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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2003年07月31日(木) 天気:曇り時々晴れ 最高:22℃ 最低:14℃


 早朝、中標津に着く長距離夜行バスで娘が帰って来た。昨夜、札幌の会社を終えてから飛び乗ったらしい。
 疲れてぐっすりと寝てきたかと思いしや、座席が前の方だったようで、フロントガラスに当たる雨とワイパーの音で眠れなかったと文句を言っていた。

 これは母系での遺伝かも知れないが、娘は、とにかくよく喋る。辿ってみると私の母親も、女房の母親も、そうである。ゲノムとは凄いものだと、連発される娘の声を聞きながら思った。

 午後、娘を乗せて釧路に向かった。久しぶりの好天に気温も上がり、珍しく車内のクーラーを入れた。娘の言葉のBGMには、あのモーガンズバーのCDを流した。
 
 「初めてだけど、これっ、けっこう好きかも知れない...」

 おかげで、少しは言葉の渦が小さくなったようだ。ありがとうございます、アキモトさん、イヤマさん....。

 釧路への目的は、娘の検診だった。
 昨年の秋に腰の骨の手術をしており、2ヶ月ほど入院をした。その後も、経過を診てもらうために数カ月おきに通っている。

 「ずいぶん良くなっていると言われた....。自分でも、長く歩いた時に以前のような痛みが出ないと気づいていた。レントゲンで見ると、はっきりと変化が出ていたよ....」

 25の娘である、私は診察に立ち会わない。娘が自分の事として先生に向かい合っている。
 診察の後のリハビリ指導も終わったとケイタイに連絡が入り、病院に迎えに行くと、笑顔の娘がおり、今日の結果を詳しく話してくれた。

 術後、少し片足が短くなり、当初はぎこちない歩き方だった(今も若干残っている)。本人が気にするのではと、そう思ったこともあった。
 しかし、誰にでも、大きな声と笑顔で事実を語る娘の姿に、父親の私は出る幕を失っていた。それは、嬉しいことだった。

 娘は、札幌の友人に貰ったという雑誌の切れ端を持っていた。その小さな紙には『ザンギ発祥の店』とタイトルが書かれ、鳥肉のカラ揚げ....北海道で言うところの『ザンギ』を最初に提供した店であると記されていた。
 
 「ここ、今日こそ行きたいの、お土産に買っていこうよ...」

 住所と店の名前を頼りに車を釧路の中心街に向けた。しかし、店は閉まっており、今日が定休日なのか、それとも長い休店なのか、定かではなかった。
 かつての中心街は、櫛の歯が欠けたように更地が目立ち、建物があっても長い間閉じられたままの所も多い。人通りも30年前を知る者としては絶句してしまう様子だった。
 娘や息子を連れて何度か来た映画館の跡も、今では面影すら残っていなかった。

 洒落た河畔駐車場を出て、郊外の大型店に行った。
 中心街よりも、あきらかに車も人も多かった。時の流れとはいえ、商売をする側にとっては、消費者(客)とは、厳しいものだと、つくづく思わされた。

 家に戻り、50円引きのパックに入ったザンギを娘と食べた。それなりに旨かった。
 しかし、まだ「元祖ザンギの店」の味を知りたい気持ちは強く、次回の検診をいつにするか、ビールを飲みながら娘と打ち合わせた。



2003年07月30日(水) 天気:ひたすら雨、雨、雨 最高:16℃ 最低:13℃

 長く静かに雨が続いている。時に弱く、そして時に樹木の枝を揺らすほどに強く。
 
 犬たちは、ほとんどが小屋に入り、顎を入り口の框に乗せて眠る。物音がすると、薄く目を開け、そのままの姿勢で確認はするが、出てこようとはしない。
 
 家の中のネコたちは、何度も出窓に登ってはガラス越しに外を眺めていた。雨と分かっても、それでも外に憧れるミンツとチャーリーは、勝手口に来ては、通りかかった私や女房に小さく高い声で訴えた。

 「だめだよ、今日は....。ほらっ、雨だよ...」

 細くドアを開けて外を見せてやる。滴が戸口から入り、あわててミンツは後ずさった。

 この雨が、低い気温を追いやり、何とか夏の高気圧を連れて来て欲しいと、ただただ願うばかりだ。

 昨日の日記で、子犬を育てる心、そして手法について、現状のせつなさとともに少し書いた。
 すると、驚くほどたくさんのリアクションが私の所に寄せられた。BBSに書いて下さった方もいらっしゃるが、それ以上にメールで寄せられた意見の数に呆然とした。

 結論を書くと、お一人の方以外は、現状に対してのせつない『悲鳴』を示されていた。
 そう、差し出し人は実際に仕事として『ペット関連業界』に携わっている方がほとんどだったのである。そして、圧倒的に若い方が多いと感じられた。

 昔から生き物の取り引きにかかわる仕事の人は、腹巻きに札束がスタイルだった。
 この理由ははっきりしている。生き物たち、例えば馬などを取り引きする際に重要なのは、買う側の目利きであり、もし、支払いを済ませて家に連れ帰ってから、足が3本しかないのに気づいても、これは買い手のミス、買い手の未熟さであり、売り手に補償は求められないのが暗黙の掟である。
 命ゆえに、ケガや病気はつきものであり、その責任の所在をはっきりさせ難いために、その場で決済し、握手をした段階から、売り手は責任から逃れられるのである。
 何が起きようと代金を取りっぱぐれないように、必ず、現場で現金での支払いを求めるのがしきたりだった。

 この伝統的なシステムも時代とともに変わっては来ている。しかし、それは支払いにローンが導入された程度であり、心(考え方)の面では、まったく進歩していないのでは.....。
 そう思わされるような内容の、昨夜から今日にかけてのメールの数々だった。
 
 読ませて頂いているうちに、『だまされたほうが悪い』
 この悪しき習慣が、まだまだ大手を振ってばっこしているような、そう信じてしまいそうな気持ちになった。

 でも.....である。
 まだ、どなたにも返事を書いていないが、この拙文を読んで下さると期待して、皆さんに向けてウブの考えを記そう。

 あるぺットショップが、
 『この店には、生後60日以上の子犬、子ネコしか置いていません』と看板を出したところ、着実に客足が伸び、経費が減り(病気等が減少し、嫌な言葉ですが、落ちる子が減ったために)そして店の評判とともに店内の雰囲気が良くなったのである。
 さらに、
 『我が家まで母犬と兄弟犬を見に来て下さり、お話を伺った上でなければ、子犬を譲ることはできません』
 と頑固に語るブリーダーの方も増えているのである。

 歩みは遅々たるものかも知れない。
 しかし、今、多くの方が「3本足の馬」に気づき始めている。それを見抜く視力と知識を持ち始めてきている。
 いわゆる客が変われば、おのずと店も生産の現場も変わらざるを得ないのである。
 農産物の世界で起きたように、生き残るためには、

 『私が育てた子犬です。ワクチンと駆虫は、このようにしております。父、母、そして兄弟はこうなっています....』

 と履歴を付けたり、さらに、たとえショップで購入しようとも、ネットなどを武器に、新しい飼い主が、子犬の生まれ育った実家とのやりとりまでを行う流れに変化するのは必然なのである。

 この流れを見抜けない店などは、けして栄華を誇れるとは思えない、10年後の日本で....。

 どうかあせらないで欲しい。ひとりひとりが確かな心と目を備え、次の子犬を飼う時に、それを生かした手法を取ることだと思う。これが、回り道ではあるが、逆にもっとも効果的な王道だと思う。それをバックップする法令の検討も始まっている。

 『ワクチン?そんなもの客が打てばいいんだよ...』
 
 と言う人間は、客によって淘汰されるであろう。
 私たちは、そのような客となるように努力すべきであり、仲間をひとりでも増やすように行動と言葉を使うべきだと思うのだが。

 寒い雨の夜、なぜか、若く、熱い私だった。
 



2003年07月29日(火) 天気:曇り時々晴れ間 最高:21℃ 最低:9℃

 ついに晴れ間と天気の欄に書く日がやってきた。そう「一瞬」ではなく「時々」なのである、これが「どきどき」せずにいられようか.....。
 果たして、前回の「晴れ」の記載はいつなのかと、日記をスクロールしてみた。「時々」以上は7月13日であるのを発見し、何となく気が抜けた。
 
 「あれっ?1ヶ月以上前ではなかったっけ?」

 という気分なんである。
 だから言ってるじゃないか、ヒトの記憶なんて怪しいものである....と自分に言い聞かせた。

 昨夜、布団に入ったのが4時近かったにも関わらず、何故か5時半に目が覚めた。遅れているこの日記を書こうと書斎に入り、タバコの火を着け、明るくなっている東向きの窓に向かって、大きく煙りを吹き出した。
 女房が、喫煙の時は窓を少し開けて、と言ってたのを思い出し、立ち上がって窓に近づき、10cmほど開けた。風向きは東南、冷気が流れ込んできて寝起きの身体を奮い立たせた。

 「キャン〜、ギャウ!!」

 鋭く高い声が聞こえた。窓から10メートルほど離れた車庫にいるサモエドのラーナの子犬の啼き声だった。
 何ごとかと目を凝らすと、車庫の中に設置したサークルの、外に飛び出した部分で6匹が組合って遊んでいた。
 いや、6匹ではなかった、下敷きになる形で母親のラーナが仰向けになり、次々と襲い掛かってくる子犬たちを、口と宙に浮かせた4本の足で、上手に相手をしていた。

 今、ラーナはやつれている。体重は普段より3キロほど減り20キロになっている。子犬たちは日増しに重くなり、6匹を合わせると軽く母親を超えている。
 それが足を腹の上で踏ん張り、あらゆるところに齧りついているのに、ラーナの表情は、まさに幸せな母親そのものだった。

 この表情と動きは、今では私や女房が姿を現わすと見せてくれない。それぞれが尾を振り、人間に心を向けてしまうからだ。

 私は、日記を書く事を忘れ、タバコを5本灰にする時間を、窓辺での観察に費やした。女房が起きてきて、BSでの浅草のドラマをつけるまで、静かに、そして笑顔でラーナ親子の動きを見つめていた。

 午後、九州の友人、S氏が立ち寄ってくれた。北海道での研修を終えた教え子2人を連れての来訪だった。いつもは大きな自分の車で日本列島を端から端まで走ってくるのだが、今回は時間がなかったのだろう、大きな身体にまったく似合わない可愛いレンタカーで登場した。
 
 瞳がキラキラとしている学生は生き物の事を学んでいた。
 私は朝のラーナ親子の話をした。
 子犬たちには、心と身体の成長において、いかに、母親、そして兄弟が大切な存在かを説明した。だから、少なくとも生後2ヶ月を超えるまでは、子犬を引き離してはいけないと.....。

 これは、実は業界では攻撃に会う考え方である、まだ日本では。動物の学校でも深くは触れない部分とも聞いている。
 しかし、それを変えられるのは、若い人の他にいないのである。どんな事も若者の手によってしか進歩はない....。
 
 守るべき余分なものを多く持たない若者たちに、私は常にエールを贈り続けたい。そして、できうるならば陰で、時には日なたで旗を振り続けていたいとも思う。

 今日、1本の電話があった、
 
 『家の犬が出産し、無事に育てています。専門家の方に相談をしているんですが、生後30日で、まだオッパイを飲んでいると言ったら、叱られました。そんなんじゃ売り物になんないと....。本当にそうなんでしょうか、何か、もう母親から離すのは可哀想で.....』

 嗚呼、なんと不勉強な専門家の多いことか.....。

 

 



2003年07月28日(月) 天気:曇り 最高:18℃ 最低:12℃


 夕方から釧路、それまで、バタバタとしていました。
 詳細は、まとめて後ほどと言うことで.....。



2003年07月27日(日) 天気:曇り 最高:16℃ 最低:11℃


 浜中...そして中標津、深夜まで用事のある1日でした。
 このところ日記が遅れています。あと、数日、御容赦下さい。

 と、今日もお詫びの石川でした。



2003年07月26日(土) 天気:曇り 最高:15℃ 最低:13℃


 九州から地元の中標津まで、ゆかいクラブの皆さんが集まっての王国祭が開かれた。バスが到着した時に、一瞬だけ雨が落ちたが、それは大地の埃を鎮める程度の時間で終わり、その後は晴れ間こそ出なかったが、雨具は不要だった。
 乗馬から始まり、犬たちとのゲーム、生き物たちとの出会い、等々、1日をフルに楽しんでいただけたと思う。
 そうそう、夕食後はコンサートで、王国の仲間の演奏と画像をともに楽しませていただいた。
 明日は、浜中の王国へ駈け足の見学、雨よ降るな!!

(詳しくは、後ほど.....です)



2003年07月25日(金) 天気:曇り、かすかに晴れ間あり 最高:20℃ 最低:13℃


 王国のメンバーで編成している「長ぐつバンド」では、私はへたくそなフルートを吹いている。
 へたくそだから、せめてチューニング(調音)だけは、正確にしたいと思っている。しかし、深夜の練習では、なかかなうまくいかない。と言うのも、金属で作られている楽器ゆえに、気温が下がると、たちまち発生する音が下がってしまう。
 明日のコンサートでの演奏が、最初の曲からラストナンバーまで、休みなく演奏をするのなら、まあ、大丈夫だろうが、フルートが加わるのは、限られた曲、限られた部分だけになる。
 すると、演奏中に温まり、ピッチの上がっていたものが、休んでいる間に冷え、音程がずれる結果につながる。

 そう、これは1日前の「いいわけ」である。
 明日の夜、動物王国祭の恒例のステージにおいて、もしフルートが聞きづらかったならば、それは今年の夏の異常に寒い気候のせい....と前振りをしているのである。

 何度も書いているが、音楽は素晴らしい。もちろん聞くのも良いが、やはり自分が参加して紡ぎ出すのは、心が踊る作業である。
 ひと桁の温度の日も多かった夜の練習の成果を、皆さんに披露させていただく。できれば拍手をいただけるような演奏をと願っている。

 乗馬、多くの犬やネコたちとの出会いと遊び。そして王国のメンバーと生き物たちが繰り広げている普段の生活を、臨時の国民になっていただいて経験してもらおう。
 同じ光景に、同じ笑顔を見せあえたなら、それは最高の祭りだと思う。

 雨よ、降るな!!



2003年07月24日(木) 天気:曇りちょっぴり晴れ間 最高:17℃ 最低:10℃


 先ほど(2時45分)、浜中から戻りました。往復120キロで、5匹のキツネに出会いました。そのうちの4匹は、今年の子ギツネ.....事故に会わないようにと祈るだけです。

 眠気が頭の上から襲ってきています.....。
 連日で申し訳ありません、日記、後ほどと言うことで....。
 おやすみなさい。



2003年07月23日(水) 天気:曇り一瞬晴れ間 最高:16℃ 最低:11℃


 久しぶりに一瞬の青空が出た。
 何となく、心も踊り、口笛を吹いていた....。

 今、ちょっぴり、時間の掛かる事にかかっています。日記、後ほどとなります、申し訳ありません。



2003年07月22日(火) 天気:曇り 最高:13℃ 最低:9℃

 昨日、サモエドのラーナの子犬たちの将来の活躍の場が、6匹すべて決まった。生後1ヶ月半、まさに可愛い盛りの連中を眺め、ともに遊びながら、私と女房はニコニコとしている。
 
 今回は、生まれた子犬の父親が2種(多重婚・同期複妊娠)という、人間のミスによるドラマが起き、生まれた子犬も2匹が純粋なサモエド、4匹がラブラドールとのハイブリッドとなってしまった。
 この結果は、重く受け止めるしかない。
 さらに、この事件を契機に、私は、ムツさんにも疑問を投げかけ、自分でも検討し、もう一度犬の繁殖生理を確認してみた。

 その結論を、頭の中でようやく出すことができた。
 先ず重要なのは、犬の卵子は排卵された後、成熟して受精能力を保持する時間が、他の動物に比べて異常なほどに長い事である。時には48時間以上にもなる。
 そして、もう一方の主役である精子も、射精されてから7時間ほどで受精能力を獲得し、その後、100時間は能力が保たれる。

 さらに重要なのは、オスの精子が膣内ではなく子宮内に直接に射精される事である。
 人間のような膣内方式ならば、卵子を目指す精子たちは、最初に子宮頚管が大きなハードルとなり、メスの生理的状況がホルモン的に最適な時でないかぎり、子宮への侵入には困難をきたす。
 
 ところが犬(豚や馬なども)では、それがフリーパスとなっている。つまり、子宮内に元気な精子が多く存在する事が可能であり、近接した時間で多数のオス犬が交尾をすると、タイミングよく受精能力を得た卵子(多胎動物ゆえに数が多い)に、複数のオスの精子が、それぞれ巡り会う事もあり得る事になる。

 一般に犬の発情において交配の適期は、出血から9〜13日頃と言われている。私もそう思って交配の計画をしてきた。
 しかし、個体差と卵子、精子の受精能力の長さを考えると、実際には6〜18日目までとすべきだろう。
 そう考えると、先日、新婚生活をさせた柴犬のシグレが、なんと1週間、12回の交尾を繰り返した事も、けしてシグレが淫乱なのではなく、交尾許容期間も受精可能日数に比例して長い犬の特徴とも言える。

 長年、数多くの犬の交配を経験して来て、なんとなく自分なりのセオリーとして思い込んで来た事も、あらためて調べ、考え直してみると思い違いが多い事に気づく。
 そんな再勉強をさせてくれた6匹の子犬たちに、私は大いに感謝している。
 彼らの将来が素晴らしいものと、ほとんど100パーセント決まった今、私は命の不思議をかみしめている。



2003年07月21日(月) 天気:曇り時々雨 最高:15℃ 最低:12℃

 一気に事が進みたる日に想う.......。

  女房の  おいでおいでに  駈け寄りし
    尾を振りし子の   名はまだチビ

  真夜中の  雨垂れに届き  メールには   
    想い熱き  言葉あふれて

  病後の  白き娘の  友として
    旅の決まりし  子犬を抱く

  何気なく  振り向き気づく  白き影
    ただひたすらに   我を見つめし

  太き足  大きく垂れし耳  巻いた尾を
    今日も濡らすか  冷たき夏雨

  譜面台  目は追いつつも  心飛び
    播州の地の   笑顔を想う

  旅立ちの  日まではもちろん  その後も
    ただ健やかにと   それだけが願い

  おいおまえ  東京の人に  見染まれて
    良かった良かった   抱き寄せ語る

  盆が過ぎ  秋風の頃に   我が庭は
    噛み跡残る   小枝に落ち葉

  東京  札幌兵庫   滋賀埼玉
     君たちの行く   街に笑顔を

  見つめ見し  抱きて触れて  確かめし
    日々が懐かし   今に想えば

  腰下げし   構えを見つけ  駆け寄りて
    形に匂い  色までも調べ

  空腹の   母に先ず伝う  良かったね
    身を削りて   育てし子の末

___________________________

 日が変わり、22日、0時20分。
 子犬たちは身体を寄せあって寝ています。気温はひと桁、9度の夜になりました......。
 
    

    

 



2003年07月20日(日) 天気:曇り、夜になって霧雨 最高:16℃ 最低:9℃

 昨日の朝、札幌を出発されたYさん御夫妻は、昼頃に我が家に到着された。ハスキー系のミックス犬を同乗しての旅である。
 Yさんとは面識はなかった。2週間前に丁重なFAXをいただいていた。
 今、飼われている犬に友だちを、と考えられ、これから出産を予定している我が家のサモエドとレオンベルガーに会わせて下さい、との文字が記されていた。

 我が家の犬たちの賑やかな声による歓迎の後、御夫妻は全ての犬に声を掛け、そして犬に対するプレッシャーや緊張を与えない見事な挨拶をされた。
 喜んだカボスは、奥さんの足を前足で押さえて、ひたすらしがみついていた。センは、立ち去らないでとばかり、そで口をくわえて離さなかった。これは、お気に入りの人間に示す、センのせつない意思表示である。

 女房が、車庫に設置してあるラーナの子犬たちのサークルを開放した。待ってましたとばかり、6匹の元気者たちが、尾を振り、身体を弾ませて駆け寄って行った。
 Yさんたちは、しゃがみ込み、両手を広げて子犬たちを受け止めた。御主人のスニーカーの靴ヒモは、あっと言う間に結び目がなくなってしまった。

 「この子がサモエドールですね、ネットで見ていました...。可愛いですね、写真もですが、実物はもっと....」

 奥さんが、ズボンの裾をくわえられていた。膝に前足を乗せ、その上によじ登ろうとしている子もいた。

 ラーナが2匹のオスと結婚し、その子を出産することになった経緯、そしてその後の子犬たちの成長などを私と女房は自省を含めて話をさせていただいた。

 「えっ、まだこの子たちでも大丈夫なんですか、譲っていただけるのですか?」

 話の中で、4匹のサモエドール(サモエドのラーナが母、ラブラドールのセンが父)の子犬たちの『これから』に私が触れた時、御夫妻は驚かれたようだった。

 「もう、とっくに予約の方でいっぱいになっていると思ってました....」

 私は説明をした、
 「実は、この4匹の出自が確定してからも、悩んでいたんです。1匹は友人のところへ行く事が決まっていました、早々に。もう1匹は我が家に残します。変化を見て行きたいのと、あまりにも可愛いので。そして、後の2匹です....これも手放したくないと思ったりしていたのです。だから譲ります、の告知はしていませんでした.....。でも、我が家は群れです、その中よりも、1軒の家で、1匹、ないしは2〜3匹の犬、そして御家族と暮すほうが、この新しい犬種(?)の良さが、大いに発揮されると思うようになりました。それは、今もそうですが、成長とともに実によく人間の声、動きに反応を示すんです。ラブとサモエドのそれぞれの良い部分が合体しているようなんです....」

 私の話の途中から御主人と奥さんの表情が変わり、笑顔があふれ出ていた。

 「では、我が家でも大丈夫なんですね、陽気で、やたらと駆け回る2歳半の犬がいますが.....」

 「もちろんです。こうして遠くまでわざわざ見に来て下さったのですから、こちらこそよろしくお願いいたします。おそらく今の犬の良い友だち、パートナーになると思いますよ...」

 私は、お二人の犬に対する気持ち、そして目の前で見させていただいた我が家の連中の歓迎ぶりを頭に、即答をしていた。素晴らしい方との出会いに、こちらこそ感激であった。

 これで、サモエド系の2匹と、ラブラドールのセンが父である4匹の中で、3匹目の新しい家が決まった。
 あと1匹残っているのがセン系の1匹である。この子も、私と女房は新しい家族のもとで、新しい暮らしをと望んでいる。
 
 <もし、この日記を読まれた方で、御希望がありましたら、メールで連絡をしていただけたら、と思います。誕生から今までの詳細を説明させていただきます。メールはトップページの手紙マークをクリックです>

 こうして、このホームページが繋ぎ役となり、新しい仲間が増えて行く。これこそ、私の目指す方向である。誕生から手元に子犬がやって来るまでの、細かな情報と画像と私と女房の思い入れが明らかになっている事.....そこにこそ信じていただける何かがあると思う。

 「名前を決めていただければ、生後75日、8月の中旬過ぎに旅立つまで、それで呼んでおきます。すぐに覚えてしまうと思いますよ....」

 Yさん御夫妻は、この後、道東を回って明日、札幌に戻られる。次回の道東の旅の時には、里帰りのセンっ子を含めて、2匹の犬の乗った賑やかな車で来られる事だろう。

 

 



2003年07月19日(土) 天気:曇り、夜になって雨 最高:15℃ 最低:11℃

 
 もう書くまいと思っていたのだが、どうしても天候の事に触れてしまう。3日間、同じ言葉を並べた気がする、いや、今日は「時々」が入っていないから、異なっているとすべきだろうか.....。
 どちらにしても、せつない天候に変わりはない。中標津神社の祭りと言うのに、なんと寂しい事だろうか。
 もうひとつ書いておこう。
 この3日間、前の日の某協会の予報では、必ず日中は晴れと言っていた。何処が晴れたのであろうか.....。

 夕方、電話があった。
 夕食の準備がゴールに近づいていた女房が出て、すぐに私に受話器をパスした。

 「実は御相談があります。うちの犬、メスなんですが、数日前からヌイグルミを集めて抱いているんです。乳房も大きくなり、乳首からミルクが出ています。どこかおかしいのでしょうか?このままにしておくと問題が起きるのではないでしょうか.....」

 「それに、ヌイグルミをまるで子犬のように抱いている様子を見ると、可哀想で、何とかしてやりたいと.....」

 私は、食卓の上に並び始めた夕食のおかずを目指して、次々と集まって来るネコたちを防ぐために、空いている右手と目を駆使しながら、にこやかに応えた。
 悪い事に、今夜のメインは私の大好きな、そしてネコたちも夢中になるアジのヒラキだった。育児中のエは、何度下ろされても、しぶとく食卓の上によじ登ってきていた。

 「そうですか、ヌイグルミですか。この行動は王国でもよくあるんですよ。いわゆる想像妊娠、偽妊娠から想像育児に発展した形ですね」

 「でも心配はまずいりません、時間が経てば自然に元に戻ります」

 「まあ、気をつけるのは、まれに乳腺や子宮に炎症が起きることです。抱くのをやめても乳腺に固いシコリがあったり、陰部から血膿が出たり、食欲不振、水のガブ飲みを見せたら、ぜひ獣医さんに診てもらって下さい」

 「それから、可哀想だと思わなくても大丈夫ですよ。犬たちはホルモンの命ずるままに行動しているだけで、ごく自然な事ですから、心の問題等を考える必要もありません」

 受話器の向こうで、少しほっとされた様子が伝わってきた。私は、片手でエを抑えながら電話を切った。

 先日の津山家のウエスティのアズキもそうだったが、偽妊娠と、それに続く育児行動は、しばしば観察している。
 これは群れタイプのイヌ科動物では重要な行動で、最高の文化とも言える。
 例えば、オオカミの群れの観察記を読むと、数匹の大人のメスの中でアルファメスだけが出産をし、生まれた子オオカミをみんなで面倒を見る、との記述がある。時には、アルファのメスが死んだり大ケガをすると、下位のメスオオカミが乳首をふくませて育てる事も.....と。

 ポイントはここである。
 そう、群れの宝ものである子供に、確実にミルクを与えられるように、群れで幾重もの備えをしているのである。交尾をしていなくても、出産をしていなくても、1匹のメスが子供を産むと、周囲のメスのホルモン支配も出産育児体系に変わりやすくなり、母親のスペアを準備しているのである。

 この現象は、犬やオオカミのように群れ社会を作るリカオンでも有名である。子供を持つことができるのはアルファのメスだけなのに、乳房が大きくなるメスが数多くいるのである。
 キツネは単独行動型のイヌ科動物であるから、偽妊娠は起きえないし、実際、私は見たことがない。

 何と命のシステムとは不思議だろうか、そして偉大だろうか。長い月日を重ねて作り上げられた『種が生き延びる』為の作戦に、私はただただ感激をし、たとえ空気で膨らんでいただけと知っても、レオンベルガーのベルクを愛しく思ったのだった。
 我が家は群れであり、同じような時期に発情が来るので、この現象は起きやすい。これまでの観察のデータで言うと、ややシャイな子ほど偽妊娠、育児の鍵が外れやすい、そんな気がする。

 



2003年07月18日(金) 天気:曇り、夜になって時々雨 最高:15℃ 最低:12℃

 天気が昨日と同じです....。
 先ほど、我が夫婦としては珍なる事から戻りました。
 詳細は後ほど...。

 あっ、昨日の日記も同じ事を書いたままでした、すみません。



2003年07月17日(木) 天気:曇り、夜になって時々雨 最高:17℃ 最低:11℃


 サークルから出せ....と鼻声で啼く子犬ほど、乳父を自認している私の心を掴むものはない。
 外の世界を知った若者は、巣を飛び出そうと必死である。本来は人間もそうあるべきだと思うのだが.....。
 詳細は後ほど.....。



2003年07月16日(水) 天気:曇りのち雨 最高:15℃ 最低:10℃


 「エっ子の体重」

     誕生日(7月12日)    生後4日目(16日)

 父似 (オス)  99グラム      176グラム
 母似 (メス) 100グラム      173グラム
 茶トラ(オス) 115グラム      203グラム
_____________________________

 「ラーナっ子の体重」

   誕生(6月4日) 6月17日 7月1日 7月15日
セン系(1) 440  1150  2300  4300
   (2) 400  1000  1950  3700
   (3) 430  1150  2200  4000
   (4) 405  1050  2100  3800
レオ系(オス)410  1050  2000  4000
   (メス)420  1000  1900  3200
_____________________________

 エっ子たちは、順調である。生まれて2〜3日は、少しでも増えたならばヨシとすべきである。ミルクの出が悪かったり、吸い方が下手だと、減ることすらある。3匹ともに70グラム以上の増加は、拍手ものである。
 それにしても茶トラの腹は見事に膨らんでいる、見事な胃の伸び具合である。

 サモエドのラーナの子たちは、生後40日を過ぎ、ますます動きと表情(要求)がしっかりとしてきた。ラブラドールとのミックスが4匹もいるので、その連中の食欲に誘われ、サモエド派の2匹も、らしくない食べっぷりである。
 前回のラーナの子たちと比較すると、2倍のスピードで離乳食を食べている。従って体重もダーチャの子犬なみに重い。

 天候はすっきりとしなかったが、だいちゃん家のチベタンスパニエルの子犬、ペコーが来たので、サモっ子を2匹、解放してみた。
 すぐに他の大きな犬の所に行き、懸命に尾を振って挨拶をしていた。口や尻の匂いを嗅がれている時も、あわてず、恐がらずに静かに受けていた。

 2匹を見て喜んだのはペコーだった。それまで自分の10倍以上のカボスなどと見下ろされながらも、何とか遊んでいたが、同じような身体の大きさのサモっ子は安心できたようで、嬉しそうに尾を振り、身体を不規則に跳ね、盛んに誘っていた。
 ペコーは生後6ヶ月を過ぎている。そのせいか、必ずリードをしようとするところが微笑ましかった。

 犬だけではなく、人間でも嬉しいゲストが来られた。
 「ムツゴロウゆかいクラブ」の会員の御夫妻で、浜中の王国内にあるクラブハウスに2泊された後、今夜は中標津のハウスを利用されることになっていた。
 
 お話を聞くうちに、御夫妻が、我が家から旅立ったサモエドのオスっ子の近所に住われていることが判った。
 それだけではない、14年間、ともに暮してきた柴犬の散歩仲間として、楽しい付き合いをされていた、とお聞きした。
 そのサモエドは我が家のカザフの同胎犬である。写真を取り出し、北陸の地で元気に過ごしているオスっ子の話に、私は笑顔になった。
 
 縁、それも犬やネコなどを絆とする「縁」は不思議なものだと思う。そこには利害関係の入り込む余地はなく、社会的には立場の異なる人同士が、心からの柔らかな言葉で会話をすることができる。
 さっそく父親のマロ、そして兄弟のカザフの近影を入れて、こんな嬉しい出会いがありましたよ、と便りを出さなければ。



2003年07月15日(火) 天気:重い雲 最高:15℃ 最低:11℃

 
 雲が黒く重た気に空を覆っていると、何となく、こちらの気も重くなる。今日は、そんな1日になった。
 予報では、それほど悪くはない筈だったが、例のオホーツク高気圧が偉そうに鎮座し、網走、紋別などでも15度達しない日が続いている。
 これが、少し内陸に入り、北見周辺まで行くと25度を超えていたりするので、本州からの旅人などは面喰らうことも多いだろう。

 ラーナの子犬たちは、ますます元気になって来ている。まだ庭でフリーに遊ばせることはしていない。しかし、大人の犬たちが目の前で遊ぶ光景を見て、6匹のワンパクたちは、サークルに前足を掛けて2本立ちになり、押し倒して出てきそうな勢いで啼いている。

 毎朝、フリー散歩のためにクサリを外されると、必ず子犬たちの所へ確認に行く連中もいる。ダーチャ、セン、そしてシグレ....子犬との遊びがうまい連中だ。
 耳を子犬の方に傾け(ラブラドールゆえに垂れ耳のセンは耳の付け根が開く)、ゆっくりと尾を横に振り、サークルの金網越しに鼻を付け合って挨拶を交わす光景は、私の大好きな時間である。

 子犬も、必ず尾を振り、しっかりと下手の挨拶を交わせるようになっている。中には漏れションをしている子もいて、これはこれで可愛い。
 いつでも、サークルを解放し、群れの中に入れることは可能であり、今日、済ませた2度目の駆虫が目安なので、天候が回復したならば、明日にでもフリーにしてあげよう。

 今回の子犬たちは、父親が2匹(2種類)という「多重婚」であり、2匹が純粋なサモエド、残りの4匹はラブラドールとのミックスという事は、先日、この日記でも書いた。
 「かも知れない...」ではなく、正しい結果が科学的に証される時代に感謝し、己の責任で起きたドラマを見届けて行きたい。

 「発情」「交尾」「排卵」「受精」「着床」「精子間の争い」「内分泌」「DNAと遺伝子」.....おかげで妊娠出産に関する多くの事を学んだ。これまであやふやに覚えていた事を、もう一度洗い直し、調べる機会を6匹の子犬たちに与えてもらった、そんな気がしている。
 
 『ありがとう、6匹の宝たち、必ず、幸せを見つけてあげるよ!!』
 
 夕方からの小雨にも、車庫の中に入らずにサークルの庭側ぎりぎりに出て遊び、横になって寝ている連中を見ながら、私は、再びそう誓った。



2003年07月14日(月) 天気:曇り 最高:16℃ 最低:10℃


 
 犬にも健啖家はいる。ありふれた言葉に変えるとイヤシイ奴となる。
 現在の我が家の連中を、私の観察によって並べてみよう。

(1)・・ラーナ(サモエド・♀)
 育児中ゆえに、これはしょうがないとすべきだろう。自分の餌は4分で食べ終え、きれいに食器を舐めた後、すべての犬の食器を確認し、その後、散歩にはついて来ず、ニワトリの餌のこぼれた物、動物用台所に置いてある、ネコの餌などを狙っている。

(2)・・カボス(レオンベルガー・♂)
 後肢が悪いので、55キロ以上にならぬようにダイエットをしている。食器を空にするのは3分、我が家で、もっとも早い。
 クサリを外されると、先ず、マロ親分の食器に向かい(マロはきれいに舐めていない)、次に、私の後をついてまわり、クサリから放された犬が場を移動すると、残された食器の確認をし、食べ残しがあると、嬉しそうに舐める。

(3)・・タドン(フレンチブル・♂)
 よだれまみれながらも、自分の分を食べ終えると、ひたすら私の上着の左ポケットを目掛けてジャンプを繰り返し、ジャーキーをねだる。
 久しく、タドンが食べ残したのを見たことがない。

(4)・・ダーチャ(サモエド・♀)
 他の犬の食器は狙わないが、どれだけ大盛にしても、必ず自分の分は平らげる。2年前までは、残すこともあったのだが.....。

(5)・・チロル(サモエド・♂)
 この子も食べるのが早い。従って19匹の中で、与えられるのは、いつも最後になる。ゴールのタイミングを合わせるためである。同じサークルで食べているベルクやアラルの食器を狙うが、唸られるのであきらめている。2匹が離れると、すぐに舐めに行く。

(7)・・セン(ラブラドール・♂)、タブ(ラブラドール・♀)
 母親と息子、この2匹は、常に多めに与えている。それでも運動量が多いので、あまり肥満にはならない。
 食べるスピードだけをとれば、1番かも知れない。クサリから放されると、やはり他の犬の食器の確認に行く(せわしなく)。

(8)・・カザフ(サモエド・オス)
 発情しているメス犬がいなければ、非常に早い犬の1匹である。丸のみが得意技である。

(9)・・バルト(レオンベルガー・オス)
 大地に腹ばいになり、食器を抱え込んで食べる。雑なので、フードの粒が飛び出し、食べ終えたサインを示した時も、食器には粒が4〜50は残っている。これは、息子のカボスの舌によって舐めとられる。

(10・5匹)・・ベコ(ミックス・♀)、シバレ(柴・♂)、アラル(サモエド・メス)、マロ(サモエド・♂)、オビ(サモエド・♂)
 のんびりではあるが、何とかすべてを食べている連中である。舐めるようにとは行かず、食器は、ラーナやカボスに狙われる。

(15・残りのすべて)・・ミゾレ(柴・♀)、シグレ(柴・♀)、カリン(ヘアレス・♀)、メロン(ミックス・♀)、ベルク(レオンベルガー・♀)
 時々、残すこともある連中である。
 それでも、散歩の声がかかるまでは、他の犬が近づくと唸り、鼻に皺を寄せて食器を守っている。
 メロンとカリンは、散歩後に残りを与えると、2回に1回は、なんとかきれいに食べる。


 この順位は、メス犬たちの発情が始まらないかぎり、あまり変化はしない。
 その食べっぷりだけではなく、運動量と肉の付き具合の確認、催促の声の大きさ等々を考慮し、量を加減している。

 本夕、ラーナはジャーキーを一袋、盗み食いした。私に現場を見つけられた時の、こそこそとした様子が可愛かった。明日は、もう少し増やしてあげよう。これで、通常の3倍近くになる。



2003年07月13日(日) 天気:曇り時々晴れ間 最高:16℃ 最低:12℃


 浜中町の霧多布湿原で開かれている「エゾカンゾウ祭り」に、王国の犬たちとともに参加してきた。
 野の花の祭りに犬.....とは不思議な組み合わせにも思えるが、祭りを主催している協会の幹事のS氏が、私たちの古くからの友人であり、長い付き合いの時間の中で、植物、動物を含めて、命への同じ思いを抱く仲間として、心がぽかぽかになるイベントを企画している。
 犬たちと参加をしてから10年以上になり、いつの間にか、1年に1度、王国の犬たちの明るいステージを楽しみに来られる方も増え、私たちにも嬉しい祭りとなっている。

 浜中町から60キロ離れた中標津から私たちが出発する時、雲が割れ、暖かい陽光も差し込んできていた。
 しかし、大平洋に面した湿原に近づくにつれ、雲は低く、北東の風も強くなり、時々、霧雨がフロントガラスを濡らした。

 会場にはたくさんのお客さんが来ていた。町の名産の屋台やテントが並び、幻になってしまった鯨の肉も、かつての基地の町と言うことで、売られていた。その場で焼いて食べている人も多く、懐かしい匂いが漂ってきた。

 中標津、そして浜中の王国から参加をした20匹の犬たちの活躍は、あえて書かない。いつものように、いや、いつも以上に素晴らしい動きを見せてくれた。担当している仲間との絆を示してくれた。

 初めて大勢の他人の前でジャンプやフリスビーをしたワイマラナーのアッシュなども、場所や人ごみに臆することなく、時にユーモアを交えて仕事をしてくれた。
 私は、マイクを握り、機関銃のように言葉を撃ち出しながら、心の中でニコニコしていた。

 それよりも、気になったのは、祭りの大きな主人公である湿原、そして、その湿原を彩る花だった。

 結論から書くと、「寂しい」.....の一言である。
 これは、20年前、30年前を知っているからなのかも知れないが、かつて私がカメラを向けた押し寄せてくような野の息吹きは、どこにも感じられなかった。
 
 もちろん今年の低温を中心とした天候の問題も大きく関わってはいるだろう。
 でも、エゾカンゾウの近くに行き、咲いている花、太陽を待つ蕾を確認しても、やはり愕然なのである。
 そう、いくつかの株が集まってひとつのまとまりとなり、それが並んでいるのだが、株あたりの花(蕾を含む)の数が少なくなっている。けして葉は衰退していない、いや、逆に太く、青々と頑張っているのに、である......。

 では、何が変わったのか.....。
 あの1面がオレンジに埋め尽された頃に比べると、他の草が増えているのである。驚いた事に、湿原のかなり中までチモシーやススキや、名の判らぬ草が偉そうにしていた。

 実は、総面積が3000ヘクタールと言われるこの湿原は、大きく分けて2つに区別できる。
 ひとつは海から見ると奥の山側になる人間がまったく手を付けていな部分、そして、もうひとつは、かつて漁師の方が、コンブ運びの馬車用として飼っていた農耕馬を放牧していた海側の部分である。
 今、私たちがエゾカンゾウやアヤメ、カキツバタ、センダイハギの群生を眺めて、その見事さに言葉を失うのは、まさに農耕馬が放されていた所である。
 馬たちが嫌い、食べ残した植物が、人間の目と心を楽しませてくれる花々だったのである。

 これは釧路湿原を比較をすると良く判る。広さと未踏の豊かさが釧路湿原であり、そこでは、花は目立たず、時間をかけて詳細に眺めてこそ豊かさに気づく。
 一方、人間の生活圏のすぐ横に、びっしりと野の花のキャンバスが展開しており、ひょっとすると、目を閉じていても花の豊かさが見えるかも知れないのが霧多布湿原である。

 隣の厚岸町には「アヤメが原」という名所がある。20年ほど前に、ここでもアヤメが他の草に埋没してしまった事があった。その時、厚岸の方は、馬を放牧して、これに対処した。地元では馬が揃わず、王国の馬も頼まれて、何年か夏の間だけ放した事がある。
 もちろん、アヤメの群生は見事に復活を遂げ、現在も馬は放牧され、これも観光客に人気であり、一石二鳥の効果を上げている。

 実は、霧多布湿原でも、観光協会の方や、湿原を守ろうとする皆さんが、馬の放牧を計画した事がある。
 それに対して横やりを入れた、情けない、そして命の実際を知らない教条主義的な方がいた。
 以来、エゾカンゾウは、明らかに衰退を加速していると、私は思う。
 誰も、手つかづの地域に馬をいれろ、などと言ってはいない。かつて、以前、のどかに草を食べていた放牧地に....と願っているのである。
 
 最初のステージでマイクを握った時に、あまりにも寂しい花の様子に、私は犬たちの事を忘れ、15分も、そんな話をしてしまった。
 急に強くなった風と霧雨に、懸命にカンゾウの黄花が立ち向かっているのが、観客の頭越しに見えた。



2003年07月12日(土) 天気:雨のち曇り、そして雨 最高:15℃ 最低:10℃

 <2時10分>
 三毛ネコのエが、ソファの下に入った。そこは女房が作ったシートカバーがハンモックのようになっており、前回の出産の時も、エは利用していた。
 これは近いぞ、と言うことで、私は、そのソファの上で横になり、テレビを見ていたはずが、いつの間にか白河夜船...寒さで目を覚ますと4時過ぎ、エはハンモックの上で丸くなって眠り、外の雨は降り続いていた。

 <5時25分>
 エが大量の小便をトイレ用の砂タライでする。
 その後、私が冷蔵庫を開けているのに気づき、ニャ〜と優しい声で鳴いて催促をした。テーブルの上に垂らしてやる。

 <6時30分>
 女房が起きてきたので、私は居間の床の上に転がって、再びうたた寝をする。床暖房が心地良いとは、この時期になんと寒い朝だろう。
 エは女房のコーヒーにも付き合い、盛んにミルクを求めていた。

 <午前中>
 エは、主にネコ用爪みがきの上でうつ伏せの姿勢で寝ていた。小便に行ったのを2回、確認する。
 寄られた「ゆかいクラブ」のお客さんに甘え、首筋を撫でてもらおうとしていた。
 短い時間、ソファの下に入ったのも確認する。

 <13時〜15時30分>
 もっぱらソファの下で寝ていた。クラブの別のお客さんがみえた時だけ外に出て。コーヒーに添えられる小さなカップのミルクを狙っていた。

 <16時10分>
 外の作業のために私と女房は居間を出る。
 寸前に、臭いウンコをしたのを確認した。エはその後、ソファの下に潜り込んだ。

 <17時55分>
 居間に戻った女房が何かを叫びながら出て来た。

 『おとうさ〜ん、エが〜!!』

 それで私は了解した。

 『エっ、産んでるの〜?』

 犬たちの食器を洗っていた湯沸かし器を止め、ラーナの子犬たちの所在を確認してから、急いで家に帰った。

 『ソファの下から声が聞こえたの。覗くと、1匹生まれていて、次の陣痛が来ていた....』

 エの陰部から子ネコの全身が出ていた。すでに膜も破られている。しかし、胎盤はまだ中にあり、ヘソの緒が切られていないので、エが動くたびに子ネコが宙を舞っていた。
 私が引いてあげようと手を出しかけた時に、エがソファの下か出て来て、陰部を舐めようと首を廻した。
 その勢いでぶら下がっている状態の子ネコが遠心力で回り、それを追い掛けるようにエがまた回る。

 これはいけない、と思った時にヘソの緒が切れ、勢いのままに子ネコは30cmほど離れた床の上に落ちた。
 エは、まず陰部から出ているヘソの緒の切れ端と、そこの鮮血を舐め、そして子ネコに顔を近づけ、全身を舐め始めた。
 1分も経っただろうか、子ネコが口を開け、大きく呼吸をした。手足がもがくように動いた。

 その間、女房は1匹目の子ネコを手にとり、さかんにいじくり回していた。

 『オスみたいね、お父ちゃんに似ている。あっ、ヒゲがないか〜』

 『そっちの2匹目はエに似ている。どれどれ、う〜ん、この子はメスだと思う....』

 生まれたばかりの子ネコのオスメスの判断は、けっこう難しい。女房は、しつこく確認をしていた。エは、自分の子ネコを返してくれと、女房の手の中の子ネコの首をくわえようとしていた。

 <18時20分>
 2匹の子ネコが母親の乳首を見つけ、音をたてて飲み始めていた時に、また陣痛が来た。
 前足を突っ張る形で上半身を起こし、目を細くしてエは痛みに対処していた。腰は浮かせ気味になり、横腹を前から後ろへ、波のような筋肉の収縮の動きが伝わって行く。

 <18時29分>
 3匹目が生まれた。膜の中の子ネコは濃い黄土色に見えた。おそらく茶トラだと思った時に、エが膜を破り、そしてあっと言う間に膜を食べてしまった。

 今回は胎盤も同時に出ていた。ヘソの緒を切るよりも先に、エは胎盤を口を横にして食べ、徐々にヘソの緒の付け根に口を近づけていった。
 その間、子ネコは身動きをしていなかった。私は、念のために、乾いた布で子ネコの鼻を拭き、口の中をぬぐった。子ネコはイヤイヤをするように手足と頭を動かした。

 3匹目は、生まれて5分後には他の2匹とともに乳首に吸い付いていた。これほど早い子は初めてだった。
 エは、子ネコたちを舐め、そして自分の身体を舐めと、忙しく舌を動かしていた。面白い事に、舐める行動が起きると、大きなゴロゴロ音が始まり、舌が止まると、すぐに音も消えた。明らかに、舐める(可愛がる)事とリンクしている。

 <20時30分>
 3匹目から2時間が過ぎ、もう終わりかなと思いながら、いつもより1時間遅く、人間の食事となった。
 テレビのスイッチを入れ、阪神の点数にあきれ、いざ食べようとすると、食卓の私の左手側にネコが乗り、おかずを見つめている気配がした(私の目は右側のTVに向いていた)。
 
 いつもエがその位置に来て、隙あらば、私の箸がつまんでいるオカズや皿の上の食べ物を盗もうとしているのだった。
 
 「今日はだれだ?」
 と思って、TVから目を転じると、なんと今夜もまたエだった。

 『お母ちゃん、子ネコはいいの?もうお腹は空なの?生まれた3匹は大丈夫?....』

 女房があきれたよう言った。
 
 エは、私の目をチラッと見た後、すぐ前にあるベニジャケの切り身の方に前進しようとした。
 私は箸を置き、両手でエの腹を包み込むようにして、強めに指で探った。太いソセージのように感じる乳腺の他には、これと言った形あるものは見つからなかった。

 『3匹で終わりだね、思ったよりも少なかった。どれ、今日はお祝いだからあげよう....』

 シャケの切り身、チーズ、かまぼこ、そして牛乳がエの胃袋に消えた。
 いつも犬にしているように、両手を広げて...

 『はいっ、終わり、もうないよ!!』
 
 と言うと、エはゆっくりとソファに向かい、入り口で軽く首を傾げた後、中に消えた。

 <23時58分>
 3匹の尾の短い子ネコたちは、元気に母親の乳首に吸い付いている。丸くなったエの喉からのゴロゴロ音が、狭いソファの下に響いている。落ち着いて飲ませている時にも、この音は出る。
 
 100グラム、100グラム、そして3匹目がオスで115グラム。
 待望の短尾、曲った尾の連中、みんな元気に育ってほしい。
 



2003年07月11日(金) 天気:雨、雨、雨..... 最高:16℃ 最低:9℃

 
 昨夜からの雨は、しだいに豪雨状態になり、明け方には犬たちの小屋も東南アジアの水上ハウスのようになっていた。
 それでも小屋に入らずにシャワーを楽しんでいるのは、チロルで、名を呼ぶと、嬉しそうに顔を上げ、元気だよ....と目で伝えてくれた。

 もう1匹、小屋嫌いだったサモエドの子犬オビは、いつの間にか入ることを覚え、今日もしっかり利用していた。
 チロルよりも黒いオビに、天然シャワーを浴びてもらいたいのだが、なかなか人間の思うようにはいかない。

 そのオビの黒さを再確認する出来事があった。
 午後、知床から兄弟のレヴンが来てくれた。雨は降り続いていたが、この2匹の母親(アラル)の実家になるTさんが神奈川から来て下さっているので、おばあちゃん(失礼、Tさん)に顔を見てもらうために寄ってくれたのだった。

 レヴンを乗せたSさんの車が停まった時、30メートル離れた小屋に繋がれていたオビの尾が上がり、耳が一瞬倒れた後、すぐに前方に向けて緊張させ、上がった尾を横に振り、そして啼いた。
 他の犬たちも、「誰か来たよ〜信号」の一斉吠え声は出さず、この車の正体が分かっている対応を示していた。

 レヴンが降りる前にオビを離した。一直線に車に向かった。女房と私は、Tさん、同行しているAさんとともに、アラル、チロル、ラーナ、カザフのサモエドたちをクサリから解放した。

 オビは一心にレヴンだけを見つめ、挨拶もそこそこに飛びかかり、そしてレヴンの尾をくわえて遊び始めた。
 まず他の犬との挨拶をしようとしていたレヴンには大いなる迷惑で、彼女は困ったような顔をしながら、オビを引きずるようにして、母親のアラル、父親のカザフ、しつこく嗅いで来るチロルの鼻に自分の顔を寄せていた。

 一応の挨拶らしきものが終わると、もう2匹の世界である。刈り終えたばかりの広い牧草地で、レヴンが駈け、その尾をオビがくわえていた。

 『白い〜!!  オビは黒い〜!!』

 誰からともなく声が上がった。
 降りしきる雨の中で、サモエドらしいレヴンと、まるで山賊集団のような我が家の連中が心を弾ませて駈けていた。
 生後6ヶ月を過ぎ、レヴンは大人になったようで、前回までのようなはしゃぎっぷりは見せなかった。それに比べてオビは、ひたすらバトルを願い、レヴンを追い掛け、くわえ、叱られていた。

 しばらく6匹での時間を楽しんだ後、人間も犬も我が家に向かった。
 その時である。レヴンが耳を後ろに倒し、駈けた。
 彼女は、先ず、祖父であるマロの小屋に向かい、下げた尾を横に激しく振り、耳を倒したまま大袈裟に挨拶をした。次にカボス、カリン、シバレ。さらにぐるっと見渡した後、センに駆け寄り、サークルにいるベルクに向かい、そしてタブ、タドン、ミゾレ、シグレ、ダーチャ、ベコ、メロン......。

 要するに、すべての犬たちに挨拶に行ったのだった。
 正直言って、こんな犬はまだ見たことはない。我が家の前庭は、まさに石川家群団の縄張りであり、本拠地である。そこには他で飼われている犬には、大いなる恐怖を感じる空気(吠え声、匂い等)がある。
 それを乗り越え、自分の存在を相手に知らしめ、受け入れさせてしまう知恵がレヴンには備わっていた。
 
 サモエドという犬種の特性もあるだろう。我が家で生まれ、多くの犬に揉まれて育った出自もあるだろう。
 しかし、何よりも私は(女房もレヴンが帰った後にシミジミと言っていたが....)、Sさん夫妻のレヴンへの対応の仕方だと思う。
 それを一言で言うならば、
 『いいかげん』
 となるだろうか......。

 多くの飼育書が脅迫してくる「教条主義的飼育法(こうあらねばならぬ)」ではなく、その時の雰囲気、勢い、流れを大切にする....そう、まさしく生き物として共に生きている姿なのである。
 これは、実は犬自身に、考える事、自己判断からの行動を促す重要な事である。

 居間に入ったレヴンは、普段の生活では出会わないネコたちとも上手に付き合い、初めて会ったチベタンスパニエルのペコーとも、身体の大きさの違いを認識した遊びをしていた。

 良い少女になったレヴンを前に、私と女房、そして祖母のTさんは、ただただニコニコとしていた。

 雨は、レヴンが帰るまで降り続き、帰りの車に乗る前に、再度、すべての犬に挨拶に行ったレヴンは、少し、オビの色に近づいていた。
 
 



2003年07月10日(木) 天気:曇りのち雨 最高:16℃ 最低:12℃

 湿った南東の風が真南に回り、夕方からは雨が降り出した。
 昨夜のうちにラーナの子犬たちは車庫に引越していた。寝る場所には寝藁を敷き詰め、今までの3倍の広さの運動場を作った。その1部は車庫から飛び出している。
 まあ、初めて体験する空からの冷たい水を感じれば、自然に身体に当たらない車庫内に入るだろう、と思っていたのは間違いのようで、かなり強い降りになっても嬉しそうに遊んでいた。見兼ねた女房が、運動場を狭め、シャッターを下ろしてしまった。
 いくら元気な子犬たちとはいえ、まだ雨と濡れた大地で泥だらけにはさせたくない。

 『おとうさん、エは寝てばかりになってきたよね!』

 女房が独り言のように呟いた。その視線を辿ると、床に置いてあるネコ用爪トギの上で、ツチノコがつぶれたような形で伏せているのが見えた。

 『そう、さっきはネコタワーの箱の中で、匂いを嗅ぎ、グルグル回っていたよ...』

 私も気づいた事を付け足した。

 『さっき、もう一度計算をしたら、11日から14日頃が出産予定日になる....』

 今回のエの結婚の相手は、キツネ舎のオスネコであり、エが嫁いだ。従って、横で24時間見張っていたわけではないので、最初の交尾の日を特定できない。時々、観察に行った時の様子から判断をして、この期日が出て来た。

 明らかな兆候も、今日は特に目立った。
(1)よく寝る。
(2)小便の回数が増えた。
(3)人間の夕食の時に、あれほどイヤシイ仕草を見せていたエ
   が、今日は、床で寝て見上げていた。
(4)前述のタワーの箱(30センチ四方、高さ20cm)の中
   で、場所を確認し、しばらく丸くなっていた。
(5)乳首をつまむと黄色がかった半透明のミルク様の汁が出た
   (初めての出産なら、すぐに御産の準備となる印だが、エ
   は2度目なので、数日前で出る可能性がある)。
(6)他のネコが身体を寄せてくると、静かに身をひいた。
(7)時々、室内をウロウロし、ピアノカバー等の布の後ろを確  
   認していた。
(8)腹の膨らみが目立って大きくなり、腰骨の部分に窪みがで  
   きてきた。

 これらを総合しての結論は一つ.....
 
 「出産は近いですね〜!!」
 
 である。

 待ち望んでいた誕生の場を、油断で見逃すことほど悔しいことはない。従って、今夜から私はソファにクッションを置き、灯りをそのままにして横になっている。
 ざっと眺めて出産場所にしそうな所が確認できるように邪魔なテーブルの位置を変え、いつでも来い、の体勢である。
 後は、月満ちてのエの体内での内分泌の大変化(プロジェストロンからエストロジェンへの主役交代)を待つだけである。
 
 それにしても、出産1日前からの妊婦の体内での変化は、驚くべきものがある。それまでは胎児を大切に抱え込む体勢に働いていた内分泌機構が、まるで無理矢理に押し出すように変化するシステムは、男の私には革命としか思えない。
 
 さて、エはどうしているか、見てこよう.....。



2003年07月09日(水) 天気:曇りのち霧雨 最高:15℃ 最低:9℃

 「おとうさん、カラスが死んでる....、誰がやったのかな、羽が散らばっている....」

 目を覚まし、階下に降りて自分でコーヒーの用意をしていると、女房が窓の外を見ながら言った。

 「ヒナだろう、昨日、メエスケの柵に1日中止まっていた子だと思うよ」

 冷蔵庫から牛乳のパックを取り出した私に、ニャーニャーと催促の声を出してまとわりつくハナとカールとエを左手で防ぎながら、何とかアイスコーヒーに牛乳を入れた。
 間もなく出産のエにだけは、ほんの少しだけと、パックを傾けて垂らそうとしたその時、身体の大きなレオが肘にぶつかり、多量のミルクがこぼれた。 
 今日は、ネコたちには良い日かも知れない。

 しかし、カラス、それもこの間、巣から出たばかりのヒナガラスにとっては、今日は最悪の日になったのだろう。
 勝手口からサンダルで死体の所に行ってみた。
 横倒しになった死体に、酷い傷、致命傷のようなものは見つからない、ただ、全体に小さく、そして身体の厚みが感じられなかった。

 横にはクサリをいっぱいに張り、何とか近づこうとしているオビがいた。死体からは2メートル、オビが襲ったのでもない、鳥を狩る名人のネコのアブラは、夜間、動物用の台所に閉じ込められているので、犯人とはならない。

 「お〜い、体重を測って.....!」

 女房に声をかけ、その数字を待った。

 「500グラム、う〜ん、ないかな、もう少し軽い...」

 私は頷いた、

 「やっぱりね.....。昨日から様子がおかしいと思って見ていたんだ。親ガラスが餌を与えているところを見ていないんだよ...。普通ならば、うるさいほどに口移しの時のフギャフッギャフギャ声がするのに...」

 「巣を出て間もない時期としては、異常に軽過ぎる、栄養失調だったと思うよ、それに、他の原因が合わさっての衰弱死かな..」

 「羽が少し散乱しているのは、親が来て触れたとか、他の鳥かな....」

 ヒナの死体を前に、そんな話をしていると、突然、横のハンノキの上からカラスの声が聞こえた。我が家とは数年の付き合いになるハシブトカップルの父のほうだった。
 
 このような状況では、子ガラスの近くにいる人間を襲っても不思議ではない。しかし、父カラスは2メートル上の枝に止まり、ギャ〜と濁った声で鳴いているだけだった。

 2週間ほど前から、このカップルは3羽のヒナとともに庭に出現していた。犬やニワトリ、ヤギの餌を横取りしてはヒナに運び、上手に受け渡しをしていた。
 それが、昨日に限ってヒナは1羽であり、その周囲に親の姿が見える時間が少なかった。
 何が起きていたのかは不明である。だが、尋常ではないのは感じられた。
 だからと言って、ヤギのメエスケの柵木などに止まっているのを、すぐに捕獲するわけにはいかない。あくまでもハシブト一家の行動を見守るのが重要である。
 今回は、残念ながらヒナは命を落としてしまった。これも摂理の中と考え、残りの2羽の成長を期待するべきだろう。
 
 午後、別のヒナが1羽、メエスケの柵に止まっていた。嘴の端にピンクともイエローともつかない薄い色、これがヒナの目印になる。
 発見をして2時間が過ぎても親ガラスの姿が見えない。またか....と思い始めた頃に、ようやく母親が飛んで来た。
 私はポケットのジャーキーを3センチほどの長さに折り、数本を犬たちの口の届かない所に投げた。すぐに母ガラスがくわえ、そして待ち続けていたヒナの横に止まり、上手に口移しで与えた。

 何故、3羽のヒナが別れる事になったのかは不明である。しかし、ハシブトのカップルが、今、重要な時期を迎えているのは間違いない。
 いつの間にか、お前たちも仲間のような気がしている、『ガンバレ』と言いたくなる私だった。



2003年07月08日(火) 天気:完璧なる快晴 最高:22℃ 最低:8℃



 ラーナの子犬たちの間で、『ターゲット遊び』...(私が名付けた)が始まった。別の言い方をすると『いじめごっこ』となるのだろうか、要するに1匹を他の連中が咬んだり、乗りかかったり、くわえて振り回したりする遊びである。
 この行為こそが、将来の心の健康な犬作りに欠かせないと思っている私だが、同じ事が今、読み返しているオオカミの厚い本に書かれていた。

 本当の真剣勝負になると、簡単に相手を傷つけ、時には殺してしまう能力を備えた生き物ゆえに、互いの肉体の接触をゲームに置き換えて、同種間の殺しあいを防いでいる。
 それを会得する重要な学習が、幼い頃の(まだ相手を殺すだけの力のない頃の)、取っ組みあいであり、集団によるいじめである。

 これがゲームであるのは、毎日、いや、この行動が発生するたびにターゲットになる子犬が替わる事で判る。時には、行っている最中にすり替わっているいいかげんな事もある。
 とことん1人を追い詰める人間の陰湿なイジメとは異なり、この『ターゲット遊び』は、あっけらかんとした祭りのようなものである。

 しかし、生後4ヶ月を過ぎても兄弟を一緒にしておくと、100パーセントと言いきれるほどの確率で、真のイジメが出現する。『負け犬』の確定である。
 もし、兄弟全ての犬が強気だったとすると、それこそ連日、血の海を見る事も不可能ではない。
 従って、兄弟を強制的に分け、新しい飼い主のもとに旅立たせる時期は、2ヶ月半以上4ヶ月以内が、私の理想である。

 今日、1時間付き合って観察した6匹のラーナの子犬たちでは、先ず、昼寝から先に目を覚ました子が、小便を所定の場所で済ませた後、ウロウロとしながら、まだ寝ている兄弟の側を歩く。それに反応して首を上げた子が、最初にターゲットにされた。
 その物音と動きに目を覚ました子が、今度は前の2匹に襲われた.......。

 と、言うように、まるで順送りの「長寝罰則ゲーム」であり、寝起きのモヤモヤを解消してあげているようにも見えた。
 やがて6匹全ての子犬が目を覚ますと、今度は、ターゲットが生き物から小枝や育児箱の角、棒切れや大きな石に移り、それぞれに自分の遊びを始めたのだった。

 そのうち、もう少し心と身体能力が発達すると、このゲームになる前に、それを避ける手法(自分からの挨拶)を覚え、犬としての社会性に磨きがかかり、自分も他の犬も安全に交流する事が可能になる。

 人が横にいる時に、犬が家畜としての犬であり、人を見つめるのは当たり前である。
 「24時間、1秒たりと離れずに愛犬と暮らす事が出来ます」と言う方には不要かの知れないが、犬が、生き物としての犬になる事ができる「犬だけの時間」「犬と犬との時間」のために、今、おおいに6匹の『ターゲット遊び』を応援したい。
 どんなに悲鳴が上がろうとも、間に入り、仲裁などをしてはいけない時である。

 



2003年07月07日(月) 天気:晴れ時々曇り 最高:19℃ 最低:9℃

 事実は時々私たちを大いに驚かせる。
 今回のケースも、まさか.....であり、やっぱり..でもあり、そして真正面から事実を受け止めるしかできない。

 サモエドのラーナの6匹の子犬の素性が決定した。

 2匹がサモエドのレオを父とする子であり、残りの4匹がラブラドールのセンが父だった。

 6月4日に産声を上げて以来、私と女房は悩みに悩み、様々な思いで揺れていた。
 もともと私の油断から、本来あってはならぬ他犬種(ラブラドール)のセンとの交配を許してしまったのが発端だが、それを含めて、責任をもって命を見つめてきたつもりだ。

 目が開き、耳が開いた時には98パーセントの確率でサモエドと思った。しかし、さらに成長を続けていくうちに、2匹と4匹で微妙な違いが出て来た。
 
 先ず、耳の大きさと位置が異なって見えた。次に、大きな耳の4匹は、耳たぶにイエローの色が縁取りのように出て来た。一方の2匹は、全身が白い毛であり、耳は小さく、過去のサモエドの子犬の写真と同じ姿だった。

 やがて離乳食が始まり、外で元気に動き出すようになると、今度は毛の感じにも違いが出て来た。4匹は毛がサモエドにしては短く(ラブの子犬よりは長いが)、櫛を入れたようにきれいに揃っていた。
 残りの2匹は、柔らかく長い毛が覆い、それはすぐにクセがついた。

 そして、瞳である。2匹はサモエドらしく小さく眩しさをこらえるような目をしていた。4匹は実にツブラで、何でも判っているような瞳だった。

 1日1日の成長を見守りつつ、日ごとに大きくなっていく差異に立ち向かい、科学的な手法も取り入れて、今日、私は『多重婚』の結論を書くことになった。

 かつて、王国では1例だけ経験がある。母親はパグのモモコであり、子犬2匹はパグ、そして残りの2匹の父はビションフリーゼだった。

 これは、極めて難しく、神が決める領域と言ってもよいかも知れない。 
 たとえ犬種の異なる2匹のオス犬が連続して交配したとしても、膣から子宮口、そして子宮内では、互いの精子同士の熾烈な闘いが起き、共同して卵子に向かう事はありえない。
 様々な困難を打ち破り、2匹の父親の子を受胎し、そして見事に産んでくれたラーナには、私は感謝しなければならない。

 とにもかくにも、悩んでいたことに結論が出たからには、命の営みそのものに感謝し、明日からも笑顔で子犬たちを見つめ、この手に温もりを感じていこう。

 そう、今度の6匹は、見つめ過ぎたためか、また一段と可愛い連中なんである。
 彼らは、今日、私の指から初めてジャーキーを食べてくれた。



2003年07月06日(日) 天気:曇り時々晴れ 最高:20℃ 最低:6℃

 1ヶ月以上前から、柴犬のミゾレはニワトリ小屋に下宿している。そもそもは、隔離柵などが満杯になり、全ての生き物に安全だからとミゾレをニワトリの仲間に入れ、彼女の小屋を娘のシグレに貸し出した。

 すると思わぬ効果と言うか、素晴らしい事が起きた。
 我が家を林の中に建てて14年目になる。
 4年前まで,出没するネズミは林間や原野に多いエゾヤチネズミだった。尾が短く吻の詰まった小さな姿は、まるで愛玩動物のような愛らしさである。
 もう1種類よく見かけるトガリネズミも、身体が小さく動きも鈍く、けして「キャーネズミ!!!」と大声で叫ぶほどのものではない。

 しかし、どこからともなく新しい人類の棲み家の出来た事を嗅ぎつけ、ドブネズミがやって来るようになった。
 もちろん、我が家の犬たちが見逃す事はない。その気配を知ると、サモエドや柴などのスピッツ系の連中は、夢中になって狩りに励んだ。

 そこでドブネズミも会議を開いて対策を考えたらしい。
 そして狙った場所が、犬の立ち入り禁止になっていたニワトリ小屋だった。いつの間にか、床の土には穴が開き、ニワトリの餌だけではなく、時には卵までも盗んでいくようになっていた。

 今回、宿を娘に貸したためにニワトリとの同居となったミゾレは、自分の生活空間の改善に取り組んだ。1日中、ドブネズミの出入り口を掘り進み、私が確認しただけで、大人のドブを6匹、そして、最後には体長6センチほどの子ネズミを10匹と、その母親を殺した。

 このホロコースト(ドブたちにとっては)以来、小屋にも運動場にもドブネズミ出現の印は何もない。
 ミゾレは殺したネズミを食べる事はなかった。とにかく狩りの心が、そうさせているようで、死体は我が家に居着いているハシブトカラスがくわえて行った。
 懸命に穴を掘った時に土が目入り、今でもミゾレは右の目から多量の涙が出ている。良くなかなければ治療も考えなければならない。

 そんな大活躍をしたミゾレが、また新しい仕事に取り組んでいる。
 10日前からウコッケイが卵を抱き始めた。今回はまかせてみようと、女房は卵を回収せずに、逆に車庫で暮しているウッコイが産んだ卵も加えて抱卵をさせている。

 4日目から、小屋に住むオンドリたちが運動場によく出ている事に気づいた。逆にミゾレの姿が運動場から消えている。

 運動場と小屋の中がよく見える所で観察をして事情が判明した。
 何と、ミゾレは40センチほどの高さで作られている産卵・抱卵用の棚の前で、近づこうとするオンドリや、卵を狙いに来るカラスに対して、唸り声とダッシュで抱卵中のウコッケイを守っていた。

 女房が、
 「ミゾレ、頑張ってね、カラスに卵を盗まれないように見張ってね...」
 と冗談で言っていたが、それが現実の事となっていた。

 小屋の入り口で胸を張り、周辺を見渡し、時に、横になりながらも耳で気を使っているミゾレは、相応しい仕事を手に入れた自信がみなぎっている。



2003年07月05日(土) 天気:晴れ 最高:21℃ 最低:8℃

 牧場の前、そう、我が家から100メートルほどの所を横に走っている道は、昨年、全面的に舗装になった。
 すると、国道と道々の抜け道として利用する車が増え、おまけに裏道で直線と言う事で、平均でも90キロ近くで流れている。いつの間にかエンジンの唸りを覚えてしまい、その音を聞いただけで、女房と私が思わず顔を見合わせる赤い〇ォレ〇ターは、毎回、確実に100キロは出している。

 そんな恐い道になってしまった生活道路だが、時々、我が家への取り付け口あたりで急にスピードを落とす車もいる。
 その音を聞いた時も、実は私たちは緊張する。5年前だったら、我が家の犬たちの事故を考えただろう。でも、最近は、群れ全体の文化として、道に出ることはなくなり、必ずテリトリー内(牧場の敷地内)で動いてくれるので心配が少なくなった。

 では、何が緊張の元なのか....。捨て犬、捨てネコである。
 特に、スピードを緩めた車がそのまま通り過ぎたと思ったら、再びUターンをして来ることがある。これは警戒警報の段階を上げなければならない。
 庭にいる時ならば、なるべく道からこちらの姿が見えるようにと、さり気なく道の開けた所まで走る事にしている。

 今日、10数匹の犬たちと、牧草の刈り取りが済み、見通しの良くなった牧草地で遊んでいた時に、1台の車がスピードを緩め、そして、ついには取り付け道路の所で停まった。
 私は、ベコやダーチャを呼び、ジャーキーを与え、遊んでいるように見せながらも、心のアンテナは白い車に向けていた。

 ドアが開き、男性が運転席から出て来た。
 すでに存在を感知していた犬たちの中から、センとオビが嬉しそうに駆け寄って行った。
 男性は、飛びつかれたにもかかわらず、両手で2匹の相手をしていた。
 これは、他の犬たちに、すぐに伝わる、

 『お〜い、いい人が来たぞ〜、何か楽しそうだぞ〜!!』

 たちまち、残りの犬たちも車の方へ駈け始めた。仕方がないので、私もついて行く。

 「こんにちは〜、可愛いですね、この子たちは......」

 思ったよりも男性は若そうだった。30代中ごろだろうか。

 「いつもこの道を通るんです、運がいいとこの子たちの姿が見えるんで、楽しみにして.....」

 次から次ぎへと挨拶に寄って行く犬たちに声を掛けながら、私は男性を話をした。
 男性は釧路の方だった。根室管内を営業で回っているらしい。以前は国道を使っていたが、3ヶ月ほど前にこの道を発見し、さらに我が家の犬たちの散歩風景と出会い、以来、朝夕、少し回り道の時でも、必ず通過しているとの事だった。

 「今、マンションで、おまけに単身赴任....犬が飼えないんですよ、家にはいるんですけど、こっちじゃ寂しくて....」

 さすがに、車を停めて降りて来た方である。犬たちの扱いが見事であり、何よりも「犬が好き」という雰囲気が、我が家の犬たちの警戒心を解き、ニコニコ笑顔を作り出していた。

 しばらく、犬たちのことを話し、カボスのヨダレの付いた服で男性は釧路への帰路についた。

 通過する車が、せめて60キロまでスピードを落とし、広い牧草地で遊ぶ犬たちがチラッとでも目の端に入れば....そんな事を考えた出会いだった。
 

 

 



2003年07月04日(金) 天気:晴れ 最高:18℃ 最低:8℃


 先日から我が家に婿入りをしていた柴犬のリキが実家に帰った。今まで、数多くのオス柴に会ってきたが、リキほど性格の良い子はいなかったように思う。
 あっ、もちろん我が家のシバレを除いてである....ごめん、シバレ。

 先ず、メスに対してジェントルであり、且つヤル事はヤル....と言うしっかりとしたタイプである。先週の月曜日から何と10数回の結婚を成し遂げたつわものである。

 人間に対しては、絶えず瞳と心を向け、何をすべきかお聞いてきた。隔離柵からの散歩の時にも、必ず戸口でリードを着けられるのを待ち、朝夕の散歩まで大便はこらえていた。
 
 歩いている途中で人間が停まると、何ごとかと振り返り、私が左のポケットに手を入れる仕草をすると、尾を振りながら寄ってきて、ちょこんとお座りをして見上げた。
 これも、教えたわけではない、一緒に歩くシグレの動を見て、自分で判断し、1日でできるようになった。

 柵の中には2つの小屋が置いてあったが、リキとシグレのカップルは、必ず2匹でひとつの小屋に入っていた。
 先にシグレが小屋を選んで中で落ち着くと、耳を軽く倒し、シグレの口元をなめながら、ゆっくりとリキは入って行く。時々、シグレに口を開けて怒られても、けしてめげずに、スロモーションのように侵入し、シグレの背に寄り掛かるようにして寝るのだった。

 もちろん、こんな事が許されるのもシグレに発情が来ているからである。しかし、発情期にすべてのメスがオスの密着をOKするわけではない。リキの尽す態度が、シグレのストレスを和らげたのだろう。

 夕方、隣町の実家へ帰るためにリキだけにリードを着けて柵から出すと、残されたシグレは、いつまでもせつない声で啼いていた。

 素晴らしい子ですね....と飼い主のYさんに御礼を言い、子犬が生まれたら、ぜひ寄って下さいとお願いをした。
 帰りの車の中には、かすかにリキの匂いが残っていた。そして、リキが座っていた後部座席には、ひと抱えもある大きなキノコが乗っていた。
 それは、Yさんが山で見つけてきた天然のタモギタケだった。初夏の味を、炒めて、汁に入れて、そしてサラダで食べた。栽培されている小さな物とは異なり、しっかりとした味と歯ごたえがあり、美味だった。



2003年07月03日(木) 天気:快晴 最高:19℃ 最低:7℃


 
 先ず、「ムツゴロウゆかいクラブ」の会報誌「LOOP」の編集長(私だが...)からのお願いを書かせていただこう。
___________________________

 LOOP122号の「みんな仲間だ!」のコーナーでも告知をさせていただいているが、今、会員の皆さんからの写真と文章を募集している。
 しかし、少し、数が足りず、編集長は頭を抱えてタバコばかり吸っているとか.....(値上げになったのに)。

 と、言う事で、編集長個人のページですが、ここでもお願いをさせていただきます。

 『この変な顔、見て下さい!!』
 との趣旨で、会員の皆さんの飼われているペットの愉快な(ヘンテコな)写真を大募集中!!
 100字ほどのコメントとともに7月10日までに送っていただけると助かります。
 このHPのウブ宛へのメール、もしくは下記あてに郵送願います。

 〒 086-1136
 北海道 標津郡 中標津町 協和 27-35
   ムツゴロウゆかいクラブ事務局 「みんな仲間だ」係

 よろしくお願いいたします。

_____________________________

 さて、7月3日の日記である。
 快晴になったのである。
 空はどこまでも青く澄み渡り、風は東なれど緩く、爽やかさを伴い、北から西にかけて遠望できる山並に、わずかに白い雲が確認できた。

 牧草大臣であるツンちゃんは、大型トラクターで母屋前の牧草地の刈り取りに励み、トビとカラスは、美味しいカエルが捕まえ易くなったとばかり刈り跡の上を飛翔し、しばらく声の聞こえなかったハルゼミが横の林で騒いでいた。

 そんな好日、アラルの発情もピークに差し掛かり、見事にカザフと結ばれた。
 昨年の暮にオビなどを出産しているが、産後の肥立ちにも問題はなく、獣医の勧めもあり、今回、このカップルで2度目の結婚をさせることに決めていた。

 日が西に傾き、少しは暑さが和らいだ夕方、2匹は母屋への道の真ん中で結ばれた。通りかかった車やトラクターのドライバーが、徐行をし、ニコニコとして眺めて行った。

 昨日から、カザフは餌を一口も食べていない。まさに出番を知っているかのように、アラルの動に全神経を向け、せつない声で啼いていた。
 18分間、結ばれた後、その場に腰を下ろして持ち物の手入れを行い、出っぱなしだった舌と呼吸が収まると、ようやく私の差し出したジャーキーを食べた。
 あと数日、他のオス犬たちの悲鳴に似た声を聞きながら、カザフの男の証明は続く。

 前回の5匹の子犬は、自慢の子供たちになっている。
 昨日、オビの体重を測ったところ、25.5キロだった。大阪のプラム(メス)は22キロ、知床のレヴンは20キロ、そして東京のアラレも間もなく20キロだろう。
 生後6ヶ月、実に順調な成長である。ただ、それぞれに口が達しゃ(齧るのが....)と、苦笑いも聞こえているが、これまた通過しなければいけない道と、実家の私と女房はニコニコと笑顔である。

 その弟妹.....。
 交尾が成功であれば、9月初旬に生まれ、紅葉の時期に庭を駆け回るだろう。
 すでに、私の脳裏には、その光景が浮かんでいる。そうそう、そこには柴のシグレの子犬も、「エ」の三毛の子ネコも揃っている.....。

 



2003年07月02日(水) 天気:またまた曇り 最高:15℃ 最低:8℃


 三毛ネコの「エ」の動きが変わってきた。大きな腹をしていながら、やたらと女房の肩に乗ろうとする。肩まで駆け上がる事が
できない時は、まるでしがみつき人形のように、女房の胸にぴたりと身体を寄せ、頭を女房のあごの下に入れ、目を細くしている。

 出産まであと10日ほどだろう。急激に胎児が大きく成長する時期に差し掛かっている。乳首の周辺の毛は直径1センチの円状に抜け、ピンクの突起が鮮やかに見える。
 もう普通のネコのようにうつ伏せで丸くなる寝方はできない。横座りを延長したように、腹を突き出す形で転がっている。
 背に何か支える物があると楽なようで、ソファの背や、テレビ台に寄り掛かようにして寝る姿もよく見る。

 前回は4匹の子ネコを産んでくれた。それもヤンママとしての御産だった。今回は、女房と私の期待を乗せた出産である。できれば短尾・曲り尾の三毛ネコの顔が見たいものだ。

 食欲はもの凄い。冷蔵庫を開ける音が聞こえると、どこからともなく出現し、小さな声で鳴いて催促をする。牛乳のパックを取り出すと、いっ時も目を離すことはできない。たちまち倒して飲もうとするからだ。

 静かに床の上で寝ている「エ」を見ていると、大きく張り出した腹部で、ピコピコと動くのが判る。子ネコが確かに生きている。そっと手を添えると動は収まり、「エ」の呼吸に合わせて緩やかに動くだけだ。

 今回も、特別な産箱等は用意しないことにしている。ソファの下、皆が使っている汚れたベッド.....好きな所で産んでくれるだろう。
 楽しみな日は近い。

 
 茨城から1通の便りが届いた。
 パグのNさんからだった。Nさんがパグに似ているわけではない、日本では数少ない長い歴史をお持ちのパグの愛好者である。
 実は、20年前に映画「子猫物語」の撮影を開始した時に、王国の私たちは、たいへん御世話になっている。主演をしたパグのプースケをはじめ、出演のパグは、ほとんどがNさんのところからやって来た。

 1年前に、Nさんは、『ぱぐ人形館』をオープンされている。私の家にも飾ってあるが、素晴らしいパグの人形をNさんは時間と愛情を込めて作られている。それを個人博物館として公開されたのである。

 残念ながら、私はまだ伺ってはいない。パグひとすじに打ち込んでこられたNさんの愛情が、人形の中に凝縮され、ゆかいで楽しい博物館だろうと、いつの日か、この目で見る日を楽しみにしている。

 今日、届いた手紙には、「この7月から展示替えをしました」......と記され、1枚の写真を添えて下さっていた。それは、思わずニコニコとなる写真だった。
 
 ここで内容を説明するのは難しい。あの素晴らしいパグという犬、その素敵な世界を人形を通して多くの方に見ていただきたいと思い、勝手に広報課をさせていただこう。
 
 『ぱぐ人形館』

 茨城県 新治郡 八郷町 小山田(鯨岡)367-3
  
  開館日   金曜日、土曜日、日曜日
  開館時間  午前10時〜午後4時(冬期は午後3時まで)
  入館は無料です。

 交通
 JR常磐線石岡駅〜バス柿岡(30分)〜タクシ〜(10分)
 JR常磐線石岡駅〜タクシー(約25分)
 常磐自動車道 千代田石岡インターより柿岡経由(約30分)



2003年07月01日(火) 天気:ひたすら重い雲 最高:14℃ 最低:9℃

 
 夕方の犬たちの散歩の時のデータである。

           大便        小便
(オス)(睾丸)
マロ   有り     1        20
カザフ  〃      3        17
セン   〃      1        21
シバレ  〃      1        17
タドン  〃      1        15
リキ   〃      1         9
オビ   〃      1         3
チロル  無し     1         8
バルト  有り     2        11
カボス  無し     3         3     
_____________________________
(メス)
ベルク         1         2
ラーナ         2         3
ダーチャ        1         2
アラル         1        12
タブ          1         1
カリン         1         3
ベコ          1         2
ミゾレ         3        21
メロン  避妊済み   1        18
シグレ         1        12
_____________________________

 今日は、5回に分け、数匹ずつのグループで散歩を行い、それぞれの行動が把握できるようにした。
 発情中のシグレ、ミゾレ、アラル、そして婿入り中のリキと、群れに入っていないバルト以外は、すべてフリー散歩である(敷地内である)。

 *表と重ね合わした、今日の観察記は下記のようになる。

(1)睾丸のないオス(去勢済み)と生後6ヶ月の子犬は小便の
   回数が少ない。
(2)現役の種牡犬たちは、あちらこちらの匂いの確認の後、自 
   分の尿でマークをするために、じょ〜とは出ず、ポタリポ
   タリを何度も繰りかえしている。
(3)メスの場合はもっと極端で、発情期ではない犬は、長い小
   便を、多くても数回で済ます。まさに排せつ(排尿)であ
   る。
(4)しかし、発情中の3匹は、ポタリポタリの尿を、頻繁にふ
   りまき、男を誘う武器として尿をい有効に使っている。
(5)高齢(推定14〜16歳)で避妊済みのメロンは、オス犬
   と同様に、あちらこちらの匂いを嗅ぎ、自分の尿でマーク
   をするので回数が多い。
   その際、片足を軽く上げて3本足で行っている。ポーズも
   オス的である。この形は避妊をしていなくても老いたメス
   犬でよく見られる。性ホルモンの支配化にあるのだろう。
(6)マロ、カザフ、シバレ、セン、リキにおいては、小便の後
   4本の足(特には後ろ足)を使って後方に土をかき出す行    
   動を行った。
   これは、ネコのように埋める行為ではなく、逆に自分の匂   
   いを、まき散らし、広げて、他の犬に気づかれやすくする
   為である。「ここにオレがいるぞ!!」と言っている。
(7)カザフの大便の回数が多いのは、発情中のアラルと一緒に
   散歩をしたためである。興奮は腸の動を活性化し、直腸に
   圧力を加え、便意を誘発する。
   ミゾレも発情のなせる3回ウンコである。
   しかし、カボスとラーナは、単なる大食いのためである。
____________________________

 何気なく見過ごしたり、ひたすら回収に気を使うだけの大小便だが、そこには犬たちのドラマ、生きざまがある。
 我が家から100メートルの所に、ほとんど全てのオス犬が小便をかける大きな石が道端にある。いや、オスだけではない、時には我が家のメス犬たちも嗅ぎ、小便をすることがあった。
 
 しばらくして原因が分かった。
 その石は、時間差でフリー散歩に来ているムツさん家グループの最前線に位置し、そこまで来たテリーたちが、証拠として尿をかけていた物だった。
 それを、我が家の連中も毎日確認し、尿の上塗りをしていたのである。
 
 多勢に無勢である、テリーたちは、その石をギリギリの行動圏の目安としていた。そこまで来る事で、テリトリーの確認としていたのだろう。
 比べて、力と数の大きい我が家の群れは、ムツさんの家の前、時には玄関の中まで侵入し、尿をまき散らしている。
 これは、テリーたちには、かなりのプレッシャーだと思う。
 ごめん、母屋のみんな!!

 さて、明日はどんな大小便が見られるのだろうか、楽しみである。