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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2003年03月31日(月) 天気:晴れ 最高:7℃ 最低:−7℃

 夕食は、塩シャケの焼き物、長イモの千切り、昨夜の残りのオデン、そして漬け物、くぎ煮、モヤシとニンジンの味噌汁だった、
 最後に、三口ほど残っていた御飯に渋い茶をかけ、くぎ煮とタクアンで流し込んでいる時に、いつものように女房が窓から外を見た。
 ひとつは、野で暮しているキツネのルックの里帰りを確認するため、もうひとつは、キツネ柵に近い所にいる犬が吠えているので、巣穴にこもったままのラップが出ていないかのチェックである。

 『おとうさん、あれはどう見ても手前の柵よ....、目が光っている位置が高い...』

 最後のひとすすりをしようと、茶わんを傾けた私に女房が言った。
 
 先日、穴から出て来ない花三郎を、美女でおびき出そうとメスギツネのラップ連れてきて、無事に花三郎を確保し、隣の柵に入れた事はこの日記に書いた。
 それを読んで下さったPさんが、実にうまい事を掲示板に書かれていた。
 「天の岩戸作戦、美女が踊って....そう、ラップを踊るラップ」
 日頃、オヤジギャグラーの道を突き進む私も、敬服の書き込みだった。

 それはともかく、花三郎を穴から出す事には成功したが、今度は、ラップが穴に潜んでしまった。まるで「ミイラ取りがミイラ」....である。
 足跡などから、夜中に出る日もあったが、ほとんどを穴の中で暮している。そこに4日前の大雪、さらに暖気と続き、昨日からは穴の中にどんどん水が流れ込んでいた。
 このままでは、陥没、落盤、水没のおそれもあり、私と女房は気がきでなかった。

 光る目の位置が高いという事は、奥の柵の中にいる花三郎ではなかった。こちらは1段低くなっている。
 そうすれば手前の問題の柵の中、そこの小屋の上に光る目の持ち主がいるはずである。女房は慌てて外に出た。

 『いる〜、いた〜、ラップだ〜、どうしよう、犬がうるさいから、私が行くとまた穴に入ってしまうかな〜』

 『でも、行くしかないよ、あんたの声を聞かせれば大丈夫だよ、安心するはず....』

 と、言いながらも、発情の怪しい空気が満ちている我が家の犬たちは、異常に興奮した声を出している。私も心配はした。

 『わかった、じゃあ、入って穴の入り口をブロックするから、おとうさんもすぐき来て〜』

 夕食が始まった時から、シャケを狙って集まっていたネコたちを、がっかりさせるべく皿をレンジの中に避難させ、私は外に出た。

 『うまくいった、私が立って穴に入れないようにしている....でも、恐がっているので、呼んでも捕まえられるところまでは来てくれない、おとうさんも中に入って...』

 私が穴の前に立ち、女房が優しく声を掛けながらラップに近づいた...1度、2度、そして3度目、ようやく安心したのだろう、ラップは女房の腕の中に入った。

 『凄い汚れだな〜、全身ぬれねずみだ!!』

 明らかに巣穴の状況は悪いのが見て取れた。ラップのふさふさの冬毛は、冷たく水で濡れ、黒い泥がべったりと付着していた。

 『今日の暖気で、ずいぶん水が流れ込んでいたから.....。良かった〜間に合って、本当に....』

 私たちは、ラップを元のキツネ小屋に戻した。よほど空腹だったとみえて、ソーセージとチーズをあっと言う間に食べた。1匹だけ小屋に残されて寂しかったのか、同室のハックが異常に喜び、床を這いまわり、小便を振りまいていた。
 あらためてラップの身体を調べると、泥水は深い毛の奥にまでしみ込んでいた。

 女房とふたりで小屋から出ると、目の前にルックがいた。
 ラップ保護騒動をしている時は、たしか柵から15メートルほど離れた焼却炉の横にいた筈だった。
 脅えもせず、「腹減った〜」と言わんばかりに私たちを見上げていた。

 『ごめん、ルック....お前の分までラップにやっちゃった、今、持ってくるからね、待っていて...』

 何を言っているのか理解したのだろう、ルックは、その場に腰を下ろし、家に急ぐ女房を見送っていた。

 これで、この春のキツネに関する心配は、すべて良い解決をみた。
 ほっとして、今夜からのTVドラマを視る事ができる、楽しみにしていたERの新シリーズが始まる。



2003年03月30日(日) 天気:晴れ時々粉雪 最高:2℃ 最低:−3℃

 一昨日の雪が、どんどん融けている。踏み固めておいた散歩道も、内側からゆるみ、長靴が埋るほどのぬかるみとなる。仕方がないので人間用の道を犬たちと散歩をするが、彼らは、私が立ち止まったり、タバコを出そうとポケットに手を入れるたびに、目ざとく駈け寄り、跳びついてくる。おかげで上着とズボンは泥水スタンプだらけである。
 それでも、犬たちが瞳を輝かせ、全身で訴えてくる喜びと期待を拒む気にはなれない。指1本を立てて、ダメッと言えば、目の前でオスワリをして待つのは分っているが、私は、めったにこの指令を使わない。

 午前中に、ラーナとレオの2度目の見合いをした。
 今日は、1度もラーナの口からガウは聞こえず、すぐに腰をレオに向け、尾を掲げた。
 若いゆえに、ややあせり気味のレオは、何度か失敗した後、ほとんど直立するように腰を入れ、鋭い突きを細かく繰り返した後、見事に合体した。
 離れるまでの16分間、2匹ともに1度も声を出さなかった。これは珍しい、普通は痛みで啼くものなのだが、と女房と話していると、レオが私たちから目を反らし、身体も逃げていこうとした。
 オス犬にとっては、動くに動けない、最も無防備な時間かも知れない、加えて、気恥ずかしさを感じているように思えるのは、人間的な感想だろうか.....。
 この2匹の見合い、次は明後日になる。ヤイミングからみて、もう1度は交尾するだろう。

 浜中の王国に今朝まで滞在し、その後、我が家に来られた「ゆかいクラブ」の会員さん親子は、岐阜県の方だった。
 岐阜県と言えば、ムツさんが陶器の製作に行かれている。そんな話になったところ、何と、来られたお母さんの伯父さんが、ムツさんの通われている窯元で上絵の仕事をされていた。
 ある年、ムツさんとともに仕事が徹夜になり、あまりにもムツさんがタフなので、驚かれたらしい。

 『そうでしょう、普通の人間では考えられない凄さですよね〜ムツさんは...』

 私が、いくつか伝説的なムツさんの徹夜記録の話をしていると、女房が口を挟んだ.....

 『その気迫と言うか、精神力を、少し、うちのお父さんにも分けて欲しい....』

 とかく女房の言う事は、耳が痛いものである。

 一緒に来ている娘さんは、この春、中学を卒業した。驚く事に(今では、普通だよ...と言われたが)、この中標津に2人、メル友がいると言う。そのひとりは、津山家の風花で、もうひとりは男の子らしい。
 同じ年代として、1000キロ以上離れた人間が、気軽に言葉をやりとりしている....楽しい時代になったものだ。
 風花との出会いは、2年前の王国ツアーだった。岐阜からひとりで参加して友だちになり、以来、メールが行き来している。今日は久しぶりの直接会話を楽しくできたと喜んでいた。

 そう言えば、中学生の頃、私も文通(懐かしい言葉になってしまった)の経験がある。たしか「郵便友の会」という組織があり、それに参加をしたのがきっかけだった。相手は、名古屋と広島の同じ学年の女の子であり、手紙が届くと、別に問題はないのに、親に隠れて読んだものである。近況や地元の紹介などが書かれているだけだったが、妙にドキドキした事を覚えている。

 「ゆかいクラブ」と言えば、その会報「LOOP」の校了が明日である。今、手元に原物があり、文字、色、デザインを見直している。季節と王国の仲間たちの情報を満載し、全国の会員の皆さんの手元に隔月でお届けしているこの小冊子もこれが「121号」、まる20年を超え、21年目に突入した。
 ここまで長きにわたって発行できているのも、多くの皆さんの応援のおかげである。「ありがとうございます!!」と言わせていただくとともに、これからも、皆さんと「楽しい、ゆかい、ほっとできる..」をベースに、長く続けていきたい。これも、ひとつの「命の文化」だと思っている。
 
 会員の皆さん、
 『よろしくお願いいたします』

 日が替わり、久しぶりに冷え込んできた。1時現在、−7℃....明日は、堅雪になり、犬たちが思いきり雪上を駈けられる。その光景を楽しみに、さあ、寝るとしよう。
 

 



2003年03月29日(土) 天気:晴れ 最高:3℃ 最低:−2℃


 今、我が家の周辺には香しい匂いが満ちている。いや、香しいと言うよりも艶かしいとすべきだろうか。
 人間ではない、妙齢の女性がいるはずもなく(あっ、娘は年齢は合致するが、残念ながら札幌住いである)、オス犬たちにとっての香しさである。

 最初はダーチャだった。出血の確認が18日、次いでラーナが24日、チャコが25日、大物のベルクが27日、翌28日がタブで今日がベコである。
 この6匹が、まさに春を告げる匂いをまき散らしている。さらに、シグレとカリンも、何となく近い素振りを示し始めた。メス犬たちの発情期真只中の我が家である。

 ああ、この攻勢に魂を揺さぶられないのはオス犬ではない....とでも言うように、マロをはじめ、すべてのオスたちが、オンナ、オンナと目の色を変え、餌の半分を食べ残してくれる。それを嬉しそうに食べ歩くのが子犬のオビで、また少し重くなったな〜と体重を測ってみたら、何と12キロを超えていた。
 もし、巨大なサモエドが出来たら、その責任は残飯を放置していた私にある。そう思ってオス犬たちの餌を通常の半分にした。すると、あいつらは、「只今半飯週間」です、と言わんばかりに見事にその半分を残しやがった。
 まあ、年に2回の食費の自然節約期である。彼らの心と身体の要求に任せることにしている。
 イヤシンボのオビだけは、目を光らせて、監督しなければならないが.....。

 この熱い時期に交配を予定しているのは、ラーナ、ベルク、そしてシグレの3匹である。さらに、これから発情の始まるアラルは、あまりにも育児後の様子が良いので、獣医と相談の上、再度の交配となるかも知れない。
 
 さっそく、今日、ラーナの見合いをした。相手はダーチャの兄弟になるレオである。日本・米系のラーナとフランス系のレオとの組み合わせで、どのような子が生まれるのか、まだ妊娠どころか交尾もしていないのに、私は楽しみでならない。

 レオは女性に優しそうに見えた。尾を振って正面からゆっくりと近づくと、クウ〜クウ〜と甘い囁きをラーナの顔の前で出した。
 さて次にお尻を嗅いで....と私が思った時、突然、乗ろうとした。
 ラーナは、日本のTVを見たわけでもなかろうが、「最初はお友だちから...」と、一応は形にこだわりたい、と言うか、まだ準備ができていない状態である。

 『ガウ〜』

 腰をひねり、耳を倒してレオの首に口を当てた。

 これを3度ほど繰り返し、ようやくレオも手順を踏む余裕が出て来た。
 先ず、ラーナの前で尾を振り、首を高く掲げて近づき、そっとラーナの口に自分の口を寄せた。
 相手が逃げずに受け入れた事を確認すると、今度は鼻をラーナの体にそって胸、腹、そして尻のほうに移動させて行った。
 ラーナは耳を緊張させながらも、レオのジェントルな扱いに任せている。
 やがて、レオの鼻がアラルの尻をしつこく嗅ぎ、口元が緩み、舌で舐め始めた。それをきっかけにラーナの尾がス〜ッと持ち上がり、背に直立すると、扇が開くように広がり、そして左にゆっくりと倒れた。

 時は今....とばかりにレオが乗った。小柄なラーナが押しつぶされるのではないかと思うほど、レオの胸から先がラーナの首と頭に密着していた。

 『ガウ〜!!』

 また、ラーナが怒り、そして腰を右にひねった。レオは慌てて後ろに逃げ、ラーナを避ける。

 この様子を確認し、私と女房は、2匹の初めて見合いが成功したと確信した。犬も、絶対に相手が嫌い、という組み合わせがある。そんな時も人間が手を貸せば何とか交配はできるが、なるべくならば2匹の心も結びあっての子犬誕生になって欲しい。
 今日の「ガウ〜」は、ただ、ラーナの身体が満ちていないだけである。その前の段階までは、すんなりと受け入れていたラーナである、数日後、2匹は交尾に成功するだろう。

 餌の後、私と女房は、出血中のメス犬たちの散歩を先に済ませ、車庫、ニワトリの柵、隔離柵に閉じ込めた。
 この時期は時間差で管理をしてオス犬たちのフリー散歩をさせている。
 
 しかし、つい先日までのように、嬉しそうに遠出をするものは1匹もいない。ただただ、先に散歩を済ませたメス犬のコースを辿り、繋がれていた小屋の周辺の痕跡を漁り、隔たりとなっている金網に前足をかけて悲鳴のような声を出し、車庫のシャッターをこじ開けようと鼻を突っ込み、私と女房に大声で怒鳴られている。

 ああ、やはりオス犬たちは、可愛い存在である。

 



2003年03月28日(金) 天気:ひたすら雪 最高:1℃ 最低:−1℃

 『おじさん、おじさん、ねえ〜おじさん....』

 新品と思われる毛糸の帽子をかぶり、これまた真新しいスノーシューズを履いた子が、後ろから私の腕を引いて話し掛けてきた。

 『な〜に、どうした〜』

 『あのね、私、だいじょうぶだったよ』

 それだけでは、私は分らない、私の腕をつかんだまま小学5年生ぐらいの女の子は、笑顔だった。

 『大丈夫って、何が?』

 『ネコにさわったの、ルドちゃんなんてひざに乗ってきたんだよ、嬉しかった!!』

 『ルドはね、お客さんが大好きなんだよ。あの子は耳が聞こえないから、鳴き声が大きかったでしょっ....』

 『ううん、そんな事じゃなくて、わたし、ネコアレルギーなの。だから、お母さんに、絶対に王国でネコのいる所にいったらだめよ、って言われてたの....。でも、可愛い柴犬の子犬は部屋の中にいるでしょう、みんな可愛がっているし、わたしも犬が大好きだから、部屋に入ってみたの....。そしたらね〜、涙も鼻も、クシャミも出なかったんだよ、ほらっ、目、赤くないでしょ』

 笑顔にクリクリの目がふたつ付いていた。その瞳も笑っており、目やにも涙も充血もなかった。

 『そう、良かったね〜。....で、子犬と遊べたの?』

 『うん、わたしの指をかんだよ、でも痛くなかった、お母さんのオッパイと間違えたのかな....』

 『いや、違うよ、可愛い指で遊びたかったんだよ、きっと』

 『でも、おじさんの家、なんであんなにいっぱいネコがいるの、わたし、13匹は数えたよ、アレルギーにならないの?』

 『おじさんも、おじさんの奥さんも、それから子供たちもネコアレルギーはないかな〜。そうだ、ネコがいないと、ネコさみしいアレルギーになるかな....』

 『な〜に、それってアレルギーなの?』

 『いや、違うよ、ネコが好きなだけだよ』

 『わたしね〜、小さい時から、ネコのいる所に行くと、涙が出て、熱が出て、目がかゆくて、鼻も出て....薬を飲んでてもだめだった。どうして今日、だいじょうぶだったんだろ〜?』

 その言葉を聞いて、私は15年ほど前に王国の乗馬教室に来たA子クンを思い出した。
 彼女もネコに対して強い反応を起こしていた。王国の母屋の居間で雑魚寝をしての合宿の時、彼女だけは動物の住んだ事のない別の建物だったが、それが悔しかったらしい。3日目の夜、なんと彼女は友だちと一緒に居間で毛布にくるまった。
 翌朝、A子クンの顔は腫れていた。でも、出て来る言葉は『楽しかった〜』と、晴れ晴れとしていた。
 さらに、もう1夜、彼女は友だちと、居間に住んでいる10匹のネコたちと寝た。
 あくる朝、かすかに目が赤いだけで、他の症状は出なかった。

 以来、私は『楽しい』が薬の1種だと確信している。科学的に数値は示す事ができないが、心が前向きになることで、生理的にも変化が起き、身体を守ってくれていると。
 逆に考えると、あまりにも過剰に気を遣うと、良くない反応、起きてほしくない反応も強くなるのではと....。
 
 そう言えば1月に放映になったTVでも、チワワを飼うと喘息が治るとの事で、メキシコやアメリカで求められている、という話題があった。ムツさんが取材をされていたが、これも、「楽しさ」という前向きな薬がもたらした結果だろう。加えて、アレルゲンの中に身を浸す事で、生理的に乗り越える力が沸き出す変化を起こす人もいるのでは....。
 
 私はA子クンの姿を頭に描きながら、目の前の笑顔の子に言った。

 『それはね、きっと、楽しい〜、嬉しい〜って思って膝の上のルドを撫でたり、大好きな子犬と遊んだからだと思うよ。夢中になっていたから、身体がアレルギーを起こすのを忘れたんじゃないかな..』

 『そう、わたしもね、お母さんの注意なんて忘れてた....。でも、帰って言うと怒られるかな〜、絶対にダメって、いつも言われてるし....』

 『そんな事はないよ、君のお母さんだって、人間の身体は、特に子供の身体は変わって行くって分ってるよ。そのまま言ってごらん。もしダメだったら、おじさんの所にお母さんを連れてきて、ルドたちと遊ぶところを見せちゃおうよ』

 『そうだよね、わたしも変わるよね...安心した〜。ありがと、おじさん、あっ、ネコだ〜....』

 動物用の台所のある小屋から出て来た、外飼いのネコ、アブラを見つけると、笑顔が追い掛けて行った。
 私も、つい貰い笑顔になり、嬉しい時の常、タバコを濡れた上着のポケットから取り出した。

 昨夜から強い降りになっていた重く湿った雪は、ようやく上がろうとしていた。
 沖縄から関東まで、全国からやって来た50人の子供たちは、素手のままで動物たちと、そして雪と遊んでいた。

 『あっ、おじさん、子供の前でタバコを吸ったらだめなんだよ、お母さんが言ってるよ...』

 そんな生意気を言って、手にした雪玉を私の至福に付けようとした男の子がいた。私は、その雪玉を奪い、彼の頭の上にゴツンと置いた。
 



2003年03月27日(木) 天気:曇りのち雪 最高:0℃ 最低:−5℃

 午後1時、月に1回の検診のために病院に着いた時に、細かな雪が降り始めた。風は東にまわり、少し強くなった。

 検査、そして診察と、時間が掛かるのは覚悟している、まだ読んでいなかった犬の本を1冊、上着のポケットに入れてきていた。
 私は廊下に並ぶイスの、もっとも明るい所に腰を下ろした。

 先日、老キツネのルックが100日の間をおいて、元気な姿を見せてくれたのは、まさに私と女房には奇跡だった。
 これで一安心といきたかった、しかし、そうはいかないのが生き物との生活かも知れない。今度は柵の中で生活しているオスギツネの花三郎が問題になった。
 確か、昨年の今頃もこの日記に書いた記憶がある。そう、雪解け水が巣穴に流れ込む事と、それが夜の冷え込みで凍り、穴の入り口が狭くなる現象だ。

 実は、花三郎はルックと同じ歳になる、今年で11歳のはずだ。彼は中標津の郊外で交通事故に会い、右肩を骨折した姿で我が家にやってきた。私の荒療治がうまくいき、歩行ができるようになるとともに、メスギツネと結婚してミックなどの父親となった。
 残念ながら、駈ける、ジャンプをする、という野で活動するには重要な能力においてハンデがあるので、傷が回復しても我が家で暮す事になったキツネである。
 それでも、前足は穴を掘る能力を持っていた。5坪ほどの柵の中で暮し始めると、すぐに新居を掘り始め、1年で立派なマイホームを持つオスギツネとなった。

 キツネの巣穴は、ほとんどオスが掘り、それは毎年、中を拡張し、新しい入り口を追加していく。要するに、結婚相手が育児をする時に困らないように、リフォームを繰り返しているのだ。
 
 しかし、その作業も、花三郎の場合は8歳で終わった。メスギツネを同居させなかった事もあるし、彼が犬に慣れたのも原因だろうし、さらには老いも考えられる。
 オジサンギツネとなった花三郎は、恐がっていた犬たちが寄ってきても、以前のように穴に隠れず、小屋の上で居眠りを続けられるようになり、少し崩れた巣穴の入り口も気にならないのか、あまり修復をせずに、背に土を付けて出入りをしていた。

 ボロ屋になった花三郎の巣穴に、天候の異変が追い討ちを掛けた。特に4年ほど前から、3月に、大雨や、強烈な暖気が訪れ、水を穴に流し込み、その直後の冷え込みで出入り口を狭くする現象が起きるようになった。

 1日、3日.....5日....。
 穴の中から出て来た気配のない花三郎を心配し、女房は何度も入り口で名を呼び、かろうじて残っている隙間からソーセージなどを投げ入れた。
 それでも、外に足跡が見つからない時、私たちは最後の手段をとった。娘になるメスのラップを柵に入れるのである。
 ラップは我が家の居間で柴犬のミゾレを友に育ったキツネで、犬にも人間にも平気なところがある。ラップの動きを観察して、花三郎の安否の手がかりを掴み、できれば、誘き出しをさせよう、という魂胆である。

 これが、見事に大成功をしている。
 先ず、ラップは、必ず穴を覗く。鼻をピクピクさせ、耳を中に向けて入り口に上半身を入れる。その直後、すぐに後ずさりをしたり、ル〜と啼いたり、耳を動かす動作があれば、穴の奥で花三郎が生きていると思って間違いない。
 そして、1両日中には、肩や腹、腰に泥を付けた花三郎が出て来るのがパターンだった。
 この作戦は昨年まで3年連続して成功している。

 そして今年、と言うか一昨日から昨日にかけて、第4回目の花三郎の動静を探るラップの仕事を行った。
 今回は、昨日まで続いた4月下旬並みの暖気で、巣穴に水が流れ込んだ事により、花三郎が4日間、姿を現わしていないからである。何と言っても人間で言えば100歳のキツネである、心配は尽きない。

 その結果はどうなったのか、昨日の午後、見事に花三郎は穴から出て来た。尾と腰の濡れかたから見ると、かなり浸水があったようだが、弱ってはいない。穴のない隣の柵に入れると、女房の手から生肉とソーセージを食べ、犬小屋の上で丸くなった。

 そして、ラップである。
 何と、今度はあいつが穴から出て来ない。何が気に入ったのか知らないが、名を呼ぶと鼻先までは見える位置に来るが、そこから出ようとしない。
 悪い事に、今朝は気温が下がった。おかげで入り口に流れ込んでいた水が凍り、穴はネコでも苦労するような大きさになってしまった。
 
 病院を出たのは6時、もう真っ暗になっていた。車のライトをつけると、上向きにできないほど雪の降りは強くなっていた。
 
 それが、まだ続いている、いや、さらに強くなっている。
 
 さっきも穴を見に行ったが、すでに雪は入り口全体を覆い、呼んでもラップの気配は判らなかった。
 天気予報は、明日は雨になるかもい知れないと脅している。そうなれば最悪である。
 う〜ん、何か名案はないかと、今、女房とふたりで考えている。

 



2003年03月26日(水) 天気:霞みのかかった晴れ 最高:4℃ 最低:−2℃


 いつもの年よりも1ヶ月以上も早く、メス犬たちの発情が始まっている。今日、サモエドのダーチャがピークを迎え、アラルが出血3日目、さらにレオンベルガーのベルクとミックスのベコも、オス犬たちに尻を嗅がれている。

 こうなると、我が家の庭だけではなく、犬たちが行動する全てのエリアが、オス犬たちにとっては重要な場所となり、ダーチャたちが散歩をした後を、同じコースを歩き、匂いを嗅ぎ、雪の上に黄色く残る小便を舐め、さらに自分のものを振り掛け、鼻を雪に付けるようにして、せわしなく歩みを進める。

 オス犬を複数で飼い始めた時、かなり神経を遣った。争いを防ぐために、繋ぐ場所を離し、散歩は時間差を採用し、肉体的接触が起きないようにしていた。
 しかし、サモエドのマロとオオカミ犬のタロー、マロと息子のカザフ....等々、区切られた柵で分けられているのではなく、単に個々に離す方法では、クサリから解放された方がまっしぐらに
相手のオスに向かい、一気にバトルとなる事があった。

 では、逆の手法ではどうかと、私はオス犬たちを繋ぐ小屋を、1ケ所に集めてしまった。
 これが大成功だった。毎日、互いの姿を見て、さらに声でのやりとりをし、私や女房との交流を注目しているうちに、ストレスを掛ける行動を控えるようになった。
 
 もちろん、重要なのは人間の役割である。仲人として、私はマロの横にいる時も、吠えている、興奮しているタローやカザフに、必ず声を掛けていた。
 これを続けて3年もすると、何と、オスの間の順位がはっきりとし、互いにケガをしないように(自分がやられないように)と気を遣って行動するようになった。

 今、我が家の東側に小屋が集中しているオス犬グループは6匹である。マロ、カザフ、カボス、セン、シバレ、そして、寒さに弱いので、少し離れた建物の脇にタドンがいる。

 今日現在の順位を書くと、マロ・カザフ・タドン・シバレ・セン・カボスとなる。これは2年前から変わらない。
 ラブラドールのセンとレオンベルガーのカボスは、その犬種的出自もあるのだろう、実に低姿勢に挨拶に出て、けして上位を望みません...と態度で表わす、だから誰からも襲われない。
 タドンとシバレは、マロには絶対服従である。毎朝、フリーになると一番にマロの所に行き、親分が「もういい、わかった、わかった」と顔をそむけるまで、舐め挨拶を繰り返している。

 問題はナンバー2のカザフである。
 カザフは性成熟とともに、35キロに近い立派な身体で親父に闘いを挑んだ。それは1年間に10回は繰り広げられた。互いがフリーになっている散歩の時が多かったが、2度ほど、小屋に繋がれているマロに向かって行った事もあった。
 結果は全てマロの気迫勝ちだった。もちろん白い毛を赤く染めるケガはあった。上の右の犬歯が折れた闘いもあった。
 しかし、足や首に穴が大きく開き、しばらくは情けない顔をしなければならないのはカザフだった。

 以来、カザフは自分がフリーでも、マロの3メートル以内には近づかない。闘いを挑んだ時のように、長い唸り声ではなく、連続して短く唸る声を出し、ウロウロとするだけである。

 そのとばっちりは他のオスに振り替えられている。特に、カザフに挨拶に行かない、と言うか、近づくと吠えるタドンとシバレが気にいらない。しかし、この2匹にはマロがついているので、カザフも手を出す事は、今のところない、単に唸り返しているだけである。センとカボスは、そんなカザフのやるせない心の潤滑油である。カザフが誰かに唸るたびに、まるで自分のせいで起きたかのように、腰を下げ、尾を懸命に振り、口をカザフに近づけて挨拶に行っている。
 その時に、カザフは、自分の力が認められていると確認をしているのかも知れない、興奮はおさまり、穏やかな表情に戻る。

 ダーチャの小便跡を、集団でゾロゾロと追跡をするオス犬たちの群れを見ていて、このバランスに、いつ変化が起きるのか、それを考えた。
 マロは今年で13歳である。耳も少し遠くなってきた。あれほど好きだった子犬との遊びも、今は、うるさがる素振りを示す事がある。
 今回、マロ、カザフと続くサモエドの3代目としてオビを残した。この子が大人になる頃が、我が家のオス犬群団構成の転換期の気がする。
 
 秋田犬のタムから引き継いだ親分の席は、マロという犬を得て、より強固な玉座となった。
 それがカザフに繋がるのか、それとも思わぬ下克上が起きるのか、しっかりと変化を見つめて行きたい。そこから『犬』と言う生き物の本質が、よりはっきりとする気がしている。



2003年03月25日(火) 天気:薄曇り 最高:9℃ 最低:−1℃

 今日も西の風、そして気温が上がった。それぞれの犬小屋の近くには犬たちが掘った穴がある。そこに雪解け水が流れ込み、横で情けない顔をして犬たちが立ち尽していた。
 
 朝の世話が終わった後、女房と二人でツルハシをふるい、犬救出排水路作りを楽しんだ。
 そう、新潟と北海道.....北国生まれの夫婦には、この水と氷と雪の作業が楽しいのである。真冬には見られない水の流れ、それを思い通りに誘導できると、何となく嬉しく、春を感じてわくわくとする。
 2時間もすると、マロの小屋の前に、そしてカボスの前にも、何となく乾いた大地が出現し、薄い雲を通して届く陽光に、気持ち良さそうに目を閉じていた。

 柴のミゾレの4匹の子犬たちは、生後40日目となった。表玄関の石畳の上に箱を置き、今日も日光浴をさせた。2度目の駆虫をするために、体重も測った。それぞれが順調に増えている、その様子を並べてみよう。

      誕生日  2日目  1週間  1ヶ月 今日
(オス)  280  390  650 2000 2650
(黒メス) 290  395  620 1900 2500
(足袋メス)290  390  620 1850 2200
(単なるメス)300 420  680 2040 2500

 1匹しかいないオスが、スタートでのビリから見事にトップに立った。まあ、オスだから他の3匹を追い越しても不思議ではないのだが、実は、この追い込みには、もうひとつ秘密があった。
 それに気づいたのは女房、昨日の夜中の事だった。

 『ねえ、おとうさん、オス、脱走してるみたい....』

 『え〜、見た事ないよ、箱から出ているのは』

 子犬たちは我が家の玄関に置かれている育児箱で育っている。ここならば、訪ねて来た不特定多数の方に「可愛い〜」と言われ、優しく触られ、目や耳の開かないうちから、私たち夫婦以外の人間の声、匂いなどを経験できる。こうして育つと番犬にはならないが、どんな人にも尾を振る楽しい犬になる可能性が大きい。

 箱は横と後ろの3面を60センチの高さで囲い、前の部分は、子犬の成長(運動能力)に合わせて横板を追加していく。こうすれば、母犬がジャンプをして入る時に乳首を傷めずに済むからだ。

 先日から、子犬の足腰のしっかり具合に合わせて、横板を2枚、30センチの高さにしている。これでブクブクの状態の健康優良子犬たちは出られないはずだった。

 しかし、例外はあった。それがオスっ子だった。
 母親のミゾレは、3週間前から授乳と大小便を舐め取る時以外は、箱から出てリラックスをしている事が多かった。子犬たちが横板に前足でぶら下がるようにして啼き出すと、しばらく眺め、耳を向けた後、ジャンプをして中に入っていた。
 
 そのシステムに不満を持ったのが、オスっ子だった。
 女房に言われた私は居間のドアのガラス越しに観察をした。すると、10分もたたないうちに、箱の角の部分で、板を引っかく音が始まり、オスが懸垂のように前足をかけて踏ん張っているのが見えた。
 後ろ足も頑張り、そして30センチの板の上から女房のサンダルの上に転げ落ちた。

 ミゾレは眺めるだけで、同じ姿勢で上がり框で横になっていた。
 オスっ子は、もう一踏ん張りが必要だった。それは上がり框への15センチだった。これまた前足の力と後ろ足の蹴りで決着がついた。

 そして...である。まるで冒険成功の御褒美をあげるように、ミゾレは自然に乳首を与えた。吸い始めに一瞬だけ尾を振り、後は出が良いのだろう、オスっ子の尾の動きは停止している。
 チュパチュパと聞こえ始めた授乳の音に、箱に残された3匹が騒ぎ出しても、母犬の掟としてミゾレは動かない、今、吸われている事が重要であり、ミルクの欲しい子は、自力で乳首に辿り着かなければならないのである。

 依怙贔屓そのものの状態で満足をしたオスっ子は、さらに私を驚かせてくれた。
 何と、自分で箱に戻ったのである。そして、空腹の3匹を枕にして眠ってしまった。

 従って、この事件がいつから始まったのかは、私も女房も分らない。実に利口な作戦の前に、単純に私たちはオスっ子の体重増加を喜んでいただけである。
 始めて2週間になる離乳食の食べっぷりは、オスっ子が最も悪かった、それでも体重が1番になったのは、米軍顔負けの秘密作戦にあったようだ。

 『だから、急にこの子だけ体重が増えたんだ〜、どうしよう、板を足す?』

 『う〜ん、面白いよね、これは......、もうちょっと様子を見ようよ...』

 当面の対処法は夕方に決まった。
 名付けて『平等・乳首は皆のもの作戦』である。単に、授乳以外の時間、ミゾレを居間に入れるだけである。隔離政策である。
 これはミゾレも喜んで同意(たぶん)のはずである。いつも中に入りたがっていたのだから。

 そして、夕方の餌の後、もうひとつ子犬たちに大きな変化があった。初めてミゾレが自分の食べた物を吐き戻したのである。
 これは人間の用意した離乳食を「子犬またぎ」にしてしまうほどの力があり、瞬く間に4匹はきれいに胃袋に入れてしまった。

 さて、10日後、今度はどのような数字が出てくるか、体重測定が楽しみである。



2003年03月24日(月) 天気:晴れ 最高:10℃ 最低:−4℃

 やや霞がかかった空を眺めながら、私と女房は知床半島を目指した。
 中標津の町を過ぎ、根室海峡に面した標津に向かう。標津と中標津、町の名前が表わすように、もともとは一つの町であり、このようなケースでは、頭に余計な文字が付いていないほうが本家と決まっている。この二つの町も、標津が先にできた所であり、江戸時代の中頃には和人がやって来て、アイヌの人たちと交易をし、時に争い、さらには住みついて主に漁業に従事した。
 
 やがて明治、まだ中標津は歴史書に影もない。ようやく大正時代になって、いくつかの家が建ち並んだらしい。
 わずか15キロの距離ではあるが、海に面した所と、樹木生い茂り、熊が活躍をしていた内陸部では、記録に残る事柄にも大きな違いがある。

 昭和になって、分村の形で中標津が独立した自治体となった。その頃から、木材や農業などを中心に栄え、今では、本家を大きくしのぐ規模の町になっている。
 これを面白くないと考える人もいる。しかし、時代の要請で起きる勢いは、誰にも止める事はできない。人口が減ったならば、密度が少なくなり、一人あたりの酸素が増えたとでも明るく考え、不満を元気に振り替えて行くべきだろう。

 その本家の町は流氷に囲まれていた。不思議な事に、海の氷は、その青を閉じ込めて隠し、さらに溜め込んだ陽光を一斉に放出しているかのように、大地の雪よりも鮮やかな白を見せている。雪に覆われた国後の島よりも、車を走らせている標津の町よりも明るく氷原は輝いていた。

 町に入り左に折れて知床への道を走る。途中に裁判所があった。これも標津が本家である証明のような存在である。

 標津川の橋を渡り、ひたすら海に沿って走る。いつの間にか流氷の姿が消え、波ひとつない濃い青の海が広がっていた。所々に、ポツンと忘れられたテーブル状の流氷が漂い、スピードを落として目を凝らすと、数羽のオオワシが乗って羽を休めているのが分った。
 さて、もう一息とアクセルを踏んだ途端に、

 『おとうさん、スピード、落として...!!』

 突然、後ろの座席から女房の声がした。

 『シカがいる、いっぱい、危ないから気をつけて....』

 右の海側の林に、それこそ動物園状態でエゾシカが首を下げて立っていた。東南に向けて、やや傾斜した林は雪も少なく、シカが好みそうなササや、広葉樹が多かった。柳の樹皮をはいで食べているもの、前足で雪をかき、ササを食べているもの、その数は100を遥かに超えていた。
 中には、路肩の草を食べている子もおり、かなりのスピードで走る対向車にも首すら上げず、ひたすら胃に枯れた草を入れていた。

 スピードを控え目に走り、半島に入って25分、目指すAさんの家に着いた。
 ドアを開けると、私よりも、女房よりも早く、サモエドのアラルと、間もなく生後3ヶ月になる、アラルの子犬のオビが飛び出した。迎えに来て下さったAさんよりも早く、雪の道を家の方に駈けていった。

 Aさんの家から白い犬が出て来た。名前はレヴン、この子は9日前まで、我が家の庭でオビやアラルと遊んでいた、そう、オビの兄弟になるメスっ子だった。

 駈け寄ったアラルとオビの勢いに、一瞬、たじろぎを見せたレヴンだった。しかし、すぐに互いの匂いを嗅ぐ挨拶が始まり、そして子犬2匹は、じゃれあいを始めた。

 挨拶を交わしながら、私はドーム型の洒落たAさんの家の前に、御夫妻が使用している洋式カンジキ(スノーシュー)があるのに気づき、心の中でニコニコしていた。

 『林の道へ連れて行って下さい、親子の散歩をしませんか....』

 Aさんのホームページで紹介をされている写真には、先代のサモエドであるハイダや、貰われて行って間もないレヴンが、楽しい雪中散歩をしている光景がたくさんあった。脳裏に焼き付いているその画像に、目の前の親子3匹を入れ込んでみたかった。
 もちろん、Aさん御夫妻も賛成をして下さり、私は車から、こちらは純和風のツタのカンジキを取ってきた。

 家を出ると、すぐに針広混交林になり、その中を知床半島の背骨である山々に向かって私たちは進んだ。
 2日前からの暖気で雪が緩み、油断をするとカンジキでもズボッと踏み込む事があった。スノーシューは接地面積が大きいので、そんな様子はない、う〜ん、日本文化が負けた....などと呟きながら、目は人間の周囲を鬼ごっこのように駈けまわるオビとレブンの兄弟を追っていた。

 しばらく行くと、雪が落ち、澄んだ水の流れる小川に出た。それを見下ろす所で休憩タイムとなり、Aさんがリュックからミカンを出してくれた。
 斜面を転がりながら遊ぶ2匹の子犬、悲鳴が聞こえると、5度に1度は見に行く母親のアラル、瑞々しいミカン......女房と私には最高の御馳走が揃っていた。
 もちろん、Aさん御夫妻も楽しみ、そして喜んでらっしゃるのが分った。

 『凄いですね〜、まるでケンカに見えますね。でも、これは遊びなんですよね〜』

 歯茎を剥き出し、耳を倒し、思いきりジャンプをして互いに襲い掛かる子犬のゲームに、多頭数飼いの経験のないAさんは、笑顔で納得をされていた。

 『時々出す、ヤメテクレ信号、あれが重要です。ほらっ、力を緩め、離れるでしょう、母親も確認に行くし...』

 目の前で続くバトルの解説をしながら、<標的(ターゲッツト)遊び>と私が名付けた闘いを4人は楽しんだ。

 オビとレヴンは、まるでソーラー電池を備えているかのように、2時間、重い雪の上で、ただただ遊び、駈け、からみ合った。けしてバッテリーが切れることはなかった。

 陽が傾き、霞んでいた国後が鮮やかになってきた頃、私たちは帰路についた。
 オビは乗って3分で女房の膝を枕に眠り、アラルは後部座席で正座をし、そのままの姿勢でコックリを始めた。
 
 標津の町を過ぎて5分、ホルスタインが日光浴をしている横に、2羽のタンチョウの姿があった。
 
 今日も10℃、春は駆け足になっている。
 



2003年03月23日(日) 天気:薄曇り時々晴れ 最高:10℃ 最低:−5℃


 今日、午前11時16分、我が家から表の道に出て数十メートルの所で、歩いている人間に出会った。
 葉を落とした林越しに、我が家の庭からも、その通行人はよく見えた。私ひとりの時には無言だった犬たちが、路上の人影がふたつになった途端に、ベコを先頭に一斉に吠え出した。

 通行人はリュックを背負い、長靴履きで肩からスマートなスノーシューを振り分け荷物風に下げ、そして釣り竿を右手に持っていた。

 『釣れました〜?』

 私は、これまた長靴履きのよしみで、声をかけた。

 『う〜ん、釣れたほうかな〜、たった1匹だけどね....』

 ミラーグラスのサングラスを光らせて立ち止まり、釣り人は応えた。
 近づいてくる姿は20代に見えたが、声を聞き、帽子からはみ出した髪を見ると、どうも私といい勝負のオジサンだった。

 『ここって、ムツゴロウさんのとこかい?』

 『そうです、うちの犬が吠えてますでしょう、ここを歩く人は珍しいから...』

 『い〜や、27線に車を置いて釣り下がったんだは〜。でも、けっこう雪が深いし、今日はあったかいからズボズボぬかってね....だから、途中で切り上げてきたんだ〜、道さ上がって楽をしようとね....』

 『水は下がってるよ、魚も動いているみたいで、当たりは来た....。でも上げたのはこれだけだよ....』

 オジサンはリュックを下ろし、魚袋になっている部分のファスナーを開けてくれた。

 『大きいですね、アメマスだ....、この時期では珍しいでしょう』
 
 明らかに40センチは超えていそうだった。まだ魚体全体が黒っぽく、春の色にはなっていない。

 『うん、初めてだ、こんなに早く大きいのを上げたのは....。仕掛けがヤマベだったから、あせったよ....』

 1匹だけ、と言いながら、何となくオジサンの口調に自慢の匂いがあったのは、この大きさからだった。

 川から道まで、かなりきつい歩きだったろう、首筋の汗をタオルで拭き、オジサンは笑顔で魚を袋に納めるとタバコに火をつけた。私も、タバコなら負けていない、あわてて1本取り出し、煙りに和した。

 タバコ話によると、オジサンの釣り歴は、40年以上だった。要するに、子供の時からの最高の楽しみである。この中標津に引越す前は、私の故郷に近い所に住み、毎日のように川に通ったと言う。

 『でもね、最近、本当に寂しいよ、ヤマベよりもゴミの方が多いからね...。ここもそうだよ、橋の下にはど〜んと大きなゴミ、下って行くと流れついたゴミ....やんなっちゃうね、何で川に冷蔵庫があるんだろうね....』

 オジサンの嘆きに大きく頷き、私は家に戻った。
 いつの日か、川へ犬たちと散歩に行った時に、再会しそうな、そんな気がした。
 
 気温は10℃まで上がり、久しぶりに通行人を見た犬たちは、水たまりを避けて横になっていた。



2003年03月22日(土) 天気:快晴 最高:3℃ 最低:−13℃


『御無沙汰しています、以前、いっぱ〜い御世話になったKです。おかげさまで獣医になることができました.....』

 個性ある低い声が、私の記憶よりも少し弾んで受話器の向こうから聞こえてきた。ケイタイなのだろう、時々、ブツッと途切れるのが気になる。

 『先日、国家試験の発表があり、私の名前もありました。本当に、あの時は、ありがとうございました、嬉しいです....!』

 おめでとう、良かったね.....と言いながら、私は「あの時」を思い出していた。

 3年ほど前になるだろうか、Kクンに出会ったのは。
 東京で講演をさせていただいた時に、わざわざ訪ねて来てくれた。
 彼女は、ある大学の獣医学科の学生だった。母親がムツさんの大ファンと言うことで、彼女も幼い時から、動物王国のTVスペシャルを視ていたらしい。そして、これまた母親の強い要望、願いを叶えるように、大学は獣医学科を選んでしまった。

 話を聞いてすぐに、彼女が生真面目なほど、真剣に物事を考えるタイプだと気づいた。
 それが、彼女の悩みの一因にもなっているようだった。
 そう、成りゆきに任せて自分を処する事ができないのである。必ず、明解な答を求め、納得してからでないと、前に進めないと話していた。
 大学で学ぶにつれ、自分の大好きな犬やネコを、検査の数値やレントゲンの写真で区別し、語らなければならない事に、先ずつまづいた。さらに周囲は、病気やケガをした生き物ばかりである.....。

 私は、ニコニコとし、大きな声で言った。

 『うらやましいな〜、獣医になれば、相手がお金を払って、様々な犬たちを連れて来てくれるんだよ。おまけに、元気にしてあげれば、犬は尾を振ることができるようになるし、飼い主からは感謝される....こんな仕事は、他にないと思うよ...』

 彼女の問題を重くしているのは、様々な理由により、1度も犬、ネコを飼った事がない点だった。
 しかし、『私は生き物が大好きである』.....と、観念的に思い込んで来た、『だから、生き物の仕事をすべきだ』と...。
 彼女の思い描いてきた仕事とは、王国の番組の中に登場していた、可愛くて、イキイキと原野を駈ける犬たちの姿だった。従って、大学の病院、研究施設で目にした、様々な問題を抱えた生き物の姿を前に、こんな筈ではなかった、どうすれば良いのだろうか、と途方にくれている感じがあった。


 ある獣医学科の先生が言っていた。
 
 『イシカワさん、ここ10年、いや、15年かな〜、うちの学生で生き物を知らずに育った連中が、時には4割もいるんですよ。だから、犬を見たら、どこか病変はないかと、そちらに目が行ってしまう。見た目で判らなければ、すぐに検査に頼ろうとしてしまう....。うちにも動物王国が欲しいと、いつも思いますよ、先ず、元気な犬、普通の犬の姿を知らなければ....』

 3年前、私がKクンに言った言葉も、同じ事だった.....。

 『ほらっ、井の頭とか、多摩川とか、いっぱい犬が散歩している所があるでしょう。そこに朝早く行ってごらん。それから、近所の犬の散歩に付合ってみたら.....犬を飼ってる人は、犬好きに優しいから、必ず友だちになれるよ....』

 『今、飼えなくても、そうやって他人の犬で楽しむ事ができれば、少し、何かが見えると思うよ、それから、もう一度、獣医って何だろうを考えてみたら....』

 彼女は、まさしく「生真面目」だった。
 そう、私の思いつきを実行してしまったのである。何と、近所の飼い主さんと親友になり、そこの犬の散歩をさせてもらったり、はてには2泊3日の犬連れ旅行に誘われるまでになった。
 他人の犬を介して、どんどん人と犬の輪が広がり、その方たちが獣医に何を望んでいるか、それを話しあったり、応援のエールをもらうようになった。

 『今、すでに御世話になることになった病院に行っています。間もなく犬がOKのアパートに越します。とても楽しいです、まだまだ怒られてばかりだけれど....』

 ますます、受話器の向こうのKクンの声は張りが出て来た。

 ボーイッシュな髪型で、小柄な身体を弾ませていたKクン、これからが本当の勉強であり、辛い事の連続かも知れない。
 でも君には、合格を祝って酒宴の場を設けてくれた、この3年でできた犬飼いの仲間がついている、
 
 『ファイト!!』....笑顔の獣医になって欲しい。

 



2003年03月21日(金) 天気:晴れ 最高:−3℃ 最低:−12℃

 <『ルック』......でした!!>・ ウブ - 2003/03/20(Thu) 22:47 No.13983
_____________________________
 午後10時18分、庭で遊び食いをしているオビの見張りを私に託し、女房が家の横に行きました。今日は昨夜のように燃やすゴミではなく、最初からチーズとソーセージを手に持っていました。
  
 そして5分後.....女房が私を呼びました。
 
 『ルック』.....でした。
 
 待っていた場所、仕草、表情、犬に対する反応、食べ方、そして尾の曲り具合、ヒゲの生え際の色....等々、すべて合致しました。
 何よりも、『ルック』と呼ばれた時の瞳の反応が物語っていました。
 まさしく『3月19日の奇跡』だったようです。
 
 100、いいえ、これまで私と女房が関わったキツネは200を超えるでしょう。その中で、こんな生き物の不思議を見せてくれたのは、コンに次いでルックが2匹目かも知れません。
 霞む月明かりの下で、ゆっくりと沢に消えるルックを、私はオビを抱いて見送りました。
 西で始まった戦を忘れさせてくれる、私には大切な事件となりました。
 
 『絶対、ルックです!!』『ルックでありますように....』と、応援を下さった皆さん....
  
 『ありがとうございました』

 ___________________________

 上の文章は、BBSで昨夜書いたものである。
 一昨日の夜、焼却炉の近くで待っていたキツネは、昨夜も同じような時間に現れた。いや、もっと早くに来ていたのかも知れない。しかし、オビの夜食と散歩(夜遊び....?)の為に、女房と私が庭に出て、照明のために車のライトをつけるのは午後10時を過ぎる。以前もそうだったが、しばらくは沢の傾斜面で待ち、人間の気配を知ると、より近くに来て存在を示す利口なところがルックにはあった。

 まあ、何はともあれ、昨夜の観察で、間違いなくルックであると、私たちは断言した。
 女房などは、何冊もあるアルバムを引っ張り出し、

 『ほらっ、ここがそっくりよ...間違いないわよ〜!!』

 『この目つきを今日もしていた、穏やかな目......』

 と、きりがない。
 
 私も、実は嬉しい。女房に見つからぬように冷蔵庫から泡の出る麦茶を2本、鼻歌を歌いながら書斎に運び込んだ。

 野生動物と付合う時にかなり重要なのは、『時間を守る』という事である。日々、同じスケジュールで行動をしてあげる事で、動物側にも予定表ができ、不意の警戒、恐れ、などから解放される。

 従って、今夜も、私たちは気がせくけれど、外には出ていない。何度も時計を見ながら10時を待っている。
 これが、安心と信頼への第一歩であり、最終歩でもある。

 それにしても、ルックはどのような採餌を行ってきたのだろうか。ネズミたちは雪の下で行動をしている、これは、若いキツネでも難しい条件である。ただ、幸いな事に、今冬は、大雨が少なくて済み、雪の凍結も薄く終わった。ルックの前足でも穴を掘る事は可能だったろう。
 
 もうひとつの大きな可能性は、酪農依存である。子牛が誕生した時の副産物である後産を、まだ牛舎の近くに捨ててくれる方もいる。一応埋めるのだが、キツネは掘り起こす力がある。これは大いなる御馳走となる。
 
 そして、もっとも考えられるのは、エゾシカの死体である。
 本来ならば、ハンターは殺した獲物の全てを(毛1本残さず)回収しなければならない。だが、監視されているところでハンティングをしているわけではない、残念な事だが、トロフィーと美味しい部分の肉だけを切り取って、あとは放り出して行く人もいる。
 中には、一応、車に乗せて山から下がるのだが、その後、まとめて捌き、不用の部分を捨てていく悪質なハンターもいまだに存在する。浜中の王国から3キロの所で、私は5頭分の骨や皮を数えたのは、つい1年前の事である。そこには野犬が何匹も住みついていた。

 もしルックが、この「エゾシカ死体<未>処理場」を見つけていたとしたら、厳しい3ヶ月(12月中旬〜3月19日)を乗り越える助けとなっただろう。

 とにかく、ルックは、その老いた身体(それは、記録を知るからであって、見た目では判らない老いである....)を再び私と女房の前に現わしてくれた。この事実に、素直に感激し、感謝している。



2003年03月20日(木) 天気:快晴 最高:−1℃ 最低:−7℃

 私の車は赤いルネッサである。もう新車販売はされていないようだが、江川氏が宣伝をしていたように、広い車内が気に入っている。ダーチャ、ベコ、ベルク、カリン、に、おまけとして女房を乗せてもまだ余裕がある感じで、柴犬のシグレを追加してドライブ兼散歩に行く事もある。

 飛行機は、今では普通の交通手段になっている。住んでいる中標津には空港があり、そこから千歳、丘珠、羽田に飛んでおり、日本の何処であろうと、数時間で行く事ができる。まあ、急な旅と言う時に料金が高いのが難だが、大いに利用はしている。

 本州と結ぶフェリーは、これまた便利である。犬たちをルネッサに乗せ、揺れに任せて人間がひと眠りをする間に、カラートタンから瓦の屋根の世界に移動している。

 そうそう、私のように、いわゆる田舎に住んでいる者には、個人的な分野(電話、FAX、インターネット等)から、放送などのマスメディアまで、通信分野の恩恵に大いにあずかっている。
 今、こうして書いている(打っている)日記にしても、最後に「編集開始」をクリックする事で、数秒後には、世界中の方が『何を言ってるの〜このオジサンは....』と批判し、笑う事ができる。

 これらは、ほんの一例である。
 私たち人間は、この『文明』と言われるものの恩恵を、望まなくても、その時代を生きる人間の一人として、けして避けられない暮らしをしている。いや、より積極的に取り込んでいる人が多いだろう、私を含めて.....。

 この拙文を読まれた方は、何を今さら「エセ文明論」を書いているのか....と思われるかも知れない。
 私が言いたいのは、ルネッサ(車)も船も、そして通信も、すべて戦(イクサ)によって急激に技術革新が起き、発達をしたと言う事である。
 もし、人類に戦争がなかったなら、私たちは、まだ人力車に毛の生えた程度の車に乗り、伝書バトが全盛期を続け、大きなイラストの描かれたトラックではなく、足で稼ぐ飛脚が走っていたかも知れない。
 その象徴的なものは空の上だろう。月の裏側の写真にせよ、かなり確実になった天気予報にせよ、宇宙ステーションにせよ、私が大いに利用しているナビゲーションシステムにせよ、すべて戦争に関わる分野の発達により、可能になった。
 あの第一次世界大戦がなければ、まだ私たちはジャンボ機を得ていなかったかも知れない....。第ニ次世界大戦がなければ、種子島にロケット基地ができるのは、2030年だったかも知れない.....。

 そして今日、西で戦(イクサ)が始まった。
 時の流れを遡ると、攻める側も、受ける側も、ドロドロとした、人の、国の論理が見え隠れし、単純に2003年3月20日の事象だけで正義の判断はできない。
 しかし、戦争は始まってしまった....。収まりがつくまでに、どれほどの人の命が失われるのか、どれほどの生き物が人間の争い事の巻添いとなるのか...。
 私は、ため息をつき、TVのチャンネルを替える、しかし、ほとんどの局が、今こそ出番と、同じような画像、同じようなコメントを並べている。

 これでまた、何か大きな文明の発達が、結果として出現するのかも知れない。地吹雪でも周囲が確認できる安全運行システム...などが.....。
 でも、『もう腹が一杯だよ!!』
 そんな気がするのは、私だけだろうか。

 そう言えば、私も大好きな乗馬。これも軍用から転じたものと言い切って過言ではない。馬術などは、平常時に、いかに騎兵の技術を保ち、向上させるか、それを目的に考え出された。
 馬車の技術もそうである。投石器を曵き、兵糧を乗せ、大砲を曵くところから、その後、馬匹の改良手段の広がりとともに農耕にも転じていった。

 いいだけ利用しておきながら、まったく安全な(安全そうな)東洋の北の地で、『もう腹がいっぱい....』などと言う事は、今、厄禍の真只中にいる人間には不興をかうかも知れない。
 でも、『もう十分である、いいかげんにしてくれ』....である。

 私は、いつも思う。
 宗教.....,民族間.....、はたまたイデオロギー.......。
 争いの起きている所に、爆撃機から、サモエドやゴールデンの子犬とドッグフードを、安全に投下できないものかと。
 



2003年03月19日(水) 天気:曇り時々雪 最高:0℃ 最低:−5℃

 『おいで〜エニセ!!』

 『行くよ〜、エニセー!!』

 『ほらっ、こっち、こっちだよ〜エニセー!!』

 女房も私も、大きな声で叫んでいた。
 しかし、どうも声を大きくすればするほど、エニセは言い難かった。

 『やっぱり、しっくりこないね、エニセイ....エニセ....エニーならどうかな〜?』
 『エニー!!』

 『言いやすくはなるけれど、メスみたいだな〜』
 
 『エリーに聞こえてしまう.....』

 夕方の犬たちの散歩の時に、私たちが午前中に決めた、アラルの子犬の名前を試しに呼んでみた。
 シベリアを流れるエニセイ川の周辺は、サモエドの故郷である。先祖の地を思い出す名前に、いちおう私と女房は納得していた筈だったが、実際に生活の中で使うとなると、呼びやすさ、まぎらわしくない事などが重要になってくる。
 その意味で「エニセ」は今ひとつだった。

 『じゃあ、第2候補だったオビ川はどうだろう....』

 『オビ〜!!』
 『オビ、おいで〜!!』

 イシカワくん、と仮の名前が付いていたオスっ子は、嬉しそうに駈け寄って来た。

 『う〜ん、この方が反応するね、聞こえがいいのかな?!』

 『じゃあ、決めようよ、これに。今からお前はオビ!!』

 3月19日 午後4時35分、イシカワくんは「オビ」と呼ばれることになった。
 そのオビ、今日も大人の犬たちに負けずに散歩を貫徹した。


 午後11時10分、今、オビの夜食と散歩を終えた。
 途中で女房はゴミを燃やしに焼却炉に行った...と思ったら、すぐに戻って来て、小さな声で話し掛けてきた。

 『おとうさん、ルックみたい.....』

 声に興奮があった。

 『焼却炉の前に座っていたの、逃げないので、ちょうどミゾレ用に持っていたソーセージをあげてみたら、手から食べたのよ〜』

 『懐中電灯を照らしても動かない、尾は先で曲っているし、顔もイシカワ家のキツネ系....、ルックだと思う、おとうさんも見て来て!!』

 私は、チーズとデジカメを手に家の横にまわった。後を追おうとしたオビを、女房が止め、遊びでごまかしていた。

 昨日の満月は素晴らしく明るかったが、残念ながら今夜は厚い雲が覆っている。それでも焼却炉の横に、1匹のキツネが座っているのがぼんやりと見えた。
 
 『クククク....』

 キツネを呼ぶ時の秘密兵器「呼び寄せ声」を私は出した。母ギツネが子を呼ぶ時、さらに恋のシーズンにオスがメスを呼ぶ声である。
 余談だが、ある有名なドラマで、キツネを「ル〜ル〜」と呼んでいた。実は、これはキツネ社会では第一次警戒警報になっている。この声を聞いたキツネは、周囲を確認し、いつでも逃げられる体勢に入る。

 私の「クッククック」....ではない、これでは青い鳥になってしまう、「クククク....」は効果があった。
 暗闇のキツネは静かに近づいて来た。女房のように手から、とはいかないが、それでも3メートル先でチーズを食べ始めた。
 脅かさないように、先に懐中電灯の光りを当て、そしてカメラのシャッターを押した。キツネは軽く視線を上げただけだった。

 『ね、ね、ルックに似ているでしょう、きっとルックよ、あんな行動をできる子は、娘たちの中にもいない筈だから....』

 オビを抱いた女房は、声が上ずっていた。
 私も、その可能性があることは認める。しかし、100パーセントではない。今までの行動パターンから考えて、3ヶ月も冬期に立ち寄らないのは、どう考えても異常だからである。ルックは昨年の12月中旬から姿を見せていなかった。

 それでは写真で調べようと、私はデジカメのデータをPCに入れた。無念、詳しく同定ができるほどの写真は撮影できていなかった。ストロボに怪しく瞳が光るキツネがいるだけだった。

 また来たならば、今度はもっと確かなカメラで撮影をする事にしよう。

 今、この日記を書きながら、頭の中でひとつの言葉があふれ出ようとしている.....
 それは、『奇跡』.....である。
 この言葉が存在すると言う事は、『あり得ない事が、実はあり得る事もある!!』....それを示している。
 
 ひょっとすると......である。



2003年03月18日(火) 天気:晴れ 最高:3℃ 最低:−8℃


 夕方、犬たちの餌を終え、さあ、散歩.....と思ったところで、私は考えた。そう、1匹になったアラルの子犬をどうするか、である。

 「イシカワくん」と仮の名前で呼ばれているオスの子犬は、マロ、カザフに次ぐ3代目として、我が家に残す事にしていた。5匹だった兄弟も、今日、東京に旅立ったメスを最後に、すべて新しい家に落ち着いたことになる。イシカワくんは午後から1匹になっていた。

 食べ終えた順に10数匹の犬たちをクサリから放していると、車庫のサークルの中から声が聞こえた。

 『キャウ〜ン、キャン、ク〜ン』

 1匹だけ、まだ幼い犬用のフードを貰い、あっと言う間にたいらげたイシカワくんだった。サークルに2本立ちになり、前足は縦に並んだサークルの金棒を必死にかいている。

 私と目が合うと、一段と尾の振りが激しくなり、きれいに揃って立つようになった耳が、何度も後ろに倒れた。
 これには私は弱い、知らぬふりができない.....。

 『よ〜し、おまえも行くか皆と散歩に、なあ、イシカワくん!!』
 石川クンがイシカワくんに、そう言い、サークルを開けた。イシカワくんは勢い良く走り出し、真っ先にセンに駈け寄り、口を寄せ、舐めた。センは満更でもなさそうな仕草をした後、いつもの散歩コースに向かった。イシカワくんは、尾を振りながら追い掛けた。

 女房と私、そして研修生のM君が同行し、10数匹の犬たちが、広い牧草地に出た。午後から急に風が出て来たので、融けだしていた雪が固まり、中型の犬ならば、どこでも雪に埋ることなく走ることができた。
 イシカワくんは、センから母親のアラルに追跡対象を変えた。その頃になると、大散歩にニューフェースがいることに、ほとんどの犬が気づいていた。
 そこで名乗りを上げたのがベコだった。
 嬉しそうに耳を後ろにひき、イシカワくんを目がけて駈け寄ると、後ろから襲い掛かった。もちろんゲームである、けして牙を当てるわけではない。
 しかし、生後80日の子犬には驚きだった。尾が下がり、耳が倒れ、そしてギャンと声が出た。

 『ベ〜コ、だめよ、優しくよ、まだ子犬なんだから....』

 女房の声が白い大地に響いた。ベコはチラリと視線を送り、再び白い子犬をターゲットに見定めた。
 今度は、イシカワくんも学習をしていた。あわてて女房の足元に走り寄り、難を避けた。

 『お〜、なかなか考えているね、と言うよりも、あんたがあんたである事を認識しているのかな』

 わけの判らぬ事を言っていると、今度は柴犬のシグレが初めての散歩に出て来ている子犬をターゲットにした。
 これもまた、女房を盾にしてやり過ごしていた。

 『大丈夫だね、群れでの生き方を身に付けているね、やはり、庭で自由に行動できる時間を作っていて正解ね...』

 確かにそうである。大人の犬たちが繋がれている中で、5匹の子犬たちは思うがままに動く時間があった。その中で、叱られる事、遊んでくれる事、来るなと言われる事.....それらを覚えて行った。
 その経験が生かされ、遠出の散歩においても、どのように不特定多数の大人の犬たちと付合えば良いのか、それが理解できていた。

 さらに、初めての場所ゆえに、不安があり、だからこそ女房や私の声と動きに敏感になっている。これは、何かを覚えるために大切な、集中力を増幅する効果がある。

 往きでベコやシグレに鍛えられ、帰路でセンやアラル、そしてラーナと遊ぶ事を覚えた。

 そして困ったことに、『イシカワくん』を自分の名前と思うようになっていた。
 う〜ん、明日にでも正式な名前を決めて呼んでやらないと、本家の石川クンが困る。

 初めての群れ散歩は、兄弟との別れを忘れさせるほど楽しかったようで、サークルに入れられても啼かず、すぐに眠り始めたのだった。



2003年03月17日(月) 天気:晴れ時々曇り 最高:3℃ 最低:−5℃


 日の出が早くなった。5時半を過ぎると、東の空はオレンジから黄色に変わり、大地の白を浮き立たせるように朝日が顔を出す。
 それを眺めながら深呼吸をする、気温も上がり、今では深呼吸の時に鼻の穴に違和感は覚えない。

 そんな私を必ず見つめている生き物がいる。我が家を縄張りに生活をしているハシブトガラスの夫婦だ。
 彼らはこの5年、同じカップルである。サモエドのダーチャの小屋から20メートルほど下がった沢の、ミズナラの木に巣を持ち、毎年、数羽のヒナを孵している。

 カラスは早起きである。まだ太陽が顔を出す前に飛来し、授乳中のミゾレのウンコなどを漁ったり、我が家の庭の木にとまって鳴き交わしている。
 そう、まだこの時期は夜間は、近くの林に大集合し、そこを寝ぐらとしている。明け方、集団で飛び立ち、さらに細かな群れとなり、そしてカップル単位でなじみの場所に陣どる。たいていは、ここが営巣予定地となっており、他のカラスから守りながら、餌を探し、休息をとる。

 ハシブトの夫婦が、今年も我が家に落ち着くまでには闘いもあった。おそらくカラス界では、イシカワ家とその周辺は、餌も豊富で(ぼんやり犬にのんびりヤギ、そして飽食ニワトリなどが住んでいる)、住み心地の良い所と認知されているだろう。毎年、2月から3月にかけて、数カップルが場所取りに現れ、互いに追い掛けあい、そして鳴き交わしている。
 
 勝つのは、ここでの経験が豊富なハシブトカップルである。その理由のひとつに、私のカラスに対するおおらかな心があるだろう。浜中の王国に住んでいた時もそうだったが、私は、カラスと仲良くなる事が好きである。
 そうしておけば、いつの日か、光り物を収集するのが大好きなカラスが、恩返しに宝物の隠し場所を教えてくれるのでは.....などと思っているわけではない、単にカラスの表情豊かなところに惹かれているだけだ。

 浜中の王国では、キツネ舎への行き来の途中で話し掛け、ひとかけらの餌を与えているうちに、最後は飛んで来て私の指先の餌をくわえるようにまでなった。
 何も用意していない時に。
 『ゴメン、今日はないよっ!!』
 と、手を示すと、カ〜ァ、と寂し気な声で鳴き、飛び去るのだった。

 今の夫婦も表情が豊かであり、判り易い。

 『おいっ、何か欲しいか?』
 と、樹上のオスに向かって話し掛けると、

 『ガァ〜、カウカウ....』
 そんな声で返事をする。
 私は、必ず二切れの餌(ジャーキー等)を木の下に投げる。オスは嬉しそうに飛び下り、両方をくわえて再び枝に止まる。そこには、一連の動きを少し離れた木の上で見ていたメスが、飛び移ってきており、
 『グアグアグア....』
 と、くぐもった声で鳴きながら、羽を少し広げて垂らし、オスから一切れの餌を受け取っている。

 王国のメンバーは、我が家のカラスは、時々『マロ〜、マロ〜』と鳴いていると言う。
 確かにカラスは声色の変化の多様性を持っている。以前、カラマツ荘でも犬の名前を呼ぶカラスがいて、よくからかわれた犬がキョロキョロする事があった。
 まだ、私は、本当にマロと鳴いている気はしないが、そのうちマロが小屋から出て来るほど上手になるかも知れない。

 育児を終え、まさに今が抜け毛の時期になったアラルは、足で身体をかくたびに白い綿毛が吹き飛ぶ。
 ハシブトは、それを見逃さずに嘴で集め、ミズナラの樹上の巣に運んでいる。
 暖かいサモエドの毛に包まれてヒナが育つ、その準備はすでに第2段階に入っている。



2003年03月16日(日) 天気:晴れのち雲と雪 最高:6℃ 最低:−7℃

ともに暮らしてきた犬やネコに死なれた時に、人は悲しみの世界に漂う。これは避けられない事であり、その衝撃は大きい。
 最近は「ペットロス」と言う言葉も市民権を得て、この悲しみを和らげたり、防止しようとする試みも始まっている。
 でも、まだ犬が生きているうちから、その「死」に備えてどうのこうのと策をめぐらす手法には、私は拒絶反応を示すだけである。
 逆に言うと、生き物の唯一の共通項である「死」があるからこそ、私たちは生きている日々を確認しながら呼吸を続けていられるのではないだろうか。不老不死が手に入ったならば、人類の文化も、文明すらも成立しなかったと思う。

 動物王国に住み、そこでの暮しがTV等で流されるに連れて、そして、このHPを立ち上げてからは、より数を増して、愛犬、ネコを亡くされた方からの便りが届く。中には自殺までも考えているという悲痛な叫びも混ざっている。
 
 そんな時に私は、自分の経験と思いを込めて返信を書かせていただいている、そう、「ともに暮した時間、具体的な付き合い」は宝物であり、それは、次の子を迎えてこそイキイキと復活し、より高みへ導いてくれると.....。

 今日、アラルのメスの子犬が知床に旅立った。ワタリガラスからとって名前は『レヴン』と付けてもらった。
 飼い主のAさんは、昨年の初秋に同じサモエドのハイダを急病で失っている。その子は我が家のマロの子だった。

 そのマロの血を継ぐレヴンを抱き、Aさん御夫妻は流氷が前浜にひしめく町に向かわれた。

 夜、Aさんのホームページを開いた。今日の報告がアップされていた。
 私は、胸が詰まり、そして何度も文章を、そして写真を眺めた、タバコが2本、煙りになった......。

 ペットッロスに関わる専門家の方、そして、今、犬やネコを家族とされていらっしゃる多くの皆さんに、ぜひ見て、読んでいただきたいと思った。
 そこには、命と付合う素晴らしさと、そこから生まれる想いの豊かさが満ちていた。そのような方に飼われるレヴンに、私は『この幸せもん!!』と言いたい。

 Aさんの「ハイダ」と「レヴン」のページはここである......

http://www.muratasystem.or.jp/~kukuma/haida/index.htm
 



2003年03月15日(土) 天気:晴れのち曇り 最高:6℃ 最低:−8℃


 柴犬のミゾレの子犬たちの動きがしっかりしてきた。目、耳も活躍を始め、そして、生意気にも立派な味覚を備えている。私が差し出すジャーキーに好き嫌いがあるのである。
 実は、これは生まれた時から備わっている力と書くべきなのだろう。と言うのも、何度も私は子犬のその能力によって母犬の病気を教えてもらう、と言う体験をしている。それは、彼らの敏感な味覚によってもたらされた結果である。

 まだ目も耳の穴も開かない時期の子犬が、どのように私に母犬の病変を知らせたのか、それは、
 『な〜に、このミルク不味い....!!』
 ....という仕草である。味見だけで止める乳首が出てくるのである。
 
 そう、ある日、いつものように子犬たちは兄弟で争って乳首をくわえ飲んいる。ところが、ある特定の乳首だけは、くわえてすぐに離してしまい、他の乳首を探すのである。
 乳房ははち切れんばかりに張っている、それでも無視され、隣の、吸い尽されてマイナスAカップのような乳房のほうが人気があるのである。

 気づいた私が堂々たるFカップに手を添えると、その乳房は明らかに他のそれよりも熱く感じた。乳房炎、乳管炎等の炎症を起こしていたのである。

 これは、明らかに「味」による選択である。病変のある乳房で生産されるミルクは味が違うのである。
 さらに素晴らしい事は、子犬が吸い付いた時からしばらく出るミルクと、かなり吸われた後では、微妙に味が変化する事である。つまり飲んでいるうちに味が不味いミルクになり、自然に子犬が口を離し、一気飲み(過飲)を防ぐ役割を果たしている。
 母乳で赤ちゃんを育てたお母さんは、おそらく覚えていらっしゃるのではないだろうか。一定の時間が経過すると、乳首を吸う力が弱くなり、そして赤ちゃんは眠りに入ったことを。
 これは、満腹感だけではなく、時間経過とともに起きる味の変化が理由である。
 母体を守り、子供を守る、実に不思議で理にかなった現象である。

 さて、安いジャーキーはイヤダという4匹のナマイキたちを、今日、初めて玄関の外に出した。間もなく生後1ヶ月となる、暖かい日射しの下で日光浴をさせたのである。
 雪の消えた玄関の石畳の上に移動用の産箱を置き、馬用の飼料が入っていたナンキン袋を2枚敷いた。気温はプラスの4度、まだまだ上がりそうな雰囲気だった。

 4匹は、初めての袋の匂いを、かなりしつこく嗅ぎ、落ち着くまでに10分ほどかかった。その様子を離れて見ていた母親のミゾレが、少し心配になったのだろう、箱の中に入り、1匹づつ尻を舐めた。
 母親の姿に安心を得た4匹は、すぐに乳首を探し、くわえ、そして眠りに入った。春の予感をさせる陽光が、幸せな親子に温もりを与えていた。

 1日目は3時間で日光浴を終え、体重を計った。

(1)オス  2000グラム
(2)メス  1900グラム
(3)メス  1850グラム
(4)メス  2040グラム

 最初の勢いだと、セントバーナードになるのでは、と言う増加ぶりだったが、やはり柴犬、妥当な増加曲線に近ずきつつある。どの子も健康な事が嬉しい。

 そして、1回目の駆虫をして、穏やかな1日は終わった。



2003年03月14日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:3℃ 最低:−11℃


 北からの風が多かったこの1週間、その影響は、野付半島の前浜を埋め尽した流氷に示されていた。
 浜に押し付けられ、高く積み重なった氷を掻き取って口に入れた、無味無臭だった。
 キュル〜キューと、まるで子犬が啼いているようにきしむ流氷の隙間からしみ出す水をすくい、口に入れた、あっさりとした塩味だった。

 春別川の河口には白鳥が集まっていた。200円で売られていた「ドン」.....(御存知の方はいるだろうか?)の袋を手に広場に出ると、長い首を上げ下げして白鳥たちが寄って来た。足元には無数のオナガガモがいた。
 50羽の白鳥の中で6羽が足に標識を付けていた。カラスよりも、カモメよりも、白鳥とカモのほうがどん欲なのが一目瞭然だった。人間界の周辺動物よりも、人跡の遠い所の動物のほうが、慣らすのは易しい。

 我が家のラブラドールのセンと浜中の王国のサンゴの子になる「アトム」に会って来た。吻と四肢が太く、将来が楽しみな姿だった。陽気な行動が父のセンに似ていた。

 ノーウェイジャンブハントのザッシーを中心に撮影をした。
 1度、ジャーキーを与えると、その後の2時間、私しか見ていなかった。食い物は強い。

 浜中の王国が近づくにつれ、大地を覆う雪の量が少なくなっていった。王国の中では、すでに雪解けの泥んこが始まっていた。上着にザッシーの足型が無数に付いた。女房に洗濯を頼んだ。

 12月から冷え込みがきつかったためだろうか、ツキノワグマのロッキーが、まだ起きていなかった。冬眠室の前の運動場には、そこだけ50センチの雪が残っている。

 浜中から中標津への帰路、風蓮湖、温根沼の方向に向かって白鳥がV字編隊で飛んで行った。40羽ほどの大きな群れだった。

 ミゾレの子犬が生後1ヶ月になった。呼ぶとキョトンとした表情で見上げ、そして元気に尾を振るようになった。顔中を口にして離乳食を食べている。額の皺が消え、哲学犬から、普通の、いや、普通以上に可愛い子犬になってきた。

 半月の空を人工衛星がゆっくりと飛んでいた。何の目的で打ち上げられた物かは知らないが、できれば平和利用であって欲しい....TVのニュースを視ながら、そんな事を考えた。

 



2003年03月13日(木) 天気:曇り時々晴れ間 最高:2℃ 最低:−6℃


 『おい、おい、おい.....』である。

 何が、オイ、オイ、オイなのか、ネコの抱き方である。
 
 今日、動物専門学校の学生たちが体験研修にやって来た。バス1台に乗り、「はるばると」である。
 残念ながら1人も落ちなかった乗馬、そして犬ゾリのデモンストレーションを見学し、スノーモービルに乗り、カラマツ荘の犬たちに会った後、我が家にやって来た。

 挨拶の後、私は学生にネコの抱き方を質問した。なかなか正解が出ない(もちろん正解はある)、そのうちに、小さなつぶやきが聞こえてきた....。

 「授業ではネコはやってないもんね...」

 『おい、おい、おい.....』
 私は、心の中でそう呟き、口からは大きな声で、

 『えっ、本当に?!君たちはペットビジネスの学校に行ってるんだろう、なに、その学校は授業料だけを取る所なの...?!』

 付き添いの旧知の先生の顔は、あえて見ていない。そこまで私は図々しくない(と思ってはいるが....)。
 しかし、私は、学生よりも彼に聞いて欲しくて、そう言っていた。

 学生の中には、将来は獣医看護師、ペッットショップの店員になりたいと勉強をしている子も多い。
 その際に、犬はわりと簡単に扱う事ができるだろう。問題なのはネコである。飼われている家の中では、どれほど借りて来たネコ状態、呼べば必ず寄って来るカワイイ子状態であっても、病院などに行くと、どんな行動をするか予測がつかないのが、あの愛らしき姿のネコである。

 なのに!!.......である。
 その難しい生き物であり、ごくありふれた生き物であるネコの保定法(抱き方を含めて)を授業でしていないとは、何たる事であろうか.....。

 命と付合う時に、もっとも重要なのは『具体』である。1メートル離れて、「可愛い〜〜!!」と100万回、唱えるよりも、無言で伸ばした手が、優しく首筋を触る事で、どんなに興奮した犬の心が落ち着くだろうか。

 私の手には、無数の傷が残っている。その中で最も多いのは、ネコによるものである。注意をしていても、パニックに陥り易い生き物であるネコは、爪と牙で人間の柔らかい膚を引き裂く。

 心の中での「おい、おい、おい」の後、私は、抱き方はもちろんの事、犬の上下関係と人間の関わり...等々を、目の前にいる犬たちやネコで具体的に説明をして行った。

 それから1時間、途中で熱いココアのおやつを挟んで、学生たちは自由に我が家の生き物たちを楽しんでくれた。
 嬉しい事に、大人気のアラルの子犬を抱く時も、ネコのアブラを抱く時も、全員が正解の抱き方だった。

 『でも、本当は人間が腰をおろして遊んでやるほうがいいかな〜』
 
 と言うと、スボンが濡れるにもかかわらず、何人もが暖気で融けかかっている雪の上で遊んでくれた。

 30数人の大阪からの学生たちは、驚くほど素直だった。そして瞳に輝きがあり、生き物に対する意欲があった。
 ひとつアドバイスをさせて貰うとすれば、それは『どん欲さ!!』である。
 専門学校は、小中学校とは違う、手とり足とりは望めない。いかに自分で自己を高めていくか...だと思う。
 そのためにも、常に『何故?』を胸に、具体の道を歩いて行って欲しい。
 学校がネコの扱い方を教えてくれないのであれば、自分で研究し、書物を探し、先輩に聞いて欲しい。
 そんな具体を、私は望んでいる。



2003年03月12日(水) 天気:晴れ時々曇り 最高:1℃ 最低:−16℃


我が家の犬たちは、まさしく群れである。サモエドのマロを親分に、大人の犬たち18匹が、私でもよく判る犬同士での上下関係のもとに日々を送っている。
 朝の散歩が終わると、日中は、ほとんどの連中が繋がれている。互いの距離はストレスの掛からない程度に離れており、我が家と庭を取り囲むように小屋が配置されている。

 群れの中での個々の犬の役割は、マロが命令して決まるものではなく、それぞれの個体が、自分で仕事を見つけ出し、目を輝かせて励んでいる。
 その中でも、最も重要なのが見張りである。
 この分野を担っているのは、外部からの侵入者の多い表道へのアプローチに近い所に繋がれているサモエドのカザフではなく、冬は車庫の中にいるカリンと、庭の奥まった所にいるベコである。
 
 カリンは見るからにヘアレスドッグ、一方のベコは白と黒のふかふかの毛をまとっているが、ともにメキシカンヘアレスドッグ系である。
 この犬種は、その行動からみるとサイトドッグタイプである。足も速く、そして視力を大切な行動基盤としている。

 初めての人、怪しい車などが我が家に近づくと、この2匹の姉妹は、少しトーンの高い、連続した啼き声で、侵入がある事を群れに知らせる(そのためにベコは鋭い3角形の小屋の屋根の上に、上手に登っている)。
 すると、大地の上でまどろんでいた連中や、小屋の中で高イビキだった子が、あわてて起きだし、どこに侵入者がいるのか、確認も出来ていないのに、遅れてはならじ.....とでも言うように声を和す。

 この信号がしつこい時、私や女房は窓から覗き、犬たちがどの方向を見ているかを確認し、それが表道の方であれば、誰が来たのかと楽しみに眺める。

 ところが.....である。
 今日の午前11時過ぎ、我が家の犬たちは無言で尾を振り、そして嬉しそうに耳を倒していたのである.....3人も客が来たと言うのに、である。

 私が気づいたのは、育児をしているので、繋がずにフリーにしていたアラルが駈けて行くのが窓から見えたからである。
 「うん?どうしたのかな....?」
 と、玄関のドアのガラス越しに見たところ、30メートル先に車を停め、3人の女性たちが庭に侵入してくるところだった。
 まるで迎えに出たかのようにアラルが尾を振り、庭のすべての犬が、期待の瞳、動きこそすれ、カリンもベコも、他のどの犬たちも無言だった。

 視力の悪い生き物である犬にとって、30メートル先は実に怪しい距離である。ましてやレンタカーであり、そのエンジン音になじみはない。
 でも、東京と大阪からやってきた3人の女性は、我が家の犬たちに何らプレッシャーを与えていなかった。

 3人は、初めて来られた方ではなかった。すでに3〜7回ぐらいは顔を見せて下さっている。
 さらに重要なのは、たとえ我が家の庭が雨上がりでグショグショだとしても、常に笑顔と衣服を泥だらけにして犬たちに挨拶をして下さっていた事である。
 心を開放して付合ってくれた人間を、犬たちは実によく記憶している。その声、そのシルエット、その素手の温もり、匂いを、確実にインプットしている。

 結果として、3人は30メートル先で車から降り、一声出しただけで、我が家の犬たちの警戒心を骨抜きにしてしまった。
 これを私は『才能』と呼んでいる。
 東京からのKさん、Mさん、そして大阪からのMさん.....彼女たちは、それぞれに1〜2匹の犬を飼っている。その子たちが、どんなに幸せな生活をしているか、私は目の前で確認をせずに、間違いないと言いきれる。
 



2003年03月11日(火) 天気:晴れ 最高:0℃ 最低:−13℃

 先日のコッコに続いて、コッコが死んだ。
 文字で書くと、同じ「コッコ」と表記されるが、この2羽はアクセントの位置が異なる。先に死んだほうが頭にアクセント、今日の子は後ろにアクセントである。

 この2羽は、我が家の庭に家禽が普通にウロウロしている文化を作ってくれた功労者である。2年ほど前に死んだコッコ(どこにもアクセントのつかない子である)とトリオでウロウロと徘徊し、犬に怯えず、犬に堂々と立ち向かい、いつの間にか異種同居を実現させていた。
 ニワトリを見ると、つい狩りの心が働く柴犬やジャックラッセルに対しても、けして臆することなく、逃げることなく、正面から嘴と気迫で教育をしてくれた。
 おかげで、今では我が家で育つ子犬は、すべて家禽に敬意をはらう子になっている。

 様々な芸(?)も上手かった。
 『コッコ〜、こっこ、こっこ、コッコ!!』
 と私や女房が呼ぶと、小屋の出入り口から、まるで恐竜のように駈け寄ってきた。そして指先につまんだジャーキーのかけらを目がけてジャンプをする様は、実に愉快だった。
 私の肩や背に乗ったのは前アクセントのコッコだった。口移しでジャーキーをつまむ技を持っていた。

 この冬の冷え込みが厳しかった上に、老齢が加わり、卵も産まず、以前ほどの元気はなくなっていた。しかし、子犬の教育係としてはベテランだった。
 2羽のコッコの最後の仕事の対象となった子犬が、今日、大阪に旅立った。
 後は、息子のコッケイたちが使命を引き継いでくれるだろう。



2003年03月10日(月) 天気:曇り時々晴れ間 最高:−4℃ 最低:−10℃

 地吹雪の跡が、あちらこちらに残っている。我が家から出た表の道の路肩には、高さ3メートル近い雪の壁がそそり立ち、1車線しか除雪されていないので、通過をする車は徐行をしなければならない。
 それにしても、車のメーカーは少し頭を使うべきだと思う。雪国には白い車を売ってはならない。いや、客が望んでも、なるべく色付きの車をセールスの人間は勧めるべきだろう。
 全てが真っ白な世界になる地吹雪や、その後の白い壁に囲まれた白い道では、白い車は目立たない。突然に目の前に現れる感じで、こちらも驚く事が多い。冬の事故のいくつかは、保護色の車によって起きているのではないだろうか。

 雪の白に似つかわしいのは白い犬である。これならば問題は起きない。我が家のサモエドは、まさしく雪国の白い犬である。一昨日から日記に書いているが、今日からアラルの子犬たちの旅立ちが始まった。
 
 先ず、オスっ子が千葉に行った。すでに名前も決まっており、新しい飼い主のTさんは、以前、我が家のマロの子を飼っていた方である。
 アレンと名の付いたオスっ子は、朝早く初めてのシャンプーをされ、居間で午後の出発までを過ごした。他の兄弟や母親から離されたアレンにはドキドキする体験だったろう。いつもの元気は消え、私や女房の動きを一瞬たりと見逃すまい、そんな感じで見ていた。
 「いつもと何かが違う....」
 それは幼い子犬にも判る事である。
 アレンは、私の差し出したジャーキーを口にするまで、しばらくの時間が掛かった。あれほど大好きなのに、である。

 初めて乗る車で15分、中標津空港の貨物の受付口の前で、大小便をさせようと歩かせていたところ、ちょうど着いた観光バスから降りた女性たちが寄って来た。

 『わ〜可愛い〜!!』

 下がっていたアレンの尾がくるりと巻上がり、横に小刻みに振られた。立ちかけている耳が後ろに倒れ、いかにも嬉しいという表情である。

 「うん、オスはこうでなくちゃ....」
 
 何となく、私は心の中でそう呟き、アレンと同じ便で横浜に帰るという女性たちと写真を撮った。残念ながら主人公はアレンであり、私は執事に過ぎない。

 昨日までの強い風は徐々に収まり、羽田便が飛び立つ頃は微風になっていた。さすがに直行便である、午後5時半には、無事に着きましたと、Tさんからの電話が入った。御主人はタヌキ顔のアレンを気にいってくれたとの事だった。

 先日の日記で、私と女房の「ふたり言」なる文章を転載した。新しい飼い主さんに、子犬とともに強制的に送りつけているものである。
 今日、さらに「追記」として付け足しをした。どのような気持ちで子犬を旅立たせているのか、少しはお判りいただけるかも知れない、あつかましく再度、転載をさせていただこう。

 本来は昨日が旅立ちだったメスっ子が、明日の関西空港への便に乗る。羽田で乗り継ぎなので、穏やかに、スムースに、速やかに運行される事を祈りたい。

____________________________


    <追記>

 *食事の時のお薦め手法(人を噛まない犬にするために)
   
   日本で人間が犬に噛まれる事故の大半は、実は家族が被害者です。そしてその半数     
  は餌に関する事で起きています。
   もっとも多いのは、食べてる時に出した手、空の食器を回収しようとした手を噛ま
  れる事故です。実は、これは犬は正しい事をしているだけです。と言うのは、群れの
  生き物である犬は、強い者だけが餌を独占していたら群れが弱体化しますので、地位
  がどんなに低い個体でも、一旦手に入れた獲物は、何があっても守ってかまわない...
  ....そんな憲法が犬社会にあるのです。
   これは、おもちゃなどでは違います。弱い犬が遊んでいる時に強い犬が『それ、
  オレによこせ!!』と言ったら、必ず譲ります。そうしないと、お前は生意気だ...と
  イジメられたり、時には殺される事すらあります。
   でも、食べ物の時だけは違うのです。守っても脅されないのです。種として生き延
  びるための知恵です。

   従って、空の食器でも、食べ物に関する物ですから、つい守ろうとして人間の手を
  噛む事もありうるのです。
   では、どのようにすると、どんな時に手を出しても事故にならない犬になるか..。
   これは簡単です。
   子犬の時に、次のようにして餌を与えて下さい。
   先ず『オスワリ』と『マテ』です。口をつけそうなら首輪を押さえて、マテと言い
  ます。そして『ヨシ』で食べさせます。この時に、手ですくったり、口の中の物を
  取り出したり、食器を持ち上げたりと、遊び感覚で与えて下さい。
   これを繰り返していると、いつ、どんな時に手を出しても、けして人間を噛まない
  犬になります。子犬の時だけでけっこうです、御試し下さい。人間の手を、美味しい
  物をたくさんくれる、そして優しく触ってくれる神様の手にして下さい。

 *散歩に関して
   
   家の敷地外での散歩は、2度目のワクチンが終わり、10日ほど経ってからの方が
  良いかと思います。
   確実にワクチン、駆虫等をされている他の犬でしたら、限られた所で、早めに遊ば
  せてもだいじょうぶです。
   2度目、3度目のワクチン接種、駆虫は、獣医さんと御相談の上、必ずお願いいた
  します。
 
 
 
 *登録証(血統書)に関して
   
   現在、JKCに申請中です。子犬の代金を御振り込み頂き、当方に登録証が届き
  ましたら、すぐに送らせていただきます。

  以上、長い追記でした。

                ムツゴロウ動物王国 石川 利昭・ヒロ子

 
 



2003年03月09日(日) 天気:吹雪 最高:−5℃ 最低:−9℃


 北東、そして北からの強い風に、細かな雪。
 我が家は1日中、吹雪(地吹雪)の中だった。
 
 朝、空港に確認の電話をしたところ、遅れと条件付き(引き返し、もしくは近くの空港に降りる事もあるとの.....)のフライトながらも飛行機は飛んでいた。しかし、わずか8キロの空港までの道が地吹雪で通行止めになっていた。
 おかげで町のホテルに泊まっていたTさん、Aさんも我が家に近づけず、私も切れた煙草にモンモンとするだけだった。

 そんな状況なので、大阪のSさんと連絡をとり、メスっ子の旅立ちは明後日に延ばす事になった。長い時間の掛かる旅である、少しでもゆったりと送りたい。

 今回の風は、向きが悪い。ちょうど我が家への取り付け道路に直角に風が吹き、あっと言う間に道が埋り、一面の雪原になってしまう。何度も仲間のツンちゃんがロータリーで除雪をしてくれたが、使えるのは直後だけ、30分もすると車がスタックをし、私はスコップを手に汗をかく事になった。
 そんな事で、何とか煙にありつけたのは、夕方になり、少し風が収まってからだった。

 『な〜んだ、できるじゃない節煙、禁煙が。毎日、吹雪だと思ったら.....』
 
 女房が嬉しそうに、からかいの笑みを浮かべてのたもうた。

 メスっ子の出発が明後日に延びた事により、5匹の中での最初の旅立ちが、明日、千葉県に行くオスに変わった。
 この日記を読まれた方の中には、記憶に残っている方がいらっしゃるかも知れない。若くして昨年、星になった、マロとノエルの子「シュウ」の事である。
 オスっ子は、シュウを飼われていたTさんの家に行く。
 無念の死を越えて、今回、アラルの子を望んで下さった事に、私も女房も感謝の気持ちでいっぱいである。シュウの姿が投影し、さらに素晴らしいサモエドとの日々が訪れる事を願ってやまない。

 そのためにも、明日からは落ちついた天候になって欲しい。



2003年03月08日(土) 天気:曇りのち吹雪 最高:−2℃ 最低:−8℃


 延べ6日間の旅に出ていた。
 3日の出発も、今日の帰りも中標津空港の天候が悪く、ギリギリの状況だった。特に3日の飛行機は、こちらだけではなく羽田まで揺れどおし、さらに羽田の混雑が加わり茨城で旋回、何と3時間近くのフライトとなり、団体の客席からは、揺れるたびに悲鳴が聞こえてきた。運悪く前線にぶつかると、こんな事もある。

 今日、無事に家に帰り着くと、二人の客人の姿があった。TさんとAさん、お馴染みの顔である。
 Tさんは1月にも来られている。そう、ネットでのハンドルネームではACNさん、我が家で子育てをしているサモエドのアラルの実家のお母さんになる。孫のような5匹の子犬が旅立つ前に、もう一度抱き締めておきたいと、友人のAさんと飛んで来られた。
 昨日、我が家に顔を出されてから、ず〜っと子犬の相手をしている、と女房が言った。お二人の表情と言葉は、わが子を思うソレだった。

 明日、先ずメスが1匹、大阪に旅立つ。私が出ベソ(けして真正の出ベソではない)と呼んでいた、もっとも大きな子である。
 女房の選んだ子であり、明るさと元気さではピカイチの子だ。
 
 しかし、午後から厳しくなった吹雪は、明日、もっと酷くなるらしい。果たして無事に出発できるかどうか、心配である。ここからだと羽田を経由しての旅になる。もし出発便が遅れるような状況なら、キャンセルをしなければならない。命を送る事ゆえに、慎重にならなければ.....。

 夜、ますます酷くなる風の中で、5匹の兄弟揃っての最後かも知れない餌を与えた。元気者の5匹は、食べ、駈け、転げまわった。母親のアラルも、何故かいつもよりも陽気に吹雪の中で子犬の相手をしていた。
 いつも不思議に思うのだが、まるで人間の言葉を理解しているかのように、母犬は、どの子がいなくなるかを知っているような行動をとる。
 今日も、何度もしつこく転がされていたのは、大きなメスっ子、出ベソだった。

 明日の早朝、天候が回復していれば(その見込みがあれば)出ベソは初めて洗われ、午後までを居間で過ごす。
 そして午後3時半、雪国を後にして、梅の花の香りが漂う大阪に行く事になる。

 TさんとAさんは、居間で付合い、同じ飛行機で東京に戻る。
 
 良き天候を祈り、そして、旅立ちを祝いたい.....。



2003年03月03日(月) 天気:曇り 最高:3℃ 最低:−9℃

 今日から出かける。
 その前にと言われて、アラルの子犬たちの新しい飼い主さんへ宛てての文章を書いた。
 これを書くと、いつも、ああ、もうすぐ子犬たちが旅立つのだとの感慨もある。

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   乳父と乳母のふたり言・<サモっ子の旅立ち>
 
 いつになく厳しい冷え込みの続く今冬でした。まだまだ春には遠い北海道東部のムツゴロウ動物王国ですが、それでも弥生・3月の声を聞いた途端に、日中の気温がプラスを記録するようになりました。皆様の所はいかがでしょうか?すでに桜の蕾がふくらみ始めている、そんな時期でしょうか。

 こんにちは、王国の石川利昭・ヒロ子です。
 今回は、我が家で生まれたサモエドのアラルの子犬を、御家族の1員として迎えていただけるとの事、本当にありがとうございます。
 サモエドは西欧で「クリスマス犬」と呼ばれているように、人間にはもちろんの事、犬や他の生き物に対しても、フレンドリーで明るい性格の犬です。ある種、オメデタイほど陽気なのでクリスマスの名が付いてしまいました。極地探検家のアムンゼンやスコットも、ハスキーではなくサモエドで犬ゾリのチームを構成しました。これも犬どうしでのチームワークが良く、扱い易い事からです。

 さて、今回の出産に関しての記録を紹介させて頂きます。
 *父親・カザフ(英国からやってきたマロとウラルの子です)
 *母親・アラル(マロとウラルが祖父母となります)

 この結婚は、私が惚れ込んでいるマロとウラルの血を、王国の基礎的なラインとすべく計画したインブリードになります。もちろん親子、もしくは兄弟での交配は避けなければなりませんが、この2匹のような間柄(叔父と姪)での結婚は、ラインをしっかりさせるために行われるものです。
 結果として、生まれた子犬たちは、私の望んでいた吻の太めの顔だち、骨の太い四肢、がっしりとした姿となり、大成功と思います。

 *出産日・2002年12月29日
     午前6時35分、第1子誕生
     午後2時36分までに、オス2匹、メス5匹を産む。   体重は435〜500g
 *その後の経過
     12月31日 メス1匹死亡。
     2003年
      1月 4日 体重は550〜740gに。
      1月 7日 メスの子犬1匹、運悪く母親の足により圧死。
      1月10日 メス1匹、目が開く。
      1月11日 すべての子犬の目が開く。
      1月13日 体重は1260〜1550g
      1月14日 前歯があたる。
      1月16日 この日より離乳食を試験的に与える。ほとんど食べず。
      1月20日 体重は1650〜2160g
      1月23日 5匹ともに離乳食をよく食べるようになる。
      1月24日 回虫駆虫(ピペラップシロップ)、けっこう出る。
      1月29日 体重測定、2350〜3000g
            この頃から育児箱の中で、寝る所と大小便の場所が別れる。
      2月 5日 外で日光浴、先ず1時間ほど。気温マイナス8℃。
      2月11日 体重測定、3500〜4400g
            2度目の駆虫(ピペラップシロップ)
      2月16日 庭の大きな犬たちと遊び始める。挨拶行動が見られる。
      2月19日 混合ワクチン接種(デュラミューン8種)。
            日中のほとんどを外で過ごすようにする。
            ネコ、ニワトリ等との挨拶チャンスを作る。多くの人に声を
            掛けてもらうトレーニングも同時進行中。
      2月28日 玄関から車庫に住居を移動。
      3月 3日 3回目の駆虫(ドロンタールプラス)。

 母親の授乳に関しては、嫌がるまで自由に飲ませます。アラルは良き母で、現在も1日2度ほど乳首を与えています。
 何故、玄関で出産をさせ、そこで育てさせるかと言うと、これは知らない人にも尾を振り、仲良くできる犬を育てるためです。昔から言われるように『静かな所で慣れた人だけが面倒をみる』やり方ですと、必ず警戒心の強い、時に異常にシャイな番犬になってしまいます。
 今の時代、番犬(よく吠える犬)は歓迎されません。従って、ドロボウが来ても尾を振る犬を育てるために、もっとも人の出入りの多い、賑やかな所で育児をさせています。もしこの子たちが、将来、吠えたとしたら、それは警戒ではなくて、早く遊ぼうの催促でしょう。

 *何故、生後2ヶ月以上、旅立ちをさせないか......に関して。

 残念な事に、日本ではまだまだショップで子犬を買うのが普通に行われています。それも生まれて30〜40日前後の子犬が。これは先進国では考えられない事です。ある国では罪として罰せられます。
 と言うのも、この時期は免疫的にもっとも不安定であり、さらに、その犬が、犬の社会性を学ぶためにも、母親と兄弟から離してはいけない貴重な時期だからです。母親の乳首を探っては叱られ、兄弟で取っ組合いの格闘をして、力という物を知り、ケガをしない、させない手法を会得していきます。
 これは、どんなに犬に近い顔をした人間でも教える事のできない世界です。犬が犬語を使って心と身体で覚えるしかないのです。
 その意味で、王国では、少なくとも60日が過ぎ、1回目のワクチンの接種から1週間以上経過していない限り、お渡しはしておりません。
 わずか数週間の「かわいらしさ」のために、長き1生に傷をつけたくないのです。どうかご了承を願います。

 *さて、この後は.................。
  <餌>
   現在は、朝・夕方・夜と3回、与えています。
   内容・ドライフード(100〜130g)、犬缶適当(1日1缶で構いません)、
      牛乳適量(1生続ける事をお勧めします。カルシュウムの吸収が良いので)
      それに犬用レトルト(肉、野菜、スープ)を加え、混ぜています。
      すでに、ふやかした物よりも歯ごたえのある方を好んでいます。
      
    ドライフードは、体重の増加とともに増やしていきます。袋に書いてあるのは、
    あくまで目安です。食べ残さない量、太り過ぎない量が、その子の適量です。
    生後6ヶ月を過ぎたら、1日2回、生後1年半で、1日1回でも構いません。
    その他、ジャーキーなどもお勧めです。これは様々なトレーニングの御褒美と   
    して使えます。
    生後4〜6ヶ月で歯が替わります。固い物も顎、歯のために必要です。ドライ   
    は、粉末を固めた物ですので、歯を鍛えるまではいきません。家(ジョークで   
    す、サモエドは結構好きです、齧るのが....)もしくは市販のくわえるオモチャ、   
    骨型おやつ等を与えて下さい。

 <ワクチン>
   1回目の接種から1ヶ月後に2回目、そのまた1ヶ月後に3回目の接種をされる   
   事をお勧めします。その後は年1回で構いません。獣医さんに御相談の上どうぞ。

 <駆虫>
   子犬が来て、落ち着いたところで、もう1度、お願いいたします。回虫が出ても
   問題はありません。元気に大地を相手に遊んだ証拠と思って下さい。薬で完全に
   落とす事ができます。
    その後は、獣医さんとワクチンの時期との調整をしながら、年2回(春と秋)
   行って下さい。

 <フィラリア>
   昔は、大変な病気でした。自治体によっては10才の犬を表彰していたほどです。
   それほど厄介な病気でした。
    でも、今は良い予防薬があります。当方では無縁なのですが、月に1回の
   経口で済みます。これも獣医さんと御相談をお願いします。

 <様々なトレーニングについて>
   室内で飼われる時は、トイレのしつけが大きな問題です。
    先ず人間が子犬の示すサインを読み取る事です。起きた時、餌の後、遊んだ後
   等々が、もっとも催す時です。必ず匂いを嗅いだり、グルグルまわったり、啼
   きながら歩いたりとのサインがあります。それを利用して、うまく出来た時は、
   とにかく誉めて下さい。
   よく言われるように、失敗をした所に鼻を押し付けて叱る、これは逆効果です。
   (たとえ失敗をした直後でも....)。トイレと決めた所に、大小便の臭いの付いた
   紙などを残しておくのも良い方法です。
     『臭いは便意・尿意を誘発します!!』

   その他のトレーニングも楽しんでどうぞ!!
   重要な事は、うまく行かなくてもせいぜい10分でやめる事です。犬の集中力
   は、せいゼい7分程度です。しつこくすると、それがイヤな事になり、上達の
   妨げとなります。

 <人間リーダー論は忘れましょう!!>
   犬は、自分を飼っている人間家族の上下関係を眺め、群れの1員として自分をどこ    
   かに当てはめようとしている......。
   だから甘やかすと、自分を上位と思い、ワガママな犬になる.....。
   
   この実に分りやすい理論は、実は人間の勘違いです、間違いです。その説明をする  
   と長くなりますので省略しますが、人と犬は、同じ群れの成員ではなく、仕事を間   
   に挟んだ契約に基づいている『パートナー』です。
   今、日本の犬の多くは、鳥を回収する事も、羊を追うわけでもありません。
   しかし、彼らは、やはり人間と仕事で結びついています。私たちが『オスワリ』や
   『マテッ』と言う事、ボール遊びやフリスビーキャッチを楽しむ事、これが犬たち
   にとっては『仕事』なのです。
   上手く出来て人間に誉められた時、御褒美にひとかけらのジャーキーを貰えた時、   
   犬は、「自分が仕事を為し終えた..」言う喜びと自信を持ち、良い犬になっていき   
   ます。
    どうぞ、どんどん訓練をして下さい、遊んで下さい。
   でも、それは自分が(人間が)リーダーになるためのものではなく、犬に仕事を与    
   えているのだ、と理解して下さい。
    『犬とは、人間のために仕事をしたがっている家畜』なのです。

 
 明るく、そして楽しく、さらに、美しさの中に人間を見つめる深い心を秘めたサモエド........今また、新しい乳父と乳母の心の親戚さんが増えたと思うと、これほど嬉しい事はありません。
 どうぞ、カザフとアラルの子を、よろしくお願いいたします。
 何か御質問等がありましたら、いつでも声を掛けて下さい。お待ちしています。

 長々と書いてしまいました。これも実家の乳父、乳母の子を想う『ふたり言』とお許し下さい。
 では、良き春を......!!
              2003年 3月
                    ムツゴロウ動物王国
                             石川 利昭
                               ヒロ子
                          _________
                          (カザフ・アラル)


  



2003年03月02日(日) 天気:小雪のち曇りのち晴れ間 最高:3℃ 最低:−4℃

 『そろそろ、二人の観察を比べてみようか?』

 『な〜に、それっ?』

 『いや、アラルの子犬たちのさ、個性を比較しようかと.....』

 『みんなイイ子ばかりよっ!!』

 『いや、それは分っているけれど、ほらっ、少しづつ違うところがあるじゃない....』

 『いいわよ〜、並べてみようか....』

 夕飯を終え、さんまさんの番組で、ネコに真珠、犬に消防車の着ぐるみ、ヒヒに鏡....などというシーンを視ながら、私と女房は5匹の子犬の区別を始めた。
 二人でまとめた結論を並べて書いてみよう。

(1)オス 
   この子は東京に行く事が決まっている。既に名前も「アレ
  ン」と付けられている。
  フリーになると、先頭に立って新しい所に行く好奇心と行動
  力を備えている。
   対犬、対人間ともに挨拶は上手であり、中メスと仲良し。

(2)オス
   マロ→カザフと繋ぐ石川家の3代目オスとして残る。
  最近は、自分の立場を理解したわけではないだろうが、盛ん
  に、マロ、シバレ、セン、カザフなどのオス犬たちに挨拶に
  行く。尾の振り方は超が付くほど見事で、皆に受け入れられ
  ている。
  他の4匹と離れ、1匹で行動する時間が多くなっている。
  もちろん、人間は大好き。

(3)メス(ヘソが出気味・出ベソではない)
   メスの中で1番体重が重い(7キロ)。動きは活発、他の
  子犬への誘い掛けも上手く、頻繁に行う。女房が呼ぶと、
  真っ先に駈け寄ってくるので、女房のメンコと私は思ってい 
  る。
  ジャーキーが大好きで、最初に上手に食べた子である。
  オテンバとも言える。

(4)メス(誕生時の体重から、中メスちゃんと呼ばれている)
   オスのアレンとつるんで行動する事が多い。探究心はピカ
  一である。
   1度もウンコが柔らかくなった事のない、鉄の胃腸をして
  いる。私は1番美人犬になるのではと予想している。
   呼ばれると、首を傾げ、かわいらしさを自覚しているよう
  なポーズをする.....これがタマラナイ....。

(5)メス(奥目ちゃんと呼ばれていた)
   もっとも体重の軽かったメスである。今では中メスと同じ
  になった。
   最初は、毛の奥に真っ黒な可愛い瞳があるように見えたの
  で「奥目ちゃん」と呼ばれた。今は「かわいこちゃん」と言
  われる事も多い。
   人間に近寄りたい時に、少し怖いと、4本の足を揃えて
  ピョンピョンと跳ねる。この姿を見ると、どんなに機嫌が
  悪い時でも、つい笑顔になってしまう。おそらく1軒の家で
  1匹で飼われるとしたら、最高のサモエドになるだろう。そ
 れぐらい人間をよく見つめてくる。

 生後2ヶ月を過ぎ、現時点ではこのような区分けになった。
 もちろん、新しい家庭に旅立ち、そこでさらに新しい可能性が引き出されるだろう。生まれた時からの短い時間では発見できなかった素晴らしさが、この何100倍も溢れてくるはずである。
 それを見つけ出す喜び、その権利は新しい飼い主さんに譲りたい。
 今は、残りわずかとなった北の実家での暮らしを、5匹には存分に楽しんでもらいたい。

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 さて、お知らせをさせて頂きます。
 急な用事のために、私は明日(3日)午後からしばらく留守になります。
 日記、掲示板ともに失礼をすると思いますが、皆さん、ぜひ御自由にお使い下さい。
 ひな祭りでの白酒で酔いました〜と言うニュースでも、桜が咲きました!!....でも、どのようなお知らせでも大歓迎です。
 よろしくお願いいたします。

 明日、午前中までに、キリ番とさせて頂いた「150000」の方が決まると、ほっとして出かけられるのですが......。

 では、皆さん、良い日々を〜!!



2003年03月01日(土) 天気:薄い雲あれど晴れ 最高:7℃ 最低:−11℃

 中標津を発ち、根釧原野を南西に向かって60キロ、右手に霧多布湿原を見渡す丘に差し掛かると、正面には海が広がる。奥にはキリタップ岬があり、その左の海上に白い帯が幾重にも見えた。流氷だった。
 
 このところのテレビの天気予報では、必ず「流氷情報」なるコーナーがある。連日その中で、根室から浜中、厚岸にかけては流氷が接岸しているかのように地図に表示されていた。
 しかし、風は北や北西が続いている。長年、浜中の動物王国に住んでいた人間としては、信じられない事だった。
 じゃあ、自分の目で確かめてこようと思い立ち、久しぶりに浜中に向かったのだった。
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 (と、ここまで書いたところで......犬が吠えています、確認に行ってきます、続きは後ほど....) 
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 懐中電灯を手に玄関から出ようとすると、一昨日から玄関の育児箱に親子5匹で越してきている柴犬のミゾレ母さんが、あわてて起き、ドアが閉まる寸前に外に出た。どうもトイレのために私が来たと勘違いをしたようだ。

 ミゾレは自由にしておき、私はベコとメロンが吠えながら見つめている方向を照らした。
 メエスケの柵の前で光る物があった。すぐに見慣れたキツネの瞳と分った。ネコと同じようにキツネの目も、立派な反射板(集光増幅システム)を備えており、ライトによく反応する。

 ミゾレは用を足しにメエスエの方に進み始めた。犬が苦手なキツネは、ここでパニック的に逃げるのが通常である。
 しかし、この子は普通のキツネではなかった。近づいてくる犬(ミゾレ)の様子、距離を冷静に判断できていた。3メートル、ミゾレが進むと3メートル下がる....。そんな感じで、落ち着いて10メートルほどの等間隔を保っていた。

 もう一度、キツネの顔にライトを当て、特徴を観察した。コレという決め手はないが、我が家のルックの血を継いでいるような雰囲気が、鼻すじ、瞳、吻の形と長さ、等にあった。おそらく幼い時に犬を知る機会を持った事は間違いない。そうでなければ、このような行動はできないはずだ。

 ミゾレが小便を済ませ、さらに沢を下りてウンコのポーズになった時、キツネはゆっくりと林に消えた。

 何となく嬉しくなった私は、ミゾレに声を掛け、深夜の散歩をする事にした。気温がマイナス4℃と高く、上着を着用しなくても済みそうだった。しかし、念のために薄いのを1枚羽織り、雪の消えた表の舗装道路に出た。
 育児で気を張っていたミゾレには、嬉しい誘いだったのだろう。私の横につき、時々見上げながら静かな北の夜の散歩に付合ってくれた。
 時々、タイヤをきしませる異様な音が、中標津の町の方向から響いてきた。いかにも土曜日の夜らしかった。

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 さて、話を深夜の散歩前に戻そう。

 やはり天気予報での情報は手抜きとは言わないが、厳密なものではなかった。浜中湾の中には、かすかに痕跡のような氷があるだけで、ほとんどは岬から先の方、外海側で帯状になっていた。王国の仲間に聞いても、ここ数日は同じような状態だったと言う。
 海峡を流れ出てきた氷は、よく写真であるように積み重なっているわけではない。あれは風と波によって押し付けられてできる形であり、広い海を漂っている間は平板である。

 それでも、浜中の海で流氷を見るのは、実に久しぶりである。陸地に雪が少ないから、真っ青な海に浮かぶ白い氷は、よけいに美しく感じられる。コンブの漁師さんたちは、岩礁に付着した雑草を掃除してくれるからと、流氷を歓迎している。これもまた長年の経験からの判断だろう。

 大平洋に流れ出た氷の先端は、十勝の広尾沖から襟裳岬沖に達しているらしい。
 いつになく冬らしい2003年、それでも3月の声とともに気温は春を迎える準備を始めたようで、正午頃には7℃まで上がっていた。