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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2003年02月28日(金) 天気:晴れ 最高:3℃ 最低:−12℃

 先日、どこかのBBSで、犬の足先の形が話題になっていた。狩りに、木登りに大活躍をしなければならないネコと違い、品種が異なっても犬の足先は、似たような形で構わないと思われる。
 しかし、これが結構複雑で、微妙に違っている。もちろん、その大きな理由は、家畜として期待された犬種ごとの仕事の違いに由来する。
 
 例えば、駈けるスピードを求められた連中。彼らの足先は「ラビットフット」と言われる形が多い。アフガンもサルーキもグレイハウンドも、そして我が家の犬では、まさしくサイト系であり、そのスピードも鮮やかなメキシカンヘアレスのカリンがそうである。
 
 「ラピッドフット」.....足先がウサギのような形、つまり基節骨、中節骨が長く、人間で言えば手のモデルになれそうなスラッとした形である。
 特にこの連中は後ろ足が際立ち、独特の足長スタイルと無駄のない筋肉、それらと相まって、蹴りの強さを引き出している。スタートダッシュに向いているのである。

 比べて対極に位置しているのが、日本犬やサモエドなどスピッツ系と言われる連中などの足先である。形で言えば、じゃんけんの「グー」である。
 この形の犬にスピードは求められない。しかし、もっとも犬らしい姿であり、疲れにくく、そして足先のケガも少ない。がっしりとした肉球が身体の動きを受け止めてくれている。

 もうひとつの形もある。
 これは犬自身が望んだかどうかは知らないが、身体が大きくなってしまった連中である。セントバーナード、ニューファンなどの大型マスチフ系の犬種である。
 もとよりスピードは無縁である。しかし、体重を支えるために、単なる「グー」の形では無理だった。そこで、上から重さが加わると指の間が開き、より大きな面積で重さを受け止める形にならざるを得なかった、そう、じゃんけんで言えば「パー」である。
 そこで、いつの間にか、
 『この犬には水かきがあります。だから泳ぎが得意です....』
 などと言われるようになった。

 これは大いに疑問である。
 水かきを備えるまでに進化をするには、家畜としての犬はあまりにも時間が少な過ぎる。指を開く形を求められた事で、掌球の間が広がり、柔らかい皮膚も伸びたのだろう。
 ラブラドールには「水かきがある」と言われるのは、その身体にマスチフの血が流れているからこそである。もちろん泳ぎが必要な仕事を求められた犬種である。固いグーではなく、思いきり
「パー」の形で足先を使うのは得意である。

 今日、アラルの5匹の子犬たちの引越しをした。その理由はふたつある。
 先ず、玄関の育時箱に大きくなった5匹では、彼らが自主的にトイレと決めている居間側が狭くなり、身体が汚れ始めた事である。
 次に、メスの1匹が、70センチの高さの横板を越える事を覚えてしまったからだ。彼女は、前足を板の最上部に置き、懸垂の要領で身体を引き上げ、後ろ足を突っ張り、簡単に板を乗り越え、外で寝ている母親に甘えていた。
 残りの4匹が、この姿にヤキモチを焼き、『ワン、ギャン、ク〜』とうるさい。
 もう寒さにも対応できるまでに成長していると判断し、ヘアレスのカリンやネコのアブラが生活をしている車庫に移動した。

 もちろん、サークルで囲いを作り、その中には厚く牧草を敷いた。中に入れられた5匹は、しばらくの間、匂いを嗅いだり、隅に抜け穴がないかと確かめていたが、やがて場所になじみ、入口側の土に気づくと、5匹揃って地球を掘り始めた。
 厳冬期生まれゆえに、これまで土とは無縁な生活だった。しかし、やはり土は生き物の基本、心を動かす何かを備えているのだろう。5匹は、私の声にも気づかず、ひたすらに前足で掘っていた。

 1時間後、黒い顔と身体で、太陽の匂いのする牧草の上で昼寝タイムに入った子犬たちを見て、やはり引越して良かったと、私は、そう思った。

 穴を掘る手.....これにはグーもパーも関係がないようで、どの犬種も好きであり、また上手にこなしている。



2003年02月27日(木) 天気:晴れ 最高:−4℃ 最低:−15℃

 今日で生後61日、アラルの子犬の旅立ちへの準備を始めた。と言っても明日、明後日にどうのこうのではない。あくまでも備えである。
 
 先ず、5匹の中で、もっともウンコの軟らかい子のソレを採取し、病院で検便をした。24時間、密着した生活をしている兄弟なので、明らかに病的なウンコでないかぎり、このサンプル方式で問題はない。寄生虫でも、悪さをする細菌、微生物でも、もし体内にいる場合は、兄弟すべてに起きているからだ。
 すでに2度、駆虫をしている。今日の検査では寄生虫も、原虫等も見つからなかった。
 念のために、この後、もう1度の駆虫が待っている。

 1匹、ヘソの部分が少し出ているメスの検査もした。

 『これは、いわゆる出ベソではない。だいぶ小さくなってきたでしょう、何の心配もなし....』
 獣医さんが言うように、かすかに膨らみを感じる程度であり、私も『出ベソ』とは思っていなかった。しかし、これまた念のためにである。この子はメスであり、将来、出産という事があるかも知れない。腹圧が掛かった時に、ヘルニア等の事故が起きないように確認をしておきたかった。先ずは、安心である。

 病院へは、そのメスを1匹だけ連れて行った。初めて兄弟から離され、初めて車に乗せられた子犬は、助手席のシートの上で、3分ほど鼻を鳴らしていた。
 しかし、私が声を掛け、時々、左手を預けると、それに顎を乗せて落ち着いた。車に酔ったサモエドは見た事がないが、この子も楽しいドライブ犬になりそうだ。

 大人の犬たちとの出会い、挨拶トレーニングは、これまでのように、成犬たちのほとんどを繋いでおくのではなく、フリーになっている時に合わせて、子犬も自由行動の時間とした。
 30キロ、55キロの犬が勢いよく駈けて来る姿に、尾を振りつつ、身を動かさずに受ける姿勢が出来ていた。これならば、事故は起こり難い。もちろん、挨拶も完璧に近い形になってきている。

 人間の声に対する反応も、日々、確実になってきている。私も女房も、まるで物真似大会に出場したかのように、様々なトーン、音量に変えて呼んでいる。
 どんな声でも、それが人間の出すものならば、必ず反応するようにしたい。すでに5匹は、合格ラインに到達している。

 ネコに対する過剰な追尾、攻撃は最初から起きていない。これはアブラとアブラ2世のネコパンチ効果と言えるだろう。まだヨチヨチ歩きの時に、しつこく迫った子犬に繰り出した黄金の右パンチに感謝である。
 試しに、居間にも入れてみた。子犬たちは、寄ってきた10数匹のネコたちに、耳を丸め、腰を低くして固まってチェックの終わるのを待っていた。尾は細かく振られていたので、これも合格である。

 ネコは動かずに対処しているが、ニワトリ・ウコッケイには、恐れを含んだ敬意を表わすとともに2歩下がっている。
 これはコッケイのおかげである。庭でジャーキーなどを与えていると、必ずコッケイが駈け寄ってくる、それも「コッ、コッ、コッ」と鳴きながら。
 その走り方と、羽の音、そして問答無用に繰り出される嘴攻撃が、小さな犬たちにはショックだったろう。
 何回か繰り返すうちに、どのニワトリが姿を見せても、子犬たちは食器を、場所を譲るようになった。実に素晴らしい平和共存主義者である。
 
 犬は、自分で認識をしているかどうかは別として、破壊力のある歯と顎を備えた捕食獣である。だからこそ、幼い時に、弱き物への敬意の心を作ってやるべきである。

 生まれた家での最後の仕上げとなる、これからの10日間。たっぷりと遊び、手と声を掛け、新しい御家族のもとへ送り出したい。

 



2003年02月26日(水) 天気:明るい雪のち晴れ間のち曇り 最高:−4℃ 最低:−17℃

 カラスは馬糞が好きである。特に、燕麦などが配合された濃厚飼料を食べている馬のボロは、見事に形を崩され、便になるまでに、腸内の水分でふやけて柔らかくなった穀類を中心に食べられている。

 カラスは犬の糞は、あまり好きではない。普通の大人の犬のウンコであれば、まず口にはしない。
 でも何事にも例外はある..........。

 『ねえ、おとうさん、夕べ、ミゾレはどこでウンコをしたの?』

 朝の犬たちのフリー散歩の時に、女房が聞いてきた。
 女房は、水色のポリバケツと大きめの十能、そして誰も繋がれていないロングリード(緊急用である)を手に散歩に行く。
 緑の季節であれば、原野の中で済ませた犬たちのウンコは、そのまま大地の貴重な栄養としている。しかし、冬は微生物も活動はしていない、この寒さでは。従って目に着く物はバケツに入れて運び、大きく生長をして欲しい林の中の樹木の根元に溜めたり、コンポストに収容している。

 マイナスの世界が続いているので、少し時間を置けば、ウンコは固く凍り、臭いも消えて実に扱い易い。まさにカリントウもどきなのである。

 『夕べは、たしかネコヤナギの裏だったと思うよ、懐中電灯が暗くて、よく見えなかったけれど.....』

 『そうでしょう、やっぱりね!!』

 できたてホヤホヤのダーチャのウンコをすくったばかりの、少し黒茶の物が付いている十能を、私の目の前で振り回わし、得意顔で女房が言った。ダーチャウンコの臭いが鼻先を通過した。

 『アラルの時もそうだったのだけど、離乳食になる前、母犬が子犬のミルクウンコを食べている頃の物は、美味しいのか、何か栄養があるのよね、だから、カラスも突いて食べている.....』

 そう言うと、女房はまだ蕾に変化の見えないネコヤナギの横を抜けて、ミゾレのウンコ跡に私を連れて行った。
 そこには、カリントウはなかった。細かくされた黒茶の『元カリントウ』が白いキャンバスの上に散らばっていた。

 『そうか、今、ミゾレのウンコの中には、子犬のミルク便も大量に含まれているはずだよね、まあ、そのままの形、成分ではないけれども....』

 『ミルク臭さかな〜?子牛や子馬のウンコもカラスによく食べられている....』

 午後、私はミゾレをトイレに出した時に、少し離れて観察をした。
 いつものカラスのカップルが、ダケカンバの枝から飛び立ち、ミゾレの後を追って行った。
 そして、ミゾレが用を足し、我が家に向かって駈け始めると、すぐに現場に降り、まだ湯気の出ているウンコに軽く嘴で突きを入れ始めた。

 その1時間後、カボスがカラスたちの止まっている木のすぐ近くで太さ7センチ、長さ45センチ(5切れに別れていたが)の、とても立派なウンコをした。
 夫婦カラスは見向きもせず、何人かが『あのカラス、マロ〜と鳴いているね』と言っている声で鳴くだけだった。

 明らかに、子を育てている母犬は、犬の世界だけではなく(この期間は、たとえ地位的に下位でも、大きな顔ができる)、他の生き物にも、その状況を示すサインを備えているようだ。
 生物界には人間の目に見えぬ『只今育児中』の看板があるのだろう。

 追記
 私は、糞と死体(動植物すべての)こそが、地球の素晴らしい資源と思っている。文化を大声で語る国は、あまりにもそれを粗末に、厄介ものにしていないだろうか......。
 



2003年02月25日(火) 天気:晴れ 最高:−2℃ 最低:−13℃


 今日、二人の若い女性が福岡に帰った。
 
 『スカリーが、私の投げたフリスビーを上手にキャッチしてくれるんです、投げ方が下手くそでも.....』
 『それに、どの子も生き生きとした表情で見つめてくれるし、散歩がこんなに楽しいとは思いませんでした....』
 『そうそう、乗馬も楽しかった。犬ゾリではこけましたけど....』

 中標津空港に見送りに行った私の前で、名物のイモダンゴを食べながら笑顔で話してくれたのは、中標津のカラマツ荘で研修をしたTクンだった。

 『私は、一番印象に残った犬はグレーンかな。次がパグのタラコ.....』
 『それにしても、あんなに様々な犬が、同じ所で暮らしているなんて、凄いと思った。勉強になりました.....』
 『馬たちもなつこくて、あんなに可愛いとは思わなかった、乗馬もできたし!!』

 Tクンよりは少し年上のSクンは、浜中の王国で研修をした。

 二人は3週間の予定で、1年でもっとも寒さの厳しい時期にやって来た。専門学校で犬のトレーニングを学んでいる。しかし、授業で実際の犬に関わる時間は限られている。今回の研修では、彼女たちは二人とも自分の部屋に犬を入れて寝ていた。つまり24時間、犬が横にいる研修である。
 これは、私たちが勧めたものではない。過去、数多くやってきた研修生の中には、触れ込みと実際が大違い、という学生も多く、しばらくは、こちらも様子を伺いながら、という事が普通だった。

 しかし、今回の二人は違っていた。キラキラと瞳を輝かせ、意欲的に仕事に向かってきた。
 これならば、と言う事で、仲間たちは二人に犬を預けた。犬も人を見る.....いや、『犬は人を見る』。彼女たちは見事に犬たちのお気に入りとなり、散歩にトレーニングに、尾を振って参加していた。

 わずかに3週間である。ほんの少ししか伝えられなかったとの思いもある。しかし、十分に王国の犬の文化に触れてもらえたのでは、そんな気持ちもある。
 それは、彼女たちが、王国のメンバーと変わらずに、自然な形で犬の中にいたからである。その様子を見た私は、

 『ああ、もう二人は仲間だ....』

 そう感じた。

 この後、二人はどのような未来に進むのかは判らない。だが、今回の3週間が、彼女たちの心の中のヒダのひとつになってくれたなら、これほど嬉しい事はない。

 ガンバレ、Tクン、Sクン.....である。



2003年02月24日(月) 天気:晴れのち曇り 最高:−2℃ 最低:−16℃

 これを書き始めようとした時に、女房が一言.....

 『子犬の餌と見張りよっ!!』

 そうなのである、5匹のアラルの子犬たちには、よそ見をしない見張り、監視人が必要なのである。

 では、先ず、彼らの監視に行き、戻ったら続きを書こう。
_____________________________

 生後58日、アラルの子犬たちの離乳食は次のような中身である。
 『子犬用ドライフード+牛乳+缶詰+フリカケ+湯』
 もう、ほとんど柔らかくはしていない。歯ごたえのあるほうが食べっぷりが良い。

 これを与える時は、玄関の育時箱から外に子犬たちを出し、寒気の中での食事となる。今夜は暖かいほうで−7℃、餌もすぐには凍らない温度だった。
 2つの食器を行き来しながら食べた5匹は、満足した子からサークルの隅に行き、何度も匂いを嗅いだ後、腰を下ろしてウンコをする。この時に、ヒーヒーと啼きながらトイレの場所を決める子もいる。実に分かりやすい。

 ウンコが終わると、口直しに母親のミルクを飲む子もいるが、昨日からアラルの乳首の人気は落ち、5匹中、2匹しか吸い付かなかった。いよいよ本当の離乳のようだ。
 他の3匹は、餌とセットになっている(そう理解してきている)、雪原自由行動を願い、サークルに前足を掛けて、私や女房の動きを目で追っている。

 『よ〜し、大解放だ〜!!!』

 車のライトをつけ、周囲を明るくした後、サークルを開く。待ちかねていた5匹とアラルが庭に飛び出て行く。
 サークルの中でウンコを済ませていない子は、この段階で必ず催す。他の連中は、繋がれているセンやカボスに尾を振って挨拶にいったり、雪山に登って「オラが大将」遊びに夢中である。
 アラルはと言えば、全体が見える所に腰を下ろし、ひたすら影のように動かない。彼女は子犬たちが集まってきて身体をよじ登っても、じっと耐えるタイプである。だから、目立たぬようにして子犬たち襲撃を避けている。

 それでも、アラルは立派な母親である。どこかで子犬の尋常ではない悲鳴が上がると、すぐに寄って行き、確認をしている。

 子犬たちは、この2.3日、ふたつの仲良しグループに別れてきている。我が家の残るオスを含めた3匹は、主に庭の西側を中心に遊ぶ。残りの2匹は、もっと行動圏が広く、東側、つまり我が家への取り付け道路までつるんで遊びに行ってしまう。
 夜は、それほど車も通らないので良いのだが、日中は怖い。人間は、子犬たちが道に出そうになると、必死に呼ばなければならない。
 従って、朝夕、そして夜の作業の時は、女房か私のどちらかが、必ず子犬の監視役になり、元気ものたちに目を光らせている。

 この役目は、実は私は大好きである。
 『おいで、おいで、ピュ〜ピュ〜』
 と、言葉や口笛で呼んだ時に、数十メートル先から耳をパタパタさせながら駈けてくる子犬たちを見るのは、最高の幸せを感じる瞬間である。
 明日も、何度か繰り返し、私はニコニコになるだろう。



2003年02月23日(日) 天気:晴れ 最高:−2℃ 最低:−20℃

 2週間ほど雪らしい雪が降っていない。何度かチラチラはあった。しかし、その程度では固い雪原の上を新たに覆うまでには至らず、ひと吹きの風とともに舞い散ってしまう。
 
 表通りは、どこもアイスバーンひとつなく,車は快適に流れている。しかし、裏道は、そうはいかない。新たな降雪がないために、古い雪が磨かれ、実に滑り易い状況になっている。おまけに変な轍(わだち)ができていて、私は、なるべく通らないことにしている。

 我が家の庭も、そのツルツル状況である。
 磨いたのは車ではない、犬たちである。成犬が16.7匹、そして元気盛りのアラルの5匹の子犬が、駈け、転げ、鏡のような雪面を作り上げた。
 私と女房は、すでに何度も転んでいる。足の数が多い犬はと言えば、これまた派手に転ぶ。軽いシグレも重いカボスも、勢い余ってド〜ンである。
 2年前に腰と肩を傷めたマロには、慎重に動いて欲しい。だが、この冬のマロは絶好調である。まるで5年前に戻ったかのように、跳ねながら群れの中心になって駈けてくる。
 という事は、元気に滑り、転ぶ事になる。

 『ウ〜、ガウル〜!!』

 今朝も、マロは自分の小屋の前で、女房を見つけて飛び跳ねた拍子に滑って転倒した。直後、マロは「お前が悪い...」とでも言うように、横にあった水おけの形をした氷の固まりに唸り、噛みついていた。

 子犬たちは、まるでボールである。4本の足を交互に運ぶよりも、嬉しさで前足2本、後ろ足2本を揃えて跳ねる事が多い。すると、簡単にコロリといく。でもフカフカの毛に包まれた白い塊は気にしない。すぐに立ち上がり、またピョンピョン跳ねて行く。

 今日は、子犬たちに羽を広げて向かって行ったコッケイが滑って転ぶのも見た。本人もショックだったのか、それとも、何をしようとしていたかを忘れたのか、優しい声に変わり、静かに車庫に戻って行くコッケイに、私は大笑いをした。

 



2003年02月22日(土) 天気:晴れ 最高:−1℃ 最低:−18℃

 夜、王国のボーリング大会が開かれた。私は、いわゆるボーリング第1次世代である。東京にいた頃は、早朝割り引きを大いに利用して通った。
 従って、マイボールもシューズも、機織り部屋のどこかにあるはずである。
 
 嬉しい事に、若い人たちは様々なレジャーがあるので、ボーリングだけに入れこんだと言う人間はいない。そう、国内大会で、それなりに私も上位にはいる事が可能であり、気分が良いのである。

 大会を行うと決まった時、つい私はシャドーボーリングを行ってしまった。手を後ろから前へ....『ズ〜ン!!』
 フォローの時に、忘れていた肩に痛みが走った。もう一度、今度は工夫をしてモーションを起こした。 
 だめだった....。

 目の前に、楽しい大会があると言うのに、パスをしたのは今回が初めてだる。
 情けなさを胸に、皆がボールを投げている時間に、私は暗い庭で元気に駈ける子犬たちを眺めながら、氷の小さな塊を転がした。1匹の子犬が嬉しそうに追い掛けた。



2003年02月21日(金) 天気:晴れ 最高:−6℃ 最低:−20℃


 眼科の定期検診に行った。
 視力、目の弾性、等を調べた後、薬を点眼し瞳孔を開く。30分ほどすると医者が薄暗い診察室で、様々な器具を使って眼底を調べた。

 『正面を見て〜、上〜、下〜、右〜、左〜、はいっ、きれいですね、出血も何もありません!!』

 まあ、年齢から白内障に気をつける時期だからと、点眼薬だけを処方してくれた。

 会計を済ませ、普通は家路につくところである。
 しかし、今日は、病院の中の様々なライトがハレーションを起こしたように、白い光を放散していた。廊下を歩く時も、目を細め、下を向いて進まないと、眩しさで目が痛くなってきた。

 すでに何度も経験をしている検査だった。だが、今回は異様に薬の効果が持続している。
 病院の敷地の中に、処方薬を買う事のできる薬局がある。距離で60メートルほど所である。ここまでが辛い。日は西に傾いてはいたが快晴の空と雪.....瞳孔の開いた目には多過ぎる光量だった。
 何とか、辿り着き、点眼液を貰うと、停めてあった車に乗り込み、エンジンを掛け、暖房のスイッチを押して横になった。サングラスを掛けたとしても、この状況で運転をするのは危険と思った。しばらく待つ事にした。

 人間は、様々な薬を発見、そして発明してきた。私もその恩恵にあずかっている。
 中には、ほとんど気安めの物もある、心が伴って効果が出る物もある。
 しかし、まさしく『薬』、効能どおりに力を発揮する物も多い。今日は、そにお素晴らしさ、と言うか怖さを感じた。

 濃いサングラスを掛け、ゆっくりと帰路についたのは、車に乗り込んで1時間以上過ぎてからの事だった。
 夕方の犬たちの散歩、サモエドたちが眩しかった。

 『どうして我が家は、こんなに白い犬が多いんだ!!』
 
 サングラスの中の細い目を、さらに細くしながら、私は今日だけの文句を言っていた。

 

 



2003年02月20日(木) 天気:晴れのち曇り 最高:−8℃ 最低:−24℃


 朝、子犬たちを玄関の外に出そうとしてドアのハンドルに手を掛けた。
 『あれっ、動かない、鍵は掛けていないはず.....』

 もう一度、今度は強くハンドルを下げた。動いた、しかしドアは開かない。
 よくみると、ドアの縁と接している玄関部分に白く霜のような氷が付いていた。凍り付いていたのである。
 それではと、ラグビーかアメフトの選手のように、痛みのない左肩でドアを押した。バリッと音を立ててドアが開いた。

 夜明け前の気温がマイナス24℃、太陽が上がってからドンドン上昇しているとはいえ、まだマイナス15℃はあった。
 それでも5匹の子犬たちは嬉しそうに、ほとんど氷と化したサークルの中で、小便をし、離乳食にかぶりついた。

 私は玄関に置いてあった水おけをサークルの中に移動しようとした。餌を食べた後で、けっこう口をつける子が多い。

 『ありゃ、氷が張っている....、』
 
 玄関の中には子犬たちだけではなく、母親のアラルも一晩中寝ていた。彼らの体温と吐く息で、温度が上がっていたはずなのに、何と、床の上のおけには、厚さ1センチの氷があった。
 あわてて、台所からヤカンで熱湯を運び、それを掛けて融かし、少しぬるめの湯にして水おけを外に出した。子犬たちが旨そうに口をつけてくれた。

 これで3日連続して最低気温がマイナス20℃を下回っている。日中、流氷のある北の方角から風が吹き、夜になって無風状態になると気温は一気に下がる。数日前から根室海峡では流氷がひしめき合っているとの情報が届いている。この冷え込みは、まだしばらく続くのかも知れない。

 雲が出て再び冷え込み出した夕暮れ時、犬たちの餌などが終わり、暖かい家の中に入ってコーヒーを手にした。
 突然、2階の娘の部屋からミゾレの子犬の啼く声が聞こえた。

 『ギャン、ギャン、ギャ〜ン!!』

 人間がいる時は、ミゾレ親子も居間に置かれたベッドの中にいる。しかし、14匹のネコたちが運動会を始めると、心配性の母親であるミゾレは、抱いている子を放り出して、ネコに抗議に行くこともある。その時に万が一、踏まれたりしないようにと、もうしばらくは、人間不在の時は2階の部屋にベッドを置く事にしていた。

 『何かな?、ミゾレはいるよね、2階に....』

 『普通じゃないよね、まだ啼きやまない....』

 と話をしている時に、今度はミゾレの大きな啼き声が届いた。

 『ウオウオ、ウオ〜ン、、ワン、ワン、ワン、!!』

 ここまで来たら、確かめに行かざるを得ない。私はコーヒーをネコの通らぬ所に置き、腰を上げた。

 部屋に近づく私の気配を察知したミゾレが、細かく吠えて早くとせかした。 
 ドアを開けると、すぐに事情が分った。ベッドの中には3匹の子犬が転がって寝ていた。ペット用のベッドは1ケ所、出入り口のように縁が低くなっている。そこから転げ出たのだろう、残りの1匹がフローリングの床の上で、水泳の練習でもしているように手足をばたつかせていた。滑るために前進も回転もできず、せつな気な声で不安を主張し、救いを求めていた。

 ミゾレは素晴らしい母親である。しかし、彼女はキツネのミックやネコのワインやエのように、子供をくわえて運ぶ事をしない。必死にもがき、そして啼く子犬を前に、どうする事もできず、とうとう奥の手として、階下の私と女房に救いを求めたようだ。
 
 ミゾレの出した声は、普通の生活の中でも時々聞くことができる。
 ひとつは、朝の散歩のために、私たちが外に出た時である。先ず、自分を1番に連れて行って、と主張の信号になっている。
 怪し気な人や車が来た時もそうだ。柴犬という出自の番犬性質が日の目をみるのだろう、家の中にいる人間に「誰か来たよ」と伝えてくれる。

 今日の信号は、場外に出てしまった子を思い、まさに真剣だったろう。私がベッドの中に脱走子犬を入れると、ミゾレもあわてて入り、すぐに乳首を与えるとともに、外に出ていた子犬だけを、何度も何度も舐めていた。
 落ち着いた所に戻った子犬は、何ごともなかったように、ひたすらミルクを飲んでいた。
 



2003年02月19日(水) 天気:雲ひとつない快晴 最高:−3℃ 最低:−20℃


 寝溜めがきくのは若い証拠らしい。だとしたら私はまだ若い。
 昨夜は、コーヒーを飲もうが、煙草を吸おうが、寒気の戸外へ出ようが、何としても眠気からは逃げられなかった。この現象は月に1度ぐらいのペースで起きる。別に、寝てしまうと地球が逆回転を始めるわけでもないので、最近は身体の要求のままに横になることにしている。
 身体の要求と書いたが、よく考えると、心の疲れ、ショックなども引き金になっている気がする。今度、眠気が来た時には、心当たりがないか探ってみよう。人生、世の中を憂えてよりも、多分、夫婦ゲンカによる「フテ寝」だとは思うが。

 5時に、育児中のミゾレに起こされ、大小便に付合った。気温はマイナス20℃、実に心地よい冷え方だった。用を済ませた後、ミゾレはセンの水おけに口を持っていったので、足で氷を割ってやろうとしたが、カカトが痛くなるまで蹴っても、ヒビ割れひとつできなかった。仕方がないので、居間の水おけに注ぎ足した。とにかく母乳を与えている犬は、水をよく飲む。

 アラルの子犬たちは、混合ワクチンを接種した。
 我が家では、だいたい生後2ヶ月をめどに1回目のワクチンを打っている。今回は、5匹の成長具合、駆虫とのかねあいから、54日目での接種となった。
 1ヶ月後に2回目のワクチン接種がある。これは新しい飼い主さんの元で行われるだろう。その時が、初めての獣医さんとの対面になると思う。病院であっても、周囲の皆さんにニコニコ笑顔で尾が振れるように、最終段階のトレーニングを続けている。

 そうそう、アラルの子犬たちは遠吠えが上手い。特に夕方、外で遊んでいた5匹を強制的に玄関の育時箱に入れると、背伸びをして横板に前足を掛け、
 『ウオ〜ン、ウオ〜ン、もっと遊んでいたい〜!!』
 
 と賑やかに調子を揃えて吠える。
 45度の角度に顎を上げ、空中を見据えるとともに、様子を見に来た私の方をチラチラと確認しながら吠える姿は、なんとも可愛らしく、つい箱の中に入って遊んでしまう。
 そう言えば、父親のカザフは遠吠えの名手であり、私や女房の声にも反応して吠えてくれる。少し大きな声で他の犬の名前を呼び探すふりをすると、必ず唱和してくれるのである。
 この血が5匹に色濃く出たのだろうか、これまでの多くの出産でも、この時期から素晴らしい遠吠えを披露してくれるのは記憶にない。
 1日1日、確実な成長変化とともに、別れの日もまた、先に見え始めている。



2003年02月18日(火) 天気:快晴 最高:−5℃ 最低:−22℃

 アラルの子犬たちに夜の離乳食を外で与え、−15℃の中で、元気に走り回るワンパクたちを眺めているうちにアクビが止まらなくなった。何とか11時に店じまいをと、『おいで、おいで』と玄関の戸口で呼ぶと、15メートル離れたダーチャの小屋の周辺で遊んでいた子まで駈けてきた。
 
 昨日あたりから、人間の呼ぶ声に素早く反応をするようになった。特に(いつもの事だが.....)、女房のトーンを上げた声には敏感である。やはりこまめに世話をし、『可愛いね〜』と言い続けている人間には叶わない。

 子犬たちとアラルを収容し、柴犬のミゾレの散歩に付合い、温かい室内に戻ると、ああ、アクビは30秒おきになった。これを書いている今も、目に涙、口に大穴で指が止まる。

......と言う事で、夜中の散歩は女房に任せ、私は寝ることにした。続きは明日の朝にでも......。
_____________________________

 日が替わり、暖かい陽光に照らされる白い大地を、煙草の煙りの映る窓から眺めながら、続きを書いている。

 数百キロ離れた町で、今、葬儀が行われている。雪の街で送られるのは私の従姉妹である。
 父も母も兄弟姉妹が多く、私の従兄弟・従姉妹は40人を数える。その中でも年齢の近い連中は、様々な記憶が残っている。1昨年、ひとつ下のNが事故で死んだ。そして今回、ひとつ上のKちゃんが......。

 知らせを聞いた時、御無沙汰ばかりのためなのか、浮かんできたのは幼い時の、ともに遊んだ、そして私の実家に来てくれたKちゃんの姿だった。
 人間の記憶の素晴らしいところは、あの声までもあぶり出してくれるところである。女の子にしては低めのあの声が、私の目の前で響いていた。
 私の娘と同じ歳の女の子がいる。まだまだ、元気でいてほしかった年齢ではある。しかし、生きている存在のひとつでる証しとして、寿命だけは誰もコントロールする術を持っていない。
 今はただ、冥福を祈るだけである...。



2003年02月17日(月) 天気:薄曇りのち雪のち晴れ 最高:−5℃ 最低:−10℃

 サモエドのアラルの子犬たちは生後50日を過ぎた。離乳食の食べっぷりも良く、おまけにまだ母乳も飲んでおり、すこぶる元気で順調な成長である。体重はすでに5キロを超えている。
 
 5匹の今日のスケジュールを書いてみよう。

 7:10 育児箱の片側(子犬たちがトイレと決めている)に
      あるウンコを片付ける。水を飲ませる。
 7:45 玄関の外に設置してある広いサークルに出し、離乳
      食を与える。母親のアラルは外に出し餌を与える。
      気温マイナス9℃。
 9:40 大人の犬たちのフリー散歩が終わったので、5匹が
      自由になる。繋がれているセンやマロのところに挨
      拶に行く子、アラルの乳首を追い掛ける子、柏の葉
      や小枝をくわえて遊ぶ子....様々な光景が白い大
      地で繰り広げられた。
       それぞれに大小便をする。人間の声にも素早く反
      応し、駈け寄ってくる。ジャーキーを食べる訓練を
      する.....と言うか、与えると喜んで食べた。
 11:00
      サークルに戻され、奥に置いてある箱の中で昼寝を
      始めた。雲があり気温はマイナス6度だが、震えも
      せずに眠っている。
       郵便配達、知人が来た時には、目を覚まし、尾を
      振る。
 11:25
      アラルをサークルに入れる。たちまち5匹に乳首を
      奪われる。
       吸われている間、子犬の尻や陰部の匂いを嗅ぐが
      もう、舐める、食べる行動は消失している。これは
      離乳食が本格化すると起きる現象である。
 12:40
      アラルをサークルから出す。
      子犬たちは固まって寝ている。
 14:00
      2度目の離乳食、食器に顔を入れ、ガツガツと
      食べる。
       その後、サークルを開放し、大小便を自由にさせ
      る。もちろん、あちらこちらの犬たちに会いに行き
      ネコのアブラたちにも挨拶と遊び催促をしていた。
       アラルは庭の中央に腹ばいになり、子犬たちの様
      子を眺めていた。時々、子犬がアラルに寄って行き
      身体を重ねて甘えていた。雪が降っている。
 16:00
      アラルの餌。
      サ−クルの中で、『オレたちにもくれ〜』
      と5匹が騒いでいた。
 16:45
      5匹をサークルから出して、大人の犬たちとの交歓
      会。雪と北風にも負けず、元気に遊ぶ。
 17:20
      すべての子が大便を済ませたのを確認し、玄関の育
      児箱に入れる。遠吠えによる「いやだ〜」の合唱が
      始まる。アラルを入れてごまかす。
 17:35
      5匹....爆睡!!
 19:30
      いぜんとして爆睡中....。
_____________________________
 この後のスケジュールは次のようになる。

 21:30
     箱の中のトイレ部分(区切ってはいない、子犬たちが
     自ら決めている)の清掃。
 22:00
     本日3回目の離乳食を、育児箱から出し、外のサーク
     ルの中で与え、食後、庭にフリーにする。寒いけれど
     人間も付合い、大小便の確認をする。アラルは乳首を
     与えるだろう。
 23:00
     育児箱に戻し、オヤスミナサイ!!
     アラルも玄関に入れる。箱には入らず、横で眠る。
 2:00頃
     アラルとミゾレを連れて散歩に行く。母親はウンコが
     近いので念のためにである。
     この動きで子犬が起き、必ず大小便をするので、その
     跡片付けも行う。
 2:30
     本当の『オヤスミナサイ!!』

_____________________________

 このスケジュールを聞き、
 『大変ですね〜』
 と言う方もいる。

 『とんでもない』
 と、私は答える。
 そう、子犬が2組・9匹も家の中にいて、そして日々、変化と愉快な動きを展開してくれている。その体験は何ものにも替え難い。これは、一人占めにしたい幸せであり、こうして育った子が、新しい家庭で喜ばれるならば、こんな『乳父冥利』はない。
 もうしばらくは、子犬の成長でもっとも楽しい時期を(実は、もっとも重要で危うい時期でもあるのだが....)放さずに大切にしていたい。
      



2003年02月16日(日) 天気:曇り時々晴れ間そして雪 最高:0℃ 最低:−16℃


 夕飯を終え、何とはなしにテレビを視ていると、食卓テーブルで古いノートをめくっていた女房が大きな声で話しかけてきた。

 『おとうさん、あの子たち凄いと思わない、動きも身体つきも今までと違うわよ....』

 女房が何を言わんとしているかは、すぐに分った。一昨日の午後に生まれた柴犬のミゾレの子犬たちである。

 『うん、よくミルクも飲んでいるし、健康だと思うよ』

 テレビの声に気がいっており、私の答は熱のない、いわゆる古い夫婦らしいものになった。それを気にする事なく、まるで独り言のように女房の言葉が続いた。

 『絶対、おかしい、こんな事はなかったと思う、今、調べてるんだけれど.....』

 コーヒーカップが空になった事もあり、私は左手を腕枕にしていた姿勢から起き上がり、足元で寝ていた3匹のネコを驚かせた。

 『何がおかしいって?』

 『もう、聞いてなかったんでしょ、子犬たちが凄く大きくなってるって事よ...』
 
 ここで反論をすると雲行きが悪くなる、サラリといかなければならない。

 『体重を計ってみたの?』
 
 『うん、それが凄いのよ〜』

 私は女房が手に持っているメモを見た。そこには、驚くべき数字、女房に言わせると「凄い」数字が並んでいた。

 オス 390・・(280)・プラス110
 メス 395・・(290)・プラス105
 メス 390・・(290)・プラス100 
 メス 420・・(300)・プラス120

 最初の数字が今日の午後、生まれて2日の体重であり、カッコの中が生まれた時のものだった。
 4匹すべてが100グラム以上増加していた。
 通常、生後2日間は、それほど体重は増えない。まあ、減らなければヨシとしよう、そんな感じで見守る。しかし、今回の4匹の増え方は、まるでサモエドクラスの数字だった。
 
 『一昨年、ベルクと一緒に子育てをした時、大きなベルクの子犬が、みんなミゾレの乳首を欲しがっていたでしょう、きっと味と成分がいいのよ....』

 そんな事を女房は思い出していた。
 そう言えば、ベルクと子犬11匹、ミゾレと子犬3匹が同居していた広いサークルの中で、合わせて14匹の子犬が先ず狙うのはミゾレの乳房だった。ベルクの乳首は人気がなく、ミゾレの乳首にあぶれた子が吸いに行っていた。

 今回も、ミゾレの乳房の張りは見事である。私が軽くつまんだだけで、乳首から白い液体があふれてくる。それに欲しい時に欲しいだけすがりついて飲んでいるのである、体重が増えて当然なんだろう。
 ノートを引っ張りだした女房が、これまでの記録を調べ、どの出産のケースよりも子犬の体重増加の割り合いが大きいと、嬉しそうに言った。何でも、生後すぐの体重に対して、2日で1.3〜1.4倍になったのは初めてのケースらしい。

 『まあ、これでマメシバは無理なようだけれど、4匹、元気に育ってくれるよ、明日にでも連絡をしよう...』

 生きるメドがたったと判断をした時に、私は予約をされていた新しい飼い主さんに知らせる事にしている。今回は、いつになく早い報告となりそうだ。『何より』と、ほっとする気持だった。

 日中は、カリンとアラルを連れて浜中の町で開かれた雪祭りに行った。古い友人たちが15年近く前に始めたイベントで、1回目から私たちは犬とドサンコ(馬)を連れて参加していた。
 浜中の王国、そして中標津の我が家、カラマツ荘の犬、だいちゃんのところのチモシーなど18匹が揃い、犬の素晴らしさを紹介するステージを展開してきた。
 恒例となっているので、これを楽しみに来て下さった方もいらっしゃり、楽しい時間を私たちも、犬たちも、もらう事ができた。


 



2003年02月15日(土) 天気:曇り時々晴れ間 最高:−2℃ 最低:−15℃

 『ネコに引っ掻かれた〜、あ〜、血が出て来た〜!!』

 私は、そう叫んでいる男の子の掲げた右手を、チラッと見て答えた。

 『うん、出てるな、ちょっぴり血のようなのが...』

 『ちょっぴりじゃないよ、ほらっ、真っ赤だよ....』

 男の子は、微かに線のような傷が付き、その一部から点のように出ている血を、私の目にとめようと突き出してきた。

 『良かったね、ネコに遊んでもらえて....。それは記念スタンプだよ!!』

 このオジサンは信じられないことを言う......そんな顔で男の子は言った。

 『良くないよ、ホラッ、血だよ、血が出てるよ....』

 『な〜に、そんなのは傷に入らないよ。君は身体がしっかりしているから、1リットル出血しても大丈夫だよ...』

 男の子の私への不信は、極限に到達したようだった。こんな人は相手にできないと、同じツアーで来た友だちに、針の先ほどの傷と、そこからしみ出ている赤い液体を見せていた。

 私は、ニコニコとしながらその光景を眺めた後、別の部屋にあるはずの絆創膏を何とか発掘し、彼に渡した。
 男の子は嬉しそうに、それを傷らしきものに貼った。

 『ほら、見ていてごらん、オジサンがネコと遊んでみるから....』

 絆創膏の子と何人かの友だちが寄って来た。

 『こうすると、ネコは前足で獲物を捕まえるようにパンチを出す。さらに、このようにすると4本の足で捕まえ、次に口が出てくる.....』

 『さて、手を放してみよう、ホラッ、血が出ているかな?』

 子供たちは真剣に私の右手を見た。
 『どこにも傷はないよ、変だな、僕の時より激しかったのに....』

 『そうだろう、これはね、ネコにとっては楽しい遊びなんだよ、この手を食べようなんて気はない、だから傷はつかないよ』

 『じゃあ、どうして傷ができ、ほんの少しだけれど血が出たと思う....?』

 『うん、前足で引っ掻いてきたから、つい避けようとしてしまった、そしたら、爪が引っ掛かった..』

 『そう、急な動きをすると、ケガの元になるんだよ。それよりも、じ〜っとしていたほうが、時には、もっとネコの方に押し付けてあげた方が、傷にならないんだ、試してごらん』

 『いやだよ〜、また血が出てしまう....』

 それでも、見ていた子が私の真似をして手を出した。元気盛りの小次郎が仰向けになり、4本の足と口で少年の手を抱え込み、後ろ足蹴りを加えた。

 でも、彼の手に赤みを帯びた箇所は残ったが、傷はなかった、もちろん出血も。

 『そうか、襲ってきたんではないんだ、なんだ、大丈夫じゃん...』

 午後1時過ぎ....ネコたちは昼寝から起こされて、ツアーでやって来た小学5、6年生の相手をさせられていた。最初は動きも鈍かったが、しだいにネコらしさを取り戻し、3人の子の手に、赤い筋と小さな穴を開け、良き先生となってくれた。
 
 曇天なれど本日は好日だった。



2003年02月14日(金) 天気:晴れ 最高:−2℃ 最低:−19℃


2:00 ミゾレ、落ち着かずに頻繁にベッドに敷いてある布を
     前足で掻きはじめる。
4:15 付き添って床で横になっている私がウトウトとすると
     見計らったように、ミゾレがやって来て口を舐める。
5:30 勝手口で足踏みをしては私を見つめるので、外に出
     す。
     私の横で明るくなりかけた東の空を見ながら小便をす
     る。その後、勝手口には向かわず、動物用の台所の床
     下に入ろうとした。あわてて呼び返し、首輪を持って
     家の中に誘導する。
6:20 布を掻く動作が激しくなる。布を寄せた後、そこに丸
     くなる。
8:45 他の犬たちと朝の散歩に連れ出す。
     30分の間に、小便(数滴たれる程度)を8回、大便
     (長さ2センチ)を3回する。
     またまた床下に行こうとするのでリードを付けての散
     歩だった。
10:00 空のベッドにネコが近づくと、慌てて飛んで行って
      鼻に皺を作り怒る。
10:40 女房が、ミゾレの尾が上がったままだと言う。確か
      に下がらない。軽い陣痛が始まっているだろう。
      ベッドに落ち着き、腹を下に伏せ目を閉じていた。
11:15 明らかな陣痛が3回(2分間隔程度で)続く。
11:36 マリモヨーカン(羊膜)が陰部から出た。破水はし
      ていないので、そのまま陣痛を待つ。足、鼻は見え
      ないので逆子かどうか不明。
11:55 破水。しかも逆子。指を入れて後ろ足を掴もうとす
      るが、産道に入っていないので困難、まずい状況に
      なる。
12:15 陣痛によって押し出された足を掴んで引き出す。明
      らかに窒息状態、すぐに羊水をぬぐい人工呼吸とマ
      ッサージをする。ミゾレも盛んに舐めてくれる。
      しかし、時間がたち過ぎていたために蘇生せず。
      オス、270グラム、無念.....。
12:30 明白な陣痛。
12:45 第2子誕生。正常分娩、オス、280グラム。
12:53 陣痛。      
12:55 オスっ子、乳首に吸い付く。
13:30 逆子のために少し手助け。第3子誕生、メス、
      290グラム。
13:55 陣痛。
14:05 正常分娩。 メス、300グラム。
15:00 3匹、懸命にオッパイを吸っている。ミゾレは目を
      閉じている。もう終わりかと腹部に触ると、固まり
      があった、あと1匹はいると確信する。
15:30 陣痛。
15:40 逆子で引っ掛かり、破水。陣痛に合わせ引き出す。
      メス、290グラム。
17:00 静かに眠るみぞれ。4匹の子犬も腹部で寝ている。
      今回の出産の終了宣言を出す。
19:45 勝手口から強引に外にミゾレを出す。戸口から10     
      メートルの所で長い小便をし、センの水おけを覗き
      こむ。表面の氷を割ってやると、大量に飲む。

 以上、柴犬ミゾレの2003年2月14日。
 
      



2003年02月13日(木) 天気:晴れ 最高:−3℃ 最低:−20℃


このところの北からの風で、根室海峡の流氷が野付に寄っていると聞き、さっそく犬たちと行ってきた。連れて行ったのはベルク、セン、カリン、そして5匹の子犬を育てているアラルである。車で25分ほどで海に着くので子犬の世話に心配はない、アラルは気分転換の意味もある。

 女房が助手席に座り、後ろの席にベルクとセン、その後ろのラゲージスペースに残りの2匹が陣どった。これは人間が決めたわけではない、犬たちが勝手に自分の好きな席、落ち着く所を選んだのである。
 車が発進する時、残された10数匹は大啼きに啼いた。特別扱いがうらやましい....そんな思いが込められた声と表情だった。

 標津の町が見える丘に出ると、国後が雪雲に覆われているのが見えた。しかし、手前に広がる海は陽光を浴びており、着岸はしていないが、青さの上に点在する流氷が眩しい白さを見せていた。

 標津で右に折れ、海沿いを走る。やがて野付半島への道に曲り、ひたすら直進する。右側の尾岱沼は完全に凍結し、上に雪が積もって単なる広い雪原に見える。
 左側は海峡である。しだいに漂う流氷の数が増え、浜に乗り上げて留まっている姿も確認できるようになった。

 前を走っていた、カメラマンのだいちゃんの車が路肩に停まった。何ごとかと見ると、右側の雪原の上に望遠のレンズを向けている。

 『キツネがいます...』
 
 以前なら、野の風景の中の生き物の姿を見つけるのは得意だった。しかし、このところ目の衰えを感じるようになっている。特に、今日のような眩しさが敵である。サングラスが手放せなくなってしまった。

 キツネは何かを食べていた。手前にスノーモービルが置かれ、その走った跡が遠くまで付いている。氷の下に網を入れて漁をしている冬期独特のコマイ漁のオコボレを食べているのだろう。
 キツネの周囲には、私たちも食べたいと、数羽のカモメがキツネの動きを見守っていた。

 そこから3分ほど走り、流氷が岸にたくさん寄っている所で車を停め、犬たちと海岸に向かった。
 おそらく犬たちには普通の雪の山に見えただろう。私が先に流氷の上に乗ると、何の躊躇もなく急ぎ足で続いてきた。

 と、その時である。体重の重いベルクも、元気者のセンも、慎重派のアラルも、跳ねるように走るカリンも、足元が動く事に気づいた。
 それまでの駈け足は消え、1歩1歩、足元を確かめながら、私と女房の後をついてきた。

 突然、アラルが目の前の大きな流氷に目と耳を向け固まった。氷がやってくると、潮騒が消され静かな海になる。そこに....

 『ミュ〜、キュ〜、キュルル〜』

 かすかに揺れ動く流氷同士が擦れあい、音を出している。それは「流氷が鳴く」と例えられるように、まるで子犬の啼き声だった。
 この音に敏感に反応をしたのは、さすがに今、育児をしているアラルだった。
 横ではセンは薄い氷の中に足を入れ、あふれてきた海水に驚きつつも、それをゴクゴクと飲んでしまった。
 ベルクはひたすら足元の安定する所を探していた。

 足が冷たいと、前足を交互に上げて主張を始めたカリンに気づき、私たちは野付を後にした。雪雲が切れ、国後の鮮やかな姿を見ながら、今年も流氷の鮮やかな白を体験できたと、満足感を胸に家に戻った。
 
 車がとまり、ドアが開くと、アラルは一直線に5匹の子犬のもとに走り、乳首を与えた。ベルクとセンは、「えへ、いい所に行ってきたよ〜」と、留守番組の連中に言うように、堂々と、そしてゆっくりと自分の小屋に戻った。
 カリンは、寝藁がたっぷりと入っている車庫の箱に入り、前足の裏を舐め始めた。アブラ2世がすり寄り、身体を付けて目を閉じた。

 朝の気温が嘘のように、日ざしは強かった。



2003年02月12日(水) 天気:晴れ時々曇り 最高:−1℃ 最低:−9℃

 我が家の2階のベランダには2基のサーチライトが設置してある。夜になると姿を現わすキタキツネたちを観察するためのものである。10年前に巣立ったルックを中心に、多い時は1度の5匹の姿がライトの中に浮かび上がっていた。

 札幌から戻った1昨日の夜、そのライトが消えていた。2ヶ月前から、老いたキツネ、ルックの姿が見えなくなっていた。夏ならば1ヶ月近く姿を現わさない事は何度もあった。
 しかし、獲物の状況の厳しい冬期は、1週間も空ける事は珍しかった。それでも、女房も私も、心の中では『死』を意識しながらも、突然の出現を期待し、ライトを点灯し、何度も窓から覗いて待っていた。

 2週間程前、我が家から100メートルほど離れた道路脇に、ベコやシグレたちが集まった事があった。何ごとかと駆け付けると、除雪され路肩に積み上げられた雪の中に点在するキツネの毛が犬たちを惹き寄せたのだった。雪が解け、表面に現れた事で犬たちの鼻に見つかったのだろう。
 私は犬たちを小屋に繋ぎ、女房を呼んだ。そして、二人で雪をかき分けた。
 しかし、まるで冬毛が抜け落ちたように散乱するキツネの毛はあれど、身体は1部すら見つける事ができなかった。

 『やはり、これがルックかな〜』

 私が、そう漏らすと、

 『イヤ、あの子は車に跳ねられるような事はしない。だから10年も生き延びてきたのよ....!!』

 女房は強い口調で否定した.....あたかも自分に言い聞かせるように。

 再び犬たちが毛の匂いを嗅ぎに行って事故に会ってもつまらない。私たちは見えるだけの毛を袋に詰め、ルックの事には互いに触れずに日が過ぎていた。
 女房は、その後もルック用の生肉とソーセージを用意し、主の口に入らなかった物は、翌日、キツネ舎の連中の胃に収まる...と言う事を繰り返していた。もちろんライトも煌々とつけて。

 1昨日は、ライトがつけられていなかったと同時に、いつも玄関に置いてあった生肉がなかった。
 女房の心の中で、ようやく結論が出たのだろう。
 互いに、その事に関しは無言のまま、今日も、どちらもライトのスイッチを押さなかった。

 これまでの10年に渡るルックの行動パターンから、彼女の死は、論理的には1ヶ月以上も前に認めている。あの雪の中の毛がルックである可能性も高いだろう。しかし、命は時として思わぬ奇跡を見せてくれる。それに一縷の望みを託していた女房も、ようやく今、次へ目を向けている。
 
 キツネ舎のラップの発情が始まった。キツネたちの尿の匂いが、もっともきつい時期になっている。



2003年02月11日(火) 天気:曇り、そして粉雪 最高:0℃ 最低:−5℃


 柴犬のミゾレの荒い息は、夜が明けると収まっていた。どうも陣痛の前触れと言うよりも、留守をしていた私に対する反応だった気がする。
 これは、群れが苦手な犬種や、群れの中で弱い個体がよく示す、せつない自己表現のひとつでもある。

 1200キロの旅をしてきた連中も落ち着いていた。そして、小さなものであるが、変化もあった。
 そう、私に対する注目度が強くなったのである。何度も書いているが、日常とは離れた場所で密度の濃い時間をともに過ごすと、犬は、家畜としての犬の心の成長を遂げる。そう、飼い主を強く意識するのである、知らない所では。

 それを期待して、私は今回のような行事があるたびに、たとえエースではなくても、多くの犬に体験をさせようと、新しい子を連れて行く。
 ダーチャ、ベコ、シグレ......それぞれに良い経験を積み重ねてくれたと思う。今朝の散歩では、絶えず私の存在を意識してくれていた、嬉しい事である。

(つづく)



2003年02月10日(月) 天気:曇りのち晴れ 最高:℃ 最低:℃


 7時半にホテルを出てE寺に向かった。夜遅く、少し雪が降ったようで、道が濡れ、新しい白が都会の黒い残雪の化粧直しをしてくれていた。
 化粧直しと言えば、この3日の暖気で、祭りの雪像や氷像、滑り台が解け、崩れ、その補修が深夜行われていたとニュースが伝えていた。寒過ぎても、暖かくても問題は起きる、まさに季節の祭りである。

 (つづく)



2003年02月09日(日) 天気:曇り時々雪 最高:℃ 最低:℃

 早いもので、イベントの出演も今日が最終日となった。
 私は昨夜の楽しい酒が身体に残っていた。トイレで鏡を見ると、雪焼けをした顔の赤み、そして目に潜むアルコールの赤みが見てとれた。

 何杯もコーヒーを飲み、控え室にあった昨日の弁当の残りであるウーロン茶を胃に入れた。
 11時の1回目のショーが始まる前に、次々と知り合い、そして仲間が笑顔で来てくれた。不様な姿では応対はできない、気持ちを引き締め、笑顔で言葉を出していると、幸いな事に出番直前には、腹も頭の中のモヤモヤも消え去っていた。

 応援に駈けつけてくれた仲間たちが、犬を持つ手助けをしてくれた。皆さん、生き物が大好きな人たちである、指示は無用、『ハイッ、お願いしなす』で済むのが楽しい。
 犬たち、そして王国のメンバー、さらに仲間たちの心とパワーで、二日酔いの私の司会進行でも、無事に1回目のステージを終える事ができた。
 
 このステージでは、またまた新しい事を行った。それは、伏せられた7個のバケツの中に、リバティの好きなボールを1個隠し、バケツを開けずに、匂いだけで当てる、というものである。
 王国の人間が隠しては場所が判り、インチキと思われるかも知れないので、リバティと担当の上辻さんはバケツの見えない位置に立ち、挙手をして上がってくれた観客の方に、好きなバケツに入れてもらった。
 リバティは7個の周囲を嗅ぎ周り、やがて1個のバケツを選び、上辻さんを見つめた。彼女が「それで良いのか?」と聞くと、リバティは吠えて応えた。
 もちろん大正解である。いかに犬の鼻の能力が素晴らしいかの証明になっただろう。
 さらに嬉しい事があった。
 「お手伝いをどなたか、できれば美しい方....」
 と言う私の呼び掛けに挙手をされた女性は、何と、我が家で生まれたサモエドが御世話になっている秋田のMさんだった。雷花(ライカ)と名付けられた7才になるマロの子は、今も元気に駈け回っているとの事だった。ライカの大親友の娘さんが道内の大学に進学し、このイベントがあるとのことで御両親が秋田から来られていた。
 思わぬ嬉しい再会に、私はニコニコになっていた。

 勢いのままに13時のステージも無事に終わり、午後3時、いよいよ今回の王国犬チームの最後の出番となった。
 18匹、すべての犬をステージへと、仲間の応援をお願いし、私たちは張りきって、少し汚れの目立ってきた雪の舞台に上がった。
 
 フーチは子供たちが7人も乗ったスノーボートを軽々と曵いた。キャスパーとリュートは犬ゾリで駈けた。リボンがフリスビーをジャンピングキャッチし、ハイジが食器をくわえて後片付けをした。
 そして、犬たちはステージから降りて観客の皆さんの中に突入し、多くの人たちの温かい手の挨拶を受けた。ダーチャは数多くの女性の化粧落としで大活躍をした。カリンの毛のない身体は、手が冷たい方を驚かせた。
 
 『これはレオンベルガーとサモエドの抜けた冬毛で編んだ帽子です....!!』
 頭の帽子を指差し、そう叫んでまわった私は、まるでイイコイイコをされるように頭を撫でられた。

 雪雲が藻岩の方向に出ていた。しかし、3日間、真駒内は穏やかだった。全国各地から来られた、いや、中国語も韓国の方たちの笑顔にもたくさん出会った、会場に足を運ばれたたくさんの方と、つかの間の出会いを楽しみ、私たちのイベントは終わった。

 事務局のTさんが、夕食に招待してくれた。ホテルの上のイタリアン料理、みな、夢中になって食べた。
 ワインで赤い顔をして深夜散歩に戻ると、犬たちはいつものように尾を振ってケージから出てきた。
 元気だった。
 雪がちらついていた。

 



2003年02月08日(土) 天気:晴れ時々曇り 最高:℃ 最低:℃

 犬たちも旅先での生活にリズムが出てきたのだろう、朝の散歩の時に、しっかりと大小便をしてくれるようになった。昨日からの暖気で足元で雪がザクザクと音をたてる。すんなりと18匹のトイレタイムが終わり、会場へ向かう道も空いていた(土曜である)事もあり、9時前には着いてしまった。

 リハーサルは昨日だけなので、たっぷりと時間がある。仲間たちはそれぞれに犬を従え、雪像の裏側に広がる関係者だけが使う事のできるスペースで散歩をした。この一時が、犬との絆を確認する大切な時間となる。

 11時、昨日よりも明らかに多い観客の皆さんの前で、1回目のステージが始まった。犬たちも人間も流れをマスターしたので、名前を呼んだだけで、自分が何をするか(人間がどのような仕事を求めているか)を理解している犬の動きが出て来た。
 こうなると人間は楽である。犬の心を励まし、愉快に動くだけでステージができあがる。これは生き物を使ったステージの中でも犬だけができる事である。次を判断し、そしてアクシデントにも耐え、その中から自己判断で事ができるのである。

 新しく4匹の犬が当りのボール(4個の中で1個だけ色が違う)をくわえて来るというゲームを取り入れたが、無事に終わらす事ができた。

 プレハブの控え室で食べる弁当は、いわゆる仕出しである。中身は前日と似ている。さらに、差し入れのお菓子などで食欲のないメンバーもいる。その残した物で、犬にあげても大丈夫な品は、全て石川家の4匹の夕食に使われる。

 旅に出て仕事をすると、いつもの餌でも食欲が落ちることがある。そんな時には、一切れのサバの塩焼きが入ることで復活する。それを知っているモモちゃんが、弁当を広げる時になると、テーブルに袋を用意し、残り物を入れるよう皆に言ってくれる、ありがたい事である。

腹もきつくなり、眠気が暖かさに眠気が襲ってきた頃に、2回目のステージが始まった。
 グレーンが18リットル入りの大きなポリタンクをくわえてステージに登場した。この子は上辻さんが担当なのだが、高橋氏が姿を見せると、必ず彼の横につき、動きを、言葉を待っている。グレーンの中では、二人を仕事によって別々のパートナーと使い分けている。利口なのである。
 今回も、もちろんポリタン運びは高橋氏とともに....である。観客席からは、凄いね〜と声が出ていた。 
 リボンとリバティが見事なフリスビー遊びを披露し、無事にステージは終わった。

 3回目のステージでは、人を咬まない犬を育てるコツを組み入れた。モデルはニューファンのハイジである。フードの入った大きな食器を前に、滝のようなよだれを垂らしながらも、じっと「ヨシッ」の声を待つ姿に拍手がいただけた。食べ終わった後、空の食器を、モモちゃんの「片付けて」の声に、くわえて立ち去ると驚きの声と笑いが聞こえた。私たちの嬉しい瞬間である。

 無事に3回のステージを終え、犬たちの餌や散歩が終わった後、E寺に戻った。夕食はE寺の住職さん御夫妻の主催によるオフ会になっていた。
 プーとゴンの2匹のサモエド以外にも、プーの子供たちや、私の掲示板でもお馴染みのシー・ズーの正太、さらにコーギー、ダックス、そして王国の犬たちも飛び入りで参加をし、そこに30人ほどの人間が笑顔で集まっていた。
 泡の出る麦茶、日本酒、ワインがどんどん減り、雪焼けだけではない顔の赤味の方が増え、初対面の人間同士が意気投合、ゆかいな時間が過ぎて行った。
 
 それにしても、全国各地から『犬』だけをキーワードに集まる事の素晴らしさ、これはネットの時代が私たちにくれた喜びのひとつだろう。 
 釧路からのHさん御一家、東京からはTさん御家族4人、山口からのKさん、遠く北京から来られたT先生、そして地元札幌からはTさん、Cさんたち.....。お会いできてとても嬉しかったです。
 そして、この出会いを作って下さった、住職さん御夫妻をはじめ、E寺の皆さんには心より御礼を言わせていただきたい。
 ありがとうございます。

 たくさんの出会いのあった1日は、心地よい酔いの中で終わった。ホテルまでの車の中から、大通公園の雪像を楽しむ多くの方の笑顔が見えた。
 今日の私の記憶はホテルのエレベーターに乗るところまでで、その後は見事に消えている。



2003年02月07日(金) 天気:晴れ・暖かい 最高:℃ 最低:℃

 ホテルでの朝食を終えると、必要な荷物だけを抱え、駐車場に向かう。天気予報でも言っていたが、昨日の朝と比べると、何と言う違いだろうか、とにかく暖かい。
 
 仲間たちと札幌のど真ん中を突き抜け、犬たち御世話になっているE寺に着いたのは8時5分過ぎだった。雪まつり期間中とは言え、今日はウイークディである、通勤の車で混雑が始まっており予定よりも時間が掛かった。
簡単に犬たちの大小便を済ませると、3台の車を列ねて真駒内の会場に向かった。
 1ケ所、左折が早かったようで、グルリとひとまわりをする事はあったが、それでも事務局のTさんとの打ち合わせていた8時55分には、ちょっとの遅刻で済んだ。
 
 私たちの車には前もって申請をし、受け取っていた許可証が貼ってあり、加えてメンバーのひとりひとりが、写真を貼ったIDカードを持参していた。入り口の歩哨にそれを示すと、車の中を覗き込むようにして、しっかりと確認をしていた。
 さすがに自衛隊の駐屯地である、警備は厳重だった。しかし、制服、ヘルメットの隊員も、生き物が好きな様子は隠せない、車の中の犬たちに、つい笑顔が漏れていた。

 交差する道ごとに立っている隊員が、進路を手で示してくれた。車の中から会釈をすると、鮮やかな敬礼で返礼をしてくれた。何となく、こちらまで背筋がのびる気がした。

 進む事5分、大きな雪像群が並ぶ広場に着いた。私たち出演者はステージとなっている雪像の裏側、一般の客が入る事のできない所で待機する。3台の車を並べ、犬たちの休むスペースをサークルなどで作り、ズテージの確認をした。
 中央に位置するステージの右横には、子供たちに人気の氷と雪の滑り台があり、すでに親子連れが長い列を作っていた。台の上から私たちのいる所がよく見え、様々な犬たちの姿を見つけ、歓声をあげている子もいた。人間の子供が大好きなサモエドのマロは、狂わんばかりにクサリを引き、子供たちの方へ行こうとしていた。

 ステージを見るのは初めてである。11時の1回目の出演までに、1度は体験をと、交互に犬たちを連れて上がり、反応を確かめた。まあ、これがリハーサルのようなものである。どの子も担当する人間に心を向けてくれたので、安心して出番を待った。

 そうそう、約40分のステージの内容をどうするかは、その回の直前に打ち合わせた。これは、犬たちの様子を第一に考えての事である。
 記念すべき1回目は、なるべく多くの犬を紹介しようと、持ち替えを入れて17匹の出演となった。メンバーは進行、司会をする私を含めて6人である、どうしても手が足りない。幸い、札幌に住んでいるSさん(このHPでお馴染みの方であり、我が家のベルクの子を飼っている)が、3日間9ステージすべてのお手伝いをして下さる事になっていた。私は、もっとも力の必要なダーチャを預けてしまった。

 MCの女性に呼び出され、私はカリンとシグレを連れてステージの中央に出た。自己紹介に2匹の犬の紹介の後、いよいよ全ての犬たちの登場である。
 大きいフーチ、ハイジ、小さなバニー....客席から笑顔と声が漏れてきた。
 それぞれの犬を紹介し、フリスビーや万歳などを展開し、最後に客席に犬たちが突入して挨拶タイムとなり、無事に1回目は終わった。

 13時から2度目のステージだった。
 犬たちの紹介や特技の展開の後、今度は子供たちにステージに上がってもらい、どの犬が1番飼い主に忠実かという『忠犬コンテスト』の予想をしてもらった。適中した子には賞品が贈られた。外れた子にも残念賞である。
 このゲームは簡単である。4〜5匹を並べ、オスワリ、マテを伝える。その後、私の言うように飼い主が動き、つられて犬が動いたら負けである。

 ニューファンのハイジが見事に優勝し、モモちゃんは鼻高々だった。
 参加した子供たちは、その後、フーチの曵くスノーボートに乗り、犬の力を体験した。
 

 15時からの3回目のステージではリバティが大活躍を見せてくれた。レトリバー種らしくボールを回収させてみた。練習はしていない、ぶっつけ本番である。それもステージの上で済ますのではなく、かなり離れた客席に向かって上辻さんが投げた。
 マテと命令をされていたリバティは、真剣にボールの行方を見つめ、上辻さんに視線を向けて、早くと目で語った。

 『行けっ、捜せ、ボールだよ...!!』
 
 リバティはステージの端に行った、しかし、高さが1.6メートルほどあり、そこから降りる事を躊躇した。
 ありゃ、失敗かと思ったその時、彼女はステージを駈け回り、降りられそうな所を探した。すぐに、ボールが投げられた方向とは反対の所で階段を見つけた。駈けおりると、全速でボールの方に向かい、鼻の力で見つけ出し、口にくわえると、再び大回りをして階段からステージ上の上辻さんの所に戻ってきた。
 会場から大きな拍手が上がった。私も上辻さんも笑顔になっていた。

 気温も高く、おだやかな天候の中で、無事に初日を終え、夕食のラーメンと泡の出る麦茶が旨かった。



2003年02月06日(木) 天気:晴れ 最高:℃ 最低:℃

 午前5時、目覚ましが鳴る前に起きた。煙草に火をつけ、咳払いを2度、3度、これで女房の身体も動き、布団の上に寝ていた4匹のネコも起きた。

 まだ外は暗い、しかし、微かに明るさの兆しを示し始めている東南の空は、星を消そうとしており、明らかに快晴だった。
 
 今日から10日まで、札幌に犬たちと出かける。まだ準備のできていなかった自分の荷物をまとめ、バッグに詰め込み、コーヒーをすする。
 次第に明るくなってきた風景の中に、樹木の枝の白さが目立ってきた。冷えている、だからこそ樹氷ができている。寒暖計を覗きにいくと、−23度を示していた。昨日までの暖かさとは大違い、今日、500キロを走るルネッサのエンジンを掛け、フロントガラスの氷を解かした。

 女房が、我が家から連れていく4匹(カリン、シグレ、ダーチャ、ベコ)の散歩をしてくれていた。おそらく8時間以上は掛かる道中、トイレ休憩は多くて2回だろう。我慢は可哀想なので、大小便ともに済ますまで、白い息を吐きながら雪の上を行き来していた。

 中標津グループはカラマツ荘に5時45分に集合だった。カリンとシグレを車に乗せ、ベコとダーチャは女房が曵いてどんどん明るさを増している東の空に向かった。
 トラックの横に1台の車が停めてあり、エンジンが掛けられていた。

 『だめです、トラック、バッテリーのようです....』

 ヤマちゃんが運転席から降りてきて言った。

 『昨日、試しがけをした時はバンバンだったのに.....』

 ケーブルで繋ぎ、エンジンを吹かして試すも、トラックのエンジンはプスリとも言わなかった。
 モモちゃんが荷物と犬を連れてやって来た。呼び出されたツンちゃんがチャレンジした......。

 そして、7時30分過ぎ、何かと御世話になっている修理工場のFさんが駆けつけ、この寒さだからね〜と言いながら大型トラックからバッテリーを繋ぎ、ようやく4トン車は目を覚ました。

 本来ならば、中標津組は60キロ離れた浜中に寄り、9匹の犬と3人の仲間と合流する筈だった。しかし、予定は狂い、少しでも時間を稼ごうと、浜中組が別のトラックで駆けつけてくれた。
 すっかり元気を取り戻した4トン、そして私のルネッサ、もう1台のワゴン車が札幌に向けてまばゆい朝日の中に乗り出したのは、予定よりも遅れること2時間、9時を過ぎた頃だった。

 釧路を過ぎ、浦幌から帯広には向かわず、開通してまだ10年にはならない「天馬街道」を目指した。こちらの方が冬は危険度が低い。交通量も少なく、のんびりと走るのには適している。
 そして、競馬が好きなハヤシクンに、野塚峠を越えてからのサラブレッドの牧場風景を見てもらいたかった。

 峠の手前のパーキングエリアで車を停め、犬たちのトイレタイムとした。もちろん人間もオシッコを済ませねばならない。
 今回は、初めての遠出組が多いのだが、ども子も元気で、しっかり用も足してくれた。
 トラックには18匹分のケージが積んであるが、そこに入っているのは少数で、ルネッサにはカリン、リボン、ジャムの3匹、ワゴンにはエレーン、アル、ピノ、バニー、グレーン、モルト、リバティたちが、そして4トンの助手席には大きなフーチがど〜んと乗っていた。対向車や追い越していく車からは、驚いたような顔が覗いていた。
 大好きな人間と移動する狭い空間にいられる.....これは実は犬たちにとって最高の幸せでもある。皆、嬉しそうに、そして時にはまどろみながら、旅を楽しんでいた。

 浦河から厚真までは、ほとんど雪がなかった。車は快適に進み、暗くなる頃に恵庭のKさんの所に着いた。今回のイベントのためにいくつかのサークルを借りる事になっていた。4トンに積み込み、いよいよ最終目的地の札幌を目指した。
 気温の変化が大きかったのだろう、北広島を抜けるまでは川霧に悩まされた。目の前の車のテールランプすらかすむ有り様である。先頭の私の車にナビが付いていて本当に良かった....そう、初めて思った。

 夕方からのラッシュに揉まれながら、円山公園の近くのE寺に到着したのは午後8時を過ぎていた。迎えて下さった住職のUさんへの御挨拶もそこそこに、ケージやサークルを組み立て、室内で過ごさせていただく連中のためにシートを敷き、あわただしく犬たちに餌を与えた。
 Uさんは2匹のサモエドを飼われている。1匹は昨年の春、我が家を旅立ったラーナの息子である。プーとゴン、2匹は嬉しそうに王国の18匹の間を嗅ぎ周り、そして挨拶をしていた。

 4日間の滞在の準備が整い、人間たちが夕食にありついたのは午後10時を過ぎてからだった。

 『ジョッキ1杯、190円、え〜っ、なんでこんなに安いの〜?』
 500キロを走って来た疲れと緊張は、数杯の190円で吹き飛んだ。満腹になった身体で、もう一度、犬たちの散歩をし、ホテルにチェックインをした時には、日が替わろうとしていた。



2003年02月05日(水) 天気:粉雪のち晴れ 最高:−3℃ 最低:−9℃


 静かな雪は9時には止み、晴れ間が広がった。犬たちの散歩が終わると、さっそくアラルの子犬たちを外に出した。
 気温はマイナスだが、徐々に強く感じられる陽光に、子犬たちは震えることなく元気に動いていた。
 
 今日の変化(進歩・成長)....
(1)5匹の固まりがこわれ、それぞれが自分の興味のある方へ歩いていた。
(2)2匹ほど、囲いの板を跳び越える子が出現した。
(3)雪の上にいる母親のアラルに正確に寄って行き、雪上授乳を受けることができた。
(4)水おけから上手に水を飲む事ができた。
(5)雪を舐めて遊ぶ姿が見られた。

 そして、たまたま訪れた新しい飼い主のSさん御夫妻に甘え、遊びに来られたKさんやMさんの指にじゃれていた。物体認識と方向性がしっかりとしてきている。さらに、こちらからの声に、落ち着いて音源を探す仕草が出てきた。

 生後39日....順調である。

 雪の上の楽しい時間の後、居間にも入れた。
 ここの主役は15匹のネコたちである。子犬たちにネコたるものの存在を教える大切な仕事が与えられている。
 期待に応えるように、ネコたちは集まり、匂いを嗅ぎ、前足でパンチを繰り出し、そして舐めていた。5匹の子犬は、どの子も怯える事なく、おおらかに洗礼を受けていた。
 
 これを続ける事で、ネコとの共存が十分できる犬になっていく。後はコッケイたちに鶏の存在を教えてもらうだけである。まあ、今時、ニワトリを飼ってらっしゃる方は少ないだろうが、異種動物との付合い方をたくさん体験する事は、最後には人間との暮らしにおいて役立つ。荒い波にもまれてこそ、石は丸くなる。

 自称『乳父』と書いてウブと名乗っている私にとって、この1週間の子犬の変化は、とても楽しいウブ時間である。しかし、無念にも明日から5日間、札幌に出張をしなければならない。
 まあ、毎晩電話で女房に変化の具合を聞く事にして、18匹の犬たち、そして5人の仲間とともに、張り切ってパフォーマンスをしてこよう。
 多くの方に、犬の素晴らしさ、楽しさを見てもらう事は、5匹の子犬たちにとっても、将来の暮らし易い結果につながるかも知れない。

 ....と言う事で、明日、早朝、出発します。息子のPCで日記だけは書きたいと考えているのですが、あくまでも『できるだけ』となります。御容赦のほどを....。
 
 『行ってきます』



2003年02月04日(火) 天気:雪のち晴れ間そして曇り 最高:−4℃ 最低:−9℃


 つい忘れてしまって....という事がないだろうか。そう、重ねてきた年月、もっとはっきりと書くと「自分のトシ」である。

 どうも最近それが多い気がしてならない。
 例えば中標津でも量の多いことで知られている中華料理店、私は、 
 『塩野菜ラーメン、それと餃子、チャーハン、ビール....』...。
 もちろん女房はあきれた顔をして、自分の分としてラーメンだけを頼む。
 これが正解である。私の食べ切れなかったものを女房は胃に収め、テーブルはきれいになる。
 
 かつて東京にいた頃には(あれっ、以前にも書いたような?もし、そうであってもトシのせいと許して下さい)、給料が出た日は、
 『中華ソバ、レバニラ炒め、ライス....それから餃子もね!!』

 こてが定番だった。完璧に胃の中に収容し、別腹でビールの2本も入れていた。だから、いまだに記憶と目は同じような注文をしてしまう。

 このようなことは、何も食べることに関してだけではない、他
の面でも「こんなはずじゃ....」は起きている。
 3週間前、私は犬たちに雪玉を拾わせて遊ぼうと、思いきり投げた。すでに雪の塊を手にした時から、センやベコ、そしてカボスたちは勢いこんでいた。瞳はハヤクと叫んでいた。
 その期待にそえるようにと、私は50メートルを目標に角度45度を目測し、思いきり投げた.....。

 3秒後、センが15メートル先に落ちた塊を噛み砕いていた。私は右の肩を押さえて両膝を雪の上に着け、呼吸法を忘れたわけではないが、息を止めていた。
 どう表現をするべきなんだろう、肩の関節の中央と前側に初めて体験する猛烈な痛みが残っていた。

 そのままうずくまっていると、姿勢に異常を感じた犬たちが集まって来た。ダーチャなどは「ひ〜ひ〜」と啼き、何とか私の顔を舐めようとしていた。

 『だ、だ、だいじょうぶだから、ちょっと離れてくれ....ぶつかると痛いんだよ....』

 弱々しい私の声に、よけいに心配がつのったのだろう。ダーチャだけではなく、あの60キロのカボスまでが、私にかぶさるようにして顔を舐めにきた。

 仕方がない、立ち上がり、可愛い連中に左手で(幸いジャーキーを入れているのは上着の左のポケットだった)、公平にジャーキーを与えた。

 この日以来、左手を肩の高さから上にあげるのは、ある程度の覚悟をし、深呼吸をしてからの行動になった。
 不思議なことに、胸の高さまでの動作であれば、ほとんど痛みはない。うん、これが40ならぬ、50肩かと、何となく人並みになった気がして、まんざらでもなかった。

 しかし、日常の暮らしの中では、痛いと女房には言いながらも、ついそれを忘れることもある。そう、食堂で、20代前半の量を、今も注文するように。

 またやってしまったのである。それも同じように雪玉で....。
 掲示板に書いたが。これも犬たちが関わっている。ムツさんの家の前にある梨とリンゴの合体した果樹には、今でも実が数多く枝にしがみついている。−20度以下の洗礼を受け、黒っぽくシバレているが、秋の渋みは消え、今のほうが美味しく感じる。
 
 これが、我が家の犬たちの散歩の時の楽しみになっている。風の強い日などは、落ちた実を探すために、先を争って駈けていくほどだ。

 心優しき私は、つい彼らのために実を落としてあげようと思ってしまった。見回せど棒切れはない。
 それじゃ〜と握った物が雪玉だった......枝に向かってオーバースローで投げた.....アハハハである。

  肩かかえ うなる男に  目もくれず
     我が犬たちは   凍果をぱくぱく

 彼らは1度目の時のように、私を心配し、舐めにはきてくれなかった。トシと痛みを忘れて雪玉を投げた男よりも、落ちた梨もどき果実を探すのに夢中だった。

 やはり、「食べる事が生きる事」.....持論に自信を深めつつ、私は涙を流したのだった。



2003年02月03日(月) 天気:快晴 最高:2℃ 最低:−19℃


 そろそろ、このHPも1年になるなと、先日、2月のカレンダーをめくる時に思った。
 古くからの知人、友人、そして新しく私の頭に刻み込まれた沢山のお名前.....多くの皆さんに支えられ、励まされての1周年だと。

 私の頭の中では、2002年2月7日....1回目の日記を書いた日がHPのスタートのような気がしていた。その記念日には、私は札幌に行っている、さて、どうしたものか、どのように皆さんに挨拶をしようかと、少し悩んでいた。

 今朝、掲示板を開けて嬉しい驚きがあった。Pさんからの『節目』という記述だった。本人の同意は貰っていないが、無断で転記させていただこう..
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 2003年2月3日  パセリ
 
 <節目の日に思う・・・>

 石川様 ホームページ開設一周年誠におめでとうございます。

 石川様の日記には・・・7日の日に「キノウまではキノウしていなかった事になる。」とあったのですが、(2月は寒い?笑)
私の記憶によると今日なのです。(怪しすぎる?)

 HPが機能して以来多くの方の楽しい御話し・動物・植物・生きとし生けるもの・etc.全てに於いて、石川様又皆様に教えていただき、励まされ、日々笑顔で過ごさせて頂いております。
又 石川様のHPを媒体とし多くの方々や、動物達との輪が広がった事は、私のこれからの人生におきまして、最良の糧になることと確信しております。

 これも一重に石川様のHPあってのこと、更に此処に集われる皆様あってのことと思う次第でございます。

 今日というよき日にHPを開かれたことと、これからの石川様を中心とした、交流の場 憩いの場として「井戸端の意義・意味」
益々のご発展・躍進・心より願っております。

 (以下、追伸まで続いています、掲示板にてどうぞ....)

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 一読し、煙草に火をつけ、窓から差しこむ眩しい朝の光に目を細め、煙りが陽光の中で揺らぐのをしばらく眺め、もう一度、読ませていただいた。

 目の前が、見え難くなった。光りと煙りのためかと、私はモニターの後ろに置いてあるエアークリーナーのスイッチを強にした。
 それでも、画面が滲んでいた.....。
 何の事はない、目の中に液体があふれているだけだった。

 『ありがとうございます、Pさんをはじめ、お祝の言葉を寄せて下さった、たくさんの皆さん。
 そして、この小さなHPに気づき、一時でも覗いて下さった皆さん...。すべての方に御礼を申しあげます』

 昨年の2月7日は、確かに日記の初記載日だった。しかし、画像と言葉は、Pさんの仰るように3日頃から、わくわくとしながら、テスト的に表示していた。
 ...と言う事は、スタートの号砲は鳴り響きはしなかったが、立派な開設日と言えるだろう、いや、言ってしまおう。

 『このHPの開設日は、当面、2002年2月3日とさせていただきます』

 当面である、来年の今日、私がPCの前にいなければ、5日になる事も、7日になるかも知れない。
 そんな『イイかげんさ』を拠り所に、新しい1年に向かいたい。

 皆さん、よろしくお願いいたします、いっしょに楽しみ、笑い、時に涙し、考え、1日1日を生きていきましょう。

 重ねての御礼です....
 『お祝の言葉の数々、ありがとうございます。次への厳しいエールと受け止め、笑顔で2年目へのスタートを切ります!!』
 



2003年02月02日(日) 天気:晴れ 最高:4℃ 最低:−10℃


 玄関前の雪の上に新しいコンパネを敷き、乾いた南京袋を置いた。何度も使った犬の育児箱の枠を袋の上に乗せ、さあ、準備は完了、女房に声を掛けた。

 『いいよ、連れてきて....』

 玄関のドアが開き、3匹のアラルの子犬を胸に抱えた女房が出て来た。
 『うわ〜、滑る、重い、危ない...!!』

 相変わらず、賑やかである。

 『落とすなよ〜、あんたが転ぶのはいいけれど...』

 3匹は南京袋の上に下ろされた。女房は残りの2匹も連れてきた。
 5匹は、おそるおそる足を進め、枠や袋の匂いを嗅ぎ始めた。

 『やっぱり、この時期に頼りにしているのは嗅覚だね、違う匂いの所だから確認が必要なんだ....』

 『うん、箱の中で動く時、特に大小便をしたくなった時なんか、さかんに嗅ぎ回って場所を探しているものね....』

 やがて5匹は、袋の匂いを嗅ぎ終えると、そのままうつ伏せになり、今度は上目つかいに周囲を見回し始めた。私と女房の姿に気が付いてはいるが、いつものように枠に前足を掛けたり、尾を振ったりはしない。少し不安を映した瞳で見つめるだけだった。

 そこに割り込んで行ったのが、ネコのアブラだった。尾を高く上げ、嬉しそうに子犬の間に身体を入れ、1匹1匹の匂いを嗅いでいる。
 子犬たちがネコの姿を見るのは、たしか初めての筈だった。怯えることなく、いや、逆である....怖い場所に救いの神が現れたとでも言うように、それぞれが起き上がり、アブラに顔を寄せて行った。見事に尾も振られていた。

 アブラも満足気な表情である。「私が守ってあげる!!」とでも言うように、5匹の中央に立ち、目を細め、時々子犬の顔に鼻を寄せていた。

 『こんないいネコはいないよね〜、捨ててくれた人に感謝しなくちゃ...』
 『とにかく、子犬が好きだよね、いや、大人の犬も完全に仲間になってるね』
 『そうそう、この子はイシカワ家の子....って。でも、よその犬が来ると、一応警戒をするんだよね〜』
 『だから、これまで無事に生き延びてきたんだと思うよ、車に対する警戒もウマイ!!』

 1時間、生後33日の5匹の子犬は、暖かい太陽を浴びた。最後までアブラが付き添い、そこにアブラ2世も加わった。
 母犬のアラルは、アブラ姉さん、任せたよ...と考えているのか、1度も確認には来ず、固い雪の上でまどろんでいた。

 『さあ、少し冷えて来たから入れようか...』
 
 そう、女房が声を出した時、アラルはおもむろに子犬に近づき、乳首を与えた。
 
 陽光の下では汚れの目立つアラルの腹に、5つの白い塊がぶら下がり、チュパチュパと音をたてていた。
 



2003年02月01日(土) 天気:曇り時々薄日 最高:2℃ 最低:−7℃

 札幌雪まつりに王国の犬たちが出演する事は、以前の日記に書いた。詳細は、先ほど掲示板にも書かせていただいた。
 参加の犬を決める時に、皆が集まり、何かができる犬をピックアップしていった。
 フリスビー、アジリティ、万歳三唱、ボールくわえ、おすわり、まてっ、ふせ、ソリ曵き、オベディエンスの天才、早食い、ジャンプ.....等々、普段の生活の中で形作りあげられた楽しい姿が続出し、どの犬を連れていくか迷うほどだった。

 しかし、我が家の連中は、少しこの流れとは異なるところで生きている。まあ、オスワリはできるかも知れない、あえて教えていない柴犬のシグレ以外は。それとて100パーセントとは言えない。美味しい物を前にしてマテが効くのは、センとダーチャ、それにベルクとカザフぐらいである。残りの連中はヨダレの状況には勝てない。

 だから、愚かな犬が揃っているのかと言われると、それには大声で反論をしてしまうだろう。
 そう、人間の中で暮らしていくぶんには、まったく問題がないどころか、実は最高に素晴らしいものを備えていると思うからだ。

 それは何か.....『飼い主以外の人を咬まない』..である。
 飼い主が咬まれるぶんには、いくら事故が起きても構わないと私は言っている。しかし、他人は別である。我が家には番犬は必要無い。
 従って、柴犬のように番犬性質の強い犬種でも、吠え、咬む事よりも、ヘラヘラと尾を振る事が求められる。

 この点に関しては、かなり理想に近づいて来ている。人間だけではなく、初対面のネコにもウコッケイにヒナにも危害を加える犬はいない。
 ここまでになるには時間は掛かった。でも、1度出来上がると、それが群れとなっている犬たちの文化となり、代々に渡って受け継がれて行く。親の態度を子犬たちが真似ていくのである。
 従って、我が家で生まれた子犬たちは、必ず多くの大人の犬たちがうろついている中に放される。その中での様々な体験が、群れの文化の継承に役立つからだ。

 今日、千葉から3人の女性が来てくれた。玄関で育っているサモエドの5匹の子犬は、かなり長い間、私や女房とは異なる声、温もり、触り方を体験した。横には母犬のアラルもいた。
 この時間は、子犬たち、そしてアラルともに大切なものになった。
 初めて会う方に尾を振る子犬、自分の子犬を触られ、抱き上げられても、守ろうとせず、見つめている母.....ここから、他人を咬まない犬が育っていく。
 その教育係として、我が家に子犬がいる時は、お客さん大歓迎である。