日記から戻る

何気ない日々の暮らし......積み重なって大きな変化が!

2005年11月の日記へ 2005年09月の日記へ

2005年10月18日(火) 天気:雨 最高:18℃ 最低:16℃


 朝、目を覚まし、身体を起こそうとすると不思議な感じがした。階段を下りる時に、身体が揺れ、手すりにしがみついた。

 飲んでもいないのに周囲が揺れる、いや、揺れていたのは私の感覚で、ようするに目眩だった。

 呼吸、心拍、体温、別に異常はない。頭を回す、頭を上げる、立ち上がる、腰を下ろす、、、そんな時に心地よく酔った時の怪しげな揺れを感じる。
 
 午前中、布団に潜り込み、午後、遅い出勤をした。
 偽の酔いは、いつまでたっても収まらなかった。

 悪天候の中、サモエドのオビは、ラーナ、ダーチャ、2匹の熟女と交尾をした。今年のクリスマスは、クリスマス犬と言われるサモエドの可愛い子犬があふれそうだ。



2005年10月15日(土) 天気:曇り時々晴れ 最高:24℃ 最低:17℃

 昨年の今日、北海道から越して来てオープンしたばかりの王国で、東京初めてとなる犬の出産があった。
 サモエドのラーナ母さん。
 それまで結婚していたカザフやレオではなく、カザフの息子のオビとのカップルだった(オビ、初めて父親に)。
 誕生したのはメス4匹、オス1匹、合わせて5匹の元気な産声が響いた。
 咳やら下痢で治療を受けたことはあったが、まあ、人間の赤ちゃんと同じように、子犬も心配をかけてくれる。
 そして2か月半。王国のショーチームで活躍をする1匹(ノンノ)を残し、他の4匹はもらわれて行った。

 メス
  クリン・・・千葉
  ニーナ・・・山中湖
  くるみ・・・旭川
 オス
  ノエル・・・名古屋

 そして1年後の2005年10月15日。
 海を越えるくるみは無理だが、残りの4匹が西多摩はあきる野の王国に揃ってくれた。実家に里帰りである。
 時々、ドッグランに顔を出してくれていた子は居たが、4匹揃うのは初めてだったと思う。
 私と女房は交代でドッグランに会いに行き、連中の身体を撫で、声をかけ、そして匂いを嗅がせた。
 ノエルはオスになっていた。メス犬の尻を追い、クリンに乗ろうとしていた。クリンは小柄でキュート、オスの扱いが上手だった。ニーナは尿の病気の気配があるようだが、姿は見事、両親の良い所を継いでいた。

 できれば祝いの集いに両親を連れて行きたかった。
 しかし、ラーナの発情出血が4日から始まっていた。2度目の父親としてオビを任命し、2匹は柵の中で結婚生活を5日前からおくっていた。
 そして今朝、女房は繋がっている2匹を確認した。午後、2度目の交尾が、お客さんの見守る中で、そして400メートル離れたドッグランに1歳の子供たちの遊ぶ声が響く中で進行した。
 
 前回の子供たちの1歳の誕生日、皆が集まっているその日に、ひょっとすると弟妹が小さな芽になったかも知れない。いや、たくさん待たれている子犬予約の皆さんのためにも、確実に妊娠をと期待し、ラーナとオビに多めにジャーキーをあげた。



2005年10月03日(月) 天気:曇り時々晴れ間 最高:24℃ 最低:19℃

 昨日に引き続き、王国のサモエドたちに繋がる白い犬たちがドッグランに来てくれた。もちろん、応援の仲間たちも集まってくれて、サモエドからアイヌ犬、コーギー、たちが、ドッグランを賑やかに、そして笑顔と、時に緊張を作ってくれた。
 
 これは犬を飼っている者の至福の時とも言える。
 1匹の犬と家族だけの付き合いでもOK、飼い犬に犬の友達を作ってあげるのもOK。
 人間のすぐ横に存在し続けてきた犬たちとの付き合い、様々なスタイルがあるだろうが、やはり私は多頭数の犬たちが『犬語会話』を繰り広げている光景を眺め、その中に加わるのが好きだ。

 サモエドのダーチャの娘、ニケが初めて王国に来てくれた。北海道の我が家で生まれ、育っている時から可愛い顔立ちだったが、それは今も残り、どちらかと言うとラーナ系の顔をしている(あっ、ダーチャの子が可愛くないということではありません、主として行動の美しさがダーチャ系なんです、、、、と書いておかないと怒られそう、、、!)。

 私の犬の原点であるアイヌ犬も2匹集まった。メスのアリーとオスのコマ。ミニブタのおかみさんを相手に『ヒットアンドウェイ』の狩猟法を実践してくれた。
 もちろん歯を立てるまではいかない。あくまでも吠え声と鼻先によるアタック、このようにしてヒグマの足留めをしていたのかと、感心した。



2005年10月01日(土) 天気:晴れ 最高:25℃ 最低:15℃

 閉園の後、素早く仕事を終え、家に帰った。
 今日だけは見逃せないテレビ番組があった。

 日本テレビ、『笑ってコラえて!吹奏楽の旅・1音入魂スペシャル』

 経常の番組の中で放送されていたのを、タイミングが合えば視ていた。そこで繰り広げられるドラマは、私の心にスムースに入り込んで来た。
 
 懐かしかった。
 後悔の気持ちがあふれた。
 そして、自分の子供より年下の高校生たちに、元気を与えてもらった。

 19時、心の中の期待はともかく、身をただすことなく、おじさんとしての正しいテレビ視聴法を実践して(寝転がりである)、明日の天気予報が終るなりチャンネルを回した。

 あとは2時間弱、コラえられずに笑った。
 そして、女房の見えない方を向いては、頭をかく仕草をしながら、そっと涙をふいた。

 日本の学生たちの吹奏楽のレベルが世界一であることは、私が中学、高校の頃から言われていた。
 あらためて、その実力を番組は伝えていた。
 同時に、そこまでにいたる、メンバーの努力と指導者の素晴らしさをも画面に映し出していた。

 『朝練』、、、私も7時には学校に行っていた。北の地の冬は夜明けが遅く、暗いうちに家を出ていた。
 そして帰宅も真っ暗。帰り道で自転車の居眠り運転で公園の池に落ちたのも懐かしい。どんな体育系のクラブ活動よりも長い時間を使っていたと思う。

 当時、全国大会は吹奏楽の甲子園と言われる杉並の大きな会場(普門館)ではなく、毎年、会場が変わっていた。
 私は岐阜と高松の大会に行くことができた。
 小学校まで、まったく音楽にうとかった私が、少しでも音を楽しむようになったのも、当時の厳しくも楽しい時間があったからこそだろう。

 番組の中で、自らが紡ぎ出すシンフォニィに体を揺らす若者たちを眺め、私は新たなる勇気をもらった。
 ありがとう、吹奏楽を楽しむ若者たち、、、、。