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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2003年09月29日(月) 天気:雨 最高:17℃ 最低:11℃


 <お詫び>9月28日、29日、そして30日の分をまとめて29日の欄で書いています。

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 9月28日 曇りのち雨  最高15℃  最低11℃
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 「ムツゴロウゆかいクラブ」という組織に入られている会員の皆さんは、王国の中にあるクラブハウスを利用し、臨時の国民として犬のウンコ拾いや散歩、馬糞拾いに乗馬などができる。
 昨日、中標津のクラブハウス『ゆかいハウス』から浜中の王国内にある『ゆかいの家』に移動されていた皆さんが、今日は、王国での乗馬、犬たちとの出会い、散歩を済まされた後、再び中標津に来られることになっていた。

 願いも空しく、天候は回復していない。加えてまだまだ続く余震.....。条件は良くなかったが、そんな事は吹き飛ばす勢いで皆さんが2台の車で戻って来た。遠く山口県から駆け付けたKさんも合流し、再会の挨拶やら、はじめましての言葉が飛び交っていた。
 一昨日、昨日と同じ顔ぶれだという事は、我が家の犬たちが理解している。吠える声もすぐに止み、尾が横に激しく振られていた。こんなところにも犬たちの学習能力の素晴らしさが感じられる。

 山口、島根、大阪、岐阜、静岡、東京、栃木と、全国各地から来られた皆さんは、古くからの友人、知人、親戚ではない。『生き物』『命』『王国』等をキーワードに縁が結びついた仲間である。
 たとえ初対面であっても、それまで築きあげられたネット等での想いの会話によって、瞬時に心が通じ合う関係になっている。ベタベタとしたもたれあいではなく、爽やかな距離や心遣いのあるこのような人間関係は、新しい時代のゆかいな付き合い方かも知れない。

 今日は、もう1人、仲間が増えた。22才のAクンである。
 彼は愛媛の男である。私が初めて会ったのは、彼が中学1年の時だった。愛媛のテレビ局が主催した王国へのツアーでやって来た。まさに美少年だった彼は、皆に可愛がられ、将来は王国で働きたいという志を応援してくれていた。
 その後、希望を達成するために、生き物を学びたいと、高校は農業高校、そして動物に関する専門学校に進んだ。なかなか王国との重なりができなかったが、彼はくじけずに大きな牧場等で働き、経験と知識を溜めてきている。
 1年に1度は、我が家を訪ねてくれている。毎年、酒を酌み交わす時は、生き物の話が肴となる。今日も、変わらぬ彼の熱い想いを、私はニコニコとして聞き、話を返した。
 その輪の中に、滞在されている会員の皆さんも参加されていた。まるで頼もしい弟と話すように、場は賑やかに、そして、誰もが仲間であることを感じられる、ゆかいなひと時となった。

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 9月29日
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 車から3匹の犬が降りて来た。白、クリーム色、大きな犬たちだった。
 庭に繋がれている我が家の犬たちが、ここぞとばかり、一斉に吠え始めた。距離は20メートル、犬たちには怪しい距離である、おまけに相手は大きい。

 玄関で育児中のサモエドのアラルは繋がれていない。誰が来たのかと、ゆっくりと3匹の近づいてくる道を歩いて行った。
 3匹の中で、もっとも大きいサモエドのオスを、Tさんの御主人がカザフに会わせた。カザフは35〜37キロである。しかし相手のアレフは40キロの大物である。
 さてどうなるか、私は微かな心配も持ちながら眺めた。アレフが鼻をカザフのそれに近づけた。カザフは懸命に嗅いだ。アレフがカザフの尻に鼻を移動した。カザフがアレフの下腹部を嗅いだ。
 このタイミングである、私が心を込めて話し掛けるのは....

 「カザフ、アレフだよ、友だちになろうね、いいこだね〜カザフは....」

 うなり声も、ガウガウも、あっちに行けの鼻皺寄せも、もちろんケンカも起きなかった。
 御主人は、カザフの次はマロ、そしてシバレ、セン、カボス、ベルクと、庭に散在する石川家グループの犬たちに、次々とアレフを紹介していった。
 あれほど吠えていた連中が、アレフの身体の匂いを嗅ぐと、すぐにOKのサインである尾振りを見せていた。

 アラルはTさん(奥方)の連れたメスのサモエドのノールに対面していた。軽く吠えて近づいたアラルに対して、ノールはうるさそうに声を出した。

 「これっ、アラルでしょう、娘よ...」

 我が家に来て何年になるだろうか、4年、いや5年かも知れない。アラルは神奈川のTさんの家で生まれた子だった。実は母親のノールは我が家のマロが父である。母親のウラルが交通事故で急死したために、ウラル系のメスの跡継ぎを残していなかった私が、お願いして譲ってもらった子だった。

 「アハハハ、もう忘れているよね、なんか大きな女だな〜....かな?!」

 見知らぬ犬に囲まれ、声を集中されて迷惑気味なノールの横には、静かに尾を振るイエローラブのメスがいた。このカーラは、我が家のタブの母親、センの祖母になる。タブという名前は『T家から来たラブラドール』という事で『タブ』となった。まあ、最近は名前の2文字をひっくり返したほうが体型に相応しいと言われることも多いが。

 カーラは、まさしくラブであり、大人だった。目立つことなく、穏やかに『はじめまして』の挨拶を示していた。

 我が家の犬たちとの挨拶時間を終えると、3匹には居間に入ってもらった。我が家の連中とは違い、あまりにもきれいな被毛をしているので、雨の中で泥だらけになるのがせつなかった。
 Tさんは、居間のネコとの折り合いを心配されていた。アレフたちは散歩の時にネコを見つけると追いたがるからと。
 もちろん、ほとんどの犬が、ネコに対しては特別な興味を示す。もしネコが走ろうものなら、すぐに追尾行動が起きるだろう。これは捕食獣が備えている基本的な本能であり、だれも責めることはできない。しかし、ネコを追い詰め、襲い、殺すかというと、これはまた別の問題であるし、ネコは実は犬にはやっかいな獲物でもある。あの鋭い爪と威嚇ポーズを前にすると、たじたじとなる犬も多い。

 アレフがネコを追った。まるで子分のようにノールが続いた。カーラはその様子を眺めていた。
 ルドが、そしてエ(実は、この子もTさんの家から来た)が『シャー』という声とともに鋭い前足パンチを繰り出した。床の上に、点々と赤いしみが出来た。アレフの鼻の頭に出血があった。

 「アレフ、だめでしょう、追い掛けちゃ...」

 「だいじょうぶですよ、襲いたいというよりも、確認に行ってるだけですから。ネコたちは初めて会う大きな犬なので、警戒をしているだけです。そのうちお互いに慣れると思います...」

 1時間後、アレフはパンチをくらったネコに対しては50センチの距離をとるようになった。
 そして3時間後、床の上で大きな身体を横にして、穏やかに眠る3匹の犬の姿があった。

 Tさんたちには、近くの宿でやすんでもらい、3匹は我が家で預かった。実は、これを私は楽しみにしていた。飼い主がいない所で、3匹がどのような行動、心の変化を示すのか。さらに、複数の大きな新入りを迎えて、我が家の犬たちはどう対処するのか、それを観察したかった。

 深夜、2時30分、女房とふたりで3匹を外に連れて出た。雨は止み、南東の風が樹木の葉を揺らしていた。
 カボスとラーナが軽く吠えた。しかし、私が声をかけると、すぐに尾を振り、3匹を特別視する気配はなかった。
 3匹は、数度の小便とたっぷりのウンコをし、再び居間で眠っている。もうネコが動いても目を開けることもなくなった。

 今年、何度か成犬を預かっている。たいていは1匹で、飼い主の姿が消えると、不安気な声で必ず啼いた。
 しかし、アレフ、カーラ、ノールたちは、それを示してはいない。3匹という仲間がいる暮し、これが安心を作り出しているようだ。

 明日は、川で我が家の犬たちと大騒ぎをさせよう、楽しみが待っている。

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 9月30日 火  雨 最高14℃ 最低11℃
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 話題のTV番組『プロジェクトX』に、懐かしい道下先生が登場した。たしかに年齢は感じた、しかし、昔と同じように優しい笑顔が、見ているものをほっとさせてくれた。

 ・・・続く。

 

 



2003年09月27日(土) 天気:雨 最高:17℃ 最低:11℃


 
 昨夜、20キロほど離れた「ゆかいハウス」を出たのは2時に
近かった。宿泊されている仲間たちとの犬談議が尽きず、泡は出ていてもアルコール分のほとんど含まれていない便利な麦茶(?)を飲みながら、楽しいひとときを過ごすことができた。
 ハウスは中標津の唯一の名所とも言える『開陽台』のふもとにある。周囲は林と牧場、従って街灯とは無縁な地域で、車はすぐに闇と雨に包まれた。
 
 ライトを上向きにしてみた。しかし、あまりにも雨が強く、光が反射して前方が見えない。あわててライトを下げ、慎重に60キロで進んだ。もちろん対向車などがあるはずもなく、我が家に着くまで、カセットから流れる沖縄の曲を大声で和し、寂しさを紛らしてきた。

 今日もまだ、何度か余震があった。夕方の揺れはかなり長く続き、ちょうど庭にいた私たちは、足元の大地が見事に揺れる様を見る事ができた。樹木は音をたててしなり、きしみ、犬たちの吠える声が重なりあっていた。
 
 「これは、震度2、いや、3ぐらいかな〜」

 のんびりと私が言うと、

 「え〜、もっとありますよ〜、あんなに揺れたのに....」

 とゲストの方が言った。
 そう言えば、地震道りに住んでいる私は、いつの間にかあまり驚かなくなっている。昨日のようにジワジワと強くなる地震には不安を抱くが、最初からドーンとくるようなのは、けっこう笑顔で対応している。
 後でTVで確認をすると、4近くはあった。室内の時とは違い、大地の上で体験すると、穏やかに感じるらしい。

 雨は、とうとう夕方まで続いた。雨足こそ穏やかになったが、2日間の降雨で、土の部分は水田のようである。そこに、昨日、全国各地から来られた仲間たち、そして今日、サッポロから車で来られたCさん夫妻と愛犬のシーズーの正太の姿があった。
 ようするに、泥だらけの人間が出現したのである。その原因は、いつものように我が家の犬たちである。初めての方であろうが、人間が大好き、跳びつき、身体を預けて甘え、遊びと美味しいものを催促していた。

 犬もやって来た。正太に加えて、同じ雰囲気のチベタンスパニエルの『とこ』、さらに我が家生まれのサモエドで、現在は知床で暮すレヴンである。
 マロをはじめ、我が家の犬たちの匂い嗅ぎ確認行動に耐え、けしてケンカをすることなく平和の中に加わっていた。
 レヴンは、ひとしきり犬たちに挨拶をした後、開いていた玄関に突入し、そのまま居間に入ってきた。顔は笑って嬉しそうであり、居間の中の10数匹のネコたちに遠慮をしながら、床に泥足スタンプを付けていた。

 「おいで、レヴン、ほらっ、足を拭いてあげる...」

 珍しく、女房ではなく私が大きなタオルを手に奮闘した。ますます白く、そして美人になるレヴンは、実は私のお気に入りの1匹である。これも依怙贔屓かも知れない。

 そうそう、依怙贔屓と言えば、サモエドールのルーイも居間に入れた。10月初旬に家族に加えて下さるRさんが来られており、コーヒーを飲みながら、生まれてからの事を、実際にルーイを前に話したかった。
 まさに泥犬だったルーイは女房が風呂場で洗った。シャワーも恐がらず、実に良い子だったらしい。

 正太、レヴン、そしてルーイ...。居間は追いかけっこをする犬たちと、それを眺めに出現したネコたち、さらに、笑顔で取り巻く人間で溢れた。
 2匹の子ネコたちと昼寝をしていた三毛ネコのエは、時々、毛を立て、短い尾を身体の幅ほどにッ膨らませて怒り、生後1週間の子ネコを抱いているアメショーのワインは、ゴリラの口(おれはネコ用のベッドである)から顔を出して、穏やかな瞳で犬たちの動きを監視していた。

 私は、この光景が好きである。ヒト、犬、ネコ、3つの異なった種類の生き物が、それなりに仲良く、そして気をつかいながら、遊んだり、食べたり、そして話をする....。
 まさに雑居であり、心穏やかになる原点のような気がする。

 明日も、ヒトと犬のゲストが顔を見せてくれる。どうか、大地の揺れは、その時までに収まっているように、そして太陽が顔を見せてくれますように.....。



2003年09月26日(金) 天気:雨ときどき曇り 最高:17℃ 最低:10℃


 目を覚ましたのは私も女房も同時だった。

 「大きいぞ!」
 
 私はそう一言、それを聞く前に女房は「子犬たち....」と叫んで階下に急いだ。
 停電はしていない。小さな灯の下で、部屋の角のテレビが下の台ごと揺れ、寝室の入り口の横にある鏡台が私に向かって倒れてきた。
 とっさに両手で鏡台に鏡の部分を押さえ、そのまま抱きつく形で左右の足を踏ん張って支えた。いや、次の行動がおこせないほどの地震と言うべきだろう女房の後を追って階段を下りたかったが、横揺れは本格的になり、身動きがとれなかった。

 斜向かいの部屋から息子が出て来るのは分かった。互いに何か言葉を発したのだが、凄まじい家鳴りが邪魔をし、かすかに犬たちの吠える声が聞こえた。

 地震のもっとも不気味なところは、どのぐらい大きくなり、どのぐらいの時間続くのかが不明な点だろう。
 鏡台を抱いたまま翻弄される私は、9年前の東方沖地震を思いだしていた。1994年10月、午後10時過ぎの震度6だった。食器の9割が細かく砕け、停電と断水が、しばらく続いた。

 階段の横の棚に並べていた雑誌が崩れる音がした。息子の部屋でも大きな音がした。寝室のテレビは壁にぶつかり、つい1分前まで穏やかに布団の上で寝ていたネコたちが、ふらつきながらも居間に降りて行くのが見えた。

 さて、どうしようか....と覚悟を決めようとした時に、突然、揺れは細かくなり、家全体でシェイクをしている感覚がなくなった。

 階段周辺に散らばる本をまたぎ、ライトのスイッチを探してつけた。

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 沈没します、続きは明日とさせていただきます。
 おやすみなさい!



2003年09月25日(木) 天気:雨・雨・雨 最高:16℃ 最低:8℃


 明け方からの雨は静かに降り続き、夜になって雨足が強くなった。
 以下、後ほど.....です。



2003年09月24日(水) 天気:曇りのち晴れそして雲 最高:21℃ 最低:5℃

 多頭数の犬と暮していると、彼らの集団ヒステリーならぬ集団での吠え声に、
 
 「うるさ〜い、いいかげんにしろ〜!!」
 
 と叫びたくなることがある。幸いにも、
 
 「ほらっ、隣のオジサンに、また怒られるよ、静かにして....」
 
 この言葉は必要無い所に住んでいるので(関係者以外の隣家まで2キロである)、自分の耳さえ塞ぐ物があれば、問題は起きないが。

 それでも、犬たちが声を和して啼くたびに、単にウルサイだけではなく、何故、どうして、何に対しての声なのかと観察を続けてきた。
 我が家に来る車で言えば、まったくの初めての来訪者(車)よりも、犬を乗せて1度でも来たことのある車のほうが、確実に群れ全体から吠えられる。
 以前のように犬が乗っているかどうかは曇りガラスで見えないとしても、犬たちは記憶によって大騒ぎをする。

 そして今日、また新しいセオリーを私のノートに記す事になった。

 『白いネコは、犬の吠え声を誘発する』.....である。

 以前から、勝手口を開放した時に、突然、犬たちが吠える事に気づいていた。その声を聞いた私が、自分で動くのは面倒なので、さりげなく女房に言葉や視線で確認を促すと、女房は軽く外の犬の視線を見ただけで、

 「レオでしょう、きっとメエスケの柵の方に行ったのよ...」

 私が椅子に掛けたまま、背を伸ばして窓から覗くと、確かにターキッシュバンキャットのレオが、長く白い毛を風に揺らして、ゆっくりと歩いていた。

 また、ある時は、女房はこう言った.....、

 「ミンツが木を駈けあがったんじゃない、ハルニレの方を犬たちが見ているから...」

 これも正解だった。短尾の白ネコ、ミンツが、太い枝の上で爪研ぎをしていた。それを見つめて、近くに繋がれている犬も、遠い所の犬も大声で吠えていた。

 同じ事を他のネコもする。たとえば、キジトラの小次郎、クラシックタビーのカールやパドメなどである。しかし、彼らは、ほとんど吠えられる事はない。

 やはり、犬たちに緊張を作るのは、全身の被毛が、白を基本とするネコだけだった。
 これは、外に出た時だけではない。居間の大きな窓には内側に低い椅子のような部分がある。そこでネコたちは外を眺め、日光浴をする。
 その窓の下には、フレンチブルのタドンの小屋があり、そこから3メートル先にレオンベルガーのベルクやサモエドのラーナ親子が入れられているサークルがある。

 日に何度か、背の低いタドンが、猛烈に吠えながら窓の枠までジャンプをする事がある。居間から見ていると、あのゴツイ顔がヨダレをまき散らしながら見えたり隠れたりするので、実に楽しいショーのように思える。
 タドンのこの動きが始まると同時に、ベルクもラーナも、その向こうに繋がれているベコもチロルも猛烈に吠える。

 この原因は、室内で見つかる。そう、タドンの小屋の真上のガラス越しに、ミンツかレオ、ルドが外を見ているのである。
 まさに白いネコである。この存在は、犬たちの視力によって簡単に発見され、そして怪しい存在として吠えられる。

 もちろん、ごく接近して、相手が同居しているミンツだと判れば、タドンたちも啼きやみ、襲ったりはしない。
 しかし、15メートル以上離れていたり、汚れたガラスの向こうに、のっそりと姿を現すと、これは犬たちにとって、まさに『怪しい生き物』なのである。それが、木登りなどの急な動きを始めたならば、もう、クサリを引きちぎらんばかりの大騒ぎになってしまう。

 このような事実を考えると、なぜ白い毛のネコがいるのか、不思議に思えてくる。イエネコは祖先のリビアヤマネコを含めて、非常に臆病な生き物である。従って、イリオモテにしろツシマにせよ、ベンガルでも、白は禁忌であり、木もれ陽や草むら、林に相応しい迷彩系(マッカレルやスポット)の被毛を持っている。
 それなのに白.....、いや、すべての1色系を含めるべきだろう、「なぜ?」の中に。

 まだ調査は終わっていないが、これはやはり家畜としてのイエネコの地球上での拡散の歴史と、仕事の大きな部分を占める愛玩の役割が原因だろう。
 船乗りの手によって、あるポイントに居着いたネコは、数に限りがあるがゆえに、そこでの近親結婚により(地域隔離的)、特殊な毛色が出現固定した。
 そして、金持ちは、自分だけの『珍しい物』にこだわり、本来ならば自然淘汰される因子を持った子を、その財力と暇と使用人の数にたよって助けあげることができた。

 どう考えても、白ネコは、あの輝くような姿に、そんな過去を背負っている気がしてならない。
 なぜなら、犬のなどに発見されやすいだけではなく、難聴、皮膚病、視力等、様々な遺伝の病が、有色系に比べてとても多いのが白ネコなのだから。
 

 



2003年09月23日(火) 天気:快晴 最高:20℃ 最低:6℃


 『秋晴れ』『爽やか』『清々しい』.....そんな言葉は、まさに今日の為に作られた、そんな気がする1日だった。
 時々、西の山を越えて出現する小さな雲は、大きな青空に鮮やかな白を示し、緩やかに北西に流れては地平線に届く前に痩せて消えていた。

 秋分の日、陽光は傾きを示し、ずいぶん室内の奥まで照らすようになってきた。床板が白く光る部分を辿るように、ネコたちが移動しながら昼寝を楽しんでいる。
 玄関の廂をかすめて入り込む光の下では、同じ箱に入れられた柴犬5匹、サモエド4匹の子犬たちが、ぬくもりを仰向けの腹に受け、穏やかな寝顔を見せていた。
 面白い事に、あまりにも今日の太陽は眩し過ぎたのだろう。なるべく目の位置を陰に持って行こうと、子犬たちは玄関の扉側に頭を向けて並んでいた。試しに太陽側に位置を変えると、モゾモゾと芋虫のように動き、やがて尻太陽に落ちついた。

 11時、庭の西側の林からコエゾゼミの声が聞こえた。先日までのような勢いは感じられない。そして、声に和すものもいない。朝の気温は6℃、間もなくの霜を前に、去り行く季節への別れの挨拶を、たった1匹のセミが奏でていた。

 午後1時、札幌から帰郷している息子の運転する車に、私は初めて乗った。
 この勇気ある行動は、まさに意を決しての事である。息子は、昨年の夏に免許を取得していた。しかし、車を持っているわけでもなく、札幌という交通の便利な所に住んでいるので、運転は数えるほどである。
 しかし、このままペーパーでも困る。そこで、昨日は、女房が横に乗り、女房の車でマニュアル車の練習、今日は、私のルネッサでオートマ車のトレーニングとなった。

 助手席の私は、まずシートベルトをしっかり締めた。運転している時以上に前方を凝視し、後方に気を遣った。
 ツヤマ家への取り付け道路が見えた時だった。左側の路肩に動く影があった。息子は気づいていないようだった。

 「ゲンヤ、シカ、左側、渡るぞ、徐行!!」
 
 「えっ、どこ?」

 少し逆光で見え難かったのだろう、何よりアスファルトの道を見ていたのだろう。息子の目はエゾシカを探した。
 母親と子鹿、2頭は、ルネッサの40メーチルほど前を、右のツヤマ家側の牧草地を目指して道を横断した。

 エゾシカやキツネが、思わぬ時に飛び出てくるのが北海道東部の道である。徐行以上のブレーキに二人で前にのめりながら、無言の息子が、心に注意事項をメモしたのを期待した父だった。
 



2003年09月22日(月) 天気:曇りのち晴れ 最高:16℃ 最低:8℃


 「身体に障害があろうとも、本人は普通に生きていこうと思ってるんですよ〜」......かなり前に会った車椅子を使われていた方の言葉である。

 「もちろん自分ひとりではできない事もたくさんあります。でも健常者の方でも、様々な障害がありますよね、ほらっ、1カラットのダイヤが欲しくても貢いでくれる相手がいないとか、女優になりたくても顔がイマイチとか....アハハハ」

 大きな声で笑いながら話す彼女は、実に堂々としていた。そしてユーモアに溢れる言葉が次々と出ていた。

 「一番辛い事はなにか、と聞かれると、私は、赤ちゃん扱いと返事をしています。話し掛けてくれる方は、もちろん善意からなんですが、結構、幼児に話すような語彙を使われる方も多いんです。ニコニコと聞いてあいづちを打っていますが、少し寂しいのは事実です....」

 「私は自分の脚で歩くことはできないけれど、心は20代のひとりの普通の女です。好きな男優もいますし、すれ違った男性に、どきどきする事だってたくさんあるんです。けして天使じゃない!」

 「だから、あたりまえの言葉で声を掛けてくれると、本当に安心するんです。ああ、私も飾らなくて、演技をしなくていいんだ〜って....」

 「ほらっ、ここの犬たちはそうでしょっ、私が座りっぱなしだから、みんな寄って来て、尾をいっぱい振ってベロベロなめてくれる。もう、幸せ!きっと犬たちは、他の背の高い人だと届かないけれど、ここに丁度良く座っている女がいる、遊んじゃおうって思ってるのかな?!」

 確かに、彼女に甘え挨拶に行く我が家の犬たちの姿を見たとたん、付き添いの方たちは、あわてて犬を近付けまいとして首輪を掴んでいた。
「私はだいじょうぶ、嬉しいのよ」と言う彼女の言葉がなければ、車椅子の周りには、頑健なバリアが張られたであろう。

 この記憶が残り、そして、いわゆる『障害者』とされる、目に見える部分に障害を持った方々(その何倍も見えない部分に傷を持った人はいると思うが....私を含めて)の話を聞いて、私は、特別な気をつかう事をやめた。笑顔で、そして大きな声で、いつものように話をするようにした。それは、とても楽なことだった。

 今日、車椅子の方が来られた。
 言葉も不自由だったが、アラルやシグレの子犬を抱いた時には、こぼれんばかりの笑顔をされていた。ネコが大好きなようで、ワインの子ネコ、そして駈け回り、人を走り登るエのワンパク子ネコに瞳が輝いていた。
 チャンスとばかり、膝の上に上がって寝ようとする大ネコも出現し、賑やかな居間は、ゲストが来られた時の、いつもの光景だった。

 車椅子の方が、もっとも不便に思うのは、ペットに関してだと聞いた。1匹の犬、1匹のネコを飼いたいと思っても、世話を考えるとあきらめてしまうと言う。ようやく日本でも認知された介助犬にしても、横にサポーターがいて、はじめて可能になる。
 何とか、本人だけで全てのケアができる犬やネコを育てられないものか、私は、そんな事を考えながら、居間にあふれた笑顔の波に嬉しくなっていた。



2003年09月21日(日) 天気:晴れのち雨 最高:20℃ 最低:8℃


 人間以外の生き物たち、その中でも胎生の哺乳類に関して考え続けた事がある。それは『愛』という事に関してである。

 馬も牛も、犬もネコたちもキツネも、誕生した子供を、母親はとても大切にし、可愛がる。時には自分の身の危険をかえりみず、苦難、困難、危機に立ち向かう。
 これは人間ならば、まさしく『母の愛』である。では、犬やネコなどではどうなっているのかと、長い間、誕生とその後を関心を寄せて見守って来た。その結論が、ようやく自分なりに出せる気がしている。

 一言で書くならば、
 『母犬、母ネコの愛は化学であり、科学とも言える』...となる。
 人間のように、『腹を痛めた吾が子』的な記憶を中心とした『想い』『情緒』、さらに『自分の子供は可愛がる事』という社会的な規範による母性愛ではなく、まさに生化学の結果として毋犬たちの愛は成立している。

 もう少し分りやすく書き直してみよう。
 生まれた子犬、子ネコ、子馬などが、どの段階で母親にとって、自分の子となるのか、そのタイミングを長く観察し、時には実験を行って来た。
 それによると、産まれ落ちてすぐの段階で子犬を素早く隠してしまっても(子馬でも子ネコにおいても)、母親は特に騒ぎはしないのである。時には、産道で破水して生まれてしまうと、出て来た子犬よりも、陰部から出た羊水の跡ばかりを舐め、まったく子犬に興味を示さない事もある。

 馬では、もっと際立っている。生まれてすぐは、どんなに人間が子馬を触りまくろうと、母馬はすべてを許してくれる。ところが、翌日、子馬に近づこうとすると、ほとんどの母馬が、子馬と人間の間に身体を入れ、近付けまいとする。さらに耳を倒して首を上下に振り、わが子に近寄るな、の信号を発することも多い。
 これは、まさしく母と子の関係(絆)が出来上がった証明である。それは生まれた時からしばらくはないのである。後天的なものなのである。

 先日の柴犬のシグレでも実験をしてみた。痛みに悲鳴を上げ、苦しさの中で産み終えた3匹目の子犬を、私はすぐに奪い取り、子犬の声の聞こえない所に置いた。シグレは騒ぎはしなかった。後産を食べ、陰部を丁寧に舐め、そして腰の下の布を舐めた。
 しばらくして、隠していた子犬を見せると、はじめはキョトンとしていたが、鼻を寄せ、ようやく舐め始めた。
 次ぎには、子犬の代わりに、羊水やら胎盤の濃い緑色の液体やらを子犬サイズのおもちゃに擦り付けでシグレの前に置いた。彼女は、子犬に対するのと同じように、何度も舐め、前足の間に挟み込んでいた。

 先日、偽妊娠だった津山家のアズキが、風呂にあった小さなアヒルのオモチャを子犬に見立てて育児行動をしたように、母犬の愛は、ある条件さえ整えば、様々な形で出現するのである。相手が命あるものではなくても、科学(生化学)が愛を誘発してるのである。

 これを如実に示す事件が、昨日、我が家で起きた。

 7時、あわてて起きた私に、女房が困った表情で話し掛けてきた。

 「おとうさん、どうしよう、ワインがエの子ネコをくわえて運ぼうとしているのよ...。大きいからテーブルから床に落とすし、嫌がる子ネコが暴れるし...」

 「私が子ネコたちを放しても、少しでも声が聞こえると、すぐに鳴いて探しに行くのよ...」

 目の前で、それが繰り広げられていた。
 私の姿を見て、餌をおくれと鳴いた子ネコの声を聞き、少しトーンの高い、子ネコを呼ぶ時に使う母ネコの声を返しながら、ワインは寄って行って子ネコの首筋をくわえようとしていた。茶トラは、すでに1キロを超えている、なかなか持ち上がらず、最後には引きずるようにして、間もなく始まるワインの出産に備えて置いてあるゴリラの顔型のベッドに運んで行った。

 「これは、近いよ、ワインは産むよ...」

 その後、私は隣町での競馬大会に行ってしまった。午後、家に戻ると、ワインは自分の小さな子ネコをすでに2匹、ゴリラの顔の中で抱いていた。
 80グラムに満たない小さな子ネコたちは、懸命に乳首に吸い付いていた。その身体を舐めながら、ワインがゴロゴロと幸せの喉鳴らしをしていた。
 その時である、また私の姿でエの子ネコが鳴いた。ワインは顔を上げ、再び朝の声を出し、腹の2匹を振りほどくように立ち上がると、エの子ネコを目指して歩いて来た。

 「ほら、もうこの子たちはいいのよ〜、充分大きいのだから。自分の子ネコの面倒だけをみなさい、ワイン!」

 女房の声は真剣であり、ワインが落ち着いて育児をするようにと、エの子ネコたちを寝室に隠してしまった。

 朝からのワインの不可思議な行動、これが、まさしく『愛』である。生化学的に、愛が生まれる条件が揃ってしまったのである。
 それは、プロジェストロン(主たる黄体ホルモン)の減少であり、それを促すプロスタグランジンF20の増加である。もちろんエストロジェンも仕事をしているだろう。
 このホルモン環境に変化をした時に、母ネコは真の母となり、私たちが母性愛と称する様々な行動を示すようになる。
 そう、1日前、いや、昨日の明け方までは、ワインは、いくらエの子ネコが鳴いても、特別な関心は示さなかった。それが突然に変化したのである、内分泌的な指令により。

 さらに不思議な事は、今回のワインのように、出産前から行動を示す事もあれば、生まれ、匂いを嗅ぎ、舐めてから、初めて全ての鍵が外れ、母となるケースもある(こちらの方が通常である)。
 そして、気掛かりだったサモエドのアラルの今回の出産の説明もできると思う。
 あれほど産み出すのに苦労し、産み終えた後も、すぐに育児行動に入らなかったのは、出産に備えたホルモン環境に達する前(早産のある典型)の、体内生化学分野の計算外の事だったからだろう。
 ひょっとすると、巣作りのために、数日前から狭い床下に入りこんでいた時に、何らかの物理的なショックを子宮に与えた可能性もある、そう私は思っている。

 なにはともあれ、目に見えない微量な物質が、生き物たちの行動をリードしている事に驚くとともに、このように複雑で、そして素晴らしいバランスを作り上げた生き物自体の進化に感動している。

 



2003年09月20日(土) 天気:晴れ時々曇り 最高:20℃ 最低:7℃

 16日からの日記を書こうと、何度もチャレンジをしているが、どうしても記載ができない。文章が浮かばないのではなく、日記フォーマットに問題があり、いつものように期日の訂正ができない......。
 従って、16〜19日の日記は、別の形で記録し、後日、詳しい方に相談の上、アップすることにしよう。
 読んで下さっている皆さんには、突然の迷惑で、本当に心苦しい、少々、時間をいただきたい。

 テストとして、ここまでを一旦、送ってみよう。多分、これは今日の分だから受け付けてくれるだろうが.....。

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 テストOK....!!
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 深夜、息子を乗せて中標津に戻った。450キロの道中、雨が降り続いており、いつもよりも2時間も余計に時間が掛かり、8時間の旅だった。まあ、自分ひとりの運転の時は、ついアクセルをふみ過ぎてしまう事も理由だろう。

 家に着くと、開放された玄関から、育児中のアラルが出て来た。雨の中、庭の中央に立ち、ヘッドライトの中で耳を軽く倒し、尾を緩やかに振っていた。その光景は、まるで映画の1シーンのようで、しばらくの間、車を停め、エンジンを切らずにアラルを眺めた。
 
 子犬たちは、みな元気だった。シグレの5匹の柴っ子は、雨を避けるために玄関の外の廂部分に移動されたサークルの中の箱で寝ていた。
 アラルの4匹は、玄関の中の育児箱で、固まって眠っていた。手で軽く触ると、ビクっと身体を震わせて目覚め、私の方を見た。そう、目がしっかり開いており、まさしく私を見たのである。
 ミルクもしっかり飲んでいるのだろう、どの子もよくふくらんだ腹をしていた。

 起きて待っていた女房から、留守の間の出来事を聞いた。いくつか気になる事も入っていたが、何より雨のドライブの疲れで、私の瞼と心は『おやすみ』と言っていた。

 そして朝、顔がくすぐったく感じて目を覚ました。チャーリーが私の顔に自分のヒゲを擦り付けていた。枕元の時計は7時を示していた。
 
 「あっ、いけない、今日は競馬だ、早く犬たちの世話をして行かなけりゃ....」

 車で20分ほどの別海町の競馬場に着いた時、すでにレースは始まっていた。王国の仲間が参加をしている第1レースがゴールをするところだった。キャンター2000メートルの予選である。仲間が通過したかと、私はそれを真っ先に知人に聞いた。

 レースが終わり、騎手も馬も、そして応援をしていた仲間たちも馬繋ぎ場に戻って来た。王国の連中以外の顔がいっぱいいた。横須賀のFさん、Gさん、東京のKさん、埼玉のNさん御夫妻、川崎のKさんはジョッキーとしても何度も来られている。茨城からはKさん父子、そして、釧路のHさん一家、隣町の3人娘....ああ、書き記していくときりがない。
 とにかく、まるで七夕のように、1年に1度のこの競馬が、再会の場となっていた。話は限り無く、そしてみんなが笑顔であり、秋めいた青空と涼しい風に似合っていた。

 この競馬大会では、駈け(キャンター)、速歩、2輪車を曵くケイガ等々、数多くのレースが組まれていたが、<第6レース・ムツゴロウ特別キャンター1000メートル>、これが私たちにとってはメインレースだった。
 私はジュリに乗った。いつもの事だが、レースで乗るのは初めての馬である。もちろんジュリでの練習もしていない。誤解がないように書いておくが、他の仲間たちは何度も自分の騎乗する馬でトレーニングをしている。3ヶ月かけて自分の体重を落とす努力をしている男もいる。

 昔は、私もそうだった。数カ月前からレースを目指したものである。でも、最近は、参加希望を出す時に、希望する馬の名前は書いていない。愛馬を決めている仲間を優先し、若く無いベテランは余った馬で構わないと、ど〜んと落ち着きを示している。
 馬の割り振りを行っているタカスギ氏が、そんな私に気を遣ってくれたのだろう、今回はなんとジュリだった。別海の競馬場でジュリとくれば、もうかなり前だが、ナイナイの岡本クンが優勝をしたレースを思い出す。

 「よし、ひと泡ふかすか、ジュリと....」

 ほんの少しだが、私はそう思った。
 でも、栄冠を求めて努力をしてきた連中ではなく、「あいよ」と言う気楽さで乗った私が勝っては、『努力は報われる』という人間にとって大切な真理の道から外れる事になる....さてどうしよう.....。

 などと考えたのは、ジュリにまたがる前までだった。ゼッケンを付け、いれこむジュリをなだめ、赤い旗が振られると同時に大声でジュリに気合いを入れた私は、正しく競馬、レースの事だけを考えて乗っていた。

 今日のレースは王国の馬が7頭、それに、ムツさんが海外取材のために出られない寂しさを補おうと、ムツさんや私たちの古い友人のKさん父子が、仕事を置いて茨城から特別友情参加をしてくれた。
 合わせて9頭、厳正なハンデのもと、レースがスタートした。
ジュリ、フウセツ、ケイタの3頭はハンデなしである。しばらくは後ろの馬を気にせずに先を楽しめる。すぐ前を行くフウセツの尻と騎手のHさんの声を聞きながら、私はジュリと楽しんで1コーナーに入っていった。耳元で鳴る風の音がここちよかった。

 向こう正面の中ごろで、ハンデを背負っていた連中の足音が聞こえてきた。3コーナでリュウ、ツキコが、オジサンジョッキーをいたわる事なく、あっさりと抜いて行った。
 その時である、私はなんの指令も出していない、ムチも右手に持ったままで、見せてもいないのに、ジュリが加速をした。
 これは、馬自身が持っている個性である。このような馬に乗ったのは初めてと言ってもよかった。

 「ありがとう、ジュリ、行きたいか〜?、うん、全速じゃないぞ、ヒロさんについていく程度でいいぞ、全速は直線に残しておこう....」

 ジュリはそれも理解した。ヒロさんの乗っているフウセツの後ろに位置を変え、遅れない程度に頑張った。

 4コーナーを立ち上がり、最後の直線に入った。みんなが一斉にムチを入れ、声を張り上げる。小学生の岬樹までもが、大人顔負けの声で月子を励ましている。ヒロさんは紳士の姿を3コーナーに置き忘れてきている。
 そして、頭に立っているリュウに乗っている騎手は、声もそうだが、後ろから見た姿は、さっそうと、そしてシャープな感じがしていた。
 Tクンである、まだ獣医学科の5年生で、9月1ヶ月の予定で実習に来ている。元馬術部の彼には、その馬好きと乗馬好きをみそめた浜中の高橋氏が調教師、コーチをかって出た。8月、自分が乗って中標津競馬で優勝をしたリュウを、なんと譲ったのである。
 
 ふたりの想いと、練習の時間の積み上げは、まさに実ろうとしていた。それを3馬身後ろから眺めて追うのも、これまた楽しいものだった(実は、悔しいが、ジュリは懸命に駈けていた...)。
 
 ゴールまで50メートル、自称ムツさん代理で特別参加のKさん父子が、鬼のような勢いで追い込んで来た。Kさんたちの技量と馬の違い(配合が王国とは異なる中間種である)が感じられた。
 Kさん父子、Tクン、ヒロさん、小学生のコウキ、そして控えめに私.....、心踊るレースの中に自分がいる事を、駈けている仲間に、そしてジュリを選んでくれたタカスギ氏に感謝していた。

 夕方、犬たちと散歩に出た。いつものように1メートルの高さの土手に、犬たちに続いて跳び乗ろうとして、私はつまづいて転んだ。太ももと背筋が痛み出していた。
 右手の拳で背を軽く叩き、私はニヤリとしていた。

 

 



2003年09月15日(月) 天気:曇り時々晴れ 最高:18℃ 最低:12℃

 まずは、阪神優勝おめでとう.....と書いておこう。
 王国にもヤマちゃんをはじめ、数人のファンがいる。めったにこんな年はないのだから、大いに喜んでもらいたい(怒られるかな、こんな書き方をすると....)。
 私は、セ・リーグは優勝はどこでも構わない。しかし、某お金持ち球団よりは、他の方が気持ちは軽い。
 それにしても、近鉄は......。まあ、「らしさ」が出ていて良しとしよう。目指せ来期の優勝である。

 古園さんがビアンカとボギー、そしてモンチッチを連れて我が家に来た。これまでにも何度か寄った事はあるが、犬たちは車の中で待機だった。
 しかし、今年は春から、我が家の連中に、よその大人の犬(オスでもメスでも)が来ても、歓迎するようにとのトレーニングをしていた。
 多くの皆さんの協力で、確実に成果が上がっていた。それを確認するには、まさに最高のゲストだった。
 
 と言うのも、グレートピレニーズのビアンカは、長年、浜中の王国でトップを続けてきている大物だからである。おまけにその懐刀的なボギーが一緒である。

 「いいよ、ビアンカたちを降ろして...中央のサークルに入れて、ベルクたちの所...」

 「え〜、いいんですか?!」

 石川グループの縄張りの真只中である、古園さんが躊躇するのも当然である。いや、犬を知る人ほど避けるシチュエーションである。
 でも私は9割以上の確率で、事故(ケンカ)は起きないと思っていた。

 ビアンカが降りた、続いてG・シェパードのボギーが。しかし、バセットのモンは、あまりに凄い我が家の犬たちの吠え声に、私は遠慮しますと、外には出てこなかった。

 周囲を見渡しながら、2匹は古園さんの後をついて庭を進んだ。カボスとシバレを先頭にうるさいほどの声が響いている。さすがにビアンカである。けしてパニックにならず、1匹1匹を眺めながらゆっくりと歩いている。

 そして、サークルである。
 迎えたのはベルクとラーナ、そしてルーイである。ベルクとラーナが軽く尾を振りながらビアンカに挨拶、そして確認に行った。
 10秒であった。互いに存在を認め合うのに掛かった時間は。その後は、ベタベタするわけでもなく、かと言って唸り合う事もなく、自然に行動していた。
 ボギーは不安が残っていた。家の中に入った古園さんの姿を探して、サークルに前足を掛けて周囲を見渡していた。でも、ジャンプをして出ようとはしなかった。

 そして3時間、人間が打ち合わせをしている間、ビアンカとボギーは静かにサークルに入っていた。周囲の犬たちも静まり、ベルクは大型犬どうしの波長が合うのか、ビアンカの近くで寝ていた。

 帰る段階になり、再び庭に出たビアンカは、カボスやマロに穏やかに接近し、匂いを与えていた。
 今日の結果は、私に大きな自信を運んで来てくれた。次回は、ともに散歩をしてみよう。



2003年09月14日(日) 天気:晴れ 最高:25℃ 最低:14℃


 それほど酷い雨も降らず、植物をいじめる強風も吹かずに台風はオホーツクに抜けた。
 南東からの風が吹き込み、気温はどんどん上がり、めでたく夏日である。おかげで我が家のネコたちのトイレに使っている砂がよく乾いた。

 我が家では、ネコ砂は使い捨てではなく、洗って何度も使えるタイプを利用している。20匹もいると、捨てていては膨大な量になるからである。
 
 タライに砂を入れたトイレ、大便は1日に何度も回収している。底の方の砂は小便で湿って行く。3〜5日で臭いが上に辿り着く、そうなると新しいのと交換になり、使用された砂は、洗って水につけを3日ほど繰り返し、その後、ザルや女房手作りの金網の箱に入れられて日光で乾燥することになる。
 だから、太陽と風は大歓迎なのである。

 暖かい日を大切にと、今日は、柴犬のシグレ親子を庭に設置してあるサークルに入れっぱなしにしている。
 サークルの中に育児箱を置き、直射日光を避けるために布天井を作ってある。その下で子犬たちシグレの乳首に吸い付き、爽やかな風にまどろんでいる。

 いつもは室内に入れる午後6時、寒暖計は、まだ20℃を示していた。

 「ねえ、外のほうがおとなしいと思う、子犬たち....」

 「シグレも舌を出していないし。このまま出しておこうか...」

 私は玄関のアラル親子、女房は2階の部屋でシグレ親子に付きあって夜を過ごしてきた。室内は、やはり暑いようで、シグレはベッドから出て床でのびている事も多い。

 「そうだね、この気温ならもう大丈夫かな。よし、何ごとも経験、今夜は外だ!」

 午後8時、気温は17℃。
 シグレが箱に入ってミルクを与えていた。暗がりで穏やかな授乳が続いていた。

 午後10時、気温15℃。
 シグレがサークルから出たがっていた。トイレの要求である。付き合うと、100メートル先の牧草地で大小便を済ませた。
 子犬たちは箱の中で熟睡している。やはり外の気温である、5匹が、なんとなく集まり、身体を付け合っている。これが2階の部屋だと、5匹は散らばって寝ていた。
 
 用を足してサークルに戻ったシグレは、ジャーキーを食べ終えると、箱の前の土の上に伏せ、静かに寝る体勢になった。
 
 雲間から、鮮やかな月が顔を出し、庭の犬たちが見てとれる明るさになった。
 静かな夜、シグレっ子は夜露を布団に朝を迎える。

 



2003年09月13日(土) 天気:雨、そして雨.... 最高:18℃ 最低:15℃

 明け方からの細かい雨が、時間の経過とともに徐々に強くなり、夜に入ってからは、かなりの降りになっている。
 また台風である。宮古島に大きな被害を与え、韓国、とくに私の大好きな済州島を襲い、その後、日本海を早足で北上している。
 このまま行くと、札幌周辺に再上陸の恐れがあるようだ。なんとか被害はあったとしても軽微で終わるように。

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 おっと、2階からシグレが降りて来る音がします。では、アラルとシグレのトイレ散歩に行ってきます。この2匹は、雨も平気なので、必ず遠くまで行かなければなりません、人間が弱音を吐きます。では、続きは後ほど....。
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 続きである...。

 ラーナの子犬で1匹、我が家に残っているルーイが名前を完璧に覚えた。
 サモエドール(サモエドとラブのハイブリッドを勝手に命名している)のルーイは、10月に旅立つ。それまでは母親やオビをはじめとする仲良し兄貴たちと一緒にいられるので、幸せものとも言える。

 我が家で生まれた子は、だいたい2ヶ月過ぎから3ヶ月で新しい家庭に貰われて行く。ルーイのようなケースは珍しいので、他の犬との関係、特に母親との間がどのように変わっていくのか、私は、小さな目ん玉をしっかり開いて観察している。

 ルーイと母親のラーナは、常に同じスペース、同じ時間帯で行動をさせている。餌も、散歩も、サークルに入れるのも2匹同時である。
 今朝、居間からサークルを見ると、大きな方の犬小屋にはベルクが入っていた。もうひとつの小屋にはラーナが入り、ルーイは、その前で濡れながら座っていた。
 小屋は2つである。1匹に1戸とすると明らかに足りない。しかし、まだ子犬として認知されているルーイは、大人の犬たちに同居を許されるはずである。
 それを信じて、あえて小屋は2戸にしていた。

 30分後、雨足が強くなってきた。
 まだ外で濡れていたら、しょうがない、ベルクを車庫にでも移動して、ルーイのために空けようと思っていた。

 窓から見た。15平米のサークルには、濡れている犬の姿はなかった。2つの小屋は、入り口が正面ではなく、右側、左側に寄って付いている。従って、中に入った犬が奥で丸くなっていると、居間側からは確認ができない。
 窓を開けて声を掛けてみた...

 「ベルク、ルーイ、ラーナ!!」

 瞬間だった、左の小屋からベルクが顔を出した。そして右側からは、まずルーイ、続いてラーナが外を覗いた。
 母と子、2匹は仲良くひとつの小屋の奥で寝ていた。私は、ほっとするとともに、声をかけてしまった責任をとり、3匹にチーズを窓から投げ与えた。5個のうち3個をルーイが拾った。なかなか要領の良い子である。

 名前は、かなり前に飼い主に決まっているRさんから『ルーイ』と聞いていた。
 しかし、他の子犬がいる間は、ほとんど呼んだことがなかった。まとめて『コラ〜』やら『オイデ』と声を掛けていたので、彼らはその単語を聞くと駆け寄って来ていた。そのまま続けていくと、自分の名前を『オイデ』と理解した子も出ただろう。

 6日に2匹が旅立ち、ルーイが1匹で残されてから、時々、私と女房が名前を呼んだ。
 最初は、好きな人間から呼ばれているらしい、と言う事で寄って来た。従って『ラーナ』でも、ルーイが尾を振り、笑顔を見せた。

 しかし、みんなが寄って来た時に、それぞれの名前を告げながらジャーキーを与えていると、ルーイは、自分が『ルーイ』であることを理解し始めた。なかなか利発である。
 そして、今日、雨の中での夕方の散歩の時、10匹ほどの犬たちと一緒の時に、『ルーイ』という単語だけに、特別に反応をするようになった。他の名前の時は周囲を見回し、誰が反応しているかを見る姿さえあった。
 これは、多頭数(群れ)で暮していくためには、とても重要な事である。1匹、1匹を見分ける事で、平和を保っている。

 「もう、この子はだいじょうぶだね、どこでも上手に挨拶ができるよ。犬にも、人間にも...」

 「それにしても、ラーナがよく遊んでやってるね、可愛いみたいルーイが....」

 新しい飼い主さん、そして御家族の温もりはまだ感じる事はできないが、それまでの残された日々、ルーイはラーナに溺愛されそうな、そんな感じがしている。

 



2003年09月12日(金) 天気:曇り時々晴れ間 最高:24℃ 最低:13℃


 気温は昨日と同じ数字だが、湿度と南寄りの風のせいか、やたらと蒸した1日だった。
 ムシと言えば、この辺の9月は、まさにムシ(虫です)の時期で、刺すもの刺さないもの、小さいもの大きなもの、様々な音を聞かせてくれるもの無言のもの....等々、コウモリやネコ、カエルに鳥たちが飽食できる季節でもある。

 夕方、犬たちの食器を60ワットのライトの下で洗っていると、腕まくりをした部分だけで5箇所もブヨに刺された。蚊も寄って来ていたが、刺された跡のかゆみと言えば、この小さな昆虫にかなわない。
 
 そして、もっと気に入らないのがサシバエである。日中、室内派のネコたちのために勝手口を開放している。すると無数のサシバエが侵入し、天井や壁に張り付き、夜になるとソファに横になってTVを視ている私の身体にまとわりつく。
 このハエの凄いところは、Tシャツはもちろんのこと、トレーナーの上からでも針を刺す事である。

 本州の都会など、サシバエと無縁な所から来られた方は、思わぬ痛さに、その部分を見て、そこに普通のハエがいるだけなので不思議そうな顔をする。そう、この辺のサシバエは、いわゆるイエバエと見間違う大きさ、姿なのである。

 もともと、家畜、特に牛を狙うサシバエが、いつの間にか北海道中に生息するようになってきた。それでなくても嫌われもののハエである、女房は、まるで親の仇を狙うかのように、夕食後のひとときをハエ叩きを手に、毎夜、奮闘している。
 右手に『ハエ叩き』、そして左手には『菓子箱のふた』...これがハエと闘う時の女房の正しい出立ちであり、殺したハエはふたの器にキープされ、その後、成長中のウコッケイのヒナの餌になる。

 このヒナだが、まあ、凄い勢いでハエをついばむ。2羽が狭い箱の中で、ピピピと鳴きながら争って食べるのである。

 「ミネラル、タンパク、これでOK!」

 女房は、そう言って満足気な顔をしている。

 サシバエは犬たち、特に老いた連中にとっても辛い存在である。彼らはあまり動かず、昼寝をしていることが多い。
 すると耳、鼻先等に無数のサシバエが来て、血を奪っていく。その跡は無惨な傷になり、絶えずかさぶたが出来、そこをまた襲われる。
 頭を振った程度ではハエは逃げず、最後には前足で耳を掻くような仕草をするようになる。こうなると昼寝どころではない、老犬たちの心地よい睡眠は、秋が深まるまで待つことになる。

 冷たい夏のおかげで、今年は虫の発生が少ないと予想していたが、なんのなんの、気温が高くなった日を待ちわびていたかのように一斉に出てきたようだ。
 彼らも必死だろうが、こちらもそうである。明日は私もヒナの餌の確保に励んでみよう。



2003年09月11日(木) 天気:晴れ時々曇り 最高:24℃ 最低:13℃


 朝、フレンチブルのタドンが、私の顔を盗み見るようにしていた。あいつがイギリスから来て何年になるだろう、そろそろ8、いや9年目に入るかも知れない。
 従って、こそこそと私を見ては、小屋に入ったり出たり....この行動のタドンを見つけると、私はすぐに彼の腹の下を覗く。

 「お〜い、手伝って〜、タドン!!」

 これまた長い付き合いである、この単語の羅列のような呼び掛けだけで、女房は全てを理解し、サンダル履きでやって来る。
 
 そう、タドンの腹の下には、直径5センチほどに膨らんだ亀頭が赤い色で飛び出たままになっていた。
 女房が背の方から前足を持ち、タドンを2本足で立たせる。この時に肩に近い部所を持つのがコツで、手先のほうだと痛みで首を振ったタドンの歯が当たることもある。

 私は、目の前にあった水おけからひとすくいの水を、充血し、張り裂けんばかりの亀頭に掛け、土や砂、他のゴミなどを洗い流す。
 そして、チンポコをくるんでいる皮膚を左手でつまみ、右手で問題の物を回すような気持ちで押し込む。

 「ギャウ〜ン!」

 多分、痛いだろう、いや、確実に痛いだろう。
 しかし、入れない事には解決はしない。かなり時間がたつと壊死も考えられる。また、何かにぶつけての傷を負うこともある。とにかく中に入れるのが第一であり、この処置を、私はタドンで100回は行っている。

 「今度は誰だろう?春発情が最初に終わった子は、え〜っと?!」

 「そんなの、タドンを離せば判るよ」

 問題の解決したタドンは、今か今かとクサリを外してくれるのを待っていた。私は、待てと言いながら胴輪からクサリを取った。
 
 「フガフガフガッ」

 一目散にタドンは前方20メートルの地点を目掛けて駈けた。そこには本来は真っ白なんだが、事情があり、灰色、もしくは茶に変色している事の多いサモエドのダーチャが繋がれていた。
 事情....?まあ、穴掘り、泥遊びの大家という事である。

 タドンの突進を、ダーチャは尾を振って眺めていた。タドンがすぐに尻に回り、長い毛の間に鼻先を入れた。いや、これは正確ではない、タドンは鼻らしきものは顔面に張り付いているために、顔全体がダーチャの毛に埋った、とすべきだろう。

 ダーチャは2秒ほど堪えた。しかし、すぐに、

 「ガウ〜!ウッ!」

 と声を上げ、身体をくるりと回してタドンの鼻息を避けた。
 これを何度か繰り返し、どうしてもダーチャの許しが出ないと判ったタドンは、今度は1夜、ダーチャが繋がれてい小屋の周辺を嗅ぎ始めた。大地に鼻を近づけ、どんな匂いの痕跡も嗅ぎとろうとしていた。

 いつもの秋よりも早いけれど、いよいよメス犬たちの甘い香りの季節が始まったようだ。
 その第1号がダーチャになった。今回は、カザフとの間で3度目の結婚をさせようと思う。元気で、人間が大好きで、そして穴掘りやら水遊びが好きな白い子犬が、根雪前の北の大地で産声をあげてほしいものだ。

 タドン独特のシグナルと同じように、カザフにも発情犬を感知した時の癖がある。
 夕方の餌、カザフの食器の中に7粒のドライフードが残っていた。昨日までは舐めるように食べ尽していたのに、である。
 そして、一口も付けなくなった日、ダーチャと結ばれるだろう。



2003年09月10日(水) 天気:雨 最高:16℃ 最低:13℃

 我が家への郵便物は赤い車やバイクではなく、青い4WDで届けられる。月曜から土曜日までの正午頃が、その時間であり、実は隣家(と言っても1キロ以上離れているが)の御主人が配達をしている。もちろん青い車は自家用車である。
 郵政公社の民営化が、ここにきて再び大きな話題になっているが、私の住んでいるような所では、昔から配達業務の民間依託が行われてきた。確かに広大な地域を、すべて正職員だけで処していたら、何人雇っていても足りないだろう。

 今日、隣家のTさんは、午前11時40分に我が家に着いた。受け取った郵便物の中に、1通の嬉しい封書があった。
 さっそく女房が開き、読んでいた。

 「ねえ、あの子、ノエルになったって...」

 女房が便せんを手に私に言った。
 それだけで、『ああ、あのサモエドのメスっ子だな』と私も理解した。

 女房が同封されてきた写真に目を移した。今度は私が小さな便せんを手に取った。

 『・・・ノエルと名付けました。非常にかしこく、教えた事はすぐに覚え、とてもおちゃめです・・・』

 このへんで私の顔と心はニコニコになり、

 『・・・フレンドリーで、歩いている人にはついて行ってしまう・・・吠えてる犬にも挨拶に近づき、鼻を噛まれてしまう・・等々、困った事もありますが、毎日が笑顔で満ちあふれ、楽しく、そしてクタクタになって眠る日々です・・・』

 ここまで読むと、もう顔は崩れてしまっている。

 数多く届く手紙の中で、なにが1番かと言えば、やはりこのような便りである。今ではメールという手段もある。旅立って行った子犬たちの『今』が、文字と画像の中で浮き上がり、そして、その子を取り巻く皆さんの息吹が感じられる。
 これは、実家の乳父(ウブ)、そして乳母には、最高の贈り物である。
 埼玉のH家の皆々さん、本当にありがとうございます。お子さんは6才ぐらいでしょうか、ノエルとの2ショット、満面の笑顔の写真、感激しています。ノエルをよろしくお願いいたします。

 様々な思いを与えてもらったラーナの6匹の子犬たち、すべての名前を列記してみよう。

 * ラーナとセンの子(サモエドール・ハイブリッド犬)
 ・ムク    兵庫県
 ・サラム   札幌市
 ・セラ    広島市
 ・ルーイ   群馬県(10月中旬に旅立つ予定)

 * ラーナとレオの子(サモエド)
 ・ライ ♂  滋賀県
 ・ノエル ♀ 埼玉県

 みんな、笑顔を振りまき、笑顔で迎えられる犬になりますように....。

 



2003年09月09日(火) 天気:雨 最高:14℃ 最低:12℃


 ウンコの調査をした。

 <犬>
*固いカリントウ派
  べルク、カボス、バルト、シバレ、ミゾレ、ダーチャ、チロ
  ル、メロン、ベコ、カリン。
*ソフトカリントウ派
  セン、カザフ、マロ、ラーナ、ルーイ、シグレ、オビ。
*練り歯磨き派
  タドン、アラル、タブ。

 問題になる「ジャー派」はいないので、まあ健康と言えるだろう。
 面白いので1日の回数も書いてみよう。

*1回限定派
  皆無
*2回朝夕派
  ベルク、マロ、カザフ、シバレ、ミゾレ、ダーチャ、ベコ、
  カリン、タドン、メロン、ラーナ。
*3〜4回(早食い、大食い)派
  タブ、セン、バルト、チロル、オビ、アラル、シグレ。
*5回以上、まだお子さま派
  オビ、ルーイ。

 傾向として、回数の少ない子は固いウンコになる。アラルとシグレは普通は1日2回なのだが、今、子育て中なので、いつもの倍量近くの餌を貰っている、従って出るほうの回数も増え、柔らかめの品質になっている。
 お子さまは辛抱がきかない、これは必然であろう。
 今日のような雨の朝は、繋いである状態から解放される時間が遅くなる。それでも辛抱をしているのが柴やサモエドで、他の連中は、やむなく小屋からもっとも離れた所に、こんもりとしている事もある。

 <ネコ>
*これこそカリントウ派
  小次郎、ルド、ミンツ、アブラ、アブラ2世、アニキ、オト
  クロ、子ネコ3匹、パドメ、フィラ、チャーリー。
*ソフトカリントウ派
  ワイン、カール、エ。
*なんべんも軟便を....派
  ニャムニャム、レオ、ハナ。

 ニャムとレオはなかなか軟らかいウンコから脱却できない。あの音を聞くたびに、女房が駆け寄り、すぐに回収している。そうしないと、手で埋める作業にかかってしまうので、大量の砂が汚れてしまうからだ。
 それに比べて、固いカリントウ状態のものは、片付けも簡単で、飼い主孝行である。

 ネコの場合には、突然にウンコの状態が悪くなることがあるので、常に状態を見ていなければならない。多頭数飼いゆえに、現場を見ないことには、個々の具合が判らないのである。
 誰かがトイレ用のタライに入り、前足で穴を掘る動作をする音が聞こえると、女房や私は、近くで眺め、励ましの言葉を掛けて(見られるのが嫌な子は横目で見て)、素晴らしい臭いの物体を確認している。
 なお、ネコの回数はデータがない。室内の15匹で言うと、2日でミソの入っていた5リットルのバケツが満タンになる。
 
 追記として人間も書こうと女房に声を掛けたところ、猛烈な拒絶にあったので、やむなく中止となった。




2003年09月08日(月) 天気:曇りのち雨 最高:15℃ 最低:6℃


 昨日の日記の主人公はオビだった。生後8ヶ月、まだ足を上げて用を足さない少年犬である。
 そして、今日のヒロインはレヴン、そうオビの同腹のメスっ子で、まだ1回目の発情を迎えていない少女犬である。

 我が家から40キロほど離れた知床半島の付け根に暮すレヴンは、地の利と、飼われているAさん御夫妻の素晴らしい方針により、何度か実家への里帰りをしている。
 私は、レヴンを通して、そして迎え入れる我が家の犬たちの様子を観察することで、犬の血縁、そして仲間意識、記憶、等のデータを貰っている。

 午後1時、カボスとベコの吠える声が聞こえた。距離20メートル以上、そしてポイントを決めた吠え方だった。玄関の窓から見ると、レヴンを乗せたAさんの車が停まったところだった。

 今日、私はレヴンにたくさんのニューフェイスを会わせる楽しみを計画していた。
 先ず、弟になるアラルの子犬を見せた。最初はどうしようかと戸惑っていたレヴンも、すぐに鼻を寄せ、そして匂いを嗅いだ。敵意も獲物反応も示さない、ただ静かに匂いを確かめていた。
 
 次いで、居間で生後10日になる柴犬の子犬に会わせた。こちらも匂いを嗅ぎ、そして子犬の陰部を舐める寸前まで行った。

 レヴンは、どちらの子犬にも攻撃や、嫌う仕草はしなかった、と言うよりも、もっと積極的に確認をし、そしてそっとしておく節度を表してくれた。

 「うん、うん、レヴンは精神的にも、きちんと大人への道を歩んでいるぞ...」

 私は、心の中で満足の叫びをあげていた。

 これは以前から感じてた事になるが、レヴンはまだ数百グラムの子ネコに対しても優しかった。けして過剰な興味を示さず、踏み付けないように歩き、シャ〜と言う声を子ネコが出すと、そっと後ずさりをしていた。
 
 「うん、うん、いいよいいよレヴン!!」
 
 今度もまた無言で、私はレヴンを誉めた。

 生後8ヶ月で、生き物としての、犬としての道理を理解しているレヴンを見つめるとともに、私はアラルの行動にも注目していた。
 最初に子犬をレヴンに見せる時も、居間で柴の子犬とアラルの子犬を1箇所に集めた時も、アラルは自由に行動ができるようにしていた。

 アラルは、見事に『自己制御』と『人間への信頼』を示してくれた。レヴンと大人同士の挨拶を交わし、子犬が連れていかれた時も、パニックにはならず、そっと見守り、子犬の声が聞こえると、横に来て状況を確かめ、そして、レヴンが急な接近をすると、鼻に皺を寄せて諌めていた。
 どんな時でも、私や女房の声がすると、アラルの表情は和らぎ、目の前の新しい状況を認めようとしてくれた。

 夕食時、女房とふたりでそれらの事を反芻し、私は祝いの気持ちでビールを飲んだ。

 アラル、そして娘のレヴン、さらに4匹の弟たち、今日はありがとう。



2003年09月07日(日) 天気:晴れ 最高:19℃ 最低:5℃

 昨夜のことである。兄弟の5匹が旅立ち、たった1匹になったルーイに夜食をやりながら、やけに寒いのに気づいた。温度計を見ると7℃、これは明日の明け方にはもっと下がるぞと、覚悟をして上着を持って来た。

 その明け方、そう今朝は5℃を記録していた。青い空、風が止まり、前線が東北あたりに停滞し、北からの寒気と、冷え込む条件が揃っていた。

 町へ用事で出かけると、盆地のような形で広がる中心部の上空を、小さな飛行機が飛んでいた。いわゆるライトプレーンというもので、風が強いと、簡単に車のほうが先行してしまう飛行機だ。
 そう言えば、今日は『中標津空港祭り』だった。そして、今までは異なる日に違う場所で行われていた『伯爵祭り』が、今年から空港に隣接した所で同じ日、今日、開催されていた。
 おそらく体験飛行かデモ飛行だろう。真っ青な空に白い機体が鮮やかで、愛好家の方たちは胸を張っていたことだろう。

 そうそう、『伯爵祭り』について説明をしておこう。べつに何とかハクシャクの歴史が中標津にあるわけではない。『ワセシロ』と言われるジャガイモの別名が『伯爵』なのである。名の知れた『男爵イモ』より美味しいからと付けられた名前である。
 確かに、美味しい。私も大好きで、我が家の裏に種イモを植えた事がある。しかし、実りを待つ前に、すべて子犬が掘って遊んでしまった。
 以来、心騒ぐけれど、私は野菜等の栽培をあきらめている。それよりも、思いきり大地を駈け回り、嬉しそうに地球を掘り起こす犬たちの動きを愛でている。
 叱り声を出さなければならない状況は、少ないほど犬も人間も助かるだろう。

 午後、久しぶりに生後8ヶ月の少年サモエドのオビと、1対1の散歩をした。まだ足を上げて小便をするところを見た事のない幼さを持っているが、実は、30キロを超えた立派な身体をしている。
 きつく叱られることに弱いところがあり、精神的にはナイーブで、そして周囲への気くばりが強過ぎるきらいがある。
 まあ、そのほうが群れの中にトラブルを起こさないので、人間は助かるが、1匹としてのオス犬として、やはり毅然とした態度も欲しい。
 
 それには、オビに自信を持たせることである。
 
 『自分は認められている、人間とのコミュニケートもしっかりできる....』

 そう思うようになると、必然的に心に余裕が生まれ、簡単な事で怯えたり、はたまた脅したり、あせったり等の動きが少なくなる。

 通常では小屋に繋がれ、昼寝をしている時間に、私がクサリを解き、ロングリードに繋いだので、誰よりも周囲の犬たちが騒ぎ始めた。
 
 『何だよ〜、オビ、おまえだけいいな〜...』

 その意味がこめられた叫びである。

 オビは、少し戸惑いながらも、私の顔をひたすら眺め、尾をゆるやかに振っていた。
 舗装道路に出て右に進路をとった。後ろから100キロ近くのスピードで来た車の音を聞き、オビは自分で路肩に寄り、私を見上げた。

 「スワレッ!、待てっ!」

 オビは、私と、近づいてくる白い車を交互に見ながら、刈り取られたばかりの路肩の草の上で座っていた。

 「よ〜し、いい子だね〜オビは。はいっ、いい子には御褒美をあげよう....」

 ほんの一切れのジャーキーである、オビは一瞬にして飲み込んだ。

 隣のツヤマ家の取り付け道路の入り口まで300メートル、オビは私の3メートル前をゆっくり進んだ。鼻を下げ、様々な臭い情報を確認している。まだ、開き口からコーヒーが漏れている捨てられたばかりの空き缶では、嗅いだ後、またがるようにして小便を掛けた。残念ながらこの爆撃は10センチ横にずれてはいたが。この行為は、間もなく1人前のオスになる兆しである。

 ツヤマ家への道と交叉している所を左に折れた。道は緩やかに下り、砂利道となっている。ここはめったに車の通らない、もちろん通行人など1年に3人もいないだろう。
 従って、わだち以外の部分には草を生えており、長い直線が2本続く道になっている。

 かつて娘が我が家に居る頃、この道が大好きだった。もっとも可愛がっているメロンを連れて、長い時間の散歩に行っていた。
 その田舎道に入ったところで、私はオビをフリーにした。1対1で、どのような行動をするかを確認したかった。

 オビは、一瞬、立ち止まり、そして私の顔を見た。私は無言で頷いた。
 それをOKと理解したように、オビは先に向かって駈けた。しかし、10メートルほど先で止まると、再び私の方を見て、瞳で聞いて来た。

 「いいよ、好きなゆに駈けて....」

 今度は言葉にして口に出した。
 オビは駈け、そしてUターンをして私の身体に擦り付けるように駈け戻り、そして先に進んだ。
 道の周囲には、様々な野の花が咲いていた。トリカブトがあった。オニユリもあった。アメリカから牧草の種に混ざってきたハナガサギクの黄花が群生している所は、ひときわ明るく感じた。
 同じように帰化したオハンゴンソウのような派手さはないが、自生しているハンゴンソウの小さな黄花には、たくさんのモンキチョウが集まっていた。
 
 オビが突進した。目標は恋を語り合う2匹のチョウだった。風に流れるように道の上を舞う2匹を追い掛けて、オビは駈け、ジャンプをした。
 しかし、ふわりとオビをかわしたチョウは、隣の広い牧草地に逃げ、オビの届かぬ高さで絡み合っていた。

 500メートルほど下ると、沢地が広がり、それを囲むように林が広がっている。そこが道のもっとも低い所であり、1本の小川が流れている。
 舌を出し始めていたオビの水浴びをと、私は橋の上から川面を探した。枯れかかったフキの葉やチモシーなどの草越しに水面が見えた。そして、何やら得体の知れないゴミが多量に川の中に沈んでいるのも見えた。流れから外れた所には黄土色の怪し気な浮遊物があり、その下には肥料の袋が沈んでいた。

 『ばかもの!!』

 つい口に出た言葉に、オビがビクリとしたのが判った。

 『ごめん、ごめん、お前の事じゃないよ、人間のクソの事だよ...』

 めったに通行のない道である。だからこそ捨てやすかったのかも知れない。でも、私は許せない、この川は、数本の大きな川に合流し、そしてホッカイシマエビの棲む尾岱沼へと流れて行く。

 仕方がないので、橋の上流を目指して薮をこぎ、澄んだ水の所でオビを川に入れた。嬉しそうに川底を掘り、そしてたらふく水を飲んでいた。

 帰路は上り道になった。これが逆ならばオジサンは助かるのだがと、いつも思う。
 オビは落ち着いて私の5メートル周囲を歩いていた。時々、チョウを追い、そして道の匂いを嗅いだ。そのひとつはエゾシカの足跡だった。明らかに親子のシカ、そして、群れで通った跡が2本のわだちに溜まった細かな砂の上に残されていた。
 時々、シカに混ざってキタキツネの足跡もあった。これは新しく、ひょっとするとルックかその子供ではと、小さな跡に思いを馳せた。

 舗装道路に出ると、待っていました、とばかり100キロ近いスピードの車が前からも後ろからも出現した。
 驚いたことに、車に気づいたオビは、自ら路肩でオスワリをして通過を待った。

 「すごいね〜オビは、もう覚えたんだ、いい子だね〜!」

 私は、誉めまくり、嬉しさのために、細かく折らずに、ジャーキーを1本のままオビに与えていた。



2003年09月06日(土) 天気:ひたすら雨、夕方から曇り 最高:14℃ 最低:11℃

 涙雨ではないと思う。
 3ヶ月、その成長を見守ってきた子犬が遠くへ旅立つ日だとし
 ても。

 淋しさがないとは言わない。
 残された棒切れの噛み跡、千切れた軍手の濡れた姿を見ると。

 女房の、ちょっぴりの心遣いかも知れない。
 あまりきれいにならなくても、初めて子犬を洗う。砂が風呂場
 に残る。

 けして儀式とは考えてはいない。
 でも、必ず一夜を居間で一緒に過ごす。子供に語るように言葉
 を重ねながら。

 サラムを迎えに、夜を駈けてYさんが....。
 居間に入った瞬間、サラムが奥さんに飛びついた。セラは離れ
 て尾を振っていた。まるで判っているかのごとく。

 ラーナは感じていたと確信する。
 深夜からの人間の異常な動きを自分の異変として。

 1匹残るルーイは、けして....。
 サークル内の小屋から出ようとはせず、ラーナは雨に打たれな
 がらも、居間の見える際で座り続けていた。

 時間を知ったはずはないだろうが.....。
 さあ、行こうか、とYさんが言う直前に、サラムは大小便を済
 ませた。

 サラム、元気でね、が判るのか。
 声の方向を確かめ、垂れた耳を後ろに傾け、瞳がかげった。

 これが大好きなんです....。
 私と女房は、食べ慣れたジャーキーを渡した、故郷の味が緊張
 をやわらげよと。

 あのセラが、女房の声に逃げた。
 まるで、起きることを理解しているかのように。

 ラーナが飛び跳ね、ルーイが啼いた。
 空港へ向かおうと、女房に抱かれたセラが外に出たその時に。

 他の犬たちは、静かに見守っていた。
 あるものは小屋の中で、そしてあるものは雨に背を濡らして。

 車内、抱かれたセラは背伸びをして眺めた。
 窓に前足を掛け、心にすべてを刻みこんでいるように、私には
 思えた。

 雨の空港は賑わっていた。
 便は満席、女房が、荷物が少ないといいね、と言った。

 遅い昼飯にハンバーガー店に寄った。
 フレッシュとチーズとアップルパイを待つ時に、飛び立つセラ
 の音が届いた。
 急に雨が強くなり、風がナナカマドの並木を揺らし始めた。

 夕飯の後、心は受話器に向いていた。
 午後9時、2つの家から電話があった。元気ですと.....。

 
 



2003年09月05日(金) 天気:曇り時々晴れ間、そして雨 最高:20℃ 最低:8℃


 只今、別の所用にかかっています。
 日記、遅れます、申し訳ありません。



2003年09月04日(木) 天気:晴れ時々曇り 最高:21℃ 最低:15℃

 アラルの子犬たちの体重が増えたのを確認すると、どっと眠気が襲来、いつもとは逆に、私が先に寝て、女房に明け方までを頼む事にしました。
 すみません、日記はそれからになります。

 今夏、最高の星空のウブ家からのお詫びでした.......。
 おやすみなさい。
___________________________

 本当に久しぶりに星空をゆっくりと眺めた。まあ、7月から8月は、あまりにも雨、曇り空の日が多く、仰いで見ても星が隠れていたこともあるが、それよりも星空に思いを寄せる心の余裕を失っていたというのが真実だろう。
 マスコミが大きく取り上げた火星だけは確認していた。でも、「あっ、見えた!!」程度の、お義理の星見で、とても眺めたとは言えない。

 私が星空を好きになったのは、遠い昔、まだ幼い頃の事である。農家で生まれ育った子ゆえに、隣近所とは離れており、さらに町の街灯とも無縁な田舎暮しの特典で、月の小さい時は、まさに闇夜であり、見上げると数えきれない星がまたたいていた。
 丘の上に位置する実家の周辺で、夕暮れ時から草の上やムシロ、時には屋根の上で横になって、どんどん増えていく星たちを数えるのが好きだった。

 人工衛星の航跡を初めて見たのは、いつだったろう。それは、まだ星が2つ3つしか確認できない明るさの時だったと記憶している。鮮やかな白に輝いた衛星が、ゆっくりと北から南へと同じ速さで天空を移動して行くのを、若い私は心を踊らせて見ていた。

 旧ソビエトのコスモスが、大気圏に突入して燃え尽きた様子も10数年前に見た。
 場所は浜中の王国から国道44号線に出る1キロ手前、フロントガラスを覆い尽すように、正面から虹色に輝く物体が飛んでくるのが見えた。私の前を走っていた車が、あわてて路肩に停車した。もちろん私も停めた。

 その物体は、目の前の空全体を輝かせたと思うと、私たちの眼前を左に横切り、そして爆発するように無数の光りの広がりを見せ、そして消えた。
 前の車の女性が、
 「UFOですよね〜、今のは....」
 と、あいづちを求めてきたが、そのような物をまった信じていない私は、隕石か何かではないでしょうか、と応え、翌日、気象台等に電話をして確認をした。そこで衛星の突入を知った。

 生き物たちと一緒に見る星空も好きだ。
 幼い時は、故郷の家のG・シェパードのマリやアイヌ犬のマル、王国ではタムやブー、そしてムクやステたちと眺めた。
 これは今でも続いている、数の増えた我が家の犬たちを、深夜、特別な依怙贔屓的な形で、1匹を連れ出し、1時間ほどの闇の散歩をする。
 これは、その犬に強い印象を残し、私を大好き人とみてくれるようになる。余談だが、様々なトレーニングの効果をあげようとするならば、犬も馬も、真夜中が効果的である。恐さと緊張が手助けをしてくれる。

 それを私は忙しさにかまけて忘れていた。
 9月4日、夜。
 アラルの4匹の子犬が大きく体重を増やした日、私はアラルと夜道を歩いた。15分、目が慣れ、圧倒される天の川が鮮明に見えた。25分、北極星は判る、しかし、本来ならばそれを導く北斗七星が、無数の星に埋り、何処にあるかと迷うほどだった。
 35分、女房がシグレを連れてやって来た。長い小便をし、少し軟らかいウンコが懐中電灯に浮かび上がった。

 「今日は凄いね、星が....」

 そう言えば、女房も星が好きだった。20年前、零下20℃の雪の林で、キツネの巣穴の観察を二人で続けながら、空を見上げていたことを思い出した。白い雪に星の灯り....結婚の時期を迎えたカップルギツネが、スキップをしながら巣穴の前に来たのが見える明るさだった。

 「いつまで見ているの、アラルが子犬の所に行きたいって言ってるよ」

 女房の声に我に還った。

 「北斗七星が.....」

 口の中でモゴモゴと言いながら、私は家へと向かった。
 懐中電灯に照らされたアラルの口元から、白い息が勢い良く吐き出され、すぐにそれは闇色に染められて行った。

 

 



2003年09月03日(水) 天気:曇り時々晴れ間 最高:24℃ 最低:14℃

 つい先日まで「今日もどん曇り」と書いていたような気がする。その流れでいくならば「今日も晴れて暑い」と書かなければならない。
 そう、今日も日射しがある中標津だった。気温も20℃を超え、またまた汗ばむ散歩となった。おかげで牧場最後の1番草も明日には収穫できそうで、『手の空いている人は手伝って』.....と牧草大臣のツンちゃんからFAXが届いた。

 今、我が家では3種類の小さな命が育っている。
 ネコは『エ』の子ネコたち3匹。1週間、吐きもどしで体調が悪かった父似の子と母似のメスっ子も、3日前から食べる力が復活し、元気に走りまわるようになった。
 この時期のトラブルは恐ろしいもので、問題のなかった茶トラとの体重差は、なんと2倍になってしまった。まあ、これから数カ月をかけて追い付くだろうが、今は、あまりにも体力差があり過ぎて、時々、間に割って入ることもある。

 コッケイ(ニワトリとウコッケイのミックス・♂)とウッコイ(ウコッケイ・♀)の間に生まれたヒナは3羽が元気に育っている。
 1羽は、外のニワトリ小屋で抱いてくれたウコッケイの後をついて回り。2羽は、今、私が向かっているパソコンの目の前の棚で、ダンボールの箱の中でピ〜ピ〜と言っている。かなり大きくなり、時々、高さ50センチはある箱の縁に飛び乗り、カチャカチャと音をたてるキーボードと私の指の動きを見つめている。
 オナラをすると、驚いて箱の中に飛び下りるのが、何ともおかしく、つい「無礼者」と言ってしまう。

 子犬は2組である。
 生後1週間になる柴犬のシグレの5匹の子は、まさにプクプク状態で、寄ってくれたゲストの方に必ず笑われている。初めての出産になるシグレも、実に良い母親で、子犬が小さな声で啼いただけで、箱の中を覗き込み、尻の始末をしている。
 もちろん、ミルクの出は完璧以上で、その効果は、子犬たちのハムの身体つきとして証明されている。
 そうそう、居間を大きな顔をして占領しているネコたちに対して、けして唸る事なく、ただ子犬の前にたって守っている。これならば、ネコたちにもストレスをかけずに済み、平和な育児環境ができあがる。

 問題はサモエドのアラルである。幸いにしてプルセラ菌等の問題の多い原因による早産ではなかった。しかし、1週間ほど早く、いわゆる未熟な姿で生まれた事は間違いがない。様々な困難と闘いながらの育児となっており、7匹生まれた中で、残念ながらすでに3匹が永眠し、残りの4匹に希望を繋いでいる状態だ。
 もうしばらくは、横につき、様子を見守りたい。昨日になってアラルが復調し、熱が下がり、食欲が出て来たのは朗報である。

 私は、星であろうと血や色だろうと、占いに関わる一切の事、そして、幽霊やら亡霊やら、何とか写真やらに興味がない。
 しかし、『希望』という心のパワーは認めている。それは『こう在れ』と言う心の集中であり、必ず具体を添えていると思うからである。

 アラルの子犬たちも、『早く元気に....!!』と希望を込めて世話をしていこう。

 



2003年09月02日(火) 天気:曇りのち晴れ、そして曇り 最高:27℃ 最低:14℃

 今日、ひとつの決断をした。
 ラーナの子犬、センとの間に生まれたサモエドールの子で、我が家に残すとしていたセラを、広島の友人に飼ってもらう事にした。
 数日前に、友人が親娘で訪ねてきてくれてから、頭の中で考えていた事だった。彼女の家では昨年の9月、タップという名前のラブラドールを亡くしていた。14歳、王国のラブの子だった。
 名前のタップも王国の存在する浜中町の地名、キリタップに因んだものだった。

 王国からタップを迎え入れた日、そして大きく成長し、母親のラブと同じように急な病に倒れるまでの姿が、持参してくれた1册のアルバムにまとめられていた。
 タップの去った家には、素晴らしい思い出が溢れているのが、写真を説明してくれる二人の言葉に滲み出ていた。
 実は、友人からは数カ月前に、女房に何度も電話が掛かってきていた。新しい犬に関する相談だった。タップと同じように庭で飼いたいと言う事で、女房は柴犬のシグレの子を勧めていた。今回は、生まれたばかりのシグレの子が見られると、喜んで来られていた。

 しかし、御家族で初めて飼われたタップの魂は、今も輝きを保っていると、私には思えた。それを表わすように、柴の子犬を目を細めて見つつ、センとセラの姿を追い求め、ヘソを空に向けて転がるセンを可愛がってくれた。

 この方たちなら......私は、そう思った。

 さらに、私の考えを強くする出来事があった。
 それは、4匹のハイブリッド(サモエドール)犬の中で、最初に旅立ったムクに関する事だった。
 ムクが兵庫に着いてからの様子は、飼い主のTさんのホームページによって詳しく判っていた。いかにやんちゃか、そして、いかに人に心を向けているか、さらに、いかに新しい環境に対処し、新しい姿を見せているかが、克明に私の心に染み込んできていた。

 『この子を、手元に残すと言うのは、私のワガママではなかろうか、それよりもムクのように、密着した家族の存在があるスタイルが良いのでは....』

 いつしか、そう思うようになっていた。
 けして、今の我が家の犬の在り方(20に迫る群れの形)を否定しているわけではない。ここでは、まさに犬として命の輝きを見せてくれると同時に、犬の原点を鮮やかに行動で示してくれている。
 しかし、私と女房の二人がセラに関わる事のできる時間は、明らかにムクよりも少ないのは事実である。サモエドとラブラドールという、私の大好きな2犬種のハイブリッドとして生まれたセラには、常に身近に人間のいる環境を与えてやりたい....いつの間にか、そう考えるようになっていた。

 「セラ、飼ってくれます?」

 とうとう私は、そう友人に言っていた。

 「えっ!?そんな、いいんですか?!」

 友人は、嬉しい驚きを笑顔の中に示してくれた。すぐに広島の家族に知らせが行き、皆さんが喜こんで下さった。

 「お父さん、きっとタップの小屋を直してるわよ....すぐに!」
 娘のA子ちゃんが、嬉しそうに言った。

 名前は「セラ」のままである。
 今日、帰郷した友人たちの後を追うように、6日、セラは羽田を経由して広島に行く。

 そして今日、辛い旅立ちもあった。
 アラルの子が2匹、無念な結果になった......。

 

 



2003年09月01日(月) 天気:晴れ 最高:26℃ 最低:11℃

 この日記は、前日(8月31日)の夕方から始まることになる。そう、サモエドのアラルの思わぬ出産に関する事を書かねばならない。

 競馬を終え、友人親娘と、秋の花が咲き乱れている場所での昼食を済ませて家に戻り、アラルを散歩に出した。
 これまでは、大小便を済ませ、庭をのんびりと徘徊し、水を飲むと、自分からサークルに戻っていた。しかし、昨日は止める間もなく動物用の台所の床下に潜り込んでしまった。
 いくら呼んでも出て来ない。仕方なく、女房と私は横をスコップで掘り、何とか大きな腹のアラルを引き出した。

 その後、夕方の作業をしている時だった。女房が異変に気づいた。サークルの中で、アラルの出産が始まっていた。
 前回のラーナの同期複妊娠の事があるので、今回は厳重に出産へのプログラムを管理していた。それによると分娩の予定は早くても9月5日からのはずだった。
 
 しかし、目の前で子犬が生まれているのは現実である。急いでその子犬の様子を確認し、玄関の育児箱にいるシグレとシグレっ子を娘の部屋に転居させ、アラルを移動した。

 生まれた1匹目の子は、これまでのサモエドの新生児に比べて明らかに小さく、300グラムがやっとだった。
 そして、2匹目の陣痛が、なかなか起きなかった。1時間が過ぎた、アラルは吐く息あらく体温が上がっていた。女房が2階から扇風機を探し出してきた。今年、初めてのスイッチオンである。
 1時間半が過ぎた頃、ようやく微かな陣痛が見えた。15分置いて集中した陣痛、10分置いて再び....それを繰り返し、ようやく2匹目が生まれた。
 
 前回の出産を大きな違いがあった。それはアラルに育児行動が見られない事だった。生まれ落ちた子をなめるよりも、自分の陰部だけに口を向けていた。膜もヘソの緒の処理も、人間がする状態だった。
 濡れた子犬を顔の前に置いても、軽く匂いを嗅ぐだけで、あの丹念な舐め方は見られなかった。

 『どこかがおかしい.....』そう思いながらも、大きな腹のアラルを前に、私と女房はジリジリとしながら様子を見守り、助産を続けた。

 沢山の犬の出産を経験している友人の獣医に電話を掛け、顛末を話した。ふたりの結論は、早産以外になかった。その原因は様々な事が考えられ、中には恐ろしい事もある。しかし、今は目の前の事態に対処し、その後で検査をする事にした。

 今朝までかかって、アラルは7匹の子犬を産んだ。1匹は死産、そして他の6匹も体重は軽く、乳首を探す動もぎこちなかった。
 問題は、どのぐらい早く生まれてしまったかである。外見は普通の子犬に見えていても、妊娠終期に一気に成長する内臓、特に消化器関係の具合が気になった。これが弱ければ、ミルクを吸っての生命維持が難しくなる。
 加えて、もうひとつの問題もあった。いぜんとしてアラルの心が子犬に向かず、そして乳房の張りも弱かった。女房が、そして私が繰り返し子犬の口に乳首をふくませた。鳴き声は元気に聞こえたが、くわえようとする意欲は弱いように思えた。

 『ガンバレ!!』

 つい言葉が出ていた。これを飲まなければ、大きくなれないどころか、今を乗り切れないぞ....そんな思いで胸がいっぱいになった。

 午後になり、ようやくアラルが同じ姿勢で子犬を腹に並べておくようになった。しかし、子犬たちの吸う力は、まだ完全ではなかった。一滴でも良い、とにかく胃袋に入れるんだ....そう願った。

 目の前の状況をあらためて確認し、私は、アラル、そして子犬の大便、膣からの滲出物、小便、確保しておいた胎盤等、様々な検体を集めた。早急に調べてもらい、この早産の原因を解明をしなければならない、その責任は重いと感じていた。