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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2004年05月31日(月) 天気:雲多き晴れのち雨 最高:33℃ 最低:20℃


 「暑いね〜!」

 何度となく同じ言葉が口から出た。午前中、気温はどんどん上がり、シャツを通して肩が焼けているのが分かった。

 隔離室のダーチャとチャチャは、生まれて初めて、クーラーの恩恵を受けていた。温度設定を22℃にしていたが、それでも濃いピンクの舌は常に顔を出していた。予報によれば明日からは気温が下がるらしい。願わくば、見事に的中しますように。

 今日の便でタドンやベコが来た。残念ながら私は用事があって到着の姿を見ていない。明日、なるべく早く行って声をかけてやろう。ここが終の棲み家となるのかどうかは分からない、でも、しばしの安住の地となるように、人間は最大の努力をする責任がある。
 状況の変化を、信頼できる人間が横にいる、それをすがるように見つめることで乗り切ろうとしている犬、ネコたち、彼らの瞳を裏切ることはできない。



2004年05月30日(日) 天気:晴れ 最高:32℃ 最低:19℃

 日曜日のせいだろうか、それともダービーが出走前だったからだろうか、府中の横も中央道は順調に流れており、羽田の貨物ターミナルには私も、もう1台の車も予定より1時間も早く着いてしまった。
 いつもならばエンジンを切り、荷物の受け渡し事務所の中で、椅子に座り、備えてあるスポーツ新聞を読んで時間を待つ。しかし、今日は猛暑である。そこに北の我が家からサモエドのダーチャと柴のチャチャが第1便としてやって来る。

 私は、ワゴンRの運転席に座ったまま、エンジンを切らずにクーラーをがんがん効かせていた。アイドリングストップの運動には反するが、今日だけは見逃してほしい。そう、こんな暑さは体験したことのない連中が、狭いケージに入れられて上京してくるのである。おまけに2週間は隔離施設で暮らさなければならない、せめて移動中だけでも涼しい状態にしてやりたかった。

 ダーチャもチャチャも、そして浜中から来たライカもモルトも元気だった。10匹のネコたちも少し不安は感じられたが、私の声と姿に鳴き声を出してくれた。

 帰り道は下りのせいか、これまた順調に流れ、1時間半で西多摩に着いた。
 検査をする獣医さんも到着し、すべての犬ネコが詳しく調べられた。幸い、どの子も問題はなかった。

 厳重に隔離された部屋に入れられ、そこでダーチャはケージから出された。入れられて7時間、ヨダレの跡はあったが大小便はしていなかった。
 私の顔を確認し、ダーチャの耳が消えた。後ろ側に倒され、頭にへばりついてしまうので、まるでアザラシのような形になる。
 チャチャも出した。私に向かって軽く耳を倒し、その後は部屋の中の確認に忙しかった。

 隔離中の世話をする人間が、防御用の消毒された手袋で作業をしていると、ダーチャは、いつの間にかケージに入り、伏せて静かに様子を見ていた。
 
 「あれっ、こんな事は教えていないはず。。。」

 教えていないどころか、ダーチャがケージに入れられたのは初めてのはずだった。
 私は試してみようと考えた。再度、ダーチャの名を呼んだ。すぐにケージから出て来て、嬉しそうに挨拶をした。

 「よしっ、ダーチャ、ご飯まで時間がかかるからハウスしようか?!」

 その言葉の終わらぬうちに、ダーチャは開いていたケージの入り口に向かい、素早く中に入り、そして向き直って伏せた。

 まぐれと言うこともある、横にいたケイコ氏に頼み、同じことをしてみた。ダーチャは、私たちが求めることを敏感に察知し、行動した。

 この子が人間が大好きなのは分かっていた。
 思いもかけぬ移動、ダーチャにとっては大いなる不安の中で、人間が何を求めているか、人間のために何をすべきかを判断していた。

 新しい王国がスタートしたならば、この顛末を来られた皆さんに聞いていただき、ダーチャの耳なし頭を見ていただきたい。

 チャチャ、ダーチャに続き、明日はタドンたちがやって来る。さて、どんな表情、どんな動きを見せてくれるだろうか。



2004年05月29日(土) 天気:晴れ時々曇り 最高:29℃ 最低:18℃

 暑い1日だった。それほど湿度はないとの事なので、これが本格的な東京の夏になるとどうなるか、もう私の記憶にはない。でも、進化の先端に辿り着き、順応性の高い哺乳動物の1種、人間であるから、口では『暑い、暑い』と言いながらも、なんとなく乗り切るだろうと楽観的に考えている。
 これは、犬や馬、ネコたちにも言える。それなりの手当をしてあげれば、彼らも環境について行くことが可能だ。それを考えるのが私たちの責任と思っている。

 夕方、少し風の出て来た西多摩の新しい王国の予定地に、にぎやかな声が響いた。長い間、応援をいただき、さらに私たちとともに命(生き物)との暮らしを楽しんで来られた皆さんだった。
 まだ中を自由に見ていただく事はできないが、入り口に予定している場所で、記念写真を撮り、そして夢を語り合った。
 
 皆さんは、富士山の麓で乗馬をされた帰路だった。今日、初めてまたがった方もいらしたが、ひとりとして落馬をすることなく、広大な原野で駆け足までもされたとの事だった。
 これが可能なのは、その乗馬施設で使われている馬が和種、木曽馬の血をひくものが多いのも理由のひとつだろう。小柄で温和、足腰、背も強い。まさしく外乗にはもってこいの馬だ。

 少し腰や太ももが痛いと言いながらも、皆さんは感動を心に貯めた表情だった。
 このような方を、ひとりでも多く増やすことができたなら、、、それも新しい王国の目標の中に入っている。もちろん使う馬たちは和種、ドサンコの血を色濃く残す連中である。



2004年05月28日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:26℃ 最低:20℃

 3月の末、当面の足として軽4を買った。仮住まいのアパートの駐車場のスペースを見て、3ナンバーのルネッサを運んでくるのをあきらめていた。
 
 何十年と軽自動車を字のごとく軽く見ていたが、これがけっこうイケている。360ccの時代とは異なり、それなりのパワーがあるので高速道でも問題はない。何より狭い道でもスイスイと走れるところが今の私の環境に合っている。

 今日、初めて都心を走った。羽田などに行くために首都高速は何度か走っていたが、下の一般道におりた事はなかった。
 外苑で出て、銀杏並木を抜け、246を渋谷に向かい、工事中の紀伊国屋の前で骨董通りに入った。さすがに金曜日の夕方である、どの道も車であふれ、その横の歩道を胸を張った女性たちが急ぎ足で闊歩していた。
 こちらは軽自動車である。まぶしい女性たちを横目で見ながら、路肩に停まっているいる車を細かくかわし、目的地に無事に着いた。

 遠出用にルネッサを持ってくる予定にしていたが、その必要はないか、そんな気がする都心ドライブだった。でも、レオンベルガーのベルクとサモエドのダーチャを同時に運ぶとなると、やはり大きな車が、などと悩みもしている。
 さて、どうしたものか。
 
 30日、私は北の家からやってくるサモエドのダーチャを軽自動車に乗せて走る。



2004年05月26日(水) 天気:晴れ 最高:27℃ 最低:15℃


 このところ、少し疲れる。ばたばたに加えて、持病の薬がきれたせいもあるだろう。本来ならば4月の初めに中標津の病院に顔を出すはずだった。それがもう5月末。途中で薬だけは処方してもらっていたが、それも尽きてしまった。
 
 さてどうしようかと考えていた時に、助け舟を出してくれた仲間がいた。彼女の一家と親しい先生が車で15分の所の病院に勤めてらした。

 今日、古い建物ながら、中はきれいに整い、そして明るい雰囲気の病院を訪ねた。
 先生は、詳しく私の状況を聞き、そして対処法を提案して下さった。対話の中に、患者の暮らし、生活スタイルを考慮して下さる先生の考え方が、見事ににじみ出ていた。

 私は、今日、新しい地での先生を見つけた。

 



2004年05月17日(月) 天気:曇りのち晴れ間 最高:29℃ 最低:19℃


 今日の暑さは、湿気を伴うものだった。そう、懐かしい梅雨の雰囲気である。
 私が東京で暮らしたのは、今から35年も前の頃、池上線の列車が木製だった。雪谷大塚、中原街道、懐かしい名前が浮かんでくる。
 アパートに戻り、汗の臭いのするシャツを洗濯機に放り込もうとして少し慌てた。そう、ふたを開けると、すぐそこに積み重なった汚れ物があったからである。
 いつ洗濯をしたかと振り返る、答えが見つからない。このままでは洗う事は無理と、中身を出して靴下の数をカウントした。6、7、8、9、、、そうか、前回の洗濯から10日が過ぎたのかと苦笑いをする。
 1日1足、なんと分かりやすい目安かと感心するとともに、仲間たちの話題で、男ひとりの連中でも3日に1度は洗濯機を回していると聞かされ、我が習性を特別なものかと再認識してしまった。
 とにもかくにも、本当の梅雨が来る前に、せめて5日に一度は洗う心の決断が可能な人格に変えたいとも思うのだが、おそらく思うだけで終わるのは目に見えている。
 『まあ、なんとかなるだろう』そんな気持ちで今日もまた、スイッチを入れることなく洗濯機のふたを閉めた。



2004年05月16日(日) 天気:雨 最高:24℃ 最低:17℃


 早起きをして仙台に向かった。西多摩から東京駅、そして東北新幹線と、長い列車の旅となった。
 しかし、同行のムツさんと、様々な話をしているうちに、祭りで駅構内まで踊り子が満ちている仙台駅に着いてしまった。
 そこから車で小1時間、大きなイベントが行われている会場に到着、昼食もそこそこに『ペット、何でも相談』と銘打ったステージに上がった。
 
 野外に設けられた特設ステージの前には、何でも2時間も前から待って下さった方がいらしたらしい。目で数えたところ犬を連れて来られた方も数十人、皆さん、笑顔で二人のオジサンを迎えて下さった。

 さっそく皆さんの質問、相談を受けた。
 噛む犬のこと、他の犬と仲良くなれない、室内すべてがトイレ、チャイムに吠える、ネコが仲良くしてくれない、リードをぐいぐいと引く、ドライフードを食べてくれない、等々、様々な悩みが登場した。
 ムツさんと私は、互いに犬になり、時にはネコになり、実演を繰り広げ、本物の犬にもステージに上がってもらって答えと説明をさせてもらった。
 この二人が行うと、まるで漫才になる。でも、その中に込めた真実を分かりやすく、そして記憶に残る形で表現はできたと思う。
 そこから、生き物大好きな皆さんの生活に、ちょっぴり新しいヒントが生まれたならば、これほど嬉しいことはない。

 小雨が落ちて来た中で、最後まで笑顔で聞いて下さった皆さんに感謝し、夕暮れの近づいた仙台駅をあとにした。
 ムツさんが乗車前に買って来た『牛タンせいろ』弁当が美味く、二人ともあっと言う間に平らげてしまった。



2004年05月14日(金) 天気:曇り時々晴れ 最高:28℃ 最低:19℃


 穏やかな日射しの芝の上に、何十年と見慣れた光景があった。仲間の横にピタリとついて歩く犬の姿。こんな普通の事が、当たり前の事が、困難の上に築かれたとは、おそらく犬たちは知らないだろう。
 でも、絶えずパートナーである人間を見上げる姿には、もう離れない、そんな気持ちが浮かんでいた。
 やはり、王国は生き物の姿があってこその王国だと、心から思う私だった。

 数日の滞在を終え、女房が北海道へ帰ったのは確か4月の14日だった。以来、自慢ではないが私は、1度もアパートの部屋で掃除機に手を触れていない。
 夜遅く部屋に帰り、狭い玄関のライトを点けると、逆光にワタボコリが浮かび上がる。さすがに不味いかな、と最近は思うようになってきた。
 そんな思いを抱きながらも、台は購入しても組み立てが進まず、まだ床の上に直に置かれているTVのスイッチを入れ、我が日本の女性排球チームのがんばりに心で拍手を送った。
 見事な勝利を見届け、パソコンを取り出してメールの確認をする。

 嬉しい、とても嬉しいメールが届いていた。
 今回の新しい王国の建設工事を、責任者として担当されたKさんからだった。私たちの日替わり要求を、辛抱強く聞いて下さり、ともに夢を築いてくださった方である。
 新しい仕事場から、隔離検査を受けている犬ネコたちを心配され、そして、解放の知らせを耳にされて、さっそく祝いの言葉を送って下さった。

 ありがとうございます。
 今日、犬たちが元気にKさんの作られた建物に足跡を印しました。

 心地よい夜、北の家からは、平年よりも数日早く、桜が咲いたと知らせがあった。

 



2004年05月13日(木) 天気:曇り時々晴れ間、そして雨 最高:25℃ 最低:18℃


 午後、日の出村から青梅、いやもっと遠く奥多摩の方角だろうか、墨色の雲が流れ、所々に青空がのぞく空間に、見事な虹が出現した。
 生き物の研修というよりも、毎日、砂運びや大工仕事で、真っ黒に日焼けした研修生の若者たちが、真っ先にその虹に気づき、手を止めて私に教えてくれた。

 「いい事がありますね、未来への道ですね。。。」

 顔に似合わぬことを言いやがって...とは口に出さなかった。
 しかし、彼の言葉が嬉しかった。そう、私も心の中でそう思って、いや、そうあれ、と思って同じ虹を見た。

 その直後だった。私の携帯が鳴った。
 今回の犬、ネコの大移動に関して、様々な事でお世話になっている東京都獣医師会のM先生からだった。
 先日、採便した第一班の子たちのエキノコックス抗原検査の結果を伝えて下さった。

 『陰性』

 太く鮮やかな虹が頭に蘇った。
 
 結果に基づき、解放への処置を詳しく指導してくださり、最後にM先生は、「良かったですね、本当に」と言って下さった。

 待ち望んでいた虹の便りを、西多摩に来ている仲間たちに、北の地で心配をしている仲間たちに伝えた。
 慎重に手順を踏み、ケアーをし、そして第一班の連中を暮れかかった大地の上に出した。
 私は、初めてクローバーの見事なフリスビーキャッチを見た。我が家のラブラドール、タブの子である。心の中で拍手をし、この素晴らしい仕事っぷりを多くの方に見ていただきたいと強く思った。

 スカリーが、AJが、そしてリボンが、フリスビーを追いかけた。
 周囲には、笑顔が集まっていた。

 今日もまた、記念すべき1日となった。あの虹とともに1生忘れないだろう。
 



2004年05月12日(水) 天気:曇り 最高:24℃ 最低:18℃

 ここ1ヶ月、昼飯は、いわゆる『まかない食』を食べている。一人でアパートに住み、深夜に戻る暮らしの中では、唯一の食事らしいものかも知れない。毎日、献立に気を使ってくれているS
さんには感謝である。

 雨がなければ、昼食は広場に並べたテーブルで、西多摩一帯から集まってくれた研修生、隔離中の犬やネコたちとともに北海道から来た仲間たちと済ませている。
 今日、何気なくAちゃんに携帯電話でのメールの送り方を習った。機種を交換してかなり経つが、我が家に残っている研修生のKくんから、1度だけ、顔を見合わせながらテストメールを受けただけで、以後、その機能は冬眠をしていた。

 もともとマニュアルを読むのが苦手なたちである、よほどの必要に迫られなければ、手も頭が動かない。
 それなのに、今日、心地よい気温、そして墨模様のような雲が広がっている西多摩の戸外食堂で、私はメールの出し方、受け方、写真の貼付の仕方を教えてもらった。

 先日の捨てられた子ネコではないが、ひとつの行動が、まるで次に起きる事を予測していたかのような繋がり(必然)を示すことがある。

 夕方、携帯がメール受信の音を出した。Kくんからだった。
 添付された写真にはグレーの子犬が写っていた。待ちに待ったナポリタンマスチフのフーチの出産が始った知らせだった。

 その2時間後に第2子の姿が、そして、さらに今、先に生まれた子と同じようにグレーの第3子の写真が届いた。

 この偶然、私は感謝したい。

 さて、まだまだ生まれるのだろうか。



2004年05月11日(火) 天気:晴れ 最高:30℃ 最低:17℃

 何年前になるだろう、北海道東部の中標津で5月中旬、たしか15日だったと思うが、30℃を超えたことがある。犬たちが喜んで川に遊びに行ったことを覚えている。まだ樹木の葉の出ていない時期で、何か不思議な暑さだった。
 もちろんその気温が続くはずもなく、すぐに一桁の最高気温の日が戻ったが。

 今日、私は今年初めての真夏日を体験した。

 「暑いですね〜!」

 と地元の方に言うと、にやにやしながら返事が返ってきた。

 「今日は湿気がないから、暑いうちに入りませんよ。梅雨になると凄いですよ、耐えられますか?」
 
 こちらの事情をよく知っているだけに、からかいと心配を込めた言葉だった。

 まあ、人間は何とかなるだろうし、どうでも構わない。やはり生き物たちが気になる。
 80匹に近い第一班、第二班の隔離施設の連中の様子を見回った。クラーのある所はフル稼働していた。
 その部屋で、舌を出し、私を見つめて『暑いね!』と瞳で訴えてきた。

 「うん、今日は30℃だって。びっくりだね。慣れような〜!」

 私は、そう声を掛け、もうすぐ木陰で涼む日が来るからと、付け加えた。

 アパートに帰り可愛いサイズの冷蔵庫を開けた。無念、入っていたのは泡の出ない正統派の麦茶だけだった。



2004年05月10日(月) 天気:雨 最高:20℃ 最低:14℃


 北海道からの便りを聞き、読むたびに思う。
 
 『ギョウジャニンニク(アイヌネギ)』の醤油漬けに熱々ご飯、チャーハンも食べたいな、と。

 北海道に残ったナポリタンマスチフのフーチの様子を聞くたびに思う。

 『どうか安産でありますように。そしてすぐに後を追って出産の予定のヘアレスのムム子も、、、、』

 TVで北海道の様子を見るたびに思う。

 『中標津の、浜中の桜はいつ頃になるのだろう、今年の植物の育ち具合は、、、』

 しかし、今は東京に越してきた連中のことを見つめなければならない。
 狭い建物の中で、ケージの中で、健康検査を受け、その結果を待つ犬、ネコたちの心だけでも励まそうと、笑顔で声をかけ、世話をしなければならない。

 ある意味で、世界で最高の水準の検査を受け、感染症の恐れのないことを専門機関に示してもらい、最高に安全な犬、ネコたちが西多摩の大地に足を下ろす。
 夜、日付が変わる頃、「その日が、また1日近づいた」そう思うことにしている。



2004年05月09日(日) 天気:曇りのち雨 最高:22℃ 最低:15℃


 隔離棟で検査を受けている白ネコのミンツに調子が戻った。固いウンコ、音を立てての小便、そしてガツガツと食べた。
 北海道の我が家のようにはいかないが、それでも周囲の状況をミンツなりに理解し、安全な所らしいと判断したようだ。
 
 他の連中は、もう心配はいらない。早く検査の2週間が終わり、のびのびと遊ぶ光景が見たいと暦を見ては思っている。

 第1班の連中の採便は昨日終わった。これの抗原検査が終わり、3度目のチェックも陰性と出たならば、待ちかねた解放となる。
 その日が間近、雨に変わった西多摩で、徐々に気持ちには晴れ間が広がって来ている。
 



2004年05月06日(木) 天気:曇り 最高:21℃ 最低:12℃


 見ていたのだろうか、知っていたのだろうか、我が家のネコたちが東京に旅立つことを。
 2日にわたって10匹のネコが我が家を後にした。その夜、女房をはじめとする住人たちは、なんとなく隙間だらけ、なんとなく寂しいと感じていた。

 そんな光景を盗み見ていたかのように、事件は起きた。

 捨てネコである。
 場所はヤマちゃんの行動範囲、そう、毎日仕事をしている所だったらしい。
 ヤマちゃんは、すぐに我が家に2匹の子ネコを運び込んだ。

 一挙に10匹のネコたちの姿が消え、すかすかの我が家に子ネコの声が響いた。住人は怒りながらも、笑顔を隠すことができなかった。
 女房は300グラムの身体を洗い、駆虫をし、ミルクを飲ませ、ネコ缶を開けた。

 顛末を伝える電話が掛かってきた時、私も思わず言ってしまった、
 
 「飼おうよ、その子たち。みんなが旅立った時に現れるなんて、これも縁だよ!」

 それは、北海道の全員の気持ちでもあった。
 
 三毛のメスは尾が短い。キジトラ模様のオスは、先端が曲がった長い尾を持っているとのことだった。
 私はメールで写真を送ってもらった。
 可愛い。
 こんな子を捨てるなんてと、また怒りが復活した。

 「よし、必ず元気で幸せにしてやる、、」

 これもまた命の交差点にちがいない。
 西多摩で10匹の姿を眺めながら、そう私は思っている。

 



2004年05月04日(火) 天気:曇り時々晴れ間、そして雨 最高:20℃ 最低:14℃


 あきる野に80匹の犬、ネコたちが揃った。2週間に及ぶ検査が終わるまで隔離施設での暮らしだが、がんばって乗り切り、新緑の芝生の上で駆け回る日を待ちたい。
 休日返上で健康チェックをして下さっている東京都獣医師会の皆さんには感謝である。
 そして、少しでも犬、ネコたちのストレスが軽くなるようにと心と手を使っている仲間たちにも。。。。



2004年05月03日(月) 天気:曇り時々晴れ間 最高:19℃ 最低:12℃

 穴だらけの日記になっている。読んでくださっている皆さん、そして、必ず記載しようと心して始めた自分に申し訳ない気がしている。

 新しい王国の基礎を担う生き物たちが続々、北の地から到着している。旅の疲れもあるが、そのまま隔離舎に収容され、2週間、獣医さんによる厳密な検査を受け、トレーニングの日を待つ。
 そして、いよいよ今夜、我が家の顔が登場する。ニャムニャム、フィラ、金之助、銀次郎のネコ4匹だ。
 私にとっても久しぶりの再会になる、どんな顔でケージから出てくるのか、楽しみにしている。
 
 迎えの人間から連絡が入った。羽田からの車が、少し渋滞に巻き込まれている。今、先生とともに首を長くして待っているところである。
 
 気温は低く、風が少し冷たい。

 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 上の文章を書いてから2時間が過ぎた。

 今、時計は8時25分を示している。
 空腹に茄子のカレーが美味しい。いくらでも食べられそうだが、辛抱、辛抱。

 4匹のネコたちは、7時間のケージ拘束を耐えて着いた。大小便も吐き戻しもない。静かに何が起きているかと不安の瞳で私の前に現れた。

 ネコは環境の変化が苦手である。臆病な生き物ゆえに、慣れ親しんだ場所を幸せの場としている。
 しかし、中には犬的な子もいる。

 「金ちゃんは、まったく平常値でした、心拍が。他の子たちはドキドキですが、、、」

 検診をしてくださった先生が、そう教えてくれた。
 エの子である金之助は、ケージから出てすぐに周囲を見回す余裕を見せていた。これは大物の証明でもあり、ネコらしく慎重な他の連中を、新しい住まいに順応させるリーダーになってくれるだろう。

 人の営みを、生き物たちが手助けしてくれる。。。何度も経験した出来事が、このあきる野の地でも起きようとしている。