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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2004年02月28日(土) 天気:晴れ 最高:2℃ 最低:−13℃

 朝の作業を終え、いや、ほとんどを研修中の青年たちに頼み、あわただしく女房と車で名寄に向った。
 斜里、網走、紋別、興部....オホーツクの海沿いのルートを取り、どこまでも続く流氷を見ながらハンドルを握っていた。
 例年、この時期には稚内での犬ゾリ大会に参加をするために、同じルートを走っていたが、その中でもこれほどの雪は記憶にない、と言うぐらい道の両側には高く雪の壁ができている所があった。

 そして、広がる流氷の海、これは新雪よりも明るく、何か神々しい輝きの雪原に見えた。たまに海水面が広がる所があり、そこは濃い青で、そのコントラストが素晴らしく、ついアクセルを緩めて走ってしまった。
 珍しく、女房も眠らずに、久しぶりの夫婦ドライブを楽しんでいるように思えた。
                    つづく


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 2月29日(日)曇り時々雪(名寄)最高4℃ 最低−5℃

 
 父の叙勲を祝う会が、名寄のホテルで行われた。駆け付けてくれたのはごく近しい縁者ばかりで、私たち夫婦以外は、何かがあれば顔を合わせている。従って、『御無沙汰をしております....』という挨拶は、私と女房の専門となり、なんとなく気恥ずかしい、そして申し訳のない気持ちになった。

                こちらも続きます....。



2004年02月27日(金) 天気:ほとんど快晴 最高:−4℃ 最低:−11℃

 寒い1日だった。
 北風が強く、昨日の午後と同じように晴れているにもかかわらず気温は上がらなかった。
 この変化がきついのか、それとも単に油断をしていたた、えか、風邪が抜け切らない。市販の薬と五月雨方式の昼寝、夜寝を繰り返しているが、鼻のつまりと鼻水はどんどん酷くなっている。でも、熱が下がったところをみると、これも回復までの最後の関門だろう。
 
 明日は、朝飯後すぐに、実家に向って女房と走る。名寄まで320キロ、どのコースを通っても2回の峠越えがある。吹雪になると通行止めになる所だ。何とか明日からの2日間は、穏やかにと祈る気持ちだ。
 
 私ひとりでは、1年に1回ほど実家に寄っているが、女房と行くのは久しぶりの気がする。前回はいつだっけ、と聞いたが、女房も私も思い出さなかった。
 何と親不孝な....と苦笑いをしてしまった。
 同じように、女房の実家がある新潟の小千谷に夫婦で行ったのも、おそらく10年以上前のことだろう。
 生き物に囲まれての暮らしは、実は無沙汰を重ねる日々なのかも知れない。

 今朝は、予想通り、すべてが凍っていた。昨日までの暖気で融け、圧雪された所が、まるで氷の床となっていた。スパイクの付いた長靴でも滑るありさまで、歩く時は摺り足になってしまう。
 雪原になっている牧草地は、表面が固く凍り、犬たちの体重ならば支えてくれる。
 それを知った連中は、これは良い具合、とばかり思いきり駆け回っていた。
 
 『春の堅雪(カタユキ)』

 私が子供の頃、犬たちと同じように喜んだ。学校までの道を畑や水田の上を通るルートにできるからだった。
 明日、実家に着いたならば、少し雪の上に乗ってみよう。カタユキとはいかないだろうが、マロの子であるレックスとは遊ぶことができるに違いない。

 そうそう、これは書いておかなければならない。
 今朝の8時半からのNHK総合で、鶏のインフルエンザに関する話をしていた。
 その中で専門家の方は、ベトナム、タイ等での人間の感染者が数十人だからこそ、人間は過剰に怖がる必要がないとおっしゃっていた。
 あきらかにウィルスは東南アジア全体に広がっているだろう、しかし、人間にはよほどのことが無い限り感染しない性質のウィルスだと(ウィルスのレセプターのタイプが異なる)。
 もし、人畜共通のウイルスならば、スペイン風邪や香港風邪のように、おそらく数百万人の感染者が出ているだろうと....。
 このような冷静、かつ科学的な発言を、もっとマスコミは取り上げるべきである。さすがにNHKと感心した。



2004年02月26日(木) 天気:雪のち雨のち晴れ 最高:4℃ 最低:−10℃


 所用にかかっています。



2004年02月25日(水) 天気:快晴 最高:10℃ 最低:−11℃

 マイナス11度にプラスの10度、日較差が20度以上という気温は、そうあるものではない。おそらく話題のサマーワでは日常かも知れないが、中標津ではこの時期、春が近い頃に起きる現象だ。
 
 先ず、道が困ったことになる。ガチガチからザクザクへ。それも、この冬の大雪である、地面からかなり高くなっていた雪の路面が腰砕けになり、重い車のタイヤは、ずぶずぶと雪に中に入っていく。まるで抜かるみに入り込んだようで、運転していてもヒヤヒヤものである。
 宅配便の運転手は、万が一を考え、100メートルを徒歩で運ぶほうを選んだ。これも経験からくることで、なかなかできることではない。ハンドルを握っていると、つい家の前まで行きたいところを堪える、さすがに時間と闘うプロである。

 犬たちも困った事になる。
 まあ、暖かくて過ごしやすいのは良いところだが、暖かさに変質した雪は、密な冬毛の汚れたところに付着する。何度も歯で噛み落とし、足の裏に付いた雪玉も寝転んでは取っていた。

 ツンちゃんから緊急の電話もあった。馬小屋の横にあるドーム型の牧草庫がミシミシと音をたてている、除雪をしなければ.....との事だった。
 
 近在で倉庫や牛舎が潰れ、乳牛が死んだとのニュースも聞いていた。先日の雪が重く積もり、王国の倉庫も、まさしく倒壊寸前だった。Kくん、Aくんが活躍し、何とか事なきを得た。
 ふたりは、そのまま母屋の犬柵の除雪に向い、1日中、スコップを手にすることになった。これも筋力を鍛える研修になるだろう。
 息子と私は、鶏、ヤギ小屋の屋根の雪をおろした、これまた、ひさしは真ん中で大きくゆがんでいた。雪をすべて処理すると、高さは屋根と同じになり、さっそく犬たちが屋根に上がって楽しんでいた。
 この小屋を作って10年、初めての光景だった。



2004年02月24日(火) 天気:快晴 最高:−3℃ 最低:−14℃


 起きて外を見ると、雲が消えていた。真っ青とはいかないが、それでも快晴には違いない。深呼吸をし、タバコに火をつけた。
 風も消えていた。家鳴りがするほどの北風が、一晩で犬のヒゲ1本も揺らさぬ姿に変わっていた。

 私の病院もあった(結局行かなかったが....)、サモエドの子犬の病院もあった。牛乳に泡の出る麦茶と納豆の買い出しもあった。
 それには先ず除雪である。
 しかし、人間よりも動物たちの方を優先させなければならない。Kくん、Aくん、そして女房はスコップを手に大活躍だった。
 
 犬たち3日ぶり好天気を楽しんでいた。固く締まった吹き溜まりの雪は、犬たちの体重では埋らない。全てをフィールドにして駈けまわっていた。

 昼飯を終えた頃に、ツンちゃんがトラクターのロータリーで雪を飛ばしながらやって来た。それっとばかりに全員が外に出て車が使えるようにと除雪をした。
 しかし、あまりにも酷使されてためだろうか、トラクターの大きなタイヤがパンクをしてしまった。
 
 修理を待つ時間も惜しい、表の道までの区間を、人力除雪に切り替えた。
 頃あいをみて私は自分の車で買い出しを試みた。
 表道まで残り20メートルのところでタイヤは空回り、そして穴を掘り始めた。4人で車の周囲を掘り、押した。
 しかし、タイヤの空回りは続き、潔く私はあきらめた。

 仕方がないので、母屋の車を借り、子犬は病院に行った。町までの7キロの間に、まるで春先の山岳道路のように、道の端が高い雪の壁になっている所がいくつもあった。そこは車1台の幅しか除雪をされておらず、みんな対向車に備えながら慎重に運転をしていた。

 あらゆる機会に、私は言っているのだが、雪国では白い色の車を販売禁止にしてほしい。雪の道、特に吹雪になった時、白は風景の中に溶け込んでしまう。ライトをつけるのは当然、できれば車の色も目立つようにするのが、生き物として正しい身を守る作戦と思うのだが。

 そんな事をまたまた書いたのは、夕方、日が沈んだにも関わらず、ライトも付けずに偉そうに走る白い車がいたからだ。
 エンジン音は雪の壁に吸収されて寸前まで聞こえない。舞う雪のない今日でさえもドキッとする。これが昨日だったら、事故に繋がる可能性も十分あっただろう。
 厚岸での大きな事故のニュースを知り、あらためて吹雪の怖さを感じている。

 



2004年02月23日(月) 天気:猛吹雪 最高:−1℃ 最低:−10(まだ降下中)℃

 昨夜からの雪、そして明け方からの風は治まらず、いや、時間が経つにつれて酷くなり、本格的な吹雪が夜になっても続いている。
 こんな日は、いつ外に出て行こうかと迷う。犬たちは一部の雪穴愛好会(雪布団同士会)の連中を除いて皆小屋に入り、入り口が雪で塞がっても静かに小屋の奥で丸くなっている。
 そこに人間が出ていくと、どうしても小屋から出てきて強い風雪に目を細くしながら尾を振ることになる。

 これが、見ているほうには辛く感じる。大自然の中で生きている動物は、嵐の日は身を潜めるのが生き延びるコツと知っている。その習いを実は犬もネコも、私たち人間も脳と身体に残しているはずである。
 従って、こんな日は、そっとしておくのが1番の手当てと考え、午前中は窓から様子を見るだけにした。

 昼飯の後、Kクン、Aクン、そして女房の3人は、完全なる備えの防寒具で外に出た。犬小屋の掘り起こしである。
 予想通り、犬たちすべて外に出てきて喜んだ。私は済ませなければいけない事があったのでパソコンに向っていたが、それでも気になり、雪の付いた窓ガラス越しに吹雪の中で動く黒い影を、何とか目の筋肉を動かして焦点を合わせ、チラチラと見ていた。
 
 車庫の前、もっとも吹きだまり、地面から1.5メートルほど高くなった所で、まるで全体を監督しているかのように、サモエドのマロが遠吠えのポーズで盛んに鳴いていた。
 くたびれたマロの毛には、幾重にも雪のパッドが付き、歩くとカサカサと音が聞こえそうだった。
 それでも昨夜BSで視て聞いた歌のように、マロのたて髪は風と雪に向って堂々となびき、その姿を暖かい書斎で見ているうちに、私はいつの間にか『風に立つライオン』の男声バックコーラスを口ずさんでいた。

 夕方、私はマロを動物用台所の奥にある部屋に入れた。そこにはたっぷりと敷きワラがあり、前の冬はネコのアブラとアブラ2世が使った部屋だった。

 午後8時、外の犬たちが騒いだ。中からは開かなくなった勝手口の前でダーチャが笑っていた。
 とうとう雪が1.5メートルの柵を埋め、気軽に出てきたダーチャを、埋りかけていたマロの小屋に繋いだ。



2004年02月22日(日) 天気:雪 最高:2℃ 最低:−1℃

 只今(23時30分)、吹雪です。
 昨日の日記に登場したRさん母子、中標津空港が閉鎖になり、今日、帰ることができませんでした。今夜も浜中の王国です。明日の釧路からの便を予約されていますが、どうも状況はよくありません。
 子供たちは、いいえ、Rさんも今日は喜んでいるのですが.....。

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 中標津を出る時、浜中町茶内の雨を心配した。朝から気温が高く、山に近いこちらでも、天気の神は必死に雪を作っている感じだったからだ。

 しかし、心配は無用に終わり、60キロの道は、どこまで行っても小粒な雪のままで、ウインドウガラスに当たって形を変えていた。

 茶内では17回目になる『やっ茶内雪祭り』が開かれていた。動物王国の犬たちも、それに参加をする。16年前に地元の若者たちが声を掛合って始まった祭りだった。

 20数匹の犬たちが、しだいに強くなってきた降雪の中で元気に出番を終えた時に、私たちは雪を踏み固めて作ったステージに呼び上げられた。
 そこで、1枚の紙をもらった。
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   感謝状
         ムツゴロウ動物王国 殿

  皆様は、第二回のやっ茶内雪まつりより十五年間の
 長きにわたり、動物たちとの触れあいを通し、浜中町の
 子供たちに夢と感動を与えてくださいました。
  本イベントへの多大なる御協力に感謝するとともに、
 これからも多くの子供たちに、大きな夢を与えて下さる
 ことを願い、その功績に感謝の意を表します。

  平成十六年 二月二十二日
    やっ茶内雪まつり実行委員会
        実行委員長  佐々木 雄一
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 どんなに雪が降ろうと、たとえ雨になろうと、犬たちは張り切って様々なゲーム、遊び、交流をしてくれただろう。それが、王国の地元の皆さんのお役に、少しでもたっていた印として、私たちはこの感謝状を感激とともに受け取った。
 
 嬉しくて、湿った雪の中で何度も広げて見ていたために、今、私の手元にある感謝状の墨字は、所々で流れ、染み、文字がかすんでいる。
 しかし、その滲みを見るたびに、2004年の雪まつりの今日の光景を思い出すだろう。

 茶内の皆さんのあたたかい応援に応えられるように、私たちは心していかなければならない。
 



2004年02月21日(土) 天気:曇り 最高:6℃ 最低:−5℃

 ザッシーが最初に鳴いた。その声にアラレのヒーヒーという声が和し、寝たきりのボスが前足を踏ん張って上半身を起こし、サークルの隙間から私を見つめた。
 たちまち私の周辺に10匹ほどの犬たちが集まり、みんな期待の瞳で私の目と手、そして上着の左ポケットを観察していた。

 浜中の王国に行くのは久しぶりだった。出張やら打ち合わせなどで無沙汰をしていた。
 高知からRさん母子が来られていた、今日を逃すと会うことができないと、急きょ車を走らせた。気温が急に上がり、道は雨上がりの状態だった。前を行く車に接近しないように気をつけながら先を急いだ。
 別海で、広い牧草地を横切るキツネを見た。連中の世界では今が恋のシーズンの最終ランウドだ。おそらくまだ相手の見つからないオスギツネだろう。心の中でガンバレと応援をしておいた。

 暖気で車のタイヤがめり込む状態だが、何とか王国の大地は雪に覆われていた。先日、中標津は雪だったけれど浜中は雨になったと聞いていたので、少し心配だった。やはり今年の冬は多雪と言えるのだろう。

 私が母屋の居間で犬に囲まれた様子を、変わらぬ笑顔で見ていた方がいた。Rさんだった。横には小学1年と3年の二人のボーイズが日焼けした顔で立っていた。
 
 「こんにちは〜!」

 久しぶりに会う挨拶を交わし、このホームページの掲示板の友人たちの話題や、春間近の高知のこと、そして生き物たちの話をした。
 元気者のボーイズは、羽田を経由して中標津空港に着くまで半袖だったと言う。二人は体をくねくねとしながらRさんにしなだれかかり、外で遊んできて良いかと聞いていた。

 Rさん、私、そして王国の仲間たちと犬たちを眺めながら話をしているうちに、私は強烈な視線を左後ろに感じていた。
 振り向くと、そこには老犬のステがいた。無言である、しかし視線は私に向けられ、痩せた体を支える足を微かに震わせながら静かに立っていた。

 「ステ、元気か?!」

 右手で軽くステの頬を触った。
 あたたかかった。そのまま手を滑らせて垂れた耳をそっとつかみ擦った。ステは目を閉じて、久しぶりの私の手を感じていた。
 
 こんな行動は、他の犬たちのやきもちと興味を惹く、数匹が寄ってきて、ステだけが美味しい物をもらっていないかと確認をした。
 私はにこにことしながら、若い連中の見守る中でステのために用意をしてきた柔らかいジャーキーを取り出した。
 
 「おまえたちは待ってね、先ずステだからね.....」

 言葉だろうか、それとも雰囲気だろうか、犬たちは私の意志を理解した。いつものように我先に奪い取ろうとはしなかった。

 ステは半分に折り、2センチほどにしたジャーキーをくわえ、すぐに床の上に落とした。隣では柴犬のアラレがよだれを落とさんばかりの顔をして様子を見ていた。
 しかし、アラレは待った、私がヨシッと言うのを.....。

 落ちたジャーキーを拾い上げ、再度、ステの鼻先に差し出した。ステはくわえ、そしてゆっくりと3度ほど噛んだ後、飲みこんだ。喉元をジャキーが落ちていくのが私の目でも確認できた。
 ポケットから10本ほどのジャーキーを取り出し、立続けにステにあげた。尾も振らず、耳の位置も変わらないが、ステはすべてを胃に収めてくれた。

 「よく食べたね〜、がんばれよ、東京に行こうな!」

 昨年の夏には、可愛がっている古園さんだけではなく、みんなが覚悟をしたステである。しかし、その後、見事に立ち直り、19歳の年を迎えている。
 人間と犬の仲間に囲まれ、そして時にはRさんのようなゲストの方に励まされ、ステは生きている。こんな命の輪を、より多くの皆さんと作り上げることが、今の私たちの目標である。
 それは、おそらく世界中を探しても存在をしない、不思議で楽しい空間となるだろう。

 外に出ると、ボーイズが1対1の雪合戦をしていた。暖気により、今日の浜中の雪は、パウダーから本州の雪に変わっていた。



2004年02月20日(金) 天気:晴れ 最高:−2℃ 最低:−14℃

 『エキノコックス』という寄生虫がいる。条虫の仲間で多包性のものと単包性の2種がおり、日本では北海道で多包性のほうが確認されている。
 この連中の特徴は、成虫が寄生する終宿主と幼虫が寄生する中間宿主を、完全に分けているところだ。
 北海道で最初に終宿主として確認されたのはキツネであり、犬やネコもなり得る。幼虫が棲みつくのは主に野ネズミであり、豚や人間でも中間宿主になる可能性がある。
 
 しかし、成虫を腸内に寄生させているキツネや犬は、けして他のキツネ、犬を感染させない。
 同じように野ネズミから他のネズミや人間、人間から他の人間にも感染はしない。

 エキノコックスのライフサイクルにおいては、必ず他のレベルの宿主との関わりが必要という面倒な生活をしているのである。
 幼虫を肝臓等に寄生させている野ネズミや人間(中間宿主)をキツネや犬(終宿主)が食べることによってのみ、幼虫は成虫(主に小腸に棲みつく)に変わり、3週間過ぎに卵が大便とともに出てくる事になる(ネコでの卵産生は日本では未発見)。
 その卵を野ネズミや豚、人間などが口から摂取すると、運が悪いと感染し、肝臓等に孵化した幼虫が寄生することになる。
 さらに不思議な事は、キツネや犬などの腸内で成虫になったエキノコックスは、わずか5ヶ月ほどしか生きられないのである。要するに常に寄生させておくためには、途切れずに幼虫を持った野ネズミを食べ続けていなければならないのである。

 最初に礼文島で、その後、北海道の東部で人間の患者が発見された時、特効薬がないために、ずいぶんと話題になった。その後、血清検査による住民検診がすすみ、早期発見、手術による早期治療もシステムが確立している。

 その一方で、北海道大学での研究が進み、キツネや犬の大便を使っての感染検査(抗原検査)が確立された。そして、終宿主に経口で与え、エキノコックスを落とす駆虫薬も販売になった。
 
 これらの情報に、私たちは絶えずアンテナを張り巡らしてきた。それはそうである、普通の家庭以上に犬やネコたちが多く、その中で、大人はもとより、私の娘や息子をはじめ20人に近い子供たちが成長しているのだから......。

 娘も息子も学校で集団の検診を受けている。もちろん陰性である。私も女房も受けた、問題はどこにもなかった。まあ、私が肝臓の数値が悪ければ、それはエキノコックスではなくアルコールによるものだろうが。

 今回、東京に新しい王国を、と記事が出た時から、『エキノコックス』の心配をいただいている。
 皆さん、安心をしていただきたい。
 王国から旅立つ連中(犬、ネコ)は、すべて駆虫薬でコントロールされ、さらに全ての個体の抗原検査を行い、専門機関によって陰性を確認をしてからの出発となる。
 
 もし、疑問を抱いてのままだったら、このような計画は考えもしなかっただろう。
 こちらにいる時よりも、気軽に多くの皆さん、特に子供たちに来ていただき、キラキラとする瞳で馬に乗り、犬たちの素晴らしさ、ネコたちの気ままで優美な姿を眺めていただきたい。
 そして、新しい王国が、ほんの少しでも、子供たちや生き物大好きな皆さんの『心』と『身体』のビタミンになることができたら.....そう私は願っている。
 



2004年02月19日(木) 天気:晴れ 最高:0℃ 最低:-13℃

遅れます。


2004年02月18日(水) 天気:曇り時々晴れ 最高:−5℃ 最低:−16℃

 暖かい地から、7歳のYくんは、両親、そして兄、姉とともにやって来た。『想いを叶える』....という団体の活動によって実現した旅だった。
 Yくんは、手術等が不可能な難病と闘っている。彼の夢は『犬ゾリ』に乗ることだった。それが我が家で実現した。
 
 車が停まり、新しい防寒具に身を包んだYくんたちが降りてきた時から、サークルの中で耳を完全に倒し、切なげに鳴いたのはサモエドのダーチャだった。この子の人間好き、それも子供大好きという性格は、何歳になっても変わらない。
 ひたすら見つめ、ひたすら身をよじり、ひたすら接近接触を待つ。
 そんなダーチャを見て、怖がる子も多い。しかし、今日のYくんは惹かれるようにサークルに近づき、ミトンでダーチャに触った。

 そんな様子を見て、私は先ずダーチャにハーネスを付けた。新雪が薄く積もった母屋への道にソリを用意し、ダーチャに声を掛けた。
 「GO!」
 Yくんを乗せたダーチャは、皆の待っているゴールを目掛けて元気に駈けた。
 もう一度、チャレンジ。
 今度もダーチャは道からそれることなく走った。

 次にカザフに曵かせた。Yくんだけではなく、お兄ちゃんもお姉ちゃんも乗せて駈けた。

 Yくんに、兄姉に、そして両親に、さらに付いてきた関係者に笑顔が浮かんでいた。もちろん私も、ソリの準備をしたKくんもAくんも嬉しかった。

 頑張った2匹を誉めて家に戻ると、女房が言った。

 「ダーチャって、ソリを曵かせたことあったっけ?」

 私は記憶の扉をこじ開け、隅々まで探した。

 「そう言えば、あいつはやったことがないよ、初めてだ...!」

 カザフはウエイトプルが得意だった。そして少しはソりを曵いた経験がある。しかし、ダーチャは皆無のはずだった。
 でも、みんなが喜ぶがんばりをしてくれた、これぞサモエド、そう誉めて、もう一度ジャーキーをあげた。

 Yくんは、我が家の居間を占領しているネコたちも気に入った。そろそろ帰ろうと、大人たちが目で言葉を交わしても、ひたすらジャラシ棒で遊んでいた。子ネコも、チャーリーやカールなどのオジサンネコたちも嬉しそうに遊んでいた。

 「今度は東京で遊んでね、この子たちと....。約束だよっ!」
 
 私たちは笑顔で別れた。
 サークルでダーチャが立ち上がり、耳が頭にくっついていた。



2004年02月17日(火) 天気:曇りのち雪 最高:−4℃ 最低:−14℃

 日記のページを開けて、溜め息をついた。息子が書いた短い言葉が並んでいる。
 ここ10日間のどたばたの日々が頭の中を駆け巡り、いったい何を記せばよいのかと、しばし呆然としてしまった。

 本当に、ここに寄って下さった皆さんには、お詫びの言葉もない。ただただ感謝、そして頭を下げるだけである。

 先ず、子犬たちのことを書こう、いや、書かなければならない。
 6日、ダーチャの子が旅立った後、ベルクの子犬の異変に気づいた。診察を受けたところパルボの疑いが出た。治療を始めるとともに、7日に旅立つ予定の2匹のダーチャっ子をはじめ、すべての予定を延期とさせていただいた。
 ダーチャの子犬たちはワクチンも接種しており、なんの症状も示していなかったが、同じ空間で育ってきたこともあり、経過の観察を第一とした。
 そして10日、残念ながらベルクの子犬が2匹、星になった。しかし、他の子犬たちは元気そのもの、そしてダーチャの子犬たちもパルボとは無縁であることが確定した。
 すると、今度は、ダーチャの子の2匹が、タンの切れない咳をし始めた。他に問題はないのだが、この治療が終わるまで、やはり確実に見守りたい。

 ということで、すでに長く待たれている新しい家族の皆さんには、とてもせつない想いをしていただいている。
 それぞれの方に、詳しく御連絡をしなければいけない、とあせりながらも、病気の正体が判明しないかぎり、不安をさらに....などと考え、ついに今日になってしまった。
 明日には、必ず状況を連絡させていただくことにしているが、この日記でもお詫びを書かせていただこう。
 『御心配をお掛けして、本当に申しわけありません』

 連日、新しい王国に関する打ち合せ、勉強会、さまざまな用事が続いている。障害も多い、問題も続出、さらに時間も迫ってきている....。
 背筋がざわざわとする....念のために体温を測ったら38度寸前だった。
 な〜んだ、状況が切迫してのザワザワではなく、単に風邪をひいだけと、少しほっとしている。
 
 大勢の皆さんが来られる王国で、どのように展開をしようかと計画をし、それをシュミレーションしているうちに、期待はどんどん膨らんでいく。後押しして下さっているのは、この拙い日記を読んで下さっている皆さんであり、さらには、たくさんの生き物大好きな方々だと思う。
 その素晴らしい応援を背に、明日も、明後日も、打ち合せに各地に出向こう。 
 



2004年02月16日(月) 天気:曇り 最高:-3℃ 最低:-6℃

打ち合わせ中。


2004年02月15日(日) 天気:雨のち雪のち曇り 最高:1℃ 最低:-1℃

遅れます。


2004年02月14日(土) 天気:雪のち曇りのち雨 最高:6℃ 最低:-10℃

出張中


2004年02月13日(金) 天気:快晴 最高:5℃ 最低:-10℃

出張中


2004年02月12日(木) 天気:曇りのち晴れ 最高:7℃ 最低:-9℃

出張中


2004年02月11日(水) 天気:快晴 最高:7℃ 最低:-15℃

出張中


2004年02月10日(火) 天気:快晴 最高:4℃ 最低:-15℃

出張中


2004年02月09日(月) 天気:晴れ 最高:5℃ 最低:-15℃

出張中


2004年02月08日(日) 天気:快晴 最高:まだ上がります℃ 最低:−16℃


 こんにちは〜。
 寄っていただき、感謝申し上げます。
 遅れている上に重ねてなんですが、今日から出張となります。
 白紙が続くと思います。申し訳ありません。



2004年02月05日(木) 天気:曇り時々晴れ間 最高:−2℃ 最低:−9℃


 昨日の日記の主人公は、元気ものの柴っ子ラッキーだった。

 そして今日、残念なことに、再びラッキーのことを書かなければならない。

 「お父さん、車、事故みたい、柴、柴!!」

 急ぎのメールを打つために機織り部屋にいた私に、掃除機の吸い口部分を持った女房が叫んで入ってきた。

 母屋への散歩コースを、いつものように畑に出ず、なぜか道路側から行こうとしたラッキーが跳ねられたようだった。

 Kクンが抱きかかえてくる様子が窓越しに見えた。
 すべての犬たちが駆け寄って行った。母屋に向っていた犬までが戻ってきていた。
 途中でラッキーを雪の上に下ろすのが見えた。Kくんの上半身が動くのが集まった犬の向こうに見えた。
 人工呼吸だろうか....。

 ネコが侵入しないように部屋の鍵を確認し、私が玄関に出た時に、女房がラッキーを抱えて入ってきた。
 目を見た、閉じても、瞳孔が開いても、揺れてもいなかった。しっかりと私を捕らえ、何かを訴えていた。
 出血は口だけだった。手を入れて確認した、幸いにも傷があった。もしなければ中からの出血、これは大事だった。
 肩に触った、緊張はなかった。
 胸から腹に手を滑らした。かなり強めに圧迫しつつ反応を確認していく。見つめる瞳に変化はなかった。
 いよいよ、だらっと力が抜けている腰と後ろ足になった。
 片足を軽く持ち上げた時、ラッキーは鳴いた。持った足を前後に動かした。鳴き声は、さらに鋭くなった。

 「折れてるね....」
 
 「でも、目と意識はしっかりしているね、内臓は....」

 女房が、もっとも気掛かりな事を言った。
 私は、もう1度唇をめくり上げ、横にあった布で歯茎から出ている血をぬぐうと、口の中全体の色を見た。
 貧血は確認できない、少なくとも腹腔内の大出血はないようだった。

 30分後、病院からKくんが電話をしてきた。骨盤、股関節に数カ所の骨折、肝臓に腫れ、重傷とのことだった。
 入院しての治療が始まる。うまくいけば数日後に手術となる。

 ラッキー、お前は新緑で駆けるのも似合うはず、早く帰ってこい。
 
 



2004年02月04日(水) 天気:晴れ 最高:−2℃ 最低:−12℃


 2年と8ヶ月愛用していたデジタルカメラが壊れた。いや、正確に書こう、壊された....。

 朝、気持ちの良い晴れ、新しい雪、きらめく樹氷(もどきではあるが)、じゃあ、元気な連中の写真でも、と思って抱えて出たカメラを、目の前のウンコをスコップで処理するために、何気なく、ではない、いたずら盛りの連中の目の届かぬ所と思って、ジャガイモカゴを逆さにして2個重ね、その上に乗っている深さ20センチほどのザルの中に置いた。
 この高さならばレオンベルガーでも思いきり首を上げなければ見えないはずだった。

 でも、私がカメラを入れるところを見つめていた犬がいた。
 それは柴犬のシグレの子、ラッキーだった。この子はサークルを乗り越えるのも兄弟で1番だった。そのうち、ジャンプをして飛び出すのも1番先にこなした。
 ジャガイモカゴ2個などはお手のものである、私がウンコに目が行き、そのまま、カメラを忘れて用事で家に入っている間に、見事に引っ張り出し、見事に歯形を付け、見事にメディアの収納部を壊し、見事にレンズをゆがめていた。

 そう、
 『新しいデジカメ、せめて300万画素が欲しいな〜。ズームも4、5倍で....』
 飼い主が、こう思っていることを察し、そうなるようにと協力をしてくれたのである。
 これを『見事』と言わずして何と表現しよう!!

 「もう〜、最近、本当に忘れっぽいわよ、これなんだから...」

 女房はラッキーを怒らなかった。鉾先はすべて私に向けられた。
 「そんな事を言ったって..」との反論はやめ、頭の中でカメラのカタログをめくる私だった。もちろんニコニコは見せられない、あくまでも、困ったヤツめ....と演じつつラッキーを抱えていた。
 そして、ジャーキーを他の子よりも1本多く与えた。



2004年02月03日(火) 天気:雪のち晴れ 最高:3℃ 最低:−4℃

 夜半に降り始めた雪は午後まで続き、また20センチほど原野に積み上げた。
 しかし、降雪量と積雪は違う。この時期ならば、とけて少なくなると言うよりも、雪自体の重さで厚みが薄く(密度が濃く)なり、1日1日と下がって行く。
 おそらく今日の雪も、明日になると締まり、10センチのカバーとなるだろう。

 ダーチャの子犬たちの旅立つ日が、どんどん決まり始めている。先ず6日に大阪へオスが、そして翌7日には羽田空港にメスが2匹、降り立つ。さらに13日には『くまじろう』が富山に向い、残りの2匹も近日中に期日が決まるだろう。
 
 この段階に来た時に、女房と私が頭を悩ますのは、どの子をどの御家族のもとへ....という事だ。
 何度も繰り替えしている新飼い主さんとのメールや手紙、電話でのやりとりを参考に、第6感....いや第1勘で決めることが多いかも知れない。
 これがけっこう当たっている、いや、そうではないだろう、新しい家族の皆さんが、心と具体的な手の動きで、その子犬を自分の懐にくるみ、その家の子らしさを完成させているに違いない。

 明日、最終的に子犬の行き先を決める。メス2匹と鼻にXの形があるオスは既に決まっている。残りのオス3匹と遊びながら、決定を下す時、私たちはかなり真剣である。
 今夜は女房と二人で、分厚い、手紙、メールのプリントファイルを、何度も読みかえしている。

 
 



2004年02月02日(月) 天気:曇り 最高:−3℃ 最低:−18℃

    サもにシバ  レオンの子犬  集まりて
      我がGパンに  ふた指の穴

    書き慣れた  文字を紙面に  見た朝に
      深く吐く息  決意とともに

    書き記し  また書き重ね  消し記し
      想いを築く   道は遠くも

    白き子が  耳立った朝  駈け寄りて
      自慢のごとく  笑顔で尾を振る

    越し先の  近くに覚え  ある地名
      産毛の姿は   我が家の壁に

    マロに聞く  子ども孫たち  集まりし
      その場でおまえ  今の笑顔か

    マロが鳴く  尾を振り続け  マロが鳴く
      細き瞳を   ポケットに向け

    肩を押し  心を支える  文を乗せ
      北の隅にて  ISDN

    初めての  お使いのごとく 子犬行き
      隠しカメラは  我が瞳の奥

    育児箱  鳴きし子犬の  声修む
      手段は水と  気づくに5年

    明け方も  午後3時にも  ベコは鳴き
      林を過ぎる   春告げのキツネ

    懐かしき  声が伝える  応援の
      言葉にかすれ  都会では風邪

    うつ伏せに  床暖房に  転がりて
      背にクロ、アブラ  メロンは腰に

    思いのたけ   心をこめて  語る時
      頭の中には  井戸端の諸氏

    
  夕方、ダーチャの後を追い、ベルクの子犬が1匹、300メートル離れた母屋に行った。玄関先で鼻を鳴らし、越路さんに抱かれて帰ってきた。
 不安と安心(人の声と胸の温かさ)を経験し、呼ばれると兄弟で1番の尾振り犬になった。
 初めての冒険を終え、子犬は、またひとまわり大きくなった。

    

    

    

    

    

    

       



2004年02月01日(日) 天気:晴れ 最高:-3℃ 最低:-12℃

すみません。遅れてます。