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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2002年09月30日(月) 天気:薄曇り 最高:18℃ 最低:8℃

 台風が来ているらしい。明日の午後から影響が出ると、天気予報のキャスターが叫んでいるので、あわてて庭周りを片付けた。
 犬たちが小屋の周囲に掘った穴を埋め、クサリの磨耗度を調べる。ベルクの出血を今日、確認したのを始めに、メス犬たちの発情が押し寄せてきそうなので、オス犬のクサリを入念に確認した。夜中に切れて、思わぬ結婚式が執り行われないようにである。
 まあ、ピークに近づいたメス犬は隔離柵に入れられるので、妊娠は不可能に近い。しかし、オス同士のケンカの恐れもあるので、クサリは重要である。

 そう言えば、夕方、タドンが餌を半分残し、情けない顔で私を見ていた。あっ、と思い、腰を屈めてタドンの腹の下を覗くと、やはりだった。
 何が『ヤハリ』かと言うと、前にも書いたと思うが、タドンは、まだ出血も始まっていない発情前期のメスの匂いにも敏感に反応し、ついついアレを出してしまうのである。
 その後が問題である。普通は時間が経過すれば縮小し、収まるところに収納されるはずである。しかし、タドンは数度に1回の割り合いで、亀頭が皮に引っ掛かり、出たままになってしまう。
 もちろん痛いのだろう、背を弓なりにし、腰を屈め、股を開いて静かに動いている。食欲は失せ、人間を、すがりつくような目で見上げてくる。

 ベルクの入っているサークルの目の前が彼の小屋だった。人間にも責任がある。女房と私の二人がかりで、うっ血して黒に近い赤になっていたモノを収めた。
 げんきんなもので、タドンはあわてて自分の食器に向かい、残していた餌を平らげてしまった。

 山羊のメエスケの冬の食料となる牧草も運んだ。柔らかい2番草の乾草である。車庫の中に積み上げられた牧草に、さっそくアブラとウッコイが確認に行った。ネコはベッドに、ウコッケイは産卵場として使うに違いない。
 
 まだこの辺りの山では初雪は確認されていない。しかし、この台風が過ぎると、一気に寒気が降りてくるだろう。霜は毎朝の事となり、地面は乾く間もなく、長靴に湿った泥が付く。
 あちらこちらに散在していた、板切れ、カゴ、スコップ、水おけ、ナンキン袋なども分りやすい所に集め、雪の下になっても取り出す事ができるように片付けた。
 さらに、トラクターでツンちゃんが行ってくれる除雪の事も考えなければならない。邪魔な物が雪の下にあると、ロータリーの羽を壊す事もある。
 北海道の道によくある、矢印の付いたポール。これをドライバーのためと思っている方が多いが、実は、もっと重要な役目は、除雪の目印としての役割である。
 吹雪でスッポリと道が埋まった時、除雪車は、あの矢印で、どこを除雪すべきかを判断している。あれがないと、路肩のコンクリートの縁石を破壊したり、とんでもない所に除雪車を突っ込んだりと、やっかいな事になってしまう。

 今日の作業で、ある程度の越冬の備えはできた。この後、最低気温がマイナスになると、我が家の基礎布(コンクリート)の換気口を閉じ、これで、冬支度は終わる事になる。
 今年は、冬が早いぞ.....私は、そんな気がしている、果たしてどうなるのだろうか。



2002年09月29日(日) 天気:雨のち曇りたまに晴れ間 最高:18℃ 最低:14℃


 午前中に雨が上がり、薄日も漏れるようになった。
 大阪では、いくつかのHPで仲間になった皆さんが、カナダから一時期国された女性を囲んで、犬連れのオフ会を開いている。
 しかし、最近は、写真を送る事のできるケイタイが大活躍をしており、けして『オフ会』ではなく『オン会』と言うべきかも知れない。
 遠方だったり、所用で参加できない人には、BBSに集まりの状況や写真がリアルタイムで貼られる事は、何となく自分も心だけでも参加しているようで、嬉しいものである。

 今日のオフ会の模様も、Mさんがすぐに写真を送ってくれた。画面の中には笑顔があふれており、こちらもつられて笑ってしまった。雨も酷くならず、無事に20人と10匹が楽しんだとの事、嬉しいかぎりである。

 我が家でも、ミニミニオフ会があった。
 ネットで知り合いになったAさんが、浜中の王国のクラブハウスに滞在されており、今日、我が家に来てくれた。
 彼女はベアデッドコリーのオスを飼っている。牧羊犬として完成した犬種で、かなり活動的な犬である。オールドほどではないが毛が長く、暑い夏にはサマーカットにされる事も多い。実際、王国のベアデッドたちは、何ですかこれ?と言う妙な姿で夏場を乗り切っていた。

 Aさんは、犬扱いが自然にできる方だった。犬を側に置いたのは今の子が初めてと言っていたが、自然な形で犬に近づき、犬に何の負担も余計な注目も与えずに、挨拶をされていた。
 これは、才能である.....と言うよりも、犬を特別な存在と考えず(たとえば、上下関係を築こうとか....)、素直に、見たままの犬に声をかけ、匂いを嗅がせる(手を伸ばす)事のできる人である。
 加えて、自分のベアデッドで、犬の好む触り方、触るポイントを身に付けている。
 これで犬が喜ばなかったら、その子は犬ではない。

 夕方、暗くなる前に、Aさんは浜中に戻って行った。都会で忙しい仕事をされているとか....今回の北の地での夏休みが、小さな思い出となってくれたなら幸いである。

 夕方の犬たちとの散歩の最後は、いつも群れのナンバー2のサモエド・オス・カザフと、セン、カボスのオス犬、そして数匹のメス犬たちで行っている。先発組は終わってからになるので、薄暗くなっていた。

 牧草地に駈け降り、広い畑の真ん中で、カザフは2度、同じ所に小便をし、そして匂いを嗅ぎ直し、身体をくるりと1回転させ、今度は背を丸めてウンコの体勢に入った。
 その時である。20メートルほどムツさんの家に寄った畑の端しから、1匹のキタキツネが登場してきた。
 まさにフン張り中のカザフを確認し、他の犬たちの動きを見渡し、安全と判断したのだろうか、ゆっくりと右端から左端へ横断を始めた。

 怯えて走りだすと、これは犬の目(狩りの心が裏に隠れている鋭いセンサー)にすぐに映る。
 しかし、馬で言えば並み足である、のんびりとした動きは、獲物反応を犬に起こさない事も多い。それを分かっているかのように、キツネは左の林に辿り着くまで、あくまでも静かな歩みを見せていた。
 姿形、特に尾の様子から、我が家出身の野のキツネ、ルックの旦那のように思われた。
 15分後、同じキツネは、我が家の北側、大きな桜の木の横で、放牧されている馬たちを座って眺めていた。馬も、まったく気にすることなく、ササや枯れたトリアシショウマを口にしていた。

 



2002年09月28日(土) 天気:曇りのち雨 最高:20℃ 最低:8℃

夕方から冷たい雨になった。
 明るいうちに、人間の与えた夕食を済ませ、ネズミ捕りに出かけたアブラ2世は、濡れた身体で8時頃に戻ってきた。雨をしのげる玄関で待っていたアブラが、鳴きながら寄って行き、頭をこすりつけて挨拶をした。
 動物用の台所に2匹を入れようと抱えると、アブラの頭も濡れてしまっていた。

 この雨で、また木々の葉が色を変えるだろう。間もなく10月、本格的な秋になる。
 この日記を読み直した。
 9月1日に、<9月になると....>と書いている。
 その9月が、もう終わろうとしている。何と早い事だろう...。
 今日は、たくさんの目標をたてていた1日の日記を呼び戻し、総括をしてみよう。
 
   <9月になると......>
  9月になると...
  
 陽光は傾き、すべての造型物が、眩しさの中で形を際立たせ
 る。
  *(これは、間違いが無い、鮮烈な夕陽を何度も見た)  
  
 樹木の葉は、深い緑を捨て、あるものは赤く、あるものは黄
 色に、そして、あるものは茶に装いを変える。
 2度目の花を咲かせたアカツメクサに、季節に追われたミツバ
 チが集まり、急ぎの仕事をしている。
  *(自然の営みは、およそ合っている、予想どおりである)
 
 当幌川の水面に枯れ葉が落ち、イワナがくわえようと飛沫をあ
 げる。
 原野から帰った犬たちが、誇らしげに草の実のネックレスを見
 せてくれる。
  *(イワナは見ていないが、ヤマメの群れているのを確認した。草の実・キンミズヒキの種子も犬に付いている)
 
 隣町の競馬大会で、モタロウに乗らなければ。
  *(残念ながら、モタロウは唇が麻痺しており、今は療養中である。別海で私はマロンに騎乗した)
 
 古い馬糞の山で、両手にあふれるシメジを採り、美味しい汁を
 作ろう。
  *(早く、浜中に行って、探さなければならない)
 
 キツネたちに、黄金色の服が復活する。
  *(我が家のキツネだけではなく、事故による飛び入りもあった)
 
 遠方より、笑顔を土産に仲間たちがやって来る、カナダからも
 .....。
  *(来ました、来ました。楽しい集いでした!!)
 
 怪しき気候も回復し、天はどこまでも青くなるはず。
  *(これも正解であろう。30℃も超え、青空が広がった)
 
 3匹の子ネコたち、4匹の柴っ子が、旅立ちを済ませ、福岡、
 東京、札幌、帯広などで笑顔を振りまく。
  *(昨日、4匹目のエの子ネコが旅だった。先住ネコよりも堂々としているらしい。これで子犬、子ネコ、すべてが新しい家に行ったことになる。もう、寂しさに全身を捕らえられ、次の出産を待ちかねている私である)
 
 毎朝、犬たちの水おけに、重なり合って枯れ葉が浮いている。
 犬たちは、あっという間に食器を空に.....瞳はおかわりを求め
 る。
  *(まさしく、食欲の秋になっている、犬もネコも、そして人も......)
 
 サモエドのアラル、レオンベルガーのベルクが結婚をする。
  *(まだはっきりとした徴候はない。楽しみにしているところである)
 
 マタタビとコクワ、そしてナナカマドの実を焼酎に漬けてみよ
 う。
  *(あっ、これを忘れていた。明日にでも焼酎と氷砂糖を買ってこなければ.....!!)
 
 秋ヤマメ(ヤマベ)を、馬糞山のミミズを餌に釣り上げ、塩焼
 きで食べよう。
  *(これもまだである。2002年、最後の川釣りをしなければ)
 
 女房が、秘伝の手法で『イクラの醤油漬け』をつくる。
  *(明後日、女房が作る予定である。とにかく絶品である)
 
 入るだけ車に犬を乗せ、野付の海で遊ばせよう。国後を眺めな
 がら。
  *(しまった、これも実現していない。必ずと約束をしよう、犬たちと.....)
 
 南へ下る白鳥の群れが、我が家の上を鳴きながら飛んで行くだ
 ろう。
  *(まだ白鳥の声は聞かない。代りに夕方になると、近くからタンチョウの鳴き交わしが聞こえてくる)
 
 リスは頬をふくらませ、アブラたちは連日の狩りで忙しい。
  *(もう、いいでしょう....と言いたくなるほど、狩りに励んでいる。アブラ2世の1日の最高記録はネズミ6匹である)
 
 奥まで届くようになった陽光に、居間のネコたちが暖まる。
  *(とうとう床暖房のスイッチを入れた日もあった) 
 
 月の灯りに漁り火.....見事な夜景を見に、車を走らせなければ
 ならない。
  *(浜中沖のサンマ船の灯りは見事である。しかし、羅臼のイカは極端な不漁で、船の数も寂しい。国後が明るく見える光景はまだである)
 
 1年掛かった歯の治療が、ようやく終わる事だろう。
  *(何たる事か、まだ終わらない。実は今日も行ってきた。最後の奥歯治療に入っている。10月には....と期待している)


 これが、1日に書いた予想、計画の総括である。まだ2日、残っている。できる事をこなし、少しでも良い9月としよう。




2002年09月27日(金) 天気:曇り 最高:18℃ 最低:8℃


 今、我が家の家禽グループは何羽になるのかと、指を折って数えてみた。
 小屋には、熟女のニワトリが2羽、ウコッケイのオスが....おっと、かなりややこしい、まとめて表にしてみよう。

  種類      生息場所    雌雄  数  年齢
 *ニワトリ    小屋・庭全体   メス  2  熟女
 *ウコッケイ   小屋・囲いの中  メス  2  熟女
         小屋・囲いの中  オス  2  おじん
         小屋       メス  1  少女
 *ミックス    どこでも     オス  1  青年
 (ニワトリとウコッケイ)・・名前・コッケイ
 *ウコッケイ   どこでも     メス  1  美女
  名前・ウッコイ
 *ミックス    家の客間・玄関  メス  2  少女
 (コッッケイとウッコイの子)

 .......となった。合計で11羽である。
 客間のケージと玄関のケージを行き来して育っている2羽は別として、他の9羽は、日中、自由な行動が可能である。小屋や囲いの戸は開放し、人間の家の勝手口もネコたちのために開けているので、その気になれば入って来れる。

 しかし、彼らは、グループを作り、その掟に従って行動をしており、柵などはなくても行動範囲はしっかり決められている。
 
 もっとも広いテリトリーを持っているのがコッケイとウッコイのカップルである。2羽は、夜の寝場所となっている動物用の台所の戸が開くと、庭のすべてに姿を現わす。もちろん、勝手口から、私が食べている御飯をよこせと食堂に闖入するのも得意である。
 但し、小屋と付設の囲いの中だけで生活をしているウコッケイグループには遠慮をしている。囲いまでは時々入るが、ウコッケイたちの警戒音に、けして小屋の中には入ろうとしない。

 夜を小屋で過ごしている、あまり卵を産まなくなった熟女ニワトリ2羽は、コッケイたちと逆である。囲いの戸が開くと、恐竜のような足取りで、まずコッケイたちの餌箱を探しに、台所の方に駈けて行く。
 その後は、自由に庭や動物用台所、そして自分の小屋などで餌探しをしている。コッケイと違うのは、人間の建物には侵入しない事である。
 
 小屋のウコッケイグループは、ほとんど自由空間には出てこない。あくまでも小屋とその前の囲いを安心のスペースとしており、私が掘って根と土の付いたまま囲いの中に投げ入れた草は夢中で食べるのに、囲いの外、1メートルの所に生えている草を食べに行こうとはしない。この臆病さも生き延びる知恵そのものである。

 最近になって、庭で接近、接触のある4羽(コッケイ夫婦と熟女ニワトリ)が、やけに仲良くなった。
 というよりも、雄鶏のコッケイを中心に、ひとつのグループになりつつある。いわゆるハーレムである。
 その証拠を最近よく目にする。熟女たちがコッケイに寄り添い、2羽でコッケイの羽づくろい、そしてトサカを嘴で突いてグルーミングをしてやっているのである。
 その間、コッケイは空中の1点を見つめ、身動き一つせずに、やや放心の面持ちである。
 この果報者....そう言いたくなるほど、和やかで愛を感じる光景である。
 
 これに気づいた頃から、熟女の産む卵の数が増えてきた。老鶏ゆえに、1週間に2.3個だったのが、毎日のように産んでくれる。
 やはり生き物を元気にさせるのは異性なのかと、あらためて納得している。

 



2002年09月26日(木) 天気:晴れ 最高:18℃ 最低:3℃


 夏の間、毎日の仕事のように前足で掘った穴に、身体を半分だけ隠してマロが寝ていた。周囲にはダケカンバとハンノキの落ち葉が集まり、絨毯のように、マロの白い身体を囲んでいた。
 朝日がオレンジの刃を木立から刺し貫いてくると、生気を失っていた落ち葉が一斉に立ち上がり、白く輝いたよう見えた。

 今朝、この秋、初めての霜が降りた。
 3℃と最低気温を確認しておきながら、あわてものの私は、つい犬たちの水おけを覗いてしまた。さすがに氷はなかった。
 
 深く息を吸い込み、陽光に向かって吐き出した。顔の前にオレンジの霧が広がり、ハレーションを起こした。
 この爽やかでピリッとした空気には、やはりタバコの煙が似合うと、私は上着の右ポケットを探った。指先に、細かな物体がいくつも触った。
 
「そうだった、タバコは玄関に置くように決めたんだった...もう、こんな時に面倒な....」
 
 無言の独り言をつぶやき、私は、女房の言うがままタバコの本数を減らすために、犬たちと遊ぶ時の上着からタバコを追放した事を悔やんでいた。まだ2日目だと言うのに......。

 ポケットを探る仕草を見ていた犬たちが、期待の目になっていた。連中は、たった2日で、いつもの左ポケットだけではなく、右にもジャーキーが入れられている事を認知していた。
 仕方がない、指先に触れたのも何かの縁と、私はマロをはじめ、すべてのキラキラ瞳の犬たちに、少しづつ早朝のオヤツを与えた。

 突然、サンダルの足、そのスネに小さな衝撃が走った。
 我が家の最強動物と認定されつつあるニワトリとウコッケイのミックス『番鶏ことコッケイ』が、我が足を鋭い嘴で突いては、見上げ、突いては見上げと、嬉しそうに仕事をしていた。守るべき雌鶏は、カリンの繋がれている車庫の奥に、卵を産みに行くところだった。このタイミングが、コッケイのもっとも張り切る時、仕方ない許す、と言って、気を変えさせるために1センチに折ったジャーキーをコッケイにも与えた。

 日が登り、30分もすると、淡い白を見せてくれていた霜が、すべて消えてしまった。しっとりと濡れている日陰の葉だけが、その名残りを語っていた。

 突然、マロが表の舗装道路の右手を向き、耳を集中の形にして唸り、吠えた。
 すぐに私にも音が聞こえた、猛烈なスピードで駆け抜けていくトラックだった。
 私は、周囲を見渡した。さっきまで近くにいた2匹のネコの姿を探した。アブラとアブラ2世は、道路の周囲も狩りの範囲としていた。
 2匹は、道に出ていなかった。我が家の玄関の前に置いてあるジャガイモのカゴの上で、鮮烈な朝日を浴びながら互いの身体を舐めあっていた。

 あのトラックドライバーは、2002年秋の初霜に気がついただろうか....そんな事を考えながら、私は朝飯を食べに家に戻った。

 



2002年09月25日(水) 天気:曇りのち快晴 最高:16℃ 最低:8℃

テレビと雑誌の取材が入っていた。ついでだからと、昼飯は王国流『毎年、新鮮な手作りイクラ食べて秋を迎えようの会』となった。
 道東の海は、今が秋のサケ漁の最盛期である。海の定置網では人間用が、川の止めでは人工繁殖用の採卵のために捕獲されている。
 美味しいイクラの醤油漬けにするには、いくら粒が大きく、いくらバラバラにほぐし易くても川に入ったサケの筋子ではだめである。産卵が近いと卵の外側の皮が固くなっており、食べた時に口に残る。

 と言う事で、もちろん海で採れた筋子を手に入れ、女性軍が活躍して大きなボウルいっぱいの『イクラ醤油漬け』ができた。
 取材のスタッフはもちろんの事、王国の面々も集まり、たちまち秋を味わう昼食会になってしまった。
 私は、もうひとつのサケ料理である『チャンチャン焼き』を受け持った。珍しく、食べるほうではなく、作る係である。
 2枚におろしてある大きなサケを、油をひいた焼けた鉄板の上に、身のほうを下にして焼く。ある程度、火の通ったところでかえし、今度は皮側を下にする。その上にキャベツやモヤシ、ピーマンの細切りを乗せてサケを隠し、白ワインをたっぷりとかけてジワリと焼く。
 身に火が通り、野菜も柔らかくなったところで、秘伝のミソダレを乗せ、サケの身をほぐしながら、十分になじませる。
 これで完成である。炭火の上でジュ〜ジュ〜と言っているうちにかっ込むと、あ〜秋だな〜となる。もちろん、箸を持たないほうの手には泡の出る麦茶が似合う。

 御飯よりもイクラの多い『イクラ丼』そして『チャンチャン焼き』を口にすると、王国の秋は本番となる。
 このスタイルは恒例となっているのである。

 食後は、真昼でも西に傾いている太陽のもと、野球場が何面もとれる広い牧草地で馬に乗った。
 先日の別海競馬では200メートルの直線スプリントレースが行われ、私も3着に入る事ができた。
 今日は、直線500メートルである。横は自由、少しぐらい縒れても、何ら影響はない。
 ムツさんの乗るマンデーを中心に、7騎で駈けた。15センチほどに伸びた牧草が、深い芝状態となっている。府中の競馬場に良く似た緩やかで長い坂があり、駈け登る時の馬と乗り手の快感は言葉にできない。

 私は、砂子に乗っていた。かつてムツさんとともに、たくさんの優勝旗をかっさらった名馬である。その血を残そうと、数年前から競馬からは引退し、子馬作りで頑張っている。この頃は、たまに、ゆったり乗馬で乗られる程度の生活である。
 
 しかし、何度か馬首を揃えてのギャロップを繰り返すうちに、砂子の魂に火がついてしまった。押さえると首を下げ、頭を大きく振って走ろうと催促をしてきた。熟女の域に入っているが、競争心は以前のままであった。

 人間が満足してパドックに戻ると、砂子が最も汗をかいていた。乗り手がへたくそか、思うように走らせて貰えなかった馬は、他の馬の数倍、汗を見せる。
 できるならば、答は後者であって欲しい。



2002年09月24日(火) 天気:曇りのち雷と大雨 最高:17℃ 最低:5℃


 急な用事ができ、娘の入院している釧路の病院に走った。娘の術後の経過は、すこぶる付きの順調で、何の問題もない。事務的な用事である。
 女房も同行したので、犬たちの午前中の散歩はカットした。いつもクサリを外してもらえる時間に、玄関から出て来た私と女房が、いつもの汚れた散歩服ではなく、短い靴と、少しはましな上着を着ているのを見て、犬たちの表情が変わった。

 『あれっ、散歩ではないようだな〜?』

 そう、感じている。
 吠える声は少なくなり、軽く尾を振りながら、人間の一挙手一投足を見逃すまいと真剣に見ている。
 これが、犬の利口なところである。同じ事を繰り返す暮らしの中で、いつの間にか、雰囲気、表情、姿形で判断ができるようになってくる。

 午後3時前に帰り、車から降りると、今度は、犬たちが大騒ぎで迎えてくれた。必ず、散歩、餌があると確信している表情だ。
 それに応えて、女房と世話を始めると、あきらかにいつもよりも食欲が増し、生き生きとしている。留守による影響が現われている。

 犬の心を元気づけるには、様々なやり方がある。
 私が好んで使うのは、場所と時間を変化させる事である。特に、人間に注意を向けさせたい時には、真夜中、真っ暗、初めての場所をステージにする。
 さらに、餌にしても、定時が基本だが、何かトレーニングをする時は、2〜3時間、ずらして与える事もある。

 『ウン?おかしいな?』『どうしたんだろう?』

 こんな気持ちに犬がなった時、犬は答を求めて人間の表情を、心を覗き込む。そこから新しい旅立ちが始まる事がよくある。

 あと言う間に食器を空にした犬たちは、クサリから放されると、すぐに大小便に行った。けっこう我慢をしている可愛い連中である。
 『出た〜?!良かったね〜』
 と大袈裟に誉めてやり、一切れのジャーキーを与えた。
 これで、辛抱する事も、放された後に済ます事も、それは楽しい事であり、人間が喜ぶ事だと認識していく。

 人間の都合で日常が変化した時も、それなりに人と犬たちの絆作りに役に立つものである。



2002年09月23日(月) 天気:曇りのち晴れ 最高:15℃ 最低:9℃

 夕方になって雲が割れ、濃いオレンジの西陽が差し込んできた。動物用の台所でネコ缶を食べたアブラとアブラ2世は、口の周囲の毛づくろいを済ませると、それぞれ違う方向に、薄暮の狩りに出かけた。

 立ち待ちの月がオレンジから白黄に色が変わった頃、犬たちが吠えた。月の美しさを愛でての声ではなく、近くに何かを見つけた啼き方だった。
 女房が、アブラたちがネズミでも見せびらかしているのではと、外に出てみた。

 舗装道路に通じる我が家の出入りの道に、1匹のキツネがいた。女房が声をかけると、逃げずに近寄って来た。月明かりだけでは顔を確認できないので、あわてて懐中電灯を取りに戻った。
 ライトは我が家から野に旅立ったルックを照らし出した。もうお婆ちゃんになるキツネである。女房が腰を屈め、名前を呼び、チーズをあげようとした時に、横の草むらからアブラが駆け寄ってきた。
 キツネとネコ、2匹は女房を間に、わずか1メートルの距離で相手を見ていた。
 しかし、どちらも何も手出しはしない、アブラは頬と背を女房の足に擦り付けて甘え、ルックはチーズと生肉を食べていた。

 お土産にパンをくわえて去ったルックを見送り、アブラを台所に入れて閉じ込めると、女房は、室内に戻った。
 しかし、犬たちは再び吠え始めた。
 居間の窓から外を確認すると、もの干し竿の台の所に2匹のキツネが座って、明るい居間と食堂の窓を見上げていた。
 久しぶりに顔を見せた、ルックの2歳になる娘と、2匹目の旦那だった。

 『お前たち、元気だったの、死んだのかと思っていた....』
 
 女房の声も元気になり、窓を開けてチーズを投げた。犬たちの声に、耳を忙しく前後に動かしながら、2匹は急いでチーズを腹に収めた。
 娘の毛は旦那よりも伸びていた。毛ヅヤも良く、しっかり餌を取っているのが分る。比べて旦那ギツネは、身体全体は特におかしいところはない、しかし、尾は太さがまだらであり、毛がくたびれていた。おそらく、キンミズヒキなどの種子が付き、それを歯で取ろうとしてみすぼらしい尾になったのだろう。
 このような特徴は、観察をしている人間には大切な手がかりである。遠くからでも尾の形を見ただけで、個体識別が可能になる。

 食べ終わった2匹は、静かに草むらに消えた。
 
 今年の春に生まれた子ギツネたちの巣立ちが終わり、これからキツネたちのテリトリーが、再編成される時期になる。ルックを中心とした、いつもの連中が、また我が家のある一帯を使うのだろう。
 今年、子ギツネを育てられなかったルックにとっては試練の冬が、もうすぐそこに来ている。娘が近くでウロウロしているのは、その証明とも言える。近親、特に娘が手元にいる事を許すのは、老い故の交代を意味する事が多いのだから......。



2002年09月22日(日) 天気:晴れ 最高:20℃ 最低:5℃

 早朝は冷えていた。
 午前中に来る予定の客が、旨い具合にキャンセルとなり、急いで60キロ離れた浜中に向かった。けして飛ばした訳ではないが、何故か45分で着いてしまった。
 
 王国の敷地に入ると、必ず犬たちが寄って来る。いつも携帯しているジャーキーが目当てと分かっていても、つい可愛くなり、ポケットに手を入れてしまう。

 5頭の馬での外乗は昼頃にスタートをした。
 ゲートを出ると、左に折れ、砂利の道を柵沿いに進んだ。連休と言う事で、遠い地のナンバーを付けた車がゲート前に停まっていた。運転席と助手席で、笑顔がふたつ、私たちを見送ってくれていた。私は、軽く会釈で応えた。

 道脇の林には、かすかに白い部分を残したサビタの花びらがあった。それを囲むように茂っているハンノキの葉は、すでに黒っぽくなり、落ち葉となるのが近い事を感じさせた。
 柵側にはリンドウの花が無数に咲いていた。大きな濃い緑の固まりはハマナスのブッシュだった。すでに花は散り、赤く色付き始めた実が、数多く目についた。

 先頭の馬は、昨日の1000メートルレースで2着に来たケイタだった。もちろん乗っている人間も昨日のジョッキー、アキヤ君である。
 その後ろにミツ、さらにアカネ、そしてリュウと続き、最後が、まるで10年振りに人を乗せたとでも言うような、そんな太さ、動きのカズネに乗った私だった。
 間に挟まっている3頭に乗っているのは、王国の中にある『ゆかいの家』に泊まられている仲間たちである。前と後ろを固めて1列で進む事が初心者を連れての外乗の基本であり、実は、狭い馬場で乗る事よりも、はるかに安全な乗馬である。
 と言うのも、馬はかなり臆病な群れの生き物であり、1頭での行動を恐がる。従って、複数でいると、必ず揃った動きをしようとするのである。
 『赤信号、皆で渡れば恐く無い』
 これは、馬の行動を示している言葉である。
 例え青信号でも、4頭が停まって話をしていると、残りの1頭は、なかなか渡れないのである。

 ケイタは気持ちよく、キビキビとした並み足で進んで行く。後ろの3頭も、遅れまいと、なかなかの足取りである。
 しかし、私のカズネは違っていた。この子は、若く、細い時から、とにかくノンビリ屋だった。その子が体重と年齢を加えたのである。推して知るべし....私は。4頭目のリュウから20メートル離れるたびに、大きな声を掛け、腹を蹴って速歩に歩みを変えさせて、列に追いついていた。

 ツキノワグマのロッキーの檻の所で道を海に向けた。左側の柵の中では、数十頭の馬たちがのんびりと牧草を食べている。彼らのほとんどは年中、非番であり、物見高く、すぐに数頭が、柵越しに、働く5頭を確認に来た。

 ミツに乗っているGさん、アカネに乗っているTさんは、馬に乗った経験もそれほど多くはない、外乗も初めてだった。リュウの上のJさんは、馬術部に籍を置いた事もあり、学生の頃は、王国で乗り、競馬大会にも、昨日を含めて何度か出場しているベテランである。
 経験に差のある乗り手が、馬場の中で乗っていると、かなり気を使わなくてはならないが、原野に出てしまうと、ほとんど無視して構わない。楽しむ事で、どんどん上達していくのが外乗の良いところである。

 列は、海のすぐ上に着いた。アキヤ君が馬を停め、後ろの3人に何ごとか話している。私も聞きたかったが、カズネをせかして追い付いた時には、もう彼の口は閉じていた。
 アキヤ君は、馬を左手の草むらに入れた。そこから高さで50メートルほど下に太平洋が広がっている。その砂浜までが、左右に曲りながらの崖下りコースとなっており、乗り手の身体が後ろに反り、まるで馬の尻の上に上半身がくるような、実に楽しい体験ができる。
 ゲストの誰かが悲鳴をあげる....うまく落ちてくれる、と言う事件を期待し、私は後ろを締める係としての役割をしつつ、ニコニコと前の馬と人を見守り、下って行った。

 何も起きなかった。5頭は、無事に、潮がひいて広さが倍近くになっている砂浜に辿り着いた。

 『往復しようよ、アキヤ君!!』

 片側に崖、片側に秋の陽に輝く白い波.....その間の黒く濡れた砂浜はよく締まっており、乗馬には最高だった。
 ケイタがゆっくりと速歩を始めた。残りの4頭がそれに続く。数百メートル先に、小さな川が海に流れ込んでいる所があり、その手前でアキヤ君は馬を回し、くっきりと砂に残る往路の蹄跡を辿るように戻り始めた。
 この方向は、馬にとって帰り道に繋がる......それを、彼らは知っている。
 つまり、声を掛けなくても、腹を蹴らなくても急ぐのである。
 ケイタのスピードに付いていくには、速歩では無理になったミツとアカネが駈け始めた。私は、後ろからではあるが、乗り手の様子を見つめていた。彼女たちには、初めてのギャロップである。心が負けると簡単に落ちてしまう。
 
 しかし、それは『いらぬ心配』だった。ゴールとなるもう片方の小川に着き、馬を停めた時、彼女たちの顔は心地よい興奮で上気して輝いていた。
 私は、3頭には待っていてもらい、Jさんを誘って、もう1往復する事にした。のんびりカズネに大きな声を掛け、思いきり腰で漕いだ。カズネは、驚いたように駈け始めた。Jさんは、少し崖に近い所を、快調に飛ばしている。
 あっという間の往復だったが、何も考えず、ただただ馬の上で、素晴らしい生き物である馬の鼓動を聞きながら、北の秋を感じられたと思う。Jさんは、日本での仕事と休暇を終えると、再びカナダに旅立つ。

 砂浜からは、再び崖を登って帰路に着く。今度は、古い草道だが、何度も曲りがあり、かなり傾斜はきつい。余力を残している前の4頭は、かけ声とともに、すぐに駆け上がり、私の視界から消えてしまった。
 外乗の鉄則に、下りはゆっくり、というのがある。下り道で駆けるのはもってのほか、速歩もやめたほうがいい。馬の肩に掛かる負担が大きく、ケガの原因となる。
 しかし、登りは構わない、速歩だろうと駆け足だろうと、どんどん馬の力のかぎり追っていいだろう。この時の馬体の動きは大きく(特に首の使い方)、実にダイナミックである。

 4頭は、それが出来た。
 しかし、我が馬、カズネちゃんは、100メートルほどで息が上がり、まるで爆発寸前の蒸気機関のような音で呼吸を始めた。
 楽しい馬との遊びで、無理をする必要はまったくない。私は、1歩1歩、ゆっくりとカズネ任せで崖道を登った。
 丘の上に着き、前方を見ると、4頭の馬たちは、快調に速歩で進み、もう王国のゲートに着くところだった。

 馬具を外し、軽くブラシで汗を取り、ひとにぎりの燕麦を馬たちに与えた。
 この素晴らしい『仲間動物』のおかげで、今日も幸せをいっぱい貰う事ができた。

 



2002年09月21日(土) 天気:晴れ 最高:20℃ 最低:12℃

 教育論と言うほどのものではないが、毎年、多くの子供たちと、時には、その保護者(親を中心とする)と接してきて思う事も多い。
 持っているバッグ、携帯、ブランドものの財布、そしてゲーム機、さらに小賢しいと感じるほどの頭の中の知識.....これは、ため息がでるほど凄い。
 しかし....である。
 有り余るモノ(望めば、ほとんどの物を保護者なる者が与えてくれる)を所有していながら、たった一つの物が足りないように思えてならない。
 それは、『ちょっぴりの勇気』だと私は思う。

 今日、秋晴れの別海町草競馬場で大会が開かれた。道東だけではなく、競走馬の主たる産地、日高からも大型の馬運車で馬がやって来ていた。
 王国のメンバーにとって、もっとも重要な『ムツゴロウ1000メートルキャンターレース』は5レース目だった。もちろん冠に名があるからには、われらが国王のムツさんも騎手として愛馬『ストーミーマンデー』にまたがった。
 他の仲間たちの中に、初めてキャンターレースに出る小学5年生がいた、岡田岬樹である。
 父親のお気に入りの月子で練習を重ね、デビュー戦となった。
 岬樹は数年前から馬には乗っている。競馬にも出たことはある。しかし、そのレースは『速歩』....つまり速足のものであり、全力での駈けではなかった。
 JRAなどで見ることができる、馬たちの全速での競走...これは、馬の気持ちが普段と別のものになって初めて可能な事である。それをこなすには、騎手たる者にも、慎重さと思いきりの良さ、そう、『勇気』が必要になってくる。

 レースは無事にスタートした。月子は2.3番手から押し出されるように2コーナー過ぎで先頭にたった。すぐ後ろにムツさんのマンデーが付けている。やがて直線、岬樹は声と拳で月子を励まし、自分を励まし、追い込んで来たケイやマンデーを押さえて頭を取る事ができた。

 優勝の表彰を受けに戻って来た岬樹の頬はリンゴのように赤かった。汗がヘルメットの下から額に流れ落ちていた。月子は、穏やかな瞳で岬樹を背に乗せていた。
 スタート地点で見守っていた父親が、深い砂の馬場を、息を切らして駈けてきた。息子よりも疲れた顔をしていたが、満面の笑みと、ほっとした感じが、その中に見てとれた。

 『ちょっぴりの勇気』.....この父と息子には、確実にそれがあった。120パーセント安全な橋ならば渡らせよう....そんな保護者が多い中で、この親子は輝くものを見つけ、そして周囲の人間をも幸せにしてくれた。
 明日の岬樹は、確実に1歩、前に進んでいるだろう。
 私たちは、喜び、彼を胴上げして祝った。

 さて、私もレースには出た。
 前回の中標津競馬でドラマ(単なる落馬である....)を作ったモタロウが唇の具合が悪い事もあり、今回の出走予定には入っていなかった。
 しかし、競馬場の雰囲気の中に入ってしまうと、一度は馬場に出てみよう.....そんな気になってくる。
 レースが始まる前に、競馬大臣のタカスギ氏に、空いた馬、空いたレースの相談をしている時に、心優しいアッコ氏が、自分が乗る予定だった『スプリンターステークス和種F1』の出走権利を譲ってくれた。馬は、ここ数年、常に勝ち負けをしているマロンである。
 このレースは、有名なクゥオーターレース(4分の1マイル)よりも短く、何と正面の直線200メートルで競われる。
 スタートはやや遅れたが、マロンの手ごたえは良かった。前にはムツさんのマンデーと、ハヤシ君のリュウがいた。
 右手に鞭を持ち、大声とともにマロンの腰を打つ。伸びた!!
 しかし、200メートルである。惜しくも首・首・の差で3着だった。
 私は、嬉しかった。実に10数年ぶりの入着である。それも、ほんのわずかな差である、ひょっとすると後10メートルあったら2着も見えていた.....そんな楽しい思い出を刻む事ができた。

 よだれを垂らさんばかりに乗り馬を探していた私に、心良くマロンを譲ってくれたアッコ氏に感謝である。

 家に戻ると、すでに東の空が明るくなっていた。薄い雲をまとった仲秋の名月が、静かに輪郭を見せていた。



2002年09月20日(金) 天気:晴れ 最高:24℃ 最低:11℃


 秋晴れの1日だった。今頃になって、日中の気温が20℃を何度も超えている。暦の上の夏はなんだったのかと、首を傾げたくなる。
 別海町の競馬大会を明日に控え、応援団第2陣の皆さんが全国からやって来た。おなじみの顔、そして今回が王国初めての方もいる。
 しかし、昨年のインパクの時から、ネットによる交流が続いているので、皆さん、古い友人のような感じで、すぐに馴染んでしまうのが不思議なところだ。

 この辺の草競馬大会の説明を少し書いておこう。
 もともと、北海道の東部は、昔から馬の生産地だった。と言っても数百年も前からではない、明治後半からの事であるが。
 その大きな理由は、気候条件が厳しく、商品作物の耕作が困難なことである。必然的に、原野のササや野草でも生きて行くことのできる馬が飼育されるようになった。
 これを後押ししたのが、軍馬の需要である。大砲や荷車を曵く大型馬、将校などが使う乗用馬、その両方が生産されていった。
 馬がたくさんいると、その性能を競い合う競馬が、必ず行われるようになる。昭和の初期から、あちらこちらで競い合いが始まった。そのほとんどは、第2次世界大戦の終わり、そして農耕馬がトラクターに替わった頃に姿を消した。
 ただ1個所、しぶとく草競馬を続けていた町もあった。それがムツゴロウ動物王国の開国の地、『浜中町』だった。
 軍馬の需要が途絶え、農耕からも除外され、急激に馬の数が減った昭和40年代の初頭にも、浜中にだけは、道東全域から馬好きが愛馬を持ち寄り、年に1度の出会いと競い合いを楽しんでいた。
 
 もちろん、ムツさんを先頭に、王国のメンバーも参加をした。小柄なドサンコによる『速歩(トロット)』『キャンター(駈け)』のレース。大きなペルやブルなどによる『輓曳競馬(ソリを曵くレース)』。そしてトロッターによる『速歩』や『ケイガ(2輪車)』レースに、闘いを挑んでいった。
 すると、大会が中断していた町でも次々と復活のノロシがあがり始め、それが今に繋がっている。

 さすがに、長い間、馬の生産が行われていた地域である。明らかに70を超えている方たちが、さっそうと馬にまたがってレースに出てきた。誰もがニコニコであり、観客も多かった。
 これが15年前までの事である。
 
 そう....あのバブルが地域の馬の文化も破壊した。
 名前は書かないが、札束をヒラヒラさせながらドサンコを買い集め、その馬に手を掛けず、だめにした商社系の会社もあった。バンエイの馬も、海外からの導入(基礎繁殖馬)が進み、単なる馬好きが育てた馬では歯がたたなくなった。
 そうなると、大会に出場する馬も人の数も減ってくる。無念な事に、戦後の厳しい時代も続いていた、浜中町の草競馬が、真っ先に取り止めとなってしまった。

 明日、私たちは隣の別海町の草競馬に参加をする。ここは馬場も整備され、道東では、もっとも馬の集まる大会となっている。
 願わくば、いつまでも、馬が好きな人間ならば気軽に参加ができる、今のままの大会であって欲しいと願っている。
 家畜である馬は、使われて初めて種が生き延びることのできる、そんなせつない存在である。
 1頭でも、大会に参加する馬が増えている事を願い、明日の会場に足を踏み入れたい。



2002年09月19日(木) 天気:快晴 最高:20℃ 最低:9℃

 長く王国という運動体の中で暮らしていて、本当に良かったな〜と思う事がいくつかある。もちろん、多くの生き物たちとの出会い、そしてドラマは当然含まれる。
 さらに、ここで出会った若者たちとの時間も、私の心の奥で生きている。
 短い時間であっても、瞳を輝かせ、未来への大きな夢を語たり合った貴重な思い出は、その後の再会の時に、あっという間に胸に、心に蘇る。

 今日も、そんな嬉しい出会いがあった。
 相手は遠くカナダからやって来た。
 Uクン....女性である。彼女は獣医学科の学生の頃に何度か王国に来ていた。乗馬が好き、そして、生き物の姿(行動)に様々な疑問を抱く事のできる才能を備えていた。
 大学を卒業した後、博士課程に進み、日本の研究所を経て、カナダの研究所に勤めた。大きな生き物を愛しながら、微細な世界で生き物のなりたちを研究している。
 
 久しぶりに、本当に長い歳月を超えて再会したUクンは、10年近い時の流れを感じさせず、記憶に残る笑顔、そして日焼けをした健康そうな肌、犬に汚されても分らない気軽な服装.....
以前と同じだった。

 私たちは、と言うよりも、私は彼女の口から、彼女が成し遂げて来た研究の話を聞いた。難しい言葉も出てきた。身につまされる話もあった(研究の一つは糖尿病に関するものだった)。
 それを聞きながら、私の脳裏に大学生の彼女の声と姿が浮かんでいた。
 今、目の前で、自分の目標に向かい、懸命に努力をしてきたUクンの姿を見る事は、私にとって最高の幸せだった。自然に顔がほころび、その刺激で腫れた歯茎に痛みが走り、我に還った。

 彼女は、王国で乗馬をした時に、調教中の馬で、王国で語り継がれるほどの大落馬をしている。もちろん、ケガをしたわけではない。素晴らしい、ダイナミックな、惚れ惚れする落馬だった。

 今回は、そのリベンジと言うわけではないが、明後日の別海町での競馬大会で、彼女は騎手になる。短い帰国期間の中に、わざわざ北海道まで足を伸ばし、馬に乗ってくれる事に、私は感謝をしている。
 青春の記憶を忘れずに、笑顔を見せてくれたUクンに、大きな大きな拍手を贈りたい。
 そして、今回は落馬無用ですと伝える事も忘れなかった。



2002年09月18日(水) 天気:雨のち曇り時々晴れ間 最高:16℃ 最低:13℃

 昨年の9月から数年ぶりに歯医者に通っている。今回は、覚悟を決めて徹底的に治療をいしてもらっている。ようやく先が見えたと思っていた。しかし、それは甘かった。20数年前にかぶせ物をした奥歯の中が酷い状況のようで、とうとう痛みと、連日雨ばかりなのに、腫れが来てしまった。4日たっても収まらず、今日、悪い部分を引っ掻き出してもらった。
 恥ずかしながら、治療が終わった時、ピンクの服を着た女性に見つからないように、横を向いて目尻をぬぐった。
 今、38℃ほどあり、痛みが続いている。明日からは、別海競馬大会週間に入る。ゲストの方も多いので、その時のために今夜は、早寝をさせていただこう。

 .......と言うことで、今日の日記は、これで終わらせていただきます。すみません。

 老婆心ながら....『皆さん、歯は大切に、おかしいと思ったら、すぐに医者へ.....!!』
 
 おやすみなさい.....。



2002年09月17日(火) 天気:朝から雨 最高:13℃ 最低:9℃


 明け方から雨になり、午後から雨足が強くなっている。「またか...」という顔で、犬たちは小屋に入り、ふて寝の子が多い。こんな時は、あまり散歩も気合いが入らない。特に老いたメロンと毛のないカリンは、慌ただしく大小便を済ますと、帰りを急いでしまう。
 まあ、狩りをする動物は、雨は商売あがったりである、何もせずに寝るのが一番だろう。

 14日の夜、中標津を発ち、札幌に行ってきた。毎年の事だが、動物関係の専門学校の来年の入学希望者に、「大変ですよ...」と脅しをかけるのではなく、「この分野は、まだ発展途上です。アイデアと努力次第で君自身が輝くよ....!!」とエールを送る仕事である。
 今回は、高校3年生が40人ほど全道からやって来ていた。東京も大阪も福岡もそうだったが、圧倒的に女生徒が多い。これも私がイキイキと顔を出す原動力になっているのかも知れない。
 まあ、それはともかく、驚いた事がひとつあった。付き添いの保護者の数が、あきらかに生徒よりも多い事である。15日、3連休の中日と、動きやすい事もあったのかもしれない、母親だけという子はもちろんの事、両親、さらには祖母もいっしょに来ているというケースがあった。
 
 私が相手にしたのは生徒たちだけである。保護者は、学校関係者による説明会のほうに連れていかれ、親子は分断されていた。
 これは、少し残念だった。私の話は、子供たちに顔を向けながら、実は、その子供たちを育てた大人にこそ聞いてもらいたい内容になっている。担当者に、次回はぜひ、父兄も同席でと、お願いをして、まずは近くの公園でのバーベキューから生徒たちとの交流が始まった。

 このバーベキューというのが、実はクセモノである。何が....って、その子の日常が見えてしまうのである。
 率先して、網の上の肉を返したり、追加できる生徒。ただただ他人のする事を眺め、焼けるまで待っている子。ひどい子は、皿に誰かが乗せてあげないと、自分では肉の1片、タマネギのひとかけらも食べられない。
 絶えず、網の上に気を配り、焼け過ぎた肉は端によけたり、新しい食材を追加できる子は、はたで見ていても気持ちいい。おそらく、玄関で脱いだ靴を手でそろえる事もできるだろう。

 そんな細かい事を.....と思う方は、山奥でひとりで生活をするしかない。群れの生き物である人間は、いやおうなしに相手の確認作業をしなければならない。それが終わって、はじめて心が落ち着く。
 その時の大きなヒント(相手を自分なりの基準に照らし、枠に入れる)が、焦げた肉を、そっと片付ける仕草なんだと思う。

 私は、そんな話を若い連中にした。犬やネコの事だけを期待していたとしたら、きっと肩透かしだったろう。
 でも、生き物の仕事そのものが、観察力と想像力、そして他の人間と、どうコミュニケートできるかに掛かっている。ある意味で、もっとも人間好きが求められる分野だと思う。

 40人のうち何人が入学し、何人が、今の目標に進むかは誰も分らない。しかし、ある晴れた秋空の公園での講演が、かすかにでも彼らの記憶に残れば幸いである。
 
 翌16日、札幌からの帰り道、トンボがたくさん飛んでいた。フロントガラスに衝突するのもいた。私は、いつもよりも少し、スピードを押さえ、娘の入院している釧路に向けてクルミやウルシが色付き始めた樹海ロードを走った。
 
 



2002年09月13日(金) 天気:晴れのち曇り 最高:21℃ 最低:5℃

 <お詫び>

 先ほど、釧路から帰りました。ダッシュで行って、女房を娘からダッシュ(奪取)し、またまたダッシュで戻りました。
 と言うのも、明日はツアーのゲストが来るのと、それが終わりしだい釧路に寄り、その後、札幌を目指します。生き物たちを放り出しておくわけにもいかず、女房を連れ帰りました。
 予定では、のんびりと明日の飛行機でと考えていましたが、予定は狂うものです......。

 これから、溜っている諸事をこなします。もうしわけありませんが、日記は明日の朝にでも.....させて下さい。
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 うん?待てよ、短いけれど、これも日記かな?
 では、もう少し出来事を追加......、
 今朝の冷え込みはこの秋一番、マイナスも近い。
 ヘアレスのカリン、夕方のウンコの長さは45センチ.....新記録!!(太さも身体の大きさに比して凄い、なんと直径5センチはある)
 アブラは小鳥を3羽、アブラ2世はネズミを4匹....今日の狩りの獲物である。
 事故でケガをしたキツネ君は、黄金色をした胃袋である。他のキツネの2倍をペロッと食べ、まだ欲しいと、足元に寄って来て『カッ、カッ、カッ』と言っている。
 月に2度ほどある『ベルクの躁の日』....私は、跳びつかれ、プロレスごっこによる傷跡が7〜8個所できた。

 そして、病院で、我が娘がこれほどよく話す子だったかと、認識を新たにした。年齢に関係なく、周囲はみんな友だちになっていた。
 



2002年09月12日(木) 天気:曇りのち晴れ 最高:21℃ 最低:13℃


 あわただしく朝の作業を済ませると、女房と二人で釧路に向かった。
 今日は、よほど標茶回りの道に変えようかとも思ったが、『珍しいもの見たさ』....が勝ち、いつものR272にハンドルを向けてしまった。
 272号線と主な道の交差点には、制服を着た安全指導員が立っていた。まばらではあるが見物人もおり、原野の真ん中で、指導員とともに釧路の方を見つめていた。

 15分ほど走っただろうか、前方から非常灯を点けたパトカーが2台、続けてやってきた。その後ろに数台の車、そして、自転車の集団が走って来た。反対車線を走る車は、路肩に寄せて停車し、うねりのような流れが通り過ぎるのを眺めた。
 
 先頭グループから間をおき、もっと大きな集団がやって来た。所々に、サポートのバイクが加わり、さらにルーフに何台も自転車を積んだ車が続いていた。

 『ツール・ド・北海道』である。
 今年で16回目、すっかり初秋のイベントとして定着した。何回か道東もステージになっているが、なぜか、私は見ていない。今日は、ラーッキーとばかりに、時間に余裕をみて、早めに家を出たのだった。

 私も、小学、中学、高校、そして東京でと、随分と自転車には
乗っている。田舎での通学は、雪のない時期だけではあるが、毎日、少なくとも往復で8キロは乗っていた。
 しかし、今日の大きな流れは、自転車とは思えない。もちろん、競技自転車のレースで活躍している一流の選手が走っているのだから、当然の事ではあるが、それにしても、感動的な流れだった。

 運転席で、窓を開けただけの、わずか10分の見物を終えると、私たちは釧路の病院を目指した。今日が娘の手術の日だった。
 
 私は性分として、一度、医者に任せたら、あとは何も口を出さない。しかし、娘は、これほどの大きな手術は初めてのことである。採血、麻酔、留置針、点滴、メス、ボルト、術式....など、何度も説明を受けているが、やはり不安があるのだろう、女房とは電話でよく話していた。
 
 手術を2時間後に控え、娘は、思ったよりも平穏な態度だった。何でも、入院中に知り合った女性が、昨日、手術をし、その術後の様子を本人から聞いて、安心をしたらしい。やはり、何ごとも経験者の言葉は重い。

 家の生き物たちの世話があるので、私は昼飯を食べた後、中標津に引き返す事にしていた。
 
 別れ際、娘は私に.....
 『気をつけてね....』
 と、のたもうた....。
 『それじゃ、まるで逆じゃない、お父さんが言わなければ....』
 女房が異論を唱えた....
 
 『車の運転に気を付けて...って言ってるの。麻酔が覚めたら、隣のベッドにお父さんがいた、なんてイヤでしょう』

 お説の通りである。私は安全運転で帰宅し、無事に、犬たちと散歩に行く事ができた。

 マロを繋ぎ、ニワトリたちを小屋に入れようとした時、私のケイタイが『天国と地獄』のメロディを奏でた......。
 4時間ほどの手術は、無事に終わっていた。
 股関節の亜脱臼の治療である。先生は、考えていたよりも、はるかにしっかりとした筋肉、そして骨だったと誉めてくれたらしい。それで、術後の経過の予測も、大幅に短く楽な形になるようだ。
 
 娘は、入院までの2週間、昔のように、犬のメロンたちと往復4キロの田舎道を散歩していた。それも良かったのだろう。
 彼女もまた、生き物たちに、応援をされているのかも知れない、父親のように......。



2002年09月11日(水) 天気:曇り時々晴れ 最高:26℃ 最低:11℃


 明け方の霞のような霧が、明るくなるとともに姿を消し、薄日がさすと、そこにはオレンジと黄色の秋の風景が浮かび上がっていた。
 春から夏にかけての霧は、海から流れ込んでくるものが多い。比して、秋からの霧は、いわゆる『陸霧(オカギリ)』、大地の上で発生した自前のものであり、地形に沿って濃淡を見せてくれる。

 心地よい朝を犬たちも知っている。一夜、繋がれていたクサリから放されると、大きな伸びをし、マロを中心に互いの挨拶を済ませると、それぞれが自分の好きな方向に散って行く。
 それから15分の間に、私はニワトリやウコッケイ、そしてヤギに餌を与え、犬小屋の周囲のウンコを回収する。サモエドや柴、そして年長の連中は、一夜を我慢できる。夜中に、小屋からクサリで最大限に離れた所にウンコを置いているのは、まだ若いカボスと、まれにタドンとカリンである。あっ、1匹忘れていた....先日、父親になったラブのセンタロウもそうである。センの場合は大食いによる便意だろう。

 一仕事を終えると、私と女房は、互いにロングリードを2本手に持ち、十能を抱えて大声を出す。

 『お〜い、行くぞ〜!!おいで、おいで』

 声を聞いて、それぞれに林の中などで大小便を済ませてきた連中が、息を切らせて駆けつけてくる。
 川もいい、でも、秋晴れの日は、刈り終わった牧草地の広さを堪能したい。進路を母屋(ムツさんの家)方向に取り、10数匹が互いにじゃれ遊び、追いかけっこをしながら進んで行く。

 太陽は、ずいぶんと斜になってきている。これも秋.....目に陽光が眩しく、私は帽子のつばを傾けた。
 群れの先兵役は、カリンとベコの姉妹、そしてタドンだ。3匹は、真直ぐ、母屋に突進して行く。すぐに、ビバなどの母屋グループの犬たちの迎え撃って吠える声が聞こえてきた。彼らは柵で囲われているので、実力行使にはならない、毎日の朝の挨拶、ゲームのようなものになっている。

 そして、もう1匹、石川家グループの犬の群れから、静かに姿を消す奴がいる。サモエドのダーチャである。
 ダーチャは、何故か犬よりも人間が好きである。それも、ほとんどの成犬が苦手にしている、人間の子供が大好きという、変わったところがある。
 さらに、彼女は、自分から挨拶を(犬に対して)するのは上手だが、尾を振って挨拶に来られる事を嫌がる。どう応えて良いのか分らずに、つい『ガウッ』と言う事も多い。
 だからと言って、群れの連中に嫌われているわけではない。皆がダーチャを認めている、そのワガママな独立独歩の生き方を。結構、得な性分なのかも知れない。

 今朝も、ダーチャは母屋の裏に消えた。
 私は、3度往復し、ダーチャの名前を呼んで探した。
 2時間が過ぎ、こちらの都合で、時間がなくなってきた。
 最終作戦は、私が車で動く事である。
 私の車のエンジン音などを記憶しており、どこからともなくヘラヘラと嬉しそうに出てくるのが常だった。

 しかし、今日は、なかなか登場しなかった。トリップメーターが4年少しで120000キロに近づき、サスやエンジンの音が変わってきたせいだろうか、などと、余計な事を考えてしまった。

 母屋・・馬小屋・・橋の架け替え工事現場・・室内馬場・・カラマツ荘・・我が家・・そして、再び母屋......。
 
 1周4キロのこのコースを2度にわたって巡回し、ようやく母屋の玄関から、耳を何度も後ろに倒し、尾をブルンブルンと大袈裟に振り、目を細め、上目遣いにし、口を軽く開けて微笑み程度に笑ったダーチャが現れた。

 足、腹、顔半分、背.....あらゆる所に、まだ湿っている泥が付いていた。白い所を探すほうが大変な姿だった。
 車を停めると、当然という顔をして、後ろのドアの前に立ち、私の顔とドアを交互に見ていた。
 「女房がいないのを、お前は幸いと思えよ.....」
 そう心の中で呟き、発した声では....
 『どこで、遊んで来た〜面白かったか〜〜!!』
 と、ダーチャを誉め讃え、お望み通りに後ろのドアを開けてやった。

 ところが、である。
 何と、あの座席大好き犬であるダーチャが、座席に上がらず、4本の足を踏ん張って砂利道の揺れに耐え、とうとう我が家まで、車の中を汚さずに辿り着いたのである。

 御褒美に、私は他の連中よりも1本多く、ジャーキーをあげた。
 秋らしき今日、また愛犬の進化を私は確認し、ニコニコで1日を終えた。

 

 

 



2002年09月10日(火) 天気:晴れ 最高:22℃ 最低:12℃


 昨夜のキツネは、目の前に置いてきた生肉も食べず、水も飲んでいないようだった。部屋の隅に、ウサギ用の牧草の残りがあり、その上に寝た跡が残っていた。
 ケガの部所は腫れていない。しかし、明らかに骨折であり、絶えず持ち上げてブラブラとさせながら、人間から距離を取ろうと、小屋の中を移動している。
 
 『さて、どうしようか〜?』

 何匹も、このような子を収容しているが、いつも私と女房は迷う。これが犬やネコだったら簡単である。骨折の手当てをし、その後は見守って、時間が経過するのを待つだけである。傷を舐めたり咬んだりしそうになったら、首に付ける防具もある。

 しかし、身体は秋田犬よりはるかに小さいが、キツネはやはり野の生き物である。家畜の理論が通用しない。
 その最たるものが、麻酔だろうか。体重を計り、それに従って麻酔を掛けようとすると、キツネを殺してしまう事もある。事故などで、人間に保護されたとしても、それは人間側からの見方であり、キツネはケガと人間というダブルのストレスを受けているにすぎない。
 このような極限の状況では、体重での適量の半分の薬で麻酔が効いたり、2倍でも眠らない事がある。従って、私たちは、慎重に様子を見ながら麻酔処置をする事にしている。
 まれに犬でも、犬種によっては薬の量が少なくて済むのもいる。グレートピレニーズなどは、その代表である。パグやブルドッグなどの麻酔も注意が必要なほうだろう。

 麻酔だけではない、野生動物であるキツネの治療で問題なのは。とにかく、身体に異物を付けると、狂ったように、それを外そうとするのである。ギブスや包帯はもちろんの事、傷を縫った細い糸さえも、たちまち噛み切ってしまう。
 化膿して腫れが出た時もそうである。鋭い歯を当て、穴を開けてしまう.....(これは、一種の治療法ではあるが....)。

 幸いにも、今度のキツネの骨折した部位は、足首の少し上である。かつて、コンちゃんと言うオスギツネがいたが、あいつも札幌での交通事故で保護された子だった。折れた所が化膿し、獣医さんに足を切断された後、王国にやって来た。
 コンちゃんは、3本足ではあったが、王国のメスギツネたちと何度も結婚をし、その血は、今のハックたちに繋がっている。

 これもまた、ひとつの方法である。野に還すのをあきらめ、そのままで見守り、変化が起きたところで対応していくやり方である。

 結局、悩んで様子を見ている間に1日が過ぎてしまった。
 夕方には、女房の手から生肉を食べてくれた。足に腫れはきていない。明日、レントゲンを撮り、その診断をもとに獣医さんと相談をして結論を出そう.....。

 
 
 



2002年09月09日(月) 天気:曇り時々晴れ間 最高:22℃ 最低:14℃


 あの鋭い歯を持ったキツネに咬まれて、深手を負わないようにするには、どうすれば良いか......。
 答は簡単である、『咬ませる』事である。
 禅問答ではない、これがキツネと付合って30年になる私と女房の経験則である。

 今夜、久しぶりに女房は、この手法を実践した。
 『道端に逃げないキツネがいる、ケガをしているようだ...』と連絡を受けて駆けつけたのは、我が家から1.5キロほど離れた、町へ続く舗装道路の路肩、両側には牧草地とカラマツの林が広がる所だった。
 
 私は、あいにく留守で、連絡をくれたTさんと女房が現場に行った。Tさんが車の中から発見した所から、数メートルも移動していなかったらしい。これは、明らかに異常を示している。キツネの武器は警戒心と速い逃げ足である。それを使えない状況に陥っている。

 女房は、軍手を2枚重ねてはめた左手をキツネの口の前に出した。キツネは反射的に咬んだ....その瞬間に、女房の右手がキツネの胴体を抱えていた。
 以前は、咬ませる(くわえさせる)手に、剣道の防具であるコテを使っていた。それがボロボロになり、最近は単に軍手である。これだけで出血をするようなケガを防ぐ事ができる。
 こつはある、けしてひかない事である。できれば、こじ入れるように、積極的に手を相手の口にプレゼントしてあげる事である。人間でもそうだが、口いっぱいにほおばると、噛み砕く力が軽減されてしまうのである。

 収容したキツネは、前足首が折れていた。まだ腫れはきていない、おそらく交通事故だと思う。
 歯と性別を調べた。オスだった。
 歯のきれいな事、睾丸が小さい事、毛並みが美しい事、身体の実の入り具合......重ね合わせると、この春に生まれた子に間違いなかった。
 おそらく、親と別れて1ヶ月と言うところだろう。傾斜した路肩はネズミが多く棲息している、それを狙いに来ての事故かも知れない。

 今夜は、キツネ舎に収容し、明日、もう一度、ケガを調べる事にした。隔離室の中でキツネは、抱いている女房の人さし指を咬み、軽く跡を付けた後、3本足で上手に歩いた。
 隣の部屋にいるハックとラップの兄弟ギツネが、新しいキツネの匂いと声に反応し、少し興奮して戸を引っ掻いていた。

 外に出ると、星がびっしりと空を埋め尽していた。久しぶりの光景に、しばらくキツネ舎の前で、空を見上げていた。
 
 隔離室の中で、コトコトと音がした。
 ハックの、
 『クッ、クッ、クッ』という啼き声が小屋の外まで聞こえてきた。それは、仲間を呼ぶ信号だった。



2002年09月08日(日) 天気:曇り・霧付き 最高:16℃ 最低:14℃

 茶トラの子ネコが東京に行った。我が家にいない毛色なので、残そうと思っていた子だった。
 しかし、老いたネコを亡くされた方が、他の3匹には目もくれず『この子を!!』と指名された。
 望まれて貰われていく子には幸せが約束されている.....私は、手元に残す茶トラは、次の出産に期待することにした。

 昨日は、子犬をお渡しする時に同送している拙文を載せた。今日は、ネコ編である。私と女房の願いを書いているつもりである。


 

    <子ネコをよろしくお願いいたします!!>

 とうとう、夏らしい日がないままに9月を迎えてしまいました。いじの悪い天気の神様でもいるのか、秋の風情になったところで、突然、31℃まで気温が上がるなど、どうも不思議な天候の北海道東部です。
 
 さて、今回は、ムツゴロウ動物王国・石川家で生まれた子ネコを家族に加えていただく事となり、とても嬉しく思います。
 簡単に経過を書かせていただきます。

 6月21日 誕生 (あっと言う間に、4匹が元気に生まれました。自然分娩です)
       母親・和ネコ『エ』・・三毛、1歳
       父親・アメリカンショートヘアー 1歳
       どちらも初めての結婚、ヤンママとヤンパパのカップルが両親です。
 7月20日頃 母親の食べている餌の皿に顔を付け始める。離乳食を自主的に開始。
 8月18日 階段を上がる事をマスター。2階の人間の寝室で遊び、眠るようになる。
 8月26日 フェロバックス(3種混合ワクチン)接種。
       どんどん活動範囲を広げ、兄弟だけではなく、10数匹の大人ネコたちとよく遊ぶ。
 8月30日 1匹目の子が、地元、中標津のM家に貰われて行く。名前は『みお』と決まっていた。
 9月 1日 勝手口から庭に出る事を覚える。しばらく草や土、石で遊んだあと、自分で戻る。

 1度も下痢などをする事もなく、極めて順調に成長しています。ミックスにする事で、肉体的に強くなりました。純血種(特に近年完成した品種)では、その弱々しさに気をもむ事も多いのです。

 この後のワクチンは、次のような方法も考えられます。
 1回目が8月26日ですので、2回目を9月20日頃、そして3回目を10月4日頃と、約3週おきに3回接種するやり方です。その後は、1年に1回です。
 獣医さんによって、ワクチネーションが異なる事も考えられますので、かかりつけの獣医さんと相談をされるのが良いと思います。
 ワクチンから10日ほど経過したところで、検便、駆虫をされても良いでしょう。室内で飼われるのでしたら、以後は1年に1回で構いません。

 トイレは、生後1ヶ月頃には、我が家のネコたちが使っている砂を入れたタライで、上手にできるようになりました。犬ですと、かなり教える事に時間と手間が掛かるのですが、ネコは自らトイレを探し出し、そこで済ませますので、実に簡単です。
 もし、用意したトイレ以外で大小便をするような事がありましたら、それを拭いた紙などを、期待するトイレの中に置き、誘い水にして下さい。これで、すんなり覚えてくれるはずです。トイレが汚れると、その中でせずに、周辺で用をたす事があります。ネコはきれい好きですので、このような行動になります。けして叱らずに(ネコにしつけは不可能です)、こまめにトイレの掃除をして下さい。


 では、次に
 <食事・餌に関してです>


 ネコの餌のポイントは.....
 (1) 何匹いても、食器は1個(これで、先住ネコと早く仲良くなります)。
 (2) ドライフードは簡単には腐りません、ぜひ、24時間置いておきましょう。
 (3) ネコ用缶詰は、毎日、同じような時間に与えましょう。食べ残しても、しばらくは、そのままにし 
     ておきましょう。
 (4) 新鮮な水も24時間、飲む事ができるように。
 (5) 特別に子ネコ用のフードを使う必要はありません。
 
 イエネコは、犬のように食い溜めができません。少しずつ何度も食べる生き物です。それなのに、飼育書に書いてあるように、すぐに残りを片付けられると、食べたい時に餌がない....というせつない状況になってしまいます。ぜひ、置き餌をしましょう。
 今、出版されている飼育書のほとんどすべてには、
 『人間の食べ物はネコに良くないのであげないように.....』
 と書いてあります。
 これは、明らかに『余計なお世話』です。主食になってはどうかと思いますが、室内で人間とともに暮らすペットであるネコが、人間の食事の時に寄って来て、『ニャア〜』と一声啼いた時に、刺身のひとかけら、シャブシャブ肉の隅っこをあげて、何が悪いでしょうか。その時のネコの嬉しそうな表情、それを見る人間に笑顔.....これがペットの役割であり、ペットを飼う人間のあり方だと思います。
 まるで『生物実験所』のように、長生き実験だけを目的に生き物を飼うのは、過った考え方だと思います。楽しく無い生活からは、長寿は望めません。ある程度の『いいかげんさ』こそが、長生きの秘訣ではないでしょうか。
 
 
 <遊びに関して>

 とにかく、子ネコは遊びが好きです。そのほとんどは、狩りのイメージから来る遊びです。家中を駆け回り、よじ登り、そしてジャンプです。さらに、小鳥やネズミに似た音や姿、動きの物(ジャラシ棒など....)を使って相手をすると、ネコも人間も楽しいこと確実です。
 やがて、子ネコは眠りに入ります。ネコに限らず、子供は眠る事によって成長します。手足の先、耳などが熱い時、動きが止まり、ソファなどの上で毛づくろいを始めた時.......これは眠りのサインです、そっとしておいてあげましょう。

 
 <シャンプー、爪切りは必要か?>

 まったく無用です、このような毛の短いタイプのネコたちには。替わりにブラッシングをしてあげて下さい。爪研ぎを用意しておくと、けっこう使いますが、それでも爪が気になると言う方は、爪切りをされても良いと思います。ただし、出血大サービスとならないよう気をつけて下さい。

 

 
 <老婆心から....>

 普段の生活環境の中で、どれほど家族に慣れたネコだろうと、他の場所、例えば動物病院などに行った時は、反応がまったく異なる事が多いと思って下さい。慣れているからと、キャリーバッグを使わず、抱いて連れて行き、怯えたネコが逃げ、そのまま帰らなかった、というケースがとても多いのです。
 犬と違い、ネコは『臆病な環境認識動物』と思って下さい。知らない所では予測を超えた行動をとることがあります、御注意を。


 様々な事を、長々と書かせていただきました。実家の乳母、乳父の迷い言と、お許し下さい。
 何か、質問等がありましたら、いつでも連絡をいただけたらと思います。
 
 では、子ネコをよろしくお願いいたします。

                               ムツゴロウ動物王国
                                    石川 利昭・ヒロ子

                    
 



2002年09月07日(土) 天気:霧のち曇り 最高:16℃ 最低:13℃

 今日も子犬が旅立った。
 私と女房は、メモをお渡しした。
 命をお渡しする時には、思いと具体を伝えるのが大切だと思う。拙文には、それを込めているつもりである。



    柴犬 ミゾレの子犬たち

 ムツゴロウ動物王国、石川家で生まれ、育った柴犬の子犬を家族の1員に加えていただき、本当にありがとうございます。母親は、王国5代目のミゾレ、父親は根室で生まれ、石川家で育ったシバレです。
 2002年6月29日、元気に4匹の子犬が誕生しました。オスが3匹、メスが1匹です。
 母親のミゾレは3度目の出産、手慣れた感じで落ち着いて育児をしてきました。産箱は石川家の玄関に置かれていました。犬の飼育書には、出産育児は静かな所で、そして慣れた人だけが世話をするように.....と書いてあります。これは、もう時代遅れの手法です。このようなやり方をすると、良く吠え、時に噛む、いわゆる番犬が出来易いのです。
 残念な事に、今の時代は、犬の鳴き声が普通の生活音ではなく、『騒音』と感じる方が増えています。従って、よく吠える犬よりも、誰が来ても嬉しそうに尾を振る犬が求められています。そんな犬を育てる第1歩が、玄関や居間、食堂での育児なのです。
 今回の子犬たちも、生まれた時から(目の開かない時から)、たくさんの人間の手、そして声に触れて育っています。こうする事で、人間がすぐ側の親しい存在になっていきます。警戒心が出来ずに済むのです。

 目が開いたのは7月12日でした。離乳食の食べ始めが7月22日、とても順調に成長してきました。
 今回、縁あって皆さんのお宅に加えていただき、さらに元気で明るく、そして優しい子になるでしょう。
 目や耳の能力がしっかりとした時から、多くのネコやニワトリ、ウコッケイ、山羊に会わせています。こうする事で、他の生き物たちと仲良く共存ができるようになります。
 もちろん、10数匹の大人の犬たちとも毎日会い、犬としての挨拶法(社会性)を身に付けています。散歩の時に、近所の犬に会った時、しっかりと付合う事ができると思います。

 駆虫とワクチンは下記のようになっております。

<駆虫>
 1回目 7月25日 ピペラックスシロップ
 2回目 8月 5日  同上
 3回目 9月 1日 フルモキサール

<ワクチン>
 8月24日 デュラミューン8種 接種

 成犬になりますと、駆虫は春、秋の年2回が基本です。
 ワクチンは9月24日頃に2回目、10月24日頃に3回目をお勧めします。ただし、獣医さんによって、手法が異なる事がありますので、駆虫、ワクチンともに御相談下さい。
 また、本州の場合は(道南も)、4月〜11月は、フィラリアの予防も重要です。こちらも獣医さんに御相談を願います。
 狂犬病のワクチンは、生後5ヶ月過ぎに、お願いいたします。

 2度目のワクチンの接種後、2週間が過ぎましたら、どんどん他の犬と会わせて下さい。その付き合いの中で、さらに社会性を付けていきます。犬が犬となっていきます。そして、犬を絆に、人間も仲間が増えていくと思います。
 柴犬は、もともと狩り犬(マタギ犬)、そして番犬としての仕事をしてきました。従って、彼らの遺伝子の中には、その影が強く残っています。これが原因による咬みつきも起きる事があります。その中で、もっとも多いのが、餌の時の事故です。空の食器を下げようとして手を伸ばしたところ、取られまいと唸ったり、咬んだりする事があるのです。
 これを防ぐのは簡単です。子犬時代に、遊びを取り入れて餌をあげて下さい。
 (1)オスワリ、待て、をさせる(口をつけそうになったら、首輪を持ち抑えます)。
 (2)ヨシッ...で食べさせる。
   この時に、食べ始めたからといって帰らないで、食器を手で持ち上げてあげたり、中のおいしい物を手
   ですくって上げます。こうする事で、どんな時に人間が手を出しても、けして咬まない犬になります。
   これは、子犬の時だけでけっこうです。大人になったら、たまにで構いません。御試し下さい。

 今、人間が(飼い主が)、飼い犬を含めて群れのリーダーにならなければならない、甘やかすと、犬が自分をリーダーと思ってしまう......だから、しつけが大切です....と言う考え方が叫ばれています。
 これは、ほとんどが誤りです。犬はそれほど愚かではありません、しっかり同じ仲間の犬と人間は見分けています。わがままになるのは、それを自分の仕事と勘違いしているのです(愛玩犬の主な仕事は、わがままで賑やかな事です)。
 従って、オスワリでも、待てでも、フリスビーでも、犬ソリでも、ボール遊びでも構いません、何か犬が心と身体を動かす事のできる遊びを行って下さい。うまくいった時は大袈裟に誉めてあげます。こうする事で、犬は自分が認められた、人間の役にたった.....そう思い、満足じ、良い犬になります。
 『しつけ』とは、人間が犬の上に立つために重要なのではなく、犬の仕事として大切なのです。犬は、人間のために何か仕事をしたいと、そう常に思っている家畜です。

 日本を代表する犬・・・『柴犬』.....私も女房も、柴が大好きです。初代のピコから始まり、25年間、母系で王国の柴1族は繋がってきています。この子犬は6代目となります。
 新しい時代の、明るく楽しい人間の仲間として、この子が活躍してくれる事を祈っています。
 なにとぞ、よろしくお願いいたします。

         2002年 9月 吉日
                 ムツゴロウ動物王国     石川 利昭 ・ ヒロ子
                                 ミゾレ・シバレ


追記・・ 食べる事に関して..........!!

 餌に関して書かせていただきます。
 現在は1日3回(8時。16時、22時)、兄弟4匹がひとつの食器で顔を合わせて食べています。まだ母親のミゾレが乳首を含ませる事と、食べた物を吐き戻しで与えているので(こちらの方が美味しいそうです、人間の作った物よりも.....)、遊びながら食べています。パグやラブラドールのように、餌には執着はしません。他に、一緒に遊ぶ時に、犬用のジャーキーやビスケットを与えています。少しずつでも、嬉しいので人間に心を向けさせる効果があります。新しい名前を覚えさせる時に、ジャーキーを使いながら呼ぶと、すぐに理解します。他、しつけの時の御褒美、フリーにした時の呼び寄せ道具としても、ひとかけらのオヤツが効果的です。御試し下さい。

 現在の餌の内容・そして、これから.....
 ドライフードに犬缶を加え、ぬるま湯と牛乳を少し。それにアイリス・オーヤマ社の『ムツゴロウの美味しい食事・犬用ふりかけ』を掛けています。量は大人の手の平に軽く乗る程度です。本やフードの袋に書いてある適量は、あくまでも目安です。すぐに食べ終われば不足、たくさん残したら多過ぎる....そんな感じで調整して下さい。
 回数は、1日3回、もしくは、1日2回+おやつタイム1回で良いと思います(生後4ヶ月頃まで)。
 その後、生後10ヶ月頃までは1日2回、そして、1日1回にされても問題はありません。

 内容は、ぬるま湯が嫌いになったら、ミルクだけを軽く振り掛けるだけで構いません。犬缶は入れて下さい。さらに、人間の残り物で、食べられそうな物は、少々でしたら、与えても良いと私は思いますし、実際にあげています。1切れの刺身や肉片、オデンのチクワが加わる事で、犬が笑顔になります。

 そして、食べた後の確認も、よろしくお願いいたします.........
そうです、大小便のチェックです。形、色、軟らかさ、回数等に大きな変化がないか、見て下さい。
柴犬は、自分の寝床等の近くで大小便をする事が苦痛な犬種です。室内飼いの場合も、できれば外で済ます形が良いかと思います。

 以上、食に関してでした。
 
 
 <明日、福岡にオスッ子が旅立つ。今、残っている2匹と母のミゾレが、暗い庭で駆け回っている..>



2002年09月06日(金) 天気:雨・時に強く雷も 最高:17℃ 最低:12℃


 屋根と窓を叩く強い雨音と、かなり近い雷の音で目が覚めた。ネコたちも不安気に、人間の後をついてくる。
 犬たちはと、窓から見ると、ほとんどの連中は小屋にひそんでいたが、雷が大嫌いなラーナとマロは、雨の中、濡れネズミになって家の玄関を見つめていた。さすがにマロは啼き声は出していない。しかし、ラーナは高い調子で盛んに助けを求めていた。
 女房は、老いが見えるマロだけを玄関に繋ぎ、雨と雷から遮断してやった。ラーナは若いから、耐えなさい...と言う事らしい。

 午前中に、雨は小降りになった。雷も、人間の耳では聞き取れない。しかし、ラーナのオドオドとした動きは収まらない。試しにカーラジオをつけたところ、案の定、ジジジと電波の乱れが聞こえてきた。かなり遠いけれど、今日の雷はしつこいヤツらしかった。

 そんな時には、フリーの散歩は気をつけなければならない。何度か、犬が帰ってこない、と言う経験がある。そのほとんどが日本犬、もしくは日本犬系ミックスだった。犬種特性に『雷恐い』の項目もあるのだろうか。
 まあ、家出や事故は嫌だからと、今日の散歩では、ラーナに特に心を使った。1度、動物用の台所の床下に入りそうになったので、あわててジャーキーを見せて呼び寄せ、隔離柵に入れた。  
 この春、全国に旅立ったラーナの8匹の子犬たちが、それぞれの地域で、雷にどのような反応をしているのか、聞いて確かめたい気もする。果たして『雷嫌い』は遺伝しているのだろうかと......。

 旅立ち、と言えば、今日、柴犬のミゾレの子が隣町に行った。最後に耳が立った、のんびりポチャポチャのオスである。
 新しい飼い主の方が来た時、ポチャ男はサークルの中にいた。私がミゾレや他の子犬たちから離して抱き上げると、反応がいつもと違っていた。ポチャ男は身を固くし、情けない、不安気な瞳で私を見つめた。
 いつもは、僕も、私もの子犬たち、そして子犬以上にサークルから出たがるミゾレさえも、小屋の入り口に留まり、そこから出ようとはせずに、じ〜っとポチャ男と私の動きを確かめるように見ていた。

 『何かが、いつもと異なる....』

 いつも感じるのだが、そんな事を察知する能力にも、犬は長けている。

 食事、駆虫、ワクチン、そして私の勧める付き合い方、などの話をさせていただき、よろしくお願いしますと、送り出した。車で20分の所なので、腰をあげればすぐに見に行く事ができる。
 しかし、どんなに近くても、大人の犬になるまでは、多分、私からは行かないだろう。理由は簡単である。私が、子犬を手に入れた時に、生後1年ほどになるまでは、見に来られるのが嫌いだからである。
 では、その理由は......と聞かれたら、私は次のように応える。
 『もっとも楽しい、子犬から若犬になる変化の時期。これは、しつけや遊び方の基本ができる時である。その楽しさを、他の人に奪われたくないからである....』.....と。

 要するに、1日、1日、目に見えて成長、変化、進歩していく時期の最高の楽しみ.....『しつけ』『遊び』を他人に口出しされたくないのである。ワガママなのが私なのである。
 1歳になり、その家の色がしっかり身体と心にしみ込んだ時なら、私は毎日でも出かけていく。そして、私には儀礼的な挨拶だけで、ひたすら飼い主を見つめ続ける犬を見た時、心の底から『ほっとする』のである。

 明日、もう1匹の子犬が十勝の大樹町へ、そして子ネコが東京に旅立つ。雷は無用である、飛行機の揺れない天候になって欲しい。



2002年09月05日(木) 天気:晴れ時々曇り 最高:23℃ 最低:14℃

 娘を釧路の病院に送ってきた。しばらくの入院になる。毎日が健康食になるぞと、入院では先輩の私が脅したところ、昨日の夕食は外食、それも娘の好きなものをと言う事になった。
 娘は焼き鳥を選んだ、もちろん泡の出る麦茶付きである。たっぷりと食べ、親子3人で苦しいと言いながら、昨夜は帰路についた。

 急なケガや病気で入院をするわけではない。いわゆる股関節形成不全と言われるやつである。生後3ヶ月から、ずーっと追跡観察をしてきている。普通の生活なら今のままでも問題はないのだが、九州からこの手術の権威と言われる先生が来られる機会があり、将来を考えて手術ということになった。
 腰の骨の手術ゆえに、入院は長期になる。腸管も頭も元気そのものだから、けっこう辛い術後になるだろう。気を紛らわすための方策を、私も女房も考えたほうが良いのかも知れない。

 手術の前に、自己血の採血がある。1000CCほど、万が一の輸血用にキープするようで、すでに600は採り終わっている。貧血、そして比重も問題があるのではと思っていたが、さすがに我が子である。成分も量も二重丸だったらしい。
 以前は、私も献血を趣味のように行っていた。ある時、上京中の私は、有楽町で足を止めた。
 
 『緊急の手術のために、AB型の方に献血をお願いしていま〜す!!』
 
 若い女性が、メガホンを手に叫んでいた。
 もちろん、私は白いテントの受付にさっそうと並んだ。若い女性のお願いは、けして無視できないのが取り柄である。

 その時に、最初の検査をされた老年の医者が言った......

 『素晴らしい血ですね〜、うん、いい血だ!!これなら天皇陛下にもだいじょうぶだ!!』

 新聞に、昭和天皇の下血のニュースが連日書かれていた頃の事だった。天皇がAB型と知り、何となく親近感と、心配を抱いた思い出がある。

 娘の手術は1週間後である。それまでは、のんびりと検査の日々だろう。たいくつ病に罹るぞ、と脅し、忘れ物はないかと確認をして帰ってきた。

 この夏(はたして夏と言えるのかどうか、問題は多いが...)は、気温が低かった事もあり、我が家の生き物たちは、皆、元気である。暑い夏は、皮膚病の発生を見る事もある。しかし、今年は皆無だった。
 1匹だけ、柴犬のシグレが12針を縫う、切り傷を負ったが、それも抜糸が済み、きれいに傷口が塞がった。
 下痢も少なかった。食欲不振もなかった.....と言うよりも、いかに量を押さえるかに気を配った。あまりにも元気者が揃いすぎていて、餌はすべてエネルギーと蓄えにまわり、あっと言う間に太め犬が続出した。私は、痩せた姿よりもポッチャリした犬が好きだが、仲間たちは、
 『石川家の犬は太り過ぎだ〜』
 と口を揃えて言うので、少しは加減をしようと、ひとにぎりずつフードを減らしている。
 それでも、肉が増えていくのは、健康な証拠だろう。
 『よく食べ、よく遊び、そして、よく人を見つめてくれる....』
 それだけで、私は満足である。

 犬たちが、太めの身体を冬の毛で覆う頃、娘は退院してくるだろう。それまで、釧路の住人になる。

 



2002年09月04日(水) 天気:晴れのち曇り 最高:24℃ 最低:15℃

 50に近い数の犬やネコたちに比べると、けして目立ちはしないが、我が家の庭の隅には山羊のメエスケがいる。2坪ほどの小屋と6坪の運動場が彼の生活圏だ。
 メエスケの生い立ちを思うと、いつも私は腹をたてる。ある酒宴で、幼稚園でふれ合いに使っていた子山羊が大きくなり、角が危ないので王国で引きとって欲しい、という会話になった。
 普通なら断わるところだが、何故か私はハイテンションになっていた。気づいたらOKの返事をしていた。

 『さあ、可愛いでしょう、これは子ヤギのMクンですよ〜、美味しい草をあげましょうね〜。やさしく触って可愛がろうね〜』

 そんな暮らしは生後数カ月で終わり、子山羊が当たり前に成長し、角で遊び始め、身体の内側からの力にまかせて飛び跳ねると、それは幼稚園の園児にとって危険なものとなり、厄介払いである。
 私は、子供たちに生き物と、いわゆる『ふれあい』をさせるなら、その対象となる生き物は、理不尽な仕打ちを受けた時に、抵抗を(反応を)示す事のできるものであるべきと考えている。
 この観点から考えると、嫌な事をされたら、角で相手を突き倒す山羊、吠えたり、噛んだりできる犬、引っ掻き、噛むことのできるネコ、蹴飛ばす事のできる馬が、最高の『ふれあい動物』だと思う。

 ところが、世の中の流れは、できるだけ事故を少なく、そして責任を取らざるをえない事から離れていよう....そんな人たちが作っている。
 従って、有名な動物園ですら、夏休みの客集めコーナーである『ちびっ子ふれあいコーナー』には、ニワトリ、アヒル、ウサギ、モルモット、ハムスター、子羊、子山羊、そして子犬などが詰め込められる事になる。
 彼らは、訳のわからぬ人間の子供たちの仕業に、されるがままである。足1本、耳1本を掴まれて持ち上げられるウサギ、ギャーギャーと言われながら追われるアヒル.....無抵抗のままに。
 これは、まさしく『生き物虐待コーナー』である。なにが『ふれあい』だろうか!!

 嫌な事をされると、しっかりリアクションを示す事ができる生き物が相手であってこそ、子供たちに恐れが出て来る。そこに大人が、正しい付きあい方、相手の表情を読み取る手法などを子供に教える(知らせる)余地が生まれてくる。生き物たちとの共存のための文化が発生するのである。

 オス山羊が側にいるならば、1度は角で吹っ飛ばされてこそ、実感が残るであろう。その肝心な事から逃げ、無用の用心のためにメエスケは我が家にやって来た。
 
 嬉しい事に、メエスケは、王国に来たたくさんの子供たちに、その角(頭)の力を誇示してくれた。これまで、角で飛ばされた最長距離は、ある小学5年生の男の子の5メートルである。見ていた皆が歓声をあげて喜び、当事者も照れ笑いを浮かべていた。
 もちろん、背中には立派な角の跡が残った。これが、生き物との間の、もうひとつの絆、勲章だと私は確信している。
 その子は、『今度は油断しないぞ.』...と言いながら、正面からメエスケに近づき、両手で角を持つと、しばらく力比べをしていた。これはメエスケの大好きな遊びである。頭を下げ、4本の足を踏ん張って、メエスケは押した。
 私は、その子の勇気を、皆の前で誉め讃えた。彼は、実に嬉しそうだった。

 最近、あちらこちらの動物のテーマパークで見る山羊は、身体が小さくなっている。メエスケはザーネン種だが、体重は100キロを超えているだろう。昔ながらの山羊らしさを見せてくれている。大好きな食べ物は、犬用のビーフジャーキーと焼そば、それに赤クローバーである。
 朝と夕、バケツいっぱいのクローバーを刈り取ってくると、50メートル手前で、鼻に掛かったメエスケの嬉しそうな鳴き声が聞こえる。
 今年は、まだ、一人も角でぶっ飛ばしていない。そろそろ、誰かにチャレンジしてもらおうか.....そんな事を考えている。



2002年09月03日(火) 天気:晴れ 最高:31℃ 最低:18℃


 お待たせしました.....とは誰も言わない。でも、そんな感じで突然に猛暑(本州の皆さん、笑わないで下さい、ここでは、明らかに物凄い暑さなんです....!!)がやって来た。
 怪しい雰囲気は昨夜のうちにあった。そう、深夜になっても気温が下がらないのである。2時でも19℃、おまけに風が南に回った。昨日はオホーツク側で32℃を記録していた。それが1日ずれて中標津に来る.....そんな予感のする生暖かい風だった。

 1夜明けて、私は庭に出て驚いた。むっとする暑さだった。すでに犬たちは小屋の陰や穴に入っていた。朝の好きなヤギのメエスケですら、小屋の中に避難していた。
 サンダル履きの私を見つけ、これは狙い頃と、羽を開き、パタオアタと駆け寄って来る番鶏のコッケイの嘴と足蹴りの攻撃をかわしながら、私は寒暖計を覗いた。すでに26℃を示していた。

 『お〜い、今日は暑くなるぞ〜、30℃を超えるかも〜』

 居間の女房に向かって大きな声で叫ぶと

 『わかってるはよ、だから網戸にしているのよ.....』

 と、返してきた女房は、すでにノースリーブだった。まあ、彼女は15℃でも同じ服を着ていたから、あまり温度は関係ないのかも知れない。

 昨日に比べると10℃近く気温が高い。おまけに最近の霧や雨の湿気が残っており、北海道にしては湿度の高い1日だった。
 このような状態になると、動物たちはどのような行動になるのか、今日は、それを観察した。

 <犬たち>
 北の犬は、寒さには強い。吹雪の日でも小屋に入らず、雪のベドで寝ている連中はいっぱいいる。
 しかし、暑さは苦手、それも、ジワジワと日々、気温が上がって行くのなら、合わせて対応するのかも知れないが、今日のように突然に猛暑となると、これは天災の1種である。
 まず、散歩は途中で帰ろうとする。川に辿り着くと、今度は帰ろうとしない。
 小屋に繋がれると、とにかく陽光の当たらぬ所を探し、地べたに腹を付けて寝る。自前の穴を用意していた利口者は、もちろん、その穴を利用している。
 食欲も落ちる、それよりも新鮮な冷たい水を好み、私と女房は何度も水を替えた。

 <ネコたち>
 犬たちほどダメージは受けない。しかし、30℃の時に動き回る子はいない。室内派の連中は、勝手口が開いているのにもかかわらず、居間の床の上、それも網戸になった窓からの風が通る所で寝ていた。
 アブラやキツネ舎のネコたちは、木陰が大好きである。そこに置いてあるベンチの上で、風に身体をまかせて寝ていた。

 <ニワトリたち>
 待ってましたとばかりに、すべてが太陽の下に現れ、砂が多い場所で、腹這いになり、何度も羽の砂浴び(砂シャワ〜)を繰り返した後、片方の羽を10分間ずつ、地面に大きく広げ、虫干しをしていた。
 まるで、くたばったように見えるので、犬かだれかに襲われたのではと、初めて見るゲストの方は、私に報告に来る。
 しばらく、その姿勢を太陽の真下でしていると、さすがのニワトリたちも暑いのだろう。何と、嘴を広げ、荒く息をするようになった。水桶を持って行き、顔の前に置くと、なまけもの揃いの我が家のニワトリたちは、そのままの姿勢で口を付けて飲んだ。

 <キタキツネ>
 花三郎は、10時頃までは、穴の外に出て、日陰で腹這いになり、舌を出していた。しかし、30℃に近づいた時には、巣穴の中に姿を消し、夕方、餌の頃に顔を出した。この時期は穴をオスは使わない。今日は、避暑地になったのだろう。
 ハック、ラップの小屋住いの2匹は、どこにも避難する所がないので、参りましたと言う顔で、風の通る場所をさがして横になっていた。

 <その他>
 カラスは、私の車の横の大きな水たまり、そして山羊のメエスケの水おけ、さらに、レオンベルガーのカボスのために用意してあるタライを使い、何度も水浴びをしていた。
 メエスケは、夕方になるまで小屋に隠れていた。
 ウサギたちは、濡れた床の上で、前足は前に、後ろ足は後ろに伸ばして、腹這いになっていた。
 そして人間たちは、来られたゲストの方を含めて、みんなアイスコーヒーのお替わりをした。床の上で寝ていたネコたちが、ミルクを貰おうと、その時だけ起きて、人間の邪魔をしていた。


 これが、この夏、初めて30℃を超えた我が家の様子である。
 今、23時35分、寒暖計は15℃を示している。



2002年09月02日(月) 天気:霧雨(ジリ) 最高:22℃ 最低:15℃

 食卓で私が座る位置は、テレビの正面であり、勝手口にもっとも近い。そこは食事をするだけではなく、紙と鉛筆にじゃれつくネコたちと戦いながら原稿を書いたり、新聞を読み、電話を掛ける席でもある。
 昔からの癖があり、その椅子では必ず正座をして、様々な事を行う。こうしていると、動き難いところがあり、つい、
 
 『あっ、醤油を取って....』
 などと、女房や娘に指図をするものだから、
 
 『少しは自分で動いたら....』
 と、私の家庭内での評判は、かなり悪いようだ。

 この心落ち着く席についていると、時々、ネコたちがやって来て、勝手口の框に前足を掛け、首を回して私を見つめる。
 それに気づいて視線を合わすと.....

 『ニャッ、ニャ〜』

 と小さく啼き、瞳に期待を浮かべる。
 
 『分かったよ、行っておいで.....』

 彼らは、勝手口を開けてくれ、と訴えているのだった。期待に応えてドアを開けると、一瞬、外を見渡し、鼻先を上に向けて大気の匂いを嗅いだ後、軽くジャンプをして出て行く。

 『開けてくれ〜』
 と、瞳と声で催促するのが上手いのは、白ネコのミンツ、そしてニャムニャム、ルド、チャーリーなどの、ある程度年を重ねた連中だ。若い子たちは、誰かが出た気配を知って、あわてて走り出ていく。

 今日の昼食の時に、初めて小次郎(コジロウ)が可愛い瞳で訴えた。この子に名前が付いたのは、つい数日前の事である。
 小次郎は昨年の12月末に、アメショーのワインとロシアンブルーのネズミの間に生まれたミックスのオスである。兄弟のメスは、東京に旅立ち、この子も行き先は決まっていた。しかし、先方に事情があり、キャンセルになったのだが、その時には、私が、新しい飼い主を探す気持ちをなくしていた。何となく、死んだマイケルに似ており、手放せなくなったのである。

 私が、箸を片手に、珍しく正座を崩して勝手口を開けてやると、小次郎は勢いよく飛び出して行った。

 『あっ、1匹にしておいてね、今日は濡れてるから、みんな出ると、家の中が砂だらけになるから!!』

 現実を確実に押さえている女房から、すかさず声が飛んできた。あわてて、私は、『あっ、出られる....』と思って寄って来た他の連中の前で、ドアを閉めた。

 その直後である、

 『ギャ〜、フギャ〜、シャア〜!!』

 勝手口から右手側で、ネコ特有の争い、闘い、にらみ合いの声が聞こえた。
 あわてて霧雨で濡れているサンダルに足を入れ、様子を見に行った。
 小次郎は、ちょうど風呂場の横にあるミズナラの木を掛け登っていくところだった。下にはキジトラネコのアブラが長い尾を、直径5センチほどに膨らませ、小次郎を見上げて唸っていた。

 アブラは、室内派のネコたちに敵意を持っている。
 
「お前たちは、ヌクヌクと暮らしやがって。こちとらは、雪の時でも、外で暮らしてるんだ、でっかい顔で出てくるな!!」

 と思っているとわけではない。普段、アブラ2世とともに生活している庭や建物周辺を、自分のエリア(縄張りとも少し違う)と認識していおり、見知らぬネコが出現すると、必ず追い出し確認にいくのである。
 
 小次郎の驚きは大きかったろう。それまで、同種の生き物、ネコは、自分を可愛がってくれるか、特別に興味はもたれなくても、敵意を受ける事はなかった。
 それが、突然の襲撃である、あわてふためき、手近のミズナラに登ってしまった。

 『ああ〜。やられたね、小次郎、驚いた.....。お姉ちゃん(アブラをそう呼んでいる)も、もういいの、相手は子ネコ、それにオスだよ、さあ、戻って.....』

 しかし、アブラは同じミズナラの地上から2メートルの所に居座り、二またの太い枝の上で、腰を下ろしてしまった。小次郎は、懸命に上を目指し、高さ7メートルほどの、細い枝の集まっている個所で目を剥いてアブラを見下ろしている。こちらも尾はキツネのそれになっていた。

 2匹の様子を確認した後、私は居間に戻った。けして、すぐに仲裁やら救助は行わない。これが、2度と会うことのない関係なら、その場で収めるが、彼らは、ここで生きていくネコである。そのスタイルは彼ら自身で決めてもらうのが1番である。これまでも、そうしてきたし、これからも方針を変える必要はない。
 
 3時間後、とうとうアブラは木から降りた。
 小次郎に、

 『アブラは行っちゃったよ.....恐かったね〜』

 と声を掛けると、小次郎は霧雨で濡れた身体を下に向け、1歩1歩、慎重に爪をたててミズナラを抱き、小さな声で啼きながら大地に戻った。

 夕方、私が正座をしてコーヒーを飲んでいると、再び小次郎が勝手口に現れ、私を見上げて啼いた。あれほどの体験をしても、また出て行こうとする、そんな心のエネルギーの大きさは、若いネコの宝である。
 今度は、開けられた戸口で立ち止まり、近くに怪しい影(アブラ?)がいない事を確認して、小次郎は濡れた大地にそっと降りた。少し人生の勉強をした、今日の小次郎だった。

 


 



2002年09月01日(日) 天気:曇り時々霧雨 最高:20℃ 最低:15℃


 <9月になると......>

 9月になると...
  
 陽光は傾き、すべての造型物が、眩しさの中で形を際立たせ
 る。  
  
 樹木の葉は、深い緑を捨て、あるものは赤く、あるものは黄
 色に、そして、あるものは茶に装いを変える。

 2度目の花を咲かせたアカツメクサに、季節に追われたミツバ
 チが集まり、急ぎの仕事をしている。

 当幌川の水面に枯れ葉が落ち、イワナがくわえようと飛沫をあ
 げる。

 原野から帰った犬たちが、誇らしげに草の実のネックレスを見
 せてくれる。

 隣町の競馬大会で、モタロウに乗らなければ。

 古い馬糞の山で、両手にあふれるシメジを採り、美味しい汁を
 作ろう。

 キツネたちに、黄金色の服が復活する。

 遠方より、笑顔を土産に仲間たちがやって来る、カナダからも
 .....。

 怪しき気候も回復し、天はどこまでも青くなるはず。

 3匹の子ネコたち、4匹の柴っ子が、旅立ちを済ませ、福岡、
 東京、札幌、帯広などで笑顔を振りまく。

 毎朝、犬たちの水おけに、重なり合って枯れ葉が浮いている。

 犬たちは、あっという間に食器を空に.....瞳はおかわりを求め
 る。

 サモエドのアラル、レオンベルガーのベルクが結婚をする。

 マタタビとコクワ、そしてナナカマドの実を焼酎に漬けてみよ
 う。

 秋ヤマメ(ヤマベ)を、馬糞山のミミズを餌に釣り上げ、塩焼
 きで食べよう。

 女房が、秘伝の手法で『イクラの醤油漬け』をつくる。

 入るだけ車に犬を乗せ、野付の海で遊ばせよう。国後を眺めな
 がら。

 南へ下る白鳥の群れが、我が家の上を鳴きながら飛んで行くだ
 ろう。

 リスは頬をふくらませ、アブラたちは連日の狩りで忙しい。

 奥まで届くようになった陽光に、居間のネコたちが暖まる。

 月の灯りに漁り火.....見事な夜景を見に、車を走らせなければ
 ならない。

 1年掛かった歯の治療が、ようやく終わる事だろう。

 
 ・・・・そして、今日、9月が始まった。霧雨から本降りに変わった午後、犬たちは静かに眠っている。