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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2002年12月31日(火) 天気:快晴 最高:−7℃ 最低:−20℃

 『来年こそは.....』・・この言葉を私は禁句にしている。
 その理由は簡単である、何となく言い訳が裏に潜んでいるように思えてならないからである。犬にせよネコにせよ、そして馬であろうと人間であろうと小さな虫だろうと、生き物としての共通項は一つだと思う。
 『いつ死がやってくるか誰にも判らない』
 ではなかろうか。

 極端な言い方をすると『確たる明日』がないのが生き物だろう。従って、今日の不勉強、現在の不幸、それまでの怠け具合を棚に上げ、ひたすら明日に希望だけを繋ぐのは、やはりせつない感じがする。

 私たちは、過去を刈り取って栄養に替え、今を具体的に活かしていかなければならない。その時その時の全力投入こそが正しい道だと思う。
 もちろん、新しい時に期待を持つ事はおかしくはない。ただし、それは何処かから、そして誰かが何とかしてくれる....ではなくて、自らの心と手でかち取る行動予定であるべきだ。

 2002年が寒気の中で終わった。
 2月に書き始めたこの日記を何ヶ月分か読み直してみた。様々な事が起きていた。すでに忘れていた事も多く、当時の自分の心のあり方が、今では納得できないケースもあった。
  そう、人間は毎日1歩1歩足を進めるたびに、確実に変化をしているんだと思う。
 それは変節でも妥協でもなく、やはり進化ではなかろうか。経験と学習によって、目の前の黒い物が白くなる事もあり得るのが生き物の『心』だと、私は信じている。

 1年を日記で振り返り、自分の足跡の上を再度放浪し、今、落ち着いた気持ちで2003年を迎えている。

 『明けまして、おめでとうございます!!』

 



2002年12月30日(月) 天気:晴れ時々曇り 最高:−4℃ 最低:−15℃


 仲間たちと楽器を演奏する事は、群れ型動物である人間の基本に合致するのではないだろうか。
 互いの音を気づかい、時に自己を主張し、そして引き下がり、やがて音と、それを紡ぎ出す心のうねりは高まって行く....。
 そこには人間の命の根源的な喜びがあるような気がしてならない。
 
 タイトルは忘れたが、かなり前の映画で、原始人の物語があった。ビートルズのリンゴ・スターが出演をしていた。その映画の中で、たき火を取り囲んでいた原始人が、その辺にある石、丸太、棒切れなどを使ってリズムを刻み、合わせていくシーンがあった。私は、まったく客のいない映画館の暗闇で、ひとり身体を震わせていた。ひとりから始まり、次々と仲間が加わってリズムが太くなって行く様子、その流れに翻弄され心を掴まれていた.....。

 実際の生活では、食料等と異なり必需品とは言われない。しかし、音楽の存在こそが実は人間らしさの象徴のような気がする。

 1月の沖縄のコンサートに向けての練習も追い込みになってきた。ステージで演奏の時に流れる映像も完成し、それ合わせての演奏を繰り返している。
 不思議な事に、何十回と繰り返し演奏してきた曲が、映像を加える事で、また別の命を持ち、こちらの気持ちだけではなく、身体にしみ込んでいた音符までもが変化をする事がある。
 それは私だけではないようで、映像とともに演奏を繰り返すたびに、毎回、いつもの曲が新しい物となって行く。

 これこそが音楽、セッションの楽しさである。
 キタキツネの曲、アザラシの曲、クジラの曲、犬の散歩の曲、雪景色の曲......あげて行くときりがないが、はたして沖縄のステージで、仲間たちと、楽器を通してどのような心の織物を作り上げられるか、とても楽しみである。
 もちろん、そこには客席の皆さんの想いも強く反映するだろう。



2002年12月29日(日) 天気:晴れ 最高:−4℃ 最低:−18℃


 4時30分
  玄関の産箱の中で、まるで布団が合わない人間が寝返りを繰
 り返すように、アラルが何度も場所を変え始めた。外はマイナ
 ス16度まで下がり、玄関も4度という状態なのに、息も荒く
 舌とヨダレが出ている。陣痛が近いとみた。

 6時05分
  伏せるように寝ていたアラルの腰が軽く持ち上がり、その時
 だけ、息を止め、ハ〜ハ〜と聞こえていた呼吸音が消え、玄関
 が静かになった。
  陣痛が始まった、ホテルに宿泊しているTVスタッフに電話
 をする。
  陣痛は、15秒間隔に繰り返し起き、それを10度ほど繰り
 返すと7〜10分間の穏やかな時に戻る。

 6時35分
  強くひっ迫した痛みの後、アラルは横座りの形で空中に視線
 を漂わせている。アレッと思い、尻のあたりを見ると、すでに
 膜にくるまれたままの子犬が生れていた。
  アラルは、口を近づけようとしないので、私が羊膜を破り、
 口と鼻を、真っ先に布でぬぐい、それから全身を拭いた。
  声を掛け、湯気の立つ子犬を顔の前にかざしても、アラルは
 知らぬ振りだった。しょうがないので、私がへその緒を切り、
 子犬が声を出すと、ようやくアラルが舐め始めた。しかし、ま
 だしっかりとした行動にはなっていない。
  <第一子・・メス・体重435グラム>

 7時35分
  TVカメラが見つめる中で、2子目が誕生した。ようやく、
 生れてすぐの子犬を舐め、歯でへその緒を噛み切る事ができた
 母親に一歩近づいた。
  <第ニ子・オス・460グラム・すでに鼻に黒色あり>

 7時55分
  ちょっと産箱を離れていた時に、スタッフから声が掛かった
 『生まれますよ〜』
 今回は、すんなりと出てきた。アラルの袋破りも上手になって
 きた。
  <第三子・オス・445グラム>

 9時26分
  随分と時間があいた。
  8時50分頃から軽い陣痛が来ていた。しかし、産道に入っ
 た時のような強い(絞り出すような)ものではないので様子を
 見ていた。しかし、9時15分を過ぎても出る様子がない、確
 認の為に指を陰部に入れてみた、逆子だった。すでに破水をし 
 ているので、一刻も早く出さなければならない。
  私は右手の人指し指、そして親指を入れ、産道を刺激した。
 こうする事で陣痛を促す事ができる。やがて2本の指で子犬の
 後足を掴むことができた。ここからは陣痛に合わせて引く、無
 事に子犬は生まれた。
  <第四子・メス・470グラム>

 11時55分
  随分と間があき、もう終わりかと思って、アラルが立ち上が
 った時に腹部に触ってみた。少なくとも1匹の子犬の頭が確認
 できた。
  そして待って2時間以上....またまた場を離れていた時に後
 足から生まれてきた。骨太の逆子であり、少し助産をした。
  <第五子・メス・500グラム>

 14時10分(推定)
  まだアラルの腹部に新たな頭(子犬の)があったが、所用の
 ために女房と出かけていた。
  『イチ、ニ〜、サン.....あれっ、1匹多い、生まれているよ
 おとうさん....』
  子犬の数を数えていた女房が大きな声で言った。後産のひと
 かけらも残っていなかった。へその緒の咬み切り方も上手だっ
 た。アラルは順調に母親になりつつあった。
  <第六子・メス・480グラム>

 14時36分
  すぐに次の子が出てきた。またしても逆子だった。軽く引い
 て、へその緒が切れた時に、北の空気をいっぱい吸う事ができ
 るように介助をした。羊水が少し気管に入っているので、吸い
 出してやる。
  <第七子・メス・460グラム>

 
 産み始めて8時間、かなりアラルは消耗したように見える。しかし、最初は子犬を見ても、何ら手当てをしようとしなかった彼女が、徐々に母に変化していき、最後の子の誕生の頃には、しっかりと子犬を舐めて励ます事ができていた。

 16時15分、アラルは半分だけ餌を食べ、水をガブガブと飲んだ。小便には出たがらず、すぐに子犬の所に戻って行った。
 
 まだ、母親度100ではない。時々、確認をしないと1匹2匹の子犬が、母親や兄弟から離れ、ミュ〜ミュ〜と啼いている。気温が下がってきたので、十分な注意が必要である。
 従って、私が4時まで、その後は女房と、交代で見守る事にした。

 アラル、安産、おめでとう。



2002年12月27日(金) 天気:晴れ時々吹雪 最高:−8℃ 最低:−14℃

 『おとうさん、ホタルが来たよ.....!!』

 玄関から女房の大きな声が聞こえた。

 『ホタル?誰だっけ、ホタルって?』

 私は、トイレの中から、これまた大きな声で返事をした。

 ホタルとは今年の6月29日に生れた柴犬だった。父親はシバレ、母親はミゾレになる。生後6ヶ月、いっちょ前の男になりかかる時期だった。
 室内で飼われているホタルは、外飼いの我が家の連中に比べると粗い毛が少なかった。我が家にいた頃はハナジロと呼ばれていたように、鼻のヒゲの部分の黒は薄いままだった。
 身体つきにはまだ幼さが残っている、でも、腹を探ると、立派な睾丸が手に触った。

 『どうぞリードから放して下さい....』
 
 可愛いホタルである、全ての犬が吠えている我が家の庭の様子に少し不安を感じてらっしゃる飼い主さん御夫妻に、私はさり気ない口調で声をかけた。

 1歳年上の姉になるシグレと匂いを嗅ぎあい、そして遊び始めた。母親のミゾレも放し、その輪に加えた。3匹はからみ合いながら、盛んに吠えている他の犬の所に行った。

 ホタルは、実に見事に他の連中の鼻が届く位置で止まり、鼻先、下腹部、そして尻の匂い嗅ぎチェックを受けていた。尾は下がらず、もちろん唸り声も、鼻にしわ寄せも示さなかった。
 私は、思わず拍手をし、飼い主さんに握手を求めそうになった。
 『よその犬と遊ばせているのですか?』

 『はいっ、近所の犬たちに最初から可愛がられているんですよ〜、どの子とも遊ぶので、やっぱり王国の犬は違うと評判がいいんです...』
 
 嬉しい言葉ではあるが、これは王国と言うよりも、新しい飼い主さんの考え方、行動によるものが大きい。
 先ず、他の犬の散歩の時に、ホタルを連れ出して会わせていた。さらに、少しぐらいのガウガウ犬にも平気で任せていた(もちろんホタルが子犬らしさを備えている時期である)。
 それらが積み重なって、この柴犬らしくないフレンドリーさを備えた子になったと私は思う。

 『お客さんの気配がすると、もう大変なんです、嬉しくて嬉しくて....。そして帰りそうになると、ヒーヒーとせつなそうに鼻で鳴くんですよ....』

 奥さんがニコニコとして話してくれた。
 これまた柴らしくない、私もニコニコになった。

 降り続く雪の中で、ホタルは60キロのカボスに追われ、転がされていた。身体が大きいだけにカボスの遊びは激しい。しかし、どのような状況になろうとホタルの尾は下がりはしなかった。絶えず上に巻かれ、そして横に揺れていた。

 今、私はオス犬同士の関係にとても興味がある。これこそが、人間との社会で家畜として生きて行く時に問題となるヒエラルフィーの鍵を握っているからである。
 別の言い方をすると、若いオス、強いオス、男気の勝るオスは他のオスを拒絶しようとする(ハーレム型の犬であるから当然の事だが...)、この難問に対して犬自身が備えている調和システム(同種間での殺しあいを防ぐ手立て)を再確認し、人間が介在して平和共存をはかるには、どのような手法が効果的か探っているところである。

 今日のホタルの動きは、その展開に関して大いに参考になった。そして、オス犬を飼われる方の心構えにおいてもヒントを貰う事ができた。
 
 そんな事も含めて、
 『ありがとうございます、また来て下さい..!!』
 吹雪の中で、挨拶をさせていただいた。
 ホタルは、慣れた仕草で助手席に飛び乗り、チョコンとお座りをして去って行った。



2002年12月26日(木) 天気:晴れ時々曇り 最高:−4℃ 最低:−16℃

 フジTVの撮影スタッフが王国に来られている事は、先日のこの欄でも書いた。その後も、順調にカメラは回っている。ここの事に詳しく、そして気心の知れた皆さんなので、こちらの人間も動物たちも、自然な形で行動ができている。
 
 いや、実は、ひとつだけ問題はある。
 それは、王国の犬たちの長所でもある。しかし、取材等では障害になる事もある....。
 そう、カメラがあり、そこにスタッフの姿が見えると、ほとんど全ての犬が、尾を振り、耳を軽く倒して、嬉しそうに寄って行くのである。時にはレンズにまで舐め舐め挨拶をする子もいる始末である。
 
 昨日も、我が家のダーチャ、ベコ、シグレたちがファインダーを真剣に覗いていたカメラマンのAさんに体当たりをしていた。もし、1月7日に放映される場面で、ど〜んと画像が揺れるシーンがあったなら、それは3匹の仕業と思って許していただきたい、けしてAさんが雪に足を取られたわけではない。

 そんな人なつこさなどを、これまでは個性と捉える事で、それほど気にはしていなかった。
 だが、日本の社会が番犬よりも人間に穏やかな、いや、人間に対してもっと積極的に親しみを表現してくれる犬を求めるように変わり、さらに、犬と犬とが出会った時に、殺伐とした雰囲気よりも、正しい挨拶の上で、仲良くとまでは言わないが、相手の犬を認める余裕を備えてほしいと変化した。
 そこで私たち王国のメンバーは、ムツさんを中心に、あらためて『イヌ』を科学している。個性で説明を終えずに、『何故?』を追求しているのである。

 これは、エセ科学による過った犬の行動学が大手を振っている今だからこそ、重要な事だと思う。
 ひとつ典型的な例をあげてみよう、例の『犬をベッドに上げて一緒に寝ないように...自分をリーダーと思いますよ!!』である。
 ぜひ、犬を飼われている方は実験をして欲しい。そう、布団、ベッドの上に犬を呼び、寝ていただきたい。
 『おっ、いいいのかな〜?!』
 と、尾を振り、犬はあなたとともに眠りにつくかも知れない。しかし、翌朝、ほとんどの犬は、布団の上、ベッドの上にはいないはずである。何回行っても同じ、いや、どんどん上で寝る度合いが減って行くはずである。

 人間の顔を見下ろす位置に犬の顔が行く形を作ると、それによって犬は自分の方を社会的に上位と考える、だから幼い子供は犬に馬鹿にされ、家族(群れ)の中での地位が犬よりも低いウンヌン.....そこから『ベッドに上げるな理論』はスタートしている。
 
 犬は群れ(もちろん、犬だけで形成するに決まっている、そもそもスタートからして間違っているのだが、この考えは.....)の中で、自分の位置(地位)を守る事に、時には命をかける。従って同衾する事で自分を横に寝ている人間よりも上位と思ったならば、それにこだわり、少しぐらい暑くても布団やベッドの上に固執しなければならない。
 そんな光景は、絶対に出現しないはずである。暑ければ降り、人間のイビキがうるさければ降り、寝相の悪い人間に蹴跳ばされれば降りるのである。

 『えっ、家の犬は朝まで乗っているわよ、布団から出てしまうのは私のほう....』
 と仰る方もいるだろう。実際、王国にも何匹か、そういう犬がいる。そして、そこにはある共通項が存在している...科学として。

 今日、ムツさんを囲んで長々とそんな話をした。皆がデータを出し合い、意見を言い、そして解明していく....。
 そんな事も、久しぶりの番組の中で展開されるだろう。
 思わせぶりになってしまったが、後は視ていただいての楽しみとさせて貰おう。さあ、明日も早朝から撮影である。いや、たとえどんなに真夜中でも、アラルが出産を始めたなら、そこが撮影スタートとなる。

 今、王国は忙しくもワクワクする年末となっている。



2002年12月25日(水) 天気:晴れ 最高:−3℃ 最低:−15℃

 げに恐ろしきは暮の病院......。

 それをしっかり実感してきた。
 朝9時、すでに待ち合いスペースの椅子はすべて塞がり、忙し気に通る看護師さんの邪魔にならないようにと、私は廊下の隅で小さくなっていた。

 『あんた、何時に来たの〜、受付は何番?』
 『8時には30人はいたべさ〜、こりゃ〜掛かるな〜と覚悟さして、待ってるとこ....。番号?これこれ、え〜っと38かな〜』

 顔なじみ同士のお婆ちゃんが、マスク越しに大きな声で話している。すでに体勢万端、椅子に座り、腕を組んで軽いイビキをかいているお爺ちゃんもいる。

 私は、先ず行われる月に1度の検査の呼び出しを待っていた。
 次から次ぎへと内科の受付で呼ぶ声がスピーカーから聞こえるが、なかなか私の名前は出ない。それもそのはず、何と私は140番台だった。

 ようやく10時に採血、採尿等が終わった。技師さんの作業を考えても、先生の診察までに1時間は掛かるだろうと、私は1階の奥に追いやられている喫煙室に向かった。立続けに2本くゆらし、深く吸い込んで、イザッ....の気持ちで待ち合い所に戻った。

 11時、さらに1時間、12時、腹がグ〜グ〜言い始めた。

 『今日は特別に遅いベさ〜、何かあったんだべか?』
 『い〜や、昨日もこんなもんだ、俺なんか帰ったのは2時だった...』
 『先生は昼メシを食うのかね?』
 『食わね〜みたいだぞ、昨日もず〜っとやってた、大変だべ!!』
 昼抜きの先生に同情をしながら、そのお爺ちゃんはコンビニの袋からオニギリと茶のボトルを出して食べ始めた。実に場所と状況に慣れている、ベテランの風格が漂っていた。

 椅子に掛けている人が、少し減ったかなと思われる頃、空腹のまま、私は眠っていた。
 しばらくして、4歳ぐらいの男の子を叱りつける母親の大きな声で、私は居眠りから覚めた。時計を覗くと、針は1時半を示していた。

 椅子は再び埋っていた、午後の診療が2時に開始となっている、その受付を済ませた人が加わっていた。
 通常のスケジュールでは、午前の診察は12時に終わり、2時間の休憩があるはずである。しかし、今日は特別としても、いつ来ても1時近くまでは午前の患者の診察が延びていた。

 通常2人、もしくは1人の先生は、特別4人体制となり、いつもは使われていない診察室の扉も開けられていた。
 それでも、私の名前は呼ばれなかった。

 数人の患者が、辛くなったのだろう、他の人に気を遣いながらも、椅子を3個使って横になった。明らかに熱があり、咳きも酷い。
 とうとう、数人が受付の女性に食ってかかる姿も出て来た。
 病院とは、ひとつの病気を治し、他の多くの病を貰う所....と言った偏屈な男がいたが、この姿を見ると、あながち否定できない気もしてきた。

 だが、私は押し寄せている患者さんではなく、対応する側、そして施設の使われ方に目を向けてみた。
 
 『13点!!』
 私の採点ではそうなった.....もちろん100点満点である。

 例えば受け付け順....これも15の次に16の人が呼ばれるとは限らない。それは担当の先生が決まっていると、進み具合が違うからである。
 しかし、熱と咳きと鼻水とダルサと骨の痛みを抱えた人には、自分の番号よりもはるかに大きい人間が先に診察室に消えると、治るものも治り難くなるストレスが掛かって来る。
 病気とは、そんな些細な事が大きな意味を持つ特別な事件なのである。

 改良は簡単にできるのではないだろうか、今や、この最果ての病院でも、すべてがコンピューターで管理されている。受け付けた段階で、再診ならば、どの先生に掛かるのか、キーを押した段階で決まっている。
 それを早い順に、各先生の診察室のドア横に掲示すれば済むことである。
 『あ〜、この分なら、私まで1時間は掛かるな、じゃあ食堂で昼飯を食べて来よう...』
 ....と、素直に落ち着いて行動ができるのである。2時間、余裕があると分かっていれば、この病院の目玉でもある5階の展望
温泉につかる事だって可能だ。

 しかし、いつも待ち合い場所の状態は、呼ばれた時にその場にいないと、再び、いつ、声を掛けてもらえるのか不安になるような感じだった(もちろん、続けて何度も呼んでくれてはいるのだが、患者の心は余裕がない、そう思ってしまうのである....)。

 午後3時15分。
 『すみませんね、待ったでしょう....ごめんなさい。どうですか、その後は....』
 
 昼飯を食べていない私と、同じように空腹なはずのS先生が、ようやく向かいあっていた。

 懸命に診察をされている先生に、ごめんなさい...などと言わせるのは、これは管理者の責任である。
 
 『町長、何とかしてほしい!!』

 車のライトを点灯し、怒りタバコを数本吸い、そんな思いで家に戻った。犬たちの散歩が始まっていた。



2002年12月24日(火) 天気:晴れ時々薄い雲 最高:−4℃ 最低:−16℃


 気掛かりがひとつある。
 それはキツネのルックである。

 間もなく11才になる彼女は、おそらく野で暮らしているキツネの中ではもっとも年老いた存在だろう。我が家で生れ、生後6ヶ月の時に野に旅立った。
 以来、夕方から夜になると、生家に顔を出し、元気である事を教えてくれていた。利口な彼女は、2キロ先で巣穴を持ち、そこでの出産育児で不安が生じると、子ギツネを連れて引越してくることもあった。
 年齢のせいか、今年は出産をしなかった。しかし、3日と空ける事なく、穏やかな顔を見せてくれていた。

 姿が現れなくなったのは、9日前の雪の日からである。
 実は、これが私や女房の心配の基である。
 雪が積もり、餌が取り難くなった事を懸念しているわけではない。狩りにたけ、そして実家に行くと何かが貰えると知っているルックは、とても婆さんキツネとは思えないはつらつとした姿をしている。しばらくの絶食にも耐えられるだろう。

 今は、あまり行かなくなったが、かつて私たち夫婦は、雪が積もると、新雪が大地を新しいキャンバスにすると、山スキーを足にキツネたちの足跡を追った。
 慣れてくると、雪の上にくっきりと残る足跡で、いつの行動跡なのか、オスなのかメスなのか、等が判るようになる。

 これを今、心配している。
 そう、キツネを狙うハンターたちにとっても、新しい雪は絶好のチャンスなのである。明け方の足跡を見つけたなら、長くとも、それを2時間も追跡すればキツネが寝ている所に辿り着ける。そして高性能の銃で『バーン』である.....。

 老いは、まず耳に来る。いくら警戒心の固まりのようなキツネでも、風下からハンターに来られては、若い子でも気づかぬうちに射程距離に入られてしまう、ましてや10才のルックである。
 
 夕方、4時半から庭とキツネ舎側に向けた2基のサーチライトを点灯し、女房と私は交互に窓からルックの姿を探している。あきらかにルックの血をひいたメスギツネや、皮膚病のために尾がヒモ状になり、目も塞がりそうなオスギツネは、毎晩のように確認している。
 だが、ルックは今夜もまだ顔を見せない......。

 もちろん、野に還したからには、すべて野にまかせている。困難の多い中で、ここまで長命な事は特筆すべきであろう。
 しかし、もし人間の手によって命を終えたのだとしたら、それは悔しい。
 結論を出す段階ではない、それでも、午後、何度も聞こえたライフルの音に、最悪を考え始めた今日の私である。
 あるハンターの言葉を思い出した、
 『目的の獲物が捕れなかった時は、動くものなら何でも撃つやつがいるよ、シカがだめならキツネ....とね。撃つ事が楽しいのさ....』
 むべなるかな......これが日本のレベルなんだろうか。

 



2002年12月23日(月) 天気:晴れ時々薄曇り 最高:−2℃ 最低:−17℃

 出産を控えたサモエド、アラルの今日の変化.....。
 それは、巣穴探しだった。

 夕方の餌は、少なめに入れたのもかかわらず、半分で口を上げ、後はひたすら私の動きを目で追い、早く放してと訴えていた。満月状態の腹になると、一度にたくさんは食べられず、さらに、胃に何かを入れると、すぐに大小便を催すようになる。
 
 出産予定の10日前頃から、胎児は急激に大きくなり、母犬の腹腔は隙間のない状態になっていく。従って、餌は回数を増やして量を確保し、大小便の数は多くなる事を見込んでいなければならない。室内で飼っていて粗相があっったとしても、妊娠している犬、それも出産間近の犬を、けして叱ってはならない。

 メスの訴えに弱い私は、すぐにアラルをクサリ(10時から夕方まで繋いでいる)から解放した。
 アラルは、まず雪の中に入って長い小便をした。それを済ますと私の所にゆっくりと寄ってきて、御褒美のジャーキーをねだった。これは、大小便が終わるたびに行っている『いいオシッコ、ウンコが出たね!!』の儀式である。

 嬉しそうにジャーキーをくわえたが、アラルの食べ方は実にゆっくりとしていた。これでも、アラルが今、特別な状態にいるのが判る。

 その後、他の犬たちの世話をしていると、女房があわてた様子で動物用の台所に駈けて行った。

 『アラル、だめよっ!!おいで、アラル...』

 何ごとかと見ると、アラルはわずか10センチほどの隙間しかない縁の下を覗き込み、そして前足で掻いて中に潜り込もうとしていた。
 初めて見せた巣穴探し行為だった。

 『おっ、始まったな〜、危なかったね、夏なら土が凍っていないから、すぐに入っていた..』

 女房は、アラルを夜間入れている居間の前のサークルに連れて行き、出られないように鍵をした。遊びで隠れた時は、名を呼ぶとすぐに出てくるが、巣穴として見立てて入った時は、呼ぶとよけいに隠ってしまう。一度、入られると、床板を剥がして出す事もある。

 今朝の散歩までは、のんびりではあるが群れと行動をともにしていた。夕方、他の犬が散歩、散歩と興奮しているのに、1匹だけ暗がりを探す行動に出たのは、やはり『いよいよ』のサインである。
 この行動は、巣穴タイプの出産育児をする動物では必ず出現する。しかし、これが見られて、その後何時間で産むかは判らない。数時間後の事もあれば、4日後もあった。
 ただ言えるのは、すでに母としての行動に入っていると言う事である。思わぬ冷え込みが続いているので、私は今夜からアラルを見張る事にした。万が一、外のサークルの小屋で出産をしたならば、子犬の凍死も考えられる。
 じゃ〜、産箱ある玄関に入れておけば、と聞く人もいるかも知れない。これは良い方法に思えるが、普段、外で暮らしているアラルには、今の段階では地獄である。女房も言っていたが、お腹に子供がいると、全身に血が巡り、体温が上がりっぱなしに感じるらしい。要するに暑がりになるのである。
 実際、慣れてもらおうと何度かアラルを玄関に入れたが、5分もたたないうちに舌を大きく出し、ハ〜ハ〜と喘いでいた。温度は10度でも....である。

 まあ、子犬が生れると、身体の中の蓄熱物(胎児)はいなくなったわけであり、さらに、母性がその場所(子犬のいる所)に留めさせる。従って、陣痛が始まるまではアラルは外においておく事にしている。
 居間の窓からの監視が、今夜からスタートである。

 
 新しい白い命との出会いを前に、1匹の白い命が、昨夜、惜しまれ、感謝の言葉を受け、旅立って行った....。
 豆太郎....津山家のウエスティだった。
 津山家の歴史そのものと言っても過言ではない犬である。大好きな家族に見守られ、静かに呼吸を終えたと言う。
 マメは本当に素晴らしい男だった。今は、のんびりと眠っているだろう。

 正午過ぎ、津山家の6人、そして王国の仲間たちの手によって、マメはシバレた大地に還っていった。ミズナラとカシワの木が囲み、たくさんの野の鳥がくる場所であり、昔、月明かりの下で踊るように遊んだ、キツネのルックの通り道に近かった。
 5月末、豆太郎はスズランの白い花に覆われる......。



2002年12月22日(日) 天気:晴れ 最高:−2℃ 最低:−16℃

 『御無沙汰しています!!』

 『こちらこそ、です、変わりませんね〜』

 久しぶりにAさんがビデオカメラ担いでいる姿が雪の上にあった。VEのTさん、プロデューサーのTさん、ロケ車のドライバーのYさん.....お馴染みの顔が揃っていた。ひとり、若手のカメラマンのSさんは、初めての王国だった。

 スタッフの皆さんは、1月7日にフジTV系列で放映になるスペシャル番組の取材に来られていた。
 長く続いた『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』の特別続編とでも言うべきスペシャルである。今回は主に犬を中心に、ムツさんのレポート、そして王国の連中が登場する予定である。

 カメラを担いでいるAさんは、実は22年前の第1回目の番組の時から撮影を担当されてきた方である。王国はもとより世界中の取材に活躍をされてこられた。自分のパソコンに王国の動物たちのデータを揃え、実に詳しく動物を頭に入れてらした。プロデュサーのTさんも第1回目の撮影から参加をされていた。
 
 数年ぶりにAさんにカメラを向けられた。これが実にこちらも動き易いのである。以前のままの姿であり、次に何が起きるかを考えてポジションを取られている。
 そして、これまた以前のままに、Aさんは『聞き魔』だった。
 初めて会った若い犬などの事、現在の私や女房の動き....それらを詳しく質問され、撮影の際のヒントにされていた。

 実は、簡単なようで、これを行うカメラマンの方は少ない。ほとんどの方が、ディレクターの言うがままの映像を押さえるだけで終わってしまう事が多いのである。
 しかし、生き物を対象としたドキュメンタリーでは、本当はカメラのファインダーを覗いている方ほど、ディレクトの力が必要なのである。シナリオなどが存在しえない中で、犬などの習性を頭に入れた上で、予想不可能な動きを推察して押さえ、そこに想いまでも映していかなければならない。

 今回の撮影は年末まで続く。王国の番組の原点をともに築かれた仲間(敬意を込めて、そう呼ばせていただこう)の皆さんを迎え、白い大地の上で、楽しくカメラは動いていくだろう。
 
 



2002年12月21日(土) 天気:晴れ時々雲出現 最高:−1℃ 最低:−18℃

 今日の嬉しい事を二つ書いてみよう....。

 朝の散歩の途中で、サモエドのダーチャが行方をくらました。何度か徒歩で呼びに行った後、奥の手として、私は車で母屋に向かった。
 案の定、玄関前に着く前に、右の林から尾を懸命に振った白い犬が出て来た。
 あいつは、車にタダで乗るのが大好きであり、また運転をする側からも、乗せてあげようかな〜と思わせる動きと表情を示す。そう、ヒッチハイカー犬としても大成する素質を備えている。

 停まった車に駆け寄ったダーチャは、運転席のわずか後方でオスワリをし、耳を完全に後ろに倒し、軽く口を開けて舌先を可愛いと思われる程度に見せ、マーブル色の瞳から発せられる視線は、運転者と後ろのドアに交互に向けている。

 『乗せて、乗せて、オネガイ....!!』

 誰が見てもそう判る表情である。
 
 ほとんどの犬がそうなのだが(特に多頭飼いでは)、飼い主と車に乗る事を犬は喜ぶ、車内では人間を独占することができるし、また、どんな所へ行き、何をするのかと、新しい事への期待もある(これは、あくまでも、慣れた人間がいることが条件であるが)。

 後ろのドアを開けると、ダーチャは尾を振りながら飛び乗り、運転席と助手席の間からヘラヘラ顔を出し、『さあ、行きましょう!!楽しみ〜』と笑っている。
 直接、我が家に戻るコースは400メートルで終わってしまう。しかし、このダーチャの顔を見てしまうと、こちらまでもが嬉しくなり、私はコースをカラマツ荘、馬小屋、橋、山々の姿がよく見える丘の牧草地、そして8月のレースでスタート直後に落馬、再騎乗(ユタカはできなかったが、私は乗った...エヘン?)
をした競馬場の前を通り、15分のドライブを1匹と1人で楽しんでしまった。

 心置きなくこんな事ができるのも、この時期はダーチャの足の汚れを気にせずに乗せられるからである。泥でシートを真っ黒にして女房に叱られずに済む。これは、嬉しい事である。

_____________________________

 『おとうさん、見た事のある車が停まった.....誰だったけ?』

 女房がコーヒーカップを手に、窓から外を見て言った。

 今、私と女房は外の犬たちの啼き声に敏感である。満月腹を抱えているサモエドのアラルに出産の兆候が現れたのではと、窓辺に走ってしまう。
 これまでに何度か、お産をする犬ではなく、雰囲気の異常を知らせる他の犬の声で出産開始を知ったことがあり、ひとつの目安にしている。女房はベコの声の原因を確かめに立ったのだった。

 私も外を見た。『第2駐車場』と呼んでいる、我が家から50メートルほど表道路側の広い場所に、ジープ型のしっかりとした車が停まっていた。

 玄関に女房が出た、女房の弾んだ大きな声の後、客人と女房はアラルの方に向かって行くのが分かった。

 『そうだ、羅臼のSさんだ!!』

 Sさんはこの9月初旬に犬を亡くしていた。我が家のマロの娘になるサモエドだった。小柄だが美人で、ホームページで見つめてくる顔は、実にいきいきとしていた。
 様々な想いを積み重ねられた上で、今回、新しく産声をあげるアラルの子を楽しみにされている。2匹目の犬として血の繋がる子を望まれた。

 『しばらく旅だったものですから....』

 Sさんは、なかなか会いにこれなくて、と話をされながら、白い大地の上に横座りをしているアラルの写真を何枚も撮られた。
 私は、腹の大きさを見て頂こうと、アラルの背にまわり、前足の付け根を抱えて2本立ちをさせた。満月が張り、アラルの吐く息の音が苦しそうに聞こえた。
 乳腺は、今日から硬くなった。それも確認をしていただく。

 いつの日か、Sさん宅のアラルの子が大きくなり、出産となった時に、この姿を思い出し、参考になればと、私は思った。

 羅臼からは、冬道だと2時間近くかかる。しかし、出産が始まったら、必ず電話をしますと約束し、Sさんと別れた。

 子犬の新しい飼い主さんの(多くの皆さんの代表として)手の平の温もりが、アラルの密な毛を通して、まだ顔を見せていない子宮の中の連中にも届いただろう。
 嬉しいSさんの来訪であった。



2002年12月20日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:−2℃ 最低:−17℃



 月曜から火曜日にかけて降った雪が、しっかり大地を覆っている。直後に風が吹くと、乾いた軽い雪なので、すべて吹き飛び、限られた所にだけ(風溜りや低い箇所)吹き溜りとなり、下手をすると牧草地は土埃になりかねない。
 このまま吹かずに1週間続くと、圧雪状態になり、風にも抵抗できる雪となる。
 私は「このまま、このまま」とひたすら祈る気持ちである。

 夜明け頃、気温はもっとも低くなる。今朝はマイナス17℃と、この冬1番の冷え込みだった。顔の黒いカボスのヒゲや眉毛は白く凍っていた。
 しかし、太陽が顔を出すとぐんぐん気温は上がり、凍り付いていた道路は車の通過する所を中心に融け始める。まあ、日中は飛沫がフロントガラスを汚す程度で問題はないのだが、午後3時を過ぎ、再び凍り始めると、ドライバーには恐怖の路面と変化する。
 ブラックアイスバーンと呼ばれる路面状況は、一見しただけでは普通に濡れている状態、つまり午後1時と同じように見えるのでやっかいである。
 アイスバーンであるから、もちろん凍っている。それも水気を残したもっとも滑り易い状態で.....。

 午後5時、女房と街へ買い物に出かけた。用事は30分で終わり、帰路に着くと、別海への道で急に前の車のブレーキランプが灯った。
 黒い軽自動車が左路肩で、今にも落ちようかという姿勢で引っ掛かっていた。ブレーキ跡から見ると、対向車線を走って来てクルクルと回り、そのまま逆の車線を飛び出て動きを終えたようだった。
 その運転手は運が良かったと思う。この時間帯は、たとえ田舎でも交通量のもっとも多い時である。後続の車、そして対向車との事故にならず、幸いである。

 原因ははっきりしている...と私は思う。
 この車の運転手になった気持ちで書いていくと次のようになるだろう。

 『あ〜あ、疲れたな〜、やっと終わったか、今日の仕事も...。いや、まだ報告書と明日の準備があった、ふ〜』
 道はやや下りの直進から右への緩やかなカーブに差し掛かっていた。左側に牧場があり、そこには防風林のように道に沿ってカラマツの並木があった。樹齢は40年に近い大きな木だが、枝落としなどの手入れはされていないようで、葉を落とした冬でも、混んだ枝がじゃまをして、陽光を道路までしっかりとは通さない。したがってここは、午後2時過ぎには路面が凍り始める所だった。

 『あれ、イケナイ、ちょっとスピードを出し過ぎているかな、おっと、カーブだ...』

 つい、足がブレーキを踏んでいた。黒く濡れているように見える今日の道なら、すぐに効果があるはずだった....。
 しかし.....

 『あっ、しまった!!凍っている.....うわ〜停まらない...対向車よ来るな!!』

 右に左に、逆ハンドルを切るように車の尻が振れるたびに反応をし、何度もブレーキをポンピングした。
 だが、勢いがついたまま、下り坂、右カーブで回転を始めた車は、自重と慣性の係わりあった法則のままに流れていくだけだった。ドンという衝撃があった。シートベルトが肩をつかまえていた。

 『助かった〜、路肩の雪で停まった!!落ちずに済んだ〜』

 車の動きがおさまった時、ハンドルを握っていた手が汗ばんでいた。
 次から次ぎへと車がやってきた。徐行はするが停まりはしなかった。暗いカーブで停まると危ない事を、みんな知っていた。

 ケガがなくて何より。
 
 いつでもそうだが、冬は特に、自分以外の車にも注意が必要である。さらに、自分の存在を強く示すためにも、北欧のように、24時間ライトを点灯する習慣が欲しい....そんな事を思う。

 



2002年12月19日(木) 天気:曇り・晴れ・雪をランダムに.... 最高:−1℃ 最低:−7℃

 パソコンに向かっていると、ほとんど周囲を見ない。画面に集中しながらも、ブラインドタッチにはほど遠い故に、キーボードも確認しつつ時間が過ぎて行く。
 時々、外で犬たちが吠える。警戒グレード3になった時は、東と南に向いている2つの窓から、何ごとかと確認をするために目を細くし、瞼を動かし、額にしわを作り、焦点を遠めに切り替えて確認をする。

 機織り部屋と呼んでいる書斎は、数日かけた片付けの効果がちょっぴりあり、いちおうパソコンの乗っている机の周囲を歩く事ができるようになった。
 加えて、東に向いた椅子に座って左側、壁全体に設けてある書棚の前のがらくたが処理(単なる移動だが....)され、雑然と並んでいる本の背が見えるようになった。

 夜、犬の死を知らせる掲示板の文章を読み、腕を組み、煙草の煙を天井に向けて吹き出している時に、久しぶりに顔を見せた棚に目がいった。先日までは、並んだ本を隠すように、前に印画紙の箱が積んであった。
 
 私は、いつの間にかそこの本の背表紙を読んでいた......。
 
 「共犯幻想」「ジロがゆく」「高橋和巳特集」「羊の歌」「世直しの倫理と論理」「ジェーン・フォンダ」「いちご白書」「富島健夫全集」「諸星澄子」「佐伯千秋」「はみだし野郎の子守唄」「杜甫」「その空間で僕は沈黙する」「源氏鶏太」「二十歳の原点・序章」.......

 こうして書いていると、その本を手に取り、ポケットの中の金を頭に浮かべ、大丈夫とうなづいて、盗むわけでもないのに心拍数を上げて本屋のオヤジさんの所に行った映像までもが浮かんでくる。
 
 人間の記憶とは、なんとせつないものだろうか...。
 それ自体は無機的な本やら、犬の遊んでいた咬み傷だらけのボール、そして、すれちがい際の香りなどにより、長く心の奥で眠っていた記憶が、時間のフィルターに漉された故に、よりピュアで鮮烈な姿で戻って来る。

 それを拒絶しようとした時期もあった。しかし、心の動き、そして記憶の出入りは、たとえ自分の身体に起きる事であってもコントロール不能な性格を持っている。
 だったら、どんどん思い出し、どんどん浸り尽そう.....そう考えると楽になった。
 今、私と女房は、すでに手元を去った多くの生き物たちの悪口をよく言う。もちろん、素晴らしいところも話には出る、しかし、何と言っても欠陥は記憶に鮮やかである。

 『ビーターはタヌキだったよね〜、たしか一時は13キロまでいった。こんなキツネはもう出ないね..』
 『おまけに、チックが出てから、首と目が揺れていた。その身体で長寿世界記録の17歳まで生きたんだから、あいつは異常だ....』

 死ぬ事で生き物がすぐに天使になるわけではない。残された者の記憶の中で、想いが漉され、やがて輝きだけが定着される。そこでは、生存中の欠点も、相手が反論できないと言う事を理解し、すべてを認めよう.....そんな変化をしていく。

 ほこりを被り変色をした本を眺め、そして手に取り、数年間をともに過ごした連中の顔を浮かべた。
 そのうちの3人は当時の顔のままである。白髪も染めた髪の姿も思い浮かばない.....。
 3人は、駆け足で生きた...私に言わせると「ばかもの」である。



2002年12月18日(水) 天気:曇りのち晴れ間のち雪 最高:1℃ 最低:−13℃

 いつだったかは忘れたが、札幌で私の車が注目を浴びたことがある。どこに停めても、我がルネッサ君は、通りすがりの方の視線を集めていた。
 
 交差点でもそうだった。横断歩道を歩く際に、ほとんどの歩行者がボンネットに視線を向け、その後、確認をするようにハンドルを握る私を見た。
 うん?運転をしているおじさんが渋い....などと勘違いはしなかった。理由はよく分かっていた。我が家の庭ネコ、アブラとアブラ2世の仕業だった。

 王国の周辺には砂利道も多い、普段は車がほこりや泥で汚れていても、ほとんど気にせずに運転をしている。でも、札幌である、北海道で1番の大都会である。車で出かける時には、一応前の日に洗車を済ませ、灰皿も空にして準備をする。
 しかし、雨が降った後などの場合、その努力は、たった2匹のネコによって水泡に帰す。
 アブラたちは、我がルネッサ君のボンネットや屋根の上を、日光浴や昼寝の場所と決めている。特に、気温の低い日は、帰って来た車のエンジンの温もりが残っているボンネットが大好きである。そこで、泥足のままピョンと飛び上がり、ペタペタとスタンプを押しまくってくれる。

 これが、風程度では落ちてくれない。しぶとく残り、見事な梅の花模様が描かれることになる。
 交差点で注目を浴びたのは、忙しくて再度洗車をせずに、そのまま400キロを走って行った時のことである。
 失敬なことに、買い物の足車として利用しようと考えた娘と息子が、

 『なに〜この車、洗ったら〜、恥ずかしいな〜もう』

 とのたもうた.....。
 
 『馬鹿もの、お前がアブラたちが好きだから、こうやって元気な印を運んできてやったんだ、感謝しなさい....』
 
 そう、私は応え、今度、黄色かなにかのペンキを足に付けて歩かせたら、見事な模様になるのでは、そんな事を考えていた。

 雪が積もり、泥足スタンプの心配はなくなった。
 しかし、今も我が車はアブラたちに人気がある。ボンネットの上ではない、今度は車内である。
 出先から戻った私が、庭に向かう左カーブを曲ると、どこからともなくアブラたちが雪の上を駈けて出て来る。どうも音で私の車だと分かっているようで、真剣な表情で、いつも停める所まで来て待っている。

 2匹のネコの位置を確認しながら注意をしてエンジンを切り、ドアを開けると、待ってましたとばかり、アブラたちが車内に飛び込む。
 そう、冬はヒーターの温かさが残るシートの上を昼寝の場所としているのである。私も、まったく暖房のない小屋を中心に暮らしているアブラたちが気になっている、それほど楽しみにしているならと、つい車の停車位置を南西に向け、少しでも陽光が入るようにしてやっている。
 さらに、停車しても2匹がいない時は、ドアを開けたまま『ニャニャニャ、おいで〜』と呼んでしまう。

 感心な事に、2匹は車の中で粗相をした事がない。時々、何時間も入れたまま、忘れてしまう事もあるが、そんな時も、ダッシュボードの上で、今か今かと私や女房の出現を待っていてくれる。ドアを開けると、一目散に小屋の床下に駈け込み、しばらくすると『スッキリした』という顔で出て来る。

 今朝は冷え込んだ。おまけに昨日の雪がふわふわと落ち着かず、ネコたちが苦手とする状況だった。
 すぐ近くまで車で出かけ、まだ車内が温まらないうちに戻ると、2匹は新雪の上を必死になって寄って来た。つい可愛くなり、私はそのままアイドリング状態にし、暖房が効くまでエンジンを掛けておいた。

 窓から覗くと、アブラは運転席、アブラ2世は助手席で『の』の字になっていた。
 私の気配に気づいたアブラ2世が目を開け、短い尾(のような出っ張り)が持ち上がった。

 



2002年12月17日(火) 天気:雪のち曇り 最高:−4℃ 最低:−7℃

 昨夜からの雪は昼頃に小降りになった。根室沖で低気圧が発達しているので、かなり風が強くなるかと思っていたが、原野の雪をすべて吹き飛ばすほどではなかった。
 まあ、何だかんだで20センチ近く積もったので、いくら北風でも一気に運ぶのは無理だろう。

 犬たちとの散歩の時には、長靴の上の紐をきつく縛り、雪が中に入らないようにしてラッセルをした。午前と午後の2回で万歩計は16000を記録していた。ただし、同じ数字でも雪のない時期とでは疲労度が違う。おそらく新雪をかき分けての歩行は倍近いカロリーを消費しているだろう。そうそう、プールでよく行われる水中歩行に似ているかも知れない、1歩足を前に出す時に、
 『ヨッコラショ!!』
 と身体が言っている気がしてくる。ダイエットには最適な歩行法だと思う。

 雪の影響も少しはあるのだろうか、サモエドのアラルが夕方の散歩について来なかった。昨日から動きが重く、群れのスピードに同化せずに、ゆっくりと歩いていた。
 アラルは静かな子である。いつもの散歩の時にも、けして派手な動き、主張はしない。それでも、皆に遅れることなく確実に遊んでいた。

 車庫の周辺でウロウロして群れの連中が帰るのを待っていたアラルを呼び、私は腹をまさぐった。
 胸から後肢の付け根にかけて、乳腺が柔らかい餅のように繋がって伸びていた。乳首は尖り、硬さも増している。
 数日前までは触ると嫌がる素振りを見せていたが、昨日から、私がどこに手を伸ばそうと、おとなしくしている。これも出産が近い予兆のひとつである。
 自分でも身体の変化に不安があるのだろう、いつもよりも人間を見つめる時間が長い。絶えず私や女房の動きを確かめている感じである。

 家の周囲で、新しい雪の中で嬉しそうに遊んでいる他の連中の輪に加わらず、ひたすら訴える目で見ているアラルに声をかけた....

 『先に入るか?』

 人を見つめている犬は、これだけで理解する、まるで日本語を判読できるかのように。
 アラルは、私の言葉を聞くとすぐに、夜間の住居となっている隔離柵に早足で向かった。扉の前に着くと、後からくる私を見つめ、横座りをして待っていた。

 『少し早い可能性もありそうよ.....』

 昨日、そして今日の変化を見て、誰に言うともなく女房が呟いた。
 さっそく、物置状態の我が家の玄関を、女房は片付け始めた。田舎から送られて来た、カボチャ、タマネギ、じゃがいも、ニンニク、さらに、ネコ用、犬用の缶詰が何箱もあり、加えてミカンやら柿、リンゴまでもが置かれている。
 それらを収容する所を探し(外の物置では凍ってしまうので難しい)、何とか産箱を空けた。

 『明日の朝からアラルを入れてみる、練習をしなければ...』

 そう言えば、アラルは初めての出産だった。
 ....と言うことは玄関での生活経験がない。少し気の弱いところのあるアラルである、念のために場所慣れのトレーニングがあっても良いだろう。そのためには、玄関の暖房は止め、寒い状態にしておかなければならない。
 今年の1月、ラーナとダーチャが相次いで出産をした。あの厳冬期でも、暑いと言って産箱から出ている事が何度もあった。母親がいなくなると子犬たちには寒い、何とか母親を箱に留めるために、温度には気を使わなければならない。

 まあ、こんな事も出産育児を見守る喜びの中に入る。母親によって微妙に違う育児スタイルを眺めながら、私と女房も一緒になって子犬の成長を楽しんでいく.....そんな至福の時が間もなく始まる。
 
 
 



2002年12月16日(月) 天気:曇り、夜になって雪 最高:4℃ 最低:−7℃

 ツンちゃんの家で、1月10日の沖縄でのコンサートの構成の再確認ミーティングをした。ウエスティの小豆が嬉しそうに尾を振り、メンバーのひざに乗って甘えていた。
 
 小学校が早く終わったモリが、私にそっと言った.....

 『イシカワさん、マメが足を突っ張っている.....』

 モリの瞳は、心なしか潤んでいるように見えた。
 あれっ、そう言えば豆太郎の姿が見えないと、周囲を見渡した。
 
 『マメ、3日前から食べられなくなったんです....かろうじて水は飲むんですが....』
 
 アミちゃんが目で示した所に小さな箱のベッドがあった。
 右腹を下に横たわったマメが、足を痙攣のように動かしていた。白く柔らかいオムツがしてあった。

 ウエスティの豆太郎.....16歳である。
 若い頃、これまた若いサモエドのマロと互角に闘った事もある。津山家の若大将として、家と仲間を守っていた。
 間もなく高校受験となる風花が幼い頃の、良き兄貴でもあった。我が家から野に旅立ったキツネと、津山家の裏の林で月明かりの下で遊んでもくれた。その様子を見たアミちゃんは、まるで2匹でダンスを踊っているようだったと話してくれた。

 やがて老いがやってきた。耳が、目が不自由になっていった。
 しかし、これは、そうなるまで長生きをした、と言う事でもある。勲章である。
 津山家のオス犬代表として、しっかりと使命を果たしてきた。あのオオカミの血が90パーセント以上入っているローラでさえ、体重では3分の1以下の豆太郎に腹を見せて服従していた。

 今、豆太郎は静かに闘っている。
 私が優しく触れると、かすかに見えない目を開け、そして首を持ち上げようとした。
 
 『いいよいいよ、楽な姿勢をしてなさい...ガンバレよ〜マメ、イイ子だね〜』

 これが、私が彼の温もりを感じる最後になるかも知れない....そう思いながら、感謝をこめて何度も撫でた。

 津山家の子供たちは、さりげない日常の営みの中で、時々、マメの様子を確認していた。小学生の3人は、初めての愛犬の死が、それほど遠くはない事を、まだ正確には理解していないかも知れない。
 しかし、見つめる瞳と寝返りを助ける動作には、とても大切な事が進行していると感じているのがみてとれた。

 家族6人の温もりに囲まれて、今、マメは頑張っている。
 オマエは最高のウエスティだった。勇敢で、そして利発でユーモアに溢れていた。
 
 『キオツケ!!アシッ!!......右へ回れ、次は左!!』
 
 あの姿を、私は忘れない。

 夜10時を過ぎ、ウエスティ色の贈り物が空から落ちてきている。まだ風は出ていない.....静かに静かに降っている。

 



2002年12月15日(日) 天気:薄曇り 最高:5℃ 最低:−8℃

 昨夜遅くのニュースで、犬と散歩中の方が交通事故で亡くなったと聞いた。短いニュースだったので詳細は判らなかった。
 今朝、新聞の社会面を真っ先に開き、その事故を探した。場所は道南、犬はラブラドール、亡くなられた方は40代の男性だった。

 この事故を含めて、犬の散歩の時に引きずられて交通事故に会われ、そして命を落とされたケースは、私の記憶の中では4件である。東北では線路に引きずりこまれてという悲惨な事故があった。セントバーナードだったので、お母さんが引き綱を身体に巻き付けていたのである。

 今回の事故では、車の運転手が、あっという間に道の真ん中に出て来たと言っているようだ。幅が6メートルの細い道で、避け切れなかったのかも知れない。
 まあ、犬が1匹でウロウロとしていたのなら、普通のドライバーは速度を落として注意をして通過しようとするだろう。しかし、人間と一緒、それも引き綱で繋がれていると分かったら、よほどの事がないかぎり、特別な注意は払はないのではないだろうか。私などは、どんな犬なのかとアクセルを緩めて見てしまうが、これも後ろの車には迷惑かも知れない。

 さて、命を落とす結果にならない(ニュースにならない)ものも入れれば、このような事故はかなり起きていると聞いている。それを防ぐ、用心するのは、やはり犬を連れている側だろう。

 どんなに『シツケ』をしていても、犬は生き物である。必ず飼い主の思いも寄らない行動が起きる事がある。万が一に備えての心と身体の準備も必要だろう。
 その第一は、『犬は狩り心を備えている』と言う事だと思う。
 物陰から走り出たネコ、飛び立った小鳥.....このような物には自動的(本能的)に反応し、追う動作に繋がっても不思議ではない。急に駆け出した犬によって肩を脱臼した人も私は知っているし、肘や肩の筋を傷めた事は私や女房にもたくさんある。
 このケースでは、引き綱をグイグイと張っていく犬よりも、しっかりとトレーニングをし、脚側歩行の完璧な犬ほど事故になりやすい。
 つまり、引き綱にアソビ(弛み)があると、急に駈けた時に綱による肩への衝撃が大きいのである。

 では、どのようにすれば事故を回避できるだろうか。
 私は、一旦停止だと思う。狭い道などで車や歩行者が来た時は、あらためて指令を出し、犬の心を人間に向け、おやつのひとかけらでも上げるべきだと思う。
 次に、人間が気づくよりも先に犬が反応をする、ネコや鳥の出現などハプニングに対する備えである。
 これは、引き綱を軽く張る程度に調整して持ち、犬の興味がどこに向いているかを絶えず確認しながら進む事だろう。
 その際にも、時々、突然に立ち止まり、ポケットからオヤツなどを与える『犬の気分転換・散歩人への再注目』の瞬間を作りたい。

 そして、何よりも大切なのは、身体に引き綱を固定しない事である。簡単に綱を放せとは言わないが、イザの時は、フリーにできるように持ち方を考えるべきである。

 昨日の不幸な事故では、運転をしていた女性が逮捕されたと載っている。亡くなられた方も、そして運転手にも油断があっただろう。でも、実に空しい事故だと私には思われ、ため息が出てしまう。



2002年12月14日(土) 天気:晴れ 最高:3℃ 最低:−13℃

 Kさんの日記に触発され、『機織り部屋』と自称している『旧書斎(唯一、生き物の侵入を拒否している所)』の片付けを始めた.......。
 と書くと、あたかも私が自主的に整理整頓の一大事業に取りかかったように聞こえるかも知れない。しかし、実態は、何ヶ月も前から女房に言われ続けた事に、ようやく着手したに過ぎない。

 それにしても、『これは、念のために保存しておこう』と思った品の何と多い事か。そして、そのほとんどが2度と私の手に触られていなかった。
 積み上げられていた書籍、資料(のようなもの)、そして相方のいないカセットケースやらフォルダーの数々...。
 女房が手に取って『〇〇の〇〇....』と言い、私が『イラナイ...』と応え、いくつものダンボール箱がいっぱいになっていった。
 もちろん、今回は思いきって捨てることに決めている。6年前のパソコンの雑誌などを部屋の重しにしていたのは、物を大事にすると言うよりも、単に不精なだけと結論した。

 この恐ろしい機織り部屋に何人かの方が入っている。もちろん、パソコンを見て、記念にホームページの掲示板に書き込んで頂くためである。
 私が、
 『どうぞ、汚い所ですが、入って下さい...』
 と言うと、女房があわてて....
 『あっ、コンピューターだけを見て下さいね、他の所を見ると目が腐りますよ、あまりに酷くて....』
 と、ゲストの方に警告を発する。

 実に失礼なヤツではあるが、まあ、真実と私も認めざるを得ないので、じっとこらえているうちに、いつの間にか、私も同じ事を言うようになっていた。

 さて、昨日から片付けは行われている。
 でも、それほど変わったようには、まだ見えない。どうも思いきりが足りないようだ。古い品々を手に取ると、つい想い出が浮かび上がり、元の場所に置いてしまう。
 ああ〜何たる貧乏性であろうか、人生は取捨選択に掛かっている、今こそ決断を!!...と大袈裟に心の中で叫び、明日もゴミ(のような)の山と真正面から取り組もう。

 今日は久しぶりに日中の気温が上がり、穏やかな土曜日となった。私も咽と鼻に影響が残っているが、王国の連中の間では風邪がはやり始めている。明日も、バンドの練習は行われない、ひたすら片づけに専念できそうである。

 



2002年12月13日(金) 天気:雪のち晴れ 最高:0℃ 最低:−14℃

 久しぶりに9時間ちかく寝た。腰と背が痛かった。いっしょに寝ていたはずのネコたちの姿は消え、コーヒーでも飲もうと居間に下りて行き、初めて雪が降っているのに気づいた。
 
 最高最低寒暖計で今朝の気温を確認する。すでに−8度まで上がっていたが、最低は−14度となっていた。冷えた雪は細かく軽い、ヒラヒラと音もなく舞い降りていた。タドンの犬小屋の上に積もった新雪に勢いよく息を吹きかけると、まるでホコリのように舞いたった。黒い上着の袖に乗った雪は、見事な結晶を見せてくれた。
 『積もれよ、そう、20センチは....』
 そう呟いて家の中に戻り、PCを起ち上げて外に目をやると、東南の空にオレンジ色があった。冬の太陽に押され、雪を運ぶ雲は北東に押し流され、あっという間に晴れ間がのぞいてしまった。またしても危うい雪の降り方で終わってしまった。

 その危うさの証明は、すぐにできた。
 先ず、今朝の犬たちの散歩は、結婚生活に入っている柴犬のミゾレとシバレから始めた。
 ミゾレをサークルから出し、シバレをクサリから放す。
 恋人を目掛けて、シバレはうっすらと積もった新雪の上を走った......その瞬間、シバレは見事にひっくり返っていた。

 軽く細かな新雪は、すっぽりと大地のアイスバーンを隠している。一見すると厚い雪原のようだが、すぐ下が氷と言うもっとも怖い状況である。4本の足でバランスをとっている犬でさえ転倒する、ましてや2本足の人間は脆い、昔から王国では、こんな日は『スッテンコロリン注意報』なる呼び掛けをしているほどである。

 私も女房も、その後の散歩は、十分に注意を払って行った。雪に喜んでいた犬たちは、私が見ていただけでも、セン、ダーチャ、タブ、そしてシグレにカボスと、実に多くの連中が転んでくれた。
 腰や肩に古傷を持つマロの動きが気になる女房は、
 『マロ、そこはだめよ坂だから、コッチコッチ、おいで〜』
 と、まるで現代子育て方式の実践者のようだった。

 空が晴れるとともに、今度は北北西の風が強くなった。
 軽い新雪は、たちまち地吹雪状態になって氷のような大地の上を吹き飛ばされて行った。
 悪い事に、それまでアイスバーンの上にあった、人間や犬たちの足跡などの穴が、飛んで来た雪で埋まり、まるで平らな雪野原に見えてしまう。これが曲者で、夕方の散歩の時には、今度は隠れた穴に足を引っ掛けて犬たちが苦労していた。
 私も、実は2度ほどつまづいて転んだ。マロが寄ってきて、先の毛が乏しい尾を振り、珍しく口を舐めてくれた。

 元気に彼らと遊んでいるうちに、いつの間にか咳も少なくなり、熱も下がっていた。



2002年12月12日(木) 天気:晴れ 最高:−5℃ 最低:−16℃

 夕方から悪寒がする。そしてクシャミを連発....誰だ〜噂をしているのは!!
 
 などと言っている場合ではなさそうなので、薬を服用、日記を明日にして、12日のうちに寝ることにしました....。
 寄っていただき、ありがとうございます。
 おやすみなさい。

 ____________________________

 再度、風邪薬を服用し、「さあ、寝るぞ!!」と寝室に向かった。女房が床につくために階段を上がる時は、必ずネコをお伴に従えている。レオ、チャーリー、ミンツ、コジロウ、ニャムニャム、ルド、エ、ハナ、パドメなど、寝室大好き派の連中である。
 時計が0時を過ぎても女房が居間にいると、連中は階段の手すりやピアノの上で待っている。女房が動くと、それをネコたちの視線が追い掛け、いつ階段に向かうかと真剣である。
 
 これには理由がある、一種の場所争いである。
 大好きな女房がセンベイ布団で寝る。そうすると、枕元、掛け布団の上、足元、見下ろすタンスの上、テレビ台の中、押し入れの前....等々、ネコたちが好んで横になる場所は決まっている。
 
 犬ならば、それぞれに好みの場所があるとすると、そこを他の連中が奪うことはマレである。つまり上下関係が物言わぬブレーキとなり、侵入を拒んでいる。
 しかし、ネコたちの社会では『早いもの勝ち』である。
 従って、自分の好みの場所を確保しようと、階段を登る女房の足元に絡み付くように駈け登って行く。

 『もう、あぶないでしょう〜、ホラホラ!!』

 何度かネコにつまずいた事のある女房が、困ったように叫ぶシーンが見られる事も多い。

 さて、話を元に戻そう。
 昨夜は、女房が先に寝ていた。と言う事で、ネコたちは私よりも早く寝室に入り、それぞれの寝場所を確保していた。
 朝の気温がマイナス16度、日中もマイナス5度までしか上がらなかった事も影響しているのか、いつもよりも寝室に来ていた子が多かった。

 『コラッ、お前たち邪魔だよ....何で布団の上に4匹もいるんだよ〜』

 咳をしながら、私は胡散臭さそうに上目遣いに見上げるネコたちに言った。
 女房の枕元にはレオが、その横にはミンツが、そしてタンスの上にはルドが....だいたいの好みの場所は埋まっていた。あぶれた連中が私の布団の上に寝ていた。ちゃっかりと枕を利用していたのはコジロウだった。

 掛け布団を持ち上げる、しかし、ネコたちは自らは動こうとはしない。
 『工夫して中に身体を入れなさいよ....』
 というような表情で、私の動きを見守っている。
 『そういたします...』と、少しずつ隙間を作り、足を伸ばすまでに辿り着いた.....。
 そして、私は、ついネコたちに御礼を言いそうになった。そう、温かかったのである、布団の中が。

 『そうか、お前たち、気づかって温めていてくれたのか...ありがとう、これでぐっすり眠れる、風邪も吹き飛ぶよ〜』

 ....と感じたのは、熱と咳で弱気になっていた私である。
 いつもの私は、『居間の温度を何度にすると、寝室派が増えるのか、ちょっとデータを取ってみよう。そうそう、暖房を停めると、14匹すべてが来るのかな寝室に....』
 布団の重さに耐え、そんな事を考えながら、いつの間にか眠りの中に吸い込まれていた。

 
 



2002年12月11日(水) 天気:晴れ 最高:−5℃ 最低:−14℃


 ピアノが、そしてギターが4メートル前で静かに、時に激しく奏でていた。サングラスがライトを忙しく反射し、私の前のテーブルが高く伸びるボーカルに震えていた。
 煙草....手拍子....柿の種....ドリンク(ああ、ノンアルコールである....)...そして、再び煙草...。
 目は2人のプレーヤーに向けたまま、私の手と口だけが気ぜわしく動いていた。いや、確かに心も動かされていた。

 『モーガンズ・バー』のAさんとIさんのパワフルな演奏は、とても2人だけのセッションとは思えなかった。
 Aさんのアコギが刻み、ニューオリンズを漂わせるIさんのピアノがうねりを作り、互いが縒り合って1本の輝く糸となっていく.....。

 私も、アミちゃんも、そしてツンチャン、モモチャンも心が浮き上がり、そしてAさんのボーカルに、ギターに、Iさんのピアノに同化していた。
 ソファに座り、横の暖炉が赤く燃え、テーブルにはカクテルやら様々な食べ物が並んでいた。毛足の長い絨毯が敷かれ、5段上がった所には洒落たカウンターバーがあり、ネクタイをした客が止まっていた。
 マイナス10℃の気温に肩を丸め、打っぱなしのコンクリートの壁に付いたドアを開け、一瞬、中標津にも、こんな秘密の場所
があったのかと目を疑ったものだった。

 曲の合間のトークは大阪の香りが満ちていて、上方のサービス魂が感じられた。その大人の語りは、何とも不思議な間があった。

 一昨日、そして昨日と、AさんとIさんは、私やアミチャン、ツンチャン、モモチャンなどで編成している王国の『長ぐつバンド』の練習場に来て下さった。
 ともに演奏し、より良いセッションへのアドバイスを貰っていた。
 おそらく、不思議な事ではなく、当然の理なのだろうが、アマチュアにしてもプロの方にしても、音楽の好きな方は生き物も大好きな事が多い。
 これまでにも、多くのミュージシャンが北海道各地を巡るコンサートツアーの途中で、王国での犬やネコそして馬たちとの一時を楽しんで下さっている。緊張と旅の疲れがぶっ飛んだと、皆さんが言っている。

 音楽の良いところは、心地よさの共有が可能な事だろう。それは、子犬を見て『可愛い』と思う心と通じる気がする。すべての人間が、ある1匹の子犬を好きになるのはありえないが、けしてひとりの人間にしか可愛がられない.....と言う事もない。必ず、同好の士が見つかり、同じ笑顔で幸せになる。
 
 その点から思うと、二人だけでの今夜のライブは、私の琴線を揺らし、響かせた。
 寒い夜、幸せな一時を持つ事ができたと、私は、感謝している。
 



2002年12月10日(火) 天気:曇り時々晴れ間 最高:−4℃ 最低:−13℃

 『初めて犬を飼います、1番大切な事はなんですか....?』
 
 こんな質問を受けたら、私は次のように応えるだろう....
 
 『ぜひ、犬語を使う機会を作ってあげて下さい』....と。

 12月8日、場所は埼玉県、国営武蔵丘陵森林公園。
 『ドタバタ井戸端大集合』と掲げてBBSに来られている皆さんに、犬連れ、もしくは人間だけでも構いません、楽しくオフ会をと、呼び掛けさせていただいた。
 
 前日、立川のホテルに入った。雨が降り続いていた。傘が嫌いな私は、犬の匂いの染み付いたいつもの帽子で、応援をして下さっている皆さんと地鶏を食べに行った。天に祈りを捧げる時にはお神酒が必要と、久しぶりの(確か、そのはず....)アルコール類を腹に入れ、早めに床についた。

 8日、5時、外は暗かった。よく見ようと窓ガラスの曇りを素手で拭き、8階から下を眺めた。水たまりはあった、しかし、明らかに乾いているアスファルトも見えていた。前のビルの灯りに、雨粒が光らないかと何度も目をこらした。降っていなかった。

 テレビを付け、音をしぼって天気予報を探した。日曜日という事で、どの局もライブ放送は行っていなかった。イライラしながら6時を待った。NHKは『埼玉北部、降水確率60%』と伝えた。また、イライラがつのり、何度も小便に行った。

 かすかに外が明るくなっていた。雲の流れる姿が見えた。
 私はバッグの荷造りを済ませ、帽子を新しい物に替えた。『UB』と書かれている黒いそれは、BBSの仲間が探し出してくれた帽子だった。UBはウブとも読む事ができる、ウブは私のハンドルネームになっている、オフ会に相応しい物だった。

 7時、企画の初期から応援をして下さっているKさん(地元幹事さんである)に電話を掛けた。
 『GO!!にしましょう、決行です!!』

 私とKさんの掲示板に書き込んで頂いた。
 Kさんによると、会場に近い所に住んでらっしゃるWさんから、道が乾いていると電話があったと言う....心強い情報である。
 珍しく電源を入れてあった携帯に、心配をされた方々の声が届いた。希望をこめて『やりましょう!!』と大きな声で返事をした。

 Kさんの御主人の運転する車に乗せて頂き、久しぶりに会った我が家生まれのサモエド『マーヤ』と柴犬『アリス』のベロベロ攻撃を楽しみ、まだ、閉め切られている会場の入り口に1番で着いた、9時だった。

 Mさんの車が後ろに停まった。犬2匹の他に、何と大阪からの仲間が乗っていた。深夜バスで明け方東京に着いたらしい。Wさん親娘が愛犬とともに駆けつけた。
 やがてゲートが開き、入場料を払い、誓約書を書いて会場へ向かった。雨の気配は完全に消え、雲間から太陽の形が見えていた。落ち葉が集まっている道端に落ちている栗のイガが、私には珍しかった。

 ドッグランは、私からみると狭かった。まあ、普段、原野で暮らしている者は尺度が狂っているのだろう。
 それでも、嬉しい事に土があり、砂があり、そして、声には出さなかったが、犬たちがもっとも喜びそうな水たまりが残っていた。

 さっそく犬たちはリードから解放された。まず、初対面の犬どうしが鼻面を合わせて挨拶をした。次いで尻の匂いを確かめる。耐えられずに後ずさりをする子、吠えてしまう子、人間の陰に隠れようとする子.......すべてが私をニコニコ笑顔にさせてくれた。
 1匹が駈け出した。つられて2匹、3匹....。
 たちまち会場は元気な犬たちの社交場、そして運動場、さらにオスッ気のある子には見合い、出会いの場と化した。

 『あ〜ヤメテ!!コラッ!!』

 笑顔が半分ひきつった声が聞こえた。真っ白なサモエドが、私の望みどおり、水たまりで遊んでいた。

 12時になった。犬も人も増えていた。
 サモエドが20に近かった。様々なミックスが元気に遊んでいた。ゴールデンも駈けていた。レオンベルガーも走った。柴犬がちょこちょこと足を運んでいた。アイリシュウルフハウンドが巨体を見せてくれていた。大きく、そして優しかった。腰の手術を済ませたワイヤーが元気な姿を見せてくれていた。
 チベタンスパニエルは、想像のとおり可愛かった。G・ピレニーズ、ニューファン、レオンベルガー、バーニーズの大型4種が堂々と登場した。さらにグレートデンが見事な耳を立てていた。
 コーギーの若者がダックス系の女の子を追い掛け始めた。拒絶されても、ひたすら一途な想いを打ち明けに向かっていた。

 『ガウガウガウ!!』『ウ〜ギャンギャン!!』

 白い固まりが2個、突然ぶつかりあうようにして声をたてた。人間があわてて間に入る。
 サモエドのオス対オスの威嚇合戦である。
 上下の関係が決定していない時、もしくは下克上の心を持った時、そして、目の前に美女がいる時......これが出現する。
 まあ、放っておいて決着を待つ方法もある(殺しあいになる事はまずない)。しかし、これはオフ会など他に多くの犬と人がいる時には相応しい解決法ではないだろう。
 大人のオス犬として、ガウは大切な自己表現である(他のオスに対しての)。人間は、これを認め、その上で変化を作り出すべきだと思う。
 それには、ドッグランは重要である。
 つまり、リードに繋がれていると、余計なストレスやら空(カラ)元気によって正しい上下関係を作り難い。互いに放れて自由に行動ができるからこそ、相手を避ける事を覚えていく。簡単にはいかないが、何度も出会いを繰り返し、そこで学ぶ事によって必ず良い方向が見えてくる。

 犬の付き添いとして来られた皆さん、そして、他人の犬と遊ぶために来られて方々は90人となっていた。私が御会いした事のある方は30人、あとは初めての方ばかりである。掲示板に書いて下さった文章から推測し、50代の方かな〜と思っていたところ、目の前に現われた女性は妙齢の方であわててしまう事もあった。
 そのどなたもが笑顔だった、昔からの友人のように語り合っていた、愛犬の自慢と謙遜を交互に繰り返して話されていた。
 その雰囲気の中に身を置く事ができた.......ただただ、それが私には嬉しい事だった。

 犬たちにも同じ事が言えた。半数近くの犬はドッグランが初めてだった。最初は怯えたり、隠れたりしていた子が、他の犬の動き、大好きな人間の雰囲気に誘われて、徐々に自分の判断で行動を始め、そして、他の犬とのコミュニケーションを取り始めた。
 中には、以前からの大親友のように遊んでいるコンビもいた。集団で水遊びに夢中なグループもいた。
 そこには『犬語』を十二分に使っている、イキイキとした犬の姿があった。

 ミックス犬のレッパーを連れてきていたWさんが言った...

 『この間、下見と思って連れてきた時は、どの犬にもガウガウばかりで、放すどころじゃなかったんです....。それが、今日、こんなに数が多いのに、走って遊んでいるんです。あんなに嬉しそうによその犬と遊ぶの初めて見ました...嬉しいです』

 この言葉を聞くことができた事が、声をかけさせて頂いた私の最高の御馳走、御褒美だった。
 
 『ああ〜、本当に皆さんと会う事ができて良かった、雨にならずに救われた.....そして、初対面の犬どうしが、上手に犬語を使うのを見る事が出来て良かった...』
 
 大地が凍り付いた北の地に戻り、今、私はそう思っている。
 集まって頂いた90人の皆さん、そして40を超える犬たち諸君に、大感謝である。
 ありがとうございました。



2002年12月06日(金) 天気:晴れ 最高:−2℃ 最低:−6℃


昨日の暖気で融けた雪が凍り付き、大地に残っている所は、私が駈けても穴ができないほど堅くなっていた。通常、3月の中旬以降、春の声を聞くころに起きる『堅雪現象』が出現した。
 これを喜ぶのは犬たちである。案の定、朝夕の散歩(大解放)の時には、いつも以上にはしゃぎ、全速で駈けていた。父親のマロの抜けた冬毛で編んだセーターを着ているカリンも、毛のない事を忘れたかのように、母屋へ走り、林を抜け、川の近くまで跳び跳ねて行っていた。
 ようやく戻って来たカリンの足は、ピンクの部分が真っ赤になり、しもやけの心配が必要なほどだった。やはり靴も用意するかと、女房と話をした。

 雪がある事で、私と女房も助かる。何がかと言うと、大小便が『ここですよ〜』と自己主張してくれる事である。
 15匹以上を、それもフリーにして散歩をすると、いつの間にか済ましている事がある。健康状態の確認には大小便の色、形、量などをチェックするにこした事はない。草原や砂利の上では、小便の色を判断するのは難しい、さらに草丈が高いと、ウンコがどこにあるのか、見失う可能性もある。

 しかし、雪は大地を白いキャンバスに変えてくれる。遠目に小便スタイルの犬を確認しておき、およその見当をつけて探しに行くと、はっきりと黄色い跡が残っている。
 『おっ、血は混ざっていないな。この穴の感じから行くと、量もまずまず....』
 と言う事になる。
 ウンコにも利点がある。発見しやすいだけではなく、今日のように気温が低いと、たちまち堅くなり、堅くなると臭いが薄くなる。十能で下の雪ごとすくい取ると、簡単に処理ができる。

 24時間、とうとうプラスに気温が転じなかった今日の中標津、いつもの年よりも冷えている気がする。
 その北の地から、私は明日、東京に向かう。
 以前から、このHPで呼び掛けをさせて頂いていた『オフ会』と、いくつかの用事を済ませるためだ。
 昨日までの晴れという天気予報が消え、オフ会の会場となる埼玉県の森林公園の8日は、降水確率60となってしまった。気温の予想は低い、ひょっとすると雪などと書かれている。
 冷たい雨は、人にも犬たちにもせつない、降るならば、何とか雪であって欲しいと思うが、そうなると今度は、犬を乗せて車で来られる皆さんが心配である。

 人生、思うようにはならないな.....と苦笑しながら、何とか中止とならない天候であってくれと祈る気持ちである。

 そうそう、今日、『ゆかいクラブ』の会報誌・ルップが印刷所から届いた。さっそく女房と、我が家が受け持つ分を封筒に入れ、明日にでも送付できる状態にした。今号が『119』である。隔月の発行なので、次の120号は、20周年記念号となる。
 よくぞ...、そして何よりも、動物王国を応援してくださっている多くの皆さんのおかげだと思う。
 8日のオフ会では、会員の方もたくさんいらっしゃる、20年続いたパワーで雨雲も蹴散らしたいものである。

 明日の釧路発11時20分の羽田行き.....私のお伴はチベタンスパニエルのポニーの子犬である。東京でKさん御家族が待っていて下さる。
 良い旅になる、そんな予感がしている。



2002年12月05日(木) 天気:晴れ 最高:9℃ 最低:1℃


 雨は暗いうちに上がり、かすかにもやのかかった朝を迎えた。それもそのはず、気温は久しぶりのプラス、暖かい夜明けだった。
 こんな日は小屋の中のコッケイたちも元気である。早く戸を開けて太陽を浴びさせろとばかり、大きな声で雄たけびを続けている。根負けして戸を開放すると、まずコッケイが、続いてウッコイ、そしてアブラとアブラ2世のネコ2匹が勢い良く飛び出てくる。
 コッケイは、まるで『ありがとう』の挨拶のように、私の長靴に飛び蹴りを入れて来た、

 『おっ、傷が良くなったか....?』

 私は、暴れるコッケイを掴みあげ、蹴爪の折れた跡を見た。まだ黒赤のかさぶたがある。しかし、再び出血をしそうな感じはなかった。
 11月末に大切な武器である爪を折ってから、コッケイは蹴りを見せていなかった。おそらく痛みがあったのだろう。おかげで客人も堂々と行動ができたのだが、それも昨日までの事となりそうだ。

 アブラは、カボスやシバレ、そしてマロに身体を擦り付け、尾を絡めて挨拶をした後、ニャ〜ニャ〜と鳴きながら私の長靴に頭と背を付けてくる。
 これは、「おはよう」とともに「何かおくれ〜」と言っている。さっそく上着のポケットに入れて玄関から持って来たネコ缶を与える。
 
 何故、玄関からわざわざ運ぶかと言うと、先日まで保管していた動物用台所(コッケイ、アブラたちの夜の寝場所)では、夜間マイナスの気温になり、缶詰が凍ってしまうのである。
 彼らは、冷たい餌よりも温かいものを好む、水もそうである。蛇口から出た8度よりも、30度に温めたものに口をつける。人間と同じように、対象の温度は食欲と大きな関係を結んでいる。自然界ではありえない事かも知れない。しかし、人間の手が関わっている所では、大いにネコも好み(わがまま?)を出している。

 ニワトリたち、そしてアブラなどに手を掛けている間、周囲の小屋に繋がれている犬たちは、絶えず尾を振りながら、私の一挙手一投足を、声は出さず、真剣に眺めている。
 チラとでも目が合うと、瞬間に尾の振りが強くなり、クサリから放してもらえるかも知れないと、耳が倒れ、期待で笑顔になる。
 私は腰を屈め、両手を前に出し、まるで脅しをかけるような姿で、真正面から順番に犬たちに寄っていく。
 
 彼らは、クサリを放してもらうと同時に、1枚のジャーキーを受け取る。そして、私や女房のかけ声に、踊るような仕草で喜びを表わし、かろうじて融け残った雪の上に駈け出した。

 昨日までのように大地を覆う雪は凍ってはいない。雨にスカスカにされ、14キロの柴犬のシグレでもズボズボと足がささってしまう。
 駈け難いとは思う、しかし、フリーになった喜びは、その困難を心の中から吹き飛ばしている。追いかけっこ、ターゲット遊び、そして、母屋までのポイントポイントでの匂い確認と小便掛け.....。
 その合間に、私と女房の動きと指示を確認しに戻って来ては、ついでに上着のポケットのジャーキーを減らしていく。

 昨夜までは雪に隠れていた土手に黄緑の物体を見つけた、フキノトウだった。外側の1枚は先端が霜や雪に痛めつけれられ、先端が薄い茶色になっている。しかし、その下のすがすがしい緑は、来年も春が確実に来る事を示している。

 さあ、雪よ降れ!!
 そして、大地を、フキノトウを、植物たちの根を覆い、温もりを与えよ...。

 そう祈りながら、泥沼のような雪解けの箇所を犬たちと一緒に駈けた朝だった。

 

 



2002年12月04日(水) 天気:晴れ、夜遅くなって雨 最高:7℃ 最低:−7℃


 何が嫌かと言って、冬の雨ほど苦手なものはない。カラオケでよく歌う『氷雨』も冬を描いていると思うが、あのせつない歌詞は、歌の中だけであって欲しいものである。

 しかし、その冬の雨が遅くなって降り始めた。雪に慣れていた犬たちは、ほとんどが小屋に入り、窓辺にやってきたキツネのルックは、屋根から落ちた雪の高くなっている所で丸くなって寝ており、雨を避けるように顔を尾と腹部の間に深く入れていた。

 『おいっ、ルック、寒くないか....?!』

 私が出窓を開けて声を掛けると、ルックはビクリとして顔を上げ、目を細めて見つめてきた。
 数年前と比べると、明らかに身体の太さが違っている。今の時期ならばフサフサの冬毛におおわれ、まるでタヌキのような感じに見えるのだが、今のルックは、あくまでもスマートなキツネだった。確か年を越すと11才になるはずだった。これは人間に換算すると100才オーバーである。
 事故に会うことなく、酷い病気もせず、たいしたケガもしていない....そんな幸運を引き寄せてきたのだろう。

 『ほらっ、ソーセージを食べていいよ....』

 窓から精一杯、腕を伸ばして差し出すと、ルックはゆっくりと寄って来て、そっとくわえた。
 私から視線を反らさない瞳は、穏やかで、室内の灯りにオレンジに輝いていた。
 外に出した腕に当たる雨足が強くなったのを感じながら、この雨に耐え、明日も顔を出せよと、心の中でルックに語りかけた。
 ソーセージ、生肉を食べ、その後のチーズは口にくわえたまま、ゆっくりと家の陰にルックは消えた。
 直後、カボスの吠える声が聞こえた。ルックの通り道のすぐ横がカボスの小屋だった。



2002年12月03日(火) 天気:晴れ 最高:2℃ 最低:−9℃


 ヘルシンキからロバニエミへ、そこからまた北上をしてイバロ、そしてイナリへと、12月の中旬にフィンランドを旅した事がある。
 積雪はそれほどでもなかったが、夜明けが11時で日没が午後1時、太陽は地平線をかすめるように姿を現わすだけだった。
 たくさんのトナカイに会い、おいしいトナカイ肉や熊肉、ライチョウを食べ、サンタクロースの家を訪ねたりしたが、何よりも記憶に残っているのは、行程の中で最も北の地『イナリ』で見たオーロラである。
 もちろん北極圏、サーメの人たちが多く住んでいる小さな町だった。
 
 『今夜は、きれいなのが見られるよ....ラジオが言っている...』
 
 宿の主人は、昼食後すぐに輝き出した星空を見ながら、私たちにそう言った。ラジオが『今夜のオーロラ』という情報を、あたかも天気予報のように流しているのが面白かった。

 主人の言葉どおり、午後7時過ぎ、真っ黒な空でショーが始まった。
 それまで、スチール写真、動かない映像でしかオーロラを見ていなかった私は、その大きさと動きに驚いた。
 北の地平線の上に現われた色鮮やかな光のカーテンは、まるで風が揺らしたかのように波打ち、あっという間に南西の空へと繋がり、移動するように空を覆い尽した。

 風はなかった。雲もなかった。車の音も聞こえなかった。
 −15℃の雪の世界で、私たちはひたすら上を見上げていた。
 
 やがて落ち着いて眺められるようになると、音が聞こえた.....。
 大きな光の波が揺れて流れて行く時に、

 『シャ〜〜!!』

 と寒気の中に空から音が降ってくるように私の耳は感じていた。

 オレンジ、赤、青、緑、黄色、赤紫......様々な色に染められた空のカーテンは、私たち人間の頭をかすめるように、空気の小粒を揺らしながら通り過ぎている、そんな感じがした。

 震えが辛抱できなくなるまで自然のショーを堪能し、冷えた身体を暖めるべく宿に戻ると、暖炉は赤々と燃え、笑顔でパイプをくわえ、フインランディア・ウオッカの瓶を抱えた宿の主人が、右手で瓶を掲げ、瞳で私たちに『飲もう!!』と言った。もちろん、私はグラスを手に取り、熱さを秘めた透明な水を冷えきった身体に流し込んだ。おつまみに用意されていた皿には、茹でたトナカイの内臓肉と血のソーセージが乗っていた。

 アラスカでもオーロラを見たことはある。しかし、2月という時期が悪かったのか、イナリのものにくらべると、色も大きさも
鮮やかさも物足りなかった。

 この北海道でも、オーロラは何度か観察されている。最近では寒さで有名な陸別町にある天文台から写真が発表される事が多い。
 しかし、緯度の高い所のようにはいかない、何となく残照のような赤系の色が認められる程度である。

 でも、私は、それに似ている冬の日没が好きだ。理論的にはオーロラでも何でもない単なる夕焼けだが、薄い雲が濃淡を作り、そこに太陽が姿を消すと、空全体に陽光がまわり、赤紫を基調に青、オレンジ、そして青みがかった紫が雲を染めあげる。
 条件が揃う夕方はそれほど多くはなく、本当に美しい日はひと冬で4〜5回だろうか。
 
 今日、その1回目があった。

 まだ太陽が阿寒の山々に消える前から予兆があった。犬たちと雪原で遊びながら、私と女房の目は空の色の変化を追っていた。
 まだ遊ぼうよと駈けまわる犬たちに『ハウス!!』と声を掛け、私は、あわててカメラを取りに家に戻った。

 残念ながら、最高の色は終わっていたが、それでも何枚かシャッターを押すことはできた。
 掲示板に画像を貼って眺めると、あのイナリのオーロラを思い出し、無性にフインランディアが飲みたくなった。



2002年12月02日(月) 天気:晴れ 最高:2℃ 最低:−6℃

 数年前、警察犬のチャンピョンを育てた方に聞いた事がある、
 
 『もっとも重要な事はなんですか?』

 この分かりにくい質問に、彼は私が理解できるように、単語をひとつずつ区切って、ゆっくりと答えてくれた。そう、彼の素晴らしいジャーマンシェパードは全米チャンピョンだった。

 『何と言っても、訓練や仕事以外の時間だよ〜、youはそう思わないかい?』

 次の話を聞く為に、私は、
 『オウ、yes、yes、I think so!!』
 と答え、言葉を待った.....

 『どんなに厳しい仕事をした後でも、リードから解放し、いっしょに転がって遊んでやると、イヤッ、何もしなくてもいい、身体を束縛している物を外し、横に座り、片手で背を撫でながらコーヒーを飲んでやると、それだけでコイツらの緊張と疲れが消えて行くよ。それは目を見れば分る.....オイラの1番嬉しい時間さ〜これが大切だね〜!!』

 さらに彼は続けた。
 『日本の犬は、いつ放してもらうのかな?繋がれている子が多いけど.....』

 私も同意見である。
 犬が生き物としての命を取り戻すには、自らの判断で右に行ったり左に駈けたり、そして立ち止まったりできる時間が必要だと思う。
 しかし、犬は鎖で繋ぎなさい..という不思議な法律のある国である。どこでも犬を解放できるわけではない。
 そこで登場する素晴らしい施設が『ドッグラン』である。囲われてはいるが、ここならばリードから解き放つことが可能である。

 しかし、山奥で他に人も犬もいない所で解放するのとは大きく違う。施設は多くの人と犬が利用する場所であり、そこにはルールがある。
 それは、最初から全ての人、犬が理解しているわけでもないし、分かっていても生き物ゆえに守れない事もある。

 今、各地に作られているドッグラン、これは素晴らしい流れである。
 その上で、私はもうひとつ望みがある。
 ドッグランには必ず係員、それも犬の行動指導のできる方を置いて欲しいのである。もちろんドッグランに併設して「トレーニングコーナー」があると、これは感激である。
 そこで、犬とはどのような生き物なのかを確認し、特に、他の犬と折り合いをつけるためにはどうすれば良いのか、それを学ぶ事ができる体制が欲しい。これこそが新しい犬の文化を作る基礎になるだろう。

 今日、ある公営のドッグラン計画に、係員がいない、という事を小耳に挟んだ。その状態を危惧したボランティアの方が手を挙げていると言う.....。

 形だけを作って『魂』の部分にまで配慮がいかない自治体も残念だが、それよりも私が気になるのは、「獣医さんの団体」「訓練士さんの団体」「ペットショップさんの団体」から、何も動きが起きていないのだろうか...と言う事である。

 私は単純である。
 従って、『ドッグランこそ、多くの犬が向こうからやってきてくれる。様々な事を伝え、ともに文化を作り上げていくには最高の所』だと思っている。
 これを無駄にしないように、陳情でも何でも行って、多くの人と犬が、特に、今、様々な事で悩んでらっしゃる飼い主さんが、笑顔になれるようなシステムを作りたい。
 これは、犬に関する仕事を行っている団体の大きな使命・役割だと思う。
 私の耳には届いていないが、おそらく、そのような方向に進んでいると信じ、遥か遠い地でのドッグラン計画が、成功し、全国に広がって行く事を願っている。

 都会の犬たちにこそ、リードから5分でも解き放たれる場所は必要である、絶対に....と思うのである。



2002年12月01日(日) 天気:快晴 最高:5℃ 最低:−5℃

 大地にしがみつくように凍った雪を乗せて、原野は師走を迎えた。風なく、雲なく、暖かい朝、羽田から5人の女性が中標津直行便で飛んで来た。
 なんでもAN〇系の飛行機は、今日1日、いくら乗っても10000円ポッキリというイベントを行っているらしい。2ヶ月前に、キーボードの前で頑張り、プラチナチケットをゲットされた5人が、日帰りで我が家に来てくれた。

 私も心意気を身体の前にぶら下げて生きている人間である、これを歓迎しないわけにはいかない。
 客人をつつき、足蹴りで迎える番鶏のコッケイの技に磨きをかけ、今、当地で美味しい食材を揃え、泡の出る麦茶とワインを雪の上に並べて待つ事にしていた。
 予定は少し狂った。
 過度の練習が悪かったのか、前日、コッケイは攻撃に重要な蹴爪(ケンカヅメ)を根元から折ってしまった。なかなか出血が止まらず、心配をしたが、朝には元気になっていた。しかし、どんなに赤いもので誘っても、つつきはするが蹴りまでには至らなかった。

 私の楽しみがひとつ減りはしたが、まあ、生き物の事だからしょうがない、庭先にバーベキュー用の半切ドラム缶を置き、ヤマちゃんとだいちゃんが火を入れ、ヤマちゃん夫人のケイコ氏と女房が美味しい物を用意して皆さんを迎えた。

 とにかく日帰りである。釧路空港を16時45分発の3人、中標津空港を15時15分発の2人、駆け足で犬たちと雪原を散歩し、あわただしくも確実に食べ物とアルコールを腹に入れ、そしてネコと戯れ、ヤマちゃん夫妻が待つ山本家で、ヘアレス群団や大きなフーチ、そしてテナガザルのナナなどと遊んで、空港に向かった。

 雪の融けた所は泥沼のような状態である。そこで遊んだ犬たちの足跡が付いた衣服を着替える間もない旅だったが、5人の方は笑顔で去って行った。
 私は、ただ『お疲れさまでした.....』と言うだけである。

 1週間後、今日の5人の方とは、埼玉県の森林公園で再会する。今度は60人の笑顔、そして犬たちの元気な姿に会う事ができる。
 楽しみの多い師走がいよいよ始まった!!