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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2003年06月30日(月) 天気:雨のち曇り 最高:12℃ 最低:6℃

  6月28日(土) 晴れ 最高18℃ 最低8℃

 待ちに待った「北の夜話・26回」が総合文化会館で開催された。
 講師は名誉館長のムツさんと、日本でのDNAに関する研究を常にリードされてきたO氏である。先日も書いたが、O氏は、ムツさんの大学時代からの大親友である。

 今回のタイトルは「DNAについて語り合おう」となっていた。今年4月に、ヒトのゲノムの30億個の並びが10年の月日を費やして解明されたが、その歴史や、DNAとは何か、そして遺伝子とは....と、スライドを使い、O氏の判りやすい言葉で講座は進められた。

 かつてムツさんたちが東大で学んでいた頃、DNAの並び等を人類が理解するのは、100年先の事だろうと思っていたらしい。しかし、1953年のDNAの構造発見以来、予想の半分の50年で解明されたことになる。まさに20世紀は科学発展の時代だった。

 それにしても愉快だったのは、ヒトの塩基の数よりもカエルのほうが2億多く、32億だと言う事だ。もっと凄いのもいて、サンショウウオやイモリは150億以上らしい。
 ただ、遺伝子(ヒトでは32000個)の並び方(存在地点)は、生き物によって異なり、それは、傷ついた時の修復能力に差が出てくることになる。ヒトはその力が偉大だからこそ、長生きが可能になったとも言える。

 ゲノム研究のこれからは、様々な病気と遺伝子の関係の解明に力が移って行く。そして、それは大きな経済、産業に繋がる。
 クローンの問題を含め、ますます人間の倫理が重要になる時代だと思う。

 若き心のままのムツさんとO氏が、熱い心で科学と生き物を語った時間は、場に居合わせた私たちの素晴らしい宝物になった。
 そして、また新しい命の見方を教えてもらった、そんな気がしている。

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  6月29日(日) 曇りのち雨 最高13℃ 最低 8℃

 町の小学校で運動会が開かれるというのに、寒く、そして午後には雨になってしまった。前2週の日曜日に開催した学校は、暖かく、まさに運動会日和だったが、我が家の子供たちも通ったこの小学校は、いつも最後の日程で、こんな天気になってしまう。
 これは、オホーツク高気圧の時期の特徴で、それが分かっているのに日程を変えない学校に、私は疑問を感じている。
 隣家のツヤマ家の子供たち、そして応援のアミちゃん、ツンちゃん、ご苦労様でした。

 新婚生活中の柴犬のシグレとリキは、今日も交尾をした。24時間の同居ではなく、朝の8時から午後2時までは、隣の柵同士にして、じらす作戦を行っているのが効果的で、いっしょの柵に戻すと、すぐに恋の展開が始まる。
 そろそろ発情も終わりそうだと思うのだが、念のためにシグレが拒否の声を出すまで、同じ事を繰り返そう。

 夜、雨音を聞きながら麻雀をした。
 久しぶりの牌の感触は、指先と頭の中に懐かしい活気と、こんんちくしょう〜と、祈りに似た想いを復活させた。
 このゲームは、数学であり、人生だと私は思う。乱れた心の時は、如実に牌の扱いにそれが反映する。
 だから、このゲームの時は、私はマナーにこだわる。先積も(すみません、知ってる方は知っていますね....アハハハ、当たり前か....)をする相手は、

 「あ〜、可哀想に、ギョウザが出て来る前に、チャーハンを食べてしまうんだろうな〜、待てないんだ...」
 
  .....と思ってしまう(コース料理でないかぎり、ギョウザとライス、ラーメン等は同じタイミングで出してほしい、これもプロのマナーだと思う・・・我がままな私である)。


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   6月30日(月) 雨のち曇り 最高12℃ 最低6℃

 書斎のドアが勢い良く開けられた。
 この動作は、女房が怒っているか、または、良い事があった証しである。
 私は、背を張り詰め、何かやっちゃったかな....と、指はキーボードを叩きつつ、神経は後ろの女房に向けていた。

 『今、ルックに会って、それからラーナがウンコに行きたいって目で言うから、表の道まで付き合ったの。そしたら、オビが勝手口を見てるのよ....。あれっ、またルックかな、と思って行ってみたら、コンクリートの上に座っていた、カールが...』

 女房は、私が振り向かなくても勝手に喋ってくれる。いつもは、そのまま大きく私が後ろ姿のまま頷けば済むのだが、今日は、あわてて振り向いた.....。

 『戻った?濡れていない?ケガは?』

 アメリカンカールと言う、耳が外側にカールしたネコ種の「カール(何と安易な名前だろうか)」は、5日前から行方不明になっていた。
 朝、勝手口が開放された時に、いつものように嬉しそうに遊びに行った。
 普通は、寒さの感じられる午後2時過ぎには、皆が居間に戻り、毛づくろいをした後、夕食まで昼寝をしている。

 しかし、カールはその夜も、次の日も、姿を現わさなかった。1日、2日なら心配もしないが、さすがに4日もすると、何か事故があったのでは、と思い始めた。
 でも、私と女房は、周辺の林の中に探しに行く事はしない。
 これが犬だったら、大声を出し、懸命に捜索をする。だが、ネコでは100パーセント逆効果と言っても過言ではない。本来の臆病な性格(特に慣れた場所ではない所では)ゆえに、家族の声であっても、怯え、逃げ、パニックに陥りやすい。

 従って、先日の「エ」の時と同じように、私たちは仲間のネコたちを、なるべく長時間外出させるだけにしていた。
 
 居間に戻ったカールは、嬉しそうに女房や私に頭を擦り付けてきた。
 そして、驚く事に、全ての仲間ネコたちが、カールに寄って行き、身体の、特に尻の匂いを嗅いでいた。ウンコも嗅がれていた。
 1週間弱の外出で、自然の餌を食べただろう、そのウンコが他のネコたちの興味を強く惹いている事は間違いない。

 何はともあれ、カールの帰宅にほっとしている。

 
 
 

 



2003年06月27日(金) 天気:霧雨のち曇り、晴れ間あり 最高:19℃ 最低:9℃

 重い雲が割れ、澄み切った陽光が差し込んだ。
 こんな日は、空を眺めているだけで、何か、心がうきうきとしてしまう。そう言えば、私は幼い頃から空を見上げているのが好きだった。別の書き方をすると「野原や屋根の上で、昼寝をするのが得意だった」....となる。
 傾斜の緩い屋根で寝ていたが、それでも祖父には「落ちるぞ!!」とよく叱られた。

 鮮やかに緑を輝かせる初夏の太陽の温もりとともに、今日は嬉しい事が重なった日だった。
 
 先ず、「悠太」という犬に関して書くべきだろう。
 オスである。年齢は不詳である。歴史も不明である。見てくれから、どうやら柴系のミックスらしい.....。
 保護センターに収容されていたその犬に、今日「悠太」と名前が付き、新しい飼い主さんの元へ貰われて行った。

 東京での話である。
 新しい飼い主さんは、すでに2匹の犬と5匹のネコたちと暮している。柴のアリス、そしてサモエドのマーヤ。マーヤは我が家の出身である。

 処分期限ぎりぎりのところで、悠太は新しい未来が決まった幸運な犬である。そこに至るドラマは、新しい飼い主として手を上げられたKさんの言葉にまかせよう。
 (http://www6.ocn.ne.jp/~alimahya/)

 私は、ただただ、言葉だけではなく行動に移ってしまったKさん御夫妻に敬服をするだけである。
 
 捨てれた犬であろうと、迷子になった犬であろうと、保護センターの門をくぐった犬たちの運命は、残念ながらかなり厳しい状況なのが現実である。
 この問題に、どう対応し、よりよき未来を築くべきか、私にも意見はある。それは、多い年は1年間で200匹の捨て犬、ネコを目の前に見続け、ため息とともに手に温もりを感じてきた中から生まれている。

 だが、今日は、その全てに封印をし、ただ、Kさんの勇断に、心熱く拍手を贈らせていただく。

 あ〜だめだ、やはり、一言だけは書かなければ....。

 「純血の犬をショップで買うなら、私は、保護センターの可哀想な犬を貰う...」
 この意見には、私は大反対である。
 だから、捨てる人が気を軽くしているのも否めない『あそこに持っていけば何とかなると』....我が家の前に捨てたアホは、捕まえて問いつめた時に、そのような意味合いの弁解をしていた。
 この理論は、
 「子供たちがボランティア活動で行う空き缶拾いのために、私は缶をポイ捨てしています....」
 と、胸を張って言う事と同じだと思うのだが......。

 「悠太」....幸運な犬、君に友あり、そして素晴らしい人がいる、おめでとう!!

 もうひとつだけ、今日の嬉しい事を書こう。
 夜、寒さに震えながらバンドの練習をした。1月に沖縄で行ったライブのための真冬の練習よりも辛かった。
 でも、心はニコニコだった。
 と言うのも、3年振りに「長ぐつバンド」のオカシラが横にいたからである。
 「オカシラ」...「お頭」...そう、F氏である。ギターの名手である彼こそが、バンドの創成期からの柱だった。3年前に、隣町で別の仕事を始めているが、彼の作詞、作曲したナンバーは、常にバンドの演奏の中心になっていた。

 この夏、久しぶりにともに演奏ができる。
 寒さの中でチューニングが終わり、練習を開始した。すぐに私たちは3年前に戻っていた。いや、戻ったと言うよりも、いつもの長ぐつバンドの音が出ていたと書くべきだろう。

 そう、時のブランクは感じなかった。音楽をともに楽しむ仲間として、それぞれの想いが絡み合い、会話を始めていた。
 時々、コードを見失ったり、構成を間違える事はあったが、それ以上に、嬉しさのほうがかっていた。

 7月26日の夜、本番が楽しみである。

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 捨て犬に関して、言葉足らずのために、少々、誤解を招いた点もありますので、その後、掲示板に書いた私の意見を転載します。

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 投稿日時:2003/07/01(Tue) 16:04

 投稿者名:ウブ

 タイトル:熱き祈り.......ありがとうございます!!

 投稿記事:

 いぜんとしてドンヨリの中標津です。
 今朝、勝手口を開けても、他のネコたちは飛び出て行ったのに、カールはしばらく戸口で考えた後、ソファに戻り、寝ていました。少し、懲りたようです。

 さて、ウブの日記に対して、このように多くの皆さんから真摯な、そして、熱い祈りを込めた御意見をいただき、感謝しております。
 再度、私の意見を箇条書きのさせていただきます。

(1)犬はIDチップを埋め込む事を条例で決める。
   持ち主が変わる時は、必ず届け出を義務付ける。
   これによって、迷い犬問題は即、解決します。故意に逃が
   す事も防げるでしょう。
   (かなり前ですが、イギリスのセンターでは、譲り渡す犬
   には、チップを埋めていました)
(2)避妊・去勢の啓蒙を自治体主導で行う。手術費用は補助が
   ある(助成)。
(3)保護、管理施設に渡す時には、高額な費用が必要になる。
   野良として保護された時も、チップにより飼い主を特定し
   引き取り等がない場合は、高額な罰金を支払わせる。
(4)自治体直営のドッグランを、人口に比例して設置し、そこ
   には必ずインストラクターが常駐している。
   ここで、犬の社会性を生かした楽しさの実演、啓蒙、指導
   を行う。
(5)犬種学の講座を国が主管し、ペット業界にかかわる仕事の
   人間は、受講を義務付ける(教える人間がいない?..アハ
   ハハ!!)。
(6)ペットにかかわるお金には、新たにぺット税(5パーセン
   ト以上)を設け、その資金を、様々な活動の財源とする。

  と、言うところでしょうか。

 誤解を生じたかも知れませんが、私が言いたいのは、今、迷い犬の告知運動、管理センターの犬ネコたちの譲渡運動、また、個人や有志で里親探しをされている、本当に命を大切に考えている皆さんが、1日も早く、このボランティア活動から失職し、自分の犬ネコだけと、静かな暮しができるようになって欲しいのです。
 私の友人も、2匹の子ネコから始まり、ついには30を超える犬ネコを抱え、離婚、貧苦の中に入ってしまいました。里親探しをしている事が知れ渡ると、その家の前に捨てていくのです、アホは.....。
 保健所や自治体の生活課、保護、管理センターに勤められている方、そして、見るに見かねて善意で運動を始められたボランティアの皆さんが、これ以上苦しまないように、緊急の策が必要だと思います。
 その第一段階として、先ず、「IDチップ」の導入を、獣医師会をはじめ、業界の関係団体から、そして私たちから大きな声をあげる時だと思います。

 重ねまして、たくさんの御意見、ありがとうございました。



 



2003年06月26日(木) 天気:ひたすら重い雲 最高:14℃ 最低:7℃


 どちらかと気の強い方の柴犬のシグレが、隣町から婿に来ているリキの肩口に自分の首を擦り付け、そこから次第に身体を前方に移動し、尻をリキの鼻先に向けていた。
 リキは私の手の動きに気を取られ(来て3日で、すでに私の手は、やたらと美味しい物が出て来る所と理解していた)、シグレの動きに惹かれるどころか、この大きな尻が邪魔だとばかり、首を上げて避ける仕草を示していた。

 『おいっ、リキ、シグレが誘っているよ、お前、男だろう、ガンバレ!!』

 そう言って私は、バイアグラならぬササミジャーキーをリキの口に入れた。
 これが効いた.....とは言わないが、リキは食べ終わると、しつこく身体擦りと尻向けを行っていたシグレの陰部の匂いを嗅いだ。

 瞬間にシグレの尾が巻上がり腰の上で左に倒れた。少し首を上げ、4肢を踏ん張り、何があっても動かない.....そんあ決意がシグレの瞳に見えた。

 リキは上に乗った。何度かの動きの後、シグレが悲鳴をあげた。振り向きざまに背の上のリキに口を開け、歯を見せた。
 わずかに顔を右に動かし、リキはシグレの抗議を見事に避けた。

 そして1分、シグレとリキは尻を交点に互いに逆を向く形で静かな時を迎えた。
 そして5分、通常の犬の交尾よりも短いが、するりと2匹は離れ、何ごともなかったかのように、静かに自分の陰部を舐め始めた。

 23日夕方の、あやうく社内結婚ならぬ「車内結婚」になりそうになった出会いから始まった2匹の交配は、順調に進行している。
 「ピコピコ」→「ツララ」→「ブー」→「アラレ」→「ミゾレ」→「シグレ」と繋がって来た王国の柴犬女系一族に、7代目が誕生するのは、8月の末だろう。



2003年06月25日(水) 天気:曇りのち雨 最高:12℃ 最低:9℃

 
 衰弱化の傾向を示すある種の人間は「匂い」を、「臭い」と「香り」の二つに分け、片方を嫌悪、残りを快感として区別している。
 私は、これは生きる力としての嗅覚に対する裏切りだと思っている。
 まあ、時には犬の足の裏などの匂いを好んで嗅ぐ拍手ものの方もいらっしゃるが、大体において、生き物が発する匂いを「臭い」の範疇に入れ、何とかそれを誤魔化そうと、やたらと身体を洗ったり、まがい物の香料を身にまとって他人の鼻を防御しようとしている。

 しかし、忘れてはいけないと思う。食中毒から身を守る最初の関門は口に入れた食べ物の「匂い」であり、次いで「味」であることを。
 箸でつまみ口に入れようとしたその時に鼻が感じたかすかな異臭....これに気づく事は、吐き気を誘発する最高の防御反応に繋がる。
 
 家に冷蔵庫も保温ジャーもなかった子供の頃、私はおひつの御飯の加減を蓋を取っただけで判断できた。ある実験では、今の若い女性たちはスエタ御飯を半数も当てられなかった。自分で炊いた御飯でも、正味期限の貼り紙が必要な時代になったのかも知れない。
 
 さて、何故、それほど「匂い」にこだわるのか、それは、まさに生きる事そのものだと思うからである。

 今日、実験をしてみた。
 生後3週間になるサモエドのラーナの6匹の子犬たちに、哺乳瓶の乳首を近づけてみた。
 耳と目が機能を始めて(不完全ではあるが)、まだ1週間である。私や女房が声を掛けても、怯えこそすれ、まだ嬉しそうに寄ってくることはない。
 
 最初は、乾いたゴムの乳首を近づけた。子犬たちは鼻先に当たるそれの匂いを嗅いだが、口にくわえる事もなく、単に確認をしただけだった。

 次に、ラーナを引っくり返し、3つの乳首からミルクを失敬し、それをゴムの乳首に擦り付けた。
 濡れたままの乳首を、6匹の鼻先に持って行った。その瞬間だった。1匹が前足をばたばたと動かし、首を左右に振り、まさしく乳首を探す動きを始めた。ミューと言う声につられるように他の子犬たちも、一斉に母親(乳首)探しを始めた。

 離乳食も同じだった。口が付く前に、匂いを感じただけで、6匹は食器に集まった。

 逆に、大人の犬たちから見てみよう。
 母親のミルクを飲んでいる子犬は、御存知の方もいると思うが、口の中が独特の(人間でも良く判る)匂いを備えている。
 これは、ミルクが子犬の口の中に膜を作り、ちょうどコーティングされたようになるからだ。ミルクの分子は大きいために味蕾に蓋をする形で入り込み、それが長く残存している。

 要するに、子犬はミルク臭いのである。これは群れの中で特別な存在である事を示し、この「匂い」を持っているかぎり、虐められる事もなく、かえって保護される旗印となっている。
 従って、過日、全国に旅立った柴犬のミゾレの子犬たちは、生後2ヶ月半になっても母親の乳首に吸い付いていたので、大人の犬たちにきつく叱られる事はなかった。
 しかし、早く離乳をした子犬では、何度か生死の問題になる事故が群れの成犬によって起きている。

 チワワの成犬は1.5〜3キロである。身体の大きさから言えば、生後3週間の今のラーナの子犬である。
 しかし、2歳のチワワは他の犬たちに子犬扱いはされない、オスであれば、1人前のオスとして周囲から見られるだろう。
 それは、子犬の証明となる「匂い」を持っているかどうかが決めてとなっているからだ(もちろん、大人になると、その証の匂いも発生してくる)。

 ようやく這いずり始めた子犬たちが、狭い所ながらも育児箱でトイレを決めていくのも鼻のおかげである。世話をする私と女房を喜び、尾を振るのも私の匂いと声である。目の力で、このハンサムな私の顔を認識区別して喜ぶようになるまでには、たくさんの時間が必要なのである。
 

 命としての最初の武器....「嗅覚」を大事にし、そして観察を重ねて、もっともっとその不思議に驚きたい。



2003年06月24日(火) 天気:曇りのち晴れ 最高:18℃ 最低:9℃

 ラーナの子が生まれて20日たった。昨日、食べ終えた母親の食器を何度も舐めた子がいたので、女房は、試しにと離乳食を用意した。
 育児箱の中央に置くと、匂いだろうか、子犬たちは一斉に集まり、何の躊躇もなく口を付けた。まだ吻が短いので、口と言うのは誤りかも知れない、顔を付けたとすべきだろう。

 ともかく、6匹は、競い合って、ふやかしたドライフードと犬用缶詰の混ぜられたものを口に入れていた。柴犬の初めての時よりもはるかに上手な食べ方で、口をしっかり開け、ガブリとした時に入ったフードを、数回モグモグとしただけで飲み込んでいる。

 次第に調子に乗って来る子もいた。一口ごとに前進し、ついには4本の足を平たい食器の中に入れ、ベトベトの姿になって食べていた。

 中には感心な子もいる。食器の横にこぼれ落ちたフードを専門に処理し、育児箱が汚れるのを防いでいるようにも見える連中である。
 真実は、食器のへりが高く、そこを越えて食べる事が分らないだけだが、情緒的に考えたほうが楽しい。

 そう、犬たちの行動を、人間の情緒、もしくは、人間が意識的に行っている行為とその動機に頼って判断をすると、実は、これがもっとも真実らしく、そして判りやすいのは事実である。
 だから、「子犬の時に人間の目よりも高くして遊ぶと、子犬は人間より自分を偉いと思う」.....などと言う荒唐無稽でありながら、間違って頷く人の続出する理論が発生する。

 ムツさんの大学時代からの友人O氏が立ち寄られている。DNAに興味のある方なら、1度は名前を聞いたことがある、そんな有名な科学者である。アメリカと日本の大学、そして専門機関でゲノム研究をリードされている。

 東大の寮の時の話から、50年後の命の科学に関するものまで、お二人は、まるで子供のように瞳を輝かせて話をされている。
 久しぶりに熱気を帯びた会話で満たされている林のサウナで、私も横で楽しく、そして「あっ」と驚く話を聞いていた。
 
 ムツさんとO氏、ふたりの科学者の口からは、私には結論が出せず、情緒に逃げて答らしき物を出していた問題が、DNA、ホルモン、脳などをキーワードに解決されて行く....。
 
 こんな事が、サウナ、ジャグジー、おまけに泡の出る麦茶付きの所で(おまけに無料で)、裸のままで聞くことができるとは、何と私は恵まれているのだろうか.....。
 そう思い、ニコニコ顔がグシャグシャ顔になるほどの嬉しい夜に感謝をした。

 あらためて、私が知った、認識した「命の真実」を、より多くの皆さんに、具体を通して伝えていけたらと、そう思う。

 



2003年06月23日(月) 天気:晴れ 最高:20℃ 最低:9℃

  柴犬のシグレとミゾレの親子に発情が始まって10日となる。今回は、ミゾレの娘であり、王国の柴犬の6代目となるシグレを結婚させようと思っていた。
 先ず、肝心なのは婿さんである。仲間のモモちゃんが隣町の3歳のオス君を探して出してくれた。

 サモエドたちなら出血7日目から見合いを考えるが、ピコピコから始まった王国柴女系一族は、出血10〜16日の間に排卵が起きている。
 そう思ってのんびりとしているうちに、数えてみると今日が10日目だった。
 あわてて婿殿の飼い主のYさんに電話をし、夕方、隣町の実家で見合いをさせる事になった。

 散歩を終えた後、隔離柵にいたシグレにリードを付けて出して来た。セン、タドン、シバレ、カザフ、そしてマロまでもが、狂わんばかりの声で啼き始めた。
 シグレは慌てずに、ドアの開いている女房の車を目指した。この子も車での遠出が大好きである。

 せつな気に後追いの声を出すオス犬連中を残して、私と女房、そしてシグレは20キロ先のYさん宅を目指した。甘えん坊のシグレは後部座席の上で腹這いになり、右の前足を女房の腿の上に乗せてニコニコとしていた。

 Yさんは庭で作業をしていた。足元に柴の子犬が1匹いた。

 『はじめまして、王国の石川です。電話ではどうも......』

 初対面である。挨拶、そして御世話になる御礼などをさせていただいた。
 屈んで子犬に手を差し出すと、少し警戒をしながらもペロッと舐めてくれた。生後3ヶ月の濃い茶の子だった。

 庭の前の囲いの中に、その子犬の両親がいた。頭に冬毛を残している小柄なほうが母親、そして、換毛も終わり、キビキビとした動きで私が来るのを待っているのが父親のリキで、今回、シグレの婿になる予定の子だった。

 シグレと女房が乗った車は、Yさんの家の横にある広場の端に停めてある。犬たちに見えない所である。
 さっそくYさんにリキを連れて来てもらった。女房がシグレに長いリードを付けて、車から降りた。

 2匹は、すぐに駆け寄り、互いの匂いを嗅ぎ始めた。鼻先はお義理ていどで、ひたすら陰部に顔を寄せている。オスらしくしつこいリキの嗅ぎ行為にも、シグレは拒絶の姿勢を見せず、尾をしっかり上げて対応している。

 やがて、リキがシグレにマウントを試みた。驚いたシグレが身体を回すために、うまく乗る事ができない。首輪を掴んで動きを規制してやると、今度は、リキが人間を気にしてしまう。
 何度か繰り替えした後、私はYさんにお願いをした。

 『1週間ほど、リキを預からして下さい。我が家の隔離柵で新婚生活をさせたいのですが....』

 Yさんは、心良くOKをしてくれた。

 帰路、後部座席には女房と、今、出会ったばかりの若いカップルが乗っていた。
 発進して1分、セイコーマートの前を通過する時にリキがシグレに乗り始めた。
 その2分後、セブンイレブンの前に差し掛かった時に、ペニスの先がシグレの陰部に当たり、シグレが吠えた。ちょうど交差点であり、左へ曲ったために、遠心力でリキは座席の下に落ちてしまった。

 『もう、あんたたち、なにしてるの、この狭い所で無理でしょ!!....、ほらっ、私の膝に乗らないの、イタイ....』

 女房の声を聞きながら、私は少し残念だった。
 今、子犬が生まれた後の血統書の申請の時には「交配証明書」とともに交尾中の2匹の写真の添付が必要である。
 コンビニの前でうまくいっていれば、おそらく日本で初めての「犬のカー〇ックス」による申請書類が揃えられたのではと......。

 我が家に到着して15分後、今度は揺れない大地の上に、シグレの鋭い悲鳴が響いた。女房が駆け付けると2匹は繋がっていた。
 隣の柵にいるキツネの花三郎が、柵際まで来て見ていたと、女房は可笑しそうに言った。

 「リキ」の登場する日記も3日目、今日はサモエドではなく柴犬の「リキ」の話になった。
 なかなかハンサムな子である。

 




2003年06月22日(日) 天気:晴れ時々曇り 最高:20℃ 最低:10℃

 誰かが布団の上から、私の肩を揺らした。4時過ぎに布団にもぐり込んだ私は目を開けずに、身体の向きを変え、やり過ごそうとした。
 すぐに2度目の揺らしが来た。今度は見事に40肩の患部にヒットし、私は痛みで飛び起きた。

 目の前に、濡れた鼻があった。それが近づき、大きな舌が遠慮がちに顎から鼻の頭へと動き、私の顔を洗ってくれた。
 
 利樹(リキ)は、私が起きたのを確認すると、枕元と開けっ放しになっている寝室のドアの所を行き来した。
 時計を確認する、6時10分前、すでに廊下の窓からは、鮮やかな朝の光が差し込み、その明かりの当たる床の上に、2匹のネコが張り付いて寝ていた。

 リキの動きはすぐに理解できた。小便かウンコをしたいと言っている。

 『ちょっと待ってろ....、タバコタバコ....』

 枕元を探すと、まだ5〜6本は入っていたはずなのに、ペシャンコになったマイルドセブンの袋があった。ネコの仕業ではない、リキが上で寝たのだろう。
 袋を破り、何とか形のある1本をくわえて火をつけた。丸くないタバコは、思いきり吸わないと煙りが肺に入ってこなかった。
 今度、リキが泊まった時は、紙袋ではなく、10円高いボックスのタバコにしよう...などと、どうでも良い事を考えながら階下に降りた。

 階段をくだる時もリキは私の前を歩き、すぐに1階の勝手口に行き、身体は戸に向けたまま、首だけで振り返って私を見つめた。尾をゆるく振っていた、しかし、声はなく、瞳で外へ出して、と訴えていた。

 戸を開けると、リキは急いで外に出た。一斉に庭の犬たちが吠え始めた。

 『な〜に、啼いている、リキだよ、昨日、みんな挨拶をしただろう....!!』

 修業のように力を込めてタバコを吸いながら、私は大きな声で叫んだ。効果あり.....声は収まり、表の道の方へトイレの場所を探しながら歩いて行くリキに、犬たちは視線だけを送っていた。

 雨も雲も去り、汚れのない空気の中で、洗われた陽光が射しこんでいた。濡れた樹木の葉が、一晩で少し濃い緑に変化をした気がした。

 リキのウンコは思ったよりも細かった。我が家のサモエドたちに比べると半分、そう、柴犬のシグレやミゾレよりも上品かも知れない。あいつらは太さ5センチ近くのを出すので、力んでいる時に肛門の内側の赤いところまで見えてしまう。

 人間の食事が終わるまで、リキは室内で過ごした。
 そして、朝の犬たちの散歩、私と女房は、何のためらいもなくリキを群れの1員として扱った。久しぶりに夫婦水入らずの夜を過ごしたAさん御夫妻が来ていた。きっと寂しさと不安の同居した宿の夜だったろう。

 昨日の雨に加え、朝露で濡れている草木の中を、リキは我が家の犬たちと駆け、そしてもつれ合って遊んだ。
 せっかく昨日の汚れを、一晩かけて私の布団に擦り付けて落としたと言うのに、リキの白い身体は、再びワイルドホワイト(大地の色に染められ、何となく白っぽい白?)と化してしまった。

 出発の時間が来た。Aさんの奥さんは、全ての犬に挨拶に行き、なかなか車は出られなかった。Aさんにタオルで拭かれたリキは、車の後部座席の窓から顔を出し、せつな気な鼻声で啼いていた。

 午前10時を少しまわった時、車は福島県に向けて帰路についた。

 今後、我が家に成犬が来た時、その子が我が家の庭で、我が家の連中と遊ぶ事が可能か否か、私はリキを思い出し、カレの示したサインを基準に判断をするだろう。

 ありがとう、利樹(リキ)、そしてAさん御夫妻!!
 気をつけて旅を......!!



2003年06月21日(土) 天気:雨のち曇り 最高:16℃ 最低:12℃

 よく誤解をされるのだが、動物王国の犬たちは、柵で囲まれた広いスペースで、繋がれる事もなく、気ままに、みんな仲良く、自由に暮していると考えている方も多い。
 
 そこで、
 
「今度、引越します、うちの犬をお願いします...」
 
「王国こそ、捨て犬を収容すべきだ!!」

 などと言われる事がある。
 それに対してどのように答えているのか、そう、辛い言葉を返さなければならないのが犬である。

 「その犬は、成犬ですね。だとすると完成している群れに入るのはとても難しく、下手をすると、すぐに殺されますよ、特にオスは....」

 実際に、かなり前の事だが、ゲートを勝手に開けて大人のオス犬を捨てられたために、人間が発見する前に王国の犬たちが集団で襲い、命をなくした子がいた。

 これが、王国の敷地(犬たちの生活スペース・テリトリー)から出て、どの群れの縄張りでもない所なら話は別だ(ゲート前10メートルの所でも)。
 挨拶法さえマスターしていれば(広ければ、そして、人間が付いていれば挨拶を交わさなくても)、仲良く遊んだり、交流はなくても互いを傷つけずに済む。その大きな証明はどんどん増えているドッグランである、あれは、来ている犬たちのテリトリーではないからこそ、うまく行くのである。

 長い間、そのセオリーに挑戦してみたいと思っていた。
 観察の対象となる群れは、もちろん順位等を熟知している我が家の連中であり、彼らの縄張りである石川家の庭先を中心としたエリアが舞台である。
 
 そして私は、密かに昨年から、それを実行し始めた。
 今までは、生後6ヶ月を過ぎた犬を我が家に連れて来られたら、「絶対に車から下ろさないで」と警告を出していたが、計画遂行とともに知らぬふりをする事にした。
 
 ほとんどの方は、猛烈に車の中の犬に向かって吠える我が家の連中に気押され、危険を感じて犬を出しはしない。
 でも、嬉しい事に、あまり切実な危険を感じずに、または、うちの子はフレンドリーだからと、簡単に下ろす方もいる。
 その時の犬の様子(我が家の連中、ゲスト両方)を、慎重に見極めようとしてきた。

 幾度かそれを繰り返し、事故が起きないだけではなく、事故を起こさせない条件も見えてきた。
 それらの発見の再確認を望んでいたところに、最高のゲストが今日、福島からやって来た。

 名前は『利樹(リキ)』、1歳半になるオスのサモエドである(去勢済み)。
 リキは我が家で生まれた子である。父親はカザフ、母はラーナ、今、玄関で育っている6匹の子犬は、リキにとっては弟妹になる。

 リキは生後2ヶ月半で旅立った。これはもう、今では我が家の犬ではなく、完全に飼い主のAさん御家族の愛犬である。吠え声も北海道弁から福島弁に変わっているのかも知れない(?)。

 久しぶりの(初めての)里帰りと言う事で、昨夜は近くの宿に泊まり、今朝、雨の中を我が家に来て下さった。
 
 見慣れぬ車に、先ずカリンとベコが吠え、偵察役の仕事を実行した。庭の中央に車が停まった時、中に白い犬が乗っている事に気づき、すべての犬が吠え始めた。カボスは55キロの体重でクサリを引き千切らんばかりに全身の力を入れて吠えている。

 あいにくの雨である。人間同士での挨拶が済んだ後、居間にリキを入れた。
 車から降りたリキの姿を見たとたんに、一旦収まっていた吠え声が復活した。我が家の連中の尾は横に振られ、リキの尾はきれいに巻かれたままで、下がってはいなかった。
 しかし、あまりにもうるさい声に囲まれ、瞳はキョロキョロとし、Aさん御夫妻の足元にぴったりと付いて歩いていた。

 『リキは、ネコを見つけると、行きたがって困るんですよ〜。他は良い子なんですが....』

 奥さんがそう言ったこともあり、私はネコだらけの居間でのリキの行動も楽しみになった。

 玄関には育児中のラーナ親子がいるので、リキは勝手口から中に入れた。すぐに、犬を恐がらない10数匹のネコたちが、匂いを嗅ぎに寄ってきた。ネコたちの能力は見事なもので、普段、見慣れている犬と、そうでない子をすぐに見分けている。

 リキはネコたちを見ても、匂いを嗅がれても、逃げも騒ぎもしなかった。それどころか、自分から相手の鼻や尻を嗅ぐ仕草も見せ、尾は上がっていた。

 このように落ち着いていれば、あきっぽいネコたちは、すぐに興味を失い、リキにちょっかいは出さない。それよりも、客が来るとコーヒーが登場し、それにはミルクが付属していると、すでにテーブルの上にはカールを先頭に4〜5匹のネコが乗って待機をしていた。

 リキは、ゆっくりと室内の点検を始めた。2階への階段を登って行ったネコの動を観察し、自分でも上がって探検をしてきていた。
 生まれて1ヶ月ほどの頃、リキはこの居間で育っていた。玄関がダーチャの育児場所となっていたからだ。その時に、ネコたちとの交流をたくさんしている。母親のラーナが外に出ている時は、箱の中に数匹のネコが入り、抱かれるかたちでリキたちが寝ていた。

 そんな記憶は、必ず残ると思う。ネコを追うと言うのも、襲撃ではなく、実は遊びたい...と言う表現と思われた。
 今回も、居間の中ではしゃいだフィラを見ると、嬉しそうに後を追い、立ち止まった相手に対しては、前足を揃えて前方に出し、ワンと吠えて遊びの催促を示した。
 リキとネコ....なんの心配もないと私は話をした。

 午後、海でオビと遊んだ後、家に戻り、いよいよ群れの中にデビューである。
 あっ、海での情景は、特に書き記す事はない。オビは生後5ヶ月半の子犬であり、1対1、そして場所を変えての出来事は、今日の日記の趣旨からは離れている。
 まあ、「とても楽しかった、2匹はずぶ濡れで遊んでいた」とだけ書いておこう。Aさんは、「こんな動き、遊びは、初めてみました。本当に嬉しそうです、リキが...」と感激をされていた。

 話を戻そう、午後4時、犬たちの餌の時間である。それぞれの犬たちが、雨のやんだ中で、バクバクと食べた。リキだけは旅の影響やら、遊び疲れもあったのか、半分も食べなかった。後で聞くと、1日2回となっており、「今日は実家の味をどうぞ」と言って用意した私の分量が多過ぎただけだった。

 餌が終わると、いよいよ散歩である。リキを群れにデビューさせる事にした。
 先日から柴犬のシグレとミゾレに発情が来ており、オスがデビューする条件としては厳しい。でも、私にはある程度の自信があった。朝、我が家に来てから、1度もリキの尾が下がっていない事と、ヒ〜とも言っていない事が裏付けだった。

 何ごとも一気である、マロやセン、シバレなどのオスも含め、メスたちも放した。
 連中は、朝から気になっていたリキに駆け寄り、鼻先、口元、尻、腹の下(チンポコ)の匂いチェックを始めた。この重要な儀式の時、リキは見事に耐え、おとなしく終わるのを待つだけではなく、何匹かの尻を嗅ぐ仕草も見せた。
 この間、全ての犬が無言だった。荒い鼻息だけが聞こえていた。

 ひとつ重要な事を書き忘れていた。
 それは、挨拶行動が始まろうとした時から、私と女房は、

 『ほらっ、リキだよ、覚えているかな?子犬の頃、ここにいたんだよ、大きくなっつたよね、仲良くね....!!』

 と、我が家の連中に話し掛けていた事である。その時には、マロ、タブ、セン、カボス...などと必ず名前を呼びながら行う。
 そして、素晴らしい事は、まるでリキが襲われているようにも見える状況の中で、Aさん御夫妻も、同じような言葉をリキに掛けていた事である。
 おそらく普段から散歩等で知らぬ犬に会った時、同じように言い聞かせているのだろう、だからこそ、こんなに良い子に育っている、そう感じた。

 挨拶後、すぐにリキは群れの1員のように行動を始めた。仲良しになったオビと草原を追い掛けあい、メス犬の小便跡に自分のを掛けた。
 私がポケットに手を入れたのを見て集まった連中に混じり、言われもしないのに同じようにオスワリをして見上げてきた。

 第1陣とのフリー散歩の後、今度は父親のカザフとメス犬たち、センとオビなどで第2陣の散歩を行った。
 カザフはかなりしつこくリキの各部の匂いを嗅いだ。リキは尾を上げたまま、静かに受けていた。
 これで終わりだった。唸り声もガウガウも起きず、平和な散歩が繰り広げられた。

 サモエドはクリスマス犬を言われている。
 今日のリキはまさにそれだった。動きが派手で目立つわけではない、無用な警戒心、オドオドとした動きを示さなかった。そうすると、群れの犬たちに特別な関心を与える事もなく、すんなりと同じ場所にいる事を許される。
 
 もちろん、どんな犬でもリキのようにできるかと言えば、これは無理である。リキが去勢オスだった事と、明るい上に、のんびり屋、そして人間に絶対の信頼を寄せているのが良かったのだろう。
 
 捕食獣が獲物反応を起こす「異常な行動」をリキが示さないのは、一種の才能とも言えるし、飼い主さんの考え方に基づく普段の暮らしが影響していると思う。
 Aさんは、近所の子供たちはもちろんの事、行き交う犬、公園で出会う犬たち、すべてとの交流を積極的にリキに行って来た。玄関の中がリキの休憩場所だが、わざわざ通行人から見え、声を掛けてもらえるようにと、玄関の戸を格子戸にしてしまったほどである。その成果も大きいと感じた。

 夜、私と女房はリキを我が家に預かった。時間を掛けてネコたちとの関係を確認する事と、夜中の散歩の観察を行いたかった。

 リキは、女房が眠っている布団の横でド〜ンと横になっていた。そう、私の布団の中央で寝ていたのである。周囲にはレオをはじめ5匹のネコが添い寝をするように集まっていた。

 こんな幸せを、実は我が家のサモエドでは、私はまだ行っていない。
 あわてて居間にカメラを取りに戻ったのだった。


 



2003年06月20日(金) 天気:曇りのち雨 最高:18℃ 最低:10℃


 
 牧場の中にあるスタジオを改造し、ライブハウスのような物ができた。今日はコケラ落としならぬ「音はじめ」、王国の仲間たちで編成している「長ぐつバンド」の面々が揃って練習を行った。
 
 もともとはコマーシャルの撮影に使われた60坪ほどの建物だが、中に仮設の天井があり、そこで音が跳ね返って響きが良い。観客がいないので、出した音が吸収されることなく耳と身体に届き、何となく自分が上達したように聞こえてしまう。
 もちろんこれは錯覚で、風呂の歌、トンネルの歌と同じ事だ。心していないとイザ本番で途方にくれてしまう。

 不思議なもので、いつの間にか私にとって楽譜は、メモ程度のものになってしまった。中学生の頃から楽器を持っていたが、あくまでも譜面に忠実に吹く事が求められ、自分でもそう思って正確さを大切にしていた。感情を込めて演奏をするとしても、それはあくまでも五線紙の中でのことだった。

 これは、オリジナルではなく、有名な作曲家の曲を多人数の編成で演奏していた事も理由のひとつだろう。そして、私が音楽の才能に恵まれていたわけではなく、単に合奏が好きで、何とかこなす程度だった事にもよる。

 だが、長ぐつバンドが演奏する音楽は、すべて仲間が作った曲である。その1曲1曲に思い出と、作られた時の自分の状況が重なる。
 そして、過去の事は時間とともに消化され、記憶の淵の中で発酵をし続けている。そう、演奏するその時、その時で、こちらの心が変化しているのである。
 
 従って同じ曲であっても、けして同じ気持ちでは演奏ができない。いわゆる「ノリ」と言われる状態とも違う、何か生きている事の証明とでも言うような微妙な違いが、演奏をする私を戸惑わせ、そしてついには魅了する。

 「音」そのものを楽しむジャズメンのような自由度ではなく、曲の持つ歴史が自分の中で変化している事による証明として、私は目の前に置かれた譜面を追いつつ、脳の奥から無意識に出て来る指令に任せて指を動かす。
 もちろん、仲間たちのそれぞれの奏でる音とピタリとはまる事もあれば、ひとりよがりで突出する事もある。それはそれでライブと思い、クヨクヨはしないことにした。

 7月26日、「ムツゴロウゆかいクラブ」のツアーの夜、この特設ライブハウスでのコンサートが、どのような演奏になり、来て下さった皆さんに、どのように感じてもらえるのか、楽しみである。



2003年06月19日(木) 天気:晴れ 最高:27℃ 最低:12℃


 今日も暑くなった....と言っても、それは9時から午後3時頃までの話、それ以外の時間は爽やかそのものである。本州の皆さんには申し訳ないが、快適な初夏を犬たちとともに楽しんでいる。
 
 本州と言えば、台風6号が九州をかすめ、日本海を北上している。強い風雨にみまわれた所の方、被害がなかっただろうか。
 この後、北海道を目指して来たとしても、だいたいは途中で温帯低気圧になり、加えて、かなりの駈け足で通り過ぎてしまうので、この辺は大きな影響を受けにくい。明日から明後日にかけ、恵みの雨程度で終わってくれるだろう。

 昨日のシバレとカザフの事件の影響はどうだろう、それが気になっていた。
 朝、いつものシケジュールで行動を開始した。
 シバレの耳には、出血の個所があったはずだが、まったく腫れもなく、目を凝らしても傷がわからなかった。何度も触っているうちにシバレが抗議をしたので、ようやく黒いカサブタを見つけた。直径5ミリほどのものが2個あった。

 瞳の力も、体全体の勢いもいつものシバレだった。
 しかし、変化はひとつだけあった。それは、カザフのフリー散歩の時に起きた。
 そう、なんとシバレが自分の小屋に入り、顔だけを入り口から出して、カザフの動きを観察していたのである。

 昨日の闘いまでは、クサリをいっぱいに伸ばし、カザフに向かって吠え、その動きに対して牽制球を投げていた。
 それが、無言で見つめるだけだったのである。

 『懲りたのかな?』
 
 先に気づいた女房が聞いてきた。

 『う〜ん、分らない。でも、このまま続いてくれると安心なんだけど...』

 カザフにも若干の変化があった。
 これまでは、シバレの吠える声、その前を通る時は低く短い唸り声を出していた。
 今日、小屋の中のシバレに対しては、声は出さず、耳を軽く倒し、胸を張り、しっかりとした足取りで行動していた。視線を向けない事が、よけいにカザフの心の緊張を示し、強く意識しているのがよく分った。

 両者のこのスタイルは夕方の散歩の時にも見られ、関係が新しい段階に進む兆候であってほしいと願うが、オスとオスだけに簡単にはいかないだろう。

 広い牧場で、もっとも風当たりの少ない場所が、川を越えて北側にある室内馬場の周辺である。そこなら道端や広場の草も伸びているだろうと、車に箱と鎌を積み、ウサギをヤギのメエスケの食料を刈りに行った。
 赤クローバーが40センチの高さになり、蕾みが割れかかっていた。チモシーの穂が出始めていた。メエスケの大好きなトリアシショウマやノコギリソウが食べごろだった。
 面白いのは、その横に高さが1メートルを超えたフキノトウがあった事である。季節遅れにも思えるが、実は、これぞ「トウが立つ」現象であり、横に広がるフキは、これまた人間にとっての食べごろだった。

 誰もいない所で、暑い日射しを浴びながら草を刈っていると、1台のワンボックスカーがゆっくりと入って来た。
 ニコニコ顔で降りたのは、ケイコちゃんとエリちゃんだった。首に手ぬぐい、そして頭に帽子....。
 これは、彼女たちが山菜を採る時の制服である。

 『ワラビで〜す!!』

 笑顔を目の前の明るい林に向け、二人はササの中に消えた。

 室内馬場の井戸水が美味しく、今日もセミの声を聞いた。

 



2003年06月18日(水) 天気:晴れ(中標津)・時々霧(知床) 最高:26℃ 最低:15℃

 油断していたわけではなかった。
 でも、これも言い訳になってしまうのだろうか....。

 今朝、シバレを殺すところだった。
 
 柴犬のオス、現役バリバリのシバレは、ボスのマロには実に忠実で、朝1番の挨拶を欠かさない。しかし、群れでナンバー2のカザフには、いつもガウガウの体勢を見せている。
 それでも、同じ種の生き物として、本気の闘い(決着を付ける対決)は避けるべく、フリーの時でも、互いに3メートルの距離をとり咬みあいにならぬよう、彼らなりに気を遣っていた。

 4日前から、シグレに続いてミゾレにも発情が始まった。ミゾレは、朝一番に、3度結婚をしているシバレの所に挨拶と媚びを売りに行く。この時は、全てのオス犬たちはクサリで小屋に繋がれている。
 ミゾレとシバレの様子を見ながら、カザフは吠えるのが日課だった。

 その後、少し時間的な猶予を設けてから、カザフをフリーにする。こうすると、カザフの心は隔離柵に入れられたミゾレとシグレに向き、繋がれているシバレには関心が行かない。

 今日は予定があり、朝のスケジュールをいくつか端折った。
 そう、ミゾレとシバレの仲良し挨拶をやめさせてすぐにカザフを放してしまった。
 まだ発情が初期という気持ちと、このところオス社会の折り合いがついている、との油断的な慣れがあった。

 カザフはシバレに近づいた。1メートル...危険距離だった。クサリをいっぱいに引き、シバレも吠えた。
 次の瞬間、カザフの口はシバレの首筋をがっしりとくわえていた。
 
 私と女房が大声を張り上げ、引き離しにかかった。カザフの首輪を女房が掴んで引き、私は顔面にケリを入れる。
 シバレの悲鳴が大きくなった。しかし、カザフは放そうとしない、私の手が、鼻をひねろうが、足ゲリが歯茎の出血をみようが、がっしりと押さえ込み、時々激しくシバレをくわえたまま首を振る。

 3分もたっただろうか、急にシバレの身体から緊張がなくなった。目の表情が消えた。

 『アブナイ!!死ぬぞ!!』

 とか何とか私は叫び、さらにケリを入れた。カザフの首振りは収まったが、万力のように締まった口は変わらない。
 女房が、最後の手段と、カザフの口の中に指を入れ、犬歯に人さし指を掛けて、上に引っぱった。私は、カザフの首輪を持ち、後ろに引く......。

 ようやく、カザフは離れた。
 シバレはそのまま力なく倒れ、身動きひとつしなかった。

 『やっちゃったかな〜....』

 カザフを繋いで戻ると、女房がシバレを抱き、呼吸と心拍を確認している。

 『停まってる!!』

 『心臓マッサージだ、それから人工呼吸、まだ間に合うかも知れない....』

 女房がシバレの胸を強く押し始めた。私はマズルを持ち、口を開けた....、
 その瞬間に叫んだ!!

 『判った....、そうか、これだったんだ!!』

 シバレの舌が反転と言うよりも、集まり、固まる形で気管を塞いでいた。舌で栓をする形である。
 これまで、王国では何匹かの犬が、犬同士の争いであっけなく死んでいた。その多くが窒息だったが、相手の攻撃は、それほど凄いとは見えないケースがほとんどだった。

 しかし、首筋を押さえる事で、やられた犬の呼吸がひっ迫し、空気を求めて大きく吸い込む事と、激しい緊張と、物理的な筋肉の動きが重なり、簡単に舌が気管の栓をなっているようだった。
 今回のカザフのくわえ方も、シバレの首全体ではなく、首の3分の1、それも首輪の上からだった。それでも効果があったのは、この仕組みと思われた。

 『舌を引っ張り出して、口を開けて押さえて...』

 女房にそう言い、私は人工呼吸とマッツサージを交替した。

 『いち、に〜、いち、に〜......』

 シバレを、そして自分を励ますように声を出してリズミカルに続ける。

 『おとうさん、動いた舌が、色が戻った.....。あっ、瞳孔も変わった!!』

 その時、シバレの腹部に密着していた私の膝が熱くなった、小便がしみ出て来ていた。漏れると言うよりも生きている力が感じられる勢いで濡らしてくれた。

 『よ〜し、いいぞ〜ガンバレ、シバレ!!』
 
 さらに2分後、シバレは自力でのしっかりとした呼吸を始めた。手足が細かく動き、瞳が揺れた。

 すぐ横の小屋に繋がれているカザフは、私と女房が見るたびに耳を倒し、舌を出したまま静かに立っていた。
 攻撃を制御抑制する鍵が外れ、犬としての破壊力の凄まじさを示したカザフだが、彼が悪いのではない。
 これもまた私の心に刻み、気を配るとともに、ここからの同居共同体を再び目指す。隔離をする方法もあるが、それは私の負けと思っている。

 自力で歩き、水を飲んだシバレを確認した後、暖かい昼、知床の浜で、東京から来てくれたサモエド仲間たちと楽しんだ。
 
 そして夕方、いつものように交互にカザフとシバレのフリー散歩を行った。
 
 互いに意識をしながらも、
 『仲良くね、ケンカはしないよ!!』
 と言う人間の声に反応し、不可侵の距離を保っていた。
 
 今日の餌、シバレは昨日と同じようにきれいに平らげた。



2003年06月17日(火) 天気:曇り 最高:18℃ 最低:12℃


 申し訳ありません、他の仕事にかかります。
 日記、遅くなります、ひょっとすると明日か知れません.....。



2003年06月16日(月) 天気:晴れ 最高:23℃ 最低:8℃

 三毛ネコの「エ」の動きが緩慢になってきた。そして、勝手口からの外出の頻度も少なくなり、出て行ってもすぐに帰るようになった。

 彼女の好きな場所は、女房の肩かテレビの下に敷いてある厚手のビーニールの上である。
 食事を終えた時、新聞を読む為に食卓の椅子に座っている時の女房の胸をよじ登り、肩に腹を置いて目を閉じる姿が毎日の日課だった。
 しかし、腹が大きくなった今は、女房も重いので手を添え、さらにエ自身も身の置き方が難しいようで、まるでずり落ちまいとしがみつく太ったセミのような形を見せている。

 テレビの前での姿勢も変わった。テレビ台に背をもたれ、4本の足を片側に投げ出し、大きな腹を目立つ形に横寝スタイルで周囲を眺めている。
 以前ならば、気にくわないフィラやパドメが近づくと、ファーと声を出していたが、今は、相手が去るのを静かに見ている。

 そして、乳首が目立ってきた。横寝スタイルならば、白い毛の多い腹に3対のポチポチが見える。触ってみると、それは5ミリほどの長さで立ち、固くなっている。

 この状況は、まさに妊娠である。
 旦那になったのは、キツネ舎で暮している3匹の兄弟オスネコの誰かである。特に、その中でも2番目に尾が短いオトの可能性が高い。同居をさせた時に、しつこくエに言い寄っていたのは、オトだった事を私も女房も確認していた。

 今回は登録証とは無縁の結婚である。三毛ネコで短尾のエと、これまた和ネコらしいオスとの交配で、私の大好きな「三毛・短尾のネコ」が欲しかった。
 旦那候補の3匹は、我が家で保護してから12年、発情したメスネコに会うのは初めての事だった。おまけにオジサンからお爺ちゃんネコに差し掛かっている年齢である。
 『本当に、うまく行くだろうか.....?』
 そんな不安も大いにあった。

 しかし、案ずるより....である。彼らは身体の奥からの指令に応え、見事に新しい命を生み出す道を辿ってくれている。
 予定では7月中旬に出産である。膨らんだエの腹を撫でながら、私はその日を楽しみにしている。

 キツネのルックの育児は順調のようだ。連日、夜8時頃になると、居間の窓の近くに現れて、御機嫌伺いならぬ、何か旨い物をくれ、と待っている。
 2週間ほど前からは、それにオスが加わっている。2匹が互いに示す挨拶と動きから(ルックが強い)、おそらく、と言うか、100パーセント、ルックの旦那である。
 
 2匹は、女房が与えた小さく切った牛の内臓生肉を食べた後、ソーセージやパンをくわえて林に消える。
 今は、4月に生まれた子ギツネが、もっとも多くの餌を要求する時期である、両親は懸命に運んで行くのだろう。

 昨年は、途中でルックの餌運びが見られなくなった。これは子ギツネの死を意味している。おばあちゃんギツネゆえに、もう育児は無理かと思っていたが、我が家の協力と、人間への恐さを克服して頑張るオスギツネのおかげ、そして何より大雨の来ない事で、2年振りの育児が成功しそうである。
 
 あと2ヶ月、親ギツネは身を削って働かなければならない。いつものように、私たちの前に子ギツネを連れてきてくれないかと、今はそれが楽しみである。
 



2003年06月15日(日) 天気:晴れ 最高:18℃ 最低:6℃

 3日振りの太陽に、タンポポの綿帽子が輝いていた。西洋タンポポのそれは、子供の拳ほどの物もあり、周囲の牧草に負けずに背伸びをしていたおかげで、場所によっては50センチの高さで揺れている。

 久しぶりに野付半島に行った。根室海峡に張り出すように続く砂州では、国後を望み、タンポポが真っ盛りだった。直線で15キロの距離だが、海辺と内陸側では、大きく生き物の暦が違っている。
 そう言えば、昨年もちょうどこの時期に野付に行った。その時は薄い黄色のセンダイハギが3分咲き、そしてハマナスも鮮やかな朱を開き始めていた。
 しかし、今日は、まだハマナスの葉も遠慮がちな大きさ、とても花どころではなかった。

 この時期の大潮は、昼潮である。今日も尾岱沼側では100メートルほど海が遠のき、折り重なるようにアマモが寝て太陽を浴びていた。そう言えば、1週間ほど前から、この
アマモを揺りかごとするホッカイシマエビの漁が始まっている。何でも、今年は水温が低いために漁獲量が抑えられているらしい。
 桜が遅い年は、さまざまな所でも影響が出ている。

 夕方の散歩の時に、タンポポの茎を手折り、5センチほどの長さにして吹いてみた。
 この遊びは、昔、子供の頃によくやった。友だちと音程の違う笛にして、合奏もどきも楽しんだ。
 私が使うのは、わりと根に近い部分である。ここのほうが先端よりも茎が厚く、太い音が出る。5センチの茎の花側の先に3ミリ〜7ミリほどの切れ目を入れる。そう、中央を割る感じである。するとそこだけが外側にめくれる。これがマウスピースになる。

 何年ぶりだろう、私はそっとくわえた。確か、あまり強く吹くとだめだった....そんな事を思い出しながら、静かに息を吹き込んだ....。

 『ビ〜ビ〜!!』

 鳴った!!
 とたんに、周囲にいた犬たちが一斉に振り返り、掛け戻ってきた。怯えてはいない、皆、何が起きたのかと興味津々の顔をしている。

 私は調子に乗って、もう2本、長さと太さの違うタンポポ笛を作り、3本をいっぺんにくわえて音を出した。
 これは、友だちを驚かせた私の技である。今もその技術は衰えていない、見事に和音となって響いてくれた。
 何度も、何度も繰り返しているうちに、つい力が入り、私の身体の中央後部からも音が出た。
 今日の調子は「ヘ長調」...などと馬鹿な事を考えているうちに、犬たちは去り、口の中に懐かしい苦味だけがに残っていた。



2003年06月14日(土) 天気:曇り時々小雨 最高:16℃ 最低:13℃

 夕方からどんどん気温が下がってきている(13℃は朝の気温)。久しぶりに居間の床暖房のスイッチを入れた。ネコたちが喜んで寝るのはもちろんだが、何故か私も横で転がってしまう。寅年なので仲間としてもらおう。

 柴犬のシグレに発情が来た。今回は交配をさせる予定である。幸いにも隣町に良いオスが見つかった。見合いがうまくいくように祈りたい。
 よく人間には「この子はオスですか....?」と言われるシグレである。確かに身体も大きく、骨もしっかりとしている。しかし、王国6代目の由緒あるメス柴である、ぜひオスに気に入られ、無事に7代目の顔を見せてほしいものだ。
 うまくいけば、周囲の林が色付くころに、枯れ葉色の子犬が庭で元気に駆け回っているだろう。

 14日に誕生したラーナの6匹の子犬たちを、初めて長い時間外に出した。玄関のすぐ前に小さな育児箱を置き、布を敷いて入れた。
 4度目になる今度の出産では、ラーナの子犬守りの気持ちが強い。知らない人が来ると腹に囲い込み、鼻に皺を寄せることもある。まあ、激しい唸り声までは出さないので、より開放的な空間で、穏やかになってもらおう、そんな計算もある。

 気温が低かったせいもあるだろう、子犬たちは集まり、重なりあって4時間を外で過ごした。
 まだ、目は開かない。
 
 そうそう、父親がサモエドのレオなのか、それとも一瞬のスキを突いて思いを遂げたラブラドールのセンなのか、悩みつつ観察をしている私だが、今日、9割以上の確率で、純粋のサモエドと判断をした。姿形、色の出具合、等々、やはりサモエドだと思う。
 100パーセントと言い切れるまで、もうしばらく見つめ、できれば科学的な手法もとって結論を出したい。

 浜中の王国を経由して、関西から「クラブハウス」を利用しての王国体験に来られているPさんが、昼頃、我が家に着いた。
 犬の動きで知ったのだが、その後はまさに予想通りだった。

 何を予想していたのか....。
 そう、車から降りて、先ず我が家の玄関のチャイムを鳴らすか、それともニコニコ顔で尾を振っている犬たちの所に挨拶に行くか、の推察である。
 私は、Pさんは絶対に後者と思っていた。

 『当たり』だった。
 不思議なもので、真っ先に玄関を目指す人に対しては、犬たちはしつこく吠えている。しかし、誰でもかまわない、1匹の犬の所に向かわれた方に対しては、群れ全体での吠え声はすぐに収まり、皆が順番を待つように、見つめ、そして尾を振る。
 ある空き巣が、バッグの中には常に犬用のジャーキーを入れている、とTVで言っていたのも頷ける。犬は、自分たちに心を向けた人には優しいし、それを確実に判断する力を備えている。

 履き古しではあるが、きちんと洗ってある長靴に履き替えてもらい、Pさんと私たち夫婦は、オビやカザフ、アラル、センたちと川を目指した。
 花に造詣の深いPさんは、所々で足を止め、昨日の雨で洗われ、緑鮮やかな草花に目と手をやっていた。

 犬たちと川に入り、カラス貝を掘り、バイカモに目を向け、犬たちのはしゃぎっぷりにニコニコとしている時に、これまた、私の予想していた光景が見られた。
 Pさんが、川底の太い倒木の上を、ゆっくりと流れの中央の方へ歩いて行ったのである。倒木がダムの役割をしており、ぶつかった流れは盛り上がって川下に向かう。
 そこに長靴を履いたPさんである。新しい抵抗物に水は立ち上がり、あっと言う間に靴の中に、そしてPさんのズボンを濡らした。

 毎年、多くのゲストをここに案内し、遊んでいる。しかし、このような動きをできる人は年々少なくなっている。子供たちですら、川の中の砂の上に降りない情けないのがいる。

 なのに,,,,,である。
 予想通り、Pさんは女房が新品の柔らかい靴底布を入れた長靴を、冷たい川の水で満たしてくれた。
 この心こそが、犬たちにすぐに通じ、啼き声が止まる結果になった、そう思い、笑いながらPさんを見ていると、オビが横を駆け、その水しぶきで私の長靴も浸水してしまった。



2003年06月13日(金) 天気:静かに雨 最高:18℃ 最低:15℃

 夜半に降り始めた雨は夕方まで続いた。それほど量は多くならなかったが、大地と草木には何よりの恵みだろう。

 小降りになった夕方、珍しい光景を見た。
 家から50メートるほどの林で、けたたましい鳥の声が聞こえた。私には「キ〜ッ」とも「ギ〜ッ」とも聞こえた。
 声とともに、小型の鳥が2羽、ミズナラやダケカンバの木を縫うように鋭く飛び、その前を2羽の大きめの鳥が逃げていた。
 よく見ると、追われているのはカッコウだった。鳴いて追い掛けているのは、私には判らなかった。スズメではない事は確かだった(オオヨシキリだろうか?)。

 ひょっとすると...の推論をしてみよう。
 カッコウの夫婦は、自分たちの卵を託す他の鳥の巣を探していた。するとちょうど具合の良い巣を見つけた。まさにカッコウの巣である。
 そこに侵入し、抱卵中の卵を捨てようとしたところに、巣の持ち主夫婦が現れ、カッコウを追い掛けた...。

 小さい身体ながら、命をかけてカッコウを追い払おうとした迫力には、そんなドラマがあった気がしてならない。
 それにしても、カッコウやツツドリなどは、いつ頃から自分たちの力で卵を温めることをやめたのだろうか。それとも最初から他力本願を種是としていたのだろうか、「托卵」とは実に不思議な行動である。

 100メートルほど追われ、白い花が満開のヒメリンゴの枝にとまったカッコウは、しばらくすると、何ごともなかったかのように美声を響かせた。それは雨がやむ事を私たちに知らせていた。

 

 

 



2003年06月12日(木) 天気:曇り時々晴れ 最高:25℃ 最低:10℃

 先日の先駆けに続いて、クロユリが一斉に咲き出した。知床のAさんが、
 
 『クロユリの花の匂い、犬たちが気にしませんか?』

 と言った。
 私は、気づかなかったと応えた。
 そう言えば、この濃い赤紫の色の花は、爽やかな香りと言うよりも、何となく脂肪の匂いがする。Aさんの所のサモエド、レヴンは、しつこくクロユリの花を嗅ぐらしい。
 これは私の見落としだろう、これからは犬たちの反応を見届けたい。

 スズランも咲き始めた。今年は葉だけの物が多く、花を探すのに時間が掛かった。
 Aさん夫妻とともに我が家から川への道を歩きながら、スミレの名前を教えてもらった。背の高いのが「エゾノタチツボスミレ」、低く花の色が白っぽいのが「ニョイスミレ」と知った。
 この辺の林にはスミレの種類が多く、これまで私は、すべて「スミレ」としてきた。先ずは2種類から区別を始めよう。

 そんな風雅な会話をしながら進む私たちの横を、オビが、アラルが、センが、大きな身体のカボスが、そしてAさん夫妻の愛犬レヴンが駆け抜けて行った。
 スズランの何本かが犬たちの足で折られた。これは仕方がない、人間でさえ、スズランを踏まずに歩くのは至難の技、それほど密生しているのが、牧場の林だった。
 列の最後からは、我が家の親分「マロ」がゆっくりと歩いて来ていた。1ヶ月振りに里帰りをしてくれたレヴンを歓迎しての散歩だった。

 昼頃、我が家の寒暖計は25度を示していた。その熱が残っており、舌を出しながら川に着いた犬たちは、胸まで流れに浸かり、心地良さそうに身を任せていた。
 しかし、レヴンとオビの生後6ヶ月コンビは元気そのものである。いつものようにプロレスごっこを水中でも繰り広げ、水しぶきで私たちをずぶ濡れにしてくれた。

 家に戻り、木陰で人間はアイスコーヒーを手に親バカ談議を繰り広げ、レヴンは、懐かしい犬たちとの挨拶と遊びで忙しかった。
 Aさん夫妻が帰ろうと声を掛けたところ、レヴンは車の横まで行った後、まだイヤダとばかり、オビの所に駆け戻った。その時、初めて知ったのだが、我が家に着いた時にレヴンは、車のドアが開けられる前に、暑さ対策のために上を開けていた窓から跳び降り、そのまま我が家の犬たちのところに行ったらしい。
 もちろん軽く後ろに耳を倒し、尾を振り、ニコニコ笑顔で.....。

 その話と、呼ばれるたびに耳を向けながらも、なかなか車に向かわないレヴンに、私はほっとしていた。
 これだけ犬が大好きな子は、どこでも可愛がられるだろう....と。

 夜、もうひとつ嬉しい知らせがあった。
 このホームページの掲示板に、札幌のHさんからの書き込みがあった。
 我が家で生まれ、4月末に旅立った柴犬「ふぶき」のネットアルバムの完成を知らせて下さっていた。
 すぐに訪ねてみた.....言葉が出なかった、感無量だった。

 私が撮影し、掲示板に貼った、母親のミゾレの大きく膨らんだ腹から始まり、膜にくるまれた子犬、そして、その後の成長が、実に見事にまとめられていた。
 Hさんの家に行き、そこでの暮しが、姿だけではなく、声や匂いを伴って私の胸に飛び込んできた。

 ありがとうございます、Hさん、御家族の皆さん。

 1匹の柴犬の子が、時間の経過とともに、どのように変化をしているのか、ぜひ多くの方に見ていただきたい。
 
 (URLは下記になります)
 http://www.imagegateway.net/a?i=2nuhaBdnKr

 今日は、この手が関わった2匹の子犬の新しいドラマ、それを実感した良き日となった。
 



2003年06月11日(水) 天気:薄曇り時々晴れ 最高:27℃ 最低:7℃

 書斎には真っ赤なバラが置いてある。
 夕食は、久しぶりに焼き肉だった。中標津ビーフ、大阪で採れた新タマネギ、実家から送られてきたアスパラ、先日の天然シイタケ、そして、女房が冷凍しておいたアイヌネギ(ギョウジャニンニク)が鉄板の上で手招きをしてくれた。
 もちろん、このメニューに欠かせない泡の出る麦茶、それも、アルコール入りがふた缶も並べられ、私はニコニコとしてグラスに注いだ。

 女房の誕生日だった。
 バラは神奈川の友人からのお祝いだった。ビールは、誕生日に乗じての私の個人的な嗜好品だった。
 
 肉のひとかけらを、テーブルの周囲に集まっているネコたちにふるまいながら、ふと、夫婦二人の歳を足してみた。「105」.....フルムーンの関門はとっくに越えている。
 その数から、二人が見知らぬ存在だった時期を引いてみた。
 
 数字は「63」.....ムツサンだ〜と思った。
 
 ムツさんと言う不思議な存在を、新潟と東京で知り、それぞれに惹かれるものを強く抱き、それぞれにムツさんへ続く糸を手繰り寄せ、そして、それぞれに北海道の東の地に行き着いた.....。

 何と、人生とは不思議で、あっけなくて、愉快で、楽しいのだろう。

 夕食後、ネコの嫌がる息を吐きながら、私は「ムツゴロウゆかいクラブ」の会報誌「LOOP」を封筒に詰めていた。Yさん宛の封筒があった。
 今年の春、数えで12歳になるマロの子が死んだと手紙をいただいていた。良い子を、ありがとうございます...との言葉が嬉しく、そして悲しかった。
 Yさん御家族に、そして私と女房に、様々な心の温もりを届けてくれたのは、まさに「63」の年の重なりだと思う。
 そんな事を考え、もう少し祝おうと、

 『ビール、もう1本いいよね、特別な日だから....』
 
 と、私は恐る恐る声を出した。

 『ダメヨ、もう2缶も空けたでしょっ、ほらっ、ルップをやらなくちゃ!!』

 63年は、実に重い.......。
 
 
 

 



2003年06月10日(火) 天気:薄曇り 最高:18℃ 最低:9℃

 今日1日の我がルネッサ君の走行距離は350キロだった。

 浜中の王国に行った。珍しく女房が同行した。彼女の目的は、以前、石川家が浜中に住んでいた頃、ネコのヤンとキツネのコンちゃんを同居させていた小屋の片付けのためだった。
 離れて14年目に片付けとは、実におかしなものだが、その小屋には倉庫部分もあり、私の実家から父が抱えてきた羊の毛を紡ぐ器具やら、エゾシカの寒太の角などが置いてあった。
 そろそろ雨漏りもしているだろうと、一気に運んでくる計画だった。

 女房が、小屋でなんだかんだとしている間、私は母屋や高橋家を見学していた。
 母屋では、ローラやプリンの元気なオバアチャンぶりを確認し、チベタンスパニエルのハニーの子犬に会った。実に何とも形容のしがたい可愛さだった。

 高橋家では、昨夜早くから深夜にかけて出産があった。これまたチベタンスパニエルで、母親はベニーだった。
 7匹が腹に入っていたが、そのうちの2匹は大難産で、特に片手だけを産道に入れた形で破水し肩がひっかかった子は、指の細い上辻さんが、何とか引き出すありさまだった。
 残念ながら、その2匹は産声を上げることはできなかった。しかし、残りの5匹は、体重が130〜200と、ややバラツキがあるが、元気にベニーの乳首に吸い付いていた。

 片付けの具合はどうかと、小屋に行ってみた。1個所、屋根に穴があいていたが、他はしっかりとしていて、今でも充分に使用に耐えそうだった。
 自慢ではないが、これは私と女房で建てた小屋だった。各所にキツネを飼うアイデアを取り込んであり、床や金網の痕跡を見つけ、もう臭いは抜けていたが、そこに住んでいたヤンやコンちゃんの姿を思い出していた。

 他人にはガラクタに見えそうな品々を車に積み、不要な物を処理した。寒太の角は、思っていたよりもたくさんあり、その数こそが、あいつの年齢を示していた。
 
 女房が1本のホウキを車に積もうとした。

 『どうするの、そんな古いホウキ....』

 『ここ見てよ、ほら、この傷.....コンちゃんの噛んだ跡だよ....』
 
 『ヤンに近づいたり、抱くと、必ず攻撃してきた。守ろうとしたのよね.....。だから、このホウキを盾にしながら別のホウキで掃除をしていた....』

 これもまた、女房には大切な品だった。

 まだ時間があったので、女房と中庭に行ってみた。
 今、浜中に住んでいる連中は、何と呼んでいるのだろうか。そこは私と女房には「鹿柵」だった。
 寒太、阿子のカップルから始まり、笛子、ジャックなど20頭のエゾシカたちがドラマを見せてくれた場所だった。
 時にはヤギやタヌキ、キツネも同居した時期があり、そして目の前に広がる大平洋、浜中湾が絶景だった。

 『ほらっ、まだ桜が咲いているよ....。あっ、ここの穴、今でも跡が残っている、タヌキ穴だったよね!!』

 『サクラソウはどうなったかな...あれ〜、ササだらけになっている、ワラビもある....』

 『ここにあったカシワの木の古い株にシイタケが出ていたよね、毎年...』

 『コクワは、そこの柵の横だったっけ....』

 懐かしい話をしながら、私たちの目は昔の光景を見ていた。そんな二人を、旧鹿柵、現発情犬隔離所に入っているG・ピレニーズのコリーヌが不審者を見るような目つきで追っていた。

 中標津に戻り、夕方の作業を終えると、私は標茶に走った。
 「笑うカイチュウ」などの著作で有名な、藤田教授の講演を聞くためだった。獣医のHさんが同行してくれた。
 およそ1時間半の講演と、その後の質疑応答はテンポよく進んだ。「寄生虫」という、今では嫌われものの存在を、命の連鎖の中でとらえ、そして、人間の文明、文化に警告を発する教授の考え方と研究調査は、頷かされる事も多かった。

 あえて、講演の詳細は書かない、これは礼儀だと思うからだ。あくまでも講演は「ライブ」であり、本人以外が記録するものではない。

 油脂再生粉石鹸を土産に貰い、会場を後にした時は9時半になろうとしていた。素晴らしい講演も、心には響けども腹の足しにはならない、Hさんと食堂を探した。
 しかし、町はすでに活動を終えていた。通行人はなく、車だけが通り過ぎていた。

 仕方がない、と言う事で、私とHさんは釧路まで走り(まあ、Hさんには地元だが)、二人でラーメンとギョウザを腹に収めた。

 帰路、めったに対向車の現れない国道を走りながら、藤田教授が警告を発した「清潔の行き過ぎ」について考えた。
 私は、大丈夫....そう思った。
 普段、ハンカチなどを持った事もなく、今日も、確か1度しか手を洗っていないはずだった.....。



2003年06月09日(月) 天気:晴れ時々曇り 最高:22℃ 最低:8℃

 明け方までは、滴が雨垂れのように聞こえる濃霧だった。3日ぶりに家に戻ったオビは、例によって小屋には入らず、土の上で臥せる形になり、顎から上を横にして眠っていた。

 『おとうさん、さっきセミの声が聞こえた....。向こうのミズナラの林のほうで....』

 霧が上がり、差し込んできた暖かい陽光の下で、先にラーナとカリンの散歩をさせていた女房が、嬉しそうに言ってきた。
 面白いもので、いつの間にか、私と女房の間では、どちらが先に自然界の変化に気づくか、競争のようになっている。別に得をするわけではないが、相手よりも1秒でも先である事で、何となく嬉しいのである。

 『今の時期だとすると、ハルゼミかな...エゾハルゼミ。けっこう大きい音だよね....』

 『そう、ジーでもなくミ〜ンでもない連続した声よ....』

 この辺でのセミの声は、6月中旬から7月上旬にエゾハルゼミが聞こえ、その後、一休みをしてエゾゼミなどに変わる。我が家の周囲の木の根元から出て来るのは、まだまだ先の事になる。
 悔しいけれど、今年に限り、女房に先を越された。そう言えば、カッコウもキジバトでも負けている。
 
 そこで私も考えた。
 
 悔しいから、アタリを付けていた花を確認に、オビとセン、カボスの3匹だけを連れて、いつもとは違う場所に散歩に行った。
 
 隣の津山家の横を抜け、大きな沢崩れの場所を越えて川に降りた。
 そこは、北も東からの風も当たらず、さらに太陽光だけは常に差し込む日だまりである。
 何となく周囲の樹木の葉も黄緑から濃い緑に変わっている。これは生長の良い証拠だ。

 舌を出してついて来ていた犬たちは、すぐに川に入って遊んでいる。深みの楽しさを覚えたオビは、何度も行っては、流れに身を任せながら泳いでいる。カボスも同じ事をしようとするのだが、彼は大き過ぎるので、足が川底に付いてしまい、しょうがないと、泳ぐオビをバシャバシャと水じぶきを上げながら追い掛けている。

 川べりを探していた私は、咲き始めたばかりの黒紫の花を見つけた。まだ蕾の状態が多い中で、1輪のクロユリが今年も可憐な花を見せてくれた。
 確か、今年はまだ、女房の口からは聞いていない筈である。これで1ポイント私がゲットと、勇んで家に戻ろうとして、もう一つ、思い出した事があった。
 そこで、進路をさらに川の上流にとり、びしょ濡れの3匹を伴って目的の場所を目指した。

 数分後、私たちは大きな倒木の横にいた。
 目の前には、ササの葉からはみ出して存在を主張しているキノコがあった。ミズナラの倒木からしみ出るように大きくなったシイタケは、先日の雨のおかげで私の手のひらサイズになっていた。
 
 浜中の王国のエゾシカの柵の中にも生えていたが、道東には天然のシイタケが各所にある。
 これも、数年前に見つけた場所で、誰にも教えていない秘密のとして楽しんでいる。

 クロユリ、そして、シイタケ.....。
 二つの成果を胸に、私はニコニコ顔で家に戻ったのだった。

 夕食に出た、肉厚で香り豊か、さらに歯ごたえシャキシャキのシイタケは、まさに野の味がした。



2003年06月08日(日) 天気:晴れ(札幌)、曇り(中標津) 最高:15℃ 最低:5(中標津)℃



 息子の用事に付き合っていたために、Kさんの所に着いたのは9時近かった。
 車をゆっくりと敷地に入れて行くと、20メートル先の運動場の中で、白い物が動くのが見えた。
 それは、全速力で私の車の方角へ駈けて来た。

 オビだった。
 昨夜、御世話になった犬舎から広い運動場に出してもらっていた。聞き慣れた車の音に気づき、尾を懸命に振り、ニコニコ笑顔で寄って来た姿を確認し、私は思った,.....。

 オビは、やはり利口で可愛いやつだ....と。

 運動場に面して建てられている休憩室のベランダでは、Kさんとともに仕事をしている若い5人の女性が、これまたニコニコとしていた。黒毛のトイプードルが、元気にベランダ越しにオビと遊んでいた。
 
 『いい子でしたよ〜、オビは。固いウンコをしましたよ....』

 私が現れた事を確認したオビは、ひたすら運動場を駆け回り、プードルと駆け引きを繰り返し、そして、運動場の中央の水場で泥パックをしていた。

 『あ〜あ、これから車に乗って帰るのに、泥だらけ...』

 彼女たちは、心配はしてくれたが、誰も止めようとはしなかった。楽しそうなオビの姿を見ると、誰もがそう思うだろう。

 用事で出ていたKさん夫妻も戻り、御礼を言って泥足のオビを乗せて帰路についたのは、10時20分頃だった。
 近くのスタンドでガソリンを入れた。中標津よりもリッターあたり10円も安い....と言う事に驚きつつも文句は言わない(ちなみに中標津は105〜107円/P)。例えガソリンや野菜が高くても、他に素晴らしい事が中標津にはある、そう思う事にしている。実際、敷地の中を川が流れていて、繋がずにフリーで行く事ができる.....これは天恵である。

 札幌は「ソーラン祭り」の最終日だった。次々と向かう車がすれ違って行く。しかし、幸いな事に、私は離札である。車は快調に進んだ。

 そう、驚く事があった。前日まで、あれほど車に乗り込む事だけを嫌がっていたオビが、Kさんの所で乗る時も、道中のトイレタイムでの乗り降りも、私の言葉のままに素直にできたことだ。
 このロングドライブと新しい体験で、さらにオビは進化した....私は、またまたニコニコになった。
 本当に、オビは状況認識に長けている。

 日勝峠を越えると、それまでの快晴が嘘のように濃霧になった。気温も下がり、オビのために開けてある窓からは、爽やかと言うよりも寒気が流れ込んできた。 
 それも影響したのだろう、峠から我が家までの4時間の間に、オビのためではなく私自身の要求で、トイレタイムを3回も作ってしまった。
 最後の2回は、オビを車に残してみた。どんなイタズラをするか、確かめてみたかったのである。

 私は、故意に時間を掛け、姿を消して用を済ませた。
 車に戻ろうと歩いて行くと、オビは真剣な顔で後部座席の窓から、私の消えた方向を見ていた。

 車に乗り込んで驚いた。わざと開けっ放しにしてあったジャーキーの袋や、ポッキーの箱が、そのままの形で残っていた。途中で、何度も与えた物である。好きな味であることは分っていた。
 もちろん、ドアノブも座席にも被害はなかった。以前、シグレを乗せた時は、小物入れの蓋が網目になった。ダーチャを乗せた時は、全ての食べ物(犬、人用どちらも)を外に出しておかなければ、私の口には入らなかった。

 まさに、オビは優等生であった。

 その優等生は、夕方5時に家に戻った。100メートル手前でソワソワが始まり、座席の上で立ち上がって前を眺めていた。
 車から降りると、端に繋がれている父親のカザフから始まり、シバレ、カリン、マロ....と、すべての犬たちに挨拶に行った。

 走行距離950キロ、初めてのオビの長旅は、実り多いものとなった。



2003年06月07日(土) 天気:晴れ(札幌)、曇り(中標津) 最高:14℃ 最低:4(中標津)℃

 到着したKさんの所では、すでに犬たちの朝の運動が終わろうとしていた。パグ、フレンチブル、M・ダックスなどに混じり、スマートなウイペットも跳ねていた。
 Kさんは、以前にも紹介をした事があるが、我が家のサモエドのメスのラインの実家である。ウラル、ベラ、そしてラーナなどがやって来ている。
 今も、たくさんの犬を飼われ、繁殖もされている。その犬たちのために、そして旅立った子たちが、時々、実家に来て遊ぶことができるようにと、約1500平方メートるの敷地を柵で囲み、そこを見渡すベランダ付きの建物を設置している。
 他にも、いくつかの仕切られたスペースがあり、今回の「北海道サモエドオフ会」は、そこを借りてのイベントとなっていた。

 オフ会の開始までは4時間もある。
 そこで、私はこの旅での、もうひとつの目的を果たす事にした。それは、オビを狭いケージに入れる事だった。
 将来、車で出かける事があるかも知れない。その時には、やはり緊急避難所として、ケージも必要だろう。

 嫌がるオビを抱きかかえ、私はケージに押し込み、ロックした。窓をすべて開け、陽光の暑さがこもらないようにして、車を離れた。
 初めての体験である、オビは鼻声で啼き、前足でケージを掻く音が聞こえた。
 でも、鬼の心である、知らぬふりを.....と心に誓おうとしたところで、何故か静かになった。

 これも気になる、そ〜っと風下、柵の陰から覗くと、なんとオビは伏せの形で落ち着き、前足に顎を乗せていた。
 うん、利口な子である....。

 Kさんとは、久しぶりの再会である。様々な話をし、コーヒーとミルクティをいただき、時間がゆっくりと過ぎて行った。
 何度か、オビの様子を確認に行った、常に寝ていた。私の姿を見つけた時も、顔は上げたが、出せと、暴れることはなかった。
  これまた、いい子である。

 そろそろ皆さんが来るのでは、という頃に、オビと散歩をした。周囲には水田があり、あぜ道が長く続いていた。道の脇には灌漑用の水路があり、勢い良く流れていた。
 オビは何度も水路に、そして水田に入ろうとした。今日だけは勘弁と、私はリードを強く引いて押さえた。

 そう、いつの間にか、リードで伝える私の指示を、すんなりと受け、理解し、どのように対処すべきかを覚えていたのである....。
 やっぱり、オビは利発な子である.....。

 散歩の後は、6角型の背の高いサークルをKさんに借り、オビをそこに入れて私は買い出しに行った。ノンアルコール系の泡の出る麦茶を仕入れにである。
 今日のオフ会の目玉のひとつが、サモエドと闘いながら肉をゲットする....と言うバーベキューだった。そこに泡の出る物が手にないと寂しい運転手がいるはずだった(私だけかも知れないが?)、その準備として、冷えた物を手に入れてきた。

 札幌圏を中心に、全道各地からサモエドたちが集まって来た。幹事のちいまきさん一家を除くと、すべて、私が初めて会う飼い主さん、犬だった。
 あっ、1匹だけ、知っている犬、と言うか、我が家で生まれ、旅立った子がいた。カザフとダーチャの間に生まれた「サンテ」だった。遠く道南から来られていた。久しぶりの嬉しい再会だった。

 場所は、囲われた広い柵の中である。いわゆるドッグラン・オフである。
 オビに対する私のやり方は、前もって決めていた。
 それは、
  『とにかく、フリーに....!!』
 だった。
 これは、ある考えの証明も兼ねていた。
 そう「生後6ヶ月までの犬は、けして、いじめられない、殺されない」という考え方である。

 11時から午後3時30分まで、オビはほとんどを広場で自由に行動していた。たまにガウとされる事もあった。背に乗られる事もあった。
 でも、オビは啼きもせず、静かに挨拶行動を示し、相手からの挨拶を受けていた。

 面白いことに、我が家で行っている、しつこい追いかけっこ遊びを、ほとんど示さなかった事である。シグレやセン、カボスと繰り広げているプレーを行うには、少し時間が必要なようだった。
 つまり、オビは1匹、1匹、寄って来た初めての犬と挨拶をするが、それ以上の誘い掛けは行わず、その後は、広場にいる人間のほうに関心を向け、犬に対する時は下がっていた尾が、見事に振られていた。

 けしてオビがシャイなわけではない、その証拠に、私の所には、ほとんど帰って来なかった。時々、姿を確認し、軽く耳を倒して信号を送って来た後、そのまま自主的な行動を続けていた。

 これまた、嬉しい姿だった。
 オビは自主的判断の力、そして、人間を大切にする才能がある....うん、いい子である.....。

 M・ダックスたちが楽しそうにボールのレトリーブをしていた。
 オビは、目を細くしながらそれを眺めていた。心の中では、欲しがっているのがよく分った。ボールが投げられるたびに、小さくオビの尾が上がっていた。
 でも、自分が遊ばれているのではない、と彼は理解していた。
 私は、遠くからその光景を眺め、ひとりニコニコとしていた。

 無事にオフ会は終わり、皆さんと別れた。
 生後5ヶ月と少し、まだまだ幼いオビに付き合っていただき、本当にありがとうございます。
 また、いつの日か、今度は大きくなったオビに会ってやって下さい.....。

 夜、オビはKさんの所に泊まった。
 これも確かめたい事のひとつだった。翌朝の姿が楽しみだった。
 
 私は、札幌の子供たちの所に行った。
 久しぶりに親子3人で飯を食べ、店から出ると、目の前で「よさこい・ソーラン」の群舞が繰り広げられていた。踊る人たちの目の輝きが、何となく広場に集まったサモエドたちに似ていた。
 いきいきと輝いていた......。



2003年06月06日(金) 天気:快晴 最高:22℃ 最低:5℃

 <お詫び>
 
 すっきりと晴れた1日でした。
 実は、これから札幌に向けて走ります。
 サモエドたちに会うために....です。
 今日、そして明日の日記は、帰ったらと言う事にさせていただきます。
 では、安全運転で行ってきます。

_____________________________

 夕食を終え、微かにテレビから流れる音を聞きながら、1時間ほどソファで眠っていた。
 私の身体をベッドにする事が好きなネコのニャムニャムが胸の上に上がろうとしたのだろう、前足の爪の痛みで目が覚めた。
 
 「あっ、そろそろ準備をしなければ....」

 小さめのバッグにGパンとトレーナー、靴下等を入れて私の準備は終わる。しかし、連れて行くオビの方は、そう簡単にはいかない。 
 さて、どうしたものかと考えていると、仮眠をしている間に、女房がほとんどを玄関に揃えていた。
 餌、食器、水おけ、トイレシート、チリ紙、タオル、リード、ジャーキー、車のシートに掛ける古いシーツとタオルケット、さらに、ウンコ袋に大きなゴミ袋....何やら大荷物となっていた。

 午後10時、玄関の前に車を移動し、それらの荷物を積み込み始めた。
 その光景を見て、先を争うように啼き出したのは、センとアラル、マロ、ミゾレだった。
 彼らは、これから誰かが車に乗せてもらえると分っている。それが自分であるようにと、懸命に主張していた。

 『今日は、違うよ、おまえたちじゃないよ、オビだよ....』

 言い聞かせても通じない、全ての荷が積まれた頃には、ますます啼き声が強くなっていた。

 女房が、ロングリードでオビを散歩させてくれた。小便をしたとの事だった。初めてのリードだったが、暴れるでもなく、おとなしく付いて来たらしい。これなら、すんなりと車に乗るかも知れないと、私は後部座席に誘導するようにリードを引いた。
 オビは、ドアの前で四肢を固く踏ん張り、絶対に入るものかの姿勢を見せた。

 『ほらっ、行くんだよ、サッポロへ。仲間たちに会えるよ、いっぱい来るよ...』
 
 私の言葉は素通りだった。仕方がないので、私はオビを後ろから抱え、強制的に車に積んだ。

 午後10時45分、私はハンドルを握り、沖縄メドレーのテープを掛けて出発した。いつもなら音楽の音を大きくするのだが、今回は、後ろにオビを乗せているので微かに聞こえる程度にし、シガレットライターの所に補助光ライトを付け、オビが見えるように照らした、

 タオルケットとシーツが敷いてある後部座席には上がらず、オビは座席下のマットの上に座り、顔を運転席と助手席の間から出し、いくぶん身体を私のほうに寄せて揺れていた。

 『大丈夫だよ、一緒にドライブだよ、ちょっと長いけどね.....』

 オビは、鼻先を私の左手に擦り付けてきた。ハンドルから左手を離し、それをオビの顎の下から入れて、逆手で囲むように抱いた。オビは頭を預けてきたので、腕に力が加わり、ハンドルを持つ右手が揺れた。

 しばらくそのままで走り、初めての対向車とのすれ違いで、オビは音とライトの動に驚き、顎を上げて振り向いた。

 『びっくりした?大丈夫だからね、ほらっ、そろそろ寝たら....』

 オビは、ペロリと私の左手の甲をなめ、今度は、舌を出してハ〜ハ〜と言い始めた。

 『暑いか〜、そうだよね、いつも外で寝てるんだもね....』

 クーラーの温度を18度に設定し、スイッチを入れた。ついでに4個所の窓を10センチほど開けた。
 一気に冷えた空気が流れ出した。オビは送風口に向けて鼻を突き出し、目を細くして冷風を楽しんでいた。

 テープの片面が終わる頃、ようやくオビは座席に上がり、うつ伏せの形になった。
 しかし、首は上げたままであり、130000キロ走って、足まわりからキシキシと車が鳴くたびに、耳は絶えず動いていた。

 ちょうど日付けが変わる頃、釧路の市内に入った。ハナキンである、人通りは少ないが、ネオンは煌めき、車は多い。窓から見える色とりどりの灯りを確認するように、オビは座席でオスワリの姿勢になり、じっと外を眺めていた。
 赤信号で停まった時、隣の車線にいた若者たちの車の窓が開き、声が聞こえた。
 
 『うわ〜犬だ〜、でっけ〜い!!めんこいぞ、これっ!!』

 私は、サービスに窓をあと5センチ下げてやった。オビは首まで出し、得意の目を細くする笑顔を見せた。座席をパタパタと尾が叩く音が聞こえた。

 さらに50分、十勝に入る手前のトンネルのパーキングで車を停め、1回目のトイレタイムとした。

 リードに繋がれたオビは、嬉しそうに土の上に降りた。ひたすら地面を嗅ぎまわり、そしてタンポポの株のところで小便をした。
 ひょっとするとウンコも出るのではと、私は煙草に火を付け、ロングリードを長くして待った。
 オビは、ひたすら臭い嗅ぎをしていた。時々、捨てられている様々なゴミに鼻が行くので、それだけは注意をした。串でもあったら大事である。
 それにしても、何故こうもゴミが多いのだろうか。小さな懐中電灯に照らされて地面に、これでもかと投げ捨てられていた。横の草むらは、もっとひどい状況で、何と三輪車やらパンツまで夜露に濡れていた...。

 オビは、駆け抜けて行く大型トラックの音が近づくたびに、私の足元に戻って来ていた。あの音とライトの動きには、まだ慣れていないようだ。

 ウンコはないようなので、水を飲ませ(女房が醤油のポリボトルに水を入れてくれていた)、ドアを開けて誘導した。
 ここでも、オビは乗車を拒否した。仕方ないので、再び抱えて押し込んだ。

 道に渋滞などがあろう筈もなく、快適にドライブは続いた
 帯広を抜ける頃には、座席の上で伏せの形ながら、頭を前足に付けてオビは眠るようになっていた。
 
 「こいつは、どうやら酔わないぞ、うん、イイ子だ〜」

 私は、テープからラジオに替え、深夜放送を聞きながら運転を続けた。

 日勝峠に霧はなかった、トンネルやシェルターを通過する時、轟音が車を包む。オビはあわてて身体を起こし、座席の間に来て、私の左手に顔を寄せてきた。少し、撫でてやると、安心したのか、そのまま、もたれかかって音の消えるのを待っていた。

 3時を過ぎる頃から空は明るくなってきていた。日高町から夕張への山道は、私の好きな街道である。中間地点で再び車を停め、2度目の散歩タイムとした。
 今度は、大小便、両方をしてくれた。ウンコはいつもの形と臭いであり、異常はなかった。
 
 散歩をしながら、私は自分の目の涙が気になっていた。別に痛くも悲しくもないのだが、やたらと滲み出てくる。少し目を閉じれば改善するのではと、ここで仮眠を取る事にした。
 その間、オビをどうするか.....万が一、車をいたずらされても困る、念のためにと荷台にケージも積んでいた。
 しかし、ここまでの5時間近くの道中、オビは実に良い子だった。それを頼りに、そのまま後部座席におき、私は運転席を倒して目を閉じた。そうそう、この時も、オビは乗り込む事を拒否した。

 自分の近くに私の顔が位置した事が嬉しかったのだろう、最初は何度も舐めてくれた。しかし、「もう、分った...、ありがとう」と言って手で顔を隠すと、オビは、自分も座席の上で横になり、完全に頭を座席に横にして寝始めた。

 2時間後、けたたましい目覚まし(これまた女房が用意していた....)の音で目が覚めた。窓の上部を開けていたにも関わらず、ガラスの内側は見事に曇っていた。そこに朝日が当たり、オレンジに輝いていた。
 オビも目が覚めていた。何度も私の顔を舐めて、洗顔の足しにしてくれた。
 外に出て気温を確認すると、+3度と表示されていた。

 オビの小便を確認し、再び抱えて乗せて出発した。

 途中、コンビニに寄り、朝食を買った。サンドイッチにおにぎり、それにミルク、コーヒー、そしてダイエット・コークである。残念ながら「マロ茶」も「ウブ茶」も置いてなかった。

 その間、オビは運転席に移動し、必死に私の姿を探していた。まあ、前足でクラクションを鳴らして驚かす事はしなかったので、これまた良い子としておこう。
 コンビニのドアから出た私を見つけると、実に嬉しそうな表情になり、目が横線になった。

 車を走らせながら、朝食をとった。包みをカシャカシャと言わせるたびに、「今度は何ですか〜?」と、ニコニコしたオビの顔が座席の横に出て来る。つい可愛くて、サンドイッチもオニギリも半分はオビの胃袋に入ってしまった。

 こうして6時55分。目的地の恵庭に着いた。
 415キロ、オビは酔わず、吐かず、車も食べず、実に良い子だった。
 4時間後、サモエドたちが集まり、オフ回が始まる事になっていた。
 
 



2003年06月05日(木) 天気:晴れ 最高:17℃ 最低:2℃

 人間の思惑などとは無関係に、ラーナは実に良い母親ぶりを発揮してくれている。ころ合いを見て強制的に連れ出さないと、育児箱が置いてある玄関のドアが開放されているのにもかかわらず、子犬たちを抱いたまま、けして自らは動こうとしない。
 何とか引っ張り出すと、玄関から50メートルほどの牧草地まで駈け足で進み、長い小便をすると、くるりと向きを変え、ただただ子犬たちの元へ帰ろうとする。
 ミルクの出も良いのだろう、子犬がぐずる声もなく、まさに順調な育児の開始である。

 父親がサモエドのレオなのか、それともラブのセンなのか、と言う問題には、今日も結論が出せなかった。ソリッドタイプの皮毛を持つ犬種同士の組み合わせでは、ミックスになっても、いわゆる「ブチ」になりにくい。従って、今回の子も、主な部分が真っ白だからと言って、レオの子とは決められない。これから、どこかの部分にメラニンが沈着を始める可能性もある。
 
 そして、より難しくしているのは、ともに中型の犬という事だ。脚もすんなり、尾も長い。
 やはり、時間の経過を待ち、尾が巻くのか、耳が垂れたままか、そして色素は....と情報を集めての判断になるだろう。
 おかげで、様々な事を観察する良い機会にはなっている。すべて経験、勉強と考え、前向きに取り組む事にした。

 さて、あやうくマイナスの気温になるほどに朝は冷えた。快晴、無風、おまけに北からの寒気団と、条件が揃ったのだろう。
 その中で、今日、女房が今年初めてのウドを採ってきた。
 別に「山菜を採ってくるぞ!!」と勇んで行ったわけではない。
 カボスの小屋の横に、水おけの古い水を捨てようとして気づいた目の前のウドを4〜5本、折ってきただけである。

 実は、私はウドが大好きである。好きだから、野のウドとは季節が外れている時期に、店に並んでいるウドを買う事もあった。
 しかし、2、3度、購入し、その見てくれ同様にふやけた味に納得がいかず、以来、我が家の周囲の天然ものを、その旬に何回か食べるだけにしている。

 せっかく緯度の高い所で暮らしながら、日本の状況は「旬」を破壊する生産活動が大手を振っているように思える。油を燃やして作った先日の夕張メロン、2個で330000円には、ただただ笑うだけだった。
 
 おまけに、栽培された山菜は、ほとんどが「臭いがありません」「苦味をとりました」「渋みを克服」「辛みを半分に」....と宣伝している。
 それなら、あふれるほど種類の豊富な「野菜」で充分ではないだろうか。動物で言うならば、野菜は家畜である。時代の要請に応えて、どんどん変化をしていく存在である。「辛み」を抜こうが増やそうが、自由である。
 
 このように思う私が変人で、腰の抜けた栽培山菜を好む方が正常なのだろうか....。
 確かに、大都会には、我が家の周囲に広がるような自然環境はない。だったら、ウドを食べるために、その土地に行くべきだと思う。これが田舎を豊かにする経済活動にも繋がると思うのだが....。

 まあ、こんなことに目くじらを立ててもしょうがないが、どこか去勢されたような文化(のようなもの)が広がっているのが気にくわない。

 女房が調理したウドは、まさに山菜。ほど良い苦味と、堅めの歯ごたえが酢みそにマッチし、私は幸せな飯を食べた。
 黒ネコのハナが催促をしてきた、一切れを与えると、ウドは食べなかったが、きれいに酢みそを舐めてしまった。
 うん、これはと思い、空になった小鉢を与えると、まるで使用前のように舐めとってくれた。
 これだけきれいなら、洗わずにスミソうと言ったが、女房には通じなかった。



2003年06月04日(水) 天気:曇りのち晴れ 最高:21℃ 最低:11℃

 どんよりと雲が覆っていた朝、サモエドのラーナが、繋がれている車庫の壁際に穴を掘り始めた。それは1時間で40センチの深さとなり、ゆうにラーナの身体がすっぽり入る大きさだった。

 『巣穴作り』....この行為が出現し、そして、昨日の夕方の餌を半分以上残したこと重ね合わせて、私と女房は玄関に置きっぱなしになっている産箱に布を敷き、ラーナを入れた。

 陣痛は10時40分頃に始まった。そして11時過ぎ、第1子が無事に誕生した。オスだった。続いて10分後に第2子、これまたオス、安産。
 3匹生まれたところで1時間の休憩(?)を挟み、6匹目が生まれたのが午後1時40分、わずか2時間35分の落ち着いた出産だった。
 
 オスが5匹、メスが1匹と、バランスは片寄っているが、これは自然が選び出した結果である、それよりも、6匹すべてがすぐに元気に乳首に吸い付いたことを喜びたい。

 3度目の出産でもあり、悲鳴どころか、呟き声ひとつ上げずに陣痛に耐え、後産までをきれいに舐めとっていた落ち着いたラーナに比べて、私と女房の子犬を見る顔は真剣だった。まだ膜に包まれている時から、中の胎児に目を凝らし、変わったところがないかと、細かく探した。

 これには事情があった。
 ある意味で、非常に恥ずかしい事であり、そして、この日は、期待と不安を胸の奥に秘めてきた事の結果が判明する日でもあった。
 センセーショナルなマスコミならば『衝撃の告白!!』とでもなるのだろう、それを私は、これから書かなければならない。

 ラーナの結婚を考えた時に、相手はレオ(我が家のダーチャの兄弟である)と決めていた。見合いから交尾へ、それも3回行い、4度目になる最後の日は、ラーナが猛然と抗議をした事もあり、「排卵日は過ぎた、タイミング良く交配ができた」と、私は考えた。
 
 その日の夕方(レオを拒絶した日)、柵で隔離をしていたラーナを外の小屋に繋ぎ、餌を与えるとともに、リードで繋いだオス犬を連れて行って、念のためにもう一度だけ反応を確認することにしていた、これが「心の隙」「油断」だった。

 私と女房は、20匹の犬たちに食器を運び、あれやこれやと作業をしていた。
 その時だった。ラブラドールのオスであるセンが消えた事に気づいた。小屋の前に一口もつけていない食器と、首輪だけを繋いだクサリが残されていた。

 『ラーナ!!』...と思って振り向いた時には、もう尻と尻が仲良くなっていた。

 駆け寄った私を直視できず、センはチラチラと視線を送り、できれば物陰に行きたいと、ラーナを引きずりながら移動しようと前足に力を入れた。それも、耳を完全に頭に密着させ、チラチラを繰り返しながらである。
 もちろん、センの首に首輪は付いていなかった.....。

 センを怒ってもどうなるものでもない、この姿の時は、たとえバケツで水を掛けたって離れるものではない。
 苦笑し、己を責めながら、とにかく時間を待つしかなかった。

 15分ほど経ってからだろうか、2匹が離れたのは....。その間、私と女房は、この後の事の相談を始めていた。
 薬で処置をする方法もあった。しかし、それは、二人の頭の中には存在しても、言葉にはならなかった。
 人間の「油断」「ミス」によって、ラーナにこれ以上の負担が増えるのは望まなかった(ホルモン環境を動かす事になるので....)。

 望みは、前々日が排卵日で、その時のレオとの交尾で受精している事だった。
 レオとの3回目の交尾(最後の交尾)から48時間、あれほど牙を見せて拒んでいたオスの接近を、何故、簡単に許し、交尾まで行ったのか、それは分らない。
 仕方がないので、私が憧れていた幼ななじみの恋の成就(姉さん女房ではあるが)、もしくは、センの口説き方がうまいと、笑うことにした。

 以来、私と女房は、毎日のようにラーナの変化に目を配ってきた。乳腺を連日触られ、いつの間にか私が呼ぶと、ラーナは腹を触り易いように見せるようになっていた。

 レオとの1回目の交尾での出産予定日は、5月31日だった。何ごともなく、その日は過ぎた。
 2回目の予定日は6月2日だった。これまた何も起きなかった。しかし、ラーナの腹は、しっかりと子犬の存在を主張している、私と女房の不安が2倍になった。

 そして、今日4日は、レオとの最後の交尾での予定日になる。

 だが....である。
 犬の妊娠期間は、基本的に63日ではあるけれど、前後3日程度のずれは良く起きるのである。
 従って、5月31日に陣痛が始まれば、これはまさしくレオとの間に誕生する純粋なサモエドである。
 6月4日は、実に微妙な日であり、レオの子の可能性、2日早いセンの子犬....ともに考えられた。

 だから、生まれた子犬を見る私と女房の目は真剣だった。父親を特定しなければならないのである。
 たくさんの方が、今回の子犬の誕生を待たれている。1年も前から予約をされている方もいらっしゃる。悪いニュースとなるにしても、正確な事をなるべく早くと思っていた。

 私たちは、濡れている子犬をラーナとともにきれいにし、元気づけた。

 正直に書こう.....
 午前11時、1匹目が誕生した時から、ず〜っと見ている、しかし、まだ、どちらが父親なのか、結論が出せないのである。

 子犬たちの身体は白い。鼻、脚裏はピンクである。しかし、耳たぶに色素がある感じもする。耳の形が三角形で、サモエドにしてはやや大きくも見える。そして、尾の根元が太く、少し長過ぎる気もする、吻も長いような......。

 メラニンは、時間がたつに連れて沈着が進む。あと数日の猶予をいただき、その上で結論を出す事に決めた。

 もちろん、父親がどちらであろうと、子犬はしっかり育てていく。たとえ「サモエドール」となろうとも、責任を持って彼らの一生の事を考える。
 悔しいのは、単純なミスをした自分であり、申し訳ないのは、サモエドの子犬を待ち望んで下さっていた方々の気持ちを、裏切る結果になったかも知れない事にたいしてである。

 今夜、私は子犬たちを眺め続けている。
 
 人間の思惑や決まり事とは無縁に、6匹の宝物を腹に上手に抱えたラーナは、私に信頼を寄せて子犬を抱かせてくれる。
 子犬たちは、私の手の上で、細いウンコをもらした。まるでネリカラシのようなそのウンコは、ラーナの母乳の出が良い事を示し、甘い香りのミルクウンコだった。

 

 



2003年06月03日(火) 天気:晴れ 最高:25℃ 最低:5℃


 TVのニュースが農作物の生育状況を伝えていた。根室地方(ここ中標津も含まれる)では、牧草が1週間の遅れと言っていた。低温と雨不足が原因であると。
 一昨日の雨、そして昨日からの太陽で、いくらかは回復するだろう。米どころか、ジャガイモ以外の商品作物が無理な地域である。農業と言えば酪農、酪農と言えば、その基本は草である。何とか巻き返しを望みたい。

 かなり前に、牧場の独身寮である「カラマツ荘」から1匹のウサギを我が家に連れて来た。可愛がっていた人間がやめた事と、1匹だけでの生活よりは、2匹の仲間のいる我が家のほうが良いだろうとの考えてだった。
 
 キツネ舎で長く暮してきている先住の2匹も、独身寮の1匹も、かなりの年だった。まあ、繁殖はしないだろうと、呑気に構えていたら、3月、寒い朝に子ウサギが生まれていた。しかし、巣になるように入れていた牧草は、たちまち3匹の餌になってしまい、2日後に子ウサギは死んでいた。

 そして5月、また出産の兆候があった。女房は、これでもかと大量の草を部屋に入れた。メスはその牧草を抱え込み、丸く穴のような形に整え、そこにこもった。

 季節は春、そして牧草が良かったのだろう、今回は無事に6匹が育っている。昨日からは、巣から出て、大人3匹とともに部屋の中で動き回るようになった。
 
 今朝、試しにチモシー、赤クローバー、ヨモギ、ノコギリソウ、トリアシショウマを刈り取って床に置いてみた。母親と2匹のオス(どちらが父なのか不明である)は、すぐに食べ始めた。
 真っ白な子ウサギが1匹、おそるおそる草に近づいた。私が息を止めて見ていると、その子は鼻先に青草が触れるやいなや、バクバクと食べ始めた。
 女房も、この姿を確認するのは初めてだった。
 これで、子ウサギがある段階を越えたのは間違いない。おそらく6匹ともに元気に育つだろう。
 それはいいことなのだが、今の部屋は、けして広くはない、このままだとネズミ算ならぬウサギ算式で増えてしまう。
 さて、どうしたものかと、悩みが増えてしまった。

 隣の部屋で暮しているオスネコ3匹は、これまでと何ら変わらぬ様子でウサギの部屋に入って行く。子ウサギに出会っても、鼻で臭いを嗅ぐだけで、別に悪さはしない。今の大きさなら獲物反応が出てもおかしくはないのだが、やはり気のいいネコを貫いているようだ。
 これも、長い間、仲間として暮してきた効果だろう。

 夕方、馬の作業を終えた西條氏が寄ってくれた。彼は馬の装蹄師でもある。王国の馬の削蹄、装蹄だけではなく、近在の馬飼いの方に頼まれて、仕事をしている。丁寧な仕事で評判がいい。

 私は、ヤギのメエスケの爪切りを頼んでいた。冬の間に2度ほど自分で切ったのだが、どうも切り口がきれいに整わない。やはり専門家にやってもらおうと思ったのである。

 『ヤギですか〜、ヤギはやった事がないな〜』

 のんびりとした口調で言いながらも、彼は、受けてくれた。

 メエスケを綱で繋ぎ、私が頭を押さえた。
 西條氏は、やっとこのような道具と、小さな鎌の形の道具を持参していた。
 先ず、やっとこ様の方で伸びて変型している爪を切る。次いで仕上げに鎌の方で削り整える。
 私が植木ハサミで行った時の10分の1の時間で、4本の脚が終わっていた。道具も良いが、手際の素晴らしさにも、私は唸った。
 効果はすぐに現れ、切る前は、おそるおそる歩いていたメエスケが、跳ねるようにして身体を揺らし、そのまま私に角を下げて突っ込んで来た。
 恩義を感じていない、けしからぬ奴である。

 1時間後、柴犬のシバレが、近づく犬すべてに唸っていた。何ごとかと確かめると、シバレは長さ15センチ、幅2センチのメエスケの爪を、嬉しそうに食べているところだった。

 



2003年06月02日(月) 天気:晴れ時々曇り 最高:15℃ 最低:8℃


 この日記を書こうとトッツページを開けた時、訪れて下さった方の数を示すカウンターが「199900」を過ぎていた。今夜中にも20万となりそうである。
 昨年の2月中旬、見切り発車のような形で(そう、今もタイトルだけのページがあるが....)ホームページを始めて1年と3ヶ月、多くの皆さんの応援に支えられて今日を迎えることができた。

 『皆さん、ほんとうに、ありがとうございます』

 私が自分のホームページを持つと決めた時に心した事は、実に単純な2箇条である。

(1)あくまでも正直に.....。
(2)来る方は拒まず、去る方は追わず....。

 (1)は当然の事であろう。しかし(2)に関しては異論をお持ちの方や、ひょっとすると私の真意とは別の解釈をされる方もいらっしゃるかも知れない。
 蛇足になるだろうが、少し説明をさせていただくなら、次のようになる。

 ・・・無理をしての付き合いは、悪いストレスになりこそすれ、けして展望は開けない・・・と思うのである。
 
 このホームページは「組織」ではない。イシカワ家という生き物だらけの変わった大家族の暮しを綴り、あくまでも個人的な想いを明らかにし、そこにフラッと寄って下さったり、小さな疑問を投げかけて下さったり、日常の中で感動した事を、楽しかった事を知らせて下さる、皆さんとイシカワ家がともに作り上げているページである。
 それは誰にも強制されず、自分の思いが優先される場であるからこそ可能な事だと思う。

 しかし、掲示板等の双方向の場では、自然に雰囲気が形作られ、好むと好まざるとにかかわらず、独特の色が見えてくる。
 それを嫌う方もいらっしゃるだろう。敷き居が高いと感じる方もいらっしゃるかも知れない。

 その責任は、私にある。
 微力ゆえに、不安と不満を感じてらっしゃる方には、頭を下げるしか、今の私にはできないし、これからもそうであろう。

 15ヶ月の間に、私は、実に多くの喜びと感動を、このホームページを通して皆さんからいただいた。新しい知識やアイデアもいただいた。
 そして、自分が行ってきた事への励ましと疑問も、膨大な量で還ってきた。
 これは、とてもありがたい事である。子犬1匹を育てる上でも、リアルタイムの情報とリアクションが、そして、旅立ってからの様子を知らせていただけるのが何よりの糧だった。自信なき船出ではあったが、本当にホームページという言語を持って良かったと実感している。

 身近なところに存在する「命」「自然」「思い」...それを大切にし、それを皆さんと語り合い、ちょっぴりそれを広げる....そんな場として、これからも多くの皆さんに寄っていただけるように、私は心していきたい。

 そのコアたる部分は、あくまでも、このホームページに立ち寄られる皆さんであり、掲示板に言葉を残して下さる皆さんであり、すべての仲間の方たちである。

 重ねて御礼を申し上げます...

 『ありがとうございます。これからも、よろしくお願いいたします』



2003年06月01日(日) 天気:雨 最高:18℃ 最低:11℃


 
 まさに「慈雨」と呼ぶべきだろう。
 昨夜からの雨は、静かに黙々と降り続いてくれた。乾ききった大地、芽を出したけれど充分な水分を得られずに、シワが寄っていたダケカンバやヤナギの葉が、生き生きとした姿で滴を乗せていた。

 『おとうさん、見て見て、このワラビ.....』

 夕方、居間の窓から5メートルほど北側のササ原で女房が叫んだ。何か特別なワラビが見つかったのかと、私は急いで駆け付けた。

 『これ、昨日の朝はこんなもんだったの....。それが、ほらっ、長靴の上まで伸びている、1日で5センチよっ!雨が欲しかったんだ、これも!!』

 女房の右手が添えられているのは、別に赤でも紫でもなく普通のワラビだった。それは女房を驚かせ、喜ばせた後、手慣れた手付きの彼女によって根元から折られ、左手に抱えられてしまった。
 どうやら、1日で適度の背丈に生長し過ぎたために、夕食で私の腹に入る事になったらしい。

 繰り返そう、台風崩れの前線がもたらした久しぶりの湿りは、まさに「慈雨」となった。
 一説によると、北国では降雪量でその年の農作物の収穫が左右されると言う。もちろん雪が消えてからの天候にもよるが、単純に言うと「多雪=豊作」となるらしい。特に葉物の野菜等は、雪がもたらす窒素の量のおかげで、見事な出来になると言う。昔習った肥料三要素でも「窒素・リン酸・加里」と、窒素が最初に書かれているぐらいだから、案外正しいのかも知れない。

 そして、窒素こそが細胞の増殖・分裂に大きな役割を果たす。従って根や葉、茎の生長ではもっとも大きな力を持っている。
 雪解け後から続いた日照り状態で、肩をすぼめ、呼吸を止めていた草木が、この雨で思いきり活動を再開した。その結果が、我が家の「おひたし」になったワラビに象徴されているのだろう。

 夕方、犬たちと遊んでいると、裏の林からカッコウの声が聞こえた。仲間たちは、昨日、別の場所で聞いていた。しかし、私には、これが2003年、初めてのカッコウだった。
 スマートで鋭く飛ぶ鳥なのに、昔、浜中の王国で太り気味のいエゾダヌキのマリが捕まえて食べてしまった事がある。どのようにして捕獲したのか、私たちのは謎であり、「狸寝入り」説が優勢だった。

 今日も、一声聞こえただけで、このところ元気を取り戻しつつあるネコのアブラが、首を下げ、尾を地面に這わせて狙いのポーズに入った。
 託卵と言う呑気な育児法を持ち、気楽に鳴いているようにも思える鳥ゆえに、標的にされやすいのだろうか.....そんな非科学的な事を一瞬思った。
 
 しばらくするとカッコウにキジバトの声が重なり、明日は、植物たちが最高に喜ぶ、雨後の晴れ間を予感した。