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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2004年04月28日(水) 天気:雷雨、晴れ間、曇り 最高:20℃ 最低:15℃


 西多摩の地に、新しい犬たちの声が響いた。
 2004年4月28日、北海道の王国から7匹の犬たちがやって来た。
 少し足踏みをしたが、エキノコックス症の安全を世界最高のレベルで辿りながら、今日、新しき王国の第1歩を印すべく、はるばると北の地から空を飛んで来た。
 当面は隔離施設での生活になる。再々度、抗原検査を受け、その結果が陰性であることを確認されて、初めて『あきる野』の土を踏む。
 それまではしばらくの辛抱である、犬たちも人間も。
 検査を担当されている東京都獣医師会の皆さんの安全確認を得て、犬たちは犬としての暮らしを取り戻す。
 新緑の大地で跳ねる犬たちを見られるのも間もなく。その日を楽しみに、私たちは安全のための手を尽くしていきたい。

 爽やかな朝は雷と豪雨に変わり、そして穏やかな夕景、さらに素晴らしい星空に繋がった。
 犬が横にいて、初めて『あきる野』の空の見事さに気づいた。



2004年04月24日(土) 天気:曇り時々晴れ間(東京) 最高:16℃ 最低:8℃

 一昨日から駆け足で帰省した。
 と言っても中標津ではない、生まれ育った道北の名寄だ。
 田舎には2月の末にも行っている。わずか1ヶ月半で2度も帰るのは、18歳で飛び出してから初めてのことになる。
 今回の目的は父に会うことだった。そして病の床についている84歳の父を見舞うことだった。

 わずかの時間の間に、父は痩せていた。もともと肉付きのよいほうではなかったが、今回は驚くほどに骨ばっていた。
 でも、入院先の病室で、父は見事な気力を見せてくれた。千歳で合流した息子の(父には孫の)弦矢とともに病室に入ると、以前と同じ笑顔、同じ声の大きさで喜んでくれた。
 難しい病を抱えている。おそらくかなり前から自覚症状はあっただろう。しかし、息子の私と同じように、自己判断はしているが、ぎりぎりまで医者の前に立たないところが父にはある。
 それは、矜持でもあり、ある意味で臆病さでもある。
 そんな心境が手に取るように判るから、私が訪ねるのも遅くなってしまった。

 弟に聞いたところでは、入院時に比べればずいぶん血色も良くなり、咳も減ったらしい。それでも肺機能はぎりぎりの状態に変わりはなく、チューブからの酸素が命を支えている。
 何とか、これからの日々を穏やかに、そして痛みとは不義理の間柄であってほしいと切に願う。
 今日、私と息子と入れ替わるように、女房と娘が名寄に向かった。一昨日、昨日以上に父は喜んだらしい。何よりである。

 そして、夕方、札幌から知らせがあった。
 東京に移転を予定している犬、ネコの第1班の連中、すべてがエキノコックスの抗原検査、陰性だった。
 
 もちろんである!!
 
 間もなく、旅立ちは始る。



2004年04月19日(月) 天気:曇りのち雨 最高:21℃ 最低:15℃


 確かに私の背には、何かが憑いていたと思う。
 それは我が家の犬族の親分であるマロだったかも知れない。交通事故から復帰したラッキーだったかも知れない。子犬たちと遊ぶ堂々としたネコのアブラ2だったかも知れない。いいや、ムツさんをはじめ、すべての王国の仲間たちの可能性も大きい。そして、そして、王国の支え、応援をくださっている多くの皆さんの存在だったとも言えるだろう。

 今日、あきる野市役所で、王国の移転に関する2度目の検討委員会が開かれた。不勉強なマスコミに『恐怖の、戦慄の感染症』と喧伝されたエキノコックス対策に関する検証が主な議題だった。
 おそらくこの病気に関しては、日本における最高の専門家の皆さんが揃い、北海道からも長年にわたって研究をされてきたK先生も参加されて、様々な観点から王国の対策を検証していただいた。
 結果は、この手法ならば、王国の動物たちが大挙して移動をしてきても問題はないだろう、と認めていただいた。
 座長のY先生から、そのように結論の言葉をいただいた時、私の胸を、頭の中を、マロが、ラッキーが、そして仲間たちが駆け抜けた。同時に、後ろの傍聴席に座って、真剣に場を見つめてくださったであろう、このHPに寄ってくださっている皆さんの顔が浮かんだ。

 仲間たちに電話を掛けた。ムツさんに知らせを入れた。北海道の番号を押した。
 ようやく始る、スタート地点に足を置くことができる。
 そんな想いが駆け巡り、目頭が熱くなった。

 もちろん、今日があくまでもスタート地点である。誠意と心と具体を尽くし、多くの皆さんと笑顔で交流ができる新しい王国を築くために努力をしなければいけない。
まだまだ難問、関門は続くだろう。
 しかし、明日がはっきりと見えることは、これほどまでに私の心を軽くするのか、それが実感できた。

 背を、そして身体を、想いを支えてくださった応援団の皆さんと、近くのレストランに行った。20年ぶりにクリームソーダを注文し、サラダを食べた。エビとブロッコリーのサラダだったが、どこにもブロッコリーは見当たらなかった。
 でも、いつもならば怒る私は、今日はどこにも存在しなかった。

 あらためて皆さんに御礼を申し上げます。
 本当にありがとうございます。
 応援にこたえられるように、努力をいたします。



2004年04月18日(日) 天気:晴れのち曇り 最高:22℃ 最低:13℃


 明日をひかえ、どうしても食事がのどを通らない。こんなことは54年の人生になかったこと、自分の情けなさに笑ってしまう。
 考えられる手法は尽くしたと思う。多くの、特に北海道の専門家の皆さん、北の大地を愛する皆さんにご心配と応援、そしてアドバイスをいただいた。
 その結果が明日の『ムツゴロウ動物王国移転検討委員会』で結論が出る。多くの方達と笑顔の輪を作るために、なんとしても乗り越えたいものだ。
 予報は雨、地が固まる印でありますように、今は、ただただ祈る、想いが通じますようにと。。。。



2004年04月17日(土) 天気:晴れ(東京) 最高:28℃ 最低:9℃


 五日市の奥に用事があって出かけた。東京でも奥まった所、山を越えると山ばかりの山ナシである(あ〜、ため息。。。。)。

 途中、谷川を棚田のように仕切った釣り堀があった。車を止め、友人と川縁を歩き、訪れていた家族連れの釣果を見てまわった。形の良いマスが何匹もびくに入っていた。
 時間は正午に近く、河原で火をおこして塩焼きを始めている人もいた。懐かしい、そして美味しそうな匂いが漂っていた。

 上流の5人のグループが、まさに食べようとしていた。そこに白く大きな固まりがいた。グレートピレニーズだった。
 私が足を止めると、一段低い河原から寄ってきて、軽く尾を振った。腰を下ろし、グーの形にした右手を差し出した。大きな犬は静かに、そしてしつこく私の手の匂いを確認してくれた。
 5歳ぐらいの女の子が来た。右手を犬の背にかけて私を見上げた。

 「名前はなんて言うの、この犬、、、、」

 「ナナコ!」

 どこかで聞いた名前だと思った。すぐに岡山の女の子の顔が浮かんだ。
 離れた所で様子を見ていた家族から声が届いた。ナナコは2歳になったばかりということだった。水が大好きで、川に入って釣りの邪魔をするのでリードでつないでしまったと笑っていた。
 ナナコは、なな子ちゃんと同じように、優しく、愛らしい顔をしていた。
 



2004年04月11日(日) 天気:晴れ(東京) 最高:23℃ 最低:7℃

 3月から、ほとんど北海道を留守にしている。
 時間は、濃淡なく流れ、心さえも色を失いそうである。

 しかし、今日は、心に、そして脳裏に、さらに手に、口に、顔に強烈な記憶が残った。もちろん喜びの歌とともに。
 先日、千葉に旅立ったダーチャの子、ミミを歓迎するオフ会が埼玉のドッグランで開かれた。我が家出身のサモエドだけではなく、ベルクの子、そして様々な楽しい犬たちが集まった。おそらく25匹は超えていただろう。人間はその2倍はいたと思う。
 ミミには祖父になる我が家の大御所のマロ、その息子である埼玉のビアンカは10歳を過ぎているはずである。それが若い孫(ミミではない、雄のレオなどである)と立場確認のガウガウをしてくれた。
 ケガをする闘いではないのは分かっているが、大物同士なので一応2匹の首根っこを抑えて仲介をとった。

 そんなことをしていると、この1ヶ月の犬のいない暮らしが吹き飛び、自然体の自分に戻った気になった。
 初めてオフ会に参加をした女房は、手元を離れて何年にもなる連中を1匹1匹触り、大きな声で話をしていた。ある動物園の乳母だったジャーマンシェパードが、数年後に会ったライオンの子に甘えられたように、我が家の乳母も犬たちに認知されたようで、帰り道、女房の話は止まることを知らなかった。
 
 そしてミミ、骨盤にヒビ、出発の日は吹雪でキャンセル、、、そんなドラマを経て、千葉のMさんの家で、先住犬のメイとメイコンビになり、ご家族の皆さんに可愛がられていた。
 私は、ただただ嬉しかった。
 皆さん、ありがとう。
 



2004年04月08日(木) 天気:晴れ時々曇り 最高:4℃ 最低:−3℃


 丘珠空港で犬に会った。車の窓から飛び下りて来た。
 サラムだった。
 ラーナとセンの子である。今は札幌で先住犬のヘイジィとともに元気に暮らしている。
 思わぬ出会いに、旅の疲れもよろず事もぶっとび、私は笑顔になった。
 一瞬の再会をさせて下さったご夫妻には感謝である。
 良い1日となった。



2004年04月07日(水) 天気:曇り 最高:8℃ 最低:3℃


 誕生日だと、掲示板を見て気づいた。
 大勢の方に祝いと励ましの言葉をいただき、ただただ感謝である。
 目の前のことに全力を尽くし、素晴らしき54歳の1年にしたいものだ。



2004年04月06日(火) 天気:晴れのち雨も(札幌) 最高:15(札幌)℃ 最低:−4(中標津)℃


 朝1番の飛行機で札幌に出た。雪はほとんどない。道はホコリがたち、北国の雪解けらしい。
 地下鉄、バス、タクシーを乗り回し、様々な所用をこなさいた。やはり車がないと不便だと、今の時代にたっぷり浸っている自分に気づいた。
 娘のマンションの前の公園で、2匹のM・シュナウザーが散歩をしていた。歴史ある地に旅立ち、同じ姿の犬の妹分になったベルクの子犬のことを思った。



2004年04月05日(月) 天気:快晴 最高:6℃ 最低:−7℃


 久しぶりに帰ると、なんだかんだと用事がある。朝からば車でばたばたと動いた。留守の間、あまり使われていなかった私の車は、臭いが凝縮され、乗った瞬間に『おっ』と声が出てしまった。
 もちろん犬の臭いである。最初はオッだったが、しばらくすると、私にとってその臭いは香りになり、何となく心落ち着くものに変わった。やはり生き物たち、もしくはその気配が横にいてくれないと寂しいものである。

 知床から友人夫妻が2匹の犬を連れて寄ってくれた。サモエドをテーマにしたガラスの作品も持参してくれた。どれにも白い犬に対する思い、愛情が感じられ、早くたくさんの方に見てもらいたいと思った。

 ベルクの子犬が旅立った奈良からは電話が届いた。
 先住の2匹の犬たちにも存在を認められつつあるようだが、あの大きな体で子犬的遊びの催促をするので、叱られることもあるらしい。
 時間がたち、穏やかに関係が築かれ、そして仲間となる日、それも近いだろう。
 今回のダーチャっ子、ベルクっ子は見送りもできなかった。落ちついたら皆さんに連絡をして様子を聞きたいと願っている。
 



2004年04月04日(日) 天気:晴れ(中標津) 最高:6℃ 最低:−4℃


 3週間ぶりに帰った中標津は、道こそ乾いたアスファルトが出ていたが、周囲の原野や牧草地には、まだ50センチ以上の雪が残っていた。一昨日の女房の電話でも新たな積雪を伝えていた。桜が満開の所からの帰宅だけに、素晴らしき変化の国である日本を実感する。

 それぞれの居場所で落ち着いていた犬たちは、
 「あらっ、帰ったの?!」
 程度の、笑顔で尾を振る仕草だったが、なぜかマロとベルク、そしてダーチャとべコは声を出して歓迎してくれた。
 1匹ずつ名前を呼び、確認をしていく。
 それぞれが耳で、目で、口元で反応を示し、私の姿と声を認めてくれた。

                    (つづく)