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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2002年06月30日(日) 天気:曇り時々晴れ間 最高:20℃ 最低:12℃


 町で一番大きな小学校で運動会が開かれた。今日は、気温も天候もまあまあだったろう。王国のメンバーの住んでいる所が離れているので、小学生の子供たちは4つの学校に行っている。先々週、運動会の所は冷たい雨だった。先週の日曜日の所は霧雨と10度の気温に震えた。それに比べれば、今日は極楽である。家族、親戚、隣家の人も加わっての宴会となった家庭もあったろう。それほど、この辺の小学校の運動会は賑やかだ。この傾向は、町から離れた地域ほど色濃く残っている。子供たちの数が減り、同級生での徒競走もままならない、そこで、地域をあげてのお祭りのようになってしまう。これもまたヨシである。

 昨日、4匹の子犬を出産した柴犬のミゾレは、落ち着いて育児をしている。ある飼育書には、柴犬が育児をしている時は、絶対に慣れた人だけが世話をするように、そうしないと、子犬を噛み殺したり、見にきた人を襲う事もあります.....と、書いてあった。
 今日、ミゾレと4匹のチビちゃんは、私と女房以外に10人に会った。中でもカメラマンのダイちゃんは、しぶとく2時間は育児箱の横で、大きなカメラを構えて存在を主張していた。
 ミゾレが初めて会う方も玄関を開け、可愛いね〜と子犬に手を伸ばしていた。
 当然の事だが、何も起こらなかった。警戒するどころか、ミゾレはこれ幸いと、開いたドアから出て、溜まっていた小便を庭の先のササ林の中で済ませていた。
 
 ここでも、犬にとって、人間が同じレベルの群れの一員ではない事が、良く判る。
 子犬が生まれると、その気配(主に匂いと声)を感じた他の犬たちが、特にラーナやダーチャ、ベルクなどの子犬を産んだ事のあるメス犬たちが玄関に集まって来る。
 その時、中で子犬を抱えているミゾレは、耳を戸の外に向け、厳しい顔つきで、大きな声で唸る。
 
 『ウ〜〜!!誰だ、そこに来ているのは、私は育児中だ、来るな!!』
 
 と言うサインである。
 それを感じたラーナたちは、姿なきミゾレの声の迫力に気押され、その場から離れて行く。
 これが、ミゾレが同じ仲間として認識している対犬の反応である。出産、育児中は、子供を育てるという使命のために、身体と心を張って闘うのである。

 もし、人間が犬と同じ平面にいるのなら、犬たちが人間を群れの一員と思っているのなら、宅配便のおじさんは、子犬に触れなんとした瞬間にガブリと咬まれて、血だらけとなり、残りの配達を交代してもらう事となり、知人であるダイちゃんも、いいえ、同じ所で生活をしている私や女房も、唸られ、吠えられ、時には近づいた足に歯型が残らなければならない。

 残念ながら、配達のおじさんも、ダイちゃんも私も無事だった。
 さらに、午後、白糠から家族で来られた獣医のHさん一家の、どなたも攻撃されなかった。1才半になる、可愛いKちゃんも、子犬のすぐ横で見ているのにも関わらず、無傷で帰って行かれた。

 口を酸っぱくして言わせて頂く、
 
 『犬は、人間を群れの仲間と勘違いをするほど愚かではない!!しっかりと見分けている!!』

 ソファの上に、ベッドの上に上げた事によって、人間より偉いと感じるほど、犬は単純ではないし、もし、それでワガママになったと思われているのであれば、原因は他に求めるべきである。
 気温が上がり、何故か私もヒートアップしてしまった....。続きは、またとさせて頂こう。

 さて、Hさん一家の愛犬、ラブラドールのレイラは、我が家のセンちゃんの父親である。そう、タブにとっては旦那さんと言う事になる。イギリスの血を引く、私の好きな犬だ。タブの次の発情の時は再び結婚を予定している。前回の子犬たちも、よくある腰の病気なども発生せず、性格も良いと喜ばれている。レイラとタブ、ベストカップルなのかも知れない。

 そして愛娘のKちゃんは、レイラを子守り犬として育ち、生きものを怖がらない。歩き始めるまえから、我が家に来ると、自分の家にはいないのにもかかわらず、ネコを見るとニッコリとし、盛んに手を出していた。
 今日も、『ニャン、ニャン』と言いながら、満面の笑みを浮かべ、しっかりとした足取りで、14匹のネコの相手をしていた。
 生後10日になるエの4匹の子ネコを見せたところ、この大きさはネコと認識できなかったのか、それほどの興味は示さず、大人のネコの動きを追っていた。

 私は、Hさん御夫妻に会うたびに感心してしまう。ふたりともに獣医さんであり、専門の勉強をたっぷりとされている。だから.....なのかも知れないが、娘のKちゃんが、庭で拾った石を口に入れようが、ネコの毛だらけの手をしゃぶろうが、『アリャリャ!!』で済まされている。
 今時の、普通の家庭だったら、母親やおばあちゃんは、卒倒するかも知れない。
 生き物の『生きる力』を、どのように考えていらっしゃるのか....それが伺え、そして、私と『同じ』...とニコニコとしていたら、目があったKちゃんが、ニコッと笑って、大事に居間までくわえてきていた2個の小石を、手に持って差し出してくれた。
 
 本日は、好日だった.......。

 
 



2002年06月29日(土) 天気:曇りかすかに晴れ 最高:20℃ 最低:13℃


 カボスの脚は、快方に向かっている。体重が重いだけに、勢いがついた時は、衝撃も大きく、これからも同じような事があるかも知れない。でも、リードで繋ぎ、動きを制限するような事は、私には出来ない。草にこすれて毛がみすぼらしくなろうと、枝にぶつかって鼻の頭を切ろうと、そして、脚を傷めようと、せっかくの原野に住んでいる特権を生かしてやりたい。
 人間の子供と同じように、身体に残る傷の数だけ、楽しい生活を送ってきた証しだろう。

 まだ2〜3日後だと思っていた柴犬のミゾレのお産が、夕方から始まった。産室はもちろん玄関である。過日のラーナやダーチャの出産育児の時から、産箱は置いたままになっていた。いや、ダーチャたちの時からではない、その前、ちょうど1年前の7月のベルクやミゾレのお産から、ぞのままである。
 
 変化は、朝の散歩の時にあった。
 いつもは、先頭にたち、川への山道を駈けていくミゾレが、いくら呼んでも来なかった。私や女房を見てはいるのだが、自分の小屋の周りから動かなかった。
 
 昨日の夕方の散歩では、例によって、自分より先に行こうとするラーナやアラルたちに『ウ〜、ウ〜』と声を出し、自己主張を盛んに繰り返していた。
 水温が8℃の当幌川では、真っ先に飛び込み、腹まで水に浸かって、私のポケットからジャーキーが登場するのを待っていた。
 その様子から、今日の出産はないだろうと思っていた。だが、散歩についてこないのは大きな変化である。それなりに注意をはらう事にしていた。

 妊娠している犬が、いよいよ出産という時に示すサインには、実に様々なものがある。これまでの経験、観察したものを挙げてみると.....。
 (1)散歩についてこない。
 (2)オシッコの回数が増える。但し1回の量は少ない。
 (3)小屋に繋がれている時は、盛んに穴を掘ったり、小屋の     
    床を引っ掻く。
 (4)フリーにしておくと行方不明になる。
 (5)暗い穴に入り、丸くなっている。
 (6)食欲がなくなる。
 (7)大きなお腹の膨らみが下に移動する(腰の所が窪む)。
 (8)ウンコが柔らかくなる。
 (9)動かないのに舌を出している。
(10)他の犬に唸る。
(11)乳首を軽くつまんだだけで、オッパイが出る。
(12)尾がいつもよりも持ち上がっている。
(13)陰部が肥厚し、濡れている。
(14)肩から背にかけての毛が立ち気味である。
(15)頭を上げ、背筋を伸ばすようにして固まっている(軽い
    陣痛が始まっている)。
(16)盛んに陰部を舐めている。
(17)大好きな人が呼ぶと、すぐに来るか、逆に逃げようとす   
    る。
(18)水をよく飲む。
  
 まだまだあったような気がするが、思い出せない。
 もちろん、すべての妊娠犬が、この全てを示すわけではない。しかし、この中のいくつかの徴候は当てはまるだろう。我が家のように、普段フリーにする時間があると、確認をしていないと、行方不明の上に、とんでもない所で子犬を産んでいる事がある。それが厳冬期だと死にも繋がるので、人間側の心くばりが必要になる。

 ミゾレの陣痛は午後3時過ぎに始まった。
 そして、1匹目が生まれたのが4時40分、オスだった。最後の4匹目が8時前に生まれ、これで打止め。ミゾレは乳首を子犬たちに与えたまま、まどろみの中に入ってしまった。
 お疲れ、ミゾレ......できれば、このまま気温は低いほうが、お前には優しいかな。



2002年06月28日(金) 天気:雨のち曇り 最高:14℃ 最低:12℃


 カボスが前脚を傷めた。昨日の夕方の川への散歩の時に、例によって、ラブラドールのセンとからみ合いながら、林の中を駆け回っていた時だった。
 
 『キャイ〜ン!!』
 
 大きなレオンベルガーらしくない、高い声が聞こえた。
 
 『だいじょうぶ、カボス!!』
 
 女房の声が続いた。
 私のいる所からは、シシウドやトリアシショウマ、そして南の島のソテツのように大きな葉となっているコゴミが邪魔をして、様子が見えない。
 あわてて、薮こぎをして、声の方角へ向かった。カボスが前の右足をかばって、ヨロヨロと進んでいた。

 『草の陰からセンちゃんが飛び出した時に、ちょうどカボスも勢いをつけて走ったところだったの。出合い頭にド〜ンよ!!』

 35キロに50キロである、かなりの衝撃だったろう。私はカボスを呼び寄せ、痛がっている足に触った。持ち上げて関節の動きと痛みを確かめる。ボッキリと折れている気配はない。もちろん傷も見当たらない。
 そろそろと歩かせてみた。かばいながらではあるが、何とか進む事はできる。たいした事はないだろう、様子を見ようと、そのまま家に帰った。

 今朝、犬たちの散歩が、私の寝坊で30分ほど遅れた。皆、クサリを千切らんばかりに、私を待っていた。
 先ず、カボスを確認すると、あの散歩大好き犬が、小屋の中から、恨めし気に私を見ている。

 『カボス....どうした、痛いか!!』

 名を呼び、クサリに手を掛けると、ようやく身体を起こし、小屋から出ようとした。しかし、前脚は左しか使わない。身体を小屋に預け、飛ぶようにして出て来た。
 少しあせった。慎重に右前脚に手を当てる。目立つ腫れはない、しかし、手根骨の上あたりに触ると、身体に緊張が走り、脚を退こうとした。

 『ガマン、ガマン、ちょっとだけだよ、カボス....』

 声を掛けると、動きを止め、今度は私に身体を預けてきた。重い、しかし、そんな事を言っている場合ではない。慎重に手を動かし、痛みの個所を探った。音はしなかった。カボスも悲鳴をあげる事はなかった。私が手を放すと、そっとではあるが、地面に脚を下ろした。
 腫れがない事を目安に、また様子を見る事にした。

 その1時間後である。
 他の犬たちが、いつも通りの散歩を終えて庭にもどり、それぞれの小屋にクサリで繋がれると、カボスがヒーヒーと啼きだした。1歳の誕生日を間近に控え、少し大人になったカボスは、ウンコとオシッコを我慢できるようになってきた。そう言えば、今朝はまだウンコをしていないと、クサリを外してやった。

 それを待っていたのがカボスだった。ウンコではない、真直ぐに6メートルほど離れた、センちゃんを目指して、脚はこびのリズムは乱れているが、何と駈け寄って行った。
 センはセンで、嬉しそうに尾を振り、カボスを待ち受けていた。
 2匹は、昨日の夕方と同じようにからみ合った。センちゃんのクサリがカボスの脚を打った。しかし、カボスは、そんな事よりも大好きなセン兄ちゃんと遊ぶほうに夢中だった。
 あわてて、私はカボスを呼び、元の小屋に繋いだ。一瞬ではあるが、センちゃんとバトルを繰り広げた事で、カボスの瞳が、つい5分前とは違い、実に生き生きとしていた。
 命を元気づけるのは、他の命......それを確かめた時間になった。
 
 夜、カボスの小屋の後ろに大きなウンコがあった。クサリをいっぱいに伸ばさなければ届かない所だった。昨夜は、小屋のすぐ横にウンコがあった。自分の寝る所の近くには出さない、心づかいがが戻っていた。
 右前脚に手を伸ばすと、素直に触らせてくれた。明日には、完治している事を祈りたい。大好きな川に、これまた大好きなセンちゃんと行くために。
 
 



2002年06月27日(木) 天気:曇りのち晴れ 最高:21℃ 最低:6℃

 東の空が明るくなり、夜通し鳴き続けていたエゾセンニュウが、最後の主張とばかり、ひときは大きな声を上げているのを聞きながら、タバコを手に庭に出るのが好きだ。
 今朝は3時半過ぎにサンダルで、そっとドアを開けた。曇り空、薄く霧がかかっているのか、周囲がかすんでいた。
 真っ先に、玄関の正面、距離にして20メートルほどの所に繋がれているサモエドのダーチャが、身体を埋めていた自作の穴から顔を上げた。耳を軽く倒し、嬉しい挨拶を示して振っている尾の先だけが穴から出て、元気にクルクルと回っていた。
 その気配を感じたのだろう、隣の小屋から黒白の長い毛を持った、サモエドとヘアレスのミックス犬であるベコが出てきた。
 私の姿を確認すると、これまたクサリの張るまで前進し、嬉しそうに尾を回した。この子の特徴は、嬉しい時、会いたい時、遊びたい時、挨拶をしたい時、声が出てしまう事である。今朝も、エゾセンニュウが負ける大きな声で、私の接近をせがんだ。

 そのベコの声が、他の15匹の犬たちを眠りから覚ました。親分のマロが小屋の裏から出て来た。ナンバー2のカザフは、小屋の下から出て来た。間もなく出産を迎える柴犬のミゾレは、太い腹にクサリが当たらないように横歩きの姿勢で私に近づこうとしていた。
 1匹だけ、ほとんど変化がないように見える犬がいた。50キロの大きな身体をうつ伏せにし、あごも湿った土の上につけて寝ていたレオンベルガーのカボスだった。
 彼は、間もなく生まれて1年になる。大型種だから、まだ成長の途上、子犬と言ってもよいのかも知れない。そして、これはレオンベルガーと言う犬種に特徴的なのだろう、けして出しゃばらず、挨拶もしっかりしているところがある。その結果、群れの中で、他のどのオス犬からも認められ、常に一緒にいられる。

 『カボス!!』
 
 10メートル離れた所から、私は名を呼んだ。カボスはあごを地面につけたまま、眉間にしわを寄せ、目を三角にして私を見上げた。ふかふかの尾が、軽く持ち上がり、細かい石を横にはらった。これだけで、彼が最高に喜んでいる事が判る。
 ヘアレスのカリンは、シャッターを開放してある車庫の中で、啼いて私の注目を引きつけようとしていた。その短い吠え声は、兄弟であるベコのものによく似ている。犬の声が苦手な方は、きっと逃げ出すだろうという、鋭く、かん高い声だ。

 『わかったよ、カリン、今、行くよ.....』

 私が応えると、一瞬だけカリンは静かになる。しかし、尾は横に振られたままだ。耳は、もちろん、私の動きを追い、私の目と目が合った時だけ、素早く後ろに倒される。ヘアレス犬は実に目がいい、サイトハウンドの1種と言っても良いほどである。
 横道にそれるが、ミックス犬など品種が不明な時に、視力に頼るタイプの犬かどうかを確認するのは、簡単なテストで判る。その犬の背丈より高い草が生い茂っている所を走らせれば良いのである。
 100メートル先で飼い主が名を呼んだ時に、直線的に向かいながら、途中でジャンプをして何度も飼い主の姿を確かめるのが視力犬である。これが、耳を頼りにしている犬だと、ひたすら草の中を潜るように進んで行く。

 さて、朝霧の中を、私は1匹1匹、声を掛け、軽く触れて回って行く。ベコとカリン以外は、静かに自分の順番が来るのをまっている。
 そんな動きを聞き付けて、我が家のカラスが飛んで来た。そう、もう石川家のカラスと言っても構わないだろう。胸に灰色の羽があるオスとその連れ添いは、ほとんど1年中、我が家にやって来ている。カラスが集団になり、10キロほど離れた林で夜を過ごす冬期間も、日中の餌探しは、手軽にできる石川家となっている。他のカラスが来ると、2羽で追い払うしたたかさだ。
 
 犬たちに与えていたジャーキーを千切り、カラスがとまって鳴いている太いダケカンバの根元に投げた。すぐに飛び下り、2羽でくわえた。オスは素早く5個ほどを口に入れ、頬がふくらんだ。
 地面に落ちているジャーキーを処理し終えると、再び枝にとまり、オスがくぐもった声で鳴き、枝の上を横飛びしながらメスに近づいて行った。
 待っていたかのように、メスがオスの嘴を突いた。オスの頬のジャーキーはすべてメスの口に入ってしまった。

 早出の人だろうか、50メートル先の道を、猛スピードの車が飛んで行った。マロが樹木の葉で車が見えないのにもかかわらず、道に向かって吠えた。親分は時速80キロ以上の車を察知すると、まるで敵を見つけたかのように吠え、そして向かって行く。
 ひょっとすると、かつてサモエドは足の速い獲物を捕らえていたのでは、そんな事を思いながら庭を漂ううちに身体が突然震え、私は上着を取りに玄関に戻った。



2002年06月26日(水) 天気:曇りのち快晴 最高:15℃ 最低:5 ℃

 今日から、この日記の形が少し変わった。過去のものを月別に振り返る事が容易になった。さらに、編集機能も加わり、私の得意な『五時脱痔』の治療ができるようになった。『誤字脱字』と直せるのである。

 さて、そんな記念すべき最初の日記である、心して書かなければとは思うのだが、やはり痔が出てしまう。おっと、これの手術は1昨年に終えている。今は、どんなに長い時間の乗馬をしても20代に負けはしない(時々、60代のムツさんには負けるが.....)。
 ビロウな話ばかりですみません、どうも最近はこの手の事が口に出てしまう、反省である。
 
 今日の私の観察は、孵ったばかりのウコッケイのヒナの食餌行動に関してだった。
 
 『おとうさん、ニワトリたちに餌をやった?』
 
 女房の大きな声が、晴れ間が広がって来た我が家の庭に響いた。カシワの新葉が見事な薄緑だ。
 
 『やったよ〜、水も替えた!!』
 
 心の中でウルサイナ〜と思いながらも、空のバケツを手に、私は平和的に返事をした。
 
 『ウコッケイの前に餌を置いた?餌箱ではなくて.....』
 
 何故、汚れた地面に餌を....と疑問に思いながら私は、
 
 『いや、しっかり箱に入れたよ』
 
 すかさず、天下を取ったような女房の声が返って来た。
 
 『それじゃ駄目よ、ヒナが食べられないじゃない...。まだ他の卵を抱いている親たちの前に撒いてあげてよ〜、そうするとヒナも食べられるから...』

 2羽のウコッケイの雌鶏に抱かれて卵から孵ったヒナは、今日で生後3日になっていた。スズメなどのように、口うつしで親が餌を与えるわけではない。最初から自力で餌を探し、ついばむのが生きる道である。私はそれを忘れていた。
 昨日の日記にも書いたが、親鶏は抱卵中でも、立ち上がって縁が5センチほどの金属製の餌箱に嘴を入れて食べている。その記憶があったので、そのまま餌を箱に入れてしまった。
 確かに、これではヒナの嘴は届かない。

 『親たちの前の地面に置いてやると、コッケイがウッコイを呼ぶ時のような声で鳴くの、するとヒナが隠れていた親の羽根の中から出て来て、親鶏が突いている餌の所を、真似して突くの。だから餌は地面にじかに置いてよねっ!!』

 私は、追加の餌を持って行き、親の顔の前に置いてみた。
 確かに、女房氏(師?)の仰せの通りだった。親子が上手に餌を食べた。
 
 コッケイは昨年人工孵化で孵った雄鶏だった。同じ時に孵ったメスのウコッケイ(ウッコイ)の旦那として、なにかと面倒をみ、他の生き物から守っている。そのコッケイの前に、犬用のジャーキーでも蛾でも置いてやると、一度は自分でくわえるのだが、その後、トーンを上げた大きな声で鳴き、それを聞いたウッコイが駆け付けると、その顔の前にくわえた獲物を落としてやるのだった。
 ウッコイが見つけられずにいると、何度も、何度もくわえては落とすを繰り返すコッケイが、男の優しさと、辛さを現しているように思えた。何しろ、大きな獲物の時は、必ず鳴いて呼ぶ。けして自分だけが食べよう、という欲は見せなかった。

 そのコッケイの呼び声を、メスである親が出していた。なるほど、こうしてヒナが学習していくのだと、当たり前の事ながら、感心してしまった。
 いつもは女房に、細かいところを、肝心なところを任せる事が多い。知っているようで抜けている事も多いな〜と、おおいに反省をした今日だった。
 ちなみに、柔らかい草を細かくせずに、そのまま地面に置いたところ、親鶏がしっかりくわえ、それをヒナが突いて、上手に食べていた。これまた、なるほど......である。
 
 



2002年06月25日(火) 天気:曇りのち快晴 最高:14℃ 最低:5 ℃

テレビの画面は、霜で真っ白になったアズキの苗を映し出していた。朝の気温が氷点下の所が道東を中心に何ケ所もあった。幸い中標津はプラスだったが、畑作地帯の農家の方は肝を冷やしただろう。
 知床横断道路の峠なら判るが、もっと海抜の低い小清水町の展望台でも5センチの積雪があったようだ。間もなく7月だと言うのに、何とした事か......。

 さて、掲示板でも書いたが、昨日、ウコケイのヒナが孵った。ニワトリ小屋で母鶏に抱かせていた卵だ。餌などで私が小屋に入った時は、いつも抱いているので、自分の身体の維持はどうしているのかと気になっていた。
 それを女房に言うと、
 『な〜に、今頃....!!観察力がないのね!!』
 と馬鹿にされてしまった。
 『ちゃんと、食べているし、水も飲んでいるわよ...』
 そう言われ、3時間ほど小屋に椅子を持ち込み、眺めていた事がある。確かに、母鶏は立ち上がり、餌をついばみ、水を飲んでいた。
 面白いのは、その時の出来事である。実は、今回は2羽のウコッケイが、互いに3個ずつの卵を抱えていた。1羽が餌を食べに立つと、残った方が、立った鶏の3個を、嘴と羽根で、何とか自分の腹の下に入れようとしていた。ある時は、すぐ横で産卵をしたニワトリの大きな卵までも、自分の羽の下に入れてしまった。
 それを2羽が時間を変えて行うので、自然に転卵ができる事になる。
 そして22日目の昨日、1羽目のヒナが予定を守って孵ってくれた。ヒナは母親(果たして正確にそうかは判らないが...)の羽根の下に潜り込み、なかなか顔を出さない。温かいし、敵に見つかる可能性も少ないからだろう。時々、母の羽根の間から顔だけをチョコンと出す、これが可愛い。あとは無事に育つ事を願おう。
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 『道東見聞録2002初夏・・その2』

 ♪ 今回の旅のハイライトは、何と言ってもシマフクロウだろう。残念ながら、私が見たわけではない。女房の『イトコ会』の旅が一区切りした後、久しぶりの親娘の勢ぞろいと言う事で、近くの温泉のホテルに泊まった。私は夕食だけをともにし、我が家に帰った。
 その夜だった。ホテルのロビーの前を川が流れている。そのすぐ横にイケスがあり、イワナやヤマメが入っていた。
 そこにシマフクロウがやって来た、それも2羽である。女房たちは、すぐ前、窓ガラス越しに、その雄大で神々しい姿を見る事ができた。
 Y温泉にある『ホテル大一』は、もともと野の生き物で有名な宿である。御主人が生き物大好き人間で、バードフィーダーなどを古くから庭に置いていた。そこにはたくさんの生き物が集まって来た。もちろん野鳥が中心だが、ある時から、冬はクロテンが顔を出すようになった。それも1匹ではない、4匹も5匹もである。
 キツネは玄関にやって来た。ロビーには犬が寝ていた。
 そしてシマフクロウである!!
 
 世の中には、寂しい事を言われる方も、残念な事にいらっしゃる。宿が客寄せの為にシマフクロウを慣れさせている....などと。
 私は、逆に考えている。
 シマフクロウは、今や、絶滅を危惧される貴重な鳥である。すると何が起きたのか....。そう、珍しいものを撮影したいと、プロはもとより、アマチュアのカメラマンが道東の森に殺到したのである。中には、邪魔な木や枝を切ってしまった方もいた。
 そこで、鳥を愛する方たちから声が上がり、生息地を隠そうという流れが出て来た。隠されると、また自分だけは見てみたい、写真に撮りたいと言う人が現れる.....せつないイタチゴッコである。
 これを打開するのは、私は、生息地を公表するしかないと思っている。シマフクロウが宝と言う事は、もう、ほとんどの方が知っている。オラガ町の森に、あの川に住んでいる....これは住民の宝である。
 つまり、私たちの住んでいる所の宝を荒らす者は、絶対に見逃さないぞ....と言うシステムである。研究者やレンジャーだけで、密かに保護をしていこうとするには、あまりにも予算が少なく、人の数が足りない。

 その時に重要なのが、だれでもが自分の目で、シマフクロウの素晴らしい姿を見る事のできる施設である、それも自然の中で。
 『どうか、ここにいる人間に友情を示してくれているシマフクロウで、この鳥の姿を確認して下さい。そのかわり、あそこと、あそこに住んでいる鳥たちは、どうか、そっとしてやって下さい....』
 そう、発表をし、シマフクロウ界からの使者として、イケスにやって来る子には活躍をしてもらおう。
 この手法で大切なのは、しっかりとしたインストラクターである。その役割をホテルの御主人などが、率先してされている。これほど条件が揃った所は、他にはないと思う。
 足の悪い女房の母も、山道や薮をこぐことなく、浴衣着でシマフクロウを目の前に見る事ができた。
 『凄かったのよ〜、私なんかさ〜夜中の2時まで見てしまったんだ羽.....』
 この感激こそが、保護への大きな力の一つになると思うのだが.......。



2002年06月24日(月) 天気:曇り時々小雨 最高:12℃ 最低:6 ℃

 『6月21〜24日・・・道東見聞録2002初夏』

 慌ただしい4日間が終ろうとしている(いや、明日の午前の便で、女房の母と姉二人が帰るまでは、まだまだ続くのかもしれない.....)。
 久しぶりに大型バスに乗り、釧路、根室、そして網走管内を周遊した(朝夕は帰って生き物の様子をみる事も多かったが)。本来ならば客のひとりとして、おとなしく景色に見入っていれば良いのだが、女房の親戚は本州の方ばかり、つい、悪い癖が出て、ガイドさんのマイクを奪って『北自慢』をヒトクサリどころか、何回も口を挟んでしまった。随分とガイドしにくい客だったろう....ガイドさん、ごめんなさい。
 
 4日間、気温が13℃を超えた日はなかった。さらに霧雨や小雨、時には本格的な雨も落ちて来た。
 そんな中で、私がバスの窓から、そして、風に負けまいと身体を斜にして大地を踏み締めた中から、気づいた事を並べてみようと思う。
 名付けて『道東見聞録2002初夏版』である。

 ♪ あれほど気温が高かった4〜5月がウソのように、この1ヶ月、涼しいと言うよりも寒い気温が続いている。従って遅く葉の出る、シラカバやミズナラは、まだ新緑を保っていた。その木に駈け登ったエゾリスは、すっかり夏の毛(耳の飾り毛も短く)になっていた。
 
 ♪ 夏毛と言えば、出会ったエゾシカは、大人でもバンビのように斑点(スポット)のある明るい茶色になっていた。冬のくすんだ焦げ茶色(灰色にも見える)を脱ぎ捨て、なめらかな夏の毛である。
 一方、キタキツネは、ぼろ雑巾のような冬毛を身体から下げ、尾は細く、みすぼらしかった。これもまた夏を前にした正しい姿、特に子育てをしているオスもメスも、身繕いどころではない、必死に食料をさがして忙しい毎日だろう。
 今回、出会った3匹は、車が迫るとあわてて路肩から逃げようとしていた。10年前のような、観光バスに寄って行く、いわゆる観光ギツネは少なくなったのだろうか。

 ♪ 海岸も、何ケ所かで足を止めた。どこも見事にゴミが散乱していた。
 私は、海岸とはウミガメや魚が砂に産卵する聖地だと思っているのだが......。ある所では、テグスや重り、そしてビールや日本酒の空き缶、空き瓶が一緒に捨ててあった。どれほどの大物を釣ったとしても、このような人は釣り師ではない。

 ♪ ショウドウツバメが舞っている所があった。私の観察では7月に群舞(虫を捕まえるための)が多い。彼らも今年はサイクルが早いのだろうか。このところの寒さで、虫の発生が抑えられているので、ツバメも大変だ。

 ♪ 虫と言えば、今年初めての『エゾハルゼミ』の声を聞いた。場所は、我が家から下った川の横の林だった。去年と比べてどうなのか、データを忘れてしまった。

 ♪ 店頭に並んでいるカニの値段が、かなり高く思えた。『うん、これは安い!!』と本州から来られた方が、嬉しそうに手にされているのは、決まって脱皮間もない、身のスカスカなカニだった。以前は、良心的な店では、こような物は並べなかったし、もし出すとしても、必ず断わり書を付けていた。
 今の状況からすると、間もなくカニ大好き人種の日本人が、カニとさようならをする日が来るだろう(お金を積んでも、海にカニがいなくなる)。それを防ぐには、5年間、日本がカニを食べない事である。

 ♪ 大雪だけではなく、知床峠でも雪になった。強い寒気が動かず、逆に南に下がっている。峠が通行止めとなったので、いつもと違う方向に走る本州ナンバーの車や、レンタカーが多かった。
 そして、そして、自家用車で来ている本州からの方は、かなりの割り合いで犬を乗せている。嬉しい状況であり、まだまだ、この辺では、自由に犬を遊ばせる事が可能な、無人の広い所がある。もいろん、呼べば帰る犬である事が重要だが。

 ♪ 久しぶりに、我が家で、風呂の順番が叫ばれている。私は、後ろのほうだ。その前に、大好きなテレビドラマを視なければ...。今日は、このへんで終るとしよう.....。

  





2002年06月23日(日) 天気:小雨 最高:10℃ 最低:7 ℃

 昨日、5時に起きて、犬たちの世話をした。何だ何だ、何ごとだ.....そんな感じで、のっそり、のっそり....。
 彼らも、生活は見事に飼い主のリズムになっているので、意外な時間に餌などを与えても、残す事が多い。偉大なり日常.....である。
 
 万事が重なり、金曜日の夜からメールを開けていなかった。今日、夕方、生き物たちの世話に戻り、一瞬だけ隙を見つけてPCの電源を入れた。200を超えるメールを頂いていた。
 その真ん中に、すぐに目が行った......胸騒ぎのようなものがあった....。
 タイトルは『ありがとう、グレイシー』となっていた。
 今年で7歳になる大きな犬の死を伝えるメールだった。
 その犬は、我が家のレオンベルガーのベルクの母だった。私は2度、会った事がある。最初は、後日ベルクになった子犬を選びに行った時、そして、あと1回は3年ほど前の暑い日だった。
 どっしりとして、そして穏やかな犬だった。海外から長い旅をして日本に来た犬であり、この国のレオンベルガーの基礎を作ってくれた特別な犬でもあった。
 悲しい知らせに添付されていた写真の中で、グレイシーは眠っていた......私には、そう見えた。
 『ベルクをどうぞ』....と見知らぬ私に声を掛けて下さったTさんの心中は、同じように犬と向き合って暮らしている者として、よく判る。いや、たとえ犬が手元にいなくても、命や生き物を見つめる確かな目を持たれている方は、きっと理解して下さるだろう。
 今、口から出てくる言葉は、
 『ありがとう!!』
 である。
 その文字が、Tさんからのメールのタイトルとなっていた。
 『ありがとう、グレイシー、ありがとうございます、Tさん....。』
 グレイシーの命は、ベルクに、そして21匹の我が家生まれの孫たち、そして、たくさんの外孫へと継がれている。確実に日本の大地を、その大きな身体と心で踏み締めている。  合掌

 札幌のTさんからもメールが届いていた。今日(23日)、開催される予定のサモエドのオフ会に関するものだった。
 『すみません、確認が遅くなり、何のお役にも立てませんでした。無事にオフ会は終りましたでしょうか....?』

 Yさんからは、ヤマモモに関する便りがあった。『御心配なく、すべて大丈夫です、無事にジャムは届きました。ありがとうございます』と書かせて頂ける事が嬉しい。

 女房の親戚が全国各地から集まっての『いとこ会』は今夕に終った。天候は『寒い!!』『霧雨、小雨』だったが、1年に1回の、まるで七夕のような集いは、温かい気持ちにあふれていた。
 またまた書くが、今どき、このような集まりは珍しいと、話に加わりながら何度も思ってしまった。
 今夜、女房は、他の親戚より二日、帰りを延ばした母、二人の姉と、養老牛の温泉に宿泊している。4人水入らずは、4.5年振りの事だろう。留守を引き受け、たまには、私も孝行をせねば....。

 母親になったネコの『エちゃん』は、巣穴を移動した。子ネコが4匹もいると、一人掛けのソファの下では窮屈なのだろう、隣の二人掛けに引っ越しをし、しっかりと抱いて世話をしている。初めての出産にもかかわらず、ミルクの出が良いのだろう、子ネコの鳴き声はせず、腹はプンプクリンである。1匹、身体の小さい子がいるが、この分なら心配はなさそうだ。

 夜に入り、また雨になった。気温は6度、夏至も過ぎたと言うのに......。
 新しい大きな星は見えず、ベルクも小屋に入って寝ていた。
 『おいっ、ベルク、お母ちゃんが死んだって......』
 もそもそと起きだし、私の股に身体をあずけてきたベルクが見上げた。口の周りの白髪が急に目立つようになった気がした。




2002年06月21日(金) 天気:雨 最高:10℃ 最低:6 ℃

 午後10時35分、町中のホテルでの宴会から、女房と二人、家に戻った。三毛ネコのエが出産をしたと言うのに、こんな事で『エ〜ンカイ?』.....あっ、この日記では慎もうと思っていたものが出てしまった.....。

 今日、南は岡山、次いで長野、東京、神奈川、茨城、そして新潟と、各地から女房の親戚の方がやってきた。今の時代には、かなり珍しい事だと思うが、女房の亡き父の兄弟(確か9人だったと思う...)の子供たち、つまり従姉妹が『広川家イトコ会』なるものを組織しており、この数十年、毎年どこかで集まりを持っている。もちろん、従姉妹だけではなく、女房のようにその子供たち、さらに孫が参加する事もある、大掛かりな親族の集まりだ。
 その集まりが、今年、北海道が舞台になった。中標津を中心に、懇親を深めながら道東を観光するのである。
 従って、女房と私が必然的に幹事のようなカンジ(あっ、またやってしまった....)になる、今日から本番と言う事で、まるで添乗員のように駆け回っていた。
 そして、夜の顔合わせ宴会が、『久しぶり、お元気そうで....』の声とともに行われていたのである。

 家に戻り、居間のドアを開け、まず『エちゃん親子』が巣穴にしているソファの下を覗いた。いるいる、伸び伸びと横になっているエの腹に、4匹の子ネコがくっ付いていた。
 エは絶えずゴロゴロと喉を鳴らしている。私の姿を確認すると、首を伸ばし、くるりと回して、いつもの甘えポーズを決め、喉鳴りが大きくなった。
 
 夕方、我が家に寄った時に、可愛い子ネコを見た長野の女性が、宴会の最後に、『あのネコにでもあげて、もったいないから....』と飛行機の中にある、防水の袋(オエ袋...何かと便利な物で、ドギーバッグとしては最高である)に食べ残しをいっぱい入れてくれた。
 試しに、肉を細かくしてエの鼻先に出した。
 『フギャフギャフギャ!!』
 エは、あっという間に食べてしまった。上半身を起こしているのにもかかわらず、子ネコたちは、何があっても離さない....と言う決意のもとに、乳首にぶら下がっていた。

 早朝の5時過ぎから始まったエの初めての出産、誕生した4匹の子ネコも母親も、とても順調である。やはりミックスの逞しさが、生まれた時からうかがえる。
 ほっとした私は、さらに、もう一枚肉を持ってきて、細かく千切って与えた。それも食べ終えると満足したのか、エは再びゴロリと横になり、4本の足で子ネコをくるむようにして目を閉じた。母の顔であり、幸せそうな姿だった。

 明日、また私と女房は、従姉妹会に参加をする。あちらこちらをバスで移動し、夜は網走に泊まる事になる。従って、このHPも23日まで、開ける事ができない。2日後、よりしっかりとした4匹の姿を、応援して下さった皆さんに見ていただけるだろう。
 留守の間、ヤマちゃんとケイコちゃん夫妻が、我が家の生き物たちの世話をしてくれる。ネコが大好きなふたりである、きっとエ親子の側を離れないのでは......。
 
 雨はまだ続き、気温は低い。明日は、何とか回復して欲しいのだが。
 女房と二人、宿泊を含む旅(たとえ、1泊でも)は数年ぶりである、では、行ってきます。



2002年06月20日(木) 天気:晴れ後曇り 最高:18℃ 最低:6 ℃

 2匹の犬が相次いで一生を終えた。スウィートと小春である。
 
 イエローメスのラブラドールであるスウィートは、王国の最初のラブラドールであるラブの娘だった。エリザベス女王の犬舎『サンドリンガム』の名が登録書にあるように、とても利口で、そしてイギリスの匂いがする犬だった。
 スウィートは、何度かの出産で、見事に子犬を育て上げた後、視力が低下する病を発症した。あれほど原野が、あれほど水が好きだった彼女も、無理はできない、可愛がられていた高杉家で、他の犬たちの姉として、のんびりと暮らしてきた。
 特に、今年で6年生になる高杉家の長男『青(ジョウ)』にとっては、もの心がついた時から、横で尾を振りながら見つめ、守り、ともに遊んでくれたベストフレンドだったろう。
 『ジョウ、一番好きな犬はダレッ?』
 そう聞くと、
 『もちろん、スウィート!!』
 と答えるのが常だった。

 晩年、というよりも、13年の犬生の後半は、まったく目が見えない状態になってしまった。ムツさんがアメリカで見つけた、盲犬用のアンテナ(触覚のような役割を果たす道具)を付けてみたりもした。
 しかし、目の見えないスウィートが、もっとも安心し、頼るのは、青をはじめとする高杉家の人間の声と手の温もりであり、慣れ親しんだ環境の匂いだった。
 満13歳の誕生日まで、あと数日で去っていったスウィート、母のラブや仲間の側で、思いきり走り回って欲しい。

 
 『ほんとうに、眠るようでしたよ......、昨日までは、わずかでも食べたんですが、今日は何も口に......』
 夕方、夫婦で我が家に来ていたヤマちゃんはそう言った。
 
 『小春』・・・12歳、フォーン色のパグ、映画『子猫物語』の主人公プースケの血をひいていた。
 小春が生まれた時、誰もが、これはダメだと思った。明らかに小さく、体重は他の子犬の半分もなかった。呼吸もミルクを吸う力も心細かった。
 そんな犬が気になるのがヤマちゃんだった。彼は、24時間、側に付き添い、何と、小春を離乳まで育て上げてしまった。その間、何度、呼吸が止まったか知れない。その度にヤマちゃんは人工呼吸と心臓マッサージを施した。
 身体の成長は最初の差のまま、いや、それよりも遅かった。時間的には大人の段階になっても、チワワの重さだった。2歳になっても、5歳になっても少し大きめの子パグのようだった。
 そして、わずかのショックで息を止めては周囲を慌てさせた。その時に復活をさせるのはヤマちゃんだった。いつの間にか、小春とヤマちゃんは、離れられない関係になっていた。

 犬の新しい品種は、このようにして出来上がっていったのかも知れない。明らかな突然変異、それを、ある人間の心と時間と具体的な手の動きによって守り続ける事で、新たな姿の命を貰ったのだろう。  母犬だけに任せておいたならば、おそらく翌日の朝日を眺める事は不可能な子犬が、ヤマちゃんの執念によって12年の命を得る事ができた。

 先天的に障害を持って生まれたにせよ、永らえて得たにせよ、この子たちは天使である、それも特別な......。
 もちろん、人類が作り上げてきた犬種を維持、発展させる、という立場から反対の意見も出て来る。私も、随分この箇所で悩んだ時期がある。他えば、ダルメシアンでは、スポットのバランスが悪い子犬は淘汰するべきなのだろうか....と。
 しかし、それは、その子をノンブリードとする事で簡単に解決はつく、要するに、繁殖には向かないかな〜で済むのである。
 
 犬を飼われている方のほとんどは、楽しい家庭犬を望まれているのが、今の日本である。例え、視力を失ったラブラドールであろうと、ミニュチュア・パグと呼べそうなパグ犬であろうと、そこには人と犬との素晴らしい絆が存在する。いや、障害があるからこその温かいドラマが日々、繰り返される。
 そして、お互いに、せつないけれど幸せな別れを迎える事ができるのではないだろうか。

 牧草庫の奥に隠れ家のような巣穴を作り、その中で子犬を抱えていた『スウィート』、アイガモのヒナであろうと、オサルさんであろうと、常に他の生き物に優しかった『小春』.......良い旅を!!
 そして、高杉家、山本家のみんな....おつかれさま。



2002年06月19日(水) 天気:曇り 最高:13℃ 最低:10 ℃

 ロシアンブルーのオスネコ『ネズミ』が退院してきた。頑固な尿路結石と膀胱炎のために、とうとうチンポコもなくなってしまった。メスに次の発情が来たら、結婚をさせようと思っていた矢先の事だった。
 帰宅してすぐに、病み上がりにもかかわらず、ちょうど発情をしていたアメショーのワインの尻を追い掛けてているネズミを見ると、彼は感じていないだろうが、私と女房、特にロシアンのグレーの可愛い子ネコを待ち望んでいた女房は、無念な気持ちになった。
 
 しかし、元気な姿が目の前にいるだけでもヨシとしなければならない、この病気はけしてあなどれない。しばらくはケージに入れて、排尿と食事の確認をする事になる。
 多頭数の飼育で問題が起きるのは、このような時である。1匹ならば、ほおっておいてもトイレ、食事の食べ具合はすぐに判る。しかし、複数でいると、果たしてどの子がしたものか区別がつかない。我が家は室内組だけでも15匹である。とても人間2人の目だけでは追い付かない、よって狭いけれどケージに入ってもらうしかない。
 幸い、獣医さんも驚くほど、ネズミは餌に無頓着である。ネコマタギと言われる事もある処方食も、パクパクと食べてくれる。1日も早い全快を祈ろう。

 そのネズミだが、自分が所属するロシアンブルー界には血を継ぐ事ができなかった。ところが、彼の旺盛な男パワーは、アメショーのワインと日本ネコのエちゃんを妊婦にしてしまった。
 ありゃ、ミックス!!と非難する方もいる。確かに、これが犬だったら、私も反省を重ねなければならない。だが、ネコに関しては、あまりこだわっていない。なぜなら、ネコは品種が違っていてもネコだからである。ブリーディングを目的としない時には(家庭で可愛がられるネコを育てるのなら)、ミッツクスもあって構わないと思う。
 その1番の理由は、子ネコが丈夫な事である。ワインを例にとるならば、生まれてすぐの体重が、ミックスは純血の1.4倍もあるのである。従って、その後の成長も心配せずに済んだ。

 もちろん、品種を守るための交配も厳しく行っている。しかし、重ねて書くが、家庭ネコに限定するならば、ミックスもまたヨシである。
 エに関しては、いわゆる『できちゃった結婚』である。人間の油断があったのだろう、いつの間にか腹が大きくなってきていた。そして父親たるネズミの去勢である。まるで危機を察知して可能な時に済ませた感じである。何か因縁さえも感じてしまう。
 
 ネズミの最後の子供たちはあと1週間ほどで生まれる。果たしてどのような子を見せてくれるのか、私と女房は楽しみにしている。




2002年06月18日(火) 天気:晴れ 最高:23℃ 最低:11 ℃

 <井戸端の仲間が来られました......。>

   遠の地より  犬話バッグに  笑顔着く
 
 <我が家を囲む原野では、確実に季節が進んでいます。>
  
   クロユリを  隠して開蕾  スカシユリ

 <初めてのコースを進んでみました、不安な犬は......。>
  
   新しき  草道進むや  横に犬
 
 <無念!!残念!!よく頑張った!!>
   
   負けを知り  蹴った小石を  センが追い
  
 <サモエドのカザフは遠吠えの名人....。>
   
   タンポポの  茎の小笛に  カザフ和し

 <カロリー制限中、せつない生活.....。>
   
   頂きし  ワラビ餅にも  甘汁なし

 <実家の楽しみは、これに尽きます!!>
   
   彼(カ)の犬の  今日の元気が  メ−ル中

 <初めて、夫婦二人だけの生活です。救いは生き物たち...?>
   
   おとうさん  呼ばれる横に  子たち無し

 <午後8時、我が家のドラマ>
   
   窓越しに  待つキツネ子の  フキの傘

 <冷やしたウドンの器に、2本のパセリが...、そして....>
  
   卓上の  パセリを口に  客を待つ

 <我が女房は暑がりだった....、本日、久しぶりに....。>
   
   20度を  超えた印に  袖無しを

 <サモエドのダーチャ、目が合っただけで......>
 
   尾を左右  耳は後ろに  散歩待つ

 
 拙いものを.......。失礼いたしました。  

     
      



2002年06月17日(月) 天気:曇り時々薄日 最高:16℃ 最低:10 ℃

 天気が頑張り、ようやく15℃を超えてくれた。明日は20℃の予報、少しほっとした。
 
 昨日から、別のHPに書かれていた2匹の犬の事が気になっていた。
 1匹は我が家出身のサモエドだった。生後1年3ヶ月のメスである。その子は足の裏に古い傷があり、ジュクジュクとしていたと書かれていた。病院で治療を受け、投薬をしていると言う。
 飼われているKさんの今日の日記によると、傷口が乾きだし、薬も嬉しそうに食べ(飲んだ)元気とあった。
 そして、最後に、先輩犬の柴犬が、何度もサモエドの足の傷を舐めようとしたと書いてあった。私はニコニコとして『ウン、ウン』と頷いた。

 あれは25年は経っているだろう。当時、王国の犬社会を率いていたリーダー犬は、ムツさんが王国を作る前から飼っていた秋田犬のグルだった。中年から老いの段階に入り始めていたグルに対して、下克上のチャンスを伺っていたのが、大きなバーナードのボス2世だった。
 ある時、そのボスが耳の後ろに傷をい負い、ジュクジュクと湿潤液が出ていた。私たちが見たのは、耳を後ろに倒し、尾を下げ気味にし、肩の上の毛を立てて緊張の表情を示しながら、ゆっくりとボスの傷を舐めてやっているグルの姿だった。
 ムツさんも私たちも感激をするとともに、普段、なるべく近づかないようにと気を使っている2匹のこの行為が不思議だった。

 それから、犬の数が増えるに連れて、同じ状況に何度も出会った。実験もしてみた。
 結論は単純だった。化膿した部所から出る膿やリンパ液、それに腐敗した耳あかなどの臭いは、すぐに犬たちの『舐め行動』を起こす鍵を開けるのである。医者や薬を持たない生き物たちの知恵である。静かに潜む事と舐める事だけが、彼らの治療法だった。ある特定の臭いを前にすると、上下関係さえも超える行動が出現するのである。
 Kさんの柴犬は、普段ならば、まずそのような足裏ペロペロ行動は見せないだろう。それを引き出したのは、明らかにサモエドの傷だった。
 私は、日記を読みながら、真剣に舐めていたグルの三角の目と、目を細めて受けていたボスの困ったような顔を思い出していた。

 もう1匹、気になっていたのは、先週の土曜日に避妊手術をし、数日前に退院していたNちゃんと言う名の犬の事だった。可愛がっているMさんの書き込みによると、一昨日から下の乳房が腫れ始め、昨日はパンパンになったと言う。
 某所のチャットで会話ができたので、カナダに住んでいる獣医のJさん(研究所に務めている日本人)と私は、緊急病院に連れていくほどではない、夜が明けてからで大丈夫でしょう、と書かせて頂いた。
 
 今日、その結果をMさんが報告されていた。乳腺炎と診断されたようだった。薬と時間が解決をしてくれる、ほっとする病気である。
 私も2度ほど会った事があるが、いかにも行動力と好奇心、そして観察力にあふれているMさんは、病院から帰ると、腫れた乳房の乳首をつまみ、押してみたらしい。すると、そこからミルクが出てきた。
 この後がMさんらしい、何と彼女は、避妊をしたNちゃんのミルクを見るのは、これが最後かも知れないと、口を付けてしまったのである。
 拍手である....!!それも大きな拍手である、まるでムツさんである。
 私はモニター画面に向かって、笑い、唸っていた。

 普通ならば、犬のミルク、それも炎症を起こしている乳房から出て来た物に口をつけようとはしない。しかし、Mさんは、愛犬の最後のミルクの味を確かめてしまった。このような方は、たとえ細菌だらけの物を口にしても、ほとんど影響を受けない免疫力を備えているだろう。乗馬でお尻がむけて出ケツ(ズボンが破れたら出ケツ、Mさんのは尻の皮がむける出血の方である)をしても、けして懲りない強さを備えているMさんである。

 そして、私はまたしても王国の犬を頭に思い浮かべていた。柴犬のブーちゃんだった。
 王国3代目の柴犬になるこのメス犬は、かなりシャイであり、私と女房だけを頼っていた。この犬の話は、あちらこちらで事ある毎に話したり書いているが、今回のNちゃんのミルクが出て来たと言う話に、もう一度、書かせてもらおう。

 ブーは私が長い出張に出ると、我が家の玄関の横にある小さな小屋か、玄関の敷石の下に掘った、ちょうど身体が隠れる大きさの穴に隠り、他の犬たちからのプレッシャーに耐えていた。
 すると不思議な事に、数日経つと、乳房が腫れ、そしてついにはミルクが出てくるのである。さらなる不思議は、ミルクの匂いをまとったブーは、子犬がいないのにも関わらず、いつもいじめにくる犬たちが、ブーのうなり声を聞いただけで、去っていくのである。まさに育児をしている母犬に対する行動と同じ事が起きるのだった。

 これも実験で確かめてみた。
 『私が(頼れる人)いない・・全てが恐い・・身を隠す・・ホルモンバランスが変化する(妊娠維持ホルモンや泌乳ホルモンが出る)・・偽妊娠ならぬ偽育児状態に入る・・育児中と思われ、他の犬の尊敬を集める・・よって身の安全が保たれる』

 この図式が正解のようだった。イジメラレッ子ゆえに、せつない手法でしたたかに身を守っていたのだろう。その証拠に、私が帰宅し、表に出られるようになると、何と2日でブーの乳房はしぼみ、いつものように弱い犬になっていた。

 Nちゃんにも、この図式が当てはまらないだろうか、と私は考えた。
 手術自体よりも、犬にとっては入院が心の大きな負担である。それは親しい人間からの隔離、知らない臭い、知らない犬の存在、知らない音の世界である。そのストレスがNちゃんのホルモンバランスを変える引き金になり、ついにはミルクも出てしまっつたと......。
 Mさんの報告を読みながら、私は、今、我が家にいるミゾレの祖母になるブーの、私が出張から戻った時の笑顔を思い出していた。

 なにはともあれ、2匹の犬たちの早い復活を祈りたい。もうすぐですよ!!



2002年06月16日(日) 天気:曇り時々霧雨 最高:11℃ 最低:9 ℃

 雪解け時に使っていた汚れがいっぱいの上着(登山用品コーナーで真冬用で売られていたもの)を、洗濯に出すヒマがない。そろそろと思うと、朝の気温がひと桁、最高気温も10数℃となってしまう。
 今日も1日、ジメジメとした寒い日だった。

 でも、心の中は結構あたたかい。先ず、山口県からE(K)さんが遊びに来てくれた。土産に地元のビールと『うふケーキ』なる物を持参してくれた。さっそく頂いたところ、抹茶味の上品なお菓子だった。ウブとなると品が落ちるのだろうが、頂いたのはウフだった。
 
 彼女は看護士さんである。ベテランと言ったら怒られるかも知れないが、新人の指導講演などもされている頼りがいのある女性である。
 と書くと、何やら筋骨たくましいとまでは行かなくても、がっしりとして早口で事を済ます姿を思い浮かべるかも知れない。しかし、実際は、小柄で楚々としていて、そして、言葉を選んでゆっくりと話をされる方である。
 先日、私も短いながら入院をして、患者の心の負担を減らしてくれる看護士さんのタイプがあるのに気づいた。やはりEさんのような感じの方だった。
 おそらく、Eさんは、せつない思いで入院をされる患者さんからの信頼が厚いだろう。もし、もう一度私が入院をするような事があったら、ぜひ、Eさんに......と言ったら、女房に、まだ懲りずに不摂生をするつもりなの、と怒られてしまった。

 人を相手に、それも心や身体に不調を抱えている方のケアーをする仕事は、私などが想像する以上に大変だと思う。加えて週に3〜4日は夜勤の日もある。身体のリズムもへったくれもない。
 生き物が大好きなEさんは、疲れた時に、遠い北の地にふらっと来られる。海を眺め、樹木の音を聞き、犬の遠吠えと、遊んでサインを確かめ、ネコにちょっかいを出し、そして馬に乗る。
 動物王国が、少しでもEさんの生活に結びついているのなら、これほど嬉しい事はない。同じ心を持った仲間として、ともに笑顔で『元気?!』と言葉を交わしていきたい。
 
 夕方、泊まっている浜中の王国に帰ろうとレンタカーに乗り込むEさんの上着とズボンには、無数の我が家の犬たちの足跡が記念スタンプのように付いていた。
 別れの言葉は、『さようなら』ではなく、『今度は秋ですか?』だった。

 『仲間』と言う言葉は、私の好きな語彙の中でも上位を占めている。
 金曜日の夜、私は十数年来の仲間の所へ車で向かった。あきらめていたところ夜の打ち合わせがキャンセルになり、時間ができたのだった。
 Kさんを仲間と言っては怒られるかも知れない。歳は私よりも10ほど上、しかし、たいていの犬大好き人間がそうであるように、実際の年齢よりもかなり若く見える。これは心の健康、心の若さからくるものだろう。
 
 知り合ったきっかけは『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』の放映だった。その中で、イギリスから我が家にやってきたサモエドのマロを取り上げた事がある。当時リーダーだった秋田犬のタムに叱られ、情けなく、可愛い表情を見せた映像の巻である。
 放映の後、電話が掛かって来た、Kさんからだった。サモエドを旭川で飼っている。今度、子犬が生まれたらメスを1匹、マロの嫁にくださる、とおっしゃった。
 稚内でにお犬ゾリの全国大会にサモエドたちを連れて行くので、ぜひ家の連中にも会って下さい、との言葉を残して電話は終った。Kさんは、おそらく日本で初めてサモエドでの犬ゾリチームを完成した方でもあった。

 翌年、大きなワゴン車にサモエドの子犬をすべて積んで、Kさんは我が家の庭に現われた。どの子でも構わない、私の気に入った子を選べと言う。
 私と女房は迷った末に、1匹のメスを抱いた。Kさんは、やっぱりその子ですね、そう思っていたんですよ、とお世辞を言ってくれた。子犬には『ウラル』と名前を付けた。王国のサモエドの基礎を築く、重要な役割、出産育児の名人となってくれた。

 Kさんの犬との歴史は、紀元前とは言わないが、私の人生以上に長い。そしてある時期から白い犬に魅せられ、グレート・ピレニーズとサモエドを奥さんとともに可愛がっていた。考えての出産も行い、それを望まれる方に譲るようにもなった。
 この時にもKさんの頑固さは出る。貰われて行った子が気になり、時々顔を出していた。そこで不等な扱いを受けていると、引き取ってきてしまうのである。
 もちろん、子犬を譲る時には、ほとんどの場合、相応の代金を受け取る商取り引きである。しかし、生き物を扱う時は、その命を大切にする事が重要だとKさんは考えている。売れて終りでは、情けないと思っているのである。
 そんな方が、私は大好きである。その後も、サモエドのベラ、ラーナ、ニューファンのハイジやノタなど、たくさんの犬たちがKさんの元から王国にやってきている。隠し事なく、正直に命を語り合える、そんな仲間がKさんだった。

 そのKさんが、ようやくペットショップを開いた。その開店の日に、お祝いの言葉を伝えるのと、何かお手伝いでもと、私はサッポロの隣にある北広島市に向かったのだった。

 やはり、Kさんの開く店だから、明らかにこだわりがあった。
 まず、子犬を入れるケージが少ない。さらに、そこに入っているのは生後2ヶ月以上は経っている子ばかりである。そして、その子たちも、短い時間で車で5分の所にある、実家(Kさん夫妻と180匹の犬たちの本拠地)に帰ってしまい、営業時間以外は店が空っぽになってしまう。
 店の中で、もっとも大きなスペースを占めていたのは、木製のイスとテーブルだった。そこで、集まって来た犬好きの人との会話を楽しむために、Kさんは店を開いたのではと、私は密かに思っている。

 野菜や果物ので『生産者の顔が見える』と言う売り方がある。写真と手書きの文章が『安全』の保証書のような役割を果たしている。私も、スーパーに並んでいると、つい、そちらを買ってしまう。
 この手法がペット産業でも必要だと、かなり前から思っていた。子犬を買う時には、父犬までとは言わない、せめて母犬、できれば兄弟犬を見て、その後で決めて欲しかった。『嫁を貰う時は母親を見よ』と言うのは封建時代の迷信のようだが、犬の場合は、成犬になった時の大きさ、ある程度の性格(特に人間に対する)、そしてブリーダーの考え方が見えてくる。
 遠い地であれば写真の1枚でもいい、母犬や兄弟犬の姿を確認しておくのは重要だと思う。

 Kさんは、それを実践しようとしている。店を訪れた方を、気楽に実家に案内するのである。そこには広く立派なドッグランがあり、子犬や母犬が他の犬とどのように接しているかまでも確認する事ができる。

 こんな考え方のペットショップが、私は好きである。キラキラと瞳を輝かせ、大いなる船出をされたKさんに、私は拍手を贈らせていただく。

 お近くの方、今度、お店、そして実家を覗いてみてください。おもしろいオジサンがいます!!
 店・・『愛犬倶楽部』
    北広島市 新富町 西1-1-12
 実家(犬舎)
    恵庭市 北島 173-9
 
   となっています。あえて電話番号は載せません。道々恵庭
  江別線沿いです、お店は。
 



2002年06月14日(金) 天気:曇り 最高:12℃ 最低:7 ℃

 日本チーム、おめでとうございます!!
 中田が決めて、ほっとしています。

 さて、急用で、これから車で出発します。帰るのは明日の深夜です。すみません、日記は、それからとさせて下さい。
 あっ、けして悪い事での旅ではありません、逆にお祝い事です。では......!!



2002年06月13日(木) 天気: 相変わらずの曇り 最高:12℃ 最低:7 ℃

 夜の8時頃になると、食卓を置いてある部屋の出窓から外を見る。窓からの灯りと街灯に照らされて、建物から10メートルほど離れた焼却炉が、フキの大きな葉と柳の枝葉に囲まれて見える。私はその周辺に目を凝らす。
 『来てるよ、あっ、2匹だ!!』
 カリンの母親のために、サモエドのマロの冬毛でセーターを編んでいる女房が手を休め、私の横に来て外を見る。
 『あの子よ、このところ、いつも来ているのは.....。本当にルックによく似ている。鼻が細く、尾の先が少し白いのだけれど、1匹でいると、時々間違えてしまう....』
 『たぶん、去年の子だね、結構遅くまで母親のルックと行動していたメスだ』

 ここ何年か、6月になると、キタキツネのルック母さんは、2キロ離れた巣穴から子ギツネを連れて、我が家の横にある自分の生まれ育ったキツネ柵に越してきていた。土の中に埋めた金網を外からトンネルを掘ってかわし、侵入していたのだった。
 今年はどうなるかと、心の中で楽しみにしていた。4月の状況(行動、身体の様子)から、出産をしたのは間違いなかった。しかし、いつものように旦那が餌を貰いに来たり、ルック自身が空腹の様子を窓辺で示したりと言う事がなかった。
 そのうち、ルックの立ち寄りが1週間に2〜3度になり、乳首も毛に隠れてしまった。
 『やはり、今年は育たなかったようね、歳だからな〜〜』
 
 ルックは人間の年齢に換算すると、およそ100歳にはなる。昨年まで出産育児が出来ただけでも奇跡的と言えるだろう。今年が失敗であっても当然である。
 でも、やはり何となく寂しかった。キツネ舎にいるラップも失敗に終り、この春は我が家関係の子ギツネの姿を見る事が出来なかった。これは、この20年で初めての事になる。

 窓から覗き、何だかんだと話をしている女房と私を、ルックは静かに見上げている。その前には、ずうずうしくも、ソックリギツネが、犬たちの声に耳を細かく前後に動かし、窓から美味しいものが降ってくるのを待っている。
 『ホラッ、先にルックだよ、コラッ、お前は若いんだから、後で!!』
 この1ヶ月、ほとんど私は泡の出る麦茶を口にしていない。従って、泡出タイムの仲良しであるチーズも、冷蔵庫で惰眠をむさぼっている。たまには役にたてと、私は5センチ角に切り、ルックとその娘に投げ与えた。どんなにルックに近い所に落ちても、最初の1個は娘に奪われてしまう。それを食べている間に、2個目をルックに目掛けて投げる事になる。
 窓を開けてチーズ投げをしている私の横に、匂いを嗅ぎ付けてネコのカールとエたちがやって来た。こいつらもチーズが大好きである。しょうがないので、細かくしてネコたちの欲求も満たしてやる。

 こんな窓辺のやりとりに黙ってはいられないと、鎖をガチャガチャと言わせて加わるのが、ルックのいる位置から5メートルの所に繋がれている、ラブラドールのタブである。これまたチーズに目がない。そこで心優しい私は、タブにも投げ与える。
 その気配は、たちまち周囲の犬たちに伝わる。タブから2メートル離れた小屋に住んでいる柴犬にシグレと、その隣のフレンチブルのタドンが小屋から出て来て、私に向って尾を振る。向いのサークルの中ではレオンベルガーのベルクが催促の啼き声を出している。

 かくして、私のとっておきのチーズは、たちまち彼らの胃の中に消えてしまった。
 『もう...甘いんだから〜、お父さんが食べないのなら、もう買わないでよ』
 女房はあきれながら、自分も冷蔵庫からソーセージを持って来て、まだ見上げているルックに投げるのだった。



2002年06月12日(水) 天気:どんよりと曇り 最高:11℃ 最低:5 ℃

 4月から暖房を停めて寝ている。先日は夜になっても外気温が15℃を超えていて、室内派のネコたちも、あちらこちらで伸び伸びと寝ていた。
 今朝、目が覚めると、身体が押さえ付けられていた。頭を上げて布団の上を見ると、ニャム、チャーリー、ワイン、レオ、ルド、の5匹のネコが乗っていた。冬の間、女房の布団の上をベッドにしている連中だ。彼女が早く起きたために、私の方に移動したらしい。
 
 これは寒いぞと、覚悟を決めて起き、このところ着ていなかったTシャツをトレーナーの下に着込んだ。寒暖計は5℃を示していた。東からの風もあり、濃淡のない雲が重く広がっていた。
 
 また憂鬱な季節がやってきた。昨日だったろうか、本州各地が梅雨に入ったとテレビのニュースが伝えていた。そうすると、北海道はいいですね、梅雨がなくて....とよく言われる。
 それはサッポロなどの事であり、オホーツク側や道東は、雨こそ少ないが、灰色の雲と霧が増え、東からの冷たい風に震える事になる。原因はオホーツクに居座る高気圧である。これは大平洋高気圧とは違い、冷たい空気を運んでくる。北海道の冷害は例外なく、これのせいである。
 たまに晴れて暑いかな〜という日があっても長くは続かない、7月の中旬まで、このような天候に、私も、ネコたちも耐えなければならない。

 さて、そんな感じだから、日中も気温は上がらなかった。最高が11℃、大阪から来た修学旅行の女子高生は、上着を持ってきていないようで、制服のひとつなのだろう、紺色のカーディガンを着ていた。これは生き物と遊ぶ時には避けたい服である。特にネコは爪で毛糸を引っ張りだしてしまう。案のじょう、何人かの服が被害にあっていた。
 もし、7月中旬までに北海道の東や北の地を旅する方がいたら、どうか本州での冬の服を1枚、用意して欲しい、きっと役にたつだろう。

 私が病院で休養をしている頃に、同じように入院をしたネコがいる。ロシアンブルーのオス『ネズミ』である。とうとう3度目の尿路結石である。そのままでは危険な状態になり、とうとうチンポコも取る手術になってしまった。従って、まだ退院はできない。女房が会いに行くと、名前を呼ばれたとたん、瞳が輝き、鳴き声で応え、金網に顔をこすりつけてきたという。
 とうとう子ネコを見せてくれる事は不可能になってしまった。、しかし、これもしょうがない事である。昨年死んだマイケルも同じ手術を2歳で行っていた。その後10数年、元気に生きてくれた。ネズミも同じように、のんびり、いきいきと生きてほしいものだ。

 女房のの願いのひとつは、ロシアンブルーのグレーの子ネコに囲まれる事である。ネズミがオスではなくなったので、居間で大人になるのを待っているメスのために、次の旦那を探さなければならない。え〜い、と言う事で、我が家にオスの子ネコを加えてしまうと、また人間の布団が重たくなってしまう。
 どうしたものかと、今、私は考えている。
 
 

 



2002年06月11日(火) 天気:曇り時々晴れ間 最高:15℃ 最低:9 ℃

 女房の誕生日だった。もう互いに祝う年齢は過ぎているが、まあ、たくさんの生き物たちと無事に1年を送る事ができたけじめにはなる。
 子供たちも家を出てしまい、おまけに甘い物は、よだれを流しつつ、横目で見て通り過ぎなければならない私が相棒なので、大きなケーキはやめ、カットされた物を4個買ってきた。女房に気づかれないようにと、長靴のままケーキ屋さんに行ったところ、ちょうど居合わせた若い女性客が、場違いな怪しい男とでも思ったのか、あわてて横に2歩、移動をした。            『コラッ、姿かたちで人間を判断するな!!』
 と思いはしたが口には出さず、真剣にケーキを選んだ。
 家に帰り、女房に渡すと、
 『やっぱり、自分の好きなのを買ってきている、食べられないのに.....』
 と、憎まれ口をたたきながら、パクパクと食いやがった。

 開国したばかりの王国で出会った時、女房は21歳だった。それからウン十年、互いに髪が白くなった。振り返るとケンカばかりの生活だった気がする。
 しかし、どれほど酷い争い事を繰り広げていても、ふたりが力を合わせて面倒をみなければならない多くの生き物を常に抱えていた。従って、経常的な作業は、互いの顔を見ない体勢ながらも、普段通りに行わなければならなかった。そうしていると、ケンカの為に余計な神経を使っている事が馬鹿らしくなってきて、いつの間にか会話が復活しているのだった。
 私と女房に限って言えば、カスガイは子供ではなく、周囲の生き物たちだったろう。それは、これからも変わらない真実である。

 さて、今日、修学旅行で牧場にやってきた大阪の女子高生が、率直な感想を私に聞かせてくれた。
 『おじさん、じゃなくて、イシカワさん。その髪、染めたら、きっと若くなる....うん、絶対染めるべき!!』
 家で柴犬を飼っていると言う彼女は、ズボンを土ぼこりで茶色にしてミゾレやシグレと遊んでいた。さらに彼女は言った。
 『やっぱり顔の感じと耳もとの白髪がミスマッチだと思う。金髪にすると似合うよ〜〜!!』

 女房とは定期的にケンカをしていても、私は若い女性には素直である。そう言えば、サッポロに住んでいる娘の日果里も、染める事を勧めてくれていた。
 『ヨシッ!!』
 女房の誕生日に、私は心を決めた。修学旅行の忙しさが一段落したら、床屋さんに行こう、そこで若返ってこよう.....これを、今年の、私から女房への誕生日プレゼントにしよう。
 金髪ならレオンベルガーならぬレオントシアキ、茶髪なら柴のトシ号、グレーならロシアントッシーとでも名乗ろう。
 さて、それを見て女房は、どんな憎まれ口を.......。



2002年06月10日(月) 天気:曇り時々小雨・強風 最高:14℃ 最低:9 ℃

 午前中、猛烈な風が吹いた。オホーユクに抜けた低気圧が発達したためだった。上層の雲はそれほど動かないのだが、低い雲はフイルムの早送りのように流れていた。
 中標津空港の滑走路に対しては横向きの風だった。果たして飛行機が降りられるか、心配になるほどの突風が吹き荒れていた。
 しかし、昼頃には幾分おさまり、風向きも変化した。千歳からの便は5分遅れで無事に到着した。

 Oさんに会うのは久しぶりだった。大阪から千歳、そして中標津と乗り継いで来られた。今回は、何かと物議をかもしている北方領土のひとつである択捉島での学術調査(生態調査)隊にドクターとして参加をされる。根室から船で出発し、海と陸を2週間に渡って調査をされる事になっている。
 ヒグマ、ラッコ、アザラシ、シマフクロウやワシたち、さらにトドやら、ひょっとするとタンチョウも.と、できれば私も1度は行ってみたい所のひとつだ。
 Oさんは、隊員の健康管理の仕事を行いながら、択捉島の自然を視察できる事を喜んでいられた。返還問題の行く末がどうなるのかは判らないが、今の姿を確認しておく事が重要だと私も思う。
 残念な事に、島々を取り巻く海は、20年前とは大きく変わってしまったと漁師さんは言う。特に、ロシアに変わり鉄のカーテンが取り外されて、多くの海産物が北海道の港に輸入されるようになってからは、前浜から魚もカニもウニも減ってしまったと.....。
 せつないけれど、これも現実である。どのような形で解決をするにしても、無計画な開発等は避けなければならない。その基本となるのは精緻な調査である。ロシアと日本の研究者の手によって、今、それを行っておかないと、日本、ロシア両国にとって大
切な財産を価値のないものにしかねない。今回の調査が成功する事を、私は切に願っている。
 
 空港でOさんを迎え、そのまま我が家に寄ってもらった。Oさんは、これがセンちゃん、これがタブ母さんですかと、まず両手で犬たちを可愛がり、そしてデジカメに収めていらした。
 そう、一昨年の暮に生まれたタブの子犬、センちゃんの兄弟を飼われている。自然を愛する運動を長く続けて来られた御一家らしく、犬の名前は『リンダ』となった。先住のラブラドール(この子も王国から貰われて行った子の娘である)が『ブナ』、2匹を続けると『ブナ林だ』になる。各地で繰り広げられているブナの林を守る運動のシンボルになりそうな犬である。

 犬たちとの交流が終ると、今度は家の中のネコに会って貰った。ここでカメラに収まったのは、アメショーのワイン母さんである。これの子ネコがOさんの娘さんの所で可愛がられている。
 犬、ネコの実家の様子を確認された後、私たちは根室に向った。風が原野に流れ、時々雲間から陽光も差し込んでいた。
 様々な情報をOさんから頂いた。私も、知りうる事を話させて頂いた。
 都会に住んでいるOさん、原野で生きている私....生活の場は異なるが、想いは共通と、あらためて実感した車中の1時間だった。



2002年06月09日(日) 天気:雨のち晴れ・ 最高:18℃ 最低:13 ℃

 ワールドカップで日本が初めて勝利した記念すべき今日、私と女房にも大きなプレゼントがあった。我が家で生まれ育ったサモエドたちが、埼玉の公園に6匹も集まったのだった。
 
 <父マロ、母ウラル>
 ビアンカ・・オス9歳、ノール・・メス6歳
 <父カザフ(マロとウラルの息子)、母ダーチャ>
 ハニー、マーヤ・・メス1歳、レオ・・オス1歳
 <父カザフ、母ラーナ>
 ウラル・・5ヶ月

 合わせて6匹の白い犬が、風の強い公園で楽しく挨拶を交わし、そして遊んだとの報告を貰った。
 犬たちどうしでの会話も素晴らしいが、私は、それを取り巻いて笑顔で眺めていたであろう人間の皆さんに感謝をしている。
 それぞれの犬の家族の方たちは、親戚でもなく、仕事での接点もない関係である。その皆さんが犬を仲立ちに交流をして下さった事に、私は感謝の気持ちでいっぱいだ。
 不思議な事に、連れている人間が、互いに嬉しい出会いの心を持って集まると、犬たちも次第にその雰囲気に染まっていく。もちろん、1度では心を解放できない犬もいる。しかし、回数を重ねていくと、いつの間にか、親しい、さり気ない関係が築き上げられている。
 逆に、『危ないですよ、近寄らないで....』と言うような気持ちを飼い主が持っていると、それは微妙に犬に伝わり、あちらこちらでガウガウとなる事が多い。
 その場の空気の匂いを敏感に嗅ぎ取る能力においても犬はとても優れている。

 今日、ワクワクとした心で集まった犬は、マロ系の6匹だけではない。他のサモエド、そして他犬種を含めると11匹になったらしい。
 その中に私が存在できなかったのが何とも口惜しい。いつの日か、このようなオフ会に女房と二人で参加をし、目尻を下げ、目を細め(皆は、今でも充分細いと言ってくれているが....)、すべての犬を抱き締めたい。実家の乳母、乳父として、それは至福の瞬間になるだろう。

 ブローニュの森やハイドパークに行くと、特に日曜日、様々な犬種がたくさん集まり、ワインやビールを飲んでワイワイとやっている飼い主たちを無視して、犬同士で勝手に遊んでいる。
 初めてその場に立った時は、鼓動が速くなるほど感激するとともに、よく大人のオス犬たちがケンカをしないものだと感心した。その秘訣を聞こうと、勇気を出し拙い英語で、顔を赤くしている飼い主たちに質問をした。もちろんサモエド並みの、いや、日本人的ニコニコ笑顔を前面に押し出して近づいたのである。
 答はあっけなかった、
 『他の犬を咬むような奴を連れてくると、みんなに笑われるよ....、それに、ここは自宅ではない....』
 犬が人間社会での普通の存在である西欧社会の文化と、犬の大きな仕事である何かを守る事.....その二つをあらためて認識させられた返事だった。

 今、日本でもたくさんのドッグランが作られている。これは将来を明るくする出来事である。自分のテリトリーから離れた所で、他の犬、他の人間と出会う事で、犬は社会性を身に付けていく(これは決して飼い主が自宅の庭の中で教えられない事である)。それが積み上げられた時、日本の犬の文化は成熟期に足を入れる事だろう。
 そんな明るい未来を予見させてくれる、今日の便りだった。
 

 
 
 
 



2002年06月08日(土) 天気:晴れ時々曇り 最高:29℃ 最低:11 ℃

 暑かった。あと少しで真夏日だった。風は微風、犬たちは静かに自分で掘った穴に入るか、小屋の中に姿を隠していた。吹雪の時よりも、日よけに小屋を使うほうが多い気がする。
 
 今日は、久しぶりに川遊びを堪能した。もちろん犬たちも一緒に行った。雪解けが早かったのと、その後、雨らしい雨が少ない事で水位が低く、いつもならば長靴では無理な中州まで簡単に行く事ができた。
 犬たちは水位を気にしていない。深かろうが浅かろうが、好きな所に入って水中散歩やら犬かきやらをしている。泳ぐのが得意なのは、やはりラブのタブとセンちゃん、そしてレオンベルガーのベルクとカボスの親子2組である。顔だけを水面に出し、流れに乗るようにして楽しんでいた。
 
 サモエドグループは胸までつかり、前足で川底をさぐったり、顔を水中に入れて黒い大きなカラス貝をくわえてみたりと、川の環境調査に忙しい。ただ、親分のマロだけは、川で遊ぶと言うよりも、私や女房の手がポケットやウエストポーチにいつ伸びるかと、細心の注意を払っていた。つまり、ジャーキーを貰う事しか考えていない。
 かつてマロは、川の中で若い犬が遊ぶと、岸辺で心配そうに様子を眺め、時には吠えて呼び寄せていた。もし水中の犬がドッグレッグした岸に上がれず、もがくような動きを見せると、マロは首を伸ばし、岸の上から相手の首筋をくわえて助けあげる事もあった。
 そんな動きと注意心はもうなくなっている。寂しい気もするが、とにかく元気で、ニコニコとしていて、そして食いしん坊であれば良しとしよう。腰を傷めて2年、以前は先頭に立って川に向っていたマロは、今では列の最後の位置で、舌を出し、身体を揺らしながら懸命に500メートルの山道をついてくる。元気者たちがひと泳ぎした頃に、ようやく岸辺に辿り着く状態だ。
 そんなマロのためにも、川で過ごす時間はできるだけ長くするようにしている。上流に向って川の中央に立ち、胸で流れを受けながら、目を細めて身体を冷やしているマロを見ると、何故か胸が熱くなり、つい声を掛け、ポケットに手を入れてしまう。マロは、嬉しそうに水をかき分けて寄って来る。

 まだ、犬たちは厚い冬毛を身につけている。川から上がると必ず何度も身体を震わせて水分を飛ばそうとする。細かい飛沫の中に虹が見える事もある。そしてその飛沫は今が盛りと咲いている黒ユリを濡らし、黒赤紫の花びらが輝きを増した。今年は当たり年なのだろうか、1ヶ所に10本以上も咲いている所がいくつもあった。
 
 川からの帰り道、もっとも陽当たりの悪い林の斜面に寄ってみた。スズランが広がり、まだ花が残っていた。腰を屈めて匂いを嗅いでいると、興味を持ったセンちゃんが寄って来て同じように鼻をピクピクとさせた後、彼は花に向って片足を上げ、2種の香りをミックスする新しい匂いの構築を始めた。しょうがないので私も横で溜まっていたものを放水し始めると、なんとマロまでが寄って来て、嬉しそうにツレションとなった。これは女房には真似ができない、男冥利と言うものである。
 これで来年の花の数は、いつになく多く、そしてきれいに成るかも知れない。

 そうそう、名前は忘れたが丈が25センチにもなるスミレも満開だった。さらに私の大好きなオオウバユリや、あのトリカブトの蕾も随分大きくなっていた。
 そんな野の花を、犬たちと歩いて行くたびに踏み付けている。都会に住んでいる方からみると、言語道断、この反自然保護主義者.....と映るかも知れない。しかし、踏み付けなければ何処にも行く事ができないのが我が家からの道である。もちろん、むやみやたらと踏み荒らしはせずに、細い獣道(犬と馬が作った)を利用しているのだが、草花たちはそこまでも侵入してきている。
 これこそが豊かさだと思う。美しい野の花を踏まずには何も出来ない....そんな環境を残し、作って行く事こそが大切だと思う。

 あと250メートルでキツネ舎という所、太いミズナラの根元にアスパラの仲間であるキジカクシが50センチほどに伸びていた。1本、2本......5本、...7本まで数えられた。
 いつの日か、10本を超える年が来たら、そのうちの1本を貰い、野生のグリーンアスパラの味を確かめてみたいとずーっと思っている。今年もまだだめだった。
 
 こんな川紀行を、今日は2回、私たちは楽しんだ。



2002年06月07日(金) 天気:晴れ時々曇り一時雨 最高:20℃ 最低:11 ℃

 病院の裏口から大きな荷を抱えて出ると、まるで、それを待っていたかのように雲が切れ、眩しい陽光が足元を照らした。両手のバッグを下ろし、深く息をついていると、前から来た男性が『持ちましょうか?』と声を掛けてきた。顔見知りになった病院の事務の方だった。
 『大丈夫です、車はすぐそこですから......ありがとうございます』
 『退院ですね、良かったですね!!御大事に.....』
 『おかげさんで....、あたすぐ来ます....と言っては、だめですね!!お世話になりました』
 笑顔で送ってくれた若い男性に礼を言い、本と資料ばかりの二つのバッグを手にすると、私は目の前の駐車場に向った。

 どこでもそうなのだろうが、煙草吸いは邪魔者、悪道者のように扱われる事が多くなって来た。ましてや病院である、喫煙の出来る所は、広い建物(5階建て)の中に、たったの3箇所しかない。それも狭い檻の中のような造りである。
 私が寝ていた4階には、その1箇所があった。消灯の時間が過ぎると、足音を忍ばせて、いつもの連中が湧き出てくるのが楽しかった。それは夜中の3時でも出現した。私のコースの途中にはナースステーションがあり、かがんで進まないかぎり、必ず発見される事になり、そんな時、看護婦さんは、まるでイタズラッ子を見つけたように、意味ありげにニコッと笑って見送ってくれた。
 『すみません、どうしても眠れないもので......』
 何となく言い訳をしながら通過するのが、いつの間にか私の楽しみのようになっていた。

 その喫煙用の檻には15センチほど開けられる窓があり、そこから私の車が見えた。深夜、オレンジの街灯に照らし出されている赤いルネッサは、ポツンとひとりぼっちで、主を待つ犬や馬のように思えてならなかった。しまった、窓から見えない所に停めるべきだったと、何度、思ったか知れない。

 入院と言っても、たった9日間の事だった。前回、食物の出口の手術の時には3週間以上泊まっていた。それなのに今回の方が寂しさがあった。
 多分、前回は傷の痛み、治り具合、等々に気持ちが行っていたのだろう。
 それともう一つ、このHPがなかった事も理由になるかもしれない。
 昨年のインパクから始まった新しいコミュニケーションは、日常の中での、さりげなく、そしてすぐ横に常に多くの方の存在を感じるものだった。これもリアルタイムのネットの性格だろう。だからこそ、参加をしてくださっている皆さんの声が見えない事が、隔離された所では余計に気になった。

 まあ、繰り言は言うまい、すべて身から出た錆である。たった9日で戻る事が出来た事をよしとしよう。
 
 途中で1度だけ資料を取りに帰宅していた。でも夜であり、時間も1時間ちょっとだったので、我が家の周囲の様子は見えなかった。
 今日、暖かい午後に帰ると、先ず、コッケイが羽をバタバタとさせて駆け寄ってきて私の足に嘴攻撃をした。毎日、病院の5階にある展望温泉に浸かり、あか抜けた私の臑に、しっかりと青いアザを付けてくれた。
 犬たちの親分、サモエドのマロは、自分で作った昼寝用の穴から、ヨッコイショと言う感じで起き上がると、背伸びをして尾を振り、そして笑顔で寄って来た。
 ネコのアブラは、久しぶりに大好きな昼寝場所が帰ったとばかり、ルネッサのボンネットに上がり、身体を横たえた。もちろん、上がる前に、私のズボンに顔、背、尾をからめて挨拶をするのを忘れてはいなかった。

 家の中に入ると、ウジャウジャとネコが寄って来た。女房が留守だったので、勝手口を開けてくれる人がようやく見つかった....とばかりに、鳴きながら戸口で待っている子もいた。

 すべてが同じだった。犬やネコたちにとって私の9日間の留守など、とるに足らない事なのかも知れない。でも、それは彼らに問題がない証明でもあった。加えて書くならば、女房が何ごとも起きないように、手と心を使ってくれた結果でもある。
 『一番手の掛かるのがいないのだから、何の心配もないよ、しっかり治してきてよ.....!!』
 入院前の女房の厳命は、やはり真実なのかも知れない。

 同じ生き物でも、植物は変化していた。母屋に向う道の両側ではヒメリンゴの白い花が満開になっており、たくさんの蜜蜂が集まってきていた。その横の牧草地の草丈は高くなり、タンポポの黄色い花は、すべて綿毛になっていた。
 ダーチャの小屋の横のワラビの丈は1メートルを超し、その下に眠っているオオカミ犬のタローや秋田犬のタムの力を感じてしまった。
 ウドは大木になる寸前になっているものもあり、スズランの花は終わりに近づいていた。
 そして樹木の新葉が出揃い、様々な緑の色が家を取り囲んでいた。

 コッケイの攻撃を足を上げて防ぎながら、大きく深呼吸をして私は北の初夏を胸いっぱいに取り込み、小さく尾を振りながら静かに見つめてくれている犬たちに声を掛けた。

 『ただいま〜みんな!!』
 



2002年06月02日(日) 天気: 最高:℃ 最低:℃


毎日、寒いようです.....私は窓から眺めているだけですが.....。
 雨の上がった夕方、2時間の猶予を貰って脱出してきました。時間だけが、余るほどあるので、読みたい本と資料を取りに来ました。女房の食べている普通の夕御飯が、実に旨そうに見えました。
 無念ながら、まだ入院は続きます。先生が出所をさせてくれません....優等生だと思っているのですが、ここぞとばかり様々な検査をされています。
 でも、そんな精神的に芳しくない日を和ませてくれる事もあります。何と病院の最上階に温泉があるのです。世の中の皆さんが仕事で車を走らせている様子を見ながら、天上の浮き世風呂でのんびりできるのです。今は、これが楽しみなウブでした。
 母屋へのヒメリンゴの木が白い花で飾られていました。犬たちが、嬉しそうに尾を振ってくれました。
 
 では、戻ります、病院へ......。
 明後日には帰りたいな〜〜!!