中標津こどもクリニックブログ

新宿ゴールデン街

神奈川出身の私ではありますが、北海道に移住する前に行き損なっていた場所というものはいくらでもあるものです。
子どものころ住んでいた公団住宅「辻堂団地」のすぐ近くにあった「辻堂おでんセンター」は昨年初めて行きました。
行ってみると「なんで今まで行かなかったのだろう?」という気持ちになりましたが、先週末同じような気持ちになりました。

先週末は新宿で「子どもの心研修会」というちゃんとした研修会があり、真面目にお勉強をしてきました。
土日と二日続きの研修会だったのですが、「そういえば、行ったことなかったなぁ・・・」と向かったのが、新宿ゴールデン街でした。

新宿ゴールデン街は歌舞伎町1丁目にあり、その起こりは戦後新宿東口にあった闇市の撤去後の代替地だったそうです。
移転した1950年当時は売春防止法が施工される前のいわゆる「青線地帯」(風俗営業の許可を得ずに飲食店としての許可のみで非合法に売春行為をさせていた地域)だったそうで、1階の飲食店から2階に上がる細くて急な階段が残っていることからもそれがうかがえます。

売春防止法施行後は、「ぼったくりバー」「ゲイバー」とともに、大島渚寺山修二などに代表されるジャーナリスト、作家、演出家、写真家、俳優、モデルなどのアバンギャルドな文化人が集う「文壇バー」が多くの若者を新宿によびこんでいたそうです。

バブル期の地上げ騒ぎの際にもあまりに複雑な権利関係のために再開発をまぬかれ、バブルがはじけた後のゴーストタウン期を過ぎて新しい定期借家制度によって地権者が店舗を貸しやすくなり、若い人たちを含む多くの人が出店するに至って、現在は往時の輝きを取り戻しつつあるようです。

そんな訳で、基本的には健全な店が立ち並んでおりそのたたずまいは個性的で多岐にわたっており、狭い路地には外国人観光客を含めて多くの人が行き交い実に魅力的な街です。
初めて行った私も別に背伸びすることなくいつもどおりに過ごして十分に楽しめました。
そしてお店の魅力ばかりではなく、おなじみさんとおぼしき先客と話をしているうちに「この人、とんでもない人だっ!」と気が付きつつも、たまたま同じ止まり木に止まった一人の客と一人の客、として会話をしているドキドキの楽しみもありました。
みなさんも、新宿近辺でお泊りの際には足を伸ばしてみてはいかがですか?
楽しいですよっ。


ドローン

先日総理官邸の屋上でドローンが見つかったと報じられていましたが、総理官邸や国会議事堂の上空に飛行禁止区域が設定されていなかったことにも驚きましたが、それ以上に誰にも見つけられずにたどり着いたという事実に大いに驚きました。
ドローンを初めて見たのは昨年公開された「魔女の宅急便」の実写版のロケに出くわした時で、安定がいい割にはキビキビと動くので、ほうきで空を飛んでいる時の視野を再現するにはもってこいだし、人間が行かれない視野からの映像などの情報を集めるには極めて有用なアイテムであると感心したものです。
そして、それはまた業務用の特別な道具であると認識していました。
ところが先日、一般人が総理官邸の屋上にやすやすと「ブツ」を運び込むに至って、「これはまずいよね」と痛感した次第です。
あんなもので、丸腰の人間に上空から攻撃を仕掛けたり、空港、原発など国の存在に関わる施設にテロ攻撃でもされた日には、ひとたまりもありません。
そこまでやらないにしても、(純粋なラジコンファンの方には申し訳ないのですが)、そもそもにしてドローンってその存在自体に「いかがわしい」感じを受けます。
それは、「護身用」と称してスタンガンを所有したり、「眠れないから」と称して街中で睡眠薬を所有したり、「自然な写真を撮るため」と称して杖の先に仕込まれた小型カメラを所有していれば、どんな理由付けをしようとも、所有しているそのこと自体が「かなり、いかがわしい」と考えられます。
純粋に飛ばして楽しむ以外では、ピザの宅配をするとかそういった明白な理由がない限りは、ドローンというアイテムはピーピング(のぞき)が主目的であろうことは想像に難くないので、むしろ飛行可能な領域(広場など)や、飛行可能となる使い道(芸術学術産業的目的)以外を禁止してしまった方が手っ取り早いような気がするのですが、乱暴ですかねぇ?


「1」かよっ!

先日大阪で学会があり、仕事を終えてから釧路空港まで自家用車走り羽田行きの最終便に乗りました。

飛行機は羽田空港に着陸後誘導路を自走してターミナルビルに移動するのですが、何番ゲートに横付けされるかは大体決まってはいるものの、自便他便の遅延あるいは予定時刻より早く着いたなどの状況によって多少のばらつきがあってその時になってみないとわかりません。
今回は1番ゲートに着いたのですが、今まで何十回と同じ便に乗ってきましたが初めてのパターンでした。

1番ゲートはターミナルビルの一番南側にあります。
そのため手荷物受取場までの移動距離は長く、荷物を受け取ったあともターミナルビルの中央にある京浜急行の改札口まではさらに遠く、またリムジンバスの東京駅行きの1番のりばに行こうとすればターミナルビルの端から端まで600m以上歩くことになります。

飛行機から降りてターミナルビルの中を歩き出してすぐ、私の横を30台とおぼしきキャリアウーマン風の女性が小走りで追い抜いてゆきました。
その足取りから先を急いでいることは明らかでしたが、負い抜いたまさにその瞬間、険しい表情で吐き捨てるように

「1」かよっ!

とつぶやいて遠ざかってゆきました。
気持ちはよくわかるのですが、誰かの乗る便は1番ゲートに到着するするわけですから「今日は、やられたなっ」くらいにしておけばいいのにと思うのですが、件の彼女は大きな怒りを抱えたまま空港を後にしたことでしょう。
なんだか損をしているようでかわいそうに思えてなりませんでした。

それにしても、となりから突然聴こえた「1」かよっ!には驚きました。


ストライダー アドベンチャーゾーン

ストライダー アドベンチャーゾーン

というイベントが4月19日日曜日に当院駐車場で開催されます。
ストライダーとはペダルもブレーキも無い、自分の足で地面を蹴って進む幼児用のバイクです。
装置のたぐいが存在しないので、操作するというよりも、歩くことの延長線上でバランス感覚が養われる乗り物です。
日本中で「弱っちい」子どもが増えている昨今、2才から始められるこのツールにはたくましい子ども達が育つ手助けになるのではと期待しています。
いつも世話になっているバイク屋さんの息子のお店が北海道で11軒しかない「正規ディーラー」になっています。
元国際A級のモトクロスライダーで、現在も日本のフリースタイルモトクロスジャンプの第一線で活躍している彼が言うには、
「小さい頃からこういった乗り物で鍛えていると、将来のモトクロスライダーにつながるかもしれない。」
とのことで、
オートバイが縁で中標津に移住した割には、地元のオートバイシーンのお役に立っていない自分としては少しでもお役に立ちたいと応援しています。

話がイベントに戻りまして、
今回のイベントは、総代理店のストライダージャパンが全国100ヶ所で同時開催する体験試乗イベントです。
「話を聞いただけでは、わからん」
という方は、是非お越しください。
気に入ってしまったら、販売もするそうなので即GETもできます。
「正規代理店だから高い」と思ってらっしゃる方もおいででしょうが、その後のフォローも安心ですし、輸入元のストライダージャパンが主催する公式イベントへの参加などのことを考えれば、
「モノを買うのではなく、楽しみを手に入れる」
のであればやっぱり正規代理店です。


うるかす

横浜からこの町に移住していろいろな言葉を覚えました。
そんな中でけっこうお気に入りの言葉が「うるかす」です。
この町に来てはじめて聞いた言葉で、神奈川にいた頃にはそのシュチュエーションによっても多少変わってきますが「浸けとく」「ふやかす」といった言葉が相当すると思うのですが、「うるかす」からは浸けておいた米や豆などが膨らむ雰囲気や、こびりついたカレーなどが滑り落ちる雰囲気が感じられて、なかなかにいい感じの語感です。
北海道には、なかなかにいい言葉があるものだと思っていました。

そしてつい数日前、東日本大震災の後に三陸沿岸を一緒にボランティアをした仲間が岩手県盛岡市から遊びに来ました。
我が家で夕飯を振舞った後に、すぐに養老牛の「だいいち」さんまで温泉に入りに行くことになっていたので、
その辺のものは、流しでうるかしておいてっ!
って言ったら、二人のお客は淡々と作業を開始。
あれっ?内地の人に通じたぞ??
日頃、内地から来たお客にうっかり「うるかす」って言うと、必ず「なにそれ?」って言われることになっていたのでちょっとびっくり。
改めて「盛岡でも、うるかすって言うの?」って聞いたら、「当たり前に使う」とのことでした。
北海道の言葉には、東北地方から伝わってきた言葉が少なくありませんが、「うるかす」もまた東北地方の言葉だったんですね。


「岬」

昨日テレビで吉永小百合さんが手がけた映画「ふしぎな岬の物語」が海外の映画祭で賞をいただいたというニュースを目にしました。
なんとなく眺めていただけだったのですが、どうやら映画の舞台は平成に入った頃からよく通っていた房総半島の小さな岬にあるカフェ「岬」であることに気がつきました。
休みの日に三浦半島の久里浜港から、東京湾をフェリーで横切って、房総半島の金谷港まで行けばもうすぐそこで、フェリーを降りて一服してからオートバイや自動車で房総半島を走って、帰りにまたコーヒーを飲んでから帰るというパターンでした。
ニュースの途中で流れた映画のワンシーンに出てくる喫茶店の、四分の一くらいしかないちっちゃなお店です。
2〜3年前に火事で燃えてしまったと聴いて心配していたのですが、昨年、久しぶりに訪れたら再建されていて、ご主人もお元気で安心しました。
その時に「うちの店が、本になっちゃったのよ」って見せていただいてた森沢明夫さんの「虹の岬の喫茶店」という本をすぐに買って読みました。
在りし日の本物のお店をよく知っているので、若干の違和感はありましたが、心に沁みるいい本でした。
チャンスがあれば、映画も観てみたいと思っています。
羽田からアクアライン経由で行けば高速を50kmちょっと走って、
富津館山道路の富津金屋(東京湾フェリーの出る港の近く)で降りれば、
ものの4〜5km位で着きますが、「えっ、こんなところお店があるの?
という場所なので国道を降りる時には注意が必要です。
東京に行く機会があってちょっとまとまった時間があればいいドライブコースです。
でも、映画になったから混じゃうかな?


ゴキブリ

こう見えても湘南育ちの私は、子どものころからゴキブリと戦い続けてきました。
北海道に移住してからは家の中で出くわすことはなくなり、きわめて心安らかに暮らしています。
逆の言い方をすれば彼らが私たちに及ぼす有形無形(姿が見えても、見えなくても)のストレスには計り知れないものがあります。
そんなゴキブリに久しぶりに遭遇しました。

幸いなことに自分と同じように地域密着型の小児科の開業医仲間が全国に沢山いて有難い事にかまってもらっているのですが、そんな中で鹿児島県鹿屋市(桜島の右下側の半島にある)の仲間が市を巻き込んで毎年開催している、「障害のある人も無い人も、みんなでバリアフリーな社会を築きましょう!」みたいな趣旨で10年ちょっと前に宮城県仙台市で始まった「とっておきの音楽祭」の鹿屋市版に今年も呼ばれて出演してきました。
地元のアマチュアミュージシャン、中学のブラスバンド、養護学校のアンサンブルなどに混じってステージに立ち、音楽祭は無事に終了し、会場の親水広場で打ち上げを行い、夜は暮れてゆきました。
その後、実行委員会の屋台骨を支えた方たちと昭和の雰囲気が漂う飲み屋街を歩いてスナックで二次会となりました。
その店にいたのです。
奴は・・・

宴もたけなわとなった頃に、なにやら横に並んでいる女子達が騒がしい。
ふと気がつくと左腕に怪しげな感触が・・・
思わず振り払うと5cm強のゴキブリがイスの上を走っている。
どうやら横にいたお姉さん達のくび元をかすめて、私の左腕に移動してきたようである。
その後の足取りはなぜかスナックにありがちな一本足のテーブルの裏に移動してそこで息を殺して気配を消そうとしている。
しかし、黄色い島ぞうりを手に持った私は果敢にアタック!一撃で仕留めて大喝采を浴びました。

最後にゴキブリと顔を合わせたのは沖縄に行った5年前、B級ホテルに一人で泊まっていた時だったので「別に、食われはしまい」と、そのままやり過ごした
今回はなんとかやっつけないと女子達がおさまらないであろうと対決の必要性を自覚して立ち上がりましたが、この手で仕留めたのは北海道に移住する前の12年前以来、久々の対決に燃えた


三種の神器

この週末は名古屋市にある国際会議場で日本小児科学会年次集会があり、時代の流れから取り残されぬよう勉強をしてきました。
そろそろ帰ろうかと思っていた最終日のお昼前に、大学病院時代同期入社の准教授(昔でいう助教授)の男から、「熱田神宮に行かない?」と誘われました。
彼は全ての大河ドラマをしっかりと観賞し続ける歴史マニアなのですが周囲に同好の志はおらず、学会などで地方を訪れた時には気になる名所旧跡ツアーに古くからのなかよしで断らない私を誘ってきます。
熱田神宮は学会会場から徒歩15分ほどの所にあり、付き合っても大きな負担にはならないと思って同行しました。
熱田神宮を訪れるのは小学校1年生の時に祖父に連れられて生まれて初めて新幹線に乗った時以来45年ぶりです。

熱田神宮の起源は西暦113年にさかのぼり、日本武尊(ヤマトタケル)が東国平定の帰路に尾張で宮簀媛命(ミヤズヒメ)と結婚し、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を妃の手許へ留め置いた後にとなりの伊勢の国で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定めて剣を奉斎鎮守したのが始まりとされています。
そのために「三種の神器」のうち草薙剣は熱田に置かれているとされていて、昨年式年遷宮の折に伊勢神宮に祀られている八咫鏡(やたのかがみ)の他の神器すなはち八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(皇居にある形代、レプリカではなくって分身のような存在)、の宝物を携えて新幹線で今上天皇が私的に参拝された伊勢神宮の次に権威ある神社と位置づけられています。

あまり詳しくない方のために、「三種の神器」についてですが、日本における神様中の神様である天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、その孫にあたる邇邇藝命(ニニギノミコト)を高天原(たかまがはら・天上界)と黄泉の国(よみのくに・地中にある)の間に位置する葦原中国(あしはらのなかつくに・地上の人間が住む世界)をおさめるために遣わした(天孫降臨)の際に、携えてきたのが三種の神器であり、以後歴代天皇と共に継承されその正統性と権威を象徴するものです。
南北朝時代など三種の神器の継承を伴わない即位があったり、平家滅亡の折に安徳天皇と共に水没し草薙剣だけが回収されなかったり(その後、熱田神宮によって、次の形代が定められたようです)はっきりしない部分もあるようですが、世界中どこを見ても存在しない、諸外国からも尊敬を集める2600年の長きにわたる天皇家の存続を根拠付ける宝物であることには間違いはありません。

神話の世界に出てくるものが、平成の世の中に伝えられて実存しているというのは何だか不思議な感じがしますが、我が国が世界に誇る宝物を身近に感じて、改めて「私達が暮らす日本とは、どんな国であろうか?」という事が気になると共に、いろいろなことに対して「日本人として、どう考えどう振舞うべきか?」という事を問われているように感じます。
近年「外国語をしゃべれても、それだけでは『国際人』たり得ない。自国の文化・歴史に精通して、しっかりとしたその礎の上で諸外国の民と交わるのが真の『国際人』である。」と言われています。
別にみんなが国際人になる必要はありませんが、せめて自国の文化歴史の根幹は押さえておきたいものです。


皇居

先週の土曜日に大学院生時代から世話になっていた教授の退官記念パーティーがあり、横浜に行ってきました。
パーティーは夕方からだったので、前日のニュースで流れていた
皇居の坂下門から乾門までのお濠沿いの桜並木が特別に開放されました。
という情報をつかんで、「パーティーの前に行ってこよう」と、野次馬根性丸出しで電車に乗り込みました。
「天皇陛下に対して失礼があってはならない。」と、いつもの半ズボンではなく革靴、長ズボン、そしてブレザーという「よそ行きフル装備」の「七五三状態」で乗り込みました。
開門予定の午前10時(実際にはあまりの人手に予定を早めて9時半に開門したそうです。)を一時間少々回った午前11時過ぎに東京駅に着いたのですが、駅の中でアナウンスが流れており「おうっ、親切に案内をしているな?」と思ったのですが、よくよく聴くと「今から並ばれても、閉門時間を過ぎると思われます。」と、事実上の満員札止め宣言・・・
自分と同じようにニュースを見て思い立つ輩が多数いることは想定していたのですが、予想以上の人出に見込みの甘かった自分を悔いながらもすぐに気分を取り直して、「行ける所まで行って、皇居を近くから見てみよう!」と、外堀通り、内堀通りを過ぎて、皇居外苑と呼ばれるところまで来ました。
ここから先はパイロンなどで規制がされており、車の上のお立ち台でDJポリスも元気にお仕事してました。
そこまで来て納得して、「あとはお濠沿いに皇居の外側を一周しよう」と思って反時計回りに歩き始めました。
しばらく歩くと大手門の交差点があり「そうだよな、大手門があるから大手町なんだよなぁ」などと思って眺めていると、お堀(正確には桔梗濠・キキョウボリといいます)に架かる橋を渡って多くの人の列が大手門に吸い込まれて行きます。
今日の今日まで「お堀の内側には民間人は入れない」と思い込んでいた私は「今日は特別なのかな?」くらいに思っていたのですが、入ってみるとしっかり公園として整備がしてあり、「あれっ、お堀の中って入れるんだ」という事に気がつき、次の瞬間「どこまで行けるのだろう?」と思って歩き始めました。よくよく考えると、かの日本武道館も北の丸にあるのだから、そうとは知らずにお堀の内側には入っていたのですが、なんだかとっても新鮮な気持ちで歩みを進めました。三の丸から入って、二の丸、さらに本丸まで一気に攻め込み、あっさり天守台(江戸時代の初期以降は天守閣はなかった)を制圧しました。当然のことながら周囲よりも高いところにあるので見晴らしもよく桜の花を遠くから眺めることができました。その後北の丸に抜けて桜の名所千鳥がヶ淵を歩いて戻ってきました。
今まで「皇居=江戸城」だと思っていたのですが、御所などがある「皇居」とは江戸城のうちの一部であり、それも天守閣やかつて大奥や松の廊下などがあった本丸御殿があった場所ではなく、江戸城を作った太田道灌の名前がついた道灌濠の西側にある一番はずれの地域です。
旧江戸城の半分以上は公園として整備されて自由に観光することができます
しかも入場無料です。
ニューヨークのセントラルパークには及びませんが、都会のど真ん中にこんな大きな公園があるというのは驚きに値します。
東京駅からまっすぐ行けばすぐにつきますので、お江戸に行く機会がありましたら是非お立ち寄りください。
日本人なら一度は訪れたい場所であります。


どうもありがとうございます

先週の木曜の晩から所用で中標津の町を離れていました。
出発する時から雪がちらついていて、「この先どうなるべか?」と気をもみながら出かけて行ったのですが、その後予想していた以上に低気圧があれよあれよと発達してゆくのを天気予報で目にするに至って、「帰ったら、雪かき大変だなぁ・・・」と覚悟をして帰って来ました。
ところが先ほどドキドキしながら帰って来たら、なんと駐車場の除雪が既になされていてビックリいたしました。
驚くと同時に、感謝の気持ちで心が温かくなるのを感じました。
帰っても夜の夜中に除雪機をまわす事はできず、明日の早朝から土日で「融けて固まって」を繰り返して手ごわい状態になった雪と戦わなければならないと暗い気持ちで帰ってきたので、本当にうれしかったです。
タイヤ跡から、大型のタイヤショベルでやっていただいたものかと推測しておりますが、是非とも感謝の気持ちを直節お伝えしたいので、除雪をして下さった方、一声おかけください。
やっぱり、真面目に生きてるといい事あるなぁ・・・
本当にありがとうございました


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