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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2002年05月29日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り時々晴れ間・最高20℃・最低8℃

 ワールドカップがいよいよになってきた。テレビやスポーツ新聞では、かなり賑やかな状況だが、まだ北の地ではピンとこない。
 どうしても私は中村やローズのホームランの方に気がいってしまう。かつて万年最下位だった頃からの近鉄ファンだから筋金が入っている....と本人は思っている。北海道でパ・リーグ、それも近鉄などと言うと、皆から笑われた思い出もある。しかし、中学生の頃から、けして横を見ずに一途な男だと、今では自慢もしている。
 この歴史をサッカーが破るには、あまりにも選手が替わり過ぎる。コンサドーレにしても、どれほど一部の人や新聞が騒いでも、1年で半分近くメンバーがいなくなるのでは、永遠に『おらがチーム』と言う感覚にはなれない。チームカラーとは生え抜きの選手が作るものだと思う、そんな我がままな私である。

 札幌から帰った私の前に、女房がワラビを使って、おひたしと、油揚げと一緒にした煮物を出してくれた。どちらも大好物である。去年よりも10日は早い。ウドも間もなく食べられると、女房は言っている。確かに、風呂場の窓から外を見ると、目の前に15センチほどに伸びたウドがあった。昨年、我が家の周囲に何本あるかと数えたところ、すぐに50本を超えてしまい、ばかばかしくなって止めてしまった。女房と二人の生活では、食べても食べても追い付かない。特別な想いで考えた事はないが、この豊かさは、やはり宝物なんだろう。

 さて、明日は病院に行く日である。それも入院となっている。過日、血糖値が480となり、即入院と言われたのを、札幌のイベントの事もあり、猶予をもらっていた。その間、薬の服用だけで、かなりの改善がみられた。私の膵臓も頑張っているわいと、あらためて感謝をしている。
 この分なら、ほんのちょっとの検査入院で済むのではと、淡い期待を胸に、神妙な気持ちで行くことにしている。
 今日の夕方の数値は100の前半、これもすべて犬たちのおかげである。彼らとの散歩は、まったく苦にならない。いつの間にか万歩計は20000を超えている。これが健康のために歩きなさい....などと言われてのものだったら、おそらく5000歩もいかないだろう。
 犬たちと川へ、犬たちと原野へ、犬たちと林へ.....身体だけではなく、心にも元気をいっぱい貰っている。
 犬たちに感謝!!....である。

 では、皆さん、ほんの少し留守をします。すぐに戻ります。



2002年05月28日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

28日・快晴・最高27℃・最低6℃

 暑い1日だった。しかし、そう感じるのは戸外だけで、室内では暖房を入れたくなる。私がサッポロに行っている間、気温が低い日が続き、その名残りが建物に残っているのだろう。やはり高温の日が3〜4日は続かないと、壁や屋根の厚い北国の家は温もりを溜める事ができない。
 
 今日は、大阪からの修学旅行の高校生と遊んだ。男子校で、少し気が抜けた犬(女性大好きなフレンチブルのタドン....けして私ではありません)もいたが、気温の高い中で、元気に尾を振っていた。
 嬉しかったのは、『犬が苦手な人?』と質問をした時に、正直に手を挙げた何人かが、私の説明した手法で、見事に犬の表情を見分ける事ができ、さらに触り方をマスターしてくれた事だ。
 そのうちの一人は、アレルギーによる紅斑が出るのにも関わらず、犬に舐めてもらい、その後のかゆみに頑張って耐えていた。何人か、20代になって症状が無くなったり、軽くなった人を知っている。彼もその一人になるようにと、切に祈りたい。
 
 そんな高校生と区別ができないほど心の若い(もちろん姿もです.....うん、私はお世辞が上手!!)4人の仲間が、午前、午後と我が家に寄ってくれた。
 サッポロのイベントの応援に駆けつけてくれた4人は、そのままレンタカーで中標津まで来てくれた。馬に乗り、犬たちと交流を深めてくれた。犬たちも、安心の姿で4人のあたたかい手の感触を味わっていた。
 遠い所まで、本当にありがとうございます。

 さて、今回のサッポロでのイベントの事も書いておこう。

 23日、釧路の手前で浜中のトラックと合流し、車5台で一路、会場となる『月寒ドーム』に向った。途中で雨が降り出し、日勝峠では豪雨となった。しかし、王国の仲間の心がけが良かったのか、犬たちの散歩のタイミングになると、何故か雨がやみ、合羽を着用せずに済んだのだった。
 450キロ、9時間の行程は、犬たちにもこたえたようで、月寒での餌は、ほとんどの犬が残していた。特別に許可をもらい、会場の犬たちの控え室に布団を持ち込み、カラマツ荘の3人と浜中の古園さんが宿直をしてくれた。これで安心して他のメンバーはホテルに泊まる事ができた。

 翌24日、会場の準備は遅れがちで、なかなかリハーサルができなかった。今回は、趣向を凝らした内容を考えていた。1日4回のステージは、それぞれ異なった内容になっていた。ミュージカル仕立ての劇、それぞれの犬が持っている一瞬芸の披露、様々な犬種の紹介、犬という生き物の紹介、そして犬たちの食事に関するステージ.....4回すべてを見て頂くと、かなり面白く、そして少しは飼育の役にたつのではと、自負するところもあった。
 何より、王国の人間と、いつも横にいて見つめてくれている犬たちの絆を見て頂きたかった。
 無事に、宣伝用のテレビ出演も18時40分には終り、2夜目を迎える事ができた。その頃には、午前中から雹(ヒョウ)豪雨、雷と騒がしかった天候も落ち着き、愛知県から応援に来てくれたNさんたちと、美味しい焼肉を食べて本番に備えたのだった。

 25日、そして26日。
 いつもの年よりも早くライラックが満開のサッポロは、よく言われるように『リラ冷え』だった。時々晴れ間が見えるのだが、気温は上がっても15℃、衣装に用意したTシャツでは震えが起きそうだった。でも犬たちには適温で、すっかり会場に慣れた連中は、食欲も元に戻っていた。
 ステージは順調に行った。今回のイベントは入場者も自分の愛犬とともに入る事ができた。嬉しい事に、実に様々な犬の姿を見る事ができた。
 ダックス、チワワ、シーズー、パグ、ヨーキー、などの小型愛玩犬。柴、秋田、北海道、紀州などの日本の犬、そうそう狆もいた。ゴールデンやラブは無数、くわえてボクサー、コーギー、ベアデッド、オールド、ボーダー、ロットワイラー、グレイハウンド、アフガン、サルーキ、などの洋犬たちも姿を見せてくれた。
 大きい犬もいっぱい会った。バーナードにグレピ、そしてグレートデンにニューフアン、バーニーズの可愛い姿もあった。
 そしてそして、我が家から旅立ったサモエドのゴンちゃん、レオンベルガーのルークも会いに来てくれた。見事に成長をしていて、実家の乳父としては感無量だった。

 ショウは、そのような多くの犬たちが観客席で見守る中で行われた。もし王国の犬たちが、客席の犬を気にして勝手な行動を始めたら、それこそ大失敗になる、ちょっと練り過ぎた内容だった。
 心配は無用だった。1度だけ客席の犬の啼き声に反応して他所見をしたケースがあったが、それほど流れには影響しなかった。あとは完璧に担当をしている人間の方をしっつかりと向き、いつものように、いや、場所を替えた事で、練習の時以上に緊張し、集中をして演じてくれた。自分が出ていない時は、観客席の後ろで、背伸びをして、そっと眺めながら、私は心の中で、犬たち、そして王国の仲間たちに拍手を贈っていた。
 、あた1歩、前進をする事ができた...そんな気がした2日間だった。

 無事にイベントを終え、打ち上げにイタリアンを食べ、ちょっぴり泡の出る麦茶を腹に入れ、明けて27日、犬と人間は元気に王国に帰り着いた。
 サッポロで、手伝いに来てくれていた専門学校の学生諸君にシャンプーをしてもらい、真っ白、フカフカ、まるで他所の犬のようになっていたサモエドのアラルは、今日の夕方には、再び、我が家の犬らしくグレーサモエドになっていた。

 



2002年05月22日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高19℃・最低7℃
 
 雨の後に、高い気温と太陽.....最高の流れになってくれた。道端の小さな1枚の葉も、生き生きと見えるから不思議だ。これで、生き物は動物も植物もほっと一息だろう。

 さて、いよいよ札幌への出発が明日になった。トラック2台、他の車が3台、それぞれに犬と道具を積み、400キロを走って行く。途中で犬たちのトイレ休憩を取るので、8時間近く掛かるだろう。とにかく安全運転で行かなければ.....。
 
 6年前だったろうか、同じ会場で王国単独のイベントをした事がある。その時は、犬だけではなく、ネコ、馬も連れて行った。総勢100頭の大移動だった。それに比べれば驚く事はないが、やはり命の移動である、体調やストレスに気を使う。できるだけ穏やかに移動し、イベントでは十分に持っている力を発揮して欲しいものだ。
 これまでの経験では、王国の犬たちは、どれほど多くの知らない人に囲まれようと、いつもの力を、いや、ある心の高まりが、練習以上の力を引き出してくれる。
 問題なのは、実は人間のほうかも知れない。人間には『アガル』という現象がある。25日、26日、私を含め、王国の人間たちがどのような顔と声で出て来るのか、来られた方はそこにも注目をして欲しい。そして、懸命な私たちと、楽しく演じるであろう犬たちに、拍手を頂けたら、こんな嬉しい事はない。
 もし、納得のいくイベントができたなら、この10日間、せつなくも断っている泡出麦茶を、ほんの1杯だけ飲ませてもらおう、皆で乾杯をしなければ.....。

 犬は、知らない場所で心が成長する。それは群れの心を備え、ナワバリを意識している動物だからだろう。自分の知らない場所は不安と緊張の強い出現となり、いつもは聞こえていても知らぬふりをする事もある飼い主の声を、一声たりと聞き逃すまえと心を向けてくる。
 今回の出張で、まだ『オスワリ』すら教えていない、柴犬のミゾレは、完璧にいくつかの事をマスターをして帰るはずである。そんな成長を見い出す事ができるのも、この旅の楽しみのひとつである。
 では、皆さん、行ってきます!!

 

 
間違いがありました!!

 すみません、下の日記(5月22日)で、柴犬の『ミゾレ』となっているのは『シグレ』の間違いです。
 ミゾレの名誉の為に言いますと、彼女は『オスワリ、マテ、ヨシ』を完璧に行います。

 蛇足ながら、何故、シグレに様々な事を教えていなかったかと言うと、けして不精をしていた訳ではなく、一般に喧伝されている『シツケ』などをしなくても、こんなにイイ子に育ちます.....を証明したかったのです(それは、十分できたと思います、札幌でもそこを見てもらいます)。
 
 



2002年05月21日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

雨・最高9℃・最低7℃

 何と、天気予報が2日もずれ、今日は朝から雨の1日だった。気温も上がらず、外の小屋を中心に生活しているネコのアブラたちは、ほとんど箱の中で寝ていた。明らかに狩りにも行っていないのだから、与えた餌をバクバクと食べるのかと言うと、これが逆で、狩りが困難で静かにしている日は、私の与える食事も残す事が多い。
 まあ、考えてみると当然である。狩りが難しい状況....つまり獲物が手に入れ難い時は、静かにして代謝を抑え(食欲を減退させ)、いつになるのか判らない次を待つのが生き物の王道である。彼らの世界には天気予報士はいないのだから、とにかく目の前の現実に対応しなければならない。

 待ち焦がれた雨に、植物たちは生気を取り戻すだろう、できれば気温も上がって欲しい。まだ蕾状態のミズナラも、これで近日中に黄緑色の新葉を見せてくれるだろう。
 昨日から、山羊のメエスケにチモシーやトリアシショウマ、そしてタンポポなどを鎌で刈って与えている。長い間、乾燥した牧草が主食だったので、喜んで食べている。結構、山羊も頭が良く、2日目の今日は、私が鎌を手にしただけで『メエエエエ〜』と太い鼻声で鳴き、大きな角の頭を上下に振って、催促と歓びを表していた。これを見てしまうと、まだまだ、十分な長さに伸びた草は限られるのだが、南向きの斜面などの草を探してしまう。

 今年初めての子ギツネの情報も届いた。我が家から5キロほど離れた林で、チョロチョロと動き回る3匹の子ギツネを見た人がいる。山菜の様子を見に行って発見し、知らせてくれた。方角から、我が家出身のキツネとは違う血統だろう。天候が落ち着いたら確認に行こうと思う。
 
 さて、明日は札幌のイベントに向けての準備で忙しくなる。様々な道具をトラックに積み込み、我が家の天然サモエドのアラルも洗ってみよう。多分、生後3ヶ月で神奈川から我が家に来て以来、洗われるのは初めてだろう。果たして白い犬となるのか、それも楽しみである。



2002年05月20日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り時々霧雨・最高11℃・最低7℃

 夜、カラスの番組に続いてインドのライオンと、動物関係のテレビをじっくりと視た。他のけっこう怪しい動物ものとは違って、この時間は茶を横に(嗚呼、いつまで茶が続くのだろうか....)落ち着いて番組の中に入る事ができる。
 ちなみにカラスの方は、王国の番組に長く関わっていたSさんが中心になって作られた、そしてSさんの家には、近くの水田で泥だらけになり、元気に遊んでいる昨年のダーチャ(サモエド)の子がいる。大きな手術を乗り越え、インパクの中で『オスッ子』と言われていた運の強い子である。
 山、そして生き物、さらに自然全般が大好きなSさんと御家族の元で、犬らしく生きているオスッ子に、実家の私と女房は、ただただ感謝である。

 カラスと言えば、我が家を餌の収集場と思っている2羽のハシブトガラスは、今、抱卵の最中である。場所は昨年までの家のすぐ前の沢から転居し、キツネ舎横の沢にあるミズナラの枝の上である。
 カラスのカップルの結びつきは強い。オスは我が家のマロ、カボスなど、あまり怒らない犬をよく知っていて、食器を置いて私が離れると、すぐに飛んで来て地面に降り、ジワジワと近づいて行く。
 そこで犬が追い払う仕草をしないと、食器の中に嘴を入れ、ドライフードには目もくれず、大きな犬缶の固まり、人間の残り物の肉片や魚など、めぼしい物を口いっぱいに頬ばり、メスの所に運んで行く。
 時には、クサリで繋がれているマロの口が届かない所まで、嘴で食器を引っ張り、それから落ち着いて口に入れる事もある。
 それを、ぼ〜っと情けない顔をして眺めているマロもマロだが、カラスの利発さと作戦上手には感心をしてしまう。
 もちろん、食器に少しでも近づいただけで『ワン!!』と啼いて追い払う柴犬のミゾレやシバレの所には、絶対に寄って行かないのは当然である。

 昨日、今日と、もっとも多くの御馳走をカラスに提供したのは、マロでもカボスでもなく、カザフだった。
 今、サモエドのダーチャの発情がピークに差し掛かっている。2度、ダーチャと結婚をしているカザフは、もう、ダーチャの姿と、漂って来る匂いにしか心が向いていない。どんなに美味しい食事を与えようと、匂いも嗅がず、早くクサリを外してくれ〜の状態である。
 それを感付いているカラスは、食器を前にウロウロとするカザフを横目に、しっかりと最高のディナーを持っていった。
 まあ、あちらも1年でもっとも大変な時期だからと大目にみて、あえて追い払いはしていない。金色に光る物を収集するのが得意なカラスだから、そのうち恩返しにどこかの沢からナゲットでもくわえて来てくれないかと、ちょっぴり期待をしておこう。浜中の王国の中にある沢は、実は昔、砂金が出たらしい。確かに、同じ地層になる4キロ離れた所には金鉱の跡が残っている。まんざら夢でもない話である、『よろしく、カラスよ....』である。

 札幌で開かれるペットのイベント(25日〜26日)に向け、着々と準備が進んでいる。今回は車で多くの犬を輸送する。オイルや足回りの確認、ケージの確認、そしてイベントで行う事のトレーニングと、追い込みの段階だ。
 我が家からは、サモエドのアラル、柴犬のシグレ、そしてヘアレスのカリンと3匹が出演する。カリンは何度か経験があるが、残りの2匹は初体験である。我が家グループは特別な事は教えていないが、たくさんの皆さんに、笑顔で接してくれれば、それで十分である。そして、長い車の旅.....元気であれば.....。出発は23日の早朝である。



2002年05月19日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り時々霧雨・最高12℃・最低8℃

 祈りは届かず、かすかに濡らした程度で降水終了となりそうだ。オホーツクに高気圧が居座っているので、気温が上がらず、まるでいつもの年の6月の感じである。明日も似たような天気らしい。
 そんなこんなで気分スッキリとはいかなかったが、孵ったばかりのヒナ(コニー)を眺めていると、幾分、気がはれた。人の気配を知ると、小さな身体からこれでもか〜〜と言う声が出てくる。親に対するプレゼンテーションだろうが、さすがに群れの生き物、自己主張がしっかりとしている。
 餌も食べ始めた。ニワトリ用の配合飼料も置いてあるが、もっとも好きなのは、女房がハエタタキを手に集めてくる蛾などの昆虫である。これを嘴の先に示すと、触れたか触れないかの瞬間にパクりである。羽を広げると3センチに近い虫まで、目を白黒させながら強引に飲み込んでいる。これを食べると、穀類を中心とした飼料には目もくれない。

 我が家で虫を集めるのは、良くある事だ。コノハズク、コミミズク、コッケイにウッコイ、それから居間で育っていた子ギツネにも与えていた。人類の最後の食料は昆虫と言っている学者がいるように、虫は最高のタンパクとミネラルを提供してくれる。生き物たちは、それを良く知っていて、実にうまそうに食べてくれる。小さな昆虫を、けしてムシは出来ない。

 先に殻に嘴で穴を開けながら、コニーに先を越されたもう1羽のヒナは、私と女房の手助けもあり、何とか殻を外す事ができた。しかし、片足が伸び切ったまま動かない。これが時間がかかった理由のようで、残念ながら育つ可能性は低い。
 それでも、『生きようと頑張っている間は区別しない...』そう、女房は言って、集めてきた虫をコニーと交互に与えている。食べる事で変化があれば嬉しいのだが.....。

 今日は冷たい霧雨だったので、あまり出て行く連中はいなかったが、居間を中心に生活をしている14、5匹のネコたちは、午前11時には勝手口から自由に外に出られる。それぞれに外気浴、日光浴、伸びつつある草を食べ、木に登って楽しんでいる。
 そんなネコの替わりに、開いている勝手口から家の中に入ってくるのがコッケイである。
 大きな声で『コッ、コッ、』と鳴きながら、勝手知ったるウブの家....とばかりに、邪魔なネコの顔に嘴攻撃を仕掛けながら堂々と闖入してくる。
 確かに、生後3ヶ月までは居間で育っていたので、ネコも雰囲気も恐くはないのだろう。人間がコーヒーを飲んでいると、テーブルに飛び乗ってカップを覗き込み、こんな不味そうな臭いの物を.....という顔で鳴いている。
 そこにビスケットでもあると、これは大好物、たちまち嘴で砕き、少しくわえては前に落とし、一際大きな声(トーンも高くなる)で、外にいるウッコイを呼ぶ。いつもながら、メス想いの優しい雄鶏である。
 今日は、浜中の王国の中にある『ゆかいの家(クラブハウス)』を利用して遊びに来られた福島県の二人の女性の前で、このパフォーマンスを繰り広げてくれた。若い女性たちは、かなり驚いていたようだった。



2002年05月18日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高19℃・最低3℃

 牧草地のタンポポが咲いた。しかし、この3週間、雨がほとんど降っていないので、何となく元気のない花になっている。丈も低く、花の大きさも小さい気がする。
 我がままかも知れないが、今は、1時間でも早く雨が降って欲しい。葉を出し始めている樹木や草花の応援歌になり、先日、ツンちゃんが散布した肥料が溶けて、大地にしみ込む、適度な雨が何としても欲しい....。
 幸い、明日の午後には傘マークが付いていたが、それが適中する事を祈る気持ちだ。

 4月下旬から続いていた、我が家の『メス犬一斉発情騒動期』も、ようやく終わりに近づいた。しつこく近づいて来るオス犬に、歯を剥いてうなり声をあげれば、それは発情が終った印....もう同時に自由散歩に行っても構わない。今日は、久しぶりにオスメス合同の大散歩をした。
 残念ながら、それを啼きながらサークルの中で見送っていたのが、1月末に出産をしたサモエドのダーチャである。4月まで育児をしていたので、他のメス犬たちとは発情のリズムがずれてしまい、GWが終ってから出血が始まった。タドンとカザフの様子から、あと数日でもっともオスの心を惹き付ける匂いになるだろう。
 それにしても、あれだけ大変な出産育児をしていても、他の犬と1ヶ月も違わずに発情が来ると言う、ダーチャやラーナの健康さには感心してしまう。古い犬種であるサモエドの強さに敬服である。もちろん、今回は2匹ともに結婚は避けている。

 そして、キツネ舎である.....。
 数日前から、柵の外からのトンネル掘りが始まっている。埋めてある金網の下をくぐり抜け、運動場の穴からも新しい土が出されている。
 生まれた家、生まれた穴に、子連れで戻るという育児法を開発した、オバサンギツネのルックは、このところ毎晩、居間の窓から5メートルの所に出没している。ひょっとすると、トンネル工事は、今年もまた彼女の仕業かも知れない。それが判するのは、6月、子ギツネがちょろちょろする頃である。



2002年05月17日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高22℃・最低マイナス2℃

 久しぶりに修学旅行の生徒諸君がやってきた。東京のS学園中等部、つまり中学生である。しかし、さすがに有名な学校である、まるで高校生のような雰囲気で、中標津の中学生と比べると、とても同じ歳とは思えない。よく見ると、ゴールデンレトリバーまではいっていないが、アイリッシュセッターに近い頭髪の子もいて、快晴の陽光にキラキラと輝いていた。
 
 この学校はクラス単位で旅行先を決めている。生徒たちが主体になり、先生のアドバイスなどを入れて決定しているのだろう。これまでにも何クラスかが王国にやって来ている。
 馬に乗り、犬の素晴らしさを見て、そして我が家で、ネコや犬、山羊に鶏などが、のんびりと共生している中に、自然に溶け込んでいた。今回も何人か生き物が苦手な子がいたが、友人たちが笑顔で接するのを見ているうちに、いつの間にか輪の中に加わっていた。これも人間同士ではなく、犬などの仲間動物が示してくれる心の治癒力である。

 3週間ほど前に、ネコのアブラが行方不明になる事件があった。ヤマちゃんの車に乗り、翌日の朝に発見された。
 そのきっかけは、ヤマちゃんが我が家に人工孵化器を運んできてくれた事だった。荷下ろしの為に開けてあったドアからアブラは乗り込んだ。
 そして、今日、孵化器の中で2個の卵が割れた。1個は昨年、同じ機械の中で誕生をしたウコッケイのウッコイの産んだ卵、父親は鶏とウコッケイのミックスになるコッケイである。
 残りの1個は純粋なウコッケイの卵である。小さな割れ目ができたのが3日前、以来、少しずつヒナが嘴で中から穴を広げ、夜になって姿を現した。
 まだ殻が身体に付いている、ベテランのヤマちゃんによると、危うい状態になるらしい。何とか乗り越え、元気な声と動きを見せて欲しいと祈っている。
 見ていると、つい殻を取ってやりたくなるが、これが逆効果で死んでしまう事があると言う。とにかく今は見守るしかない。

 最初から世話をしてきた女房が声をかけると、殻に小さな穴を開けた状態の時から、ヒナはピーピーと返事をしていた。
 必死に生を手に入れようとしている小さな命に、ただただ頑張れである!!



2002年05月16日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

快晴・最高18℃・最低マイナス2℃

 女房が、植木の花の葉がしおれていると騒いでいた。ピンときて最高最低寒暖計を見ると、やはりマイナスを示していた。明け方にぐっと冷えたようだ。どんなに暖かい日が続こうと、ここは北国、油断はできない。
 それでも、マイナスの状態は短かったようで、犬の水おけに氷はなく、植木の葉も昼には回復していた。
 そう言えば1昨日から知床の峠は降雪のために通行止めになっていた。随分、観光バスが回り道をさせられたらしい。

 まあ、揺り戻しはあるものの、確実に春は進んでいる。桜も散り始め、我が家の裏の林ではワラビの姿も見つけた。
 凍っていた牧草地も解け終り、牧草大臣のツンちゃんは、トラクターでの肥料散布を始めた。50ヘクタールに近い広さの畑の栄養としては堆肥だけでは足りない、どうしても化学肥料を使う事になる。110頭を超える馬たちの食料を確保するためには、最低限、必要な肥料を撒いている。

 肥料は大きな袋に入って、今は空に近い牧草庫に置いてある。そこでトラクターに付けてある散布器具に詰め替えて畑に行くのだが、ツンちゃんが作業をしていた際に、キツネの死体を見つけ、トラクターで我が家に知らせに来てくれた。
 女房と二人で駆けつけた。
 キツネは、30個あまりの昨年の秋に収穫した2番草の山の下に、まるでベッドのような柔らかい草の窪みを作り、そこで眠っているように丸くなり、そして冷たくなっていた。
 犬に襲われた形跡はない、声を掛け、肩を揺すると目を覚まし、びっくりした瞳で見返してきそうな、そんな姿だった。
 毛はみすぼらしい、冬毛が棒状に所々に残り、まるで育児をしているメスギツネのような、ぼろぼろの状態だった。
 抱き上げると軽かった、おそらく3キロと言うところだろう。これはキタキツネとしてはガリガリの状態である。確かに、あばら骨が触らなくても見て取れた。
 尾にはほとんど毛が残っていなかった、まるで木の枝である。さらに、寝ていた側の腰を見ると、そこも毛がなく、象の皮膚のように表皮が肥厚し割れていた。
 『かなり酷い皮膚病だね.....辛かったろうな〜〜』
 ここ5、6年、野生のキツネ社会では、頑固な皮膚病が流行していると言われている。我が家の周囲では少ないほうだが、昨春には、ルックの旦那のクチキズも罹り、それで死んだと思われる。
 
 じっと動かぬキツネを見ていた女房が言った、
 『この子、時々、夕方、わりと早く姿を見せていた子じゃないかな....。尾の形がそっくり、毛の抜け具合が.....』
 私も思い出した、
 『ああ、あの子、残っていたフードを一生懸命に探していた奴だ....』

 4本の脚は先端から10センチほどの所まで毛が抜け、そして腫れていた。目は涙と目ヤニの痕跡が覆っていた。
 おそらく自力で獲物をとれなくなって、かなり経つだろう。だからこそ、我が家の前に姿を現したのだろう。そして牧草に囲まれたベッドは、寒い冬の避難場所だったろう.....。
 力尽き、静かに去っていったキツネ.......女房と私は、明日、大地に還してあげようと思う。そう、我が家の賑やかなキツネ舎の横の、南向きの暖かい斜面に。



2002年05月14日(火) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り時々小雨・最高10℃・最低5℃

 サッポロでのイベントをメのマエニ、昨夜からメマイが.....。
 アハハハ、少々不摂生が過ぎたようです。若いドクターは『どうします?死にますよ!!』と正直に脅してくれました。
 少し(まあ、普通の方なら、かなりですが....)数値が高いのは気づいていました。でも、毎回、克服していましたので、不精をしていました。どうも入院は避けられないようです。
 でも、摂生を誓い、30日まで結論を延ばしてもらい、薬の服用と犬たちとの長い散歩で、いつものように乗り切ります。
 以上、情けない告白でした。

 あれっ?!ここまで、文体が日記用ではありませんでした。では、元に戻して......。
 
 浜中の武田さんが可愛がっているラブラドールのサンゴの発情が良い感じになってきた。そこで、夕方、女房に付き添ってもらってセンちゃんを車で運ぶ。
 センちゃんは、あと2日で生後1年半、いよいよ男になるのである。このところの我が家のメス犬たちの発情にも、なかなか見込みのある迫り方をしていた。先に散歩をしたメス犬の小便の跡を、ヨダレを垂らし、ゼーゼーと呼吸を荒くしながら嗅ぎ回り、最後に自分の小便を掛けていた。
 隔離柵の金網にへばりつき、長い舌でその金網を溶かさんとばかり、ベロベロと舐めていた。
 恐いカザフが近づいてきても、何とかメス犬の側から離れまいと、カザフをチラチラと確認をしながら、場所を確保していた。
 そして、あのバキューム式食事法だった彼が、何と餌にまったく口を付けない日も出て来た。

 これらは、一人前の男になるための大切なステップである。マロもカザフも、シバレもタドンも、皆、こうして大人になった。

 それほど車に乗った事のないセンちゃんは、後部座席で女房の膝に頭を乗せ、良い香りのメス犬たちから離れる寂しさ、引き裂かれる不条理に耐えていた。
 そして浜中に到着、武田さんが新婚さん2匹用の柵を準備していた。時間は7時過ぎ、もう暗かった。知らない臭いの柵の中で待つ事しばし、連れて来られたサンゴの気配に、センちゃんは一瞬うなり声を出した。しかし、サンゴの発情の匂いにすぐに気づき、下がっていた尾は元気に上がって横に大きく振られ、得意のエヘラエヘラ顔で挨拶に寄って行き、『ギャウン、ガウッ!!』と叱られてしまった。
 でも、そんな事ではメゲナイのが男である。しつこくしつこく、挨拶の素振りを見せながら、何とかお尻の匂いを嗅ごうと、センちゃんは頑張るのだった。
 サンゴも完全な拒否の姿勢ではない、人間の女性も多用しているという説のある、ジラシ作戦のような気配である。
 この分なら、数日後、必ず朗報が届くだろう。そして7月、センちゃんの子供が誕生する。



2002年05月13日(月) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り・最高14℃・最低5℃

 申し訳ありません、明日、書かせて頂きます。
 おやすみなさい。



2002年05月12日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃

小雨のち曇り・最高14℃・最低5℃

 東からの風が冷たい1日だった。幸い雨がそれほど強くはなかったので、桜の花はまだもっている。しかし、葉が同時、と言うよりも先に出て来るエゾヤマザクラなので、満開の木でも何となく茶に霞んで見える。これもまた良し......である。

 大地のシバレ(凍結)もすっかり落ちた(霜柱のように地面が持ち上がっていた)ので、久しぶりに皆で乗馬をした。先日から乗馬場でグルグルと回っている新馬の調教とは違い、まだ緑は少ないが広い牧草地で、9頭の馬首を揃えた。
 揃えたのがいけなかったのか、それとも、早い春の兆しにウズウズとしていたのか、何頭かの馬は目ん玉を三角にし、ハミをしっかりと自分でくわえ、4本の脚を小きざみに踏み替え、首を下げ、競馬スタート待ちの状態に入ってしまった。
 こうなれば、一声『ハイッ!!』と掛けるだけで、簡単にトップスピードを体験する事ができる。

 しかし、今日はテレビの撮影も行われていた。ムツさんを先頭に、馬に話し掛けを続け、競走は次回と言う事で、何とか馬たちと折り合いをつけた。
 まあ、少しは馬の気持ちも汲んで.....そう考え、牧草地を3周ほど、軽いギャロップでまわってみた。ムツさんをはじめ大人の騎手ばかりの中に、ひとりだけ小学生が混ざっていた。オヤジの愛馬『月子』に乗った岡田岬樹だった。
 月子も完全に競馬モードに入っていた。ムツさんのマンデーに負けまいとダッシュをかけてのスタート、そして少しでも他の馬よりも前にと、手綱を押さえる岬樹と闘いを続けていた。
 何度かバランスが崩れそうになる場面があったが、岬樹は見事に耐え、落馬する事なく無事に終える事ができた。
 これは拍手ものである。本を読んで知るものでもなく、大人が、指導者が、言葉で伝えられるものでもない。自分で、身体と度胸で覚えなければならない事承の一つである。それを彼はクリアした。

 そんな素晴らしい収穫を得て、今年1回目の仲間乗馬は終った。あちらこちらの筋肉は痛むけれど、何と心地よい痛みだろうか。
 冬毛がドンドン抜けている馬たちも、ブラシを掛けられ、かすかに汗をかき、そして人間と会話を繰り返し、満足したように泥浴びを続けていた。



2002年05月11日(土) 天気: 最高:℃ 最低:℃

曇り・最高20℃・最低5℃

 オスのサモエド(ダーチャの兄弟)レオを、早朝に連れて来て隔離柵の中に入れた。もちろんアラルも同居である。隣のスペースにはレオンベルガーのオス、バルトがいるのだが、上手にレオが挨拶に(金網越しに)行くので、1度もガウガウと言い合う声が聞こえなかった。何と平和な犬だろうか....。
 アラルが主導権を握っているので、なかなかレオは思いを達成できない。でも、心の変化は確実にあるので、今回は駄目としても次に期待を繋ぐ事はできる。ただただ、恋の神様に祈る事にした。

 テレビの取材は9時の打ち合わせから始まった。犬の心を理解するために、心拍計を使った試みを数頭の犬で行った。
 もう10年以上前からデータはためてある。やはり今回も、私たち人間がなかなか気づかない、素晴らしい結果が出た。それをムツさんが分かりやすく解説をしている。ぜひ皆さんに視てもらいたいものだ。
 放映は6月23日に決まっている。詳しくは近日中に『お知らせ』のコーナーに書かせて頂こう。

 いつも犬たちと散歩を楽しんでいる、母屋前の牧草地に面した林の大きな桜の木が、今日、牧場で最後の開花となった。根元に生えていた小さな苗を、何本か我が家の周囲に女房が移植している。その桜も今年は咲いている。
 こうして、少しずつピンクの花の輪が広がっていくのは楽しい事である。

 路肩のタンポポの黄花も目立ってきた。牧草地はまだまだだが、アスファルトの温もりがあるので道端の開花は早い。何本かを抜いて来て山羊のメエスケに与えたところ、夢中になって食べていた。この味を知ると、乾燥した牧草の食いが悪くなる。そろそろ柵から出して青草を食べさせなければならない。これもまた春である。

 外で自由に行動している、ネコのアブラとアブラ2世の狩りが絶好調である。ヤチネズミ派が2世、小鳥派がアブラである。今日も3匹のネズミと1羽のアオジが犠牲になっていた。昨日は、アブラがスズメを捕まえるところを見た。何度見ても、羽のある生き物がネコに捕まえられるのが不思議でならない。地面から数十センチの所を飛んで逃げているスズメに追い付くスピードと、鋭い前足の動きに感心してしまう。慌てた時の小鳥はすぐには上昇できない、これがネコには幸いしている。
 これまでで、私が見たアブラの1番大きな獲物はカッコウである。あの時の、くわえて堂々と小屋に帰ってきたアブラの姿は、とても『カッコウ』が良かった!!

 
 



2002年05月10日(金) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ・最高24℃・最低2℃

 暑かった....朝は寒かった。
 日較差が大きいのも北国の特徴、今日は22℃にもなってしまった。上着を脱いだり着たり....いつもながら忙しい。これを怠ると風邪をひく事になる。
 人間は良いとしても、犬たちは簡単に着替えができない。日中は舌を出して小屋の陰に、そして水をガブガブと飲んでいた。明日は10度以上気温が下がるようなので、犬には嬉しい1日となるだろう。

 アラルの交配にチャレンジをして3日目になる。計算ではベストのタイミングだと思うのだが、オスのレオの反応が弱い。人間が横にいると意識してパワーダウンの事もあるので、明日からは2匹で隔離柵生活をさせてみる。ガンバレ、レオ.....である。

 夜は、中標津町の誇る文化会館(建物も立派だが、そこの利用数が凄いのである)で、名誉館長でもあるムツさんの『北の夜話』があった。今回で20数回、いつも素晴らしい講座となっている。
 今夜は、クローンの問題に関してだった。これは、長い話になるのようで、1回目は生き物の発生学からクローンの定義までで終った。再度、生き物って何だろうと考えさせられた。次回が楽
しみである。
 講座の終った後は、例によって王国ミーティングが開かれた。明日からのテレビ取材に関しても打ち合わせた。これは6月に放映になる。王国の今の犬たちが出演をする事になる。明日からの天気予報が悪いのが気になるところだ。

 そうそう、掲示板にも書かせて頂いたが、ムツゴロウ動物王国の仲間組織である『ムツゴロウゆかいクラブ』の会報誌『LOOP』の仲間便りのコーナーで、皆さんからのペットの写真とコメントを募集させて頂く事になった。ぜひ、愛犬やネコ、小鳥などの情報を、ここのメールアドレスを利用して応募して頂きたい。楽しい写真で溢れるページになれば、これほど嬉しい事はない。もちろん、これから会員になられる方からのメールも大歓迎である。お気に入りの写真を添付されて、どしどし送って頂きたい。よろしくお願いいたします!!

 <岩手紀行・・2>

 5月5日、安比高原を8時45分に出て、私たちは盛岡に近い滝沢村の会場に向った。東北道は空いていて、9時半の開場の前に着いてしまった。
 さっそく上辻さんは、モナとリバティの練習を始めた。2匹の犬は、まだ会場に慣れていない。それはそうである、昨日の下見は人間だけで行い、2匹は車の中で待機していたのだから。
 特に若いリバティは、これほど多くの知らない犬(挨拶を交わしていない犬)、これほど多くの知らない人に出くわした事がないのだから、20〜40メートル先に犬や人を見つけると、つい吠えてしまうのだった。
 これでは、気持ちの集中は難しいと、上辻さんは、まず2匹の散歩をする事にした。状況を犬たちに認識させようとしたのである。会場の中から外のフリーマーケットの会場、広い芝生の遊び場などへ、犬たちを連れ出し、状況を犬に話し掛けていた。
 
 そうこうするうちに、12時、1回目のステージの時間が迫ってきた。千葉から応援に駆けつけてくださったA・Cさんにも手伝って頂き、食器やボール、バケツなどの小道具を用意し、いざ、本番になった。

 MCの美しい女性に名前を呼ばれて私がステージに出ると、真剣で、それでいて笑顔の皆さんが拍手をくださった。
 そこからの30分の私の話は、例によって間に『クソッ!!』が挟まる、やや過激な言葉の連発になったが、犬、ネコバンザイ....の基本は外さずに進めたつもりである。
 そして、いよいよ上辻さんと2匹を呼び出した。会場の皆さんが、オジサンよりもこれを待っていたと、より大きな拍手をくださった。
 2匹は落ち着いていた。しっかりと上辻さんの瞳を見て、いつもの遊びを見せてくれた。もちろん、練習の時よりも時間が掛かった遊びもある。でも、その何とも言えない間が、かえって上辻さんと愛犬の絆を浮かび上がらせ、見ている方は、皆さん笑顔になっていた。

 ひととおり犬たちのパフォーマンスが終ると、今度は、会場の皆さんの質問に私が答える時間になった。6人ほどの皆さんの疑問や相談に、思いのままの答を話させていただいた。いわゆる飼育本とは異なった答が多かったので、混乱をされた方もいらっしゃるかも知れない。でも、真理は我にあり...そう胸を張ってマイクに向った。

 モナとリバティの2匹の犬は、上辻さんや私とステージの上で演ずる事を嫌ってはいない、それどころか、回数を重ねるに連れて、自分が何をすべきかを、しっかりと認識するようになっていた。
 しかし、彼らと控え室の外、散歩や息抜きに出ている駐車場の方に行くと、特に年長のモナは、私の車を探し、それに乗ろうとしていた。
 これが犬である。彼らの集中心、緊張力は長く続くものではない、どこかで心をほぐしてあげる事が絶対に必要である。それは、飼い主の一言、そして優しく撫でてあげる事だろう。

 こんな形で5日、6日、合わせて4回のステージは無事に終った。高原での散歩も、まるで王国にいるかのようにノビノビとしたものになり、可愛いペンションの部屋で粗相をする事もなかった。
 そして何よりも、若いリバティは初舞台で大きな心の成長を遂げた。人にも犬にも、そして場所にも、過度の緊張をする事がなくなったのである(実はアガリ性の上辻さんも....)。
 
 大いなる進歩と小岩井のチーズケーキ、盛岡のユベシなどを土産に、私たちは帰路についた。上辻さんは、八戸から苫小牧まで、JRを利用したのは言うまでもない。
 



2002年05月09日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

(9日分)・快晴・最高18℃・最低6℃

 今日の石川家を順番に書いてみよう。
 7時15糞....じゃなくて15分、女房がネコのウンコを拾う。15匹、朝までの7時間で13個の良いウンコをしてくれた。
 8時、カリンをクサリから放し、自由にする。動物用の台所の戸を開け、アブラとアブラ2世、そしてコッケイとウッコイを解放する。
 朝日のまぶしい庭に出て、アブラたちはゴロゴロと大地の上で転がり、ウッコイはカリンのベッドの裏に行って卵を産む準備に入った。例によってコッケイは、私や犬が近づく素振りをすると、コッココッコと鳴き、身体を斜に構えて防御に来た。これをからかうのが結構おもしろい。

 9時になり、母屋の犬たちの散歩が終ったのを見計らい、カリンを繋ぎ(他の犬と一緒に放しておくと、母屋のムツさんの部屋の前で大きな声で啼き騒いでしまう)、シグレとカボス、メロン、それにミゾレを解放する。
 同時に私がダーチャとベコを、女房がベルクとタブを両手のリードに繋いで散歩をする。2週間前から、次々とメス犬たちに発情が来ており、終ったシグレとミゾレ、避妊去勢済みのメロンとカボス以外は、オスの元へ行かぬように繋いでの散歩となっている。
 庭先から出て行く良い香りのメス軍団を前に、繋がれているオス犬たちは、殺されるような悲鳴を上げ、クサリを引きちぎらんばかりに引っ張っている。
 昨日までの私の留守の間、女房がすべてを一人でやっていた。交差点で追突をされて、軽いムチ打ちのようだったが、元気にこなしていたのかと様子を聞くと、
 『やったはよ、しっかりと、老体にムチ打って.....』
 それを聞き、私は....、
 『ウマイッ、座布団.....』
 と言いそうになったが、女房はギャグを飛ばしたつもりではなさそうなので、もめ事が起きても.....と思い、ぐっと言葉を飲み込み、元気なダーチャとベコの散歩を続けた。

 1回目の連中の散歩が終ると、次は隔離柵に入れておいたラーナとアラルの発情ピークの2匹を同じようにリードに繋いで歩かせる。オス犬たちは、全てのメスの散歩が終って、はじめてクサリから放される。時間は10時15分になっていた。
 気温が上がるとともに、オス犬たちの喘ぐ声も大きくなってきた。ラーナたちの入っている柵越しに、舌を大きく出し、よだれを垂らし、小便を掛けて悲鳴を上げていた。老体のマロまでも、センちゃんと同じように、懸命にメスに思いを伝えようとしていた。

 そんなオス犬たちの様子を見ながら、犬小屋の周囲のウンコを拾い、全ての水おけに新鮮な水を入れ、カボスの行水用にタライも用意した。
 残りの仕事、オス犬の回収などの作業は女房に任せ、私は町に車を走らせた。
 11時5分、私は歯医者にいた。昨年の秋に治療を始めてから4本目の歯が入った。うん、実に気持ちがいい。
 
 12時45分、昼飯は味噌ラーメンだった。気温は18℃、そろそろ冷やし中華が食べたくなった。盛岡では冷麺を食べる機会がなかった。仕方がないのでお土産に買って来た。明日はこれにしたいものだ。

 午後2時、友人に預けてあるダーチャの兄弟のレオと結婚をさせるために、アラルを連れて行く。昨日の夜が初めての見合いで、アラルは完璧な拒否をしていた。
 しかし、そろそろピークが来始めている事と、レオの優しさを認めてきたのだろう、なかなか良い感じにはなった。交尾までは行かなかったが、望みはあるので、夕方再度のチャレンジとする。
 
 午後4時20分、生き物たちの大好きな時間、食事タイムとなった。
 犬、キツネ、ネコ、ニワトリ、ウコッケイ、ヤギ、ウサギ....それぞれに、午前中よりは多めの餌を与える。
 犬は、恋の香りが充満する状況なので、ほとんどの連中が、いつもの半分も食べない、例外はメロンとカボスだけである。
 食べ残しを片付け、再びリードでの散歩となる。メス犬たちは
やたらと小便を振りまき、それにオス犬たちが惑わされている。あくまでも、犬の世界での恋の主導権はメスが握っているのが判る。

 結構、神経を使う散歩が終った後、午後6時半に、再びアラルとレオの対面をさせた。もう一息のところまでは行くのだが、またしても結婚はお預けだった。明日の早朝、また頑張ろう。

 帰って午後8時35分、ようやく人間の夕食となった。豚肉とホウレンソウを使った常夜鍋だったので、室内組のネコが13匹も集まってきて大騒動になった。私があげるからいけないのだと、そう女房は主張しているが、ネコたちの嬉しそうな顔を見ると、つい一切れをあげてしまう。

 10時過ぎ、ムツさんに用事があるのを思い出し、母屋に行く。そのまま犬談義、そして王国談義となり、家に戻ったのが12時少し前、女房が新しいカリンのセーターを編んでいた。もちろんマロの冬毛で作った毛糸が材料である。
 玄関にあった、からっぽのキツネ用の食器を思い出し、
 『ルック、来たんだ.....』
 と聞くと、
 『うん、1時間前、台所の前に.....良く食べた』
 編み目の数を指先で数えながら女房が答えた。

 2002年5月9日、我が家の1日が終ろうとしていた。

 お詫び・・<岩手紀行の続きは明日になります、すみません>
 



2002年05月08日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

 本日(8日)午後、帰りました。車のメーターは、走行距離1820キロと表示していました。
3日から雨は降っていないようです。5日の気温は20度を超えたと女房が言っていました。以上、留守の間の天候でした。

 <岩手紀行>
 5月3日、11時に我が家を出て浜中の王国に向った。そこで上辻さんとゴールデンのモナ、そしてチョコラブのリバティを乗せて、一路、岩手県の盛岡を目指す事になっていた。GWに開かれるペットイベントに参加をするためだった。
 いくら私の愛車ルネッサ君でも海の上は走れない、苫小牧から八戸の間はフェリーになるが、それ以外は私がハンドルを握ることになっていた。
 
 午後2時、仲間や犬たちに見送られて王国を出た。上辻さんの長い不在を何となく気づいているのだろう、連れていく2匹以外の、ピノなどの彼女の担当している連中が、ゲートまで追い掛けてきた。ちょうど出くわしたアキヤ君にピノを押さえてもらい、車のスピードを上げて王国から遠ざかった。

 2匹の犬は車に慣れている事もあり、すぐに後ろの座席で落ち着いてしまった。何より上辻さんと一緒に何処かに行く事ができる.....それが嬉しい様子だった。多頭数の面倒をみていると、自分だけが特別.....要するにエコヒイキほど嬉しいものはないのである、犬にとっては。
 釧路を抜け、池田から高速に乗った。何処かで熊のほうが走る車よりも多い.....そんな失礼な事を言った方がいるが、それは間違いである、終点の清水までの50キロの間、少なくとも20台の対向車はいた。以前に私が走った時には2台の事もあったのだから、頭数を減らしている熊とは異なり、車は確実に増えている。
 まあ、そんな事はともかく、広いスペースが用意されているパーキングステーションで、犬たちと人間の1回目のトイレタイムとした。満1歳の若いリバティは、ただただ嬉しい状態で、すぐにオシッコをしてくれたが、2度の出産も経験しているモナは、今日のドライブは何かいつもとは違うぞ、そう感じていた。だから、いくら優しい声を掛けても、すぐに車に戻ろうとして、オシッコの一滴もみせてくれなかった。まあ、いざとなれば出すだろうと、私たちは日勝峠にむかった。

 雨になる予報がずれたようで、苫小牧に着くまで曇り空ながらも天候はもってくれた。中華料理で人間の夕食を済ませ、乗船の手続きをした後、もう一度、2匹の散歩をした。ようやくモナがオシッコをしてくれた。リバティはオシッコだけではなく、2度目のウンコも出してくれた。これで長い船旅(犬は車の中で狭いケージに入ったままである)の備えができた。
 
 船は24時、つまり真夜中に出航した。この出張が決まって以来、上辻さんは、盛んに船に乗る事の不安を話していた。昔、大阪から九州までの船で酷い船酔いになったらしい。今回は備えをと言う事で、医者に薬を処方して貰ったようだ。
 しかし、八戸到着のの3時間前、6時過ぎから、彼女には地獄が来ていた。あまりにも見ているのが辛くなり、船室の窓から明けていく海を眺め、タバコの煙りを窓ガラスに吹き付けながら、私は上辻さんに、帰路を列車にするようにと言っていた。
 私も1度だけ、体調不良で釣り船を港に戻して貰った事がある、せつなくて、情けなくて、そして悔しい思い出ではあるが、あの苦しさは十分想像できた。

 八戸に着き、少し道に迷ったが、何とか八戸自動車道に上がり、またまたサービスエリアで犬たちのオシッコタイムとした。見上げた事に10時間以上、2匹は我慢をしてくれていた。車から降りると、すぐに長いオシッコをし、リバティは、またウンコをした。移動の時には、出発の6時間前から絶食にしている。従って3日の早朝から何も口にしていないのだが、何と良く出る事か.....比べて、モナの物持ちの良さにも困ってしまう。
 
 車は東北道に入り、盛岡から10キロほどの所にあるイベント会場に到着した。二日酔いとは違い、船酔いは陸にあがれば治ってしまう。お腹が空いたと、ニコニコ顔の上辻さんに合わせ、たくさんの人間と犬が歩いている場内の食堂で、ヤキソバやらオニギリやらを朝飯抜きの空腹に、泡の出る麦茶で流しこんだ。

 下見、そして打ち合わせが終り、来た道を戻るように走り、リゾート地、そしてスキー場で有名な安比高原に向った。犬と一緒に同じ部屋で寝られる宿を探したところ、ここのMと言うペンションを見つけ、予約をしていた。
 『犬同伴OK』と宣伝をしていても、ほとんどが小型愛玩犬で、10キロを超えると断られる宿が多かった。
 これはどうかと思う、もっとも賑やかなのは小型愛玩種で、静かに待っていられるのは中型以上の使役種に多いのである。犬知らずの宿主も多いのではと考えさせられた。

 モナたちが世話になったペンションは、上辻さんと大きな愛犬2匹を心よく受け入れてくれた。奥さんの料理(フレンチのフルコース)も美味しく、看板犬ではけしてないが、家族の大切な犬として可愛がられているミックス犬のチクワちゃんも、静かに、そして尾をいっぱい振って歓迎してくれた。
 モナとリバティは、たっぷりと餌を貰い、雪がなくなってガラ〜ンと空き地になっているスキー場の駐車場で、思いきりボールを追い、2匹揃ってウンコを見せてくれた.....メデタシであった。
 岩手山の八合目から頂上にかけては雪が残り、ふもとの桜は満開のもの、葉桜のものと様々だった。タンポポはすでに綿毛が飛び始めており、明らかに私たちが、24時間の移動で南に来た事を示していた。
 5月4日、時おり降っていた雨も夜半にはやみ、星が高原の闇の上に広がった。

                       (続く)



2002年05月02日(木) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ、強い風・最高13℃・最低6℃

 昨日、私が心無いハンターの仕業に怒っていた頃、実は女房もカリカリとしていた。
 原因ははっきりとしていた。ネコのルドを連れて動物病院に行った帰り、一時停止の交差点で、マナー(ルール)を守って止まっていた女房の車が邪魔なので、何とか乗り越えて先に出ようと、後続の車が実験をしてしまった......。
 しかし、その運転手はマジシャンではなかったようで、ガンなのか、ドンなのか、ガシャ〜ンなのかは知らないが、女房の車のリアのドアが大きく変型し、いちいち開ける手間を省いてくれる事になった。
 警察に行ってどうのこうのと処理の時間が掛かり、結局、閉まらぬドアのままに家に辿り着いたのは、予定の3時間後の事だった。
 本当は女房も『どうしてくれるのよ〜』と叫びたかったようだが、乗せていたルドが、ただでさえ狭い所に閉じ込められるのが苦手なのに、何時間もケージに入れられていたために、最後は悲鳴のような啼き声になり、早く解放してあげたいと、文句も言わずに帰ったらしい。

 私が家に戻ると、女房の口から機関銃の弾のようにてん末が言葉となって襲ってきた。すぐに、なじみの保険屋さんに来てもらい、相談をした。さすがに専門家である、車の修理の手配、代車の確保、そして相手の保険屋さんとの連絡などをテキパキとしてくださった。
 その頃から、女房が首の痛みを言い始めた。夢中の中から出てきたのだろう。つばを飲み込むだけでも首に違和感があると言う。さっそく病院に電話をしたところ、まだ3時だと言うのに、本日の受付は終了しました....だった。
 明日、必ず相手方に連絡をして、その上で病院に行って下さい、そう保険屋さんは言って帰っていった。

 さて、今日である。
 やはり痛みがあるとの事で、女房は午前中に病院に行った。そして、またまた怒って帰って来た。数年前に新しい建物になった総合病院なのだが、診察までに4時間、その後、薬が出るまでにさらに1時間だったと言う。
 まあ、連休を前に、おかしい所を診て貰っておこう、そんな人が多かったのでは....と慰めても、女房は納得しなかった。
 幸い、湿布と筋肉の緊張をほぐす服用薬だけで済んだようなので、ほっとしよう、として気づいた。彼女は、のんびりと身体をいたわるわけには行かなかった。
 明日から6日間、私は車に犬を乗せ、海を越えて盛岡に出張をする。その間、女房はひとりで生き物たちの世話をする事になっている。
 恐る恐る、私は女房に聞いた....大丈夫かと.....。
 『平気よ、これぐらい、一番手の掛かるのがいないのだから....』
 『ウン?手のかかるヤツって....?』
 と疑問もあったが、まあ、女房の元気な声に任せる事にした。

 と言う事で、明日3日から8日まで、留守をします。できるだけBBSには参加できるように頑張りますが、日記は難しいかと思います。帰りましたら報告をさせて頂きます。
 よろしくお願いいたします。
 
 では、皆さん、楽しいG・Wを!!



2002年05月01日(水) 天気: 最高:℃ 最低:℃

晴れ時々強い雨・最高14℃・最低4℃

 思い立って浜中に車を走らせた。春1番の野の味、ギョウジャニンニクを採るためだった。王国での生活が長いメンバーは、それぞれに秘密の場所を持っている。中でも、浜中の王国の高橋氏は、まだそこらじゅうに雪が残っている頃に、ひとりで(犬のグレインは必ずお供をしているが....)山に消え、10数センチの、まだ葉の広がっていない、最高の初物を採ってくる。
 彼に場所を聞く不心得者がいるが、いつものようにニコニコとして高橋氏は何も言わない。

 浜中から転勤をしたとは言え、私も20年近くは山に入っていた。今日、久しぶりに自分の場所で探す事にしていた。
 
 浜中湾を見下ろしたまま海沿いの道を根室の方向にとり、500メートルも進むと短いトンネルになる。それを抜けてすぐ左の取り付け道路を入ると、その奥が私の秘密の場所(これだけ詳しく書くと、地理を知っている方には、すぐに判ってしまう!!)だった。
 
 舗装道路から砂利道に入り、単なる広っぱまで車を進めると、突然、前方から犬が飛び出して来た。大きさは柴、耳が半分折れている痩せた白い犬だった。
 私は車を止め、窓を開けて声を掛けた。犬は10メートルの距離で止まり、盛んに吠えている。ドアを開け、外に出て、再び声を掛けた。
 白い犬は、自分が出て来た奥を何度も振り返りながら吠え続けた。
 2〜3分も過ぎただろうか、突然、前方から新たに3匹の犬が土手の陰から現れた。小柄な2匹は先に出ていた白い犬と同じように、私に向って吠えだした。1匹、身体が他の犬たちよりひとまわり大きく、耳が立ち、クリーム色ながら紀州犬に似ている犬は、吠えると言うよりも、ウ〜、ウ〜と小さく唸り声をだしていた。
 『な〜んだ、お前たち、ノライヌか??』
 『だいじょうぶ、何にもしないよ、優しいオジサンだよ!!』
 
 私は声を掛けながら、靴を長靴に履き替え、滑る材質の上着(ダニよけである)を重ね、バケツとナイフを手に持ち、犬たちの先にある、自分の穴場に向った。
 犬たちが出て来た土手に近づくにつれ、生き物の腐った臭いがしてきた。4匹の犬たちの吠える声も強くなった。
 これは、何かがある.....。
 私は犬たちと地面に注意を向けて進んで行った。
 土手の10メートル手前で、陰にある物体の正体が判った。足元に無数の、荒い焦げ茶とクリーム色の毛が落ちていた。7センチほどの蹄が付いた骨も落ちていた。

 首輪のない4匹の犬が守ろうとしていたのは、エゾシカの死体だった。
 いや、死体では正確ではない、クソ野郎が放置した哀れなエゾシカの残骸だった。
 何故、そのように言い切れるのか......簡単である。
 足の骨・・明らかにノコギリで切断されている。
 皮・・鋭利なもので切られた跡が残っている。
 
 そして何よりも、わずか150メートルしか離れていない道路から見えないようにと、土手を越えたわずかな窪みに重なるように3体のシカの骨が残っている。
 どこに、3頭で抱き合って心中をするシカがいるだろうか、明らかに人為的な事象である。

 まだ遠巻きにして私を見ている4匹のノライヌをはじめ、キツネ、カモメ、カラス、トビ、オオワシ、オジロワシ....様々な生き物が残り物で饗宴を繰り広げたのだろう、よく探してみると、半径50メートルにわたって痕跡がまき散らかされていた。
 死体の置かれたその窪みには、春の水が音をたてて流れていた。清水は20メートル先で、私がギョウジャニンニクを採る沢の本流(小川)と合流している。
 この小川は、もうしばらくすると漁師さんが、海から登って来る白魚の漁をする大切な所である。まだ腐った臭いがプンプンとする川に、果たして魚はやって来てくれるのだろうか。もし来たとしても、このままの状態で漁師さんは仕掛けをいれるのだろうか.....。

 水に浸かっている大きな骨だけでもと、軍手を重ねて私は土手の上に臭いの元を投げ上げた。しかし、無数の毛の固まりまでは手が回らなかった。
 
 いつの間にか犬たちの姿が消え、2羽のカラスが、ハンノキの上で、私が立ち去るのを待っていた。
 タバコを吹かし、ため息をつき、私は、楽しみにしていた山菜採りに向った。
 
 ついでに、一言、大きな声で言い添えた....、
 『この辺に来るハンターはクソである』
 もちろん、『私はきちんとルールを守っている、あんたにそんな事言われる覚えはない...!!』
 と怒るマナーのしっかりとしたハンターもいるだろう。
 でも、公園で、たったひとり自分の犬のウンコを放置する飼い主がいるために、他の飼い主が同類の目で見られ、大きな迷惑を被っている。だからこそ、目に付いた犬のウンコは誰の物であろうと、すべて拾うと言う飼い主が増えてきている。
 犬を飼っている人、いない人.....皆の幸せのためにと......。
 
 それを考えてみると、ハンターの皆さんのするべき事も、はっきりとしてくるのではないだろうか!!