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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2004年01月31日(土) 天気:晴れ時々曇り 最高:−2℃ 最低:−14℃

 午後、携帯が壊れた。モニター画面が揺れ、そして消え、再び復活を何度か繰りかえした後、無言になった。
 この1年、人ごみなどで携帯を取り出すと、周囲の人が見つめ、あわてて目をそらすことがあった。そう、古い機種、今では骨董品のような姿が珍しいのと、そこに記されたイラストが注目の的のようだった。

 今朝の新聞で、王国が東京に進出すると一面に掲載された。その影響だろうか、早朝から私のケイタイは、間を置かずに『天国と地獄』を鳴らしどうしだった。
 
 気分は、けして良くはない。
 目の前の文明の利器に、恨めしい気持も抱いた。それがいけなかったのだろうか、それとも持ち主に気をきかせたのだろうか、ケイタイは無言になってしまった。

 夕方、街に出てショップを訪ねた。クリオネのイラストが付いている5年間愛用した携帯は、そこで臨終を告げられた。角は地色が失われ、アンテナは曲り、充電部のキャップは消えて中にはタバコのかけらが入っていた。
 
 この電話器で、仲間の死....無念な知らせを聞いたことがあった。出張先で女房からの『子犬出産』の嬉しい連絡も数多く受けた。
 
 店の中で、私は上着の袖でクリオネの顔をぬぐい、手渡しながら、中のデータが救われるかと担当の女性に尋ねた。幸い、データは新しく購入した携帯に取り込めた。
 
 130万画素と30万画素の機種を勧められ、散々迷ったあげく、私は薄く軽い30万を選んだ。もちろんiモードである。これまでの私の携帯環境とは大きく異なる(世の中の趨勢とは数年違うが....)。それに追い付くことができるかどうかは判らない。しかし、私は、これまでと同様に自分の都合のために使用していくつもりだ。例によって『不携帯のケイタイ』と言われるかも知れないが、それでも、今では私にも、これは必需品である。

 明日、この新しい携帯に、どのような言葉が載せられるのか、それは期待であり、幾分の怖れも感じている。

 突然、ベコとラーナの鳴く声が聞こえた。
 懐中電灯を居間の窓から照らして周囲を観察した。キツネ舎の前で、キツネが2匹、『ギャ〜、カッカッカッ!!』と騒いでいた。

 様々な変化の起きる『春』....それは間近に違いない。



2004年01月30日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:-2℃ 最低:-11℃

 生後68日になるサモエドのダーチャの体重を計った。
 バネ式の秤は5キロまでなので、この間からは人間が抱えてヘルスメータに乗る方式になっている。
 研修の若者たちは、我が家でよく食べている。さて、どのぐらい北国冬期間仕様の体になったかと、そんな興味も持って計測の様子を見ていたら、残念、Kクンは自分では乗らずに、どんなに食べても太らない不思議な体のAクンに、子犬抱き乗りの権利を譲ってしまった。
 
 「絶対にAクンは、腹の中で虫を飼っている.....」

 絶えずテーブルに置かれている『寒い時、動いた時はコレが1番』系(ようするに甘い物)の品々を眺め、Kくんはどれに手を伸ばそうかと苦悶しながら、そう呟いている。

 『腹の虫.....』で、私と女房は子犬たちの駆虫の事を思い出した。
 生後75日頃から旅立ちが始まるダーチャの子犬、生後50日となるレオンベルガーのベルクの子犬たちも、それぞれに3回目、2回目の駆虫のタイミングになっていた。
 さっそく明日にでも、飲ませることにしよう。
 我が家での犬回虫生産量は、明らかに夏秋と冬では違う。圧倒的に大地が土の時期が多く、雪に覆われた季節は、大便の中に出て来る虫も少ない。雪が天然の予防システムとなっている。

 さて、ダーチャの子犬たちである。
 11月23日に生まれた時の体重と、今日の体重を比べてみよう。
      
       誕生    26日目    今日(68日目)
 メス1  420    1800     8500
 メス2  520    2350     8500
 
 オス1  440    1650     9500
 オス2  430    1450     8500
 オス3  440    1650     9500
 オス4  460    1950     9500

 もう数字を見てのとおりである。とにかく順調そのものと言わざるを得ない。生後2ヶ月を過ぎたところで兄弟の体重の違いが1キロの範囲と言うことは、まさに粒揃い、人間はニコニコ顔で遊びに付き合うだけで仕事が済んでしまう。
 
 玄関の育児箱を脱走するようになり、親子は車庫に越した。香りの良い乾草をベッドに眠り、マイナス20℃の夜は母親を中心にダンゴになって温もりを集め、そして、大雪を喜びとして駆け回ってきた。

 間もなく、彼らは新しい飼い主さんのもとへ行く。
 千葉、大阪、富山、埼玉....。それぞれの地で、体も心も健康で、そして周囲に笑顔を振りまくサモエドの仕事に励んでもらいたい。
 

 



2004年01月29日(木) 天気:晴れ時々曇り 最高:-5℃ 最低:-14℃

遅れます。


2004年01月28日(水) 天気:曇り時々晴れそして雪 最高:−2℃ 最低:−16℃

 
 雲間からの朝日に、ふわふわの新雪が輝いていた。このところ出勤の早くなった我が家組のカラスが、鳴きながら枝を移動すると、白と金色の細かなきらめきが、右に左に揺れながら大地に落ちた。
 先日のような重く湿った雪ではない。まさしく道東の1月の雪であり、黒い服に乗せると、様々な形の結晶が見てとれた。

 KくんとAくんが、サモエドとレオンベルガー、そしてやや大きい柴の子犬たちを囲いから開放した。
 たちまち10センチの新雪は、子犬たちの元気に蹴散らされ、命あるかのように舞い踊った。ぐるりと2回、円を描いた後、両後ろ足を広げ、腰を下げて力んでいる子がいた。ウンコはすっぽりと10センチ下に隠された。

 車庫で夜を過ごしていたウコッケイが出てきた。湯が入ったばかりの水オケに嘴を入れ、背伸びをして羽ばたきをした。
 またまた新雪は大地を離れ、太陽に向って踊った。

 こんな朝が、私は好きだ。
 静かで、そして大きめの粉雪の序章があり、その後に続く太陽と共鳴した命たちのうきうきとした合唱.....それは前だけを見つめる確かな姿だと感じる。
 雪を屋根にしたツルウメモドキの枝の中で夜を過ごしたスズメたちも、子犬の声に誘われるように現れ、ウコッケイたちの食べ残しに夢中になる。
 ヤギのメエスケの飼料を狙っているのは、いつの間にか相方が飛んで来ていたカラスの夫婦だ。女房が柵の横木に止まり、カ〜と鳴いてメエスケを挑発し、餌箱から顔を上げた瞬間に、ダンナカラスがトウモロコシをくわえている。

 書斎や居間の窓から朝の光景を眺め、大きな深呼吸をするのが、このところの私の癖である。
 今朝も、新しい化粧を施した我が家の周囲を見渡し、両腕の動きを添えて、幸せを吸い込んだ。

 
 



2004年01月27日(火) 天気:曇り時々晴れ間と雪 最高:−1℃ 最低:−15℃


 朝から夜まで、パソコンに向っていた。飲んだコーヒーの量はどのぐらいになっただろう。効果はあった、とにかく何回もトイレには立った。

 以前から選び始めていた、キツネ、アザラシ、そしてエゾシカの写真を、ストーリーにそって並べ、プリントをする作業だった。
 Qちゃん、ジャック、ロクにナナにハチの大ちゃん....。
 今の時代に、現実の存在として同じ名前の方や動物がいるが、私と女房の中では、Qやんと言えば、マラソンは走らず、クックックッと甘えてくるキタキツネであり、大ちゃんと呼ぶと、カメラを抱えて駆け付けてくれるツダ氏ではなく、大きな体で湾を泳いで去っていったゴマフアザラシになる。
 ナナやハチは、その年収容した7番目のアザラシ、8番目のアザラシとう意味の名前だった。

 データを処理し、1枚、1枚プリントをしていると、画像の中の彼らが蘇り、頭の中で鳴き声が響き渡る、そんな気持ちになってしまう。
 ジャックの鼻にかかった甘え声が、すぐ後ろから聞こえる錯覚に陥った。

 あらためて写真、画像とは凄いものだと思う。撮影した際には、シャッターを押した私が気づかなかった生き物たちの表情、心が、数十年後になって鮮明に浮かんできた。
 おそらく、これは私自身が時を重ね、経験を積んだことによって、自分の立っている足場が違うからだろう。
 
 これは、今のほうが理解力がある.....そのような問題ではない。人生にまったく同じという場はあり得ない。常に新しい出会い、新しい日常の積み重ねであり、そこでは結論を先に送り、自分の判断力が備わってから行動を、などという猶予は与えられていない。
 常に即断即決が、その時の自分の課題となっくる。

 ただ、過去を思い返すことは、次への参考にはなるだろう。そんな意味で、古い写真を見ることは、けして無駄ではない、そう思った1日だった。

 12時間以上の作業は、腰の痛みと視点の合わぬ目を残し、膨大な過去の思いを復活させ、そして熟成の時間を再確認させてくれた。
 結論は、『ありがとう、生き物たち....!』である。



2004年01月26日(月) 天気:快晴 最高:−2℃ 最低:−19℃


 群れの仲間と協調して行動するよりも、我が道を黙々と行くタイプが多い柴犬、その中でも王国5代目のミゾレは、その性格が際立っている。従って彼女が耳を倒し、尾を振って挨拶をするのはマロ親分程度で、他のメス犬にはけして媚びを売らない。
 
 オオカミの観察記によく出てくるが、群れの中で頻繁に起きる争いの上位には、必ずメス同士の諍いがある。時には大ケガをするようなケンカが発生し、それは1日に何度も起きることもある。

 我が家の犬の群れにおいても、実は、この問題がオス同士のケンカよりもはるかに多い。その90パーセントはミゾレが発生源である。
 
 今朝、すべての犬がフリーになり、これから雪原に散歩に行こう、と言う時に、シグレの子犬たちがミゾレに挨拶をしようとした。孫たちが祖母に御機嫌伺いに行ったのである。
 間もなく生後5ヶ月になる子犬が4匹、この連中が勢い良く寄ってきた事の何かが気に入らなかったのだろう、単にわずらわしかったのかも知れない。ミゾレは軽く口でアタックをして近づきを拒絶した。

 「キャン、キャン、キャン、」
 
 子犬が大袈裟に鳴き声を上げた。
 その瞬間である、5メートルほど離れていた所で、他の犬たちとともに人間が移動するのを待っていたサモエドのアラルが、真直ぐにミゾレに向い、無言で首筋にくらいついた。
 ミゾレはかん高い声を出し、首を押さえられたままアラルの足を狙って牙を向け、反撃を試みた。
 周囲には、10匹ほどの犬たちが集まり、興奮の声を上げていた。

 「こらっ〜!!」

 勝手口を開けて女房が大声で叫んだ。外野の犬たちは気押されて声が止んだが、絡み合っている2匹は、深い雪の中に転げ込みながらも、まだ互いに食らい付いていた。
 KクンとAくんが駆け付け、ミゾレを鶏小屋の柵に入れて事を治めたのだが、典型的な争いが研修材料となったのかも知れない。

 そう、オオカミの群れではアルファのオスと下位のオスの闘いはめったに起きない。しかし、メス同士では、頻繁にケンカが発生し、その中には、かなりの頻度でアルファのメスも巻き込まれている。
 似たような事が犬の群れ社会の中でも起きることが、私には興味深い。浜中に住んでいる頃から、数多くの犬のケンカを見てきたが、オス対オスよりも、圧倒的にメス同士の事が多く、さらに1匹のメスと、それを気に入らないもう1匹のメスによって引き起こされ、周囲が巻き込まれる形が典型である。

 ミゾレに対して、その存在を心良く思っていないのは、アラルとラーナである。ミゾレもこの2匹は好きではない。
 サモエドが柴犬を嫌うのか、と言えばそうでもない。同じメスのサモエドであるダーチャとは友好関係である。さらに、ミゾレの娘であるシグレは、どのサモエドにも認められ、アラルなどは共同で互いの子犬を育てたほどだ。
 オス犬たちはミゾレに対して『うるさいおばさん』的な扱いを示し、付かず離れずの関係である(発情期以外では)。

 では、ミゾレの何がアラルやラーナをイライラさせているのか、それは挨拶だった。
 群れの存在である犬において、互いの確認をする挨拶行為は重要である。その中でも特に大切なのは、オス対メス、メス対オスの異性関係ではなく、オス対オス、メス対メスの、同性どうしの時である。
 ここで自らを抑えて相手に対応ができるかどうかで、後々の争いの発生件数が左右される。
 ミゾレは、幼い頃から、それが下手であり、私と女房は、だからこそミゾレの子犬や孫たちには、人や犬に対する友好度を高くする育児を行ってきたつもりである。



2004年01月25日(日) 天気:曇り遠くに晴れ間 最高:−5℃ 最低:−16℃

 今日から3種の子犬たちの生活リズムを変えた。それぞれの成長に合わせての変化であり、その中には身体の面だけではなく、心の成長に関しての工夫もある。
 整理のために順を追って1日を記してみよう。
 
 ダーチャっ子(サモエド生後63日)
 ベルクっ子(レオンベルガー生後42日)
 シグレっ子(柴犬生後150日ぐらい)

  5:00 ダーチャ・ベルク散歩。その後、ベルク授乳。
  6:30 子犬のウンコ回収。
  8:50 ダーチャっ子、ベルクっ子、離乳食。
  9:15 シグレっ子、餌。
  9:40 庭でフリーに。
 10:30 ダーチャっ子、母とともに大サークルに。
       シグレっ子隔離柵。
       ベルクっ子、授乳後、寒いので玄関の育児箱に。
 15:10 ダーチャっ子、ベルクっ子、離乳食。
       シグレっ子、餌。
 15:30 庭でフリーに。
 17:00 ベルクっ子、授乳後、玄関の育児箱に。
       ダーチャっ子、車庫の中のサークルに母と入る。
       シグレっ子のうち2匹は隔離柵。残りの2匹は
       居間で人間との共同生活、ネコ馴致訓練。
 22:00 室内のシグレっ子、外の隔離柵へ。
       ダーチャっ子、ベルクっ子、離乳食。
       ダーチャ、ベルク、散歩後、授乳。
       その後、子犬たちフリーに。
 22:45 ダーチャっ子、母と車庫サークルに戻る。
       ベルクっ子、玄関に。母親は外のサークル。

 この後、少し下痢気味のベルクっ子を1匹居間に入れ、明日の朝まで横に付き添って、便の様子を観察することになっている。

 昨日までは、ベルクっ子は1日2度の離乳食だった。これは母親のミルクの出が良かったことも理由である。しかし、これからが大型犬として重要な時期になる。骨の成長を順調にすすめるためにも3回の食事が必要になる。
 食べっぷりはどうかと確認をすると、かなりよく口にしてくれた。そして、その後、マイナス17度の雪の上でも、元気に遊び、1匹をのぞき良いウンコを見せてくれた。

 ダーチャっ子は、まさに雪の申し子である。わらわらと深い雪の上に行き、兄弟で粉雪まみれになって遊んでいた。ウンコの量も増え、時に大人の柴犬サイズを超えている。

 そうそう、肝心なことを忘れていた。この時期の子犬たちには、実は飲み水も重要である。どんなにミルクを飲んでいても、必ず用意をしておく必要がある。
 外でフリーにする時には、温度が35度ほどの湯を入れた水オケを庭の中央に用意している。離乳食を食べた後、母親のミルクを飲んだ後、そして遊びの途中で、何度も口をつけていた。

 子犬を育てている時の心がけとして、あまり神経質にならないことと、それと相反する言い方かも知れないが、細かな観察力が重要だと思う。1日1日の変化が大きい時があるので、それにすぐ対処できるように、前日との違いを見抜く力は求められている。
 例えば下痢のために居間に入れたベルクっ子、昨日はできなかったTVの裏が狭くて通れない時の対策が、今日は、見事に迂回することで解決していた。こんな小さな進歩に気づくことが、何か問題が起きた時の早い発見に繋がる。
 イタズラや食欲の増減などにはおおらかに、だが、行動の変化には細心の注意....だろうか。

 



2004年01月24日(土) 天気:晴れ時々曇り 最高:−1℃ 最低:−9℃


 結婚式に出席してきた。
 
 (詳細は後ほどです)



2004年01月23日(金) 天気:晴れのち曇り 最高:2℃ 最低:−9℃

 思いはいつか実りの方向に行くもので、懸案だった首都圏での動物王国構想が進み、今日、最初の報告ができた。
 東京都下に春にオープンする、との情報だけではあるが、それでも身の引き締まる思いがする。
 昨年の夏頃から、この計画の具体化作業の山場が続いており、ムツさんをはじめ、王国メンバーがそれぞれ忙しくしている。30数年の積み重ねを新しい器に入れるには、それ相当に覚悟と様々な具体の解決がある。
 時に怒り、時に悩み、そして時に大声で笑い、大きな玉手箱の中身が着実に増えてきている。

 今日の1回目の発表を見て下さった皆さんには、あと少々、お時間をいただき、より詳細な展開内容の公開を待っていただきたい。
 そして、これまでもそうであったように、動物王国はひとつの運動体であり、私たちメンバーだけではなく、それを応援し、ともに歩いて下さる皆さんとの共同作業で築きあげてきた不思議な空間だと思う。まさに新しい動物王国はその極致であり、訪れて下さる皆さんがあってこそ、その存在が成り立つと言える。
 変わらぬ応援、そして共鳴をいただけるように努力するとともに、さらに、手を繋ぎ、同じ時間を共有し、同じ笑顔を見交わせるように、心していきたい。

 このホームページを立ち上げてから、いいえ、もっと前から抱いていた夢がある。それは、王国から旅立った子犬たちが、その親を含め、みんなで集まることである。
 マロの血を繋ぐ白い犬たちが、5匹、10匹、20匹と集合していたなら、私は消費する涙を補うために、やむなく多量のビールを摂取しなければならないだろう。
 耳が遠くなり、毛のつやも失われたマロ親分の横に、その子供たち、孫、さらに曾孫たちが笑顔でいたならば、もう言葉はいらない、至福とはこのような時のために作られた言葉、それを十分に感じるに違いない。

 ・・・・そんな事が、簡単に実現できる、私は、この空間を新しい動物王国に描いている。
 もちろん、これまでと同様に、私たちと素晴らしい家畜たちの生きざまは、隠すことなく展開させていただく。それに加えて、多くの皆さんが暮してらっしゃる首都圏だからこそ、多数の方に参加をしていただいての新たな王国造りも大きな夢である。
 10000人の子供たちが、私たちが育てたドサンコの背の上で笑顔を見せてくれるのも、本当にあっという間だろう。

 ムツゴロウ動物王国の33年の歴史の大転換が始まろうとしている。
 より多くの皆さんと、仲間として肩を組むことができたならば、もう言葉はいらない、ただただ感謝である。



2004年01月22日(木) 天気:雪のち曇り 最高:1℃ 最低:−1℃


 重く湿った雪の1日だった。



2004年01月21日(水) 天気:曇りのち雪 最高:0℃ 最低:−10℃


 明け方からのサーバー不調が、今夕、15時間ぶりに復活しました。御心配、御迷惑をお掛けしましたことをお詫びいたします。



2004年01月20日(火) 天気:晴れ時々曇り 最高:1℃ 最低:−8℃


 只今、打ち合わせです。遅れます。



2004年01月19日(月) 天気:晴れのち曇り 最高:−2℃ 最低:−19℃

 ああでもない、こうでもない、それはダメッ、いいや、こっちがいい.....。
 随分と時間がかかったが、今日、ようやく王国柴犬七代目のシグレっ子(メス)の名前を決めた。

 『茶々(チャチャ)』である。

 候補に上がったものを並べてみよう。
 『しずく』『ナダレ』『ナナ』『ナナコ』『ナコ』....まだまだあったが、もう忘れてしまっている。私が提案すると女房が反対し、女房の七代目にこだわった『ナ』の付く名前には、私が乗らなかった。
 そして、数日前、女房の口から『チャチャ』と出た。赤毛の濃い七代目である、茶色がしっかりとしている。うん、これならば合っているかな、何となく可愛い響きもある....そう思い、ようやく二人は合意に達した。

 早速、夕方から呼んでみた。もちろんまだ理解はしていないが、声が自分に向いているとは分り、ジャーキーにつられて寄って来た。

 ところが、である。
 そろそろ柵に入れようかと呼ぶと、逃げるのである。生後4ヶ月を過ぎ、体力だけではなく知力も身に付け、次に何が起きるか、それを予想し、対処法を覚えてきた。
 こうなると、どんなに美味しいジャーキーであろうと、口先でくわえる時には尻は後ろに逃げる体勢になっており、するりと人間の手をかわしていく。

 ありゃりゃ、である。兄弟4匹、母親のシグレ、そしてサモエドのアラルが同居するサークルでの暮らしを続けているうちに、見事なまでに社会性を身に付けたと同時に、そこでの鮮やかな処世術も会得し始めている。
 言葉を変えるならば、要領がよいのである。まあ、利発さの証明であるから歓迎はするが、人間とのいたちごっこは勘弁してほしい。

 そこで、女房は、夕方、チャチャを居間に入れた。もともとネコとの共存精神は学んでいる。迎えた16匹のネコも特別な怯え等を示すことなく、ごく自然な態度だった。
 チャチャは変わっていた。2ヶ月前に入れた頃は、居間のあちらこちらを兄弟たちと探検し、イタズラをしていた。
 しかし、今日は、しっかりと状況を確認し、静かに、他の連中(人、ネコ、メロンなどの犬)の邪魔にならぬ所で、固まっていた。
 声を掛けたり、人間の夕食の中から美味しい肉などを差し出しても、かなりの遠慮の表情を示す。

 「しばらく、ちょこちょこと中に入れてあげよう、少し、慎重過ぎるところがあるね...」

 と判断し、明日からも繰り返し居間に招くことにした。
 生後4〜6ヶ月、個性が固まる時期に差し掛かって来ている。その変化の過程を、静かに見守っていきたい。もちろん、ちゃちゃなどは入れずに、チャチャを入れて。



2004年01月18日(日) 天気:快晴 最高:−1℃ 最低:−20℃


 すっきりと晴れた。どこまでも青空、そして阿寒から知床への山々の頂きが白く輝いていた。
 風が止まり、雪が飛ばなくなったので、原野の足跡を確認しようと家の周辺を歩き回った。

 先ず、見つけたのはユキウサギの鮮やかな足跡だった。すべての生き物たちがそうだが、何もない広い牧草地などの中央に、堂々と足跡を残すことは少ない。やはり畑の周囲、そう林やブッシュなどを辿るように移動している。
 これは、餌となる樹木やササなどの問題もあるだろうし、もうひとつ肝心なのは、弱い生き物ゆえに身を守るためには、絶えず、盾となる物が必要なのだろう。

 ウサギは有名な『トメ足』を何度も使い、柳の樹皮を何ケ所かで食べていた。もちろん直径1.5センチほどのコロコロうんこも残っており、それは硬く凍っていた。

 林の中にはエゾリスの足跡もあった。樹木の上と雪上を上手に使って移動しているので、突然に足跡が現れ、それは太いミズナラの幹の近くで消えている。
 冬眠をしない彼らは、吹雪の後、懸命に餌を探す。昨日、今日、エゾリスたちは忙しいスケジュールで動いたことだろう。幸い、今回の雪は湿った重いものだったので、我が家の犬たちでも沈まずに歩くことができる。エゾリスたちの足跡は、わずか1センチの深さで続いていた。

 ササの多い所に行くと、雪からかすかに葉の先端が見える所に穴があり、そこから本当に小さな足跡が、次のササの葉の隙間に向って延びていた。ネズミである。
 この連中が動く時に出す音は、本当に微かなものだと思う。それをキツネたちが気が付くのには、いつも驚かされる。もちろん、ネズミ捕りの得意な柴犬のミゾレたちが行っているように、キツネも先ず鼻を雪の中に入れて匂いを嗅ぐのが先だが、その後は必ず首を傾げ、耳をしっかり向けて音を確かめている。

 そして、キツネたちである。
 間もなく発情期を迎える彼らは、1年の中でもっとも行動時間が長い時期になる。それは結婚相手を求めての行動だけではなく、食料の厳しい時期と重なっているのも理由だ。
 今日、追跡したオスギツネの足跡からは、3ケ所での雪を掘っての狩り(ネズミ探し)、5ケ所の小便跡、などが確認できた。しかし、ネズミを獲得できた痕跡はないところをみると、残念ながら空腹が続いていることだろう。

 我が家を中心としたエリアだけでも、足跡から推測して3匹のキツネが、昨夜から今朝にかけて行動していたと分る。残念ながら、その中にルックは入っていない。我が家への訪問が途絶えて4ヶ月に近い。女房と私は、この冬は昨年のような奇跡はないと覚悟を決めている。
 しかし、動かぬ姿をこの目で見ているわけではないので、心の奥で何かを期待しているのも事実である。

 今夜も冷えてきた。隔離柵の犬たちが騒ぐのでライトを照らしたところ、キツネ舎の横を2匹のキツネが歩いていた。振り向くたびに金色に瞳が輝き、それは静かに沢に消えた。

 
 



2004年01月17日(土) 天気:快晴 最高:−2℃ 最低:−9℃


 これから、ちょっと仕事にかかります。日記、遅くなります、すみません。



2004年01月16日(金) 天気:曇り時々晴れ間、そして雪も 最高:0℃ 最低:−3℃

 王国が開国してすぐの頃から、大雪と犬の脱柵はつきものだった。昭和47〜50年、当時は、今の数倍の降雪量があった気がする。1メートル80センチの柵がすっぽりと雪に埋り、犬たちは嬉しそうに白い原野に遊びに出ていた。
 実際にデータをみると、降雪量の違いは、せいぜい2倍の範疇である。では、何が違って今は少雪と感じるのかと頭をひねったところ、答が見つかった。そう、近年は、12月はもちろん、1月であろうと2月の厳寒期だろうと、浜中は雨が降るのである。
 これでは、積もった雪もたまらない、解けて流れ、そして凍ってツンドラ状態の大地が広がることになる。降る雪の量は大差なくても積雪量は天と地の違いになるのである。

 さて、ここ数日、我が家では懐かしい柵からの脱走が話題になっている。昨年はサモエドのオビが、成長とともに見事な脱走を見せてくれた。
 今回の主人公は柴犬シグレの子である。なぜか仮の名前でラッキーと呼ばれ始めているそのオスっ子は、最初、雪が積もって柵の高さが低くなり、前足を懸垂のように使って出ることを覚えた。

 そこで、人間は柵に添って内側を掘り、高さを確保した。
 でも、1度、禁断の脱柵の楽しさを覚えたラッキーは、今度は助走をして柵に跳びつくことを覚え、ニコニコとして庭の大人の犬たちに会いに行った。
 こうなると、もう柵を高くする以外に対策はない。別段、事故になるわけでもないので、ゆかいなエピソードとして見守ることにしよう.....そう思った。

 柵を抜け出たラッキーを、居間に入れ、説教らしきものを笑顔で私は繰り替えした。ラッキーは兄弟の中でも自分だけが特権を持ったことを認識しており、実に嬉しそうに笑い、ネコに尊敬の挨拶をし、先住のメロンなどに尾を振った。

 これは伝染する。
 今日、もう1匹のオスっ子がラッキーの後を追い、見事に柵を出た。2匹となれば、嬉しさも倍増以上、庭を駆け回る2匹に、残されたシグレっ子や、小屋に繋がれている犬たちからヤキモチの声が上がった。

 そして、明日、おそらく残りの子もチャレンジをし、成功するだろう。
 それほど4匹は元気であり、コロコロであり、そして頭が良い。大雪がもたらした子犬たちの新たな能力開発、それを喜びながらも、さて、どうしたものかと考えている。



2004年01月15日(木) 天気:吹雪ときどき曇り 最高:2℃ 最低:−4℃

 朝帰りだった。
 400メートル離れた国王、ムツさんの家からだった。
 吹雪は猛烈に続いており、国王家の前に停めておいた車は、厚い雪化粧を施していた。
 乗り込もうとして、ドアの把手に手を掛けた、ビクともしなかった。凍りついている。仕方がない、壊れても構わないと覚悟を決め、思いきり両手で引いた。

 『ばりっ、バリバリ....!』

 密着していたゴムの部分が大きな音を立てて剥がれ、ようやくドアが開いた。すぐにキーを回してエンジンを掛け、雪かきブラシを手に再度、ドアを閉める。
 ブラシで車全体の雪を落とし、特にフロントガラスの氷と雪は丹念に除いて視界を確保した。

 同じように家の前に停めてあった大型トラクターが動き始めた。ドライバーはツンちゃんである。
 トラクターは、ゆっくりと表の道に向って進み始めた。国王家から表道までの並木道は350メートル、昨夜9時にツンちゃんが除雪をしてから7時間で、新たに50センチの雪が溜まっていた。
 トラクターの前にある大きなバケットが雪を押して行く。昨日は重い雪だったために、トラクターでさえ押すのに苦労し、後ろに付けている大きなロータリー除雪機のピンが壊れた。
 少し、気温が下がった影響だろう、雪が乾いて軽くなり、軽快にトラクターは進み、白い雪煙りがライトに鮮やかだった。
 私は、ワイパーを急速にし、ツンちゃんの後をゆっくりと進んだ。

 7時間行われた『国技』の帰りだった。
 昨日の夕方、声が掛かった時、吹雪と吹き溜まりで、車が動けない....と私は返事をした。

 「迎えに行けるよ、今日は、トラクターで移動しているから、先導オーケー....」

 ツンちゃんも同じだが、私も普通ではない日、状況が大好きである。なぜかワクワクとしてくる。
 こんな猛吹雪の夜に、なにもマージャンをしなくても.....これは女房の正しい一般意見である。
 でも、正しくはない事を好む自称『不良中年団』は、こんな猛吹雪の夜だからこそ、国技にいそしまなければならない。

 阿寒、弟子屈などだけではなく、近くの虹別、計根別などが孤立している夜、風雪の音を聞きながら私たちはゲームを楽しんだ。
 その修羅場への往復を、トラクターによる除雪によって確保した執念、これを、私は誇りにしている。
 何となく、生きることを楽しむ心の現れと思えるからだ。

 我が家に無事に辿り着き、ベルクとダーチャをトイレに出し、懐中電灯に照らし出される雪舞いを楽しんでいると、一旦、自宅までの除雪をしたツンちゃんが、今度は馬小屋に向って行くのが見えた。
 時間は午前4時30分、これで馬たちは、いつもの時間に餌を食べられるだろう。

 吹雪さえも楽しむ気持ち、それを確認できた夜、私はまだ若いと暗闇でニヤリとした。玄関に戻ると、レオンベルガーのベルクがサモエドになっていた。

 



2004年01月14日(水) 天気:吹雪のち曇りそして吹雪 最高:1℃ 最低:0℃


 『暖冬、少雪』と嘆いていたのが聞こえたのだろうか、マイナス20℃を挟んで、3度目に大雪となっている。それも今日の雪は強い風付き、要するに吹雪であり、正面からたち向うと目が開けられないほどである。
 幸いな事に気温は高いので雪が重く、思ったほどの吹き溜まりはできていない。でも、車が自由に出入りできる状態ではない、首を長くして王国の除雪大臣であるツンちゃんのトラクターを待った。



2004年01月13日(火) 天気:晴れのち雨のち雪 最高:3℃ 最低:−9℃


 不思議な気象変化の後、夜になって雪に落ち着いた。しかし、安心はしていられない、予報でも、ネットで確認した衛星画像やアメダス情報でも、根室沖で低気圧が台風なみに発達すると告げている。なんとか穏やかにと祈るだけである。

 書斎に入り、ネコの原稿の書き出しを考えていると、女房が元気に入って来た。

 「ねえ、ここ読んだ?!」

 今年も日々、ヒビの数が増えてきている女房の手には、今日の北海道新聞が握られていた。紙面は中ほど、生活面のコラムを指差している。
 見逃していた私は、目を細くして『こちら生活部』のタイトルで囲まれている欄を読み始めた。

 「ねえ、こんな事ってあるんだね、都会は。でも、少し気にし過ぎかと思うけれど.....」

 女房は、新聞や雑誌の、それこそモニターができそうなほどの良き読者である。いいや、しつこい読者と書き直そう、とにかく2.0の眼鏡を掛けて(意味の理解できるかた、御同類かな)、細かく隅まで目を通している。
 私の読み方は、紙面を両手で広げ、少し距離をとって全体を眺め、何となく琴線が揺れた個所に目を向ける方法である。従って見逃しも多い。これも、女房をあてにしているからできるやり方かもしれない。

 さて、コラムの話である。
 記者氏が札幌の生き物大好きな小学生を取材をしたところ、複数の子供たちから、今どきらしい『犬を飼うことを許してもらえない理由』を得た事実。そして、それについて考え、記者氏の幼い頃の体験をふまえて、解決法を望む記述となっていた。

 犬の飼育を子供たちに許さないのは母親である。その理由は、不審者の出没、散歩中の連れ去りや通り魔....これを警戒しての反対だったと書かれていた。

 私は「う〜ん」と唸り、記者氏が望むように、何らかの解決策はないかと、新聞を手に考えた。
 すぐに、友人の書店の事を思い出した。この話は私が講演で必ず紹介する事であり、このホームページでも掲示板か日記で書いたかも知れない。
 でも、安全な地域社会の復活のためには、大いに役立つと思われる.....と言うことで、再度、記載してみよう。

 友人の本屋は、地方都市らしく書籍と文房具の両方を扱う中規模の店である。10年ほど前、その店での万引きは、経営をひっ迫させるほど酷くなっていた。彼は、被害金額それ自体にも悩まされていたが、もっと追い詰められたのは、盗みを笑顔でしていく子供たちの姿だった。

 私は、古い付き合いの彼が、強烈な理想主義者であり、純粋な正義感の持ち主であることを知っている。その彼が、まるで恋人に裏切られたかのように、小中学生の手口と、その後の顛末(払えばいいんでしょ、と、のたまう親たち等....)を嘆く酒に、世の終わりのような気分になったものだった。

 でも、さんざんな目に何度も会った仲間の底力とでも言うのだろうか、彼は、その後の2年で、万引き被害額を売り上げの0.5パーセント以下にしてしまった。これは酷い頃の40分の1らしい。

 その手法は簡単だった。知り合いの務めをリタイヤされた方たちに、店に遊びに来てもらったのである。もちろん、お茶と菓子、そしてテーブルと椅子を店の中に用意して。
 いくつかの仕事もお願いをしていた。それは、店に来る客、特に子供たちに声を掛けてもらう事だった。
 これは、頼まれた老年の方々の得意な分野である。時間と経験は十分にある、ニコヤカに、そしてポイントを押さえて、相手をみて言葉の内容を変えて応対ができた。

 例えば、レジの横で紙袋に買ってもらった品を入れる役を自ら望んだおばあちゃんは、

 「こんにちは、今日は早いのね、あっ、期末テストかな...」
 「あらら、また背が伸びたんじゃない、すごいね、カッコ良くなるよ...」
 
 などと、うるさいぐらいに客の子供たちに話し掛けた。

 「最初はね、子供たちも驚いたのか、来客数が減ったよ。でも、驚いたことに2ヶ月で前よりも増え、それに反比例して被害が右肩下がりでダウン....。嬉しかった〜」

 「何よりおじいちゃんおばあちゃんの凄いところは、子供たちの心が見えることだね、店で確認をしていた間違いをした子を、初めて見た時に、判るんだって。そんな子には、より笑顔で話し掛けてくれるんだよ、うん、凄い!!」

 「何故、1種の取締官がいるような店に客が増えたかと疑問だったんだけど、子供たちの表情を見て理解できたよ...。そう、彼らも寂しかったんだね。そして、同じような年齢の友だちではなく、すごく年の離れた人との会話、それも自分個人に向けて発っせられた言葉に、嬉しさを感じているんだね。だから、買う予定がなくても話をしたくて来てくれるのさ....」

 友人は、あくまでも楽観主義者である。ヒトという生き物の『善』を信じている。若い頃、同じ場に立ち、同じ言葉を語り合った仲間が、こうして精神を貫き通している事に、私は誇りを抱くとともに、自分には反省が多いと気づかされる。

 それはともかく、今日の新聞で知った都会で犬を飼えない問題の解決に、友人が行った手法は使えないだろうか。
 そう、リタイヤされた皆さんに、どんどん街に出てもらうのである。土手道を散策していただきたい。公園でアブラを売ってもらいたい。公衆喫煙所なんかも良いだろう。
 懐かしい縁台なども良いかも知れない....。
 けしてエンダイな計画ではないと思う。人生の大ベテランであり、まだまだパワー溢れる皆さんに、この怪しい時代だからこそ、社会の前面に出て来ていただきたい。
 おまけもついてくる、外に出て、気合いと刺激、そして運動的な利点から、健康な方が増え、老人医療費の節減にも繋がるだろう。

 もし私が長生きなどをした時は、はってでも外に出て、周囲を困らせたいと思う。怪しい奴にはくらいつき、犬を散歩している子供たちには、歯のない顔で微笑み、言葉を掛けたい。

 午後10時を回った。 雨から変わった湿った雪は、そのひとかけらを大きくして来ている。明日は吹雪だろうか......。



2004年01月12日(月) 天気:曇りのち晴れ間 最高:0℃ 最低:−4℃

 我が家から表の道への80メートルが吹き溜まり、車の行き来が不可能になっていた。
 犬たちはお構い無しである。吹き溜まりであろうと、アイスバーンであろうと、時に転倒はするけれども、嬉しそうに駈け回っている。

 上の文章を書いた後、風呂やら育児中の母犬の散歩やらで間があき、さらに何気なくチャンネルを回した衛星放送の映画に見入ってしまった。タイトルは『海辺の家』となっていた。映画の内容はとても簡単で、特に書き記すこともない。しかし、主たる登場人物が飼っているイエローのラブに、どうしても目が行き、次はどのようなシーンに登場するのかと、そればかりが気になった。
 もっと言うならば、この映画の監督と脚本家は、ストーリー展開をこの犬に担わせていたとさえ思ってしまった。

 そして、私が途中で席を立たず、ひざに2匹のネコ、横に老犬のメロンを並べて最後まで見たもうひとつの理由は、王国に住んでいた秋田犬のグルとタムを思い出したからだった。

 グルは、ムツさんが胃の病のために吐血をしていた頃に、倒れることを予感したムツさんが、徹夜仕事をする書斎にグルを入れ、覚醒の役割を任せていた。
 まさに洗面器を満たすほどの吐血の時に、グルは必死にムツさんの口元、顔、果ては吐瀉物までなめ取っていた。その時の『ひ〜、ひ〜』との心配の声を、ムツさんは今でもしっかりと覚えていると言っている。

 私はタムだった。酷い酔いで戸外で吐いた時、さらには思わぬ落馬で身を屈めて唸っていた時、どこからともなくタムが現れ、やはり『ひ〜、ひ〜』とせつな気な声を出しながら顔を舐めてくれた。もう大丈夫と言っても、目を三角にし、耳を倒し気味にして離れなかった。

 今日の映画では、主人公が末期のガンであり、ベッドから床に崩れ落ちるシーンにも犬が登場し、まさしく何十年も前に王国で2匹の秋田犬が行ったのと同じ事をしていた。

 『ああ、そうだよな、犬ってこうだよな......』

 頭ではとっくに理解していても、実際に映像を見ると、たとえそれが作り事の映画でも、胸が熱くなってしまう。
 今日の映画では、主人公の演技が素晴らしいのか、それとも犬が猛訓練を受けていたのか、はたまた、カメラ側に立っているトレーナーが凄いのか、いや、実際に主役の俳優の飼い犬ではなかろうか...などと想像するほど、自然でさりげない動きと表情をしていた。

 人間だけが登場する映画では、どんなに金の掛かった作品でも、ともすれば見る側の心が冷めてしまうことがある。
 しかし、たった1匹の犬が登場し、それが狂言回しのような役を担う事で、雰囲気が変わり、ごく身近になってくる。
 こんな感想を持つのは、私だけであろうかと、明日にでも皆に聞いてみたいものだ。

 さて、我が家への道の吹き溜まりだが、若いKくんとAくんが、汗をかきかきスコップを手に道作りをしてくれた。おかげで明日が締切りのフイルムを送ることができた。感謝である。
 そしてまた、明日の遅くから雪が降るとの予報がテレビから聞こえてきている。



2004年01月11日(日) 天気:雪 最高:1℃ 最低:−5℃

 昨日はマイナス20℃、しかし1日が過ぎると、今度は雪と高い気温。この大きな変化、多様な気候に人間以外の生き物たちは、よく対応をしていると感心する。
 人間はどうでも良い、衣服、冷暖房機具、様々な形での工夫ができるのだから。でも冬用に被毛も準備した連中は、気温が上がったからと言って脱ぐわけにはいかない。実によく自然を受け入れ、あらゆる条件を飲み込み、消化していると思う。
 
 しかし、これは外で飼われている犬などに関してである(我が家のように)。主たる生活環境が室内の場合は(特に頻繁にシャンプーをされていると)、ある意味で人間と同じように考えてケアーをすべきだろう。風雨、風雪が強く寒さが厳しければ、レインコートやセーターが必要なこともある。偉大な寒暖変化対応用エアークッションである被毛が十分に役割を果たすのは、その犬本来の脂が毛にあってこそである。

 今日も湿った雪の1日だった。その中で散歩や遊びをしていた我が家の犬たち、彼らはシャンプーなる事を知らない連中である。従って、どんなに雨が降ろうが、今日のように重い雪であろうが自前の脂で弾き飛ばし、笑顔で活動している。
 その中で、毛に雪玉がたくさん着いた犬がいた。それはある程度長い毛の犬種で、幼いか年寄りたちである。そう、サモエドのオビ、そしてマロがその典型だった。
 
 幼い個体は、柔らかいウブ毛のようなオーバーコートが存在し(成犬になると、この毛は荒く硬くなる)、それは雪が着きやすい。老いたマロのような子は、毛の脂分が減少し、さらに付着した汚れが核となって雪が固まって行く。
 元気盛りのオビはどうでも良いが、マロは気になる。散歩を終えたマロに声を掛け、大きいものでは直径が6センチほどの雪玉に手を伸ばすと、もともと毛の手入れをされるのが嫌いなマロは、あわてて小屋に入り、自分の口で雪玉を取り始めた。
 まあ、気温も高いことであり、それでいいかとそっとしておく事にした。

 そうそう、これまで玄関の育児箱で成長をしてきたダーチャの子犬たちを、急きょ車庫に移動した。
 強い降りの雪だったので、外のサークルに出すわけにもいかず、かと言って狭く感じるようになってきた玄関の箱では、あっと言う間に小便で濡れてしまう。
 じゃあ、と言うことで、ヘアレス犬のカリンやウコッケイたちが暮している車庫を片付け、広いスペースに藁をたっぷり敷いテサークルを立てた。もちろん先住のカリンたちとは柵を挟んでの同居となる。

 母親のダーチャは、朝早くからムツさんの家に遊びに行ってしまったので、まず6匹の子犬たちを移動した。
 6匹は、実に嬉しそうに藁の上で駈け、そして互いに遊びを始めた。隣のカリンもいつも程にはプレッシャーを掛けず、尾を振りながら子犬たちを見守っていた。
 
 母親が帰った。車庫のサークルの中に入り、残っていた子犬たちの離乳食を平らげた後、すぐに子犬たちのために吐き戻しをした。それならば、食べずにそのまま食器から....などと人間は考えるが、子犬たちには断然、母親の胃を通過した餌のほうが評判がいい。あっと言う間に食べ尽されてしまった。

 車庫の中に設置した新しい育児場は、子犬にも母親にも気にいられた。しばらく遊んだ後、フカフカの藁の上で大の字になっての昼寝が始まり、一挙に増えた生き物の体温と呼吸で、車庫の中の気温が上がった。
 これならば寒気が来ても充分耐えられる、そう確信し、夕方、シャッターを下げた。ダーチャっ子、初めての外泊の夜が、大雪の日に始まった。



2004年01月10日(土) 天気:晴れのち曇り 最高:−1℃ 最低:−20℃

 とうとうマイナス20℃まで下がった。もちろん放射冷却現象の影響である。風止まり、空には雲の覆いなく、ひたすら地表の温度が奪われた。
 
 降り積もった重い雪は縮み、乾き、そして深い所では凍っていた。歩を進めるとキュッキュッと雪が鳴り、犬たちは時々止まって肉球の間を舐めていた。

 午前9時、まだ寒暖計はマイナス10℃を示していた。その中にサモエドのダーチャの子犬たちは出ていた。玄関の育児箱で夜を越すと、ウンコは母親が食べてしまうが、小便が敷かれた新聞と布にたっぷりしみ込んでいる。それを交換する間、子犬たちは、離乳食の入ったバットとともに外の囲いに入れられた。

 「イシカワさん、子犬たち寒くて固まっています、餌に口を付けません...」

 研修生が気づいた。再度、子犬たちは玄関に入れられ、そこで餌を食べた。

 そして10時過ぎ。陽光は北国の空気を温め、気温はマイナス6℃まで上がった。

 「お父さん、出すでしょ、ダーチャっ子たい....今日から」

 女房が確認をしてきた。私は忘れていた、子犬たちを外でフリーにしてきようと、昨夜、決めたはずだった。

 「よ〜し、いいよ〜、好きなところで遊んでおいで、ほらっ、大きな犬が来たよ、挨拶だよ〜」

 見守る人間たちは、声のトーンを上げ、よちよち歩きの6匹を応援した。
 騒ぎを聞き付け、散歩に出ていた母親のダーチャが駈け戻ってきた。彼女は玄関の前で躊躇している我が子の中に入り、子犬たちが腹にすり寄ると、それを引き連れるように真っ白な庭に向った。
 6匹が、明らかに駈け足で母親に続いた。3メートル先に用意しておいた湯を入れた水オケに気づいた子犬が、顔を寄せあって飲み始めた。
 ダーチャは、人間と他の犬たちの動きを確認しながら、子犬たちの横に立っていた。
                (この項、続きます)



2004年01月09日(金) 天気:晴れ 最高:2℃ 最低:−6℃

 津軽には負けるかも知れないが、道東でも様々な種類の雪が降る。
 初冬ならばみぞれであろうと、それが少し進化して湿った雪であろうと、本州のようなボタン雪であろうと、まったく問題にはせずに、ただ情緒を味わう。
 しかし、新しいカレンダーが壁に飾られてからの重い雪はかなわない。それは必ず後の日に寒気を伴っているからだ。
 

 昨日の雪は、結局、60センチほど新たに積もった。風は東南に始まり、東に傾き、北東に行きかけたところで、何故か元に戻り、とうとう北風にはならなかった。
 と、言うことは、気温が高いままに雪が降り続いたことになる。従ってたっぷりと水分を含んだ雪は重く、柔らかい毛の犬たちは雪玉で身体を飾り、長靴で進む人間の足取りは『ヨイショ!』のかけ声付きだった。

 こんな時に本州からの子供たちがいたならば、私は雪合戦を企画しただろう。
 二つのグループに分け、陣地を構築し、作戦を伝授して遊んだのは私が小学生の頃だった。自然を利用したあの楽しさと、チョッピリの痛さ、さらに、負けた時の悔しさを、今の子供たちにも味わって欲しい。

 そうそう、ある春休みに、実際にツアーの子供たちに仕掛けたことがあった。すると付き添って来ていた先生と父兄の1部から、そんな争いゲームはやめてくれ、ケガでもしたらどうする....と抗議を受けた。
 おそらく今ならば、イラク派兵にまで話が及んだかもしれない、そんな猛烈な拒絶だった。

 私は、そうは思わない。雪合戦をニコニコと楽しんだ子供が、戦争大好きになる....そんなバカな話はないと思うし、それほど人間は愚かではない。
 
 それよりも、私たちが好んで行う様々なスポーツのように、人間が生き物の1種として備えている『闘う心』を転化(転位)、昇華するゲームとして、雪合戦も十分役立つとさえ思っている。
 もっと言うならば、勝ち負けを決めるスポーツ、チームで争うスポーツのほとんどは、馬術と同じように、昔、平穏な時の兵隊の意志昂揚と技術体力の維持、改革のために作り出されている。
 『イザ、カマクラ!!』への備えがスポーツだったのである。

 もし、雪合戦(今や、北海道各地で世界大会も開かれている)を含めて、様々な争うスポーツが否定され、行われなくなったならば、その時は人類も滅びる時だろう。『血、湧き、肉、踊る』興奮は生き物の存在そのものであり、人類はそれを文化にまで押し上げ、(残念なことに1部の地域では隠れてしまっているが)本筋としては、平和への希求に繋がっていると思う。

 ありゃりゃ、雪の話がとんでもない方向に行ってしまった。
 とにかく、今回の雪は、重く湿っており、雪合戦には向くが、生き物の暮らしには、あまり良いとは言えないものだった.....と、書く予定だった。
 そうなのである、良くなかったのである。深い雪原にキツネやリスの足跡は少なく、スズメさえも我が家のニワトリの餌に集中してやって来ている。今夜は冷え込んで来ており、おそらく明日は雪が凍ってキツネの前足が苦労する状態になるだろう。
 また明後日あたりから雪との予報が出ている。何とか今度は吹き溜まりがどんどんできる軽い雪であって欲しい。



2004年01月08日(木) 天気:雪、時々吹雪 最高:1℃ 最低:−12℃

 姉のような役割を果たしていたキジトラのネコ、アブラが死んでしまい、長く戸外で共同生活をしてきた、弟分のアブラ2世が心配だった。
 特に、冬の間は、動物用の台所の奥にある箱の中で、2匹が抱き合ってマイナス20℃以下の日を乗り越えていたこともあり、アブラ2世が寒さでダメージを受けるのではと、気になっていた。

 その心配を払拭してくれたのは、メキシカンヘアレスドッグ系のカリンだった。台所の隣にある、1度も名称どおりに利用をされていない車庫の箱の中で、父親のマロの冬毛で作られたセータを着用し、たっぷりの藁にくるまれて寒気に立ち向かっていた。
 アブラたちは、以前からカリンの身体に寄り添って日光浴をしたり、昼寝を楽しんでいた。
 その延長として、抱き合う相棒を失ったアブラ2世は、日中だけではなく、夜もカリンに身体をつけて、そう、懐に抱かれるように丸くなって過ごすようになった。

 これは、けしてアブラ2世だけが利を得ているわけではない。ヘアレスゆえにカリンも寒さは苦手である。彼女もアブラ2世と抱き合う事で確実な温もり(まるで湯たんぽのような)を貰っていた。
 従って、少しでも太陽が隠れたり、風が吹き込んでくると、2匹は互いに身体を寄せ合おうとする動きを示している。

 面白いのは、藁布団の箱に、コッケイとウッコイの、2羽のミックスウコッケイが入り始めた事だ。
 彼らは雪の上が得意ではない。おそらく脚が冷たいのだろう。餌をついばみ、リラックスの時間になると、好んで箱に入り、時にはカリンとアブラ2世に羽を添える形で伏せている。1メートル四方ほどの箱である、けして広くはない。だからこその密着だが、犬にネコ、そして鶏がいる不思議な光景は、初めて見た人を驚かせ、そして感心させている。

 昨夜からの雪がやまず、時に風を伴って吹雪模様になった今日、カリンの箱は1日中、大人気だった。目の前に、カプリとすれば獲物になるコッケイたちがいるのにもい関わらず、穏やかに密着を許し、さらには餌の入った食器に嘴を入れるのを認めているカリンとアブラ2世に、私と女房は、誇りを感じている。
 これは、おそらく、我が家の空間での文化となっているだろう。



2004年01月07日(水) 天気:晴れ、夜になって雪 最高:−2℃ 最低:−19℃

 夜になって、粉のような雪が舞い始めた。予報では明日は大雪、それも風混じりの吹雪らしい。
 しかし、今夜は月が大きい、降って来る雪が確認できるほどに冷たい原野は明るく、吐く息の白さまでもが確認できる。

 確かにバタバタとはしているが、けして時間が取れないわけではない。でも、ここ数日の日記が留守になっている。面白い...と言うべきではないのだろうが、これが文章の不思議なところだと思う。
 そう、1日の出来事を反芻する時間、心の落ち着きがなければ、なかなか言葉が出てこない。やっかいな癖・習慣だと思う。

 今、朝からの自分の動きを振り返ってみた。
 目を覚まし、タバコをくわえ、ボサボサの頭で階下におりると、すでにKクンとAクン、そして女房は起きて身体を動かしていた。
 コーヒーを入れ、カップを手に書斎に入り、昨夜は遅くなり、目を通していなかったHPを開いた。

 やがて朝食、今朝は和食だったような気がする。そうそう、寄ってきたベルクに、おかずのテンプラを1枚、あげた記憶がある。
 その後、Kクンたちの作業ぶりを横目で見ながら、何かをしていた。そして、母屋で、ムツさんとの打ち合わせが正午過ぎまで.....。

 昼食は何だったろう.....。

 「ベニショウガを忘れた、切る?」

 と女房に言われたのを覚えている、と言うことは、そう焼ソバだった。これまた肉片をベルクにあげた。そして、ネコたちにも数切れを、これはあげたのではなく、盗まれた。

 午後、女房は買い出しに行った。
 従ってキツネたちの世話は私が行った。犬たちは研修の2人に任せ、キツネ舎で、ウサギの部屋を掃除し、餌と水を与え、隣のアニキ(ネコ)たちのウンコを拾い、餌を与え、キツネと遊んだ。
 間もなくラップに発情が来る。今年は、交通事故で収容し、リハビリを続けていたタケちゃんとの結婚を考えている。
 そんな人間の気持ちを知っているのか、ドアを開けると、タケちゃんは廊下に走り出し、隣の部屋のラップの方に挨拶に行っている。
 昨年の今頃は、互いにカッカッカッと牽制、威嚇していたが、その後の顔なじみ作戦で、互いの認識を終えている。この分ならば、うまく行くかも知れない。

 キツネ舎に掛かりながらも、まるで姑のように遠方に目を光らせ、時には些細な事にクレームをつけながら、私は研修を監督指導する役割らしき事をしている。すべて生き物たちのために、であり、それが事故などを防ぐ道となっているので、しばらくは2人に勘弁してもらおう。

 今日、言った中には、こんなのがあった。

 「ダーチャの水オケは、サークルの北側にしてね。南側、つまり人間がよく通る側に置くと、人間大好きなダーチャが寄ってきてジャンプする時に、オケを蹴飛ばしてしまうからね....」

 「あっ、柴っ子たちの食器も、ダーチャっ子たちの食器も、柵や壁際に置かないでね、彼らは周囲を回りながら食べるから、際に置かれると足を入れてしまうよ....」

 嗚呼、何と細かい、まるで重箱の隅ツツキである。
 でも、これが生き物とともに生きる事である。小屋に繋がれている犬のために水オケを用意する時、絶対に置いてはいけない場所が存在するのである。

 Kクン、Aクンの二人は犬との暮らしの歴史がある。その彼らに、これでもか....とダメ押しを続けている。
 何となく自分が鬼にも思え、これまで、訪れてくれる仲間として笑顔だけで接して来た事を思うと、そのギャップに自分も、そして、おそらくは彼らも、戸惑っているかも知れない。

 まだ、数日、いや数週間、ひょっとすると数カ月、このスタイルは変わらない可能性もある。

 「人間のほうが疲れるね....」

 女房が言った。

 「だから、面白い....!」

 私が返した。

 夜、熱い水餃子が身体を内側から温め、ビールを飲んだKクンたちの顔は、赤く輝いていた。
 横には、15匹のネコ、レオンベルガーのベルク親子、メロン、そしてAクンが連れてきたフレンチブルのポチポチがいた。
 



2004年01月06日(火) 天気:晴れ 最高:−2℃ 最低:−13℃


 キツネ舎と呼んでいる建物に、13年前に我が家の前に捨てられた兄弟ネコが住んでいる。子ネコで収容したのは4匹、そのうちの1匹は早くに死んだが、残りのオス3匹はとうとう13歳に正月を迎えた。
 
 名前は収容した当時、たしか中学生だった娘が付けた。『アニキ』『オトくん(オットくん・弟の意である)』そして『クロ』である。
 兄弟は母親から受け渡されたのか、最初から鼻気管に炎症を持っていた。抗生剤の効果も完治まではいかず、体調を崩すと症状が出た。
 それでも、キツネやウサギたちが住んでいる小屋を中心に、時には目の前の林をフィールドにして日々を楽しみ、性格の良いネコとして暮してきた。

 2ヶ月前から、クロの鼻汁と咳きが気になっていた。クシャミをすると粘着性の汁が飛び散り、苦しそうな呼吸になることもあった。
 そして新年、もっとも重要な食欲が落ちた。食べないゆえに体温も下がり、動きを示さずに箱の中に入っていることも多くなった。

 「居間に入れてやろうか....」

 「うん、暖かい所にしよう、背骨も感じるからね」

 クロは今日、私に抱かれて居間にやって来た。
 この子の凄いところは、人間のする事に、完璧な信頼を置いている点である。床の上に下ろされたクロは、何の躊躇もなく、近くにいた女房や研修生に小さな声で鳴きながらすり寄り、頭を、背を、そして若干短く、そして軽く曲っている尾をこすり付けた。

 呆然として先住のネコたちは眺めていた。
 人間への挨拶が済んだクロは、今度は近くにいるネコに向って行った。

 「シャ〜」
 
 そんな警戒音を出す子もいた。肩の毛が立ち、背を丸め、耳を後ろに倒している子もいた。
 でも、クロはお構い無しだった。歩調を緩めることなく突き進み、相手の顔に自分の頭を向けて挨拶をしようとしていた。

 この無邪気さが良かったのだろう。あっと言う間にほとんどのネコに、クロは存在を認められてしまった。ワインやパドメなど数匹は、『この怪しいヤツめ!』という顔をしているが、それでもクロに敵意、威嚇的な行動がないと判ると、自ら距離をとり、追い出し行動を示すことはなかった。

 夜、クロは数日ぶりにしっかりとしたウンコをした。常時、置いてあるドライフードを口にした。
 少しキツネの匂いのする身体をソファの特等席で丸め、鼻詰まりの呼吸音をたててクロは眠っている。
 できうるならば、穏やかに春を迎え、再びアニキ、オトと兄弟で遊ぶことができるように、そう思う。



2004年01月05日(月) 天気:晴れ 最高:-2℃ 最低:-17℃

打ち合せ中


2004年01月04日(日) 天気:晴れ 最高:-1℃ 最低:-9℃

仕事中


2004年01月03日(土) 天気:曇り、一瞬の雪 最高:2℃ 最低:−6℃

 
 新年早々、申し訳ありません、所用にかかっています....。
 昨日の日記も、まだですね。



2004年01月02日(金) 天気:晴れ 最高:3℃ 最低:−13℃

 「ねえねえ、ほらっ、こんなに大きくなっている、兄弟で1番小さな子だったのにね....」

 「あっ、Sさんの所、赤ちゃんが産まれたんだ。〇〇も一緒に寝ている、きっと守っているね」

 「この子は、今年で10歳だよね。そのわりには元気な顔をしてるな〜。やっぱり若い犬と一緒だからかな....」

 「お父さん、糖尿だって〇〇は。実家の乳父もです.....なんて大きな声で言っちゃだめだよ。〇〇はちゃんとコントロールしているって書いてある、どこかの誰かさんとは大違い、今日はビール無し!!」

 昨日の午後から、私の耳にはこんな言葉が驟雨のように襲い掛かって来ている。
 じゃあ、席を立って逃げれば....とも思うが、やはり年始の楽しみは年賀状であり、それが目の前のテーブルに広げられており、1枚1枚にしっかり目を通し、そして、こちらからの賀状にペンを握って向う気持ちは大切にしたいと覚悟の私だった。
 
 もちろん寄せられた葉書を前に声が出ているのは女房だけではない、声の高さと大きさでは負けるが、私もニコニコ顔で誰ともなく話し掛けている。
 
 さて、年の始めの挨拶を書く作業は昨日だけでは終わらなかった。テレビの前のテーブルには、我が家のプリンターで作った賀状が置かれ、それぞれの皆さんに、どの賀状を送るべきか考えながら書いている。
 そう、今年は23種類の賀状を準備した。メインの写真を決める時に、あれもこれもとなってしまい、エ〜イままよと、すべてをプリントしてしまった。
 
 女房が歓声をあげて論説していた我が家出身の犬たちの便りには、できるだけ、その親や兄弟などの写真の賀状を使うようにした。サモエドのマロの子供であれば、14歳の正月、元気なマロの姿を、北からの賀状の写真で見ていただきたかった。

 書斎に行くと、分厚いハガキ用のアルバムが何冊も並んでいる。それは女房の宝物の中でも、かなり上位にランクされるようで、常に安全な、そして取り出しやすい場所に置かれている。

 背表紙を見ると、手書きで『2001年・サモエド』『1999年・柴・レオンベルガー』...などと書かれている。
 これらには、子犬がもらわれて行った先、そう現在の飼い主さんからの年賀状がきれいに収められている。
 『実家と嫁ぎ先』・・・とでも言うのだろうか、わずか数カ月しか我が家の空気を吸ってはいないが、それでも誕生し成長をした子犬や子ネコたちのその後は、どうしても気になることであり、一言の便りが嬉しい。その集大成として、女房の作ったアルバムは存在している。

 今日、気の早い女房は、そんな年賀状の今年の数を調べていた。

 「サモエドが〇十枚、ベルクの子が〇〇枚、そして柴が.....」

 私は、目の前の葉書ばかりを見ていたために焦点の定まらない視線を女房に向けて言った。

 「意味がないよ、元旦の賀状を数えたって。今日は休みだけれど、明日の配達で、おそらく同じくらいの数が来るよ、最近は皆さん、書くのが遅いからね...」

 そう、近年、我が家も年の明ける前に書いた事はない。
 『おめでとうございます』は、元旦を過ぎてからの挨拶である、などと自分の不精を棚に上げて屁理屈をこね、汚い文字で熱い想いを書き記している。



2004年01月01日(木) 天気:晴れ時々曇り 最高:3℃ 最低:−9℃

 私がムツゴロウ動物王国に参加をして31回目の年越しを終えた。
 数えてはいないが、おそらくそのうちの25回程度は、王国の国技をしながら新年を迎えただろう。大晦日の夜、8時頃に始まり、時には3日の夜、誰かが具合悪いと青い顔で進言するまで続くこともあった。国王のムツさんは、けしてダウンすることなく、常に元気であり、メンバーが疲れてくると『おかわり〜』と叫んで、控えていた人間を卓に誘い、最後までゲームを楽しむのが常だった。

 今年の正月、国王氏は不在である。
 しかし、伝統と文化(?)を守り、12月31日の夜9時30分過ぎに国技は始まった。場所は国王家の書斎、主不在ではあるが、そんな事はお構いなし、胸に必勝の思いを抱いて文化の担い手が集まった。
 
 私とともに、開国時から闘ってきた純子夫人、私と同じように、この国技をこよなく愛するツヤマ氏、そして私の3人が自動卓を前に笑顔で集まっていた。
 そうそう立ち会い人もいた。我が家で研修をしているKクンであり、彼も大学の時から、このゲームを愛しているとのことだった。

 麻雀を国技などと言うと、不謹慎と眉をひそめる方もいた。でも、このゲームは実に見事に完成した素晴らしいものだと私は思う、いや、行ったことのある方は、皆さん、そう思うだろう。
 『心・技・体』が微妙にゲームを支配し、さらにはゲームをより難しく、楽しくする『運』や『打ち手の性格』までもが絡み合ってくる。中国の先人に、ただただ拍手、そして感謝である。

 ゲームはたんたんと進み、そして時計の針は0時を回った。

 「新年、おめでとうございます!!」

 「今年もよろしくお願いいたします.....!」

 互いに牌と盤上に気を残しながら、挨拶を交わし、あくまでも穏やかに、そして熱く闘いは続いた。
 
 そして、1時頃だったろうか、私に大きな手の予感があった。それにすがって1直線、中盤でリーチ、すぐにツヤマ氏が追い掛けリーチをしてきた。
 牌をつまむ手に汗がにじんできた。おそらく心拍も上がっていただろう。
 
 「やった〜!」

 と心の中で大叫びをしながらも、表面上は穏やかに私は積もった牌を広げた。
 2004年、最初の役満(四暗刻だった)を上がったのは私だった。単純なもので、これだけで何か今年は素晴らしい事がたくさん起きるような気になった。

 4時過ぎ、Kクンとともに家路につくと、まだ暗い中で、犬たちが嬉しそうにクサリを鳴らした。小さく声を掛け、まばたく星空を見上げた。
 灯りのついていた居間では、ベルクの子犬の育児箱からの脱走に備えて、女房がソファに横になって見張っていた。
 
 「交替しよう、上で寝たら....」

 命とともに暮している生活では、暦の上のけじめの日も、なんら普通と変わらない。
 犬、ネコ、キツネ、ヤギ、ニワトリ、ウコッケイ、ウサギ.....。
 賑やかで楽しく、そして時にしんみりとなる我が家の2004年が始まった。