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何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

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2004年11月29日(月) 天気:曇り時々晴れ 最高:14℃ 最低:6℃

 いよいよ冬だろうか、晴れていても寒さが感じられる1日だった。
 それでも生き物たちは元気。ラーナの子犬たちも外でのんびりと日光浴をしていた。眠りに入ると、ピンクの肌が見える腹を上に向け、別名ヘソ天の子もいた。そんな姿を見ると、来られたお客さんのすべての方が、カワイイと言葉にしてしまう。
 横で、その声を聞き、私と女房はニコニコしている。
 
 予定では、今日は25日に北海道からやって来た第2陣の8匹のネコたちを、小部屋から大部屋への移動を可能にする作戦(単に間のドアを開けるだけである)を行なうはずだった。
 それは午後1時頃に実行した。いちおう外には出られないように玄関の戸は閉めていた。
 しかし、お客さんの足下をくぐり抜け、アブラ2世があきる野の大地を踏んだ。その後をアニキが続いた。

 犬たちは、匂いを嗅ぎこそすれ、特別な反応は示さなかった。先発のネコたちと同じように、穏やかに扱っていた。
 これなら大丈夫、ということで入り口の戸と部屋の窓は全開にした。

 エが出て行った。息子のシロップ、名無し、そしてハナちゃんにトクゾウ、クリスが続いた。
 みんな周囲の様子を確認しながらも、落ち着いて行動していた。うーちゃんやトコ、ハンナや小次郎など先発隊の行動を眺めながら、ここは大丈夫、そんな判断が彼らにはあるようだった。

 アブラ2世を『ニャンコロベー』と呼んでえこひいきをしている女房が、まるでうーちゃんを追いかけ回すダーチャのように、後をついて回っていた。

 「凄いわよ、ニャンコロベーは。百友坊の中、すべてを観察に歩いていた。もう中の様子が分かったみたいよ。。。」

 本人も自分の名前はアブラではなくニャンコロベーと思っている大きなキジトラネコは、最後にはたくさんの犬が寝ている雑居館に入り、暖房の下で居眠りを始めた。
 
 臆病なイエネコ族だが、先発隊の暮らしぶりを観察し、わずか数日で落ち着きを見せている。入国での健康検査をパスし、環境認知も終わり、餌と水、そしてトイレの場所も覚え、いよいよ彼らの大活躍が始まる。
 その気配は、今日、彼らに会った皆さんの笑顔で証明されている。
 



2004年11月28日(日) 天気:晴れ 最高:17℃ 最低:8℃


 少し離れた市から、ある自治会の皆さんが80人で来られた。子供たちが18人、メンバーの中にいた。
 犬やネコに会った後、丘を登り馬たちのエリアに行った。時間がないこともあり、子供たちだけ乗馬をしてもらった。
 
 これは北海道にいた頃からの私の考えだった。
 
 『子供の仕事とは、不条理にぶちあたる事』

 乗馬はけして不条理ではない。しかし、子供たちそれぞれに差はあるが『怖い』と感じることは間違いない。
 親子連れ、もしくはおじいちゃんに連れて来られた個々のお客さんでは、子供が怖いと言うと、もうあきらめることが多い。
 ところが、子供たちが集団になると、不思議な度胸が湧き出て(競争心、あの子ができるならという安心感等で)、全員が馬の背に乗ってくれる。

 湖南自治会の18人の子供たちは、3歳の女の子まで、見事にひとりで手綱を握り、大きな馬を動かした。
 その時、子供たちの背はきれいに伸び、瞳は喜びと自信で輝いていた。

 不条理を避けるのではなく、ちょっとした勇気を出して乗り越える、それが子供たちの大切な仕事である。私たち大人は、子供の進む道を掃き清めてはいけないと思う。つまづく石は残しておかなければ。



2004年11月27日(土) 天気:晴れ 最高:19℃ 最低:10℃

 昨日に引き続き、カザフの群れ認識作戦を行った。
 今日の相手はヘアレス犬を中心とするヤマちゃんグループの連中だった。

 新しい王国の『石川百友坊』エリアでは、30数匹の犬が大きな群れを作っている。
 しかし、北海道にいた頃は、石川家グループ、山本家グループ、カラマツ荘グループと、3カ所に分かれていた。
 ようするに新しい空間で3派連合政権ができたようなものである。

 ヨーイドンで、みんなが新しい地でスタートをしたならば、これは仲良くなるのも早い。様々な所で飼われている犬が、だれの縄張りでもないドッグランに行ったようなもので、平和はすぐに作る事ができる。

 しかし、今回のカザフは、すでに3派による組閣が終わった中への加入である、ある種のイザコザ(よそ者が来た、という反応)があってもおかしくなかった。
 昨日、6ヶ月前までともに暮らしていた石川家の連中には受け入れられた。さてほとんどが初対面を言ってもよいヤマちゃんグループである、心配は私にもあった。

 カザフが柵から出された。

 10分後、一度もうなり合い、噛み合い、取っ組あいを見ることなく、私たちはカザフとヤマちゃんグループの犬たちの普通の交流を眺めていた。

 ヘアレス犬たち、鳴き声はにぎやかで鋭いが、実は平和主義者であり、ドッグランでも問題はほとんど起きていない。逆にインストラクト犬として活躍をしているほどである。

 カザフ、これでエリアの行動権をすべて獲得した。
 私が声を掛けると、得意の遠吠えで応えてくれた。



2004年11月26日(金) 天気:晴れ 最高:18℃ 最低:12℃

 柵の出入り口が開けられると、カザフは一瞬の躊躇を示し、『いいの?』と私に瞳で聞いてきた。
 私は、軽くうなずき、2、3歩柵から離れてカザフをうながした。
 右足を1歩踏み出した所でカザフは出入り口の外側の匂いを嗅ぎ、左足を高く上げて小便を掛けた。

 カザフの出現に気づいた犬たちが寄って来た。尾を振り、耳を倒して真っ先にカザフの鼻先に口をもっていったのは柴犬のシグレだった。
 次いでタブが、そしてセンが、さらにカボスが続いた。
 
 それぞれの犬たちの挨拶を受け、相手の尻の匂いを嗅いで個体識別を終えると、今度は遠くに見える犬たちに、カザフの方から近づいて行った。
 途中で、何度も樹木の根や大地、草むら、杭などの匂いを嗅ぎ、そこにマークをするのも忘れてはいなかった。私は回数をカウントしながら追いかけた。

 ラーナとダーチャが寝ていた。
 ラーナには軽く挨拶、ダーチャにはしつこく匂い嗅ぎをした。カザフは大好きなダーチャを忘れていはいなかった。今すぐにでも言い寄りたい、そんなカザフにダーチャは『ガウガウ』と言った。

 ラーナの子犬たちが入っているサークルは。軽く眺めただけで通過した。
 前方からベルクが寄って来た。
 明らかに垂れた耳が後ろに引かれていた。尾はゆるやかに左右に揺れていた。
 カザフは立ち止まり、ベルクを待ち受ける姿勢になった。
 ベルクがカザフの口を舐めた。カザフがベルクの陰部を嗅いだ。ベルクはカザフの為すがままだった。
 これで再会の儀式、そして互いの立場の確認が終わった。
 マロ親分の亡き後、押し出されるようにトップに立っていたベルクの、重い肩の荷がおりた瞬間だった。

 カザフが離れるとベルクは腰を下ろし、他の若い犬たちは、まるでカザフの取り巻きのように、突然出現した強い犬の後を追った。
 そんな様子を広い柵の中からカザフの息子のオビとブランの兄弟が見ていた。
 カザフはその柵の前に立ち止まった。タドンやポチポチなどのオス犬が柵際に来たならば、すぐに吠え出すオビが無言だった。
 それどころか、尾を上げ、ゆっくりと振りながら金網に近づき、カザフの鼻先に口を寄せていた。ブランも兄の真似をするように同じ姿勢で尾を振っていた。

 「出して、2匹を、、、」

 私が声を掛けると、周囲の仲間たちは不安気な表情で見返して来た。

 「だいじょうぶ、この感じなら。もう決着は付いている」

 オビとブランの30キロオーバー兄弟は、いつもよりもおとなしく柵から出て来た。
 待っていたカザフが2匹の陰部の匂いを嗅いだ。息子たちもカザフの陰部に鼻をもっていった。
 それは数秒のことだった。オビはカザフの側から離れ、以後、けして3メートル以内には近づかなくなった。ブランは、それまでのオビに対するように、カザフの横で父と同じような行動を始めていた。まるで大樹に寄ることを知っている動きにも思えた。

 マロの死後、ベルクは別格として、オス社会のトップを獲得してきたオビの地位は、父親の出現で3ヶ月の天下で終わってしまった。血をみることなく禅譲が行われたのは、オビの素晴らしい性格であり、しばらくはNo2の座を維持し、やがて次の天下人の可能性が大であることを予感させる動きだった。

 その後も、百友坊エリアの隅まで匂いを確認し、マークをしながらカザフの探検調査は続いた。
 シグレやラッキー、センにベコ、カリンにカボス、そしてチロルやブランが取り巻き、少し離れながらもオビが父の尿マークの後に、必ず自分もマークをしていた。

 北からの後発隊、そして北での群れのNo2であったカザフは、仲間たちに見守られ、受け入れられ、2004年晩秋、父親マロの跡を継いで親分となった。  
       
 



2004年11月25日(木) 天気:晴れ 最高:20℃ 最低:7℃

 親分だったサモエドのマロが死んで3ヶ月以上が過ぎた。その後の群れの大将は、レオンベルガーのベルクが担っている。リーダー犬だからといって忙しく仕事をするわけではない、熟女年齢のベルクは寝ていることが多い。しかし、イザという時には、必ずベルクの姿が出現する。さらに、嫌なことをされた時のきっぱりとした威嚇は、さすがに他の犬を押さえつける迫力がある。

 そのベルクの助っ人になるであろう、いや、逆にベルクが支えになるかも知れない大物が北海道からやって来た。
 マロの息子であり、長らくNo.2の位置を占めてきたカザフである。
 カザフは、マロに対して3度、闘いを挑み、3度ともに返り討ちにあってからは、けして父の前には出ないが、他の犬には大げさなほど自己の力を誇示していた。
 
 マロのいない東京の群れの中に加わり、はたしてどのような群れ構成が行なわれるのか、大いに興味がある。
 どちらにしても、この分野では人間は無力である。犬同士で結論を出してもらうしかない。同行して来たチロルやミゾレとともに、でき得るならば平和に群れの再編成が治まってほしい、そう願っている。

 ネコもやって来た。
 数多くの犬に対してネコの存在、性質を教えてきたアブラ2世、3度の出産で可愛い子ネコの姿を見せてくれたエ(1文字の名前である)、そして素敵な老ネコのアニキ、ペルシャと和ネコのミックスのハナちゃん、、、それに若いネコが4匹、合わせて8匹である。
 行動派そろいゆえに、またまた愉快な動き、暮らしが見られるだろう、これまた楽しみである。



2004年11月24日(水) 天気:晴れ 最高:19℃ 最低:5℃

 北海道から親族が王国に来てくれた。ツアコン兼荷物持ち(定かではない)で参加している2人の従妹に率いられてきたのは、6月に死んだ父の妹、要するに私の4人の叔母たちである。
 父の四十九日も開国の忙しさの中で列席が叶わず、不義理ばかりの私の所へ、『どれ、顔を見に行こう。。。』と計画をされた叔母たちに感謝の言葉もみつからない。
 
 驚いたことに、今日、従妹と叔母は馬にも乗ったと言う。北海道の王国では京都の86歳の女性、あきる野の王国では82歳の女性がまたがっているので、けして不思議ではないのだが、あの叔母たちがと思うと、自然に笑顔になった。
 残念ながら馬の丘には、女房が案内をしていたので、叔母たちの乗馬姿は見ていない。一族の誇りとして写真の1枚も撮りたかった。叔母たちの年齢を忘れたが、みんな70は超えているはず、たくましい〜、私は大いにゆかいになった。

 叔母たちが子犬の前から動かず、あちらこちらで遊んでいるネコを見つけては足を止めて話をしている様子を見て、ああ、私の身体と頭の中身は彼女たちと共通だ、そんな気もした。
 
 昨日は船で東京湾を楽しみ、明日は巣鴨界隈、明後日はデズニィーシィー、さらにその後もどこかに行くという賑やかな叔母たちが、いつまでも元気なことを祈るとともに、実家の母の様子、伝言を運んでくれた御礼を言いたい。
 ありがとうございました。

 



2004年11月23日(火) 天気:晴れ 最高:18℃ 最低:6℃


 7年、いや、8年以上前になるだろうか、神奈川の伊勢原に我が家生まれのサモエドの子犬が旅立った。マロを父とし、ウラルを母親とするメスっ子だった。飼い主のTさんは、すでにアレフと言う名のサモエドを飼われており、北海道の王国に旅に来られた時に育っていた我が家の子犬を見そめての家族入りだった。

 その時の兄弟姉妹犬を中心に、Tさんの発案で飼い主さんが記載する交換日記のような巡回ノートが始まった。名付けて『サモエド・ノート』、絶えず全国各地を漂うサモエドに対する想いを綴ったノートになった。

 今の時代ならば、アナログ的なノートではなく、手軽なインターネットになっていたかも知れない。しかし、それぞれの飼い主さんがペンを握り、写真とともに記載した文章には、熱い心がある種の処理(整理だろうか、、、)をされた形で書かれており、それは実家の私と女房を常に笑顔にしてくれている。

 今日、王国が東京に出て来たのを機会に、ノートを作り上げて下さっていたメンバーの方々が集まった。
 もちろん全員ではない、関西や北陸などの方は簡単には参加することができない。
 
 8月に死んだマロを父として、ラーナ、ベラ、ノエルなどを母とする白い犬たちが、元気な姿を見せてくれた。10歳の子も若々しさに溢れ、私にジャーキーをせがむ声は、まさにマロだった。
 女房と、
 
 「あの目はマロだよね。あの子の毛質は母親のウラルかな、声は父親似、、、、」
 
 そんな嬉しい観察が続いた。

 すでに6冊になったノート、そこには愛犬とともに暮らしている皆さんの素晴らしい歴史が描かれている。
 今夜は、もう1度ゆっくりと1冊目から目を通してみよう。

 



2004年11月22日(月) 天気:晴れ 最高:17℃ 最低:5℃


 心地よく冷えた朝、暖房の効いた雑居棟には大人の犬12匹、そしてラーナの子犬が5匹、さらに宿直の私が寝ていた仮設ベッドでは、ネコが6匹、布団の中央で堂々と丸くなっていた。

 朝の仕事の1番は、犬たちのウンコの確認である。健康な形、量、色、匂いの物が出現すると、快晴の空の相乗効果もあり、私は笑顔になってしまう。
 
 今朝は、まさに『大破顔』のウンコを数多く見られた。
 その逸品は、すべて回収し、北海道の会社が開発した素晴らしいバイオの機械に投入する。この中ではバクテリアが活躍しており、大腸菌等を殺し、ウンコを分解発酵し、あっと言う間に有機肥料に変えてしまう。
 
 私は死体と糞尿は貴重な資源と思っている。昆虫の死体も枯れて倒れた古木も、直接口にする生物から目に見えない微生物などによって、大地に役立ち、他の命を助けるものに変わっていく。
 馬糞はもとより、犬やネコたちのウンコも、文明によって新しい使命をもった宝物に形を変える、これは嬉しいことでもある。

 



2004年11月20日(土) 天気:晴れのち曇り 最高:17℃ 最低:8℃


 嬉しい再会があった。



2004年11月19日(金) 天気:雨 最高:14℃ 最低:9℃

 雨のために広場が使えず、犬たちの運動会はセンター棟と呼んでいる建物の2階で開かれた。
 隣の部屋で仕事をしながら、耳で進行状況を聞いているうちに、のこのこと出て行ってしまった。

 チョコラブのリバティが参加していた。上辻さんが小さな植木鉢を8個ほど逆さに床に並べ、1個のテニスボールを手に説明をしていた。

 「本当に久しぶりなんですが、レバティにボール探しをさせてみます。できるかな〜」

 「私はリバティが見えないように隠していますので、どなたかボールを好きなバケツに入れて下さい」

 そう言って彼女はリバティの頭を抱き、周囲が見えないようにした。
 お客さんは、迷いながらも1個の鉢にボールを入れた。8個の鉢は直径3メートルほどの円状に並べられている。

 「では、まずグルリと回ってみます。さあ、リバティ嗅いで!」

 リバティは上辻さんにリードされて鉢の外側を歩いた。鉢に触れる事無くその近くの匂いだけを、立ち止まらずに嗅いでいた。

 1周すると、上辻さんはリバティを座らせて言った。

 「判った?どこに入っているか、大丈夫? よしっ、教えて頂戴!」

 リバティはフリーにされ、歩き始めた。今度は円を描かず、目標が決まっているかのように、ある1個の鉢を目指し、その前に座ると上辻さんに視線を向けて一声吠えた。

 「それでいいの、大丈夫?」

 彼女は近づき、裏返しで置かれていた鉢を開けた。

 ボールが転がり、リバティの尾が揺れた。

 犬は人のために仕事をすることを願っている家畜である。為し終え、褒められることを求めている。
 何を為すかを覚えていたリバティに拍手である。



2004年11月17日(水) 天気:曇り 最高:16℃ 最低:10℃

 世の中でもっとも不思議な犬であるヘアレス犬がドッグランに集まった。
 メキシカンヘアレスドッグ、そしてペルビアンヘアレスドッグの2種だ。
 
 この連中の歴史は古い。太陽のピラミッドの時代には既に存在し、インカの王国では聖犬としてあがめられていた。
 さらに不思議な事は、毛のない同士で結婚をすると3代目の頃には子犬が育たなくなることを経験則で理解し、時に有毛種と交尾させて遺伝子を元気にして継いで来た事だ。

 もちろんその交配の結果として毛のない犬とともに、パフタイプと呼ばれる毛のある子も生まれる(ベコ、じゅうべえ)。
 その両方をドッグランで眺めながら、遺伝の不思議とともに、飼われている皆さんからヘアレス犬の魅力をたっぷりとうかがった。



2004年11月16日(火) 天気:曇りのち晴れ間 最高:17℃ 最低:8℃

 小千谷の義母を東京に迎えて10日が過ぎた。義母は心配性なところがある。比して娘である我が女房は、まったくその形質を遺伝していない。要するに『なるようになる派』であり、『起きたことはしょうがない派』である。

 こちらでは大きな揺れの心配はなくなった。しかし、義母は故郷の余震に心をつかい、傾いた家のその後に想いを寄せている。
 言葉のはしはしに浮かぶ心痛と、繰り返されるため息に、慰める言葉を探す私を尻目に、女房はポンポンと言葉を、それもいたわりと言うよりは実に手軽な言葉で応じている。

 私は兄弟ふたり、4歳下の弟がいるだけである。母と娘の会話、それを間近に聞き、ああ、生き物は母系で繋がり、維持発展してきたのだな〜と感じている。

 明日、10日間、アパートの留守番ばかりだった義母が、私たち夫婦の職場に来る。味が評判の王国レストラン『ポル・キロ』で昼飯を食べることにしよう。



2004年11月14日(日) 天気:曇り 最高:18℃ 最低:12℃


 全国からチベタンスパニエルが集まった。王国出身の子だけではなく、チベットの素晴らしい犬を愛する皆さんがドッグランに顔を揃えて下さった。

 この集いを楽しみにしていた王国のチベスパ飼いの仲間たちは、嬉しそうに自分が面倒をみている連中を連れて顔を出していた。

 例によって、王国ドッグラン基本事項である『リードで繋がない』『ガウガウが起きそうになってもけして抱かない』を説明し、後はフリーとさせていただいた。

 問題は皆無だったと終了後に聞いた。ひとときの集いを皆さんが楽しみ、交流を深め(ようするに愛犬自慢披露)、そして再会を約して終わった。

 20年前には、ごく一部の犬種でのみ行われていた集いが、今では各地で繰り広げられている。それは賞を競うわけではなく、単に自分の愛犬との暮らしの延長としての出会いゆえに、まず楽しさが先頭にある。
 これこそ文化であり、犬を通して広がる人間の交流に、打算とは無縁な輝きがあると思う。

 北からのチベスパは雪の予報の中に、そして西の犬たちは小春日和の便りの中に帰って行った。
 明日からは再び、それぞれの暮らしが、いつもの光景の中に続くことだろう。



2004年11月13日(土) 天気:晴れ後くもり 最高:17℃ 最低:13℃

 センとドッグランに詰めた。
 ハスキー、パグ、秋田犬、ジャックラッセル、ミニュチュアダックス、コーギー、シャーペイなど、様々な犬たちを相手に、センは柴犬のシグレとともにインストラクト犬を務めた。相手が自分と同じようにキン付きのオスであっても、それなりにこなす術を心得ている、いつもの素晴らしいセンだった。

 センの母親のタブは、おそらく妊娠しているだろう、どことなく動きがゆったりとし、その身体で来られたお客さんの足下で横になり、上手に甘えていた。
 急な犬の動きが怖い方でも、タブならば安心していられる。これもまたインストラクト犬かも知れない。

 犬ゾリチームに所属しながら、各所の出入りが許されているグレーンは、今日も芝生広場を横切り、仲間が引くカートを追い、老犬のくつろぐハウスに入り、ドッグランの入場犬を確かめに来ていた。
 彼は、ひょうひょうとして、そしてフレンドリーを毛皮の上にまとっていた。

 黒毛のサンゴとモルトも見かけた。大好きな人間の横につき、穏やかに王国の中を移動していた。お客さんが寄っていくと、静かに尾を横に振っていた。

 セン、タブ、グレーン、サンゴ、モルト。。。すべてラブラドール・レトリーバーたちである。
 
 今日、明日の書店発売になる犬の雑誌『wan』。その12月号から、私はレトリーバーに関する連載をしている。1回目は、もちろんレトリーバーの代表であるラブラドールについて熱く書いた

 それが可能になったのは、20年近く前に当時は横浜に住んでらしたSさんからの電話だと断言できる。
 あの頃、私はラブラドールに憧れていた。そこに掛かってきた1本の電話、それがSさんからの黒ラブの子犬に関するものだった。

 1週間後、私は釧路空港で1匹のメスの黒ラブを胸に抱いた。小さめの瞳には怯えはなく、私をしっかり見つめ、そして身体の力は抜けていた。
 王国で初めてのラブラドール・レトリーバーとなった『ラブ』との出会いだった。

 ラブは賢かった。
 いや、これは誤解を招く、ラブラドールらしかった、とすべきだろう。
 生まれた子は盲導犬になった。素晴らしい水鳥回収犬になった子もいた。そして大多数が、新しい飼い主さんに喜ばれる家庭犬として活躍をしてくれた。

 今、その血は全国に広がっている。私は胸を張ってラブそしてラブラドールの素晴らしさを語る伝道師になることができる。

 Sさんのお世話をいただいたのはラブだけではなかった。タブの結婚相手もSさん出身のレイラであり、王国にも新しいエースとして数匹のラブラドールがSさんの所から来ていた。

 私にとって、そして王国のラブラドール社会にとって恩人であるSさんが亡くなった。
 山形の地で、ラブラドールを見つめ、そして介助犬の育成と普及に全力を傾けて下さっていた。
 北の友人から知らせを受け、心を揺らせながら私は宿直のために王国に車を進めた。
 通用口を開けると、私の車のエンジン音を聴いたセンが戸口で待っていた。暗闇でも横に動く尾の速さが分かった。まさしくSさんが惚れ込み、寄せた想いを繋ぐ犬、ラブラドールがそこにはいた。

 「サトウさん、素晴らしい犬たちをありがとうございます。静かにおやすみ下さい』
 



2004年11月10日(水) 天気:晴れのち曇り 最高:21℃ 最低:14℃


 ばたばたとして2日間、日記が留守になった。

 そのばたばたの一つに、ラーナの子犬の不調があった。最初に産声を上げ、順調に体重1番を維持してきたメスが、4日前から嘔吐と下痢の症状を見せ、体重が減ってしまっていた。

 通院で良くならず、とうとう昨日の朝から入院。先生の治療の効果があり、無事に今日の夕方、退院をして来た。

 4匹の兄弟は、順調に体重を増やしていた。オスと2番目に産まれたメスは見事に2キロを超えている。
 その中に入れられた病院帰りのメス、まるで1匹だった寂しい時間を取り戻そうとするかのように、先ず、兄弟に口を開けてのしかかり、留置針の跡を隠してある絆創膏が巻かれた前足で、相手の頭を叩いていた。

 「おっ、元気だ。もう遊んでいるよ!」

 「毛ヅヤもいいし、これなら安心、大丈夫だ〜!」

 見守っていた人間からは、歓声が上がった。

 その後、ラーナのミルクをたっぷりと飲み、乳首をくわえたまま眠ってしまったメスっ子。ラーナは丹念に尻をなめていた。
 これでひと安心、明日の離乳食の食べっぷりが楽しみであり、今夜、下痢や嘔吐のないことを祈る。



2004年11月07日(日) 天気:晴れ時々曇り 最高:20℃ 最低:8℃


 寒い朝、心も体も引き締まった。

 午前中からドッグランには白い犬が集まっていた。
 今日もサモエドを中心とした集い、午後には20数匹の犬が駆け、遊び、そして時にケンカを楽しんだ。



2004年11月06日(土) 天気:曇り時々晴れ 最高:20℃ 最低:14℃


 珍しく好天の土曜日、王国では某FM局が主催する『クリーンキャンペーン』のイベントもあり、たくさんのゲストの方で賑わった。
 
 もちろんドッグラン・プチも、秋田犬やらシャーペイ、そしてコーギーにレオンベルガー、ラブと、各地から集い、そして犬同士での付き合いをしてくれた。
 
 レオンベルガーは2匹来てくれた。ともにメス、1匹は埼玉からの天乃で、これが3〜4度目の来国だった。
 その同胎犬で、名前はガー子、この子は実家の我が家を出てから初めての再会だった。体重は61キロ、天乃が行動派でしぼれた体形ならば、ガー子は落ち着いた体形とでも言おうか、とにかくどっしりとしていた。
 もちろんレオンベルガーである。王国に残った兄弟としてカボスも加わって遊んだが、一度も争う声無く、和やかに、そして密度は薄く、それぞれに遊び、時に接点を保つ、そんな出会いだった。

 午後からは秋田犬のオスメスが来た。あまり他の犬との交流はないとのことで飼い主さんは心配をされていたが、なんと柴犬のシグレが上手に挨拶法、交流法を示していた。
 オスのほうは、少し時間がかかるが、必ずや人にも犬にも上手につき合える子になる可能性が大とみた。次回が楽しみである。

 ドッグランは、上手に利用すれば、愛犬が大きく変わる可能性を秘めた場所である。もちろんその変化とは良い方向を示しており、そこからは人間の笑顔が発信される。
 



2004年11月05日(金) 天気:晴れ 最高:21℃ 最低:12℃

 女房の実家、小千谷に行って来た。
 
 高速が不通(小出→長岡間)なので、途中から17号線を走った。各所に地震の爪跡が残り、片側交互通行の箇所があった。
 上越線も山崩れに埋まり、まだ復旧工事の手がつけられていなかった。
 崖崩れがたくさんあった。倒壊した家が、工場が、看板があった。陥没した道路にアスファルトがもられていた。

 川口町に入ると、避難された方々のテントが各所に並んでいた。信濃川の堤防には心配げに水面を眺めながら歩く人々がいた。

 女房の実家は倒れてはいなかった。しかし、義母の住む3階建てのビルは基礎に大きなヒビが入り、隣の古い母屋は傾き、中のあらゆるものが倒れ、揺さぶられていた。
 義兄、義姉たちは、余震を考え、車庫にテントを張って暮らしていた。
 それでも、ガスを除き、電気、水道、電話が復旧したので、なんとかなっていると笑顔で話していた。

 義母は疲れていた。恐怖も身体に染み付いているようだった。
 遅くはなったが、揺れのほとんどない東京で、同じように多弁(実は耳を塞ぐほどである。。。)な母娘での暮らしもいいだろう、そう思い、帰りの車に乗ってもらった。

 高速は4時に長岡と小出の間も開通したようだった。
 私は堀之内のインターから乗った。それまで、何カ所も混んでいる所があり、日の出インターまで4時間もかかった。
 その間、後部座席で荷物に埋まり、義母と女房は最後まで話をしていた。
 このぶんなら義母も元気がでるだろうと思いつつも、にぎやかな日が始まると感じ、こっそりと深呼吸をした私だった。



2004年11月03日(水) 天気:晴れ時々曇り 最高:21℃ 最低:16℃


 珍しく、昨日に続き秋晴れの空が広がった。
 王国は開国の時間から、たくさんの方に来て頂いた。植物も犬やネコ、馬たちも、今が最高の季節かも知れない。やや傾いた陽光に身をさらし、心地良さげに目を細めている。
 
 レオンベルガーのベルクの子が横浜から来てくれた。カボスとは同腹になる。
 顔の黒いベルタ、見かけは強面だが、実は穏やかで明るい子、まさにレオンベルガーであり、大型犬で唯一と言われている愛玩犬の仕事をしていた。

 幼い頃、そう我が家では私は子犬たちと飛びつき遊び、プロレスごっこをよく行っていた。
 従って、成長し50キロになった今でも、カボス、ロック、ダンなどは私に飛びついてくる。今日のベルタも同じ事をしてくれた。嬉しくもあり、その強さに少々教育を間違えたか、などと感じる事もある。
 どちらにしても、元気な連中に会うのは楽しい。



2004年11月02日(火) 天気:晴れ時々曇り 最高:20℃ 最低:15℃

 爽やかな天候の1日だった。
 王国の中の樹木の色づきが進み、バックの山の常緑樹との対比が見事になってきた。
 まさにベストシーズン、ネコも犬も、そして人間たちも気持ちがうきうきとしてしまう。

 今、石川百友坊の犬界では、1匹の育児中の犬と、2匹の妊娠犬(おそらく。。。の段階だが)がいる。
 10月15日に出産をしたサモエドのラーナ親子は順調、子犬たちの体重は4倍になった(1400〜1500グラム)。
 予定では12月中旬のお産になるアラルとタブは、なんとなく妊婦らしい動き、雰囲気になって来ている。
 連日、その2匹の産む子犬を予約されている方々が来られている。
 皆さん、何時間も犬の横に座り、やさしく撫で、そして声を掛けて下さる。

 「おいっ、いい子を産めよ、責任重大だぞっ!」

 私は、犬たちにそう話しかけ、ジャーキーを折らずに1本、長いまま与えている。