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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2003年11月30日(日) 天気:風雨のち曇り時々太陽 最高:13℃ 最低:5℃


 明け方の風雨はまるで台風だった。すでに葉を落とした樹木の枝がごうごうと鳴り、これが葉の繁っている時期なら、かなり枝が折れたのではと、今日であることに少しほっとした。

 5時前に家に戻り、玄関のドアを開けると笑顔のダーチャが尾を振りながら待っていた。上がり框に裏返しになったパチンコ店のチラシが置かれ、女房の字が書いてあった。

 『12時に雨の中、ダーチャは良いウンコをした。お姉ちゃんは小便をした.....』
 
 等々の連絡事項が書いてあった。
 
 「もう5時間たったか、じゃあ行くか、凄いぞ、雨も風も....」

 ダーチャはますます尾の振りを激しくしてyesと応えた。
 面倒なので、私は雨具を着けずに帽子だけを頭に乗せて付き合った。たちまち肌まで雨水が到達し、眠た気な顔はすっきりとした。

 懐中電灯に照らし出された中で大小便を終えたダーチャは、わざわざ付き合っている私をチラッと一目見た、しかし礼を言うわけでもなく、玄関にまっしぐらに駈け戻ってしまった。
 私は、ずぶ濡れの姿で玄関に着く前に、最後に寄り道をした。庭の端で狭いサークルに仮住まいをさせているレオンベルガーのベルクの様子を見に行った。

 1週間ほど前から、ベルクの乳腺が発達してきていた。たった1度だが、バルトと10月10日に交配をしていた。それが、ひょっとすると成功していたのではと気になっていた。
 
 ベルクの出産は2001年7月に2回目があって以来、3度のチャレンジは全て空振りに終わっていた。たくさんの方が、子犬を楽しみにされ、首を長くして待たれていたが、無念な結果となっていた。
 したがって、今回は敢えて知らぬ振りをし、直視せずに端から身体と動きの変化を眺めていた。あまりに期待を込めて見つめ触りまくると、そのプレッシャーで胎児が消えてしまうのでは、そんな非論理的なことまでも考えていた。年齢から最後のチャンスと思い、静かに見守ってきていた。

 サークルの中に置かれた小屋の中で、ベルクは丸くなっていた。11月中旬には、今回もだめかと感じるほど薄かった腹部が、何となくふくらみ、寝ているベルクも後ろ足を投げ出すようにして腹部を強調する姿勢だった。
 幸い、風は小屋の出入り口の反対から吹いており、それほどベルクは濡れていなかった。

 「おいっ、大丈夫か?酷い天気だよな、寒くないか...」
 
 腰を下ろして私は言った。
 ベルクは顎の下に置いていた前足を突き出し、起きてこようとした。あわてて私はライトを振り、言葉を継いだ。

 「いいよいいよ、出て来なくて、そのまま寝ていな!」

 風の音の中、後ろから犬の声が聞こえた。子犬への最後の扉を早く開けてくれと言っているダーチャの吠える声だった。
 立ち上がり、玄関に向かう私の前で、街灯に照らし出された雨と風が、鋭い踊りを繰り広げていた。



2003年11月29日(土) 天気:曇りのち雨 最高:7℃ 最低:-2℃


 お姉ちゃんの調子が悪い。

 お姉ちゃん、そうネコのアブラの別の名前である。私は命名者としてアブラと呼ぶことが多い。しかし、女房は、弟分のアブラ2世を収容していから、お姉ちゃんと呼ぶようになってしまった。
 
 お姉ちゃんは捨てられていたネコである。収容してからは外の建物を基地に、外を自由に行動できる暮らしを送ってきた。野鳥を捕らせたら名人で、日に4羽のアオジをくわえて来たこともある。
 しかし、今年の春頃から体重が落ちて来た。腎機能も思わしくない。
 私と女房は、お姉ちゃんを室内に入れる試みを続け、夏には居間にいる10数匹のネコたちとの共存が可能になった。

 しかし、状態は快方には向かわず、一進一退を繰り返していた。
 そして、3日前、ついに何も食べなくなってしまった。どの子よりも自己主張をして食べ物を手に入れている姿が消え、他のネコが女房の後を追って鳴き騒いでいても、ひっそりと床の上で寝ていることが多くなった。
 
 アブラは人間に甘えることも上手なネコだった。
 食欲はなくとも、私が椅子に座ると、いつものように膝に跳び乗ろうとした。

 『ド〜ン!』
 
 素早く樹木を駈け登り、細い枝の上でも見事なバランスで野鳥を狙っていたお姉ちゃんを知っている人間には、とても信じられないことだが、アブラは40センチの高さに乗ることができず、腰から床に落ちた。

 「あっ、ごめん、気がつかなかった、だいじょうぶか〜アブラ....」

 音で初めて気づいた私は、あわててアブラを抱き上げた。
 目が落ち窪んでいる、毛もガサガサな手触りで、鼻水がこびりついていた。

 静かに抱き締め、耳もとにガンバレと言葉を出した。かすれた声の返事が戻って来た。身体は冷たく感じられ、さらに軽くなった気がした。

 手当ては行っている。1日、2回の点滴で何とか体力の維持を。そして、これはと思われる抗生剤の注射もしている。
 律儀なことに、点滴後、小便を催すと、アブラは身体を揺らしながら砂の入っているタライに向かう。何とか腰をおろし、しばらく同じ姿勢を保ち、目を閉じたまま、わずかのシミを砂に残している。

 間もなく8歳のはずである。けして老いてはいない。でも捨てられた時からの持病である鼻気管炎は、アブラを徐々に蝕んできていた。
 
 子犬たちが庭で動き始めると、必ずそこにはアブラの姿があった。やんちゃな子犬たちに前足でのパンチをくらわせ、ネコの恐さを教え、ネコに敬意を示す子犬を育て上げてくれた。
 
 「お前は随分がんばったよな〜、ありがとう。でも、まだ終わりには早いぞ、まだオバサンネコだ、おばあさんになるまで5年はかかる、それまで生きなくちゃ.....」

 そう言いながら、点滴の針を刺す。何の反応も示さないことが、とても辛い。痛みで大暴れをする元気が戻れと、今は、ひたすら祈って見守っている。


 



2003年11月28日(金) 天気:快晴 最高:3℃ 最低:−10℃


 これから打ち合わせとなります。日記、遅れます。



2003年11月27日(木) 天気:快晴 最高:4℃ 最低:−10℃


 8月31日に生まれたアラルの子犬が、我が家に2匹、残っている。旅立つ先は決まっているが、飼い主さんの希望で、たっぷりと社会性を身につけ、大地を踏み締めて健康な身体の基礎を固めてから....となっている。
 間もなく生後3ヶ月、とっくに10キロを超え、毛はまさしくサモエド、白い子グマのようだ。

 今日、兄貴になるオビに似ているところから『オビ似』と呼ばれているオスっ子の飼い主(予定)さん御夫妻が来られた。
 この日記にも何度も登場していただいている知床のAさんである。もちろん愛犬のレヴンも一緒に登場である。例によって実家である我が家の犬たちに、次から次ぎへと駈け足で挨拶をした後、レヴンは近いうちに同居するオビ似に会った。
 
 実は、レヴンとオビ似は両親がまったく同じ(父カザフ、母アラル)である。つまり1歳違いの姉弟である。
 レヴンに仲間をと思われた時に、Aさんの脳裏に浮かんだのは、いつ会っても最高のコンビとして遊ぶ(時にプロレスごっこ)オビだったらしい。
 もちろんオビは私が手離さない。そこで弟に希望が移ったのだった。
 レヴンとオビ似では、将来、結婚はできない。それを納得されての事で、おそらく弟は去勢されるだろう。でも、生後1ヶ月の頃から互いに匂いを確認して存在を認めあってきた2匹、その性格とあいまって素晴らしいコンビになると確信している。

 今日も、レヴンは強気だった。オビ似や柴犬の子犬たちに体当たりをし、くわえて遊んでいた。
 オビ似は、プレッシャーが加わると、コロリと仰向けになり、服従の姿勢をとっていた。メスが上位で身体の大きなオスが下位になるのは、どんな生き物においても社会平和に繋がる。この関係が延長していくことで、知床の山麓で2匹の白い犬の楽しい暮らしは間違いないだろう。

 活発なレヴンと、慎重でおっとりしたタイプのオビ似、私もうらやむAさん御夫妻の日々が、白く帽子を被った山々にくるまれながら、間もなく始まろうとしている。



2003年11月26日(水) 天気:晴れ 最高:5℃ 最低:−4℃


 
 雨の後に北風がやって来た。濡れた大地は凍り、やたらと交通事故(主にスリップによる)が多発している。雪がないために油断をするが、実はブラックアイスバーン(黒く濡れただけの路面に見える)ほど恐いものはない。夏タイヤなら天国までわずか、スタッドレスタイヤでも、滑りはじめると祈るしかないのである。



2003年11月25日(火) 天気:雨 最高:8℃ 最低:−5℃

 朝の5時まで快晴(星空)だった。しかし、その後の雨は1日中降り続いている。

 このホームページの掲示板に、都井岬のことが書かれていた。この地名を目にすると、25年前の自分の姿が浮かんでくる。
 掲示板には、自ら乗馬もされているYさんが、馬好きの視点から、岬で半野生馬として生きている御崎馬の事を写真とともに紹介されていた。
 
 この馬たちは天然記念物に指定されている。当時、角川の雑誌に『天然記念物の動物たち』を連載をしていたムツさんの、カメラマン兼先行取材係として私は2週間滞在した。正確な数字は忘れたが、90数頭の馬のすべてをカメラに収め、その馬体と行動の特徴、いくつかに分かれていた群れのテリトリーと、相互関係.....等々を記録した。

 『すべての馬の姿を撮影した』とYさんへの返信に書いたところ、再びYさんから『あの急な所を大変だったでしょうね....』と記入があった。

 「そうなんです、足が棒になるほど歩き、薮をこぎ、身体には生傷が耐えませんでした....」

 と、偉そうに書きたいところだが、実は、それほど困難な取材ではなかったのが実際である。
 その大きな理由は二つある。
 ひとつは半野生と言っても、馬はあくまでも家畜であること、観光地の中にいるのだからよけいに人間を恐がりはしない。
 そして残りのひとつが、馬は群れで行動をする生き物であることだ。100頭が、1頭ずつ異なるエリア、異なる行動をしていたならば、個体識別も難しく、全ての馬の生活リズムを押さえるには少なくとも100日かかっただろう。

 でも、御崎馬は、あくまでも家畜の馬だった。リーダーが頭をとり、水を飲みに行くのも、草を食むのも、大平洋を眺めながら昼寝をするのも、群れ全体が一緒だった。
 私は最初の2日間を、牧を守っている組合の方と、地元で長く馬たちの観察と撮影をされているSさんの取材にあてた。同時に宮崎大学のK先生の研究論文を何度も読みかえした。

 次の2日間、早朝からオニギリとカメラを背に岬の尾根をすべて踏破した。もちろん途中で出会う群れの識別をしながらである。これは簡単だった。私の姿を見つけ偵察にくる馬(必ず役割が決まっている)の背中に印された数字(ID番号)を記録し、その馬だけを覚えておけば済むことだった。

 そして、残りの日々、私はオニギリに時にはビールを加え、のんびりと決めたポイントで待った。狭いテリトリーで生きている群れの動物は、外からのよほどの刺激がないかぎり、毎日、必ず同じ行動を取る。それを群れごとに待ち受けるだけだった。
 面白いもので、あまり人間とのコミュニケーションは得意ではない御崎馬たちが(一部にはホテルのゴミ漁りにサルとともに出て来る馬もいた。若い連中だった)、連日、草の上に腰を下ろし、へたくそな口笛を吹いたり、アクビを連発し、果てには居眠りをしている私に興味を示し、鼻先で確認をした後、唇で遊んでくれることもあった。

 それまでの私は、テンポイントなどのサラブレッドをはじめ、馬が骨折をすると、まず大事(端的に言えば死)になるのが大きな動物の宿命だと思っていた。
 しかし、御崎馬の中には何頭も骨折の自然治癒をした連中がいた。
 指骨の部分が異様に長く前に飛び出し(蹄は先が上にカーブを描き、まるで魔女の靴だった)、ギクシャクとした動きながらも、新しく形成されたカカトのような部分で大地を捕らえて歩いている子がいた。
 あきらかに中手骨(人間で言えばスネの部分)が太く固まり、その足だけが短い馬は普通に駈けていた。

 驚きとともに、素晴らしい命、その生き延びる力に感激しながらシャッターを押した記憶がある。
 
 そう言えば、当時は、まだ新婚さんが多い頃だった。カメラを何台も下げていたために、この人に頼めば大丈夫と思われたのだろう、私は随分とカップルの記念写真を撮影した。あの人たちも今は熟年、時には岬の馬のことを思い出すのであろうか.....。

 



2003年11月24日(月) 天気:晴れ 最高:5℃ 最低:−9℃


 通常ならば.......

 出産直後の数日は、母犬のウンコは緩くなる。時には下痢に近いこともある。これは後産等を大量に食べると、必ずと言ってもよいほど現れる変化である。

 産後の数日、体温が上がり、母犬の食欲は減退する。

 人間が近づいても、軽く目で確認をするだけの事が多い。あくまでも子犬を抱く母である。

 餌の時間が近づいても、子犬を腹に抱き、静かに待つ。ジャーキーは遠慮がちに食べる。
_____________________________

 『でも、ダーチャは....!』

 妊娠中よりも固い、そして大量のウンコを1日4〜5回、大地の上に出している。終わると、まっしぐらに玄関に駈け戻っている。

 いつもは4分で食べ終える餌を、3分半で終えている。

 玄関の外で、ゲストの方の声がすると、子犬を抱いた姿勢で尾を振り始め、なかなか中に姿を現さないと、立ち上がり、みたきでドアを見上げて待っている。

 餌の時間の30分も前から、ひたすら人間の動を目で追い、いよいよとなると玄関のドアを前足でガリガリとかいて待っている。
 交尾中も、出産中でもジャーキーを食べたダーチャである。もちろん、今はバクバクである。


 こんなダーチャが産み育てているのである、子犬も明るく、そして元気な子になるだろう。

 

 



2003年11月23日(日) 天気:晴れ 最高:5℃ 最低:−6℃


 ようやく2匹目を産み出す陣痛が起きたのは0時をかなり回ってからだった。
 その後の出産の様子をメモをもとに羅列してみよう。

 0時30分 
  2匹目誕生。メス、420グラム。珍しく鼻の頭はピンクで
 はなく、すでに黒い色素をもっている。すぐにハナグロと呼ば
 れるだろう。
  ダーチャ、まだ隠す行動が見られる。

 0時58分
  ようやくリズムが出てきたのだろうか、3匹目が生まれた。
 メス、520グラム、手にずっしりとくる重さである。
  ダーチャ、ヘソの緒を切るスピードが見事である。後産を食  
 べるのもあっと言う間である。

 1時35分
  弱い陣痛の後、4匹目が生まれる。残念ながら死産、丹念に
 蘇生法を行うも復活せず。体重が300グラムしかない。生ま
 れる時の事故と言うよりも、その前に死んでいた可能性がある
 と思われる。

 2時 6分
  5回まとまりで、5分置きの陣痛を3回繰り替えし、ポロリ
 と5匹目が生まれた。430グラムのオスである。

 3時58分
  またまた長い時間があいた後、ようやく6匹目が誕生する。
 440グラムのオス、逆子だった。早めに破水し、胎盤等は子  
 宮内に残ってしまった。犬の場合は、馬や牛などと異なり、ほ
 とんどが子供と同時に出て来る。従って後産陣痛ははっきりと
 していないので、少し心配である。

 4時22分
  6匹目の後産を出すためかと思ったところ、すんなりと7匹
 目が生まれた。460グラムのオス、やたらと元気な子で、す
 ぐに鳴き、乳首を探していた。

  この頃になってようやく子犬たちがミルクを確実に吸うよう
 になった。腹が大きく張っていた時期は、乳房に余裕がないの
 で、乳首もとらえにくいようだった。

 5時47分
  8匹目の気配が始まる。しかし、なかなか生まれない。
  産道に入る前に破水をしたようで、陣痛の様子を見ながら私 
 が指を入れて確認しても子犬に触ることができなかった。
  りきむわりには時間がかかり過ぎる、と思っていたところに
 ようやく出産、案の定心臓が停まっていた。しつこくしつこく
 処置をしたが、やはり臍帯が切れてからの時間経過が長かった
 ようで、この子も生き返らなかった。490グラムの立派なメ
 スだった、残念である。

 8匹目の子が終わり、ダーチャは私の目を見つめ、なにかを訴えかけてきた。

 「小便がしたのか?」

 そう言っただけで、ダーチャは立ち上がり、子犬たちがバラバラになり玄関に鳴き声が響いた。
 

 開けられたドアから、ダーチャはあわてた様子で駆け出し、40メートルほど離れた道の脇で、長い小便をした。寒暖計はマイナス6度を示しており、明るくなった東南の空がオレンジを見せていた。
 用を終えたダーチャは、トンボ帰りで玄関に向かった。私が追い付くと、またまたすがりつく眼差しで訴えてきた。

 「あいよ、入りたいのね、子犬のとこに行きたいのね.....」

 育児箱を眺め、どこに脚を入れるべきかを考えた後(子犬を踏まないために)、ダーチャは静かに箱に入り、腰を下ろした。母親の気配を知り、自力で腹部に寄っていったのは4匹。残りの2匹は、ダーチャがくわえて胸元に移動した。

 「おっ、凄いね〜ダーチャ、たいしたもんだ!」

 誉められたダーチャ、耳を後ろに倒しながらも、瞳と舌は子犬に向けられていた。

 またまた白い子犬たちの声が響く日々が始まった。目が開き、歩みがしっかりとした頃、外は白い世界になっているかも知れない。

 



2003年11月22日(土) 天気:晴れ 最高:8℃ 最低:3℃

 笑って下さい、またまた今夜もミーティングです。
 何をそんなに打ち合わせることが....と私も思います、はいっ!
 と言うことで、深夜、もしくは明け方の出没になりそうです、申し訳ありません。

____________________________

 ・・・と上のように書き、母屋で、さあ打ち合わせ、と言う瞬間に私の携帯が鳴った。まだ懲りずに着信音は『天国と地獄』のままである。出来うるならば天国の知らせであれと耳に当てると、大きな声が飛び込んできた。そう、受話器を耳から離して使っている時は、相手は我が女房、もしくはモモちゃんとなる。

 「おとうさん、戻って来て、ダーチャが産む〜!」

 「犬たちが騒ぐので、確認に外に出てみたら破水していた。今、玄関に入れたけれど、もう出ているかも知れない....」

 会議の事は皆にまかせ、あわてて私は家に戻った。すべての犬たちが小屋の外で落ち着かぬ様子で尾を振っていた。彼らの間でも、ただならぬ雰囲気が伝わっている証拠である。

 一度掛けたハンドブレーキを、車から降りた後、もう一度乗り込んで外した。かなり冷え込みがきつくなっており、もしもに備えてである。
 本州から来られた方が、レンタカーを借りての引き起こす失敗の中に、冬期のハンドブレーキがある。寒気の中で長時間停めているとブレーキ板が凍り付き、ブレーキが外れずに故障の原因となることもあるのだ。

 玄関に急ぐと、ドアを開ける前から『ミャ〜ミャ〜』と鳴く子犬の声が聞こえた。
 
 「間に合わなかったね、安産でしょう、ダーチャだから....」

 母犬の横につき、肩を抑えて話し掛けていた女房に、私は聞いた。

 「すぐに出ちゃった。それは安産なんだけれど、ダーチャがまだ落ちつかないの。ほらっ、すぐ子犬をくわえて運ぼうとする、こら、ここで育てるの、ダメっダーチャ!」

 明らかにダーチャの瞳は大きく開いていた。緑色に濡れている子犬を舐めることよりも、別の所にくわえて運ぶことだけを考えていた。

 私は産箱に入り、低い口調でダーチャに話し掛けた。

 「だいじょうぶだよダーチャ、ほらっ、誰も何もしないよ、安心してここで産みな。いいこだな〜ダーチャは....」

 上着のポケットに折れたジャーキーが入っていた。試しにダーチャの鼻先に差し出してみた。彼女は、くわえていた子犬を布の上に置くと、ジャーキーをひと口で食べた、いや、丸飲みをした。

 「アハハ、さすがにダーチャだよ、美味しい物は食べるって....」

 話し掛け、優しく背をさすり、そしてジャーキーをあげているうちに、ダ−チャの緊張はほぐれ、産箱に伏せてくれた。
 女房が子犬の性別、体重を調べようと手を出した。すると、ダーチャは両方の前足で子犬を抱え込み、その上に自分の胸と首を置いて隠してしまった。

 「こらっ、ダーチャ、ケチンボ!ちょっと見るだけだからいいでしょう!」

 実は、ここが母犬と人間の勝負のポイントである。多くの飼育書が書いているように、刺激をしないように、このような母犬をそっとしておくと、やがて頑固に子犬を守り、時には近づく人に唸ったり、咬む犬になってしまう。いかに子犬に触り、賑やかな祭りにするかが大切である。
 『可愛い子犬、人間も嬉しそうで、そして大切にしてくれる』....という事を教えるのが重要である。

 「何やってるの、ダーチャは。隠さなくたって大丈夫だよ。ほらっ、可愛い子犬を、まず1匹見せてくれた御礼、チーズをあげる」

 またまたダーチャは、御馳走に目と口が向いてしまった。その隙に女房が子犬を手に、いじくりまわす。

 「体重は440グラム、うん、思ったよりも軽い、いっぱいお腹にいるのかな。それからえ〜っと、オス!」

 私に向かってというよりも、ダーチャの心に向かって、平穏を伝えるべく明るく言葉を並べている女房の手から、再びダーチャは子犬を頭から縦にくわえ、自分の胸元に置いた。

 「はいはい、あんたの可愛い子犬ね、もう取らないからね、さあ次ぎ次ぎと産んでね、何匹かなその大きな腹の中は....」

 午後8時、1匹目のオスが生まれ、私たちは次を待った。何人かの人が見に来た。だいちゃんがスチールとVTRを回していた。

 でも、ダーチャに次の陣痛はなかなか起きなかった。
 1時間、2時間、そして4時間、日が変わっても2匹目は出て来なかった。



2003年11月21日(金) 天気:雨、夜になってあがる 最高:12℃ 最低:6℃


 このところ、浜中の王国の仲間たちが中標津に来る機会が多い。なんだかんだと打ち合わせ等があるからだが、昨夜も古園さんが我が家に顔を出してくれた。

 「ステちゃん、絶対、イシカワさんを待ってますよ、王国の車以外が来ると、立ち上がって玄関のドアを真剣に見ています....」

 彼女の言葉に、私の心は揺れ、ステの控え目で、それでいて強く優しい眼差しが浮かんだ。

 「そうか〜、このところ忙しくて行ってないからね、浜中に....。日記で読んだよ、ステ、普通の御飯も食べ始めたって....?」

 「はいっ、この間、何を思ったのか、突然にパクパクと....。それまでは、サンマなどの魚しか食べなかったのに」

 「近いうちに、必ず行くよ、ステに会いに、美味しいジャーキーを持ってね....」

 「待ってます、ジャーキーおじさんを、ステ、喜びます....」

 絶食状態から、わずかのジャーキー、そしてサンマなどを口にするようになっても、古園さんはステに点滴を行ってきた。栄養のバランスなどよりも、とにかく口に入れてくれる事が先なので、手を替え品を替え、ステの前に肉やら魚やら、各種のフードが置かれた。
 でも、サンマを口にしたと言っても量は少ない、ステの命を保ってきたのは点滴が重要な役割だったろう。

 しかし、普通食を食べたとなると、これは朗報である。19歳という年齢を考えると、この復活は奇跡とも言える。
 身体の様子と心の表情を確認に、なるべく早く浜中に行かなければ。
 今年は、実に多くの仲間たち、それも古い連中が旅立って行った。その中で妖怪のようにがんばるステに、私は、命のしたたかさ、素晴らしさを見ている。



2003年11月20日(木) 天気:曇り 最高:7℃ 最低:−2℃


 今夜も遅くなりそうです。日付けの替わる前に天気だけを記載しました.......。



2003年11月19日(水) 天気:薄曇りのち快晴 最高:12℃ 最低:−4℃


 今日の午後の羽田便で、アラルの子犬が千葉に向かった。『アラル似』と呼ばれていた母親の眼差しの子で、体重は10キロを超えるしっかりとした身体をしていた。
 いつもならば旅立ちの前夜は、シャンプーをし、私が居間で一晩付き合うのだが、昨夜は遅くまでミーティングがあった事と、飛行機が午後になるので、子犬が居間に入れられたのは早朝になった。
 初めてのシャンプー、そして20匹に近いネコたちに囲まれ、子犬はやや緊張を見せていた。しかし、怯えはなく、しっかりと周囲を確認している様子だった。
 
 2時に中標津を離陸し、家に着きました、と電話が届いたのは午後5時半だった。
 ケージの中でのお漏らしはなく、今、庭のあちらこちらの匂いを確認しています、元気です、素晴らしい子犬をありがとうございます....と、私にとって嬉しい言葉が届けられた。

 昨日から1匹で帰省滞在しているレヴンは、怯えも気後れもしていないが、それでも2時間ごとに我が家へのアプローチの方角を眺め、知床の御主人夫妻の姿を探していた。
 郵便屋さんや他の客の車が、100メートル先に見えると、入れられていたサークルに前足を掛けて背伸びをし、確認の作業に入っていた。

 薄暗くなり、御主人のAさんが迎えに来られた。
 レヴンは、サークルを倒さんばかりに喜び、「ヒ〜ヒ〜」と声を出し、身体を預けようとしていた。
 それを見たAさんは、ほっとした笑顔、そして満更でもない喜びの香りが全身から漂ってきていた。
 おそらく私もそうだろう、預けた先で、知らぬ顔をされたのなら、きっと寂しくなるに違いない。

 サークルから出たレヴンは、いつもの立ち寄りの時には、「帰るよ、レヴン!」と声を掛けても、なかなか車に向かおうとしないのに、今日は、Aさんよりも先に車のドアに辿り着いていた。
 暗い庭で、Aさんの顔が、ますます崩れたのが私にも女房にも判った。



2003年11月18日(火) 天気:晴れ 最高:8℃ 最低:−5℃


 長らく留守をしておりました。
 戻りました。日記は後ほどとなります。



2003年11月17日(月) 天気:晴れ後みぞれ 最高:6℃ 最低:−2℃


 出張中



2003年11月16日(日) 天気:強風 雨のち晴れ 最高:16℃ 最低:6℃

出張中

 宇都宮は25度を超えていた。私には真夏の気温である。さらに悪いことに、今日はムツさんと二人でのトークショーと言うことで、珍しくジャケットを着ていた、それも冬物を。
 
 2時間前に会場に着くと、すでに入り口に並ばれている方々がいらっしゃり、ムツさんの顔を見て、笑顔が広がった。
 午後1時、イベントがスタート、会場には季節を忘れた外気温だけではなく、来られた皆さんの身体と心から発散する熱気で満ちていた。
 ああ、私は冬の衣である、それでなくても汗かきの人間である、たちまち顔は上気し、口から連発して出て行く言葉も熱を帯びてしまった。
 
 会場の皆さんから質問をいただき、それに先ず私が、続いてムツさんが応答をして行くというスタイルで進行した。ほとんどの質問、相談が、飼われている犬やネコなどのペットに関するものだった。
 そして、いかに怪し気な俗説がまかり通っているかを実感させられた。もう1度、この分野でプロを名乗っている人間は、原点から見つめ直す時期かも知れない、お客さんを惑わす事が仕事ではないのだから。

 会場ではムツさんの著作も並べられていた。打ち合わせの後、開演までのわずかな時間に、ムツさんはその本1冊一冊に墨でサインを書いた。いや、『描いた』とすべきだろう、50冊それぞれに異なる絵と名前を印したのだから。
 控え室での絵を描く姿を、できれば多くの方に見てもらいたい気がいつもする。全身を使ったムツさんの情熱は、まさにクリエイティヴである。

 急ぎ東京に戻るムツさんと別れ、私は宿泊をしている千葉まで、乗り換えを含めて2時間の、のんびりとした各駅停車のルートを辿った。好天の夕方、電車の窓からは様々な犬の姿が確認できた。
 それを脳裏に焼き付け、ホテルの部屋で連続する画像記憶をリピートし、出会い、眺めた犬の種類と数をメモ帳に記した。
 汗をたっぷり出した身体にビールがしみ込んだ。

 今日の出会い・すれ違い
 柴犬2匹、甲斐犬(おそらく)1匹、ラブラドール1匹、ゴールデン2匹、セントバーナード1匹、ミックス5匹、シーズー1匹、ヨーキー1匹、バセット1匹、シェルティ1匹、ミニュチュアダックス2匹。



2003年11月15日(土) 天気:曇り 最高:11℃ 最低:-6℃

出張中

 今日の出会い・すれ違い
 柴5匹、秋田犬1匹、紀州犬1匹、サモエド1匹、ミックス6匹、ゴールデン2匹、タブラドール1匹、ヨーキー1匹、シーズー2匹、W・コーギー1匹、ミニチュアダックス3匹、プードル1匹、チワワ1匹、キャバリア1匹、ジャックラッセル1匹、
不明(遠いので)2匹、自由ネコ6匹。

 午前中は机に向かっての仕事。
 午後、時間ができたので、犬が集まると言う、江戸川の堤防、そして2ケ所の公園に行って来た。
 さすがに土曜日である、家族みんなで愛犬との時間を楽しむ人もいた。中には勝手にドッグラン状態で、犬をフリーにされている方もいた。犬たちは、本当に嬉しそうに犬同士の会話を楽しんでいた。難しい問題もあるだろうが、いつの日かの理想の姿には違いない。
 メスのサモエドにも出会った。明らかに我が家の顔とは異なっていたが、念のために話し掛けてみた。小柄な4歳のメスだった。毛は『シティホワイト』だった。

 夕食を食べにラーメン屋に寄った。
 「キツネのルックは元気ですか?」
 とレジの女性に言われた。
 あわてて「夏までは、よく来ていたのですが、このところ10日に1度ぐらしか顔を出さないのです....」
 などと返事をしながら、こちらの素性を知っている人に、タンメン、ギョウザ、半ライス、ビールと大食いを見られた事を、何となく恥じている私だった。
 その方は、古くからの王国の『ゆかいクラブ』の会員さんだった。



2003年11月14日(金) 天気:晴れ 最高:10℃ 最低:-6℃

出張中

 今日の出会い・すれ違い
 柴3匹、ゴールデン1匹、ミニチュアダックス2匹、ミックス3匹、ラブラドール2匹、不明1匹、シーズー1匹、ポメラニアン1匹、ニューファン1匹、秋田犬1匹、G・ピレニーズ1匹、W・コーギー2匹、自由ネコ3匹。

 東京も奥に行くと、川べりに犬をたくさん見かける。晩秋の陽光を浴びてネコもひなたぼっこをしていた。
 山の紅葉も進み、枯れ葉が道に積もっていた。道東とは異なり、常緑樹が多いので、山が燃えているという姿ではないが、それでも濃い緑の中での黄や赤は、よく目立ち、勝手に視野に飛び込んでくる。
 湖にはカモの姿があり、やはり冬間近だとあらためて感じた。そうそう、ホテルに戻って確認すると、靴底の深い溝に銀杏が1個挟まっていた。
 



2003年11月13日(木) 天気:曇りのち晴れ 最高:7℃ 最低:-4℃

出張中

 今日の出会い・すれ違い
 柴3匹、パグ1匹、秋田犬1匹、ミックス1匹、トイプードル1匹、ビーグル1匹、ラブラドール1匹。

 首都圏を移動しながらの仕事の1日となった。私は地下鉄があまり好きではない。やはり周囲の風景が見えるほうが心落ち着く。そして、常に車窓から犬を探している自分に気づく。
 今日も、沿線に住んでいる我が家出身の犬たちを思い浮かべ、そんな偶然はあり得ないと思いながらも、空いているシートには座らず、ドアの付近で外を見ていた。
 夕食の上海ガニ、これは素晴らしく美味だった。



2003年11月12日(水) 天気:曇り 最高:6℃ 最低:-1℃

出張中

 今日の出会い・すれ違い
 柴2匹、ミニチュアダックス1匹、ミニチュアシュナウザー1匹、ワイヤーフォックステリア1匹、シー・ズー1匹、ミックス2匹。

 朝の9時から、延々と机を前にしての打ち合わせが続く。午後になるとタバコで喉がいがらっぽく、めったに起きない事だが、肩がこり、そして腰が痛みを訴え始めた。
 やはり、デスクワークには向いていない身体だと、あらためて確認をする。いや、1匹でもいい、横に犬がいるか、膝の上、デスクの上にネコがいると、笑顔で仕事ができるのかも知れない。
 それを勧めたところ、この建物はペット禁止ですと言われてしまった。ああ、素晴らしき祖国『日本』である......。
 



2003年11月11日(火) 天気:曇り 最高:8℃ 最低:-5℃

出張中

 今日の出会い
 柴2匹、秋田犬もどき1匹、ジャーマンシェパード1匹、完璧なミックス2匹。

 相変わらず関東の天候は悪く、寒いらしかった。それでも傘を使う文化とは無縁な王国3人は、半そで姿で仕事場に行き、皆さんに驚かれた。
 宿泊地から電車で1駅の移動の間に、2匹の散歩をしている犬を見た。傘の御主人の横を頭を下げ、もくもくと歩いていた。
 どこに行っても、犬のいる光景に出会うと、やはりほっとしてしまう。
 この周辺には、我が家から旅立ったサモエドも数匹住んでいる。白い犬を見かけたら、私はおそらく駆け寄ることだろう。



2003年11月10日(月) 天気:晴れ 最高:9℃ 最低:-4℃

出張中

 羽田は雨だった。
 東京で乗り換えて今回の出張のベースキャンプに移動、到着した頃には暗くなり、冷たい雨が降り続いていた。
 同行の2人と、明日からの仕事にファイトとの気持ちを込めてビールで乾杯をする。
 
 今日の出会い
 柴、ミックス、各1匹。



2003年11月09日(日) 天気:曇り時々晴れ 最高:8℃ 最低:−1℃


 おばんです。
 今、選挙速報を気にしながら(おおいに興味があります....)、他の所用にかかっています。
 実は、明日からしばらく仕事で留守をします。ひょっとすると日記も無理かも知れません。
 そのお詫びも込めて、明け方までには、再登場をしようと思っているのですが.....。



2003年11月08日(土) 天気:晴れ時々曇り 最高:9℃ 最低:−5℃

 朝早く札幌で雪が舞ったらしい。我が家から40キロ離れた知床でも降ったらしい。でも中標津は北と西に雲を見ながらも晴れ間が多く、とうとう白い訪問者は来てくれなかった。

 明け方、温度計はマイナス5℃を示していた。
 このところ、外で長く暮してきたネコのアブラを、夜は居間に入れている。食欲は旺盛なのだが一時期に比べると2キロも痩せている。毛づやも悪いので、せめて暖かい所に置いてやりたかった。

 これまでは何年間も冬も動物用の台所で、弟分のアブラ2世とともに、女房の用意した箱に入って冬を乗り越えていた。暖房等はない、マイナス30℃の冷え込みの夜でも、2匹で抱き合ってしのいでいた。
 その相手が消えたアブラ2世が気になり、まだ暗い中を懐中電灯を手に様子を見に行った。
 昨夜も原野へネズミ探しにでも行ったのだろう、私たちが作業を終えて家に戻る時には台所にも、その近辺にもアブラ2世の姿はなかった。
 こんな日は、いつ帰ってきても小屋に入ることができるように、入り口を15センチほど開けてある。

 私は、先ず台所の奥にある、アブラたちが愛用している箱の中を照らした。見えたのは敷き詰められた乾草だけだった。
 その前に置いてあるネコ用の缶詰の餌は、半分ほどが消えていた。と言うことは、夜中にアブラ2世は帰ってきたのは間違いない。

 じゃあ、愛用している暖房の所かと、台所の右側に付随している車庫、その中のメキシカンヘアレスドッグのカリンの箱を確認しようと、シャッターを上げた。
 ジャガジャガジャガと大きな音が出た、その途端に30メートル離れた小屋で寝ていたメロンが吠える声がした。
 コッコッコッと車庫側のサークルに入っていたウコッケイのヒナも騒いだ。

 カリンは見事に丸くなり、頭を腹につけて眠っていた。その背の陰に、まるで押しつぶされるような形でアブラ2世が寝ていた。シャッターの音と懐中電灯の灯りで目を覚ましたアブラ2世は、頭だけを持ち上げ、目をしばたかせて小さく鳴いた。

 「ニャッ.....」

 私はカリンとアブラ2世の間に手を入れてみた。そこは熱く感じた。

 「カリン、ありがとうね、アブラが助かるって...。そうか、お前もアブラから温もりを貰ってるんだよな、お互い様、助け合いになってるのかな!」

 私の呟きで、ようやくカリンも目を開け、ムチのような尾を上下に振った。先が箱の壁板にあたり、パタパタと音が出た。
 ポケットを探すと、2本のジャーキーが見つかった。カリンの鼻先に差し出すと、何度も匂いを嗅いだ後、静かに食べてくれた。
 
 風は止まり、カリンとアブラ2世の箱からシャッターを挟んで1メートル離れた戸外に置いてあった水おけには、厚さ1センチほどの氷が張っていた。
 居間に戻ると、ソファの上でアブラが丸くなり、鼻が詰まって呼吸のたびに苦しそうな音が聞こえていた。



2003年11月07日(金) 天気:曇りのち晴れ 最高:9℃ 最低:−1℃


 外の作業を終えて家に入ると、夕食の準備をしていた女房が、真剣な顔で話し掛けてきた。

 「おとうさん、愛知県で、サモエドが人を咬んだみたい、今、TVでやっていたんだけれど、台所にいたから気づいた時には、もう終わるところだった。アンドウさんがサモエドは穏やかな犬のはず....と言ってたようだけど....」

 この説明だけでは、詳しくは何も判らない。でも、『サモエドイ、咬んだ、愛知県』.....と聞いた瞬間に、私の頭の中では、何匹もの白い犬が駈け、こちらを見つめていた。

 愛知県には、我が家で生まれたサモエドが少なくとも5匹は行っている。彼らには申し訳ないが、反射的にその事を思い浮かべてしまったのである。

 「愛知のどこで事件があったの_」

 そう聞いても、女房も詳しくは情報を得ていない。二人で愛知に行った子たちの姿などを反芻しながら、事件を思い、心が沈みこみ、夕食の味も判らなかった。

 電話があった。同じようにニュースを見て驚いた方からだった。事件の起きた場所等、テレビでの報道の内容が判った。
 私と女房の記憶にはない地名だった。しかし、重い気持ちは変わらない。我が家生まれであろうと、異なろうと、『サモエドが咬んだ』というニュースは全国ネットで流れ、多くの人の記憶に焼き付いたに違いない。
 
 けしてサモエドを特別視する気持ちはない。あくまでも1種の犬である。でも、見知らぬ人を『咬む』という事が、もっとも似合わない犬種であるのは確かだと信じている。

 私の身体には、おそらく50ケ所以上の犬に咬まれた傷跡がある。まあ、今でもはっきりと残っているのは10数カ所だが、咬まれた記憶はその数倍である。
 でも、そのすべてに理由があり、それを私は理解している。逆に言えば、咬まれる事を納得した上で行動し、実際に咬まれ、傷ができたに過ぎない。

 これと、出合い頭に不特定多数の見知らぬ人を咬む事とは、おおいに異なる。今日のような事件は、咬まれた方には大災難であり、不条理このうえない事だろう。

 私は頭をかかえている....。
 伝聞による事件の情報だけでは、詳細は判らず、今日のサモエドに関して軽はずみな弾劾はできない。
 でも、どうか冷静に状況を調べ、再発を防ぐ手段・手法を探し、その情報を開示し、犬を飼っている方、犬のいる社会で暮している皆さんの役にたつ形に持っていってほしい、そう私は願う。

 そして、今、サモエドを飼っている私は、多くのサモエド仲間の皆さんとともに、今までと同じように、いやっ、このような事件があったからこそ、より多く、外に出て行くべきだと思う。
 あらためて、サモエドという犬種の素晴らしさを見ていただくために。

 ああ、何とまとまりのない日記になったことか、う〜ん..。



2003年11月06日(木) 天気:曇り時々晴れ間 最高:12℃ 最低:5℃


 小笠原が打った。ベース上でのガッツポーズとヒゲの顔に、シーズン中とは違う表情が出ていた。全日本の代表、それもオリンピッツク予選となると、彼ほどの選手でもプレッシャーのようなものがあったのだろう。今日の台湾戦まで無安打、久しぶりの彼らしさに、ミーティングの間も横目で見ていた私もほっとした。

 朝の作業が終わった時。、女房が車庫からクマデを持ち出して来た。表の道への取り付け道路に行き、道の端に集まっているカシワやミズナラの葉をかき出し、それをクマデで誘導しながら庭の方に移動し始めた。

 『ガサ、ゴソ、ザーザー』

 その音を聞いて、フリーになっていた柴とサモエドの子犬たちが駈け寄って行った。

 「あぶないよ、ほらっ、邪魔をしないの...」

 子犬たちは音が少し恐い。でも、クマデとともに動く枯れ葉も気になる。9匹がピョンピョンと跳ねるようにして女房にまとわりついていた。

 枯れ葉を集める女房.....いつもの秋の光景です。娘も大好きだった。普段は庭の掃除などはした事がないのに、この時期だけはクマデを手にしていた。
 
 もっとも風の当たらぬ所、そして近くに燃え易い物がない場所に、女房は枯れ葉を集め、ヤギのメエスケが餌箱からおとした乾草の残りを上に乗せた。
 準備OKである。古式ゆかしい焼き芋の儀式が始まろうとしていた。

 残念な事に、新しい法律では、農業に関わるいくつかの事以外では、野焼きは禁止されている。
 でも、ゴミを燃やして焼き芋をするわけではない、キャンプでのたき火の範疇に近い、日本の秋の文化と言うことでお目こぼしをいただき、安全に燃やす事にした。

 午後、火はつけられた。立ち会いに我が家に残る柴犬の子を連れて来た。7代目になるメスっ子は、炎と煙、そしてその匂いに興味を持ったのだろう、何の躊躇もなしに枯れ葉の山に近づいた。

 「あっ、あぶない、熱いよ!」

 女房と私が同時に大きな声を出し、近くにいた女房が子犬を抱きかかえた。あと少しで茶の毛色が焦げ茶になるところだった。

 「抱いたまま、火に近づけてみて、どうするか...」

 私は女房に告げた。
 女房が子犬を炎の方に向け、徐々に寄って行った。
 耳を向け、目を見開いていた子犬が、熱さを感じた瞬間に、女房の腕を振りほどこうともがいた。

 「もう、大丈夫だと思うよ、放してやっても」

 土の上に降ろされた子犬は、チラチラと炎に目をやるものの、けしてヒゲが焦げる所までは行こうとしなかった。
 生後70日、今、まさに恐さを覚え(体験し)、それを生き方に応用していく学習の時期だった。いわゆる『天敵反応』が確立され、『君子危うきに近づかず』が座右の銘になるはずだった。
 
 葉と草があらかた燃え尽き、きれいな灰が出来上がると、7代目が貴重な体験をした炎の中から、3個のサツマイモが取り出された。

 先ず、真ふたつにイモを折る。黄色い実が出た。ほかほかの香りがたつ。
 ネコ舌ではあるが、焼き芋は熱いのに限る、思いきってかぶりつく。

 舌の上で甘さがとろけ、かすかに葉の焦げた匂いが鼻に残り、一層、味を際立たせていた。

 やはりイモは植物で焼くにかぎる....。
 私たちの所業を、じ〜っと見つめていたマロに、私のイモのひとかけらを差し出した。鼻で確認もせず、ガブリと食べた。尾が振られ、顔はもっと、と言っていた。
 
 風が出て来た。重い雲が東へ流れ始めていた。それに逆らって6羽のハクチョウたちが、鳴き交わしながら西へ向かっていた。

 焼き芋も終わり、我が家の秋は完結した。

 



2003年11月05日(水) 天気:晴れ時々曇り 最高:12℃ 最低:−3℃

 晩秋の原野の色が好きだ。
 すべてが淡い茶のモノトーン、薄い雲が加わると、大地は揺れ
 て霞む。

 林の奥から聞こえて来る秋のエゾシカの声が好きだ。
 メスジカを求め、フゥェエーと鳴くオスジカは雄々しく風に立
 っているだろう。
 しかし、今日、聞こえたのはライフルの音だった。

 一気に飲む、一口目のビールが好きだ。
 喉を通る泡と輝きの液体に、ただ幸せを感じる。

 一声で駈け寄ってくる子犬たちが好きだ。
 懸命に私の足に前脚を掛け、尾を振る。

 でも、一番後ろで、遠慮をしながらも、視線が合っとたんに尾
 を振る子犬は、もっと好きだ。
 こう言う子は、周囲を見回す心を最初から備えている。

 屋根の上のベコが好きだ。
 傾斜45度の三角屋根の上で、器用に寝ている。お前は最高の
 見張り犬だ。

 床の上で横になると、必ず集まるネコが好きだ。
 たとえ布団代りだろうとも、おまえたちの温もりと喉鳴りは平
 和の知らせだ。

 牛も豚も、そして馬の肉も好きだ。
 お前たちが存在してくれたおかげで、今、人間は生きている、
 そう思う。

 勝手口に座り、私と目が合うまで、じっと待っているミンツが
 好きだ。
 『開けて...』と訴える小さなニャアは、私の宝物だ。

 明るい月よりも、その下を流れる雲が好きだ。
 9日月の今宵、様々な形の雲が静かに現れ、月を撫でていた。

 通っている病院のカウンターの係員が好きだ。
 余計な事は言わず、小さな笑顔が、こちらをほっとさせる。

 遠くで私を見つけたアブラ2世の声が好きだ。
 顔だちと体重に似合わず、そして、短く曲った尾を上げて、
 『ニャッ』っと可愛く鳴く。

 犬たちと過ごす何でもない時間が好きだ。
 毎日の繰り返しが重なり、思わぬ心のつながりが完成する。そ
 こには、無言の幸せが存在する。

 書きだしたら、キリなく好きな事が出て来る事が好きだ。
 ひとを恨み、妬み、羨んで生きる事がないように、と考える自
 分も好きだ。

 

 



2003年11月04日(火) 天気:晴れ 最高:13℃ 最低:6℃

 昨日のことになる。道東のある町からOさん御夫妻が友人とともに我が家に来て下さった。
 先日の日記に書いた、小学校に通ったサモエド系のミックス犬の最後を見守って下さった皆さんだった。

 1枚のコピーされた紙を見せて下さった。今年の3月の新聞記事だった。

 『今年も卒業生を見送り・〇〇小中学校・子供に人気、犬のモク』

 とのタイトルで、3月14日の卒業式の看板が立てられた校舎の玄関の前で、ゆったりと横になっているモクの写真が添えられていた。

 詳しく、話を聞かせていただいた。
 やはり町から離れた地域、そして酪農などの生き物を相手の仕事をされている方の多い地域、そこには1匹の犬を誰もが普通の存在と見る、心の豊かさがあった。
 クサリで繋がれている、いないが問題なのではなく、どのような性格、生き方をしている犬なのかを見極める、知恵とゆとりと経験が存在した。

 Oさんからは、モクに関するたくさんのエピソードを聞いた。1度も会ったことのない犬だが、いかに周囲を幸せにする存在だったかが、よく分かった。
 そして、モク自身も犬として最高の1生を送ったと....。

 今月末には、Oさんの家に本州からサモエドの子犬がやって来る。モクと同じように、多くの子供たちに笑顔と元気を運んでくれる事だろう。
 白い子犬をとりまく子供たちの中心で、O先生は、これまた笑顔で立っているはずである。

 



2003年11月03日(月) 天気:濃霧そして霧雨 最高:12℃ 最低:6℃

 起きて外を見ると、昨日とは大きな違い。
 濃い霧が寒さを伴ってたれ込め、空に明るさはあるものの、太陽は最後まで顔を出さず、午後からは霧雨になってしまった。
 
 今日は、、どうしても天候の気になる日だった。と言っても道東ではない、埼玉県、それも熊谷市周辺の様子だった。便利なものでネットで予報も現況もすぐに調べられる。それによると午後からの雨の確率は70パーセントと高かった、しかし、アメダスの様子では降っている気配はない。何とかそのまま予報が外れるようにと、霧の中で祈っていた。

 熊谷に近い森林公園のドッグランでは、先日、我が家から旅だったラーナの子『ルーイ』と『ノエル』を関東に迎えた歓迎オフ会が開かれていた。
 我が家のダーチャの子を飼われているKさんと、2匹の楽しいコンビ犬を家族にされているMさんの呼び掛けに、我が家出身の犬を含め、20匹の犬たちと30人を超える皆さんが楽しく集っていた。
 これに晩秋の不粋な雨は似合わない、晴れてくれなくても良い(犬たちは曇りのほうが助かるだろう)、雨具の不要な状況になって欲しかった。

 参加をされた方、そして、ネットを通じて心を寄せた方の祈りが通じたのだろう、現地に電話を掛けてみると、来た時の雨が上がり、晴れ間も出ています....と嬉しい返事が返ってきた。
 その声に重なるように、ヒトの笑い声や犬の鳴き声が聞こえた。私はにこにこ顔で電話を終えた。

 オフ会の主役の2匹は、ちょうど生後5ヶ月になる。ある意味で、その子の個性がほぼ決まる時期でもある。
 
 大きめのジャーキーを貰うと、あわてて走って兄弟から離れ、隠れて食べていた純粋のサモエドのノエル。サモエドとラブラドールのハイブリッドとして生まれ、陽気さの中に、兄弟で1番の用心深さも備えていたルーイ....。
 母はラーナだが、父の違う同期複妊娠という珍しい事件で誕生した2匹が、北の実家から遠く離れた地で再会を果たし、久しぶりに駈けているかと思うと、ただただ、皆さんに感謝である。

 夜になり、私のHPの掲示板や、多くの皆さんのBBSに、笑顔いっぱいだったオフ会の写真が続々アップされた。
 それを眺めながら、床暖房の効いた居間でネコたちと転がりながら、私は美味しいビールを飲んだ。

 今日、久しぶりに、皆で近くの海に釣りに行った。強い南西の風、気温は10℃、竿先を見ていると、打ち寄せる波とうねりで酔いそうなほどだった。おまけに鼻水も落ちる状況、しかし、王国の子供たちは、真冬の装備で元気に釣っていた。
 獲物はニシン、チカ(ワカサギを大きくしたような魚)、カレイ、カジカ、などで、各家々の夕食は似たようなメニューになっただろう。

 そして夕方、新聞を見ると、秋の叙勲者の名簿の中に父の名を見つけた。

 嬉しいことの溢れた1日だった。

 



2003年11月02日(日) 天気:快晴 最高:21℃ 最低:2℃

 最初は機織り部屋と称している書斎で、その後、外の動物用台所に併設してある車庫(と言っても最初の思惑通りに使われたことは皆無だが....)の中に設置したサークルで飼育されていたコッケイとウッコイの2羽のヒナを、初めて庭に出した。
 オスメス1羽ずつだが、父親のコッケイはニワトリとウコッケイのミックス、母のウッコイは純粋なウコッケイなので、75パーセントのウコッケイになる。

 姿はウコッケイ的である。しかし、メスのほうは嘴も脚も白く、羽に薄く茶が入っている。どうやらニワトリの血が色濃く出現しているらしい。オスは、まさしくウコッケイである。スネ毛ならぬ脚の羽毛も見事、そしてケンカ爪が3本もあり、これが父親のように番鶏になったら、けっこう恐そうだと、女房と話している。

 サークルから自由な世界に出ても、ヒナたちはそれほど怯えも興奮もしなかった。これは、1ヶ月以上、車庫の中からサークル越しに犬たちや人間の動きを見ていたからだろう。
 同じ事は両親に対しても言えた。どれどれ..と言う感じで確認に寄って来たコッケイにも、慌てず逆らわず、パニックにもならず、穏やかに対応していた。
 いちおう庭では先輩のコッケイが羽を広げ、先が土に着くほどマントのように下げて、小刻みに脚を動かして威嚇をしたが、泣きわめきもせずに軽く逃げていた。

 「なんだか拍子抜けね、もっと大変かと思った....」

 「これまでだと、ニワトリ小屋に入れて仲間になるまで、数カ月は掛かっていたからね。今度はサークルを挟んでの見合いがあったから良かったのかな」

 「そう、新入りのネコの時と同じだよね。顔見知りになることが重要なんだ....」

 女房と二人で話をしながら、試しに犬用のジャーキーを細かくして投げてみた。これはコッケイとウッコイの大好物である。
 コッケイがくわえ、すぐにウッコイを呼んだ。その声を聞くや、4メートルほど離れたカボスの小屋の横で、カボスの掘った穴の中で砂浴びをしていたウッコイがぶっ飛んで来た。
 優しい夫であるコッケイは、くわえていたジャーキーを愛妻の前に落とす、感謝の声を出しながらウッコイは素早く食べていた。
 
 そこにヒナたちが加わって来た。兄と妹の関係だが、孵化した時から常に一緒の暮しだったので、まるで夫婦のように結びつきが強い。
 しかし、まだ性成熟はしていない。どちらかと言うと、ともに同じ事をする真似仲間、と言う感じでジャーキーをそれぞれに食べ始めた。

 「アハハハ、4羽もいると、取り合いだね。それにしても、ヒナたちには与えたことがないのに、ジャーキーが好きだね....」

 「1羽でも、この美味しい物が会った...と言う声を出すと、たちまちすべてに伝わるようよ。こうやって餌をみんなで食べられるようにしているんじゃない...」

 そう、その通りなんである。
 これはスカベンジャー(死体を獲物としている肉食の連中)に多い性質(種特性)である。例えばタスマニアンデビルがカンガルーの死体を見つけたとする。本来ならば、1匹でこっそりと食べたならば、美味しい部所を一人占め、こんなにラッキーな事はないと思うのだが、実際は『フギャ、グギャ、グホッ!!』などと、この世のものとは思えぬ声を出して齧りつく。
 すると、この声が信号となり、近在のデビルたちが駆け付け、みんなが争いながら獲物を食べる事になる。

 落ちついて考えてみると、彼らは冷蔵庫を持っているわけではない、食べ残しても処理ができない。獲物を見つけ信号を出す事で、仲間たちの腹がふくれ、さらに互いに死体を引っぱり合う事で、細かく食べ易い状態になる。
 まさに『種』としての立場から考えると利に叶っているのである。

 群れ型の鳥も、まさしくこの手法を取り入れている。カラスしかり、トビもしかり、そして鶏たちも無言で美味しい物を食べる卑怯な事はしない。
 
 「お〜い、みんな、ここに最高のミミズがいるよ〜、ジャキーが空から降ってくるよ〜!」
 
 と告知しあっているのである。

 初日のヒナたちの庭自由散歩は1時間で終えた。犬にも怯えず、ネコたちが来ても騒がず、穏やかに土の上の獲物を探し、霜で枯れかかっている草をついばんでいた。
 明日は2時間、明後日は3時間と延ばして行き、最終的にはコッケイたちと同じ暮らしをさせたい。
 このヒナたちなら大丈夫そうである。



2003年11月01日(土) 天気:快晴 最高:20℃ 最低:−2℃


 夜中の3時過ぎ、車に乗り込み家に戻ろうとした。ライトを点灯、しかし、前が見えない。水滴で曇っているのかと手を伸ばし、甲でガラスを擦るが、濡れはしない。
 じゃあ、外側だと、ワイパーのスイッチを回した....

 『ジャ〜ジャ〜ジャ〜!』

 背筋をザワっとさせる音が、流れていた夏川りみの歌声を消すがごとく響いた。
 フロントガラスには、半円形にワイパーが作った白い線が何本も描かれ、それがライトの灯りに輝いて、まったく外が見えない状況になってしまった。

 この秋、初めての凍結だった。
 もちろん、何度かマイナスに下がった朝に、凍りついてはいただろう。でもその時は車に乗りはしなかった。朝日とともに知らぬ間に解けていただろう。

 まだそれほど気温は下がっていないはずと、私はウオッシャー液を出し、再度ワイパーを動かした。面白いように薄い氷が消え、普通の窓ガラスが現れた。
 これは注意が必要である。マイナス10℃以下の時や、それ以上の気温でも走りながら行うと、たちまちガラスは真っ白に凍り、前方がまったく見えなくなるからだ。

 前方OK、私はゆっくりと車を走らせた。すでに月は姿を消し、空は星の洪水だった。
 家が近くなったが、どうしても堪えきれずに、私は車を停め、用を足した。中標津のこの時間、まず車が来る心配はない、落ちついて作業を終え、自動的な身震いの後、空を見渡した。1昨日から話題になっているオーロラはと、北の方角、知床への山々のあたりに目を凝らした。しかし、その痕跡すら見当たらなかった。星だけが輝いていた。

 昔、疑問に思ったことがあった。そう、あの歌『知床旅情』の歌詞についてだった。
 『・・・・白夜は明ける〜♪』
 北緯45℃の地域では白夜はあり得ないと、今にして思えば不粋な事を主張したものだった。
 
 でも、オーロラは無理と言われていた北海道でも、最近、よく観察されるようになった。何と今回は、私の故郷の名寄でも写真が撮られていた。
 もちろん、北極圏や南極圏の色鮮やかで動きの素早いものとは大きく異なる。それでもオーロラはオーロラである。ひょっとすると、そのうち本当に白夜もあり得るのでは、と思うことにしよう。地球の公転軸が少し変化すれば可能性はある。

 冷えた身体で家に戻り、再び庭で星空を見上げていた。
 雄叫びを上げ始めたコッケイや鶏小屋の雄鶏の声をBGMに、いくつかの流れ星が南西に向けて尾を引いた。
 サークルの中の2つの小屋で寝ていた子犬たちが、私の姿を見て嬉しそうに寄って来ていた。みんな元気に大小便をした後、私の手の届くところまで来ようと、サークルに前足をかけていた。

 「おはよう、寒くないか〜?氷が張ってるぞ....」

 何匹かが水おけに顔を入れていた。鼻先の突きで氷が割れたのだろう、シャラシャラと音をたてながら冷たい水を飲んでいた。

 再び身体が震えた、時計は4時になろうとしていた。まだ東の空に変化はなかった。