中標津こどもクリニックブログ

三種の神器

この週末は名古屋市にある国際会議場で日本小児科学会年次集会があり、時代の流れから取り残されぬよう勉強をしてきました。
そろそろ帰ろうかと思っていた最終日のお昼前に、大学病院時代同期入社の准教授(昔でいう助教授)の男から、「熱田神宮に行かない?」と誘われました。
彼は全ての大河ドラマをしっかりと観賞し続ける歴史マニアなのですが周囲に同好の志はおらず、学会などで地方を訪れた時には気になる名所旧跡ツアーに古くからのなかよしで断らない私を誘ってきます。
熱田神宮は学会会場から徒歩15分ほどの所にあり、付き合っても大きな負担にはならないと思って同行しました。
熱田神宮を訪れるのは小学校1年生の時に祖父に連れられて生まれて初めて新幹線に乗った時以来45年ぶりです。

熱田神宮の起源は西暦113年にさかのぼり、日本武尊(ヤマトタケル)が東国平定の帰路に尾張で宮簀媛命(ミヤズヒメ)と結婚し、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を妃の手許へ留め置いた後にとなりの伊勢の国で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定めて剣を奉斎鎮守したのが始まりとされています。
そのために「三種の神器」のうち草薙剣は熱田に置かれているとされていて、昨年式年遷宮の折に伊勢神宮に祀られている八咫鏡(やたのかがみ)の他の神器すなはち八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(皇居にある形代、レプリカではなくって分身のような存在)、の宝物を携えて新幹線で今上天皇が私的に参拝された伊勢神宮の次に権威ある神社と位置づけられています。

あまり詳しくない方のために、「三種の神器」についてですが、日本における神様中の神様である天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、その孫にあたる邇邇藝命(ニニギノミコト)を高天原(たかまがはら・天上界)と黄泉の国(よみのくに・地中にある)の間に位置する葦原中国(あしはらのなかつくに・地上の人間が住む世界)をおさめるために遣わした(天孫降臨)の際に、携えてきたのが三種の神器であり、以後歴代天皇と共に継承されその正統性と権威を象徴するものです。
南北朝時代など三種の神器の継承を伴わない即位があったり、平家滅亡の折に安徳天皇と共に水没し草薙剣だけが回収されなかったり(その後、熱田神宮によって、次の形代が定められたようです)はっきりしない部分もあるようですが、世界中どこを見ても存在しない、諸外国からも尊敬を集める2600年の長きにわたる天皇家の存続を根拠付ける宝物であることには間違いはありません。

神話の世界に出てくるものが、平成の世の中に伝えられて実存しているというのは何だか不思議な感じがしますが、我が国が世界に誇る宝物を身近に感じて、改めて「私達が暮らす日本とは、どんな国であろうか?」という事が気になると共に、いろいろなことに対して「日本人として、どう考えどう振舞うべきか?」という事を問われているように感じます。
近年「外国語をしゃべれても、それだけでは『国際人』たり得ない。自国の文化・歴史に精通して、しっかりとしたその礎の上で諸外国の民と交わるのが真の『国際人』である。」と言われています。
別にみんなが国際人になる必要はありませんが、せめて自国の文化歴史の根幹は押さえておきたいものです。


午前休診のお知らせ

4月23日水曜日の午前中は羅臼高校での健診を行なうために休診になります。

午前中が休診となります。


午後は通常通り診療を行ないます。
夕方の専門外来も通常通り診療を行ないます。


ご迷惑をおかけしますが、ご了承下さい。


皇居

先週の土曜日に大学院生時代から世話になっていた教授の退官記念パーティーがあり、横浜に行ってきました。
パーティーは夕方からだったので、前日のニュースで流れていた
皇居の坂下門から乾門までのお濠沿いの桜並木が特別に開放されました。
という情報をつかんで、「パーティーの前に行ってこよう」と、野次馬根性丸出しで電車に乗り込みました。
「天皇陛下に対して失礼があってはならない。」と、いつもの半ズボンではなく革靴、長ズボン、そしてブレザーという「よそ行きフル装備」の「七五三状態」で乗り込みました。
開門予定の午前10時(実際にはあまりの人手に予定を早めて9時半に開門したそうです。)を一時間少々回った午前11時過ぎに東京駅に着いたのですが、駅の中でアナウンスが流れており「おうっ、親切に案内をしているな?」と思ったのですが、よくよく聴くと「今から並ばれても、閉門時間を過ぎると思われます。」と、事実上の満員札止め宣言・・・
自分と同じようにニュースを見て思い立つ輩が多数いることは想定していたのですが、予想以上の人出に見込みの甘かった自分を悔いながらもすぐに気分を取り直して、「行ける所まで行って、皇居を近くから見てみよう!」と、外堀通り、内堀通りを過ぎて、皇居外苑と呼ばれるところまで来ました。
ここから先はパイロンなどで規制がされており、車の上のお立ち台でDJポリスも元気にお仕事してました。
そこまで来て納得して、「あとはお濠沿いに皇居の外側を一周しよう」と思って反時計回りに歩き始めました。
しばらく歩くと大手門の交差点があり「そうだよな、大手門があるから大手町なんだよなぁ」などと思って眺めていると、お堀(正確には桔梗濠・キキョウボリといいます)に架かる橋を渡って多くの人の列が大手門に吸い込まれて行きます。
今日の今日まで「お堀の内側には民間人は入れない」と思い込んでいた私は「今日は特別なのかな?」くらいに思っていたのですが、入ってみるとしっかり公園として整備がしてあり、「あれっ、お堀の中って入れるんだ」という事に気がつき、次の瞬間「どこまで行けるのだろう?」と思って歩き始めました。よくよく考えると、かの日本武道館も北の丸にあるのだから、そうとは知らずにお堀の内側には入っていたのですが、なんだかとっても新鮮な気持ちで歩みを進めました。三の丸から入って、二の丸、さらに本丸まで一気に攻め込み、あっさり天守台(江戸時代の初期以降は天守閣はなかった)を制圧しました。当然のことながら周囲よりも高いところにあるので見晴らしもよく桜の花を遠くから眺めることができました。その後北の丸に抜けて桜の名所千鳥がヶ淵を歩いて戻ってきました。
今まで「皇居=江戸城」だと思っていたのですが、御所などがある「皇居」とは江戸城のうちの一部であり、それも天守閣やかつて大奥や松の廊下などがあった本丸御殿があった場所ではなく、江戸城を作った太田道灌の名前がついた道灌濠の西側にある一番はずれの地域です。
旧江戸城の半分以上は公園として整備されて自由に観光することができます
しかも入場無料です。
ニューヨークのセントラルパークには及びませんが、都会のど真ん中にこんな大きな公園があるというのは驚きに値します。
東京駅からまっすぐ行けばすぐにつきますので、お江戸に行く機会がありましたら是非お立ち寄りください。
日本人なら一度は訪れたい場所であります。


どうもありがとうございます

先週の木曜の晩から所用で中標津の町を離れていました。
出発する時から雪がちらついていて、「この先どうなるべか?」と気をもみながら出かけて行ったのですが、その後予想していた以上に低気圧があれよあれよと発達してゆくのを天気予報で目にするに至って、「帰ったら、雪かき大変だなぁ・・・」と覚悟をして帰って来ました。
ところが先ほどドキドキしながら帰って来たら、なんと駐車場の除雪が既になされていてビックリいたしました。
驚くと同時に、感謝の気持ちで心が温かくなるのを感じました。
帰っても夜の夜中に除雪機をまわす事はできず、明日の早朝から土日で「融けて固まって」を繰り返して手ごわい状態になった雪と戦わなければならないと暗い気持ちで帰ってきたので、本当にうれしかったです。
タイヤ跡から、大型のタイヤショベルでやっていただいたものかと推測しておりますが、是非とも感謝の気持ちを直節お伝えしたいので、除雪をして下さった方、一声おかけください。
やっぱり、真面目に生きてるといい事あるなぁ・・・
本当にありがとうございました


LIVEのお知らせ

詳細は後日決定し、改めてお知らせすることになりますが、6月に当院2階ホールで昭和の大物のライブが2件決定しました。
日にちが近いのですが、めったにない機会ですからお好きな方は是非両方とも聞きに来てください。
セット割引」も検討中です。

6月10日(火



1971年に結成され、吉田拓郎のバックを務め、
「拓郎の弟分」的なポジションで拓郎が作詞作曲した1972年発売の「」「地下鉄に乗って」でブレイク、その後はオリジナルの「昼下がりの町」「各駅停車」などがヒットしています。
現在メンバーは還暦を越えていますが、みなさん若々しく精力的で中標津にも数回お越しくださってすっかり気に入っているようです。
現在のメンバーは、オリジナルメンバーの常富喜雄さん、内山修さんと、ブギウギバンドにいた新井武士さんの3名です。
「昔の名前で出ています」という感じではなく、新曲も作り、ハーモニーも70年代の頃より格段に美しい響きになっています。


6月14日(土)

ブレッド&バター

私のふるさと藤沢のお隣の茅ヶ崎出身の人間国宝級兄弟デュオ。
1969年に「傷だらけの軽井沢」でデビュー、その後「マリエ」「ピンクシャドウ」「あのころのまま」「ホテルパシフィック」などなどヒット曲多数。
まさに「湘南の宝」であります。
個人的には90年代に入ってからライブにもよく行きましたし、ライダーとして北海道内を旅していた時には、ブレバタの曲を聞きながら走っていました。
今年はデビュー45周年、お兄さん幸矢さんは古希ということで気合が入って北海道ツアーに来てくださるそうです。


どちらもLIVE終了後は、会場でそのまま宴会になる予定ですが、聴きに来てくださる方はその時点でお友達です。
打ち上げまでなだれ込んで下さい。


一部休診

3月7日金曜日の午後に羅臼中学校での授業を行なうために、午後の診療が一部休診になります。

午後2時台と3時台の前半が休診となります。

午前中と午後3時30分以降は診療を行ないます。

ご了承下さい。


カーリング場出現

土曜日から降り続く雪に積極果敢に立ち向かい、
昨日の火曜日の朝の時点でそこそこの数の患者さんが車を止められるスペースを確保しました。
車から降りて歩く子ども達がすべららないようにするためと、アスファルト上をフラットな状態に保ち、その後の雪かき作業を楽にするために、あらかたの除雪を終えた部分のわずかに残った雪や、除雪作業中に踏み固めてしまってこびりついた雪を、へらを使って取り除き万全の状態で診療開始を迎えました。

そこまで頑張って除雪作業をしておくと、あとは太陽からの赤外線などで曇った日でもアスファルトが温められて表面の雪や氷ををとかしてくれます
昨日も昼頃にはウエットではあるものの、アスファルトが完全に顔を出しました。
そして午後になって気温が下がり、乾いていないアスファルトの表面がその後に降ったわずかな雪と共に凍ってゆきます
ほんのわずかな氷の層は朝からの日差しですぐにとけけてしまうのですが、とける前の状態がカーリング場の様な状態になります。
カーリングのシート(プレーをするレーン)の表面は、アイススケート場のようにフラットではなく、表面にわざわざ水を散布してペブルと呼ばれる直径1mmくらいの出っ張りを作ります。
ストーンが数個のペブルに乗っかることにより、接触面積が少なくなりスムースにすべるのです。
同じストーンをアイススケート場に持ち込んでも滑らないというのはそのためです。

今朝のうちの駐車場の表面の状態が、まさにこの「ペブル状態」でした。
アスファルト舗装にはわずかな凹凸があり、その上でスケーティングをしてみると滑る滑る♪
そうなるとついカーリングの雰囲気を味わいたくて、底の平らな瓶を持ってきてリリースすると滑る滑る♪
って、朝っぱらからキャッキャとはしゃいでいたのですが、それを伝えるためだけにこのブログを書いているのではありません。

察しのいい方は既にお気づきかもしれませんが、このペブル様の凹凸を伴うアスファルト路面は、いわゆる「ブラックミラーバーン」の状態そのものなのです。
先月用事があって養老牛温泉の「だいいち」さんまで夕方でかけたのですが、用事が済んでからご主人と夜遅くまで話し込んでいたら深夜になってしまい、帰りの道で車が恐ろしいほどに滑るので長い直線で止まって足元を確認すると、まさに「ペブル様の凹凸を伴うアスファルト路面」でした。運転席から足を出して路面に触れるとやっぱり恐ろしく滑る。
アイスバーンと、ブラックミラーバーンの根本的な違いは、このペブル用の凹凸によって路面とタイヤの接触面積が著しく減少するために、圧倒的にグリップ力が落ちてカーリングのストーンのようになすすべなく滑り続ける点なのです。

みなさん、ブラックミラーバーンを見たらカーリングを思い出して安全運転に努めてください。

唯一心残りだったのが、カーリングの語源になっているカール(curl)、ストーンを回転させる事によって弧を描いた軌跡で滑らせることを実験し忘れたことです・・・。


残念っ!

冬まつり二日目の日曜日から降りはじめたは、しんしんと月曜日の午前中まで降り続いて、けっこうなボリュームになりました。
今日、火曜日が暖かな快晴になることは判っていたので、絶好のスノーモービル日和に仲間(と言っても、足手まといになりながらついてゆくだけですが・・・)と一緒にスノーモービルで走りたくて、
「日月の雪は、月曜日中に片付けて、火曜日は心置き無くスノーモービルに専念する。」
と、心に決めて死にそうな思いをして除雪に励みました。
冬まつり実行委員としての役割を終えた日曜日の午後4時頃から、「更に降るだろうけど、今積もっている分だけでもとりあえずやっつけて、明日の作業の展開を楽にしよう。」と9時頃までせっせと雪かき。
月曜日も、「早起きは三文の得」とばかりに4時起きで雪かき開始、診療開始時間の午前9時にはヘロヘロになっていました。
午前中も患者さんが切れると寸暇を惜しんで駐車場で動き回り、12時から2時までのの昼休みと、患者さんの予約が一人も入っていなかった2時台のあわせて3時間の集中作業で、駐車場の雪かきはあらかた終了させました。
その後は、体を動かすたびに「イテテ、イテテ」と言いながら診療をしていましたが、「これで明日はスノーモービルっ♪」と痛む体と裏腹に気持ちはルンルンでした。
雪かきを頑張った日の自分へのご褒美と決めている「豚キムチチゲ鍋」を友人の焼肉屋さんに食べに行き、いつものごとく唐辛子たっぷりな特注の「激辛まっかっかスペシャル」にしてもらっておいしくいただき、万全の体制で今日の建国記念の日に備えました。
そして今日を迎えたわけなのですが、朝眼が覚めるとなんとなく横になっている全身に違和感がある。
ベッドから起き上がろうとしたその瞬間に全てが判明した。
足掛け二日、十数時間の雪かきで、悲しいかな全身の筋肉が悲鳴を上げて、ご立派な筋肉痛となり、とてもスノーモービルを操れる状態にないことを自覚。
自宅ベッド上で無念のリタイヤとなりました。


哀しい・・・


バレた?

今週1週間は、診療が終わるとまつり実行委員の一員として、
雪像製作のみなんさんを退屈させないようにと設置されている、
プレハブ2階のDJブースに詰めています。
昨日はプレハブの前が妙に騒がしいので窓から外を見ると、
クラスで雪像作りをしていたと思われる7〜8人の女子達が、
楽しそうにかしましく盛り上がっている。
君達はどこの学校だぁ?」
と尋ねると、元気な声で
丸山小学校っ!
との事。
その後もプレハブ2階と、しるべっと広場の間でお話をしましたが、
不意に
こどもクリニックの人でしょ?」
って、あっさり言われた。
2階にあるプレハブだから外から中の様子はわからないはずだし、
ましてや、半ズボンをはいているのも見える訳ないし、
どうしてバレたんだろ???


マスク

インフルエンザが流行している時期に外国人が日本に来ると驚くことのひとつに、
みんなマスクをしている
というのがあります。
みんなおそろいなので、まるで秘密結社のように見えるのかもしれません。
彼らがそう感じるのも(秘密結社は別として)当然な部分があり、そもそもにしてマスクというものは感染予防のためのアイテムではなく、感染拡大防止のためのエチケットアイテムなのです。

よほど高スペックのマスクでない限りは、空気中を漂う極めて小さなウイルスをフィルタリングすることはできません。
昭和の頃から生きている方は思い出していただけるかと思いますが、子どものころにマスクをさせられたのは、風邪をひいて咳が出たときだったはずです。
手術室でマスクをつけるのも、患者さんの体に術者の唾液などが飛ばないようにするためです。

日本においていつごろから感染防止アイテムとしての地位を獲得したのかは定かではありませんが、数年前の新型インフルエンザ騒ぎの時には町を歩くとみんなマスクをしていましたし、薬局から使い捨てのマスクが売り切れて姿を消しました。
少なくともあの時点では確実に確固たる地位を築いていました。
そして、「なんでそんなにマスクが好きかなぁ?」とも思っていました。
でも、何か自分の知らない事実があるかもしれないし、それでご商売をなさっている方もいらっしゃるので多くを語りませんでした。
そして今年になって、その知らない事実を知りました。

インフルエンザ、ノロ、ロタ、などの感染症は、患者さんが触ったドアノブ、蛇口、冷蔵庫の取っ手、などを触ってしまった後に、その自分の手を介して鼻因腔から感染してしまうということは有名な事実です。
だからこそ、新型インフルエンザが話題になった年にはみなさんせっせと手を洗ったので、結果的にノロ、ロタの発生が少なくなったのです。
そして、つい最近知ったことなのですが、ウイルスに汚染された自分の手からどうやって自分に感染させてしまうかという極めてクリティカルなポイントが、全ての人に共通する、ある何気ないしぐさだということです。
それは
何気なく鼻をさわる
という行為です。
その昔、若大将加山雄三が「君といつまでも」のくさいセリフの最中に、はにかんで鼻の横をこするというアレです。
その瞬間に、ウイルスはドアノブから手を介して鼻因腔にリレーされるのです。
ほとんど全ての人が無意識のうちにものすごい回数鼻を触っているのだそうです。
マスクには、鼻を直節触るという行為を妨害するという効力があり。
それゆえ、感染予防グッズとしての大きな存在意義があったのです。
自分でも、ちょっと驚きました。


ああよかった。
知ったような顔して「マスクなんて無意味」なんて言わなくって・・・


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