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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2002年10月30日(水) 天気:雨・ミゾレ・雪・晴れ間 最高:1℃ 最低:7℃


 少しでも雪がチラチラすれば『初雪』で良かったのだろうか?そうだとすれば、2002年の初雪は今日、10月30日になる。11時頃、ミゾレの後に白いものが北風に乗って舞っていた。
 
 雪を運んで来る雲は、すっきりとした輪郭を持たない。やや黒みがかり霧の親分のような姿で山から張り出して来る。
 午後になり、その雲が東南に消え、我が家から眺められる知床に続く山々は、麓まで白くなっていた。これが根雪になるわけではないが、秋と冬が混在する、長い季節の始まりである。

 ヘアレス犬のカリンの着ている服が変わった。昨日までは、フリース地の黄色い服だった。今日のカリンは、真っ白なセーターを着ていた。女房が手編みで編んだものであり、その毛は父親のマロの抜けた冬毛である。
 父親を着る事は、カリンにとって温かさと元気と幸せをもたらすのだろう、ミゾレと初雪の中を、元気に母屋まで駈けて行き、チベタンマスチフのネロたちに吠えて、服の自慢を(?)していた。いつもの車庫の箱に繋がれた時も、昨日までのように身体を精一杯丸める形ではなく、のびのびと昼寝をしていた。
 そのカリンの身体にぴったりとくっついて、ネコのアブラ2世が寝ていた。この秋、初めての光景だった。



2002年10月29日(火) 天気:曇り後冷たい雨 最高:9℃ 最低:−2℃


 目の前の窓にシャクガが集まって来ている。ざっと数えても30匹を超えている。2ヶ月前だったら、女房がハエたたきを手に、大活躍をしているところだ。夢中になって蛾を食べていたウコッケイ系のヒナもすっかり大きくなり、声変わりが始まっている。外で虫や草も食べており、いつの間にか女房の蛾集めは終わっていた。

 蛾の集まっている窓は、東と南に向いた個所だけである。北に向いた窓ガラスには、蛾の代りに冷たい雨が打ち付けている。零時の気温が2℃、上空の状態によっては雪でも不思議ではない。西高東低、いよいよ冬のパターンに気圧配置が変わってきた。
 
 雪虫をはじめ、様々な昆虫たちの中には、まだ活動しているものがいる。もちろん越冬のための行動だと思うが、つい頑張れと言いたくなってしまう。夏場には、これはヒナに良い餌と考えていたのに、何と人間は勝手なのだろうか。

 そんな蛾とともに出現していたコウモリの姿は、10日ほど前から消えている。好みの餌が少なくなったのか、それとも、いよいよ越冬の準備で引っ越しをしたのだろうか。今年の冬は、彼らのねぐら探しもしてみよう。久しぶりに、浜中の金鉱跡の洞くつも訪ねてみたいものだ。
 
 何だかんだと言いながらも、確実に道東の風景は変化を続けている。首を傾げてしまう一部の不思議な公共事業、そして、離農、様々な施設、事業所の閉鎖......そこには、夢やぶれた物の姿が残されている。そう、おそらく1年間に3人も使わないであろう所に、幅が2メートルに近い立派な歩道のついた完璧な道が作られてしまうと、姿を消したエゾヤマザクラやトドマツの映像が目に浮かび、人工的な直線と比較して、失って行く豊かな夢の大きさに思いを馳せざるを得ない。
 もちろん、すべての工事が問題なのではない。前にも書いたが、釧路に続く272号線は、早く整えて欲しい、大切な幹線道路として。しかし、1時間に多くても車が20台の道に、何故、歩道が必要なのだろうか。ひょっとするとキツネや野良犬用なのだろうか。実は、これは規格のせいである。国の基準という魔物が存在しているのである。

 何でもかんでも規格優先の考え方を変える時期に来ている事に、なぜ役所は気づかないのだろうか、いいや、気づかぬふりをしているのかも知れない。前例踏襲、新しい事に手を出して、失敗した時に責任をとる覚悟のある役人に、私はまだ3人しか出会った事がない。

 雪に変わろうかという道を走っていて、1時間の間に5ケ所で工事に会い、この力を別の所に有効に活用できないかと考えているうちに、そんな繰り言を頭の中に浮かべていた。

 



2002年10月28日(月) 天気:晴れ 最高:12℃ 最低:ー1℃

 『イシカワさんって、変なとこばかり見ているんですね〜』
 
 以前、犬たちと散歩をしていて、研修生にそう言われた事がある。けして彼女の尻や長い脚を見つめていたわけではない(それは、十分に見る価値があったが....)、何か参考になればと、散歩中に私が見て、思っている事を、彼女のために口に出していただけである。
 
 いくつかを並べてみよう.....
 「あっ、マロ小便だ、出ているかな、色は....よしっ、勢いも良い、合格!!」
 「カボス、まだ脚を上げた小便姿勢はとらないな...」
 「おっと、ベコが匂いを嗅いでいる、あそこに誰かのウンコがありそうだ、十能、十能....」
 「タドンが背を草に擦り付けている、抜け毛が残っているのかな、それともフケかな.....」
 「センがダーチャの小便を何度もマークしている、発情には少し早い、子宮か卵巣に問題がなければ良いが....後で熱を計ろう....」
 「どれどれ、タドンは無事に小便が出たかな、チンポコは収まっているかな....」
 「これでラーナは6回目の小便だ、地面の匂いを嗅がずにしている....尿検査をしてみよう、まさか糖尿ではないと思うけれど....」
 「ありゃ〜、またカボスのウンコは石まみれだ。もう少し遊んであげなくては」
 「マロ、少しウンコが柔らかいな、それにキレも悪い、ほらっ、毛に付いている。その尻で甘えてくるからな〜。よしっ、明日は、馬の放牧地で散歩だ。馬糞を食べさせよう....」
 「この辺で、耳のテストをしてみよう。シバレ〜!!、タドン!!ミゾレ〜!!セ〜ン!!ベコ!!タブ〜!!ダーチャ!!ベルク〜!!カボス!!...やはり耳垂れ組は反応が鈍いな〜」
 「あっ、シグレが土手で穴を掘り始めた、ネズミがいたな...どれどれ、トガリかなヤチかな....」
 「え〜と、袋があったかな、よしっ、今日はベルクのウンコ一式を持ち帰ろう、何キロあるかな...」
 「あれっ?カリンの走り方がおかしい、右前足をかばっている、お〜い、カリン、おいで〜!!」
 
 もちろん、日々移りゆく北の大地、その情景も見てはいる。しかし、私の観察の中心は、何と言っても犬たちの行動に向けられている。ささいな変化、小さな異常を見つけ、それに対処する事で、新しい愉快な関係が生まれ、そして元気に遊ぶ事ができる。

 彼女にも1匹の犬を、リードを付けて預けてみた。小便をしようと屈んだ時、彼女はペースを落とさず、そのまま歩き続けた。急に草原に鼻を付けるようにして嗅ぎまわり始めた時、それをウンコの場所を決める大切な行為とは理解せず、名を呼んで、先を急がせた。

 生き物を扱う専門学校では、人間の横にピタリと付き、人間の顔をうかがいながら歩く、仕事としての散歩は教えてくれる。しかし、残念な事に、家畜である前の、生き物としての犬たちが何かをする前の『自主的作業行為』に関しては、何ひとつ教えてもらっていなかった。それを理解していないと、人間の都合から外れた行為は、すべて問題行動とされてしまう。

 研修生よりも、いくらかは先輩になる私は、上に書いたような観察が、どのような事に役立つかを説明した。そう明な彼女は、『そうだったんですか〜、知らなかった!!』
 と、素直に理解してくれた。


 ......とこんな事を思い出したのは、今日の夕方の散歩の時である。きっかけはラブラドールのタブの尾だった。タブは今日が発情のピークである。リードを持った私をグイグイと引っ張り、マロ、シバレ、セン、カザフなどのオス犬たちが繋がれている一角に行こうとしていた。
 今回は、交配の予定はない、声を掛け、私はタブを牧草地に連れて行った。タブは合計で12ケ所に小便を振りまいた。
 そして.....である。オスの中でも若さにまかせ、今が張りきり時と思っているセンとシグレが、離れて行ったタブの方角に向けて、悲痛な叫び声を上げた。その瞬間、タブの尾が付け根から軽く持ち上がるのである。

 近くにオス犬がいてプレゼンテーションをしているのなら、当然の事と理解できる。しかし、100メートルは離れているのである。それでも反応が出ていた。
 ささやかではあるが、新しい発見をすると、私はニコニコとなる。今日は、これだけで生きていて良かったとさえ思った。
 
 オスとメス....その存在によってのみ、生き物が健康に種を繋ぐ事ができる素晴らしいシステムに、私はあらためて感激した。

 
 



2002年10月27日(日) 天気:強い雨と風のち快晴 最高:13℃ 最低:5℃


 夜半から明け方にかけて、猛烈な雨になった。窓を打つ雨音で目が覚めたのは久しぶりの事である。風も強く、まだ本当には色付いていないカシワやミズナラの大きな葉が、勢い良く飛んでいた。
 所用があって、10時に家を出て浜中の王国に向かった時は、まだ風雨が残っていた。しかし、王国に着く頃には東南の空が割れ始め、やがて雲の色も白く変わり、青空が優勢になってしまった。冷たい空気を後ろに従えた前線が通過し終えたようだった。

 午後2時、家に戻ると、真っ先に女房を探した。

 『オイ、どうだった...?』

 長く一緒にいると、詳しく言わなくても通じるのが便利である。女房は、私が聞きたい事を話し始めた。

 『何度か乗ろうとしたけれど、アラルが怒ったり、姿勢が悪くてダメだったの。でも、あきらめずに付き合っていたら、20分ぐらいたって成功した....』

 昨日、午前中と夕方に、サモエドのカザフとアラルが交配に成功していた。アラルの出血が始まってから10日目の事である。排卵は9〜13日目の間、特に11日目に起きる事が多い。それを計算して、11日目にあたる今日と、念のために明日、交配をさせようと考えていた。
 従って、女房のニュースは嬉しい事だった。妊娠の確立がどんどん高まっていく。

 アラルとカザフの結婚に関しては、随分、私も迷った。この2匹は叔父と姪の関係である。いわゆる近親結婚になる。
 しかし、純血種の犬を、ある形で維持する場合には、避けて通れない道でもある。
 もちろん、毎回、血縁関係を外して『アウトブリード』で行く事もできるし、これが普通である。

 でも、私と女房は、自分たちが惚れ込んだ『マロ(オス・イギリス生まれ)』と『ウラル(メス)』の流れを確立したかった。そのためには『インブリード』を行うしか方法がなかった。
 いわゆる『犬種』が作出される課程では、もっと激しい近親結婚が必要だった。その手法によって『らしさ』が作られた。そして、その姿形、性格、本質が維持される時にも、定期的なインブリードが求められてきた。

 でも、叔父と姪である、やはり私たちの心の中に躊躇があった。
 それを吹き飛ばしてくれたのは、ウラルとマロの娘を飼っているTさんの言葉だった。Tさんは、女房との電話の中で、アラルの相手としてカザフの名前をあげた。そうするとマロとウラルの良いところが収束するのでは、そんな気持ちだったのだろう。

 決心した私と女房は、さっそく2匹を引き合わせた。男嫌いなところも幾分あるアラルが唸った。でも何度も男になっているカザフは、最近、父親のマロに似て、女性扱いのコツを覚えてきている。さりげなく離れ、また戻り、尻の匂いを嗅ぎ、優しく陰部を舐め、そして昨日、想いを遂げた。

 いつも、どんな子犬が生まれてくるかと、それはそれは楽しみである。しかし、今度のアラルは、今まで以上に期待といくばくかの不安を抱いて、あと2ヶ月を過ごす事になる。



2002年10月26日(土) 天気:晴れのち曇り 最高:13℃ 最低:4℃


 午後から、身体が重く熱っぽい。女房に聞かないと体温計の場所が分らないので、そのままにして冷たいコーヒーをがぶ飲みした。
 これで少し、気分が良くなリ、メンバーで構成しているバンドの練習に行った。1月に沖縄でコンサートをする予定があり、我が『長ぐつバンド』としては珍しく、3月前から練習に入っている。
 
 私が演奏する楽器はフルートである。キーボードやギターの連中に聞いても同じ答えが返ってくるが、特に管楽器は練習の密度、時間が直接的に演奏に響く。けして付け焼き刃ではいかない難しさがある。

 私が楽器を演奏するようになったのは、中学に入った時である。新入生の何人かが集められ、そこに小柄な、目が細く、そして優しい雰囲気の先生が登場した。ワダ先生だった。
 それまで、スペリオパイプ(今のリコーダーである)は好きだったが、特別、音楽に興味がある子ではなかった。そんな私が、吹奏楽部の顧問、指導者であるワダ先生に声を掛けられたのは、マグレで入学早々の実力試験の成績が良かったからである。
 もちろん学力と音楽は関係がない。しかし、当時の名寄中学校は、毎年のコンクールで全道1.2を争う名門校だった。従って練習は厳しい、朝は6時から授業開始まで、昼は、あわただしく弁当を食べ、部室でロングトーンとタンギングの練習。そして放課後は、1年のうち330日は、帰宅が9時を過ぎていた。
 それだけ時間を取る為に、学業成績が落ち、問題が起きないようにと、変わったセレクションをしていたのだった。

 何となく面白そう、それにパレードや運動部の応援などで、授業を休めるという不純な動機も加わり、私は入部した。農家で忙しい父母は、おそらく私の手伝いを期待していただろう。それを裏切ったわけだが、何ひとつ文句は言わず、両親は静かな応援をしてくれた。1度も口に出して言った事はない、でも心の中では『ありがとう、すみません』と思っていた。そんな親不孝が以後、6年間続いた。

 私が受け持った楽器は、今、手にしているフルートではない。チューバを小型にしたユーホニュウムという金管楽器で、主に吹奏楽、ブラスバンドで使われている。オーケストラで言うと、チェロやバスーンのパートを受け持つ事になる。
 今でも、この楽器の音色の豊かさ、そして音の深みが好きである。しかし、少人数でのセッション、それもポピュラーな曲の演奏には、あまり向かない。それに値段も高い。
 そんな事で、当時は苦手だったフルートを手に入れ、仲間たちとの演奏を楽しんでいる。

 今でこそ、心から言う事ができる、
 『ワダ先生、ありがとうございます。あの時、私を誘ってくれて感謝しています.....』...と。

 40年前は、今のようには音楽があふれてはいなかった。まして自分で演奏をするのは、何らかのきっかけがないかぎり、他人事だった。
 私が、すべてのジャンルの音楽、さらに、自分で演奏をしたり歌ったりする事が好きになったのは、あの厳しい、そして楽しい練習の日々のおかげである。

 練習所になっているサウナ棟の窓を少し開け、心地よい秋の風を頬に受け、仲間が作ったオリジナルの曲を演奏しながら、私は、そんな事を思い出していた。
 



2002年10月24日(木) 天気:曇り時々晴れ 最高:13℃ 最低:6℃


 先ず、昨日(10月23日)の様子を書いておこう。

 最高気温は10℃、最低は3℃だった。朝方は少し晴れ間も出た。しかし、午後になると風も冷たく、夕方からは、とうとう雨になってしまった。星が見えるという予報は大はずれである。

 そんな中、関東から3人の女性が、クラブハウスを利用しての王国体験に来られた。
 KさんとMさんは、何度も顔を見せてくださっており、レンタカーから降りた姿は、我が家の犬に飛びつかれてもOKという装備だった。初めてのPさんは、「噂には聞いていたが....」という顔を一瞬見せて下さった後、先輩の二人と同じように、嬉し気に尾を振って誘っている犬たちのもとへ寄って行った。

 人間が大好きな我が家の犬たちは、知らない車が停まっても、警戒ではなく、歓迎の印として耳を倒し、尾を振る。10数匹が、ある間隔を置いて繋がれている中で、自分の存在を強く主張する犬と、静かに、ひたすらに気づいて貰えるのを待つ子に分かれる。
 明らかに、親分のマロは前者だ、とにかく『ウオン〜ウオン〜』との声も加えて、盛んに『おいでよ〜、来てよ〜』と訴えている。おまけにマロは、焼きもちも凄い。特に自分の地位を脅かしそうなカザフなどに人間が行くと、10メートル離れていても、真剣に呼んでいる。もちろん、その間、尾は忙し気に降られている。
 この大袈裟な自己主張タイプには、他にミゾレ、ベコ、ダーチャなどがいる。

 それに相対するかたちで、静かに人間を待っているのが、タドン、カボス、シバレ、ベルク、アラルなどである。
 彼らは、笑みを浮かべた表情で人間を見つめ、自分に気づいてくれるのを期待している。例え、人間が視線を合わせなくても、自分の顔の前を滑って(視線が)いけば、その度に緩やかに尾を振っている。

 3人の女性たちは、派手に主張している犬だけではなく、時間を掛けてすべての犬に挨拶をして下さった。これは、犬たちにとって最高の儀式、幸せである。しっかりと記憶の中に刻み込まれ、次回の出現の時にも、間違いなく歓迎される。

 犬、ネコ、ヤギ、ニワトリたちとの交歓...そして、乗馬で速歩までをこなし、夜は郊外のクラブハウスでゆっくりとしていただいた。
 深夜、強い雨の音だけが聞こえる、色付き始めたカラマツ林に囲まれた居間で、話は尽きなかった。

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 ここから、本日(10月24日)の日記です。

 仲間のヤマちゃんの家で、時に病気と闘い、時に、穏やかに余生を送っていたメキシカンヘアレスドッグのアダムが死んだ。静かな眠りについたのは一昨日の事だが、私は今日、それを知った。

 アダムは14年前に、妻となった同じヘアレスのイブとともに王国にやってきた。精子数が少なくなるまで、イブやベアデッドのラップと結婚をし、毛のない犬という、極めて特殊な姿、その生理、習性を私たちに教えてくれた。
 我が家にも、アダムの血を継いだ犬がいる。ヘアレス型で生まれたカリンとパフ(有毛)で出たベコである。辿って行くとアダムは曾祖父になる。
 
 繁殖能力を失うのは早かったが、オスっ気は強い子だった。どんなに相手が強かろうと、男として後には退かず、少し高めのうなり声、吠え声とともに、果敢に闘いを挑んでいた。
 しかし、ヘアレス犬には有毛種に比べると大きなハンデがある。歯がみすぼらしいのである。犬歯はあっても短く、そして前に向いており、ガブリの役にはたたない。さらに肉を引き裂く臼歯も数が少なく、すぐに磨耗したり抜けてしまう。
 毛がないために、相手の歯によるケガもし易く、逆に、毛がない事で傷の発見、治療も簡単だった。

 体温は39〜40度と、普通の犬よりも1度以上は高かった。毛という衣服を持っていないために、特に冬、アダムたちは代謝を上げて(普通の犬は餌の少ない冬期は代謝を下げるのだが....)耐えていた。
 従って、寒い季節が来ると、同じ体重の有毛種の犬よりも2倍近くの餌をあげないと、どんどん痩せてしまうことになる。

 ヤマちゃん夫人のケイコ氏の飼育・観察により、ヘアレスの不思議は徐々に解明されていった。
 そのきっかけとなった犬、アダムの死により、王国ヘアレス界は、また新しい段階に入った.....そんな気がしている。

 アダム・メキシカンヘアレスドッグ・オス・満15歳であった。



2002年10月22日(火) 天気:小降りながら冷たい雨 最高:9℃ 最低:5℃


 『圧雪アイスバーン....』
 カーラジオからこの言葉が聞こえるようになってきた。平野部には積雪がないからと言って、夏タイヤのままでいると、身動きのとれない季節である。峠越えはもちろんの事、今日のように冷たい風が吹くと、濡れた路面が凍り、もっとも危険なブラックアイスバーンになってしまう。近日中に我が家の2台の車のどちらかを、スタッドレスに替えなければ。

 昨夜は、ムツさんが様々な話をする『北の夜話』が文化会館で行われた。前回に引き続き、ブラジルが主たるテーマであり、そこから様々な方向に内容が展開していった。
 
 特に、今、テレビ、新聞のトップニュースである拉致に関する問題では、ムツさんの冷静な持論を聞く事ができた。さらに、それに関連して、勉強不足の政治家、マスコミの視点の歪みに関しても、詳しく、分りやすく解説をしてくれた。
 世の中の事象を見る時に、もっとも気をつけなければいけない事、それは表面の現象だけで判断するのではなく、歴史、地理、そして文化等、あらゆる角度から見直す事だと知らされた。

 ブラジルの話題も多種多方面にわたっていた。
 ジャングルがいかに清潔かという事、パンタナールの奥での魚と釣り、1500年代のブラジルが西洋人に発見された頃のトピー族の話、さらに人食文化とノーベル賞、BSEの関連...。
 そしてドーゴ・アルヘンチーノやアザラシ、シャチ、1秒間に80回も羽ばたく(心拍数は1分間に、なんと1200回である)ハチドリなどの生き物の事......。

 あっと言う間の1時間45分は、すべての物事、事承に対して、常に『何故?どうして?』と疑問を抱き、観察と研究によってその答を探し出してきたムツさんの真骨頂を見た思いだった。

 ユーモアにくるみ、時に檄を飛ばし、そして時に涙ぐみ....。
 このムツさんの夜話を目の前で聞く事ができるのは、近くに住んでいる幸運そのものである。手段があるならば、ぜひどなたでも聞く事が可能なようにすべきだと思う。本に...という手法もあるが、私はやはり講演は、耳で、目で、心で受け止めたい。

 11時半を過ぎても、まだ冷たい雨と風が続いている。明日は、東京から我が家の犬たちとプロレス状態で遊ぶ方々がやってくる。この分だと泥レスになりそうである。着替えは用意されているだろうか.....。

 



2002年10月21日(月) 天気:曇り時々晴れ間、そして雨 最高:11℃ 最低:−4℃


 昨夜、寝る前に寒暖計を覗いたら、0度のところで考え込んでいた。風も冷たく、明け方には氷点下だろうと思いながら、あわてて布団に入った。

 起きてすぐに、勝手口から外に出た。素足で履いた、柴犬のシグレの咬み跡がイボのように刺激するサンダルが、氷のように感じた。
 すぐ横にあるミゾレの水おけを覗いた。見事に氷が張っていた。風で飛んできたのだろう、1枚のミズナラの枯れた葉が中に閉じ込められていた。

 私の存在に気づいた犬たちがソワソワとしているのが見えた。ベコとマロは声も出している。
 いつもながら、もっとも大きく、そして左右に忙しく尾を振っているダーチャが、大きな音をたてて水おけをひっくり返した。ダーチャは割れた氷の板をくわえ、バリバリと噛み砕き、いくつかを飲み込んでいた。こぼれた水で濡れた土の上には、いくつもの氷のかけらがあった。それをダーチャは前足でかき寄せようとし、厚さ1センチほどの氷が、薄い陽光に輝きながら土に汚れ、そして細かくなっいった。

 この秋、初めての確実な氷の姿だった。寒暖計はマイナス4℃の記録を残していた。
 幸いにも、前線は離れていた、これが通過直後だったら雪になっていただろう。
 
 暑がりな女房も、私が目を覚ました時には、さすがにボイラーのスイッチを入れ、床暖房を効かせていた。

 「ネコたちが寒そうだから入れたのよ...」
 
 この言葉は、女房のやせ我慢と私は思うのだが。

 庭を横切り、動物用の台所の戸を開け、隣の車庫(本来の目的で使った事は1度もないが、今でも車庫と呼んではいる....)のシャッターを上げた。
 コッケイ、ウッコイのカップル、アブラとアブラ2世ののキジトラネコ、そしてメキシカンヘアレス犬のカリンが飛び出してきた。
 しかし、寒さに気づいたのだろう、カリンは小便を済ますとあわてて藁のベッドになっている箱に戻り、アブラたちも我が家の玄関に置いてあるナンキン袋の上に乗ってしまった。

 いつもと変わらず元気なのは、2羽の鶏だった。繋がれている犬たちのすぐ横をコッコと鳴きながらゆっくりと行進し、やがてダーチャの前に辿り着いた。
 コッケイは、ダーチャが砕いた氷のかけらを見つけると、すぐに嘴でくわえ、鳴いてウッコイを呼んだ。ミミズや私の投げたジャーキーを見つけた時と同じ行動だった。
 コッケイの声を聞き、ウッコイが短い2本の足を、うちまたに動かし、駆け寄ってきた。
 コッケイがウッコイの前に氷を落とした。どんな美味しい物を見つけてくれたのかと、ウッコイが嘴を伸ばした。
 しかし、この秋の『初物』は、すぐにウッコイの口から大地の上に戻された。やはり、味なし氷は鶏の食欲を刺激しないようだった。

 ようやくメス犬たちの発情も終わりに近づいてきている。ダーチャ、ラーナも終了し、残るはアラルとタブ、そしてミゾレの3匹だけになった。
 今日、カザフは久しぶりに、いつもの半分ほど餌を食べた。犬たちに落ち着きが戻りつつある初氷の我が家だった。

 



2002年10月20日(日) 天気:晴れ時々曇り 最高:13℃ 最低:0℃


 雪が里に下りて来た。今朝は稚内でも初雪を見たらしい。もちろん道内の峠は、とっくに降っている。ラジオやテレビの交通情報は、峠越えの車はスタッドレスを、と呼び掛けている。

 今朝、我が家の庭に、そのスタッドレスを履いたワンボックスカーが停まった。300キロ、峠をふたつ越えてやってきたマコちゃん、しのぶちゃん父娘と仲間の皆さんたちだった。
 
 マコちゃんは、私の実家のある名寄の隣、風連町で寿司屋をされている。王国との縁は、今日、初雪を記録した稚内の『全国犬ゾリ大会』だった。もう15.6年前になる。その会場で、出場するメンバー同士として知り合った。
 以来、心意気派の好男子であるマコちゃんと、年に何度か行き来する、そして犬を通しての交流が続いている。
 
 王国にやって来る時は、マコちゃんは商売道具を車に積んで走って来る。まるで厨房が引っ越してきたかのように、ネタ、シャリはもちろんの事、鍋包丁、何でも揃っている。
 それを浜中の王国の母屋に下ろし、夕食は『臨時寿司屋・天勝』がオープンする。
 この日は、待ち受けていたハイエナ群団が、浜中から中標津から続々と集まって来る。食い放題、そしてアルコールもグイグイ.....幸せな時間が、楽しいマコちゃんたちとの話の中で過ぎていく。

 2年前までは、高校を終えた娘のしのぶちゃんが、王国で生き物たちと生活をしていた。その後、マコちゃんの元に戻り、先日、調理師の試験にも合格した。

 今夜の御馳走は、マコちゃんの握った寿司、しのぶちゃんの巾着煮、いつも一緒に来られている、マコちゃんの大親友のオクムラさんが作ったリブステーキ、それに王国のメンバーが作った品々が食卓に並んだ。
 まさか、私のために?とは思わないが、大好物のオハギとアンドーナッツも仲間に加わる豪華さであった。

 たっぷりと食べ、食堂の中の20匹に近い犬たちと遊び、いくらかの美味しい物を公平に与えて『良いオジサン』の印象を犬たちに与え、私は帰路についた。
 50を過ぎると、以前のような量は食べられない。しかし、美味しい物を食べた時の心の満足感は、しだいに強く感じるようになっている。
 幸せを噛み締めながら、今朝、麻雀の後に走った同じ道を、私は、のんびりと戻って来た。



2002年10月19日(土) 天気:雨のち晴れ 最高:14℃ 最低:2℃


 昨年から、一度御手合わせを.....と言っていた麻雀が実現した。初めて卓を一緒に囲んだのは、王国の仲間組織『ムツゴロウゆかいクラブ』のメンバーで、何度もクラブハウスに滞在して楽しんで下さっている、愛知のAさんである。

 早めの夕食を終え、闘いの場、ムツさんの書斎に向かった。北海道で迎え撃つは、私と、純子夫人である。
 あれっ、3人?
 と思われる方もいるかも知れない。そう、ここ15年、王国の麻雀は4人ではなく『3人会議』となっている。
 これは、スタンダードな4人麻雀に比べて、テンポが速く、そして波乱万丈度が高い.....つまりギャンブル性が強いのである。

 Aさんは、このスタイルでのゲームは初めてと言っていた。
 しかし....である、何と最初の半荘は、彼がブッチギリのトップだった(沈んだのは私である....)。
 これもまた、麻雀の良さである。短時間の決戦であれば、誰にでも平等にチャンスがある。気まぐれな勝負の女神は、どの懐に抱かれようかと様子を伺っている。
 この度合いは、将棋や碁よりも、はるかに麻雀のほうが高いだろう。
 加えて、ゲームとしての完成度も素晴らしい。打ち手の人生、略歴、信条、そして本性まで、かいま見える遊び事は、他にあまりないだろう。

 私は、麻雀が好きである。
 初めて参加したのは33年前になる。負けるのはイヤだった。そこで、とても強いと言われていた先輩が打つところを、1ヶ月、後ろで見学(勉強)した、それも徹夜をしてまで....。ルールはもちろんの事、打まわしもある程度の理解かできたところで、卓に向かった。
 自慢ではないが(ジマンしてます.....)、以来、月のトータルで負けたのは、これまでに1回(1ヶ月)だけである。

 田舎の父と母は、70を超えてから、老人クラブで麻雀をするようになった。それまでは、畑、水田、そして酪農と、忙しい仕事を続けてきていた。遊び事とはまったく無縁な生活だった。
 帰省した時に、クラブでの麻雀の事を、イキイキと話す父母の顔を見て、私は『麻雀』という偉大なゲームに感謝をした。
 1説によると、惚けを防ぐ効果も大きいと言う。まあ、それはどうでも良い、このゲームが備えている深さを、これからもたっぷり味わいたいと思うだけである。

 日が替わり十三夜の月が輝く中、会議を終えた私は、Aさんを乗せて浜中の王国に向けて車を走らせた。
 中標津に引っ越す前は、浜中からムツさんの待つ中標津へ、多い時には週に4日、素晴らしいゲームのためだけに、この道を往復したものだった。120キロ、どんな悪天候でも心と身体を向かわせる魅力が麻雀にはあった。



2002年10月18日(金) 天気:晴れ、夜になって雨 最高:16℃ 最低:1℃

 昨年の春、浜中の王国から3キロほど離れた海岸に打ち上げられた、みなしごアザラシのカムが、1年半ぶりに海水の中に戻って行った。
 収容された時は、全身が衰弱し、数十頭の保護されたアザラシを見てきた私の経験からすると、その命はロープなどよりはるかに細い絹糸だった。
 しかし、ここ何年かアザラシの世話とリハビリをしているアキヤ君は、けしてあきらめず、心と手を使って、1本の絹糸を縒りあわせ、とうとう今日の日を実現させた。
 下痢、食欲不振、嘔吐、寄生虫、肺炎、腰の異変.....そして餌。 彼の心配の数たるや、膨大なものだったろう。でも、それを乗り越え、リハビリを成し遂げた事実に、私は大きな拍手を贈りたい。

 カムは、野付・尾岱沼の内海に還った。
 ここには20数頭の定着しているアザラシがいる。道東に多いゼニガタアザラシではなく、カムと同じゴマフアザラシである。
 1昨年には、同じ所にハングを放している。これもアキヤ君が育て上げた子である。それ以前、私と女房がリハビリをしていた頃にも、5頭のゴマフを還しているので、王国出身は、これで合計7頭になる。

 尾岱沼の港から、いつもお世話になるTさんの船で、定着アザラシの姿をよく見かける場所に向かった。雨の予報は外れ、船の背では、オレンジの秋の陽が地平線に近づこうとしていた。
 
 一昨年、ハングを放した地点に着いた、Tさんがエンジンを絞り、周囲に視線を回していた。

 『ほらっ、いるよ!!』

 さすがに海で仕事をされている方である、50メートルほど前方の細かな波の中で、頭を持ち上げ、船を見ている1頭のアザラシを示してくれた。

 『ハングかな?』

 誰かが言った。これだけ船に近い所まで来ると言う事は、その可能性も大いにあった。
 仲間がいてくれるのは心強い、わたしたちは、そこでカムを還す事にした。

 浜中の王国で、プールの水が抜かれ、ケージに追い込まれてから、カムは人が近づくと、ガア〜と抗議の声を出していた。
 しかし、潮の匂い、海の匂い、雰囲気がカムの興味をひいていた。
 カムはケージから出されると、人間に抗議を向けず、パニックにもならず、船べりからひたすら波を見ていた。
 保護した時の9キロの体重は、1年半で45キロ以上になっていた。旅立ちを前に、このところは食い溜めをと、アキヤ君は、日に3回、通常の倍の餌(生のホッケ)を与えていた。親心である。
 その影響か、船べりに腹がつかえて海に入る事ができないようにも見えた。アキヤ君が抱きかかえ、尻を押してやった。

 カムは、一瞬、船の横で波間に姿を消し、すぐに10メートル先に頭を出した。視線は船に向けられていた。

 『元気でな.....』
 声に出す者、心の中で呼び掛けた者.....立ち会った全員が、そう思っていただろう。アキヤ君は、ほとんど言葉を出さず、ひたすらカムの頭を見つめていた。

 カムが次第に船から離れて行き、かすかな水しぶきだけが存在を知らせてくれるようになった時、私たちは、船が着いた時と同じように、頭を掲げて様子を見守っているアザラシを認めた。
 その子とカムは、海中での声の信号で、互いの存在を楽に知る距離にいた。
 明らかに偵察員と思われた。それがハングであれと祈り、私たちは夕陽に向かって動き出した船の上で、アキヤ君に、御苦労さんと声を掛けた。



2002年10月17日(木) 天気:快晴時々雲ひとつ、ふたつ... 最高:18℃ 最低:5℃


 テレビを代表に、ひとつの出来事に、これでもかと集中する報道のあり方に、大いに疑問を持っている。2日前から、あの田中さんは、まったく消息が聞こえなくなった、代って5人の方が、今日もあらゆる所で追いかけられ、毛穴が見えるほどのアップでブラウン管に登場させられている。
 
 フ〜、私はため息を、白く冷たい色で光る月に向かってついた。足元では、ネズミ捕りから帰ってきたネコのアブラ2世が、身体に似合わぬ小さな声で啼き、私の足にあるかないかの尾をこすりつけて、小屋に入れてとせがんでいた。             気温はドンドン下がっている。

 本人と家族だけではなく、周囲の方も涙にくれる再会の場面を目にして、ああ〜人間だな〜と思い、こちらまでも瞼が熱くなる。
 私たちヒトなる生き物が収得した『記憶力』と『想像力』は、特別なものである。この二つを得た事で、『情緒』や『叙情』が生まれ。ともすると、論理的(生物的科学)な事よりも、『想い』が、ある行動の引きがねとなる事も多い。

 5人の方が日本に一時帰国される数日前に、那須高原で、私にとっては、とても重要で嬉しい再会があった。
 それは、昨年の春、そして今年の春、我が家から旅立ったサモエドたちの集合である。
 5匹は東京、埼玉、宮城から車で駆けつけた。オスが3匹、メスが2匹、他に同行したゴールデンのメスと柴のメスがおり、犬たちは総勢7匹になった。

 実家のウブ(乳父)を自認しながら、私は現場に行く事ができなかった。だからこそ、心配があった。それは、7匹がケンカをせずにオフ会を楽しむ事ができるだろうか、と言う事だった。
 
 24年振りの再会を、涙して喜ぶ事ができるのは、人間だけである。そこには、名前、容姿、顔だち、本人の記憶....等、まさに肉親であるという記憶と知識が基礎になっている。
 例え、物心が付く前に母と別れたとしても、仲介する資料、物証、記録などがあれば、『お母さん』と胸に飛び込む事ができる。

 しかし、犬はそうはいかない。同じテリトリーで互いの確認を日常している間でないかぎり、兄弟だろうと姉妹だろうと、成犬になれば、あくまでも他人である。
 
 『ああ、あなたがマーヤちゃんですか、離乳食を食べる時は、のんびり屋の私に譲ってくれてありがとう、本当にお世話になりました、元気ですか?飼い主さん、優しいですか?私の家の人間も、とてもいい方ですよ、2匹とも運が良かったようですね〜』

 ・・・などと言う世界を犬たちに要求するのは、無理と言わざるを得ない。

 幸い、サモエド種が備えている陽気さ、他の生き物に対するフレンドリーな性格、多少なりとも、我が家での社会性トレーニングの効果、兄弟が幼い頃の遊びの中で獲得した、我が家出身の子らしい独特の動き(ここには、記憶が幾分ある)、そして何よりも、7匹の誰もが知らない場所(それぞれの縄張りの外)である事と、素晴らしい飼い主さんたちの心くばりにより、事故なく再会の宴は終わった。

 これがサモエドではなく、ラブラドールのタブの子だったらどうだろう。私は、今回と同じように和気あいあいとオフ会が進行したと思う。
 では、柴犬のミゾレの子たちを10匹、オスメス取り混ぜて集めたら(もちろん成犬になった子たちである...)...。
 この場合は、私は自信がない。ケンカは人間が防ぐ(リードで繋ぎ)事ができても、オス同士の唸りあいは必ず起き、とても懐かし気に皆で遊ぶ.....などと言う場面にはならないだろう。

 私たちが犬を考える時に、とても重要なのは『犬種』である。以前にも書いたかも知れないが、大きさとしてはぴったりの秋田犬が、なぜ盲導犬になっていないのか(国の誇りの犬であるのに)......そこに犬種の本質があるのでは。
 秋田犬では、街で出会った犬に、ケンカを売る事をやめさせる訓練はできても、売られた時に最後まで反応をしないようにするのは、まず無理である。
 秋田犬を、まさにアキタにしている頑固な『番犬性質』と『狩りの心』が、盲導犬には適さない。だからこそ、私は秋田犬が好きなのである。

 これからは、ますます犬を連れての旅をされる方が増えていくだろう。さらに、犬が集合してのイベントも各地で開かれるだろう。
 その際に、ぜひ人間的情緒で犬を判断しないで頂きたい。たとえ親子であろうと、兄弟であろうと、そこでは、先ず大人の犬としての大きなストレスが働いている。異性関係であれば、それほど気にする事もないが、オス同士はあくまでもライバルである。群れの生き物として、ハーレム型の婚姻関係を作る動物として、オスは厳しい心で生きている。
 そこに『犬種』の考慮をつけ加え、安全で楽しい集まりを広げていきたいものである。

 再会.....その言葉を何度も耳にした今日、そんな事を私は考えた。
 




2002年10月16日(水) 天気:曇り・風寒し 最高:13℃ 最低:10℃

 1匹のネコが死んだ。
 私の家の子ではない、このHPに、いつも楽しい写真、レポートを寄せて下さっているKさんの所のソマリである。名前は『健太』11歳のオスだった。
 KさんのHPには、ハンサムで瞳の澄んだ健太がいる。我が家のロシアンブルーのネズミと同じく、尿路結石の持病があったが、処方食とKさん御夫妻、そして仲間のネコや犬たちの存在に励まされて、元気に暮らしてきた。

 しかし、今日、突然の病には勝てず、Kさんの腕の中で、静かに呼吸を止めた。
 
 すでに立つ事すらままならぬ時に、健太はトイレでの小便を望んだと言う。Kさんが、尻を支えた、健太の最後の尿がトイレを濡らした。

 何という子だろうか、肺に病を抱え、呼吸は切迫していても、ネコとしての矜持を守ったのである、健太は......。

 『可愛がっていた犬やネコが死ぬと、どうですか?悲しいでしょう?』
 親切にも、そう聞いてくださる方がいる。もちろん悪意ではない、中には『可哀想だから、私はとても飼えません....死が辛くて』と、付け加える人も多い。
 
 私は答える、
 『そうですね、思いきり1000メートルを60秒で走りたい気持ちです、大声で叫びながら...』

 これだけは、体験をした方でなければ判らない事なのかも知れない、そして、その人間個々の受け止め方、悲しみの表現は、その方、個人のものであり、一般論では語る事ができないだろう。

 でも......である。これだけは言えるのではないだろうか。
 『今は、とても辛いけれど、お前の死まで付き合う事ができて、私は幸せだった、本当にありがとう、静かに休んでね、忘れないよ!!』

 愛するものを失うことは、心のヒダに思い出を定着する。
 そこから徐々に滲み出てくる、ほんのり甘く、そしてせつない温もりがいつの間にかエネルギーとなり、その人の言葉、行動に「より昇華した優しさ」を形作るのではないだろうか。

 Kさん御夫妻は、私と女房が生き物たちの死を前にした時のように、今夜、眠れぬままに健太の思い出を無言で語り合っているのかも知れない。
 言葉はなくとも、互いが何を思い、何を悔い、何を感謝しているかがよく判る、静かな夜を過ごしているのかも知れない。

 そして明日、夜が明けたら、顔の皮を指で引っ張ってでもいい、餌を、散歩を求めて来る連中(犬、ネコたち)に、いつもの笑顔を向けていただきたい。
 そこには、私たち人間を大いに元気づけ、勇気を与えてくれる、素晴らしい瞳が待っている。
 

 

 



2002年10月15日(火) 天気:晴れのち曇り 最高:19℃ 最低:1℃

 寒い朝だった。霜が樹木や草を白く変え、犬たちの吐く息が逆光に輝いていた。旭川では氷が張ったとテレビのニュースが伝えていた。ここも間もなくの事だろう。

 夕方、犬たちとの散歩を終えると、急いで釧路に向かった。
 車の中に、4半世紀以上ともに暮らしてきた夫婦二人だと、それほど話す事はない。私はラジオのスイッチを入れ、24年ぶりに祖国の土を踏んだ5人の方のニュースを聞き、助手席の女房は、前方斜左に視線を向けて、ライトに照らされた路肩と暗い林の際あたりを静かに見つめていた。

 『あっ、キツネ!尾が太い....』

 『おっと、シカだ、あぶないあぶない....』

 『あれっ、ネコかな?左の方....』

 まるで、声の大きな独り言のように、突然に二人のどちらかの声が響く。そう、車のライトに照らされて、原野の生き物が姿を見せた時に、夫婦の間に共通の興味、関心が呼び戻され、二言三言の会話が復活する。

 娘の入院している釧路の病院と我が家の、往復190キロの間に、そんな出来事が10回あった。
 キツネの出現が3回、エゾシカが2回、ネコが3回、そしてネズミが1回、犬が1回だった。
 路肩で立ち尽くし、瞳がライトを反射していたのが、エゾシカとネコ、そして1匹のキツネである。残りのキツネとネズミは道を横切り、犬は並走の形になった。

 秋から初冬にかけては、もっとも人間以外の生き物との交通事故に気をつけなければいけない時期である。慎重に70ほどで走る私の車を、一瞬に追い越していく連中は、おそらくエゾシカの習性を知らないのか、それとも自殺願望でもあるのだろう。
 もし、少しでも心得ているのなら、100キロ以上の大きな身体が突然に飛び出てくる恐怖と結果を想像できるはずである。実際に、毎年、何人もの方が命を失い、多くのケガ人が出ている。
 
 『自分だけは......』
 そんな楽観主義は私も大好きである。しかし、これを押し通すには、余ほどの覚悟が必要なのでは....。

 ライトの中に生き物たちの姿を確認し、夫婦が会話を取り戻すたびに、私は、そんな事を考え、今、ここで、こうして生きている事を感謝した。

 ラジオの特別ニュースは、真っ暗な原野を走る車の中で、静かに続いていた。



2002年10月14日(月) 天気:霧のち快晴 最高:18℃ 最低:10℃


 昨日は、メス犬たちに発情が来た時の、オス犬への影響、それによる行動変化を書いた。片方だけでは片手落ちである、オス犬にとって実に大きな存在である相方の特徴的な『発情期行動』も並べてみよう。
 では、10月14日....石川家メス犬軍団、その行動記..である。

(1)隔離柵の中で、よく眠りもせず、ひたすら歩き回っていた
   のだろう。ラーナ、ダーチャに白い毛は、どこにも見当た 
   らない(サモエドなのに)。
(2)ダーチャと同じ柵に入っていたベコの首筋(肩の部分)の
   毛が濡れている。これはダーチャにマウントされた時のヨ
   ダレの跡である。メスも発情期はやたらと乗りたがる。
(3)隔離柵の中に、通常よりも多い小便の跡があった。
(4)ロングリードで繋いで柵から出すと、まず、お気に入りの
   のオスの所に真直ぐ向かう(発情ピークの犬、今日はダー
   チャ、ベコ、ラーナ)。そして尻を向ける。
   もちろん、彼女たちには犬種は関係ない、この秋の1番人
   気は、柴のシバレである。次いでマロ、もっとももてない
   のがタドンである。我が家のメスは面食い?それとも男気
   の強いフガフガと尻を嗅ぎに行く男は嫌われている?
(5)啼き叫び、クサリを引きちぎらんばかりに騒いでいるオス
   犬たちから引き離し、牧草地に向かう。その途中、普段の
   3倍の頻度で、小便をあちらこちらに播き散らす。1回の
   量は、それほど多くはない。排せつと言うよりも、匂い残
   しが主な目的なので、1度には出し切らないのである。
   今朝の散歩では、ラーナは20分で18回、小便まき散ら
   し作戦を行った。
(6)散歩の後は、いつもの小屋にメスたちも繋いだ。しばらく
   してオス犬たちが騒ぐので確認すると、隣り合わせで繋が   
   れていたダーチャとベコが、互いに小屋を引きずり、交替   
   で乗りっこをしていた。かなり重たい小屋である、これが
   できるのなら、冬、ウエイトプルでも好成績だろう。
(7)もちろん、食欲も落ちる。ラーナ、ベコは、ほとんど残し
   あのタブやベルクでさえも3分の1しか食べなかった。
   しかし、ダーチャだけはペロリだった。例外は必ずある。
(8)現在、発情ではないカリンとミゾレも、匂いプンプンのメ
   ス犬たちが気になり、尻を嗅ぎに行っては唸られている。
   これでケンカになる事もよくある。
(9)これは、今日のデータではないが、以前、確認をしたとこ
   ろ、発情中のメスは心拍数が通常よりも高く、絶えず舌を
   出し、ハ〜ハ〜言っている事が多い。飲む水の量も増え、
   水桶の汚れも早い。
(10)さらに、これまで経験した発情期周辺での出来事を書い
    ておこう。
    *子宮、卵巣、膣の炎症。
    *夜啼き、けんか、逃走。
    *出血による汚れ。
    *室内生活での、トイレ以外での大小便、頻尿。
    *野良(もしくはフリー犬)の呼び寄せ(匂いにより)
    *乳腺の異常(ホルモン系、単純炎症等)。
    *不倫犬の誕生(人間に責任あり)。
    *飼い主の指示に従わない。
    *落ち着きのない行動。
    *人間の足等へのマウント行動(もちろんメスが..)。

 何か、書き忘れている気がする。しかし、並べただけでもこれだけの事象が起きる可能性がある.....それが、発情である。
 昨日のオスに関する事もそうだが、この時こそ、生き物として、女として輝きを持っているとも言える。命あるものの宿命として、使命として、最大の努力を年2回、それぞれ2週間少しの時間に払っているのだろう。飼い主は、それを温かく見守らなければならない。
 そして、このストレスが苦手な方、愛犬に与えたくないと言う方、近所のオス犬に影響を与えたくないと言う方は、ぜひ避妊手術をしてほしい。私の、心からのお願いである。



2002年10月13日(日) 天気:曇り時々晴れ間 最高:20℃ 最低:7℃

 記憶の淵を探ってみた.....判らない。
 何が....そう、この日記で、我が家のメス犬たちに発情が来た時に、オス犬たちがどのように変わるかを、果たして書いただろうか、それが思い出されない。
 書いたとすれば前回のシーズンだから、4月から5月の事になる。それから6ヶ月弱、周りの景色が変わっているのだから、そして、犬たちも6ヶ月老いたのだから、けして状況は同じではない。それを言い訳に、今日、書く事にしよう。題して『メスのお尻パワーのオスに対する影響』である。

 我が家で、卵巣、子宮を持ったメス犬は9匹になる。どの子も現役であり、排卵日近くに交尾をすれば妊娠が可能である。
 対する、タマタマ付きオス犬軍団は6匹、12歳のマロ親分の精子数は怪しいが、他の連中は、これまた妊娠させる能力がある。
 
 2002年秋・犬発情記録ノートの最初の記載は、ヘアレス犬のカリンだった。9月中旬の事である。次いで、下旬に柴犬のシグレ、そして月末にレオンベルガーのベルクと、3匹が重なりあう形で、小便の回数を増やし、陰部からの出血をみた。
 オス犬たち、特に6匹の中でもオスッ気の強いフレンチブルのタドンは、それほどはっきりとした出血がないうちから、カリンやベルクの小便の跡を嗅ぎまわり、そして、メス犬たちに怒られるのにも関わらず、陰部に鼻を突っ込んでいた。
 
 10月に入ると、ベコ、ダーチャも匂いをまき散らし始めた。ベルクたちはピークにさしかかっている。こうなると、マロを含めて全てのオス犬たちが、ソワソワとし、いわゆる『男として特別な月間』に突入する。
 それは、どのような現象となって現れるか、箇条書きにしてみよう(オス犬においてである)。

(1)まず、食欲の減退である。普段の3分の1でも残す。
(2)散歩でフリーにすると、気が済むまでメス犬の小便跡を探 
   しまわり、その上に自分の小便を掛けている。人間が呼ん
   でも、すぐには帰らない事が多い。
(3)自分の小屋、そして、メス犬の小屋にも小便を掛ける。
(4)他のオス犬が発情しているメス犬に近づいたり、メス犬が
   寄って行くと、狂ったように吠える。
(5)メス犬たちが隔離柵に収容されると、そこへ駆け寄り、柵   
   越しにウロウロ、人間がリードで引いても座り込んで抵抗
   を示す。『行きたくないよ〜』である。
(6)通常時は、互いに遠慮をして、ケンカを避けているオス犬
   同士が、唸りあい、時には闘いにまで発展する事もある。
(7)夜中に大騒ぎ....オス犬たちが一斉に吠えている。何と、
   近隣の野良(もしくは繋がれていない)オス犬が近くまで
   来ていた。マロのクサリが切れ、来た犬に襲いかかって傷
   を負わせた事も過去にはある。
(8)水桶をすぐにひっくり返してしまう(絶えず動き回る、も
   しくは、思いが遂げられない事への八つ当たり)。
(9)タドンにおいては、3日に1度ほど、朝、チンポコの亀頭
   部分が大きくなったまま収納不可能となり、痛み等で情け
   ない顔をして人間に助けを求めている。何かに接触し、傷
   ついた事もある。
(10)落ち着きをなくし、過剰に物事に反応し、人間の言葉を
    聞く耳を半分近く失ってしまう。
(11)繋ぎ方が悪かった、クサリが切れた、メス犬が脱走した
    等々で、運が悪い事に(人間にはである。犬にはラッキ
    ー?)予定外の子犬が生まれる事もある。
(12)メス犬が受け入れる排卵日周辺以外に乗ろうとして、強
    い拒絶にあい、身体だけではなく、心にも傷を負う事も
    ある。
(13)転位行動のひとつとして、穴掘り、小石などを食べる事
    もある。


 まだまだ、オス犬たちが示す行動は多くある。基本的に、オス犬には発情期はない(規則的な)、あくまでもメス犬によって喚起される行動である。従って、住宅の密集した所(人間がたくさん住んでいる所・・飼い犬の多い所)では、できるだけ避妊・去勢をすべきだと私は思う。その犬の健康に役立つだけではなく、メスだったら、発情の匂いで近くのオス犬を惑わす事がなくなり、オスであれば、良い香りが漂ってきても、それほど影響を受けずに済む。
 明らかに、飼い主、犬ともに、無用なストレスから、かなり解放されるだろう。

 我が家における年2回、合わせて2ヶ月間に及ぶ発情騒動を、普段と何ら変わらず過ごす犬が2匹いる。カボスとメロンである。
 オスのカボスは、これ幸いと、カザフたちタマ付きオスが残した餌を食べ回り、今は55キロになってしまった。
 メスのメロンは、陰部からの出膿、乳房の腫れる事も無く、元気に馬糞探しに出かけている。
 去勢と避妊が2匹に通年の平和をもたらしている。

 そして、今日.....アラルとタブに発情が始まった。隔離柵が不足する状況になってしまった。
 



2002年10月12日(土) 天気:快晴 最高:21℃ 最低:4℃


 世の中は連休に入った。屋外で行動をする最後のチャンスとばかり、道東でも様々なイベントが行われている。もちろん、冠には『サケ』『牡蠣』『じゃがいも』などと、秋ならではの収穫物の名が付いたイベントである。
 
 『あなたは何処へ行きますか?』
 
 そう聞かれたなら、私は、間違いなく『牡蠣!!』と答えるだろう。それほどこの時期の地元の牡蠣は美味しい。実は、厚岸、浜中の火散布(チリップ)などの牡蠣は、Rの月に関係なく、年中食べる事ができる。しかし、やはり海水温が下がった秋からが本番である。生でよし、焼いてよし。手のこんだ料理にせずに、なるべく、そのままの形で味わいたい。
 
 普通は、生で食べる時にはレモンを搾るが、私はワインを数滴垂らすのも好みである。赤よりも、辛めの白が合い、それこそ何個でも胃袋に入ってしまう。
 幸いな事に、牡蠣は癖があるという迷信も一人歩きしており、ホヤと並んで、食わず嫌いの方がもっとも多い食材だろう。10人でテーブルを囲むと、必ず2〜3人は、敬遠する方がいる。それも我が胃の中に収容できるので、こんな嬉しい事はない。

 さて、昨日の日記に書いた『シロシメジ』を、夕食で食べた。1種類では寂しいと、女房が新たに見つけた『ムキタケ』も鉄板の上に並んだ。バターで焼いて、醤油でパクリである。
 BBSに写真と感想を書いたが、実に旨かった。特に『ムキタケ』が最高である。大きいのは15センチのカサだった。その肉は厚く、軽い歯ごたえとジューシーさが何とも言えぬ味だった。

 このような秋の宝物が、家の玄関から20〜50メートルの林で手に入るのだから、田舎暮らしはやめられない。6月には鎌で刈るほどのワラビにウドである。
 様々な不便も確かにある、例えば大きな本屋、映画館、美術館...等々。でも、ネットで頼めば、書籍もすぐ届く時代になった。
 それよりも、犬が啼こうが吠えようが、女房と怒鳴りあいのケンカをしようが誰にも聞こえない、そして、自然の恵みがすぐ目の前に、足元に転がっている豊さを、これからも大切にし、感謝をして利用していきたい。

 残ったキノコで、明日は炊き込み御飯にしてみよう。

 
 



2002年10月11日(金) 天気:快晴のち薄い雲 最高:16℃ 最低:4℃


 道内各地から霜の便りが聞こえた。今朝は氷点下の所も多かったようだ。いよいよ秋本番に突入した。これを冬と呼ぶ方もいるが、私は長い秋の途中と思っている、そうしないと、季節は冬ばかりとなり、気が重くなってしまう。各地から根雪のニュースが届くまでは、あくまでも秋である。

 このところ、女房が1册の本を手に、庭の周辺でゴソゴソしている。何ごとかと雄鶏のコッケイが様子を見に行くが、女房は黒い長靴なので、残念ながら襲われるまでには至らない。
 
 『おとうさん、今年はキノコが凄い.....雨が多かったからかな〜』
 そんな言葉に誘われ、私も黒い長靴で、庭の横のグズベリに木のあたりを探した。

 『痛て〜〜!!何だよコラッ.....』
 
 コッケイが嬉しそうに襲って来た。

 『そこは駄目よ、このところウッコイが卵を産む場所にしているから。その草むらに丸い窪みがあるでしょう....』

 良く見ると、確かに直径20センチほどの浅い穴がある。柔らかい草が底に敷いたように倒れている。コッケイは愛妻の産卵場所を守ろうとしたのだった。
 気まぐれなのか、ウッコイは何ケ所も卵を産む場所を持っている。迷惑なのはこちらで、一度、産卵に使うと、3歩進むと全てを忘れるはずのコッケイが、しっかりと記憶しており、攻撃をされる事になる。

 仕方がないと、その場を離れ、女房が地面を見つめているオニユリの花の近くに行った。開花がいつもの年よりも、かなり遅かったユリは、この間の強風にも霜にも負けず、まだ3輪ほど咲いていた。

 『これ、これっ、去年は気づかなかったんだけれど、シメジよね...』

 女房は、キノコの図鑑を開き、目の前の白っぽいキノコと見比べていた。
 そのキノコは、1ケ所に固まって7本ほどが顔を出しており、大きい傘は10センチほどあった。色、茎の感じ、ツヤ.....明らかにシメジ様であり、女房が示す『シロシメジ』らしかった。
 近縁の『ハタケシメジ』は、浜中の古い馬糞山でたくさん見つけ、よく食べていた。鍋にも、味噌汁にも、油で炒めても美味しかった。
 それよりは、色が白く、大きさも小ぶりである。

 『間違いないと思うから、食べようか....』
 
 女房が、今にも採取せんと、膝を草の上に置いた。

 『待て、待て、昔、ハタケシメジを調べた時に、これに似た毒キノコを見た覚えがある....』

 私は、図鑑を奪い、シメジの項目を順番に探そうとした、しかし、眼鏡がなかった。説明書きの文字は小さく、なんとも読み難い。仕方がないので、『シロシメジ』と思われるキノコを2個採り、眼鏡のある家の中に戻った。

 夕食を食べ終えた後、愛用の(と言っても、家の中のあちらこちらに置いてあり、どれが特に愛用なのかは不明である)眼鏡を掛け、詳しく調べた。
 結論は、『シロシメジ』であり、万が一、間違えていても『シロケシメジ』だろう、どちらも食用になる.....だった。

 今夜は、もう遅い。明日、いくつかを採取し、油で炒め、軽く醤油味で食べてみよう。バター焼きもいいかも知れない。
 
 そう言えば、夕方、近くのカラマツ林と混交林の間に、車が停まっていた。おそらく『ボリボリ(ナラタケ)』か『ラクヨウ』を探しているのだろう。この2種のキノコは、子供の頃、よく採りに行った思い出がある。大きくなると虫が食べてしまうので、雨の後なるべく急いで林に入ったものだ。
 その時に、一緒に連れて行ったアイヌ犬系のマルは、キノコを齧ってしまうので、虫だけではなく、愛犬との競争もしなければならなかった。

 さて、明日の日記には、『美味しかった』だろうか、それとも『ちょっとトイレに....』と書かれるのだろうか.....。
 



2002年10月10日(木) 天気:雨のち曇り時々晴れ間のち雨 最高:14℃ 最低:9℃

 この何日か、ノーベル賞が話題になっている。小柴博士の物理学賞に続いて、化学賞を授賞した民間企業のエンジニア田中さんは、驚きと、ある種の希望を日本に抱かせるエポックとして取り上げられている。
 もちろん、私も嬉しい。特に、ドクターでもない40代の方が(実際はもっと若い30代の時の研究開発が評価されての授賞である。凄い....!!)栄誉に輝く事に、とかく怪しい噂も多いノーベル賞選考委員会の健全さを見た思いがする。

 さて、私も今日、大発見をした。
 この研究成果も、多くの人を助けるだろう....いや、必ず、喜ばれる事になる。

 ・・・と大上段にふりかざして見たが、その成果とは、我が家の番鶏、コッケイの嘴突き、足蹴り攻撃に関するものである。
 小柴博士のペーパー(論文)は、おそらく膨大なページ数だったろう。しかし、私の発見は、わずか数行で済む。真実は実に簡潔なのである。

 では、苦節1日の真理を書かせていただこう......。

 『コッケイは、人間が履いている靴の色を判断して攻撃している。もっとも襲われやすいのは(攻撃心を解発・リリース)、黄、鮮やかな青、明るい赤、そして白、である』

 わずか2行で偉大な発見は記し終える事ができた。

 発見のきっかけは、一昨日の女房、昨日の私と、2日続けて、常に履いているミツウマの黒い長靴を濡らしてしまい、仕方なく、先日、浜中から来られた『ゆかいの家』を利用されたゲストの方が残して行った、黄色と青のツートンの鮮やかな長靴に履き替えた事である。
 
 コッケイは、その長靴で玄関から出た女房に、15メートル離れた所から猛然とスパート、そして首の羽を最大に広げ、鋭い突きの後、足蹴りを繰り返した。
 いつもならば『コラ〜!!』と叫び、怖気づに向かって行くと引き下がるのだが、一昨日は、ひるまず、逆に攻勢に出て来た。

 『お父さん、この長靴だからかな〜、この間、これで来たお客さんも、しつこく襲われていたでしょう、匂いがあるのかな〜』

 そう漏らす女房の言葉を、私は軽く聞き流していた。何度もコッケイの番鶏ぶりを眺め、それによって大ケガをするわけでもないので、他人が襲われるぶんには、けっこう楽しいショーのよ
うな感覚になっていた。

 しかし、昨日、私が同じカラフル長靴を履いて出たとたんに、やはりコッケイは襲って来た。それまで、お義理ていどに黒い長靴を蹴っていたのとは当たりが違う、かなり真剣な闘いである。

 『ねえ〜その靴だと来るでしょう。色かな〜』
 
 前日は濡れていた黒い方の靴が乾き、それを履いてコッケイに無視されている女房が、嬉しそうに言った。
 
 私も、ようやくピンと来た。
 あわてて、下駄箱から、もう一足の黒い長靴を探し出し、何とか、無難に昨日の夕方の作業は終える事ができた。

 昨日は暗くなってしまったので、さっそく今朝、様々な実験をした。
 先ず、カラフル長靴で御機嫌を伺った。見事に襲われた。
 次に黒い長靴で歩いた、無視された。
 今度は、コッケイが気づく所にカラフル長靴だけを置いてみた。何も起こらなかった、コッケイは、その靴の横で、大地の上の食い物を探していた。
 それを片付けようと、私が手に持ったとたんに、コッケイの小さな目が丸く最大に広がり、コッコッと言う鳴き声とともに、2本の足が空中を飛び、連続蹴りを入れてきた。

 『お〜い、色と動きだよ、これが重なると襲う心が強くなるんだ〜』

 真理の入り口が見つかれば、あとは簡単である。
 長靴で、色、形、動きを繰り返し確かめた。
 次に、短い靴で確認をした。この時に大きな意味を持つのは、靴とスラックスからちらちらと見える靴下の色である。やはり、黄色、薄い茶、明るい青などは、コッケイを誘っていた。

 うまい事に、今日、スカートの女性が来た。過日はスラックスで来て、コッケイに襲われている。彼女は、今日はスカートだった。
 これは突かれたら痛そう....と思っていたが、コッケイは無視していた。そう、ストッキングが黒だったのである。

 この発見は、すぐに浜中の王国に伝えよう。『ゆかいの家』を利用されたゲストの方が我が家に来る時には、黒とカラフルの2種の長靴を示し、コッケイとのバトルを確実に楽しみたい方には、カラフルを履いてもらうようにと.....。

 さて、この発見、ノーベル賞は......貰えませんね、ハイッ。



2002年10月09日(水) 天気:曇り時々晴れ後雨(またまた忙しい) 最高:16℃ 最低:7℃


 女房と一緒に、3匹の犬を連れて養老牛の周辺に行って来た。途中で「だいちゃん・アッコ夫妻・チモシー」が合流し、セン、カリン、アラルが張り切った。
 普段、同じ所で生活をしていない連中を仲良くさせるために、けっこう役にたつのは、両方の犬が知らない所(初めて行く場所.....縄張り、確認済みの場所の外)に行く事である。
 知床へ連なる山々の麓の広い共同放牧地では、青草の時期に預かり育成してきた牛の下牧作業(それぞれの牧場に帰って行く事)が行われていた。
 牧羊犬のチモシーはともかく、我が家の3匹は、どうみても牛追いはできそうにない、と言う事で、紅葉の始まった林を背に、人間を追う仕事をしてもらった。
 私や女房、そしてアッコ氏の声に、犬たちは夢中になって丘を駈けていた。

 山に入ると、新しい道路の工事が行われていた。その傍らに、工事のために切り倒したのだろうか、カラマツがきれいに積み上げられていた。それをテーブルに昼飯を食べ、さらに場所を移動して、公園の中の小さな川で遊んできた。

 帰ろうと、車のほうに向かっていた時、

 『イシカワさん、ほらっ、』

 差し出されたアッコ氏の腕に、1匹の虫が留まっていた。身体をくるむように白い綿のような物が見えた。

 『ユキムシ!!へ〜もう出てるんだ!!』

 この秋、初めてみる雪虫だった。
 正確には『トドノネオオワタムシ』などと言う長い名前が付いている。まあ、簡単に言うとアブラムシの1種である。
 でも『ユキムシ』と口にすると、何となく北の秋の使者....初雪を知らせる妖精のような感じになる。
 長いほうの名前にもあるように、この虫はトドマツの根で成長し、その後、ヤチダモに移住する。その時に白いロウ成分でできた綿毛様の物をまとっているので、可愛らしく呼ばれるようになったらしい。あの趣のある姿は、実は厳しい冬に備えてと、卵を産んで種を残すための準備である。

 『今年は、雪が早いのかな? いつもの年より虫の出も早いよね〜』

 正確な記録(雪虫の出現から何日で雪が降る.....という)があるわけではない、しかし、この小さな生き物を見つけると、『ああ、雪が来るぞ.....』と思ってしまう。

 そんな、北国の秋、小川で遊んだ時、毛のないカリンは岸辺で立ち止まったが、センとアラルは嬉しそうに飛び込み、私の長靴の中にまで冷たい水を入れていた。
 車に乗り込む前に、朱赤に色付いた桜の木に寄り掛かり、長靴を脱いで中の水を出した。
 近くの屋外テーブルとベンチでは、4人のお年寄りが話をしていた。

 『もう何回もできないべさ〜、雪ふっど!!今のうちにやっとくべ、明日も来るベか.....』

 手には煙草、足元にはパークゴルフのクラブが置かれていた。



2002年10月08日(火) 天気:曇り 最高:16℃ 最低:9℃

 9時頃には薄日も差し、気温も上がっていた。これは暖かくなるな、と思ったのは大きな間違い、どんどん雲が厚さを増し、風は東南に回った。午後になると、寒暖計の水銀は13℃前後をウロウロ、夕方には10℃を割ってしまった。

 メス犬たちに発情が始まっている。ベルクがピーク近づき、同じ柵に入れられている柴犬のシグレと、互いにマウントを繰り返している。2匹ともにメスだが、発情という身体の大きな変化がくると、犬だけではなく、牛も羊もメスが乗って来る事がある。たくさんの牛を飼っている酪農家は、わずか20数時間しかない交配の良いタイミングを、この行為で確認し、人口受精師に電話を掛けているほどだ。
 
 今日からは、ダーチャとベコ、そしてラーナを夜間だけ隔離柵に入れた。万が一、オスがクサリを外し、予定外の子犬が生まれる事や、オス同士でのトラブルを回避するためである。

 今回の恋の季節では、ベルクとアラル、そして、体調が良ければミゾレを交配する予定である。すでに、3日前からベルクは、オスのバルトの柵の中で夜を過ごしている。うまくいけば12月の20日頃には、可愛い子犬を見る事ができる。楽しみである。

 発情が始まると、気を使うのが散歩である。
 いつものように、クサリを外し、フリーにしてしまうと、排卵に近いやつからオスの所に行ってしまう。そこで、出血が始まって3日目からは、女房と私がリードでコントロールをしながら、枯れ草の増えてきた牧草地に行っている。
 
 メス犬たちは、身体の奥からの指令に従って作戦を実行する。そう、小便の回数が、普段の3倍近くに増えるのである。
 この効果たるや素晴らしいもので、メス犬たちを隔離柵に収容した後で、マロ、カザフ、セン、タドン、シバレなどのオス犬を放すと、全力で牧草地に駈けて行き、それこそ、全てのメス犬小便跡を探し出すぞ....という気構えで、鼻を大地に擦り付けるようにして嗅ぎ回り、痕跡を見つけると、片足をあげて自分の小便をかけるのだった。
 こうなると、私の声は、あまり効果がない。よほど近くで呼ばない限り、ある程度の時間が経過するまでは、振り向きもせず、お義理程度に尾を振るだけである。
 でも、さすがに去勢効果である。タマなしカボスだけは、いつもと変わらず、センに近づいて遊びを誘っては、「今は、女の匂い探しで忙しいんだ、ウルサイ!!」と怒られ、仕方がないと、私の手にじゃれついて来る。

 この騒動は月末まで、いや、来月の頭まで繰り広げられる。ある意味では、生き物として輝く季節でもある。
 注意深く観察し、男と女のドラマを見つめ、子犬の誕生を待ちたい。



2002年10月07日(月) 天気:大雨のち快晴 最高:17℃ 最低:8℃


 昨日から、掲示板で犬の権勢症候群が話題になっている。その基本は、犬が飼い主家族を群れの1員と考えており、甘やかして育てると、自分が1番上位と思い、わがままになる.....と言う論理である。
 私は、この考え方に大いなる疑問を持っている、いいや、はっきり言うと、間違いだと考えている。どこに、犬と人間を混同する愚かな犬がいるだろうか。

 今日、その証拠を示す、良い出来事があった。

 遠く三重から、改造したマイクロバスに、13匹の飼い犬を乗せ、Nさん御夫妻が寄ってくれた。
 犬を乗せているからと、長い距離のフェリーは利用せず、青森と函館間だけを船に乗せ、あとは陸路を走って来られた。
 北海道に入ってから、我が家に来る前に、旭川の近くに寄られている。Nさんは、ドイツ原産の大型犬レオンベルガーに惚れ込んでおり、13匹のうち7匹がレオンだった。残りは、大きさがレオンとは大きく異なる小型愛玩犬のチベタンスパニエルで、それが5匹、残りの1匹は、レオンにひけをとらないバーニーズマウンテンドッグだった。

 先に寄られた所では、我が家のレオンベルガー、ベルクの3年前の子、2匹に会ってらっしゃる。オス、メスだが、見事な姿、大きさ、そして性格でした、と言われ、実家の乳父としては嬉しくなった。

 さて、大雨の中を我が家に来られたNさんに、私は、長い旅、車の中の生活で犬たちに、疲れとストレスがあるのではと、広い場所で自由に解放してやる事を提案した。
 旨い具合に、牧場には240坪ほどの調教用の屋内馬場がある。入り口にバスを横付けにして、ケージの中で身体を丸めていた連中を出した。
 
 この13匹は、間違いなくNさんの家の『群れ』である。すべての犬が、相手を熟知しており、ヒエラルキーが出来ている。

 私は、美味しい井戸水を大きなボウルふたつに汲み、運動場の真ん中に置いた。
 嬉しそうに全力で駆け回っていた大きなレオンたちが寄って来て、旨そうに水を飲んだ。マスチフ系の犬が水を飲むと、ボウルの中によだれが落ち、ヌルヌルの水になる。私は4度ほど、水を汲み替え、13匹の遊び、駆け回り、大小便、そして群れの挨拶、緊張などを観察した。

 突然、オス同士が肩の毛を立て、唸り声を出した。数匹が集まり、緊張が高まった。

 『こら、仲良くだよ...!!』
 Nさん御夫妻の声が飛んだ。

 話によると、上下の関係が、まだ本当の決着までには至っていない2匹だと言う。確かに、常に互いを意識しており、片方が小便をすると、もう1匹の方も、同じ所にマークをしていた。

 Nさん御夫妻と、様々な犬の話をしながらの1時間半.....13匹の群れ犬は、休む事なく動き回っていた。

 それなのに......である。
 私は、彼らから唸られもしなければ、もちろん襲われもしなかった。
 
 もし、人間も犬の群れの1員であるならば、私はN家の13匹にとっは他所者、イシカワ家の群れのメンバーである。少なくとも、確認は受けなければならないはずであり、もし、私が中年のオス犬だったら、追い出されるか、下手をすると集団暴行事件の被害者になっているはずである。
 しかし、私は5体無事だた。

 N家の重鎮、オスのレオン『ラント』を始め、すべての犬が、私に特別な敵意反応は示さなかった。
 『オッ、触り方が、この人間は上手だな....』と言う調子で、身体を預ける甘え方をしてきた子は、何匹かはいた。
 それだけだった。

 やはり、私は13匹にとって、犬ではなく、犬好きの人間だった。

 



2002年10月06日(日) 天気:快晴のち曇り 最高:18℃ 最低:6℃


 浜中の王国に行ってきた。
 先日の台風21号が過ぎてからは、これが最初の訪問になる。あの台風は、苫小牧に上陸し、そのまま北上を続けてカムチャッカに消えた。スピードが速かったので、酷い雨と風は、短い時間で済み、それほど被害は出なかったと考えていた。
 しかし、王国のゲートの前で車を停め、柵の中の建物を見て驚いた。昨年、修理をしたばかりの犬舎のトタン屋根が吹き飛んでいた。60坪の建物が4棟並んでいるうちの、ゲートに近い犬舎が、被害にあっていた。

 私の車だと知っている犬たちがジャーキーを貰いに寄ってくるのを確認し、注意をして母屋前で車から降りた。
 そして、ラブラドールのサンゴの子犬たちに会いに、中庭に入ろうとして、再び驚いた。出入り口に覆いかぶさるように、太いダケカンバの木が倒れていた。頭を下げ、大きく迂回して中に入ると、前方に、もう1本の木が柵に寄り掛かるようにして寝ていた。
 その下にサークルが置いてあり、私の姿を見つけて元気者のサンゴの子犬たちが駆け寄ってきた。
 もし、柵がなかったらサークルを直撃する方向で、根元の太さが直径80センチはあろうと言う、これまたダケカンバが風の被害にあっていた。

 私は、なぜかその場から離れ、足元にじゃれ付いてくる子犬たちを引き連れたまま、庭を海に向かって下り、振り返って2本の倒木、そして、その奥で、4時というのに既に灯りが窓から漏れてくる母屋を見た。
 
 『ふ〜、倒れたか....』

 ため息が漏れた。茶と黒、それぞれの子犬たちは、私の感傷的な胸のうちも知らず、長靴をよじ登ろうと、前足をかくようにして必死に兄弟同士で争っていた。

 2本のダケカンバには思い出があった。
 出入り口を塞いでいた木は、私と女房が人口哺育をしたエゾシカのジャックが、私に叱られた時に身を隠し、立派な角を備えた太い首を、幹の陰からそっと出し、こちらの様子を伺う為の防壁になっていた。自分では、身体全部を隠しているつもりなんだろうが、頭は幹の左から、そして右側から大きな尻が出ているのが、何ともおかしかった。
 
 『もういいよ、おいで、ジャック、分かったから....ほらっ、これをあげるよ.....』

 ポケットからビスケットなどを取り出し、話し掛けながら示すと、
 『フェ、フェ、フェ〜』
 と鼻声を出し、耳を犬のように倒しながら、恐る恐る寄って来ていた。

 もう1本の木は、母屋に近く、一時は、犬をクサリで繋ぎ、ワイヤーに滑車を付けて行動半径を広げるための支柱にもなっていた。王国初期の頃の事で、これを知っているのは、私と女房だけになってしまっている。
 私は、そこで幹に背を当て、足元で横になっている犬とともに、よく昼寝を楽しんだ。すぐ前の大平洋(浜中湾)の潮騒が子守唄であり、時に、正面の岬から霧笛が届き、やがて、ひんやりとした海からの霧を肌に感じて目を覚ますのだった。
 その木も、根を90度に立て、赤茶の土を付けたまま、すでに枝にしがみついている葉は水分を失い汚れた枯れ葉色になっており、小さな虫が、棲み家を壊されたのか、それとも、これから作るのか、赤土の上を熱心に行き来していた。

 その後、母屋に入り、タケダさんの部屋で生まれ、順調に育っているチベタンスパニエルのポニー親子に会った。初めての出産だが、ポニーは面倒見の良い母であり、4匹の子犬たちも、必死に乳首にすがりつく『生きるパワー』を備えていた。
 もちろん、まだ目も耳の穴も閉じており、鼻の頭もピンクだった。
 しっとりと私の手のひらに馴染む子犬独特の毛の寝た身体を、宝物のように抱き、潰れた顔に鼻を寄せて匂いを嗅いだ。
 新しい命、そして消えてゆく大木の命.....30年余の、この場所での命の営みの事、その刹那、せつなの輝きを、嗅ぎ慣れた匂いの中に思い出していた。
 それは、終わりなき変化なんだろうと.....。



2002年10月05日(土) 天気:曇りのち晴れ 最高:19℃ 最低:8℃

 不思議な事ってあるものだ。
 今日、久しぶりに会った友人とセントバーナードの話をした。王国には代々、ボスと名前の付いた子が飼い継がれている。話題になったのは、ボスたちではなく、主にレオの事だった。
 友人も知っているレオは、もう、かなり前に死んだオスの
バーナードだった。
 ある事情が重なり、飼い主家族までも噛むようになり、相談を受けたムツさんが引き受け、心のリハビリをした。大きな子で、体重は90キロを超えていた。
 王国での生活でレオは見事に心の病から抜け出し、30匹を超える可愛い子犬の父となってくれた。餌の担当は、私がもっとも長かったかも知れない。
 1度だけ、私はレオの心の傷に関する事象(棒切れ等、細く長い物を見ると目が血走り、毛が逆立つ...)を忘れて行動し、思いきり手を噛まれている。自分の手の痛みよりも、レオが人間から受けた大きな黒いモノを再認識させられ、いっそう、やるせなさがつのった。

 そんな話をした夜、BBSを開けてみると、何と、セントバーナードの飼い主さんが、立ち寄られていた。2歳、散歩が大変と仰られていた。
 その事に関して、私は返事を書かせて頂いた。けっこう長くなったので、消えていくのが惜しい気持ちもあり、今日の日記として、転載させていただく事にした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 (10月5日  BBSに記載済み)
 コロのママさんへの返信


 さて、バーナードですね、素晴らしい犬種ですね〜。
 私も30年、子犬まで入れると50匹ぐらいのバーナードと楽しんできています。王国には代々『ボス』の名を持つ子がいます。初代だけがオスで、後は、今の6代目までメスが名前を継いでいます。
 これみつさんが、サモエドでオスとメスを区別されていますが、まさに、その通りです。まあ、群れの生き物であるが故に、犬のオスは強くあらねばなりません。小型の犬なら問題はないのですが、やはり大型のバーナードとなると、力だけでも相当なものです。
 過去にも、こんな事件がありました。
 お母さんが散歩の時に、力で負けないように、腹部に引き綱をくるりと回し、結び付けていたのです。
 そして散歩の途中、何かに夢中になったバーナードは線路に入ってしまいました。身体に綱を結んでいたために、放す事ができず、亡くなられたのです。この子もオスでした。
 コロ.....名前から判断すると、オスのようですね。できれば、初めてのバーナードはメス、それも避妊した子が飼い易いと思います。もし、飼いたいと言われる方がいたら、そうアドバイスをして下さい。
 コロに戻ります。
 2歳と言う事は、これはもうワンパクそのものの時期です。そして、逆に、自分の力を認識するようなる頃でもあります。
 それが、人間の望まぬ方向に行くのか、それとも、力を知ったからこそ、人間を気づかうのか.....その、どちらかに分かれます。
 後者にするために重要なのは、チーママ。さん始め、皆さんが書いてらっしゃいますが、『密接な飼い主との心の交流』だと思います。いかに見つめあう時間を持ったか.....です。
 それが出来ていると、犬は人間の小さな表情も読もうとします。さらに、何かをして誉められると、その行為を身に付け、再び誉められようと、仕事として頑張るものです。
 
 まず、1番の問題は『あ〜、今日も無事に散歩を終える事ができた..』....と言う世界からの脱出でしょうか。コロにとっても、人にも、散歩は楽しい、待ち遠しいものになると、世界は変わり、大きく広がります。
 その作戦として、ひっぱり癖(おそらくあると思います)の解消法、ウブのやり方を書かせていただきます。
 コロの大好きなオヤツをポケットに用意して下さい。散歩に出ます、引いた.....と思ったら、ひと呼吸おき(すぐにではありません)、視線を向けるまで名前を呼びます。見たところで、わざとらしく、大袈裟にポケットからオヤツを取り出し、『どう、食べる?』と、ニコニコ顔で誘います。
 食べたくて寄ってきたら、オヤツを与え『いいこだね〜お前は、すぐに戻ってくれたんだ〜分るんだね〜凄い!!』
 と誉め、なで回します。
 食べ終わったら、また散歩を続けます。
 そして、また、突然に呼び戻し、ポケットから大好物作戦を行うのです。
 何かに夢中になると、名前を呼んでも反応をはっきりと示さない事があります。そんな時は、引っ張っていなくても、普通に歩いている時に、ポケット作戦を行って下さい。これで、あるトーンで名前を呼ばれると、いい事が起きる....それを覚えていきます。
 あくまでも、オヤツは突然に与えて下さい。常に見える形で持参していると効果が薄れるか、興味を失いがちです。
 ポイントは『呼ばれると駆け寄る』・・・これを仕事とコロに認識させる事です。
 仕事ですから、上手にできた時には、誉めて、御褒美です。それによって、コロの認識がしっかりしていきます。
 これができるようになると、いつでも、どこでも人間に注意をはらう確率が高くなります。
 しかし....です。
 バーナードはラブラドールではありません。大型マスチフの代表的な仕事である、番犬....それも飼い主がいない所でも、物、エリアを守る事ができる頑固で素晴らしい能力を備えています。自己判断で行動を起こす事ができるような個体だけを何百年、いいえ、姿は変わりましたが、二千年の昔から、人間は選択淘汰して、今のバーナードに繋いできました。
 この能力は、家庭犬としては、もっとも不向きなものです。それが、必ず身体のどこかに潜んでいる.....これだけは認識しておいて下さい。
 従って、プラリと行方不明になり、数時間後に戻ったバーナードを叱ると、とても心が傷つく犬種なんです。
 誉められる事によってしか、絆を強くしていく方法がない犬種とも言えます。
 飼い主が考えるのは、いかに誉められるシチュエーションを作ってあげられるか.....それだと思います。
 大型犬のせつない特性の一つとして、寿命の短い事があげられます。柴やサモエドのように15歳がザラというわけにはいきません。7〜8歳は老年と考えなければならない犬です。
 今がコロの青春....思いきり身体でぶつかり、思いきり抱き締め、思いきり声をかけて、大型犬ライフをお楽しみ下さい。
 ぜひ、可愛い写真もお待ちしています。
 何か、ありましたら、いつでも声をかけて下さい、お待ちしています。
 追記
 コロがオスで、まだ去勢をされていないようでしたら、ぜひ手術をお勧めします。犬にも人間にもストレスが少なくなります。
 



2002年10月04日(金) 天気:快晴のち薄い雲 最高:24℃ 最低:7℃


 住んでいる町、中標津の事を少し書いてみよう。
 
 不思議な事に、毎年、わずかではあるが人口が増えている。これが大都市の周辺の町だったら、ベッドタウンとして家と人が増加するのは判る、しかし、周辺に何も無い所で、今どき人が、それも若い人が増えているのは、北海道でも特異な現象である。
 
 その人口は、24000人、ここ根室地域では、根室市に次ぐ数である。もうひとつ特徴的な事をあげておくと、それは、老人の数が道内でも少ない自治体である、という事だろう。やはり、何かエネルギーがあり、周辺の若い人たちを吸収している。
 その理由の一つは、首都圏と直行便で結ばれている空港がある事だろう。羽田から2時間弱の便利さによって、各会社、各役所の出先機関が設けられている。
 商業の売り上げも根室を超えている。人口では1万人ほど少ないが、物は売れているし、店も多い。
 さらに、凄いのは、飲食店の数とパチンコ店である。飲み食べのできる所は200に近く、チ〜ンジャラジャラの音は7つの店から聞こえてくる。
 明らかに商圏は、根室地区全体に広がっている。大人になると、ひとり1台の車で行動している地域である、若い人たちには100キロ、150キロの距離は、どおってことのない事である。

 幸いと言ってはいけないのかも知れないが、中標津には海がない。従って200海里の問題をはじめ、漁業の苦悩とは無縁だった。これも町が衰退しなかった理由に入るだろう。だからと言って、隣の別海町のように、酪農に関わる比率もそれほど高くはない。牛の数で言えば、別海の3分の1。40000頭ぐらいだろう。まあ、この数でも住民の人数より多いのだから、凄い事なんだが、特に酪農の町という感じは、この周辺ではしないほうである。

 では、何が中標津のパワ〜なんだろうか....。
 考えると判らない。
 何となく皆が集まり、人が集まる事によって、新しい仕事が増えていく....その1歩1歩の繰り返し、積み重ねだろうか。

 私は、12年前まで、浜中の王国に住んでいた。その後、ここ中標津に籍を置いた。もちろん、引っ越す前も、ムツ牧場、ムツさんの所に、頻繁に来てはいた。その時から、町の雰囲気が妙に明るいのに気づいていた。
 その原因が、最近判った。
 そう、人口が増えているという事は、ここで生まれた人よりも、他所から加わった人が多いのである。2代前に遡れば、圧倒的に他所ものが主になってしまう。
 つまり、シガラミがない、歴史がない.....その自由さこそが、この町の魅力なんだろうと思う。
 ある小学校の教師は言っていた、この町は、たくましいお母さんが多いと....。
 そう、小学校で保護者が母親だけと言う子が結構多いのである。北海道は離婚率が沖縄と並んで高い事で有名だが、母ひとりで、たくましく子育てをされている頑張り屋の女性が、胸を張って生きているのも、この中標津なのである。

 



2002年10月03日(木) 天気:雲ひとつなし(快晴) 最高:24℃ 最低:13℃

 怒鳴ってしまった。
 久しぶりである。その後の気分は、かなり悪いけれど、顔には出さず、修学旅行の生徒たちに、生き物の話を続けた。
 気分が悪いのは、怒鳴られる事をした生徒に対してではない、瞬間湯沸かし器になった自分に対してである。
 そうなる事は、重々承知はしている。でも、黙ってはいられない性分だから、これまたしょうがない、行動に責任を持ち、自己処理するしかない。

 原因は単純である。
 修学旅行の高校生一クラスが我が家に来て、皆が挨拶、そして私の説明を受けている時に、女子生徒が二人、あちらこちらと動き回り、勝手に犬やニワトリたちと遊び、大きな声を出していたからである。

 『コラッ、お前たちは何を考えている、誰かが話をしている時は、しっかり聞かないか!!勝手な事をするんだったら、来なくていい、帰れ!!バスに戻れ!!』

 私の言葉は過激であり、声も大きい。
 しかしである、これが、まるで宇宙人の言葉のようにリアクションをされる事が多くなったのである。
 怒られている事も、何が問題なのかも分らない子が増えている。何だこのオヤジは....?そんな感じで受け取られ、まさに『のれんに腕押し』状態である。
 
 でも、相手が大人であっても、子供でも、私は声を荒げて怒鳴る事はやめないだろう。
 特に、子供の場合は、その鉾先は同伴している保護者、そして先生に半分は向けて発言している。
 
 『おいっ、アンタたちも、しっかりしなさいよ....!!』
 そうエールを贈っているつもりである。
 
 もし、今日のような場面で私が担任だったら、その生徒は力づくでも列に入れ、わずか数分の儀式に参列させる。それこそが教育者の、もっとも大切な仕事と思う。社会に出しても通用する人間を育てているのが高等教育ではないだろうか。
 『恥じを知る』『場の礼儀』.....死語になってしまったのかと悲しくなってくる。そう、あの札幌のスーパーの返金騒動を見るにつけても.....。

 さて、怒鳴った後のことも書いておこう。
 挨拶よりも、説明を聞くよりも、犬に近寄り、ニワトリに手を出すほど生き物好きな二人だったから、怒鳴れれて3分後、私の説明が終わってからは、すぐにマロたちに寄って行った。
 ほとんど私の怒鳴り声は応えていないようで、十分に生き物を楽しんでくれた。私が近寄り、個々の犬たちの事を話すと、返事がすぐに戻ってきた。
 拍子抜けの私をしり目に、二人は、ニコニコとして帰って行った。
 
 良い子たちである。
 しかし、誰かが、チョッピリのマナーを伝えてあげるべきである。そうすれば、彼女たちは世界に通用する.....あれほど上手に、初対面の犬ネコと付き合えるのだから......。

 



2002年10月02日(水) 天気:暴風雨のち快晴 最高:23℃ 最低:12℃


 落ち葉と折れた枝を置き土産に、台風は駆け足で北へ去って行った。我が家のバケツに溜った雨水から推測すると、降雨量は200ミリを超えたようだ。
 雨も強かったが、それ以上に風が凄かった。まだ葉を付けている季節である。樹木は唸りとキシミをたてながら大きく揺れ、我が家も揺れが感じられた。

 この状況は、犬たちにも恐怖を与えた。何度か、様子を見に行くと、ラーナやアラル、そしてシグレなどは、小屋から出て、雨に打たれながら、耳を倒し、唸りが響き渡るたびに、身体を震わせていた。
 そんな中でも、平気で寝ているヤツもいた。カリンとカボス、そしてタドンにミゾレである。天候には勝てません、とでも言うように、小屋に入り、顔を入り口から遠ざける形で、身動き一つせずに熟睡していた。
 繊細な子と、神経の太い子が、はっきりと分けられていて、普段の行動と重ね合わせると、何となく頷く事ができた。

 幸いにも、雨は10時には収まり、北から東南、そして南西にと忙しく変わった強い風だけが残った。気温はグングン上昇し、昼頃には23℃まで上がり、暑いと感じるほどになった。
 心配していた神奈川の高校も、1時間、予定を遅らせて無事に到着した。見事に髪の色だけがインターナショナルな生徒たちが、これまた見事に全員、犬、ネコ、ヤギ、そして乗馬を楽しんでくれた。
 選択コースではなく、全校行動にもかかわらず、犬に近づけずに、2〜30メートルほど離れた、犬がもっとも怪しがる所で立っている子は、一人もいなかった。
 何となく、こちらも嬉しくなり、全員を、狭い我が家の中に交代で入ってもらい、ネコたちとの交流をしてもらった。

 今日は、第1陣である。明日、残りの3クラスがやって来る。もちろん、秋晴れの王国にである。

 さて、キツネの話題を今日も書かなければならない。
 この間、交通事故で前足を骨折し、我が家に収容されたオスギツネが、すっかりキツネ舎での生活に慣れてきた。
 何度か調べた結果、骨折は、自然治癒に任せる事にした。それが旨く行き、腫れもせずに、見事に繋がり、今日あたりは、かなりの負荷をかけて歩き回るようになった。
 そして、そして、とうとう部屋の入り口の戸の上に、駆け上がる事に成功した。
 幾分、曲っては見える。しかし、痛みも消えたのだろう、私や女房が小屋に入ると、元気に4本の足を動かして、餌の催促に寄って来ている。

 面白いのは、同じ小屋の別の部屋にいるキツネのハックとラップの姿を見た時は、耳を倒しはするが、何も言わなくなった。しかし、ウサギが戸の前をチョロチョロすると、『カッ、カッ、カッ』と警戒の声を出している。
 同じ声は、女房が箒を手に部屋に入った時にも出している。餌を手に入る時は、ただただ食べたいと寄って来るだけだが、掃除の時は、声を出すと同時に、まるで親の仇のように、箒に噛みついている。
 この元気の良さなら、野に還す事ができるかも知れない。そのためには、もっと広い所で、駆け足、ジャンプなどのテストをしなければ.....。
 さて、どうしたものかと、私は考えている。



2002年10月01日(火) 天気:曇りのち強い雨、そして風 最高:13℃ 最低:12℃

 この日記を書いている今の時間は、10月2日、午前3時45分である。
 昨日の午後から雨になり、深夜まで断続的に強い降りになっていた。それが、テレビをつけたまま床の上で一眠りしている間に、風と雨が家を揺らすまでになっていた。

 台風21号である。
 現在は北海道の何処に上陸しようかと伺っているところのようだが、すでに影響は大きいものがある。救いは速い移動スピードだろう。このまま時速90キロで突っ走ってくれたなら、午前中に収まるかもしれない。神奈川から修学旅行の高校生が11時にやって来る、何とか青空と大地の上で様々な体験をして欲しい。

 夕方、娘が入院している釧路に、女房を乗せて走り、元気な顔を見た後、急いで戻って来た。ワイパーを速いほうにしても追い付かず、視界が悪いので、しっかり安全スピードでの運転である。街灯などは、まったくないルートなので、真っ暗な中に、自分の車のライトだけが頼りであり、それは大雨だけを映し出していて、一種、異様な光景だった。
 
 自然に、昔、何度もみた映画のワンシーンが頭に浮かび、
 『ダ〜ダ〜ダ〜ダバダバダ、ダバダバダ....』
 と小さく口ずさんでいた。
 フランス映画『男と女』のテーマだが、これを歌っていたピエールは一度、王国に寄ってくれている。その時に、王国の仲間で編成し楽しんでいる「長ぐつバンド」とステージでジョイントをした。彼のバックをした曲は、やたらと転調が多く、苦労したと記憶している。
 
 そして、昨年の秋、無念にも先立ったEッちゃんとピエールが、中標津の野外ステージでデュエットをした曲....その見事な絡みあいは、今も心の奥に焼き付いており、フルートで吹いた間奏のフレーズとともに、何故か、『夜』『運転』『強い雨』『対向車も来ない独り道』の4つのキーワードが揃うと、目の前に鮮やかに蘇ってくる。

 何度も、ダバダバと繰り返し、国道から外れて我が家への道に入ると、ますます雨は強く、そして風も出て来た。道横の樹木は、うねるように形を変え、ヘッドライトの中では、まるで生き物のように枝を離れた葉が舞い踊っていた。

 万が一、庭の木が倒れた時にも無事なようにと、いつもとは異なる所に車を停め、あわてて家に入ろうとすると、女房が叫んだ、
 『こんな酷い天気なのに、お父さん、ルックが来ている!!』

 ヤギのメエスケの運動場の前に、目を細くしておすわりをしたキツネがいた。黄金色の毛は濡れて身体に張り付き、姿を細くしていた。
 
 3年前なら、いや、昨年までなら、こんな嵐の時には、絶対に出現しないはずだった。どこか安全で風雨を避けられる所で潜んでいるのが野生の仕事だった。
 空腹に耐えかねて現われたのは、『老い』......その言葉しか理由が見当たらない。
 女房は、いつもよりも多めに、ルックの好きな物を与えていた。
 
 ルックが立ち去った後、しばらくして雨と風は向きを変え、北側の窓を打つようになった。