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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2003年08月31日(日) 天気:曇りのち晴れ 最高:22℃ 最低:12℃

 ある時期を境に、道東のドサンコ(道産馬)が急激に減った。いや、この書き方は間違いだ、競馬大会に参加をしてくるような、使われているドサンコが少なくなったとすべきだろう。
 この原因が、情けないと言うか、当然と言うか、あのバブルで、何と、この馬で儲けようと思った商社があったのである。
 彼らは札ビラで馬を買い集め、肉と乗用としての活用を企てた。その後の事は書く気にはなれないので省略するが、王国の馬たちと競馬大会で競い、楽しむドサンコが急激に減った事は事実である。

 バブルは弾けても、あの時の後遺症は今も残る。28回目を迎えた今日の地元「中標津馬事競技大会」も、この数年の傾向のままに、ドサンコの参加の少ない大会となってしまった。

 だからこそ、私たち動物王国は笑顔で、そして賑やかに参加を続けている。今、日本の国で、3歳の子から間もなくお迎えの方まで、だれもが安心して乗る事のできる馬は、ドサンコしかいないと言っても過言ではない。そんな馬をアピールしたいのである。海外から高い馬を買わなくても、古来から日本の風土と人に馴染んだ、素晴らしい国馬がいると.....。
 確かにスマートではない、スピードもそれほどない、大きくもない、鋭利な神経も少ない....だからこそ、乗っても安心感があり、餌は粗食で済み、ほとんどケガもせず、300キロを背に乗せられ、そして、人間に心を寄せてくれる。

 今日の大会には、私も参加した。
 第9レース・ムツゴロウキャンターレース(1000m)である。
 昨年は、初めて跨がったモタロウで思わぬ出来事を演じ、皆さんの笑顔をいただいた。あれは、けしてシナリオにあったわけではない、私が望んだわけでもない。
 今年こそと、颯爽と先頭でゴール板を駆け抜ける我が姿を想像しつつレースにのぞんだ。

 馬はヤヨイだった。純粋のドサンコで白い毛、そして青い目、佐目毛と言われる毛色の熟女である。
 すでに20歳を超えているが、若い時から快速馬と言われて来た姿と心は持ち続けているはずである、ただ、以前ほど乗り込まれていないので、スタミナには心配があった。

 出場馬は、王国の馬7頭だけだった。そう、前述のように参加するドサンコは虫眼鏡で探す状況である。20年前なら、多過ぎてレースを2つに分け、予選をするほどだったのに....。

 ヤヨイ以外の6頭には、マイナスの距離ハンデがついていた。要するにスタート地点より後ろから、余計に走るのである。
 仲間たちの気づかいだろうか、それとも馬、騎手の年齢を考慮しての事だろうか、ヤヨイにはプラス100メートルのハンデがあった。そう、900メートルを走るだけで良いのである。

 「うん、これは天の恵みなるぞ....」

 私は、『いや〜、全然、乗り込んでいないから...。完走できれば最高!!』

 などと、心とは裏腹な言葉を連発しながらも、ひょっとすると....との思いを禁じ得なかった。

 スタートはうまく行った。頭を下げ、早く走ろうと盛んに催促をしていたヤヨイとの折り合いも付き、後ろで旗が振られた事を誰かが知らせてくれたので(なんせ、スタート地点より前なので、旗きり係が見えないのである)、まさにロケットスタートだった。

 1コーナー...私はヤヨイに、まだまだと声を掛けながら、にこやかに風を楽しんでいた。
 2コーナーから向こう正面、まだ後ろから来る馬の気配はなかった。ヤヨイの足は10代の少女、素晴らしい伸びを見せていた。スタートしてから、腰に差したままだった事に気づき、走りながらあわてて右手に持ったムチも、まったく使う必要がなかった。
 そして、3コーナーがあと少しと言うところで、後ろから鬼たちの声が聞こえて来た。
 
 『コウリャ〜!トエ〜!ソリャ〜!』

 そして、彼らはあっと言う間もなく、私とヤヨイに砂を掛けて去って行った。
 その言葉荒き無礼者たちは、小学生のコウキ(ツキコ)、浜中のエース・タカハシ(リュウ)、そしてトウリャ〜は何と女性のアッコ氏(コダマ)だった。
 ああ、何と粗暴な言葉使いの仲間を持っているのだろうか、注意をしてあげなくちゃと、私は左手に両手綱をまとめ、右手の鞭でヤヨイの右腰を打つと同時に、

 『トウリャ〜、イクゾ〜コンリャ〜!!』

 と叫んでいた。
 うん?何と私の口からも、彼らと同じような語彙が連発されていた。それを知ったヤヨイは、

 「目くそは鼻くそを笑えませんし、注意もできませんよ...」

 とばかり、3者の後を必死に追う事をやめてしまった。
 それでも私は、3着でも5000円、優勝すれば1万円と、目的を賞金に変更して、ヤヨイに気合いを入れた。

 しかし、老いと少し重めのジョッキーのコンビでは、ゆったりと4コーナーを回るのが精一杯だった。
 アキヤくんのケイタが先に行った。最後の直線で、横に近づいて来た馬、ジュリの上の人間がこんな事を言ったのが、よく聞こえた....

 「ほらっ、ジュリ、イシカワさんだけは抜かそうよ!!」

 その無礼者はニコニコ笑顔の古園さんだった。

 そしてゴール前5メートル、ジュリがちょっぴりヤヨイの前に出て私のレースは終わった。
 ビリ?かと思いながら後ろを見ると、名を伏せるが、あのT氏のマロンが、穏やかにゴールに向かってきていた。

 「ヤヨイ、ありがとう、良かったよ、頑張ったね〜」

 手綱を引き、歩みを穏やかにさせ、首筋を触りながら馬上で話し掛けていると、頭を争った3人の無礼者たちが、紅潮した笑顔で馬首を揃えて戻って来た。
 
 「ダレ、1着は?」

 「タカハシさん、抜かれちゃった、寸前で...」

 アッコ氏が教えてくれた。小学生のコウキは、見事に差のない3着に入っていた。

 「いや〜、やっぱりドサンコのキャンターはいいね、おもしろいべさ〜、おねえちゃん、いかったよ...」

 観客席の小父さんの声が聞こえた。私は、『彼女はおねえさんじゃない』....と訂正できないまま、ヤヨイの首筋を撫で続けていた。
 空は西から晴れようとしていた。



2003年08月30日(土) 天気:晴れのち少し雲 最高:23℃ 最低:12℃


 待望の青空が広がった。今頃....と言う気持ちもあるが、まあ、雨よりは随分と心が軽くなる。

 明日は、地元での馬事競技大会が開かれる。今年で28回、王国の馬と人は1回目から参加をしている。競馬大会と名乗っていないのは、いわゆる駈けから、速歩、そしてケイガレース、さらには重いソリを曵くバンエイ競技と、様々な種目があるからだ。
 以前は、王国勢も多種目に出場をしていたが、最近はもっぱらキャンタレース、そう競馬である。

 昨年の私は、スタートして10メートルほどで1回、頭と肩から地面に降りた。まあ、人によっては「落馬」と言う者もいるが、あれはあくまでも降りたのである。
 もちろん、降りたのであるから、すぐに乗りなおして、見事に完走をした。感想はと聞かれたなら、

 「残念、惜しくも頭には来れなかった、無念です...」

 と返事をしようと、ゴールに辿り着く前から言葉の準備をしていたが、誰も聞いてくれなかった。

 懲りずに、明日も出ようと思う。たまたまヤヨイが空いていたので、私が名乗りを上げた。昨年のモタロウは、初めて乗った馬であり、ヤヨイも5年振りぐらいである。
 どうなるのか、久しぶりにワクワクしている。

 用事を済ませた帰りに、競馬場の横を通ってみた。10数人の方が、トラクターやグレーダーを使ってコースの整備をしていた。このままの天気であれば、明日は良馬場である、ヤヨイの得意とするところのはずである....と言っても、それは7〜8年前までの事、いまでは熟女から老いにかかりつつある彼女と、年に1度の地元のお祭りを楽しみたい。

 古い友人が、はるばる広島から来てくれた。大学生の娘さんとの旅である。Y子氏は、実は私よりも王国に足を踏み入れたのは早い。開国の頃に学生だった彼女は、休みの時に王国で生き物たちとの時間を過ごしていた。
 従って、女房とは親しく、それぞれが結婚をしても、便りが行き交ってきた。お互いに2人の子供、それも年齢が同じという状況も、親しみ深い事なのかも知れない。

 Y子氏は、1册のアルバムを持参してくれた。そこにはイエローラブの1生が記録されていた。王国の初代ラブラドールのラブの子で、14年の喜びを広島の街で繰り広げた子だった。
 21歳の娘、Aちゃんは、まさに成長期の真只中をともに過ごした事になる。去っていった淋しさはあるだろうが、それぞれの写真を示して愛犬を語る言葉と瞳には、「横に犬ありて..」の素晴らしさが滲み出ていた。
 こんな時、私は幸せになる。



2003年08月29日(金) 天気:曇り時々雨 最高:16℃ 最低:12℃


 長い年月を重ねての結果だろうか、普段は犬が騒ごうと、女房が怒鳴ろうと、まず目を覚まさない私が、昨夜は2度、シグレの子犬の啼き声で起きた。何故か猛烈な睡魔に襲われて、日記も書かずに沈没したと言うのに、心のアンテナは仕事をしていたようだ。
 そう言えば、自分の子供たちの夜泣きは、あまり記憶にない。おそらく女房が1人で世話をしていたのだろう。私は、まさに群れ型の生き物のオスだった、自分の子供に関しては...。
 
 それに比して、シグレの子犬たちに関しては、「母親に押しつぶされて死なないだろうか...」と言う恐怖感を心のどこかに抱いているからの結果だろうが、乳父を自称している人間として、子犬の声には敏感になっている。

 以前にも書いたかも知れないが、記憶される事象、されやすい事には順番がある。楽しい事と言うのは後のほうで、実は「恐怖」こそが真っ先に記憶として脳に残り、いつまでも留められる。
 
 それは生きていく事と密接な関係である。
 「恐怖」イコール「天敵」であり、自分の身を守るためには、なるべく同じ情況に陥らないように、記憶が『避けなさい』との指令を出している。
 
 『君子危うきに近寄らず』.....少し、本来の意味あいとは異なるが、語感としては生き物の基本的な在り方を示す言葉だろう。

 さて、私と女房は、おそらく君子ではないのだと思う。懲りずにハチの飛んでいる所に行き、様子を笑顔で観察しているのだから....。
 女房も、我が家の壁に巣を持ったハチたちに慣れたのだろう、今日は、恐がる様子もなく、いつものように水を汲んでいた。蛇口はハチたちの出入り口から2メートルの所にあり、そこに手を伸ばし、ホースをバケツに向けていると、必ず偵察のハチが飛んで来て、グルリと身体のまわりを1周して行く。
 しかし、それだけである、こちらが敵意やパニックを示さなければ、何ごとも起きずに済む。

 それでも、予定通り駆除業者に来てもらい、午後、巣を使えないようにした。散布する薬が2種、そして壁の隙間、ハチの通り道を接着剤で固めて使えないようにした。
 
 作業の後も、外出から戻ったハチたちが、中に入れずに飛び回っていた。可哀想だが人間の暮らしのために、この処置は必要である。あきらめて何処かに引越しをしてほしいものだ。
 
 薬で弱り、地面に落ちた無数のハチは、コッケイとウッコイがついばもうとした。薬が気になるので、私は、あわてて2羽を閉じ込めた。

 ハチの種類を同定するために、数匹の死体を拾った。先日のクロスズメバチとは明らかに色模様が異なっていた。彼らが新しい巣を作ったのではなかった。
 今のところ「モンスズメバチ」が有力である。明日、もう少し集めて、よく調べてみよう。

 



2003年08月28日(木) 天気:曇りのち雨 最高:15℃ 最低:12℃


 早朝、浜中に向けて車を走らせている時に、オッフェンバックの「天国と地獄・序曲」が車内に響き渡った。
 これはかなりインパクトがあり、私の眠気覚ましにもなるので、ケイタイの着信メロディにしている。横に人がいると、皆さん、何ごとかと驚かれるので、それも楽しい。

 申し訳ないが、対向車もなにもいない道である。違反を知りつつ、走りながら電話を耳に当てた。

 「ね〜、タイヘン、タイヘン、...」

 朝から元気な女房の声が聞こえて来た。少し耳から離していても十分に聞こえる。ハンズフリーのようなものなので、違反は見過ごしてもらおう。

 「何が?」

 女房と会話をする時の私の言葉は短い、これでバランスがとれるだろう。

 「さっき、玄関の横でバケツに水を入れていたら、耳もとでブンブンと音がするの。この間のクロスズメバチの事を思い出し、周りを見てみたら、いるのよ〜、いっぱい!!」

 「ハチが?」
 
 あくまでも、私は短い....。

 「そう、アラルが入っている柵のすぐ横、2階のベランダを支えている壁があるでしょ、あそこの下からハチが出たり入ったり....巣作りをしているみたい、凄い数よ、5匹、6匹じゃないのよ...」

 「普通にしていれば、だいじょうぶ、刺されはしないよ、帰ったら見るから...」

 「うん、判ってはいるけれど、やっぱり気味が悪い。アラルなんて、出入りしている壁から30センチの所に寝ているのよ、刺されないのかな〜」

 「寝てるから、いつもの同じにしてるから大丈夫なんだよ、あんたも静かに....」

 今度は、私も少し長い言葉になった。

 「じゃあ、10時頃には戻るから、そっといしておいて.」

 「水くみ、どうしよう、嫌だな〜....」

 先日、4箇所も刺された女房の心配はもっともだとは思う、しかし、そんなにハチは恐いものではない、こちらが生き物として自然に行動をしていれば、やたらと攻撃をしてくる筈がない。
 でも、恐さが身を、動きを固くし、それでハチが反応する事は大いに考えられる。

 「じゃあ、帰ったらするから、そのままにしておいて、切るよ...」

 私は、たぶん、優しい夫である。

 家に戻ると、恐い、気味が悪いと言っていながら、女房は、なぜか嬉しそうに私にハチの出入りしている場所を教えてくれた。
 アラルのサークルから20センチ、我が家の玄関を取り巻く飾り壁のサイディングの下から、2センチほどのハチが次から次ぎに飛び出し、そして、外から来た連中が入っていた。
 よく見ようと、1メートルほどまで近づくと、数匹がブ〜ンと音をたてて確認に来た。
 この時である、動いてはだめである。そのまま飛び去るのを待ち、ゆっくりと動けば、まず事故はない。 ハチたちだって、こんなオジサンを好んで刺すはずがない。

 黒い身体に黄の縞模様がついていた。これは、先日のクロスズメバチとは違う種かも知れない。
 そんな事を考えていると、まだニコニコとしている女房が言った....

 「さっき、あの巣穴も見て来たのよ、あそこから引越しをしてるんじゃないかと思って。凄いよ、どんどん出て行ってる。分蜂なのかな?」

 懲りずに何度も巣穴を見に行くのは頼もしい。
 スズメバチにおいても蜜蜂と同じように分蜂を言うのかどうかは、私は知らない。ただ8月から9月は、活発な事は確かである。

 「さて、どうしようか、このままだとサイディングとの間に巣を作られてしまうね、いや、もう出来ているのかな。お客さんも恐がるし、犬も刺される可能性はある、退治しようか....」

 「仕方ないよね、そうしよう....。うちでやる?」

 「いや、色々と話も聞きたいから、業者の人を頼んでみよう...」

 女房が、あちらこちらと電話を掛け、ようやく専門家が見つかった。明日の午後、駆除に来てくれるらしい。
 さて、楽しみである。

 あっ、犬たちの水は、いつものように外の水道を使って行った。ドジなハチもいるもので、2メートル後ろの壁から私を偵察に来た時に、ホースから勢い良く出る水に直撃され、バケツの中で浮いていた。
 これ幸いと、私は種同定用に、そのハチを確保した。



2003年08月27日(水) 天気:曇り 最高:18℃ 最低:14℃

 「滋賀の育太郎」.....何となく股旅ものに出て来る名前のようだ。
 そう、確かに、育太郎は滋賀からはるばると、「また、旅を」してきてくれた、Nさんとともに。

 育太郎は昨年の1月に生まれたサモエドのラーナとカザフの子である。兄弟は8匹、苫小牧、札幌、福島、埼玉、東京、愛知、奈良、そして滋賀と、全国各地に旅立ち、元気に暮している。
 小柄だが顔だちの良い母親のラーナの子ゆえに、どの子もハンサム、そして美人である。

 昨年の7月、Nさんは愛車に育太郎を乗せて実家を訪ねて下さった。その時は、生後7ヶ月と少し、まだ子犬の香りがあり、我が家のすべての犬が、ニコニコとして受け入れた。
 そして、今日、今度は大人のオス犬としての登場である、少しだけ私と女房は心配をした。育太郎が、賑やかな我が家の犬たちに匂い嗅ぎを静かに受けてくれるだろうか.....と。

 9時をほんの少し回った頃、育太郎は昨年と同じ白い車で、我が家の庭に入ってきた。
 すでに取り付け道路に車が見えた時から、カリンやセン、カボスたちは吠えており、庭に停まり、ドアが開くやいなや、その声は庭中に満ちた。

 Nさんとの挨拶もそこそこに、私は車の後部座席を見た。そのドアのガラスは下げられ、そこに網戸がはめ込んであった。、まるで紗をかけたような姿で育太郎の顔が網戸の中に見えた。早く外に出たいと、足踏みをしていた。

 「どうぞ、出して下さい。リード無しでも構いませんよ...」

 私の声に、Nさんが、

 「さあ、育太郎、着いたぞ、ほらっ、みんないるよ、お母さんも、お父さんも、マロじいちゃんも..」

 そう告げるとともに、ドアを開けて育太郎を自由にした。
 育太郎は、あまりの犬たちの吠え声に、一瞬、耳を後ろに倒し、Nさんと私の間に身体を置いた。
 Nさんは、育太郎の名前を呼びながら、まずマロの所に行った。ついて行った育太郎が、マロの口元に自分の口を寄せ、尾を下げて振り、そして、マロが腹の下や尻の匂いを嗅いでいる間、その場に静かに立ち尽くしていた。

 マロに挨拶をしている光景を見て、ほとんどの犬が静かになった。これが親分の存在と言うもので、マロが認知した犬は、ほとんどの子が受け入れる。
 しかし、例外もいる。それはレオンベルガーのカボスで、この子は、必ず自分で確かめないいいと、吠える声は収まらない。

 「カボス、放して、うるさいから...」

 女房が、カボスのクサリを外した。ドタドタと巨体を揺らして育太郎に近づいた、すぐに匂い嗅ぎである。これまた育太郎は身動きせずに受けている。
 これで、カボスの吠え声は止まった。

 初対面の犬で噛み合い等が起き易いのは、どちらか1匹、もしくは両方がリードで管理され、2〜7メートルほどの間隔を開けられている時である。
 目の前に存在するのに、匂いを嗅いで確認することができない....。これは、不安を煽る、できれば、互いの尻や陰部の匂いを嗅がせたいものである。

 その後は、1週間前まで我が家で生活をしていた、そんな動を育太郎は示していた。意識はしているが、実に自然なふるまいで、庭のあちらこちらの確認をし、群れの犬たちに挨拶をし、そして、父親のカザフにすら平気で近づき、面くらったカザフの匂い嗅ぎを受けていた。

 自分の弟になる3匹のサモエドールたちのサークルにも入れた。嬉しそうに突進してくる子犬たちに迫力負けをしていたが、やがて、自然な動が戻り、良き兄貴を演じていた。

 この後、網走に向かうという育太郎を、長く留めることはできない、
 「また来年、ぜひ来て下さいね〜!!」

 そう言いながら、遠い地の名称の入ったナンバーの車を見送った。

 昨年の再会の時には、19キロだった体重が、今回は27キロになっていた。常に車に同乗して旅をしている育太郎に拍手をするとともに、思わぬ病により、7月末まで入院をされていたNさんが、実に健康になられたのを拝見し、心から良かったと思った私だった。


 午後3時頃、居間の窓からよく見える位置に、塑像のように立っている柴犬のシグレを、観察していた。
 肩、腹、そして前足が細かく震えていた。どうやら陣痛が始まったと判断し、餌は与えず、午後6時頃、玄関の育児箱にシグレを移した。

 やがて痛みは本格化し、午後7時30分、1匹目が無事に生まれた。初産にしては、シグレは穏やかで、胎盤を食べ、子犬のヘソの緒を奥の歯で噛み切り、丹念に濡れた子犬を舐め、元気と可愛らしさをたっぷりと私たちに見せてくれた。

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 *すみません、凄い眠気がドアをノックしています。シグレの散歩に付き合い、少しダウンします。
 続きは後ほど.....。
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 そうそう、やはりと言うか、想像通りと言うべきか、シグレよ、お前もか...とすべきなのか。
 1匹目が産道に入り、それを押し出す陣痛になった時から、シグレは力むたびに「ギャイ〜ン、ギャー!」と悲鳴を上げた。
 それを聞いた外の犬たちが、一斉に吠え、我が家は犬声オーケストラのフォルテシモの演奏に包まれてしまった。
 初代のピコピコがどうだったかは記憶にないが、その後、2代目のツララ、そしてブー、アラレ、ミゾレと続いてきた伝統の悲鳴だった。
 けして難産とは思わないが、他のどの犬種よりも大袈裟なところが柴犬にはある。ひょっとするとDNAの為せることだろうか、そうだとすると、痛みに弱い私は、柴の遺伝子を持っているかも知れない。

 シグレは、結局5回、この叫び声を上げた。オスが3匹、メスが2匹、バランスよく、そして元気な子犬を産んでくれた。

 では、そのリストを書き記そう。

7:30 オス  290グラム  7分後には音をたてて乳首
                 に吸い付いた。
8:12 メス  320グラム

8:29 オス  290グラム  逆子のせいか、シグレの悲
                 鳴が、一段と大きかった。
8:47 オス  280グラム

9:32 メス  290グラム  この子を産み終わると、シ
                 グレは居眠りを始めた。

 わずか2時間で5匹を出産という大安産だった。子犬たちの吸い付きも良く、なんの心配もなく見ていられた。
 もちろんシグレの母親ぶりも満点である。すべての子を舐め、胎便を促し、小便を舐め取り、そして静かに乳首を与えていた。
 目つきが少し厳しく、いつもオスに間違えられるシグレである。それは出産後もあまり変わってはいない。でも、子犬の啼く声に耳を傾け、真剣に見つめる姿は、まさしく母親だった。

 王国7代目として、メスの子犬を我が家に残すことを決めている。他の4匹は、人にも犬や他の生き物たちにも優しい柴犬として、旅立って行くだろう。2ヶ月半が過ぎるその日まで、シグレや他の犬たちとともに、しっかりと育てていきたい。

 シグレ、素晴らしい子犬を、ありがとう!!

 



2003年08月26日(火) 天気:曇り、そして少し雨 最高:18℃ 最低:14℃

 「ルックだと思ったら、アイツだった....」

 女房が、我が機織り部屋に入るなり、そう言った。

 「へぇ〜、久しぶりだよね、アイツは...」

 モニター画面とキーボードに交互に視線を送り、相変わらずの自己流の打ち込みを続けながら、私は頭の中で、アイツがいつから姿を見せていないのか考えていた。

 「7月の末かな、最後に来た日は....」

 同じ事を考えていたのだろう、女房が先に思い出した。

 アイツ......キタキツネのルックの現在の旦那である。現在と断って書くのは、アイツが3匹目の連れ合いだからだ。そう、長命のルックは2度、夫に先立たれ、今の結婚生活は3度目の所帯である。

 4月から7月、出産から育児の時期は、それこそ毎日のように姿を現わし、妻や子のために餌を運んでいた。それが一段落した頃から、アイツの姿は消えていた。以来、毎日ではないが、ルックが1匹で、我が家の出窓の下に出現していた。

 「1ヶ月ぶりになるけど、アイツは全然警戒しないし、美味しそうに食べた...。痩せているけれど元気そうだったよ」

 「でも、今日、まだルックが来ない....。代わりにアイツがウロウロするものだから、ラーナが騒いでうるさい....」

 それは、私も気づいていた。居間の前にあるサークルに、3匹の子犬たちと入っているラーナ母さんが、やたらと吠えていた。その声は、『何かを近くに見つけた、いつもと違うよ』との意なので、他の連中の吠え声を誘発する。

 どんなに我が家の状況を認知しているキツネであっても、普段と異なる犬の配置や、多くの犬の吠え声の時は、一応の警戒を示す。
 今夜が、まさにそれで、アイツが来た事で、このところの日常が壊れ、アイツがルックとは違う獣道を辿って音をたてるために、ラーナが騒ぐ。そうすると、アイツも警戒心を持ち、さらにササヤブに回避しようとして、新しい音を作り出す。それに対して、また犬が吠える.....。

 このドミノ現象が、ほんの少し庭に緊張を走らせ、どこか近くまで来ているルックも、情勢を静かに見守っているのかも知れない、落ち着きを待とうと。
 それだけの能力が彼女にはあると思う、だからこそ、野では珍しい、10数年というギネスものの歳を重ねて来られたのだ。

 「ラーナ、もういいの、あれはオスだよ!!」

 とうとう、庭の中央で女房が叫んだ。3匹のサモエドールたちが、夜食の時間が来たかと、尾を振りながら小屋から出ていたが、女房の声に驚き、一瞬、尾が下がった。
 ラブラドールよりも高く背負い、サモエドよりはゆるくカーブをしている3匹の尾は、鮮やかに心を示している。

 そして、久しぶりのアイツの長い尾は、単なる棒に見えた。それに長い毛が出始めると、もう、ここは秋である。



2003年08月25日(月) 天気:曇り、そして雨 最高:17℃ 最低:12℃

 浜中の老犬ステに会いに行ってから、もう1週間以上が過ぎている。点滴だけで身体をもたせている状態だったが、幸い、古園さんをはじめ、皆の手と心を動かす世話と、ステ自身の生きようとする力が重なり、食べ、動き、大小便も良いものになってきていると連絡を受けていた。前回の私の励ましも少しは効いたとすると、これほど嬉しいことはない。

 今日は4時間ほど空いたので、急きょ、ハンドルを握り、浜中に車を向けた。
 JRの根室線(釧路、根室間は、今では花咲線と言われている)の踏み切りを越えると、目の前の空を覆っている黒い雲の下に、あらたな白い雲が現れた。
 実は、これは雲ではない、正体は海霧である。
 いつもなら7月末までの現象なのだが、やはり今夏は異常なんだろう、この時期になっても堂々と太平洋から押し寄せ、浜を、王国を冷たく包み込んでいた。そう、気温は14℃だった。

 ステは、力ある瞳で私を迎えてくれた。寝ていた布団から立ち上がり、例によって私の後ろをついて回った。今日はジャーキーよりも、私の手を求めていた。静かに見つめて来るステの顎を、胸を、そして背から腰にかけてを、ゆっくりと触ってやると、目を細くして身体を預けてきた。

 「そうか、いいウンコが出たか、良かったな〜、ステ!」

 微かに垂れた耳を動かし、私の一言一言を聞き漏らすまいとしていた。僕も私もと、私に寄って来るアラレやモン、ザッシーなどに負けまいと、無言のまま前進をし、軽く右の前足を上げて私の足に当て、もっと、と催促をするのだった。
 ステ......驚くべき回復を見せてくれた。

 もう1匹、気になっていた子がいた。ステと同じように、王国の柵の横に捨てられていたネコである。推定で18歳、マーブル模様(クラシックタビー)を横腹に持った、王国初めてのネコである。最後は我が家でのんびりと日を送ったマイケルの母親である。
 彼女も、1ヶ月前から食欲不振から絶食、そして急激な痩せ方に、乱れた皮毛と、老いそのものの症状を示していた。

 しかし、今日のマーブルは、しっかりした鳴き声で私に甘え、ステのために用意して行ったジャーキーを食べてくれた。
 収容した時から2年は続いた人間に対する不信、それを解消させるために試みた、たった1度の出産で、マイケルを含む見事な子ネコたちを見せてくれた。
 もちろん、その時から人間にも信頼を示し始め、とうとう、うるさいと言われるまでになったマーブルだった。

 冷たい霧、そして枯れ始めた樹木の葉.....。
 ミスマッチのような秋の始まりだが、王国の老いたる連中は、もう1度、輝きを取り戻していた。

 追記
 昨日、遠路を飛行機で飛んで行った2匹のラーナっ子は、それぞれに新しい家庭で、元気にしていると連絡をいただいた。
 乳父を自称している私、そして乳母たる女房には、何よりの知らせである。



2003年08月24日(日) 天気:曇り 最高:17℃ 最低:11℃


 朝の気温は低かった。どうやらひと桁の最低気温になるのも、そう遠い事ではなさそうだ、いや、そうこうするうちに、初霜....なんて事になるのだろう。

 強い風や雨、そして濃霧でなければ飛行機は飛ぶ。いよいよ今日旅立つ子犬のためには、涼しい曇り空を幸運と考えよう。
 今日の子たちは伊丹と名古屋に飛ぶ。地元の中標津の空港を使う方法もあるが、ともに羽田か千歳の経由になってしまう。そうすると暑い中で、乗り継ぎ待ちの2〜3時間が発生し、狭いケージの中でまいってしまうだろう。
 それよりも、車で2時間はかかるが、涼しい道東で移動をし、直行便を使うほうが子犬に親切である。

 私はサモオスっ子を連れて女満別の空港へ。そしてだいちゃんがサモエドールを連れて釧路空港に向かった。そして午後、それぞれの新しい飼い主さんから無事に着いたとの連絡を受けた。
 ひとまず、ほっとして、私は夕食に泡の出る麦茶を1缶加えた。

 道中、トイレに行きたくなった私は、美幌峠に寄った。用を足して車に戻るろうとすると、我がルネッサくんは大勢の皮ジャンの男女に囲まれていた。

 「かわいい〜っ!」

 服装に似合わぬ若く高い声が聞こえた。

 「真っ白じゃねえか、なんて言う犬かな〜?」

 これは、服装にマッチしたガラガラ声の男だった。

 「サモエド....って言う犬種、シベリア原産の犬だよ」

 私は、自分では若いと思っている声、口調で言った。

 「あっ、私、知ってる、この犬、洗剤のコマーシャルに出てるよ!!」

 染みのある皮ジャンに穴だらけのジーンズ....。あまり洗剤との付き合いが多いとは思えぬ女性が大きな声で言った。言いながらサングラスを外したのだが、その顔は、なかなか可愛かった。

 「ニュービーズね、そう、この子が大きくなるとあんな感じになるよ...」

 「えっ?この子、まだ子犬なの?」

 サングラスを右手に持った子が言った。
 助手席に窓は10センチほど開けてあった。サモオスっ子は、鼻を出し、懸命に人の手を求めていた。私はキーを差し込み、窓ガラスを下げた。子犬が身体全体を乗り出した。数人の男女の手が伸び、それを子犬が舐めた。

 「いやっ、本当にかわいいな〜、こいつ、おまえよりかわいいぞ!!」

 「ば〜か、なに言ってんのよ....」

 彼らのバイクは排気量の大きいものばかりだった。驚く事に、たった3日で道内1周を目指していると言う。
 お願いだから事故にだけは気をつけて...そう言って、私は先を急いだ。

 サモオスっ子は、しばらく後ろを向いて、彼らの姿を見ていた。
 初めて出会った人間に囲まれても、堂々と挨拶のできた子犬に、私はただただ笑顔だった。



2003年08月23日(土) 天気:曇り、晴れ間、そして雨も... 最高:25℃ 最低:16℃

 只今、サモオスっ子とムクの下僕をしております。おしっこ、テーブル足かじり、ネコの餌の盗食、タオル穴開け事件....等々、下僕の活躍を求められています。
 従って、日記の続きは後ほど、ギャングたちが眠った時に.....寝てくれるのかな〜?!
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 <2:13>
 サモオスっ子とムクは、今夜がウブ家の最後の夜なので、寝ない事にしたようです。
 だいたい40分おきに水オケに向かい、しばらく飲んだ後、いつもサークルや庭で行っていたように、前足をオケに入れ、かき出すようにしています。おかげで床の上は水びたし....。
 下僕は、雑巾を手に、待ち構えているところです。
 今日から御世話になる新しい御家族の皆さんに、顰蹙をかうこと確定的、さて、どうしたものかと考えています。先ほど、水オケを20センチの台に乗せたところ、1度は、飲むだけで済みました。しかし、2度目の時には、2本立ちになって足を入れようとしました、特にムクが...。
 さてさて、次の対策は....。

 では、再び居間で仕事をしてきます。
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 生まれ、育った子犬を、新しい飼い主さんの所へ送り出す前日、私と女房は、まるで指先確認をするかのように、1枚の紙に
書き記された項目をチェックしていく。
 明日、兵庫と滋賀に旅立つラーナの子犬たちに関しては、次のように書かれ、必要な物が用意されようとしていた。

*飛行機の時間・便名
*我が家を出る時間
*釧路空港・女満別空港の貨物事務所の電話番号と予約担当者名
*新しい家族の住所・氏名・電話番号(ケイタイ)
*ワクチン接種証明書
*生まれた時からの記録写真(今回は30カットほど)
*輸送費(特割の可能な人間よりも高い)
*簡単な手紙(詳しいものは、すでに先に送っている)
*空港までの車の中で、使うかも知れない布、チリ紙、袋

 上記の物が揃っているか、品物はどうかと、何度も確かめている。

 しかし、もっと重要なもの、いや、事がある。
 そう、旅立つ子犬である。

 人間の夕食を終えると、女房が1匹ずつ風呂場で洗い、布で拭き、居間に放した。
 それから一晩、子犬は室内で過ごす。周囲はネコだらけである。しかし、今さらネコとの交流法を教えるわけではない。これは、すでにアブラたちなどで済んでいる。
 それよりも重要なのは、ウンコ、オシッコの回数と状態を、しっかり確認する事である。さらに、これまで気づいていない問題はないか、人間への心の向け方はどうか、急激な体調の変化は.....等々を確認し、翌日の出発となる。

 もうひとつ加えよう、それは、私と女房の「儀式」と言う事である。
 生まれた時から、いや、産ませようと計画を立てた時から、一時も目を離さずに見守ってきた子犬との別れである。やはり、どこかに心淋しいところがある。

 「いいこだね、大きくなったね...。明日からは、新しいお母さんたちに可愛がってもらえよ、元気でね...」

 最後の1夜に、そんな気持ちをこめてブラシを掛け、仮眠用の毛布の上に、子犬の体重を実感する、貴重な時間となっている。
 生き物との暮らしの原点は、誰がなんと言おうと、私たちは「想い」の重ね合いだと思っている。
 そして「想い」とは、言葉や行動で具体化しなければ無一文のものだと考える。

 だから、犬のしつけなるもので、無言で、道具による衝撃や、沈黙によるあきらめを犬に与える手法には、私は嫌悪感を抱く。意志は「言葉」を伴って伝えるべきだと思うのである。
 犬たちは、それを理解する能力が十分にある家畜であり、理解した行動にはストレスはかからず、時間とともに、自ら行おうとするだろう。牧童の帰った山で、1匹で残り、羊を徹夜で守るG・ピレニーズのように....。

 遠き地への旅という異常の前に、一晩、私たちと過ごす異常を加え、子犬たちの心に、新しいステージへの入り口を示す。
 それは、素晴らしき幸せへと続いていると.....。
 
 

  



2003年08月22日(金) 天気:曇りのち晴れ 最高:27℃ 最低:16℃


 朝、目を覚ました時からセミの声が聞こえていた。エゾゼミかコエゾゼミ、連続したジ〜が賑やかだった。
 空には相変わらずの雲、しかし、このセミ時雨は太陽を呼んでいる、太陽を予感しての事...と思っていると、案の定、11時頃んは雲間から強い日射しが差し込んできた。久しぶりの27℃、夏日となった。

 午前の散歩、川で1番よく泳いだのは、ラブラドールのタブだった。黒い身体を流れにまかせ、何度も川上から流木のように漂ってきた。
 生後8ヶ月が間もなくのオビも、いつものように泳ごうとするのだが、先日の大雨の影響で、まだ水位が20センチほど高く、おまけに川の中の地勢が洪水で大きく変わり、とまどいの表情を浮かべ、深みまでは入らなかった。

 大きな腹を抱えたアラルは、出産まで2週間、よほど気持ち良かったのだろう、いつまでも胸まで水に浸けた姿勢で、流れを受け、目を閉じていた。
 
 隣では、同じように荒い息で川に辿り着いたマロ親分が、何故か尻を上流に向けて落ち着いていた。この姿勢は、実はとても珍しい。風の強い日のカモメたち、放牧の牛、すべての動物たちがそうだが、空気にも水に対しても、流れに向き合ってしのぐのが生き物たちの習いの筈だった。逆毛をたてる状態で、皮膚間近まで冷たい水を体験したかったのだろうか、マロは。

 それにしても、先日の洪水が、いかに凄かったか、川岸を含む周囲の様子を見て、あらためて思い知らされた。
 太い木が倒れ、湿地の植物は横に寝たまま砂に覆われ、とんでもない所に池ができていた。あった筈の岸が消え、深みが広がっていた。

 しかし、周囲の全てが倒れている中で、懸命に黄色い花を太陽に向けている1本のハンゴンソウを見つけた。まるでスポットライトのように、そこだけに太陽が差し込んでいた。
 大騒ぎをしながら駆け回っている犬たちが踏み倒さないように、私は、あわてて進路を変え、砂をまとった花から離れた。

 せっかくの晴れである、昼前に我が家の勝手口を開放した。
 室内で体力と時間を持て余していたネコたちが、嬉しそうに飛び出して行った。
 
 代わりに入ってきたのが、番鶏のコッケイと無数のハエである。
 コッケイは、私のおやつを狙い、梨を食べ、ハエはブンブンとうるさく飛んだ。
 そしてそして、なんと生後40日のエの子ネコたちが、特に茶トラのオスが、このハエに異常に対抗心、いや、狩猟本能を示し、小さな前足で何匹も殺してしまったのである。
 驚くのはそれだけではなかった、その後、茶トラはハエを見事に胃に収めてしまった.....そう、旨そうに食べてしまったのである。

 まだミルク第一で、何とか固形食も食べ始めた時期である。その子ネコが、これほど素晴らしいハンティングをするとは.....これまで、私はうかつにも見過ごしていた。
 あらためて、ネコの素晴らしさ、凄さに敬服した....そんな久々の夏日だった。



2003年08月21日(木) 天気:霧雨のち雨 最高:20℃ 最低:13℃


 「ふ〜.....」

 夕方の散歩の時に、後ろから大きな溜め息が聞こえた。あれっ、女房はウンコ採取バケツと2本の十能を下げて、母屋への道を歩いていたはず、おかしいな〜と思いながらも、私は振り返った。

 「ふ〜...、よっこらしょ!!」

 2度目の溜め息は、そう聞こえた。発していたのは真っ白で丸い塊だった。

 サモエド「アラル」、あと2週間ほどで2度目の出産である。明らかに腹の大きさは1度目を上回っており、確実に7匹以上は入っていそうである。
 おまけに乳腺の張りも早く、いかにも妊婦という雰囲気と姿を示している。

 このところは、なかなか散歩に付いて来ようとせず、すぐにサークルに戻って寝てしまう。食べるものはしっかり腹に入れているので、胎児が過熟になっても困るからと、大声で名前を連呼して誘い、励ましていた。
 その効果があったのか、3日前からは、遅れながらではあるが、何とか往復1キロの歩みを見せてくれている。

 今日は、そのアラルを待たずに、私は他の元気犬たちと先を進んでいた。そこに溜め息である。あまりにも女房のソレに似ていたのでニヤニヤするとともに、頑張ってついてきたアラルを誉め、手を腹と乳腺に回して状態を確かめた。
 アラルは、私の手を嫌うことなく、目を閉じ、静かに身を任せてくれた。異常な腫れも傷もない、ただ大きいだけである。

 最後に陰部を確認する、やや汚れてはいるが、まだ緩みは見られない。肛門はきれいで、下痢などの印も付いていない。
 
 「よ〜し、順調だぞ、元気な子をいっぱい見せてくれよ!!」

 励ましの言葉とともに、ほんの一切れのジャーキーを与えた。アラルは彼女らしい優しい眼差しの笑顔で、それを、そっとくわえ、ゆっくりと飲み込んだ。

 「ねえ、真ん丸だよね、今度のアラル、8匹かな〜、9匹以上産んで、うちのサモエドの新記録を作るかな?!」

 数匹分のウンコが入ったバケツを右手に下げ、その芳しき香りを周囲に広めながら、いつの間にか横に来ていた女房が言った。
 
 実は、ひそかに私も9匹の線を意識していたのだった。



2003年08月20日(水) 天気:曇り 最高:18℃ 最低:11℃


 昨日の日記に関連することになるが、今日、北海道の農作物生育状況が発表された。
 地域によって具合は異なるが、総じて作況は遅れており、米では不稔も目立つと言う。大豆、小豆などのマメ類もサヤの数が少なく、何とかなりそうなのは、低温に強いとされるビートとジャガイモだけのようだ。
 これとても、現在の状況である。今後も暑さなしに雨だけが多いのであれば、さらに悲観的な数字が出てくるだろう。
 
 『ガンバレ、太陽!!』

 そう願うだけである.....。

 さて、農作物は辛い夏を送っているが、我が家は、実り豊かな日を送っている。
 庭には元気なサモエドのラーナの子犬たち、そして室内では、動きの活発になってきた三毛ネコの「エ」の3匹の子ネコたち。
 そして、間もなく柴のシグレが産み、サモエドのアラルも大きな腹で昼寝ばかりをしている。
 そうそう、アメショーのワインも4回目の出産を控えている。まさに「実り豊か」な石川家である。

 その中で、3匹の子ネコたちが、いやになるほど可愛い仕草を見せてくれるようになった。
 先ず、食事である。
 我が家のネコたちにとって最高の御馳走は、夕方の餌である。通常はドライフードが大皿に入れて置きっぱなしになっているだけだが、この時だけは、ネコ用の缶詰がドライフードの混ぜられ、10数匹が大皿に顔を入れ、ヒゲを突き合せ、夢中になって食べている。

 従って、外での作業を終えて、いつ女房が家の中に入ってくるかと、缶詰餌の待ち遠しい連中は、居間の窓から外を眺め、玄関のドアの前に数多く集まって、女房のたてる音を聞き漏らすまいと真剣である。

 その仲間に、何と子ネコが加わっていたのである。
 我が家では、子ネコ用の離乳食を用意したことがない。いや、随分昔には、缶詰だけの餌を小さな皿に入れて与えた事があった。しかし、ほとんどの場合、子ネコは高い特別食ではなく、他の多くの大人ネコたちが食べている皿に行き、フギャフギャと言いながら食べるのだった。

 よ〜く、考えてみた。
 そして気づいた....ネコには離乳食はいらないと言うことを。

 母親が、どのようにして子供に餌を与えるか、それを考えていくと、簡単に答が見つかった。犬ならば、一旦、胃に収め、半消化のものを吐き戻して与える。
 しかし、キツネやネコは、飲み込まず、くわえてきた獲物そのものを、ポンと子供の前に落とすだけである。大人と同じ物を、嬉しそうに食べるのである。

 よって、子犬には必ず離乳食を与えるが、子ネコは彼らの生き方、気持ちに任せ、何もしないことにしている。
 これは、実は最高の手法だった。そう、餌が置いてあるのは1ケ所、そして食器も大きめが2個(ネコが10匹になるまでは1個だった)である。
 そこに行かなければ食べ物はないのである。母乳だけでは身体が満足しなくなると、子ネコは大皿に集まった。横には大きなネコがうようよしている。
 そう、社会を勉強する、良い機会になったのである。怒るネコ、譲ってくれるねこ、逃げるネコ....様々なネコを知ることになった。

 一人前に、玄関のドアの前で女房を待っていた3匹は、洗面所で缶詰入りドライフードに食らい付いた。身体が小さい事が幸いして、大人のネコの顎の下から、食器に口を入れられた。
 1匹は、チャーリーの真似をするように、中身を出された缶を小さな舌で舐め、残り汁を味わっていた。

 食べ終えた後、時々、バランスを崩しながらも、前足を使って口の周りをきれいに毛づくろいする姿は、4日前と比べても堂々としていた。



2003年08月19日(火) 天気:曇りのち晴れ 最高:22℃ 最低:13℃

 どうも気になる。何がと言うと、植物全般の事である。
 今年はツアーの受け入れを制限しているので、私の決まり文句を聞いて、あきれてくれる方が少ない。例年ならば、7月末からお盆の頃まで、

 「これが、あのトリカブトです。この紫の花、私の大好きな花の3本指に入ります。今はいちおう不要でも、将来、根っこが必要になった方は、そっと電話を掛けて下さい、委細を聞きます....、あっ、メールはだめですよ。私は、毎朝、女房よりも早く外に出て、株の数を数えています、念のために....」
 
 と、真面目な方には顰蹙もののジョークが、罪のない見事な花の前で出現している筈である。

 しかし、今年は、まだ咲かないのである。庭の周囲にあるトリカブトが....。

 「おとうさん、ほらっ、蕾が縮んでいる、落ちそうよ...おかしいわよ今年は...」

 うん?女房もしっかりチェックをしているか、油断ならないぞ、と思いつつ、私もカシワの木に寄り添うように伸びているトリカブトの先を見た。
 確かに、水分過剰のようで、黒く変色し、腐れ始めていた。

 牧草もそうである。まだ1番草の刈り取りが終わらない畑もあるが、7月中旬に刈った所でも、青々と伸びてなければならない2番草が、すでに葉先に枯れ葉色を見せている。
 そう、母屋へと続くヒメリンゴ並木でも、随分と未熟な果実が落ちてしまった。

 私は農家の出身だけに、このような光景は、自然からのシグナルと感じてしまう。頭の中に「凶作」「不作」「冷害」などの単語が浮かんでは、なかなか消えようとしない.....。

 これらの単語は、実は私には天敵になっている。その原因は、今もしっかりと覚えている。
 忘れもしない小学2年生の時の事である。
 その年、道北の地は何年続きかの「凶作」だった。もちろん低温、日照不足によるものである(水害もあったかも知れない)。        

 今は、土地に適した、と言うよりも、他の地域との競争に対等に戦える「もち米」を作付けの中心にしているが、当時は「うるち米」を懸命に作っていた。
 
 条件は最初から厳しかった。なんせ故郷は米作りの北限の地である、天候に恵まれたとしても油断は許されない地だった。
 じゃあ、米はやめて他の作物を....と言う方がいるかも知れない。しかし、あの頃の運搬輸送等を考えると、商品作物の栽培も厳しく、米が頼りの綱だった。

 話を戻そう。
 とにかく冷害が確定した私の小学2年の時、ある日、教壇の前で先生が、数人の生徒の名前を呼んだ。その中には私も含まれていた。
 そう、家が農家と言う子が呼び出されたのである。
 先生は言った、全国から古着が来ています。皆さん、着て下さい....と。
 着席したままの、数人の友だちの言葉が聞こえた。
 
 「あんな服、着れんの....なんか、ぼろぼろだよ....」
 
 私は、頭の中と顔が熱いまま、先生から数着の服を受け取った。今も覚えている1着がある、それを着ると冷やかされることもあったあの学生服...「シオカラトンボ」である。
 何と言う呼び方をするのか知らないが、黒地ではなく、今の明るいジーンズに黒い胡麻をちりばめたような色をした服だった。

 祖父は、信念の人だった。他人からの施しを、いや、農協からの営農資金の借り入れさえ拒みかねない人だった。
 「そんな服、着るな」....とは言葉に出さなかったが、瞳はそう語っていたと、私は幼い心で感じていた。
 それを孫が着なければならない無念さを思い、私は、いちども着る物に関して、どうこう言った事はない。
 だから今も、センスとは無縁なんだと、胸を張って言える。服に気持ちを奪われてなるものかと....。

 ありゃりゃ、とんでもない事を思い出し、書いてしまった。
 こうまで天候が夏を避けていると、どうも私の心は後ろを向いてしまったようだ。
 
 久しぶりに見事な夕陽と星を見た夜、植物たちが待ちに待った、熱く、乾いた地球からの便りが届くように祈ろう。



2003年08月18日(月) 天気:曇り 最高:16℃ 最低:11℃

 玄関への扉が閉まる音で目が覚めた。2階の寝室、自分の布団の上にいた。

 枕元の時計を確認する、6時前だった。ついでに隣の布団を見る、女房の代わりにネコのミンツと小次郎、そしてハナが寝ていた。
 あ〜、あの音は女房だな、と安心し、枕元を探ってタバコを1本、取り出し火を着けた。

 3時間ほど前までは、居間のソファで横になっていた。札幌から遊びに来てくれたサモエドの「プー」と「ゴン」を一晩、預かり、2匹を居間で寝かせていた。
 ゴンは、我が家のカザフとラーナの子だった。姉貴分のプーは我が家出身ではなかった。
 生まれた時に、近くに普通の状態でネコがいて、それが「ネコのなんたるか」を教えてくれる幸運はめったにない。ゴンはそのラッキーを背景としているので、ネコに対しては心配していなかった。しかし、プーに関しては未知数であり、私は、居間の10数匹のネコにどのように対応するか、観察をする必要があった。

 プーは、ネコに興味津々だった。しかし、自分から攻撃や脅しをかけていく気配はなかった。それでも、ネコを追い、吠える事があった。そう、ネコが走ったり、高い所に飛び乗ろうとした時....要するに急な動を示すと、自動的に追尾、捕獲の本能が出現した。
 そのプーの声に、子分のゴンも、和して吠える事もあった。

 万が一を考えてと、時間の経過とともにプーがどのような変化を示すかが楽しみで、私は居間で付き合ったのだった。

 テーブルを片付け、居間の中央に大きなバスタオルを2枚敷いた。2匹は、きちんとそこで横になった。
 小次郎が階段を駈けた。プーが飛び起き、吠えながら追い掛けた。ゴンも訳が判らないままに吠えた....。

 しかし、私が一声掛けると、プーは落ち着き、驚いて固まっている小次郎に興味を失い、元のタオルの上に戻り、再び寝た。

 こんな事を何度か繰り替えし、そのうちネコもそれぞれの寝場所に落ち着き、静かな夜となったところを見計らい、私は自分の布団に入ったと思う、そう、あまり記憶がはっきりとしていないのである。

 とにかく、タバコの一吸いで頭がすっきりとした。階下へ降りてみると、女房がプーとゴンの散歩をしていた。気温は11度、上着が必要な曇り空の朝だった。
 
 「2匹ともに、ウンコが1回、小便を3回したわよ〜」

 前夜、遅く到着していた2匹だった。庭の全ての犬に挨拶ができたわけではない。それでも、外からではなく、家の中から外へ出ていった行動なので、全ての犬たちが2匹の存在を認めていた。匂いを嗅いで挨拶をしたい、と示している子はいたが、敵意のもとに吠える子はいなかった。

 女房は散歩の済んだ2匹を、そのまま庭のサークルの中に入れた。ラーナの5匹の子犬たちが、我先にと尾を振って寄って行った。プーたちは、初対面の時ほど驚いた様子もなく、うるさい連中だけれど、あまり怒る事もできないな、このチビッコたちは....。
 そんな感じで対応していた。

 午前9時過ぎ、飼い主のUさん夫妻がやって来たのを見計らい、我が家の犬たちをフリーにし、1泊組の2匹とともに散歩に出た。お互いに軽く匂い嗅ぎの挨拶、確認を行うと、もう、それで仲間だった。1度も危ない雰囲気になる事もなく、無事に2度の散歩を終える事ができた。
 群れのナンバー2で、オス犬に厳しいカザフが、ゴンの尻を嗅いだだけで唸りもしなかったのは、カザフの成長とも、中年になっての落ち着きとも言えそうだ。

 さらに、私たちは根室海峡に向かい、プー、ゴン歓迎の砂浜遊びをした。
 南東の風が厳しく、そして気温の低い海岸だった。正面の国後はモヤに霞み、漁をする船も見当たらなかった。
 
 すでに黄に色付き始めたヤナギやダケカンバの葉.....。
 秋の気配のする知床、砂浜には風上に向かって身体を揃え、群れで休んでいるカモメの大群がいた。全身が灰色がかっている幼いカモメも、1人前に首をすくめていた。



2003年08月17日(日) 天気:曇り 最高:17℃ 最低:11℃


 
 午前中から夜まで、何組ものゲストの方を迎えた。皆さん、心が相通じる方ばかり、そして犬も同伴である。
 そんな日は、私は舞い上がり、饒舌になり、そして喉が乾き、タバコを吸い過ぎる.....。

 今(午前0時10分)、預かった2匹の犬の姿を見ています。本日の詳細は後ほど....です。



2003年08月16日(土) 天気:曇りのち晴れ間 最高:19℃ 最低:12℃

 もうずいぶんと昔の事になるが、娘がハスキーのテツに噛まれるという事故があった。小学1年生の少女には、かなりショックだったと思う。
 傷は、10針ほどの縫合で済んだが、場所が顔であり、その時、目の前に迫ったテツの姿が娘の脳裏に焼き付いたに違いない。
 親として、そして王国で暮している人間として、事故を防ぐ事が出来なかった事を恥じ、この事故により、娘の心に重い傷が残ることを怖れた。

 その手当てとして、私はあえてテツと娘との共同作業を選んだ。そう「犬ゾリ」である。テツの面倒を見ていた木実ちゃんの協力もあり、最初は乗り気でなかった娘も、ソリの後ろに立ち、力のかぎり曵くテツに励ましの言葉を掛けられるようになった。
 
 しかし、ソリを終えた後、テツを誉めはするものの、心からの親友になろうとしているようには思えなかった。
 それでも、テツのいる空間で、普通に行動することができる娘を、私は心の中で誇りに思っていた。

 そんな頃だった、王国のゲート前に2匹の子犬が捨てられた。ともにメス、柔らかいクリ−ム色の毛に包まれた、垂れ耳の子だった。1匹はオカダくんが面倒をみた。残りの1匹は、王国の母屋を中心に生活を始めた。
 私は、「ステ」と名前を付けた。もちろん「捨てられていた犬」を意識しての名である。誤解をしないで欲しい、けして無頓着に、面白がって選んだわけではない、逆である。この子の名前の由来を語る時に、こんな可愛い子犬を捨てる行為、捨てたバカものを糾弾するつもりだった。

 そう、それほどステは可愛かった。白っぽい毛に遠慮がちな眼差し、そして静かな動きが、人間だけではなく、オス犬たちにも大人気だった。
 そのステを、娘が気に入ってしまった。保護収容した時から、時間があればステと行動をともにしていた。派手な動きをするわけではない、ただ、一緒に、互いの表情が確認できる距離にいるだけである。それが、互いの信頼で成り立っていることが、端で見ていてもよく判った。

 テツによって受けた傷は、このステによって癒されたと、当時の様子を思い返すたびに、私はそう確信している。
 その証拠と言えるだろうか、我が家が引越し、そして娘が進学のために家を離れ、そのまま遠い地に留まっていても、年に何度かは、
 「お父さん、ステが動けなくなったら、うちに引き取ろうよ...」
 と言い続けている。

 昨日、ミーティングのために仲間たちが集まった。その時に、

 「イシカワさん、ステが食べなくなりました。かなり腎臓が.....。現在、点滴だけで生きてます..」

 と言われた。
 
 「とうとうか...」
 
 私は、胸の奥で呟き、あえて大きな声で詳しく経過と状態を聞いた。もう、獣医さんからも最後通牒を受けた状況だった。

 「よしっ、明日、行くよ、会いに...」

 浜中の仲間たちは、ステが私を好きなのを知っている。まあ、娘から始まり、石川家の人間を認めてくれている事と、私が密かにジャーキーを与えていたのも理由だった。
 どちらにしても、私はステに会わなければならなかった。17年を静かに生きて来た素晴らしい犬、その名前を付けた人間として、柔らかく手の平で温もりを伝え合わなければならなかった。

 そして、今日、昼過ぎ、ステは浜中の母屋の食堂の一角で伏せて私を待っていた。
 嬉しい事に、17年、ステとともに暮して来ている古園さんが、

 「あっ、瞳がぜんぜん違う、やっぱりイシカワさん会うと元気が出るんだ...。あっ、立った!!」

 と言ってくれた。

 確かに、ステは立ち上がり、そして、先日のように私の手に鼻を寄せて来た。
 私は、我が家の冷蔵庫から持って来たチーズを取り出した、ジャーキーを細かく千切って差し出した....。
 匂いは嗅いだ、舌舐めずりもした....しかし、口は開けてくれなかった。

 「どうだ、元気か...、いや、元気じゃないよな〜、でも、何か食べようよ、生き物は食べるのが1番だぞ〜」

 口から言葉が溢れ出た。両手はステの全身をまさぐった。腰、胸、肩、どこも骨そのものが簡単に感じ取られた。ステは痩せていた。

 私が食堂を移動すると、ステが静かに後を追って来た。そして、私を見つめて来た。
 30分ほど、そんな事を繰り返した後、ステはとうとう口を開け、ジャーキーをふくんだ。6度ほど噛み、そして飲み込んだ。
 私は様子を見た。吐く気配はない、瞳は次ぎ、と訴えていた。
 あわててポケットから平たいジャーキーを出し、何度か手で揉んで柔らかくした後、ステの口元に差し出した、食べた!!
 
 合わせて8個がステの胃袋に収まった。管を通さない久しぶりの食事だった。4日前に具合が悪くなってから、水も飲まないようになっていた。
 ところが、ジャーキーを食べ、庭に出て、これまた久しぶりの大便を自力で済ますと、今度は、床に置いてある水オケの前に歩いて行った。
 
 「ステ、飲みたいの?ガンバレ、ほらっ!!」

 古園さんが励ました。
 ステは見事に水を飲んだ。

 久しぶりに歩き、食べ、そして飲んだステは、疲れたのだろう、落ち着きたいのだろう。隣の居間に移動し、隅の床の上で丸くなった。

 「ステ、また来るね、今度は、何がいいかな〜?ハム?」

 明るく声を掛け、念入りに身体を触り、私は王国を後にした。

 状態をこの目で見て、覚悟はできた。
 しかし、命の素晴らしい、そして凄いところは、思いも掛けぬ輝きを見せてくれる事である。それを「奇跡」と呼ぶ人もいる。
 そんな事を考えながら、久しぶりの晴れ間がどんどん広がる西の方角を目指して、私は車を走らせた。



2003年08月15日(金) 天気:雨のち霧雨 最高:16℃ 最低:15℃


 「お父さん、見てなきゃだめよ〜、ほらっ、行っちゃったわよ〜!!」

 女房の厳しい声が聞こえてきた。私は、運んでいた水バケツを下ろすと、表の道に続く空間を眺めた。右に曲ると舗装道路、左に曲ると牧草地である。
 乱視で老眼の目に、ちらっと左の方に消える白い影が見えた。その後を女房が追って行くのも確認できた。

 「こら〜、おいで、おいで、そっちはダメでしょう、あっ、道路の方は、もっとアブナイよ〜!!  お父さん、早く!!」

 私は、車庫に併設している動物用の台所に寄り、ジャーキーを袋ごと抱えて、女房の声の方に走った。

 子犬たちは、雨で濡れている牧草地を、全身の筋肉を躍動させて追い掛けっこをしていた。舗装道路まで40メートルほどの所まで行っており、これは緊急事態だった。

 「おいで、おいで、おいで、ジャーキーだよ、美味しいぞ〜」

 私は、袋を揉み、ガサガサと音を立てながら子犬たちを呼んだ。
 先ず、ムクが気づいた。首を傾げ、どこから声が聞こえるのか探していた。それを見た私は、静かに横に歩きながら、袋を鳴らし、声を出した。
 これは、重要な事である。犬たちは大人になっても静止している物を見分ける力は弱い。まして子犬である、自分から見て横に動く物は、何とかシルエット判断が可能になる。
 案の定、ムクは私に向かって駈け始めた。つられるようにルーイやサモオス、そしてサラムが向かって来た。
 残りの2匹、トシアキくん(我が家に残る子の仮の名である)とサモエドのメスっ子が、あわてて駈けて来た。
 
 「よ〜し、イイ子だね〜、じゃあジャーキーをあげます!!」

 誉め、優しく触りながら6匹に御褒美をあげた。

 「よ〜し、もっと欲しい子はついておいで〜!」

 私と女房は、庭に向かって駈け出した。6匹は我先きにと追い掛けてきた。

 10日ほど前から、これに似た動きはあった。1匹で消えることはないが、数匹がつるんで、林や道に消える時があった。
 その都度、口笛と言葉で戻していた。しかし、昨日からは、集団で遠くまで、それも一気に行くようになってしまい、人間が目を離すことが出来なくなってきた。
 もちろん、母親のラーナは付いていることが多い。しかし、彼女は安全な所に誘導する事はしない、いや、元気盛りの6匹をまとめて動かす事は不可能な時期になってきている。

 つまらぬ事故に会わぬように、私と女房の見張りは続く。6匹が揃って遊ぶのも明日が最後、次第に数が減り、ジャキーの袋を持って走る私の姿が出現する回数も減るだろう。
 つかの間の緊張と、元気者たちを見守る喜びを、寒い夏の中標津で繰り広げて行こう。



2003年08月14日(木) 天気:曇り時々晴れ間と雨 最高:21℃ 最低:14℃


 気がついた時には、Sクンはラーナと子犬たちがウロウロしている広いサークルの中に入っていた。
 彼は、腰をおろし、両手を前に静かに出していた。そこに6匹の子犬たちが群がり、みんながSクンの身体をよじ登ろうと、膝や腰に前足をかけ、手がかりを求めていた。
 Sクンは笑顔だった、素晴らしい微笑みを浮かべ、静かに手を子犬たちの身体に回していた。6匹に公平に触り、子犬たちのくわえ挨拶を受けていた。

 柵の外では、両親が、これまた笑顔で光景を見ていた。

 「もう、犬が大好きなんです....何と言っても犬なんです....」

 御家族は、浜中の王国の中にある「クラブハウス」を利用されていた。昨日、宿泊し、今日は中標津まで足を伸ばし、また今夜は浜中に戻るスケジュールだった。

 女房が、車が入って来るのは確認していた。いつものように、我が家の20数匹の犬たちが一斉に吠えた。
 しかし、その直後の出来事は、いつものよう...ではなかった。
 何と、Sクンの姿が見えた途端に、犬たちが吠えるのを中止し、尾を振り始めたのである。

 「100人にひとりが来たぞ!!」

 私は、心の中でそう呟き、向かっていたパソコンのスイッツチを切ると、玄関に向かったのだった。

 女房が先に3人を挨拶をしていた。私も加わり、説明を始めようとした時に、前述のように、Sクンの身体はサークルに消えていたのであった。

 北海道北部の小さな町の高校生であるSクン、彼は犬たちに選ばれた人間であると、私は車から降りた瞬間を窓越しに見た時から感じていた。
 そう、本当に100人にひとりぐらいの割り合いで、存在するのである、天賦の才能を備えた方が。

 私は、いわゆる普通の犬好きである。従って、よその犬と交流をする時には、結構、気を使い、表情を確認し、時には作戦も立てている。

 しかし、Sクンのような選ばれた人間は違う。そのままの姿と動きで、犬たちが認めてくれるのである。恋人と出会ったかのような嬉しさを見せてくれる.....。

 絶える事のないSクンの動きを、申し訳ないが私は観察させてもらった。自分の犬に対する行動のヒントになるのでは、と思ったからだ。
 彼は、大きな声をけして出さなかった。急な動き、特に走る、手を振り回す、上下に動かす....そんな事をしなかった。
 さらに、目の前の子に、静かな声で必ず話し掛けていた。
 まさしく、犬との交流の王道を自然に行っていた。そうそう、必ず犬に密着しているのも特徴だった。クサリで繋がれている我が家の犬たちが、懸命にクサリを伸ばさなくても届く所に立ち、そして腰をおろすのである。

 逆を考えると良く判る。犬を興奮させたり、つまらぬ事故を発生させるには、
 「大声を出す」「走る」「犬の前で手を素早く上下させる」「犬から2〜3メートル離れて見つめる」.....等の行為を示せば良いのである。噛まれたい、吠えられたい方は、ぜひ試してみるべきだろう。

 居間に入ってもらい、ネコたちにも会ってもらった。Sクンはネコの扱いも上手かった。しかし、本命は犬のようで、自分から言い出して、再び戸外に出て行った。
 もちろん、すべての犬たちが、無言で尾を振っていた。

 素晴らしい青年に会う事ができた午後だった。

 



2003年08月13日(水) 天気:曇りところにより晴れ、そして雨 最高:23℃ 最低:15℃


 20種に及ぶカラフルな鳥たちの声と姿の記憶が熱いままに、子供たちの部屋で仮眠をした。
 目覚ましは午前3時にセット、しかし、その5分前に起きて、鳴るのを見つめるオジサン....、これを歳のせいと言う方がいるが、私は、正しく決めたスケジュールで行動しよう、と言う意欲の為せる技と思っている(たまに..ですけれど、アハハハ)。

 顔を洗い、寝ている二人の子供たちを起こさぬようにして部屋を出た。同行のノトさんもすっきりと目覚めているようだった。
 札幌の朝は、かすかに明るくなりかけていた。雲の切れ間が確認できた。
 コンビニで飲み物を買い、一路、東を目指す。空いている時間でもあり、高速は使わずに一般道を走った。長沼を越えたあたりで濃霧となった。50メートル先の車のテールランプすらもぼんやりとする状態....その中で追い越して行く車が多い事に、あらためて驚く。さすが北海道は「交通事故死亡者全国一」の地である。
 まあ、巻沿いはいやなので、後ろから、明らかに気の急いた挙動の車が来るたびに左に寄って交わした。家族を乗せた車も多い、「お父さん、慎重に行きましょうよっ!」

 夕張から日高町への樹海ロードに入ると、霧も切れ始め、周囲の風景も判るほどに明るくなった。11日の深夜に往路として通った時には気づかなかった情景が、目の前に展開していた。

 「凄いですね〜、台風ですよね〜」
 
 ノトさんの、のんびりとした驚嘆の言葉が車内に何度も響いた。
 崖崩れ、今も道に流れ出ている大量の水、あちらこちらに積み上げられた道に堆積した砂利、路肩を失った所の標識。大きな土のうの数々.....。

 その光景は、日高町から日勝峠に進路を変えると、さらに凄さを増した。尻別川は茶に濁った濁流が音を立てており、眺めていると目眩がしそうだった。何ケ所も徹夜の修復工事の所があり、大勢の方が忙し気に動いていた。
 お盆も間近と言う事で車も多い。片側交互の交通のために、対向車がまとまって隊列を組んでくるのが、厳しい現実を映していた。

 峠を越えると、十勝平野の雲海が朝日に輝いていた。いやっ、雲海ではなく、濃い霧だった。
 帯広で朝食をとる。あの黄色い看板が目印の牛丼の店である。このチェーン店は、中標津にはない。TVなどで看板を見ると、たまに無性に食べたくなる。私には数年ぶりの味であり、大盛、味噌汁、お新香をペロリと腹に収めた。ちなみにノトくんは、納豆定食だった。

 帯広からは士幌を抜けて足寄、そして阿寒、弟子屈への道をとった。雌阿寒岳は大きな入道雲にピークが隠されていた。すれ違う車、追い越していく車に「れ」「わ」のレンタカーが増えてきた。ほとんどの車が、余計な出費の発生しない旅、楽しい思い出だけの旅で終わるように祈りたいスピードだった。

 時々、晴れ間の出る中標津に着くと、たった2日の留守なのに、ラーナの子犬たちが大きく見えた。駆け寄ってきた連中に声をかけ、手をそえて感触を確かめた。

 午後3時少し前、東京からサモエドのベルクを連れて北の旅をされているOさん御夫妻と、知床のAさん御夫妻が寄ってくれた。Aさんは我が家のオビの兄弟であるメスのレヴンを連れてきてくれた。

 Oさんは、6月にも来られている。2ヶ月もたたないうちの再訪に、よほど北海道を気にいってくれたのだと、こちらも嬉しくなった。

 ベルク(サモエドの、である)とレヴンを、ラーナの子犬たちが騒いでいる庭のサークルに入れた。
 こうすると、周囲の我が家の犬たちが啼きやむのである。一番、群れに緊張を走らせるのは、リードで繋がれて連れて来られた知らない大人のオス犬である。
 まさにベルクがそうであり、リードから解放し、動を自然なものにしてやる事で、群れの中に「な〜んだ」という空気が発生する。
 その一助となったのが、2匹を追い掛けまわす子犬であり、新たにサークルに加えたオビだった。犬語会話が始まると、群れの雰囲気はどんどん良くなるのである。

 ベルクとレヴンは、複数の子犬たちに会うのは初めてだったろう。尾を振り、ヘラヘラと押し寄せて来るギャングたちに、最初は戸惑うばかりだった。
 それでも先輩の貫禄を見せ、あわてずに行動をしていた。

 人間たちは、再会を祝し、降り始めた雨を避け、サークルの見える居間に移動した。コーヒーに美味しいシュークリーム....それをベルクはじっと眺めていた、雨に打たれながら。
 庭の犬たちは静かにベルクを受け入れてくれていた。

 Oさん、良き旅を〜、次は紅葉の時期、そして真冬も楽しいですよ!!



2003年08月12日(火) 天気:晴れの、そして雷雨(札幌) 最高:27℃ 最低:18℃


 札幌から4〜50分の所で、20数種の鳥に会った。ダチョウ、ベニコンゴウ、クジャクなどの大物から、ひょうきんな九官鳥やらアヒルに様々な羽色のセキセイインコ....。
 北の地で、これほど多くの種類に会ったのは初めてだった。

 私よりも感激している人間がいた。カラマツ荘(ムツ牧場独身寮)の住人であるノトさんだった。
 彼女は鳥が大好きである。現在はブーケ(ベニとルリコンゴウのハイブリッドである)とともに暮らしている。長年の望みとして、孵化して間もないヒナを飼う事を夢みてきていた。今回は、その実現への第一歩として、視察に来ていた。

 日本では原生として見られない鮮やかな彩りと形....その鳥たちに囲まれ、声を聞いていると、自分が摩訶不思議な空間と時間の中に迷い込んだ気になってきた。
 さらに、大きなフライングケージの中に入り、頭の上や肩、そして手の平に鳥たちを乗せ、顔を紅潮させているノトさんを見ているうちに、この鳥たちが、なぜ多くの人間を惹き付けてやまないのか、それが理解できた。

 まさに、連中は「輝き、動く宝石」だった。そして、それはユーモアと嫉妬心と甘えっ子をたっぷり含んだ「心」を備えていた。

 雷鳴を聞き、豪雨の中を訪ねたひと時、それは、あらためて鳥の不思議と魅力を再認識する時間となった。
 もちろん、ノトさんは、どの子を手元に置きたいのか、熱心に話してくれた。
 



2003年08月11日(月) 天気:曇り時々晴れ、そして雨 最高:21℃ 最低:16℃


 ネットに繋がらない。もちろんメールもだめである。
 先日はアダプターをガチャガチャしたところ、回復した。同じように行ったが、ウンともスンとも言わない。冷静になって考えて。我が家のISDNはFAX回線を利用している。そのFAXも使えないとなると、ひょっとすると外線で問題が起きているのでは.....。
 電話をしたフレッツの担当の方、そして通常回線を担当の地元のNTTの方は、とても親身だった。
 夕方、2台の車で確認に来られた。奮闘1時間半、無事に接続が確保された。
 修理代無料の電柱間の故障だった....ほっとして、札幌に向けて車を走らせた。
 
 これまた、道中記等は、13日に書かせていただきます。
 申し訳ありません。



2003年08月10日(日) 天気:晴れときどき曇り 最高:26℃ 最低:17℃


 フェーン現象ではないが、台風から変わった低気圧に向かって南風が吹き、気温が上がった。
 朝から舌を出しまくりの犬たちと当幌川へ行った。

 『こんなのは初めてだ〜!!』

 詳細は中標津に帰ってから書かせていただきます。



2003年08月09日(土) 天気:台風 最高:19℃ 最低:16℃

 台風も大変だったが、ネットに繋がらなくなった事が、私にはもっと重大だった。
 これもITの効果なのだろうか?!
 詳しくは、後程です。



2003年08月08日(金) 天気:霧雨から本格的な雨 最高:19℃ 最低:13℃

 女房がスズメバチ(たぶんクロスズメバチ)に刺された、それも3箇所....。詳しくは後ほど....です。
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 今、女房の事情聴取を終えた。上のメモに、間違いがあった。刺された箇所は4つであった。
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 昨夜から細かい霧雨が密度濃く舞い降りていた。雨と異なるところは、廂の下であろうと、全ての物が湿り気を帯びる事だ。
 
 その霧雨が、本格的な雨に姿を変えようとしていた午後4時過ぎ、赤いノースリーブのシャツ姿の女房が、庭に駈け込んで来た。降りが強くなってきたので、帽子と上着でも取りに戻ったのかと思ったが、どうも様子がおかしい。何か言ってるようにも見えたが、動物用の台所で水を流していた私の耳には定かには聞こえない。

 「どうかしたの?」

 私は蛇口を締め、外に出て聞いた。雨粒が屋根に当たって音をたてるほどになっていた。

 「刺されたのよ〜、ハチに....。ウサギの草を刈っていたら.....」

 「どんなハチ.....」

 と言いかけて、私は女房の胸に1匹の黒い虫がいるのに気づいた。

 「あっ、1匹、付いてるよ、服に....」

 「どこどこ、殺してよ、見てないで....」

 女房が、両手で赤いシャツを叩きまくった。運良く(ハチには運悪く)、右手が当たり、餌を待切れず、雨の中に出て来ていた柴犬のシバレの前に落ちた。
 そのハチは2センチほどの大きさで、黒い身体、腹部に白っぽい横縞があった。あきらかにミツバチではない。黄金色でもないので、オオスズメバチでもない。

 「ウサギのために舗装道路横の斜面に生えているクロバーを刈ってたの。そしたら、右の脇腹にチクッと痛みが....。あれっ、何?と思って見ると、ハチが刺していた...」

 「どこから飛んで来たのかな、と思った時に、何気なく鎌の先の方を見ると、クローバーの根元の所に、ウジャウジャといたの....、私の動きで、大騒ぎになったようで、どんどん穴から出て来ていた....」

 「しまったと思いながらも、今度は、左の腹に痛み、もう、急いで下がるしかないと思って、クローバーを入れた箱や鎌を置いたまま逃げ始めた....。でも遅かったみたい、その後、頭の上、そして、ほらっ、鼻の頭をやられちゃった....」

 刺された所は、すでに赤く腫れてきていた。真ん中に1つ、刺された穴の跡がある。
 
 「これっ、ジバチって言ってるやつだと思うよ、確か、スズメバチの1種だよ....。前に刺された事があったっけ?」

 「ハチはないはよ、虻なら何度もだけど...」

 「今、気分は.....?」

 「頭の上が痛い、それと、顔が火照っている....。大丈夫かな〜?」

 「まあ、1回目だからね、抗体がないから、たぶん大丈夫だよ、水でもぶっかけておいたら....。気持ち悪いとか、なにかあったら考えよう...」

 私は雨に備えて合羽を着ていた。そのフードを上げ、顔を隠すようにして、女房が置いてきた箱と鎌を取り戻しに行った。我が家への取り付け道路から舗装の道に出て右に50メートル、路肩に箱が置いてあった。
 あと10メートルというところで、1匹のハチが飛んで来た。私は単なる通行人を装った。合羽の下には薄いけれど上着も着ている、ここは問題がない。しかし下半身はGパン1枚だった。もしハチがここに止まったなら、叩き殺すつもりだった。
 さらに5メートル進んだ。偵察のハチは3匹に増えた....。

 「通行人、通行人、のんびり歩く通行人...」

 心の中でそう呟きながら歩を進めた。
 箱に手を掛けた。鎌を中に入れる。ウサギの胃袋に消える赤クローバーが7分目ほど入っていた、女房の犠牲の上での収穫である、無駄にはできない。そっと箱を持ち上げ、様子を伺った。2匹のハチが箱から出て飛んだ。そのまま草の中に消えた。

 女房は、15メートル後ろまで来ていた。

 「ほらっ、箱があった所の右側、いるでしょ、いっぱい、見てごらん...」

 「今はだめだよ、興奮が続いていると思うよ、明日、確認する...」

 箱を両手で抱え、耳を済ませ、私は静かに家に向かった。いつの間にか偵察のハチの姿は消えていた。

 雨は、さらに強くなった。
 しかし、女房は、「このままのほうが気持ちいい」と、ノースリーブのまま、作業を続けていた。おそらく体温が上がったままなんだろう。そう思いながら、横目で様子だけは見ていた。

 仕事を終えて家に入り、すぐに図鑑を調べた。
 『クロスズメバチ』...女房を刺したのは、どうもこれのようだった。
 女房がたたき落としたハチは、どさくさで判らなくなってしまった。明日、静かに現場に行き、確認を取ってこようと思う。

 夕食後、ようやく熱が下がったと女房が言った。腹と鼻の頭の痛みは、随分落ち着いたらしい。しかし、頭の上は、キリキリと痛むと、盛んに強調していた。

 まあ、ショックが起きなかったことを幸いとしよう。

 

 



2003年08月07日(木) 天気:霧雨ときどき曇り 最高:19℃ 最低:15℃


 ニワトリ小屋をロックアウトしている。仕方がないので雄鶏3羽と雌鳥(ウコッケイ)2羽は、運動場で暮している。
 実は、小屋の中にも鶏はいる。メスのウコッケイが1羽と、それが抱いて孵したヒナが2羽である。
 何故、分けているかと言うと、1昨年、昨年と、孵ったヒナが押しつぶされたからだ。もちろん全てのヒナが死んだわけではない。しかし、小屋の鶏の数が減り、老いてきた事もあり、何とか跡継ぎに元気に育ってもらいたい女房は、ヒナの足腰がしっかりするまで、別居をさせる事にした。
 間もなく孵って2週間になる。餌を持って小屋に入ると、元気に駆け回るヒナがいる。もうすぐ小屋の戸を開放できるだろう。

 今朝、面白い光景に出会った。
 小屋に入ると、ちょうど蛾が床の上に落ちた。それを見つけた母鶏は「コッコッツ」と高いトーンの鳴き声を出し、ここに餌があるよとヒナを呼んだ。その瞬間である、2羽が突進し、茶羽の濃いほうが、あっと言う間に食べてしまった。
 配合飼料を置いた時にも、必ず母鶏が呼ぶのは知っていた。それが、生きている餌に対しても同じ行動を示したので、さうが..と感心をした。

 今、この日記を書いているPCは、自称「機織り部屋」と呼んでいる私の書斎である。
 数日前から、ここに1羽のヒナの声が響いている。
 父親がコッケイ(ニワトリとウコッケイのミックス)、母親がウコッケイのウッコイである。
 このヒナは、ヤマちゃんがアイガモの卵を温めている人工孵化器で誕生した。従って母親は横にいない。温度と餌が重要なので、目が届き、ネコにも狙われない書斎に、ダンボールの育児箱に入れられて置かれている。

 連れてきて2時間後には、女房の掛ける声に反応を始めた。さらに数時間後、私の声にも応えて鳴くようになった。
 聞こえる音が人間の声だけなので、頼るものが必要な(重要な)この時期は、手近の音にすがってしまう。

 そして、気づいた。
 布の上に置いてある餌を、まとめてあげようと指を伸ばすと、必ずヒナが、その指先の所をつつき、餌をついばんでいる事を。

 そう、小屋の母鶏が嘴を使って示すやり方が、人工孵化のヒナにとっては、私や女房のゴツゴツと節くれだった指なんおである。
 試しに、声を掛けながら指先を動かしてみた。指だけの時よりも反応が強くなり、勢い良く飼料を口に入れてくれた。

 鳥の世界では、ヒナに対する餌の与え方が、大きく分けて3つの手法になる。
(1)いったん親鳥が胃に収め、それを吐き戻すタイプ。カモメなど..。
(2)獲物をくわえてきて与えるタイプ。猛禽類など....。
(3)ヒナが自分で餌を探し、食べるタイプ。

 もっとも難しい(3)の方法を採るニワトリグループも、実は親鶏たちの協力が重要、それがよくわかる観察になった。

 ちなみに、(3)のタイプであっても、親は餌をくわえて鳴くこともある、しかし、嘴から嘴へと受け渡しはしない。必ず下に落として、ヒナが自力でくわえるのである。コッケイが愛妻のウッコイに行っているやり方である。



2003年08月06日(水) 天気:曇りのち晴れ 最高:22℃ 最低:14℃


 昨夜の雨が大地を濡らし、湿気が満ちている朝だった。それでも最低気温が高くなり、犬たちはのびのびとした姿勢で小屋の前で寝ていた。
 賑やかな声が聞こえるのは、車庫のサークルスペースに入れられているラーナの6匹の子犬たち。まるでカラスと出勤時間を合わせているかのように、5時前には騒ぎ始める。

 子犬たちの朝食を与える頃までは、重い雲がたれ込めていたが。しだいに隙間が出来始め、そして10時過ぎには快晴となってしまった。
 600メートルほど離れた川への散歩も、このように晴れてくれると、来て良かったと思うような動きと表情を犬たちは示してくれる。
 
 6月末から7月の低温と日照不足のために遅れていたハシドイの花も、ようやく散り、ホザキシモツケのピンクが盛りになっている。
 林の中、日照の届かぬ所では、まだオオウバユリの大きな白い花が残っていた。鼻を寄せて嗅ぐと、ハシドイよりも上品な香りがする。私が研究者なら、そして営業マンなら、トイレの芳香剤としては、こちらを使うのだが。

 生後7ヶ月を過ぎたサモエドの3代目、オビは28キロを超えた。背丈は父親のカザフに近づいているが、体重では、まだ8キロほど不足である。まあ、若いオスなので、32〜3キロがベストだろう。逞しく、そしてバランスの良いオスになりそうである。
 もちろん性格、犬としての社会性に関しては、何も言うことはない。現在はラーナの子犬たちの保父役として、毎日大活躍をしている。私から奪った軍手をくわえ、わざわざ子犬たちの前に行き、追い掛けられるのを楽しんでいる。今日は、4匹の子犬たちとの綱引きになり、最後にはオビが負けるシーンもあった。くわえて引く事では、ラブラドールの血を半分ひいている子犬たちも、かなりのものである。

 そうそう、昨日、6匹の個性を書いた。しかし、体重の変化を書き記すのを忘れてしまった。あらためて載せておこう。

      6月4日 17日 7月1日 15日  8月5日
セン系(ハイブリッド)
(1)札幌 405 1050 1950 3700 6500 
(2)東京 440 1150 2300 4000 7800
(3)兵庫 400 1100 2100 4300 7800
(4)残る 430 1150 2200 3800 7000
レオ系(サモエド)
(1)オス 410 1050 2000 4000 7300
(2)メス 420 1000 1900 3200 5800

 もちろんバラツキはある。しかし、どの子も順調と言える成長ぶりである。これまでのデータと比べても増加のペースは早いと断言できる。

 昨日、孵化器のほうの卵が1個、無事に孵った。母鶏が世話をするわけではないので、現在は書斎大きなテーブルの上に、箱に入れられて置いてある。人間が顔を出すと、いや、物音をたてるだけで「ピ〜ピ〜」と反応をしている。面白い行動にも気づいたが、それは今夜の観察で確認を取ってから書く事にしよう。

 では、夜食でも腹に入れて、ヒナを見守ろう。




2003年08月05日(火) 天気:晴れ間あり、のち雷雨 最高:22℃ 最低:15℃


 昨夜、我が家に帰り着くと、女房がメモを片手に留守の間の出来事を報告してくれた。
 ラーナの子犬たちのこと、エの子ネコのこと、そして、強かった雨、その中を来られた「ゆかいクラブ」の会員さんが、ネコが大好きだったので、室内でも喜ばれていた、とのこと......。
 
 そうそう、ウコッケイとニワトリのミックス系ヒナの話も、キツネのルックも話題になった。
 母親鶏に抱かせていた卵は先日孵り、小屋で2羽が元気にしている。ヤマちゃんがアイガモの卵を温めている孵化器に、何個か紛れ込ませてもらっているコッケイとウッコイ夫婦の卵が、間もなく孵るはずと、女房は力説していた。

 ルックが毎日のように我が家に通ってくるので、いつの間にかササやフキの葉の下にトンネルのような道ができ、その獣道を、昼間は我が家のネコたちが散歩に利用している、とも知らせてくれた。
 多くの命と暮していると、ほんの数日、留守をしただけでも様々な話題ができるものである。

 今日は、午前中に暑くなり、その後、遠雷が聞こえ始めた。雲行きも怪しくなり、少し早めに犬たちの世話をしよう....と思った時には、もう雨粒が樹木の葉に当たる音を立てていた。
 大人の犬たちは、喜んで雨の中を散歩し始めた。しかし、雷が近づくにつれ、ラーナを先頭に数匹が隠れ家を探し始めた。以前に秋田犬のタムや柴犬のブーが行方不明になったことがある。そうなる前にと、あわてて犬たちを確保した。

 怯えと怖れを見せる大人たちをよそに、ラーナっ子たちは、雷雨にも関わらず、外へ出せ〜の大合唱だった。
 少し悩んだが、え〜い、夏の雨は心地よい...と決め、サークルを開放した。

 6匹は、先ず私に駆け寄り、スボンに前足を掛けてジャーキーをねだり。それぞれに与えると、今度は兄弟で追いかけっこを始めた。雨に濡れることも、雷が空気を揺らすことも無関係のようだった。

 庭の中央にあるダケカンバの大木の下で雨宿りをしながら、私は6匹の動を観察した。生後2ヶ月を過ぎ、いわゆる個性がはっきりと見えてきた。
 それを個体別に書いてみよう。

 *セン系(サモエドール・サモエドとラブラドールのハイブリッド)

(1)♂・札幌に行く子
 穏やかな動きをする。兄弟でのプロレスでも最後に飛びかかる。全体に白く、可愛い瞳をしている。人間の声に対する反応はピカ一。

(2)♂・東京(群馬)に行く子・ルーイ
 この子も白い。非常に明るく、人間と目が合っただけで跳びはね、尾を振り回して喜び、駈けてくる。よく食べる、太いウンコが特徴。
 このところのブームになっている砂利山滑りが大好きである。

(3)♂・兵庫に行く子・ムク
 後ろに気配を感じて振り返ると、必ずと言ってよいほど、この子がオスワリをして見つめている。けして声や態度では主張せず、ひたすら瞳で訴えてくる。
 瞳が大きく、ハンサム系である。

(4)♂・我が家に残る・名前はまだない
 6匹で絡み合っている時に、常に下になり、みんなにやられる事が多い。それでも悲鳴を上げず、ひたすら耐えている。多頭数の仲間になる我が家犬には、うってつけの性格である。ムクによく似ている。

 *レオ系(父レオ、母ラーナの純粋サモエド)

(1)♂・滋賀に行く子
 とにかくハンサムである。そして骨が太く、身体もゆったり、上から見ると、座布団のようである。
 サモエドールの動に負けずに対応している。6匹の中では最初に「アツイ」と主張し、長椅子の下で腹ばいになるのが得意である。明るく、笑顔の子。

(2)♀・埼玉に行く子
 大きめのジャーキーを貰うと、だ〜っと駈けて物陰に入り、隠れるようにして食べる。身体が1番小さいので、他の兄弟に取られることがあり、以来、この作戦を実施している。
 もっとも甘えっ子で、よく鼻声を出して自己主張している。兄弟の中で、「やめてくれ信号」を最初に覚えた子であり、最近は、立派に反抗している。
 遊びのテリトリーを広げるのは、常にこの子である。

 これらは、あくまでも現在の姿である。
 新しい飼い主さんの所に行き、また変化が起きるだろう。しかし、犬が好き、人間が好き、そしてネコやニワトリにも敬意を払う.....これは不変である。
 このまま順調に成長し、2週間後からの旅立ちに向かう。

 そうそう、今日、サモエドールの製作責任者であるラブのセンが、新しい結婚をした。相手は濃いイエローラブである。初対面であったが、実に巧みに言い寄り、あっと言う間に繋がっていた。
 セン、名人かも知れない......。



 



2003年08月04日(月) 天気:薄曇り 最高:27℃ 最低:16℃


 今日もまた、楽しく嬉しい再会、出会いが.....。
 久しぶりの暑さの中、札幌近郊で、白い犬が駆けました。
 詳報は、後ほど。



2003年08月03日(日) 天気:雨(中標津) 最高:20℃ 最低:13℃


 楽しい出会い、嬉しい再会がありました。
 詳しくは後ほど.....。



2003年08月02日(土) 天気:曇り 最高:20℃ 最低:14℃


 ネットにつなげぬまま、札幌に向けて出発しました。
 詳しくは、後ほどです。



2003年08月01日(金) 天気:曇り 最高:22℃ 最低:12℃


 接続不良のために、日記は後日となります。
 申し訳ありません。