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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2004年06月30日(水) 天気:雷雨のち晴れ 最高:29℃ 最低:23℃


 6月最後の日は大きな雷の音で明けた。稲妻から音までの間隔を計ると2秒、これはかなり近いと、窓を開けて周囲を見回した。数軒離れた家の雄鶏が、雷に怯えることなく雄叫びを上げ、遠くで救急車のサイレンの音が雷鳴に和していた。

 午後からは、これが蒸し暑さと名乗るような天候になった。寒暖計は30度を超えなかったが、湿気と陽光がジリジリと迫ってきていた。マロやベルク、そして短吻のタドンやポチポチなどの犬たちは、クーラーの下で舌を出していた。

 さて、明日は今回の王国移転に関する、いや、エキノコックス症に関する3回目の委員会が開かれる。犬、ネコたちの移送にともなって実行した対策が、見事に安全を確認する結果になったことをふまえ、専門家の委員の皆さんに検討をしていただく。
 これは、王国だけの問題ではない、日本における安全意識と科学のあり方の再確認の場とも言える。流言のたぐいではなく、科学に基づく正しい情報が大切なことを、明日、私も心に焼き付けてきたい。



2004年06月28日(月) 天気:曇り時々晴れ 最高:28℃ 最低:23℃

 女房が風をひいた。38度、とうとう早退をしてしまった。夜も暑い西多摩での生活、つい窓を開けたまま寝てしまい、こんな状態になってしまった。北の地では考えられないこと、これも油断だろう。

 息子の弦矢から、何度も電話があった。

 「ウコッケイの娘がいない、戻ってこない」

 コッケイの娘である雌鳥は、車庫を中心に両親と同じエリアで行動をしていた。
 しかし、シバレやカボス、そしてマロなどの車庫周辺グループの犬たちの姿が消えると、カラスたちが偉そうに行動を始めた。ドアが開いていれば、すぐに車庫に付設されている動物用の台所に侵入してジャーキーなどを盗み、ウコッケイたちを追いかけることもあった。

 息子は暗くなるまで周辺を探しまわった。でも見つからない。カラスだけではなく、キツネなどに捕まえられたことも考えられる。
 つながれていた犬たちが、それなりにウコッケイを守る番犬の役割を果たしていたと気づき、石川家の庭における雑居文化は、それぞれの生き物たちのバランスによって保たれていいたと、あらためて感じた。
 どうか、雌鳥が無事であるように。

 中標津のムツ牧場では、牧草大臣のツンちゃんを中心に1番草の刈り穫りが始った。今年は人手不足である、弦矢もがんばるようにと伝えた。晴れ間が続き、良い収穫となるように。



2004年06月26日(土) 天気:曇り時々晴れ間 最高:30℃ 最低:24℃


 蒸し暑さを実感した1日だった。川崎では行方不明になっているベルクの娘を探すために、皆さんが集まり、心と瞳を懸命に使って下さった。現場に行けぬ私と女房は、西多摩の地でベルクを前に、皆さんの汗が実りを。。。。と祈っていた。
 しかし、朗報は届かなかった。
 捜索の様子は、友人のKさんからの携帯電話で情報をいただいた。
 ご苦労様でした、そして、ありがとうございます。
 その一言だけである。
 レオナ、どうか無事であるように。
 



2004年06月22日(火) 天気:晴れ 最高:34℃ 最低:24℃

 遥か西を通ったとはいえ、今日の西多摩は台風一過の朝だった。やや強い南風が吹き抜け、気温は9時には30℃を超えた。
 本日のひと汗を拭った時に、携帯が音を立てた。番号は北の我が家、あわてて濡れた指で通話マークのボタンを押し、汗ばんだ髪を上げて左の耳に当てた。

 「エ、生んだよ、4匹、みんな元気。。。」

 「三毛はいなかった、真っ白なオスが1匹いる。オス2匹、メス2匹だと思う」

 予想通りの嬉しいニュースだった。エは北海道に残した三毛ネコだ。生まれは神奈川の大きな病院、と言っても動物病院ではない、人間の大病院の中庭に棲みついた野良ネコを母として、患者さんや看護婦さんの世話で育った。
 縁あって我が家に越し、そして今回3度目の出産となった。前の2回も、実に見事な母ぶり、そして可愛い子ネコを見せてくれた。
 今回の4匹がどのような成長をするのか、そして、どのような運命に出会うのか、それは分からない。でも、必ずやチャーミングで、そして幸い多き一生をおくるだろう、そう確信している。

 気温が34℃に上がった頃、クーラーの効いた部屋で昼寝をしていた犬たちを、1匹ずつ外に出してみた。熱せられたコンクリート、包み込んでくる熱風、まぶしい陽光、それらに対する反応を確かめたかった。
 確かに犬たちは舌を出した。しかし、それで倒れることもなく、自らあちらこちらに目標を定めて歩いていた。
 長い時間は無理だろう。でも、彼らの備えている順応性を考慮すると、かなりの事ができる、そんな自信を深めた。我が身を顧みると、もっとも軟弱なのは人間、そんな気もしている。

 さて、明日は何度。
 北の地では最低気温に心を躍らせたが、こちらでは暑さが楽しみになってきた。



2004年06月21日(月) 天気:雨、風、 最高:27℃ 最低:24℃

 四国から兵庫、そして能登から日本海へ、台風が駆け抜けて行った。そして明日、北海道が影響を受ける。できるならば瞬時で終わることを...。

 <雨、そして風強き日の夜に>

  *暑き朝、コンビニにて

  レジ打つ手  止めて笑顔で  尋ねられし
    いつ動物たち  会える日来ると

  *久しぶりの再会の日

  尾を振りし  カボス、その視線  我がズボン
    左のポケット  いつもはジャーキー

  *マロ

  越し来たり  体重計の  針示す
    数値わずかに  増えたに笑顔

  発情の  シグレの尻を  追いまわす
    その男心に   タドン吠え啼く

  食べ眠り  啼いておやつ  大小便
    大物なりし   常に硬便

  西の地で  娘孫子の  集いあり
    楽しき様子  大声で父に

  スキップの  ようにも思え  名を叫ぶ
    気づいて振りし  尾は先細く

  *ダーチャ

  解放の   知らせの夕に  洗われし
    白毛はすぐに   新しき土色

  *20日、34℃、フリーマーケット

  柵越しに  店人、客の   声届き
    舌を出しつつ   犬たちは期待尾

  ココだよね   犬いるのかな   まだかもね
    会話聞きつつ   水おけを替える

  パピヨンを  3匹連れし  人ありて
    たちまち囲む   かわいいの声

  *台風

  アパートの   庭で育ちし  1立の竹
    2階手すりに   繋ぎ支える

  降りおりて   沁み入る場所を   探せずに
    都会の雨は    コンクリートで迷う

  *母を失った6匹の子ネコ

  人々が  想いを寄せて  解決を
    探るに拍手  子ネコ爛漫

  *エ、出産間近

  携帯の  番号表示  北の家
    生まれたを期待   通話マーク押す

  *西多摩のホタル

  隔離されし  犬を見舞うか  慰さむか
    穏やかな光   あじさいの青  

  
    

  

    



2004年06月18日(金) 天気:晴れ 最高:30℃ 最低:19℃


 暑い1日だった。



2004年06月17日(木) 天気:晴れ 最高:24℃ 最低:17℃


 マロがスキップした。
 ベルクが研修生にすり寄って甘えた。
 シバレは、あちらこちらの匂いを嗅ぎ回った。
 ラッキーは、曲がったままの尾を懸命に振った。
 ダーチャは、相変わらず耳を隠した笑顔でアザラシになった。
 ゴン吉とチャチャ、そして母親のシグレが並んで駈けた。
 タドンは岡田家のメス犬たちに会いに行った。
 その後を、ポチポチが続いた。
 ラーナは耳を直立させ、最高に可愛いオバさんの顔を見せた。
 オビは、真っ先にマロに挨拶に行った。
 カボスは、オビを追いかけ、なんとか遊ぼうと身体で誘った。
 センは水たまりを見つけ、人間に入っていいかと瞳で聞いた。
 タブは、とにかく駈け、アジサイを揺らした。
 ベコは先ず周囲を見渡し、建物や人間の位置を確認していた。

 2004年6月17日
 今年3度目となるエキノコックス抗原検査の結果は、すべての子が陰性と出た。我が家から来ていた犬たちは、身体を洗われ、隔離室を出て、あきる野の大地に足跡をつけた。
 今日から、本当の意味での順応トレーニングが始る。穏やかに、ゆっくりと。



2004年06月16日(水) 天気:晴れ(東京) 最高:22℃ 最低:18℃


 中標津を離れる前に、ヤギのメエスケの爪を切った。いや、切ったではなくノコギリで切断した、が正解である。前足の爪は10センチ以上も伸び、歩き方がぎこちなくなっていた。父の見事な脚の骨ではないが、やはり大地を2本、ないしは4本の脚でとらえている生き物にとって爪は重要なものである。メエスケで言えば、歩きにくくなると食欲も落ち、そして毛づやも悪くなる。
 いつもならば頻繁にカットするのだが、この春はばたばたが続き、ようやくになってしまった。
 女房に首を抑えてもらい、息子が脚を持ち上げ、そして私が枝払い用のノコギリを動かした。表面は硬く、何度も歯先が踊った。それでも片足に10分ほど掛けて歩きやすい形に整えることができた。作業中、メエスケは首を最大に曲げ、後ろ向きになりかがんでいた私のズボンをくわえ、ベルト通しを引きちぎり、そして食べてしまった。まあ、悪食のヤギだから問題はないだろうが、次にお気に入りのTシャツに口を伸ばしてきたので、こちらは断った。

 げんきんなもので、足下が楽になったメエスケは、30分前には匂いを嗅いだだけで立ち去っていた餌箱の草を、首を上下に振りながら食べ始めた。
 次回、爪を切るのはいつになるか分からない、それまで少しは動いてすり減らしをしてほしいものだ。

 そして今日、私は西多摩に戻った。思っていたよりも気温は穏やかだった。



2004年06月15日(火) 天気:曇り時々雨 最高:12℃ 最低:8℃

 
 時計は6時を過ぎていたが、それは見事な虹が出た。対面する西側の山々は、そこだけが雲が切れ、鮮やかな稜線が金色の夕陽の中に浮かび上がっていた。

 (ああ、またやってしまった。冒頭の12文字は無視して読んでいただきたい。。。)

 久しぶりに浜中の王国に行った。3ヶ月ぶりになるだろうか、数十匹の犬、ネコたちが西多摩に旅立ってからは初めての訪問だった。

 セントバーナードのボス5世は、寝たきりではあったが、足音を響かせ、鼻の頭に手をかざすと、一瞬で表情が変わり、ほとんど聞こえていない耳を動かし、かすかに見える程度の目を私に真正面から向け、そして身体を起こそうとした。
 私は、大きな声で名を呼び、頬を触り、そしてポケットから柔らかいジャーキーを取り出した。
 期待の瞳で集まっていたアラレやティアラには待てと命じ、先ずボスの口元にジャーキーを差し出した。ボスは元気に食べてくれた。もっと欲しいと、あきらかに催促の素振りを見せた。

 14歳のボスは、想像していたよりもいきいきとしていた。古園さんが用意した人間用の布団を2つに折り、間にクーラーマットを挟み、外からの風が網越しに入るベストポジションで日中を過ごしていた。
 その2歳上のミックスのポチも元気だった。この子も耳が遠くなっているが、目は問題がない。静かに私の後を追い、実にうまそうにジャーキーを食べてくれた。
 王国柴犬の4代目になるアラレは、相変わらず私の指まで一緒に口にいれようとした。まだ健康な歯が指に跡を残した。痛かった。
 ボーダーのティアラと娘のアスカは、見分けがつかなくなっていた。ボギーは甘えん坊になり、サンゴは盛んに尾を振っていた。そうそう、シャノンも珍しく私に甘えてきた。ポニーは涙を浮かべ、そして親分のビアンカは、大きな身体に張りがあった。

 「高橋家の犬たち、アキヤくんのオス犬たちなど、たくさんの犬の姿が消え、残っている子たち、みんな気が抜けたようになったんですよ。争いもほとんどなくなりました。群れ同士の力関係、ずいぶんと気を使うものなんだと分りました」

 それは我が家にも当てはまることで、親分のマロの影を絶えず意識してきたNO2のカザフは、マロの引越しの後、まるで好々爺のような表情になっている。これも寂しいもので、今朝、私は隣の小屋にオスのチロルを引越しさせ、少しは緊張感を作り出すことにした。

 外の放牧地には子馬がいた。この春に生まれた子馬は6頭、それぞれが毋馬に寄り添い、乳首を探し、昼寝を楽しみ、穏やかな光景を作り出していた。

 いつ再訪がかなうか分らない。帰路の車の中でも周囲に目をこらし、ゆっくりと海の見える丘を離れた。エアコンはクーラーではなく暖房の強に目盛りを合わせていた。3センチほど開けた窓から、タバコの煙りが勢いよく大平洋に向って流れて行った。
 



2004年06月14日(月) 天気:晴れのち曇り 最高:28℃ 最低:10℃

 昼ごろには真夏の暑さになった。どうなることかと思っていると、1時を過ぎた頃から風が東に回り、どんどん気温が下がっていった。5時頃には14℃、なんと忙しい気温変化だろう。

 私は、3月の上旬から断わりも無く(まるで夜逃げのように)中標津から姿を消した形になっていた。道東各地の方から心配のメールや電話をいただいていた。今回の新王国のコンセプトと思わぬ顛末の説明をしに、今日、数カ所を回った。
 皆さん、憤慨とともに事情を理解され、強い応援をいただいた。
 
 『本当に、ありがとうございます』
 
 エールに応えられるように、できうる限りのチャレンジをしたい。
 
 家の中は、5月初旬に拾われた子ネコたち2匹の天国になっている。どたどた、ばたばた、とにかく賑やかに駈けまわっている。全速力で私や女房の足を登るので、あっと言う間に傷だらけになってしまった。でも可愛いので叱らずに我慢をしている人間たちである。
 レオやルドなど大人のネコたちは、多くの仲間が消えた(西多摩に行った)ために、どことなく元気がない。常に昼寝状態、しかし、体重だけは確実に増えている。明日、計ってみよう。



2004年06月13日(日) 天気:曇り時々晴れ 最高:21℃ 最低:8℃


 名寄から中標津へ移動。



2004年06月12日(土) 天気:曇り時々雨(名寄) 最高:18℃ 最低:9℃

 幼い頃、釣りをし、3度ほど溺れた名寄川は、昔のままの水量を保ち、穏やかに流れていた。しかし、掛かる橋はすべて私の知らぬ姿となっており、懐かしい木橋はどこにもなかった。
 サンピラーの出現で知られているピヤシリスキー場の前にあるシャンツェは、新緑に囲まれて見事な姿を示していた。人工芝の技術が発達し、雪のない季節でも鮮やかなジャンプが見られる。間もなく大会が開かれるとのことだった。

 実家を取り囲む草木は、記憶を超える大きさになっている。ナシはまだ小さな実になったばかりだが、サクランボはもう十分な大きさになり、間もなく色を付け始めるだろう。
 そうそう、グスベリも薄緑の実になり、カリンズ(フサスグリ)は枯れた花の下に可愛い実を見せていた。

 叔母の家で、もぎたてのキュウリをもらった。女房は車の中であっと言う間に30センチを1本食べてしまった。私もひとかじり、懐かしいキュウリらしさが口の中に広がった。

 母が畑からアスパラを採ってきた。軽くゆでたものを、娘は大声で「美味い、美味い」と叫びながら食べてしまった。
 私は畑に行き、もう15年も前にホワイトの収穫をやめ、グリーンに転換をされているが、しぶとく根元を掘り、5センチほどの白いアスパラ、いわゆるホワイトを手に入れ、軽く洗って齧った。誰にも伝えられない味がした。満足の笑みが広がった。

 弟の義父がネマガリダケのタケノコを採ってきてくれた。義妹がみそ汁にしてくれた。柔らかさ、微妙な歯ごたえ、そして春を伝える香り、すべてに満足した。

 白い花で囲まれた父の写真の前に、母が小さな声で「ほらっ、初物だよ。。。」と言いながらみそ汁の椀を置いていた。
 カッコウの声が響き、エゾハルゼミが鳴き始めていた。



2004年06月11日(金) 天気:晴れ時々曇り(名寄) 最高:25℃ 最低:10℃


 父の葬儀



2004年06月10日(木) 天気:雨(名寄) 最高:18℃ 最低:12℃


 父の通夜が終わりました。
 今日の日記はBBSに記載した文章を、そのまま転載させていただきます。
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静かな雨の夜です。 ウブ - 2004/06/10(Thu) 22:17 No.27088

 おばんです、皆さん。
 無事に父の通夜は終わりました。おおぜいの皆さんに見守られ、父は金色の絹布の下で眠っています。
 その前でウブはワイン...線香の灯火を絶やさぬように気を使いながら、家族、親戚の皆さんと父のことを語り合っています。
 様々な状況を聞きました。戒名に堅と忍の字が入っているように、まさしく堅実で、そしてすべてに辛抱強い父でした。
 それは、みなさんの口から次々と出て来る言葉で証明され、あらためて偉大な父を想います。
 84年、けして不足は述べません。しかし、まだまだ聞いておくことがあったと、そんな後悔は、ますます強くなる夜になりそうです。
 病院で父が書き始めていた『自分史』、中途で終わりましたが、そこには見事な人生が記されています。宝物として手元に置き、僭越ですが続きを書かせてもらおうと思っています。それは、まさしく大正から昭和への時代史でもあります。
 父の直接の死因は肺ガンです。最後は禁煙をしていた父の棺の中にキャスターマイルドを1箱入れました。
 新しい地で、たっぷりと吸い込んでほしいとの思いをこめ、私はマイルドセブンの紫煙を棺に向けて漂わせています。
 本当にありがとうございます。
 皆さんの文章に胸を熱くしております。こんなにたくさんの方から見送りの言葉をいただき、父は幸せものと、明日、出棺の時には伝えたいと思います。
 梅雨にみまごう細かな雨、眠らぬ夜は続いていきます。
 皆さん、良き夢を...。



2004年06月08日(火) 天気:曇り時々晴れ間 最高:24℃ 最低:16℃


 このところ、弟からのメールと電話が増えていた。着信の音を聞き、相手が生まれ故郷に住む弟と判ると、私はひと呼吸おいて受信をしてきた。
 
 そして今日、弟からの電話は、父の意識が薄れたと伝えてきた。
 それでも、24時間付き添っている母を病室に残し、弟が父の耳元で「じゃあ、帰るよ。。。」と言うと、かすかに頷いていたという。医師も驚く体力と気力を父は示している。
 
 弟のメールにも書かれていた。
 父は、どんな状況になろうと矜持を保ち、まさしく父であると....。
 痛みも弱音もけして外に出さないまま、今、人生最後の道を1歩1歩、確実に歩んでいる。
 
 できれば側で声をかけたい。
 しかし、親不孝な長男は、50を過ぎての新しいチャレンジの舞台でもがいている。明日は、その中でも重要な日、北への飛行機には乗る事ができない。

 札幌の娘に連絡をした。彼女が一足先に名寄に向かう。私と女房、そして息子は明後日の移動になる。
 何かに祈る気持ちはない。
 堅実に、そして力強く歩いて来た父のゴールが、穏やかであれと、そう思うだけである。

 2月末、故郷で父の叙勲祝賀会があった。ムツさんからの祝いの花に、ことのほか喜んだ父だった。
 その時の写真は病床に飾られ、真面目な顔をした父と母が花を囲んで並んでいる。
 しかし、ここ10年、カメラを向けなければ、それこそ子供のような笑顔があふれた父だった。
 少年の頃から、朝4時から夜の10時まで、家族を支えて長い間働いてきた父の晩年の笑顔に、私は感謝とともに、もっと多くの事を話したかったと後悔の気持ちもある。
 
 穏やかに、父よ。。。
 



2004年06月07日(月) 天気:梅雨 最高:23℃ 最低:16℃

 天気の欄に梅雨という記載がいけないのは分かっている。でも今日のような忙しい天候の時には、この一言で理解されるだろう。従って今日の天気は『梅雨』とした。

 私は犬を室内で飼うことを強烈に勧める人間のひとりである。しかし、北海道の我が家では、出産やリハビリ、老いなどの理由以外では、まれにしか犬を家の中に入れていなかった。まあ、20数匹もいると、それも大きな犬種が多いと、物理的に無理なこともあった。
 さらにもうひとつ、庭先を中心に、群れとしての犬を観察、考察するために、あえて室内には入れなかった。

 そんな連中が、今、隔離室という特殊な空間、特別な理由とはいえ、室内犬の暮らしをしている。
 レオンベルガーにサモエド、そしてラブに柴、さらにフレンチブルと犬種も賑やか、1匹ずつのケージに収まり、集団生活である。

 少しは心配をしていた、大小便の失敗が多いのでは、啼き騒ぎパニックになるのでは、、、。
 それはすべて杞憂だった。
 彼らは、人間の言葉を待ち、理解し、与えられた環境の中で、自分のリズムを作ろうと努力してくれた。どうしても小便が我慢できなくなれば、瞳で訴え、トーンの高い鳴き声で伝えてくれた。

 今日は、ほとんど1日を彼らとともに暮らしている。明らかに昼寝の時間は北での日常よりも長い。しかし、厳しい隔離室での暮らしを恐れたり、攻撃的になっている子はいない。あれほどケージを嫌がっていたカボスさえ、2日目からは素直に自から中に入るようになった。

 これは、大好きな人間が側にいてくれることで、ますます安定に向かう。

 「ボク、どうすればいいの、教えてね、がんばるから。。。」

 犬たちの瞳が語るこの言葉に感激しつつ、私はクーラーの効いた隔離室の中で、大切な仲間の犬たちと室内生活を行っている。
 すぐ横の池からはウシガエルの大きな声が響き、雲の切れ間から北海道の我が家なみの星が確認できた。


 



2004年06月06日(日) 天気:曇りのち雨 最高:22℃ 最低:17℃


 9時過ぎに雨に変わった。どうやら梅雨入りらしい。30数年ぶりに本州での暮らしをする。まあ、若い時に暮らしていたアパートと比べると、暮らしを形作る建物や持ち物には、天と地の差があるので何とも言えないが、やはりすっきりとはしないのだろうと、一応の覚悟はしている。

 昨夜、仲間がホタルを見つけた。それも我が家の犬たちが隔離されている建物のすぐ横で。
 残念ながら私は見ていないが、これは良い知らせと感激している。新しい地が、アオダイショウやカメ、そしてアリジゴグにカワセミ、さらにホタルと、命あふれる場所であることが、どんどん証明されていくからだ。
 その場所で、自然をバックに犬やネコ、そして馬たちと命の絆のドラマを展開する。これは私たちにとって夢の舞台であり、壊すことなく、いつまでもホタルとともに演じ続けたい。

 北からの電話で、妊娠しているネコのエが順調だと息子が伝えてきた。西多摩に来ている金や銀の弟妹が生まれる日も近い、初めて息子にまかせての出産、これも楽しみのひとつだ。



2004年06月05日(土) 天気:晴れ 最高:29℃ 最低:15℃


 快晴、午前中はどうなるかと思ったが、午後からは適度の風が出て、まあ堪えられる暑さになった。

 今日は第3班の駆虫薬投与の日、東京都獣医師会のS先生に来ていただき、犬、ネコたちの体重に合わせて飲ませた。
 ひとつひとつ手順を踏み、確実に前に進む、今はこれが重要だ。

 親分のマロ、数えで14歳という年齢もあり、状況の変化を少し気にしていたが、案ずるよりのケースで、実はもっとも落ち着いている。さすがに親分、いや、単に老いたために細かな事に気を使わぬようになったのかも知れないが、どちらにしても安心する私である。



2004年06月03日(木) 天気:晴れ時々曇り 最高:25℃ 最低:16℃


 我が家の10匹のネコに続き、16匹の犬たちが西多摩に揃った。
 その連中の今日の様子を記してみよう。

 *ネコ(すべて隔離から解放されている。ネコ舎暮らし)
 
ニャムニャム
 お気に入りのダンボール箱に入り、居眠りを楽しむ。
ミンツ
 シンガプーラの時男、アメショーのルークとのうなり合いをす  
 る。
カール
 引っ越し荷物のダンボール箱の上で、日光浴を楽しむ。
フィラ
 突然、エンジンがかかったように駆け回って、周囲のネコたち
 を驚かせていた。
チャーリー
 人間が相変わらず大好き。姿を見つけると、ひたすら啼き、す
 り寄って頭をこすりつけていた。
ワイン&パドメ
 発情がピーク、男を呼ぶ声が部屋に響く。今回は結婚をさせな
 いので、母娘の2匹は、ケージに隔離されている。
金太郎
 とにかくよく食べる。誰かの残した餌があろうものなら、ひた
 すら口を動かしていた。めざせポン太(Cさんの飼われている8
 キロネコ)。
銀次郎
 クーラーによる鼻水も収まり、チャーリーと同じように、人間 
 を見つけると啼いて挨拶に寄って行く。じゃらし棒でよく遊
 ぶ。
小次郎
 戸外に行きたいと、窓の桟に乗り、西多摩の光景を眺めている
 時間が多い。小顔のハンサムネコ、ツブレ顔のニャムとともに 
 研修生に人気がある。

 *犬(すべて隔離検査中)
マロ(サモエド)
 食欲順調、大小便快調、ただし床にシートが敷かれているの
 で、不自由な足ゆえに立ち上がる時に苦労している。夕方から
 布を置いてやる。
シバレ(柴)
 狭い部屋の中に多数のオス犬がいるので、独立(安心)の距離
 がとれず、ケージの中でうなることもある。しかし、人間には
 穏やかで食欲旺盛。
シグレ(柴)
 しばらく会わないうちに、肩がアメフトタイプになっていた。
 餌の量はそれほどでもないのに、確実に体重を増やしている。
ベルク(レオンベルガー)
 私と女房、そしてKくんやAくんの姿を見つけると、独特の太い
 声で『出して!!』『遊ぼう!!』と催促をする。良く食べ
 る。
カボス(レオンベルガー)
 あれほど嫌がっていたケージに、すんなりと入るようになっ
 た。慣れただけではなく、もちろんジャーキーの効果もある。
オビ(サモエド)
 クーラーをガンガン効かせているのに、常に暑いと主張してい
 る。ケージの中にヨダレの跡が無数にあった。ウンコ、いつも
 より細い。
タドン(フレンチブル)
 ひたすらケージの中で寝ている。餌を食べ、大小便を済ます
 と、また寝ている。
ラーナ(サモエド)
 一番環境の変化に驚いていた子である。今日は、周囲を落ち着
 いて見回す余裕が感じられた。食欲は旺盛。ただし軟らかい大
 便の時もある。
ラッキー(柴)
 交通事故で骨折し、そのリハビリ期間は我が家の今で暮らして
 いたので、兄弟の中で一番ワガママな子になっている。しか
 し、それが可愛くて、皆が声をかけている。
ゴン吉(柴)
 メス犬のような優しい顔をしている。すでに新しい環境に順応している。
チャチャ(柴)
 オス犬のような顔をしたメス柴(王国7代目)のチャチャ、ご
 機嫌に餌を食べていた。
タブ(ラブ)
 川へ、海へ、水たまりへ行きたい、、、との主張をケージの中
 から目で示している。辛抱だよと言い聞かせている。爆食中!
ベコ(ヘアレス系ミックス)
 見張りの仕事ができず、ケージの中で腹を上にふて寝(?)を
 している。体力温存中かも知れない。
ポチポチ(フレンチブル)
 メス犬の香りは逃すまいと、嗅覚を最大レベルに保っている。
セン(ラブラドール)
 オビと、カボスと遊びたいと、目と声で主張している。早食い
 1番。
ダーチャ(サモエド)
 ここは耐える時と理解しているかのように、ケージに進んで入
 り、人間の手を煩わさない。餌は夕方半分、次の朝、残りの半
 分を平らげている。


 さて、明日はどのような顔を見せてくれるだろうか。
 元気に行こうな〜、みんな!



2004年06月02日(水) 天気:曇り時々晴れ間 最高:24℃ 最低:16℃

 1991年8月。
 私は空港にいた。成田、そこの貨物基地、動物検疫所への途中だった。
 係員に誘導されて、私は広い建物の中を歩いて行った。

 「今まで扱った犬の中で、皆の1番人気なんですよ、とにかく愛想が良いというか、笑顔というか。。。」

 30代の男性は、先にたって歩きながら、笑顔で語ってくれた。その犬は300サイズのケージに入っていた。囲いのわずかな隙間からも尾を振り、笑っているのが分かった。
 イギリスから着いて間もないマロ(まだそう呼ばれる前の事だが)の姿だった。
 サモエド種、オス、真っ白な身体がしっとりと濡れていた。長旅の疲れも見せず、異国語に囲まれた中で、ひたすらサモエドとしての仕事(クリスマス犬)を生後4ヶ月の身体が行っていた。

 2004年6月2日。
 私は空港にいた。羽田空港到着ロビー。
 待っていた犬は、13年前と同じ子だった。マロ、数えで14歳。足と肩をいためて5年、ぎくしゃくとした歩き方にはなったが、今も我が家の20数匹の犬たちに尊敬され、時に恐れられている親分だった。
 
 女房が、腰に赤と黒の2個のウエストポーチを付け、大きな台車を押して現れた。ギシギシときしむ台車の上には400サイズのケージが乗せられていた。
 その中で、白い犬は舌を出し、焦点の定まらぬ目、いいや、空中のある1点を凝視するかのような瞳で、わずかながらヨダレを流していた。

 「マロ!」

 何か喋っている女房は無視し、私はケージの中の犬に声をかけた。マロはゆっくりと私に焦点を合わせ、入り口の扉から私の臭いを嗅ごうとした。

 「ごめんな、今は触れないんだ、隔離場所まで待ってくれっ!」

 2週間はゴムの手袋を間に入れての接触が続く。その後で、検査の結果がOKであれば、晴れて、私はマロと妨げる無用な物なしに体温を交差できる。
 世界中で最高レベルの寄生虫症に関する対処法を行い、北の犬たちは西多摩に越して来ている。2週間後、エキノコックス症に関して、マロは世界でもっとも安全な犬となって大地に足跡を印す。
 その時に、ぎくしやく歩きが酷くなっていないように、隔離の間、心をこめて私たちは世話をしていくつもりだ。



2004年06月01日(火) 天気:雨のち曇り 最高:21℃ 最低:16℃


 6月は冷たい雨で明けた。
 そう北海道への電話で話すと、16度もあるなら暖かいと声が返って来た。
 いつの間にか私の感覚が、東京人になっていることに驚き、同時に生き物の順応性の素晴らしさを再認識した。

 カボス、オビ、セン、タブ、ラッキー。。。今日も我が家の犬が西多摩に増えた。昨日、一昨日とは変わり、強い日射しの隠れた旅のせいか、検査の後、みんなあっと言う間に餌を平らげた。
 どんな事があっても食欲は命のバロメーターになる。病気であろうと、思わぬストレスにさらされようと、場所が1000キロ離れようと、とにかく食べてくれれば一安心である。

 明日、マロ親分たちが女房を連れて来る。これで石川家の連中が、ひとまず勢揃いとなる。
 もちろん、北の地にはカザフやアラル、そしてカリンなどの犬や、レオ、ルドを筆頭に10匹近いネコたち、そしてキツネのハックやラップ、ヤギのメエスケ、コッケイ一族、ウサギなどが残っている。当面は息子の弦矢が彼らの世話をすることになっている。
 すかすかの感じがするだろうが、穏やかに過ごしてほしいと、ひたすら願っている。

 オビたちが到着した時、隣の隔離室に入っていたダーチャやラーナたちが鼻声で鳴いた。厚い扉で隔てられていたのにもかかわらず、仲間の到着を感じていた。
 新しい地で、ゆっくりと生活空間を再構築してほしいものだ。その際に役立つのは、やはり『群れ』としての仲間意識だろう。

 明日、気温は26度の予報。また車のクーラーは大活躍をしなければならない。私はマロと女房を乗せる。