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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2005年09月30日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:22℃ 最低:14℃

 先日の日記に重なるが、今日、白ネコのシロップは3回、皆さんの拍手を浴びた。ある競技を見事にこなした結果だった。

 犬のスポーツにアジリティという競技がある。ようするにハードルやスラローム、そしてシーソーなどの障害物を越えて行くタイムレースだ。
 全国規模の大きな大会も最近では何度も開かれており、為末選手クラスの犬は有名な存在となっている。
 もちろん王国でも15年ほど前から楽しんで来ている。いかにもの犬種、たとえばボーダーコリーやラブラドール、そしてジャックラッセルだけではなく、柴犬やコーギー、そして大型のニューファンなども楽しそうにハードルを越えている。

 それをあきる野の王国ではネコに広げた。
 百友坊の中には溝のような水路がある。その横には高さ120センチほどの柵が設けてある。その上に仲間たちが手作りの障害物を並べた。
 シーソー、ハードル、トンネル、Aフレーム、一本橋、スラローム、、、。
 総延長15メートルのフィールドが完成した。
 さて、ネコたちの練習である。彼らは犬のように、

 「スリー、ツー、ワン、GO!」
 
 では動かない。あくまでも彼らの自主的なスタート(やる気)を待たなければならない。

 心配、思惑を超えて、彼らは普通のこととして障害物をまたぎ、ジャンプし、登り、くぐった。

 「あははは、そうだよね、ネコはもともと樹上の生き物、高い所も、そこにある障害物も、避けなければいけない枝のような物だよね、、」

 以来、ネコたちは勝手に遊んでいる、夕方から夜にかけてが自主トレの最盛期、時にはスタート、ゴール両方からネコが歩き出し、途中で鉢合わせ、狭い通路なのですり抜けられず、一方がもう1匹を飛び越えるという新しい技も使っている。

 王国が開国時間中はネコ数匹がショーとして見事な動きを示している。その代表は1歳3か月のオスネコ、シロップである。彼は大好物の馬刺しがあれば、気温35℃の時でも元気にアジリティをこなす。
 ご褒美にもらった馬刺しをうまそうに食べるシロップに、皆さんからの拍手と『凄い』という声が今日も重なった。



2005年09月29日(木) 天気:曇り時々晴れ間 最高:22℃ 最低:15℃


 2歳のセントバーナードの会った。オス、体重は70キロを超えている大きな子だった。
 先日、王国のドッグランの話をさせていただいたお客さんが、さっそく連れて来て下さった。
 性格はきわめて温和、大きな体におおらかな心を備え、フレンチブルのオス、ポチポチがしつこくマウントをしても、叱らず、怒らず、悠然としていた。

 名前はレオだった。
 聞いた瞬間に、私はもう1匹のレオという名前のセントバーナードを思い出した。

 30数年前、私の心の中のレオは、長い旅の末に北海道の王国に辿り着いた。
 人を咬んでしまった犬だった。
 処置をされる寸前にムツさんに飼い主さんからの悲痛な連絡があった。当時、私たちは咬癖犬のリハビリを手がけていた。そのきっかけとなった犬もバーナードであり、名前をボス、以降、メスであろうと群れの親分でなかろうとバーナードにはボスと命名したのだが、その初代のオス犬だった。
 
 これも縁と、ムツさんはレオを受け入れた。
 やってきて5分で、レオは数人の王国メンバーを心に受け入れた。私もその一人であり、その後、餌、散歩等を行なった。

 ある日、餌を与えた時に、食器の下に棒切れがあり、傾いて食べにくそうなのに気づいた。
 私は、軽い気持ちで棒切れを取り除こうと手を出した。
 棒切れを握った瞬間だった。レオの瞳の色が変わった。
 レオは私の手をくわえた。
 万力のようなあごの力が増し、私の右手の甲は悲鳴を上げ、そして破れた。

 「ごめん、ごめん、忘れていたよ、お前は棒切れが嫌いだったよな」

 優しく話しかけ、空いている左手でレオの顔を撫でた。
 私の声に我に還ったのか、レオは口を開けた。犬歯の跡から温かい血が流れていた。

 レオはトレーニングに出され、根性棒を使われていた。
 今では少なくなったとは聞くが、それでもしつけの本などでは、棒はいけませんが新聞紙を丸めて、、、、と書いてあるものもある。
 犬から見れば、樫の棒も新聞紙も区別はつかない。長い物で殴られるという恐怖だけである。

 私も緊急の事態で犬を殴ることはある。しかし、あくまでも素手であり、殴った手で撫で、反省を促す。

 湘南のレオは棒切れとは無縁のレオだった。ストップのくっきりとした顔立ちは幼さを残し、大きなぬいぐるみを連想させた。
 大きな犬、バーナード、やはり素晴らしい犬と再確認をした。



2005年09月28日(水) 天気:曇り 最高:22℃ 最低:16℃

 
 王国のあちらこちらにある外来種の落葉針葉樹、ヌマスギの葉が色づき始めた。昨年に比べて今年は実の数も多い。これが油分をたくさん含んでおり、戦時中ならば松根油ならぬ松実油として戦闘機の燃料になったかも知れない。
 この油分がやっかいもので、犬たちの毛に付くとしぶとく残り、そこに土などが付着し、あたかも泥よごれのような犬が出現する。
 小川や池に実が落ちると、そこに油膜が浮き、無法者がガソリンを捨てたような感じになる。
 何かうまい利用法はないだろうか、松の実で焼き芋、、、そんなことも考えている。
 
 数ではもっとも多い各種のサクラは、もう葉を落とし始めている。サクラの葉は深い紅色になるが、1枚の葉がきれいに色づくことはなく、あたかもシミ、ソバカスの見本の様、、、。従って、この時期は誰も振り返ってくれない。やはりサクラは春にこそ命を燃やす存在なのだろうか。

 愛好家の皆さんには有名なアジサイも、枯れた花を残すだけとなり、再び来年の初夏に備える体勢に入っている。
 しかし、どんな世界にも必ず天の邪鬼はいるもので、今頃、開花をしている時忘れもいる。
 私はこんな花が好きだ。
 大きな株の広がりの中で、1輪だけ静かに秋日を浴びる白いアジサイ、そこにアキアカネ。
 そっと鼻を寄せて匂いを嗅ぐ。
 秋のアジサイもやはり無臭に近かった。



2005年09月27日(火) 天気:曇り 最高:23℃ 最低:17℃

 ベルク、今日は1日、私の姿を見つけると、異様なほど甘える仕草を示していた。
 距離が10メートルでも視線が合うと、自分はここにいるよ、早く来て、、、とばかりに首を振り、片方の前足を高く上げて甘えのポーズ、催促を繰り返していた。

 しょがない奴と、私がベルクに近づき、ジャーキーのかけらでも与えてていると、今度は息子のカボスが跳ねながら突撃してくる。
 ベルクとカボス、この親子、いつまでたっても仲がいい。普通は母親のほうが、特に男の子を拒絶するのだが、レオンベルガーの性格なのか、それとも個性なのか、ベルクはいつまでたっても幼い犬のようにカボスを扱い、周囲で跳びはねても、頭を寄せて寝ても叱りはしない。
 こんなことからも、レオンベルガーが大型犬で唯一の愛玩犬種ということが分かる。

 ベルク、食欲も旺盛、薬もおやつのように食べている。



2005年09月26日(月) 天気:晴れ時々曇り 最高:26℃ 最低:18℃


 9年前の9月、私は札幌のホテルでタローの死を聞いた。オオカミ犬のタロー、私の心に入り込んでいた犬であり、オオカミと犬を考える良い研究対象だった。

 不覚の涙でタローを埋葬した後、数多くの犬が周囲にいるのにもかかわらず、心の中に大きな穴が空いていた。
 
 そんな時、兵庫県のTさんから電話があった。日本で初めてレオンベルガーの子犬が生まれました、王国で1匹、いかがですかとの内容だった。
 犬種名は記憶にあった。しかし、頭の中で姿を描こうとしても霧の中だった。
 受話器を置き、犬種図鑑を開いた。
 大きな犬が私の心の隙き間に飛び込んで来た。
 
 私は兵庫県に飛んだ。
 Tさんを訪ね、子犬たちを胸に受け止めた。
 1匹のメスを選んだ。
 名前はベルクと付けた。

 今日、ベルクは横浜、そして辻堂の病院に行き、胸と腹にできた腫瘍を診察してもらった。
 様々な検査、そして治療を受け、薬を処方してもらった。
 2週間後の再度、詳細な検査を受ける。

 どうか、良性の腫瘍で終わり、短命な大型犬としては驚くほどの長命、できれば柴犬なみの一生をと願っている。
 ベルク、お前は若くして夭折したタローのぶんも生きなければならないのだから。



2005年09月23日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:27℃ 最低:20℃


 先日、ある方から300キロの馬肉をいただいた。犬たちが喜んで食べた。毎日の餌にトッピングとして乗った馬肉は、彼らには最高のおかずになったようだ。
 
 ある日、女房がネコにあげてみた。もちろん生(馬刺し)でである。
 ネコの中でも目を輝かせて喜んだ子がいた、いや、狂喜乱舞、馬肉しか見えなくなった、、、と言うべきだろう。
 その名はシロップ、1歳3か月のオスネコだった。

 エビちゃんやヨウコちゃんがキャットアジリティ(シーソーやハードルなどの障害物を越える遊び)のご褒美に使った。シロップは他のどのネコよりも速いスピードで障害物をこなし、ひたすら馬刺しを目指した。

 連休初日ということもあり、今日もたくさんの方が来られた。
 その前でシロップは、3度のアジリティショーで大活躍をした。もちろんインストラクトするエビちゃんの手には馬刺しが握られていた。

 実況をする私は、シロップをほめると同時に、次のように皆さんにお願いをしている。

 「どうか皆さん、居酒屋に行きましたら、真っ先に馬刺しを頼んで下さい。かつて日本には160万頭の馬がいました。それが今は11万頭、その8割は競走馬で、普通の馬は絶滅寸前です。どうか素晴らしい馬を守るために、皆さん、馬を食べて下さい。
 皆さんが300キロの馬刺しを食べて下されば、北海道か長野、熊本で馬が3頭増えます。
 そうそう、外れであろうと当たりであろうと馬券もどうぞ買って下さい。5パーセントほどは馬産振興のために使われます、、、」
 



2005年09月22日(木) 天気:曇り時々雨 最高:22℃ 最低:20℃


 ぐずついた天候の1日だった。
 サモエドのダーチャの子犬が生後4か月を前に、大阪の新しい飼い主さんのところに旅立った。
 超特急で会いに来られた時に、サクラと名前を付けてもらっていた。自主的にオスワリを生後40日ほどで覚えた利発な子犬は、サクラという名前をすぐに覚えてくれた。水桶があると前足を入れてかき出し、その上で寝るのが好きなサクラ、ワンパクではあるが、可愛がってもらうことだろう。

 環境省が、ようやくではあるが、子犬、子ネコの販売を生後8週間目まで禁止する決まりを作ろうとしているようだ。
 海外では生後100日まで禁止の所もある。何に関しても先進国と言われたり自任している日本ガ、ことペットの販売に関してだけは怪しい状況が続いていた。
 心と体、両方の健康のためにも、生後8週間は最低の決まりだと思う。何とか実現して欲しいものだ。

 



2005年09月20日(火) 天気:曇りのち雨 最高:25℃ 最低:18℃


 ばたばたと午前中の仕事を終え(実際には中途)、羽田に向かった。最近やたらと出くわす事故渋滞もなく、2時間掛からずに到着、駐車場も空いていた。
 
 私は旅の途中での飲食が大好きだ。特に駅弁には目がない。最近は空弁なるものが人気とのことで、さっそく店をのぞく。まあ、この間までは普通の弁当だった物が、仰々しく空弁と銘打たれている。たくましきかな商魂、では味の方はと一品を選ぶ。
 旅の飲食の喜びのひとつは泡の出る麦茶である。16時過ぎから講座の予定があったので、涙をのんで小カップにしてもらう。

 窓際に座り、弁当のひもをほどき、3食前の薬を泡出の泡で飲み込み、箸をつけた。
 うん?
 不味い。
 他の方の口には合うのかも知れない、私の嗜好が変わっているのかも知れない。
 薬を飲んだので、少しは腹に入れなければとがんばったが、やっと半分のところで断念した。

 日本の食料自給率は30パーセント後半から40パーセント前半を行き来している。貴重な資源をできるだけ残すまいとしているが、今回だけは勘弁してもらいたい。
 近くに犬たちがいないのが残念な出来事だった。



2005年09月17日(土) 天気:晴れ時々雲 最高:28℃ 最低:16℃

 『犬の心が見えた出来事・2題』

 ウィペットのトンが、20センチほどの段差を上がろうとして片方の前脚をひっかけ、前のめりになった。
 私は離れた所からそれを目撃した。
 トンは、上がり直すと、周囲を丹念に見渡した。
 誰もいないと分かると、振り向きながら先に進んだ。
 「どじったところを見られたかな、、、?」


 柴犬のシグレは大きな男性が苦手である。
 普段はサモっ子のサクラと同じサークルに入っているのだが、トイレ休憩で外に出ていた時、身長190センチほどの男性客が笑顔でシグレに寄って行った。
 あわてたシグレは右後ろの脚を上げ、ケガをしていた時と同じ歩き方で離れようとした。
 「脚が痛いの、あんまり近づかないで、、、、!」
 
 ・・・シグレ、かなり前にお前が痛めたのは左だったよ!・・・




2005年09月16日(金) 天気:晴れ時々曇り 最高:26℃ 最低:20℃


 柴犬のミゾレばーちゃんは、相変わらずウコッケイの柵の中で、卵やヒナを守っている。カラスが来ると追い払い、派閥の異なる犬が柵に近づくと吠えて警告を発している。
 その吠え声に、最近は別の理由も加わっている。私の姿を見つけると、百友坊で1匹だけ働いているのだから、そのギャランティーを支払えとうるさい。
 ミゾレの仕事を説明してある看板を読まれた方が、
 
 「番犬をしてるから吠えるのね、、」
 
 と誤解されているので、報酬を要求しているんです、とミゾレのために弁明をしながら、どなたかに、できれば幼い子供たちにジャーキーのひとかけらを手渡して、柵の金網の隙き間から支払ってもらっている。

 「これで30秒は静かになります、ありがとう!」

 見ていた皆さんが笑顔になるとともに、ミゾレに自分の手で給料を支払った子供たちは、上気した顔で親に向かって笑う。
 この瞬間が私の幸せである。
 あるお母さんは、

 「うちの子は犬を怖がっていたんです。でも、あの柴犬ちゃんにジャーキーをあげられたのが自信になったのか、近所の犬と友達に慣れたんですよ、、、」

 子供たちの変化は、ごく小さなことで起きることがよくある。某デパートでは1個500円、地元のあきる野の直販でも1個150円はするウコッケイの高価な卵を守る仕事をしているミゾレ、思わぬことで役に立っている。

 今日、朝から数えていたが、私は12人の子供たちにミゾレへの報酬支払いを手伝ってもらった。小さな心の中に、どのような形でミゾレが焼き付いたのか、それが気になるとともに、楽しみでもある。



2005年09月15日(木) 天気:曇り時々雨 最高:30℃ 最低:22℃


 予報では雨はなかったはずが、夕方まで時おり強い雨があった。
 今、ネコ館と呼んでいる建物の部屋で、アメリカンショートヘアーのパドメが2度目の育児をしている。今回の胎児は3匹だったのだが、過熟気味で難産となり、無事に生まれたのは1匹だけだった。帝王切開にすべきかどうか相談をしていた動物病院に、たまたま2匹の子ネコが捨てられていた。生後10日ほど、目が開いたばかりだった。
 パドメの子が1匹になってしまっても母としての機能は完璧である、乳首からはミルクがあふれていた。
 エビちゃんが聞いて来た。
 「2匹をパドメに育てさせてもいいですか」
 もちろんである。人工乳も素晴らしいが、なんと言っても母ネコのミルクや細やかなケアーにはかなわない。これも縁、パドメは実子1匹と捨てネコ2匹、合わせて3匹の母となった。

 それから1か月と少し。今日も私はパドメの部屋を長い時間のぞいていた。
 3匹の子ネコは小さなアジリティの道具を上手に利用して遊んでいた。パドメは横寝の姿で穏やかな瞳で子ネコたちを見つめていた。
 時々、キンやハチは侵入し、子ネコ用の缶詰を盗み食いしている。それもまた私には嬉しい光景だ。



2005年09月14日(水) 天気:晴れ 最高:32℃ 最低:23℃


 先日、サモエドのラーナの子を飼われているNさんから話を聞いた。1匹のネコの死についてだった。
 
 のどかな道の際に有志が作った小屋を持ち、散歩の人々や近在の方に可愛がられていたキジトラのネコだった。
 今風の言い方では地域ネコだろうか、通りかかる人間だけではなく、散歩の犬にもあいさつをする素晴らしいネコだった。

 そのネコを、毒を使い殺す人がいた。
 人を信じていたからの出来事、暗澹たる気持ちだけが事件を聞いた私の心に残った。
 写真でしか会ったことのないネコ、私の家にいたアブラによく似ていた。アブラも室内を好まず、−25度の夜も、外の小屋で犬と抱き合って寝ていた。お客さんが来ると必ずでて来て、尾を立て、頭や背をこすりつけていた。
 Nさんのブログの写真を何度も見ている。どうしてもアブラに重なってしまい、目が霞む。

 
  トラにわび  アブラに伝えん  世の中の
    寂しき人の   わびしき仕業

  蘇る  そんな世界が  あるならば
    アブラの懐   トラの寝場所に


   トラ  
  メスのキジトラ猫だった。