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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2004年09月18日(土) 天気:曇り 最高:29℃ 最低:24℃


 連休が始った。王国は家族連れの皆さん、若いカップル、そして好きな犬、ネコの前で何時間も座っていられる方が大勢来られた。
 



2004年09月17日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:30℃ 最低:24℃

 大勢の若者たちに会った。
 彼らの前で話をする時は、できればエネルギーを分けてもらいたいと、虫の良いことを考えている。
 しかし、それは無理と、最近は悟りに似た思いを持つようになった。
 逆に、どれだけ私が彼らにパワーらしきものを示すことができるか、えらそうかも知れないが、そう思うことにしている。
 
 若い皆さん、もう少し、大きな事柄と闘うエネルギーと手法を表に出してみませんか。いつの時代も、社会はそれを許す度量を備えていますよ。



2004年09月15日(水) 天気:曇り時々晴れ間 最高:26℃ 最低:19℃


 車いすの方が、連日、王国に来られている。
 
 30代の方のひざに、ネコのニャムニャムが上がった。不自由な右手を時間をかけて動かし、Aさんはニャムの頭に指先で触れた。ニャムは頭を傾けて回し、力を入れて細く白いAさんの指にこすりつけの挨拶をし、尾を立て、身体を前傾させて親愛を示した。
 Aさんの頬にエクボが現れ、首が揺れ、そして声が高くなった。

 レストランで昼食をする時間になり、車イスが帰り道に向いてからも、Aさんは懸命に首を回してニャムの姿を追っていた。
 胸の中が熱くなり、私はニャムを抱き上げ、笑顔で見送った。

 明日、また新しい出会いがある。その主役はネコであり、犬である。



2004年09月14日(火) 天気:薄曇り 最高:31℃ 最低:20℃

 「やられました、ゴンとチャチャに....」

 出勤をすると、昨夜の宿直だったきょうたクンがそう言った。

 「柵の出入り口はきちんと閉めていたのですが、上手にかんぬきを開け、2匹で脱出。そして昨日交換したばかりのダスキンさんのマットをかじりました」

 「鍵は?」

 「かんぬきの部分に、いつものように引っ掛けておきました。普通はこれで十分ですよね〜」

 「どうやら、ゴン吉が前足で隙間からガシャガシャと動かし、そのうちに外れ、そこにチャチャが加わって扉を押し、見事に出るようです。今朝、何度か実験をしたところ、そんな感じで共同作戦をしていました」

 もちろん、ゴン吉とチャチャが柵から出たとしても、王国の外に脱走するわけではない。もうひとつ頑丈な柵があるのでそれは不可能だった。彼らはイタズラが得意なので、夜間、5坪ほどの内柵に入れられているのだった。

 私は、頭の中で1匹の白い大きな馬を思い出し、笑顔になっていた。

 「じゃあ、今日から鍵をガシャンとしなければならないね、やるもんだ2匹ともに....」

 きょうたクンの横で、ゴンとチャチャが取っ組み合いをし、それに兄弟のラッキーが加わり、そこにフレンチブルのポチポチが乗るチャンスをうかがっていた。白熱した遊びが続き、年かさの行った連中は、この暑いのに、とでも言いたそうな目つきで若い犬たちを眺めていた。

 白い大きな馬、そうペルシュロン種のフユのことだった。彼女は20歳を超えたころに王国にやって来た。もう30年前のことである。
 フユは唇が器用に動く特技と、年を重ねた知恵を備えていた。
 当時、馬用のエンバクなどは外のタンクではなく、小屋の中に置いてあった。
 その小屋の出入り口は左右への2枚の引き戸であり、合わせた時に凹凸の器具を重ね、その凸の部分に穴があり、そこに錠前を掛ける仕組みになっていた。
 いちいち錠前をするのは面倒と、私たちは長さ60センチほどの番線(太い針金)をUの字に曲げ、それを引っ掛けて鍵にしていた。

 フユは、小屋の中に美味しいエンバクがあることを知っていた。人間の目が消えると、彼女は戸口の前に立ち、唇で番線をくわえて動かし、上手に外すと、今度は戸の間に舌と唇を入れ、横に引いて開けていた。
 後は頭、肩、と入れて行き、見事に侵入を果たしてエンバクを口にしていた。

 他の馬たち、そして当時、ミルクを出してくれていたホルスタインのボンたちは、フユが小屋の前に近づいただけで、次に何が起きるかを知っており、期待を込めた目でフユの後ろに立って鍵開けを待っていた。

 何度か、この光景を目撃し、過食による事故をおこさないようにと特別な錠前に替えることにした。
 その後も、しつこく泥棒になろうとしていたフユの真剣で可愛い姿を久しぶりに思い出し、なにか得をした気持ちになった今日の報告だった。
 さて、ダスキンさんには何と謝ろう。

 



2004年09月13日(月) 天気:薄曇り 最高:30℃ 最低:19℃

 新しい王国に対して、希望がたくさん寄せられている『ドッグラン』の準備にかかっている。当初から計画の中に含まれていたが、ハード、ソフト面での問題があり、スタートが遅れていた。
 
 10年以上前になるだろうか、バブルの頃に、私は土地を寝かせている方に呼びかけた、「ドッグラン」として開放してくれませんか、有料でも利用はありますよ、と。
 当時、ドッグランの名称も意味も、あまり理解されていなかった。でも、これからの時代、ほとんど全ての犬が家庭犬、コンパニオンとしての役割を担う時代にこそ必要だと思っていた。

 そして今、全国各地に公営のものから民間の経営、有志の善意で作られたものまで、数多くのドッグランが作られている。
 だが、本当にその施設が有意義に動いているかと考えると、いくつかの疑問にも突き当たる。それは、現実に利用をされている方の声を聞くとはっきりとし、なんとか改善をと願ってしまう。
 まあ、様々な問題はどこにでも起き得る。それをどう前向きに対処していくか、それだけだと思う。
 
 しかし、ある獣医さんが言っていたことが、どうにも気になる。それは『登録されている犬は、半数もいないんではないの。もちろん狂犬病のワクチンもしていない事になるね....』である。
 あるデータでは、日本での犬の登録は7割以下だと書いてあった。法律的には残りは隠れ飼い主だと。首都圏では、その割合はもっと多いとも付記されていた。
 
 これは良くないと思う。犬たちにとってもせつない事ではないだろうか。
 それをふまえ、王国で開くドッグランでは、利用のために3つの約束事を決めた。
 *鑑札番号の提示
 *狂犬病ワクチン接種の確認
 *混合ワクチン接種の確認
 こうすることで、利用される皆さんが安心して楽しめる空間への第一歩になると思う。
 さらに、そこには必ずインストラクターが常駐し、他の犬との交際が苦手な子の導き役を担う。時には、挨拶、遊び上手なインストラクト犬もいて、犬たちの社会性を強固にする(言い換えると、楽しく遊ぶ相手役)役を担う。
 そして、広さに合わせた利用する犬の数の制限(完全予約制)。

 ああ、準備を急ぎ、1日でも早く多くの犬たちと遊ばなければ。



2004年09月12日(日) 天気:晴れ時々曇り 最高:30℃ 最低:20℃


 このところ週末になると陽光に見放されていた。そのうっぷんをはらすような好天、心も躍り、つい犬たちにかける声も大きくなっていた。
 
 多くの方が、こんな天候を待っていたのだろうか、今日は開国の時間からたくさんの方に来ていただいた。
 一昨日から始った乗馬のコーナーでは、長く待っていただくこととなり、申し訳ない気持ちになった。
 ネコたちは、回廊よりも大地を好むものが多く、草むらやコンクリートの上を、人ごみを気にせずに堂々と歩いていた。虫が多い季節の到来、木の陰で足踏みをしながら狙いを定め、急襲の動きをして私たちを楽しませてくれる子もいた。
 そうそう、茶トラのうーちゃんは、7センチほどのカマキリと正面から相対し、カマキリの威嚇に前足でジャブを出していた。その姿が愛らしく、ついカマキリの救出を忘れてしまった。
 でも一安心、うーちゃんは、相手を弱らすことなく次のターゲット探しに出かけ、カマキリは無事にあじさいの葉に消えた。

 ネコと犬たちで始った東京での雑居スペース、どうやらリズムが出来てきた。この姿をどんどん発展していかなければ。
 大勢の方の笑顔と声に、あらためて心を引き締めた。



2004年09月11日(土) 天気:曇り時々晴れ間 最高:27℃ 最低:19℃


 
 久しぶりに穏やかな土曜日となった。気温も適温、犬やネコたちも、そして来られたゲストの方も、私たちも汗をぬぐうことも、ため息をつくことも、そして日陰やクーラーを求めてさまようこともなかった。
 
 朝から外出自由となっているネコたちは、すっかりエリアを認識し、思わぬ所で出くわすこともある。
 
 「さあ、皆さん、ネコを探して下さい。木の上、屋根の上、草陰、柵の上、ベンチの下。。。さて何匹見つけられるでしょう」

 そんなことを大声で叫び、何故、犬と違ってネコが見つけにくいかの話をさせていただく。『行動学』と大げさにネーミングはしないが、私たち人間にとって普通の存在のイエネコが、実は不思議をいっぱい持っていることの楽しさをお知らせしている。

 サモエドのダーチャは、相変わらず茶トラの子ネコのうーちゃんにご執心だ。ゲート近辺のゲスト迎え係として活躍をしてきたダーチャが、すっかり子ネコのストーカーになっている。どの子とどの子が波長が合うかは、私たち人間には判らない。
 ダーチャとうーちゃんの親友関係(ダーチャの庇護心の強い関係)が、これからどのように展開していくのか、楽しみにしている私だった。



2004年09月10日(金) 天気:曇り時々雨 最高:26℃ 最低:19℃


 新しい王国に来られた方のなかには、かなり遠方と言われる方も多い。
 先日は熊本のDさん、そして今日は四国からRさんが笑顔とともに、犬やネコたちの前に立って下さった。私にとってお二人は久しぶりの再会。そして初めて出会っての挨拶の方も大勢いらっしゃる。
 これまでは、ホームページ上で気持ちの交流をしてきた方々を、実際に目の前にして会話をすることに、何の違和感も、特別な構えもない。
 挨拶の段階から、気楽に、旧知の親友のように言葉が進むのは、皆さんが、あるがままの姿でネットを利用しているからだろう。

 今日から、馬たちのエリアで乗馬が始った。
 やはりドサンコは乗るべき馬、家畜である。馬たちの背の上で皆さんが笑顔になっていた。それは見ている方にも伝染し、やがて周囲が穏やかな空気に包まれる。
 乗馬の良いところは、初心者でも経験者でも、ほんの少しの勇気、慎重さが求められるところだろう。自らの心と身体を律する素晴らしい機会、それが乗馬であり、さらには大きな生き物、温かい心を備えている馬たちとの会話が可能な時間だと思う。
 これこそ、今の子供たちに私たち大人が提供しなければならないのではないだろうか。『ほんの少しの勇気』が必要なチャンスを。



2004年09月09日(木) 天気:曇り 最高:29℃ 最低:21℃

 王国は施設のメンテナンスで休みとなった。
 砂を運び、倉庫を作り、荷物を片付け、たまっていた書類を作成した。
 犬たちは、いつものように名前を呼んでもらえず、なんとなく寂しそうに見えた。忙しげに動く私たちを見つめ、何事かと考えているようだった。実は、百友坊の犬たちはゲストの方がいないことが寂しい。入り口で待っている子もいた。
 
 さて私は所用がまだ終わらず、今もパソコンと見合い中。
 すみません、日記、ここまでです、現在のところ。。。



2004年09月08日(水) 天気:晴れ時々曇り 最高:33℃ 最低:24℃

 台風18号は日本海から北海道の西海岸沿いに北上し、道北で上陸した。いつもなら北の地に近づくにつれ勢力が衰えるはずが、なぜか元気になり、猛烈な風を引き起こした。
 トラックが横転し、屋根が吹き飛び、北大のポプラ並木が根から倒れていた。
 そんなニュース画像を見て、ただただ北の地の被害が少ないことを祈っていた。

 昨日に続いて死の知らせになってしまうが、ドサンコ(道産馬)のユキが死んだ。35歳、母親のポンコには3歳ほど足りないが、それでも人間ならば100歳を超える大往生である。
 浜中の大地の上で、前足をいつものように後ろに折り、まるで眠っているような姿でユキは旅立った。
 今から31年前、私が初めて草競馬に出場した時に騎乗した馬だった。ムツさんのポケットに入っているリンゴが欲しいと、どこまでもついて回る可愛い馬だった。
 何頭もの子馬を出産して王国ドサンコ群の基礎を築き、そして穏やかに晩年を過ごしていた。

 ありがとう、ユキ、君は素晴らしい馬、仲間だった。

 これで、1971年、無人の島、『ケンボッキ島』でムツさん一家と暮らした生き物は、すべて私たちの前から姿を消した。しかし心の中では、グルもケンも、ポンコも銀も、そしてユキも、しっかりと息づいている。



2004年09月07日(火) 天気:曇り時々晴れ間と雨 最高:29℃ 最低:22℃

 もう20年近く前になるが、ある葬儀に出席したことがある。亡くなったのは幼児であり、家の中での事故だった。
 その葬儀は無念に満ち、重く、そして悲しかった。子供の葬儀ほど辛いものはない、と聞いてはいたが、それは私の想像を超えていた。

 6月の父の旅立ち以後、私の周辺では別れがいくつかあった。
 東京への移動を前に事故で死んだのはチベタンスパニエルのハニーだった。チベタンにしては大柄なあの子の穏やかな顔が頭に浮かび、可愛がっていたTさんの涙を思った。

 我が家の親分だったマロが去っていったのは8月10日だった。あまりにも急な旅立ちだったが、14歳という年齢、その時間、互いに顔を見ながら積み重ねた経験もあり、涙はたくさん出たが、状況をBBSなどで報告し、落ち着いて見送ることができた。

 そのマロを追うように、私の大好きな犬の1匹だったハスキーのヒースが急逝した。前日、私は彼に一切れのジャーキーを与えていた。瞳と前足でもっととせがんできた。残念ながら与えたのはポケットの中の最後のかけらであり、またね、と言って別れたことを悔やんだ。
 でも、あいつも10数年つきあった仲間であり、驚きと悲しみの中で、笑顔で『ありがとう』と伝えることができた。

 ネコのアーサーキッドも旅立った。この子も14歳、若い頃の堂々とした姿は老いに変わっていた。しかし、あくまでもアーサーであり、アメリカからやって来て長く私たちのすぐ横で彼自身の生き様を見事に見せてくれた。これまた『ありがとう』だった。

 同じ頃に、実はもうひとつの死があった。
 だが、私は言葉に出来なかった。文字にも出来なかった。
 あくまでも正直であれ、と心に決めているが、それでも書く事が出来なかった。
 それは無念な死であり、期待されていた子の死であり、ある意味で今回の王国の東京展開のメモリアル的な存在と、密かに私と女房が計画して出産をさせた子ネコの死だった。
 父親はいつまでも北海道で暮らすと決めたオットくん、母親は三毛ネコのエだった。エは出産と育児を終えた段階で、子ネコたちとともに、北と南の架け橋となるべく、上京をさせる予定だった。
 
 6月中旬、4匹の子ネコが生まれた。オス2匹、メス2匹、元気な産声を響かせてくれた。
 東京での開国準備に父の葬儀が重なり、面倒をみる予定だった女房が、北海道を離れ、出産は息子と残っている仲間たちに任せた。
 育児は順調だった。もちろん大きさに差はあるが、4匹、無事に離乳が始った。
 その頃に、メス2匹に問題が発生した。電話でやりとりを繰り返し、手当の指示を出していた。

 そしてマロの死の数日後、治療のかいなく、2匹のメスの子ネコは相次いで死んだ。
 息子に死の原因を調べてもらえ、と指示をした。ネコに詳しい仲間に他の子の様子を確認してもらった。母親の様子も問い合わせた。
 
 東京の王国には、母親のエと1匹のオスの子ネコを連れてくる計画だった。メスの2匹は長く待って下さっていた方の所にもらわれて行くことになっていた。
 それが果たせなかった。
 それが知らせられなかった。
 原因が判ってから、状況が判明してから....などと思ううちに時間は過ぎて行った。

 マロに向けて連日たくさんの花や言葉が届いていた。それを並べながら、私は自分の手で抱く事のできなかった2匹の子ネコに思いを振り向け、白や黄、ピンクの花の先に、写真で記憶していた子ネコの姿を描き、マロの写真に向けて『半分はあの子たちのために飾るよ』と詫びた。

 誰も知らないことだった。
 女房すらも気づいていなかっただろう。
 マロに寄せる『ありがとう』だけではなく、無念の死、あまりにも重い2匹の子ネコへの気持ちから、狭いスペースに場所を取るマロの花束の祀り壇を片付けられず、今もそのままになっている。私の心の中では、そこには1匹の白い老犬と2匹の子ネコがいる。

 今日、ある新聞社で連載をしている読者の相談室の依頼原稿が届いた。ペットロスに関する相談だった。
 この問題に関する私の答えは決まっている。せひ次の子を、そうすると死んだ子との素晴らしい体験、熱い記憶がすべて蘇り、さらに新しい感動が......と言い続けてきた。

 しかし、1度も抱くことができなかった子、じゃらし棒で遊ぶことのできなかった子、自分のひざの上で眠る姿を見られなかった子の死は、実は辛い。
 息子を責める気もない、転地をすることになった自分や女房の日常をいさめる気もない。だが、子ネコたちの死は歴然と目の前にあり、そして心に強くしみ込んだ。
 
 「あははは、この自分がペットロス」
 そんな自嘲の笑みを浮かべ、風と雨の強い音の中でも腹を見せ、いびきをかいて寝ている犬たちの姿を見ながら、この日記を書いている。
 やはり生きる事は具体の積み重ねだと再確認をした。この手で世話をし、介抱をしてこそ生活だ。思いだけの立場が、いかに切なく、そして辛いことか。

 2匹を待ち望んでいたご家族の皆さんに、あらためて心からのお詫びをさせていただきたい。元気な姿で届けられす、申し訳ありません。
 そして今、私は20数年前の、あの幼児の葬儀の場を思い出している。

 



2004年09月05日(日) 天気:曇り時々小雨 最高:22℃ 最低:18℃


 朝、フロントガラスに貼り付いた落ち葉を取り除こうとしていると、視線の先でキジトラ模様のネコが路肩から見つめていた。
 昨夜のネコだった。毛づくろいが終わったのか、それとも上手に雨宿りができたのか、被毛には濡れた痕跡がなかった。
 ネコが利用している軒の隣の家の方が歩み寄り、ほうきを手にネコに話しかけてた。ネコはゆっくり身体を起こし、ほうきに身体をこすりつけていた。
 こんな日常、私はため息がでるほど好きだ。

 大きな犬が苦手なJちゃんが王国に来た。元気なお母さんと一緒だった。もう3、4回の来国になるだろう、王国内の様子は詳しく知っているJちゃんは、まっすぐネコたちのいそうな場所に小走りに駈けて行った。
 お母さんは追いかけようとはしない。なじみの私たちと会話を交わし、笑顔を交換していた。
 Jちゃんが犬を苦手としていることは、数年前の初対面の時から分かっていた。普通のお母さんならば、これはこの子の個性、まあ、今は小さいからしょうがない....等々の理由を付けてそのままにすることもあるだろう。
 しかし、Jちゃんのお母さんは違った。大きさも姿も多種多様な王国の犬たちの世界へ愛娘を連れてきていた。

 子供たちの成長変化は大人の計画や想像を超えることが多々ある。そんな光景が暗くなりかけた王国内の石川百友坊で、今日、たしかに起きた。

 私は数人のゲストの方たちとともに建物から50メートルほど離れたコンクリートの広場にいた。ベンチに座り、鼻歌を歌いながら皆さんが数匹の犬たちと笑顔で交流しているのを眺めていた。
 右側、施設の入り口の方向から少女が現れ、犬たちが2メートルほどの間隔で寝ている様を見て足を止めた。
 数秒だったと思う、彼女が何かを考えていたのは。足はその場にいた犬の中で、体重47キロ、もっとも大きなレオンベルガーのベルクに向き、歩を進めた。

 彼女は、伏せて寝ているベルクの右肩口に腰を下ろし、そして優しくベルクの頬、額、頭に手を添えた。

 そこに20代のカップルが近づいて来た。彼女は恥ずかしいことが見つかったかのような笑みを浮かべ、立ち上がると母親のいそうな建物の方に駈けて行った。

 「Jちゃん、大きな拍手だよ、君は自分の体重の何倍もある犬と、今日、見事に友だちになったよ」



2004年09月04日(土) 天気:曇りのち雨 最高:27℃ 最低:21℃


 予報が外れ、何とか午前中は雨にならずに済んだ。しかし、午後になってしとしとと降り出し、暗くなってからは山肌をきらめかせる稲妻と強い雨が西多摩を襲った。
 先日の雷で故障のことを知人から聞いていたので、あわててパソコンの電源を落とし、しばらくの間、闇夜に織りなす自然の光跡の見事さを眺めていた。
 
 ふと気づくと、狭い道を挟んだ向いの家の軒に1匹のネコの姿があるのに気づいた。雷光がスポットライトのように形を浮き上がらせ、背を丸くして雨を避けるネコの表情すらも見て取れた。
 ネコは怯えていなかった。ただ、じっと嵐が過ぎるのを待っているようだった。
 
 女房がよく見かけていた子だろう。避難している場所は、普段から昼寝の姿が見られる所だった。
 臆病さ(慎重さ)を基本に生きている生き物だけに、この子も自分だけの安心の場を持っている、それを認めてくれている家の持ち主さんに拍手を贈りたい気持ちになった。

 雨は11時に止んだ。
 あのネコは狩りに出たのだろうか。そんな事が気になった。



2004年09月03日(金) 天気:曇り時々晴れ間 最高:29℃ 最低:22℃


 只今、NEW LOOP 編集中です。
 本文は後ほど....。



2004年09月02日(木) 天気:晴れ時々曇り 最高:30℃ 最低:23℃


 カールがいた。ハンナが尾を立てて寄って来た。小次郎が台の上で伏せ、茶トラのうーちゃんがサモエドのダーチャと追いかけっこをしていた。
 グレーの姿を輝かせてロシアンブルーのフィラが床の上で転がった。キジトラ模様の銀次郎がガラクタに身を隠し、飛びつく対象を探していた。

 ネコたちの建物から50メートル離れた屋根だけの建物周辺は、いつにも増してネコたちで賑やかだった。
 それを見つめ、ダーチャ、カボス、ベルク、ラッキー、シグレなどの犬たちと同じ空間で平和な光景を作り出していることに、来られたゲストの皆さんが笑顔になり、驚いていた。

 「凄いですね〜、犬とネコ、ケンカはしないのですか、ケガをしませんか?」

 えへへ、と心の中で私は鼻を高くし、そして、目の前のネコたち、犬たちに感謝をした。
 混在、雑居こそ、平和の証、平和を作り出すパワーを秘めていると思っている。思いやりはどたばたの中にこそ出現すると。

 そして5時間後、ネコたちは夕食を目指してネコ館に戻っていた。



2004年09月01日(水) 天気:晴れ時々曇り 最高:33℃ 最低:25℃


 西日本から北へ向けて駈けて行った台風の影響が、中標津の息子から届いた。風が強く吹き、いくつか物が壊れ、飛んだとのことだった。まあ、キツネや犬、ネコ、ヤギのメスケなどに被害がなかったのでよしとしよう。
 そして西多摩、今日も暑く、クーラーの効いた部屋には犬、ネコがよく入って来ていた。箱入りネコ(大地知らず)だったバッシュが戸外でたっぷり探検をし、遊んでいた。犬たちとの挨拶も見事で、かなりの大物ぶりを示していた。