬉しそうに噛んでいる。
 
 繋がれている大人の犬に挨拶に行くのも、大切な行動だ。ダーチャに近づいた時とは違い、大人の犬の触れる所まで寄ると、耳を軽く後ろに引き、尾を振り、4本の足に力を入れて不動の姿勢になる。
 これは、相手が自分を確認してくれるのを待っている姿勢だ。鼻を嗅がれ、お尻の匂いをチェックされて、初めて遊びが始まる。
 子犬扱いが好きで、そして上手なのは、なんと言ってもラブラドールのセンちゃんである。彼には7匹すべてが寄って行く。
 次いで上手いのは、ベコや柴犬のシグレである。子犬はベコたちの前で転げ回りながら、楽しい付き合いを繰り返している。

 そんな光景の中に私が入ると、たちまち7匹は嬉しそうに集まってくる。そして、思いきり背伸びをして、私のGパンに前足を掛けるのである。
 ニコニコ顔で見上げる彼らに、私はポケットからジャーキーを取り出し、彼らの口の大きさに砕いて与える。気が急いて、ジャーキーを握った指まで口に入れようとする子もいて、これが結構痛い、時には出血大サービスとなる事もある。

 7匹は間もなく旅立ちである。ワクチン、駆虫などが済み、4月の初旬には、皆、飛行機に乗る事になる。前足を掛けて見上げているのは白い犬のはずだった。しかし、見事なほどに泥化粧をしている。足はもちろんの事、腹の下、背中、そして耳の先.....どこもかしこもワンパクの証明のような姿である。何とか白い色をい残している顔が輝き、黒い瞳には私が映っていた。

 この笑顔には抵抗をする事ができない。どれほど私の衣服が汚れようと、7匹にとって残り少ない我が家での生活を、真剣に、そしてゆかいに応援しようと思う。
 



2002年03月28日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇りのち快晴・最高+4℃・最低−2℃

 川の流れを見るのが好きだ。たとえ魚の姿が見えなくても、ただ水の流れを凝視し、陽光に煌めく水面の揺れを全身で感じている。
 今日、久しぶりに、牧場の敷地の中を流れている当幌川の橋の上に立った。毎日のように車で通過はしているのだが、いつの間にか忙しさなのか、忙しさを言い訳にしているのか、立ち止まる事を忘れていた。
 橋の上流は、我が家の犬たちと行く散歩コースになっている。しかし、先月の大雪以来、そこまで歩くのは人間には辛い、そこで、ラブラドールのタブやレオンベルガーのベルクたちに任せ、私は、しばらく付合っていなかった。

 橋の上から見下ろすと、水量は普段の2倍に近く、川面も広がっていた。どんどん雪が融けているのだろう。
 濁りはなかった、水面下のバイカモが濃い緑のままに、春を待って揺れているのが良く見えた。その下では、ようやく目覚めたヤマメ(この辺ではヤマベである)が、流れてくる餌を待っていそうな雰囲気だった。

 子供の頃、叔父に連れられて行った、雪解けの頃のヤマメ釣り....あれは、最高の釣りだったと、今も思う。
 以来、川の氷が落ちると、何故か胸が踊り、竿を手にしたくなる。
 子供の頃の餌は、実家の馬糞山で掘ったミミズだった。夏ならばイタドリ虫や川虫を使ったが、春先はミミズしか手に入らなかった。
 王国に来てからは、いわゆるイクラなどを使っている。でも、やはり王国の馬たちの糞を積み上げた堆肥の中の、元気なミミズが一番のような気がする。

 氷が落ちてすぐの釣りは、深い淵のほうが釣れる事も多い。しかし、福寿草の群落を楽しみながら釣る頃になると、ヤマメもすっかり目を覚まし、元気な連中は瀬に出てくる。これを流し釣りであげる感触は、どんな釣りよりも、私を興奮させる。
 もちろん、釣ったヤマメは放しはしない、『キャッチ&リリース』は、私が絶対にやらない釣り方である。その理由は長くなるので書かない.....。
 まあ、簡単に書くと、『すべて食べる』.....これが石川流である。食べ切れない量は釣らない事にもしている。空揚げ、テンプラ、塩焼き....素朴な食べ方が私の好みである。

 眺めているうちに、橋の下に光る物があるのに気づいた。私の好きな泡の出る麦茶の缶だった。よく見ると、半分、川底の砂に埋もれた物もあり、バイカモの茎にも何個か引っ掛かっていた。その下流には、何故か電気ポットの沈んでいる姿があった。
 一瞬にして、ヤマメの記憶は吹っ飛び、ムラムラと怒りが、そして寂しさが湧いてきた。

 人間を『性善』と捉らえるのか、それとも『性悪』と考えるべきなのかと、徹夜で友人たちと討論をした事があった。孟子と荀子の闘いである.....35年も前の事だが....。
 私は『孟子派』だった。しかし、歳を重ねるにつれて、その気持ちを揺らすことばかりが目に付くようになってしまった。
 
 大好きな川である、投げ捨てられた空き缶などを回収すべく、私は橋の横を長靴を滑らせながら降りて行った。同伴していたラブのセンちゃんが喜んだ。これが母親のタブならば、私の意向などあまり気にせず、さっさと川でひと泳ぎをするのだが、律儀なセンちゃんは、絶えず私の顔を見て、次の行動を決めている。
 『よしっ、いいよ入っても....』
 待ってましたと、センちゃんが飛び込んだ。水温は5℃くらいだろう、でも嬉しさで顔が笑っている。
 私は、長靴が役立つ範囲のゴミを拾った。それを見ていたセンちゃんが、遊びと思ったのだろう、深さ50センチほどの川底にあった空き缶をくわえて、尾を振りながら寄って来た。
 『あっ、イイ子だね〜センちゃん、よしっ、出して!!』
 その缶を、私がコンビニの袋に入れてしまうと、がっかりした顔をしたセンちゃんが、再び川の中の獲物を探しに行った。
 結局、センちゃんが回収してくれた空き缶は5個になった。2個目を受け取る時から、御褒美にジャーキーをひとかけら与えた。それが彼の意気込みを倍加させたようだった。
 
 不届き者の後始末が、センちゃんの新しい才能を表に出すきっかけとなった.....と言う事は、ゴミを投げた人間のおかげでもある訳だから、人間はやはり『性善』と、苦しい論理を頭に描きながら、橋を離れたのだった。センちゃんの瞳は、また来ようね〜と言っていた。



2002年03月27日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

濃霧付きの雨のち曇り・最高+3℃・最低+1℃

 すっきりとしない天候の1日だった。とうとう最低気温がマイナスにならない日がやってきた。春近しの信号である。

 今日は嬉しい日だった。掲示板でも書かせて頂いたが、長野から今度中学校に入るMちゃんと、弟の小4になるT君が二人でやってきた。春休みを利用しての姉弟だけの初めての旅だった。

 Mちゃんの名前を知ったのは、2年前のFAXだった。そこには可愛い文字で、サモエドの子犬が欲しい、と書いてあった。
 こちらの状況を返信すると、すぐに便りが届いた。サモエドが飼いたくて、お小遣いを貯金していると書いてあった。当時5年生のMちゃんの必死の思いが伝わってくる文面だった。
 私と女房は、Mちゃんのお母さんに確認をし、次に子犬が生まれた時に、連絡をします.....と返事をMちゃんに出した。
 
 昨年の3月、ちょうど今から1年前、ダーチャが8匹の子犬を産んだ。すぐにMちゃんに連絡を入れた。
 
 『お母さんが足りないお金の1部分を出してくれます、あとは、私がまたお小遣いを貯めて払います、この金額ではだめでしょうか.....』
 そう書いてある便りが戻ってきた。
 私は、大丈夫、OKだよ、可愛いメスの子犬を決めておくよ....と応えた。

 次の便りは、子犬の名前に関してだった。
 『どんぐり』
 と書かれていた。家族皆が待ってますと結ばれていた。

 2001年、5月20日、『どんぐり』は飛行機を乗り継いでMちゃんの腕に抱かれた。長旅の疲れも見せず、食事はしっかり食べたと連絡が来た。

 以来、どんぐりとMちゃんやT君の楽しい生活を写した写真が届いた。ワンパクなどんぐりに困る時もあると書かれていた事もあった。そのすべてが、犬を十分に楽しんでいる姿を投影していた。文面や写真から、私や女房は、ほっとする物を感じていた。

 今回の、どんぐりの実家である王国への旅は、頑張りを見せたMちゃんたちへの、両親からのプレゼントだろう。
 二人は、我が家に着くなり、ダーチャのところへ、そしてどんぐりの父であるカザフのところへ、さらに、祖父であるマロ親分に挨拶に行き、生後2ヶ月を迎え、元気盛りの7匹の弟妹たちのサークルに入って。泥だらけになりながら笑顔で遊んでいた。

 『どんぐり、可愛い??』
 余計な質問を、わざと私はしてみた、予期している答を聞きたいがために.....、

 『はいっ、とっても!!可愛いです、どんぐり!!』

 ボーイシュな出立ちのMちゃんは、利発そうな瞳を輝かせて、そう返事をしてくれた。T君は頷きながら、ネコと遊んでいた。



2002年03月26日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

ず〜〜〜っと曇り・最高+4℃・最低−2℃

 居間の端、食卓テーブルの横に14.5歳になる雑種の犬、メロンがいる。乳腺炎、リンパ節の腫脹などで問題が起き、手術をした。以後、我が家では珍しく、室内を生活の拠点としている。

 メロンの予後は順調だった。随分と元気になり、さらに私の側に行って、尾を振りながら見つめると、美味しい物が口の中に飛び込んで来る事も学習した。

 『ウ〜〜〜!!』
 椅子に座っている私の前で尾を振って、ビスケットを食べている私の手元と目を見ていたメロンが、白いネコのミンツに唸った。
 ミンツは50センチほど離れた所のある、このところメロンが愛用している大型犬用のベッドに入ろうとしていた。中の柔らかな布が魅力のようだった。
 『ウ〜〜!!』
 メロンの上唇は細かく震え、鼻に皺がより始めた。

 『こりゃ、何を言ってる、メロン!!ミンツは寝たいだけだよ、入れてやりな!!』

 私は、ビスケットのかけらをメロンの鼻先に差し出しながら言った。
 一瞬、耳を後ろに引き、それからメロンはビスケットは食べずに、ベッドに向った。ミンツはすでに中で丸くなろうとしていた。
 そこにメロンの口が行った、口を大きく開けくわえた......。

 メロンは、くわえた物をゆっくりと運び、ミンツが寝た逆側のベッドの空いている所に、それを優しく置き、動かぬ事を確認してから、再び、尾を振って私のビスケットを狙いにきた。

 一部始終を見ていた女房が、悪戯を始めた。メロンが大事そうに、ミンツの近くからくわえて運んだ物を2メートル離れたテレビの前に置いた。気づいたメロンは、あわてて寄って行き、そっとくわえると、ベッドの中、さっきと同じ所に置いた。
 女房は、さらに悪女になった。今度は、4メートルは離れている階段の3段目にソレを置いた。運んで行った様子を心配そうに見ていたメロンは、やはり、落ち着いてくわえると、ベッドにゆっくりと運び、子犬を運んできたかのように、布の上に優しく置いた。

 そう、ソレはまさしくメロンの子犬に違いなかった。
 形は直径7センチ程の丸いプラスチックの固まり、もともと、ネコのおもちゃの羽根がとれたガラクタだった。緑と赤の2個のそれは、メロンが居間で療養を始めた頃から、その辺に転がっていた。
 メロンが危機から抜け出し、周囲の様子が見えるようになった時から、その2個のガラクタを自分の寝ている所に運ぶ行動が始まった。運ぶだけではない、自分の寝ている横に、身体の触れる所に、ソレは置かれていた。

 メロンは捨てられていた犬である。娘の一声で我が家に置いてからでも10年にはなるだろう。そしてメロンはネコが苦手だった。若い時は、ネコを見ると襲おうとする事もあった。
 歳を重ねて、随分と柔らかくなったが、我が家で生まれ育った子ではないので、何処まで信用ができるか、私も不安を持っていた。
 だが、寒さと炎症による衰弱をケア〜するには、暖かくて人間の目が行き届く室内に置くしかなかった。
 弱っている時は、ネコどころではなかっただろう。ほとんど反応がなかった。
 しかし、体調の回復とともに、10数匹のネコに目がいくようになった。それに心を配る事が、ネコとの同居の文化を持たないメロンには、かなりのストレスになってきたのが見てとれた。
 
 その時から、メロンの玉運び、玉抱きが始まった。
 簡単に言うならば『偽育児』・・『想像育児』である。

 群れの中で、常に虐められている最下位のメス犬であっても、妊娠中、そして育児中は、けして虐められず、逆に、近づいてくる者に唸り声を出しても許される。これが、育児期以外でそんな事をしようものなら、お前、ナマイキ!!とばかりに、たちまち袋だたきである。
 群れの宝である、子犬を育てているからこそ、母犬は群れ全体から大事にされる。

 以前、やはり弱い犬で柴の『ブーちゃん』という子がいた。ブーは私を頼りにしていた。ある時、私が長い出張で王国から姿を消すと、ブーは玄関の下に穴を掘り、そこに身を潜める事で他の犬からのストレスに耐えようとした。
 すると不思議な事に、狭い暗がり.....つまり『巣穴』に隠っていた事で、ホルモンのバランスが『偽妊娠』を通り越して『偽育児』状態になってしまった。乳首からはあふれるほどのミルクが出るようになっていた。
 その匂いは、まさに育児中の母犬のそれであり、玄関に近づいてきたイジメッ子たちにブーが唸っても、けして襲われる事もなく、子育てをしてるんならしょうがないや....状態になった。
 私が旅から戻ると、以前のように外を動く事ができるようになったブーは、4日でミルクが止まってしまい、いつものブーに戻っていた。

 これが、メロンでも起きていた。ストレスは多過ぎるネコであり、ネコを襲おうとすると私たちに怒られる事も入っているだろう。
 さらに、療養の為に、特別な所、隠る所、身を丸めている所.....犬用のベッドが巣穴の役割を果たしていた。
 まさに『自己防衛』『自己保存』のための『偽育児』の条件が備わっていた。
 さっきも、私が2個の玉を洗面所に置いてみた。メロンは真剣に探し、無事にベッドに運びこむと、それを腹の側に置き、静かに眠り始めた。
 
 この実験は今夜で終え、メロンが育児に飽きるまで、玉はそのままにしておこう。それは、暖かくなり、外での時間が増えれば解決をするはずである。



2002年03月25日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高+5℃・最低−6℃

 大阪を中心に遠くは沖縄まで、西日本の小学生が春休みを利用して王国にやって来た。着ている上着は新しいものが多かった。初めて、雪国に来た子が多い証明でもあった。
 
 馬に乗り、昼飯を食べ、スノーモービルなどで遊んだ後、我が家に着いた。時間は14時を回っていた。晴れてはいるが、いつものように午後の風が吹き始めていた。私と女房は厳寒期と同じ上着で外に出た。
 先ず、我が家の50を超える生き物たちの説明をする。同時に、犬が嫌がらない接近法、そして仲良くなれる挨拶の仕方も話した。
 『早くおいで』と、啼きながらクサリを引っ張っている犬たちの方に、子供たちの視線は向いている。それでも、ポイントだけは聞いて貰えたと思い、『じゃあ、好きな犬の所へ行って.....』
 ....そこまで言いかけて気がついた。

 『おい、裸足じゃないか、おまけにスニーカー、大丈夫か?』
 
 言われた男の子は、ニコッと笑い『平気、ぜんぜん寒くない』と言った。
 別の女の子は、明らかに上着をバスに残して来ていた。薄いトレーナーでサモエドのマロの所に向っていた。

 『寒くないの?』
 私の質問に、その子は、
 『大丈夫、ほらっ、こうやれば暖かい...』
 3年生ぐらいだろう、一行の中でも、もっとも背の低い彼女は、マロの身体に全身を預けるように抱きつき、顔をマロの長い毛の中に埋めた。
 『ああ〜いい匂い....マロ君って言うの、この子...』

 私は、自然に顔がほころんだ。
 足を濡らしていようが、上着を着ていなかろうが、この刹那は子供たちの宝物になると確信した。そんな才能のある子たちが、今回のツアーで集まっている気がした。
 
 数カ月前、ある大人の集団が来た事があった。彼らは犬そのものの匂いを異臭と感じていた。これは、病的な潔癖性、強迫的な清潔症の穴に落ち込んだ人によく見られる反応と同じだった。
 オイオイ、大丈夫かな〜、こんなせつない人ばかりになると、日本は滅びてしまうのでは....大袈裟ではなく、私はそんな心配をしたのだった。

 今日の、西日本からの子供たちは違っていた。幸いな事に、親が同伴をしていない、これは、思春期直前の子供たちにとって、とても大切な事である。特に、今のように子供の数が少ないために、ともすれば常に子供に親の視線が向きがちな時代には。親の姿が消えてこそ、初めて、その子の本来の姿が現れる。
 
 足が濡れたって、せいぜいシモヤケになる程度である。それよりも、初めての雪の中で、身体でその冷たさを感じる事のほうが、はるかに大事だろう。
 上着を忘れたって構わない、抱きついた犬の身体の温もり、その厚い冬毛の匂いを心にしっかりと残すだろう.....。

 子供たちは、ダーチャの子犬たちと転げ回り、靴のヒモを齧られ、居間では、じゃれつくネコたちと心ゆくまで楽しんでくれた。

 その笑顔を思い出しながら、今、私はビールを、いつも以上に美味しく飲んでいる。



2002年03月24日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

薄曇りのち雪・最高+5℃・最低−2℃

 薄い雲に黄砂が加わり、弱々しい陽光が、かろうじて大地に届いていた。それでも気温は確実に上がり、家の前は雪解け水が流れ、その中をサモエドのダーチャの7匹の子犬が、水しぶきをあげて走り回っていた。
 すでに新しい飼い主のかたは決まっているのだが、この姿を見たら、『まあ〜なんて事を!!』と言われるのだろうか、それとも『こんな元気な子が欲しかった!!』と喜んでくださるのだろうか。
 どちらにしても、我が家の育児方針は『放任、自力更生、サモエドよ黒くなれっ!!』である。
 人間の子供もそうだが、子犬や子馬は大地と恋人関係になって初めて強く育つと思っている。子犬を抱いた時には、人工的なシャンプーの匂いよりも土の匂いが欲しい。

 昨日の事になるが、私は浜中の王国に行った。目的は22日に中標津の牧場、そして23日は浜中の王国を体験する愛媛からのツアーの皆さんに会う事だった。
 残念ながら22日は留守をしていたので、23日に追い掛けて行ったのだった。
 浜中に着いた時、皆さんは母屋の中で王国特製のカレーを食べていた。挨拶もそこそこに、私も食べた、大人の辛さが旨かった。
 今度でお顔を拝見するのが5度目の方がいた。松山の桜は満開ですよと教えてくれた。
 3枚の絵を持参してくださった女性がいた。ムツさん、風花、そして我が家の弦矢と動物の絵だった。あまりの素晴らしさに、予定を変えて編集中の『ムツゴロウゆかいクラブ』の会報誌に載せる事にした。
 
 数十頭の犬たちと海までの散歩をされるツアーの皆さんと別れ、仲間のダイチャンとともに帰路についた。途中、兵庫から浜中に酪農をする為に来られた方が、牧場とともに経営をしているファームレストランに寄った。
 驚いた!!
 噂や新聞の報道では知っていたが、寄ったのは初めてだった。テーブルにマック君がのっていた。酪農の疑似体験がPCで可能だった(私のHPにはアクセスできなかった)。コーヒーの豆は毎週アメリカから送られてきていた。名前も知らない料理がいっぱいあった。地元の酪農家が作っているチーズが並んでいた。
 搾りたての牛乳が200円で飲み放題だった。
 そして、客が次々とやってきていた。

 まさにITである、そして酪農家が自信をもって自分を主張していた。嬉しくなった私は、大食漢のだいちゃん以上にアレコレとオーダーをしてしまった。ダブルのエスプレッソ、飲み放題の冷たいミルク、プチパフェ.....どれも美味しかった。女房への土産にチーズケーキも買ってしまった。家に着いてすぐに食べたところ、その味はスペシャル!!.....今まで出会った中でも最高の味だった。

 アイデアと実行力、そして着実な研究努力の積み重ね...。大切なものを思い出させてくれる出会いだった。
 今度は、女房を連れて行きたい、カレーを食べていたために、やむなく断念をしたメキシコ料理とソーセージを注文しよう。もちろん泡の出る麦茶も、飲み放題のミルクとともに頼もう、その為に運転手(女房)を連れて行く。



2002年03月23日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃


<黄砂にまみれて......短い旅850キロ>

 21日、目覚めると、女房は居間でサモエドのラーナの子犬と一緒に眠っていた。ソファに横になった女房が掛けている毛布の半分が床にずれ落ち、そこに、前夜、初めて洗われて、フカフカの白い毛玉が丸まっていた。その身体にくっつくように2匹のネコが眠っていた。
 
 私が家を出たのは6時40分だった。助手席にケージを積み、その入り口を運転席に向けてあった。車が動き出すと、しばらくの間、揺れに耐えようと4本の足を踏ん張ばり、子犬は不安そうに鼻声で啼いた。
 『だいじょうぶだよ、ほらっ、ここにいるから...』
 私は、左手の指を金網の間から入れて言った。子犬は匂いを嗅ぎ、そしてくわえた。
 10分も走ると、子犬は状況を認識できたのか、敷かれたタオルの上で丸くなり、目を閉じた。
 
 先日、釧路空港まで乗せて行った子は、10分でウンコ、そして40分で車酔いで吐き始めた。この子は女満別空港、やはり2時間のコースである、心配はあった。
 しかし、同じ兄弟でも個体差はある。まったく酔うこともなく、時々、目を開けて私の運転している姿を確認すると、また目を閉じるのだった。

 けしてスピードを上げて走ったわけではなかった。逆にカーブでは、なるべく遠心力を小さくしてあげようと、随分と穏やかに運転をした。それでも、朝の早い時間でもあり、8時25分に空港に着いてしまった。
 貨物の係員からは、9時に入れてほしいと言われていた。私は、子犬を駐車場の脇の広場に連れていき、散歩を兼ねて大小便をさせる事にした。
 外の爽やかな空気と、いつも遊んでいた雪.....子犬は尾を振り、そして私の後をどこまでもついてきた。
 『ウン、お前はいい子だ!!....』
 今まで遊んで来た我が家の周囲と同じように雪原が広がっていた。しかし、子犬はいつもの場所ではない事をしっかりと認識していた。だから、私から離れようとしないのだった。
 これだけ場所の認識ができると言う事は、いい子に違いなかった。

 小便は2回した。しかし、ウンコをする素振りはなかった。前夜から、何も口にしていない。夜中には固いカリントウのようなウンコを2回したと女房は言っていた。それなら、何とか旅の間も大丈夫だろうと、少し早いが8時50分に手続きを済ませた。
 航空会社のケージに入れられた時、初めて子犬は『キャン、キャイ〜ン』と啼き、前足で金網を繰り返し引っ掻いた。
 輸送料のおつりを受け取った私は、啼き続ける子犬を見ずに車に急いだ。ふたつのドアを抜けて出ても、子犬の声は耳に届いた。

 空は青かった、風もそれほど強くはなかった。気温は異常なほどの上昇ぶりで、すでに6℃を超えていた。伊丹の空港で、奈良の新しい飼い主さん1家に抱かれるのは17時を過ぎてだった。長い旅が穏やかなものである事を、私は祈った。

 気を引き締め、私は生まれ育った道北のマチ、名寄を目指した。翌22日、そこから30分の美深町で講演をさせて頂く事になっていた。
 いつもなら、車がすすむに連れて道路脇や畑の雪の量が増えて行くはずだった。しかし、今年は逆に少なくなっているような気がした。暖冬少雪は本当だった。私の住んでいる中標津などの道東のごく1部だけが、記録的な大雪にみまわれたようだった。

 田舎の両親は、相変わらずだった。私の好物である『オハギ』が用意されていた。けして彼岸だからと言う事ではない、5月でも、7月でも、私が着くと、テーブルにはオハギがのっていた。
 夕食は、父母、そして弟の家族と一緒に、隣町、風連のマコちゃんの店に行った。美味しい寿司をたっぷりと食べた。
 『あまり飲むんじゃないよ...』
 またいつもの母親のお話が出た、私は、しっかりとうなづきながら、ジョッキのお代わりを頼んでいた。
 酒を飲むのをやめている弟が家まで送ってくれた。強い雨がフロントガラスを叩いていた。

 22日、8時に目が覚めた。寝たのが0時だから、何と8時間も眠った事になる。この寝ダメで2ヶ月はもつ.....などと考えながら外を見て驚いた。
 すべてが茶色だった。前日、着いた時には実家の周囲は真っ白な雪に囲まれていた。そこが、まるで融雪剤を撒いたかのように茶色に変色していた。
 『トシアキ、車の窓を拭いてやるよ....』
 母が雑巾を手に外に出ようとしていた。
 車の窓、屋根、そして横腹まで、茶色の物質がたっぷりと付いていた。泥水の中を走っても、こうはならないだろう、と言う見事な出来栄だった。
 『黄砂が雨に融けて、たっぷり降ったようだ、テレビで言ってる....』
 父が出て来て説明をしてくれた。母は腰の曲がった小さな身体で、フロントガラスにこびりついた砂を取ろうとしていた。

 講演の会場に向う時に、スタンドに寄り、給油とともに洗車をした。今日は、洗車が大はやりと若いスタンドマンが笑って言った。

 美深町での講演は昨年の1月にも行っていた。その際は、主に人間に対する想いを話させて頂いた。次は、もっとも身近な生き物である犬とネコの事を、とリクエストを頂き、2度目の拙話会となった。
 内容を要約すると、犬ネコも立派な家畜です。そして、人類の素晴らしい友だちです.....である。
 話、想いを具体化するために60枚のスライドも写した。王国の楽しい連中が人気だった。

 15時15分に講演会は終った。美味しいカボチャパイをお土産に頂き、実家で荷物を積み、17時に帰路についた。前夜の雨も乾き、アスフアルトの道は砂の道になっていた、対向車がくると互いに捲き上げ、一瞬、地吹雪のようになった。

 22日、23時15分、家に着いた。ダーチャの7匹の白い子犬が、2日前よりも土の部分が広がった庭で、追いかけっこをしていた。



2002年03月20日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+6℃・最低−5℃

 雪が解け出すと、色々な物が出てくる。最も多いのは犬のウンコだ。散歩コースになっている牧草地、母屋への道の脇、ヒメリンゴの木の下、よく柴犬の3匹が消える沢の中腹.....黒い物体は太陽の熱をふくんで温度が上がり、ザラメ状になった雪を解かして、穴の中から顔をのぞかせている。
 折れた木の枝も随分と見かける。これは、いかにこの冬、強い風と湿った重い雪が多かったかの証明だ。
 千切れた軍手とバラバラになったサッカーボールも出てきた。昼の遊びの時も、マイナス15℃の夜の遊びの時にも、元気にくわえ、兄弟で引っ張りっこをしていたラーナの8匹の子犬たちの痕跡だ.....。
 
 12日から、全国に向けての旅立ちが始まり、いよいよ明日、最後の8匹目が奈良に行く。つい30分前まで、外で夜食を食べ、3週間ほど若いダーチャの7匹の子犬たちと走り回っていた。
 『さあ、これで雪遊びは終り、桜の所に行くのだから、きれいになろうね.....』
 女房は、そう言って風呂場に連れて行き、初めてのシャンプーをした。水を何度替えても、黒い汚れが流れ出てきた。ここ数日の雪解け水、泥の中でたっぷりと遊んだ証である。

 バスタオルで拭かれた後、居間で一晩を過ごす事になる。先日まで居間にいたが、その時は兄弟が一緒であり、育児箱での生活だった。
 今夜は、親も兄弟もいない、まったくのひとりでの居間である。周囲には、興味深げに集まってくる17匹のネコ、犬用のベッドで横になり、近づくと、うるさいとばかり、ウ〜〜とうなる療養中の老犬メロン......。
 これは、子犬にとって、けっこう緊張をする状況である。

 『キャン、キャン、キャ〜〜ン』
 と啼きながら、8匹め、メスのラーナっ子は、周囲を見定めている。そして、頼れる存在として、やはり女房を選び、すがりつくように、身体を登ろうとしている。
 今や『別れの儀式』『送り出しのセレモニー』と化している我が家での恒例の『ひと夜の添い寝』である。これで、頼りは人間と言う事を知るケジメとしている。

 明日は、私が空港まで車に乗せて行く。出発地は女満別空港、そこから羽田を経由して伊丹空港へのルートを取る。サモエドらしく笑顔で新しい家族の皆さんの前に顔を出してほしい。

 さて、子犬を送ったあと、私は中標津には戻らず、そのまま道北に向う。そして翌22日に講演をさせて頂く。
 従って、この日記、さらにBBS(乳父の井戸端)は23日までお休みとなってしまう。
 御了解のほど、よろしくお願いいたします。

 明日も、雪が解けるだろう。また、ラーナっ子たちが散らかしたオモチャの破片が出てくるかも知れない、しかし、もう新しい破片は我が家では作られない、それが可能なのは、白い子犬が加わった8軒の家だけである。
 



2002年03月19日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ時々曇り・最高+3℃・最低−16℃

 久しぶりに最低気温が−16℃まで下がった。しかし、犬たちの水桶の氷は薄く、長靴のかかとで蹴ると簡単に割れた。
 これが1月や2月の初めだったら、水桶全体が凍っていて、かかとの骨を傷めることもある。やはり、3月も末となると、最低気温の数字は同じでも、厳しく冷えている時間の違いが出てくる。
 1月ならば、夕方から明け方まで、とことん気温が下がっているが、今は明け方のほんの少しの時間に急激に下がり、夜明けとともに、急激に上がってくる。言ってみれば『瞬間最低気温』のようなものだから、氷が厚くなる暇がないのだ。

 さて、水桶の氷はアツクなかったが、今日の私はアツかった。昨日から、銃を抱えた人間が、牧場の道をウロウロしていたらしい。仲間が見つけて、警察に届けを出した。
 今日、お巡りさんがきて調べてくれたが、どうも、有害鳥獣駆除の名のもとに、キツネを探していたらしい。もちろん、あの風土病と宣伝されている『エキノコックス症』によるキツネ狩りである。
 これに関して書き始めると、明後日まで掛かりそうなのでやめるが、簡単に言うと、エキノコックス(寄生虫)か寄生しているキツネのウンコから卵が人間の体内に入り、主に肝臓に寄生して、時には死ぬ事もある病気、それを防ぐために、キツネを殺そうという作戦である。

 防疫に関する知識があれば、まったくもって愚かな事と判るのだが、それが北海道の指導のもとに、長く駆除作戦が続けられている。
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 考えてみて下さい、キツネは檻の中にいるわけではないのです。自由に行動する野生動物なのです。
 例えば、A地区の100匹を根絶やしにしたとする。すると、そこにはB地区、C地区であふれた若いキツネがどんどん侵入してくるのです。そして数年後、そこで生まれたキツネが元の地域に帰って行き易い状況が出来上がっているのです。
 もしA地区が汚染地帯だったとすれば、そこのキツネを殺したために、逆に汚染が広がる結果となるのです。
 ドイツなどでは、キツネを殺すのではなく、殺虫剤を混入した餌を原野に撒き、それをキツネに食べさせる事で、汚染されたキツネを数十分の一に減らしています(日本でも一部で実験が始まりました)。
 これは正しい対処法だと思います。エキノコックスの扱い易いところは、キツネからキツネ、キツネから犬、犬から犬には移らないのです(中間宿主である、ネズミや人を食べない限り罹らない)。もちろん、人から人もだいじょうぶです。
 だから、その個体の虫を薬で落とせば、それでOKなのです。

 もうひとつ、私が熱くなったのは、公道を銃を手に歩く情けない行動です。他の人や車の通る所では、必ずケースや袋に入れなければならない筈です。もちろん、公道からの発砲もいけません。
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 女房は、夕方の6時頃から、しきりと林の方を窓から見ていた。
 「おとうさん、まだ来ない......大丈夫かな〜」

 女房の気掛かりは、私の心配でもあった。
 21時48分、ダーチャの子犬7匹とラーナの子犬1匹に夜食を与え、しばらく遊んでいた時に、外で散歩をさせていたメロンが、療養している居間に入りたいと勝手口に向った。あわてて追い掛けて行った私は、出窓の前の、屋根から落ちた雪の山の陰に2匹の生き物の姿を見つけた。メロンを中にいれ、私は子犬の方に戻った、

 「お〜い、いるよ!!来ている、ルックが....撃たれていない」

 今年のパートナーは若い、そのオスギツネを従えたルックの腹は、心なしか膨らんでいるように思えた。
 



2002年03月17日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れのち曇り、また晴れ・最高+3℃・最低−8℃

 私の家から釧路空港まで120キロの距離である。名古屋への直行便にラーナの子犬を乗せるために、助手席にケージを積んで車で走った。後ろの座席の方が広いのだが、たった1匹で、それも初めての車となると、子犬は不安で一杯になり、ク〜ンと鼻声で啼いたり、ケージを前足で懸命にかいたり、車に酔うこともある。
 できれば、声を掛け、そして、掛けている人間が見える状態で2時間を過ごす事ができるように、運転席側に金網の入り口を向けてケージを置いた。
 
 車が動き始めると、すぐに鼻声が聞こえた。アイヨと声を掛け、隙間から指を入れてやる。子犬は指に鼻を寄せ、匂いを嗅ぐとおとなしくなった。
 40キロも走った所で、今度は狭いケージの中で啼きながらウロウロとし始めた。これはウンコのサインそのものだ.....どうしようか、車を止めて外に出そうか、と考えているうちに、横からプ〜ンと香しき匂いが漂ってきた。
 アリャ〜、せっかく女房が洗ってくれたのに、ウンコまみれかと様子を見ると、子犬はウンコから身体を離し、情けない顔をして私を見ていた。ライトを点けて車を路肩に寄せ、チリ紙でウンコをきれいに取った。子犬は、私の動く手に、うれしそうに絡み付いてきた。

 弟子屈を過ぎてしばらくすると、今度はゲホッ、ゲホッ、と音が聞こえた。酔ってしまったようだ。感心な事に今度も狭い場所の隅に、黄色い胃液を吐いた。昨夜から何も食べていないので、出たのはわずかな液体だけであった。
 白い毛をまとっているからサモエドはきれい好きなのではなく、ある大きさに成長すると、巣穴タイプの育児をする動物の子供は、排せつ等の場所にこだわるようになる。狭い所でもトイレ的な物を作るのである。たとえ自分のものであっても、ウンコの上で寝るのは避けるようになってくる。だから、身動きのとれぬような狭い所に長く入れておく事は、できれば防ぎたい。

 子犬の車酔いがどれほど辛いのかは判らないが、名古屋に行く子犬は、その後、じっとタオルに身を伏せ、目を閉じて辛抱をしてくれた。

 飛行機の出発1時間前に、無事に貨物のカウンターに着いた。
 
 数時間後に、女房が、子犬の新しい家族の方と電話で話をさせて頂いた。幸い、子犬の車酔いは酷くはなっていなかった。元気に遊んでいます、と聞き、私と女房は安堵の深呼吸をした。

 空港からの帰路、私は別のルートを走った。釧路の街を抜けるコースである。海に近いだけに雪も少なく、ネコヤナギの白い蕾が目立った。
 山あいの斜面には黄色い花が見えた。車を止め、この春、初めての福寿草をしばらくの間、眺めていた。子犬を乗せた飛行機が飛び立つ時間だった。
 空は青く、北の陽光も春だった。



2002年03月17日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴ときどき曇り、そして雪のち曇り・最高+8℃・最低−4℃

 犬の誕生日なんて.....と思っていた事もある。馬などと同じように家畜の年齢は数え歳で計算されていたので、正月を年齢の変化日としていた。つまり元旦に、おまけのように『おめでとう』と言って終りであり、よほど記録的な長生きでもしない限り、どうも生まれた日はピンとこなかった。
 しかし、昨年から競走馬の年齢の数え方が満年齢に変わったように、やはり生まれて1年が過ぎた事で1歳としたほうがより正確である。そうしないで数えで言うと、12月31日生まれは翌日には2歳となってしまう。人間のように長く生きる生き物なら80も81もそれほど違わないが、寿命がせつないほどに短い犬やネコでは、1回の誕生日が、人間の何倍も重い意味を持っている。しっかりと満年齢で計算をしてあげるべきだろう。

 今日は、昨年の3月17日、ネット上のライブカメラが実況する中で生まれた、サモエドのダーチャの初めての子犬の、満1歳の誕生日だった。
 8匹は、長野、東京、埼玉、仙台、北海道など、全国に旅立っている。嬉しい事に、無事に1歳を迎えました、楽しい家族ですと、各地から便りが届いた。写真や飼い主さんが描いた絵の中の子犬は、すっかり大人のサモエドになっていた。そして、視線はあくまでも穏やかで、その中にも少しいたずらっぽさが残っていた。

 辛い病気、ノイローゼ、重大な事故、性格の異常....そんな連絡は1度もなかった。もちろん、明るさゆえのイタズラは数限りなかっただろう。暑さ対策に、新しい強力なエアコンを買われた家庭もあり、家の横の小川を避暑の場所とされた家もあり、庭の池を開放された家など、それぞれのお宅で工夫をされて、ともに1年を過ごして来られた。
 
 これは、何もサモエドに限った事ではないのだが、犬は満1歳を超えて、またひとつ高所に登る。それは、人間の心のひだを理解する力が増すという事である。幼い頃は、まず楽しく相手をしてくれる大切な(時には便利な)存在であった、人間は。
 しかし、犬が大人になってくると、人間の表情、雰囲気、時には足取りにまで心を配るようになってくる。
 もちろん、犬種によってその能力の差は大きい。サモエドは、どちらかと言うと『あうんの呼吸』ができるタイプの犬である。8匹の家族の皆さんと、また新しい世界が作り上げられるだろう。
 
 2003年の3月17日、実家としては、再び皆さんからの便りを手にしたい。そこに書かれている変化を、私も女房も楽しみにしている。

 『8匹の皆、1歳の誕生日、おめでとう!!』



2002年03月16日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴のち曇り、そして雪のち晴・最高+4℃・最低−8℃

 ぐっすりと眠り、すっきりと目覚めると、しっかり熱は下がっていた。一晩の休養で済んだ体調不良.....これは風邪ではなかったのかも知れない。
 とにかく、原因が何であれ、早めに良くなるにこした事はない。

 今日もサモエドのラーナの子犬が旅立った。1匹は埼玉へ、そしてもう1匹は道内、苫小牧だった。
 新しい飼い主さんからは、空港に到着してすぐに電話が掛かってきた。2匹ともに大小便もせず、ケージの中はきれいだったという。私と女房は、まずそれにほっとする。
 子犬を旅立たせる時は、送る前の夜から絶食、そして水も与えない。道中で大量に吐いたりするのを防ぐためだ。それともうひとつ、大小便をこらえる子もいる。その負担を軽くする為にも食事は抜いている。

 子犬には必ず写真が付いていく。生まれた時からの2ヶ月と少しの成長記録だ。これは結構、喜ばれている。生まれてすぐのカットでも、うちの子はどれでしょうか、右から3番目の可愛い子ですよね!!.....などと、すぐに親ばかぶりが始まり、実家の私と女房は嬉しく、そして安心をする事になる。
 さらに、子犬が届くまでには、その犬種、その子犬に対する熱い想いと、具体を書かせて頂いた長い手紙もお渡ししている。その中身の中心は『命のあいまいさ、命のいいかげんさ』である。
 ともすれば、つい飼育書などのマニュアルに頼りがちになる事も多い。ところが、その犬がどのような所、どのような人間構成の中で飼われるかによって、極端に言えば、食べるフードの量は2倍以上の差が出てしまう。
 それを、単にマニュアルだけを参考にしていると、痩せてしまったり、逆に太り過ぎと言う事になる。食欲に大きな影響を与える、多頭数飼い、人間の数(特に子供の)、生息環境の温度、繋がれているかフリーか.....などのケース別に、フードの量を書いてある飼育書やフードの説明書を、私はかつて見た事はない。
 それができないのであれば、逆に説明は単純にすべきである。
 たった一言で構わない....

『嬉しそうに食べて、残さない量』

 この1行で十分である。さらに、人間と同じように、二日酔いなどの時には、食い物を見るのも嫌な時があります!!と追記しておこうか.....。
 そんな、テキトウさ、イイカゲンさが健康の秘訣と私は考えている。空腹に不味い物なし....これはすべての生き物にとって真実であり、美味しいと思って食べた物は十分に消化され、必要な栄養は吸収され、余計なものはウンコになって排せつされる、つまり肥満を自動的に防いでくれている、これが生き物の自然なあり方ではなかろうか。

 このところ、人間の食べ物に関して、その表示を偽る事件が続発している。確かに法律上は問題なのだろう。
 しかし、私は別の事に関して、おおいに気になっている。
 それは、テレビのインタビューなどで発言をされている方の言葉である。

 『こんなに続くと、私たちはいったい何を信じて食べ物を選べばいいのでしょう、飢え死にしなさいと言うのでしょうか!!』

 この論調である。

 私も、それほど多くの国ではないが、少しは海外にでかけている。先進国の晴れやかな所よりも、どちらかと言うと田舎、僻地が多い。そこで、現地の方と食事をする時に、生産地、正味期限などを確認して食事を作っている姿は1度も見なかった。
 肉や魚であれば、鼻を寄せて匂いを嗅ぎ、私と目が合うと、親指を立ててニコッと笑ってOKのサインを示し、ハクサイであれば、黒くなったところを千切って捨て、白い部分を料理していた。
 これが生き物ではないだろうか。どこに正味期限と生産地を確認して餌を食べている犬がいるだろうか、どこに、これは10年もの、あの最高の夏の牧草、ビンテージものだ....などとうなずいて食っている馬がいるだろうか。

 哀れ、先進国と言われる国の人間は、知識で餌を食べるようになってしまった。故に、ナポレオンの空き瓶に、別の安いブランデーを入れても、その見てくれでしか味を判断できなくなってしまった。
 私は、これを生き物としての衰退と思っている。
 人間にだって、身体に悪い物の匂いを嗅げば、ムッとする感覚があり、間違って飲み込めば、ネコや犬のように吐き出す力があった筈である。
 もう一度、生き物らしさを取り戻し、テキトウに、イイカゲンに食を考えてみると、けっこう何でも美味しく食べられるのではないだろうか。
 
 そんな事を書きながら、昨夜と気分がおお違いの私は、正味期限が4ヶ月前に切れているカマンベールを片手に泡出麦茶を飲んでいる。療養中の老犬、メロンも平気で食べているから、私の生きる力が落ちていても大丈夫だろう。



2002年03月15日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り後雪・最高+7℃・最低−2℃(10時現在も降下中)

 すみません、一応、石川家の隊長(実権はともかく....)であるウブがグレテしまいました.......

 『タイチョウフリョウ』・・・体調不良

 昨日に引き続き、大阪からの学生と半日を楽しみ、4時過ぎに見送った後、熱発と吐き気.....情けない!!
 朝の気温は七℃、それにまかせて薄着をしていたのが悪かったようです。午後からはドンドン気温が下がってきたのにやせ我慢......若い女性に囲まれ、つい調子に乗って歳を忘れていました。
 と言う事で、本日の日記はお許しを.....うん、これも日記になるのかな!!??



2002年03月14日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇りのち晴れ・最高+4℃・最低−5℃

 50人の学生(専門学校ペットビジネス科)が広場を囲んでいた。そこには高さ70センチ、天板の広さが90センチ四方の台がふたつ、広場の奥に置いてあった。
 独身寮『カラマツ荘』のメンバーが現れた。それぞれが、生き生きと飛び跳ねるように従う犬を連れていた。
 狭い台の上に、G・シェフアード、A・シェフアード、ラブラドール、ボーダーコリー、フラットコーテッド、ミックス犬の6匹が上げられ、マテッと命令を受けた。
 彼らは、目を輝かせながら、互いに身体を付けあって座った。

 広場に二人の仲間が進み出た。1匹ずつジャックラッセルテリアを連れている。2匹は細かく足踏みをしながら、視線はそれぞれの担当者に釘付けだ。

 二人は同時にフリスビーを投げた。待ってましたとばかりに2匹が追い掛ける。突風が横から吹き、プラスチックの円盤が大きく学生の列の方に流された。捕り損ねた2匹は、学生の足の間を抜けて円盤を探し出し、上手にくわえて投げてくれた仲間の所に戻り、足元にポトリと落とした。
 何度か、この2匹はチャレンジを続けた。上手に捕ると、自然に学生たちから拍手が湧いた。

 『ジャックラッセルも凄いけど、台の上で待っている子も....』

 1人の学生が隣の友だちに話すのが聞こえた。
 私は、ニコニコ顔になった。そこに目がいくようになれば、今回の研修旅行は、彼女にとって十分なものだと思った。
 ほとんどの人間は、目の前でフリスビーを楽しんでいる2匹をながめ、その活躍に拍手をし、失敗をすると、ため息をもらす。
 その瞬間、台上の6匹の犬は、フリスビーの動きを血走った目で追い、投げられる毎に座っている腰を浮かせそうになる。口は開き、荒い呼吸とともに、よだれが垂れ、顔がフリスビーの動きに合わせて振られる毎にちぎれ飛んでいる。

 でも、6匹は台から降りない。
 この6匹も、フリスビー遊びは大好きな連中である。待っている彼らの心拍は1分間に200になっている。でも、『座って待てっ』と指令を受けている、それを忘れてはいない。
 これが仕事を覚えた犬である。『しつけ』..ではない『仕事』なのである。
 やがて順番が来て、自分の名前が呼ばれる、その時には思いきりフリスビーが出来る......そう理解をしている。

 このような状況を犬に体験させる事が、実は人と犬の『絆』造りに重要だと思う。美味しい餌の入った食器でも構わない、『待てっ』と言われた時には、必ず犬の心拍が上がる事は、実験で確認済みである。表情はそれほど変わっていなくても、心は大きく動いている。
 そんな時に、犬は人間を見る事を覚えて行く、そして命令を為しえて誉められた時、犬の心は安心と充実の世界に入り、心拍は一瞬の間に落ち着きの数字に戻る。

 人間に比べて、犬の心臓は拍動の変化が速く、そして範囲が大きい。その変化の繰り返しを作り出す遊びや運動を、ともに楽しみながら与えていく事で、犬は人間にどんどん近づくのではないだろうか。仕事を与えてくれる存在として.....。

 以前、こんな事が言われた。
「盲導犬のような神経を使う仕事をしていた犬は、ストレスで寿命が短い....可哀想に....」

 とんでもない事である。誇りを持って仕事をしてきた彼らは、耳や目などが弱ってリタイアをした後も、しっかりと生きている。実際に、王国のラブの子であるレミィは、1昨年、現役を引退した後、今は家庭犬として元気にしている。確か14.5歳になるはずだ。他にも17.8歳の元盲導犬がたくさん、穏やかな老後を送っている。
 
 長くなった、結論を書こう。
 犬は、人間の為にしっかりと仕事をした子ほど、長生きをするのではないだろうか、と思うのである。仕事とは、盲導犬などになると言う事だけではない。犬の心拍数を変化させられる付合い、すべてが犬には仕事である。その時、彼らの瞳は無限の輝きを示している。

 アイスバーンが暖気で解け出し、足場の悪い広場で、ジャックラッセルたちに続いて、6匹の台上の連中が活躍をした。
 すべてが終った時、彼らの瞳は充足を示し、どこまでも穏やかだった。

 



2002年03月13日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高+6℃・最低−6℃

 懐かしい声が受話器から聞こえてきた。高校時代の友人だった。多分、5年振りになるだろう、互いに白髪が増えたと自慢(?)をしあったが、声と話し方は昔のままだった。

 「見てるよ、HP.....家族で...」

 「えっ!お恥ずかしい....感想は?」

 「天然記念物だな.....」

 「テンネンキネンブツ?何、それっ、意味は?」

 「珍しい、と言う事!!」

 友人は千葉に住み、PC関係の仕事をしている。従ってインターネットも自分の庭のように詳しかった。

 「いや。暮までのインパクも覗かせてもらっていたけれど、あれだけ善意が集まった所も珍しかった....。おたくのもそうだよ、BBSのどこを読んでも、悪意によるカキコはない、安心して他人に勧められる。今どきないよ、そんなサイトは」

 「誹謗、中傷、やっかみに嫉妬.....。これでもか〜〜と出てくる」

 商業関係のサイトは別として、私は個人のHPを、それほど多くは知らないし、覗いてもいなかった。たまたまなのかも知れないが、私がアクセスさせて頂いた所には、暖かい風がいつも吹いていた。それが普通と思っていた。
 しかし、友人が言うには、様々な妨害まがいの行為を受けて、HPを休んだり、やむなく撤退する方も多いと言う。

 「とにかく、洟垂れの頃を知っている仲間として、こんなにほっとできるHPを、お前が主宰している事が嬉しいよ、夜中の楽しみが増えた!!」

 私には、何よりの励ましだった。
 無機質なモニターの画面の向こうに、古い仲間、新しい仲間、さらに、これからの仲間が、熱い呼吸をして見守ってくれている、その事をありがたく受け止めなければならない。

 「ありがとう、自分なりに正直に、確実にやっていくよ、また感想と批評を聞かせてほしいな〜〜」

 彼が電話の向こうで、大きく頷いてくれた気がした。
 
 何故、私をところを含め、周囲のHPに悪意ある者がいないのか、その答は単純だと思う、生き物、そして命を愛した時、人は素直に、そして優しくなるのではないだろうか......。
 そんな気がしてならない。



2002年03月12日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ時々曇り・最高+5℃・最低−4℃

 東京、目黒にラーナの子が旅立った。いつものように、別れの儀式として、その子だけが洗われ(たっぷり大地と仲間を相手に遊んでいたので、白と言うよりもグレーのサモエドになっていた....)、居間で夜を過ごした。
 しばらくの間、ク〜ン、ク〜ンと鳴き、キッチン、洗面所、トイレ前、そして食堂、居間と、兄弟を捜しまわっていた。そんな子犬を17匹のネコと、静養中のメロンが目で追っていた。

 この刹那が、実はもっとも重要なのだが、残念ながらどんな本にも書いてない。
 女房が、落ち着かない子犬に声を掛けた、

 『おいで、おいで、こっちにいるよ!!』

 反応はすぐだった。立ちかけている耳を起こし、下がっていた尾を腰の上に掲げて振り、女房に駆け寄って行った。座っている女房の正面から、まるで山に登るかのように4本の足を使って必死だった。鼻先が届いた時、女房の口は子犬にペロペロ舐められていた。

 母犬、兄弟たちから離れ、自分の行動圏とは異なる所に出た時に、幼い心は頼るものを必死で探す。その時こそ、他のものを受け入れる戸口は、100パーセント開放されている。新しい飼い主家族が、す〜っと自然に子犬の心に入っていけるのだ。
 残念な事に、日本では生後1ヶ月を少し越えた程度で、母、兄弟から引き離され、狭いケージに入れられて売られるケースがまだある。ようやく、生後7週目までの取り引きを禁じようと言う諮問が出たようだが、実現には難題があるだろう。海外では、100日未満の子犬、子猫の販売をすると罰せられる所さえあると言うのに.....。

 まあ、それは次への課題として、何故、幼い個体がケージに入れられているのが問題なのか、それは『あきらめ』や『心を閉ざす事』を覚えてしまうからである。もちろん、すがる存在が近くにいない為に、自己防衛としての手段である。店の人が近づき、声を掛けても無反応な子犬、やたらとケージの中をグルグルと回る子犬.......彼らの心は無言の叫びを上げている。

 一夜の同居の後、ラーナの子犬は東京に向い、午後、新しい御家族に迎えられた。
 『水を飲み、その後、家の中を点検して回っています...ヌイグルミのようで、可愛い...』
 女房が受けた電話からは、ありがたい言葉が届けられた。
 点検、探検に動く事が出来るのは、心が健康な証明である。寂しさの中でも生き物としての、前向きな力が働いている証しである。短い時間で、生まれ育った所から終の家に.....これは子犬に負担の少ない手法である。寂しさに慣れぬ、負けぬうちに、新しい御家族の愛情を受け、それに心を向けてくれる。

 新居には14歳になるネコがいると聞いていた。それを頭の隅に置いて、この2週間、今日の子犬を決めようとしてきた。
 まだ、毛の乾かない子犬は、我が家の室内探検の後、先にネコたちが上に乗って寝ていた乾燥用のバスタオルの上に横になった。自然な動きだったので、ネコはどの子も逃げなかった。
 
 子犬がネコの耳の下をひと舐めした。ネコも子犬を舐めた。
 自信をもって、私と女房は、この子犬を空港に連れて行った。

 明日、新たに、滋賀と札幌にラーナの子が旅立つ。今夜は私が添い寝をする。



2002年03月11日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ突然に雪・最高+4℃・最低−9℃

 秋の発情期が終ると、エゾシカのメスはその年に生まれた子を連れたまま、女だけの群れを維持する。集団で厳しい冬を乗り切るのだ。ひとつの群れを形作る数は、以前は5〜20頭ぐらいのものだった。
 それが近年、集団として目にする数が、やたらと増えてきている。
 「ほらね、増えてるだろう、だから農業関係の被害が甚大になったんだ、どんどん殺さなけりゃ....」
 と言う声の力が大きくなり、いつの間にかメスジカも殺されるようになった。

 確かに、私も阿寒や磨周、知床などで、一目で100を超える数のエゾシカを見た事がある。そこだけを見れば生息数が飛躍的に増加したように思える。
 でも、ちょっと待ってほしい、次のような事を発言されているハンターもいるのである。

 「エゾシカは、それほど増えてはいないよ。1箇所にたくさんいるのは、そこが安全だからさ.....よく見ればシロウトにも判る事だよ。100頭いたって、それは、ひとつの群れじゃなくて、いくつかの群れが、鉄砲の玉の飛んでこない所に集まっただけだ.....。これは危ない事だよ、餌が足りなくなって弱ったり、餓死するやつも出てくるよ」

 30年、じっくりとハンティングをしてきた、そのおじいさんの言葉を、私は正しいと思う。2年ほど前には、野生動物の最後の拠り所である知床半島にエゾシカが集中し、先端の岬では数百頭が飢え死にをした。阿寒の道や摩周湖の展望台に続く道の脇で、車には注意を向けず、必死にササや樹皮を食べていたシカたちの身体は、冬にもかかわらず、アバラ骨が数えられた。
 
 これが、有害鳥獣として届けを出せば、狩猟期以外でも殺せるようになったエゾシカの実体である。北海道全体で突然に数が増えたわけではなく、増えたと思い込んで、殺せる場所、期間、頭数、メスも撃ってよし....と変えた事による影響だ。

 8日に来られた仲間たちの最後のグループが、今日、それぞれの生活の場に帰って行った。浜中の駅で関西、九州に向われる5人を見送り、夕方、中標津空港から羽田に向う3人とともに、風蓮湖から野付に向けて、私は車を走らせた。
 思わぬ吹雪が、これまた思わぬ速さで終り、空が青が戻った時、乗っていた仲間が叫んだ、

 「見て、エゾシカがいる!!それもいっぱい.....!!」
 
 国道のすぐ横、林に囲まれた牧草地の上に、20頭ほどのメスジカが昨年生まれの子供たちとともに、枯れた牧草を夢中になって食べていた。
 初めて野生のエゾシカ、それも群れの状態をみた仲間は、カメラのシャッターを何度も押していた。
 良く見ると、その横にも、後ろにもエゾシカは立っていた。葉を落とした樹木の小枝のかすんだ色に、エゾシカの冬毛が溶け込み、巧みな保護色の役割を果たしていた。
 
 「イチ、ニイ、サン、......」
 
 私は、口に出して頭数を数えた。ざっと見ただけで150頭は確認できた。それは1箇所にいる為に、まるで、ひとつの大きな集団のように感じる。しかし、それぞれの動きを見ていると、それは6つの群れの複合体だった。
 その位置は、道立公園に指定されている野付風連の中にあり、禁猟区の看板が立っていた。
 そこから少し内陸に入ると、この間まで、ハンターの車がどんどん入っていた可猟区域だった。
 エゾシカだって、馬と一緒にいないかぎり、けしてバカではない、撃たれる所を離れ、安全な地域を見つけると、そこに、せつなく、過剰に集中する。やがて、その利発さゆえに被害が大きいと恨まれる事になる。

 夕陽を受けてオレンジ色に光りだした国後島を眺め、海峡には流氷の姿がない、春は早いぞ、と思いながらも、私は追い詰められていくエゾシカの事が頭から離れなかった。



2002年03月10日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

(10日)晴れ後雨、時々雪後晴れ・最高+6℃・最低−3℃

 皆さんに謝らなければならない、どうしても睡魔に勝てず、昨日(9日)の日記を書く事ができなかった。BBSに状況を報告させて頂いた後、フカクにもフカク眠りこんでしまった。気がつくと朝、居間の床の上の私を布団に、4匹のネコが寝ていた。
 
 東の空はオレンジだった。今日(10日)は、井戸端(インパクでのBBS)の仲間18人と浜中の王国に行く日だった。タバコを続けて3本ふかし、牛乳を2杯.....これで目を覚まして、皆さんが宿泊している『ゆかいハウス』に向った。

 王国まで、バスで1時間半の距離である。私も乗せてもらい、華も美声もないが、現地担当者として、周辺の様子をガイドさせて頂いた。もちろん、自分で運転をしていないので、泡出麦茶で再度の目覚ましを何人かの方と一緒にしながらだった。つまみは、今回は残念ながら来られなかった、NさんやSさんが送ってくださったエビセ〇やクッキーである。

 雪は浜中に近づくにつれて少なくなっていった。気温も高めである......と言う事は、1年で、もっとも素晴らしい時期に王国に入る事になる。
 何が素晴らしいのか、それは入国の記念スタンプが無料で、さらに嫌でも自動的に貰う事ができるのである。
 案のじょう、王国の中は雪解け、シバレ落ちで泥沼状態だった。その中を、バスを見つけた犬たちが駆け寄ってきた。王国の犬たちに私は、ポケットにジャーキーを入れたオジサンと認識されている。駆け寄った勢いのままに、彼らは私に飛びついてきた。哀れ、上着は一瞬で記念の泥足スタンプだらけである。

 「おい、違うよ、ウブに付けてもしょうがないよ、ほら、皆さんに....」

 王国の犬たちは利発である。私の言葉を理解し、すぐに皆さんの身体に、正しいお迎えの印しをいっぱい着けてくれた。

 王国は西風が強かった。雲も低く、かなりの勢いで流れていた。どうも前線が通過しているような雰囲気だった。
 その寒さの中でも、皆さんは泥まみれになりながらも元気だった。午前中は、高橋氏の案内で、母屋前広場(母屋派の犬の中心地)、旧エゾシカ柵(現在は犬用隔離柵兼トレーニング場)、オス犬の柵、高橋派の犬群団、馬の広場、アザラシのカム君のプールをまわった。
 王国特製カレーでの昼食を終え、午後は40匹ほどの犬たちと海に向った。ニューファン、グレート・ピレニーズ、レオンベルガー、グレートデン、バーニーズ、セントバーナード、などの大型犬からレトリバー各種、セッター、キャトル、MIX(犬ゾリ組、他)、そしてG・シェファード、ベルジェ、コリーなどのシープドッグ、さらにチベタンスパニエルやパグなどの小型犬、柴のアラレも加わった賑やかな集団だった。
 
 参加されていた方から質問が出た。

「王国の中では、互いに吠えあい、牽制し合っている犬たちが、何故、こんなに仲良く散歩ができるのですか?皆、リードも付けずに.....」

 これに気づく人は、実はあまりいない。ただただ、集団の楽しさだけに気をとられてしまうからだ。特に、大型の玉付きのオス犬がぞろぞろと現れ、ケンカをする事もなく走り回っているのは壮観であり、不思議でもある。
 さて、私は次ぎのように応えた、

 「人間が横にいるからです。そして、普段、自分達が生活をしている所から離れた場所だからです」

 母屋派と高橋派の犬たちの間には柵はない、その時の力関係でテリトリー境界線の押し引きをして、犬が境を決めている。そのボーダー周辺ではトラブルも起き易い。しかし、犬は人間が横に来た時に、『仕事をする家畜』になる。これは、人間が群れのリーダーになる、と言う今流行の俗説の事ではない。
 これに関しては、まだ工事中の『乳父の主張』を待っていただくとして、とにかく、40匹の犬たちと人間20数人は寒い風と黒い雲のもと、王国のすぐ下に広がる大平洋を目指したのだった。

 海への坂道の上に人間が辿り着くと、先行した犬たちは、すでに海水浴を楽しんでいた。水温は4℃ぐらいだろう、その中で高橋氏がアメリカに向って投げるボールを、一斉に泳いで捕りに行っていた。私は、我が家のベルクの子である、レオンベルガーのダンの泳ぎが速くなり、しかも目標のボールのポイントを的確に判断している事に驚いた。さすがに水難救助犬に指定されている犬種である。
 もちろん、ほとんどの犬が冷たい水を楽しんでいた。老いてフリースの服を古園さんに着せてもらっているゴールデンのレイラも、昔のように波に向っていた。古園さんの制止の声は聞こえなかったようで、冷たい水で濡れた服は脱がされ、帰りの道は、自分で服をくわえて帰る事になってしまったが、レイラは仕事が与えられたという気持ちで、嬉しそうに、胸を張って進んでいた。

 元気な犬たちにあきれながらも、北の冬の海を楽しんでいた時に、とうとう黒い雲から雨が落ちてきた。横殴りの状態で、人間が音を上げてしまった。あわてて来た道を辿ると、雨はミゾレに変わり、そして王国に着く頃には雪になっていた。

 8日、全国から集まり、このオフ会はスタートをした。王国という存在から、新しい仲間の輪が広がった事が、本当に嬉しい。それまで、すれちがった事もなかった人間同士が、生き物、命、自然などを『絆』に、新しい笑顔のやりとりが出来る、それは私にとって、大いなる幸せである。

 今夜は、9人の方が、最後の夜を浜中の王国の中にある、仲間のためのクラブハウスで過ごしている。昔、ムツさんの書斎だった家であり、その後、私の1家が住んでいた。どのような夢を見られているのか、明日、御会いした時に聞いてみたい。



2002年03月09日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

(8日)快晴・最高+1℃・最低−16℃

 ほんの少しだけと、居間の床に上に転がったら、朝の犬たちの遠吠えに目が醒めた。9日も4分の1ほど過ぎていた。
 ありゃりゃ、随分と時間がたってしまった、と思いながらも昨日の事を記す事にする。

 3つの便で、元気に皆さんが中標津に着かれた。初めての方、昨年からでも5回目のKさん.....皆さん、快晴の青空のもと、笑顔で登場された。
 本格的な体験は9日に組まれている、とにかく、まずは子犬たちにでもと、我が家に来て頂いた。さんざん寒いですよと脅かしていたためか、皆さん、ふかふかの衣装である。午前中に到着した東京便の方は、気温のもっとも高い時間に我が家に着き、上着を脱いでの子犬遊びとなった。
 「これなら、厚い上着は必要なかったかな〜」
 そんな声も聞こえた。私は、ただニコニコとしていた。

 やがて、大阪方面からの便も着き、皆さんの希望で、回る寿司屋さんに行って遅い昼食、その後、根室海峡の流氷と、今、何かと話題の北方領土を見に行くグループと、我が家の犬やネコたちに、もう一度挨拶をする班に分かれた。
 「うわ〜〜寒くなってきた、何故?」
 午後3時を回り、厚い上着はいらなかった、と言っていた人物から声が出た。
 私は再びニコニコとして言った。
 「どんなに日中、気温が上がっても、やはりここは北国です、太陽が沈みかけると、どんどん、気温は下がります。較差が大きいのです、油断めされるな〜〜」

 宿泊は我が家から車で20分ほどのクラブハウスだった。自炊が原則なので、皆さんは買い出しをして向った。すでに、広い空には無数の星がきらめいていた。気温は−6℃まで下がっていた。
 女房は、皆さんで食べていただこうと朝からオデンを用意していた。仲間のツンちゃんは、得意のゴーヤチャンンプルーを家族全員で届けてくれた。
 ワインが泡の出る麦茶が開けられ、笑い声が雪に覆われた原野の洒落た家に満ちていた。

 すべての方が、友だちだった。仲間だった。数時間前に初めて顔を合わせたとは思えない雰囲気だった。これも生き物、命を
愛する人の特徴だと、私は赤い顔でカラオケのマイクを握りながら感激していた。

 さあ、今日は雪の中での、落ちても痛くない乗馬、犬ゾリ、スノーモービルで雪煙り、そして、多くの犬やネコたちとの遊びと続いていく。準備をしてこよう!!



2002年03月07日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴のち曇り・最高−3℃・最低−10℃

 太陽が顔を出す頃には、雪も風も収まり、新雪が大地のでこぼこを平にしてくれていた。
 明け方にもキツネが立ち寄ったのだろう、車庫の横にはっきりと足跡が残っていた。すぐ近くに大きなサモエドのオス、カザフがいるのにもかかわらず、6メートルの所に、小便の跡があった。犬が小屋に繋がれているか、否か、彼らはしっかりと見極めている。

 いつもと同じように、車庫のシャッターを開け、1日が始まった。ほとんど行う事に変わりがないのが生き物たちとの生活だが、今日は、ほんの少し動きが変わった。
 と言うのも、明日、20人の仲間が、全国各地からやってくるからだ。その準備に少し時間を使った。
 来られる方でもっとも南は福岡のKさん、そして四国。中国、関西に関東、さらに釧路に地元中標津と、皆さん、昨年のインターメット博覧会(インパク)の王国のサイトで、生き物好きとして交流をしてきた方たちだ。
 加えて、それぞれ個人の立場で、ムツゴロウ動物王国の仲間組織である『ムツゴロウゆかいクラブ』に入られている。
 その会員の方は、王国の中にあるクラブハウスを利用できる。今回は日時を合わせての集団見合いのようなものである。ネット上では大親友ではあるが、初めて互いの顔を見る、という方が実は多いのである。

 しかし、(これは自慢できる事かも知れないが)生き物をキーワードに絆を太くしてきた皆さんは、出会いの時にも、けして裏切られたとか、感じが異なっていたなどと、がっかりする事は、まずあり得ない。
 それは、正直にあるがままを、ネットの中でも伝えてきたからだろう。いつぞやの事件のように、メル友に会ってみたら女性じゃなくて男だった、などと言う事は絶対にないと言い切れる。

 明日は、全国からの集合日。そして9日は丸1日、中標津の牧場で乗馬や犬ゾリなどを楽しむ。そして10日は浜中の王国に寄り、元祖王国を隅々まで体験してもらう。
 何人かの方は、そこでお別れになるが、王国内のクラブハウス(ゆかいの家)を3泊目の宿として、11日の目覚ましを、中庭のオス犬たちの遠吠えにされた方もいる。

 天候の予報は、今のところ問題はない。
 冬真只中の北の大地で、私も心から仲間を歓迎し、いっしょに楽しみたい。もちろん、我が家の犬たちも尾を一心に振り、大歓迎を示すだろう。



2002年03月06日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

ひたすら雪・最高マイナス℃・最低−8℃

 予報が適中、明け方から雪になった。しかし、昼の天気予報で言っていたが、低気圧が進路を南側に変えたので、先日のような大雪にはならずに済んでいる(まだ油断はできないが....)。
 まあ、いちおう一安心と、ゆっくりと泡出麦茶を楽しんでいる。

 BBSで、ちいまきさんが『7777』だったとい書かれていた。その後、パチンコ店には行かれてないようだが、私ならきっと.....である。
 子犬たちと、夜の運動会を楽しんだ後、HPを開いてみたところ、間もなく8000が見えるアクセスカウントになっていた。4週間でこれほど多くの方に寄っていただけるとは、夢にも思わなかった。とても嬉しい気持ちとともに、あたたかい応援、そして厳しい瞳と認識し、責任の重さを感じている。
 とにかく、自分の生きざまを正直に、そして、何より私をワタシたる存在にしている、多くの生き物たちの語り部となるよう、心していく覚悟である。

 さて『7777』である。この数字は、こよなくギャンブルを愛する私のような人間には夢の数字、自分が出会う事ができたら、もう、どんなに仕事が忙しくても、何らかの賭け事のできる所に駆け付けなければならない。父も祖父も、けして賭け事はしていなかった。
 いや、そうは言えないかも知れない、特に祖父は、新妻(祖母である)と、東京から、まったく様子の知れぬ北海道に渡ったのだから、大いなるギャンブラーだったのでは....。
 それに比べると、私などは矮小なギャンブル好きに過ぎないのでは、とも思う。
 でも、好きである。
 1番は、と聞かれたら、王国の国技でもある『マージャン』である。この4人会議は、それぞれの打ち手の本質が見えてくる。普段、いかにネコをかぶっていようとも、ポン、チー、ロンとやっているうちに、化けの皮が1枚ならぬ、4枚も5枚もむけて裸になってしまう。
 さらに、マージャンはゲームとしても実に見事に完成していると思う。
 
 次に、競馬である。何もJRAだけではない。今、赤字に苦しんでいる各地の公営競馬も、北海道でだけ開催されている、大きな農耕馬が重いソリを曵く『バンエイ競馬』も大好きである。馬たちが頑張る事で、素晴らしい家畜である彼ら自身が滅びずに済んでいる。その応援をしながら賭けをするのは、実に楽しい。

 パチンコ屋さんも好きである。特に日中、多くの方と話をした時、拙い文章を書こうとしている時など、あの場所で私は孤独になる。非日常的な音の洪水が、私の心にぽっかりと真空地帯を作ってくれる。まあ弁解のようなものも含まれているが、でも実際に独りの世界に浸る事ができる。従って、私をパチンコ屋さんで見かけた人は、
「声を掛けようかと思ったけれど、あまりに恐い顔をして機械を見つめていたので止めました....」
 と言う。
 実際、私は話し掛けられるのが苦手である、ギャンブルをしている時には。
 それ以外の時は、うるさいと言われるほど、早口で、大声で、しゃべりまくるのだが......。

 王国が開国してしばらくは、花札もトランプ(特にポーカー)、チンチロリンも、毎夜のようにやっていた。もちろん国王のムツさんが音頭をとってである。泊まられたお客さんは、最初はあきれ顔で見ているが、そのうち誰よりも熱くなって、素敵な王国ライフを楽しまれていた。
 仕事は終ったのに、チンチロリンのためだけに延拍をされたお客さんを、私は3人ほど覚えている。皆さん、実に生き生きとした表情をされていた。

 賭け事......これは命の輝きの1種なのかも知れないと、私は思っている。
 田舎の父母は、今、月に2度の老人クラブでのマージャンを、こよなく愛している。それを語る時の楽しそうな顔は、息子の私以上に輝いている。



2002年03月05日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴のち曇り・最高+2℃・最低−12℃

 朝1番の仕事は、車庫のシャッターを開ける事である。40センチも引き上げると、まず、ヘアレス犬のカリンが飛び出してくる。次いでサークルの中で、
 『ぎゃん、ギャン、キャイン』
 と、2本立ちになって賑やかに泣きわめく、ラーナの8匹の子犬たちが、早く出せと尾を振っている。
 出入り口を開けて、私や女房が呼びながら居間の前の大きなサークルに誘導すると、短い足を必死に前後させて、コロコロとついてくる。

 子犬を放牧し終ると、次に、車庫の横に付設してある動物用の台所の戸を開ける。ここには、もともと車庫の部分にいたコッケイ(ニワトリとウコッケイの混血、オス)とウッコイ(純粋なウコッケイのメス)がいる。日中は適当に庭に放しているが、子犬たちに夜のスペースを取られたので、ここに置いている。
 
 今朝も、凍っている水道を解かすための熱湯を入れたヤカンを右手に、台所の戸を開けた。
 コッケイが賑やかな声を上げた。少しシャイなウッコイは、うるさいコッケイの後ろに隠れるようにして、「コッ、コッ、」と鳴いてる。

 右足を踏み入れようとして気づいた。戸の部分から10センチ中に入った床の上に、やや黄土色の丸い物が転がっていた。手に取るとまだ温もりが感じられた。

 「お〜〜〜い、産んだぞ〜〜〜!!」

 落とさぬように慎重に掲げ、私は女房に向って叫んでいた。
 ウッコイの初めての産卵だった。
 昨年の7月に、人口孵化器で2羽は孵った。以来、我が家の居間、そして車庫で仲良く一緒に生活をしてきている。どんなに大きな犬が来ても臆する事なく堂々としているために、1度も襲われた事はない.....と言うよりも、鋭い嘴で1撃をくわえるために、犬のほうが敬意を払っている。
 我が家に客が来ると、コッケイは真っ先に、鳴きながら駆け寄って、靴やズボンにアタックをするので、たいていの人が驚いた顔で、
 「あのう、今、ニワトリが襲ってきたんですが.....」
 と、信じられないと言う顔をされている。

 これは、実は普通の事である。メスの仲間が近くにいると、オスは必ず守ろうとして侵入者に向って行く。アヒルやガチョウとともに、昔から中国ではニワトリも番犬替わりに利用されてきた。

 さて、我が家の番鶏コンビの片割れ、メスのウッコイの初めての産卵である。ウコッケイの卵らしく、小さく、そして、しっかりとしていた。1ヶ月前から、さかんにコッケイが乗る訓練をしていたので、多分、有精卵だろう。
 跡継ぎを作るのは後日として、夕食の時にさっそく使わせてもらった。女房が割った中身を見せにきた。プリプリの黄身が輝いていた。
 1個では足りないので、ニワトリの卵と一緒にオムレツと化したが、何となく今日の夕食は、いつもよりも栄養がついた気がした。
 



2002年03月04日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ時々曇り・最高+1℃・最低−16℃

 浜中の王国から、中標津の牧場に転勤(王国にも、ごくまれにあるのである!!)をして12年目になる。家はムツさんの住居の近くに完成していたが、娘が当時、浜中小学校の6年生で、学期の途中での転校を嫌がり、結局、5ヶ月ほどは私が単身赴任のような形になっていた。
 まあ、単身赴任.....と書くといかにも真面目で、しっかりと仕事にいそしんでいるように聞こえるが、実際は、ムツさんの家でのマージャンが長引いた(ほとんどが、そうだった)時の仮眠の場所であったり、女房と揉めた時に、仕事を中標津に作って(写真を撮って来なけりゃ....等々)の、夫婦喧嘩防止作戦が主だった。
 
 娘が小学校の卒業までは浜中にいたいと、泣いてこだわったのには理由がある。3歳で通い始めた保育所の時から、同じ顔ぶれで成長してきた。男の子が3人、女の子は娘の他にたった1人、合計5人だった。
 これはもう、皆が兄弟である。心が通いあい、いじめなどが起きる余地はなかった。その仲間と同じ学校で卒業をする事が、娘にとって重要な事なのは、親の私や女房にも理解できた。
 この辺では、小学校の卒業式に、次の中学校の制服を着て出席をする。娘は、浜中中学校に進む、もう1人の女の子とは違う服になったが、心は12年間の仲間のままに区切りを迎えたようだった。

 そして、中標津中学校、同級生5クラスと言う、娘にとっては仰天の数になった。それでも、王国の犬やネコなどを相手に、生き物付き合いを学んでいたのだろうか、臆する事なく溶け込んでいった娘に、口ではなにも言わない、無関心を装った父親だったが、内心ではホットしていた。

 この娘には、捨て犬、捨てネコが好きという、おかしなところがあった。また不思議な事に、どこかでそれを見ていたかのように、タイミングよく娘の都合に合わせて犬、ネコが現れた。特に、ネコは我が家で収容した数だけで30匹になるだろう。大学からたまたま帰省した時に、家の前にダンボールの箱.....という説明のしようのない、運命のような出会いが3度も続けて起きたりした。
 
 メロンは、そんな風に我が家に加わった捨て犬である。仲間が発見し我が家に連絡をくれた。たまたま、その場に立ち会った娘が、あきらかに出産経験のある、少しくたびれた日本犬系のミックス捨て犬を気にいってしまった。すぐに名前を付けた、
 『メロンだからね、分かった??!!』
 こうなれば、もう置いておくしかない。隔離柵のひと部屋をたっぷりと使い、我が家のメンバーとなってしまった。
 何故、隔離柵かと言うと、成犬になっている犬を、群れが完成している中に入れると、お前は他所ものと言う事で、いじめられたり、時には殺されてしまうからである。

 そんな立場のメロンだったが、人間が付き添えば、表を歩いても、他の犬は襲ってこない。娘は、純血犬には見向きもしないくせに、せっせとメロンの散歩だけは行った。
 これが良かったのだろう、6年もすると、人間が近くにいなくても、小屋に繋いでおけば他の犬たちもメロンの存在を許すようになった。顔見知りになったのである。
 しかし、問題もあった。我が家で生まれ育った犬ではないメロンは、ネコやニワトリと仲良くする文化を持っていなかった。危うく犠牲になりそうな事件が何度か起き、娘が家を出ている事もあり、やむなく、メロンは隔離柵に戻された。

 この冬、メロンは体調を崩した。乳腺とリンパが腫れ、高熱が出た。おそらく14.5歳にはなっているだろう。なるべく暖かいところでと、女房はメロンを居間に入れた。
 ほとんど自分では動く事ができないメロンに、ちょっと抜けている我が家のネコたちが、まるで温かいユタンポが手に入った、とでも言うように寄って行った。弱っていたメロンは、唸りこそすれ、攻撃をする余力はなかった。

 今、この地域を巻き込んだ政治のニュースを盛んに流しているテレビの横で、特製のベッドの中で丸くなってメロンが寝ている。そこにアメショーのメスネコ、ワインが添い寝をしている。メロンは穏やかな顔で、それを許している。随分、進歩をしたものだ。
 
 明日、症状が落ち着いたメロンは手術を受ける。せっかくネコと同居をできるようになったのだから、元気に戻ってこい!!
 私は、そう願っている。



2002年03月03日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り時々晴れ・最高−2℃・最低−12℃

 中標津から車で1時間、60キロ離れた浜中の動物王国(元祖ムツゴロウ動物王国)に行って来た。4月発行の小冊子『LOOP115号』の表紙の撮影のためだった。着くまでは、どのように撮影をしようかと考えていた。しかし、実際に王国の中に立つと、やはり数々の出来事が繰り返されてきた母屋の前、雨風にさらされて色も変わっている犬小屋の周辺が、編集長を名乗る私の心を捕まえてしまう。
 
 開国の頃は、秋田犬のグルやケン、そしてムクに三悪(ノラ、カール、ミミシロ)、大三元(ハク、ハツ、チュン)などが昼寝を楽しみ、私たちに尾を振っていた。
 それから30年、いったい何匹の犬がこの広場でアクビをしてきたのだろうか......子犬までを入れると、おそらく1000を超えるだろう。
 思い出が詰まり、そして今も犬群団の中心地である場所に、現在の浜中王国のメンバーが揃って写真を撮った。
 雪の量は、私のいる中標津の10分の1である。でも、今日は北からの風が強く、人間も犬たちも寒そうな絵になったかも知れない。明日、現像に出す。都会なら2時間でリバーサルフイルムも上がってくるが、ここでは4日は掛かる。うまく撮れているか気を揉む時間もそれだけ長い、僻地のカメラマンは胃かいようが多いかも知れない。

 思ったよりも早く撮影が終ったので、帰路は寄り道をした。私の大好きな風蓮湖を回ってきた。湖面は凍結しており、それを取り巻く林には数羽のオジロワシとオオワシの姿があった。オジロが空を飛んでいる姿もあった。強い風にも関わらず、大きな円を描くようにゆったりと舞っていた。風をはらんだ大きな羽は、いちどもはばたく事なく、グライダーの翼のように鋭く広げられていた。
 
 道を変え、ワカサギやチカを釣っている人の多い湖のポイントにも寄ってみた。
 帰ろうとしていたオジサンに聞いたところ、

『今日はだめだ〜〜、寒いベさ、こったら風じゃ、テントもぶっ飛ぶ、家さ帰って焼酎、焼酎!!』

 だめ、と言っていたオジサンのバケツには、およそ100匹のワカサギが入っていた。2日前には山盛りに釣れたとの事だった。
 この所の暖気で、氷の上に水が上がったところもあり、もう氷穴釣りはシーズンも終りに近づいていた。

 湖から離れ、内陸に道を取ると、フロントガラスの向こうを4羽のハクチョウが飛んで行った。方向は尾岱沼の方だった。いよいよ北に帰るための集結が始まっているのだろう。渡りの鳥たちの時計は、大地の細かな足踏みなどには、ほとんど影響をされない。昔からの暦をしっかりと守っている。

 我が家に戻ると、車のドアを閉める音に驚き、ニワトリ小屋の中から20羽ほどのスズメが逃げて行った。真冬にはほとんど姿を見せなかった連中である。ここにも春の兆しがあった。
 スズメたちが避難のために止まったハルニレの木に向って、小鳥捕りの名人であるキジトラネコのアブラが、雪の上をゆっくり近づいていった。時々、長い尾の先が細かく震えていた。
 



2002年03月02日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り時々雪後晴れ・最高+0℃・最低−9℃

 久しぶりの寒気と北風に、人間が寒いので、いつもより30分早くラーナの子犬たちに夜食をあげた。車庫に設置したサークルの中で平らげ、いつもなら外の雪の上で2時間近く遊び回るのだが、今日は、そうそうに車庫に戻り、風の当たらぬ所で取っ組あいをし始めた。子犬ながら温度を気にしている事に感心をした。
 
 と言う事で、今夜は早仕舞いである。さすがに泡の出る麦茶と言う気分にはなれず、熱いミルクティーを手にPCに向っている。

 さて、昨日の日記に書いたウンコ話が好評だった(?)。皆さん、シモの話は結構、好みのようである。それはそうだ、『食べる事が生きる事』と私は思っている。食べたら出さなければならない.....つまりデモノも重要な案件と言う事になる。
 ついでだから、もうひとつ、長い間、思い続けてきた事を書いてしまおう。
 それは、
 『踏ん切り』
 と言う言葉に関してである。
 私は、どうしても、この言葉は『糞切り』が語源に思えてならない。辞書には上品に『踏み切り』が変化した...などと書いてあるが、潔さ、すっきり感から言えば、やはり『糞切り』がぴったりとくる。犬も私も、スパッといった時の爽快感は何ものにも替えがたい!!
 
 そして、今夜は、もうひとつのシモのお話、ウンコの次はオシッコの出番である。
 長い間、オスの成犬は、私の地球を相手にした立ち小便のパートナーになっている。いちおう気を使って、庭の真ん中ではせずに、林の縁などでジッパーを下ろすのだが、その姿を目ざとく見つけたマロやカザフ、バルト、そしてタドンやシバレは、必ず私の放水現場にやってきて、一瞬、臭いを嗅いだ後、すぐ横で片足を上げて男の儀式に参加をする。
 
 子犬のトイレのしつけの良い方法は.....と聞かれる事がよくある。特に、室内で飼うケースが多くなってから増えた質問だ。
 私の答は簡単だ、
 『小便が小便を、ウンコがウンコを招きます』
 それだけである。
 つまり、小便の匂いを嗅ぐと、小便を催すのである。ウンコも同様である。だから、トイレと決めた所は、子犬がしっかりと認識するまで、きれいに掃除をしてはならない、消臭剤をまき散らすなど、もってのほかである。
 「せめて、1回分ぐらいは、そのままにしておいて下さい、」とアドバイスをすると、あら不思議、子犬はそこをトイレとして記憶に焼き付け、床の匂いを嗅ぎ、くるくると回り始めた時に連れていくと、すぐにデモノを出し、そのうち自ら足を運ぶようになる。

 今日、この臭いに対する反応を、生後2ヵ月になろうとしているラーナの子犬たちで確かめてみた。使ったのは私の小便である。
 まず、新雪が降って白く美しく化粧をした庭の広場で、私は溜めていたものを爽快に出し始めた。同時に、あちらこちらで遊んでいる8匹に声を掛けた。
 『おいで、おいで、こっちだよ!!おいで』
 ここ数日で、この呼び声は効果100パーセントになっている、今日も、一斉に駆け寄ってきた。しかし、これはオシッコの臭いの実験である、ジャーキーはあげない。
 すると、何匹かが私の放水に気づいた。新雪の上の黄色いシミの臭いを嗅ぎ、そして、漏らしたのである。
 結果は8匹中、4匹だった。それまで、呼んでジャーキーを与えたり、サークルに入れるために捕まえていた時には、小便をする子はいなかった。私のソレが子犬たちに放尿を促した事は間違いない。
 
 現在は、昔ながらのボットントイレ(溜め込み式便所)では恐くて用を足せない子供がいると言う。しかし、ボットンが主流だった頃は便秘が少なかったらしい。すぐに水で流して証拠を消し去っている水洗トイレとは異なり、かぐわしき香りが常に漂っていたボットンでは、その臭いこそが便意を促す妙薬だったのかも知れない。



2002年03月01日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+6℃・最低−5℃

 厚さ70cmの雪が覆っている牧草地が、今の石川家犬群団の散歩コースである。先日の大雪の直後に、女房と二人でカンジキを履き、1周500mほどのオーバルコースを作ってある、そうでもしないと、長靴でもズブズブと抜かり(方言?)、歩くと言うよりも這って進む事になる。これも楽しいのだが、不平を言いながら困難に立ち向かうオジサン、オバサンの姿は、元気な犬たちから見ると、
 『ありゃ、大丈夫かな?何かあったのかな?』
 と思えるようで、ほとんど全ての連中が、心配そうに、もしくは確認のために難儀をしている私たちに寄って来て、雪上すれすれで埋まった長靴と闘っている必死な顔をベロベロと舐める。
 ああ、心配をしてくれている.....と感じ、嬉しい事なのだが、マイナスの気温に北風が加わっていると、舐められた部分が凍傷になる事もあるし、時には、隣の馬の放牧地で掘り出した冷凍馬糞の匂いがプンプンの、せつないベロベロだったりもする。

 そんな事で、犬たちはリードから放されて自由だが、付き添いの人間用としてコースが作られている。もちろん犬も何頭かは利用をしている。フレンチブルのタドン、ヘアレスのカリンは雪が深い所が苦手なので、コースを進む。毛はしっかりしていても、少し歳をとったサモエドのマロもコース派だ。老犬が水たまりを避けるように、歩き易いルートを選んでいる。

 さて、散歩エリアの説明はこれぐらいにして、この2週間、データを取っていたアル事に関して、今日、私は結論を出した。
 研究対象となったのは、散歩中にお出しになった犬たちのウンコである。
 これを読まれている皆さんは、犬との散歩の時には必ず袋を持参し、温かいカリントウを持ち帰っていると思う。私は、いつも手ぶらで牧草地に行っている。犬たちのウンコも畑の肥料になるから、あえて拾いはしない。
 不思議なもので、牛が放牧をされ、ウンコをしたとする。その周りの草は、色も濃く、背丈も伸びる。だが、牛はその草をまず口にしない。
 馬もそうである、同種の連中がしたウンコを肥やしとした草は食べない(発酵させれば別である、いわゆるたい肥である)。
 だから、放牧地は必ず草がまだら模様になっていく。よく伸びているのに何故食べないのだろうと調べると、そこにはウンコの痕跡がある。
 この現象は、あくまで同じ種類の生き物の間の現象である。牛の放牧地に、馬を入れると、けっこう牛の糞で育った草を食べるし、逆も真である。

 と言う理由で、私は牧草地の犬のウンコをそのままにしている。もちろん、冬もである。雪が解ければ土に同化するのだから。
 それを長く続けてきて、ようやく今年になって気づいた事がある。正直に書くと、私ではなく女房が教えてくれたのだが。

 『ねえ、おとうさん、ダーチャのウンコだけ、カラスが食べている。毎朝、必ず......』

 散歩のコースの周辺には、朝夕1回ずつとしても、雪が覆わないかぎり、毎日20個以上のウンコが増えていく計算になる。その無数のウンコの中から、我が家の庭先に巣を作る2羽のハシブトカラスは、確かにダーチャの直径5cm、長さ30cmの偉大なウンコだけを食べていた。

 『本当だ、ダーチャのだけだ。でも、何が違うのだろう、他の犬のとは....』

 私は、カラスの食べ方を観察した。
 まず、嘴で塊をほぐし、その中から選んで何かをついばんでいた。そのうち、脚も使ってウンコをばらばら散らかし、丹念に探っていた。彼らが馬糞を食べる時のやり方そのものである。
 私もカラスになってみた。木の枝でほぐしながら、大きく口を開けて呼吸をした。
 ダーチャのウンコだけでは判らない、ちょうど隣にあったラーナのウンコも並べて比較をしてみた。
 結論はすぐに出た。
 ラーナのウンコはなめらかであり、直径1cm以上の物は見つからなかった。比べてダーチャの物は、未消化のジャーキー、砂と言うよりも小石、そして軍手の切れ端、実にバラエテイーに富んだ内容だった。

 『こいつは効率が悪いんだ、栄養吸収の.....だから、他の犬よりも餌の量を要求するんだ!!』

 ダーチャの食欲はラーナたちの1.5倍はある。体重比で与えるとすぐに体重が落ちて来る。いつの間にか、ダーチャは量の多い餌が当たり前になっていた。

 『優しいダーチャは、カラスの事まで考えていたんだ、今の時期、カラスには貴重な資源だ!!』

 それはともかく、もうひとつの発見もあった。
 この3日ほど、ダーチャは、ほとんど下痢に近いウンコになっていた。これは育てている子犬が離乳食を良く食べ、なおかつ母乳も飲んでい時に起き易い現象だ。
 柔らかいから回数も多い、太いカリントウの時には多くても1日3回程度だったのが、昨日は6回もベチャ〜としていた。
 それを、カラスは食べないのである。やはり、体調のおかしい時のウンコはカラスですら見放すのかと感心した。
 ことダーチャに関して言えば、「カラスまたぎ」のウンコになった時は、どこかに変調をきたしていると考えて良さそうだ。
 そんな確認を頭の中にメモった今日の夕方、3日ぶりにカラスがダーチャのウンコにを目掛けて飛んできた。
 長くなってしまった、ウンコの話は、ウン、コれぐらいにしておこう。失礼しました。