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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2002年04月30日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

 曇りのち雨・最高15℃・最低7℃

 数年前に修学旅行の生徒を引率をしてきた先生が、私の犬の発情の話の後、頷きながら教えてくれた。
 
 『実はうちの高校でもそうなんです。特に寮の子たちが.....』
 『どうも教室が落ちつかない、欠席、早退、そして保健室に行く子が多い.....そんな時期が必ず一月の中で何日か続くのです』
 『保健の先生が気づきました。生徒たちの生理日が、わりと固まっている事に、それがピッタリと合うのです、落ちつきのない時期と....。犬でもそうなんですね!!』

 その先生の学校は女子高だった。礼儀作法に関しては厳しいという伝統校である。職員会議で保健の先生の観察意見を採用し、以後は中間、期末のテスト日程を、生徒たちの生理が集中する時期を外していると言っていた。なんと心遣いのある学校だろうと、私は感心した。

 さて、犬である。
 今日から、我が家の犬たちの散歩スケジュールは非常時体制に入った。何が非常時なのか.....そう、メス犬たちのほとんど(ダーチャ以外のすべて...8匹)に発情がきてしまったのである。
 始まりは2週間前の柴犬のシグレだった。そして、ミゾレ、ラーナ、ベコ、ベルク、タブ、カリン、アラルと出血が始まり、オス犬7匹に強い影響が出始めた.....いや6匹である、食欲が失せ、クサリから放されると、すぐにメス犬たちの小便の跡を嗅ぎに行っているのは。
 2週間前にタマタマを失ったカボスは、まったく関心を示さず、他のオス犬とは異なり、メスの小屋には行かず、オス犬の繋がれていた小屋の周りに行き、たっぷりと残っている餌を、次から次へと平らげて、ひとりで食い過ぎによる下痢をしている。
 まあ、カボスはまだ精神的に子供である、その時期に去勢をしたのは正解だったろう。

 このような状況の時、私と女房は、両手にリードを持ち、オス犬たちがクサリをち切らんばかりに叫んでいる中を、先ずメス犬たちの散歩をする。発情が来ると、とにかくよく小便をする。この匂いでオスを誘き寄せる作戦だから、小便も立派な武器だ。
 
 2人で2度ずつの散歩を終え、メス犬たちを隔離柵に入れると、今度はオスたちを放す。彼らは、最初にメス犬がいた小屋に向う。その周辺の匂いを嗅ぎ、最後に小屋に自分の小便を掛け、今度は、メス犬が散歩をしたコースを辿って行く。その道の途中に残っているメスたちの小便の跡で立ち止まり、匂いを嗅ぎ、そしてまた小便を上塗りする。
 今日のカザフの小便の回数は30分で、なんと32回である。最後はタラタラタラと3滴ほどになっていたが、それでも片足を上げ、儀式は行わなければならない。

 オス犬たちは、最後に金網越しではあるが、隔離柵のメス犬たちに会いに行く。メス犬も金網に寄って行く、互いに匂いを嗅ぎあい、そしてオスは金網に向って、また小便である。それを身体に浴びるメスもいるが、逃げずにヒーヒーと切な気に啼いている。

 生き物が自分の種を守ると言う事.......。
 そこには全身の力、そして魂の力を感じてしまう。犬たちは餌も、人間も視野から外し、ひたすら相手を求めて行く....。
 大声を出し、リードで綱引きをしながら、私こそが犬たちの最大の天敵.....などと思ったりもする石川家非常(非情?)の時である。



2002年04月29日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高17℃・最低−1℃

 新馬の調教に付合った。西條氏とツンちゃんを中心に、5頭6人での乗馬だった。すべてが新馬ではない、昨年、乗馬デビューをしたが、馬らしく臆病さが出てしまい、突然にぶっ飛んだ馬の再調教も1頭、含まれている。
 馬のあたっていない私が、よだれでも流し、羨ましそうに見ていたのだろう、気づいたツンちゃんが、
 『イシカワさん、乗ってくれる....この子、サスケ!!』
 と声を掛けてくれた。私の顔がゆるんだ!!
 『この子はえ〜っと....』
 サスケの歴史を思い出そうとしていた私に、ツンちゃんが笑いながら言った、
 『あれですよ、去年、乗馬教室でぶっ飛んだ奴、サスケですよ!!』
 
 思い出した.....そうそう、何かに驚き、全力で駆け出した馬だった。もちろんんん乗っていた人間は見事に落ちた。
 その後、ツンちゃんが再調教に入ったが、怯えがひどく、安心のできない馬だった。
 このような時は、しばらく間を空け、心の繋がり、心の馴致をするのも有効である。サスケは6ヶ月、乗られる事はなかった。

 そして、この春。心が、眼差しが優しくなったところで、再び乗ってのトレーニングが始まった。
 脚は(カカトで合図をする事)は敏感過ぎるほどの反応だった。そこで私は、声だけで指令を出す事にした。前を進むカオリちゃんの乗った新馬を目標に、舌で『チェッ、チェッ!!』と馬を励ます『舌鼓(ゼッコ)』を使った。
 テンポが乱れそうになる前に、その感触を察知すると、すぐに音を聞かせる。サスケの耳は緊張とともに私に向けられる。
 同じ事を3度もすると、サスケは完全に理解し、素早く反応をしてくれた。次は、乗っている私に『やめてもいい?止まってもいい?草が食べたい?前の馬、休んだよ、僕もいい?』と、しつこく聞いてくるサスケの心を読み取り、その返事を送る事だった。
 『ハイッ!!まだまだ!!よ〜し!!何を言ってる!!』
 私の答をサスケはかなり正確に認識してくれた。もちろん、日本語を理解しているとは思わない、馬が判断するのは人間の声の調子である。
 だから、かつてシルクロードに行った時に、すべて日本と同じ言葉で乗っても、キルギスの馬もタシケントの馬も素直に従ってくれた。
 
 最後に、サスケに乗ったまま、馬場から川を渡り馬小屋まで帰った。この短い道中で、馬場では見せなかったサスケの本質が
わかった。
 柳の枝のかすかな揺れ。橋のコンクリートの響く音、前の馬が蹴った小石の飛ぶ音.....そのたびに耳が細かく動き、皮膚に緊張が走った。
 『こいつは、競馬出ると、いい走りをするね....』
 『うん、俺もそう思う、マンデーの弟だし、性格もね...』
 あのピリピリとした感触は、整備された競馬場向きかも知れない。でも、ドサンコには競馬の仕事は年に2回のお祭り程度にしか回ってこない。
 のんびりと原野を、森を、そして雪の中を楽しむ、そんな乗用馬にすべく、しばらくは調教が続いていく。



2002年04月28日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高17℃・最低1℃

 60キロ離れた浜中町の『元祖ムツゴロウ動物王国』で、可愛いチベタンスパニエルの子犬たちの写真を撮り、傾き始めた太陽を左前方に見ながら家に戻ると、腰のポケットからオッヘンバックの『天国と地獄』が聞こえてきた。万が一、電源を消し忘れていても笑ってもらえる、私の着メロである。

 犬たちの、『早く飯をくれ〜〜』光線を浴びながら西日の眩しい庭で通話のボタンを押すと、昨日の少年の声が雑音の中に聞こ
えてきた。
 『石川さん、今日、犬を見て来ました......早起きをして公園で...』
 『いっぱいいました、知らなかった、あんなに集まっているって...』
 『そん中で、僕に寄って来るのがいたんですよ〜。あいつと同じゴールデンの大きな子が.....』

 少年は、1匹のゴールデンのオス犬について、嬉しそうに話をしてくれた。あいづちを打つ私も笑顔になる内容だった。
 彼は、5ヶ月前に、大好きだった自分のゴールデンを失っていた。11歳、病気でのあっけない死だったと昨日の電話で言っていた。
 その事件が起きる前から、進路に関して親と衝突をしていた。自営の仕事をしている親は、彼が跡を継ぐのを当然と考え、幼稚園に入る頃から、すべてその方向で準備をしてきた。
 しかし、彼には思うところがあった.....その衝突、そして犬の死....さらに悪い事に、親は犬の死を、受験勉強のさまたげが減ったと言ってしまった。
 『それで怒らないのなら、君は若者ではないよ.....』
 私は昨日、そう彼に告げた。

 どこで調べたのかは聞かなかったが、初めて私に掛けて来た昨日の電話での彼の声は、低く、こもってはいたものの、明らかにエネルギーも感じられた。話す内容は、自分が生きる事を否定していたが、それは、次への飛躍につながる可能性を含んでいるように思えた。
 私は、自分のささやかな経験を話し、一緒に彼の親をば倒し、その上で、親の心(親としての私の....)を、親のせつない思いを、犬やキツネや馬の行動も借りて説明した。

 『だから、もう1日、ぐっすりと寝て、朝、鏡の中の自分でもいい、公園に行って、そこで出会った犬でもいい、お早うと声を出してごらん.....きっと何かが変わるよ....』

 やってみます.....とは、昨日は言わなかった。しかし、また話を聞かせて下さい....そう言って電話を切ってくれた。

 そして、今日である。
 彼は、6時に起き、自転車で公園に行ったらしい。そこで10匹以上の散歩の犬に会い、最初は声が出なかったものの、4匹目の犬とともにやって来たオバサンに『おはよう』と言われ、それについ返事をした事により、度胸が出たと言う。
 『その後、不思議なんですよ〜、犬がシッポを振って寄って来るんですよ、びっくりした〜!!』
 『そうだろ〜、犬はね優しい人を見抜く能力があるからね、君も認められたんだよ、これは演技してできる事じゃないよ、本当の姿を犬は見抜くからね...』

 その後も、いくつかの話をした。しかし、私は「昨日の今日」の彼からの電話が嬉しくて、ただあいづちを打っていた気がする。

 『石川さん、日記にオレの事、書いたでしょう、コノウッて夕べは思ったけど、今日、犬と会って、何となく分かったみたい...いいよ、今日のオレの事も書いても....、同じような馬鹿な事で考え込んでるやつがいるかも....そいつに読んでもらいたしし.....』

 今、私は彼の言葉に甘え、こうして書いている。多分、彼はこれも読むだろう。だから私も姿を知らぬ君を適当に頭に浮かべて書かせて頂く。君が最後に言った、
 『よ〜し。オレ、絶対、犬を飼ってやる、駄目って言われたら、ひとりで飼えるように頑張ってやる....』
 これは、最高の言葉である。またひとり、骨のあるやつに出会った、そんな気がしている。
 北の地からエールを送るぞ〜『ガンバ!!』.....名無しの君へ!!
 



2002年04月27日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高16℃・最低0℃

 緊急連絡!!私と同じ世代(1950年生まれだから、今、35歳かな.......??!!)は、NHK、BS2を視て欲しい。懐かしいメロディが流れている。何でも『永遠のフォーク名曲集』というタイトルのようだ。
 歌っている歌手の姿には歴史が感じられるが、目を閉じると、歌は変わらず、当時の自分の姿、想いが蘇ってくる。
 北海道の田舎町から上京し、新宿の土曜を心待ちにした69年。悲しい出来事が重なった72年......そのわずか4年の出来事が、頭にこびり付いている曲とともに浮かんでくる。

 誰にでも、思い出はある。
 それがいつフラッシュバックしてくるのか.....これは計算はできない。しかし、犬やネコ、そしてキツネなどを見ていると、危険、恐怖こそが引き金になっていると感じる。
 かなり前に、これもやはりNHKも番組だったが、胃の全摘手術をされた方が、術後の栄養点滴のミス(ビタミンの不足)で、新しい記憶を得る事ができない、という辛い特集があった。
 その方は、かなり時間が経った後、ある新しい体験を記憶する事ができるようになった。
 それは、やはりある種の『恐怖』『心配』に基ずくものだった。つまり、自分の子供たちと一緒に行動をしていて、『あっ、危ない!!』......この気持ちを、体験を、記憶として残す事ができたのである。
 その場面を見ていて、
 『ああ〜生き物って凄いな〜、命を永らえ、自分の種(家族)を守る為に、無意識の意識が働いているんだな〜〜』
 まぶたを熱くしながら、私はそう思った。

 またまた音楽の話になるが、これもまた強烈な記憶を植え付ける、人間にとって非常に恵まれた事象だと思う。さらに音楽の凄いところは、時代と、思いと、その時の自分の姿を密かに定着してしまう事だろう。
 自ら命を断った仲間の葬儀に向う、青森からの連絡船の中で流れていた『若者たち』は、今も私に童顔の彼の笑顔を浮かび上がらせる。
 今夜も、すっかりオジサンになったブロードサイドフォアーの声を聞きながら、アホンダレのあいつを思い出してしまった。
 命は、生きてなんぼの物である、老いた犬だって、大ケガをしてやってきたキツネだって、片足を失ったエゾシカだって、懸命に前を向き、困難を越えようとしている。
 
 今日、電話をくれた『名前なし君』、もう一日、独り言でも構わないから、『おはよう!!』と大声で言ってみようよ、きっと何かが起き、何かが変わるよ!!
 そう、そう、小さな事でもいい、変化があったら、また声を聞かせてね、待ってるよ、その時にサモエドダーチャの『ぐわっ、グワッ!!ギャンギャン!!』を電話に入れるからね、これも、何だか音楽のように聞こえるよ、約束だ!!
 
 



2002年04月26日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れのち曇り・最高15℃・最低−1℃

 朝の水おけ、再び氷が張っていた。まだ冬を引きずっているのだろうか。その後は、気温が上がり15℃に達してくれた。上着なしで犬たちと遊ぶ事ができた。

 さて、BBSで、大人気なく怒りの文章を書いてしまった。
 ここで、詳しく説明を書かなければならない。
 本当は『乳父の主張』のコーナーで、とっくに記述していなければならない事なのだが、悩みばかりが先行し、まだ手がついていない。そこで述べようとしている事と重なるが、少し書かせて頂こう。

 何よりも、私たちが何故に犬を飼うか.......と言う事である。
 『私の都合のいい時にだけ私の方をみてくれて、忙しい時には何も構ってあげなくても、おとなしくて、吠えなくて、咬まなくて、下痢も、お漏らしもしなくて、それでいて可愛い....』
 こう考えて子犬を手に入れる方はまずいないだろう。もし、いたとしたら、それは呼吸をする犬ではなく、某メーカーの優れたロボット犬を買う(絶対に飼うではない!!)べきだろう。

 命を仲間にする事、特にペットは面倒と厄介を楽しむ事である。それが犬であれば、『犬って何だろう?どんな生き物だろう?』.....ここから発展した理解が生活の基本になる。
 この根本の部分で、無念な事に、温かい血が流れている連中に、冷たいオイルが動きを作っているロボット犬並みの事(プログラムされた反応)を求める専門家がいる。非常に残念である。

 例えば、飼い主の外出と犬の反応である。
 私が、珍しく短い革靴と背広で玄関から出ると、犬はどのような反応をするのか.......。そう、毎日の経験から御存知の方も多いと思う。
 チラッと出立ちを見て、『ああ、会社だ、仕事なんだ.....』と、軽く尾は振るけれども、心拍も上げず、静かに見送るのである。
 ところが、翌日、同じ時間にGパンに汚れた上着で玄関から出たとする、その瞬間である、ワンワン、キャンキャン....全ての犬が立ち上がり、吠え、クサリを引きちぎらんばかりに大騒ぎである。友人のところのシーズーは、下駄箱からスニーカーを出しただけで、普段は降りない玄関にジャンプをしている。意地悪な友人は、背広でスニーカーを出した......犬は、しばらく友人と靴を見比べたという。

 出かける数十分前からケージに閉じ込め、『行ってきま〜す、』も言わずに無視して......という手法は、犬の心を軽んじ、あの利発な犬という生き物を理解していない事である。
 もちろん、絶対にいけない、と言う事ではない、リハビリの道具として、時にはベッドとしてケージはおおいに役にたつ。
 しかし、犬は(ほとんど全ての....)、自分がともに行く事ができるのか、それとも留守番なのかを、状況を見ながら、考えながら理解し、それにそった行動をとれる生き物である。飼い主は、それを達成すべく、犬との面倒に付合うのが仕事であり、楽しみではないだろうか.....。
 帰宅した時も、そうである、何故『あ〜疲れた〜、今日ね嫌なクレーマーさんがいてね〜』と、尾を一心に振る愛犬に語りかけていけないのだろうか!!??
 これは、まるで帰宅しても口もきかず、2階の自室に駆け上がる親不孝の高校生になれと言う事である。どんな命であろうと、その交流の基本は『挨拶』ではないだろうか!!

 私たちが犬と付合うのは、犬の心を殺す事ではない、どんなに脚側歩行(リードを引っ張らず、わき見もせず、飼い主の足の横について進む事)が完璧でも、犬の瞳が絶えずオドオドと人間を見ていたら、これはクソッだと私は思う。その時、犬の心拍は160を超えている。けして平穏な心の状態ではない。叱られるのが恐くて従っている事が多い。
 犬は『強制』から『考えた上での自発』に進化できる生き物である。
 
 室内で犬を飼うと、ある研究では人間の言葉『200語』を覚えるという。さらに複合語もゴリラ以上に分かってくれると言う学者もいる。
 私も、そう思う。
 捨て犬出身で、10年間外の隔離柵で暮らして来た老犬メロンを、この冬から我が家の居間に入れている。もう3ヶ月ほどだろうか。
 これが、30の言葉を理解したのである。さらに、自分がオシッコの時、ウンコの時、そして背中がかゆい時、寒い時、水が欲しい時.......見事に、私や女房が判るシグナルを出している。それは大嫌いだったネコに対しても、『ウルサイ』『いいよ、今日は一緒に寝よう』『あっちへ行け』と声と態度で示している。

 ああ、犬を擬人化してみたり、逆にロボット以下と扱う風潮はいつから増したのであろうか....。特に専門家の方たちである。
 例えば、日本犬が、ある2〜3人以外の方を咬んだとする。これは拍手を与えこそすれ、けして『噛み犬』のレッテルを貼ってはいけないケースである。ところが、この質問をある犬のプロと言われる方々にしたところ、ほとんどの返事は『ああ、咬癖犬ね....』だった。
 近寄った、というよりも、自分から走って行って、すべての人を咬むのなら、これは立派な『咬癖犬』である。王国でも何度か収容した事があるし、私も、足と手に記念の印を持っている。
 でも、咬む事に選択が入っているのなら、それは全く異なる事になる。10000人を咬んだ犬でも、1人、咬まない相手がいるのなら、それはクレージーな犬ではないのである、必ず犬といおう家畜としての別の理由が存在している。そこに目を配らないと不幸な犬はけして少なくならないのでは......。

 このような事を書いていると、身体の奥からムラムラと沸き立つものがある事に気づく......。もっと、もっと、犬たちと親友になり、彼らを知り、そして代弁ができたらと......。
 その為には、絶えず『何故?』を持ち、そして科学を利用し、さらにたっぷり遊んで、その中で答を求めて行きたい.......。

 一度に、書いた文章を広げて読み返す事が出来ない為に、文節がおかしい所、意味不明があるでしょう、後日、必ず『乳父の主張』のほうで、あらためて書かせて頂きます。
 おつき合い、ありがとうございます!

 



2002年04月25日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

 雨のち曇り、時々晴れ・最高12℃・最低6℃

 最近になって気づいたのだが、犬たちと散歩をしている時に、必ず口笛か鼻歌が出ている。周囲に人影もなく、どんなに音が外れようと笑われる心配もない、犬たちが嬉しそうに走り、匂いを嗅ぎ、ウンコをし、そして仲間同士でからみ合って遊んでいるのを見ている事は、私にとって最もリラックスをしている時なんだろう。その証拠に、女房と一緒に散歩に行くと、けして鼻歌は出ない。
 曲の傾向もある。今日のように雨、そして風、寒気などと、あまり天候の条件が好ましくない時は、何故か行進曲的なメロディが多い。特に最近は、どなたかのHPを訪ねた時に流れていたエルガーの『威風堂々』か、ホルストの『ジュピター』が口笛になっている。意識下で、風雨に負けるまいと頑張っているのだろうか。
 晴れた日は鼻歌が多い。60年代(昭和ではありません....)から80年代初めにはやった、いわゆるニューミュージックの曲が多い。それに時々、浪曲子守唄などのカラオケ用の持ち歌が混じる。

 鼻歌の時は、犬たちはまったく反応を示さない。サビの部分でいくらウナリを利かせても、知らぬふりで遊んでいる。
 ところが、口笛になると、調子が変わった時、フレーズの頭、クレッシェンドを掛けた時.......そのタイミングで私を見る連中が多い。
 『ウン?どうするのかな?戻るの、行っていいの....?』
 彼らの目には、そんな質問が映っている。
 しょがないので、私は口笛の間に、
 『ピ〜ピピピ〜ピ〜ピ〜、よしっ、いいよ、ゴ〜!!ピ〜
ピピピピ〜』
 と指示を挟む事になる。

 これもやはり天候に関係をしている。
 何年も、毎日同じ道を通っていても、犬の鼻と耳に届く情報は、雨が降り、風が吹くと大きく変わってしまう。最も気になる脂肪酸の匂いは、水分に融けて主張を強め、風は思わぬ所の匂いを運んで来ては犬たちの方向性を迷わせる。
 これは『不安』そのものである。
 だからこそ、犬は人間を見つめ、確認を欲しがる。

 犬のしつけで悩んでいる方が結構多い。ほとんどは飼育書などを読み、こうあらねばならぬ.....という強迫観念からくるものだが、ほんの少し角度を変えてみると、わりと上手く行く。
 その代表的な作戦が、風雨の中での試行、そして、同じように犬が不安になる、全く知らない所で、それも真夜中にトレーニングをする事である。
 もし、犬で御悩みの方がいらっしゃったら、一度、騙されたと思って試してみて頂きたい。

 私は、ジャーキーおじさんと言われるように、常にオヤツを持参し、犬たちに使っている。しかし、まず犬からの私に対する注目、瞳での呼びかけがあってから、それに応じるようにしている。
 いかに、注目を得るか、それを5分間持続させるか......犬の不安を安心に変えて行くやり方は、犬の心に落ち着きをもたらしている。

 今日の私の奏でた曲は、朝はカッパを着て『威風堂々』、夕方は薄い上着で『リバーサイドホテル』だった。



2002年04月24日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

 雨のち曇り、また雨・最高11℃・最低6℃

 11時に、馬小屋の前に仲間が集まった。全員ではない、乗馬の好きな連中だ。動物王国の憲法により、国民はすべて馬に乗る事ができる。しかし、草競馬にも参加をしようというのは、その中の半数である。
 別に、これで問題はない。逆に言うと、皆が競馬に行ってしまったら、留守を守り、犬のケンカを仲裁する人間がいなくなってしまう。特別に指令を出さなくても、微妙にバランスがとれているのが王国らしさである。

 さて、8人ほどが集合したのは、新しい乗用馬の調教スケジュールを決めるためだった。
 王国で使っている馬はドサンコという日本に昔からいた馬(和種馬)をベースに、あのベンハーなどで有名なペルシャンアラブ種(サラブレッドの祖先でもある)の血を入れて改良した、まあ、王国種とでも言うべき馬たちである(もちろん、純血のドサンコも使っている)。
 特徴を簡単に書くと....
 (1)ケガ、病気をしない。
 (2)小錦関でも上に乗る事ができる(300キロまでOK)
 (3)20歳を超えても現役。
 (4)私でも足が上がる(サラなどに比べて小柄)
 (5)きちんと育てれば、パニック型にはならない。
 (6)粗食に耐える。
 (7)馬小屋に入れると病気になる(小屋がいらない)
 (8)山坂など、どんな所でも乗る事ができる。
 (9)人間を咬まない、蹴らない。
 (10)愛想がいい。
 
 挙げていけばキリがない。要するに、馬術には向かないが、楽しんで乗馬をするのには最高の品種である。日本の大地の上で、信長や利家が乗った馬の子孫が活躍すれば、こんなに嬉しい事はない。ところが、その素晴らしい和種馬が絶滅の危機なのである.....。
 まあ、和種馬の辛い歴史について書きはじめると延々と続くので、ここでは触れないが、要するに初めて馬に乗る小学生に私が勧めるのは、穏やかに育てられた和種馬である。

 さて、新しい乗用馬を作るトレーニングは、まず2人1組、4頭の馬で始める事になった。主に西條さんが面倒をみてきた連中である。彼は、仙台の出身、そして帯広の大学に入り、馬術部を5年掛けて卒業してきた(大学はどうかは知らない)。
 住んでいる家は牧場から離れているが、必ず朝の7時過ぎには馬たちのもとに来て。もくもくと作業をしている。
 いや、モクモクはあたらない、必ず話し掛けて仕事をしているのである。その後も、午前中にもう1回、そして午後にも2回と、夜遅くまで、何度も足を運んで馬たちの世話をしている。まさに具体を積み上げているのだった。

 候補に上がった4頭の馬は、西條さんが、初期の調教を終えている。今日、私たちの前に登場した馬たちは、どの子も人間に顔をすり寄せてきた。もちろん、鼻で匂いを嗅ぐ確認挨拶行動もしっかりと出来る連中だった。
 これもまた、育てた人の人柄が映し出されている。穏やかで、少々の事には動じない、乗用馬としては最高の資質がうかがえた。
 
 トレーニングが始まったら、久しぶりに、本当に20年振りに、私も乗り役(とにかく乗る事が大切である)をしようと思う。
 いつも、出来上がった馬にばかり乗せて貰っているので、申し訳ないと思っていた。その恩返しであるし、何と言っても(犬でもそうだが....)日々、ともに時間を過ごした事で、少しずつ成長して行く姿を見る事ができるのは、最高の幸せである。

 早ければ、7月の末に予定をしている『ムツゴロウゆかいクラブツアー』の時に、来られた皆さんに、新馬の背に乗ってもらえるかも知れない。
 それができるようにと、皆、張り切っている。
 



2002年04月23日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

 晴れ・最高16℃・最低2℃

 アブラは10時半に車で帰ったきた。詳しくはBBSで書かせて頂いた。王国の仲間のヤマちゃんのワンボックスカーに乗り込み、そのままヤマちゃんの家の駐車場で一晩を過ごしたのだった。
 
 仲間の車に乗り込んだ事は、これまでにも何度かあった。それが大事にならなかったのは、あれほど車が大好きで、隙があれば乗ってしまうアブラ、実はその車が動き出すとパニックになるのである。つまり、止まっている車を温室のよう利用するのが好きなだけだった。
 と言う事で、これまでは、車が動き出すと、あわてて運転席に来て、窓から出ようと騒ぐのですぐに見つかり、ドアから出されていた。
 
 ところが、昨日、我が家の前に停車したヤマちゃんの車には、後部にたくさんの荷物が積んであった。そこが隠れ家になり、動き出した車に恐怖を感じたアブラは、身を潜めてしまったようだ。
 今朝、ヤマちゃんが乗り込もうとして発見をするまでに10数時間、アブラはきっと悔やんでいただろう、何故、この車に乗ってしまったかと.....。
 
 とにかく、交通事故でも、病気でもなく、アブラが無事に戻った事を、弟分のアブラ2世とともに、私と女房は喜んだ。

 さて、昨日、ヤマちゃんが来てくれたのには理由があった。
彼が使っていた『人工孵卵器』を運んできてくれたのだった。
 昨年も、純粋のウコッケイを1羽、ニワトリとウコッケイのMIXを2羽、合計3羽のヒナを孵してもらった。今年は、卵を生産している我が家で試してみようと思ったのである。
 
 さっそく機械の中には、昨日の朝、回収したウコッケイの卵1個と、ニワトリとウコッケイのMIX卵を1個、入れた。しばらくは、これに追加をして、合わせて10個ぐらいは温めてみたい。
 
 昨年、孵ったコッケイとウッコイは、今や我が家の庭の主、番犬ならぬ番鶏である。彼らがいる事で、犬たちもネコも山羊のメエスケも、そして人間も楽しませてもらっている。
 そして、鶏頭と言われている彼らが、実に利発で、もの覚えの良い事にも驚かされている。
 このままいけば、5月の中旬から末にかけて産声をあげるだろう。無事に孵るように、湿度、温度に気を使っていく事になる。

 このところ、日中は暖かい。そこで勝手口を開放して、室内の15匹のネコたちに、自由に外出をさせている。今日は、その入り口から、コッケイ、ウッコイ、そして古株のコッコ(コッケイの母)が居間に入って来た。私が食べていたお菓子を砕いて床に落とすと、賑やかな声で鳴きながらついばんでいた。外では、ネコたちが、伸び始めたオオバコを口にしていた。

 アブラが戻り、穏やかな石川家だった.......。



2002年04月22日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ時々曇り・最高16℃・最低0℃

 午後からアブラの姿を見ていない。いつもなら、私の車の上、マロやセンちゃんの犬小屋の中、そして我が家の居間の大きな窓から見える、ネコのトイレの砂を洗って乾燥しているタドンの小屋の上で、のんびりと日光浴をしているのだが、それもなかった。
 4時になり、犬たちの食事のために玄関を出た。必ず鳴いて待っているアブラが、まだいない.......。
 これはおかしい、陽気に誘われてネズミ捕りや散歩に出かけたとしても、夕方の缶詰だけは大騒ぎで待っている子である。
 犬やニワトリたちに餌を与え、散歩に付合いながらも、私と女房の目は、原野の枯れ草色の中で動く黒っぽい固まり、アブラを求めていた。
 私は、カラスを探した。特に100キロのスピードで車が流れている道の周辺にいないかと目を凝らした。1羽、カラマツ荘との間の電柱に止まっていた。犬をすべて回収し、女房と二人でカラスの近辺を探した。
 万が一、交通事故などで動けないでいると、必ずカラスがやって来て、獲物反応を示す。従って、原野で何かを探す時には、まずカラスの所在を確認する。
 幸いにも、電柱のカラスの近くに異常はなかった。夕暮れになり、寝場所へ向う前の準備で止まって仲間のカラスを待っていたようだった。

 6時半を過ぎ、暗くなった。いつも同じ場所で2匹で寝ている弟分のアブラ2世が、お姉ちゃんを呼ぶ『ニュ〜オ』と言う声を出しながら、庭をウロウロと探している。
 しかし、アブラからの返事も姿も確認できない。遠出、朝帰りはアブラ2世の専売特許である。アブラは、弟の帰りを待って、雨の中でも庭に座っているのが、我が家での光景だった。
 それが逆になっている........。
 アブラたちは車に乗り込むのも好きな事を思い出した。午後、我が家にやってきて、数分間でもドアを開けていた車を頭に浮かべた。まず宅配便のトラックがあった。女房が電話を掛けた。ネコは預かってませんと返事がきた。仲間の車もあった。これも乗っていなかった。郵便配達の車も無関係だった。

 心配である。
 しかし、なにがあろうと、これもまた生き物との生活である.....。今は、ただ無事に帰る事を祈るしかない。
 夕食後、15分おきに外に出て、大きな声でアブラの名を暗闇に向って呼んでいる。動物用の台所に閉じ込めたアブラ2世が、私の声に応えて返事をしている。



2002年04月21日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高14℃・最低6℃

 元祖・ムツゴロウ動物王国・浜中町の王国に行ってきた。中標津のムツ牧場から距離にして62キロ、普通に走って1時間である。
 まあ、さまざまな用事はあったが、それはついでの事、10ヘクタールの囲いの中で、自由に生きている犬、馬、そして人に会うのが1番の仕事であり、楽しみだった。
 
 雪解けが早かったので、道はすでに乾いていた。20年前までは5月中旬まで泥沼だった。何と大きな違いだろう。
 柵の中に入り、車を止めると、すぐに犬たとが集まって来た。私がジャーキーを常に上着のポケットに入れているオジサンである事は、犬社会では有名になっている。たちまち10を軽くこす数の犬たちが、私の顔とポケットを交互に見つめ始めた。

 『お〜い、元気だった!!』
 挨拶替わりにポケットに手を入れ、ひとかけらのジャーキーを与える。皆、ケンカをせずに、よだれを出しながら、自分の口に私の手が伸びてきて、名前を呼ばれた後の『よしっ』を待っていた。
 いじらしく、なんと、可愛い連中だろうか。

 馬の放牧地には、この春に生まれたドサンコの子馬が2頭、しっかりと毋馬に寄り添っていた。これから6月まで、あと10頭は生まれてくる。人間も大忙しである。

 一応の仕事を終え、この春に新しくメンバーになったSさんの作ったドリアを昼飯として食べた。数日前から初めての当番をしているわりには、なかなかの味だった。
 王国のメンバーになると、必ず食事当番が回ってくる。犬の扱いはともかく(ジョークですよ....!!)、2年間もいると、どんな料理学校に通ったよりも、はるかに頭と身体と心の動く、現実に合った料理のできる女性が誕生する。それはそうである。少ない時で5人分、多い時には20人の料理を、限られた予算と限られた時間の中で用意をしなければならない、いやでも上達をしてしまう。
 かつて、入国した時には私よりもキャベツの千切りが下手だった女性に、数年後、『いつでも、どこにでも嫁に行けるね.....』と言ったら、それはセクハラと注意されてしまった。私は、誉めた、感心したつもりだったのだが.....。

 今日の仕事のひとつに、王国のメンバーで、5月のサッポロのイベントに参加する仲間の顔写真の撮影があった。カメラマンのだいちゃんが撮ってくれたので、ついでに、このHPに来られている方にも見てもらおうと思う。昨年のインパク以来、久しぶりの姿である。皆、元気に生き物たちと生活をしている。その証明と思って頂きたい。
 では、これから、ここの掲示板に貼らせて頂こう....3人、3枚である。



2002年04月20日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ時々曇り・最高17℃・最低−3℃

 また犬の水おけに氷が張っていた。ななかかスムースには春はやってこない。それでも、太陽が高くなるにつれて、どんどん気温は上昇し、10時には15℃を超えていた。

 4月に入ってから、2週間近く姿を現さなかったキツネのルックが、一昨日の夜から、食堂の窓の近く、物干竿の所に来るようになった。いつも以上に犬を警戒し、街灯の当たらない所で、丸くなった私や女房が気づくのを待っている。
 残念ながら暗がりなので、腰や腹に汚れがあるかどうかは定かではない。もし、土がこびり付いていれば、出産、そして育児をしていると確認ができるのだが。
 もうひとつ気掛かりなのは、今年のパートナーの若いツバメ君が、ルックの周囲をチョロチョロとしている事だ。
 普通、この時期(出産直後)は、オスメスが揃って行動する事はまずない。必ず、巣穴の周囲に、どちらかが留まっているはずである。
 こうして、2匹できていると言う事は、育児が失敗した可能性も大きい。まあ、もう少し時間が経てば、運び行動、ルックの食欲、そして身体に残る痕跡などで真相が判るだろう。

 暗がりで、静かに待つルックは、やはり歳をとったと感じる。私たちを見つけた時は、ゆっくりと身体を起こし、けして前進せずに、その場で待つ。上げた首の毛は、長いものが直立し、すかすかでありながらトゲのように数本ずつが飛び出している。まるでヤマアラシのような感じだ。
 たしか、今年で10歳である。もちろん自然界では最長老だろう。我が家で生まれ、7ヶ月で野に旅立ち、以来、ここまで生き永らえてきた。これも、数多い王国出身のキツネの中での記録だろう。
 もちろん飼育下ではビータなどのように16歳まで頑張った子がいるが、ルックは生家に顔を出しはするけれど、何と言っても厳しい原野での生活をしているキツネである。出来うるならば表彰をしてやりたいものだ。

 今夜も、女房と私が5分おきに窓から外を見ている。暗い所なので、少しでも見やすいようにと、2階にある寝室の電気をつけている。これで、物干竿がうっすらと識別できる。

 今、女房が『ルック』と一言、私に声を掛けにきた。
 9時30分、物干竿と焼却炉の間に、音もなくルックが座っていた。向こうも室内の人影をしっかりと見ているのだろう、すぐに目が合った。
 もう一度、目を凝らしてみた。5分後、私の老眼も暗闇に順応した。
 ルックの首筋に、黒ぽく土らしきものが付いているのが判った。ひょっとすると、子ギツネが元気にしているのかも知れない。
 淡い期待とともに、そんな事よりも、こうして元気でいてくれるだけで十分、そんな気持ちにもなった。

 時代を継ぐキツネを産んでもらおうと、期待を込めて交配をしたキツネ舎のラップは、予定日が近づいても何の変化がなく、無念、空振りに終ってしまった。
 こちらは、来年もチャレンジをしよう。

 



2002年04月19日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃

18日
 薄曇りのち曇り・最高16℃・最低6℃

 昨年の7月の神奈川からやって来た三毛ネコの『エ』ちゃんに恋の季節が到来した。もともと大きな病院に住みつき、患者さんや看護婦さんの人気者になっていたネコの子供なので、正確な誕生日は判らない。でも我が家に来た時の状態からみて、昨年の4月末から5月中旬の生まれだろう。

 エちゃんの発情は、まず声から始まった。私や女房がちょっと触っただけで『フニャ〜』と、すぐに啼くようになった。
 次に、背や腰、そして脇腹に触ると、短くて曲がった和ネコらしい尾が、直立し腰を持ち上げてきた。
 さらに、まるでオスネコのように、生活をしている我が家のあちらこちらに、ほんの少しずつではあるが、オシッコを掛け始めた。
 『も〜、エちゃん、ダメ!!トイレがあるでしょう....!!』
 と人間が騒いでも、このような状態のメスネコには通じない。
 『ニャ〜ゴ〜、フニャ〜ゴ〜、ゴロ〜ゴロ〜』
 と身をくねらせ、尾を上げ気味にして歩き回りながら、所々にオシッコの印を残していた。

 私と女房は、ゆくゆくはエちゃんの子ネコを楽しみにしている。しかし、まだ生まれて1年、今回は予定に入ってはいない。やむなく、エちゃんの後を追い掛け始めた『ネズミ(ロシブルのオス)』とアメショーのオス(生後9ヶ月)をケージに隔離した。
 普通は発情のきたメスを閉じ込めるのだが、王国では犬においてもオスが犠牲になる事が多い。要するに、王国はメスが主導権を握っている国とも言える(もちろん人間においても....)。

 ケージに入った2匹は立派なタマタマを備えている。だが、ルドやレオ、そしてチャーリーやカールなどの『グッバイ、タマちゃん』を経験した連中は、そのまま同居している。
 すると、これまでアメショーのワインなどに発情がきても、まったく知らぬ振りだったレオとチャーリーに変化が起きた。そう、エちゃんの尻をしつこく追い掛け始めたのである。
 確かに、エちゃんは私がみても美人である。楚々とした身体つきに小さな顔、そしてつぶらで伏し目がちな和服美人と言うところだろうか....。
 これに、トルコ男のレオとシャムの血が入ったチャーリーが惚れ込んでしまった。
 エちゃんにすれば、タマがあるかどうかは問題ではない、このせつない身体の火照り誰か何とかしてくれ〜〜〜である。

 18日、とうとう、何とかなってしまった....。最初はレオだった。そして、その数十分後にはチャーリーも.....。
 強烈な雄叫び(メスなのに...)とともに転げ回り、エちゃんは尻を舐めていた。驚いた顔をしてレオも立ちすくんでいた。チャーリーは2階へ逃げた。
 
 それが数時間おきに3度程繰りかえされ、そして夜、エちゃんは、静かにソファで寝ていた。数日振りの落ち着いたいつもの姿だった。

 『交尾排卵』・・・交尾の刺激によって排卵が起き、発情が終了する。
 このシステムは、単独行動の生き物、相手に出会う確率の少ない生き物が使用している。犬のようにタイムスケジュールで排卵をしていたら、無駄になる事も多いからだ。
 たった1日の交尾騒動で、ニューハーフのレオやチャーリーまでも真剣にさせた、美人のエちゃんの熱き日は、簡単に終ってしまった。
 



2002年04月18日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

17日
 晴れ午後から雨・最高20℃・最低6℃

 17日はムツゴロウ動物王国の国王、ムツさんの誕生日だった。この時期は海外へ出かけている事が多く、中標津で迎えるのは10年振りの事だった。
 このチャンスをのがすまいと、国民は計略を立てていた。
 ムツさんは、午後から外出の予定だった。運転手はツンちゃんである。彼には作戦が伝えられていた。なるべく時間をかせぎ、家に帰る時間になったら携帯で連絡をくれる事になっていた。

 ムツさんが出かけた後、たくさんの仲間が母屋に集まってきた。そして、皆は風呂場に向った。
 一昨年、ブラジルでムツさんは右手の中指の先を失った。傷は完治したが、神経や血流はもとには戻らない。寒さの中では特に顕著で、中指だけが冷たく痛みを伴っていた。
 その痛みをとるには風呂に入り、温めるのが1番と、外出から帰ったムツさんは真っ先に湯舟に飛び込んでいた。

 それを狙い、皆で水に浮くアヒルやボールのおもちゃに、誕生日おめでとうのメッセージを書き込んだ。1人1個だから総数で40個を超える。それぞれにムツさんへの感謝、いたわりの言葉が印され、それが、湯舟の蓋を開けた時に、ムツさんの目を驚かせる算段だった。
 もちろん、4帖ほどの広さの風呂場には、クリスマスも顔負けのきらびやかな飾りつけがされていた。

 ムツさんが帰ってきた。
 あまり皆が期待の目でウロウロとしていては感付かれると、何人かが事務所に隠れた。
 今か、今かとムツさんの入浴を待った。中には、『ムツさん、指どうですか?痛みは?』
 などと、婉曲に風呂を勧める知恵者もいた。

 しかし、ムツさんは腰を上げなかった。仲間たちと会話を楽しんでいた。
 私たちは、目で互いに『まだっ?』『ウン、いつもなら入っているのに〜』
 と、静かな、そしてワクワクとする、声のない会話をしていた。
 『これは、皆がいるから、ムツさん、入らないのだ.....』と言う仲間の声で、それぞれが家路に付き、結果の写真を撮影するダイチャンだけが残った。

 夜、女房と母屋に行くと、何人かの仲間とムツさんは話をしていた。風呂は済ませていた。

 『大声でも聞こえるかな〜と、皆、ドアの外で聞き耳を立てていたけれど、これが静かで....』

 純子夫人が、風呂場での状況を説明してくれた。

 『あれは驚いたよ、でも、皆の書いた言葉を、ひとつひとつ読んでいたから、それで静かだったんだよ!!』
 『あの飾りは外さないでね、しばらくそのままに....眺めながら風呂にはいるのはいいもんだ〜〜』』

 喜んで頂けたようだった。
 お祝に、皆でシャンパンとワインを飲み、久しぶりの王国でのムツさんの誕生日は過ぎていった。



2002年04月16日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れのち曇り、夕方から雨・最高21℃・最低4℃

 何とした事か、一気に夏の気温がやって来た。9時頃からドンドン寒暖計の目盛りは上がり、舌を出し始めた犬たちの瞳は、
 『おとうちゃん、おかあちゃん、川に行こうよ!!』
 と言っていた。
 『ヨーシッ』
 と声を出し、足を1歩、川の方へ向けただけで、何匹かが走りだしていた。こうなれば、後は簡単である、先週の金曜日に体験をしているので、彼らに任せておけば、適当に泳ぎ、適当に帰って来る。

 そんな気温も午後になると、張り出して来た雲とともに再び下がっていった。このギャップがあるので油断はできない。絶えず衣服を重ねたり脱いだりしていないと、風邪をひく事になる。
 情けない人間をしり目に、厚い毛の犬のほうが対応しているように思えてならない。毛が作る空気の層は冷暖どちらにも適応する素晴らしさを持っている。もちろん限界はあるのだが。

 川から犬たちが帰り、あっと言う間に毛が乾くと、女房はブラシを手にマロ、カザフ、ダーチャなどのサモエドに向って行った。例年よりも早い冬毛の抜け落ちを手助けして、たくさんの冬毛を手に入れるためだ。
 この毛は神奈川で、サモエド2匹(そのうち1匹はマロの娘である)、そしてラブラドール(我が家にタブの母である)と暮らしているTさんのところへ送られて行く。
 そして数カ月後、柔らかい毛糸となって北海道に戻って来る。この素晴らしい毛糸を使って、女房はヘアレス犬の寒期用のセーターを編んでいる。

 『おとうさん、ダーチャからいっぱい採れた....、やっぱり産後だね〜』

 1月の末に7匹の子犬を出産し、80日に及ぶ育児を終えると、母犬はがくっと疲れを見せる。表情はヘラヘラとしていても、身体のハリは失われ、毛がどんどん抜け落ちる。今回は、厚い冬毛の時期に育児をしたために、まるでフエルト地が剥がれ落ちるように抜けてきた。ダーチャはスカスカのタテガミに胴が夏毛、そして尻にだんごになった冬毛と、あまり美人とは言えない姿になってしまった。でも、笑顔は例によって、天下一品である。

 女房が、ダーチャから離れると、横のセンの木の上で待っていたハシブトガラスが降りてきた。ダーチャの動きを気にしながら、嘴で落ちている抜け毛をくわえている。もう1羽のカラスはまるで見守るかのように枝の上で見下ろしている。
 たっぷりと毛をくわえたカラスは枝を目掛けて飛び上がり、待っていたもう1羽の横に止まった。
 くわえているのがオスである。オスは、まるでプレゼントを渡すかのように、慎重にメスガラスの顔の前に毛をくわえた嘴を差し出した。メスはそれを上手に受け取り、20メートル離れた沢のミズナラの木の上にある、この3年、利用している巣に運んだ。
 春である.....例え21℃に気温が上がらなくても春である。
 実はこのカップルにも闘いがあった。10日ほど前、もう1羽のオスがしつこくメスにプロポーズをしていた。その度に、昨年もカップルになっていたオスが追うのだが、それでもめげずに、カアと鳴きながら寄っていっていた。 
 最終的な結論はメスが出した。2羽のオスがメエスケの食べ残しの牧草やら、犬用の布団にしていたナンキン袋の切れ端などをくわえてメスに迫っていった。メスは古い旦那を捨てずに、そのオスがくわえてきた物だけを口移しで受け取っていた。
 翌日、前夫との離婚を迫っていた新顔のオスの姿は、我が家の周辺からは消えていた。

 こんな事が判るのも、実は日々の行動が役に立っている。木の上で見下ろしている彼らに、ひと粒のドッグフードでもいい、数メートル先に投げてやる事だ。
 これを繰り返していると、見上げて視線が合っただけで鳴くようになる。この鳴き方を覚える事、これで個体識別が可能になる。

 サモエドの冬毛はきっと暖かいベッドになるだろう。シャンプーをしていない我が家の犬の毛は水もよく弾く。今年は何羽の子ガラスが誕生するか、それも春の楽しみの一つである。

 



2002年04月15日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り時々晴れ間・最高10℃・最低1℃

 柴犬のシグレに発情がきて8日目になる。昨年の7月に生まれたので、今9ヶ月、少し遅い初めての出血だ。
 最初に気づいたのは、例によって『メス犬、恋の気配感知犬』のタドン(フレンチブル・牡)である。クサリから放されると真直ぐシグレの尻を目標に走って行った。
 タドンの凄いところは、出血も見せず、他の5匹の立派なタマタマの付いたオス犬たちが、まだ誰も気づかない時に、これから恋のシーズンを迎えるメス犬を嗅ぎ当てる事だ。
 
 彼が嗅ぐのは尻だけではない。シグレが繋がれていた小屋の周囲、香しきオシッコの匂いはないかと鼻を地面に擦り付けるようにして、ブヒッ、ブヒッと音をたてながらウロウロしている。
 そして、仕上げはシグレの小屋に向けて自分の小便を掛ける事である。

 『来るね、遅かった〜〜。普通は柴なら7ヶ月ぐらいで発情があってもおかしくないのに.....』
 『タドンが嗅いでいるから間違いないね...』

 タドンに間違いはなかった、彼が嗅ぎ始めて4日後の先週の日曜日からシグレの出血が始まった。ここで、ようやくセンちゃんやカザフが嗅ぎに行くようになる。交配では大活躍をした、別名ドンファン犬のマロが動くのは、もっと遅い、出血後4日は経ってから、おもむろに確認に行く。
 どのメス犬でもそうだが、自分で通常よりも多く、何ケ所にもオシッコをまき散らしているのに、オスが近づくと鼻に皺を作って唸り、しっかりと操を守ろうとする。
 もちろんこれは排卵の日を待ち、それまではオスを牽制し、それでもと寄ってくる逞しい結婚相手を選ぶための手管である。

 8日目の今日は、いよいよオスにとっては悩ましい匂いに、シグレの尻やオシッコが変わって来た。今回は結婚はさせないので、クサリから犬たちを解放する前に、スグレだけをサークルに隔離する。
 放されたオス犬たちは、我れ先にと、シグレが繋がれていた小屋に向った。マロも加わり、4匹のオスが鼻の音を立てている。
 その中にサモエドのオス、カザフは入っていない。彼は、マロを追いやり、自分がトップになる事を4年前から狙っている。3度ほど大きな闘いを挑んだのだが、すべて返り打ちに会い、今は意識してマロに近づかないようにしている。
 でも、メス犬が発情している時は別である。他のオス犬が見つめただけで、ウオウオと叫んで抗議している。
 従って、シグレの出血が判明してから、カザフと同時にフリーになっているオス犬はラブのセンちゃんだけである。何故、センちゃんが大丈夫なのか、その理由は簡単である。
 『いや〜どうもどうも、今日は良いお天気で...、カザフの旦那、御機嫌はいかがですか?女?女はカザフさんのものでしょう!!』
 これが出来るのである。
 犬種が備えている特性でもあり、さらにセンちゃんの個性が加わって、平和なオス付合いが可能になっている。

 カザフの放される前に、すべてのオス犬がシグレの小屋に小便を掛けた。その濡れた小屋に、さらに最後にカザフが上塗りをしていく。従って、あと数日は異臭プンプンの小屋でシグレは生活をする事になる。
 
 他の犬たちが放されている間に隔離をされているサークルは、自分の小屋から5メートルしか離れていない。オス犬たちが小便をまき散らし、小屋に掛けている様子を見ていたシグレは、自分の住まいに戻ると、今度は、オスのオシッコの上に自分の小便を掛ける。
 リードでの散歩の間にも、通常よりも多い回数の小便を済ませているのにも関わらず、しっかりと出るから不思議である。

 あと数日でシグレは排卵、つまり発情のピークを迎える。小便掛けは続き、そしてオス犬の食欲はいつもの3分の1になる。すでに今日の餌をカザフは半分残していた。それを育児で痩せたラーナとダーチャが嬉しそうに食べていた。

 さらに、さらに.....今日、タドンはベコの尻にも鼻を寄せていた。目は真剣で、少し充血していた。

 



2002年04月14日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

雨のち曇り時々晴れ間・最高12℃・最低4℃

 上の天候の記録は今日(14日)のものになる。何故か1日ずれてしまった。原因は昨日のほうに書いてあるが.....まあ、そう言う事になる。意義ある事を終えて眠気に負けるのは、やはり誕生日をいっぱい重ねた証明だろうか。

 昨夜、1枚のFAXが送られてきた。

 『無事に着きました。怯えた様子もなく、とても元気です。ありがとうございます!!』
 と書かれていた。
 1月に生まれたサモエドのラーナとダーチャの子犬たち、合計15匹の最後の旅立ちだった。
 15匹目の飼い主となられた名古屋のMさんからは、数日前に次のような便りも来ていた。

 『偶然にも私の娘と同じ誕生日、そして生まれた時間も10分ほどの違いなんです。二人目の子供として大切に育てますので、どうか御安心下さい.....』

 これは、経済的にもMさんは助かるはずである.....ケーキは1個で済むから......などと冗談を言っている場合ではない。誕生日が同じと言うのは、素晴らしい神様のプレゼントではなかろうか。
 人は、何か事を為す時に、後ろから肩を押し、身体を支えられる事で前に進み易くなる。それは、具体的な他人の応援であったり、ゲンをかつぐ事であったり、最近ではあのカゼとミズだろうか、とにかく確認を探しがちである。
 そのような役割を果たしているある種のエネルギーの素の中で、誕生日は実に大きな存在である。私は、自分の家の犬やネコたちの生まれた日をよく忘れているが、もし娘や息子と同じ日だったら、これは覚えるだろう。そして、その犬が一生を終えたとしても、娘の誕生日には、ワインとタバコの煙、そしてケーキか何かを食べながら、

 『そう言えば、あの犬も今日が生まれた日だったよな〜〜、5月というのに雪が降ってさ〜〜』

 と、語るだろう。

 昨日から、Mさんの家では、やんちゃでワンパク、そしてニコニコ笑顔の1匹の白い犬との、新しい歴史、思い出が続々とあふれ出て、静かに積み上げられて行くだろう。その時に『娘さんと同じ日に生まれた』と言うのが必ず意味を持つと思う。
 
 縁あって、Mさん御家族の中に加えて頂けた15匹目の子犬に、
 『お前は幸せものだよ、いつも笑顔で皆さんと遊ぶんだよ...』
 そう言って私と女房は送り出した。


 ここまで書いて気づいた、これは昨日の出来事である。やはり頭の中は1日のズレを作っている。
 そう言えば、かつてムツさんが浜中に住んでいた頃、12月の31日、そう大晦日の夜になると、多い時には3卓ほどを囲んでマージャンが始まった。新年になってもそれは続き、やがて3日の夜頃に、『オレッ、ちょっと気分が悪い.....』と誰かが言ってソファに倒れこむ。そこでやっと年を越えた会議はお終いとなった。
 私も毎年参加をしていたが、脂ぎった顔を水で洗い、我に還って考えても、自分が何を食べたのか、果たして雑煮は口に入っていたのか......何も覚えていない事がよくあった。
 そんな時でも、ムツさんは『なんだ、皆、もうやめるのか〜』と、寂しそうに牌を触っていた。恐ろしきエネルギーとスタミナの持ち主だった。

 



2002年04月13日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃


気が付いたら13日、朝でした.......。
 12日の天気
 雨、ひたすら細かい雨・最高+8℃・最低−1℃

 『ごめんなさい!!』
 また謝らなければいけない。日記を書かなければと思いながら、友人と焼酎を前に犬の話をしているうちに時間は過ぎ、気がつくと8時半でした。掲示板を替えた記念の日に、何と言う情けない事を、そう反省しています。

 昨日は雨でした。シトシトという表現がぴったりの静かで温かい雨でした。これなら風邪もひかないだろうと、今日、名古屋に向けて旅立つダーチャの最後の子犬を、庭先のサークルに出しておきました。一緒に入っているベルクに遊んでもらい、雨足が強くなると小屋に入り、入り口に顔を出して、早く止まないかな〜〜そんな表情をしていました。

 夕方(こちらでは真っ暗な夜ですが)、いよいよ掲示板のリニューアルです。新しい所には、すぐに多くの皆さんからの便りと写真が並びました。
 私は返信をさせて頂きながら、あたたかい応援に心が熱くなりました。
 ほんとうに、ありがとうございます!!

 これからも、言葉を大事にしながら、判り易い画像の手伝いも得て、楽しく、ほっとできるBBSを目指して行きたいと思っています。
 また、ギャラリーでは『だいちゃんの今月の1枚』のコーナーも立ち上げました。王国のカメラマン、だいちゃんの渾身の1カットをじっくりと御覧下さい。
 お知らせのコーナーもできました。そこのアニメ、そして、だいちゃんの所のアニメ.....すべて、だいちゃん夫人の明子氏が描いてくれました。ありがとう...です。

 まだ、中身が抜けている所もあります。忘れているわけではないのですが、少し考えこんでいます。でも、必ず形にしていきます。
 これからも、よろしくお願いいたします。

 おかしな時間に書いた昨日の日記でした。



2002年04月11日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+12℃・最低−2℃

 どうやら、再び黄砂が来たらしい。昨日から世の中がぼんやりとしている。けして私の酒の飲み過ぎだけだったのではなさそうだ。
 気温は高い、そこで、今年初めて、人間も一緒に牧場の中を流れている当幌川に犬たちと遊びに行った。真冬でもタブとベコ、そしてベルクは日参していたが、他の連中は人間に従って母屋前の牧草地を遊び場、散歩のコースで我慢していた。
 皆をクサリから放し、
 『さあ、今日は川だぞ〜〜!!』
 と叫ぶと、ほとんどの犬が理解し、いつも以上に尾を振り、互いに啼き交わして、幸運を全身で表現していた。すぐに、キツネ舎の先まで駈けて行って、早く皆おいでよと騒いでいるのは、センちゃんにダーチャだ。

 川に続く林の道には、まだ新しい命の気配はない。ダケカンバやナラの蕾みは堅く、雪も残っている。足元はどこもグチャグチャで、犬でさえ滑っている。

 日だまりの広場には、昨夜のマイナスの気温で氷が張った大きな水たまりがあった。ベコが、アラルが、そしておばさんのミゾレまでが、はしゃいで駈けていた。そんな事よりも川を愛しているベルクやタブは、すでに姿を消していた。
 昨日、手術を受けたばかりのカボスは、朝飯を腹這いになったまま食べた。声をかけても立ち上がらず、よほどショックを受けたのか、それとも痛みに弱いのか、まあ、放っておけばそのうち復活するだろうと、そのままにしてきたところ、いつの間にか後を追ってきたのだろう、走り回る犬の輪の中にチャッカリと入っていた。犬の元気を引き出すのには、やはり犬が一番である。

 川の水は濁っていた、しかし、水量はいつもの春よりも少なかった。あれほど雪が降ったわりには、気温が高かったために解けるのも早かったためだろう。
 広場で遊んでいた連中も駆けつけ、皆が川に飛び込んだ。もちろん女房と私も、今日は穴の開いていない長靴を履いてきている、同じように水に入り、久しぶりの感触を味わった。
 元気な連中は、そこから500メートルほど上流まで、岸辺の急斜面を登って探検に行く。人間と柴犬たち、そして足腰の弱くなったリーダー犬のマロ、そしてひたすら水の流れに身体を浸すのを楽しんでいるカボスが残った。
 
 遠征組が私の口笛に応えて帰ってきたのは、それから20分ほどしてからだった。息を切らした連中は、そのままの勢いで私と女房のいる所に飛び込む。その水しぶきで長靴の中に水がはいる、結局、新しい靴であっても意味のない事になってしまった。

 1時間の川遊びを終えて家に戻ると、ベコの頭の毛にダニが付いていた。春の印しだった。

 ここで、話をがらりと変えて、昨夜のマージャンの結果を書いておこう。メンバーはムツさん、純子夫人、そして私である。そう、最近は3人マージャンしかしないのである。4人に比べてテンポが早く、勝負の波が大きい。たとえ4人いても5人でも、交代で3人で打っている。
 終ったのは今朝の4時過ぎ、明るくなり初めていた。
 私....私は少し勝った(もちろん、勝った時しか書きません!!)。

 もうひとつ、これは『お知らせ』です。
 たくさんの皆さんに来て頂いている掲示板『ウブの井戸端』が、明日(12日)の午後6時頃に、新しいものに変わります。今度は画像を貼れるものになります。
 これまで以上に、皆さんとともに楽しんでいけたらと思っています。
 よろしくお願いいたします。

 さっきまで、ムツさんを囲んでミーティングが行われていた。生き物の事から国家、地球の問題まで、意義ある集まりだった。そして、今夜もマージャンの卓は活躍をしている。



2002年04月10日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+12℃・最低+2℃

 昨夜は遅くまで、酒と犬の話で盛り上がった。Nさんと初めて会ったのは、浜中の王国だった。生まれたラブラドールのラブの子犬が、果たして盲導犬の候補としてふさわしいかどうかを調べに来てくださった。
 当然の事ではあるが、Nさんは子犬を見るのは一瞬で終え、長い時間、ラブにリードを付けて王国外の道を歩き続けていた。

 『これの子なら、可能性があるかも知れない、引き受けましょう....』
 
 そして1頭の盲導犬が誕生し、一昨年まで10年近く活躍をしてくれた。引退後の今は良き家庭犬として老後を送っている。

 そんなきっかけで御つき合いが始まり、犬談義を繰り返してきた。仕事をする犬、それも人の命に関わる使命をこなす犬を育てるにあたっての心構え、手法は、とても参考になった。けして叱り飛ばすのではなく、犬に考えさせるやり方は、普通の家庭犬にも役立つ。
 例えば、ハーネスを付けて仕事に出る前に、必ず済ませなければならない大小便、これを犬の都合ではなく、人間の言うままにさせるトレーニングは、どの犬にも有効であり、生活の中にリズムができるだろ。
 まず、犬をトイレに出す(その場所に連れて行く)、そこで人間は『シ〜、シ〜シ〜』と呟き続ける。もし犬がオシッコを始めたら、それを喜ぶように声の調子を強く高くして『シ〜、シ〜シ〜』である。そして終った瞬間に、
 『凄〜い!!やった〜〜、最高!!パチパチパチ!!』
 と大喜びをしてやるのである。
 ウンコも同じである、
 『べん、べん、ベン....出た〜ベンが出た〜凄い!!最高!!』
 つかまり立ちだった幼い子が、初めて手を離し2.3歩進んだ時の感激を、大袈裟に犬に向けるのである。そうすると、いつの間にか、人間の言葉のままに用を済ませてくれるとの事だった。

 ある意味で、盲導犬は究極の家庭犬である。人に優しく、他の犬とトラブルを起こさず、そして自分で考えて行動をする能力が求められる。
 いつか、もっと詳しく皆さんに伝えられたら、そんな気もしている。

 足を傷めて出発が2日遅れた、サモエドのダーチャの子が旅立った。出発前の恒例、我が家の居間でのお別れ添い寝、この子は必ず人間の動き、瞳を注視するタイプだった。今、新しい御家族のもとで、一心に尾を振り、見つめている事だろう。



2002年04月09日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

ず〜っと雨・最高+2℃・最低−1℃

 すみません、もう2人でジョッキを5杯、日本酒を1本開けました。まだまだ話は続いています、面白い、意気投合!!
 という事で、日記は書けません。明日、ユンケルでも飲んで書かせて頂きます。
 ももちゃんと三谷さんも参加しています。、
客人は盲導犬を育てて24年のNさんです。

 以上、酔っぱらけのウブでした。



2002年04月08日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

氷雨時々曇り・最高+2℃・最低−3℃

 キツネのルック(我が家で生まれ、原野で生活中)が週に1度程度しか姿を現さない。雪が解けてネズミなどが捕り易くなったためか、それとも育児中なのか.....私は後者だと思う。巣穴の場所もわかっている。様子を確認しに行きたいが、ここは我慢のしどころ、あと2週間は辛抱をして、無用のストレスを与えないようにしよう。もちろん、すぐ近くでは私を認識してくれるが、ある距離以上になると、個体識別ができず、人影を恐怖の対象と捕らえてしまう。
 もし出産育児をしているのなら、今度、我が家に姿をみせた時には、腹が小さくなり、そして腰などに土の汚れが付いているはずである。それを確かめたい。

 足を傷めて旅立ちを延ばしたダーチャっ子は、順調に回復をしている。腫れはなくなり、駈ける事もできるようになった。『ケガの功名』という言葉があるが、この子にも当てはまる。暴れ回らないようにと、1匹だけにしておいたところ、寂しさに耐え、大人しく寝る事を覚えた。新しい家でも、夜啼きをしないかも知れない。
 もう1日、静かに(できるかな〜?)療養し、10日、仙台に向けて飛行機に乗る。千歳で乗り継ぎになるのだが、貨物は最短でも2時間の待ち時間を求められる、便が限られる事もあり、飛んでいる時間よりも千歳で待機している時間のほうが、はるかに長い。可能ならば、そばに付いていて、オシッコに出してやりたいものだ。

 エンジェリー(子ネコ)が東京に行き、残された兄弟のバタが、毎日、思い出したように鳴きながら探している。居間のソファの下を覗き、ピアノの陰を探し、2階に行って女房の布団の周辺をウロウロしている。よく2匹で寝ていた場所だ。

 『もういないよ、東京で遊んでいるよ、元気だって.....』

 私が声を掛けると、チラッと視線を向け、そしてまた鳴いている。
 東京のOさんのメールには、エンジェリーも3時間毎に鳴いて探していると書いてあった。あと数日は続くだろう。

 今年は、今のところ恒例の『春の大雪』がない。3月の末から4月の中旬にかけて30センチほどのドカ雪があるのが普通なのだが、やはり、この冬は異常だったのだろうか。今日の冷たい氷雨、あすは雨になりそうだ、まだ、ドロンコは始まったばかりである。

 

 

 



2002年04月07日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+6℃・最低−5℃

 まず御礼を書かせて頂こう....『ありがとうございます』
 私は52年前の今日、4月7日午前2時を少し回ったところで産声を上げた。誕生日を祝う歳でもないが、父が長く書き続けていた『営農日記』に、短い文章で私が生まれた事を書き付けていたのを発見した時、何か心の中で動くものがあった。
 誕生日とは、かかわりのある周囲の人にこそ重要なのかも知れない。
 今日、たくさんのお祝の言葉を頂いた、52年で初めての事かも知れない。

 さて、そんな誕生日、午前2時には、子犬と共に居間にいたが、私が生まれた時間になっても、どの時計もお祝の特別な鐘は鳴らしてくれなかった。代りに子犬がオシッコを漏らし、それを踏み付けた足で、私の身体の上に乗って来た。今日、釧路空港から名古屋に旅立ったダーチャの子は、かなりの甘えっ子かもしれない。

  空港から帰ると夕方になっていた。犬たちの餌を終え、ほとんどを放牧する。それぞれが好みの場所でダイショウベンを済ませ、私や女房の側に集まって来る。これから石川家群団が行進をする事になる。冬の間、川へのコースは人間がギブアップ、もっぱらムツさんの家、母屋前を折り返し点にしていた。こうする事で、母屋の犬たちに馴染みになって欲しい意味もある。無用な争いを防ぎたいからだ。

 大散歩から戻ると、それぞれを再びクサリで繋ぎ、それから明日(8日)仙台に旅立つダーチャのオスっ子をサークルから出して自由にしてやった。
 兄弟が2匹になり、寂しさにくるまれていた子犬は、繋がれている大人の犬のところへ尾を振って駈けて行った。挨拶をし、そして遊びにモードが切り替わった。センちゃん、シグレ、ベコ......そして母親のダーチャと、子犬の面倒を見てくれる連中が、それぞれのやり方で子犬の相手をしている。

 そのうちに私は気づいた。仙台っ子の動きがおかしかった。前足の片方を浮かして歩いている、右の後ろ足も運びがスムースではなかった。あわてて女房に抱き上げてもらい、慎重に確かめる。触っても悲鳴は上げない、しかし、あきらかに痛がっている。伸縮をさせても、音や変な動きはない。
 ねんの為にと獣医さんに調べてもらった。骨折はない、しかし、ひねったのかネンザなのか、あきらかに痛がってはいた。

 居間に入れ、毛布を床に敷きつめて、脚が滑らないようにして様子をみた。最初は起き上がる時に、痛みのある脚をかばって、立つまでにかなりの時間が掛かっていた。
 テレビの前で一眠りをし、ネコに身体の上を走られて目を覚ますと、今度はすんなりと立って水を飲んだ。そして、クークーと泣きながら居間の隅の匂いを嗅ぎ始めた。これはトイレのサインである。抱き上げて勝手口から前庭に出してやると、すぐに長い小便と固いウンコをした。

 再び、室内に戻ると、ネコの動きが気になり、しばらく目で追い、そして挨拶に寄っていった。足の運びが、かなり復活していた。

 そんな子犬を目で追いながら、私は仙台Vさんに電話を掛けた。子犬は2日遅れて10日に行く事になった。

 今、私の足元に白い固まりがある、前足を投げ出し、顔をその中に入れて眠っている。日記を書く前に身体中を触ってみた、どこも痛がらなかった。歩かせてみた.....少し、右前足をかばっていた。でも、随分とよくなり、言われなければ判らない程に回復している。
 Vさん御一家には、御迷惑と御心配を掛ける事となり、申し訳のない気持ちでいっつぱいである。頂いた2日間の猶予を大切にし、元気な姿と心でこの子を飛行機に乗せたい。

 こうして、52囘目の誕生日は過ぎた。また新たな1年の営みが続いて行く。



2002年04月06日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高+5℃・最低−2℃

 久しぶりにムツさんが帰ったので、顔を確かめに母屋に行った。巨人の3勝目を、いつものようにテレビの前のテーブルの脚を背もたれにして見ていた。着ている服は、これもいつものようにパジャマだった。
 少し、顔に疲れがあった。
 『いや〜、寝てないんだよ。ず〜っと絵を描いていたからね〜、夜昼が逆転と言うよりも、毎日が睡眠2時間かな〜』
 
 東京は銀座での個展が終ったばかりだった。評判が良く、開催中も描いては、新たに飾っていたとの事だった。
 ムツさんの連続徹夜記録は、私が目にしたものでも5日間と言うのがある。他にも伝説になっている記録は、あちらこちらで耳にした。
 しかし、このところ弱くなったと本人は語る、それでも常人の域は、遥かに超えている。やはり、思い込んで集中する時のムツさんは、神に近い。

 ムツさんを知り、そして王国の仲間として同じ空気を吸って30年になる。何よりも驚くのは、その好奇心と、それを科学する心である。どんな小さな事でも、いったん疑問を持つと、とことんそれを頭の中での問答を繰り返して出口を探す。その時に、あらゆる可能性を、科学者としての知識、手法を動員して考えて行く。
 何よりも先に文学者でありながら、けして情緒的な判断で終えない為に、どんどん新しい事実が、結果がもたらされる。
 さらに凄いところは、そんな科学を、私でもわかるように、実に平易な言葉で伝えてくれるタイプの文学者であるところだ。これは、簡単にはできない、と言うか、難し気な言葉を羅列し、素人をケムに巻くのが科学者と思っている人を否定すらしているのではと思ってしまう。

 私が王国に加わった頃、文章を書きたいとムツさんに話した事がある。ムツさんは『純文学』はいらない、誰でもがよくわかる、楽しめる『大衆文学』を考えなさい。と言ってくれた。
 それが出来ているかどうかは判らないが、必ず頭の隅に置いて文字を書いて来たつもりである。

 ムツさんが帰ると、愛犬のテリーだけではなく、すべての犬、そして人間も生き生きとする。明日からしばらく、また、母屋が賑やかになる。疲れが取れたようなら、久しぶりにマージャンをしなければ......、あっ、どんな時でも、絶対に断らないのがムツさんだった。

 

 



2002年04月05日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+3℃・最低−2℃・時々、猛烈な北東の風!!

 昨日は相模原で軍手が風に舞い、今日は、王国でマロやカザフのオシッコが霧になった。
 凄い風が吹いた、いや、夜になってもまだ吹いている。大平洋を進む低気圧のスピードが遅いので、明日も続くようだ。

 もし、風の神様がいるのなら、なんど懺悔をしても構わない、明日6日の午後1時半から3時半まで、中標津から羽田まで、風の昼休みとオヤツタイムにしてもらえないだろうか。
 
 昨年、インパクの最後に、我が家で子ネコが生まれた。皆さんに応援を頂いていた掲示板の名称『井戸端会議』からとって、オスをバタ、メスをイドと名付けていた。インパクのライブカメラにより、ほんの3日間ではあったが、その元気な姿も見てもらう事ができた。

 その子ネコ、イドが明日、東京に旅立つ。すでに新しい名前は決まっていて『エンジェリー』と、可愛い名前が貰えた。
 ここまで3ヶ月と10日、一度も私に心配を掛けずに順調に育って来た。
 しかし、エンジェリーはネコである。サモエドの子犬のようにはいかない。
 それは、どういう事なのかと、よく聞かれる。答は簡単である。

 『ネコは小さな獲物を捕らえる、単独行動の生き物です』
 となる......。

 小さな獲物...例えばネズミや昆虫は、とても臆病である。それを狙うネコは獲物以上に慎重でなければ捕まえられない。従って、ネズミを捕まえる為に、ある1点に集中して狩りをするように進化した。全体を見回す能力は押さえられている。
 さらに、臆病なネズミたちは夜に活動する事が多い。よって、捕食するネコも夜行性になった。
 夜行性は、臆病さも連れてくる。臆病なものは、慣れ親しんだ場所で初めて安心が得られる。

 そんなネコを、知らない所に移動をすると、そこは見知らぬ恐怖の場所となり、パニックに陥る子も多いのである。空港に務めている私の知人は、駄目ですと言うのに、空港でネコの入ったキャリアーを飼い主が開けてしまい、何匹も行方不明になってますと言っていた。
 ある獣医さんも、慣れてるからと抱いて連れてきたネコが、あっという間に消えたケースが何度もあると嘆いていた。

 これがネコである。犬であれば、知らぬ不安な所であればあるほど、飼い主に心と身体を寄せてくるのが普通だが、ネコは、日常、家の中でどれほど仲が良くても、100パーセントの安心はできない。いや、見知らぬ所では、普段の絆の信頼性は。せいぜい5パーセントと思ったほうが間違いがない。
 これは、ネコが犬に比べて劣るとか言う事ではない。生き物の種類、生き方が根本的に違うのである。

 明日、風に揺れる飛行機の、暗い貨物室、そして狭いキャリアーの中でイドは数時間を過ごす事になる。
 東京で優しいOさんが待っているなどとは、私が何度言い聞かせてもエンジェリーは理解しない。ひたすら鳴き、キャリアーに爪を立て、不安に直面するだろう。
 だからお願い、風だけでも収まって欲しい......。
 


   



2002年04月04日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇りのち少し晴れ・最高+3℃・最低0℃

 午後の千歳便でダーチャの子犬が4匹、新しい家族のもとへ旅立った。例によって初めてのシャンプーをし、その後、居間に置いてお別れの添い寝をしたのだが、4匹もいると修学旅行の宿のような状態で、出発までバタバタと遊び回っていた。
 ネコたちはあきれたように眺めていた。それでもターキッシュバンキャットのルドやレオは、ここぞと言う時に、しっかりと子犬の鼻面にネコパンチを繰り出してくれた。頼もしい子犬教育係である。

 一足早く、3月に旅立った8匹のラーナの新居からは、続々と写真や便りが届けられている。実家として、これほど嬉しい事はない。その文面や映像からは、可愛がられて伸び伸びと成長しているラーナっ子の姿が浮かびあがる。

 今日も、埼玉に行ったメスの所から写真が届いた。小さなアルバムに並んだ写真の何枚かには、2匹の白い犬が写っていた。1匹はもちろんラーナの子である。そしてもう1匹は、大きな身体に優しい瞳の大人のオスのサモエドだった。
 同封の手紙には、最初はラーナっ子がオスにたいしてキャンキャンと言っていたが、ある時、オスが一喝したところ、それ以後は仲良しになり、よく遊ぶようになったと書かれていた。
 楽しそうにボールなどの道具や取っ組み合いをしているが、時々、エスカレートをするので、それを見守るのか指導をするか、只今考慮中と結んであった。

 私と女房は、手紙と写真を何度も見てはニコニコとした。

 『うまくいってるみたいね〜、良かった...』
 『大丈夫だよ〜、サモエドだもの、それにメスとオスの関係、さらに歳も離れているし...何と言っても親戚だからね....』

 Mさんの所のオスのサモエドは名前を『ビアンカ』と言う。歳は今年で9歳、生まれは我が家、昨日11歳になったマロと3年前に事故で亡くなったウラルの初めての子供だった。
 おじさんになったビアンカの若返りの為にという意味もあって、今度、生まれた時にはメスをと望まれていた。結婚をさせるわけではない、老いた犬は若い犬によってこそ元気になる事をMさんは御存知だった。

 子犬が着いてすぐに連絡があった。
 
 『ラーナの子犬の名前は、ビアンカの母でもあり、子犬にとっては祖母になるウラルをいただきます.....』

 私と女房は嬉しくなった、
 『ウラルが復活したよ.....!!』
 祝杯を上げたい気持ちとともに、Mさんに『ありがとうございます』と心の中で御礼を言った。

 ビアンカはオスではあるが、顔の形はすっきりとしていて母親のウラルに似ている。そこに、やんちゃ娘のウラルが加わり、最初の頃の写真では、『僕、どうすればいいの?』そんな瞳で写っている。
 しかし、ウラルを認め、ウラルもビアンカに対して尊敬と畏敬を持った頃からは、2匹の間に共通の空気があるのが写真からも感じられる。
 そして、何より強く写真から伝わってくるのは、ウラルの登場を心から喜んで下さっているMさん御一家の雰囲気である。

 『ありがとうございます。そして、よろしくお願いいたします』

 M家の皆さん、今日、子犬を家族の1員にしてくださった皆さん、そして、我が家で生まれ育った犬を友とされている多くのゆかいな皆さんに、心から御礼を言わせて頂くとともに、たっぷりと命が奏でるシンフォニーを楽しんで頂きたいと思っている。
 そこには元気な姿、美しい姿、可愛い姿、やんちゃな行動だけではなく、病も、疲れも、そして老いも入っている......だからこそ『命』である!!



2002年04月03日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り・最高+4℃・最低−1℃

 バタバタとした1日だった。夜、掲示板を見て慌てた....サモエドを飼われているちいまきさんが、『今日はマロの誕生日...』と書かれていた。それに対してのお祝もいっぱい届いていた。

 そう、慌てたのは、私がすっかり忘れていたからである。
 すぐに、女房が毎年1月1日に書き直して、カレンダーの下に貼ってある「石川家生き物一覧表」を見た。『1991年4月3日生まれ』となっていた。
 
 マロはイギリスで生まれたサモエドである。王国にやって来たのは1991年8月12日、暑い日だった。その前に2週間、成田空港の検疫所でチェックを受けている。
 私は、汗をかきかき成田に会いに行った。そこには王国にやってくる総勢6匹の犬がいた。前の年にイギリスに行き、私が頼んできた犬たちの第一陣だった。アイリッシュウルフハウンド、チベタンスパニエル、アイリッシュウオータースパニエル等々、当時の日本では珍しい犬種がいた。そこに白い陽気な犬がいた。オスのサモエドだった。

 『この犬、変わってますよ〜、とにかく明るい、長旅の疲れもなし、日本語への恐れもなし、場所への恐怖もなし、人間に対する不信もなし.....最初から尾を振って笑っていた....』

 生後4ヶ月、もうかなりの大きさで、けして子犬という感じではなかった。顔の毛の具合が中途半端で、日本犬やグレートピレニーズなどの若い時期にある、富士額(サル顔)がユーモラスだった。
 『おいで....』
 と声を掛ける前に、その白い犬は駆け寄ってきた。ヘラヘラと笑顔だった。

 王国で誰がどの犬の面倒をみるのか、犬が到着するまでは確定していなかった。しかし、成田で会った笑顔の白い犬は誰が何と言おうと、私が......と心に決めていた。立ち耳の犬を好む女房にも異存はなかった。

 以来11年、マロと名が付いたサモエドは、我が家の大将として今も元気である。沢山の子犬の父となり、ドンファンの称号も貰った。白い子犬だけではなく、そのオスらしさを見込まれて、ヘアレス犬とも2回結婚をしている。我が家のカリンとベコはその結果である。
 秋田犬のタムの跡を継いで、石川家犬群団を率いて8年近くになる。足腰が弱り、精子の数も減って結婚からも引退をしたが、依然としてその存在はトップである。誰が教えた訳でもないのに、子犬を含めてすべての(マロの座を狙って闘いを挑み、ことごとく負けた息子のカザフは別である)犬が、朝、クサリから放されるとマロに挨拶に行く。
 最近、あまりしつこく寄って来られると、ウ〜ウ〜と小さく声を出す事もあるが、それでも皆に慕われている。
 
 その大きな理由の一つは、やはり優しさである。例え自分の子ではなくても(もともとオス犬に父親の自覚はないが...)、生後1ヶ月以上の子犬が寄ってくると、まるで母犬がするかのように、食べたものを吐き戻して与えてしまう。一度、私が叱ったところ、今度は、子犬たちを引き連れて沢のササ薮に行き、私の目を盗んで吐いていた。
 川遊びで、なかなか岸に上がれない犬の首筋をくわえて引き上げる光景も、何度も見ている。全体を見る能力は天性のものかも知れない。
 こんな犬が、仲間たちに慕われない訳がない。だからこそ、今も群れのリーダーでいられるのだろう。

 誕生日を失念していた私は、BBSに返事を書く前に、何か適当な言い訳はないかと考えた。
 あった!!ありました.....!1
 マロはイギリス生まれなんである。そう、時差があるのである。確か13時間ぐらいはイギリスが遅いはずである。
 だから、これからマロの大好きなジャーキーを特別に歳の数だけあげて祝っても、けして遅過ぎはしない.....。

 『おめでとう、マロ!!』

 たくさんの皆さんからも、お祝が届いていたよ!!



2002年04月02日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇りのち晴れ・最高+11℃・最低+2℃

 急に思い立ち、知床半島に車を走らせた。羅臼まで1時間と少し、そこから相泊まで足を伸ばした。
 目的はネットで得た情報、この冬最後のワシの集団を見るためだった。
 中標津と同じように、羅臼のこの冬は雪が多かった。南に向いた斜面でも、かなりの雪が残っている所があった。
 そんな路肩にカラスとトビが集まっている所があった。これは信号である、必ず何かがそこにある。ほとんどの場合は生き物の死体である。この時期のこのルートならエゾシカと予想がつく。車を止めて降りて近寄ると、邪魔者が来たと言うように『ガーガー』とカラスが鳴き交わし、ほんの少しだけ場所を離れた。
 道路脇の雪の中から姿を現していたのは、やはりエゾシカだった。死因は交通事故だろう、後ろ足が骨折しているのが判った。肉はほとんど付いていない。肉どころか皮もかなり食べ尽され、骨が露出している。角のない事、そして大きさから、せいぜい2歳のメスジカだろう。
 この道は、春になり雪が融けてくると、このような死体がたくさん出てくる。数年前には30キロの間に7頭の死体を見た事もあった。ハンティングや飢え以外にもエゾシカの命を奪うものはあるのだった。

 羅臼を通過すると、右手の国後島がより近く感じられる。流氷の姿はない。今冬は異常に早く海が開き、紋別や網走の流氷観光は打撃を受ける結果となった。自然が相手だから大変である。
 
 左手は岬に連なる半島の山々が迫り、ほとんどが切り立った崖になっている。時々、小さな川が海に流れ込んでおり、その周りのダケカンバの木などにワシがいるはずだった。
 しかし、目を凝らしても、あの大きな姿は見つからない。ネットでは2日前に、結構、簡単に見られたと書いてあった。

 しばらく、ゆっくりと車を進めて行くと、右手の浜に鳥の姿があった。水辺の大きな岩の上に、5羽のオジロと2羽のオオワシが羽を休めていた。互いに微妙な距離を置いてとまっているのが面白い。
 1台の車が路肩に停車しており、その車をブラインドにして長いレンズのカメラを構えている若者がいた。
 彼に様子を聞いたところ、ワシたちは3時間、場所を動かないらしい。
 『これがこの冬、5回目の撮影旅行です、春が早いのか、いつもの年よりも、ワシの姿が消えるのが早いですね....』

 冬の間だけ東京から通って来ているという青年は、詳しく情報を聞かせてくれた。
 『何より、こんなに氷りが少なかった年も珍しい、ワシたちだけではなく、アザラシやトドも、流氷があってこその生き物なので、寂しい冬でしたね〜』
 
 ちょうど、羅臼のコンビニで買った『うぶ茶』なるペットボトルが2本あった。それを差し出し、私たちは茶のみ話を続けた。

 彼は、明日、東京に向けて車を走らせる事になっていた。有給休暇がきれるらしい。
 『また今年の暮には、この周辺に来ています。ワシが集まったら電話しますよ〜』
 ニコニコとワシ好きの青年は約束をしてくれた。
 
 思いつきで、簡単に見に行ける私が、お金を切り詰めて夏を過ごし、数日間のワシとの出会いの為に、眠る時間も惜しんで車を走らせて来る青年に連絡をもらうとは、何か、非常に申し訳ない気がした。でも、日焼けをした彼の笑顔を見ていると、つい、
 『ありがとう、待っているよ』
 と言って、名刺を渡してしまった...『いつか、飲もうよ...』と言う言葉とともに.....。



2002年04月01日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高+13℃・最低−5℃

 4月1日だけれども、この日記では正直に書こう。常にオヤジギャグラーの王道を歩もうとしているので、王国の仲間たちでさえ、いや、王国の連中だからこそ、私が真面目な顔で発言を始めると、まず疑いの目、今度は引っ掛からないぞ.....と身構える。
 でも、ここでは大丈夫、私の数少ない『心のハラミ』のコーナーとして安心して読んで頂きたい。
 『エッ、ハラミ?』
 あれです、あれっ、『心のトロ』・・・『心の吐露』の場です。

 彼女から電話があった、と言っても恋人とか好きな人、という彼女ではない、私が応援をしている若い女性である。

 『正式に今日から、働き始めました。ワクワクです。院長先生をはじめ皆さん、素晴らしい方ばかりなので、いっぱい勉強をして、早く1人前になれるよう頑張ります!!』
 
 初めて彼女に会ったのは10年近く前の事だった。中学生の彼女は、夏休みの王国乗馬教室に参加をしてきた。
 『石川さん、私、絶対、獣医さんになる!!決めた!!』
 そして彼女はこの春、見事に国家試験に受かり目標を達成した。
 『受かりました』との電話に、私は次のよう応えた。

 『まだ、半分だぞ〜、本当の獣医になるのは、これからの気持ちに掛かっている、油断せずに勉強だぞ〜!!』
 もちろん、頑張った彼女にオメデトウの言葉は伝えた。その上で、さらなる努力を望んだ。

 『3月から、ず〜っと研修期間のような感じで病院で働いてきて、本当に、マダマダだと言う事が判りました。院長先生は、それが判っただけでも、可能性はある、頑張れと言ってくれました...』
 『そして今日、正式に職員の一人になりました。まだまだセンセイと呼ばれても自分の事とは思えず、つい返事を忘れる私ですが、1歩1歩、前に向って歩いて行きます。もう少し進化したら、また、石川さん家の犬たちに会いに行きます、その時は、よろしくお願いいたします』

 彼女の声は明るく、そして弾んでいた。声を聞きながら、あの乗馬の時の声も、こうだったな〜と、私は、真っ黒に日焼けした髪の短い女の子の笑顔を思い出していた。

 2002年4月1日 月曜日

 たくさんの若者が新しい旅立ちをしただろう.....
 苦難の時にも、彼らに『栄光』を!!